源氏物語

Genji monogatari

紫式部 Murasaki Shikibu

1 六条御息所の物語 秋の別れと伊勢下向の物語

2 光る源氏の物語 父桐壷帝の崩御

3 藤壷の物語

4 光る源氏の物語

5 藤壷の物語 法華八講主催と出家

6 光る源氏の物語

7 朧月夜の物語 村雨の紛れの密会露見

出典
校訂

1 六条御息所の物語 秋の別れと伊勢下向の物語

2 光る源氏の物語 父桐壷帝の崩御

3 藤壷の物語

4 光る源氏の物語

5 藤壷の物語 法華八講主催と出家

6 光る源氏の物語

7 朧月夜の物語 村雨の紛れの密会露見

1 Tale of Lady Rokujo A parting in fall

2 Tale of Hikaru-Genji Mikado Kiritubo, Genji's father, died

3 Tale of Fujitsubo

4 Tale of Hikaru-Genji

5 Tale of Fujitsubo She becommes a nun

6 Tale of Hikaru-Genji

7 Tale of Oborozukiyo Their secret meeting in summer-rain is discovered by Udaijin

 斎宮の御下り、近うなりゆくままに、御息所、もの心細く思ほす。やむごとなくわづらはしきものにおぼえたまへりし大殿の君も亡せたまひて後、さりともと世人も聞こえあつかひ、宮のうちにも心ときめきせしを、その後しも、かき絶え、あさましき御もてなしを見たまふに、まことに憂しと449思すことこそありけめと、知り果てたまひぬれば、よろづのあはれを思し捨てて、ひたみちに出で立ちたまふ。
親添ひて下りたまふ例も、ことになけれど、いと見放ちがたき御ありさまなるにことつけて、「憂き世を行き離れむ」と思すに、大将の君、さすがに、今はとかけ離れたまひなむも、口惜しく思されて、御消息ばかりは、あはれなるさまにて、たびたび通ふ。対面したまはむことをば、今さらにあるまじきことと、女君も思す。「人は心づきなしと、思ひ置きたまふこともあらむに、我は、今すこし思ひ乱るることのまさるべきを、あいなし」と、心強く思すなるべし。
もとの殿には、あからさまに渡りたまふ折々あれど、いたう忍びたまへば、大将殿、え知りたまはず。たはやすく御心にまかせて、参うでたまふべき御すみかにはた450あらねば、おぼつかなくて月日も隔たりぬるに、院の上、おどろおどろしき御悩みにはあらで、例ならず、時々悩ませたまへば、いとど御心の暇なけれど、「つらき者に思ひ果てたまひなむも、いとほしく、人聞き情けなくや」と思し起して、野の宮に参うでたまふ。

 1 六条御息所の物語 秋の別れと伊勢下向の物語 [1-1 六条御息所、伊勢下向を決意]
斎宮の御下向、近づくなるにつれて、御息所、何となく心細くいらっしゃる。重々しくけむたいご本妻だと思っていらした大殿の姫君もお亡くなりになって後、いくら何でもと世間の人々もお噂申し、宮の内でも期待していたのに、それから後、すっかりお通いがなく、あまりなお仕向けを御覧になると、本当にお嫌いになる事があったのだろうと、すっかりお分かりになってしまったので、一切の未練をお捨てになって、一途にご出立なさる。
母親が付き添ってお下りになる先例も、特にないが、とても手放し難いご様子なのに託つけて、「嫌な世間から逃れ去ろう」とお思いになると、大将の君、そうは言っても、これが最後と遠くへ行っておしまいになるのも残念に思わずにはいらっしゃれず、お手紙だけは情のこもった書きぶりで、度々交わす。お会いになることは、今さらありえない事と、女君も思っていらっしゃる。「相手は気にくわないと、根に持っていらっしゃることがあろうから、自分は、今以上に悩むことがきっと増すにちがいないので、無益なこと」と、固くご決心されているのだろう。
里の殿には、ほんのちょっとお帰りになる時々もあるが、たいそう内々にしていらっしゃるので、大将殿、お知りになることができない。簡単にお心のままに参ってよいようなお住まいでは勿論ないので、気がかりに月日も経ってしまったところに、院の上、たいそう重い御病気というのではないが、普段と違って、時々お苦しみあそばすので、ますますお気持ちに余裕がないけれど、「薄情な者とお思い込んでしまわれるのも、おいたわしいし、人が聞いても冷淡な男だと思われはしまいか」とご決心されて、野宮にお伺いなさる。

 1 Tale of Lady Rokujo A parting in fall [1-1 Lady Rokujo determines to go to Ise with her daughter]
 Saiguu no ohom-kudari, tikau nari yuku mama ni, Miyasumdokoro, mono-kokoro-bosoku omohosu. Yamgotonaku wadurahasiki mono ni oboye tamaheri si Ohoi-dono no Kimi mo use tamahi te noti, sa'ri to mo to yo-hito mo kikoye atukahi, Miya no uti ni mo kokoro-tokimeki se si wo, sono noti si mo, kaki-taye, asamasiki ohom-motenasi wo mi tamahu ni, makoto ni usi to obosu koto koso ari keme to, siri hate tamahi nure ba, yorodu no ahare wo obosi sute te, hitamiti ni ide tati tamahu.
 Oya hohi te kudari tamahu rei mo koto ni nakere do, ito mi hanati gataki ohom-arisama naru ni koto tuke te, "Uki-yo wo yuki hanare m" to obosu ni, Daisyau-no-Kimi, sasuga ni, ima ha to kake-hanare tamahi na m mo, kutiwosiku obosa re te, ohom-seusoko bakari ha, ahare naru sama ni te, tabi-tabi kayohu. Taimen si tamaha m koto wo ba, imasara ni aru maziki koto to, Womna-Gimi mo obosu. "Hito ha kokoro-dukinasi to, omohi oki tamahu koto mo ara m ni, Ware ha, ima sukosi omohi midaruru koto no masaru beki wo, ainasi." to, kokoro-duyoku obosu naru besi.
 Moto no Tono ni ha, akarasama ni mo watari tamahu wori-wori are do, itau sinobi tamahe ba, Daisyau-dono, e siri tamaha zu. Tahayasuku mi-kokoro ni makase te, maude tamahu beki ohom-sumika ni hata ara ne ba, obotukanaku te tuki-hi mo hedatari nuru ni, Win-no-Uhe, odoro-odorosiki ohom-nayami ni ha ara de, rei nara zu, toki-doki nayama se tamahe ba, itodo mi-kokoro no itoma nakeredo, "Turaki mono ni omohi-hate tamahi na m mo, itohosiku, hito-giki nasake naku ya" to obosi okosi te, Nonomiya ni maude tamahu.

 九月七日ばかりなれば、「むげに今日明日」と思すに、女方も心あわたたしけれど、「立ちながら」と、たびたび御消息ありければ、「いでや」とは思しわづらひながら、「いとあまり埋もれいたきを、物越ばかりの対面は」と、人知れず待ちきこえたまひけり。
遥けき野辺を分け入りたまふより、いとものあはれなり。秋の花、みな衰へつつ、浅茅が原も枯れ枯れなる虫の音に、松風、すごく吹きあはせて451、そのこととも聞き分かれぬほどに、物の音ども絶え絶え聞こえたる、いと艶なり。
むつましき御前、十余人ばかり、御随身452、ことことしき姿ならで、いたう忍びたまへれど、ことにひきつくろひたまへる御用意、いとめでたく見えたまへば、御供なる好き者ども、所からさへ身にしみて思へり。御心にも、「などて、今まで立ちならさざりつらむ」と、過ぎぬる方、悔しう思さる。
ものはかなげなる小柴垣を大垣にて、板屋どもあたりあたりいとかりそめなり。黒木の鳥居ども、さすがに神々しう見わたされて、わづらはしきけしきなるに、神司の者ども、ここかしこにうちしはぶきて、おのがどち、物うち言ひたるけはひなども、他にはさま変はりて見ゆ。火焼屋かすかに453光りて、人気すくなく、しめじめとして、ここにもの思はしき人の、月日を隔てたまへらむほどを思しやるに、いといみじうあはれに心苦し。
北の対のさるべき所に立ち隠れたまひて、御消息聞こえたまふに、遊びはみなやめて、心にくきけはひ、あまた聞こゆ。
何くれの人づての御消息ばかりにて、みづからは対面したまふべきさまにもあらねば、「いとものし」と思して、
「かうやうの歩きも、今はつきなきほどになりにてはべるを、思ほし知らば、かう注連のほかにはもてなしたまはで。いぶせうはべることをも、あきらめはべりにしがな454」
と、まめやかに聞こえたまへば、人々、
「げに、いとかたはらいたう」
「立ちわづらはせたまふに、いとほしう」
など、あつかひきこゆれば、「いさや。ここの人目も見苦しう、かの思さむことも、若々しう、出で455ゐむが、今さらにつつましきこと」と思すに、いともの憂けれど、情けなうもてなさむにもたけからねば、とかくうち嘆き、やすらひて、ゐざり出でたまへる御けはひ、いと心にくし。
「こなたは、簀子ばかりの許されははべりや」
とて、上りゐたまへり。
はなやかにさし出でたる夕月夜に、うち振る舞ひたまへるさま、匂ひに、似るものなくめでたし。月ごろのつもりを、つきづきしう聞こえたまはむも、まばゆきほどになりにければ、榊をいささか折りて持たまへりけるを、挿し入れて、
「変らぬ色を456しるべにてこそ、斎垣も越え457はべりにけれ。さも心憂く」
と聞こえたまへば、
「神垣はしるしの杉458もなきものを
いかにまがへて折れる榊ぞ」
と聞こえたまへば、
「少女子が459あたりと思へば榊葉の
香を
460なつかしみとめてこそ折れ」
おほかたのけはひわづらはしけれど、御簾ばかりはひき着て、長押におしかかりてゐたまへり。
心にまかせて見たてまつりつべく、人も慕ひざまに思したりつる年月は、のどかなりつる御心おごりに、さしも思されざりき。
また、心にうちに、「いかにぞや、疵ありて」、思ひきこえたまひにし後、はた、あはれもさめつつ、かく御仲も隔たりぬるを、めづらしき御対面の昔おぼえたるに、「あはれ」と、思し乱るること限りなし。来し方、行く先、思し続けられて、心弱く泣きたまひぬ。
女は、さしも見えじと思しつつむめれど、え忍びたまはぬ御けしきを、いよいよ心苦しう、なほ思しとまるべきさまにぞ、聞こえたまふめる。
月も入りぬるにや、あはれなる空を眺めつつ、怨みきこえたまふに、ここら思ひ集めたまへるつらさも消えぬべし。やうやう、「今は」と、思ひ離れたまへるに、「さればよ」と、なかなか心動きて、思し乱る。
殿上の若君達などうち連れて、とかく立ちわづらふなる庭のたたずまひ461も、げに艶なるかたに、うけばりたるありさまなり。思ほし残す462ことなき御仲らひに、聞こえ交はしたまふことども、まねびやらむかたなし。
やうやう明けゆく空のけしき、ことさらに作り出でたらむやうなり。
「暁の別れはいつも露けきを
こは世に知らぬ秋の空かな」
出でがてに、御手をとらへてやすらひたまへる、いみじうなつかし。
風、いと冷やかに吹きて、松虫の鳴きからしたる声も、折知り顔なるを、さして思ふことなきだに、聞き過ぐしがたげなるに、まして、わりなき御心惑ひどもに、なかなか、こともゆかぬにや。
「おほかたの秋の別れも悲しきに
鳴く音な添へそ野辺の松虫」
悔しきこと多かれど、かひなければ、明け行く空もはしたなうて、出でたまふ。道のほどいと露けし。
女も、え心強からず、名残あはれにて眺めたまふ。ほの見たてまつりたまへる月影の御容貌、なほとまれる匂ひなど、若き人々は身にしめて、あやまちもしつべく463、めできこゆ。
「いかばかりの道にてか、かかる御ありさまを見捨てては、別れきこえむ」
と、あいなく涙ぐみあへり。

 [1-2 野の宮訪問と暁の別れ]
九月七日ころなので、「まったく今日明日だ」とお思いになると、女の方でも気忙しいが、「立ちながらでも」と、何度もお手紙があったので、「どうしたものか」とお迷いになりながらも、「あまりに控え目過ぎるから、物越しにお目にかかるのなら」と、人知れずお待ち申し上げていらっしゃるのであった。
広々とした野辺に分け入りなさるなり、いかにも物寂しい感じがする。秋の花、みな萎れかかって、浅茅が原も枯れがれとなり虫の音も鳴き嗄らしているところに、松風、身にしみて音を添えて、いずれの琴とも聞き分けられないくらいに、楽の音が絶え絶えに聞こえて来る、まことに優艶である。
気心の知れた御前駆の者、十余人ほど、御随身、目立たない服装で、たいそうお忍びのふうをしていられるが、格別にお気を配っていらっしゃるご様子、まことに素晴らしくお見えになるので、お供の風流者など、場所が場所だけに身にしみて感じ入っていた。ご内心、「どうして、今まで来なかったのだろう」と、過ぎ去った日々、後悔せずにはいらっしゃれない。
ちょっとした小柴垣を外囲いにして、板屋が幾棟もあちこちに仮普請のようである。黒木の鳥居どもは、やはり神々しく眺められて、遠慮される気がするが、神官どもが、あちこちで咳払いをして、お互いに、何か話している様子なども、他所とは様子が変わって見える。火焼屋、微かに明るくて、人影も少なく、しんみりとしていて、ここに物思いに沈んでいる人が、幾月日も世間から離れて過ごしてこられた間のことをご想像なさると、とてもたまらなくおいたわしい。
北の対の適当な場所に立ち隠れなさって、ご来訪の旨をお申し入れなさると、管弦のお遊びはみな止めて、奥ゆかしい気配、たくさん聞こえる。
何やかやと女房を通じてのご挨拶ばかりで、ご自身はお会いなさる様子もないので、「まことに面白くない」とお思いになって、
「このような外出も、今では相応しくない身分になってしまったことを、お察しいただければ、このような注連の外には、立たせて置くようなことはなさらないで。胸に溜まっていますことをも、晴らしたいものです」
と、真面目に申し上げなさると、女房たち、
「おっしゃるとおり、とても見てはいられませんわ」
「お立ちん坊のままでいらっしゃっては、お気の毒で」
などと、お取りなし申すので、「さてどうしたものか。ここの女房たちの目にも体裁が悪いだろうし、あの方がお思いになることも、年甲斐もなく、端近に出て行くのが、今さらに気後れして」とお思いになると、とても億劫であるが、冷淡な態度をとるほど気強くもないので、とかく溜息をつきためらって、いざり出ていらっしゃったご様子、まことに奥ゆかしい。
「こちらでは、簀子に上がるくらいのお許しはございましょうか」
と言って、上がっておすわりになった。
明るく照り出した夕月夜に、立ち居振る舞いなさるご様子、美しさに、似るものがなく素晴らしい。幾月ものご無沙汰を、もっともらしく言い訳申し上げなさるのも、面映ゆいほどになってしまったので、榊を少し折って持っていらしたのを、差し入れて、
「変わらない心に導かれて、禁制の垣根も越えて参ったのです。何とも薄情な」
と申し上げなさると、
「ここには人の訪ねる目印の杉もないのに
どう間違えて折って持って来た榊なのでしょう」
と申し上げなさると、
「少女子がいる辺りだと思うと
榊葉が慕わしくて探し求めて折ったのです」
周囲の雰囲気は憚られるが、御簾だけを引き被って、長押に持たれかかって座っていらっしゃった。
思いのままにお目にかかることができ、相手も慕っているようにお思いになっていらっしゃった年月の間は、のんびりといい気になって、それほどまでご執心なさらなかった。
また一方、心の中に、「いかがなものか、欠点があって」と、お思い申してから後、やはり、情愛も次第に褪めて、このように仲も離れてしまったのを、久しぶりのご対面が昔のことを思い出させるので、「ああ」と、悩ましさで胸が限りなくいっぱいになる。今までのこと、将来のこと、それからそれへとお思い続けられて、心弱く泣いてしまった。
女は、そうとは見せまいと気持ちを抑えていられるようだが、とても我慢がおできになれないご様子を、ますますお気の毒に、やはりお思い止まるように、お制止申し上げになるようである。
月も入ったのであろうか、しみじみとした空を物思いに耽って見つめながら、恨み言を申し上げなさると、積もり積もっていらした恨みもきっと消えてしまうことだろう。だんだんと、「今度が最後」と、未練を断ち切って来られたのに、「やはり思ったとおりだ」と、かえって心が揺れて、お悩みになる。
殿上の若公達などが連れ立って、何かと佇んでは心惹かれたという庭の風情も、なるほど優艶という点では、どこの庭にも負けない様子である。物のあわれの限りを尽くしたお二人の間柄で、お語らいになった内容、そのまま筆に写すことはできない。
だんだんと明けて行く空の風情、特別に作り出したかのようである。
「明け方の別れにはいつも涙に濡れたが
今朝の別れは今までにない涙に曇る秋の空ですね」
帰りにくそうに、お手を捉えてためらっていられる、たいそう優しい。
風、とても冷たく吹いて、松虫が鳴き嗄らした声も、気持ちを知っているかのようなのを、それほど物思いのない者でさえ、聞き過ごしがたいのに、まして、どうしようもないほど思い乱れていらっしゃるお二人には、かえって、歌も思うように行かないのだろうか。
「ただでさえ秋の別れというものは悲しいものなのに
さらに鳴いて悲しませてくれるな野辺の松虫よ」
悔やまれることが多いが、しかたのないことなので、明けて行く空も体裁が悪くて、お帰りになる。道程はまことに露っぽい。
女も、気強くいられず、その後の物思いに沈んでいらっしゃる。ほのかに拝見なさった月の光に照らされたお姿、まだ残っている匂いなど、若い女房たちは身に染みて、心得違いをしかねないほど、お褒め申し上げる。
「どれほどの余儀ない旅立ちだからといっても、あのようなお方をお見限って、お別れ申し上げられようか」
と、わけもなく涙ぐみ合っていた。

 [1-2 A parting at daybreak in Nonomiya]
 Naga-tuki nanu-ka bakari nare ba, "Muge ni kehu asu" to obosu ni, Womna-gata mo kokoro-awatatasikere do, "Tati nagara." to, tabi-tabi ohom-seusoko ari kere ba, "Ide ya?" to ha obosi wadurahi nagara, "Ito amari umore itaki wo, mono-gosi bakari no taimen ha." to, hito-sire-zu mati kikoye tamahi keri.
 Harukeki nobe wo wake-iri tamahu yori, ito mono ahare nari. Aki no hana, mina otorohe tutu, asadi-ga-hara mo kare-gare naru musi no ne ni, matu-kaze, sugoku huki-ahase te, sono koto to mo kiki-waka re nu hodo ni, mono no ne-domo taye-daye kikoye taru, ito en nari.
 Mutumasiki go-zen, zihu-yo-nin bakari, mi-zuizin, koto-kotosiki sugata nara de, itau sinobi tamahe re do, koto ni hiki-tukurohi tamahe ru ohom-youi, ito medetaku miye tamahe ba, ohom-tomo naru suki-mono-domo, tokoro-kara sahe mi ni simi te omohe ri. Mi-kokoro ni mo, "Nado te, ima made tati-narasa zari tura m." to, sugi nuru kata, kuyasiu obosa ru.
 Mono-hakanage naru ko-siba-gaki wo oho-gaki ni te, itaya-domo atari-atari ito karisome nari. Kuroki no toriwi-domo, sasuga ni kau-gausiu mi-watasa re te, wadurahasiki kesiki naru ni, kam-dukasa no mono-domo, koko kasiko ni uti-sihabuki te, onoga-doti, mono uti-ihi taru kehahi nado mo, hoka ni ha sama kahari te miyu. Hitaki-ya kasuka ni hikari te, hito-ke sukunaku, sime-zime to si te, koko ni mono omohasiki hito no, tuki-hi wo hedate tamahe ra m hodo wo obosi-yaru ni, ito imiziu ahare ni kokoro-gurusi.
 Kita-no-Tai no sa'ru beki tokoro ni tati kakure tamahi te, ohom-seusoko kikoye tamahu ni, asobi ha mina yame te, kokoro-nikuki kehahi, amata kikoyu.
 Nani-kure no hito-dute no ohom-seusoko bakari ni te, midukara ha taimen si tamahu beki sama ni mo ara ne ba, "Ito monosi." to obosi te,
 "Kau yau no ariki mo, ima ha tuki-naki hodo ni nari ni te haberu wo, omohosi sira ba, kau sime no hoka ni ha motenasi tamaha de. Ibuseu haberu koto wo mo, akirame haberi ni si gana!"
 to, mameyaka ni kikoye tamahe ba, hito-bito,
 "Geni, ito kataharaitau."
 "Tati-waduraha se tamahu ni, itohosiu."
 nado, atukahi kikoyure ba, "Isa ya. Koko no hito-me mo mi-gurusiu, kano obosa m koto mo, waka-wakasiu, ide wi m ga, imasara ni tutumasiki koto." to obosu ni, ito mono-ukere do, nasake nau mote-nasa m ni mo takekara ne ba, tokaku uti-nageki, yasurahi te, wizari-ide tamahe ru ohom-kehahi, ito kokoro nikusi.
 "Konata ha, sunoko bakari no yurusa re ha haberi ya?"
 tote, nobori wi tamahe ri.
 Hanayaka ni sasi-ide taru yuhu-duki-yo ni, uti-hurumahi tamahe ru sama, nihohi, niru mono naku medetasi. Tuki-goro no tumori wo, tuki-dukisiu kikoye tamaha m mo, mabayuki hodo ni nari ni kere ba, sakaki wo isasaka wori te mo'tamahe ri keru wo, sasi-ire te,
 "Kahara nu iro wo sirube ni te koso, i-gaki mo koye haberi ni kere. Sa mo kokoro-uku."
 to kikoye tamahe ba,
 "Kami-gaki ha sirusi no sugi mo naki mono wo
 ika ni magahe te wore ru sakaki zo
"
 to kikoye tamahe ba,
 "Wotome-go ga atari to omohe ba sakaki-ba no
 ka wo natukasimi tome te koso wore
"
 Ohokata no kehahi wadurahasikere do, mi-su bakari ha hiki-ki te, nagesi ni osi-kakari te wi tamahe ri.
 Kokoro ni makase te mi tatematuri tu beku, hito mo sitahi-zama ni obosi tari turu tosi-tuki ha, nodoka nari turu mi-kokoro ogori ni, sa si mo obosa re zari ki.
 Mata, kokoro no uti ni, "Ika ni zo ya, kizu ari te" omohi kikoye tamahi ni si noti, hata, ahare mo same tutu, kaku ohom-naka mo hedatari nuru wo, medurasiki ohom-taimen no mukasi oboye taru ni, "Ahare!" to, obosi midaruru koto kagiri nasi. Kosi-kata, yuku-saki, obosi-tuduke rare te, kokoro-yowaku naki tamahi nu.
 Womna ha, sa si mo miye zi to obosi tutumu mere do, e sinobi tamaha nu mi-kesiki wo, iyo-iyo kokoro-gurusiu, naho obosi tomaru beki sama ni zo, kikoye tamahu meru.
 Tuki mo iri nuru ni ya, ahare naru sora wo nagame tutu, urami kikoye tamahu ni, kokora omohi atume tamahe ru turasa mo kiye nu besi. Yau-yau, "Ima ha." to, omohi-hanare tamahe ru ni, "Sa're ba yo!" to, naka-naka kokoro ugoki te, obosi midaru.
 Tenzyau no waka-Kimdati nado uti-ture te, tokaku tati-wadurahu naru niha no tatazumahi mo, geni en naru kata ni, ukebari taru arisama nari. Omohosi nokosu koto naki ohom-nakarahi ni, kikoye-kahasi tamahu koto-domo, manebi-yara m kata nasi.
 Yau-yau ake-yuku sora no kesiki, kotosara ni tukuri-ide tara m yau nari.
 "Akatuki no wakare ha itumo tuyu keki wo
 ko ha yo ni sira nu aki no sora kana
"
 Ide-gate ni, mi-te wo torahe te yasurahi tamahe ru, imiziu natukasi.
 Kaze, ito hiyayaka ni huki te, matu-musi no naki karasi taru kowe mo, wori-siri-gaho naru wo, sasite omohu koto naki dani, kiki-sugusi gatage naru ni, masite, warinaki mi-kokoro-madohi-domo ni naka-naka, koto mo yuka nu ni ya.
 "Ohokata no aki no wakare mo kanasiki ni
 naku ne na sohe so nobe no matu-musi
"
 Kuyasiki koto ohokare do, kahi-nakere ba, ake-yuku sora mo hasitanau te, ide tamahu. Miti no hodo ito tuyu kesi.
 Womna mo, e kokoro-duyokara zu, nagori ahare ni te nagame tamahu. Hono-mi tatematuri tamahe ru tuki-kage no ohom-katati, naho tomare ru nihohi nado, wakaki hito-bito ha mi ni sime te, ayamati mo si tu beku, mede kikoyu.
 "Ikabakari no miti ni te ka, kakaru ohom-arisama wo mi-sute te ha, wakare kikoye m."
 to, ainaku namida-gumi aheri.

 御文、常よりもこまやかなるは、思しなびくばかりなれど、またうち返し、定めかねたまふべきことならねば、いとかひなし。
男は、さしも思さぬことをだに、情けのためにはよく言ひ続けたまふべかめれば、まして、おしなべての列には思ひきこえたまはざりし御仲の、かくて背きたまひなむとするを、口惜しうもいとほしうも、思し悩むべし。
旅の御装束よりはじめ、人々のまで、何くれの御調度など、いかめしうめづらしきさまにて、とぶらひきこえたまへど、何とも思されず。あはあはしう心憂き名をのみ流して、あさましき身のありさまを、今はじめたらむやうに、ほど近くなるままに、起き臥し嘆きたまふ。
斎宮は、若き御心地に、不定なりつる御出で立ちの、かく定まりゆくを、うれし、とのみ思したり。世人は、例なきことと、もどきもあはれがりも、さまざまに聞こゆべし。何ごとも、人にもどきあつかはれぬ際はやすげなり。なかなか世に抜け出でぬる人の御あたりは、所狭きこと多くなむ。

 [1-3 伊勢下向の日決定]
後朝の御文、いつもより情愛濃やかなのは、お気持ちも傾きそうなほどであるが、また改めて、お思い直しなさるべき事でもないので、まことにどうにもならない。
男は、それほどお思いでもないことでも、恋路のためには上手に言い続けなさるようなので、まして、並々の相手とはお思い申し上げていられなかったお間柄で、このようにしてお別れなさろうとするのを、残念にもおいたわしくも、お思い悩んでいられるのであろう。
旅のご装束をはじめとして、女房たちの物まで、何かとご調度類など、立派で目新しいさまに仕立てて、お餞別を申し上げになさるが、何ともお思いにならない。軽々しく嫌な評判ばかりを流してしまって、あきれはてた身の有様を、今さらのように、下向が近づくにつれて、起きても寝てもお嘆きになる。
斎宮は、幼な心に、決定しなかったご出立が、このように決まってゆくのを、嬉しい、とばかりお思いでいた。世間の人々は、先例のないことだと、非難も同情も、いろいろとお噂申しているようだ。何事でも、人から非難されないような身分の者は気楽なものである。かえって世に抜きん出た方のご身辺は窮屈なことが多いことである。

 [1-3 It is decided the day to go to Ise]
 Ohom-humi, tune yori mo komayaka naru ha, obosi nabiku bakari nare do, mata uti-kahesi, sadame-kane tamahu beki koto nara ne ba, ito kahi nasi.
 Wotoko ha, sa si mo obosa nu koto wo dani, nasake no tame ni ha yoku ihi-tuduke tamahu beka'mere ba, masite, osinabete no tura ni ha omohi kikoye tamaha zari si ohom-naka no, kaku te somuki tamahi na m to suru wo, kutiwosiu mo itohosiu mo, obosi nayamu besi.
 Tabi no ohom-sauzoku yori hazime, hito-bito no made, nani-kure no mi-teudo nado, ikamesiu medurasiki sama ni te, toburahi kikoye tamahe do, nani to mo obosa re zu. Aha-ahasiu kokoro-uki na wo nomi nagasi te, asamasiki mi no arisam wo, ima hazime tara m yau ni, hodo tikaku naru mama ni, oki-husi nageki tamahu.
 Saiguu ha, wakaki mi-kokoti ni, hudiyau nari turu ohom-ide-tati no, kaku sadamari yuku wo, uresi, to nomi obosi tari. Yo-hito ha, rei naki koto to, modoki mo ahare-gari mo, sama-zama ni kikoyu besi. Nani-goto mo, hito ni modoki atukaha re nu kiha ha yasuge nari. Naka-naka yo ni nuke-ide nuru hito no ohom-atari ha, tokoro-seki koto ohoku nam.

