源氏物語

Genji monogatari

紫式部 Murasaki Shikibu

1 光る源氏前史の物語

2 父帝悲秋の物語

3 光る源氏の物語

出典
校訂

1 Opening of the tale of Hikaru-Genji

2 Mikado's grief

3 Tale of Hikaru-Genji

 いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。
はじめより我はと思ひ上がりたまへる御方がた、めざましきものにおとしめ嫉みたまふ。同じほど、それより下臈の更衣たちは、ましてやすからず。朝夕の宮仕へにつけても、人の心をのみ動かし、恨みを負ふ積りにやありけむ、いとあつしくなりゆき、もの心細げに里がちなるを、いよいよあかずあはれなるものに思ほして、人のそしりをも1え憚らせたまはず、世のためしにもなりぬべき御もてなしなり。
上達部、上人なども、あいなく目を側めつつ、「いとまばゆき人の御おぼえなり。唐土にも、かかる事の起こりにこそ、世も乱れ、あしかりけれ」と、やうやう天の下にもあぢきなう、人のもてなやみぐさになりて、楊貴妃の例も引き出でつべくなりゆくに、いとはしたなきこと多かれど、かたじけなき御心ばへのたぐひなきを頼みにてまじらひたまふ。
父の大納言は亡くなりて、母北の方なむいにしへの人のよしあるにて、親うち具し、さしあたりて世のおぼえはなやかなる御方がたにもいたう劣らず、なにごとの儀式をももてなしたまひけれど、とりたててはかばかしき後見しなければ、事ある時は、なほ拠り所なく心細げなり。
 先の世にも御契りや深かりけむ、世になく清らなる玉の男御子さへ生まれたまひぬ。いつしかと心もとながらせたまひて、急ぎ参らせて御覧ずるに、めづらかなる稚児の御容貌なり。
一の皇子は、右大臣の女御の御腹にて、寄せ重く、疑ひなき儲けの君と、世にもてかしづききこゆれど、この御にほひには並びたまふべくもあらざりければ、おほかたのやむごとなき御思ひにて、この君をば、私物に思ほしかしづきたまふこと限りなし。
初めよりおしなべての上宮仕へしたまふべき際にはあらざりき。おぼえいとやむごとなく、上衆めかしけれど、わりなくまつはさせたまふあまりに、さるべき御遊びの折をり、何事にもゆゑある事のふしぶしには、まづ参う上らせたまふ。ある時には大殿籠りすぐして、やがてさぶらはせたまひなど、あながちに御前去らずもてなさせたまひしほどに、おのづから軽きかたにも見えしを、この御子生まれたまひてのちは、いと心ことに思ほしおきてたれば、坊にも、ようせずは、この御子の居たまふべきなめりと、一の皇子の女御はおぼし疑へり。人より先に参りたまひて、やむごとなき御思ひなべてならず、皇女たちなどもおはしませば、この御方の御いさめをのみぞ、なほわづらはしう心苦しう思ひきこえさせたまひける。
かしこき御蔭をば頼みきこえながら、おとしめ疵を求めたまふ人は多く、わが身はか弱くものはかなきありさまにて、なかなかなるもの思ひをぞしたまふ。御局は桐壷なり。あまたの御方がたを過ぎさせたまひて、ひまなき御前渡りに、人の御心を尽くしたまふも、げにことわりと見えたり。参う上りたまふにも、あまりうちしきる折をりは、打橋、渡殿のここかしこの道に、あやしきわざをしつつ、御送り迎への人の衣の裾、堪へがたく、まさなきこともあり。またある時には、え避らぬ馬道の戸を鎖しこめ、こなたかなた心を合はせて、はしたなめわづらはせたまふ時も多かり。事にふれて数知らず苦しきことのみまされば、いといたう思ひわびたるを、いとどあはれと御覧じて、後涼殿にもとよりさぶらひたまふ更衣の曹司を他に移させたまひて、上局に賜はす。その恨みましてやらむかたなし。
 この御子三つになりたまふ年、御袴着ぎのこと一の宮のたてまつりしに劣らず、内蔵寮、納殿の物を尽くして、いみじうせさせたまふ。それにつけても、世の誹りのみ多かれど、この御子のおよすけもておはする御容貌心ばへありがたくめづらしきまで見えたまふを、え嫉みあへたまはず。ものの心知りたまふ人は、かかる人も世に出でおはするものなりけりと、あさましきまで目をおどろかしたまふ。
 その年の夏、御息所、はかなき心地にわづらひて、まかでなむとしたまふを、暇さらに許させたまはず。年ごろ、常のあつしさになりたまへれば、御目馴れて、「なほしばしこころみよ」とのみのたまはするに、日々に重りたまひて、ただ五六日のほどにいと弱うなれば、母君泣く泣く奏して、まかでさせたてまつりたまふ。かかる折にも、あるまじき恥もこそと心づかひして、御子をばとどめたてまつりて、忍びてぞ出でたまふ。
限りあれば、さのみもえ留めさせたまはず、御覧じだに送らぬおぼつかなさを、言ふ方なく思ほさる。いとにほひやかにうつくしげなる人の、いたう面痩せて、いとあはれとものを思ひしみながら、言に出でても聞こえやらず、あるかなきかに消え入りつつものしたまふを御覧ずるに、来し方行く末思し召されず、よろずのことを泣く泣く契りのたまはすれど、御いらへもえ聞こえたまはず、まみなどもいとたゆげにて、いとどなよなよと、我かの気色にて臥したれば、いかさまにと思し召しまどはる。輦車の宣旨などのたまはせても、また入らせたまひて、さらにえ許させたまはず。
「限りあらむ道にも、後れ先立たじと、契らせたまひけるを。さりとも、うち捨てては、え行きやらじ」
とのたまはするを、女もいといみじと、見たてまつりて、
「限りとて別るる道の悲しきに
いかまほしきは命なりけり
いとかく思ひたまへましかば」
と、息も絶えつつ、聞こえまほしげなることはありげなれど、いと苦しげにたゆげなれば、かくながら、ともかくもならむを御覧じはてむと思し召すに、「今日始むべき祈りども、さるべき人々うけたまはれる、今宵より」と、聞こえ急がせば、わりなく思ほしながらまかでさせたまふ。
御胸つとふたがりて、つゆまどろまれず、明かしかねさせたまふ。御使の行きかふほどもなきに、なほいぶせさを限りなくのたまはせつるを、「夜半うち過ぐるほどになむ、絶えはてたまひぬる」とて泣き騒げば、御使もいとあへなくて帰り参りぬ。聞こし召す御心まどひ、何ごとも思し召しわかれず、籠りおはします。
御子は、かくてもいと御覧ぜまほしけれど、かかるほどにさぶらひたまふ、例なきことなれば、まかでたまひなむとす。何事かあらむとも思したらず、さぶらふ人々の泣きまどひ、主上も御涙のひまなく流れおはしますを、あやしと見たてまつりたまへるを。よろしきことにだに、かかる別れの悲しからぬはなきわざなるを、ましてあはれに言ふかひなし。
 限りあれば、例の作法にをさめたてまつるを、母北の方、同じ煙にのぼりなむと、泣きこがれたまひて、御送りの女房の車に慕ひ乗りたまひて、愛宕といふ所にいといかめしうその作法したるに、おはし着きたる心地、いかばかりかはありけむ。「むなしき御骸を見る見る、なほおはするものと思ふが、いとかひなければ、灰になりたまはむを見たてまつりて、今は亡き人と、ひたぶるに思ひなりなむ」と、さかしうのたまひつれど、車よりも落ちぬべうまろびたまへば、さは思ひつかしと、人々もてわづらひきこゆ。
内裏より御使あり。三位の位贈りたまふよし、勅使来てその宣命読むなむ、悲しきことなりける。女御とだに言はせずなりぬるが、あかず口惜しう思さるれば、いま一階の位をだにと、贈らせたまふなりけり。これにつけても憎みたまふ人々多かり。もの思ひ知りたまふは、様、容貌などのめでたかりしこと、心ばせのなだらかにめやすく、憎みがたかりしことなど、今ぞ思し出づる。さまあしき御もてなしゆゑこそ、すげなう嫉みたまひしか、人柄のあはれに情ありし御心を、主上の女房なども恋ひしのびあへり。「なくてぞ」2とは、かかる折にやと見えたり。

 どの帝の御代のことであったか、女御や更衣たちが大勢お仕えなさっていたなかに、たいして高貴な身分ではないで、きわだって御寵愛をあつめていらっしゃる方があった。
最初から、自分こそはと気位い高く持っていらっしゃった御方々は、不愉快な人だと、見くだし嫉みなさる。同じ身分、その方より身分の低い更衣たちは、いっそうおもしろくない。毎日の宮仕えにつけても、他人の気持ちばかりを不愉快にさせ、恨みを買うことの積もり積もったせいであろうか、とても病弱になってゆき、何となく心細げに里に下がることが多いのを、ますますこの上なく不憫な人だとおぼし召されて、人の非難をもおさしひかえあそばすことがおできになれず、後世の語り草にもなってしまいそうなおん慈しみようである。
上達部、殿上人なども、人ごとながら、目をそらしそらし、「とても眩しい程の御寵愛である。唐土でも、このような問題が原因で、世の中も乱れ、具合が悪かったのだ」と、しだいに世間でも、困ったことに、人々の苦情の種となって、楊貴妃の例まで引き合いに出されそうになってゆくので、たいそういたたまれないことが数多くあるが、もったいない御愛情を唯一の頼みとして、宮仕えなさる。
父親の大納言は亡くなって、母親の北の方が古い家柄の人の教養ある人で、両親とも揃っていて、今現在の世間の評判が勢い盛んな方がたにもたいしてひけをとらず、どのようなことの作法にも対応なさっていたが、これといったしっかりとした後見人が特にいないので、改まったことの行われるときには、やはり頼りとする人がなく心細い様子である。
 前世でも御宿縁が深かったのであろうか、この世にまたとなく美しい玉のような男の御子までがお生まれになった。早く早くとじれったくおぼし召されて、急いで参内させて御覧あそばすと、たぐい稀な嬰児のお顔だちである。
第一皇子は、右大臣の女御がお生みになった方なので、後見人がしっかりしていて、正真正銘の皇太子になられるお方だと、世間では大切にお扱い申し上げるが、この御子の輝く美しさにはお並びようもなかったので、一通りの大切なお気持ちであって、この若君の方を、自分の思いのままにおかわいがりあそばされることは際限がない。
最初から女房並みの帝のお側用をお勤めをなさるはずの身分ではなかった。人々の評判もとても高く、上流人の風格があったが、むやみにお側近くにお召しあそばされ過ぎた結果、しかるべき管弦の御遊の折々、どのような催事でも雅趣ある催しがあるたびには、まっさきに参上させなさる。ある時にはお寝過ごしなされて、そのまま伺候させておきなさるなど、むやみに御前から離さずに御待遇あそばされたうちに、自然と身分の低い女房のようにも見えたが、この御子がお生まれになって後は、たいそう格別にお考えおきあそばされるようになっていたので、東宮坊にも、ひょっとすると、この御子がおなりになるかもしれないと、第一皇子の女御はお疑いになっていた。誰よりも先に御入内されて、大切にお考えあそばされることは一通りでなく、皇女たちなどもいらっしゃるので、この御方の御諌めだけは、さすがにやはりうるさいことだが無視できないことだと、お思い申し上げあそばされるのであった。
もったいない御庇護をお頼り申してはいるものの、軽蔑したり落度を探したりなさる方々は多く、自身はか弱く何となく頼りない状態で、なまじ御寵愛を得たばっかりにしなくてもよい物思いをなさる。お局は桐壷である。おおぜいのお妃方の前をお素通りあそばされて、そのひっきりなしのお素通りあそばしに、お妃方がお気をもめ尽くしになるのも、なるほどごもっともであると見えた。参上なさるにつけても、あまり度重なる時どきには、打橋、渡殿のあちらこちらの道に、けしからぬことをたびたびして、送り迎えの女房の着物の裾、がまんできないような、とんでもないことがある。またある時には、どうしても通らなければならない馬道の戸を鎖して閉じ籠め、そのこちら側とあちら側とで示し合わせて、進むも退くもならないように困らせなさるときも多かった。何かにつけて数知れないほど辛いことばかりが増えていくので、たいそうひどく思い悩んでいるのを、ますますお気の毒におぼし召されて、後凉殿に以前から伺候していらっしゃる更衣の部屋を他に移させなさって、上局として御下賜あそばす。その方の恨みはなおいっそうに晴らしようがない。
 この御子が三歳におなりの年に、御袴着の儀式を一宮がお召しになったのに劣らず、内蔵寮、納殿の御物をふんだんに使って、大変に盛大におさせあそばす。そのことにつけても、世人の非難ばかりが多かったが、この御子が成長なさって行かれるお顔だちやご性質が世間に類なく素晴らしいまでにお見えになるので、お憎みきれになれない。ものごとの情理がおわかりになる方は、このような方もこの末世にお生まれになるものであったよと、驚きあきれる思いで目を見張っていらっしゃる。
 その年の夏、御息所、弱々しい感じに病気になって、退出しようとなさるのを、お暇を少しもお許しあそばさない。ここ数年来、いつもの病状におなりになっていらっしゃるので、お見慣れになって、「このまましばらく様子を見よ」とばかり仰せられるうちに、日々に重くおなりになって、わずか五、六日のうちにひどく衰弱したので、母君が涙ながらに奏上して、退出させ申し上げなさる。このような時にも、あってはならない失態を演じてはならないと配慮して、御子はお残し申して、人目につかないようにして退出なさる。
決まりがあるので、お気持ちのままにお留めあそばすこともできず、お見送りさえままならない心もとなさを、言いようもなく無念におぼし召される。たいそう照り映えるように美しくかわいらしい人が、ひどく面痩せして、まことにしみじみと物思うことがありながらも、言葉には出して申し上げることもできずに、生死もわからないほどに息も絶えだえでいらっしゃるのを御覧になると、過去も未来もお考えあそばされず、すべてのことを泣きながらお約束あそばされるが、お返事を申し上げることもおできになれず、まなざしなどもとてもだるそうで、常よりいっそう弱々しくて、意識もないような状態で臥せっているので、どうしたらよいものかとお惑乱あそばされる。輦車の宣旨などを仰せ出されても、再びお入りあそばしては、どうしてもお許しになることがおできになれない。
「死出の旅路にも、一緒に行こうと、お約束あそばしたのに。いくらなんでも、おいてけぼりには、行かせまい」
と仰せになるのを、女もたいそう悲しいと、お顔を拝し上げて、
「人の命には限りがあるものと、今、別れ路に立ち、悲しい気持ちでいますが、
行きたいと思うのは、生きる世界なのでございます。
ほんとうにこのように存じましたならば」
と、息も絶えだえに、申し上げたいそうなことはありそうな様子であるが、たいそう苦しげに気力もなさそうなので、このままの状態で、最期となってしまうようなこともお見届けしたいと、お考えあそばされるが、「今日始める予定の祈祷類を、しかるべき僧たちの承っておりますのが、今宵から」と言って、おせき立て申し上げるので、やむを得なくお思いあそばしながら退出させなさる。
お胸がひしと塞がって、少しもうとうとなされず、夜を明かしかねあそばす。勅使が行き来する間もないうちに、しきりに気がかりなお気持ちをお漏らしあそばしていらしたところ、「夜半少し過ぎたころに、お亡くなりになりました」と言って泣き騒ぐので、勅使もたいそうがっかりして帰参した。お耳にあそばす御心の転倒、どのような御分別をも失われて、引き籠もっておいであそばす。
御子は、それでもとても御覧になっていたいが、このような折に伺候していらっしゃるのは、先例のないことなので、退出させなさろうとする。何事があったのだろうかもおわかりにならず、お仕えする人々が泣き惑い、主上も涙が絶えずおこぼれあそばしているのを、変だと拝し上げなさることよ。普通の場合でさえ、このような別れの悲しくないことはない次第なのに、まして悲しく何とも言いようがない。
 しきたりがあるので、先例の葬法どおりにお営み申すのを、母北の方は、同じように死んでしまいたいと、泣きこがれなさって、御葬送の女房の車にお慕い乗りになって、愛宕という所でたいそう厳かにその葬儀を執り行っているところに、お着きになったお気持ちは、どんなであったであろうか。「お亡骸を見ては見ては、なおも生きていらっしゃるものと思われるのが、たいして何にもならないので、灰におなりになるのを拝見して、今はもう死んだ人なのだと、きっぱりと思い諦めよう」と、分別あるようにおっしゃっていたが、車から落ちんばかりにお取り乱しなさるので、やはり思ったとおりだと、女房たちも手をお焼き申す。
内裏からお勅使が参る。従三位の位を追贈なさる旨、勅使が到着してその宣命を読み上げるのが悲しいことであった。せめて女御とさえ呼ばせずに終わったのが、心残りで無念に思し召されたので、せめてもう一段上の位階だけでもと、御追贈あそばすのであった。このことにつけても非難なさる方々が多かった。人の情理をおわかりになる方は、姿態や容貌などが素晴しかったこと、気立てがおだやかで欠点がなく、憎み難い人であったことなどを、今となってお思い出しになる。見苦しいまでの御寵愛ゆえに、冷たくお妬みなさったのだが、性格がしみじみと情愛こまやかでいらっしゃったご性質を、主上づきの女房たちも互いに恋い偲びあっていた。「なくてぞ人は」とは、このような時のことかと思われた。

