源氏物語

Genji monogatari

紫式部 Murasaki Shikibu

1 明石の物語 上洛と老夫婦の別れの秋

2 明石の物語 上洛後、源氏との再会

3 明石の物語 桂院での饗宴

4 紫の君の物語 嫉妬と姫君への関心

出典
校訂

1 明石の物語 上洛と老夫婦の別れの秋

2 明石の物語 上洛後、源氏との再会

3 明石の物語 桂院での饗宴

4 紫の君の物語 嫉妬と姫君への関心

1 Tale of Akashi Going up to Kyouto and parting old married couple in fall

2 Tale of Akashi Meeting again and beginning new life in Kyouto

3 Tale of Akashi Banquet at Katsura-villa

4 Tale of Murasaki Jealousy and love for baby

 東の院造りたてて、花散里と聞こえし、移ろはしたまふ。西の対、渡殿などかけて、政所、家司など、あるべきさまにし置かせたまふ。東の対は、明石の御方と思しおきてたり。北の対は、ことに広く造らせたまひて、かりにても、あはれと思して、行く末かけて契り頼めたまひし人々集ひ住むべきさまに、隔て隔てしつらはせたまへるしも、なつかしう見所ありてこまかなる。寝殿は塞げたまはず、時々渡りたまふ御住み所にして、さるかたなる御しつらひどもし置かせたまへり。
明石には御消息絶えず、今はなほ上りたまひぬべきことをばのたまへど、女は、なほ、わが身のほどを思ひ知るに、
「こよなくやむごとなき際の人々だに、なかなかさてかけ離れぬ御ありさまのつれなきを見つつ、もの思ひまさりぬべく聞くを、まして、何ばかりのおぼえなりとてか、さし出でまじらはむ。この若君の御面伏せ816に、数ならぬ身のほどこそ現はれめ。たまさかにはひ渡りたまふついでを待つことにて、人笑へに、はしたなきこと、いかにあらむ」
と思ひ乱れても、また、さりとて、かかる所に生ひ出で、数まへられたまはざらむも、いとあはれなれば、ひたすらにもえ恨み背かず。親たちも、「げに、ことわり」と思ひ嘆くに、なかなか、心も尽き果てぬ。

 1 明石の物語 上洛と老夫婦の別れの秋 [1-1 二条東院の完成、明石に上洛を促す]
東の院を建築して、花散里と申し上げた方を、お移しになる。西の対、渡殿などにかけて、政所、家司など、しかるべき状態にお設けになる。東の対は、明石の御方をとお考えになっていた。北の対は、特別に広くお造りになって、一時的にせよ、ご愛情をお持ちになって、将来までもと約束なさり心頼りにおさせにった女性たちが一緒に住めるようにと、部屋部屋を仕切ってお造りになっているのも、感じがよく、見所があって、行き届いている。寝殿はお当てがいなさらず、時々ごお渡りになる時のお住まいにして、そのような設備をなさっていた。
明石にはお便りを絶えず遣わして、今はもうぜひとも上京なさるようにとおっしゃるが、女は、やはり、わが身のほどが分かっているので、
「この上なく高貴な身分の女性でさえ、縁がすっかり切れるでないご様子の冷淡さを見ながら、かえって、物思いを募らせていると聞くのに、まして、どれほども世間から重んじられているわけでもない者が、その中へ入って行けようか。この若君の不面目になり、賤しい身の上が現れてしまおう。まれまれにこっそりお渡りになる機会を待つことになって、物笑いの種になり、引っ込みがつかなくなること、どんなであろう」
と思い乱れても、又一方では、そうかといって、このような明石の田舎の地に生まれて、お子として認めてもらえないのも、ひどくかわいそうなので、一途に恨んだり背いたりすることもできない。両親も、「なるほど、もっともなことだ」と嘆いて、かえって、気苦労の限りをし尽くすのであった。

 1 Tale of Akashi Going up to Kyouto and parting old married couple in fall [1-1 Genji urges Akashi to go up to Kyouto, as a result of built Hingashi-no-In]
 Himgasi-no-Win tukuri tate te, Hanatirusato to kikoye si, uturohasi tamahu. Nisi-no-tai, wata-dono nado kake te, Ma'dokoro, Keisi ando, aru beki sam ni si oka se tamahu. Himgasi-no-tai ha, Akasi-no-Ohomkata to obosi oki te tari. Kita-no-tai ha, koto ni hiroku tukura se tamahi te, kari ni te mo, ahare to obosi te, yuku-suwe kake te tigiri tanome tamahi si hito-bito tudohi sumu beki sama ni, hedate-hedate situraha se tamahe ru si mo, natukasiu mi-dokoro ari te komaka naru. Sin-den ha hutage tamaha zu, toki-doki watari tamahu ohom-sumi-dokoro ni si te, saru kata naru ohom-siturahi-domo si oka se tamahe ri.
 Akasi ni ha ohom-seusoko taye zu, ima ha naho nobori tamahi nu beki koto wo ba notamahe do, Womna ha, naho, waga mi no hodo wo omohi siru ni,
 "Koyonaku yamgotonaki kiha no hito-bito dani, naka-naka sate kakehanare nu ohom-arisama no turenaki wo mi tutu, mono-omohi masari nu beku kiku wo, masite, nani bakari no oboye nari to ka, sasi-ide maziraha m. Kono Waka-Gimi no ohom-omotebuse ni, kazu nara nu mi no hodo koso arahare me. Tamasaka ni hahi-watari tamahu tuide wo matu koto ni te, hito-warahe ni, hasitanaki koto, ika ni ara m?"
 to omohi midare te mo, mata, sa'ri tote, kakaru tokoro ni ohi-ide, kazumahe rare tamaha zara m mo, ito ahare nare ba, hitasura ni mo e urami somuka zu. Oya-tati mo, "Geni, kotowari." to omohi nageku ni, naka-naka, kokoro mo tuki-hate nu.

 昔、母君の御祖父、中務宮と聞こえけるが領じたまひける所、大堰川のわたりにありけるを、その御後、はかばかしうあひ継ぐ人もなくて、年ごろ荒れまどふを思ひ出でて、かの時より伝はりて宿守のやうにてある人を呼び取りて語らふ。
「世の中を今はと思ひ果てて、かかる住まひに沈みそめしかども、末の世に、思ひかけぬこと出で来てなむ、さらに都の住みか求むるを、にはかにまばゆき人中、いとはしたなく、田舎びにける心地も静かなるまじきを、古き所尋ねて、となむ思ひ寄る。さるべき物は上げ渡さむ。修理などして、かたのごと人住みぬべくは繕ひなされなむや」
と言ふ。預り、
「この年ごろ、領ずる人もものしたまはず、あやしきやうになりてはべれば、下屋にぞ繕ひて宿りはべるを、この春のころより、内の大殿の造らせたまふ御堂近くて、かのわたりなむ、いと気騷がしう817なりにてはべる。いかめしき御堂ども建てて、多くの人なむ、造りいとなみはべるめる。静かなる御本意ならば、それや違ひはべらむ」
「何か。それも、かの殿の御蔭に、かたかけてと思ふことありて。おのづから、おひおひに内のことどもはしてむ。まづ、急ぎておほかたのことどもをものせよ」
と言ふ。
「みづから領ずる所にはべらねど、また知り伝へたまふ人もなければ、かごかなるならひにて、年ごろ隠ろへはべりつるなり。御荘の田畠818などいふことの、いたづらに荒れはべりしかば、故民部大輔の君に申し賜はりて、さるべき物などたてまつりてなむ、領じ作りはべる」
 など819、そのあたりの貯へのことどもを危ふげに思ひて820、髭がちにつなしにくき顔を、鼻などうち赤めつつ、はちぶき言へば、
「さらに、その田などやうのことは、ここに知るまじ。ただ年ごろのやうに思ひてものせよ。券などはここになむあれど、すべて世の中を捨てたる身にて、年ごろともかくも尋ね知らぬを、そのことも今詳しくしたためむ」
など言ふにも、大殿のけはひをかくれば、わづらはしくて、その後、物など多く受け取りてなむ、急ぎ造りける。

 [1-2 明石方、大堰の山荘を修理]
昔、母君の祖父で、中務宮と申し上げた方が所領なさっていた所が、大堰川の近くにあったのを、その後は、しっかりと引き継ぐ人もいなくて、長年荒れていたのを思い出して、あの当時から代々留守番のような役をしていた人を呼び迎えて相談する。
「この世はこれまでだと見切りをつけて、このような土地に落ちぶれた生活になじんでしまったが、老年になって、思いがけないことが起こったので、改めて都の住居を求めるのだが、急に眩しい都人の中に出るのは、きまりが悪いので、田舎者になってしまった心地にも落ち着くまいから、昔の所領を探し出して、と考えたのだ。必要な費用はお送りしよう。修理などして、どうにか住めるように修繕してくださらないか」
と言う。宿守りは、
「長年、ご領主様もいらっしゃらず、ひどいようになっておりますので、下屋を繕って住んでおりますが、今年の春頃から、内大臣殿がご建立なさっている御堂が近いので、あの近辺は、とても騒々しくなっております。立派な御堂をいくつも建立して、大勢の人々が造営にあたっているようでございます。静かなのがご希望ならば、あそこは適当ではございません」
「何、かまわぬ。このことも、あの殿のご庇護に、お頼りしようと思うことがあってのことだ。いずれ、おいおいと内部の修理はしよう。まずは、急いでだいたいの修理をしてほしい」
と言う。
「自分自身が所領している所ではございませんが、また他にご相続なさる方もなかったので、閑静な土地柄に従って、長年ひっそり過ごしてきたのでございます。ご領地の田や畑などというものが、台無しに荒れはてておりましたので、故民部大輔様のお許しを得て、しかるべきものどもをお支払い申して、作らせていただいております」
などと、その収穫したものを心配そうに思って、髭だらけの憎々しい顔をして、鼻などを赤くしいしい、口をとがらせて言うので、
「まったく、その田畑などのようなことは、こちらでは問題にするつもりはない。ただこれまで通りに思って使用するがよい。証書などはここにあるが、まったく世を捨てた身なので、長年どうなっていたか調べなかったが、そのことも今詳しくはっきりさせよう」
などと言うのにも、大殿との関係をほのめかすので、厄介になって、その後は、品物などを多く受け取って、急いで修築したのであった。