 十六日、桂川にて御祓へしたまふ。常の儀式にまさりて、長奉送使など、さらぬ上達部も、やむごとなく、おぼえあるを選らせたまへり。院の御心寄せもあればなるべし。出でたまふほどに、大将殿より例の尽きせぬことども聞こえたまへり。「かけまくもかしこき御前にて」と、木綿につけて、
「鳴る神464だにこそ、
八洲もる国つ御神も心あらば
飽かぬ別れの仲をことわれ
思うたまふるに、飽かぬ心地しはべるかな」
とあり。いとさわがしきほどなれど、御返りあり。宮の御をば、女別当して書かせたまへり。
「国つ神空にことわる仲ならば
なほざりごとをまづや糾さむ」
大将は、御ありさまゆかしうて、内裏にも参らまほしく思せど、うち捨てられて見送らむも、人悪ろき心地したまへば、思しとまりて、つれづれに眺めゐたまへり。
宮の御返りのおとなおとなしきを、ほほ笑みて見ゐたまへり。「御年のほどよりは、をかしうもおはすべきかな」と、ただならず。かうやうに例に違へるわづらはしさに、かならず465心かかる御癖にて、「いとよう見たてまつりつべかりしいはけなき御ほどを、見ずなりぬるこそねたけれ。世の中定めなければ、対面するやうもありなむかし」など思す。

 [1-4 斎宮、宮中へ向かう]
十六日、桂川でお祓いをなさる。慣例の儀式より立派で、長奉送使など、その他の上達部も身分高く、世間から評判の良い方をお選びさせた。院のお心遣いもあってのことであろう。お出になる時、大将殿から例によって名残尽きない思いのたけをお申し上げなさった。「恐れ多くも、御前に」と言って、木綿に結びつけて、
「雷神でさえも、
大八洲をお守りあそばす国つ神もお情けがあるならば
尽きぬ思いで別れなければならいわけをお聞かせ下さい
どう考えてみても、満足しない気が致しますよ」
とある。とても取り混んでいる時だが、お返事がある。斎宮のお返事は、女別当にお書かせになっていた。
「国つ神がお二人の仲を裁かれることになったならば
あなたの実意のないお言葉をまずは糺されることでしょう」
大将は、様子を見たくて、宮中にも参内したくお思いになるが、振り捨てられて見送るようなのも、人聞きの悪い感じがなさるので、お思い止まりになって、所在なげに物思いに耽っていらっしゃった。
斎宮のお返事がいかにも成人した詠みぶりなのを、ほほ笑んで御覧になった。「お年の割には、人情がお分かりのようでいらっしゃるな」と、お心が動く。このように普通とは違っためんどうな事には、きっと心動かすご性分なので、「いくらでも拝見しようとすればできたはずであった幼い時を、見ないで過ごしてしまったのは残念なことであった。世の中は無常であるから、お目にかかるようなこともきっとあろう」などと、お思いになる。

 [1-4 Saigu goes to the Court]
 Zihu-roku-niti, Katura-gaha ni te, ohom-harahe si tamahu. Tune no gisiki ni masari te, Tyaubusousi nado, sa'ra nu Kamdatime mo, yamgotonaku, oboye aru wo era se tamahe ri. Win no mi-kokoro-yose mo are ba naru besi. Ide tamahu hodo ni, Daisyau-dono yori rei no tuki se nu koto-domo kikoye tamahe ri. "Kakemaku mo kasikoki o-mahe ni te." to, yuhu ni tuke te,
 "Naru-kami dani koso,
 Yasima moru Kuni-tu-mi-Kami mo kokoro ara ba
 aka nu wakare no naka wo kotoware

 Omou tamahuru ni, aka nu kokoti si haberu kana!"
 to ari. Ito sawagasiki hodo nare do, ohom-kaheri ari. Miya no ohom wo ba, Nyo-betau si te kaka se tamahe ri.
 "Kuni-tu-Kami sora ni kotowaru naka nara ba
 nahozari-goto wo madu ya tadasa m
"
 Daisyau ha, ohom-arisama yukasiu te, Uti ni mo mawira mahosiku obose do, uti-sute rare te mi-okura m mo, hito-waroki kokoti si tamahe ba, obosi tomari te, ture-dure ni nagame wi tamahe ri.
 Miya no ohom-kaheri no otona-otonasiki wo, hoho-wemi te mi wi tamahe ri. "Ohom-tosi no hodo yori ha, wokasiu mo ohasu beki kana!" to, tada-nara zu. Kau yau ni rei ni tagahe ru wadurahasisa ni, kanarazu kokoro kakaru ohom-kuse ni te, "Ito you mi tatematuri tu bekari si ihakenaki ohom-hodo wo, mi zu nari nuru koso netakere! Yononaka sadame nakere ba, taimen suru yau mo ari na m kasi." nado obosu.

 心にくくよしある御けはひなれば、物見車多かる日なり。申の時に内裏に参りたまふ。
御息所、御輿に乗りたまへるにつけても、父大臣の限りなき筋に思し志して、いつきたてまつりたまひしありさま、変はりて、末の世に内裏を見たまふにも、もののみ尽きせず、あはれに思さる。十六にて故宮に参りたまひて、二十にて後れたてまつりたまふ。三十にてぞ、今日また九重を見たまひける。
「そのかみを今日はかけじと忍ぶれど
心のうちにものぞ悲しき」
斎宮は、十四にぞなりたまひける。いとうつくしうおはするさまを、うるはしうしたてたてまつりたまへるぞ、いとゆゆしきまで見えたまふを、帝、御心動きて、別れの櫛たてまつりたまふほど、いとあはれにて、しほたれさせたまひぬ。
出でたまふを待ちたてまつるとて、八省に立て続けたる出車どもの袖口、色あひも、目馴れぬさまに、心にくきけしきなれば、殿上人どもも、私の別れ惜しむ多かり。
暗う出でたまひて、二条より洞院の大路を折れたまふほど、二条の院の前なれば、大将の君、いとあはれに思されて、榊にさして、
「振り捨てて今日は行くとも鈴鹿川
八十瀬の波に袖は濡れじや」
と聞こえたまへれど、いと暗う、ものさわがしきほどなれば、またの日、関のあなたよりぞ、御返し466ある。
「鈴鹿川八十瀬の波に濡れ濡れず
伊勢まで誰か思ひおこせむ」
ことそぎて書きたまへるしも、御手いとよしよししくなまめきたるに、「あはれなるけをすこし添へたまへらましかば」と思す。
霧いたう降りて、ただならぬ朝ぼらけに、うち眺めて独りごちにおはす。
「行く方を眺めもやらむこの秋は
逢坂山を霧な隔てそ」
西の対にも渡りたまはで、人やりならず、もの寂しげに眺め暮らしたまふ。まして、旅の空は、いかに御心尽くしなること多かりけむ。

 [1-5 斎宮、伊勢へ向かう]
奥ゆかしく風雅なお人柄の方なので、見物の車が多い日である。申の時に宮中に参内なさる。
御息所、御輿にお乗りになるにつけても、父大臣が限りない地位にとお望みになって、大切にかしずきお育てになった境遇が、うって変わって、晩年に宮中を御覧になるにつけても、感慨無量で、悲しく思わずにはいらっしゃれない。十六で故宮に入内なさって、二十で先立たれ申される。三十で、今日再び宮中を御覧になるのであった。
「昔のことを今日は思い出すまいと堪えていたが
心の底では悲しく思われてならない」
斎宮は、十四におなりであった。とてもかわいらしういらっしゃるご様子を、立派に装束をお着せ申されたのが、とても恐いまでに美しくお見えになるのを、帝、お心が動いて、別れの御櫛を挿してお上げになる時、まことに心揺さぶられて、涙をお流しあそばした。
お出立になるのをお待ち申そうとして、八省院に立ち続けていた女房の車から、袖口、色合いも、目新しい意匠で、奥ゆかしい感じなので、殿上人たちも私的な別れを惜しんでいる者が多かった。
暗くなってからご出発になって、二条大路から洞院の大路ヘお曲がりになる時、二条の院の前なので、大将の君、まことにしみじみと感じられて、榊の枝に挿して、
「わたしを捨てて今日は旅立って行かれるが鈴鹿川を
渡る時に袖を濡らして後悔なさいませんでしょうか」
とお申し上げになったが、たいそう暗く、何かとあわただしい時なので、翌日、逢坂の関の向こうからお返事がある。
「鈴鹿川の八十瀬の波に袖が濡れるか濡れないか
伊勢に行った先まで誰が思いおこしてくださるでしょうか」
言葉少なにお書きになっているが、ご筆跡はいかにも風情があって優美であるが、「優しさがもう少しおありだったらば」とお思いになる。
霧がひどく降りこめて、いつもと違って感じられる朝方に、物思いに耽りながら独り言をいっていらっしゃる。
「あの行った方角を眺めていよう、今年の秋は
逢うという逢坂山を霧よ隠さないでおくれ」
西の対にもお渡りにならず、誰のせいというのでもなく、何とはなく寂しげに物思いに耽ってお過ごしになる。ましてや、旅路の一行は、どんなにか物思いにお心を尽くしになること、多かったことだろうか。

 [1-5 Saigu starts off the Court for Ise]
 Kokoro-nikuku yosi aru ohom-kehahi nare ba, monomi-guruma ohokaru hi nari. Saru no toki ni Uti ni mawiri tamahu.
 Miyasumdokoro, mi-kosi ni nori tamahe ru ni tuke te mo, Titi-Otodo no kagiri-naki sudi ni obosi kokorozasi te, ituki tatematuri tamahi si arisama, kahari te, suwe-no-yo ni Uti wo mi tamahu ni mo, mono nomi tuki se zu, ahare ni obosa ru. Zihu-roku ni te ko-Miya ni mawiri tamahi te, ni-zihu ni te okure tatematuri tamahu. Sam-zihu ni te zo, kehu mata Kokonohe wo mi tamahi keru.
 "Sono-kami wo kehu ha kake zi to sinobure do
 kokoro no uti ni mono zo kanasiki
"
 Saiguu ha, zihu-si ni zo nari tamahi keru. Ito utukusiu ohasuru sama wo, uruhasiu sitate tatematuri tamahe ru zo, ito yuyusiki made miye tamahu wo, Mikado, mi-kokoro ugoki te, wakare no kusi tatematuri tamahu hodo, ito ahare ni te, siho-tare sase tamahi nu.
 Ide tamahu wo mati tatematuru tote, Hatsyau ni tate-tuduke taru idasi-guruma-domo no sode-guti, iro-ahi mo, me-nare nu sama ni, kokoro-nikuki kesiki nare ba, Tenzyau-bito-domo mo, watakusi no wakare wosimu ohokari.
 Kurau ide tamahi te, Ni-deu yori Touwin-no-ohodi wo wore tamahu hodo, Nideu-no-Win no mahe nare ba, Daisyau-no-Kimi, ito ahare ni obosa re te, sakaki ni sasi te,
 "Huri-sute te kehu ha yuku to mo Suzuka-gaha
 yaso-se no nami ni sode ha nure zi ya
"
 to kikoye tamahe re do, ito kurau, mono-sawagasiki hodo nare ba, mata no hi, seki no anata yori zo, ohom-kahesi aru.
 "Suzuka-gaha yaso-se no nami ni nure nure zu
 Ise made tare ka omohi okose m
"
 Kotosogi te kaki tamahe ru si mo, mi-te ito yosi-yosisiku namameki taru ni, "Ahare naru ke wo sukosi sohe tamahe ra masika ba." to obosu.
 Kiri itau huri te, tada nara nu asa-borake ni, uti-nagame te hitori-goti ohasu.
 "Yuku-kata wo nagame mo yara m kono aki ha
 Ahusaka-yama wo kiri na hedate so

 Nisi-no-Tai ni mo watari tamaha de, hito-yari nara zu, mono-sabisi-ge ni nagame kurasi tamahu. Masite, tabi no sora ha, ika ni mi-kokoro-dukusi naru koto ohokari kem.

 院の御悩み、神無月になりては、いと重くおはします。世の中に惜しみきこえぬ人なし。内裏にも、思し嘆きて行幸あり。弱き御心地にも、春宮の467御事を、返す返す聞こえさせたまひて、次には大将の御こと、
「はべりつる世に変はらず、大小のことを隔てず、何ごとも御後見と思せ。齢のほどよりは、世をまつりごたむにも、をさをさ憚りあるまじうなむ、見たまふる。かならず世の中たもつべき相ある人なり。さるによりて、わづらはしさに、親王にもなさず、ただ人にて、朝廷の御後見をせさせむと、思ひたまへしなり。その心違へさせたまふな」
と、あはれなる御遺言ども多かりけれど、女のまねぶべきことにしあらねば、この片端だにかたはらいたし。
帝も、いと悲しと思して、さらに違へきこえさすまじきよしを、返す返す聞こえさせたまふ。御容貌も、いときよらにねびまさらせたまへるを、うれしく頼もしく見たてまつらせたまふ。限りあれば、急ぎ帰らせたまふにも、なかなかなること多くなむ。
春宮も、一度にと468思し召しけれど、ものさわがしきにより、日を変へて、渡らせたまへり。御年のほどよりは、大人びうつくしき御さまにて、恋しと思ひきこえさせたまひけるつもりに、何心469もなくうれしと思し、見たてまつりたまふ御けしき、いとあはれなり。
中宮は、涙に沈みたまへるを、見たてまつらせたまふも、さまざま御心乱れて思し召さる。よろづのことを聞こえ知らせたまへど、いとものはかなき御ほどなれば、うしろめたく悲しと見たてまつらせたまふ。
大将にも、朝廷に仕うまつりたまふべき御心づかひ、この宮の御後見したまふべきことを、返す返すのたまはす。
夜更けてぞ帰らせたまふ。残る人なく仕うまつりてののしるさま、行幸に劣るけぢめなし。飽かぬほどにて帰らせたまふを、いみじう思し召す。

 2 光る源氏の物語 父桐壷帝の崩御 [2-1 10月、桐壷院、重体となる]
院の御病気、神無月になってからは、ひどく重くおなりあそばす。世を挙げてお惜しみ申し上げない人はいない。帝におかれても、御心配あそばして行幸がある。御衰弱の御容態ながら、春宮の御事を、繰り返しお頼み申し上げあそばして、次には大将の御事を、
「在世中と変わらず、大小の事に関わらず、何事も御後見役とお思いあそばせ。年の割には政治を執っても、少しも遠慮するところはない人と、拝見している。必ず天下を治める相のある人である。それによって、煩わしく思って、親王にもなさず、臣下に下して、朝廷の補佐役とさせようと、思ったのである。その心づもりにお背きあそばすな」
と、しみじみとした御遺言が多かったが、女の書くべきことではないので、その一部分を語るだけでも気の引ける思いだ。
帝も、大層悲しいとお思いになって、決してお背き申し上げまい旨を、繰り返し申し上げあそばす。御容貌もとても美しく御成長あそばされているのを、嬉しく頼もしくお見上げあそばす。きまりがあるので、急いでお帰りあそばすにつけても、かえって悲しいことが多い。
春宮も御一緒にとお思いあそばしたが、大層な騷ぎになるので、日を改めて、行啓なさった。お年の割には、大人びてかわいらしい御様子で、恋しいとお思い申し上げあそばしていたあげくなので、ただもう無心に嬉しくお思いになって、お目にかかりになる御様子、まことにいじらしい。
中宮は、涙に沈んでいらっしゃるのを、お見上げ申しあそばされるにつけても、あれこれとお心の乱れる思いでいらっしゃる。いろいろの事をお教え申し上げなさるが、とても御幼少でいらっしゃるので、不安で悲しく御拝見あそばす。
大将にも、朝廷にお仕えなさるためのお心構えや、春宮の御後見なさるべき事を、繰り返し仰せになる。
夜が更けてからお帰りあそばす。残る人なく陪従して大騷ぎする様子、行幸に劣るところがない。満足し切れないところでお帰りおそばすのを、たいそう残念にお思いあそばす。

 2 Tale of Hikaru-Genji Mikado Kiritubo, Genji's father, died [2-1 Kiritubo falls into a critical condition in August]
 Win no ohom-nayami, kamna-duki ni nari te ha, ito omoku ohasimasu. Yononka ni wosimi kikoye nu hito nasi. Uti ni mo, obosi nageki te gyaugau ari. Yowaki mi-kokoti ni mo, Touguu no ohom-koto wo, kahesu-gahesu kikoye sase tamahi te, tugi ni ha Daisyau no ohom-koto,
 "Haberi turu yo ni kahara zu, dai-seu no koto wo hedate zu, nani-goto mo ohom-usiromi to obose! Yohahi no hodo yori ha, yo wo maturi-gota m ni mo, wosa-wosa habakari aru maziu nam, mi tamahuru. Kanarazu, yononaka tamotu beki sau aru hito nari. Sa'ru ni yori te, wadurahasisa ni, Miko ni mo nasa zu, tada-udo ni te, ohoyake no ohom-usiromi wo se sase m to, omohi tamahe si nari. Sono kokoro tagahe sase tamahu na!"
 to, ahare naru go-yuigon-domo ohokari kere do, womna no manebu beki koto ni si ara ne ba, kono kata-hasi dani katahara-itasi.
 Mikado mo, ito kanasi to obosi te, sara ni tagahe kikoye sasu maziki yosi wo, kahesu-gahesu kikoye sase tamahu. Ohom-katati mo, ito kiyora ni nebi masara se tamahe ru wo, uresiku tanomosiku mi tatematura se tamahu. Kagiri are ba, isogi kahera se tamahu ni mo, naka-naka naru koto ohoku nam.
 Touguu mo, hito-tabi ni to obosi-mesi kere do, mono-sawagasiki ni yori, hi wo kahe te, watara se tamahe ri. Ohom-tosi no hodo yori ha, otona-bi utukusiki ohom-sama ni te, kohi si to omohi kikoye sase tamahi keru tumori ni, nani-gokoro mo naku uresi to obosi, mi tatematuri tamahu mi-kesiki, ito ahare nari.
 Tiuguu ha, namida ni sidumi tamahe ru wo, mi tatematura se tamahu mo, sama-zama mi-kokoro midare te obosi-mesa ru. Yorodu no koto wo kikoye sira se tamahe do, ito mono-hakanaki ohom-hodo nare ba, usirometaku kanasi to mi tatematura se tamahu.
 Daisyau ni mo, Ohoyake ni tukau-maturi tamahu beki mi-kokoro-dukahi, kono Miya no ohom-usiromi si tamahu beki koto wo, kahesu-gahesu notamaha su.
 Yo huke te zo kahera se tamahu. Nokoru hito naku tukau-maturi te nonosiru sama, gyaugau ni otoru kedime nasi. Aka nu hodo ni te kahera se tamahu wo, imiziu obosi-mesu.

 大后も、参りたまはむとするを、中宮のかく添ひおはするに、御心置かれて、思しやすらふほどに、おどろおどろしきさまにもおはしまさで、隠れさせたまひぬ。足を空に、思ひ惑ふ人多かり。
御位を去らせたまふといふばかりにこそあれ、世のまつりごとをしづめさせたまへることも、我が御世の同じことにておはしまいつるを、帝はいと若うおはします、祖父大臣、いと急にさがなくおはして、その御ままになりなむ世を、いかならむと、上達部、殿上人、皆思ひ嘆く。
中宮、大将殿などは、ましてすぐれて、ものも思しわかれず、後々の御わざなど、孝じ仕うまつりたまふさまも、そこらの親王たちの御中にすぐれたまへるを、ことわりながら、いとあはれに、世人も見たてまつる。藤の御衣にやつれたまへる470につけても、限りなくきよらに心苦しげなり。去年、今年とうち続き、かかることを見たまふに、世もいとあぢきなう思さるれど、かかるついでにも、まづ思し立たるる471ことはあれど、また、さまざまの御ほだし多かり。
御四十九日までは、女御、御息所たち、みな、院に集ひたまへりつるを、過ぎぬれば、散り散りにまかでたまふ。師走の二十日なれば、おほかたの世の中とぢむる空のけしきにつけても、まして晴るる世なき、中宮の御心のうちなり。大后の御心も知りたまへれば、心にまかせたまへらむ世の、はしたなく住み憂からむを思すよりも、馴れきこえたまへる年ごろの御ありさまを、思ひ出できこえたまはぬ時の間なきに、かくてもおはしますまじう、みな他々へと出でたまふほどに、悲しきこと限りなし。
宮は、三条の宮に渡りたまふ。御迎へに兵部卿宮参りたまへり。雪うち散り、風はげしうて、院の内、やうやう人目かれゆきて、しめやかなるに、大将殿、こなたに参りたまひて、古き御物語聞こえたまふ。御前の五葉の雪にしをれて、下葉枯れたるを見たまひて、親王、
「蔭ひろみ頼みし松や枯れにけむ
下葉散りゆく年の暮かな」
何ばかりのことにもあらぬに、折から、ものあはれにて、大将の御袖、いたう濡れぬ。池の隙なう氷れるに、
「さえわたる池の鏡のさやけきに
見なれし影を見ぬぞ悲しき」
と、思すままに、あまり若々しうぞあるや。王命婦、
「年暮れて岩井の水もこほりとぢ
見し人影のあせもゆくかな」
そのついでに、いと多かれど、さのみ書き続くべきことかは。
渡らせたまふ儀式、変はらねど、思ひなしにあはれにて、旧き宮は、かへりて旅心地したまふにも、御里住み絶えたる年月のほど、思しめぐらさるべし。

 [2-2 11月1日、桐壷院、崩御]
大后も、お見舞いに参ろうと思っているが、中宮がこのように付き添っていらっしゃるために、おこだわりになって、おためらいになっていらっしゃるうちに、たいしてお苦しみにもならないで、お隠れあそばした。浮き足立ったように、お嘆き申し上げる人々が多かった。
お位をお退きあそばしたというだけで、世の政治をとりしきっていられたのは、御在位中と同様でいらっしゃったが、帝はまだお若ういらっしゃるし、祖父右大臣、まことに性急で意地の悪い方でいらっしゃって、その意のままになってゆく世を、どうなるのだろうと、上達部、殿上人は、皆不安に思って嘆く。
中宮、大将殿などは、まして人一倍、何もお考えられなく、後々の御法事などをご供養申し上げなさる様子も、大勢の親王たちの御中でも格別優れていらっしゃるのを、当然のことながら、まことにおいたわしく、世の人々も拝し上げる。喪服を着て悲しみに沈んでいらっしゃるのにつけても、この上なく美しくおいたわしげである。去年、今年と引き続いて、このような不幸にお遭いになると、世の中が本当につまらなくお思いになるが、このような機会にも、出家しようかと思わずにはいらっしゃれない事もあるが、また一方では、いろいろとお妨げとなるものが多いのであった。
御四十九日までは、女御、御息所たち、皆、院に集まっていらっしゃったが、過ぎたので、散り散りにご退出なさる。十二月の二十日なので、世の中一般も年の暮という空模様につけても、まして心晴れることのない、中宮のお心の中である。大后のお心も御存知でいらっしゃるので、思いのままになさるであろう世が、体裁の悪く住みにくいことになろうことをお考えになるよりも、お親しみ申し上げなさった長い年月の御面影を、お偲び申し上げない時の間もない上に、このままここにおいでになるわけにもゆかず、皆方々へとご退出なさるに当たっては、悲しいことこの上ない。
宮は、三条の宮にお渡りになる。お迎えに兵部卿宮が参上なさった。雪がひとしきり降り、風が激しく吹いて、院の中、だんだんと人数少なになっていって、しんみりとしていた時に、大将殿、こちらに参上なさって、昔の思い出話をお申し上げなさる。お庭先の五葉の松が、雪に萎れて、下葉が枯れているのを御覧になって、親王、
「木蔭が広いので頼りにしていた松の木は枯れてしまったのだろうか
下葉が散り行く今年の暮ですね」
何という歌でもないが、折柄、何となく寂しい気持ちに駆られて、大将のお袖、ひどく濡れた。池が隙間なく凍っていたので、
「氷の張りつめた池が鏡のようになっているが
長年見慣れた影を見られないのが悲しい」
と、お気持ちのままに詠まれたのは、あまりに子供っぽい詠み方ではないか。王命婦、
「年が暮れて岩井の水も凍りついて
見慣れていた人影も見えなくなってゆきますこと」
その折に、とても多くあったが、そうばかり書き連ねてよいことか。
お移りあばす儀式は、従来と変わらないが、思いなしかしみじみとして、ふる里の宮は、かえって旅の宿のような心地がなさるにつけても、里下りなさらなかった歳月の長さ、あれこれと回想されて来るのだろう。

 [2-2 Kiritubo died in November 1]
 Oho-Gisaki mo, mawiri tamaha m to suru wo, Tiuguu no kaku sohi ohasuru ni, mi-kokoro oka re te, obosi yasurahu hodo ni, odoro-odorosiki sama ni mo ohasimasa de, kakure sase tamahi nu. Asi wo sora ni, omohi madohu hito ohokari.
 Mi-kurawi wo sara se tamahu to ihu bakari ni koso are, yo no maturi-goto wo sidume sase tamahe ru koto mo, waga yo no onazi koto ni te ohasimai turu wo, Mikado ha ito wakau ohasimasu, ohodi-Otodo, ito kiu ni saga-naku ohasi te, sono ohom-mama ni nari na m yo wo, ika nara m to, Kamdatime, Tenzyau-bito, mina omohi nageku.
 Tiuguu, Daisyau-dono nado ha, msite sugurete, mono mo obosi-waka re zu, noti-noti no ohom-waza nado, keu-zi tukau-maturi tamahu sama mo, sokora no Miko-tati no ohom-naka ni sugure tamahe ru wo, kotowari nagara, ito ahare ni, yo-hito mo mi tatematuru. Hudi no ohom-zo ni yature tamahe ru ni tuke te mo, kagiri-naku kiyora ni kokoro-gurusi-ge nari. Kozo, kotosi to uti-tuduki, kakaru koto wo mi tamahu ni, yo mo ito adikinau obosa rure do, kakaru tuide ni mo, madu obosi-tata ruru koto ha are do, mata, sama-zama no ohom-hodasi ohokari.
 Ohom-nana-nanu-ka made ha, Nyougo, Miyasumdokoro-tati, mina, Win ni tudohi tamahe ri turu wo, sugi nure ba, tiri-diri ni makade tamahu. Sihasu no hatu-ka nare ba, ohokata no yononaka todimuru sora no kesiki ni tuke te mo, masite haruru yo naki, Tiuguuno mi-kokoro no uti nari. Oho-Gisaki no mi-kokoro mo siri tamahe re ba, kokoro ni makase tamahe ram yo no, hasitanaku sumi ukara m wo obosu yori mo, nare kikoye tamahe ru tosi-goro no ohom-arisama wo, omohi-ide kikoye tamaha nu toki no ma naki ni, kakute mo ohasimasu maziu, mina hoka-hoka he to ide tamahu hodo ni, kanasiki koto kagiri nasi.
 Miya ha, Samdeu-no-Miya ni watari tamahu. Ohom-mukahe ni Hyaubukyau-no-Miya mawiri tamahe ri. Yuki uti-tiri, kaze hagesiu te, Win no uti, yau-yau hito-me kare yuki te, simeyaka naru ni, Daisyau-dono, konata ni mawiri tamahi te, huruki ohom-monogatatri kikoye tamahu. O-mahe no go-ehu no yuki ni siwore te, sita-ba kare taru wo mi tamahi te, Miko,
 "Kage hiromi tanomi si matu ya kare ni kem
 sita-ba tiri yuku tosi no kure kana
"
 Nani-bakari no koto ni mo ara nu ni, wori-kara, mono-ahare ni te, Daisyau no ohom-sode, itau nure nu. Ike no hima nau kohore ru ni,
 "Saye-wataru ike no kagami no sayakesa ni
 mi nare si kage wo mi nu zo kanasiki
"
 to, obosu mama ni, amari waka-wakasiu zo aru ya! Wau-Myaubu,
 "Tosi kure te ihawi no midu mo kohori todi
 mi si hito-kage no ase mo yuku kana
"
 Sono tuide ni, ito ohokare do, sa nomi kaki-tuduku beki koto ka ha!
 Watara se tamahu gisiki, kahara ne do, omohi-nasi ni ahare ni te, huruki Miya ha, kaheri te tabi-gokoti si tamahu ni mo, ohom-sato-zumi taye taru tosi-tuki no hodo, obosi-megurasa ru besi.