 1 Opening of the tale of Hikaru-Genji [1-1 Father and mother's tragic love]
 Idure no ohom-toki ni ka, nyougo, kaui amata saburahi tamahi keru naka ni, ito yamgotonaki kiha ni ha ara nu ga, sugurete tokimeki tamahu ari keri.
 Hazime yori ware ha to omohi agari tamahe ru ohom-kata-gata, mezamasiki mono ni otosime sonemi tamahu. Onazi hodo, sore yori gerahu no kaui-tati ha, masite yasukara zu. Asa-yuhu no miya-dukahe ni tuke te mo, hito no kokoro wo nomi ugokasi, urami wo ohu tumori ni ya ari kem, ito atusiku nari yuki, mono kokoro-boso-ge ni sato-gati naru wo, iyo-iyo aka zu ahare naru mono ni omohosi te hito no sosiri wo mo e habakara se tamaha zu, yo no tamesi ni mo nari nu beki ohom-motenasi nari.
 Kamdatime, uhe-bito nado mo, ainaku me wo sobame tutu, "Ito mabayuki hito no ohom-oboye nari. Morokosi ni mo, kakaru koto no okori ni koso, yo mo midare, asikari kere" to, yau-yau amenosita ni mo adikinau, hito no mote-nayami-gusa ni nari te, Yauki-hi no tamesi mo hiki ide tu beku nariyuku ni, ito hasitanaki koto ohokare do, katazikenaki mi-kokoro-bahe no taguhi naki wo tanomi ni te mazirahi tamahu.
 TiTi no Dainagon ha nakunari te haha Kita-no-kata nam inisihe no yosi aru ni te, oya uti-gusi, sasi-atari te yo no oboye hanayaka naru ohom-kata-gata ni mo itau otora zu, nani-goto no gisiki wo mo motenasi tamahi kere do, tori-tate te haka-bakasiki usiro-mi si nakere ba, koto aru toki ha, naho yori-dokoro naku kokoro-boso-ge nari.

 [1-2 Genji's birth(age 1)]
 Saki no yo ni mo ohom-tigiri ya hukakari kem, yo ni naku kiyora naru tama no wonoko miko sahe umare tamahi nu. Itusika to kokoro-motonagara se tamahi te, isogi mawirase te go-ran-zuru ni, meduraka naru tigo no ohom-katati nari.
 Iti-no-Miko ha, Udaizin no Nyougo no ohom-hara ni te, yose omoku, utagahi naki Mauke-no-kimi to, yo ni mote-kasiduki kikoyure do, kono ohom-nihohi ni ha narabi tamahu beku mo ara zari kere ba, ohokata no yamgotonaki ohom-omohi ni te, kono Kimi wo ba, watakusi-mono ni omohosi kasiduki tamahu koto kagiri nasi.
 Hazime yori osinabete no uhe-miya-dukahe si tamahu beki kiha ni ha ara zari ki. Oboye ito yamgotonaku, zyauzu-mekasi kere do, warinaku matuhasa se tamahu amari ni, sarubeki ohom-asobi no wori-wori, nani-goto ni mo yuwe aru koto no husi-busi ni ha, madu mau-nobora se tamahu. Aru-toki ni ha ohotono-gomori sugusi te, yagate saburahase tamahi nado, anagati ni o-mahe sara zu mote-nasa se tamahi si hodo ni, onodukara karoki kata ni mo miye si wo, kono Miko umare tamahi te noti ha, ito kokoro koto ni omohosi oki te tare ba, Bau ni mo, you se zu ha, kono Miko no wi tamahu beki na'meri to, Ichi-no-Miko no Nyougo ha obosi utagahe ri. Hito yori saki ni mawiri tamahi te, yamgotonaki ohom-omohi nabete nara zu, Miko-tati nado mo ohasimase ba, kono Ohom-kata no ohom-isame wo nomi zo, naho wadurahasiu kokoro-gurusiu omohi kikoye sase tamahi keru.
 Kasikoki mi-kage wo ba tanomi kikoye nagara, otosime kizu wo motome tamahu hito ha ohoku, waga mi ha ka-yowaku mono-hakanaki arisama ni te, naka-naka naru mono-omohi wo zo si tamahu. Mi-tubone ha Kiritubo nari. Amata no ohom-Kata-gata wo sugi sase tamahi te, hima naki o-mahe-watari ni, hito no mi-kokoro wo tukusi tamahu mo, geni kotowari to miye tari. Mau-nobori tamahu ni mo, amari uti-sikiru wori-wori ha, uti-hasi, wata-dono no koko kasiko no miti ni, ayasiki waza wo si tutu, ohom-okuri mukahe no hito no kinu no suso, tahe gataku, masanaki koto mo ari. Mata aru toki ni ha, e sara nu me-dau no to wo sasi-kome, konata kanata kokoro wo ahase te, hasitaname wadurahase tamahu toki mo ohokari. Koto ni hure te kazu sira zu kurusiki koto nomi masare ba, ito itau omohi wabi taru wo, itodo ahare to go-ran-zi te, Kourau-den ni motoyori saburahi tamahu Kaui no zausi wo hoka ni utusa se tamahi te, Uhe-tubone ni tamaha su. Sono urami masite yara m kata nasi.

 [1-3 Hakama-gi(age 3)]
 Kono Miko mi-tu ni nari tamahu tosi, ohom-hakama-gi no koto Iti-no-Miya no tatematuri si ni otora zu, Kura-dukasa Wosame-dono no mono wo tukusi te, imiziu se sase tamahu. Sore ni tuke te mo, yo no sosiri nomi ohokare do, kono Miko no oyosuke mote-ohasuru ohom-katati kokoro-bahe arigataku medurasiki made miye tamahu wo, e sonemi ahe tamaha zu. Mono no kokoro siri tamahu hito ha, "kakaru hito mo yo ni ide ohasuru mono nari keri" to, asamasiki made me wo odorokasi tamahu.

 [1-4 Mother's death]
 Sono tosi no natu, Miyasumdokoro, hakanaki kokoti ni wadurahi tamahi te, makade nam to si tamahu wo, itoma sarani yurusa se tamaha zu. Tosi-goro, tune no atusisa ni nari tamahe re ba, ohom-me nare te, "Naho sibasi kokoromi yo" to nomi notamahasuru ni, hi-bi ni omori tamahi te, tada itu-ka mui-ka no hodo ni ito yowau nare ba, Haha-Gimi naku-naku sousi te, makade sase tatematuri tamahu. Kakaru wori ni mo, arumaziki hadi mo koso to kokoro-dukahi si te, Miko wo ba todome tatematuri te, sinobi te zo ide tamahu.
 Kagiri are ba, sa nomi mo e todome sase tamaha zu, go-ran-zi dani okura nu obotukanasa wo, ihu-kata-naku omohosa ru. Ito nihohi-yaka ni utukusige naru hito no, itau omoyase te, ito ahare to mono wo omohi simi nagara, koto ni ide te mo kikoye-yara zu, aruka-nakika ni kiye iri tutu monosi tamahu wo go-ran-zuru ni, kisi-kata yuku-suwe obosi-mesa re zu, yorodu no koto wo naku-naku tigiri notamaha sure do, ohom-irahe mo e kikoye tamaha zu, mami nado mo ito tayu-ge ni te, itodo nayo-nayo to, ware-ka no kesiki ni te husi tare ba, ika-sama ni to obosi-mesi madoha ru. Te-guruma no senzi nado notamahase te mo, mata ira se tamahi te, sarani e yurusa se tamaha zu.
 "Kagiri ara m miti ni mo, okure saki data zi to, tigira se tamahi keru wo. Sa'ri to mo, uti-sute te ha, e yuki yara zi"
 to notamahasuru wo, Womna mo ito imizi to, mi tatematuri te,
 "Kagiri to te wakaruru miti no kanasiki ni
 ika mahosiki ha inoti nari keri

 Ito kaku omohi tamahe masika ba"
 to, iki mo taye tutu, kikoye mahosi-ge naru koto ha ari-ge nare do, ito kurusi-ge ni tayu-ge nare ba, kaku nagara, tomo-kakumo nara m wo go-ran-zi hate m to obosi-mesu ni, "Kehu hazimu beki inori-domo, sa'ru beki hito-bito uketamahare ru, koyohi yori" to, kikoye isogase ba, warinaku omohosi nagara makade sase tamahu.
 Ohom-mune tuto hutagari te, tuyu madoroma re zu, akasi-kane sase tamahu. Ohom-tukahi no yuki-kahu hodo mo naki ni, naho ibusesa wo kagirinaku notamahase turu wo, "Yonaka uti-suguru hodo ni nam taye hate tamahi nuru" tote naki sawage ba, ohom-tukahi mo ito ahenaku te kaheri mawiri nu. Kikosi-mesu mi-kokoro-madohi, nani-goto mo obosi-mesi waka re zu, komori ohasimasu.
 Miko ha, kakute mo ito go-ran-ze mahosikere do, kakaru hodo ni saburahi tamahu, rei naki koto nare ba, makade tamahi nam to su. Nani-goto ka ara m to mo obosi tara zu, saburahu hito-bito no naki madohi, Uhe mo ohom-namida no hima naku nagare ohasimasu wo, ayasi to mi tatematuri tamahe ru wo. Yorosiki koto ni dani, kakaru wakare no kanasikara nu ha naki waza naru wo, masite ahare ni ihu-kahi-nasi.