 [1-2 Akashi's father makes repairs on his Ohoi-villa in suburb of Kyouto]
 Mukasi, haha-gimi no ohom-Ohodi, Nakatukasa-no-Miya to kikoye keru ga ryau-zi tamahi keru tokoro, Ohowi-gaha no watari ni ari keru wo, sono ohom-noti, haka-bakasiu ahi-tugu hito mo naku te, tosi-goro are-madohu wo, omohi-ide te, kano toki yori tutahari te yado-mori no yau ni te aru hito wo yobi-tori te katarahu.
 "Yononaka wo ima ha to omohi-hate te, kakaru sumahi ni sidumi some sika do mo, suwe no yo ni, omohi-kake nu koto ide-ki te nam, sara ni miyako no sumika motomuru wo, nihaka ni mabayuki naka, ito hasitanaku, winaka-bi ni keru kokoti mo siduka naru maziki wo, huruki tokoro tadune te, to nam omohi-yoru. Saru beki mono ha age-watasa m. Syuri nado si te, kata no goto hito sumi nu beku ha tukurohi-nasa re nam ya?"
 to ihu. Adukari,
 "Kono tosi-goro, ryau-zuru hito mo monosi tamaha zu, ayasiki yau ni nari te habere ba, simo-ya ni zo tukurohi te yadori haberu wo, kono haru no korohohi yori, Uti-no-Ohotono no tukura se tamahu mi-dau tikaku te, kano watari nam, ito ke-sawagasiu nari ni te haberu. Ikamesiki mi-dau-domo tate te, ohoku no hito nam, tukuri-itonami haberu meru. Siduka naru ohom-ho'i nara ba, sore ya tagahi habera m."
 "Nani ka! Sore mo, kano Tono no ohom-kage ni, kata-kake te to omohu koto ari te. Onodukara, ohi-ohi ni uti no koto-domo ha si te m. Madu, isogi te ohokata no koto-domo wo monose yo."
 to ihu.
 "Midukara ryau-zuru tokoro ni habera ne do, mata siri tutahe tamahu hito mo nakere ba, kagoka naru narahi ni te, tosi-goro kakurohe haberi turu nari. Mi-syau no ta hata nado ihu koto no itadura ni are haberi sika ba, ko-Minbu-no-Taihu-no-Kimi ni mau si tamahari te, sa'ru beki mono nado tatematuri te nam, ryau-zi tukuri haberu."
 nado, sono atari no takuhahe no koto-domo wo ayahuge ni omohi te, hige-gati ni tunasi nikuki kaho wo, hana nado uti-akame tutu, hati-buki ihe ba,
 "Sarani, sono ta nado yau no koto ha, koko ni siru mazi. Tada tosi-goro no yau ni omohi te monose yo. Ken nado ha koko ni nam are do, subete yononaka wo sute taru mi ni te, tosi-goro tomo kakumo tadune sira nu wo, sono koto mo ima kuhasiku sitatame m."
 nado ihu ni mo, Oho-tono no kehahi wo kakure ba, wadurahasiku te, sono noti, mono nado ohoku uke-tori te nam, isogi tukuri keru.

 かやうに思ひ寄るらむとも知りたまはで、上らむことをもの憂がるも、心得ず思し、「若君の、さてつくづくとものしたまふを、後の世に人の言ひ伝へむ、今一際、人悪ろき疵にや」と思ほすに、造り出でてぞ、「しかしかの所をなむ思ひ出でたる」と聞こえさせける。「人に交じらはむことを苦しげにのみものするは、かく思ふなりけり」と心得たまふ。「口惜しからぬ心の用意かな」と思しなりぬ。
惟光朝臣、例の忍ぶる道は、いつとなくいろひ仕うまつる人なれば、遣はして、さるべきさまに、ここかしこの用意などせさせたまひ821けり。
「あたり、をかしうて、海づらに通ひたる所のさまになむはべりける」
と聞こゆれば、「さやうの住まひに、よしなからずはありぬべし」と思す。
造らせたまふ御堂は、大覚寺の南にあたりて、滝殿の心ばへなど、劣らずおもしろき寺なり。
これは、川面に、えもいはぬ松蔭に、何のいたはりもなく建てたる寝殿のことそぎたるさまも、おのづから山里のあはれを見せたり。内のしつらひなどまで思し寄る。

 [1-3 惟光を大堰に派遣]
このように考えついていようともご存知なくて、上京することを億劫がっているのも、わけが分からずお思いになって、「若君が、あのようなままひっそり淋しくしていらっしゃるのを、後世に人が言い伝えては、もう一段と、外聞の悪い欠点になりはしないか」とお思いになっていたところに、完成させて、「しかじかの所を思い出しました」と申し上げたのであった。「人なかに出て来ることを嫌がってばかりいたのは、このように考えてのことであったのか」と合点が行きなさる。「立派な心がまえであるよ」とお思いになった。
惟光朝臣、例によって、内緒事にはいつに限らず関係してお勤めする人なので、お遣わしになって、しかるべきさまにあれこれの準備などをおさせになるのであった。
「付近一帯、趣のある所で、海辺に似た感じの所でございました」
と申し上げると、「そのような住まいとしては、ふさわしくないこともあるまい」とお思いになる。
ご建立なさっている御堂は、大覚寺の南に当たって、滝殿の趣なども、それに負けないくらい素晴らしい寺である。
こちらは、大堰川に面していて、何とも言えぬ風趣ある松蔭に、何の工夫も凝らさずに建てた寝殿の簡素な様子も、自然と山里のしみじみとした情趣が感じられる。内部の装飾などまでご配慮なさっている。

 [1-3 Genji sends Koremitsu to Ohoi-villa]
 Kayau ni omohi-yoru ram to mo siri tamaha de, nobora m koto wo mono-u-garu mo, kokoro-e zu obosi, "Waka-Gimi no, sate tuku-duku to monosi tamahu wo, noti no yo ni hito no ihi-tutahe m, ima hito-kiha, hito-waroki kizu ni ya?" to omohosu ni, tukuri-ide te zo, "Sika-sika no tokoro wo nam omohi-ide taru." to kikoye sase keru. "Hito ni maziraha m koto wo kurusige ni nomi monosuru ha, kaku omohu nari keri!" to kokoro-e tamahu. "Kutiwosikara nu kokoro no youi kana!" to obosi nari nu.
 Koremitu-no-Asom, rei no sinoburu miti ha, itu to naku irohi tukau-maturu hito nare ba, tukahasi te, sa'ru beki sama ni, koko kasiko no youi nado se sase tamahi keri.
 "Atari, wokasiu te, umi-dura ni kayohi taru tokoro no sama ni nam haberi keru."
 to kikoyure ba, "Sayau no sumahi ni, yosi nakara zu ha ari nu besi." to obosu.
 Tukura se tamahu mi-dau ha, Daikaku-zi no minami ni atari te, taki-dono no kokoro-bahe nado, otora zu omosiroki tera nari.
 Kore ha, kaha-dura ni, e mo iha nu matu-kage ni nani no itahari mo naku tate taru sin-den no koto-sogi taru sama mo, onodukara, yama-zato no ahare wo mise tari. Uti no siturahi nado made obosi-yoru.

 親しき人々、いみじう忍びて下し遣はす。逃れがたくて、今はと思ふに、年経つる浦を離れなむこと、あはれに、入道の心細くて一人止まらむことを思ひ乱れて、よろづに悲し。「すべて、など、かく、心尽くしになりはじめけむ身にか」と、露のかからぬたぐひうらやましくおぼゆ。
親たちも、かかる御迎へにて上る幸ひは、年ごろ寝ても覚めても、願ひわたりし心ざしのかなふと、いとうれしけれど、あひ見で過ぐさむいぶせさの堪へがたう悲しければ、夜昼思ひほれて、同じことをのみ、「さらば、若君をば見たてまつらでは、はべるべきか」と言ふよりほかのことなし。
母君も、いみじうあはれなり。年ごろだに、同じ庵にも住まずかけ離れつれば、まして誰によりてかは、かけ留まらむ。ただ、あだにうち見る人のあさはかなる語らひだに、見なれそなれて822、別るるほどは、ただならざめるを、まして、もてひがめたる頭つき、心おきてこそ頼もしげなけれど、またさるかたに、「これこそは、世を限るべき住みかなれ」と、あり果てぬ命823を限りに思ひて、契り過ぐし来つるを、にはかに行き離れなむも心細し。
若き人々の、いぶせう思ひ沈みつるは、うれしきものから、見捨てがたき浜のさまを、「または、えしも帰らじかし」と、寄する波に添へて、袖濡れがちなり。

 [1-4 腹心の家来を明石に派遣]
親しい側近たちを、たいそう内密にお下し遣わしなさる。断わりようもなくて、いよいよ上京と思うと、長年住み慣れた明石の浦を去ること、しみじみとして、入道が心細く独り残るだろうことを思い悩んで、いろいろと悲しい気がする。「何につけても、どうして、こう、心をくだくことになったわが身の上なのだろうか」と、お恵みのかからない人々が羨ましく思われる。
両親も、このようなお迎えを受けて上京する幸いは、長年寝ても覚めても、願い続けていた本望が叶うのだと、たいそう嬉しいけれど、お互いに一緒に暮らせない気がかりが堪えきれず悲しいので、昼夜ぼんやりして、同じようなことばかり、「そうなると、若君にお目にかかれず、過すことになるのか」と言うこと以外、言葉がない。
母君も、たいそう切ない気持ちである。今まででさえ、同じ庵に住まずに離れていたので、まして誰を頼りとして留まっていられようか。ただ、かりそめの契りを交わした人の浅い関係であってさえ、いったん馴染んだ末に、別れることは、一通りのものでないようだが、まして、変な恰好の頭や、気質は頼りになりそうにないが、またその方面で、「この土地こそは、一生を終える住まいだ」と、永遠ではない寿命を待つ間の限りを思って、夫婦で暮らして来たのに、急に別れ去るのも、心細い気がする。
若い女房たちで、憂鬱な気持ちで塞ぎこんでいた者は、嬉しく思う一方で、見捨て難い浜辺の風景を、「もう再びと、帰ってくることもあるまい」と、寄せては返す波に思いを寄せて、涙に袖が濡れがちである。