 年かへりぬれど、世の中今めかしきことなく静かなり。まして大将殿は、もの憂くて籠もりゐたまへり。除目のころなど、院の御時をばさらにもいはず、年ごろ劣るけぢめなくて、御門のわたり、所なく立ち込みたりし馬、車うすらぎて、宿直物の袋をさをさ見えず、親しき家司どもばかり、ことに急ぐことなげにてあるを見たまふにも、「今よりは、かくこそは」と思ひやられて、ものすさまじくなむ。
御匣殿は、二月に、尚侍になりたまひぬ。院の御思ひにやがて尼になりたまへる、替はりなりけり。やむごとなくもてなし、人がらもいとよくおはすれば、あまた参り集りたまふなかにも、すぐれて時めきたまふ。后は、里がちにおはしまいて、参りたまふ時の御局には梅壷をしたれば、弘徽殿には尚侍の君住みたまふ。登花殿の埋れたりつるに、晴れ晴れしうなりて、女房なども数知らず集ひ参りて、今めかしう花やぎたまへど、御心のうちは、思ひのほかなりしことどもを忘れがたく嘆きたまふ。いと忍びて通はしたまふことは、なほ同じさまなるべし。「ものの聞こえもあらばいかならむ」と思しながら、例の御癖なれば、今しも御心ざしまさるべかめり。
院のおはしましつる世こそ憚りたまひつれ、后の御心いちはやくて、かたがた思しつめたることどもの報いせむ、と思すべかめり。ことにふれて、はしたなきことのみ出で来れば、かかるべきこととは472思ししかど、見知りたまはぬ世の憂さに、立ちまふべくも思されず。
左の大殿も、すさまじき心地したまひて、ことに内裏にも参りたまはず。故姫君を、引きよきて、この大将の君に聞こえつけたまひし御心を、后は思しおきて、よろしうも思ひきこえたまはず。大臣の御仲も、もとよりそばそばしうおはするに、故院の御世にはわがままにおはせしを、時移りて、したり顔におはするを、あぢきなしと思したる、ことわりなり。
大将は、ありしに変はらず渡り通ひたまひて、さぶらひし人々をも、なかなかにこまかに思しおきて、若君をかしづき思ひきこえたまへること、限りなければ、あはれにありがたき御心と、いとどいたつききこえたまふことども、同じさまなり。限りなき御おぼえの、あまりもの騒がしきまで、暇なげに見えたまひしを、通ひたまひし所々も、かたがたに絶えたまふことどもあり、軽々しき御忍びありきも、あいなう思しなりて、ことにしたまはねば、いとのどやかに、今しもあらまほしき御ありさまなり。
西の対の姫君の御幸ひを、世人もめできこゆ。少納言なども、人知れず、「故尼上の御祈りのしるし」と見たてまつる。父親王も思ふさまに聞こえ交はしたまふ。嫡腹の、限りなくと思すは、はかばかしうもえあらぬに、ねたげなること多くて、継母の北の方は、やすからず思すべし。物語にことさらに作り出でたるやうなる御ありさまなり。
斎院は、御服にて下りゐたまひにしかば、朝顔の姫君は、替はりにゐたまひにき。賀茂のいつきには、孫王のゐたまふ例、多くもあらざりけれど、さるべき女御子やおはせざりけむ。大将の君、年月経れど、なほ御心離れたまはざりつるを、かう筋ことになりたまひぬれば、口惜しくと思す。中将におとづれたまふことも、同じことにて、御文などは絶えざるべし。昔に変はる御ありさまなどをば、ことに何とも思したらず、かやうのはかなしごとどもを、紛るることなきままに、こなたかなたと思し悩めり。

 [2-3 諒闇の新年となる]
年も改まったが、世の中ははなやかなことはなく静かである。まして大将殿は、何となく悲しくて退き籠もっていらっしゃる。除目のころなどは、院の御在位中は言うまでもなく、ここ数年来、悪く変わることなくて、御門の周辺、隙間なく立て込んでいた馬、車が少なくなって、夜具袋などもほとんど見えず、親密な家司どもばかりが、特別に準備することもなさそうでいるのを御覧になるにつけても、「今後は、こうなるのだろう」と思いやられて、何となく味気なく思われる。
御匣殿は、二月に、尚侍におなりになった。院の御喪に服してそのまま尼におなりになった方の、替わりであった。高貴な家の出として振る舞って、人柄もとてもよくいらっしゃるので、大勢入内なさっている中でも、格別に御寵愛をお受けになる。后は、里邸にいらっしゃりがちで、参内なさる時のお局には、梅壷を当てていたので、弘徽殿には尚侍がお住みになる。登花殿が陰気であったのに対して、晴ればれしくなって、女房なども数えきれないほど参集して、当世風にはなやかにおなりになったが、お心の中では、思いがけなかった事を忘れられず嘆いていらっしゃる。ごく内密に文を通わしなさることは、以前と同様なのであろう。「噂が立ったらどうなることだろう」とお思いになりながら、例のご性癖なので、今になってかえってご愛情が募るようである。
院の御在世中こそは、遠慮もなさっていたが、后の御気性は激しくて、あれこれと悔しい思いをしてきたことの仕返しをしよう、とお思いのようである。何かにつけて、体裁の悪いことばかり生じてくるので、きっとこうなることとはお思いになっていたが、ご経験のない世間の辛さなので、立ち交じっていこうともお考えになれない。
左の大殿も、面白くない気がなさって、特に内裏にも参内なさらない。故姫君を、避けて、この大将の君に妻合わせなさったお気持ちを、后は根にお持ちになって、あまり良くはお思い申し上げていない。大臣の御仲も、もとから疎遠でいらっしゃったうえに、故院の在世中は思い通りでいられたが、御世が替わって、得意顔でいらっしゃるのが、面白くないとお思いになるのも、もっともなことである。
大将は、在世中と変わらずお通いになって、お仕えしていた女房たちをも、かえって以前以上にこまごまとお気を配りになって、若君を大切におかわいがり申されること、この上ないので、しみじみとありがたいお心だと、ますます大切にお世話申し上げなさる事ども、同様である。この上ないご寵愛で、あまりにもうるさいまでに、お暇もなさそうにお見えになったが、お通いになっていた方々も、あちこちと途絶えなさることもあり、軽率なお忍び歩きも、つまらないようにお思いなさって、特になさらないので、とてものんびりと、今の方がかえって理想的なお暮らしぶりである。
西の対の姫君のお幸せを、世間の人もお喜び申し上げる。少納言なども、人知れず、「故尼上の御祈祷の効験」と拝している。父親王とも隔意なくお文をお通わし申し上げなさる。正妻腹の、この上なくと願っている方は、これといったこともないので、妬ましいことが多くて、継母の北の方は、きっと面白くなくお思いであろう。物語にわざと作り出したようなご様子である。
斎院は、御服喪のためにお下がりになったので、朝顔の姫君は、代わってお立ちになった。賀茂の斎院には、孫王のお就きになる例、多くもなかったが、適当な内親王がいらっしゃらなかったのであろう。大将の君は、幾歳月を経ても、依然としてお忘れになれなかったのを、このように方面がちがっておしまいになったので、残念にとお思いになる。中将にお便りをおやりになることも、以前と同じで、お手紙などは途絶えていないのだろう。以前と変わったご様子などを、特に何ともお考えにならず、このようなちょっとした事柄を、気の紛れることのないのにまかせて、あちらこちらと思い悩んでいらっしゃる。

 [2-3 The time passed into next New Year]
 Tosi kaheri nure do, yononaka imamekasiki koto naku siduka nari. Masite Daisyau-dono ha, mono-uku te komori wi tamahe ri. Dimoku no koro nado, Win no ohom-toki wo ba sara ni mo iha zu, tosi-goro otoru kedime naku te, mi-kado no watari, tokoro naku tati-komi tari si mma, kuruma usuragi te, tonowi-mono no hukuro wosa-wosa miye zu, sitasiki keisi-domo bakari, koto ni isogu koto nage ni te aru wo mi tamahu ni mo, "Ima yori ha, kaku koso ha." to omohi-yara re te, mono-susamaziku nam.
 Mikusige-dono ha, kisaragi ni, Naisi-no-Kami ni nari tamahi nu. Win no ohom-omohi ni yagate ama ni nari tamahe ru, kahari nari keri. Yamgotonaku motenasi, hito-gara mo ito yoku ohasure ba, amata mawiri atumari tamahu naka ni mo, sugure te toki-meki tamahu. Kisaki ha, sato-gati ni ohasimai te, mawiri tamahu toki no mi-tubone ni ha Mme-tubo wo si tare ba, Kouki-den ni ha Kam-no-Kimi sumi tamahu. Toukwa-den no mmore tari turu ni, hare-baresiu nari te, nyoubau nado mo kazu sira zu tudohi mawiri te, imamekasiu hana-yagi tamahe do, mi-kokoro no uti ha, omohi no hoka nari si koto-domo wo wasure gataku nageki tamahu. Ito sinobi te kayohasi tamahu koto ha, naho onazi sama naru besi. "Mono no kikoye mo ara ba ika nara m." to obosi nagara, rei no ohom-kuse nare ba, ima si mo mi-kokorozasi masaru beka'meri.
 Win no ohasimasi turu yo koso habakari tamahi ture, Kisaki no mi-kokoro iti-hayaku te, kata-gata obosi-tume taru koto-domo no mukuhi se m to, obosu beka meri. Koto ni hure te, hasitanaki koto nomi ide-kure ba, kakaru beki koto to ha obosi sika do, mi-siri tamaha nu yo no usa ni, tati-mahu beku mo obosa re zu.
 Hidari no Ohoi-dono mo, susamaziki kokoti si tamahi te, koto ni Uti ni mo mawiri tamaha zu. Ko-Hime-Gimi wo, hiki-yoki te kono Daisyau-no-Kimi ni kikoe-tuke tamahi si mi-kokoro wo, Kisaki ha obosi-oki te, yorosiu mo omohi kikoye tamaha zu. Otodo no ohom-naka mo, motoyori soba-sobasiu ohasuru ni, ko-Win no mi-yo ni ha waga-mama ni ohase si wo, toki uturi te, sitari-gaho ni ohasuru wo, adikinasi to obosi taru, kotowari nari.
 Daisyau ha, ari si ni kahara zu watari kayohi tamahi te, saburahi si hito-bito wo mo, naka-naka ni komaka ni obosi-oki te, Waka-Gimi wo kasiduki omohi kikoye tamahe ru koto, kagiri nakere ba, ahare ni arigataki mi-kokoro to, itodo itatuki kikoye tamahu koto-domo, onazi sama nari. Kagiri naki ohom-oboye no, amari mono-sawagasiki made, itoma nage ni miye tamahi si wo, kayohi tamahi si tokoro-dokoro mo, kata-gata ni taye tamahu koto-domo ari, karu-garusiki ohom-sinobi-ariki mo, ainau obosi-nari te, koto ni si tamaha ne ba, ito nodoyaka ni, ima si mo aramahosiki ohom-arisama nari.
 Nisi-no-Tai no Hime-Gimi no ohom-saihahi wo, yo-hito mo mede kikoyu. Seunagon nado mo, hito-sire zu, "Ko-Ama-uhe no ohom-inori no sirusi." to mi tatematuru. Titi-Miko mo omohu-sama ni kikoye kahasi tamahu. Mukahi-bara no, kagiri-naku to obosu ha, haka-bakasiu mo e ara nu ni, neta-ge naru koto ohoku te, mama-haha no Kitanokata ha, yasukara zu obosu besi. Monogatari ni kotosara ni tukuri-ide taru yau naru ohom-arisama nari.
 Sai-Win ha, ohom-buku ni te ori-wi tamahi ni sika ba, Asagaho-no-Himegimi ha, kahari ni wi tamahi ni ki. Kamo-no-ituki ni ha, Son-wau no wi tamahu rei, ohoku mo ara zari kere do, sa'ru beki womna-miko ya ohase zari kem. Daisyau-no-Kimi, tosi-tuki hure do, naho mi-kokoro hanare tamaha zari turu wo, kau sudi koto ni nari tamahi nure ba, kutiwosiku to obosu. Tiuzyau ni otodure tamahu koto mo, onazi koto ni te, ohom-humi nado ha taye zaru besi. Mukasi ni kaharu ohom-arisama nado wo ba, koto ni nani to mo obosi tara zu, kayau no hakanasi-goto-domo wo, magiruru koto naki mama ni, konata kanata to obosi nayame ri.

 帝は、院の御遺言違へず、あはれに思したれど、若うおはしますうちにも、御心なよびたるかたに過ぎて、強きところおはしまさぬなるべし、母后、祖父大臣とりどりしたまふことは、え背かせたまはず、世のまつりごと、御心にかなはぬやうなり。
わづらはしさのみまされど、尚侍の君は、人知れぬ御心し通へば、わりなくてと、おぼつかなくはあらず。五檀の御修法の初めにて、慎しみおはします隙をうかがひて、例の、夢のやうに聞こえたまふ。かの、昔おぼえたる細殿の局に、中納言の君、紛らはして入れたてまつる。人目もしげきころなれば、常よりも端近なる、そら恐ろしうおぼゆ。
朝夕に見たてまつる人だに、飽かぬ御さまなれば、まして、めづらしきほどにのみある御対面の、いかでかはおろかならむ。女の御さまも、げにぞめでたき御盛りなる。重りかなるかたは、いかがあらむ、をかしうなまめき若びたる心地して、見まほしき御けはひなり。
ほどなく明け行くにや、とおぼゆるに、ただここにしも、
「宿直申し、さぶらふ」
と、声づくるなり。「また、このわたりに隠ろへたる近衛司ぞあるべき。腹ぎたなきかたへの教へおこするぞかし」と、大将は聞きたまふ。をかしきものから、わづらはし。
ここかしこ尋ねありきて、
「寅一つ」
と申すなり。女君、
「心からかたがた袖を濡らすかな
明くと教ふる声につけても」
とのたまふさま、はかなだちて、いとをかし。
「嘆きつつわが世はかくて過ぐせとや
胸のあくべき時ぞともなく」
静心なくて、出でたまひぬ。
 夜深き473暁月夜の、えもいはず霧りわたれるに、いといたうやつれて、振る舞ひなしたまへるしも、似るものなき御ありさまにて、承香殿の御兄の藤少将、藤壷より出でて、月の少し隈ある立蔀のもとに立てりけるを、知らで過ぎたまひけむこそいとほしけれ。もどききこゆるやうもありなむかし。
かやうのことにつけても、もて離れつれなき人の御心を、かつはめでたしと思ひきこえたまふものから、わが心の引くかたにては、なほつらう心憂し、とおぼえたまふ折多かり。

 [2-4 源氏朧月夜と逢瀬を重ねる]
帝は、院の御遺言に背かず、親しくお思いであったが、お若くいらっしゃるうえにも、お心が優し過ぎて、毅然としたところがおありでないのであろう、母后、祖父大臣、それぞれになさる事に対しては、反対することがおできあそばされず、天下の政治も、お心通りに行かないようである。
厄介な事ばかりが多くなるが、尚侍の君は、密かにお心を通わしているので、無理をなさりつつも、長い途絶えがあるわけではない。五壇の御修法の初日で、お慎しみあそばす隙間を狙って、いつものように、夢のようにお逢い申し上げる。あの、昔を思い出させる細殿の局に、中納言の君が、人目を紛らしてお入れ申し上げる。人目の多いころなので、いつもより端近なのが、何となく恐ろしく思わずにはいられない。
朝夕に拝見している人でさえ、見飽きないご様子なので、まして、まれまれにある逢瀬であっては、どうして並々のことであろうか。女のご様子も、なるほど素晴しいお盛りである。重々しいという点では、どうであろうか、魅力的で優美で若々しい感じがして、好ましいご様子である。
間もなく夜も明けて行こうか、と思われるころに、ちょうどすぐ側で、
「宿直申しの者、ここにおります」
と、声を上げて申告するようである。「自分以外にも、この近辺で密会している近衛府の官人がいるのだろう。こ憎らしい傍輩が教えてよこしたのだろう」と、大将はお聞きになる。面白いと思う一方、厄介である。
あちこちと探し歩いて、
「寅一刻」
と申しているようだ。女君、
「自分からあれこれと涙で袖を濡らすことですわ
夜が明けると教えてくれる声につけましても」
とおっしゃる様子、いじらしくて、まことに魅力的である。
「嘆きながら一生をこのように過ごせというのでしょうか
胸の思いの晴れる間もないのに」
慌ただしい思いで、お出になった。
夜の深い暁の月夜に、何ともいいようのない霧が立ちこめていて、とてもたいそうお忍び姿で、振る舞っていらっしゃるのが、他に似るものがないほどのご様子で、承香殿の兄君の藤少将が、藤壷から出て来て、月の光が少し蔭になっている立蔀の側に立っていたのを知らないで、お通り過ぎになったことはお気の毒であったなあ。きっとご非難申し上げるようなこともあるだろうよ。
このような事につけても、よそよそしくて冷たい方のお心を、一方では立派であるとお思い申し上げてはいるものの、自分勝手な気持ちからすれば、やはり辛く恨めしい、と思われなさる時が多い。

 [2-4 Genji meets repeatedly to Oborozukiyo]
 Mikado ha, Win no ohom-yuigon tagahe zu, ahare ni obosi tare do, wakau ohasimasu uti ni mo, mi-kokoro nayobi taru kata ni sugi te, tuyoki tokoro ohasimasa nu naru besi, Haha-Gisaki, ohodi-Otodo tori-dori si tamahu koto ha, e somuka se tamaha zu, yo no maturi-goto, mi-kokoro ni kanaha nu yau nari.
 Wadurahasisa nomi masare do, Kam-no-Kimi ha, hito sire nu mi-kokoro si kayohe ba, warinaku te to, obotukanaku ha ara zu. Godan-no-Misyuhohu no hazime ni te, tutusimi ohasimasu hima wo ukagahi te, rei no, yume no yau ni kikoye tamahu. Kano, mukasi oboye taru Hoso-dono no tubone ni, Tiunagon-no-Kimi, magirahasi te ire tatematuru. Hito-me mo sigeki koro nare ba, tune yori mo hasi-dika naru, sora-osorosiu oboyu.
 Asa-yuhu ni mi tatematuru hito dani, aka nu ohom-sama nare ba, masite, medurasiki hodo ni nomi aru ohom-taimen no, ikade ka ha oroka nara m. Womna no ohom-sama mo, geni zo medetaki ohom sakari naru. Omorika naru kata ha, ikaga ara m, wokasiu namameki wakabi taru kokoti si te, mi mahosiki ohom-kehahi nari.
 Hodo naku ake-yuku ni ya, to oboyuru ni, tada koko ni si mo,
 "Tonowi mausi, saburahu."
 to, kowa-dukuru nari. "Mata, kono watari ni kakurohe taru Konowe-Dukasa zo aru beki. Hara-gitanaki katahe no wosihe okosuru zo kasi." to, Daisyau ha kiki tamahu. Wokasiki mono-kara, wadurahasi.
 Koko kasiko tadune ariki te,
 "Tora hito-tu."
 to mausu nari. Womna-Gimi,
 "Kokoro kara kata-gata sode wo nurasu kana
 aku to wisihuru kowe ni tuke te mo
"
 to notamahu sama, hakana-dati te, ito wokasi.
 "Nageki tutu waga yo ha kakute suguse to ya
 mune no aku beki toki zo to mo naku
"
 Sidu-kokoro naku te, ide tamahi nu.
 Yo-bukaki akatuki-dukiyo no, e mo iha zu kiri watare ru ni, ito itau yature te, hurumahi-nasi tamahe ru si mo, niru mono naki ohom-arisama ni te, Syoukyau-den no ohom-seuto no Tou-Seusyau, Hudi-tubo yori ide te, tuki no sukosi kuma aru tate-zitomi no moto ni tate ri keru wo, sira de sugi tamahi kem koso itohosikere! Modoki kikoyuru yau mo ari na m kasi.
 Kayau no koto ni tuke te mo, mote-hanare turenaki hito no mi-kokoro wo, katu ha medetasi to omohi kikoye tamahu mono-kara, waga kokoro no hiku-kata ni te ha, naho turau kokoro-usi to oboye tamahu wori ohokari.

 内裏に参りたまはむことは、うひうひしく、所狭く思しなりて、春宮を見たてまつりたまはぬを、おぼつかなく思ほえたまふ。また、頼もしき人もものしたまはねば、ただこの大将の君をぞ、よろづに頼みきこえたまへるに、なほ、この憎き御心のやまぬに474、ともすれば御胸をつぶしたまひつつ、いささかもけしきを御覧じ知らずなりにしを思ふだに、いと恐ろしきに、今さらにまた、さる事の聞こえありて、わが身はさるものにて、春宮の御ために475かならずよからぬこと出で来なむ、と思すに、いと恐ろしければ、御祈りをさへせさせて、このこと思ひやませたてまつらむと、思しいたらぬことなく逃れたまふを、いかなる折にかありけむ、あさましうて、近づき参りたまへり。心深くたばかりたまひけむことを、知る人なかりければ、夢のやうにぞありける。
まねぶべきやうなく聞こえ続けたまへど、宮、いとこよなくもて離れきこえたまひて、果て果ては、御胸をいたう悩みたまへば、近うさぶらひつる命婦、弁などぞ、あさましう見たてまつりあつかふ。男は、憂し、つらし、と思ひきこえたまふこと、限りなきに、来し方行く先、かきくらす心地して、うつし心失せにければ、明け果てにけれど、出でたまはずなりぬ。
御悩みにおどろきて、人々近う参りて、しげうまがへば、我にもあらで、塗籠に押し入れられて476おはす。御衣ども隠し持たる人の心地ども、いとむつかし。宮は、ものをいとわびし、と思しけるに、御気あがりて、なほ悩ましうせさせたまふ。兵部卿宮、大夫など参りて、
「僧召せ」
など騒ぐを、大将、いとわびしう聞きおはす。からうして、暮れゆくほどにぞおこたりたまへる。
かく籠もりゐたまへらむとは思しもかけず、人々も、また御心惑はさじとて、かくなむとも申さぬなるべし。昼の御座にゐざり出でておはします。よろしう思さるるなめりとて、宮もまかでたまひなどして、御前人少なになりぬ。例もけ近くならさせたまふ人少なければ、ここかしこの物のうしろなどにぞさぶらふ。命婦の君などは、
「いかにたばかりて、出だしたてまつらむ。今宵さへ、御気上がらせたまはむ、いとほしう」
 など477、うちささめき扱ふ。
君は、塗籠の戸の細めに開きたるを、やをらおし開けて、御屏風のはさまに伝ひ入りたまひぬ。めづらしくうれしきにも、涙落ちて見たてまつりたまふ。
「なほ、いと苦しうこそあれ。世や尽きぬらむ」
とて、外の方を見出だしたまへるかたはら目、言ひ知らずなまめかしう見ゆ。御くだものをだに、とて参り据ゑたり。箱の蓋などにも、なつかしきさまにてあれど、見入れたまはず。世の中をいたう思し悩めるけしきにて、のどかに眺め入りたまへる、いみじうらうたげなり。髪ざし、頭つき、御髪のかかりたるさま、限りなき匂はしさなど、ただ、かの対の姫君に違ふところなし。年ごろ、すこし思ひ忘れたまへりつるを、「あさましきまでおぼえたまへる478かな」と見たまふままに、すこしもの思ひのはるけどころある心地したまふ。
気高う恥づかしげなる479さまなども、さらに異人とも思ひ分きがたきを、なほ、限りなく昔より思ひしめきこえてし心の思ひなしにや、「さまことに、いみじうねびまさりたまひにけるかな」と、たぐひなくおぼえたまふに、心惑ひして、やをら御帳のうちにかかづらひ入りて、御衣の褄を引きならしたまふ。けはひしるく、さと匂ひたるに、あさましうむくつけう思されて、やがてひれ伏したまへり。「見だに向きたまへかし」と心やましうつらうて、引き寄せたまへるに、御衣をすべし置きて、ゐざりのきたまふに、心にもあらず、御髪の取り添へられたりければ、いと心憂く、宿世のほど、思し知られて、いみじ、と思したり。
男も、ここら世をもてしづめたまふ御心、みな乱れて、うつしざまにもあらず、よろづのことを泣く泣く怨みきこえたまへど、まことに心づきなし、と思して、いらへも聞こえたまはず。ただ、
「心地の、いと悩ましきを。かからぬ折もあらば、聞こえてむ」
とのたまへど、尽きせぬ御心のほどを言ひ続けたまふ。
さすがに、いみじと聞きたまふふしもまじるらむ。あらざりしことにはあらねど、改めて、いと口惜しう思さるれば、なつかしきものから、いとようのたまひ逃れて、今宵も明け行く。
せめて従ひきこえざらむもかたじけなく、心恥づかしき御けはひなれば、
「ただ、かばかりにても、時々、いみじき愁へをだに、はるけはべりぬべくは、何のおほけなき心もはべらじ」
など、たゆめきこえたまふべし。なのめなることだに、かやうなる仲らひは、あはれなることも添ふなるを、まして、たぐひなげなり。
明け果つれば、二人して、いみじきことどもを聞こえ、宮は、半ばは亡きやうなる御けしきの心苦しければ、
「世の中にありと480聞こし召されむも、いと恥づかしければ、やがて亡せはべりなむも、また、この世ならぬ罪となりはべりぬべきこと」
など聞こえたまふも、むくつけきまで思し入れり481。
「逢ふことのかたきを今日に限らずは
今幾世をか嘆きつつ経む
御ほだしにもこそ」
と聞こえたまへば、さすがに、うち嘆きたまひて、
「長き世の恨みを人に残しても
かつは心をあだと知らなむ」
はかなく言ひなさせたまへるさまの、言ふよしなき心地すれど、人の思さむところも、わが御ためも苦しければ、我にもあらで、出でたまひぬ。