 [1-5 The funeral]
 Kagiri are ba, rei no sahohu ni wosame tatematuru wo, haha Kita-no-kata, onazi keburi ni nobori na m to, naki kogare tamahi te, ohom-okuri no nyoubau no kuruma ni sitahi nori tamahi te, Otagi to ihu tokoro ni ito ikamesiu sono sahohu si taru ni, ohasi tuki taru kokoti, ikabakari ka ha ari kem. "Munasiki ohom-kara wo miru miru, naho ohasuru mono to omohu ga, ito kahi nakere ba, hahi ni nari tamaha m wo mi tatematuri te, ima ha naki hito to, hitaburu ni omohi nari na m" to, sakasiu notamahi ture do, kuruma yori mo oti nu beu marobi tamahe ba, sa ha omohi tu kasi to, hito-bito mote wadurahi kikoyu.
 Uti yori ohom-tukahi ari. Mi-tu no kurawi okuri tamahu yosi, tyokusi ki te sono senmyau yomu nam, kanasiki koto nari keri. Nyougo to dani iha se zu nari nuru ga, aka zu kutiwosiu obosa rure ba, ima hito kizami no kurawi wo dani to, okura se tamahu nari keri. Kore ni tuke te mo nikumi tamahu hito-bito ohokari. Mono omohi siri tamahu ha, sama katati nado no medetakari si koto, kokoro-base no nadaraka ni meyasuku, nikumi gatakari si koto nado, ima zo obosi iduru. Sama asiki ohom-motenasi yuwe koso, sugenau sonemi tamahi sika, hito-gara no ahare ni nasake ari si mi-kokoro wo, Uhe no nyoubau nado mo kohi sinobi-ahe ri. "Naku te zo" to ha, kakaru wori ni ya to miye tari.

 はかなく日ごろ過ぎて、後のわざなどにもこまかにとぶらはせたまふ。ほど経るままに、せむ方なう悲しう思さるるに、御方がたの御宿直なども絶えてしたまはず、ただ涙にひちて明かし暮らさせたまへば、見たてまつる人さへ露けき秋なり。「亡きあとまで、人の胸あくまじかりける人の御おぼえかな」とぞ、弘徽殿などにはなほ許しなうのたまひける。一の宮を見たてまつらせたまふにも、若宮の御恋しさのみ思ほし出でつつ、親しき女房、御乳母などを遣はしつつ、ありさまを聞こしめす。
 野分だちて、にはかに肌寒き夕暮のほど、常よりも思し出づること多くて、靫負命婦といふを遣はす。夕月夜のをかしきほどに出だし立てさせたまひて、やがてながめおはします。かうやうのをりは、御遊びなどせさせたまひしに、心ことなる物の音を掻き鳴らし、はかなく聞こえ出づる言の葉も、人よりはことなりしけはひ容貌の、面影につと添ひて思さるるにも、「闇の現」3にはなほ劣りけり。
命婦、かしこに参で着きて、門引き入るるより、けはひあはれなり。やもめ住みなれど、人ひとりの御かしづきに、とかくつくろひ立てて、めやすきほどにて過ぐしたまひつる、闇に暮れて臥し沈みたまへるほどに、草も高くなり、野分にいとど荒れたる心地して、月影ばかりぞ「八重葎にも障はらず」4差し入りたる。南面に下ろして、母君も、とみにえものものたまはず。
「今までとまりはべるがいと憂きを、かかる御使の蓬生の露分け入りたまふにつけても、いと恥づかしうなむ」
とて、げにえ堪ふまじく泣いたまふ。
「『参りては、いとど心苦しう、心肝も尽くるやうになむ』と、典侍の奏したまひしを、もの思うたまへ知らぬ心地にも、げにこそいと忍びがたうはべりけれ」
とて、ややためらひて、仰せ言伝へきこゆ。
「『しばしは夢かとのみたどられしを、やうやう思ひ静まるにしも、さむべき方なく堪へがたきは、いかにすべきわざにかとも、問ひあはすべき人だになきを、忍びては参りたまひなむや。若宮のいとおぼつかなく、露けき中に過ぐしたまふも、心苦しう思さるるを、とく参りたまへ』など、はかばかしうものたまはせやらず、むせかへらせたまひつつ、かつは人も心弱く見たてつらむと、思しつつまぬにしもあらぬ御気色の心苦しさに、うけたまはり果てぬやうにてなむ、まかではべりぬる」
とて、御文奉る。
「目も見えはべらぬに、かくかしこき仰せ言を光にてなむ」とて、見たまふ。
「ほど経ばすこしうち紛るることもやと、待ち過ぐす月日に添へて、いと忍びがたきはわりなきわざになむ。いはけなき人をいかにと思ひやりつつ、もろともに育まぬおぼつかなさを。今は、なほ昔のかたみになずらへて、ものしたまへ」
など、こまやかに書かせたまへり。
「宮城野の露吹きむすぶ風の音に
小萩がもとを思ひこそやれ」
とあれど、え見たまひ果てず。
「命長さの、いとつらう思ひたまへ知らるるに、「松の思はむこと」5だに、恥づかしう思ひたまへはべれば、百敷に行きかひはべらむことは、ましていと憚り多くなむ。かしこき仰せ言をたびたびうけたまはりながら、自らはえなむ思ひたまへたつまじき。若宮は、いかに思ほし知るにか、参りたまはむことをのみなむ思し急ぐめれば、ことわりに悲しう見たてまつりはべるなど、うちうちに思ひたまふるさまを奏したまへ。ゆゆしき身にはべれば、かくておはしますも、いまいましうかたじけなくなむ」
とのたまふ。宮は大殿籠りにけり。
「見たてまつりて、くはしう御ありさまも奏しはべらまほしきを、待ちおはしますらむに、夜更けはべりぬべし」とて急ぐ。
 「暮れまどふ心の闇も6堪へがたき片端をだに、はるくばかりに聞こえまほしうはべるを、私にも心のどかにまかでたまへ。年ごろ、うれしく面だたしきついでにて立ち寄りたまひしものを、かかる御消息にて見たてまつる、返す返すつれなき命にもはべるかな。生まれし時より、思ふ心ありし人にて、故大納言、いまはとなるまで、『ただ、この人の宮仕への本意、かならず遂げさせたてまつれ。われ亡くなりぬとて、口惜しう思ひくづほるな』と、返す返すいさめおかれはべりしかば、はかばかしう後見思ふ人7もなきまじらひは、なかなかなるべきことと思ひたまへながら、ただかの遺言を違へじとばかりに、出だし立てはべりしを、身に余るまでの御心ざしの、よろづにかたじけなきに、人げなき恥を隠しつつ、まじらひたまふめりつるを、人の嫉み深くつもり、やすからぬこと多くなり添ひはべりつるに、横様なるやうにて、つひにかくなりはべりぬれば、かへりてはつらくなむ、かしこき御心ざしを思ひたまへられはべる。これもわりなき心の闇になむ」
と、言ひもやらずむせかへりたまふほどに、夜も更けぬ。
「主上もしかなむ。『わが御心ながら、あながちに人目おどろくばかり思されしも、長かるまじきなりけりと、今はつらかりける人の契りになむ。世にいささかも人の心をまげたることはあらじと思ふを、ただこの人のゆゑにて、あまたさるまじき人の恨みを負ひし果て果ては、かううち捨てられて、心をさめむかたなきに、いとど人悪ろうかたくなになり果つるも、前の世ゆかしうなむ』とうち返しつつ、御しほたれがちにのみおはします」と語りて尽きせず。泣く泣く、「夜いたう更けぬれば、今宵過ぐさず、御返り奏せむ」と急ぎ参る。
月は入り方の、空清う澄みわたれるに、風いと涼しくなりて、草むらの虫の声々もよほし顔なるも、いと立ち離れにくき草のもとなり。
「鈴虫の声の限りを尽くしても
長き夜あかずふる涙かな」
えも乗りやらず。
「いとどしく虫の音しげき浅茅生に
露置き添ふる雲の上人
かごとも聞こえつべくなむ」
と言はせたまふ。をかしき御贈り物などあるべきをりにもあらねば、ただかの御かたみにとて、かかる用もやと残したまへりける御装束一領、御髪上の調度めく物添へたまふ。
若き人々、悲しきことはさらにもいはず、内裏わたりを朝夕にならひて、いとさうざうしく、主上の御ありさまなど思ひ出できこゆれば、とく参りたまはむことをそそのかしきこゆれど、かくいまいましき身の添ひたてまつらむも、いと人聞き憂かるべし、また、見たてまつらでしばしもあらむは、いとうしろめたう思ひきこえたまひて、すがすがともえ参らせたてまつりたまはぬなりけり。
 命婦は、まだ大殿籠らせたまはざりけると、あはれに見たてまつる。御前の壷前栽のいとおもしろき盛りなるを御覧ずるやうにて、忍びやかに心にくき限りの女房四五人さぶらはせたまひて、御物語せさせたまふなりけり。このころ、明け暮れ御覧ずる長恨歌の御絵、亭子院の描かせたまひて、伊勢、貫之に詠ませたまへる、大和言の葉をも、唐土の詩をも、ただその筋をぞ、枕言にせさせたまふ。いとこまやかにありさま問はせたまふ。あはれなりつること忍びやかに奏す。御返り御覧ずれば、
「いともかしこきは置き所もはべらず。かかる仰せ言につけても、かきくらす乱り心地になむ。
荒き風ふせぎし蔭の枯れしより
小萩がうへぞ静心なき」
などやうに乱りがはしきを、心をさめざりけるほどと御覧じ許すべし。いとかうしも見えじと、思ししづむれど、さらにえ忍びあへさせたまはず、御覧じ初めし年月のことさへかき集め、よろづに思し続けられて、時の間もおぼつかなかりしを、かくても月日は経にけりと、あさましう思し召さる。
「故大納言の遺言あやまたず、宮仕への本意深くものしたりしよろこびは、かひあるさまにとこそ思ひわたりつれ8。いふかひなしや」とうちのたまはせて、いとあはれに思しやる。「かくても、おのづから若宮など生ひ出でたまはば、さるべきついでもありなむ。命長くとこそ思ひ念ぜめ」
などのたまはす。かの贈り物御覧ぜさす。亡き人の住処尋ね出でたりけむしるしの釵ならましかば、と思ほすもいとかひなし。
「尋ねゆく幻もがなつてにても
魂のありかをそこと知るべく」
絵に描ける楊貴妃の容貌は、いみじき絵師といへども、筆限りありければいとにほひ少なし。「太液芙蓉未央柳」9も、げに通ひたりし容貌を、唐めいたる装ひはうるはしうこそありけめ10、なつかしうらうたげなりしを思し出づるに、花鳥の色にも音にもよそふべき方ぞなき。朝夕の言種に、「翼をならべ、枝をかさはむ」11と契らせたまひしに、かなはざりける命のほどぞ、尽きせずうらめしき。
風の音、虫の音につけて、もののみ悲しう思さるるに、弘徽殿には、久しく上の御局にも参う上りたまはず、月のおもしろきに、夜更くるまで遊びをぞしたまふなる。いとすさまじう、ものしと聞こしめす。このごろの御気色を見たてまつる上人、女房などは、かたはらいたしと聞きけり。いとおし立ちかどかどしきところものしたまふ御方にて、ことにもあらず思し消ちてもてなしたまふなるべし。月も入りぬ。
「雲の上も涙にくるる秋の月
いかですむらむ浅茅生の宿」
思し召しやりつつ、燈火をかかげ尽くして起き12おはします。右近の司の宿直奏の声聞こゆるは、丑になりぬるなるべし。人目を思して、夜の御殿に入らせたまひても、まどろませたまふことかたし。朝に起きさせたまふとても、「明くるも知らで」13と思し出づるにも、なほ朝政は怠らせたまひぬべかめり。
ものなどもきこしめさず、朝餉のけしきばかり触れさせたまひて、大床子の御膳などは、いと遥かに思し召したれば、陪膳にさぶらふ限りは、心苦しき御気色を見たてまつり嘆く。すべて、近うさぶらふ限りは、男女、「いとわりなきわざかな」と言ひあはせつつ嘆く。「さるべき契りこそはおはしましけめ。そこらの人の誹り、恨みをも憚らせたまはず、この御ことに触れたることをば、道理をも失はせたまひ、今はた、かく世の中のことをも、思ほし捨てたるやうになりゆくは、いとたいだいしきわざなり」と、人の朝廷の例まで引き出で、ささめき嘆きけり。