 [1-4 Genji sends his close men to Akashi]
 Sitasiki hito-bito, imiziu sinobi te kudasi-tukahasu. Nogare gataku te, ima ha to omohu ni, tosi he turu ura wo hanare na m koto, ahare ni, Nihudau no kokoro-bosoku te hitori tomara m koto wo omohi midare te, yorodu ni kanasi. "Subete, nado, kaku, kokoro-dukusi ni nari hazime kem mi ni ka?" to, tuyu no kakara nu taguhi urayamasiku oboyu.
 Oya-tati mo, kakaru ohom-mukahe ni te noboru saihahi, tosi-goro ne te mo same te mo, negahi wartari si kokorozasi no kanahu to, ito uresikere do, ahi-mi de sugusa m ibusesa no tahe gatau kanasikere ba, yoru hiru omohi-hore te, onazi koto wo nomi, "Sara ba, Waka-Gimi wo ba mi tatematura de ha, haberu beki ka." to ihu yori hoka no koto nasi.
 Haha-Gimi mo, imiziu ahare nari. Tosi-goro dani, onazi ihori ni mo suma zu kake-hanare ture ba, masite tare ni yori te ka ha kake todomara m. Tada ada ni uti-miru hito no asahaka naru katarahi dani minare sonare te, wakaruru hodo ha, tada nara za'meru wo, masite, mote-higame taru kasira-tuki, kokoro-okite koso tanomosige nakere do, mata sa'ru kata ni, "Kore koso ha, yo wo kagiru beki sumika nare." to, ari-hate nu inoti wo kagiri ni omohi te, tigiri sugusi ki turu wo, nihaka ni yuki-hanare na m mo kokoro-bososi.
 Wakaki hito-bito no, ibuseu omohi-sidumi turu ha, uresiki mono kara, mi-sute gataki hama no sama wo, "Mata ha, e si mo kahera zi kasi." to, yosuru nami ni sohe te, sode nure-gati nari.

 秋のころほひなれば、もののあはれ取り重ねたる心地して、その日とある暁に、秋風涼しくて、虫の音もとりあへぬに、海の方を見出だしてゐたるに、入道、例の、後夜より深う起きて、鼻すすりうちして、行なひいましたり。いみじう言忌すれど、誰も誰もいとしのびがたし。
若君は、いともいともうつくしげに、夜光りけむ玉の心地して、袖よりほかに放ちきこえざりつるを、見馴れてまつはしたまへる心ざまなど、ゆゆしきまで、かく、人に違へる身をいまいましく思ひながら、「片時見たてまつらでは、いかでか過ぐさむとすらむ」と、つつみあへず。
「行く先をはるかに祈る別れ路に
堪へぬは老いの涙なりけり
いともゆゆしや」
とて、おしのごひ隠す。尼君、
「もろともに都は出で来このたびや
ひとり野中の道に惑はむ824」
とて、泣きたまふさま、いとことわりなり。ここら契り交はして積もりぬる年月のほどを思へば、かう浮きたることを頼みて、捨てし世に帰るも、思へばはかなしや。御方、
「いきてまたあひ見むことをいつとてか
限りも知らぬ世をば頼まむ
送りにだに」
と切にのたまへど、方々につけて、えさるまじきよしを言ひつつ、さすがに道のほども、いとうしろめたなきけしきなり。

 [1-5 老夫婦、父娘の別れの歌]
秋のころなので、もの悲しい気持ちが重なったような心地がして、上京という日の暁に、秋風が涼しく吹いて、虫の声もあわただしく鳴く折柄、海の方を眺めていると、入道が、いつものように、後夜より早く起き出して、鼻をすすりながら、勤行していらっしゃる。ひどく言葉に気をつけているが、誰も誰もたいそう堪え難い。
若君は、とてもとてもかわいらしい感じで、あの夜光ったという玉のような心地がして、袖から外にお放し申さなかったが、見慣れてつきまとっていらっしゃる心根など、不吉なまでに、こう、通常の人と違ってしまった身をいまいましく思いながら、「片時も拝見しなくては、どのようにして過ごしてゆけようか」と、我慢しきれない。
「姫君の将来がご幸福であれと祈る別れに際して
堪えきれないのは老人の涙であるよ
まったく縁起でもない」
と言って、涙を拭って隠す。尼君、
「ご一緒に都を出て来ましたが、今度の旅は
一人で都へ帰る野中の道で迷うことでしょう」
と言って、お泣きになる様子、まことに無理はない。長年契り交わしてきた年月のほどを思うと、このように当てにならないことを当てにして、捨てた都の生活に帰るのも、考えてみると頼りないことである。御方、
「京へ行って生きて再びお会いできることをいつと思って
限りも分からない寿命を頼りにできましょうか
せめて都まで送ってください」
と一生懸命にお頼みになるが、あれやこれやと、そうはできないことを言いながらも、そうはいっても、道中のことがたいそう気がかりな様子である。

 [1-5 Akashi's family make waka at their parting]
 Aki no koro-hohi nare ba, mono no ahare tori-kasane taru kokoti si te, sono hi to aru akatuki ni, aki-kaze suzusiku te, musi no ne mo tori-ahe nu ni, umi no kata wo mi-idasi te wi taru ni, Nihudau, rei no, goya yori hukau oki te, hana susuri uti si te, okonahi imasi tari. Imiziu koto-imi sure do, tare mo tare mo ito sinobi gatasi.
 Waka-Gimi ha, ito mo ito mo utukusige ni, yoru hikari kem tama no kokoti si te, sode yori hoka ni hanati kikoye zari turu wo, mi-nare te matuhasi tamahe ru kokoro-zama nado, yuyusiki made, kaku, hito ni tagahe ru mi wo ima-imasiku omohi nagara, "Kata-toki mi tatematura de ha, ikade ka sugusa m to sura m." to, tutumi-ahe zu.
 "Yuku-saki wo haruka ni inoru wakare-di ni
 tahe nu ha oyi no namida nari keri

 ito mo yuyusi ya!"
 tote, osi-nogohi kakusu. Ama-Gimi,
 "Morotomo ni miyako ha ide ki kono-tabi ya
 hitori no-naka no miti ni madoha m
"
 tote, naki tamahu sama, ito kotowari nari. Kokora tigiri-kahasi te tumori nuru tosi-tuki no hodo wo omohe ba, kau uki taru koto wo tanomi te, sute si yo ni kahe ru mo, omohe ba hakanasi ya! Ohom-kata,
 "Iki te mata ahi-mi m koto wo itu tote ka
 kagiri mo sira nu yo wo ba tanoma m

 okuri ni dani."
 to seti ni notamahe do, kata-gata ni tuke te, e sa'ru maziki yosi wo ihi tutu, sasuga ni miti no hodo mo, ito usirometanaki kesiki nari.

 「世の中を捨てはじめしに、かかる人の国に思ひ下りはべりしことども、ただ君の御ためと、思ふやうに明け暮れの御かしづきも心にかなふやうもやと、思ひたまへ立ちしかど、身のつたなかりける際の思ひ知らるること多かりしかば、さらに、都に帰りて、古受領の沈めるたぐひにて、貧しき家の蓬葎、元のありさま改むることもなきものから、公私に、をこがましき名を広めて、親の御なき影を恥づかしめむことのいみじさになむ、やがて世を捨てつる門出なりけりと人にも知られにしを、その方につけては、よう思ひ放ちてけりと思ひはべるに、君のやうやう大人びたまひ、もの思ほし知るべきに添へては、など、かう口惜しき世界にて錦を隠しきこゆらむと、心の闇825晴れ間なく嘆きわたりはべりしままに、仏神を頼みきこえて、さりとも、かうつたなき身に引かれて、山賤の庵には混じりたまはじ、と思ふ心一つを頼みはべりしに、思ひ寄りがたくて、うれしきことどもを見たてまつりそめても、なかなか身のほどを、とざまかうざまに悲しう嘆きはべりつれど、若君のかう出でおはしましたる御宿世の頼もしさに、かかる渚に月日を過ぐしたまはむも、いとかたじけなう、契りことにおぼえたまへば、見たてまつらざらむ心惑ひは、静めがたけれど、この身は長く世を捨てし心はべり。君達は、世を照らしたまふべき光しるければ、しばし、かかる山賤の心を乱りたまふばかりの御契りこそはありけめ。天に生まるる人の、あやしき三つの途に帰るらむ一時に思ひなずらへて、今日、長く別れたてまつりぬ。命尽きぬと聞こしめすとも、後のこと思しいとなむな。さらぬ別れに826、御心動かしたまふな」と827言ひ放つものから、「煙ともならむ夕べまで、若君の御ことをなむ、六時の勤めにも、なほ心ぎたなく、うち交ぜはべりぬべき」
とて、これにぞ、うちひそみぬる。