 3 藤壷の物語 [3-1 源氏、再び藤壷に迫る]
内裏に参内なさるようなことは、物馴れない気がし、窮屈にお感じになって、東宮をご後見申し上げなされないのを、気がかりに思われなさる。また一方、頼りとする人もいらっしゃらないので、ただこの大将の君を、いろいろとお頼り申し上げていらっしゃったが、依然として、この憎らしいご執心が止まないうえに、ややもすれば度々胸をお痛めになって、少しも関係をお気づきあそばさずじまいだったのを思うだけでも、とても恐ろしいのに、今その上にまた、そのような事の噂が立っては、自分の身はともかくも、東宮の御ためにきっとよくない事が出て来よう、とお思いになると、とても恐ろしいので、ご祈祷までおさせになって、この事をお絶ちいただこうと、あらゆるご思案をなさって逃れなさるが、どのような機会だったのだろうか、思いもかけぬことに、お近づきになった。慎重に計画なさったことを、気づいた女房もいなかったので、夢のようであった。
筆に写して伝えることができないくらい言葉巧みにかき口説き申し上げなさるが、宮、まことにこの上もなく冷たくおあしらい申し上げなさって、遂には、お胸をひどくお苦しみなさったので、近くに控えていた命婦、弁などは、驚きあきれてご介抱申し上げる。男は、恨めしい、辛い、とお思い申し上げなさること、この上もないので、過去も未来も、まっ暗闇になった感じで、理性も失せてしまったので、すっかり明けてしまったが、お出にならないままになってしまった。
ご病気に驚いて、女房たちがお近くに参上して、しきりに出入りするので、茫然自失のまま、塗籠に押し込められていらっしゃる。お召物を隠し持っている女房たちの心地も、とても気が気でない。宮は、何もかもとても辛い、とお思いになったので、のぼせられて、なおもお苦しみあそばす。兵部卿宮、大夫などが参上して、
「僧を呼べ」
などと騒ぐのを、大将は、とても辛く聞いていらっしゃる。やっとのことで、暮れて行くころに、ご回復あそばした。
このように籠もっていられようとはお思いにもならず、女房たちも、再びお心を乱させまいと思って、これこれしかじかでとも申し上げないのだろう。昼の御座にいざり出ていらっしゃる。ご回復そばしたらしいと思って、兵部卿宮もご退出などなさって、御前は人少なになった。いつもお側近くに仕えさせなさる者は少ないので、あちらこちらの物蔭などに控えている。命婦の君などは、
「どのように人目をくらまして、お出し申し上げよう。今夜までも、おのぼせになられたら、おいたわしい」
などと、ひそひそとささやきもてあましている。
君は、塗籠の戸が細めに開いているのを、静かに押し開けて、御屏風の隙間を伝わってお入りになった。珍しく嬉しいにつけても、涙は落ちて拝見なさる。
「やはり、とても苦しい。死んでしまうのかしら」
と言って、外の方を遠く見ていらっしゃる横顔、何とも言いようがないほど優美に見える。お果物だけでも、といって差し上げた。箱の蓋などにも、おいしそうに盛ってあるが、見向きもなさらない。世の中をとても深く思い悩んでいられるご様子で、静かに物思いに耽っていらっしゃる、たいそういじらしげである。髪の生え際、頭の恰好、御髪のかかっている様子、この上ない美しさなど、まるで、あの対の姫君に異なるところがない。ここ数年来、少し思い忘れていらしたのを、「驚きあきれるまでよく似ていらっしゃることよ」と御覧になっていらっしゃると、少し執心の晴れる心地がなさる。
気品高く気後れするような様子なども、まったく別人と区別することも難しいのを、やはり、何よりも大切に昔からお慕い申し上げてきた心の思いなしか、「たいそう格別に、お年とともにますますお美しくなってこられたなあ」と、他に比べるものがなくお思いになると、惑乱して、そっと御帳の中に纏いつくように入り込んで、御衣の褄を引き動かしなさる。気配ははっきり分かり、さっと匂ったので、あきれて不快な気がなさって、そのまま伏せっておしまいになった。「振り向いて下さるだけでも」と恨めしく辛くて、引き寄せなさると、お召物を脱ぎ滑らせて、いざり退きなさるが、思いがけず、御髪がお召し物と一緒に掴まえられたので、まことに情けなく、宿縁の深さ、思い知られなさって、実に辛い、とお思いになった。
男も、長年抑えてこられたお心、すかっり惑乱して、気でも違ったように、すべての事を泣きながらお恨み訴え申し上げなさるが、本当に厭わしい、とお思いになって、お返事も申し上げなさらない。わずかに、
「気分が、とてもすぐれませんので。このようでない時であったら、申し上げましょう」
とおっしゃるが、尽きないお心のたけを言い続けなさる。
そうは言っても、さすがにお心を打つような内容も交じっているのだろう。以前にも関係がないではなかった仲だが、再びこうなって、ひどく情けなくお思いになるので、優しくおっしゃりながらも、とてもうまく言い逃れなさって、今夜もそのまま明けて行く。
しいてお言葉に従い申し上げないのも恐れ多く、奥ゆかしいご様子なので、
「わずか、この程度であっても、時々、大層深い苦しみだけでも、晴らすことができれば、何の大それた考えもございません」
などと、ご安心申し上げなさるのだろう。ありふれたことでさえも、このような間柄には、しみじみとしたことも多く付きまとうというものだが、それ以上に、匹敵するものがなさそうである。
明けてしまったので、二人して、大変なことになるとご忠告申し上げ、宮は、半ば魂も抜けたような御様子なのが、おいたわしいので、
「世の中にまだ生きているとお聞きあそばすのも、とても恥ずかしいので、このまま死んでしまいますのも、また、この世だけともならぬ罪障となりましょうことよ」
などと申し上げなさるが、鬼気迫るまでに思いつめていらっしゃった。
「お逢いすることの難しさが今日でおしまいでないならば
いく転生にわたって嘆きながら過すことでしょうか
御往生の妨げにもなっては」
と申し上げなさると、そうは言うものの、ふと嘆息なさって、
「未来永劫の怨みをわたしに残したと言っても
そのようなお心はまた一方ですぐに変わるものと知っていただきたい」
わざと何でもないことのようにおっしゃる様子が、何とも言いようのない気がするが、相手のお思いになることも、ご自分のためにも苦しいので、呆然自失の心地で、お出になった。

 3 Tale of Fujitsubo [3-1 Genji meets persistently to Fujitsubo]
 Uti ni mawiri tamaha m koto ha, uhi-uhisiku, tokoro-seku obosi nari te, Touguu wo mi tatematuri tamaha nu wo, obotukanaku omohoye tamahu. Mata, tanomosiki hito mo monosi tamaha ne ba, tada kono Daisyau-no-Kimi wo zo, yorodu ni tanomi kikoye tamahe ru ni, naho, kono nikuki mi-kokoro no yama nu ni, tomo-sure ba ohom-mune wo tubusi tamahi tutu, isasaka mo kesiki wo go-ran-zi sira zu nari ni si wo omohu dani, ito osorosiki ni, imasara ni mata, sa'ru koto no kikoye ari te, waga mi ha sa'ru mono ni te, Touguu no ohom-tame ni kanarazu yokara nu koto ide-ki na m, to obosu ni, ito osorosikere ba, ohom-inori wo sahe se sase te, kono koto omohi yama se tatematura m to, obosi itara nu koto naku nogare tamahu wo, ika naru wori ni ka ari kem, asamasiu te, tikaduki mawiri tamahe ri. Kokoro-hukaku tabakari tamahi kem koto wo, siru hito nakari kere ba, yume no yau ni zo ari keru.
 Manebu beki yau naku kikoye tuduke tamahe do, Miya, ito koyonaku mote-hanare kikoye tamahi te, hate-hate ha, ohom-mune wo itau nayami tamahe ba, tikau saburahi turu Myaubu, Ben nado zo, asamasiu mi tatematuri atukahu. Wotoko ha, usi, turasi, to omohi kikoye tamahu koto, kagiri naki ni, kisi-kata yuku-saki, kaki-kurasu kokoti si te, utusi-gokoro use ni kere ba, ake-hate ni kere do, ide tamaha zu nari nu.
 Ohom-nayami ni odoroki te, hito-bito tikau mawiri te, sigeu magahe ba, ware ni mo ara de, nurigome ni osi-ire rare te ohasu. Ohom-zo-domo kakusi mo'taru hito no kokoti-domo, ito mutukasi. Miya ha, mono wo ito wabisi, to obosi keru ni, mi-ke agari te, naho nayamasiu se sase tamahu. Hyaubukyau-no-Miya, Daibu nado mawiri te,
 "Sou mese."
 nado sawagu wo, Daisyau, ito wabisiu kiki ohasu. Karausite, kure-yuku hodo ni zo okotari tamahe ru.
 Kaku komori wi tamahe ra m to ha obosi mo kake zu, hito-bito mo, mata mi-kokoro madohasa zi tote, kaku nam to mo mausa nu naru besi. Hiru no o-masi ni wizari-ide te ohasimasu. Yorosiu obosa ruru na'meri tote, Miya mo makade tamahi nado si te, o-mahe hito-zukuna ni nari nu. Rei mo ke-dikaku narasa se tamahu hito sukunakere ba, koko kasiko no mono no usiro nado ni zo saburahu. Myaubu-no-Kimi nado ha,
 "Ika ni tabakari te, idasi tatematura m. Koyohi sahe, mi-ke agara se tamaha m, itohosiu."
 nado, uti-sasameki atukahu.
 Kimi ha, nurigome no to no hoso-me ni aki taru wo yawora osi-ake te, mi-byaubu no hasama ni tutahi iri tamahi nu. Medurasiku uresiki ni mo, namida oti te mi tatematuri tamahu.
 "Naho, ito kurusiu koso are. Yo ya tuki nu ram."
 tote, to-no-kata wo mi-idasi tamahe ru katahara-me, ihi-sira zu namamekasiu miyu. Ohom-kudamono wo dani, tote mawiri suwe tari. Hako no huta nado ni mo, natukasiki sama ni te are do, mi-ire tamaha zu. Yononaka wo itau obosi nayame ru kesiki ni te, nodoka ni nagame iri tamahe ru, imiziu rautage nari. Kam-zasi, kasira-tuki, mi-gusi no kakari taru sama, kagiri naki nihohasisa nado, tada, kano Tai-no-Himegimi ni tagahu tokoro nasi. Tosi-goro, sukosi omohi-wasure tamahe ri turu wo, "Asamasiki made oboye tamahe ru kana!" to mi tamahu mama ni, sukosi mono-omohi no haruke-dokoro aru kokoti si tamahu.
 Ke-dakau hadukasige naru sama nado mo, sara ni koto-bito to mo omohi-waki gataki wo, naho, kagiri naku mukasi yori omohi-sime kikoye te si kokoro no omohi-nasi ni ya, "Sama koto ni, imiziu nebi-masari tamahi ni keru kana!" to, taguhi naku oboye tamahu ni, kokoro-madohi si te, yawora mi-tyau no uti ni kakadurahi iri te, ohom-zo no tuma wo hiki-narasi tamahu. Kehahi siruku, sato nihohi taru ni, asamasiu mukutukeu obosa re te, yagate hire-husi tamahe ri. "Mi dani muki tamahe kasi." to kokoro-yamasiu turau te, hiki-yose tamahe ru ni, ohom-zo wo subesi oki te, wizari-noki tamahu ni, kokoro ni mo ara zu, mi-gusi no tori-sohe rare tari kere ba, ito kokoro-uku, sukuse no hodo, obosi-sira re te, imizi, to obosi tari.
 Wotoko mo, kokora yo wo mote-sidume tamahu mi-kokoro mina midare te, utusi-zama ni mo ara zu, yorodu nokoto wo naku-naku urami kikoye tamahe do, makoto ni kokoro-dukinasi, to obosi te, irahe mo kikoye tamaha zu. Tada,
 "Kokoti no, ito nayamasiki wo. Kakara nu wori mo ara ba, kikoye te m."
 to notamahe do, tuki se nu mi-kokoro no hodo wo ihi-tuduke tamahu.
 Sasuga ni, imizi to kiki tamahu husi mo maziru ram. Ara zari si koto ni ha ara ne do, aratame te, ito kutiwosiu obosa rure ba, natukasiki mono-kara, ito you notamahi nogare te, koyohi mo ake-yuku.
 Semete sitagahi kikoye zara m mo katazikenaku, kokoro-hadukasiki ohom-kehahi nare ba,
 "Tada, kabakari ni te mo, toki-doki, imiziki urehe wo dani, haruke haberi nu beku ha, nani no ohokenaki kokoro mo habera zi."
 nado, tayume kikoye tamahu besi. Nanome naru koto dani, kayau naru nakarahi ha, ahare naru koto mo sohu naru wo, masite, taguhi-nage nari.
 Ake-hature ba, hutari si te, imiziki koto-domo wo kikoye, Miya ha, nakaba ha naki yau naru mi-kesiki no kokoro-gurusikere ba,
 "Yononaka ni ari to kikosimesa re m mo, ito hadukasikere ba, yagate use haberi na m mo, mata, konoyo nara nu tumi to nari haberi nu beki koto."
 nado kikoye tamahu mo, mukutukeki made obosi-ire ri.
 "Ahu koto no kataki wo kehu ni kagira zu ha
 ima iku-yo wo ka nageki tutu he m

 Ohom-hodasi ni mo koso!"
 to kikoye tamahe ba, sasuga ni, uti-nageki tamahi te,
 "Nagaki yo no urami wo hito ni nokosi te mo
 katu ha kokoro wo ada to sira nam
"
 Hakanaku ihi-nasa se tamahe ru sama no, ihu-yosi naki kokoti sure do, hito no obosa m tokoro mo, waga ohom-tame mo kurusikere ba, ware ni mo ara de, ide tamahi nu.

 「いづこを面にてかは、またも見えたてまつらむ。いとほしと思し知るばかり」と思して、御文も聞こえたまはず。うち絶えて、内裏、春宮にも参りたまはず、籠もり482おはして、起き臥し、「いみじかりける人の御心かな」と、人悪ろく恋しう悲しきに、心魂も失せにけるにや、悩ましうさへ思さる。もの心細く、「なぞや、世に経れば憂さこそまされ483」と、思し立つには、この女君のいとらうたげにて484、あはれにうち頼みきこえたまへるを、振り捨てむこと、いとかたし。
宮も、その名残、例にもおはしまさず。かうことさらめきて籠もりゐ、おとづれたまはぬを、命婦などはいとほしがりきこゆ。宮も、春宮の御ためを思すには、「御心置きたまはむこと、いとほしく、世をあぢきなきものに思ひなりたまはば、ひたみちに思し立つこともや」と、さすがに苦しう思さるべし。
「かかること絶えずは、いとどしき世に、憂き名さへ漏り出でなむ。大后の、あるまじきことにのたまふなる位をも去りなむ」と、やうやう思しなる。院の思しのたまはせしさまの、なのめならざりしを思し出づるにも、「よろづのこと、ありしにもあらず、変はりゆく世にこそあめれ。戚夫人の見けむ目のやうにあらずとも、かならず、人笑へなることは、ありぬべき身にこそあめれ」など、世の疎ましく、過ぐしがたう思さるれば、背きなむことを思し取るに、春宮、見たてまつらで面変はりせむこと、あはれに思さるれば、忍びやかにて参りたまへり。
大将の君は、さらぬことだに、思し寄らぬことなく仕うまつりたまふを、御心地悩ましきにことつけて、御送りにも参りたまはず。おほかたの御とぶらひは、同じやうなれど、「むげに、思し屈しにける」と、心知るどちは、いとほしがりきこゆ。
宮は、いみじううつくしうおとなびたまひて、めづらしううれしと思して、むつれきこえたまふを、かなしと見たてまつりたまふにも、思し立つ筋はいとかたけれど、内裏わたりを見たまふにつけても、世のありさま、あはれにはかなく、移り変はることのみ多かり。
大后の御心もいとわづらはしくて、かく出で入りたまふにも、はしたなく、事に触れて苦しければ、宮の御ためにも危ふくゆゆしう、よろづにつけて思ほし乱れて、
「御覧ぜで、久しからむほどに、容貌の異ざまにてうたてげに変はりてはべらば、いかが思さるべき」
と聞こえたまへば、御顔うちまもりたまひて、
「式部がやうにや。いかでか、さはなりたまはむ」
と、笑みてのたまふ。いふかひなくあはれにて、
「それは、老いてはべれば醜きぞ。さはあらで、髪はそれよりも短くて485、黒き衣などを着て、夜居の僧のやうになりはべらむとすれば、見たてまつらむことも、いとど久しかるべきぞ」
とて泣きたまへば、まめだちて、
「久しうおはせぬは、恋しきものを」
とて、涙の落つれば、恥づかしと思して、さすがに背きたまへる、御髪はゆらゆらときよらにて、まみのなつかしげに匂ひたまへるさま、おとなびたまふままに、ただかの御顔を脱ぎすべたまへり。御歯のすこし朽ちて、口の内黒みて、笑みたまへる薫りうつくしきは、女にて見たてまつらまほしうきよらなり。「いと、かうしもおぼえたまへるこそ、心憂けれ」と、玉の瑕に思さるるも、世のわづらはしさの、空恐ろしうおぼえたまふなりけり。

 [3-2 藤壷、出家を決意]
「何の面目があって、再びお目にかかることができようか。気の毒だとお気づきになるだけでも」とお思いになって、後朝の文も差し上げなさらない。すっかりもう、内裏、東宮にも参内なさらず、籠もっていらして、寝ても覚めても、「本当にひどいお気持ちの方だ」と、体裁が悪いほど恋しく悲しいので、気も魂も抜け出してしまったのだろうか、ご気分までが悪く感じられる。何となく心細く、「どうしてか、世の中に生きていると嫌なことばかり増えていくのだろう」と、発意なさる一方では、この女君がとてもかわいらしげで、心からお頼り申し上げていらっしゃるのを、振り捨てるようなこと、とても難しい。
宮も、あの事があとを引いて、普段通りでいらっしゃらない。こうわざとらしく籠もっていらして、お便りもなさらないのを、命婦などはお気の毒がり申し上げる。宮も、東宮の御身の上をお考えになると、「お心隔てをお置きになること、お気の毒であるし、世の中をつまらないものとお思いになったら、一途に出家を思い立つ事もあろうか」と、やはり苦しくお思いにならずにはいられないのだろう。
「このようなことが止まなかったら、ただでさえ辛い世の中に、嫌な噂までが立てられるだろう。大后が、けしからんことだとおっしゃっているという地位をも退いてしまおう」と、次第にお思いになる。故院が御配慮あそばして仰せになったことが、並大抵のことではなかったことをお思い出しになるにも、「すべてのことが、以前と違って、変わって行く世の中のようだ。戚夫人が受けたような辱めではなくても、きっと、世間の物嗤いになるようなことは、身の上に起こるにちがいない」などと、世の中が厭わしく、生きて行きがたく感じられずにはいられないので、出家してしまうことを御決意なさるが、東宮に、お眼にかからないで尼姿になること、悲しく思われなさるので、こっそりと参内なさった。
大将の君は、それほどでないことでさえ、お気づきにならないことなくお仕え申し上げていらっしゃるが、ご気分がすぐれないことを理由にして、お送りの供奉にも参上なさらない。一通りのお世話は、いつもと同じようだが、「すっかり、気落ちしていらっしゃる」と、事情を知っている女房たちは、お気の毒にお思い申し上げる。
宮は、たいそうかわいらしく御成長されて、珍しく嬉しいとお思いになって、おまつわり申し上げなさるのを、いとしいと拝見なさるにつけても、御決意なさったことはとても難しく思われるが、宮中の雰囲気を御覧になるにつけても、世の中のありさま、しみじみと心細く、移り変わって行くことばかりが多い。
大后のお心もとても煩わしくて、このようにお出入りなさるにつけても、体裁悪く、何かにつけて辛いので、東宮のお身の上のためにも危険で恐ろしく、万事につけてお思い乱れて、
「御覧にならないで、長い間のうちに、姿形が違ったふうに嫌な恰好に変わりましたら、どのようにお思いあそばしますか」
とお申し上げなさると、お顔をじっとお見つめになって、
「式部のようになの。どうして、そのようにはおなりになりましょう」
と、笑っておっしゃる。何とも言いようがなくいじらしいので、
「あの人は、年老いていますので醜いのですよ。そうではなくて、髪はそれよりも短くして、黒い衣などを着て、夜居の僧のようになりましょうと思うので、お目にかかることも、ますます間遠になるにちがいありませんよ」
と言ってお泣きになると、真剣になって、
「長い間いらっしゃらないのは、恋しいのに」
と言って、涙が落ちたので、恥ずかしいとお思いになって、それでも横をお向きになっていらっしゃる、お髪はふさふさと美しくて、目もとがやさしく輝いていらっしゃる様子、大きく成長なさっていくにつれて、まるで、あの方のお顔を移し変えなさったようである。御歯が少し虫歯になって、口の中が黒ずんで、笑っていらっしゃる輝く美しさは、女として拝見したい美しさである。「とても、こんなに似ていらっしゃるのが、心配だ」と、玉の疵にお思いなされるのも、世間のうるさいことが、空恐ろしくお思いになられるのであった。

 [3-2 Fujitsubo determines to become a nun]
 "Iduko wo omote ni te ka ha, mata mo miye tatematura m. Itohosi to obosi-siru bakari." to obosi te, ohom-humi mo kikoye tamaha zu. Uti-taye te, Uti, Touguu ni mo mawiri tamaha zu, komori ohasi te, oki-husi, "Imizikari keru hito no mi-kokoro kana!" to, hito-waroku kohisiu kanasiki ni, kokoro-damasihi mo use ni keru ni ya, nayamasiu sahe obosa ru. Mono-kokoro-bosoku, "Nazo ya, yo ni hure ba usa koso masare." to, obosi-tatu ni ha, kono Wmna-Gimi no ito rautage ni te, ahare ni uti-tanomi kikoye tamahe ru wo, huri-sute m koto, ito katasi.
 Miya mo, sono nagori, rei ni mo ohasimasa zu. Kau kotosara-meki te komori-wi, otodure tamaha nu wo, Myaubu nado ha itohosigari kikoyu. Miya mo, Touguu no ohom-tame wo obosu ni ha, "Mi-kokoro-oki tamaha m koto, itohosiku, yo wo adikinaki mono ni omohi nari tamaha ba, hitamiti ni obosi-tatu koto mo ya?" to, sasuga ni kurusiu obosa ru besi.
 "Kakaru koto taye zu ha, itodosiki yo ni, uki-na sahe mori-ide na m. Oho-Gisaki no, aru maziki koto ni notamahu naru kurawi wo mo sari na m." to, yau-yau obosi-naru. Win no obosi notamahase si sama no, nanome nara zari si wo obosi-iduru ni mo, "Yorodu no koto, ari si ni mo ara zu, kahari-yuku yo ni koso a'mere. Seki-huzin no mi kem me no yau ni ha ara zu to mo, kanarazu, hito-warahe naru koto ha, ari nu beki mi ni koso a'mere." nado, yo no utomasiku, sugusi gatau obosa rure ba, somuki na m koto wo obosi-toru ni, Touguu, mi tatematura de omo-hgahari se m koto, ahare ni obosa rure ba, sinobi-yaka ni te mawiri tamahe ri.
 Daisyau-no-Kimi ha, sa'ra nu koto dani, obosi-yora nu koto naku tukau-maturi tamahu wo, mi-kokoti nayamasiki ni koto-tuke te, ohom-okuri ni mo mawiri tamaha zu. Ohokata no ohom-toburahi ha, onazi yau nare do, "Muge ni, obosi-ku-si ni keru." to, kokoro-siru-doti ha, itohosigari kikoyu.
 Miya ha, imiziu utukusiu otonabi tamahi te, medurasiu uresi to obosi te, muture kikoye tamahu wo, kanasi to mi tatematuri tamahu ni mo, obosi-tatu sudi ha ito katakere do, Uti watari wo mi tamahu ni tukete mo, yo no arisama, ahare ni hakanaku, uturi-kaharu koto nomi ohokari.
 Oho-Gisaki no mi-kokoro mo ito wadurahasiku te, kaku ide-iri tamahu ni mo, hasitnaku, koto ni hure te kurusikere ba, Miya no ohom-tame ni mo ayahuku yuyusiu, yorodu ni tuke te omohosi midare te,
 "Go-ran-ze de, hisasikara mu hodo ni, katati no koto-zama ni te utate-ge ni kahari te habera ba, ikaga obosa ru beki?"
 to kikoye tamahe ba, mi-kaho uti-mamori tamahi te,
 "Sikibu ga yau ni ya? Ikade ka, sa ha nari tamaha m."
 to, wemi te notamahu. Ihu-kahi naku ahare ni te,
 "Sore ha, oyi te habere ba minikuki zo. Sa ha ara de, kami ha sore yori mo mizikaku te, kuroki kinu nado wo ki te, Yowi-no-Sou no yau ni nari habera m to sure ba, mi tatematura m koto mo, itodo hisasikaru beki zo."
 tote, naki tamahe ba, mame-dati te,
 "Hisasiu ohase nu ha, kohisiki mono wo!"
 tote, namida no oture ba, hadukasi to obosi te, sasuga ni somuki tamahe ru, mi-gusi ha yura-yura to kiyora ni te, mami no natukasi-ge ni nihohi tamahe ru sama, otonabi tamahu mama ni, tada kano ohom-kaho wo nugi-sube tamahe ri. Ohom-ha no sukosi kuti te, kuti no uti kuromi te, wemi tamahe ru kawori utukusiki ha, womna ni te mi tatematura mahosiu kiyora nari. "Ito, kau si mo oboye tamahe ru koso, kokoro-ukere!" to, tama-no-kizu ni obosa ruru mo, yo no wadurahasisa no, sora-osorosiu oboye tamahu nari keri.