 いつのまにか日数は過ぎて、後の法要などの折にも情愛こまやかにお見舞いをお遣わしあそばす。時が過ぎて行くにしたがって、どうしようもなく悲しく思われなさるので、御方々の夜の御伺候などもすっかりなくお命じにならず、ただ涙に濡れて日をお送りあそばしていらっしゃるので、拝し上げる人までが露っぽくなる秋である。「亡くなった後まで、人の心を晴々させなかった御寵愛の方だこと」と、弘徽殿などにおかれては今もなお容赦なくおっしゃるのであった。一の宮を拝し上げあそばされるにつけても、若宮の恋しさだけがお思い出されお思い出されして、親しく仕える女房や御乳母などをたびたびお遣わしになっては、ご様子をお尋ねあそばされる。
 野分めいて、急に肌寒くなった夕暮どき、いつもよりもお思い出しになることが多くて、靫負命婦という者をお遣わしになる。夕月夜の美しい時刻に出立させなさって、そのまま物思いに耽ってておいであそばす。このような折には、管弦の御遊などをお催しあそばされたが、とりわけ優れた琴の音を掻き鳴らし、ついちょっと申し上げる言葉も、人とは格別であった雰囲気や顔かたちが、面影となってひたとわが身に添うように思し召されるにつけても、「闇の現」にはやはり及ばないのであった。
命婦、あちらに参着して、門を潜り入るなり、しみじみと哀れ深い。未亡人暮らしであるが、娘一人を大切にお世話するために、あれこれと手入れをきちんとして、見苦しくないようにしてお暮らしになっていたが、亡き子を思う悲しみに暮れて臥せっていらっしゃったうちに、雑草も高くなり、野分のためにいっそう荒れたような感じがして、月の光だけが八重葎にも遮られずに差し込んでいた。南面に車を着けて、母君も、すぐにはご挨拶できない。
「今まで生きながらえておりましたのがとても情けないのに、このようなお勅使が草深い邸の露を分けてお訪ね下さるにつけても、とても恥ずかしくて」
と言って、ほんとうに身を持ちこらえられないくらいにお泣きになる。
「『お訪ねいたしたところ、ひとしおお気の毒で、心も魂も消え入るようで』と、典侍が奏上なさったが、物の情趣を理解いたさぬ者でも、なるほどまことに忍びがとうございます」
と言って、少し気持ちを落ち着かせてから、仰せ言をお伝え申し上げる。
「『しばらくの間は夢ではないかとばかり思い辿られずにはいられなかったが、だんだんと心が静まるにつれてかえって、覚めるはずもなく堪えがたいのは、どのようにしたらよいものかとも、相談できる相手さえいないのを、人目につかないようにして参内なさらぬか。若宮がたいそう気がかりで、湿っぽい所でお過ごしになっているのも、おいたわしくお思いあそばされますから、早く、参内なさい』などと、はきはきとは最後まで仰せられず、涙に咽ばされながら、また一方では人々もお気弱なと拝されるだろうと、お憚りあそばされないわけではない御様子がおいたわしくて、最後まで承らないようなかっこうで、退出いたしました」
と言って、お手紙を差し上げる。
「目も見えませんが、このような畏れ多いお言葉を光といたしまして」と言って、御覧になる。
「時がたてば少しは気持ちの紛れることもあろうかと、心待ちに過す月日がたつにつれて、たいそうがまんができなくなるのはどうにもならないことである。幼い人をどうしているかと案じながら、一緒にお育てしていない気がかりさを。今は、やはり故人の形見と思って、参内なされよ」
などと、心こまやかにお書きあそばされている。
「宮中の萩の花に結んだ露、その上を吹く秋風の音を聞くにつけ、
幼子の身が思いやられる」
とあるが、最後まで読みきることがおできになれない。
「長生きは、辛いことだと存じられますうえに、高砂の松がどう思うかさえも、恥ずかしう存じられますので、内裏にお出入りさせていただきますようなことは、さらにとても遠慮いたしたい気持ちでいっぱいで。畏れ多い仰せ言をたびたび承りながらも、わたし自身はとても思い立つことができません。若宮は、どうお知りになるのか、参内なさることばかりお急ぎになるようなので、ごもっともだと悲しく拝見しておりますなどと、ひそかに存じております由をご奏上なさってください。不吉な身でございますので、こうしておいでになるのも、忌まわしくもあり畏れ多いことで」
とおっしゃる。宮はもうお寝みになっていた。
「拝見して、詳しくご様子も奏上いたしたいのですが、お待ちあそばされていることでしょうし、夜も更けてしまいましょう」と言って急ぐ。
「子を思う親心の悲しみの堪えがたいその一部だけでも、晴らすほどに申し上げとうございますので、個人的にでもゆっくりとお出くださいませ。数年来、おめでたく晴れがましい時にお立ち寄りくださいましたのに。このようなお悔やみのお使いとしてお目にかかるとは、返すがえすも情ない運命でございますこと。生まれた時から、心中に期待するところのあった人で、故大納言が、臨終となるまで、『ただ、この人の宮仕えの宿願を、きっと実現させ申しなさい。わたしが亡くなったからといって、落胆して思い挫けてはならぬ』と、繰り返し戒めおかれましたので、これといった後見人のない宮仕えは、かえってしないほうがましだと存じながらも、ただあの遺言に背くまいとばかりに、出仕させましたところ、身に余るほどのお情けが、いろいろともったいないので、人にあるまじき恥を隠し隠ししては、宮仕えをしていられたようでしたが、人の嫉みが深く積もり、心痛むことが多く身に添わってまいりましたところ、横死のようなありさまで、とうとうこのようなことになってしまいましたので、かえって辛いことだと、その畏れ多いお情けを存じ上げております。このような愚痴も理屈では割りきれない親心で」
と、最後まで言えないで、涙に咽んでいらっしゃるうちに夜も更けた。
「主上もご同様で。『御自分のお心ながら、強引に周囲の人が目を見張るほど御寵愛なさったのも、長くは続くまい縁だったからなのだと、今となってはかえって辛い人との宿縁だった。決して少しも人の心を傷つけたようなことはあるまいと思うのに、ただこの人との縁が原因で、たくさんのあってはならない人の恨みをかったあげくには、このように先立たれて、心静めるすべもないところに、ますます体裁悪く愚か者になってしまったのも、前世がどんなであったのかと知りたく』と何度も仰せられては、いつもお涙がちばかりでいらっしゃいます」と話しても尽きない。泣く泣く、「夜がたいそう更けてしまったので、今夜のうちにご報告を奏上しよう」と急いで帰参する。
月は入り方の、空が清く澄みわたっているところに、風がとても涼しくなって、草むらの虫の声々が、哀れを催させ顔なのも、まことに立ち去りがたい庭の風情である。
「鈴虫が声をせいいっぱい鳴き震わせても
長い秋の夜をとめどもなく流れる涙でございますこと」
お車に乗りかねている。
「ただでさえ虫の音のように泣き暮らしておりました荒れ宿に
さらに涙をもたらします内裏からの使いの方よ
言い訳もつい申し上げてしまいそうで」
と言わせなさる。趣きのあるような御贈物などあらねばならない時でもないので、ただ亡き更衣のお形見にと、このような入用もあろうかとお残しになった御衣装一揃い、御髪上げの調度のような物をお添になる。
若い女房たちは、悲しいことは言うまでもない、内裏の生活に朝夕と馴れ親しんでいるので、たいそう物足りなく、主上のご様子などをお思い出し申し上げると、早く参内なさるようにとお勧め申し上げるが、このように忌まわしい身が付き随って参内申すようなのも、まことに世間の聞こえが悪いであろうし、また、しばしも拝さずにいることも気がかりにお思い申し上げなさって、すらすらとは参内させなさることがおできになれないのであった。
 命婦は、まだお寝みあそばされなかったのだわと、しみじみと拝し上げる。御前にある壷前栽がたいそう美しい盛りに咲いているのを御覧あそばされているようにして、しめやかにおくゆかしい女房ばかり四、五人を伺候させなさって、お話をさせておいであそばすのであった。最近、毎日御覧なさる「長恨歌」の御絵、亭子院がお描きあそばされて、伊勢や貫之に和歌を詠ませなさった、わが国の和歌や唐土の漢詩などをも、ひたすらその方面の内容を、日常の話題になさっていらっしゃる。たいそう詳しく里の様子をお尋ねあそばす。しみじみとした趣きをひそかに奏上する。お返事を御覧になると、
「たいへんに畏れ多いお手紙を頂戴いたしましてどうしてよいかわかりません。このような仰せ言を拝見いたしましても、心の中はまっくら闇に思い乱れておりまして。
荒い風を防いでいた木が枯れてからは
小萩の身の上が気がかりでなりません」
などと言うようにやや不謹慎なのを、気持ちが静まらない時だからとお見逃しになるのであろう。決してこう取り乱した姿を見せまいと、お静めなさるが、まったく堪えることがおできあそばされず、初めて御覧あそばした年月のことまであれこれと思い出され、何から何までお思い続けられて、片時の間も離れてはいられなかったのに、よくこうも月日を過せたものだと、あきれてお思いあそばされる。
「故大納言の遺言に背かず、宮仕えの宿願をよく果たしたお礼には、その甲斐があったようにと思い続けていたが。詮ないことだ」とふと仰せになって、たいそう気の毒に思いを馳せられる。「そうではあるが、いずれ若宮がご成長されたならば、お礼できる機会がきっとあろう。長生きをして辛抱せよ」
などと仰せになる。あの贈物を帝のお目に入れる。亡くなった人の住処を訪ね当てたという証拠の釵であったならば、とお思いあそばすのも、たいして甲斐がない。
「亡き更衣を尋ねて行ける方術士がいてくれればよいのだがな、人づてにでも
魂のありかをどこそこと知ることができるのに」
絵に画いた楊貴妃の容貌は、上手な絵師と言っても、筆には限界があったので、たいして生気が少ない。「太液の芙蓉、未央の柳」の句にも、なるほど似ていた容貌だが、唐風の装いをした姿は端麗であったろうが、親わしさがあって愛らしかったのをお思い出しになると、花や鳥の色や音にも喩えようがない。朝夕の口癖に「比翼の鳥となり、連理の枝となろう」とお約束あそばしていたのに、思うようにならなかった人の運命が、永遠に尽きることなく恨めしかった。
風の音や虫の音を聞くにつけて、何とはなく一途に悲しく思われなさるが、弘徽殿におかれては、久しく上の御局にもお上がりにならず、月が美しいので、夜が更けるまで管弦の遊びをなさっているそうだ。実に興ざめで、不愉快だ、とお聞きあそばす。最近のご様子を拝する殿上人や女房などは、はらはらする思いで聞いていた。たいへんに気が強くてとげとげしい性質をお持ちの方なので、何ともお思いなさらず無視して振る舞っていらっしゃるのであろう。月も山の端に隠れてしまった。
「雲の上の宮中までも涙に曇って見える秋の月だ
ましてやどうして澄んで見えようか、草深い里で」
お思いやりになりながら、燈火を燈し続けて起きておいであそばす。右近衛府の官人の宿直申しの声が聞こえるのは、丑の刻になったのであろう。人目をお考えになって、夜の御殿にお入りあそばしても、まどろむこともおできあそばされない。朝になってお起きあそばそうとしても、「夜の明けるのもわからないで」とお思い出しになられるにつけても、やはり政治をお執りになることを怠りがちになってしまいそうである。
お食物などもお召し上がりにならず、朝餉には形だけお箸をおつけになって、大床子の御膳などは、まったくお心に入らぬかのように手をおつけあそばさないので、お給仕の人たちは皆、おいたわしいご様子を拝見して嘆く。総じて、お側近くお仕えする人は、男女とも、「たいそう困ったことですね」とお互いに言い合っては溜息をつく。「そうなるはずの前世からの宿縁がおありあそばしたのでしょう。大勢の人々の非難や嫉妬をもお憚りあそばさず、この方の事に関しては、御分別をお失いあそばされ、今は今で、このように政治をお執りになることもお捨てになったようになって行くのは。たいへんに困ったことです」と、唐土の朝廷の例まで引合に出して、ひそひそと嘆息するのであった。

 2 Mikado's grief [2-1 Mikado's grievous days]
 Hakanaku hi-goro sugi te, noti no waza nado ni mo komaka ni toburaha se tamahu. Hodo huru mama ni, semkata-nau kanasiu obosa ruru ni, ohom-kata-gata no ohom-tonowi nado mo taye te si tamaha zu, tada namida ni hiti te akasi kurasa se tamahe ba, mi tatematuru hito sahe tuyu-keki aki nari. "Naki ato made, hito no mune aku mazikari keru hito no ohom-oboye kana!" to zo, Kouki-den nado ni ha naho yurusi nau notamahi keru. Iti-no-Miya wo mi tatematura se tamahu ni mo, Waka-Miya no ohom-kohisisa nomi omohosi ide tutu, sitasiki nyoubau, ohom-menoto nado wo tukahasi tutu, arisama wo kikosimesu.