 [1-6 明石入道の別離の詞]
「世の中を捨てた当初に、このような見知らぬ国に決意して下って来ましたことども、ただあなたの御ためにと、思いどおりに朝晩のお世話も満足にできようかと、決心致したのですが、わが身の不運な身分が思い知らされることが多かったので、絶対に、都に帰って、古受領の落ちぶれた類となって、貧しい家の蓬や葎の様子が、元の状態に改まることもないものから、公私につけて、馬鹿らしい名を広めて、亡き親の名誉を辱めることの堪らなさに、そのまま世を捨てる門出であったのだと、世間の人にも知られてしまったが、そのことについては、よく思い切ったと思っていましたが、あなたがだんだんとご成長なさり、物ごとが分かってくるようになると、どうして、こんなつまらない田舎に錦をお隠し申しておくのかと、親の心の闇の晴れる間もなくずっと嘆いておりましたが、仏神にご祈願申して、いくら何でも、このように不甲斐ない身の上に巻き添えになって、田舎の生活を一緒にはなさるまい、と思う心を独り持って期待していましたが、思いがけなく、嬉しいことを拝見しましてこのかたも、かえって身の程を、あれこれと悲しく嘆いていましたが、若君がこのようにお生まれになったご因縁の頼もしさに、このような海辺で月日を送っていらっしゃるのも、たいそうもったいなく、宿縁も格別に存じられますので、お目にかかれない悲しさは、鎮めがたい気がするが、わが身は永遠に世を捨てた覚悟がございます。あなたたちは、世の中をお照らしになる光明がはっきりしているので、しばらくの間、このような田舎者の心をお乱しになるほどのご宿縁があったのでしょう。天上界に生まれる人でも、いまわしい三悪道に帰るようなのも一時のことと思いなぞらえて、今日、永遠にお別れ申し上げます。寿命が尽きたとお聞きになっても、死後のこと、お考えくださるな。逃れられない別れに、お心を動かしなさるな」と言い切る一方で、「煙となろう夕べまで、若君のことを、六時の勤めにも、やはり未練がましく、きっとお祈りにお加え申し上げることであろう」
と言って、自分の言葉に、涙ぐんでしまった。

 [1-6 Akashi-nyudo says good-bye]
 "Yononaka wo sute hazime si ni, kakaru hito no kuni ni omohi kudari haberi si koto-domo, tada Kimi no ohom-tame to, omohu yau ni ake-kure no ohom-kasiduki mo kokoro ni kanahu yau mo ya to, omohi tamahe tati sika do, mi no tutanakari keru kiha no omohi-sira ruru koto ohokari sika ba, sara ni, miyako ni kaheri te, huru-zuryau no sidume ru taguhi ni te, madusiki ihe no yomogi mugura, moto no arisama aratamuru koto mo naki mono-kara, ohoyake watakusi ni, wokogamasiki na wo hirome te, oya no ohom-naki kage wo hadukasime m koto no imizisa ni nam, yagate yo wo sute turu kadode nari keri to hito ni mo sira re ni si wo, sono kata ni tuke te ha, you omohi hanati te keri to omohi haberu ni, Kimi no yau-yau otonabi tamahi, mono omohosi siru beki ni sohe te ha, nado, kau kutiwosiki sekai ni te nisiki wo kakusi kikoyura m to, kokoro no yami hare-ma naku nageki watari haberi si mama ni, Hotoke Kami wo tanomi kikoye te, sar'i tomo, kau tutanaki mi ni hika re te, yama-gatu no ihori ni ha maziri tamaha zi, to omohu kokoro hitotu wo tanomi haberi si ni, omohi-yori gataku te, uresiki koto-domo wo mi tatematuri some te mo, naka-naka mi no hodo wo, to-zama kau-zama ni kanasiu nageki haberi ture do, Waka-Gimi no kau ide ohasimasi taru ohom-sukuse no tanomosisa ni, kakaru nagisa ni tuki-hi wo sugusi tamaha m mo, ito katazikenau, tigiri koto ni oboye tamahe ba, mi tatematura zara m kokoro-madohi ha, sidume gatakere do, kono mi ha nagaku yo wo sute si kokoro haberi. Kimi-tati ha, yo wo terasi tamahu beki hikari sirukere ba, sibasi, kakaru yama-gatu no kokoro wo midari tamahu bakari no ohom-tigiri koso ha ari keme. Ten ni umaruru hito no, ayasiki mi-tu no miti ni kaheru ram hito-toki ni omohi nazurahe te, kehu, nagaku wakare tatematuri nu. Inoti tuki nu to kikosimesu to mo, noti no koto obosi itonamu na! Sara nu wakare ni, mi-kokoro ugokasi tamahu na!" to ihi-hanatu mono kara, "Keburi to mo nara m yuhube made, Waka-Gimi no ohom-koto wo nam, roku-zi no tutome ni mo, naho kokoro-gitanaku, uti-maze haberi nu beki."
 tote, kore ni zo, uti-hisomi nuru.

 御車は、あまた続けむも所狭く、片へづつ分けむもわづらはしとて、御供の人々も、あながちに隠ろへ忍ぶれば、舟にて忍びやかにと定めたり。辰の時に舟出したまふ。昔の人828もあはれと言ひける浦の朝霧829隔たりゆくままに、いともの悲しくて、入道は、心澄み果つまじく、あくがれ眺めゐたり。ここら年を経て、今さらに帰るも、なほ思ひ尽きせず、尼君は泣きたまふ。
「かの岸に心寄りにし海人舟の
背きし方に漕ぎ帰るかな」
御方、
「いくかへり行きかふ秋を過ぐしつつ
 浮木に乗りて830われ帰るらむ」
思ふ方の風にて、限りける日違へず入りたまひぬ。人に見咎められじの心もあれば、路のほども軽らかにしなしたり。

 [1-7 明石一行の上洛]
お車は、多数続けるのも仰々しいし、一部分ずつ分けてやるのも厄介だといって、お供の人々も、できるだけ目立たないようにしているので、舟でこっそりと行くことに決めた。辰の時刻に舟出なさる。昔の人も「あわれ」と言った明石の浦の朝霧の中を遠ざかって行くにつれて、たいそう物悲しくて、入道は、煩悩も断ち切れがたく、ぼうっと眺めていた。長年住みなれて、今さら都に帰るのも、やはり感慨無量で、尼君はお泣きになる。
「彼岸の浄土に思いを寄せていた尼のわたしが
捨てた都の世界に帰って行くのだわ」
御方は、
「何年も秋を過ごし過ごしして来たが
頼りない舟に乗って都に帰って行くのでしょう」
思いどおりの追い風によって、予定していた日に違わずお入りになった。人に気づかれまいとの考えもあったので、道中も簡素な旅姿に装っていた。

 [1-7 Akashi and her mother and her daughter go up to Kyouto]
 Mi-kuruma ha, amata tuduke m mo tokoro-seku, katahe dutu wake m mo wadurahasi tote, ohom-tomo no hito-bito mo, anagati ni kakurohe sinobure ba, hune ni te sinobiyaka ni to sadame tari. Tatu no toki ni hunade si tamahu. Mukasi no hito mo ahare to ihi keru ura no asagiri hedatari yuku mama ni, ito mono-ganasiku te, Nihudau ha, kokoro sumi-hatu maziku, akugare nagame wi tari. Kokora tosi wo he te, imasara ni kaheru mo, naho omohi tuki se zu, Ama-Gimi ha naki tamahu.
 "Kano kisi ni kokoro yori ni si ama-bune no
 somuki si kata ni kogi kaheru kana
"
 Ohom-kata,
 "Iku-kaheri yuki-kahu aki wo sugusi tutu
 uki-gi ni nori te ware kaheru ram
"
 Omohu kata no kaze ni te, kagiri keru hi tagahe zu iri tamahi nu. Hito ni mi-togame rare zi no kokoro mo are ba, miti no hodo mo karoraka ni si-nasi tari.

 家のさまもおもしろうて、年ごろ経つる海づらにおぼえたれば、所変へたる心地もせず。昔のこと思ひ出でられて、あはれなること多かり。造り添へたる廊など、ゆゑあるさまに、水の流れもをかしうしなしたり。まだこまやかなるにはあらねども、住みつかばさてもありぬべし。
親しき家司に仰せ賜ひて、御まうけのことせさせたまひけり。渡りたまはむことは、とかう思したばかるほどに、日ごろ経ぬ。
なかなかもの思ひ続けられて、捨てし家居も恋しう、つれづれなれば、かの御形見の琴を掻き鳴らす。折の、いみじう忍びがたければ、人離れたる方にうちとけてすこし弾くに、松風はしたなく響きあひたり。尼君、もの悲しげにて寄り臥したまへるに、起き上がりて、
「身を変へて一人帰れる831山里に
聞きしに似たる松風ぞ吹く」
御方、
「故里に見し世の友を恋ひわびて
さへづることを誰か分くらむ」

 2 明石の物語 上洛後、源氏との再会 [2-1 大堰山荘での生活始まる]
山荘の様子も風情あって、長年住み慣れた海辺に似ていたので、場所が変わった気もしない。昔のことが自然と思い出されて、しみじみと感慨を催すことが多かった。造り加えた廊など、風流な様子で、遣水の流れも風流に作ってあった。まだ細かな造作は出来上がっていないが、住み慣れればそのままでも住めるであろう。
腹心の家司にお命じになって、祝宴のご準備をおさせになっていたのであった。おいでになることは、あれこれと口実をお考えになっているうちに、数日がたってしまった。
かえって物思いの日々が続いて、捨てた家も恋しく、所在ないので、あのお形見の琴の琴を弾き鳴らす。折柄、たいそう堪えがたいので、人里から離れた所で、気ままに少し弾いてみると、松風がきまりわるいほど音を合わせて吹いてきた。尼君、もの悲しそうに物に寄り掛かっていらっしゃったが、起き上がって、
「尼姿となって一人帰ってきた山里に
昔聞いたことがあるような松風が吹いている」
御方は、
「故里で昔親しんだ人を恋い慕って弾く
田舎びた琴の音を誰が分かってくれようか」