 大将の君は、宮をいと恋しう思ひきこえたまへど、「あさましき御心のほどを、時々は、思ひ知るさまにも見せたてまつらむ」と、念じつつ過ぐしたまふに、人悪ろく、つれづれに思さるれば、秋の野も見たまひがてら、雲林院に詣でたまへり。
「故母御息所の御兄の律師の籠もりたまへる坊にて、法文など読み、行なひせむ」と思して、二、三日おはするに、あはれなること多かり。
紅葉やうやう色づきわたりて、秋の野のいとなまめきたるなど見たまひて、故里も忘れぬべく思さる。法師ばらの、才ある限り召し出でて、論議せさせて聞こしめさせたまふ。所からに、いとど世の中の常なさを思し明かしても、なほ、「憂き人しもぞ486」と、思し出でらるるおし明け方の月影に、法師ばらの閼伽たてまつるとて、からからと鳴らしつつ、菊の花、濃き薄き紅葉など、折り散らしたるも、はかなげなれど、
「このかたのいとなみは、この世もつれづれならず、後の世はた、頼もしげなり。さも、あぢきなき身をもて悩むかな」
など、思し続けたまふ。律師の、いと尊き声にて、
「念仏衆生摂取不捨487」
と、うちのべて行なひたまへるは、いとうらやましければ、「なぞや」と思しなるに、まづ、姫君の心にかかりて思ひ出でられたまふぞ、いと悪ろき心なるや。
例ならぬ日数も、おぼつかなくのみ思さるれば、御文ばかりぞ、しげう聞こえたまふめる。
「行き離れぬべしやと、試みはべる道なれど、つれづれも慰めがたう、心細さまさりてなむ。聞きさしたることありて、やすらひはべるほど、いかに」
など、陸奥紙にうちとけ書きたまへるさへぞ、めでたき。
「浅茅生の露のやどりに君をおきて
四方の嵐ぞ静心なき」
など、こまやかなるに、女君もうち泣きたまひぬ。御返し、白き色紙に、
「風吹けばまづぞ乱るる色変はる
浅茅が露にかかるささがに」
とのみありて、「御手はいとをかしうのみなりまさるものかな」と、独りごちて、うつくしとほほ笑みたまふ。
 常に488書き交はしたまへば、わが御手にいとよく似て、今すこしなまめかしう、女しきところ書き添へたまへり。「何ごとにつけても、けしうはあらず生ほし立てたりかし」と思ほす。

 4 光る源氏の物語 [4-1 秋、雲林院に参籠]
大将の君は、東宮をたいそう恋しくお思い申し上げになっているが、「情けないほど冷たいお心のほどを、時々は、お悟りになるようにお仕向け申そう」と、じっと堪えながらお過ごしなさるが、体裁が悪く、所在なく思われなさるので、秋の野も御覧になるついでに、雲林院に参詣なさった。
「故母御息所のご兄妹の律師が籠もっていらっしゃる坊で、法文などを読み、勤行をしよう」とお思いになって、二、三日いらっしゃると、心打たれる事柄が多かった。
紅葉がだんだん一面に色づいてきて、秋の野がとても優美な様子などを御覧になって、邸のことなども忘れてしまいそうに思われなさる。法師たちで、学才のある者ばかりを召し寄せて、論議させてお聞きあそばす。場所柄のせいで、ますます世の中の無常を夜を明かしてお考えになっても、やはり、「つれない人こそ、恋しく思われる」と、思い出さずにはいらっしゃれない明け方の月の光に、法師たちが閼伽棚にお供え申そうとして、からからと鳴らしながら、菊の花、濃い薄い紅葉など、折って散らしてあるのも、些細なことのようだが、
「この方面のお勤めは、この世の所在なさの慰めになり、また来世も頼もしげである。それに引き比べ、つまらない身の上を持て余していることよ」
などと、お思い続けなさる。律師が、とても尊い声で、
「念仏衆生摂取不捨」
と、声を引き延ばして読経なさっているのは、とても羨ましいので、「どうして自分は」とお考えになると、まず、姫君が心にかかって思い出されなさるのは、まことに未練がましい悪い心であるよ。
いつにない長い隔ても、不安にばかり思われなさるので、お手紙だけは頻繁に差し上げなさるようである。
「現世を離れることができようかと、ためしにやって来たのですが、所在ない気持ちも慰めがたく、心細さが募るばかりで。途中までしか聞いていない事があって、ぐずぐずしておりますが、いかがお過ごしですか」
などと、陸奥紙に、気楽にお書きになっているのまでが、素晴らしい。
「浅茅生に置く露のようにはかないこの世にあなたを置いてきたので
まわりから吹きつける世間の激しい風を聞くにつけ、気ががりでなりません」
などと情愛こまやかに書かれているので、女君もついお泣きになってしまった。お返事は、白い色紙に、
「風が吹くとまっ先に乱れて色変わりするはかない浅茅生の露の上に
糸をかけてそれを頼りに生きている蜘蛛のようなわたしですから」
とだけあるので、「ご筆跡はとても上手になっていくばかりだなあ」と、独り言を洩らして、かわいいと微笑んでいらっしゃる。
いつも手紙をやりとりなさっているので、ご自分の筆跡にとてもよく似て、さらに少しなよやかで、女らしさが書き加わっていらっしゃった。「どのような事につけても、まあまあに育て上げたものよ」とお思いになる。

 4 Tale of Hikaru-Genji [4-1 Genji visits to the temple of Unrin'in in Murasaki-no]
 Daisyau-no-Kimi ha, Miya wo ito kohisiu omohi kikoye tamahe do, "Asamasiki mi-kokoro no hodo wo, toki-doki ha, omohi siru sama ni mo mise tatematura m." to, nen-zi tutu sugusi tamahu ni, hito-waroku, ture-dure ni obosa rure ba, aki no no mo mi tamahi gate ra, U'rin-Win ni maude tamahe ri.
 "Ko-haha-Miyasumdokoro no ohom-seuto no Ri'si no komori tamahe ru bau ni te, Hohu-mon nado yomi, okonahi se m." to obosi te, ni, sam-niti ohasuru ni, ahare naru koto ohokari.
 Momidi yau-yau iro-duki watari te, aki-no-no no ito namameki taru nado mi tamahi te, huru-sato mo wasure nu beku obosa ru. Hohusi-bara no, zae aru kagiri mesi-ide te, Rongi se sase te, kikosimesa se tamahu. Tokoro-kara ni, itodo yononaka no tune nasa wo obosi-akasi te mo, naho, "Uki hito si mo zo!" to, obosi-ide raruru osi-ake-gata no tuki-kage ni, Hohusi-bara no Aka tatematuru tote, kara-kara to narasi tutu, kiku-no-hana, koki usuki momidi nado, wori tirasi taru mo, hakanage nare do,
 "Kono kata no itonami ha, konoyo mo ture-dure nara zu, notinoyo hata, tanomosige nari. Samo, adiki-naki mi wo mote-nayamu kana!"
 nado, obosi tuduke tamahu. Ri'si no, ito tahutoki kowe ni te,
 "Nenbutu syuzyau setusyu husya."
 to, uti-nobe te okonahi tamahe ru ha, ito urayamasikere ba, "Nazo ya?" to obosi-naru ni, madu, Hime-Gimi no kokoro ni kakari te omohi-ide rare tamahu zo, ito waroki kokoro naru ya!
 Rei nara nu hi-kazu mo, obotukanaku nomi obosa rure ba, ohom-humi bakari zo, sigeu kikoye tamahu meru.
 "Yuki-hanare nu besi ya to, kokoromi haberu miti nare do, ture-dure mo nagusame gatau, kokoro-bososa masari te nam. Kiki-sasi taru koto ari te, yasurahi haberu hodo, ika ni?"
 nado, Mitinoku-gami ni uti-toke kaki tamahe ru sahe zo, medetaki.
 "Asadihu no tuyu no yadori ni Kimi wo oki te
 yomo no arasi zo sidu-kokoro naki
"
 nado, komayaka naru ni, Womna-Gimi mo uti-naki tamahi nu. Ohom-kahesi, siroki sikisi ni,
 "Kaze huke ba madu zo midaruru iro kaharu
 Asadi ga tuyu ni kakaru sasagani
"
 to nomi ari te, "Ohom-te ha ito wokasiu nomi nari masaru mono kana!" to, hitori-goti te, utukusi to hoho-wemi tamahu.
 Tune ni kaki-kahasi tamahe ba, waga mi-te ni ito yoku ni te, ima-sukosi namamekasiu, womnasiki tokoro kaki-sohe tamane ri. "Nani-goto ni tuke te mo, kesiu ha ara zu ohosi-tate tari kasi." to omohosu.

 吹き交ふ風も近きほどにて、斎院にも聞こえたまひけり。中将の君に、
「かく、旅の空になむ、もの思ひにあくがれにけるを、思し知るにもあらじかし」
など、怨みたまひて、御前には、
「かけまくはかしこけれどもそのかみの
秋思ほゆる木綿欅かな
 昔を今に489、と思ひたまふるもかひなく、とり返され490むもののやうに」
と、なれなれしげに、唐の浅緑の紙に、榊に木綿つけなど、神々しうしなして参らせたまふ。
御返り、中将、
「紛るることなくて、来し方のことを思ひたまへ出づるつれづれのままには、思ひやりきこえさすること多くはべれど、かひなくのみなむ」
と、すこし心とどめて多かり。御前のは、木綿の片端に、
「そのかみやいかがはありし木綿欅
心にかけてしのぶらむゆゑ
近き世に」
とぞある。
「御手、こまやかにはあらねど、らうらうじう、草などをかしうなりにけり。まして、朝顔もねびまさりたまふらむかし」と思ほゆるも、ただならず、恐ろしや。
「あはれ、このころぞかし。野の宮のあはれなりしこと」と思し出でて、「あやしう、やうのもの」と、神恨めしう思さるる御癖の、見苦しきぞかし。わりなう思さば、さもありぬべかりし年ごろは、のどかに過ぐいたまひて、今は悔しう思さるべかめるも、あやしき御心なりや。
院も、かくなべてならぬ御心ばへを見知りきこえたまへれば、たまさかなる御返りなどは、えしももて離れきこえたまふまじかめり。すこしあいなきことなりかし。
六十巻といふ書、読みたまひ、おぼつかなきところどころ解かせなどしておはしますを、「山寺には、いみじき光行なひ出だしたてまつれり」と、「仏の御面目あり」と、あやしの法師ばらまでよろこびあへり。しめやかにて、世の中を思ほしつづくるに、帰らむことももの憂かりぬべけれど、人一人の御こと思しやるがほだしなれば、久しうもえおはしまさで、寺にも御誦経いかめしうせさせたまふ。あるべき限り、上下の僧ども、そのわたりの山賤まで物賜び、尊きことの限りを尽くして出でたまふ。見たてまつり送るとて、このもかのもに、あやしきしはふるひどもも集りてゐて、涙を落としつつ見たてまつる。黒き御車のうちにて、藤の御袂にやつれたまへれば、ことに見えたまはねど、ほのかなる御ありさまを、世になく思ひきこゆべかめり。

 [4-2 朝顔斎院と和歌を贈答]
吹き通う風も近い距離なので、斎院にも差し上げなさった。中将の君に、
「このように、旅の空に、物思いゆえに身も魂もさまよい出たのを、ご存知なはずはありますまいね」
などと、恨み言を述べて、御前には、
「口に上して言うことは恐れ多いことですけれど
その昔の秋のころのことが思い出されます
昔の仲を今に、と存じます甲斐もなく、取り返せるもののようにも」
と、親しげに、唐の浅緑の紙に、榊に木綿をつけたりなど、神々しく仕立てて差し上げさせなさる。
お返事、中将、
「気の紛れることもなくて、過ぎ去ったことを思い出してはその所在なさに、お偲び申し上げること、多くございますが、何の甲斐もございません事ばかりで」
と、少し丹念に多く書かれていた。御前の歌は、木綿の片端に、
「その昔どうだったとおっしゃるのでしょうか
心にかけて偲ぶとおっしゃるわけは
近い世には」
とある。
「ご筆跡、こまやかな美しさではないが、巧みで、草書きなど美しくなったものだ。ましてや、お顔も、いよいよ美しくなられたろう」と想像されるのも、心が騒いで、恐ろしいことよ。
「ああ、このころであったよ。野宮でのしみじみとした事は」とお思い出しになって、「不思議に、同じような事だ」と、神域を恨めしくお思いになられるご性癖が、見苦しいことである。是非にとお思いなら、望みのようにもなったはずのころには、のんびりとお過ごしになって、今となって悔しくお思いになるらしいのも、奇妙なご性質だことよ。
院も、このような一通りでないお気持ちをよくお見知り申し上げていらっしゃるので、時たまのお返事などには、あまりすげなくはお応え申すこともできないようである。少し困ったことである。
六十巻という経文、お読みになり、不明な所々を解説させたりなどしていらっしゃるのを、「山寺にとっては、たいそうな光明を修行の力でお祈り出し申した」と、「仏の御面目が立つことだ」と、賎しい法師連中までが喜び合っていた。静かにして、世の中のことをお考え続けなさると、帰ることも億劫な気持ちになってしまいそうだが、姫君一人の身の上をご心配なさるのが心にかかる事なので、長くはいらっしゃれないで、寺にも御誦経の御布施を立派におさせになる。伺候しているすべての、身分の上下を問わない僧ども、その周辺の山賎にまで、物を下賜され、あらゆる功徳を施して、お出になる。お見送り申そうとして、あちらこちらに、賎しい柴掻き人連中が集まっていて、涙を落としながら拝し上げる。黒いお車の中に、喪服を着て質素にしていらっしゃるので、よくはっきりお見えにならないが、かすかなご様子を、またとなく素晴らしい人とお思い申し上げているようである。

 [4-2 Genji and Asagao send a mail each other]
 Huki-kahu kaze mo tikaki hodo ni te, Sai-win ni mo kikoye tamahi keri. Tiuzyau-no-Kimi ni,
 "Kaku, tabi no sora ni nam, mono-omohi ni akugare ni keru wo, obosi-siru ni mo arazi kasi."
 nado, urami tamahi te, o-mahe ni ha,
 "Kakemaku ha kasikokere do mo sono-kami no
 aki omohoyuru yuhu-dasuki kana

 Mukasi wo ima ni, to omohi tamahuru mo kahi-naku, tori-kahesa re m mono no yau ni."
 to, nare-naresige ni, kara no asa-midori no kami ni, sakaki ni yuhu tuke nado, kau-gausiu si-nasi te mawira se tamahu.
 Ohom-kaheri, Tiuzyau,
 "Magiruru koto naku te, kisi-kata no koto wo omohi tamahe iduru ture-dure no mama ni ha, omohi-yari kikoye sasuru koto ohoku habere do, kahi-naku nomi nam."
 to, sukosi kokoro-todome te ohokari. O-mahe no ha, yuhu no kata-hasi ni,
 "Sono-kami ya ikaga ha ari si yuhu-dasuki
 kokoro ni kake te sinobu ram yuwe

 Tikaki yo ni."
 to zo aru.
 "Ohom-te, komayaka ni ha ara ne do, rau-rauziu, sou nado wokasiu nari ni keri. Masite, asa-gaho mo nebi-masari tamahe ra m kasi." to omohoyuru mo, tada nara zu, osorosi ya!
 "Ahare, kono-koro zo kasi. Nonomiya no ahare nari si koto." to obosi-ide te, "Ayasiu, yau no mono." to, Kami uramesiu obosa ruru ohom-kuse no, mi-gurusiki zo kasi. Warinau obosa ba, sa mo ari nu bekari si tosi-goro ha, nodoka ni sugui tamahi te, ima ha kuyasiu obosa ru beka'meru mo, ayasiki mi-kokoro nari ya!
 Win mo, kaku nabete nara nu mi-kokorobahe wo mi-siri kikoye tamahe re ba, tamasaka naru ohom-kaheri nado ha, e si mo mote-hanare kikoye tamahu mazika'meri. Sukosi ai-naki koto nari kasi.
 Rokuzihu-kwan to ihu humi, yomi tamahi, obotukanaki tokoro-dokoro toka se nado si te ohasimasu wo, "Yama-dera ni ha, imiziki hikari okonahi-idasi tatemature ri." to, "Hotoke no go-menboku ari." to, ayasi no hohusi-bara made yorokobi-ahe ri. Simeyaka ni te, yononaka wo omohosi tudukuru ni, kahera m koto mo mono-ukari nu bekere do, hito hitori no ohom-koto obosi-yaru ga hodasi nare ba, hisasiu mo e ohasimasa de, Tera ni mo mi-zukyau ikamesiu se sase tamahu. Aru beki kagiri, kami-simo no sou-domo, sono watari no yama-gatu made mono tabi, tahutoki koto no kagiri wo tukusi te ide tamahu. Mi tatematuri okuru tote, kono-mo kano-mo ni, ayasiki sihahuruhi-domo mo atumari te wi te, namida wo otosi tutu mi tatematuru. Kuroki mi-kuruma no uti ni te, hudi no ohom-tamoto ni yature tamahe re ba, koto ni miye tamaha ne do, honoka naru ohom-arisama wo, yo ni naku omohi kikoyu beka'meri.

 女君は、日ごろのほどに、ねびまさりたまへる心地して、いといたうしづまりたまひて、世の中いかがあらむと思へるけしきの、心苦しうあはれにおぼえたまへば、あいなき心のさまざま乱るるやしるからむ、「色かはる」とありしもらうたうおぼえて、常よりことに語らひきこえたまふ。
山づとに持たせたまへりし紅葉、御前のに御覧じ比ぶれば、ことに染めましける露の心も見過ぐしがたう、おぼつかなさも、人悪るきまでおぼえたまへば、ただおほかたにて宮に参らせたまふ。命婦のもとに、
「入らせたまひにけるを、めづらしきこととうけたまはるに、宮の間の事、おぼつかなくなりはべりにければ、静心なく思ひたまへながら、行ひもつとめむなど、思ひ立ちはべりし日数を、心ならずやとてなむ、日ごろになりはべりにける。紅葉は、一人見はべるに、錦暗う思ひ491たまふればなむ。折よくて御覧ぜさせたまへ」
などあり。
げに、いみじき枝どもなれば、御目とまるに、例の、いささかなるものありけり。人々見たてまつるに、御顔の色も移ろひて、
「なほ、かかる心の絶えたまはぬこそ、いと疎ましけれ。あたら思ひやり深うものしたまふ人の、ゆくりなく、かうやうなること、折々混ぜたまふを、人もあやしと見るらむかし」
と、心づきなく思されて、瓶に挿させて、廂の柱のもとにおしやらせたまひつ。

 [4-3 源氏、二条院に帰邸]
女君は、この数日間に、いっそう美しく成長なさった感じがして、とても落ち着いていらして、男君との仲が今後どうなって行くのだろうと思っている様子が、いじらしくお思いなさるので、困った心がさまざまに乱れているのがはっきりと目につくのだろうか、「色変わる」とあったのも、かわいらしく思われて、いつもよりも親密にお話し申し上げなさる。
山の土産にお持たせになった紅葉、お庭先のと比べて御覧になると、格別に一段と染めてあった露の心やりも、そのままにはできにくく、久しいご無沙汰も体裁悪いまで思われなさるので、ただ普通の贈り物として、宮に差し上げなさる。命婦のもとに、
「参内あそばしたのを、珍しい事とお聞きいたしましたが、東宮との間の事、ご無沙汰いたしておりましたので、気がかりに存じながらも、仏道修行を致そうなどと、計画しておりました日数を、不本意なことになってはと、何日にもなってしまいました。紅葉は、独りで見ていますと、せっかくの美しさも残念に思われましたので。よい折に御覧下さいませ」
などとある。
なるほど、立派な枝ぶりなので、お目も惹きつけられると、いつものように、ちょっとした文が結んであるのだった。女房たちが拝見しているので、お顔の色も変わって、
「依然として、このようなお心がお止みにならないのが、ほんとうに嫌なこと。惜しいことに思慮深くいらっしゃる方が、考えもなく、このようなこと、時々お加えなさるのを、女房たちもきっと変だと思うであろう」
と、気に食わなく思われなさって、瓶に挿させて、廂の柱のもとに押しやらせなさった。

 [4-3 Genji gets back to Nijo-in]
 Womna-Gimi ha, hi-goro no hodo ni, nebi masari tamahe ru kokoti si te, ito itau sidumari tamahi te, yononaka ikaga ara m to omohe ru kesiki no, kokoro-gurusiu ahare ni oboye tamahe ba, ainaki kokoro no sama-zama midaruru ya sirukara m, "Iro-kaharu" to ari si mo rautau oboye te, tune yori koto ni katarahi kikoye tamahu.
 Yama-duto ni mota se tamahe ri si momidi, o-mahe no ni go-ran-zi kurabure ba, koto ni some masi keru tuyu no kokoro mo mi-sugusi gatau, obotukanasa mo, hito-waru ki made oboye tamahe ba, tada ohokata ni te Miya ni mawira se tamahu. Myaubu no moto ni,
 "Ira se tamahi ni keru wo, medurasiki koto to uketamaharu ni, Miya no ahida no koto, obotukanaku nari haberi ni kere ba, sidu-kokoro-naku omohi tamahe nagara, okonahi mo tutome m nado, omohi-tati haberi si hi-kazu wo, kokoro-nara zu ya tote nam, hi-goro ni nari haberi ni keru. Momidi ha, hitori mi haberu ni, nisiki kurau omohi tamahure ba nam. Wori yoku te go-ran-ze sase tamahe."
 nado ari.
 Geni, imiziki eda-domo nare ba, ohom-me tomaru ni, rei no, isasaka naru mono ari keri. Hito-bito mi tatematuru ni, ohom-kaho no iro mo uturohi te,
 "Naho, kakaru kokoro no taye tamaha nu koso, ito utomasikere. Atara omohi-yari hukau monosi tamahu hito no, yukuri naku, kau yau naru koto, wori-wori maze tamahu wo, hito mo ayasi to miru ram kasi."
 to, kokoro-duki naku obosa re te, kame ni sasa se te, hisasi no hasira no moto ni osi-yara se tamahi tu.

 おほかたのことども、宮の御事に触れたることなどをば、うち頼めるさまに、すくよかなる御返りばかり聞こえたまへるを、「さも心かしこく、尽きせずも」と、恨めしうは見たまへど、何ごとも後見きこえならひたまひにたれば、「人あやしと、見とがめもこそすれ」と思して、まかでたまふべき日、参りたまへり。
まづ、内裏の御方に参りたまへれば492、のどやかにおはしますほどにて、昔今の御物語聞こえたまふ。御容貌も、院にいとよう似たてまつりたまひて、今すこしなまめかしき493気添ひて、なつかしうなごやかにぞおはします。かたみにあはれと見たてまつりたまふ。
尚侍の君の御ことも、なほ絶えぬさまに聞こし召し、けしき御覧ずる折もあれど、
「何かは、今はじめたることならばこそあらめ。さも心交はさむに、似げなかるまじき人のあはひなりかし」
とぞ思しなして、咎めさせたまは494ざりける。
よろづの御物語、書の道のおぼつかなく思さるることどもなど、問はせ495たまひて、また、好き好きしき歌語なども、かたみに聞こえ交はさせたまふついでに、かの斎宮の下りたまひし日のこと、容貌のをかしくおはせしなど、語らせたまふに、我もうちとけて、野の宮のあはれなりし曙も、みな聞こえ出でたまひてけり。
二十日の月、やうやうさし出でて、をかしきほどなるに、
「遊びなども、せまほしきほどかな」
とのたまはす。
「中宮の、今宵、まかでたまふなる、とぶらひにものしはべらむ。院ののたまはせおくことはべりしかば。また、後見仕うまつる人もはべらざめるに。春宮の御ゆかり、いとほしう思ひたまへられはべりて」
と奏し496たまふ。
「春宮をば、今の皇子になしてなど、のたまはせ置きしかば、とりわきて心ざしものすれど、ことにさしわきたるさまにも、何ごとをかはとてこそ。年のほどよりも、御手などのわざとかしこうこそものしたまふべけれ。何ごとにも、はかばかしからぬみづから497の面起こしになむ」
と、のたまはすれば、
「おほかた、したまふわざなど、いとさとく大人びたるさまにものしたまへど、まだ、いと片なりに」
など、その御ありさまも奏したまひて、まかでたまふに、大宮の御兄の藤大納言の子の、頭の弁といふが、世にあひ、はなやかなる若人にて、思ふことなきなるべし、妹の麗景殿の御方に行くに、大将の御前駆を忍びやかに追へば、しばし立ちとまりて、
「白虹日を貫けり。太子畏ぢたり498」
と、いとゆるるかにうち誦じたるを、大将、いとまばゆしと聞きたまへど、咎むべきことかは。后の御けしきは、いと恐ろしう、わづらはしげにのみ聞こゆるを、かう親しき人々も、けしきだち言ふべかめることどももあるに、わづらはしう思されけれど、つれなうのみもてなしたまへり。

 [4-4 朱雀帝と対面]
一般の事柄で、宮の御事に関することなどは、頼りにしている様子に、素っ気ないお返事ばかりを申し上げなさるので、「なんと冷静に、どこまでも」と、愚痴をこぼしたく御覧になるが、どのような事でもご後見申し上げ馴れていらっしゃるので、「女房が変だと、怪しんだりしたら大変だ」とお思いになって、退出なさる予定の日に、参内なさった。
まず最初、帝の御前に参上なさると、くつろいでいらっしゃるところで、昔今のお話を申し上げなさる。御容貌も、院にとてもよくお似申していらして、さらに一段と優美な点が付け加わって、お優しく穏やかでおいであそばす。お互いに懐かしく思ってお会いなさる。
尚侍の君の御ことも、依然として仲が切れていないようにお聞きあそばし、それらしい様子を御覧になる折もあるが、
「どうして、今に始まったことならばともかく、前から続いていたことなのだ。そのように心を通じ合っても、おかしくはない二人の仲なのだ」
と、しいてそうお考えになって、お咎めあそばさないのであった。
いろいろなお話、学問上で不審にお思いあそばしている点など、お尋ねあそばして、また、色めいた歌の話なども、お互いに打ち明けお話し申し上げなさる折に、あの斎宮がお下りになった日のこと、ご容貌が美しくおいであそばしたことなど、お話しあそばすので、自分も気を許して、野宮のしみじみとした明け方の話も、すっかりお話し申し上げてしまったのであった。
二十日の月、だんだん差し昇ってきて、風情ある時分なので、
「管弦の御遊なども、してみたい折だね」
と仰せになる。
「中宮が、今夜、御退出なさるそうで、そのお世話に参りましょう。院の御遺言あそばしたことがございましたので。他に、御後見申し上げる人もございませんようなので。東宮の御縁、気がかりに存じられまして」
とお断り申し上げになる。
「東宮を、わたしの養子にしてなどと、御遺言あそばされたので、とりわけ気をつけてはいるのだが、特別に区別した扱いにするのも、今さらどうかしらと思って。お年の割に、御筆跡などが格別に立派でいらっしゃるようだ。何事においても、ぱっとしないわたしの面目をほどこしてくれることになる」
と、仰せになるので、
「おおよそ、なさることなどは、とても賢く大人のような様子でいらっしゃるが、まだ、とても不十分で」
などと、その御様子も申し上げなさって、退出なさる時に、大宮のご兄弟の藤大納言の子で、頭の弁という者が、時流に乗って、今を時めく若者なので、何も気兼ねすることのないのであろう、妹の麗景殿の御方に行くところに、大将が先払いをひそやかにすると、ちょっと立ち止まって、
「白虹が日を貫いた。太子は、懼ぢた」
と、たいそうゆっくりと朗誦したのを、大将、まことに聞きにくいとお聞きになったが、何の咎め立てできることであろうか。后の御機嫌は、ひどく恐ろしく、厄介な噂ばかり聞いているうえに、このように一族の人々までも、態度に現して非難して言うらしいことがあるのを、厄介に思われなさったが、知らないふりをなさっていた。

 [4-4 Genji visits the Court to meet Mikado of his brother]
 Ohokata no koto-domo, Miya no ohom-koto ni hure taru koto nado wo ba, uti-tanome ru sama ni, sukuyoka naru ohom-kaheri bakari kikoye tamahe ru wo, "Sa mo kokoro-kasikoku, tuki se zu mo." to, uramesiu ha mi tamahe do, nani-goto mo usiromi kikoye narahi tamahi ni tare ba, "Hito ayasi to, mi-togame mo koso sure." to obosi te, makade tamahu beki hi, mawiri tamahe ri.
 Madu, Uti no ohom-kata ni mawiri tamahe re ba, nodoyaka ni ohasimasu hodo ni te, mukasi ima no ohom-monogatari kikoye tamahu. Ohom-katati mo, Win ni ito you ni tatematuri tamahi te, ima-sukosi namamekasiki ke sohi te, natukasiu nagoyaka ni zo ohasimasu. Katami ni ahare to mi tatematuri tamahu.
 Kam-no-Kimi no ohom-koto mo, naho taye nu sama ni kikosimesi, kesiki go-ran-zuru wori mo are do,
 "Nani ka ha, ima hazime taru koto nara ba koso ara me. Sa mo kokoro-kahasa m ni, nigenakaru maziki hito no ahahi nari kasi."
 to zo obosi-nasi te, togame sase tamaha zari keru.
 Yorodu no ohom-monogatari, humi no miti no obotukanaku obosa ruru koto-domo nado, toha se tamahi te, mata, suki-zukisiki uta-gatari nado mo, katami ni kikoye kaha sase tamahu tuide ni, kano Saiguu no kudari tamahi si hi no koto, katati no wokasiku ohase si nado, katara se tamahu ni, ware mo uti-toke te, Nonomiya no ahare nari si akebono mo mina kikoye-ide tamahi te keri.
 Hatuka no tuki, yau-yau sasi-ide te, wokasiki hodo naru ni,
 "Asobi nado mo, se mahosiki hodo kana!"
 to notamaha su.
 "Tiuguu no, koyohi, makade tamahu naru, toburahi ni monosi habera m. Win no notamaha se oku koto haberi sika ba. Mata, usiromi tukau-maturu hito mo habera za'meru ni. Touguu no ohom-yukari, itohosiu omohi tamahe rare haberi te."
 to sou-si tamahu.
 "Touguu wo ba, ima no Miko ni nasi te nado, notamahase-oki sika ba, toriwaki te kokorozasi monosure do, koto ni sasi-waki taru sama ni mo, nani-goto wo ka ha tote koso. Tosi no hodo yori mo, ohom-te nado no wazato kasikou koso monosi tamahu bekere. Nani-goto ni mo, haka-bakasikara nu midukara no omote-okosi ni nam."
 to, notamaha sure ba,
 "Ohokata, si tamahu waza nado, ito satoku otonabi taru sama ni monosi tamahe do, mada, ito katanari ni."
 nado, sono ohom-arisama mo sou-si tamahi te, makade tamahu ni, Oho-Miya no ohom-seuto no Tou-Dainagon no ko no, Tou-no-Ben to ihu ga, yo ni ahi, hanayaka naru waka-udo ni te, omohu koto naki naru besi, imouto no Reikei-Den no ohom-Kata ni yuku ni, Daisyau no ohom-saki wo sinobiyaka ni ohe ba, sibasi tati-tomari te,
 "Hakukou hi wo turanuke ri. Taisi wodi tari."
 to, ito yururuka ni uti-zu-zi taru wo, Daisyau, ito mabayusi to kiki tamahe do, togamu beki koto ka ha. Kisaki no mi-kesiki ha, ito osorosiu, wadurahasige ni nomi kikoyuru wo kau sitasiki hito-bito mo, kesiki-dati ihu beka'meru koto-domo mo aru ni, wadurahasiu obosa re kere do, turenau nomi motenasi tamahe ri.