 [2-2 The visit in Fall]
 Nowaki-dati te, nihaka ni hada samuki yuhu-gure no hodo, tune yori mo obosi iduru koto ohoku te, Yugehi-no-Myaubu to ihu wo tukahasu. Yuhuzuku-yo no wokasiki hodo ni idasi tate sase tamahi te, yagate nagame ohasimasu. Kau yau no wori ha, ohom-asobi nado se sase tamahi si ni, kokoro koto naru mono no ne wo kaki-narasi, hakanaku kikoye iduru koto-no-ha mo, hito yori ha kotonari si kehahi katati no, omokage ni tuto sohi te obosa ruru ni mo, "Yami-no-ututu" ni ha naho otori keri.
 Myaubu, kasiko ni maude tuki te, kado hiki iruru yori, kehahi ahare nari. Yamome-zumi nare do, hito hitori no ohom-kasiduki ni, tokaku tukurohi tate te, meyasuki hodo ni te sugusi tamahi turu, yami ni kure te husi sidumi tamahe ru hodo ni, kusa mo takaku nari, nowaki ni itodo are taru kokoti si te, tuki-kage bakari zo yahe-mugura ni mo sahara zu sasi-iri taru. Minami-omote ni orosi te, Haha-Gimi mo, tomi ni e mono mo notamaha zu.
 "Ima made tomari haberu ga ito uki wo, kakaru ohom-tukahi no yomogihu no tuyu wake iri tamahu ni tuke te mo, ito hadukasiu nam."
 tote, geni e tahu maziku nai tamahu.
 "'Mawiri te ha, itodo kokoro-gurusiu, kokoro-gimo mo tukuru yau ni nam' to, Naisi-no-Suke no sou-si tamahi si wo, mono omou tamahe sira nu kokoti ni mo, geni koso ito sinobi-gatau haberi kere."
 tote, yaya tamerahi te, ohose-goto tutahe kikoyu.
 "'Sibasi ha yume ka to nomi tadora re si wo, yau-yau omohi sidumaru ni si mo, samu beki kata naku tahe gataki ha, ika ni su beki waza ni ka to mo, tohi ahasu beki hito dani naki wo, sinobi te ha mawiri tamahi nam ya? Waka-Miya no ito obotukanaku, tuyu-keki naka ni sugusi tamahu mo, kokoro-gurusiu obosa ruru wo, toku mawiri tamahe!' nado, haka-bakasiu mo notamaha se yara zu, musekahera se tamahi tutu, katu ha hito mo kokoro yowaku mi tatematu ru ram to, obosi tutuma nu ni si mo ara nu mi-kesiki no kokoro-gurusisa ni, uketamahari mo hate nu yau ni te nam, makade haberi nuru."
 tote, ohom-humi tatematuru.
 "Me mo miye habera nu ni, kaku kasikoki ohose-goto wo hikari ni te nam." tote, mi tamahu.
 "Hodo he ba sukosi uti-magiruru koto mo ya to, mati sugusu tuki-hi ni sohe te, ito sinobi gataki ha warinaki waza ni nam. Ihakenaki hito wo ika ni to omohi-yari tutu, morotomo ni hagukuma nu obotukanasa wo. Ima ha, naho mukasi no katami ni nazurahe te, monosi tamahe!"
 nado, komayaka ni kaka se tamahe ri.
 "Miyagino no tuyu huki musubu kaze no oto ni
 kohagi ga moto wo omohi koso yare
"
 to are do, e mi tamahi hate zu.
 "Inoti nagasa no, ito turau omohi tamahe sira ruru ni, matu no omoha m koto dani, hadukasiu omohi tamahe habere ba, momosiki ni yuki-kahi habera m koto ha, masite ito habakari ohoku nam. Kasikoki ohose-goto wo tabi-tabi uketamahari nagara, midukara ha e nam omohi tamahe tatu maziki. Waka-Miya ha, ikani omohosi siru ni ka, mawiri tamaha m koto wo nomi nam obosi isogu mere ba, kotowari ni kanasiu mi tatematuri haberu nado, uti-uti ni omohi tamahuru sama wo sou-si tamahe! Yuyusiki mi ni habere ba, kaku te ohasimasu mo, ima-imasiu katazikenaku nam."
 to notamahu. Miya ha ohotono-gomori ni keri.
 "Mi tatematuri te, kuhasiu ohom-arisama mo sou-si habera mahosiki wo, mati ohasimasu ram ni, yo huke haberi nu besi." tote isogu.
 "Kure madohu kokoro no yami mo tahe gataki katahasi wo dani, haruku bakari ni kikoye mahosiu haberu wo, watakusi ni mo kokoro nodoka ni makade tamahe! Tosi-goro, uresiku omo-datasiki tuide ni te tati-yori tamahi si mono wo, kakaru ohom-seusoko ni te mi tatematuru, kahesu-gahesu turenaki inoti ni mo haberu kana! Mmare si toki yori, omohu kokoro ari si hito ni te, ko-Dainagon, imaha to naru made, 'Tada, kono hito no miya-dukahe no ho'i, kanarazu toge sase tatemature! Ware nakunari nu tote, kutiwosiu omohi kuduhoru na!' to, kahesu-gahesu isame oka re haberi sika ba, haka-bakasiu usiro-mi omohu hito mo naki mazirahi ha, naka-naka naru beki koto to omohi tamahe nagara, tada kano yuigon wo tagahe zi to bakari ni, idasi tate haberi si wo, mi ni amaru made no mi-kokoro-zasi no, yorodu ni katazikenaki ni, hito-ge naki hadi wo kakusi tutu, mazirahi tamahu na'meri turu wo, hito no sonemi hukaku tumori, yasukara nu koto ohoku nari sohi haberi turu ni, yoko-sama naru yau ni te, tuhi ni kaku nari haberi nure ba, kaheri te ha turaku nam, kasikoki mi-kokoro-zasi wo omohi tamahe rare haberu. Kore mo warinaki kokoro no yami ni nam."
 to, ihi mo yara zu musekaheri tamahu hodo ni, yo mo huke nu.
 "Uhe mo sika nam. 'Waga mi-kokoro nagara, anagati ni hito-me odoroku bakari obosare si mo, nagakaru maziki nari keri to, ima ha turakari keru hito no tigiri ni nam. Yo ni isasaka mo hito no kokoro wo mage taru koto ha ara zi to omohu wo, tada kono hito no yuwe ni te, amata saru maziki hito no urami wo ohi si hate-hate ha, kau uti-sute rare te, kokoro wosame m kata naki ni, itodo hito warou katakuna ni nari haturu mo, saki-no-yo yukasiu nam.' to uti-kahesi tutu, ohom-sihotare-gati ni nomi ohasimasu." to katari te tuki se zu. Naku-naku, "Yo itau huke nure ba, koyohi sugusa zu, ohom-kaheri sou-se m" to isogi mawiru.
 Tuki ha iri-gata no, sora kiyou sumi watare ru ni, kaze ito suzusiku nari te, kusamura no musi no kowe-gowe moyohosi-gaho naru mo, ito tati hanare nikuki kusa no moto nari.
 "Suzu-musi no kowe no kagiri wo tukusi te mo
 nagaki yo aka zu huru namida kana
"
 E mo nori-yara zu.
 "Itodosiku musi no ne sigeki asadihu ni
 tuyu oki sohuru kumo no uhe-bito

 Kagoto mo kikoye tu beku nam."
 to iha se tamahu. Wokasiki ohom-okuri-mono nado aru beki wori ni mo ara ne ba, tada kano ohom-katami ni tote, kakaru you mo ya to nokosi tamahe ri keru ohom-sauzoku hito-kudari, mi-gusi-age no teudo-meku mono sohe tamahu.
 Wakaki hito-bito, kanasiki koto ha sara ni mo iha zu, Uti watari wo asa-yuhu ni narahi te, ito sau-zausiku, Uhe no ohom-arisama nado omohi-ide kikoyure ba, toku mawiri tamaha m koto wo sosonokasi kikoyure do, kaku ima-imasiki mi no sohi tatematura m mo, ito hito-giki ukaru besi, mata mi tatematura de sibasi mo ara m ha, ito usirometau omohi kikoye tamahi te, suga-suga to mo e mawira se tatematuri tamaha nu nari keri.

 [2-3 Messenger reports to Mikado]
 Myaubu ha, mada ohotono-gomora se tamaha zari keru to, ahare ni mi tatematuru. O-mahe no tubo-sensai no ito omosiroki sakari naru wo go-ran-zuru yau ni te, sinobi-yaka ni kokoro-nikuki kagiri no nyoubau si, go-nin saburaha se tamahi te, ohom-monogatari se sase tamahu nari keri. Kono-koro, ake-kure go-ran-zuru Tyaugonka no ohom-we, Teizi-no-Win no kaka se tamahi te, Ise, Turayuki ni yoma se tamahe ru, Yamato-koto-no-ha wo mo, Morokosi no uta wo mo, tada sono sudi wo zo, makura-goto ni se sase tamahu. Ito komayaka ni arisama toha se tamahu. Ahare nari turu koto sinobi-yaka ni sou-su. Ohom-kaheri go-ran-zure ba,
 "Ito mo kasikoki ha oki-dokoro mo habera zu. Kakaru ohose-goto ni tuke te mo, kaki-kurasu midari-gokoti ni nam.
 Araki kaze husegi si kage no kare si yori
 Ko-hagi ga uhe zo sizu kokoro naki
"
 nado yau ni midari-gahasiki wo, kokoro wosame zari keru hodo to go-ran-zi yurusu besi. Ito kau si mo miye zi to, obosi sidumure do, sarani e sinobi ahe sase tamaha zu, go-ran-zi hazime si tosi-tuki no koto sahe kaki-atume, yorodu ni obosi tuduke rare te, toki no ma mo obotukanakari si wo, kaku te mo tuki-hi ha he ni keri to, asamasiu obosi mesa ru.
 "Ko-Dainagon no yuigon ayamata zu, miya-dukahe no ho'i hukaku monosi tari si yorokobi ha, kahi aru sama ni to koso omoi watari ture. Ihu-kahi-nasi ya!" to uti-notamahase te, ito ahare ni obosi yaru. "Kaku te mo, onodukara Waka-Miya nado ohi-ide tamaha ba, sarubeki tuide mo ari na m. Inoti nagaku to koso omohi nen-ze me."
 nado notamahasu. Kano okuri-mono go-ran-ze sasu. Naki hito no sumika tadune ide tari kem sirusi no kamzasi nara masika ba, to omohosu mo ito kahi nasi.
 "Tadune yuku maborosi mo gana tute ni te mo
 tama no arika wo soko to siru beku
"
 We ni kake ru Yaukihi no katati ha, imiziki wesi to ihe do mo, hude kagiri ari kere ba ito nihohi sukunasi. "Taieki-no-huyou Biau-no-yanagi" mo, geni kayohi tari si katati wo, kara-mei taru yosohi ha uruhasiu koso ari keme, natukasiu rauta-ge nari si wo obosi iduru ni, hana tori no iro ni mo ne ni mo yosohu beki kata zo naki. Asa-yuhu no koto-gusa ni, "Hane wo narabe, eda wo kahasa m" to tigira se tamahi si ni, kanaha zari keru inoti no hodo zo, tuki se zu uramesi ki.
 Kaze no oto, musi no ne ni tuke te, mono nomi kanasiu obosa ruru ni, Koukiden ni ha, hisasiku Uhe no mi-tubone ni mo nau-nobori tamaha zu, tuki no omosiroki ni, yo hukuru made asobi wo zo si tamahu naru. Ito susamaziu, monosi to kikosimesu. Kono-goro no mi-kesiki wo mi tatematuru uhe-bito, nyoubau nado ha, kataharaitasi to kiki keri. Ito osi-tati kado-kadosiki tokoro monosi tamahu ohom-kata ni te, koto ni mo ara zu obosi keti te motenasi tamahu naru besi. Tuki mo iri nu.
 "Kumo no uhe mo namida ni kururu aki no tuki
 ikade sumu ram asadihu no yado
"
 Obosimesi yari tutu, tomosibi wo kakage tukusi te oki ohasimasu. Ukon-no-Tukasa no tonowi-mausi no kowe kikoyuru ha, usi ni nari nuru naru besi. Hito-me wo obosi te, Yoru-no-otodo ni ira se tamahi te mo, madoroma se tamahu koto katasi. Asita ni oki sase tamahu tote mo, "Akuru mo sira de" to obosi iduru ni mo, naho Asamaturi-goto ha okotara se tamahi nu beka'meri.
 Mono nado kikosimesa zu, Asagarehi no kesiki bakari hure sase tamahi te, Daisyauzi no o-mono nado ha, ito haruka ni obosimesi tare ba, haizen ni saburahu kagiri ha, kokoro-gurusiki mi-kesiki wo mi tatematuri nageku. Subete, tikau saburahu kagiri ha, wotoko womna, "Ito wari naki waza kana" to ihi ahase tutu nageku. "Sa'ru beki tigiri koso ha ohasimasi keme. Sokora no hito no sosiri, urami wo mo habakara se tamaha zu, kono ohom-koto ni hure taru koto wo ba, dauri wo mo usinaha se tamahi, ima hata, kaku yononaka no koto wo mo, omohosi sute taru yau ni nari yuku ha, ito tai-daisiki waza nari." to, hito-no-mikado no tamesi made hiki ide, sasameki nageki keri.