 2 Tale of Akashi Meeting again and beginning new life in Kyouto [2-1 Akashi bigins new life in Ohoi-villa]
 Ihe no sama mo omosirou te, tosi-goro he turu umi-dura ni oboye tare ba, tokoro kahe taru kokoti mo se zu. Mukasi no koto omohi-ide rare te, ahare naru koto ohokari. Tukuri-sohe taru rau nado, yuwe aru sama ni, midu no nagare mo wokasiu si-nasi tari. Mada komayaka naru ni ha ara ne do mo, sumi-tuka ba, sate mo ari nu besi.
 Sitasiki Keisi ni ohose tamahi te, ohom-mauke no koto se sase tamahi keri. Watari tamaha m koto ha, tokau obosi tabakaru hodo ni, hi-goro he nu.
 Naka-naka mono-omohi tuduke rare te, sute si ihe-wi mo kohisiu, ture-dure nare ba, kano ohom-katami no kin wo kaki-narasu. Wori no, imiziu sinobi gatakere ba, hito hanare taru kata ni utitoke te sukosi hiku ni, matu-kaze hasitanaku hibiki-ahi tari. Ama-Gimi, mono-kanasige ni te yori-husi tamahe ru ni, oki-agari te,
 "Mi wo kahe te hitori kahere ru yama-zato ni
 Kiki si ni ni taru matu-kaze zo huku
"
 Ohom-kata,
 "Hurusato ni mi si yo no tomo wo kohi-wabi te
 saheduru koto wo tare ka waku ram
"

 かやうにものはかなくて明かし暮らすに、大臣、なかなか静心なく思さるれば、人目をもえ憚りあへたまはで、渡りたまふを、女君は832、かくなむとたしかに知らせたてまつりたまはざりけるを、例の、聞きもや合はせたまふとて、消息聞こえたまふ。
「桂に見るべきことはべるを、いさや、心にもあらでほど経にけり。訪らはむと言ひし人さへ、かのわたり近く来ゐて、待つなれば、心苦しくてなむ。嵯峨野の御堂にも、飾りなき仏の御訪らひすべければ、二、三日ははべりなむ」
と聞こえたまふ。
「桂の院といふ所、にはかに833造らせたまふと聞くは、そこに据ゑたまへるにや」と思すに、心づきなければ、「斧の柄さへ改め834たまはむほどや、待ち遠に」と、心ゆかぬ御けしきなり。
「例の、比べ苦しき御心、いにしへのありさま、名残なしと、世人も言ふなるものを」、何やかやと御心とりたまふほどに、日たけぬ。

 [2-2 大堰山荘訪問の暇乞い]
このように頼りない状態で毎日過ごしているが、内大臣、かえって落ち着いていらっしゃれないので、人目を憚ることもおできになれず、お出掛けになるのを、女君は、これこれであるとはっきりとお知らせ申していらっしゃらなかったのを、例によって、外からお耳になさることもあろうかと思って、ご挨拶申し上げる。
「桂に用事がございますが、いやはや、心ならずも日が過ぎてしまった。訪問しようと約束した人までが、あの辺り近くに来ていて、待っているというので、気の毒でなりません。嵯峨野の御堂にも、まだ飾り付けのできていない仏像のお世話をしなければなりませんので、二三日は逗留することになりましょう」
と申し上げなさる。
「桂の院という所を、急にご造営なさっていると聞いているが、そこに住まわせなさっているのだろうか」とお思いになと、おもしろくないので、「斧の柄まで付け替えるほどになるのであろうか、待ち遠しいこと」と、不機嫌のご様子である。
「例によって、調子を合わせにくいお心で、昔の好色がましい心は、すっかりなくなったと、世間の人も言っているというのに」、何かやとご機嫌をとっていらっしゃるうちに、日が高くなってしまった。

 [2-2 Genji takes his leave of Murasaki to visit Akashi in Ohoi-villa]
 Kayau ni mono hakanaku te akasi-kurasu ni, Otodo, naka-naka sidu-kokoro naku obosa rure ba, hito-me wo mo e habakari-ahe tamaha de, watari tamahu wo, Womna-Gimi ha, kaku nam to tasika ni sirase tatematuri tamaha zari keru wo, rei no, kiki mo ya ahase tamahu tote, seusoko kikoye tamahu.
 "Katura ni miru beki koto haberu wo, isa ya, kokoro ni mo ara de hodo he ni keri. Toburaha m to ihi si hito sahe, kano watari tikaku ki-wi te, matu nare ba, kokoro-gurusiku te nam. Sagano no mi-dau ni mo, kazari naki Hotoke no ohom-toburahi su bekere ba, hutu-ka, mi-ka ha haberi na m."
 to kikoye tamahu.
 "Katura-no-Win to ihu tokoro, nihaka ni tukura se tamahu to kiku ha, soko ni suwe tamahe ru ni ya?" to obosu ni, kokorodukinakere ba, "Ono no ye sahe aratame tamaha m hodo ya, mati-doho ni." to, kokoro-yuka nu mi-kesiki nari.
"Rei no, kurabe kurusiki mi-kokoro, inisihe no arisama, nagori nasi to, yo-hito ihu naru mono wo.", nani-ya ka-ya to mi-kokoro tori tamahu hodo ni, hi take nu.

 忍びやかに、御前疎きは混ぜで、御心づかひして渡りたまひぬ。たそかれ時におはし着きたり。狩の御衣にやつれたまへりしだに世に知らぬ心地せしを、まして、さる御心してひきつくろひたまへる御直衣姿、世になくなまめかしうまばゆき心地すれば、思ひむせべる心の闇も晴るるやうなり。
めづらしう、あはれにて、若君を見たまふも、いかが浅く思されむ。今まで隔てける年月だに、あさましく悔しきまで思ほす。
「大殿腹の君をうつくしげなりと、世人もて騒ぐは、なほ時世によれば、人の見なすなりけり。かくこそは、すぐれたる人の山口はしるかり835けれ」
と、うち笑みたる顔の何心なきが、愛敬づき、にほひたるを、いみじうらうたしと思す。
乳母の、下りしほどは衰へたりし容貌、ねびまさりて、月ごろの御物語など、馴れ聞こゆるを、あはれに、さる塩屋のかたはらに過ぐしつらむことを、思しのたまふ。
「ここにも、いと里離れて、渡らむこともかたきを、なほ、かの本意ある所に移ろひたまへ」
とのたまへど、
「いとうひうひしきほど過ぐして」
と聞こゆるも、ことわりなり。夜一夜、よろづに契り語らひ、明かしたまふ。

 [2-3 源氏と明石の再会]
ひっそりと、御前駆の親しくない者は加えないで、十分気を配っておいでになった。黄昏時にお着きになった。狩衣のご装束で質素になさっていたお姿でさえ、またとなく美しい心地がしたのに、なおさらのこと、そのお心づかいをして装っていらっしゃる御直衣姿、世になく優美でまぶしい気がするので、嘆き悲しんでいた心の闇も晴れるようである。
久しぶりで、感慨無量となって、若君を御覧になるにも、どうして通り一遍にお思いになれようか。今まで離れていた年月の間でさえ、あきれるほど悔しいまでお思いになる。
「大殿腹の若君をかわいらしいと、世間の人がもてはやすのは、やはり時流におもねってそのように見做すのであった。こんなふうに、優れた人の将来は、今からはっきりしているものを」
と、微笑んでいる顔の無邪気さが、愛くるしく、つややかなのを、たいそうかわいらしいとお思いになる。
乳母が、下行した時は痩せ衰えていた容貌、立派になって、何か月もの間のお話など、親しく申し上げるのを、しみじみと、あのような漁村の一角で過ごしてきたろうことを、おねぎらいになる。
「ここでも、たいそう人里離れて、出向いて来ることも難しいので、やはり、あのかねて考えてある所にお引っ越しなさいませ」
とおっしゃるが、
「とてもまだ慣れない期間をもうしばらく過ごしましてから」
とお答え申し上げるのも、もっともなことである。一晩中、いといろと睦言を交わされて、夜をお明かしなさる。

 [2-3 Genji visits to meet again Akashi and spends his time with her all night]
 Sinobiyaka ni, go-zen utoki ha maze de, mi-kokorodukahi si te watari tamahi nu. Tasokare doki ni ohasi tuki tari. Kari no ohom-zo ni yature tamahe ri si dani yo ni sira nu kokoti se si wo, masite, saru mi-kokoro si te hiki-tukurohi tamahe ru ohom-nahosi sugata, yo ni naku namamekasiu mabayuki kokoti sure ba, omohi musube ru kokoro no yami mo haruru yau nari.
 Medurasiu, ahare ni te, Waka-Gimi wo mi tamahu mo, ikaga asaku obosa re m. Ima made hedate keru tosi-tuki dani, asamasiku kuyasiki made omohosu.
 "Ohotono-bara no Kimi wo utukusige nari to, yo-hito mote sawagu ha, naho toki-yo ni yore ba, hito no mi-nasu nari keri. Kaku koso ha, sugure taru hito no yamaguti ha sirukari kere!"
 to, uti-wemi taru kaho no nani-gokoro naki ga, aigyauduki, nihohi taru wo, imiziu rautasi to obosu.
 Menoto no, kudari si hodo ha otorohe tari si katati, nebi-masari te, tuki-goro no ohom-monogatari nado, nare kikoyuru wo, ahare ni , saru sihoya no katahara ni sugusi tura m koto wo, obosi notamahu.
 "Koko ni mo, ito sato hanare te, watara m koto mo kataki wo, naho, kano ho'i aru tokoro ni uturohi tamahe."
 to notamahe do,
 "Ito uhi-uhisiki, hodo sugusi te."
 to kikoyuru mo, kotowari nari. Yo hito-yo, yorodu ni tigiri katarahi, akasi tamahu.