 「御前にさぶらひて、今まで、更かしはべりにける」
と、聞こえたまふ。
月のはなやかなるに、「昔、かうやうなる折は、御遊びせさせたまひて、今めかしうもてなさせたまひし」など、思し出づるに、同じ御垣の内ながら、変はれること多く悲し。
「九重に霧や隔つる雲の上の
月をはるかに思ひやるかな」
と、命婦して、聞こえ伝へたまふ。ほどなければ、御けはひも、ほのかなれど、なつかしう聞こゆるに、つらさも忘られて、まづ涙ぞ落つる。
「月影は見し世の秋に変はらぬを
隔つる霧のつらくもあるかな
 霞も人の499とか、昔もはべりけることにや」
など聞こえたまふ。
宮は、春宮を飽かず思ひきこえたまひて、よろづのことを聞こえさせたまへど、深うも思し入れたらぬを、いとうしろめたく思ひきこえたまふ。例は、いととく大殿籠もるを、「出でたまふまでは起きたらむ」と思すなるべし。恨めしげに思したれど、さすがに、え慕ひきこえたまはぬを、いとあはれと、見たてまつりたまふ。

 [4-5 藤壷に挨拶]
「御前に伺候して、今まで、夜を更かしてしまいました」
と、ご挨拶申し上げなさる。
月が明るく照っているので、「昔、このような時には、管弦の御遊をあそばされて、華やかにお扱いしてくださった」などと、お思い出しになると、同じ宮中ながらも、変わってしまったことが多く悲しい。
「宮中には霧が幾重にもかかっているのでしょうか
雲の上で見えない月をはるかにお思い申し上げますことよ」
と、命婦を取り次ぎにして、申し上げさせなさる。それほど離れた距離ではないので、御様子も、かすかではあるが、慕わしく聞こえるので、辛い気持ちも自然と忘れられて、まっ先に涙がこぼれた。
「月の光は昔の秋と変わりませんのに
隔てる霧のあるのがつらく思われるのです
霞も仲を隔てるとか、昔もあったことでございましょうか」
などと、申し上げなさる。
宮は、春宮をいつまでも名残惜しくお思い申し上げなさって、あらゆる事柄をお話し申し上げなさるが、深くお考えにならないのを、ほんとうに不安にお思い申し上げなさる。いつもは、とても早くお寝みになるのを、「お帰りになるまでは起きていよう」とお考えなのであろう。残念そうにお思いでいたが、そうはいうものの、後をお慕い申し上げることのおできになれないのを、とてもいじらしいと、お思い申し上げなさる。

 [4-5 Genji greets Fujitsubo in the Court]
 "O-mahe ni saburahi te, ima made, hukasi haberi ni keru."
 to, kikoye tamahu.
 Tuki no hanayaka naru ni, "Mukasi, kau yau naru wori ha, ohom-asobi se sase tamahi te, imamekasiu motenasa se tamahi si." nado, obosi-iduru ni, onazi mi-gaki no uti nagara, kahare ru koto ohoku kanasi.
 "Kokonohe ni kiri ya hedaturu kumo no uhe no
 tuki wo haruka ni omohi-yaru kana
"
 to, Myaubu si te, kikoye tutahe tamahu. Hodo nakere ba, ohom-kehahi mo, honoka nare do, natukasiu kikoyuru ni, turasa mo wasura re te, madu mamida zo oturu.
 "Tuki-kage ha mi si yo no aki ni kahara nu wo
 hedaturu kiri no turaku mo aru kana

 Kasumi mo hito no to ka, mukasi mo haberi keru koto ni ya?"
 nado kikoye tamahu.
 Miya ha, Touguu wo aka zu omohi kikoye tamahi te, yorodu no koto wo kikoye sase tamahe do, hukau mo obosi-ire tara nu wo, ito usirometaku omohi kikoye tamahu. Rei ha, ito toku ohotono-gomoru wo, "Ide tamahu made ha oki tara m." to obosu naru besi. Uramesige ni obosi tare do, sasuga ni, e sitahi kikoye tamaha nu wo, ito ahare to, mi tatematuri tamahu.

 大将、頭の弁の誦じつることを思ふに、御心の鬼に、世の中わづらはしうおぼえたまひて、尚侍の君にも訪れきこえたまはで、久しうなりにけり。
初時雨、いつしかとけしきだつに、いかが思しけむ、かれより、
「木枯の吹くにつけつつ待ちし間に
おぼつかなさのころも経にけり」
 と500聞こえたまへり。折もあはれに、あながちに忍び書きたまへらむ501御心ばへも、憎からねば、御使とどめさせて、唐の紙ども入れさせたまへる御厨子開けさせたまひて、なべてならぬを選り出でつつ、筆なども心ことにひきつくろひたまへるけしき、艶なるを、御前なる人々、「誰ばかりならむ」とつきじろふ。
「聞こえさせても、かひなきもの懲りにこそ、むげにくづほれにけれ。身のみもの憂き502ほどに、
あひ見ずてしのぶるころの涙をも
なべての空の時雨とや見る
心の通ふならば、いかに眺めの空ももの忘れしはべらむ」
など、こまやかになりにけり。
かうやうにおどろかしきこゆるたぐひ多かめれど、情けなからずうち返りごちたまひて、御心には深う染まざるべし。

 [4-6 初冬のころ、源氏朧月夜と和歌贈答]
大将、頭の弁が朗誦したことを考えると、お気が咎めて、世の中が厄介に思われなさって、尚侍の君にもお便りを差し上げなさることもなく、長いことになってしまった。
初時雨、早くもその気配を見せたころ、どうお思いになったのであろうか、向こうから、
「木枯が吹くたびごとに訪れを待っているうちに
長い月日が経ってしまいました」
と差し上げなさった。時節柄しみじみとしたころであり、無理をしてこっそりお書きになったらしいお気持ちも、いじらしいので、お使いを留めさせて、唐の紙をお入れあそばしている御厨子を開けさせなさって、特別上等なのをあれこれ選び出しなさって、筆を念入りに整えて認めていらっしゃる様子、優美なので、御前の女房たちは、「どなたのであろう」と、互いにつっ突き合っている。
「お便り差し上げても、何の役にも立たないのに懲りまして、すっかり気落ちしておりました。自分だけが情けなく思われていたところに、
お逢いできずに恋い忍んで泣いている涙の雨までを
ありふれた秋の時雨とお思いなのでしょうか
心が通じるならば、どんなに物思いに沈んでいる気持ちも、紛れることでしょう」
などと、つい情のこもった手紙になってしまった。
このようにお便りを差し上げる人々は多いようであるが、無愛想にならないようお返事をなさって、お気持ちには深くしみこまないのであろう。

 [4-6 Genji and Oborozukiyo send a mail each other]
 Daisyau, Tou-no-Ben no zu-zi turu koto wo omohu ni, mi-kokoro-no-oni ni, yononaka wadurahasiu oboye tamahi te, Kam-no-Kimi ni mo otodure kikoye tamaha de, hisasiu nari ni keri.
 Hatu-sigure, itusika to kesiki-datu ni, ikaga obosi kem, kare yori,
 "Kogarasi no huku ni tuke tutu mati si ma ni
 obotukanasa no koro mo he ni keri
"
 to kikoye tamahe ri. Wori mo ahare ni, anagati ni sinobi kaki tamahe ra m mi-kokorobahe mo, nikukara ne ba, ohom-tukahi todome sase te, kara no kami-domo ire sase tamahe ru mi-dusi ake sase tamahi te, nabete nara nu wo eri-ide tutu, hude nado mo kokoro koto ni hiki-tukurohi tamahe ru kesiki, en naru wo, o-mahe naru hito-bito, "Tare bakari nara m?" to tuki-zirohu.
 "Kikoye sase te mo, kahi-naki mono-gori ni koso, muge ni kuduhore ni kere! Mi nomi mono-uki hodo ni,
 Ahi-mi zu te sinoburu koro no namida wo mo
 nabete no sora no sigure to ya miru

 Kokoro no kayohu nara ba, ika ni nagame no sora mo mono-wasure si habera m."
 nado, komayaka ni nari ni keri.
 Kau-yau ni odorokasi kikoyuru taguhi ohoka'mere do, nasake nakara zu uti-kaheri-goti tamahi te, mi-kokoro ni ha hukau sima zaru besi.

 中宮は、院の御はてのことにうち続き、御八講のいそぎをさまざまに心づかひせさせたまひけり。
霜月の朔日ごろ、御国忌なるに、雪いたう降りたり。大将殿より宮に聞こえたまふ。
「別れにし今日は来れども見し人に
行き逢ふほどをいつと頼まむ」
いづこにも、今日はもの悲しう思さるるほどにて、御返りあり。
「ながらふるほどは憂けれど行きめぐり
今日はその世に逢ふ心地して」
ことにつくろひてもあらぬ御書きざまなれど、あてに気高きは思ひなしなるべし。筋変はり今めかしうはあらねど、人にはことに書かせたまへり。今日は、この御ことも思ひ消ちて、あはれなる雪の雫に濡れ濡れ行ひたまふ。

 5 藤壷の物語 法華八講主催と出家 [5-1 11月1日、故桐壷院の御国忌]
中宮は、故院の一周忌の御法事に引き続き、御八講の準備にいろいろとお心をお配りあそばすのであった。
霜月の上旬、御国忌の日に、雪がたいそう降った。大将殿から宮にお便り差し上げなさる。
「故院にお別れ申した日がめぐって来ましたが、雪はふっても
その人にまた行きめぐり逢える時はいつと期待できようか」
どちらも、今日は物悲しく思わずにいらっしゃれない日なので、お返事がある。
「生きながらえておりますのは辛く嫌なことですが
一周忌の今日は、故院の在世中のような思いがいたしまして」
格別に念を入れたのでもないお書きぶりだが、上品で気高いのは思い入れであろう。書風が独特で当世風というのではないが、他の人には優れてお書きあそばしている。今日は、宮へのご執心も抑えて、しみじみと雪の雫に濡れながら御追善の法事をなさる。

 5 Tale of Fujitsubo She becommes a nun [5-1 The first anniversary of Kiritsbo's death on November 1]
 Tiuguu ha, Win no ohom-hate no koto ni uti-tuduki, mi-Hakou no isogi wo sama-zama ni kokoro-dukahi se sase tamahi keri.
 Simo-tuki no tuitati-goro, mi-Ko'ki naru ni, yuki itau huri tari. Daisyau-dono yori Miya ni kikoye tamahu.
 "Wakare ni si kehu ha kure do mo mi si hito ni
 yuki-ahu hodo wo itu to tanoma m
"
 Iduko ni mo, kehu ha mono-ganasiu obosa ruru hodo ni te, ohom-kaheri ari.
 "Nagarahuru hodo ha ukere do yuki-meguri
 kehu ha sono yo ni ahu kokoti si te
"
 Koto ni tukurohi te mo ara nu ohom-kaki-zama nare do, ate ni ke-dakaki ha omohi-nasi naru besi. Sudi kahari imamekasiu ha ara ne do, hito ni ha koto ni kaka se tamahe ri. Kehu ha, kono ohom-koto mo omohi-keti te, ahare naru yuki no siduku ni nure-nure okonahi tamahu.

 十二月十余日ばかり、中宮の御八講なり。いみじう尊し。日々に供養ぜさせたまふ御経よりはじめ、玉の軸、羅の表紙503、帙簀の飾りも、世になきさまにととのへさせたまへり。さらぬことのきよらだに、世の常ならずおはしませば、ましてことわりなり。仏の御飾り、花机のおほひなどまで、まことの極楽思ひやらる。
初めの日は、先帝の御料。次の日は、母后の御ため。またの日は、院の御料。五巻の日なれば、上達部なども、世のつつましさをえしも憚りたまはで、いとあまた参りたまへり。今日の講師は、心ことに選らせたまへれば、「薪こる」ほどよりうちはじめ、同じう言ふ言の葉も、いみじう尊し。親王たちも、さまざまの捧物ささげてめぐりたまふに、大将殿の御用意など、なほ似るもの504なし。常におなじことのやうなれど、見たてまつるたびごとに、めづらしからむをば、いかがはせむ。
果ての日、わが御ことを結願にて、世を背きたまふよし、仏に申させたまふに、皆人々おどろきたまひぬ。兵部卿宮、大将の御心も動きて、あさましと思す。
親王は、なかばのほどに立ちて、入りたまひぬ。心強う思し立つさまのたまひて、果つるほどに、山の座主召して、忌むこと受けたまふべきよし、のたまはす。御伯父の横川の僧都、近う参りたまひて、御髪下ろし505たまふほどに、宮の内ゆすりて、ゆゆしう泣きみちたり。何となき老い衰へたる人だに、今はと世を背くほどは、あやしうあはれなるわざを、まして、かねての御けしきにも出だしたまはざりつることなれば、親王もいみじう泣きたまふ。
参りたまへる人々も、おほかたのことのさまも、あはれ尊ければ、みな、袖濡らしてぞ帰りたまひける。
故院の御子たちは、昔の御ありさまを思し出づるに、いとど、あはれに悲しう思されて、みな、とぶらひきこえたまふ。大将は、立ちとまりたまひて、聞こえ出でたまふべきかたもなく、暮れまどひて思さるれど、「などか506、さしも」と、人見たてまつるべければ、親王など出でたまひぬる後にぞ、御前に参りたまへる。
やうやう人静まりて、女房ども、鼻うちかみつつ、所々に群れゐたり。月は隈なきに、雪の光りあひたる庭のありさまも、昔のこと思ひやらるるに、いと堪へがたう思さるれど507、いとよう思し静めて、
「いかやうに思し立たせたまひて、かうにはかには」
と聞こえたまふ。
「今はじめて、思ひたまふることにもあらぬを、ものさわがしきやうなりつれば、心乱れぬべく」
など、例の、命婦して聞こえたまふ。
御簾のうちのけはひ、そこら集ひさぶらふ人の衣の音なひ、しめやかに振る舞ひなして、うち身じろきつつ、悲しげさの慰めがたげに漏り聞こゆるけしき、ことわりに、いみじと聞きたまふ。
風、はげしう吹きふぶきて、御簾のうちの匂ひ、いともの深き黒方にしみて、名香の煙もほのかなり。大将の御匂ひさへ薫りあひ、めでたく、極楽思ひやらるる夜のさまなり。
春宮の御使も参れり。のたまひしさま、思ひ出できこえさせたまふにぞ、御心強さも堪へがたくて、御返りも聞こえさせやらせたまはねば、大将ぞ、言加はへ聞こえたまひける。
誰も誰も、ある限り心収まらぬほどなれば、思すことどもも、えうち出でたまはず。
「月のすむ雲居をかけて慕ふとも
 この世の闇になほや惑はむ508
と思ひたまへらるる509こそ、かひなく。思し立たせたまへる恨めしさは、限りなう」
とばかり聞こえたまひて、人々近うさぶらへば、さまざま乱るる心のうちをだに、え聞こえあらはしたまはず、いぶせし。
「おほふかたの憂きにつけては厭へども
いつかこの世を背き果つべき
かつ、濁りつつ」
など、かたへは御使の心しらひなるべし。あはれのみ尽きせねば、胸苦しうてまかでたまひぬ。

 [5-2 12月10日過ぎ、藤壷、法華八講主催の後、出家す]
十二月の十日過ぎころ、中宮の御八講である。たいそう荘厳である。毎日供養なさる御経をはじめ、玉の軸、羅の表紙、帙簀の装飾も、この世にまたとない様子に御準備させなさっていた。普通の催しでさえ、この世のものとは思えないほど立派にお作りになっていらっしゃるので、まして言うまでもない。仏像のお飾り、花机の覆いなどまで、本当の極楽浄土が思いやられる。
第一日は、先帝の御ため。第二日は、母后の御ため。次の日は、故院の御ため。第五巻目の日なので、上達部なども、世間の思惑に遠慮なさってもおれず、おおぜい参上なさった。今日の講師は、特に厳選あそばしていらっしゃるので、「薪こり」という讃歌をはじめとして、同じ唱える言葉でも、たいそう尊い。親王たちも、さまざまな供物を捧げて行道なさるが、大将殿のお心づかいなど、やはり他に似るものがない。いつも同じことのようだが、拝見する度毎に素晴らしいのは、どうしたらよいだろうか。
最終日は、御自身のことを結願として、出家なさる旨、仏に僧からお申し上げさせなさるので、参集の人々はお驚きになった。兵部卿宮、大将がお気も動転して、驚きあきれなさる。
親王は、儀式の最中に座を立って、お入りになった。御決心の固いことをおっしゃって、終わりころに、山の座主を召して、戒をお受けになる旨、仰せになる。御伯父の横川の僧都、お近くに参上なさって、お髪を下ろしなさる時、宮邸中どよめいて、不吉にも泣き声が満ちわたった。たいしたこともない老い衰えた人でさえ、今は最後と出家をする時は、不思議と感慨深いものなのだが、まして、前々からお顔色にもお出しにならなかったことなので、親王もひどくお泣きになる。
参集なさった方々も、大方の成り行きも、しみじみ尊いので、皆、袖を濡らしてお帰りになったのであった。
故院の皇子たちは、在世中の御様子をお思い出しになると、ますます、しみじみと悲しく思わずにはいらっしゃれなくて、皆、お見舞いの詞をお掛け申し上げなさる。大将は、お残りになって、お言葉かけ申し上げるすべもなく、目の前がまっ暗闇に思われなさるが、「どうして、そんなにまで」と、人々がお見咎め申すにちがいないので、親王などがお出になった後に、御前に参上なさった。
だんだんと人の気配が静かになって、女房連中、鼻をかみながら、あちこちに群れかたまっていた。月は隈もなく照って、雪が光っている庭の様子も、昔のことが遠く思い出されて、とても堪えがたく思われなさるが、じっとお気持ちを鎮めて、
「どのように御決意あそばして、このように急な」
とお尋ね申し上げになる。
「今初めて、決意致したのではございませんが、何となく騒々しいようになってしまったので、決意も揺らいでしまいそうで」
などと、いつものように、命婦を通じて申し上げなさる。
御簾の中の様子、おおぜい伺候している女房の衣ずれの音、わざとひっそりと気をつけて、振る舞い身じろぎながら、悲しみが慰めがたそうに外へ漏れくる様子、もっともなことで、悲しいと、お聞きになる。
風、激しく吹き吹雪いて、御簾の内の匂い、たいそう奥ゆかしい黒方に染み込んで、名香の煙もほのかである。大将の御匂いまで薫り合って、素晴らしく、極楽浄土が思いやられる今夜の様子である。
春宮からの御使者も参上した。仰せになった時のこと、お思い出しあそばされると、固い御決意も堪えがたくて、お返事も最後まで十分にお申し上げあそばされないので、大将が、言葉をお添えになったのであった。
どなたもどなたも、皆が悲しみに堪えられない時なので、思っていらっしゃる事なども、おっしゃれない。
「月のように心澄んだ御出家の境地をお慕い申しても
なおも子どもゆえのこの世の煩悩に迷い続けるのであろうか
と存じられますのが、どうにもならないことで。出家を御決意なさった恨めしさは、この上もなく」
とだけお申し上げになって、女房たちがお側近くに伺候しているので、いろいろと乱れる心中の思いさえ、お表し申すことができないので、気が晴れない。
「世間一般の嫌なことからは離れたが、子どもへの煩悩は
いつになったらすっかり離れ切ることができるのであろうか
一方では、煩悩を断ち切れずに」
などと、半分は取次ぎの女房のとりなしであろう。悲しみの気持ちばかりが尽きないので、胸の苦しい思いで退出なさった。

 [5-2 Fujitsubo becommes a nun after her Hokehako ceremony]
 Sihasu no towo-yo-ka bakari, Tiuguu no mi-Ha'kau nari. Imiziu tahutosi. Hi-bi ni kuyau-ze sase tamahu mi-kyau yori hazime, tama no diku, ra no heusi, disu no kazari mo, yo ni naki sama ni totonohe sase tamahe ri. Sa'ra nu koto no kiyora dani, yo no tune nara zu ohasimase ba, masite kotowari nari. Hotoke no ohom-kazari, hana-dukuye no ohohi nado made, makoto no Gokuraku omohi-yara ru.
 Hazime no hi ha, Sendai no go-reu. Tugi no hi ha, haha-Gisaki no ohom-tame. Mata no hi ha, Win no go-reu. Go-kwan no hi nare ba, Kamdatime nado mo, yo no tutumasisa wo e si mo habakari tamaha de, ito amata mawiri tamahe ri. Kehu no Kauzi ha, kokoro koto ni era se tamahe re ba, "Takigi koru" hodo yori uti-hazime, onaziu ihu koto-no-ha mo, imiziu tahutosi. Miko-tati mo, sama-zama no houmoti sasage te meguri tamahu ni, Daisyau-dono no ohom-youi nado, naho niru mono nasi. Tune ni onazi koto no yau nare do, mi tatematuru tabi goto ni, medurasikara m wo ba, ikaga ha se m.
 Hate no hi, waga ohom-koto wo keti-gwan ni te, yo wo somuki tamahu yosi, Hotoke ni mausa se tamahu ni, mina hito-bito odoroki tamahi nu. Hyaubukyau-no-Miya, Daisyau no mi-kokoro mo ugoki te, asamasi to obosu.
 Miko ha, nakaba no hodo ni tati te, iri tamahi nu. Kokoro-duyou obosi-tatu sama notamahi te, haturu hodo ni, Yama-no-Zasu mesi te, imu-koto uke tamahu beki yosi, notamaha su. Ohom-wodi no Yokaha-no-Soudu, tikau mawiri tamahi te, mi-gusi orosi tamahu hodo ni, Miya no uti yusuri te, yuyusiu naki-miti tari. Nani to naki oyi otorohe taru hito dani, ima ha to yo wo somuku hodo ha, ayasiu ahare naru waza wo, masite, kanete no mi-kesiki ni mo idasi tamaha zari turu koto nare ba, Miko mo imiziu naki tamahu.
 Mawiri tamahe ru hito-bito mo, ohokata no koto no sama mo, ahare tahutokere ba, mina, sode nurasi te zo kaheri tamahi keru.
 Ko-Win no Miko-tati ha, mukasi no ohom-arisama wo obosi-iduru ni, itodo, ahare ni kanasiu obosa re te, mina, toburahi kikoye tamahu. Daisyau ha, tati-tomari tamahi te, kikoye-ide tamahu beki kata mo naku, kure-madohi te obosa rure do, "Nado ka, sa si mo." to, hito mitatematuru bekere ba, Miko nado ide tamahi nuru noti ni zo, o-mahe ni mawiri tamahe ru.
 Yau-yau hito sidumari te, nyoubau-domo, hana uti-kami tutu, tokoro-dokoro ni mure-wi tari. Tuki ha kuma naki ni, yuki no hikari-ahi taru niha no arisama mo, mukasi no koto omohi-yara ruru ni, ito tahe-gatau obosa rure do, ito you obosi sidume te,
 "Ika yau ni obosi tata se tamahi te, kau nihaka ni ha."
 to kikoye tamahu.
 "Ima hazime te, omohi tamahuru koto ni mo ara nu wo, mono-sawagasiki yau nari ture ba, kokoro-midare nu beku."
 nado, rei no, Myaubu site kikoye tamahu.
 Mi-su no uti no kehahi, sokora tudohi saburahu hito no kinu no otonahi, simeyaka ni hurumahi-nasi te, uti-miziroki tutu, kanasigesa no nagusame gatage ni mori kikoyuru kesiki, kotowari ni, imizi to kiki tamahu.
 Kaze, hagesiu huki-hubuki te, mi-su no uti no nihohi, ito mono-hukaki Kurobou ni simi te, Myaugau no keburi mo honoka nari. Daisyau no ohom-nihohi sahe kawori-ahi, medetaku, Gokuraku omohi-yara ruru yo no sama nari.
 Touguu no ohom-tukahi mo mawire ri. Notamahi si sama, omohi-ide kikoye sase tamahu ni zo, mi-kokoro-duyosa mo tahe-gataku te, ohom-kaheri mo kikoye sase yara se tamaha ne ba, Daisyau zo, koto kuhahe kikoye tamahi keru.
 Tare mo tare mo, aru kagiri kokoro wosamara nu hodo nare ba, obosu koto-domo mo, e uti-ide tamaha zu.
 "Tuki no sumu kumo-wi wo kake te sitahu to mo
 kono yo no yami ni naho ya madoha m

 to omohi tamahe ra ruru koso, kahi naku. Obosi-tata se tamahe ru uramesisa ha, kagiri-nau."
 to bakari kikoye tamahi te, hito-bito tikau saburahe ba, sama-zama midaruru kokoro no uti wo dani, e kikoye arahasi tamaha zu, ibusesi.
 "Ohohukata no uki ni tuke te ha itohe do mo
 ituka kono yo wo somuki hatu beki

 Katu, nigori tutu."
 nado, katahe ha ohom-tukahi no kokoro-sirahi naru besi. Ahare nomi tukise ne ba, mune kurusiu te makade tamahi nu.