 月日経て、若宮参りたまひぬ。いとどこの世のものならず清らにおよすけたまへれば、いとゆゆしう思したり。
明くる年の春、坊定まりたまふにも、いと引き越さまほしう思せど、御後見すべき人もなく、また世のうけひくまじきことなりければ、なかなか危く思し憚りて、色にも出ださせたまはずなりぬるを、「さばかり思したれど、限りこそありけれ」と、世人も聞こえ、女御も御心落ちゐたまひぬ。
かの御祖母北の方、慰む方なく思し沈みて、おはすらむ所にだに尋ね行かむと願ひたまひししるしにや、つひに亡せたまひぬれば、またこれを悲しび思すこと限りなし。御子六つになりたまふ年なれば、このたびは思し知りて恋ひ泣きたふ。年ごろ馴れむつびきこえたまひつるを、見たてまつり置く悲しびをなむ、返す返すのたまひける。
 今は内裏にのみさぶらひたまふ。七つになりたまへば、読書始めなどせさせたまひて、世に知らず聡う賢くおはすれば、あまり恐ろしきまで御覧ず。
「今は誰も誰もえ憎みたまはじ。母君なくてだにらうたうしたまへ」とて、弘徽殿などにも渡らせたまふ御供には、やがて御簾の内に入れたてまつりたまふ。いみじき武士、仇敵なりとも、見てはうち笑まれぬべきさまのしたまへれば、えさし放ちたまはず。女御子たち二ところ、この御腹におはしませど、なずらひたまふべきだにぞなかりける。御方がたも隠れたまはず、今よりなまめかしう恥づかしげにおはすれば、いとをかしううちとけぬ遊び種に、誰も誰も思ひきこえたまへり。
わざとの御学問はさるものにて、琴笛の音にも雲居を響かし、すべて言ひ続けば、ことごとしう、うたてぞなりぬべき人の御さまなりける。
 そのころ、高麗人の参れる中に、かしこき相人ありけるを聞こし召して、宮の内に召さむことは、宇多帝の御誡めあれば、いみじう忍びて、この御子を鴻臚館に遣はしたり。御後見だちて仕うまつる右大弁の子のやうに思はせて率てたてまつるに、相人おどろきて、あまたたび傾きあやしぶ。
「国の親となりて、帝王の上なき位にのぼるべき相おはします人の、そなたにて見れば、乱れ憂ふることやあらむ。朝廷のかためとなりて、天の下を輔くる方にて見れば、またその相違ふべし」と言ふ。
弁も、いと才かしこき博士にて、言ひかはしたることどもなむ、いと興ありける。文など作りかはして、今日明日帰り去りなむとするに、かくありがたき人に対面したるよろこび、かへりては悲しかるべき心ばへをおもしろく作りたるに、御子もいとあはれなる句を作りたまへるを、限りなうめでたてまつりて、いみじき贈り物どもを捧げたてまつる。朝廷よりも多くの物賜はす。
おのづから事ひろごりて、漏らさせたまはねど、春宮の祖父大臣など、いかなることにかと思し疑ひてなむありける。
帝、かしこき御心に、倭相を仰せて、思しよりにける筋なれば、今までこの君を親王にもなさせたまはざりけるを、相人はまことにかしこかりけり、と思して、無品の親王の外戚の寄せなきにては漂はさじ、わが御世もいと定めなきを、ただ人にて朝廷の御後見をするなむ、行く先も頼もしげなめること、と思し定めて、いよいよ道々の才をならはさせたまふ。
際ことにかしこくて、ただ人にはいとあたらしけれど、親王となりたまひなば、世の疑ひ負ひたまひぬべくものしたまへば、宿曜のかしこき道の人に勘へさせたまふにも、同じさまに申せば、源氏になしたてまつるべく思しきおきてたり。
 年月に添へて、御息所の御ことを思し忘るるをりなし。慰むやと、さるべき人々参らせたまへど、なずらひに思さるるだにいとかたき世かなと、疎ましうのみよろづに思しなりぬるに、先帝の四の宮の、御容貌すぐれたまへる聞こえ高くおはします、母后世になくかしづききこえたまふを、上にさぶらふ典侍は、先帝の御時の人にて、かの宮にも親しう参り馴れたりければ、いはけなくおはしましし時より見たてまつり、今もほの見たてまつりて、「亡せたまひにしに御息所の御容貌に似たまへる人を、三代の宮仕へに伝はりぬるに、え見たてまつりつけぬを、后の宮の姫宮こそ、いとようおぼえて生ひ出でさせたまへりけれ。ありがたき御容貌人になむ」と奏しけるに、まことにや、と御心とまりて、ねむごろに聞こえさせたまひけり。
母后、「あな恐ろしや。春宮の女御のいとさがなくて、桐壷の更衣の、あらはにはかなくもてなされにし例もゆゆしう」と、思しつつみて、すがすがしうも思し立たざりけるほどに、后も亡せたまひぬ。
心細きさまにておはしますに、「ただ、わが女御子たちの同じ列に思ひきこえむ」と、いとねむごろに聞こえさせたまふ。さぶらふ人々、御後見たち、御兄の兵部卿の親王など、かく心細くておはしまさむよりは、内裏住みせさせたまひて、御心も慰むべくなど思しなりて、参らせたてまつりたまへり。
藤壷ときこゆ。げに、御容貌ありさま、あやしきまでぞおぼえたまへる。これは、人の御際まさりて、思ひなしめでたく、人もえおとしめきこえたまはねば、うけばりて飽かぬことなし。かれは、人の許しきこえざりしに、御心ざしあやにくなりしぞかし。思しまぎるとはなけれど、おのづから御心うつろひて、こよなう思し慰むやうなるも、あはれなるわざなりけり。
 源氏の君は、御あたり去りたまはぬを、ましてしげく渡らせたまふ御方は、え恥ぢあへたまはず。いづれの御方も、われ人に劣らむと思いたるやはある、とりどりにいとめでたけれど、うちおとなびたまへるに、いと若ううつくしげにて、切に隠れたまへど、おのづから漏り見たてまつる。
母御息所も、影だにおぼえたまはぬを、「いとよう似たまへり」と、典侍の聞こえけるを、若き御心地にいとあはれと思ひきこえたまひて、常に参らまほしく、なづさひ見たてまつらばやとおぼえたまふ。
上も限りなき御思ひどちにて、「な疎みたまひそ。あやしくよそへきこえつべき心地なむする。なめしと思さで、らうたくしたまへ。つらつき、まみなどは、いとよう似たりしゆゑ、かよひて見えたまふも、似げなからずなむ」など聞こえつけたまへれば、幼心地にも、はかなき花紅葉につけても心ざしを見えたてまつる。こよなう心寄せきこえたまへれば、弘徽殿の女御、またこの宮とも御仲そばそばしきゆゑ、うち添へて、もとよりの憎さも立ち出でて、ものしと思したり。
世にたぐひなしと見たてまつりたまひ、名高うおはする宮の御容貌にも、なほにほはしさはたとへむ方なく、うつくしげなるを、世の人、「光る君」と聞こゆ。藤壷ならびたまひて、御おぼえもとりどりなれば、「かかやく日の宮」と聞こゆ。
 この君の御童姿、いと変へまうく思せど、十二にて御元服したまふ。居起ち思しいとなみて、限りある事に事を添えさせたまふ。
一年の春宮の御元服、南殿にてありし儀式、よそほしかりし御ひびきにおとさせたまはず。所々の饗など、内蔵寮、穀倉院など、おほやけごとに仕うまつれる、おろそかなることもぞと、とりわき仰せ言ありて、清らを尽くして仕うまつれり。
おはします殿の東の廂、東向きに椅子立てて、冠者の御座、引入の大臣の御座、御前にあり。申の時にて源氏参りたまふ。角髪結ひたまへるつらつき、顔のにほひ、さま変へたまはむこと惜しげなり。大蔵卿、蔵人仕うまつる。いと清らなる御髪を削ぐほど、心苦しげなるを、上は、御息所の見ましかばと、思し出づるに、堪へがたきを、心強く念じかへさせたまふ。
かうぶりしたまひて、御休所にまかでたまひて、御衣奉り替へて、下りて拝したてまつりたまふさまに、皆人涙落としたまふ。帝はた、ましてえ忍びあへたまはず、思しまぎるるをりもありつる昔のこと、とりかへし悲しく思さる。いとかうきびはなるほどは、あげ劣りやと疑はしく思されつるを、あさましううつくしげさ添ひたまへり。
引入の大臣の皇女腹に、ただ一人かしづきたまふ御女、春宮よりも御気色あるを、思しわづらふことありける、この君に奉らむの御心なりけり。内裏にも、御気色賜はらせたまへりければ、「さらば、このをりの後見なかめるを、添ひ臥しにも」ともよほさせたまひければ、さ思したり。
さぶらひにまかでたまひて、人々大御酒など参るほど、親王たちの御座の末に源氏着きたまへり。大臣気色ばみきこえたまふことあれど、もののつつましきほどにて、ともかくもあへしらひきこえたまはず。
御前より、内侍、宣旨うけたまはり伝へて、大臣参りたまふべき召しあれば、参りたまふ。御禄の物、上の命婦取りて賜ふ。白き大袿に御衣一領、例のことなり。
御盃のついでに、
「いときなきはつもとゆひに長き世を
契る心は結びこめつや」
御心ばへありておどろかさせたまふ。
「結びつる心も深きもとゆひに
濃きむらさきの色しあせずは」
と奏して、長橋より下りて舞踏したまふ。
左馬寮の御馬、蔵人所の鷹据ゑて賜はりたまふ。御階のもとに親王たち上達部つらねて、禄ども品じなに賜はりたまふ。
その日の御前の折櫃物、籠物など、右大弁なむうけたまはりて仕うまつらせける。屯食、禄の唐櫃どもなど、ところせきまで、春宮の御元服のをりにも数まされり。なかなか限りもなくいかめしうなむ。
 その夜、大臣の御里に源氏の君まかでさせたまふ。作法世にめづらしきまで、もてかしづききこえたまへり。いときびはにておはしたるを、ゆゆしううつくしと思ひきこえたまへり。女君はすこし過ぐしたまへるほどに、いと若うおはすれば、似げなく恥づかしと思いたり。
この大臣の御おぼえいとやむごとなきに、母宮、内裏のひとつ后腹になむおはしければ、いづ方につけてもいとはなやかなるに、この君さへかくおはし添ひぬれば、春宮の御祖父にて、つひに世の中を知りたまふべき右大臣の御勢ひは、ものにもあらず圧されたまへり。
御子どもあまた腹々にものしたまふ。宮の御腹は、蔵人少将にていと若うをかしきを、右大臣の、御仲はいとよからねど、え見過ぐしたまはで、かしづきたまふ四の君にあはせたまへり。劣らずもてかしづきたるは、あらまほしき御あはひどもになむ。
源氏の君は、上の常に召しまつはせば、心やすく里住みもえしたまはず。心のうちには、ただ藤壷の御ありさまを、たぐひなしと思ひきこえて、さやうならむ人をこそ見め、似る人なくもおはしけるかな、大殿の君、いとをかしげにかしづかれたる人とは見ゆれど、心にもつかずおぼえたまひて、幼きほどの心ひとつにかかりて、いと苦しきまでぞおはしける。
 大人になりたまひて後は、ありしやうに御簾の内にも入れたまはず。御遊びの折をり、琴笛の音に聞こえかよひ、ほのかなる御声をなぐさめにて、内裏住みのみ好ましうおぼえたまふ。五六日さぶらひたまひて、大殿に二三日など、絶え絶えにまかでたまへど、ただ今は幼き御ほどに、罪なく思しなして、いとなみかしづききこえたまふ。
御方がたの人々、世の中におしなべたらぬを選りととのへすぐりてさぶらはせたまふ。御心につくべき御遊びをし、おほなおほな思しいたつく。
内裏には、もとの淑景舎を御曹司にて、母御息所の御方の人々まかで散らずさぶらはせたまふ。
里の殿は、修理職、内匠寮に宣旨下りて、二なう改め造らせたまふ。もとの木立、山のたたずまひ、おもしろき所なりけるを、池の心広くしなして、めでたく造りののしる。
かかる所に思ふやうならむ人を据ゑて住まばやとのみ、嘆かしう思しわたる。
「光る君」といふ名は、高麗人のめできこえてつけたてまつりけるとぞ、言ひ伝へたるとなむ。