 繕ふべき所、所の預かり、今加へたる家司などに仰せらる。桂の院に渡りたまふべしとありければ、近き御荘の人々、参り集まりたりけるも、皆尋ね参りたり。前栽どもの折れ伏したるなど、繕はせたまふ。
「ここかしこの立石どもも皆転び失せたるを、情けありてしなさば、をかしかりぬべき所かな。かかる所をわざと繕ふも、あいなきわざなり。さても過ぐし果てねば、立つ時もの憂く、心とまる、苦しかりき」
など、来し方のことものたまひ出でて、泣きみ笑ひみ、うちとけのたまへる、いとめでたし。
尼君、のぞきて見たてまつるに、老いも忘れ、もの思ひも晴るる心地してうち笑みぬ。
東の渡殿の下より出づる水の心ばへ、繕はせたまふとて、いとなまめかしき袿姿うちとけたまへるを、いとめでたううれしと見たてまつるに、閼伽の具などのあるを見たまふに、思し出でて、
「尼君は、こなたにか。いとしどけなき姿なりけりや」
とて、御直衣召し出でて、たてまつる。几帳のもとに寄りたまひて、
「罪軽く生ほし立てたまへる836、人のゆゑは、御行なひのほどあはれにこそ、思ひなしきこゆれ。いといたく思ひ澄ましたまへりし御住みかを捨てて、憂き世に帰りたまへる心ざし、浅からず。またかしこには、いかにとまりて、思ひおこせたまふらむと、さまざまになむ」
と、いとなつかしうのたまふ。
「捨てはべりし世を、今さらにたち帰り、思ひたまへ乱るるを、推し量らせたまひければ、命長さのしるしも、思ひたまへ知られぬる」と、うち泣きて、「荒磯蔭に、心苦しう思ひきこえさせはべりし二葉の松も、今は頼もしき御生ひ先と、祝ひきこえさするを、浅き根ざしゆゑや、いかがと、かたがた心尽くされはべる」
など聞こゆるけはひ、よしなからねば、昔物語に、親王の住みたまひけるありさまなど、語らせたまふに、繕はれたる水の音なひ、かことがましう聞こゆ。
「住み馴れし人は帰りてたどれども
清水は宿の主人顔なる」
わざとはなくて、言ひ消つさま、みやびかによし、と聞きたまふ。
「いさらゐははやくのことも忘れじを
もとの主人や面変はりせる
あはれ」
と、うち眺めて、立ちたまふ姿、にほひ、世に知らず、とのみ思ひきこゆ。

 [2-4 源氏、大堰山荘で寛ぐ]
修繕なさるべき所を、ここの宿守りや、新たに加えた家司などにお命じになる。桂の院にお出ましになるご予定とあったので、近くの荘園の人々で、参集していたのも、みなこちらに尋ねて参った。前栽の折れ臥しているのなど、お直させなさる。
「あちらこちらの立石もみな倒れたり無くなったりしているが、風情あるように造ったならば、きっと見栄えのする庭園ですね。このような庭をわざわざ修繕するのも、つまらないことです。そうしたところで一生を過ごすわけでないから、立ち去る時に気が進まず、心引かれるのも、つらいことであった」
などと、昔のこともお口に出しになさって、泣いたり笑ったりして、くつろいでお話になっているのが、実に素晴らしい。
尼君、のぞいて拝すると、老いも忘れて、物思いも晴れるような心地がして、思わずにっこりしてしまった。
東の渡殿の下から湧き出る遣水の趣、修繕させなさろうとして、たいそう優美な袿姿でくつろいでいらっしゃるのを、まことに立派で嬉しく拝見していると、閼伽の道具類があるのを御覧になると、お思い出しになって、
「尼君は、こちらにいらっしゃるのか。まことみっともない姿であったよ」
とおっしゃって、御直衣をお取り寄せになって、お召しになる。几帳の側にお近寄りになって、
「罪を軽めてお育てなさった、その人の原因は、お勤行のほどをありがたくお思い申し上げます。たいそう深く心を澄まして住んでいらっしゃったお家を捨てて、憂き世にお帰りになられたお気持ち、深く感謝します。またあちらには、どのように居残って、こちらを思っていらっしゃるのだろうと、あれこれと思われることです」
と、たいそう優しくおっしゃる。
「いったん捨てました世の中を、今さら帰って来て、思い悩みますのを、ご推察くださいましたので、長生きした甲斐があると、嬉しく存じられます」と、泣き出して、「田舎の海辺にひっそりとお育ちになったことを、お気の毒にお思い申していた姫君も、今では将来頼もしくと、お祝い申しておりますが、素性賤しさゆえに、どのようなものかと、あれこれと心配せずにはいられません」
などと申し上げる感じ、風情がなくもないので、昔話に、親王が住んでいらっしゃった様子など、お話させなさっていると、手入れした遣水の音が、訴えるかのように聞えて来る。
「かつて住み慣れていたわたしは帰って来て、昔のことを思い出そうとするが
遣水はこの家の主人のような昔ながらの音を立てています」
わざとらしくはなくて、言い切らない様子、優雅で品がある、とお聞きになる。
「小さな遣水は昔のことも忘れないのに
もとの主人は姿を変えてしまったからであろうか
ああ、懐かしい」
と、ちょっと眺めて、お立ちになる姿、美しさを、世の中に見たこともない、とばかり思い申し上げる。

 [2-4 Genji makes himself at home in Ohoi-villa]
 Tukurohu beki tokoro, tokoro no adukari, ima kuhahe taru Keisi nado ni ohose raru. Katura-no-Win ni watari tamahu besi to ari kere ba, tikaki mi-syau no hito-bito, mawiri atumari tari keru mo, mina tadune mawiri tari. Sensai-domo no wore husi taru nado, tukuroha se tamahu.
 "Koko kasiko no tateisi-domo mo mina marobi use taru wo, nasake ari te si nasa ba, wokasikari nu beki tokoro kana! Kakaru tokoro wo wazato tukurohu mo, ainaki waza nari. Sate mo sugusi-hate ne ba, tatu toki mono-uku, kokoro tomaru, kurusikari ki."
 nado, kisikata no koto mo notamahi ide te, nakimi-warahimi, uti-toke notamahe ru, ito medetasi.
 Ama-Gimi, nozoki te mi tatematuru ni, oyi mo wasure, mono-omohi mo haruru kokoti si te uti-wemi nu.
 Himgasi no wata-dono no sita yori iduru midu no kokorobahe, tukuroha se tamahu tote, ito namamekasiki utiki-sugata utitoke tamahe ru wo, ito medetau uresi to mi tatematuru ni, aka no gu nado no aru wo mi tamahu ni, obosi-ide te,
 "Ama-Gimi ha, konata ni ka? Ito sidokenaki sugata nari keri ya!"
 tote, ohom-nahosi mesi-ide te, tatematuru. Kityau no moto ni yori tamahi te,
 "Tumi karoku ohosi-tate tamahe ru, hito no yuwe ha, ohom-okonahi no hodo ahare ni koso, omohi-nasi kikoyure. Ito itaku omohi sumasi tamahe ri si ohom-sumika wo sute te, uki-yo ni kaheri tamahe ru kokorozasi, asakara zu. Mata kasiko ni ha, ika ni tomari te, omohi-okose tamahu ram to, sama-zama ni nam."
 to, ito natukasiu notamahu.
 "Sute haberi si yo wo, imasara ni tati-kaheri, omohi tamahe midaruru wo, osihakara se tamahi kere ba, inoti nagasa no sirusi mo, omohi tamahe sira re nuru." to, uti-naki te, "Ara-iso-kage ni, kokoro-gurusiu omohi kikoye sase haberi si hutaba no matu mo, ima ha tanomosiki ohom-ohisaki to, ihahi kikoye sasuru wo, asaki nezasi yuwe ya, ikaga to, kata-gata kokoro tukusa re haberu."
 nado kikoyuru kehahi, yosi nakara ne ba, mukasi-monogatari ni, Miko no sumi tamahi keru arisama nado, katara se tamahu ni, tukuroha re taru midu no otonahi, kakoto gamasiu kikoyu.
 "Sumi nare si hito ha kaheri te tadore do mo
 simidu ha yado no aruzi-gaho naru
"
 Wazato ha naku te, ihi-ketu sama, miyabika ni yosi, to kiki tamahu.
 "Isarawi ha hayaku no koto mo wasure zi wo
 moto no aruzi ya omo-gahari se ru

 Ahare!"
 to, uti-nagame te, tati tamahu sugata, nihohi, yo ni sira zu, to nomi omohi kikoyu.

 御寺に渡りたまうて、月ごとの十四、五日、晦日の日、行はるべき普賢講、阿弥陀、釈迦の念仏837の三昧をばさるものにて、またまた加へ行はせたまふべきことなど838、定め置かせたまふ。堂の飾り、仏の御具など、めぐらし仰せらる。月の明きに帰りたまふ。
ありし夜のこと、思し出でらるる、折過ぐさず、かの琴の御琴さし出でたり。そこはかとなくものあはれなるに、え忍びたまはで、掻き鳴らしたまふ。まだ調べも変はらず、ひきかへし、その折今の心地したまふ。
「契りしに変はらぬ琴の調べにて
絶えぬ心のほどは知りきや」
女、
「変はらじと契りしことを頼みにて
松の響きに音を添へしかな」
と聞こえ交はしたるも、似げなからぬこそは、身にあまりたるありさまなめれ。こよなうねびまさりにける容貌、けはひ、え思ほし捨つまじう、若君、はた、尽きもせずまぼられたまふ。
「いかにせまし。隠ろへたるさまにて生ひ出でむが、心苦しう口惜しきを、二条の院に渡して、心のゆく限りもてなさば、後のおぼえも罪免れなむかし」
と思ほせど、また、思はむこといとほしくて、えうち出でたまはで、涙ぐみて見たまふ。幼き心地に、すこし恥ぢらひたりしが、やうやううちとけて、もの言ひ笑ひなどして、むつれたまふを見るままに、匂ひまさりてうつくし。抱きておはするさま、見るかひありて、宿世こよなしと見えたり。