 殿にても、わが御方に一人うち臥したまひて、御目もあはず、世の中厭はしう思さるるにも、春宮の御ことのみぞ心苦しき。
「母宮をだに朝廷がたざまにと、思しおきしを、世の憂さに堪へず、かくなりたまひにたれば、もとの御位にてもえおはせじ。我さへ見たてまつり捨ててはなど、思し明かすこと限りなし。
「今は、かかるかたざまの御調度どもをこそは」と思せば、年の内にと、急がせたまふ。命婦の君も御供になりにければ、それも心深うとぶらひたまふ。詳しう言ひ続けむに、ことことしきさまなれば、漏らしてけるなめり。さるは、かうやうの折こそ、をかしき歌など出で来るやうもあれ、さうざうしや。
参りたまふも、今はつつましさ薄らぎて、御みづから聞こえたまふ折もありけり。思ひしめてしことは、さらに御心に離れねど、まして、あるまじきことなりかし。

 [5-3 後に残された源氏]
お邸でも、ご自分のお部屋でただ独りお臥せりになって、お眠りになることもできず、世の中が厭わしく思われなさるにつけても、春宮の御身の上のことばかりが気がかりである。
「せめて母宮だけでも表向きの御後見役にと、お考えおいておられたのに、世の中の嫌なことに堪え切れず、このようにおなりになってしまったので、もとの地位のままでいらっしゃることもおできになれまい。自分までがご後見申し上げなくなってしまったら」などと、お考え続けなさり、夜を明かすこと、一再でない。
「今となっては、こうした方面の御調度類などを、さっそくに」とお思いになると、年内にと考えて、お急がせなさる。命婦の君もお供して出家してしまったので、その人にも懇ろにお見舞いなさる。詳しく語ることも、仰々しいことになるので、省略したもののようである。実のところ、このような折にこそ、趣の深い歌なども出てくるものだが、物足りないことよ。
参上なさっても、今は遠慮も薄らいで、御自身でお話を申し上げなさる時もあるのであった。ご執心であったことは、全然お心からなくなってはないが、言うまでもなく、あってはならないことである。

 [5-3 Genji is left behind Fujitsbo gotten into religion]
 Tono ni te mo, waga ohom-kata ni hitori uti-husi tamahi te, ohom-me mo aha zu, yononaka itohasiu obosa ruru ni mo, Touguu no ohom-koto nomi zo kokoro-gurusiki.
 "Haha-Miya wo dani ohoyake-gata zama ni to, obosi-oki si wo, yo no usa ni tahe zu, kaku nari tamahi ni tare ba, moto no mi-kurawi ni te mo e ohase zi. Ware sahe mi tatematuri sute te ha." nado, obosi-akasu koto kagiri nasi.
 "Ima ha, kakaru kata zama no mi-teudo-domo wo koso ha." to obose ba, tosi no uti ni to, isoga se tamahu. Myaubu-no-Kimi mo ohom-tomo ni nari ni kere ba, sore mo kokoro-hukau toburahi tamahu. Kuhasiu ihi-tuduke m ni, koto-kotosiki sama nare ba, morasi te keru na'meri. Sa'ru ha, kau-yau no wori koso, wokasiki uta nado ide-kuru yau mo are, sau-zausi ya!
 Mawiri tamahu mo, ima ha tutumasisa usuragi te, ohom-midukara kikoye tamahu wori mo ari keri. Omohi-sime te si koto ha, sara ni mi-kokoro ni hanare ne do, masite, aru maziki koto nari kasi.

 年も変はりぬれば、内裏わたりはなやかに、内宴、踏歌など聞きたまふも、もののみあはれにて、御行なひしめやかにしたまひつつ、後の世のことをのみ思すに、頼もしく、むつかしかりしこと、離れて思ほさる。常の御念誦堂をば、さるものにて、ことに建てられたる御堂の、西の対の南に510あたりて、すこし離れたるに渡らせたまひて、とりわきたる御行なひせさせたまふ。
大将、参りたまへり。改まるしるしもなく、宮の内のどかに、人目まれにて、宮司どもの親しきばかり、うちうなだれて、見なしにやあらむ、屈しいたげに思へり。
白馬ばかりぞ、なほひき変へぬものにて、女房などの見ける。所狭う参り集ひたまひし上達部511など、道を避きつつひき過ぎて、向かひの大殿に集ひたまふを、かかるべきことなれど、あはれに思さるるに、千人にも変へつべき御さまにて、深うたづね参りたまへるを見るに、あいなく涙ぐまる。
客人も、いとものあはれなるけしきに、うち見まはしたまひて、とみに物ものたまはず。さま変はれる御住まひに、御簾の端、御几帳も青鈍にて、隙々よりほの見えたる薄鈍、梔子の袖口など、なかなかなまめかしう、奥ゆかしう思ひやられたまふ。「解けわたる池の薄氷、岸の柳のけしきばかりは、時を忘れぬ」など、さまざま眺められたまひて、「むべも心ある512」と、忍びやかにうち誦じたまへる、またなうなまめかし。
「ながめかる海人のすみかと見るからに
まづしほたるる松が浦島」
と聞こえたまへば、奥深うもあらず、みな仏に譲りきこえたまへる御座所なれば、すこしけ近き心地して、
「ありし世のなごりだになき浦島に
立ち寄る波のめづらしきかな」
とのたまふも、ほの聞こゆれば、忍ぶれど、涙ほろほろとこぼれたまひぬ。世を思ひ澄ましたる尼君たちの見るらむも、はしたなければ、言少なにて出でたまひぬ。
「さも、たぐひなくねびまさりたまふかな」
「心もとなきところなく世に栄え、時にあひたまひし時は、さるひとつものにて、何につけてか世を思し知らむ513と、推し量られたまひしを」
「今はいといたう思ししづめて、はかなきことにつけても、ものあはれなるけしけさへ添はせたまへるは、あいなう心苦しうもあるかな」
など、老いしらへる人々、うち泣きつつ、めできこゆ。宮も思し出づること多かり。

 6 光る源氏の物語 [6-1 諒闇明けの新年を迎える]
年も改まったので、宮中辺りは賑やかになり、内宴、踏歌などとお聞きになっても、何となくしみじみとした気持ちばかりせられて、御勤行をひっそりとなさりながら、来世のことばかりをお考えになると、末頼もしく、厄介に思われたこと、遠い昔の事に思われる。いつもの御念誦堂は、それはそれとして、特別に建立された御堂の、西の対の南に当たって、少し離れた所にお渡りあそばして、格別に心をこめた御勤行をあそばす。
大将、参賀に上がった。新年らしく感じられるものもなく、宮邸の中はのんびりとして、人目も少なく、中宮職の者で親しい者だけ、ちょっとうなだれて、思いなしであろうか、思い沈んだふうに見える。
白馬の節会だけは、やはり昔に変わらないものとして、女房などが見物した。所狭しと参賀に参集なさった上達部など、道を避け避けして通り過ぎて、向かいの大殿に参集なさるのを、こういうものであるが、しみじみと感じられるところに、一人当千といってもよいご様子で、志深く年賀に参上なさったのを見ると、無性に涙がこぼれる。
客人も、たいそうしみじみとした様子に、見回しなさって、直ぐにはお言葉も出ない。様変わりしたお暮らしぶりで、御簾の端、御几帳も青鈍色になって、隙間隙間から微かに見えている薄鈍色、くちなし色の袖口など、かえって優美で、奥ゆかしく想像されなさる。「一面に解けかかっている池の薄氷、岸の柳の芽ぶきは、時節を忘れていない」などと、あれこれと感慨を催されて、「なるほど情趣を解する」と、ひっそりと朗唱なさっている、またとなく優美である。
「物思いに沈んでいらっしゃるお住まいかと存じますと
何より先に涙に暮れてしまいます」
と申し上げなさると、奥深い所でもなく、すべて仏にお譲り申していらっしゃる御座所なので、ちょっと身近な心地がして、
「昔の俤さえないこのような所に
立ち寄ってくださるとは珍しいですね」
とおっしゃるのが、微かに聞こえるので、堪えていたが、涙がほろほろとおこぼれになった。世の中を悟り澄ましている尼君たちが見ているだろうのも、体裁が悪いので、言葉少なにしてお帰りになった。
「なんと、またとないくらい立派にお成りですこと」
「何の不足もなく世に栄え、時流に乗っていらっしゃった時は、そうした人にありがちのことで、どのようなことで人の世の機微をお知りになるだろうか、と思われておりましたが」「今はたいそう思慮深く落ち着いていられて、ちょっとした事につけても、しんみりとした感じまでお加わりになったのは、どうにも気の毒でなりませんね」
などと、年老いた女房たち、涙を流しながら、お褒め申し上げる。宮も、お思い出しになる事が多かった。

 6 Tale of Hikaru-Genji [6-1 It becomes a happy New Year]
 Tosi mo kahari nure ba, Uti watari hanayaka ni, Naien, Tahuka nado kiki tamahu mo, mono nomi ahare ni te, ohom-okonahi simeyaka ni si tamahi tutu, noti-no-yo no koto wo nomi obosu ni, tanomosiku, mutukari si koto, hanare te omohosa ru. Tune no go-Nenzu-dau wo ba sa'ru mono ni te, koto ni tate rare taru mi-dau no, nisi-no-tai no minami ni atari te, sukosi hanare taru ni watara se tamahi te, tori-waki taru ohom-okonahi se sase tamahu.
 Daisyau, mawiri tamahe ri. Aratamaru sirusi mo naku, Miya no uti nodoka ni, hito-me mare ni te, Miya-dukasa-domo no sitasiki bakari, uti-unadare te, mi-nasi ni ya ara m, ku'-si itage ni omohe ri.
 Awo-mma bakari zo, naho hiki-kahe nu mono ni te, nyoubau nado no mi keru. Tokoro-seu mawiri-tudohi tamahi si Kamdatime nado, miti wo yoki tutu hiki-sugi te, mukahi no Ohoi-dono ni tudohi tamahu wo, kakaru beki koto nare do, ahare ni obosa ruru ni, sen-nin ni mo kahe tu beki ohom-sama ni te, hukau tadune mawiri tamahe ru wo miru ni, ai-naku namida-gumaru.
 Mara-uto mo, ito mono-ahare naru kesiki ni, uti-mi-mahasi tamahi te, tomi ni mono mo notamaha zu. Sama kahare ru ohom-sumahi ni, mi-su no hasi, mi-kityau mo awo-nibi ni te, hima-hima yori hono-miye taru usu-nibi, kutinasi no sode-duti nado, naka-naka namamekasiu, okuyukasiu omohi-yara re tamahu. "Toke-wataru ike no usu-gohori, kisi no yanagi no kesiki bakari ha, toki wo wasure nu." nado, sama-zama nagame rare tamahi te, "Mube mo kokoro aru." to, sinobiyaka ni uti-zu-zi tamahe ru, mata nau namamekasi.
 "Nagame karu ama no sumika to miru kara ni
 madu sihotaruru Matu-ga-urasima
"
 to kikoye tamahe ba, oku hukau mo ara zu, mina Hotoke ni yuduri kikoye tamahe ru o-masi-dokoro nare ba, sukosi ke-dikaki kokoti si te,
 "Ari si yo no nagori dani naki Urasima ni
 tati-yoru nami no medurasiki kana
"
 to notamahu mo, hono-kikoyure ba, sinobure do, namida horo-horo to kobore tamahi nu. Yo wo omohi sumasi taru Ama-Gimi-tati no miru ram mo, hasitanakere ba, koto-zukuna ni te ide tamahi nu.
 "Samo, taguhi naku nebi-masari tamahu kana!"
 "Kokoro-motonaki tokoro naku yo ni sakaye, toki ni ahi tamahi si toki ha, sa'ru hito-tu mono ni te, nani ni tuke te ka yo wo obosi sira m to, osihakara re tamahi si wo."
 "Ima ha ito itau obosi-sidume te, hakanaki koto ni tuke te mo, mono-ahare naru kesiki sahe soha se tamahe ru ha, ai-nau kokoro-gurusiu mo aru kana!"
 nado, oyi-sirahe ru hito-bito, uti-naki tutu, mede kikoyu. Miya mo obosi-iduru koto ohokari.

 司召のころ、この宮の人は、賜はるべき官も得ず、おほかたの道理にても、宮の御賜はりにても、かならずあるべき加階などをだにせずなどして、嘆くたぐひいと多かり。かくても、いつしかと御位を去り、御封などの停まるべきにもあらぬを、ことつけて変はること多かり。皆かねて思し捨ててし世なれど、宮人どもも、よりどころなげに悲しと思へるけしきどもにつけてぞ、御心動く折々あれど、「わが身をなきになしても、春宮の御代をたひらかにおはしまさば」とのみ思しつつ、御行なひたゆみなくつとめさせたまふ。
人知れず危ふくゆゆしう思ひきこえさせたまふことしあれば、「我にその罪を軽めて、宥したまへ」と、仏を念じきこえたまふに、よろづを慰めたまふ。
大将も、しか見たてまつりたまひて、ことわりに思す。この殿の人どもも、また同じきさまに、からきことのみあれば、世の中はしたなく思されて、籠もりおはす。
左の大臣も、公私ひき変へたる世のありさまに、もの憂く思して、致仕の表たてまつりたまふを、帝は、故院のやむごとなく重き御後見と思して、長き世のかためと聞こえ置きたまひし御遺言を思し召すに、捨てがたきものに思ひきこえたまへるに、かひなきことと、たびたび用ゐさせたまはねど、せめて返さひ申したまひて、籠もりゐたまひぬ。
今は、いとど一族のみ、返す返す栄えたまふこと、限りなし。世の重しとものしたまへる大臣の、かく世を逃がれたまへば、朝廷も心細う思され、世の人も、心ある限りは嘆きけり。
御子どもは、いづれともなく人がらめやすく世に用ゐられて、心地よげにものしたまひしを、こよなう静まりて、三位中将なども、世を思ひ沈めるさま、こよなし。かの四の君をも、なほ、かれがれにうち通ひつつ、めざましうもてなされたれば、心解けたる御婿のうちにも入れたまはず。思ひ知れとにや、このたびの司召にも漏れぬれど、いとしも思ひ入れず。
大将殿、かう静かにておはするに、世ははかなきものと見えぬるを、ましてことわり、と思しなして、常に参り通ひたまひつつ、学問514をも遊びをももろともにしたまふ。
いにしへも、もの狂ほしきまで、挑みきこえたまひしを思し出でて、かたみに今もはかなきことにつけつつ、さすがに挑みたまへり。
春秋の御読経をばさるものにて、臨時にも、さまざま尊き事どもをせさせたまひなどして、また、いたづらに暇ありげなる博士ども召し集めて、文作り、韻塞ぎなどやうのすさびわざどもをもしなど、心をやりて、宮仕へをもをさをさしたまはず、御心にまかせてうち遊びておはするを、世の中には、わづらはしきことどもやうやう言ひ出づる人々あるべし。

 [6-2 源氏一派の人々の不遇]
司召のころ、この宮の人々は、当然賜るはずの官職も得られず、世間一般の道理から考えても、宮の御年官でも、必ずあるはずの加階などさえなかったりして、嘆いている者がたいそう多かった。このように出家しても、直ちにお位を去り、御封などが停止されるはずもないのに、出家にかこつけて変わることが多かった。すべて既にお捨てになった世の中であるが、宮に仕えている人々も、頼りなげに悲しいと思っている様子を見るにつけて、お気持ちの納まらない時々もあるが、「自分の身を犠牲にしてでも、東宮の御即位が無事にお遂げあそばされるなら」とだけお考えになっては、御勤行に余念なくお勤めあそばす。
人知れず危険で不吉にお思い申し上げあそばす事があるので、「わたしにその罪障を軽くして、お宥しください」と、仏をお念じ申し上げることによって、万事をお慰めになる。
大将も、そのように拝見なさって、ごもっともであるとお考えになる。こちらの殿の人々も、また同様に、辛いことばかりあるので、世の中を面白くなく思わずにはいらっしゃれなくて、退き籠もっていらっしゃる。
左大臣も、公私ともに変わった世の中の情勢に、億劫にお思いになって、致仕の表を上表なさるのを、帝は、故院が重大な重々しい御後見役とお考えになって、いつまでも国家の柱石と申された御遺言をお考えになると、見捨てにくい方とお思い申していらっしゃるので、無意味なことだと、何度もお許しあそばさないが、無理に御返上申されて、退き籠もっておしまいになった。
今では、ますます一族だけが、いやが上にもお栄えになること、この上ない。世の重鎮でいらっしゃった大臣が、このように政界をお退きになったので、帝も心細くお思いあそばし、世の中の人も、良識のある人は皆嘆くのであった。
ご子息たちは、どの方も皆人柄が良く朝廷に用いられて、得意そうでいらっしゃったが、すっかり沈んで、三位中将なども、前途を悲観している様子、格別である。あの四の君との仲も、相変わらず、間遠にお通いになっては、心外なお扱いをなさっているので、気を許した婿君の中にはお入れにならない。思い知れというのであろうか、今度の司召にも漏れてしまったが、たいして気にはしていない。
大将殿、このようにひっそりとしていらっしゃるので、世の中というものは無常なものだと思えたので、まして当然のことだ、としいてお考えになって、いつも参上なさっては、学問も管弦のお遊びをもご一緒になさる。
昔も、気違いじみてまで、張り合い申されたことをお思い出しになって、お互いに今でもちょっとした事につけてでも、そうはいうものの張り合っていらっしゃる。
春秋の季の御読経はいうまでもなく、臨時のでも、あれこれと尊い法会をおさせになったりなどして、また一方、無聊で暇そうな博士連中を呼び集めて、作文会、韻塞ぎなどの気楽な遊びをしたりなど、気を晴らして、宮仕えなどもめったになさらず、お気の向くままに遊び興じていらっしゃるのを、世間では、厄介なことをだんだん言い出す人々がきっといるであろう。

 [6-2 A group of Genji are obliged to have unfortunate life]
 Tukasa-mesi no koro, kono Miya no hito ha, tamaha ru beki tukasa mo e zu, ohokata no dauri ni te mo, Miya no ohom-tamahari ni te mo, kanarazu aru beki kakai nado wo dani se zu nado si te, nageku taguhi ito ohokari. Kakute mo, itusika to mi-kurawi wo sari, mi-bu nado no tomaru beki ni mo ara nu wo, koto tuke te kaharu koto ohokari. Mina kanete obosi-sute te si yo nare do, Miya-bito-domo mo, yori-dokoro nage ni kanasi to omohe ru kesiki-domo ni tuke te zo, mi-kokoro ugoku wori-wori are do, "Waga mi wo naki ni nasi te mo, Touguu no mi-yo wo tahiraka ni ohasimasa ba." to nomi obosi tutu, ohom-okonahi tayumi naku tutome sase tamahu.
 Hito-sire-zu ayahuku yuyusiu omohi kikoye sase tamahu koto si are ba, "Ware ni sono tumi wo karome te, yurusi tamahe!" to, Hotoke wo nen-zi kikoye tamahu ni, yorodu wo nagusame tamahu.
 Daisyau mo, sika mi tatematuri tamahi te, kotowari ni obosu. Kono Tono no hito-domo mo, mata onaziki sama ni, karaki koto nomi are ba, yononaka hasitanaku obosa re te, komori ohasu.
 Hidari-no-Otodo mo, ohoyake watakusi hiki-kahe taru yo no arisama ni, mono-uku obosi te, tizi-no-heu tatematuri tamahu wo, Mikado ha, ko-Win no yamgotonaku omoki ohom-usiromi to obosi te, nagaki yo no katame to kikoye-oki tamahi si ohom-yuigon wo obosimesu ni, sute gataki mono ni omohi kikoye tamahe ru ni, kahi-naki koto to, tabi-tabi motiwi sase tamaha ne do, semete kahesahi mausi tamahi te, komori-wi tamahi nu.
 Ima ha, itodo hito-zou nomi, kahesu-gahesu sakaye tamahu koto, kagiri nasi. Yo no omosi to monosi tamahe ru Otodo no, kaku yo wo nogare tamahe ba, ohoyake mo kokoro-bosou obosa re, yo no hito mo, kokoro aru kagiri ha nageki keri.
 Miko-domo ha, idure to mo naku hitogara meyasuku yo ni motiwi rare te, kokoti-yoge ni monosi tamahi si wo, koyonau sidumari te, Samwi-no-Tiuzyau nado mo, yo wo omohi sidume ru sama, koyonasi. Kano Si-no-Kimi wo mo, naho, kare-gare ni uti-kayohi tutu, mezamasiu motenasa re tare ba, kokoro-toke taru ohom-muko no uti ni mo ire tamaha zu. Omohi-sire to ni ya, kono-tabi no Tukasa-mesi ni mo more nure do, ito si mo omohi-ire zu.
 Daisyau-dono, kau siduka ni te ohasuru ni, yo ha hakanaki mono to miye nuru wo, masite kotowari, to obosi-nasi te, tune ni mawiri kayohi tamahi tutu, gakumon wo mo asobi wo mo morotomo ni si tamahu.
 Inisihe mo, mono-guruhosiki made, idomi kikoye tamahi si wo obosi-ide te, katami ni ima mo hakanaki koto ni tuke tutu, sasuga ni idomi tamahe ri.
 Haru aki no mi-dokyau wo ba sa'ru mono ni te, rinzi ni mo, sama-zama tahutoki koto-domo wo se sase tamahi nado si te, mata, itadura ni itoma arige naru Hakase-domo mesi-atume te, humi-tukuri, win-hutagi nado yau no susabi-waza-domo wo mo si nado, kokoro wo yari te, miya-dukahe wo mo wosa-wosa si tamaha zu, mi-kokoro ni makase te uti-asobi te ohasuru wo, yononaka ni ha, wadurahasiki koto-domo yau-yau ihi-iduru hito-bito aru besi.

 夏の雨、のどかに降りて、つれづれなるころ、中将、さるべき集どもあまた持たせて参りたまへり。殿にも、文殿開けさせたまひて、まだ開かぬ御厨子どもの、めづらしき古集のゆゑなからぬ、すこし選り出でさせたまひて、その道の人々、わざとはあらねどあまた召したり。殿上人も大学のも、いと多う集ひて、左右にこまどりに方分かせたまへり。賭物どもなど、いと二なくて、挑みあへり。
塞ぎもて行くままに、難き韻の文字どもいと多くて、おぼえある博士どもなどの惑ふところどころを、時々うちのたまふさま、いとこよなき御才のほどなり。
「いかで、かう515しもたらひたまひけむ」
「なほさるべきにて、よろづのこと、人にすぐれたまへるなりけり」
と、めできこゆ。つひに、右負けにけり。
二日ばかりありて、中将負けわざしたまへり。ことことしうはあらで、なまめきたる桧破籠ども、賭物などさまざまにて、今日も例の人々、多く召して、文など作らせたまふ。
 階のもとの薔薇516、けしきばかり咲きて、春秋の花盛りよりもしめやかにをかしきほどなるに、うちとけ遊びたまふ。
中将の御子の、今年初めて殿上する、八つ、九つばかりにて、声いとおもしろく517、笙の笛吹きなどするを、うつくしびもてあそびたまふ。四の君腹の二郎なりけり。世の人の思へる寄せ重くて、おぼえことにかしづけり。心ばへもかどかどしう、容貌もをかしくて、御遊びのすこし乱れゆくほどに、「高砂518」を出だして謡ふ、いとうつくし。大将の君、御衣脱ぎてかづけたまふ。
例よりは、うち乱れたまへる御顔の匂ひ、似るものなく見ゆ。薄物の直衣、単衣を着たまへるに、透きたまへる肌つき、ましていみじう見ゆるを、年老いたる博士どもなど、遠く見たてまつりて、涙落しつつゐたり。「逢はましものを、小百合ばの」と謡ふとぢめに、中将、御土器参りたまふ。
「それもがと今朝開らけたる初花に
劣らぬ君が匂ひをぞ見る」
ほほ笑みて、取りたまふ。
「時ならで今朝咲く花は夏の雨に
しをれにけらし匂ふほどなく
衰へにたるものを」
と、うちさうどきて、らうがはしく聞こし召しなすを、咎め出でつつ、しひきこえたまふ。
多かめりし言どもも、かうやうなる折のまほならぬ519こと、数々に書きつくる、心地なきわざとか、貫之が諌め、たふるる方にて、むつかしければ、とどめつ。皆、この御ことをほめたる筋にのみ、大和のも唐のも作り続け520たり。わが御心地にも、いたう思しおごりて、
「文王の子、武王の弟521」
と、うち誦じたまへる御名のりさへぞ、げに、めでたき。「成王の何」とか、のたまはむとすらむ。そればかりや、また心もとなからむ。
兵部卿宮も常に渡りたまひつつ、御遊びなども、をかしうおはする宮なれば、今めかしき御あはひどもなり。

 [6-3 韻塞ぎに無聊を送る]
夏の雨、静かに降って、所在ないころ、中将、適当な詩集類をたくさん持たせて参上なさった。殿でも、文殿を開けさせなさって、まだ開いたことのない御厨子類の中の、珍しい古集で由緒あるものを、少し選び出させなさって、その道に堪能な人々、特別にというのではないが、おおぜい呼んであった。殿上人も大学の人も、とてもおおぜい集まって、左方と右方とに交互に組をお分けになった。賭物なども、又となく素晴らしい物で、競争し合った。
韻塞ぎが進んで行くにつれて、難しい韻の文字類がとても多くて、世に聞こえた博士連中などがまごついている箇所箇所を、時々口にされる様子、実に深い学殖である。
「どうして、こうも満ち足りていらっしたのだろう」
「やはり前世の因縁で、何事にも、人に優っていらっしゃるのであるなあ」
と、お褒め申し上げる。最後には、右方が負けた。
二日ほどして、中将が負け饗応をなさった。大げさではなく、優美な桧破子類、賭物などがいろいろとあって、今日もいつもの人々、おおぜい招いて、漢詩文などをお作らせになる。
階のもとの薔薇、わずかばかり咲いて、春秋の花盛りよりもしっとりと美しいころなので、くつろいで合奏をなさる。
中将のご子息で、今年初めて童殿上する、八、九歳ほどで、声がとても美しく、笙の笛を吹いたりなどする子を、かわいがりお相手なさる。四の君腹の二郎君であった。世間の心寄せも重くて、特別大切に扱っていた。気立ても才気があふれ、顔形も良くて、音楽のお遊びが少しくだけてゆくころ、「高砂」を声張り上げて謡う、とてもかわいらしい。大将の君、お召物を脱いでお与えになる。
いつもよりは、お乱れになったお顔の色つや、他に似るものがなく見える。羅の直衣に、単重を着ていらっしゃるので、透いてお見えになる肌、いよいよ美しく見えるので、年老いた博士連中など、遠くから拝見して、涙落としながら座っていた。「逢いたいものを、小百合の花の」と謡い終わるところで、中将、お杯を差し上げなさる。
「それを見たいと思っていた今朝咲いた花に
劣らないお美しさのわが君でございます」
苦笑して、お受けになる。
「時節に合わず今朝咲いた花は夏の雨に
萎れてしまったらしい、美しさを見せる間もなく
すっかり衰えてしまったものを」
と、陽気に戯れて、酔いの紛れの言葉とお取りなしになるのを、お咎めになる一方で、無理に杯をお進めになる。
多く詠まれたらしい歌も、このような時の真面目でない歌、数々書き連ねるのも、はしたないわざだと、貫之の戒めていることであり、それに従って、面倒なので省略した。すべて、この君を讃えた趣旨ばかりで、和歌も漢詩も詠み続けてあった。ご自身でも、たいそう自負されて、
「文王の子、武王の弟」
と、口ずさみなさったご自認の言葉までが、なるほど、立派である。「成王の何」と、おっしゃろうというのであろうか。それだけは、また自信がないであろうよ。
兵部卿宮も常にお越しになっては、管弦のお遊びなども、嗜みのある宮なので、華やかなお相手である。