 月日がたって、若宮が参内なさった。ますますこの世の人とは思われず美しくご成長なさっているので、たいへん不吉なまでにお感じになった。
翌年の春に、東宮坊がお決まりになる折にも、とても第一皇子を超えさせたく思し召されたが、ご後見すべき人もなく、また世間が承知するはずもないことだったので、かえって危険であるとお差し控えになって、顔色にもお出しあそばされずに終わったので、「あれほどおかわいがっていらっしゃったが、限界があったのだなあ」と、世間の人もお噂申し上げ、女御もお心を落ち着けなさった。
あの祖母北の方は、悲しみを晴らすことなく沈んでいらっしゃって、せめて死んだ娘のいらっしゃる所にでも尋ねて行きたいと願っていらっしゃった現れか、とうとうお亡くなりになってしまったので、またこのことを悲しく思し召されること、この上もない。御子は六歳におなりのお年なので、今度はおわかりになって、慕ってお泣きになる。長年、お親しみ申し上げなさってきた方を、後に残して先立つ悲しみを、繰り返し繰り返しおっしゃったのであった。
 今は内裏にばかりお暮らしになっている。七歳におなりなので、読書始めなどをおさせになったところ、この世に類を知らないくらい聡明で賢くいらっしゃるので、空恐ろしいまでにお思いあそばされる。
「今はどなたもどなたもお憎みなさることはあるまい。母君がいないということだけでもおかわいがりください」と仰せになって、弘徽殿などにもお渡りあそばすお供としては、そのまま御簾の内にお入れ申し上げなさる。恐ろしい武士や仇敵であったとしても、見てはつい微笑まずにはいられない様子でいらっしゃるので、放っておくこともおできになれない。女御子たちがお二方、この御方にはいらっしゃったが、お並びになりようもないのであった。他の御方々もお隠れにならずに、今から優美で立派でいらっしゃるので、たいそう趣きがある一方で気を許すこともできない遊び相手だと、どなたもどなたもお思い申し上げていらっしゃった。
本格的な御学問はもとよりのこと、琴や笛の才能でも宮中の人々を驚かせ、すべて一つ一つ数え上げていったら、仰々しく嫌になってしまうくらい、優れた才能のお方なのであった。
 そのころ、高麗人が来朝している中に、優れた人相見がいたのをお聞きあそばして、内裏の内に召し入れることは宇多帝の御遺誡があるので、たいそう人目を忍んで、この御子を鴻臚館にお遣わしになった。後見人としてお仕えする右大弁の子供のように思わせてお連れ申し上げると、人相見は目を見張って、何度も首を傾け不思議がる。
「国の親となって、帝王の最高の地位につくはずの相をお持ちでいらっしゃる方で、そういう人として占うと、国が乱れ民の憂えることが起こるかも知れません。朝廷の重鎮となって、政治を補佐する人として占うと、またその相ではないようです」と言う。
弁も、たいそう優れた学識人なので、話し合った内容は、たいへんに興味深いものであった。漢詩文などを作り交わして、今日明日のうちにも帰国する時に、このようにめったにない人に対面した喜びを、かえって悲しい思いがするにちがいないという気持ちを趣き深く作ったのに対して、御子もたいそう心を打つ詩句をお作りになったので、この上なくお褒め申して、素晴らしいいくつもの贈物を差し上げる。朝廷からもたくさんの贈物を下賜なさる。
自然と噂が広がって、お洩らしあそばさないが、春宮の祖父大臣などは、どのようなわけでかと、お疑いになっているのであった。
帝は、畏れ多いことに、倭相をお命じになって、既にお考えになっていたところなので、今まで、この君を親王にもおさせにならなかったのを、相人はほんとうに優れていた、とお思いになって、無品の親王で外戚の後見のない状態で彷徨わすまい。わが御代もいつまでも続くかわからないものだから、臣下として朝廷のご後見をするのが、将来も頼もしそうに思われること、とお決めになって、ますます諸道の学問を習わせなさる。
才能は格別聡明なので、臣下とするにはたいそう惜しいけれど、親王とおなりになったら、世間の人から立坊の疑いを持たれるにちがいなさそうにいらっしゃるので、宿曜道の優れた人に占わせなさっても、同様に申すので、源氏にして上げるのがよいとお決めになっていた。
 年月がたつにつれて、御息所のことをお忘れになる折がない。心慰めることができようかと、しかるべき婦人方をお召しになるが、せめて準ずる程に思われなさる人さえめったにいない世の中だ、と厭わしいばかりに、万事が思し召されていたところ、先帝の四の宮で、ご容貌が優れておいでであるという評判が高くいらっしゃる方で、母后がまたとなく大切にお世話申されているのを、主上にお仕えする典侍は、先帝の御代からの人で、あちらの宮にも親しく参って馴染んでいたので、ご幼少でいらっしゃった時から拝見し、今でもちらっと拝見して、「お亡くなりになった御息所のご容貌に似ていらっしゃる方を、三代にわたって宮仕えいたしてまいりまして、一人も拝見できませんでしたが、后の宮の姫宮こそは、たいそうよく似てご成長あそばしていますわ。めったにないご器量のお方で」と奏上したところ、ほんとうにか、とお心が止まって、丁重に礼を尽くして、お申し込みあそばしたのであった。
母后は、「ああ、怖いこと。春宮の女御がたいそう意地が悪くて、桐壷の更衣が、露骨に亡きものにされてしまった例も不吉で」と、おためらいなさって、すらすらとご決心もつかなかったうちに、后もお亡くなりになってしまった。
心細い有様でいらっしゃるので、「ただ、わが皇女たちと同列にお思い申そう」と、たいそう丁重に礼を尽くして、お申し上げあそばす。お仕えする女房たち、御後見人たちや、ご兄弟の兵部卿の親王などは、こうして心細くおいでになるよりは、内裏でお暮らしあそばして、きっとお心が慰むように、などとお考えになって、参内させ申し上げなさった。
藤壷と申し上げる。なるほど、ご容貌や姿は不思議なまでによく似ていらっしゃった。この方は、ご身分も一段と高いので、そう思って見るせいで素晴らしくて、お妃方もお貶み申すこともおできになれないので、誰に憚ることなく何も不足ない。あの方は、周囲の人がお許し申さなかったところに、御寵愛が憎らしいと思われるほど深かったのである。ご愛情が紛れるというのではないが、自然とお心が移って行かれて、格段にお慰みになるようなのも、人情の性というものであったなあ。
 源氏の君は、お側をお離れにならないので、誰より頻繁にお渡りあそばす御方は、恥かしがってばかりいらっしゃれない。どの御方々も自分が人より劣っていると思っていらっしゃる人があろうか、それぞれにとても素晴らしいが、お年を召しておいでになるのに対して、とても若くかわいらしい様子で、頻りにお姿をお隠しなさるが、自然と漏れ拝見する。
母御息所は、顔かたちすらご記憶でないのを、「大変によく似ていらっしゃる」と、典侍が申し上げたのを、幼心にとても慕わしいとお思い申し上げなさって、いつもお側に参りたく、親しく拝見したいと思われなさる。
主上もこの上なくおかわいがりのお二方なので、「お疎みなさいますな。不思議と母君と申してもよいような気持ちがする。失礼だとお思いなさらず、いとおしみなさい。顔だちや目もとなど、大変によく似ているため、母君のようにお見えになるのも、似つかわしくなくはない」などと、お頼み申し上げなさっているので、幼心にも、ちょっとした花や紅葉にことつけても、お気持ちを表し申す。この上なく好意をお寄せ申していらっしゃるので、弘徽殿の女御は、またこの宮ともお仲がよろしくないので、それに加えて、もとからの憎しみももり返して、不愉快だとお思いになっていた。
世の中にまたとないお方だと拝見なさり、評判高くおいでになる宮のご容貌につけても、やはり照り映える美しさは比較できないほど美しそうなので、世の中の人は、「光る君」とお呼び申し上げる。藤壷もお並びになって、御寵愛がそれぞれに厚いので、「輝く日の宮」とお呼び申し上げる。
 この君の御童姿を、とても変えたくなくお思いであるが、十二歳の年に御元服をなさる。御自身お世話を焼かれて、作法どおりの上にさらにできるだけの事をお添えあそばす。
一昨年の東宮の御元服が、南殿で執り行われた儀式が、いかめしく立派であった世の評判にひけをおとらせにならず、各所での饗宴などにも、内蔵寮や穀倉院など、規定どおり奉仕するのでは、行き届かないことがあってはいけないと、特別に勅命があって、善美を尽くしてお勤め申した。
お常御殿の東廂の間に、東向きに椅子を立てて、元服なさる君のお席と加冠役の大臣のお席とが、御前に設けられている。申の時になって、源氏が参上する。角髪に結っていらっしゃる顔の色つやは、髪形をお変えになるのは惜しい感じである。大蔵卿が理髪役を奉仕する。たいへん美しい御髪を削ぐ時、いたいたしそうなのを、主上は、亡き母の御息所が見たならばと、お思い出しになると、涙が抑えがたいのを、思い返してじっとお堪えあそばす。
加冠なさって、御休息所にお下がりになって、ご装束をお召し替えなさって、東庭に下りて、拝舞なさる様子に、一同、涙を落としなさる。帝は帝で、誰にもまして堪えきれなされず、お忘れになっていた折のあった当時のことを、今思い起こして悲しく思われなさる。たいそう、このように幼い年ごろでは、元服劣りをするのではないかと御心配なさっていたが、素晴らしくかわいらしさも加わっていらっしゃった。
加冠役の大臣が皇女でいらっしゃる方との間に儲けた一人娘で、大切に育てていらっしゃる姫君を、東宮からも御所望があったが、ご躊躇なさることがあったのは、この君に差し上げようとのお考えからなのであった。帝にも御内意を伺ったところ、「それでは、元服の後の後見する人がいないようなので、その添い臥しにでも」とお促しあそばされたので、そのようにお考えになっていた。
御休息所に退出なさって、参会者たちが御酒などを召し上がる時、親王方のお席の末に源氏はお座りになった。大臣がそれとなく仄めかし申し上げなさることがあるが、気恥ずかしい年ごろなので、どちらともはっきりお答え申し上げなさらない。
御前から掌侍が宣旨を承って、大臣に参られるようにとのお召しがあるので、参上なさる。御禄の品物を、主上づきの命婦が取って賜わる。白い大袿に御衣装一領、例のとおりである。
ご酒宴の折に、
「幼子の元服の折、末永い仲を
そなたの姫との間に結ぶ約束はなさったか」
お心づかいを示されて、はっとさせなさる。
「元服の折、約束した心も深いものとなりましょう
その濃い紫の色さえ変わらなければ」
と奏上して、長橋から下りて拝舞なさる。
左馬寮の御馬、蔵人所の鷹を留まり木に据えて頂戴なさる。御階のもとに親王方や上達部が立ち並んで、禄をそれぞれの身分に応じて頂戴なさる。
その日の御前の折櫃物や籠物などは、右大弁が仰せを承って調えさせたのであった。屯食や禄の唐櫃類など、置き場もないまで、東宮の御元服の時よりも数多く勝っていた。かえっていろいろな制限がなくて盛大であった。
 その夜、大臣のお邸に源氏の君を退出させなさる。婿取りの作法は世に例がないほど立派におもてなし申し上げなさった。とても若くおいでなのを、不吉なまでにかわいいとお思い申し上げなさった。女君は少し年長でおいでなのに対して、たいそうお若くいらっしゃるので、似つかわしくなく恥ずかしいとお思いでいらっしゃった。
この大臣のご信任は厚い上に、母宮が帝と同じ母后のお生まれでいらっしゃったので、どちらから言っても立派な上に、この君までがこのように婿君としてお加わりになったので、東宮の御祖父で、やがて天下を支配なさるはずの右大臣のご威勢は、敵ともなく圧倒されてしまった。
ご子息たちがおおぜいそれぞれの夫人方にいらっしゃる。宮がお生みの方は、蔵人の少将といってたいそう若く美しい方なので、右大臣が、お間柄はあまりよくないが、他人として放っておくこともおできになれず、大切になさっている四の君に婿取りなさっていた。劣らず大切にお世話なさっているのは、理想的な婿舅の間柄である。
源氏の君は、主上がいつもお召しになって放さないので、気楽に私邸で過すこともおできになれない。心中では、ひたすら藤壷のご様子を、またといないとお慕い申し上げて、そのような女性こそ妻にしたいものだ、似た方もいらっしゃらないな、大殿の姫君は、たいそう美しく大切にされている方だと思われるけれど、心に染まぬというように感じられて、幼心一つに取りつかれて、とても苦しいまでに思っていらっしゃるのであった。
 元服なさってから後は、かつてのように御簾の内にもお入れにならない。管弦の御遊の時々、琴と笛の音に心通わし合い、かすかに漏れるお声を慰めとして、内裏の生活ばかり好ましく思っていらっしゃる。五、六日は内裏に伺候なさって、大殿邸には二、三日程度、途切れがちに退出なさるが、まだ今はお若い年頃であるので、ことさら咎めだてすることなくお許しになって、大切にお世話申し上げなさる。
お二方の女房たちは、世間から並々でない人をえりすぐってお仕えさせなさる。お気に入りそうなお遊びをし、せいいっぱいにお世話していらっしゃる。
内裏では、もとの淑景舎をお部屋にあてて、母御息所にお仕えしていた女房を退出して散り散りにさせずにそのままお仕えさせなさる。
実家のお邸は、修理職や内匠寮に宣旨が下って、またとなく立派にご改造させなさる。もとからの木立や築山の様子、趣きのある所であったが、池をことさら広く造って、大騷ぎして立派に造営する。
このような所に、理想とするような女性を迎えて一緒に暮らしたい、とばかり嘆かわしくお思い続けていらっしゃる。
「光る君」という名前は、高麗人がお褒めしてお付けしたものだ、と言い伝えているとのことである。

 3 Tale of Hikaru-Genji [3-1 Genji's return to the Court(age 4)]
 Tuki-hi he te, Waka-Miya mawiri tamahi nu. Itodo ko-no-yo no mono nara zu kiyora ni oyosuke tamahe re ba, ito yuyusiu obosi tari.
 Akuru-tosi no haru, Bau sadamari tamahu ni mo, ito hiki-kosa mahosiu obose do, ohom-usiromi su beki hito mo naku, mata yo no ukehiku maziki koto nari kere ba, naka-naka ayauku obosi habakari te, iro ni mo idasa se tamaha zu nari nuru wo, "Sabakari obosi tare do, kagiri koso ari kere" to, yo-hito mo kikoye, Nyougo mo mi-kokoro oti wi tamahi nu.
 Kano ohom-oba haha Kita-no-kata, nagusamu kata naku obosi sidumi te, ohasu ram tokoro ni dani tadune yuka m to negahi tamahi si sirusi ni ya, tuhi ni use tamahi nure ba, mata kore wo kanasibi obosu koto kagiri nasi. Miko mu-tu ni nari tamahu tosi nare ba, kono tabi ha obosi siri te kohi naki tamahu. Tosi-goro nare mutubi kikoye tamahi turu wo, mi tatematuri oku kanasibi wo nam, kahesu-gahesu notamahi keru.

 [3-2 A child prodigy(age 7)]
 Ima ha Uti ni nomi saburahi tamahu. Nana-tu ni nari tamahe ba, Humi-hazime nado se sase tamahi te, yo ni sira zu satou kasikoku ohasure ba, amari osorosiki made go-ran-zu.
 "Ima ha tare mo tare mo e nikumi tamaha zi. Haha-Gimi naku te dani rautau si tamahe." tote, Kouki-den nado ni mo watara se tamahu ohom-tomo ni ha, yagate mi-su no uti ni ire tatematuri tamahu. Imiziki mononohu, ata kataki nari to mo, mi te ha uti-wema re nu beki sama no si tamahe re ba, e sasi-hanati tamaha zu. Womna-Miko-tati huta-tokoro, kono ohom-hara ni ohasimase do, nazurahi tamahu beki dani zo nakari keru. Ohom-kata-gata mo kakure tamaha zu, ima yori namamekasiu hadukasi-ge ni ohasure ba, ito wokasiu uti-toke nu asobi-gusa ni, tare mo tare mo omohi kikoye tamahe ri.
 Wazato no go-gakumon ha saru mono ni te, koto hue no ne ni mo kumo-wi wo hibikasi, subete ihi tuduke ba, koto-gotosiu, utate zo nari nu beki hito no ohom-sama nari keru.

 [3-3 A prophecy by Koma-udo]
 Sono-koro, Koma-udo no mawire ru naka ni, kasikoki Sau-nin ari keru wo kikosimesi te, Miya no uti ni mesa m koto ha, Uda-no-Mikado no ohom-imasime are ba, imiziu sinobi te, kono Miko wo Kouro-kwan ni tukahasi tari. Ohom-usiromi-dati te tukau maturu U-dai-Ben no ko no yau ni omohase te wi te tatematuru ni, Sau-nin odoroki te, amata tabi katabuki ayasibu.
 "Kuni no oya to nari te, Teiwau no kami naki kurawi ni noboru beki sau ohasimasu hito no, sonata ni te mire ba, midare urehuru koto ya ara m. Ohoyake no katame to nari te, ame-no-sita wo tasukuru kata ni te mire ba, mata sono sau tagahu besi." to ihu.
 Ben mo, ito zae kasikoki hakase ni te, ihi-kahasi taru koto-domo nam, ito kyou ari keru. Humi nado tukuri kahasi te, kehu asu kaheri sari na m to suru ni, kaku arigataki hito ni taimen si taru yorokobi, kaheri te ha kanasikaru beki kokoro-bahe wo omosiroku tukuri taru ni, Miko mo ito ahare naru ku wo tukuri tamahe ru wo, kagiri nau mede tatematuri te, imiziki okuri-mono-domo wo sasage tatematuru. Ohoyake yori mo ohoku no mono tamahasu.
 Onodukara koto hirogori te, morasa se tamaha ne do, Touguu no ohodi-Otodo nado, ikanaru koto ni ka to obosi utagahi te nam ari keru.
 Mikado, kasikoki mi-kokoro ni, Yamato-sau wo ohose te, obosi yori ni keru sudi nare ba, ima made kono Kimi wo Miko ni mo nasa se tamaha zari keru wo, Sau-nin ha makoto ni kasikokari keri, to obosi te, mu-hon-no-Sinwau no gesaku no yose naki ni te ha tadayoha sa zi, waga mi-yo mo ito sadame naki wo, tada-udo ni te ohoyake no ohom-usiromi wo suru nam, yuku-saki mo tanomosi-ge na'meru koto, to obosi sadame te, iyo-iyo miti-miti no zae wo naraha sase tamahu.
 Kiha koto ni kasikoku te, tada-udo ni ha ito atarasikere do, Miko to nari tamahi na ba, yo no utagahi ohi tamahi nu beku monosi tamahe ba, Sukueu no kasikoki miti no hito ni kamgahe sase tamahu ni mo, onazi sama ni mau-se ba, Genzi ni nasi tatematuru beku obosi oki te tari.