 [2-5 嵯峨御堂に出向き大堰山荘に宿泊]
お寺にお出向きになって、毎月の十四、五日、晦日の日行われるはずの普賢講、阿彌陀、釈迦の念仏の三昧のことは言うまでもなく、さらにまたお加えになるべきことなど、お定めさせなさる。堂の飾り付け、仏像の道具類、お触れを回してお命じになる。月の明るいうちにお戻りになる。
かつての明石での夜のこと、お思い出しになっていらっしゃる、その時を逃さず、あの琴のお琴をお前に差し出した。どことなくしみじみと感慨が込み上げてくるので、我慢がおできになれず、掻き鳴らしなさる。絃の調子もまだもとのままで、当時に戻って、あの時のことが今のようなお感じがなさる。
「約束したとおり、琴の調べのように変わらない
わたしの心をお分かりいただけましたか」
女は、
「変わらないと約束なさったことを頼みとして
松風の音に泣く声を添えていました」
と詠み交わし申し上げたのも、不釣り合いでないのは、身に余る幸せのようである。すっかりと立派になった器量、雰囲気、とても見捨てがたく、若君、言うまでもなく、いつまでもじっと見守らずにはいらっしゃれない。
「どうしたらよいだろう。日蔭者としてお育ちになることが、気の毒で残念に思われるが、二条の院に引き取って、思いどおりに世話したならば、後になって世間の人々から非難も受けなくてすむだろう」
とお考えになるが、また一方で、悲しむことも気の毒で、お口に出すこともできず、涙ぐんで御覧になる。幼い心で、少し人見知りしていたが、だんだん打ち解けてきて、何か言ったり笑ったりして、親しみなさるのを見るにつれて、ますます美しくかわいらしく感じられる。抱いていらっしゃる様子、いかにも立派で、将来この上ないと思われた。

 [2-5 Genji geoes to his temple in Saga and comebacks to Ohoi-villa at night]
 Mi-tera ni watari tamau te, tuki-goto no zihu-si, zihu-go, tugomori no hi okonaha ru beki Hugen-kau, Amida, Syaka no nenbutu no sammai wo ba saru mono ni te, mata-mata kuhahe okonaha se tamahu beki koto nado, sadame-oka se tamahu. Dau no kazari, Hotoke no ohom-gu nado, megurasi ohose raru. Tuki no akaki ni kaheri tamahu.
 Ari si yo no koto, obosi-ide raruru, wori sugusa zu, kano kin no ohom-koto sasi-ide tari. Sokohakatonaku mono ahare naru ni, e sinobi tamaha de, kaki-narasi tamahu. Mada sirabe mo kahara zu, hiki-kahesi, sono wori ima no kokoti si tamahu.
 "Tigiri si ni kahara nu koto no sirabe ni te
 taye nu kokoro no hodo ha siri ki ya
"
 Womna,
 "Kahara zi to tigiri si koto wo tanomi ni te
 matu no hibiki ni ne wo sohe si kana
"
 to kikoye-kahasi taru mo, nige nakara nu koso ha, mi ni amari taru arisama na'mere. Koyonau nebi-masari ni keru katati, kehahi, e omohosi sutu maziu, Waka-Gimi, hata, tuki mo se zu mabora re tamahu.
 "Ika ni se ma si? Kakurohe taru sama ni te ohi-ide m ga, kokoro-gurusiu kutiwosiki wo, Nideu-no-Win ni watasi te, kokoro no yuku kagiri motenasa ba, noti no oboye mo tumi manukare na m kasi."
 to omohose do, mata, omoha m koto itohosiku te, e uti-ide tamaha de, namidagumi te mi tamahu. Wosanaki kokoti ni, sukosi hadirahi tari si ga, yau-yau utitoke te, mono ihi warahi nado si te, muture tamahu wo, miru mama ni, nihohi masari te utukusi. Idaki te ohasuru sama, miru kahi ari te, sukuse koyonasi to miye tari.

 またの日は京へ帰らせたまふべければ、すこし大殿籠もり過ぐして、やがてこれより出でたまふべきを、桂の院に人々多く参り集ひて、ここにも殿上人あまた参りたり。御装束839などしたまひて、
「いとはしたなきわざかな。かく見あらはさるべき隈にもあらぬを」
とて、騒がしきに引かれて出でたまふ。心苦しければ、さりげなく紛らはして立ちとまりたまへる戸口に、乳母、若君抱きてさし出でたり。あはれなる御けしきに、かき撫でたまひて840、
「見では、いと苦しかりぬべきこそ、いとうちつけなれ。いかがすべき。いと里遠しや841」
とのたまへば、
「遥かに思ひたまへ絶えたりつる年ごろよりも、今からの御もてなしの、おぼつかなうはべらむは、心尽くしに」
など聞こゆ。若君、手をさし出でて、立ちたまへるを慕ひたまへば、ついゐたまひて842、
「あやしう、もの思ひ絶えぬ身にこそありけれ。しばしにても苦しや。いづら。など、もろともに出でては、惜しみたまはぬ。さらばこそ、人心地もせめ」
とのたまへば、うち笑ひて、女君に「かくなむ」と聞こゆ。
なかなかもの思ひ乱れて臥したれば、とみにしも動かれず。あまり上衆めかしと思したり。人々もかたはらいたがれば、しぶしぶにゐざり出でて、几帳にはた隠れたるかたはら目、いみじうなまめいてよしあり、たをやぎたるけはひ、皇女たちといはむにも足りぬべし。
帷子引きやりて、こまやかに語らひたまふとて、とばかり返り見たまへるに、さこそ静めつれ、見送りきこゆ。
いはむかたなき盛りの御容貌なり。いたうそびやぎたまへりしが、すこしなりあふほどになりたまひにける御姿など、「かくてこそものものしかりけれ」と、御指貫の裾まで、なまめかしう愛敬のこぼれ出るぞ、あながちなる見なしなるべき。
かの、解けたりし蔵人も、還りなりにけり。靭負尉にて、今年かうぶり得てけり。昔に改め、心地よげにて、御佩刀取りに寄り来たり。人影を見つけて、
「来し方のもの忘れしはべらねど、かしこければえこそ843。浦風おぼえはべりつる暁の寝覚にも、おどろかしきこえさすべきよすがだになくて」
と、けしきばむを、
「八重立つ山844は、さらに島隠れ845にも劣らざりけるを、松も昔の846と、たどられつるに、忘れぬ人もものしたまひけるに、頼もし」
など言ふ。
「こよなしや。我も思ひなきにしもあらざりしを」
など、あさましうおぼゆれど、
「今、ことさらに」
と、うちけざやぎて、参りぬ。

 3 明石の物語 桂院での饗宴 [3-1 大堰山荘を出て桂院に向かう]
次の日は京へお帰りあそばすご予定なので、少しお寝過ごしになって、そのままこの山荘からお帰りになる予定であるが、桂の院に人々が多く参集して、こちらにも殿上人が大勢参上した。ご装束などをお付けになって、
「ほんとうにきまりが悪いことだ。このように発見されるような秘密の場所でもないのに」
と言って、騒がしさにひかれてお出になる。気の毒なので、さりげないふうによそおって立ち止まっていらっしゃる戸口に、乳母が、若君を抱いて出て来た。かわいらしい様子なので、ちょっとお撫でになって、
「見ないでいては、とてもつらいだろうことは、まったく現金なものだ。どうしたらよかろうか。とても里が遠いな」
とおっしゃると、
「遥か遠くに存じておりました数年前よりも、これからのお持てなしが、はっきりしませんのは、気がかりで」
などと申し上げる。若君、手を差し出して、お立ちになっている後をお慕いなさると、お膝をおつきになって、
「不思議と、気苦労の絶えないわが身であるよ。少しの間でもつらい。どこか。どうして、一緒に出て来て、別れを惜しみなさらないのですか。そうしてこそ、人心地もつこうものよ」
とおっしゃるので、ふと笑って、女君に「これこれです」と申し上げる。
かえって、物思いに悩んで伏せっていたので、急には起き上がることができない。あまりに貴婦人ぶっているとお思いになった。女房たちも気を揉んでいるので、しぶしぶといざり出て、几帳の蔭に隠れている横顔、たいそう優美で気品があり、しなやかな感じ、皇女といっても十分である。
帷子を引きのけて、愛情こまやかにお語らいになろうとして、しばらくの間振り返って御覧になると、あれほど心を抑えていたが、お見送り申し上げる。
何とも言いようがないほど、今がお盛りのご容貌である。たいそうすらっとしていらっしゃったが、少し均整のとれるほどにお太りになったお姿など、「これでこそ貫祿があるというものだ」と、指貫の裾まで、優美に魅力あふれて思えるのは、贔屓目に過ぎるというものであろう。
あの、解任されていた蔵人も、復官していたのであった。靭負尉になって、今年五位に叙されたのであった。昔とは違って、得意気なふうで、御佩刀を取りに近くにやって来た。人影を見つけて、
「昔のことは忘れていたわけではありませんが、恐れ多いのでお訪ねできずにおりました。浦風を思い出させる今朝の寝覚めにも、ご挨拶申し上げる手だてさえなくて」
と、意味ありげに言うので、
「幾重にも雲がかかる山里は、まったく島隠れの浦に劣りませんでしたのに、松も昔の相手はいないものかと思っていたが、忘れていない人がいらっしゃったとは、頼もしいこと」
などと言う。
「ひどいもんだ。自分も悩みがないわけではなかったのに」
などと、興ざめな思いがするが、
「いずれ、改めて」
と、きっぱり言って、参上した。