 [6-3 Genji and his friends play with a game of In-futagi]
 Natu no ame, nodoka ni huri te, ture-dure naru koro, Tiuzyau, sa'ru beki sihu-domo amata mota se te mawiri tamahe ri. Tono ni mo, Hu-dono ake sase tamahi te, mada hiraka nu mi-dusi-domo no, medurasiki ko-sihu no yuwe nakara nu, sukosi eri-ide sase tamahi te, sono miti no hito-bito, wazato ha ara ne do amata mesi tari. Tenzyau-bito mo Daigaku no mo, ito ohou tudohi te, hidari migi ni komadori ni kata waka se tamahe ri. Kakemono-domo nado, ito ni-naku te, idomi-ahe ri.
 Hutagi mote-yuku mama ni, kataki win no mozi-domo ito ohoku te, oboye aru Hakase-domo nado no madohu tokoro-dokoro wo, toki-doki uti-notamahu sama, ito koyonaki ohom-zae no hodo nari.
 "Ikade, kau si mo tarahi tamahi kem."
 "Naho sa'ru beki ni te, yorodu no koto, hito ni sugure tamahe ru nari keri!"
 to, mede kikoyu. Tuhi ni, migi make ni keri.
 Hutu-ka bakari ari te, Tiuzyau make-waza si tamahe ri. Koto-kotosiu ha ara de, namameki taru Hiwarigo-domo, kakemono nado sama-zama ni te, kehu mo rei no hito-bito, ohoku mesi te, humi nado tukura se tamahu.
 Hasi no moto no saubi, kesiki bakari saki te, haru aki no hana-zakari yori mo simeyaka ni wokasiki hodo naru ni, uti-toke asobi tamahu.
 Tiuzyau no miko no, kotosi hazimete Tenzyau suru, ya-tu, kokono-tu bakari ni te, kowe ito omosiroku, syau-no-hue huki nado suru wo, utukusibi mote-asobi tamahu. Si-no-Kimi-bara no zi-rau nari keri. Yonohito no omohe ru yose omoku te, oboye koto ni kasiduke ri. Kokoro-bahe mo kado-kadosiu, katati mo wokasiku te, ohom-asobi no sukosi midare-yuku hodo ni, Takasago wo idasi te utahu, ito utukusi. Daisyau-no-Kimi, ohom-zo nugi te kaduke tamahu.
 Rei yori ha, uti-midare tamahe ru ohom-kaho no nihohi, niru mono naku miyu. Usu-mono no nahosi, hitohe wo ki tamahe ru ni, suki tamahe ru hada-tuki, masite imiziu miyuru wo, tosi-oyi taru Hakase-domo nado, tohoku mi tatematuri te, namida otosi tutu wi tari. "Aha masi mono wo, sa-yuri ba no" to utahu todime ni, Tiuzyau, ohom-kaharake mawiri tamahu.
 "Sore mo ga to kesa hirake taru hatu-hana ni
 otora nu Kimi ga nihohi wo zo miru
"
 Hoho-wemi te, tori tamahu.
 "Toki nara de kesa saku hana ha natu no ame ni
 siwore ni ke'rasi nihohu hodo naku

 Otorohe ni taru mono wo."
 to, uti-saudoki te, raugahasiku kikosimesi-nasu wo, togame-ide tutu, sihi kikoye tamahu.
 Ohoka'meri si koto-domo mo, kau yau naru wori no maho nara nu koto, kazu-kazu ni kaki-tukuru, kokoti-naki waza to ka, Turayuki ga isame, tahururu kata ni te, mutukasikere ba, todome tu. Mina, kono ohom-koto wo home taru sudi ni nomi, Yamato no mo Kara no mo tukuri tuduke tari. Waga mi-kokoti ni mo, itau obosi ogori te,
 "Bun-wau no ko, Bu-wau no otouto."
 to, uti-zu-zi tamahe ru ohom-nanori sahe zo, geni medetaki. "Sei-wau no nani?" to ka, notamaha m to su ram. Sore bakari ya, mata kokoro-motonakara m.
 Hyaubukyau-no-Miya mo tune ni watari tamahi tutu, ohom-asobi nado mo, wokasiu ohasuru Miya nare ba, imamekasiki ohom-ahahi-domo nari.

 そのころ、尚侍の君まかでたまへり。瘧病に久しう悩みたまひて、まじなひなども心やすくせむとてなりけり。修法など始めて、おこたりたまひぬれば、誰も誰も、うれしう思すに、例の、めづらしき隙なるをと、聞こえ交はしたまひて、わりなきさまにて、夜な夜な対面したまふ。
いと盛りに、にぎははしきけはひしたまへる人の、すこしうち悩みて、痩せ痩せになりたまへるほど、いとをかしげなり。
后の宮も一所におはするころなれば、けはひいと恐ろしけれど、かかることしもまさる御癖なれば、いと忍びて、たびかさなりゆけば、けしき見る人々もあるべかめれど、わづらはしうて、宮には、さなむと啓せず。
大臣、はた思ひかけたまはぬに、雨にはかにおどろおどろしう降りて、神いたう鳴りさわぐ暁に、殿の君達、宮司など立ちさわぎて、こなたかなたの人目しげく、女房どもも怖ぢまどひて、近う集ひ参るに、いとわりなく、出でたまはむ方なくて、明け果てぬ。
御帳のめぐりにも、人々しげく並みゐたれば、いと胸つぶらはしく思さる。心知りの人二人ばかり、心を惑はす。
神鳴り止み、雨すこしを止みぬるほどに、大臣渡りたまひて、まづ、宮の御方におはしけるを、村雨のまぎれにてえ知りたまはぬに、軽らかにふとはひ入りたまひて、御簾引き上げたまふままに、
「いかにぞ。いとうたてありつる夜のさまに、思ひやりきこえながら、参り来でなむ。中将、宮の亮など、さぶらひつや」
など、のたまふけはひの、舌疾にあはつけきを、大将は、もののまぎれにも、左の大臣の御ありさま、ふと思し比べられて、たとしへなうぞ、ほほ笑まれたまふ。げに、入りはててものたまへかしな。
尚侍の君、いとわびしう思されて、やをらゐざり出でたまふに、面のいたう赤みたるを、「なほ悩ましう思さるるにや」と見たまひて522、
「など、御けしきの例ならぬ。もののけなどのむつかしきを、修法延べさすべかりけり」
とのとまふに、薄二藍なる帯の、御衣にまつはれて引き出でられたるを見つけたまひて、あやしと思すに、また、畳紙の手習ひなどしたる、御几帳のもとに落ちたり。「これはいかなる物どもぞ」と、御心おどろかれて、
「かれは、誰れがぞ。けしき異なるもののさまかな。たまへ。それ取りて誰がぞと見はべらむ」
とのたまふにぞ、うち見返りて、我も見つけたまへる。紛らはすべきかたもなければ、いかがは応へきこえたまはむ。我にもあらでおはするを、「子ながらも恥づかしと思すらむかし」と、さばかりの人は、思し憚るべきぞかし。されど、いと急に、のどめたるところおはせぬ大臣の、思しもまはさずなりて、畳紙を取りたまふままに、几帳より見入れたまへるに、いといたうなよびて、つつましからず添ひ臥したる男もあり。今ぞ、やをら顔ひき隠して、とかう紛らはす。あさましう、めざましう心やましけれど、直面には、いかでか現はしたまはむ。目もくるる心地すれば、この畳紙を取りて、寝殿に渡りたまひぬ。
尚侍の君は、我かの心地して、死ぬべく523思さる。大将殿も、「いとほしう、つひに用なき振る舞ひのつもりて、人のもどきを負はむとすること」と思せど、女君の心苦しき御けしきを、とかく慰めきこえたまふ。

 7 朧月夜の物語 村雨の紛れの密会露見 [7-1 源氏、朧月夜と密会中、右大臣に発見される]
そのころ、尚侍の君が退出なさっていた。瘧病に長く患いなさって、加持祈祷なども気楽に行おうとしてであった。修法など始めて、お治りになったので、どなたもどなたも、喜んでいらっしゃる時に、例によって、めったにない機会だからと、お互いに示し合わせなさって、無理を押して、毎夜毎夜お逢いなさる。
まことに女盛りで、豊かで派手な感じがなさる方が、少し病んで痩せた感じにおなりでいらっしゃるところ、実に魅力的である。
后宮も同じ邸にいらっしゃるころなので、感じがとても恐ろしい気がしたが、このような危険な逢瀬こそかえって思いの募るご性癖なので、たいそうこっそりと、度重なってゆくと、気配を察知する女房たちもきっといたにちがいないだろうが、厄介なことと思って、宮には、そうとは申し上げない。
大臣は、もちろん思いもなさらないが、雨が急に激しく降り出して、雷がひどく鳴り轟いていた暁方に、殿のご子息たちや、后宮職の官人たちなど立ち騒いで、ここかしこに人目が多く、女房どももおろおろ恐がって、近くに参集していたので、まことに困って、お帰りになるすべもなくて、すっかり明けてしまった。
御帳台のまわりにも、女房たちがおおぜい並び伺候しているので、まことに胸がどきどきなさる。事情を知っている女房二人ほど、どうしたらよいか分からないでいる。
雷が鳴りやんで、雨が少し小降りになったころに、大臣が渡っていらして、まず最初、宮のお部屋にいらしたが、村雨の音に紛れてご存知でなかったところへ、気軽にひょいとお入りになって、御簾を巻き上げなさりながら、
「いががですか。とてもひどい昨夜の荒れ模様を、ご心配申し上げながら、お見舞いにも参りませんでしたが。中将、宮の亮などは、お側にいましたか」
などと、おっしゃる様子が、早口で軽率なのを、大将は、危険な時にでも、左大臣のご様子をふとお思い出しお比べになって、比較しようもないほど、つい笑ってしまわれる。なるほど、すっかり入ってからおっしゃればよいものを。
尚侍の君、とてもやりきれなくお思いになって、静かにいざり出なさると、顔がたいそう赤くなっているのを、「まだ苦しんでいられるのだろうか」と御覧になって、
「どうして、まだお顔色がいつもと違うのか。物の怪などがしつこいから、修法を続けさせるべきだった」
とおっしゃると、薄二藍色の帯が、お召物にまつわりついて出ているのをお見つけになって、変だとお思いになると、また一方に、懐紙に歌など書きちらしたものが、御几帳のもとに落ちていた。「これはいったいどうしたことか」と、驚かずにはいらっしゃれなくて、
「あれは、誰のものか。見慣れない物だね。見せてください。それを手に取って誰のものか調べよう」
とおっしゃるので、振り返ってみて、ご自分でもお見つけになった。ごまかすこともできないので、どのようにお応え申し上げよう。呆然としていらっしゃるのを、「我が子ながら恥ずかしいと思っていられるのだろう」と、これほどの方は、お察しなさって遠慮すべきである。しかし、まことに性急で、ゆったりしたところがおありでない大臣で、後先のお考えもなくなって、懐紙をお持ちになったまま、几帳から覗き込みなさると、まことにたいそうしなやかな恰好で、臆面もなく添い臥している男もいる。今になって、そっと顔をひき隠して、あれこれと身を隠そうとする。あきれて、癪にさわり腹立たしいけれど、面と向かっては、どうして暴き立てることがおできになれようか。目の前がまっ暗になる気がするので、この懐紙を取って、寝殿にお渡りになった。
尚侍の君は、呆然自失して、死にそうな気がなさる。大将殿も、「困ったことになった、とうとう、つまらない振る舞いが重なって、世間の非難を受けるだろうことよ」とお思いになるが、女君の気の毒なご様子を、いろいろとお慰め申し上げなさる。

 7 Tale of Oborozukiyo Their secret meeting in summer-rain is discovered by Udaijin [7-1 Genji and Oborozukiyo's secret meeting is discovered by her father]
 Sono-koro, Kam-no-Kimi makade tamahe ri. Waraha-yami ni hisasiu nayami tamahi te, mazinahi nado mo kokoro-yasuku se m tote nari keri. Syuhohu nado hazime te, okotari tamahi nure ba, tare mo tare mo, uresiu obosu ni, rei no, medurasiki hima naru wo to, kikoye-kahasi tamahi te, warinaki sama ni te, yona-yona taimen si tamahu.
 Ito sakari ni, nigihahasiki kehahi si tamahe ru hito no, sukosi uti-nayami te, yase-yase ni nari tamahe ru hodo, ito wokasige nari.
 Kisai-no-Miya mo hito-tokoro ni ohasuru koro nare ba, kehahi ito osorosikere do, kakaru koto si mo masaru mi-kuse nare ba, ito sinobi te, tabi-kasanari yuke ba, kesiki miru hito-bito mo aru beka'mere do, wadurahasiu te, Miya ni ha, sa nam to kei-se zu.
 Otodo, hata omohi-kake tamaha nu ni, ame nihaka ni odoro-odorosiu huri te, Kami itau nari-sawagu akatuki ni, Tono no Kimdati, Miya-dukasa nado tati-sawagi te, konata kanata no hito-me sigeku, nyoubau-domo mo odi-madohi te, tikau tudohi-mawiru ni, ito warinaku, ide tamaha m kata naku te, ake-hate nu.
 Mityau no meguri ni mo, hito-bito sigeku nami-wi tare ba, ito mune tuburahasiku obosa ru. Kokoro-siri no hito hutari bakari, kokoro wo madoha su.
 Kami nari-yami, ame sukosi wo-yami nuru hodo ni, Otodo watari tamahi te, madu, Miya no ohom-kata ni ohasi keru wo, murasame no magire ni te e siri tamaha nu ni, karoraka ni huto hahi iri tamahi te, mi-su hiki-age tamahu mama ni,
 "Ika ni zo ya? Ito utate ari turu yo no sama ni, omohi-yari kikoye nagara, mawiri-ko de nam. Tiuzyau, Miya-no-Suke nado, saburahi tu ua?"
 nado, notamahu kehahi no, sita-do ni ahatukeki wo, Daisyau ha, mono-no-magire ni mo, Hidari-no-Otodo no ohom-arisama, huto, obosi kurabe rare te, tatosihe nau zo, hoho-wema re tamahu. Geni, iri-hate te mo notamahe kasi na!
 Kam-no-Kimi, ito wabisiu obosa re te, yawora wizari-ide tamahu ni, omote no itau akami taru wo, "Naho nayamasiu obosa ruru ni ya?" to mi tamahi te,
 "Nado, mi-kesiki no rei nara nu? Mononoke nado no mutukasiki wo, Syuhohu nobe sasu bekari keri."
 to notamahu ni, usu-huta-awi naru obi no, ohom-zo ni matuha re te kiki-ide rare taru wo mi-tuke tamahi te, ayasi to obosu ni, mata tatau-gami no tenarahi nado si taru, mi-kityau no moto ni oti tari. "Kore ha ika naru mono-domo zo." to, mi-kokoro odoroka re te,
 "Kare ha, tare ga zo? Kesiki koto naru mono no sama kana! Tamahe. Sore tori te taga zo to mi habera m."
 to notamahu ni zo, uti-mi-kaheri te, ware mo mi-tuke tamahe ru. Magirahasu beki kata mo nakere ba, iakaga ha irahe kikoye tamaha m. Ware ni mo ara de ohasuru wo, "Ko nagara mo hadukasi to obosu ram kasi." to, sabakari no hito ha, obosi habakaru beki zo kasi. Saredo, ito kiu ni, nodome taru tokoro ohase nu Otodo no, obosi mo mahasa zu nari te, tatau-gami wo tori tamahu mama ni, kityau yori mi-ire tamahe ru ni, ito itau nayobi te, tutumasikara zu sohi-husi taru wotoko mo ari. Ima zo, yawora kaho hiki-kakusi te, tokau magirahasu. Asamasiu, mezamasiu kokoro-yamasikere do, hita-omote ni ha, ikade ka arahasi tamaha m. Me mo kururu kokoti sure ba, kono tatau-gami wo tori te, Sin-den ni watari tamahi nu.
 Kam-no-Kimi ha, ware ka no kokoti si te, sinu beku obosa ru. Daisyau-dono mo, "Itohosiu, tuhi ni you naki hurumahi no tumori te, hito no modoki wo oha m to suru koto." to obose do, Omna-Gimi no kokoro-gurusiki mi-kesiki wo, tokaku nagusame kikoye tamahu.

 大臣は、思ひのままに、籠めたるところおはせぬ本性に、いとど老いの御ひがみさへ添ひたまふに、これは何ごとにかはとどこほりたまはむ。ゆくゆくと、宮にも愁へきこえたまふ。
「かうかうのことなむはべる。この畳紙は、右大将の御手なり。昔も、心宥されでありそめにけることなれど、人柄によろづの罪を宥して、さても見むと、言ひはべりし折は、心もとどめず、めざましげにもてなされにしかば、やすからず思ひたまへしかど、さるべきにこそはとて、世に穢れたりとも、思し捨つまじきを頼みにて、かく本意のごとくたてまつりながら、なほ、その憚りありて、うけばりたる女御なども言はせたまはぬ524をだに、飽かず口惜しう思ひたまふるに、また、かかることさへはべりければ、さらにいと心憂くなむ思ひなりはべりぬる。男の例とはいひながら、大将もいとけしからぬ御心なりけり。斎院をもなほ聞こえ犯しつつ、忍びに御文通はしなどして、けしきあることなど、人の語りはべりしをも、世のためのみにもあらず、我がためもよかるまじきことなれば、よもさる思ひやりなきわざ、し出でられじとなむ、時の有職と天の下をなびかしたまへるさま、ことなめれば、大将の御心を、疑ひはべらざりつる」
などのたまふに、宮は、いとどしき御心なれば、いとものしき御けしきにて、
「帝と聞こゆれど、昔より皆人思ひ落としきこえて、致仕の大臣も、またなくかしづく一つ女を、兄の坊にておはするにはたてまつらで、弟の源氏にて、いときなきが元服の副臥にとり分き、また、この君をも宮仕へにと心ざしてはべりしに、をこがましかりしありさまなりしを、誰も誰もあやしとやは思したりし。皆、かの御方にこそ御心寄せはべるめりしを、その本意違ふさまにてこそは、かくてもさぶらひたまふめれど、いとほしさに、いかでさる方にても、人に劣らぬさまにもてなしきこえむ、さばかりねたげなりし人の見るところもあり、などこそは思ひはべれど、忍びて我が心の入る方に、なびきたまふにこそははべらめ。斎院の御ことは、ましてさもあらむ。何ごとにつけても、朝廷の御方にうしろやすからず見ゆるは、春宮の御世、心寄せ殊なる人なれば、ことわりになむあめる」
と、すくすくしうのたまひ続くるに、さすがにいとほしう、「など、聞こえつることぞ」と、思さるれば、
「さはれ、しばし、このこと漏らしはべらじ。内裏にも奏せさせたまふな。かくのごと、罪はべりとも、思し捨つまじきを頼みにて、あまえてはべるなるべし。うちうちに制しのたまはむに、聞きはべらずは、その罪に、ただみづから当たりはべらむ」
など、聞こえ直したまへど、ことに御けしきも直らず。
「かく、一所におはして隙もなきに、つつむところなく、さて入りものせらるらむは、ことさらに軽め弄ぜらるるにこそは」と思しなすに、いとどいみじうめざましく、「このついでに、さるべきことども構へ出でむに、よきたよりなり」と、思しめぐらすべし。

 [7-2 右大臣、源氏追放を画策する]
大臣は、思ったままに、胸に納めて置くことのできない性格の上に、ますます老寄の僻みまでお加わりになっていたので、これはどうしてためらったりなさろうか。ずけずけと、宮にも訴え申し上げなさる。
「これこれしかじかのことがございました。この懐紙は、右大将のご筆跡である。以前にも、許しを受けないで始まった仲であるが、人品の良さに免じていろいろ我慢して、それでは婿殿にしようかと、言いました時は、心にも止めず、失敬な態度をお取りになったので、不愉快に存じましたが、前世からの宿縁なのかと思って、決して清らかでなくなったからといっても、お見捨てになるまいことを信頼して、このように当初どおり差し上げながら、やはり、その遠慮があって、晴れ晴れしい女御などともお呼ばせになれませんでしたことさえ、物足りなく残念に存じておりましたのに、再び、このような事までがございましたのでは、改めてたいそう情けない気持ちになってしまいました。男の習性とは言いながら、大将もまことにけしからんご性癖であるよ。斎院にもやはり手を出し手を出ししては、こっそりとお手紙のやりとりなどをして、怪しい様子だなどと、人が話しましたのも、国家のためばかりでなく、自分にとっても決して良いことではないので、まさかそのような思慮分別のないことは、し出かさないだろうと、当代の知識人として、天下を風靡していらっしゃる様子、格別のようなので、大将のお心を、疑ってもみなかった」
などとおっしゃると、宮は、さらにきついご気性なので、とてもお怒りの態度で、
「帝と申し上げるが、昔からどの人も軽んじお思い申し上げて、致仕の大臣も、またとなく大切に育てている一人娘を、兄で東宮でいっしゃる方には差し上げないで、弟で源氏で、まだ幼い者の元服の時の添臥に取り立てて、また、この君を宮仕えにという心づもりでいましたところを、きまりの悪い様子になったのを、誰もが皆、不都合であるとはお思いになったでしょうか。皆が、あのお方にお味方していたようなのを、その当てが外れたことになって、こうして出仕していらっしゃるようだが、気の毒で、何とかそのような宮仕えであっても、他の人に負けないようにして差し上げよう、あれほど憎らしかった人の手前もあるし、などと思っておりましたが、こっそりと自分の気に入った方に、心を寄せていらっしゃるのでしょう。斎院のお噂は、ますますもってそうなのでしょうよ。どのようなことにつけても、帝にとって安心できないように見えるのは、東宮の御治世を、格別期待している人なので、もっともなことでしょう」
と、容赦なくおっしゃり続けるので、そうはいうものの聞き苦しく、「どうして、申し上げてしまったのか」と、思わずにいられないので、
「まあ仕方ない。暫くの間、この話を漏らすまい。帝にも奏上あそばすな。このように、罪がありましても、お捨てにならないのを頼りにして、いい気になっているのでしょう。内々にお諌めなさっても、聞きませんでしたら、その責めは、ひとえにこのわたしが負いましょう」
などと、お取りなし申されるが、別にご機嫌も直らない。
「このように、同じ邸にいらして隙間もないのに、遠慮会釈もなく、あのように忍び込んで来られるというのは、わざと軽蔑し愚弄しておられるのだ」とお思いになると、ますますひどく腹立たしくて、「この機会に、しかるべき事件を企てるのには、よいきっかけだ」と、いろいろとお考えめぐらすようである。

 [7-2 Udaijin wants to banish Genji from the Court]
 Otodo ha, omohi no mama ni, kome taru tokoro ohase nu honsyau ni, itodo oyi no ohom-higami sahe sohi tamahu ni, kore ha nani-goto ni ka ha todokohori tamaha m. Yuku-yuku to, Miya ni mo urehe kikoye tamahu.
 "Kau-kau no koto nam haberu. Kono tatau-gami ha, U-daisyau no mi-te nari. Mukasi mo, kokoro-yurusa re de ari-some ni keru koto nare do, hitogara ni yorodu no tumi wo yurusi te, sa te mo mi mu to, ihi haberi si wori ha, kokoro mo todome zu, mezamasige ni motenasa re ni sika ba, yasukara zu omohi tamahe sika do, sa'ru beki ni koso ha tote, yo ni kegare tari to mo, obosi sutu maziki wo tanomi ni te, kaku ho'i no gotoku tatematuri nagara, naho, sono habakari ari te, ukebari taru Nyougo nado mo iha se tamaha nu wo dani, aka-zu kutiwosiu omohi tamahuru ni, mata, kakaru koto sahe haberi kere ba, sara ni ito kokoro uku nam omohi nari haberi nuru. Wotoko no rei to ha ihi nagara, Daisyau mo ito kesikara nu mi-kokoro nari keri. Sai-win wo mo naho kikoye wokasi tutu, sinobi ni ohom-humi kayohasi nado si te, kesiki aru koto nado, hito no katari haberi si wo mo, yo no tame nomi ni mo ara zu, waga tame mo yokaru maziki koto nare ba, yo mo sa'ru omohi-yari naki waza, si-ide rare zi to nam, toki no iusoku to ame-no-sita wo nabikasi tamahe ru sama, koto na'mere ba, Daisyau no mi-kokoro wo, utagahi habera zari turu."
 nado, notamahu ni, Miya ha, itodosiki mi-kokoro nare ba, ito monosiki mi-kesiki ni te,
 "Mikado to kikoyure do, mukasi yori mina-hito omohi-otosi kikoye te, Tizi-no-Otodo mo, mata-naku kasiduku hitotu Musume wo, konokami no Bau ni te ohasuru ni ha tatematura de, otouto no Genzi ni te, itokinaki ga genpuku no sohi-busi ni tori-waki, mata, kono Kimi wo mo miya-dukahe ni to kokoro-zasi te haberi si ni, wokogamasikari si arisama nari si wo, tare mo tare mo ayasi to ya ha obosi tari si. Mina, kano mi-kata ni koso mi-kokoro-yose haberu meri si wo, sono ho'i tagahu sama ni te koso ha, kaku te mo saburahi tamahu mere do, itohosisa ni, ikade sa'ru kata ni te mo, hito ni otora nu sama ni motenasi kikoye m, sa bakari netage nari si hito no miru tokoro mo ari, nado koso ha omohi habere do, sinobi te waga kokoro no iru kata ni, nabiki tamahu ni koso ha habera me. Sai-win no ohom-koto ha, masite sa mo ara m. Nani-goto ni tuke te mo, ohoyake no ohom-kata ni usiro yasukara zu miyuru ha, Touguu no mi-yo, kokoro-yose koto naru hito nare ba, kotowari ni nam a'meru."
 to, suku-sukusiu notamahi tudukuru ni, sasuga ni itohosiu, "Nado, kikoye turu koto zo." to, obosa rure ba,
 "Sahare, sibasi, kono koto morasi habera zi. Uti ni mo sou-se sase tamahu na. kaku no goto, tumi haberi to mo, obosi-sutu maziki wo tanomi ni te, amaye te haberu naru besi. Uti-uti ni sei-si notamaha m ni, kiki habera zu ha, sono tumi ni, tada midukara atari habera m."
 nado, kikoye nahosi tamahe do, koto ni mi-kesiki mo nahora zu.
 "Kaku, hito-tokoro ni ohasi te hima mo naki ni, tutumu tokoro naku, sa te iri monose raru ram ha, kotosara ni karome rou-ze raruru ni koso ha." to obosi-nasu ni, itodo imiziu mezamasiku, "Kono tuide ni, sa'ru beki koto-domo kamahe-ide m ni, yoki tayori nari." to, obosi-megurasu besi.

 出典

 校訂
備考--(/) ミセケチ--$ 抹消--# 補入--+ 傍書--= ナゾリ重ね--& 独自異文等--* 朱筆--<朱> 不明--?

Japanese Text Initiative
Electronic Text Center | University of Virginia Library
PO Box 400148 | Charlottesville VA 22904-4148
434.243.8800 | fax: 434.924.1431
Etext Home | Library Home | Search the Library Web
Contact Us:UVA Library Feedback
Last Modified: Tuesday, August 31, 2004
© 2025 The Rector and Visitors of the University of Virginia