 [3-4 Fujitsubo enters the Court]
 Tosi-tuki ni sohe te, Miyasumdokoro no ohom-koto wo obosi wasururu wori nasi. Nagusamu ya to, sa'ru beki hito-bito mawira se tamahe do, nazurahi ni obosa ruru dani ito kataki yo kana to, utomasiu nomi yorodu ni obosi nari nuru ni, Sen-dai no Si-no-Miya no, ohom-katati sugure tamahe ru kikoye takaku ohasimasu, Haha-Gisaki yo ni naku kasiduki kikoye tamahu wo, Uhe ni saburahu Naisi-no-Suke ha, Sen-dai no ohom-toki no hito ni te, kano Miya ni mo sitasiu mawiri nare tari kere ba, ihakenaku ohasimasi si toki yori mi tatematuri, ima mo hono-mi tatematuri te, "Use tamahi ni si Miyasumdokoro no ohom-katati ni ni tamahe ru hito wo, sam-dai no miya-dukahe ni tutahari nuru ni, e mi tatematuri tuke nu wo, Kisai-no-Miya no Hime-Miya koso ito you oboye te ohi-ide sase tamahe ri kere. Ari-gataki ohom-katati-bito ni nam." to sou-si keru ni, makoto ni ya? to mi-kokoro tomari te, nemgoro ni kikoye sase tamahi keri.
 Haha-Gisaki, "Ana osorosi ya! Touguu-no-Nyougo no ito saga-naku te, Kiritubo-no-Kaui no, araha ni hakanaku mote-nasa re ni si tamesi mo yuyusiu." to, obosi tutumi te, suga-sugasiu mo obosi tata zari keru hodo ni, Kisaki mo use tamahi nu.
 Kokoro-bosoki sama ni te ohasimasu ni, "Tada, waga Womna-Miko-tati no onazi tura ni omohi kikoye m" to, ito nemgoro ni kikoye sase tamahu. Saburahu hito-bito, ohom-usiromi-tati, ohom-seuto no Hyaubu-kyau-no-Miko nado, kaku kokoro-bosoku te ohasimasa m yori ha, Uti-zumi se sase tamahi te, mi-kokoro mo nagusamu beku nado obosi nari te, mawira se tatematuri tamahe ri.
 Huditubo to kikoyu. Geni, ohom-arisama ayasiki made zo oboye tamahi keru. Kore ha, hito no ohom-kiha masari te, omohi nasi medetaku, hito mo e otosime kikoye tamaha ne ba, ukebari te aka nu koto nasi. Kare ha, hito no yurusi kikoye zari si ni, mi-kokoro-zasi ayaniku nari si zo kasi. Obosi magiru to ha nakere do, onodukara mi-kokoro uturohi te, koyonau obosi nagusa m yau naru mo, ahare naru waza nari keri.

 [3-5 Genji falls in love with Fujitsubo]
 Genzi-no-kimi ha, ohom-atari sari tamaha nu wo, masite sigeku watara se tamahu Ohon-kata ha, e hadi ahe tamaha zu. Idure no ohom-kata mo, ware hito ni otora m to oboi taru ya ha aru, tori-dori ni ito medetakere do, uti-otonabi tamahe ru ni, ito wakau utukusi-ge ni te, seti ni kakure tamahe do, onodukara mori mi tatematuru.
 Haha-Miyasumdokoro mo, kage dani oboye tamaha nu wo, "Ito you ni tamahe ri" to, Naisi-no-Suke no kikoye keru wo, wakaki mi-kokoti ni ito ahare to omohi kikoye tamahi te, tune ni mawira mahosiku, nadusahi mi tatetematura baya to oboye tamahu.
 Uhe mo kagiri naki ohom-omohi-doti ni te, "Na utomi tamahi so! Ayasiku yosohe kikoye tu beki kokoti nam suru. Namesi to obosa de, rautaku si tamahe. Tura-tuki, mami nado ha, ito you ni tari si yuwe, kayohi te miye tamahu mo, nigenakara zu nam." nado kikoye tuke tamahe re ba, wosana-gokoti ni mo, hakanaki hana momidi ni tuke te mo kokoro-zasi wo miye tatematuru. Koyonau kokoro yose kikoye tamahe re ba, Koukiden-no-Nyougo, mata kono Miya to mo ohom-naka soba-sobasiki yuwe, uti-sohe te moto yori no nikusa mo tati ide te, monosi to obosi tari.
 Yo ni taguhi nasi to mi tatematuri tamahi, na-dakau ohasuru Miya no ohom-katati ni mo, naho nihohasisa ha tatohe m kata naku, utukusi-ge naru wo, yo no hito, "Hikaru-Kimi" to kikoyu. Huditsubo narabi tamahi te, ohom-oboye mo tori-dori nare ba, "Kakayaku Hi-no-Miya" to kikoyu.

 [3-6 Genji grows up(age 12)]
 Kono Kimi no ohom-waraha-sugata, ito kahe-ma-uku obose do, zihu-ni ni te go-genpuku si tamahu. Wi-tati obosi itonami te, kagiri aru koto ni koto wo sohe sase tamahu.
 Hito-tose no Touguu no go-genpuku, Na'den ni te ari si gisiki, yosohosikari si ohom-hibiki ni otosa se tamaha zu. Tokoro-dokoro no kyau nado, Kura-Dukasa, Kokusau-win nado, ohoyake-goto ni tukau mature ru, orosoka naru koto mo zo to, tori-waki ohose-goto ari te, kiyora wo tukusi te tukau mature ri.
 Ohasimasu-Den no himgasi no Hisasi, himgasi muki ni isi tate te, kwanza no go-za, hiki-ire no Otodo no go-za, o-mahe ni ari. Saru no toki ni te Genzi mawiri tamahu. Midura yuhi tamahe ru tura-tuki, kaho no nihohi, sama kahe tamaha m koto wosi-ge nari. Ohokura-kyau, Kura-bito tukau maturu. Ito kiyora naru mi-gusi wo sogu hodo, kokoro-gurusi-ge naru wo, Uhe ha, Miyasumdokoro no mi masika ba to, obosi iduru ni, tahe gataki wo, kokoro-duyoku nen-zi kahesa se tamahu.
 Kauburi si tamahi te, ohom-yasumi-dokoro ni makade tamahi te, ohom-zo tatematuri kahe te, ori te hai-si tatematuri tamahu sama ni, mina-hito namida otosi tamahu. Mikado hata, masite e sinobi ahe tamaha zu, obosi magiruru wori mo ari turu mukasi no koto, tori-kahesi kanasiku obosa ru. Ito kau kibiha naru hodo ha, age-otori ya to utagahasiku obosare turu wo, asamasiu utukusi-ge-sa sohi tamahe ri.
 Hiki-ire no Otodo no Miko-bara ni, tada hitori kasiduki tamahu ohom-musume, Touguu yori mo mi-kesiki aru wo, obosi wadurahu koto ari keru, kono Kimi ni tatematura m no mi-kokoro nari keri. Uti ni mo, mi-kesiki tamahara se tamahe ri kere ba, "Sa'ra ba, kono wori no usiromi naka'meru wo, sohi-busi ni mo" to moyohosa se tamahi kere ba, sa obosi tari.
 Saburahi ni makade tamahi te, hito-bito ohomiki nado mawiru hodo, Miko-tati no go-za no suwe ni Genzi tuki tamahe ri. Otodo kesiki-bami kikoye tamahu koto are do, mono no tutumasiki hodo ni te, tomo-kakumo ahe-sirahi kikoye tamaha zu.
 O-mahe yori, Naisi, senzi uketamahari tutahe te, Otodo mawiri tamahu beki mesi are ba, mawiri tamahu. Ohom-roku no mono, Uhe no Myaubu tori te tamahu. Siroki oho-utiki ni ohom-zo hito-kudari, rei no koto nari.
 Ohom-sakaduki no tuide ni,
 "Itokinaki hatu-motoyuhi ni nagaki yo wo
 tigiru kokoro ha musubi kome tu ya
"
 Mi-kokoro-bahe ari te odoroka sase tamahu.
 "Musubi turu kokoro mo hukaki motoyuhi ni
 koki murasaki no iro si ase zu ha
"
 to sou-si te, naga-hasi yori ori te butahu si tamahu.
 Hidari-no-Tukasa no ohom-mma, Kura-udo-dokoro no taka suwe te tamahari tamahu. Mi-hasi no moto ni miko-tati kamdatime turane te, roku-domo sina-zina ni tamahari tamahu.
 Sono hi no o-mahe no woribitu-mono, ko-mono nado, U-dai-Ben nam uketamahari te tukaumatura se keru. Tonziki, roku no karabitu-domo nado, tokoro-seki made, Touguu no go-genpuku no wori ni mo kazu masare ri. Naka-naka kagiri mo naku ikamesiu nam.

 [3-7 Genji gets married to Sadaijin's daughter]
 Sono yo, Otodo no ohom-sato ni Genzi-no-Kimi makade sase tamahu. Sahohu yo ni medurasiki made, mote-kasiduki kikoye tamahe ri. Ito kibiha ni te ohasi taru wo, yuyusiu utukusi to omohi kikoye tamahe ri. Womna-Gimi ha sukosi sugusi tamahe ru hodo ni, ito wakau ohasure ba, nigenaku hadukasi to oboi tari.
 Kono Otodo no ohom-oboye ito yamgotonaki ni, haha-Miya, Uti no hito-tu Kisai-bara ni nam ohasi kere ba, idu-kata ni tuke te mo ito hanayaka naru ni, kono Kimi sahe kaku ohasi sohi nure ba, Touguu no ohom-ohodi ni te, tuhi ni yo-no-naka wo siri tamahu beki Migi-no-Otodo no ohom-ikihoi ha, mono ni mo ara zu osa re tamahe ri.
 Miko-domo amata hara-bara ni monosi tamahu. Miya no ohom-hara ha, Kuraudo-no-Seusyau ni te ito wakau wokasiki wo, Migi-no-Otodo no, ohom-naka ha ito yokara ne do, e mi sugusi tamaha de, kasiduki tamahu Si-no-Kimi ni ahase tamahe ri. Otora zu mote-kasiduki taru ha, aramahosiki ohom-ahahi-domo ni nam.
 Genzi-no-Kimi ha, Uhe no tune ni mesi matuhase ba, kokoro-yasuku sato-zumi mo e si tamaha zu. Kokoro no uti ni ha, tada Huditubo no ohom-arisama wo, taguhi nasi to omohi kikoye te, sayau nara m hito wo koso mi me, niru hito naku mo ohasi keru kana, Ohoi-dono-no-Kimi, ito wokasi-ge ni kasiduka re taru hito to ha miyu re do, kokoro ni mo tuka zu oboye tamahi te, wosanaki hodo no kokoro hito-tu ni kakari te, ito kurusiki made zo ohasi keru.

 [3-8 Genji's life]
 Otona ni nari tamahi te noti ha, ari si yau ni mi-su no uti ni mo ire tamaha zu. Ohom-asobi no wori-wori, koto hue no ne ni kikoye kayohi, honoka naru ohom-kowe wo nagusame ni te, Uti-zumi nomi konomasiu oboye tamahu. Itu-ka mui-ka saburahi tamahi te, Ohoi-dono ni hutu-ka mi-ka nado, taye-daye ni makade tamahe do, tada ima ha, wosanaki ohom-hodo ni, tumi naku obosi-nasi te, itonami kasiduki kikoye tamahu.
 Ohom-kata-gata no hito-bito, yo-no-naka ni osinabe tara nu wo eri totonohe suguri te saburaha se tamahu. Mi-kokoro ni tuku beki ohom-asobi wo si, ohona-ohona obosi itatuku.
 Uti ni ha, moto no Sigei-sa wo ohom-zausi ni te, haha-Miyasumdokoro no ohom-kata no hito-bito makade tira zu saburaha se tamahu.
 Sato no tono ha, Suri-siki, Takumi-dukasa ni senzi kudari te, ni-nau aratame tukura se tamahu. Moto no kodati, yama no tatazumahi, omosiroki tokoro nari keru wo, ike no kokoro hiroku si-nasi te, medetaku tukuri nonosiru.
 Kakaru tokoro ni omohu yau nara m hito wo suwe te suma baya to nomi, nagekasiu obosi wataru.
 "Hikaru-Kimi" to ihu na ha, Koma-udo no mede kikoye te tuke tatematuri keru to zo, ihi-tutahe taru to nam.

 出典

 校訂
備考--(/) ミセケチ--$ 補入--+ 傍書--= ナゾリ--& 独自異文--* 朱筆--<朱>

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Last Modified: Tuesday, August 31, 2004
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