 3 Tale of Akashi Banquet at Katsura-villa [3-1 Genji goes to his Katura-villa from Ohoi-villa]
 Mata no hi ha Kyau he kahera se tamahu bekere ba, sukosi ohotono-gomori sugusi te, yagate kore yori ide tamahu beki wo, Katura-no-Win ni hito-bito ohoku mawiri-tudohi te, koko ni mo Tenzyau-bito amata mawiri tari. Ohom-sauzoku nado si tamahi te,
 "Ito hasitanaki waza kana! Kaku mi arahasa ru beki kuma ni mo ara nu wo."
 tote, sawagasiki ni hika re te ide tamahu. Kokoro-gurusikere ba, sarigenaku, magirahasi te tati-tomari tamahe ru to-guti ni, menoto, Waka-Gimi idaki te sasi-ide tari. Ahare naru mi-kesiki ni, kaki-nade tamahi te,
 "Mi de ha, ito kurusikari nu beki koso, ito utituke nare. Ikaga su beki? Ito sato tohosi ya!"
 to notamahe ba,
 "Haruka ni omohi tamahe taye tari turu tosi-goro yori mo, ima kara no ohom-motenasi no, obotukanau habera m ha, kokoro-dukusi ni."
 nado, kikoyu. Waka-Gimi, te wo sasi-ide te, tati tamahe ru wo sitahi tamahe ba, tui-wi tamahi te,
 "Ayasiu, mono omohi taye nu mi ni koso ari kere! Sibasi ni te mo kurusi ya! Idura? Nado, morotomoni ide te ha, wosimi tamaha nu? Sa'ra ba koso, hito-gokoti mo seme."
 to notamahe ba, uti-warahi te, Womna-Gimi ni "Kaku nam" to kikoyu.
 Naka-naka mono omohi midare te husi tare ba, tomi ni si mo ugoka re zu. Amari zyauzu mekasi to obosi tari. Hito-bito mo kataharaitagare ba, sibu-sibu ni wizari-ide te, kityau ni hata kakure taru katahara-me, imiziu namamei te yosi ari, tawoyagi taru kehahi, Miko tati to iha m ni mo tari nu besi.
 Katabira hiki-yari te, komayaka ni katarahi tamahu tote, tobakari kaheri-mi tamahe ru ni, sa koso sidume ture, mi-okuri kikoyu.
 Ihamkatanaki sakari no ohom-katati nari. Itau sobiyagi tamahe ri si ga, sukosi nari-ahu hodo ni nari tamahi ni keru ohom-sugata nado, "Kakute koso mono-monosikari kere!" to, ohom-sasinuki no suso made, namamekasiu aigyau no kobore iduru zo, anagati naru mi-nasi naru beki.
 Kano, toke tari si Kura-udo mo, kaheri nari ni keri. Yugehi-no-Zeu ni te, kotosi kauburi e te keri. Mukasi ni aratame, kokoti-yoge ni te, mi-hakasi tori ni yori-ki tari. Hito-kage wo mituke te,
 "Kisi-kata no mono wasure si habera ne do, kasikokere ba, e koso. Ura-kaze oboye haberi turu akatuki no ne-zame ni mo, odorokasi kikoye sasu beki yosuga dani naku te."
 to, kesikibamu wo,
 "Yahe-tatu yama ha, sarani sima-gakure ni mo otora zari keru wo, matu mo mukasi no to, tadorare turu ni, wasure nu hito mo monosi tamahi keru ni, tanomosi."
 nado ihu.
 "Koyonasi ya! Ware mo omohi naki ni si mo ara zari si wo."
 nado, asamasiu oboyure do,
 "Ima, kotosara ni."
 to, uti-kezayagi te, mawiri nu.

 いとよそほしくさし歩みたまふほど、かしかましう追ひ払ひて、御車の尻に、頭中将、兵衛督乗せたまふ。
「いと軽々しき隠れ家、見あらはされぬるこそ、ねたう」
と、いたうからがりたまふ。
「昨夜の月に、口惜しう御供に後れはべりにけると思ひたまへられしかば、今朝、霧を分けて参りはべりつる。山の錦は847、まだしうはべりけり。野辺の色こそ、盛りにはべりけれ。なにがしの朝臣の、小鷹にかかづらひて、立ち後れはべりぬる、いかがなりぬらむ」
など言ふ。
「今日は、なほ桂殿に」とて、そなたざまにおはしましぬ。にはかなる御饗応と848騷ぎて、鵜飼ども召したるに、海人のさへづり思し出でらる。
野に泊りぬる君達、小鳥しるしばかりひき付けさせたる荻の枝など、苞にして参れり。大御酒あまたたび順流れて、川のわたり危ふげなれば、酔ひに紛れておはしまし暮らしつ。

 [3-2 桂院に到着、饗宴始まる]
たいそう威儀正しくお進みになる間、大声で御前駆が先払いして、お車の後座席に、頭中将、兵衛督をお乗せになる。
「たいそう軽々しい隠れ家、見つけられてしまったのが、残念だ」
と、ひどくお困りのふうでいっらっしゃる。
「昨夜の月には、残念にもお供に遅れてしまったと存じましたので、今朝は、霧の中を参ったのでございます。山の紅葉は、まだのようでございます。野辺の色は、盛りでございました。某の朝臣が、小鷹狩にかかわって遅れてしまいましたが、どうなったことでしょう」
などと言う。
「今日は、やはり桂殿で」と言って、そちらの方にいらっしゃった。急な御饗応だと大騷ぎして、鵜飼たちを呼び寄せると、海人のさえずりが自然と思い出される。
野原に夜明かしした公達は、小鳥を体裁ばかりに付けた荻の枝など、土産にして参上した。お杯が何度も廻って、川の近くなので危なっかしいので、酔いに紛れて一日お過ごしになった。

 [3-2 Genji gives a banquet at his Katsura-villa]
 Ito yosohosiku sasi-ayumi tamahu hodo, kasikamasiu ohi-harahi te, mi-kuruma no siri ni, Tou-no-Tiuzyau, Hyauwe-no-Kami nose tamahu.
 "Ito karu-garusiki kakure-ga, mi-arahasa re nuru koso, netau."
 to, itau karagari tamahu.
 "Yobe no tuki ni, kutiwosiu ohom-tomo ni okure haberi ni keru to omohi tamahe rare sika ba, kesa, kiri wo wake te mawiri haberi turu. Yama no nisiki ha, madasiu haberi keri. Nobe no iro koso, sakari ni haberi kere. Nanigasi-no-Asom no, ko-taka ni kakadurahi te, tati-okure haberi nuru, ikaga nari nu ram?"
 nado ihu.
 "Kehu ha, naho Katura-dono ni." tote, sonata zama ni ohasimasi nu. Nihakanaru ohom-aruzi to sawagi te, u-kahi-domo mesi taru ni, ama no saheduri obosi-ide raru.
 No ni tomari nuru kimdati, kotori sirusi bakari hiki-tuke sase taru wogi no eda nado, tuto ni si te mawire ri. Ohomi-ki amata tabi zum nagare te, kaha no watari ayahuge nare ba, wehi ni magire te ohasimasi kurasi tu.

 おのおの絶句など作りわたして、月はなやかにさし出づるほどに、大御遊び始まりて、いと今めかし。
弾きもの、琵琶、和琴ばかり、笛ども上手の限りして、折に合ひたる調子吹き立つるほど、川風吹き合はせておもしろきに、月高くさし上がり、よろづのこと澄める夜のやや更くるほどに、殿上人、四、五人ばかり連れて参れり。
上にさぶらひけるを、御遊びありけるついでに、
「今日は、六日の御物忌明く日にて、かならず849参りたまふべきを、いかなれば」
と仰せられければ、ここに、かう泊らせたまひにけるよし聞こし召して、御消息あるなりけり。御使は、蔵人弁なりけり。
「月のすむ川のをちなる里なれば
桂の影はのどけかるらむ
うらやましう」
とあり。かしこまりきこえさせたまふ。
上の御遊びよりも、なほ所からの、すごさ添へたるものの音をめでて、また酔ひ加はりぬ。ここにはまうけの物もさぶらはざりければ、大堰に、
「わざとならぬまうけの物や」
と、言ひつかはしたり。取りあへたるに従ひて参らせたり。衣櫃二荷にてあるを、御使の弁はとく帰り参れば、女の装束850かづけたまふ。
「久方の光に近き名のみして
朝夕霧も晴れぬ山里」
行幸待ちきこえたまふ心ばへなるべし。「中に生ひたる851」と、うち誦んじたまふついでに、かの淡路島を思し出でて、躬恒が「所からか852」とおぼめきけむことなど、のたまひ出でたるに、ものあはれなる酔ひ泣きどもあるべし。
「めぐり来て手に取るばかりさやけきや
淡路の島のあはと見し月」
頭中将、
「浮雲にしばしまがひし月影の
すみはつる夜ぞのどけかるべき」
左大弁、すこしおとなびて、故院の御時にも、むつましう仕うまつりなれし人なりけり。
「雲の上のすみかを捨てて夜半の月
いづれの谷にかげ隠しけむ」
心々にあまたあめれど、うるさくてなむ。
気近ううち静まりたる御物語、すこしうち乱れて、千年も見聞かまほしき御ありさまなれば、斧の柄も朽ちぬべけれど、今日さへはとて、急ぎ帰りたまふ。
物ども品々にかづけて、霧の絶え間に立ち混じりたるも、前栽の花に見えまがひたる色あひなど、ことにめでたし。近衛府の名高き舎人、物の節どもなどさぶらふに、さうざうしければ、「其駒」など乱れ遊びて、脱ぎかけたまふ色々、秋の錦を風の吹きおほふかと見ゆ。
ののしりて帰らせたまふ響きを、大堰にはもの隔てて聞きて、名残さびしう眺めたまふ。「御消息をだにせで」と、大臣も御心にかかれり。

 [3-3 饗宴の最中に勅使来訪]
各自が絶句などを作って、月が明るく差し出したころに、管弦のお遊びが始まって、まことに華やかである。
弾楽器は、琵琶、和琴ぐらいで、笛は上手な人だけで、季節にふさわしい調子を吹き立てるほどに、川風が吹き合わせて風雅なところに、月が高く上り、何もかもが澄んで感じられる夜がやや更けていったころに、殿上人が、四、五人ほど連れだって参上した。
殿上の間に伺候していたのだったが、管弦の御遊があった折に、
「今日は、六日の御物忌みの明ける日なので、必ず参内なさるはずなのに、どうしてなのか」
と仰せになったところ、ここに、このようにご滞留になった由をお聞きあそばして、お手紙があったのであった。お使いは蔵人弁であった。
「月が澄んで見える桂川の向こうの里なので
月の光をゆっくりと眺められることであろう
羨ましいことです」
とある。恐縮申し上げなさる。
殿上の御遊よりも、やはり場所柄ゆえに、ひとしお身にしみ入る楽の音を賞美して、また酔いも加わった。ここには引き出物も準備していなかったので、大堰に、
「ことごとしくならない引き出物はないか」
と言っておやりになった。有り合わせの物を差し上げた。衣櫃二荷に入っているのを、お使いの蔵人弁はすぐに帰参するので、女の装束をお与えになる。
「桂の里といえば月に近いように思われますが
それは名ばかりで朝夕霧も晴れない山里です」
行幸をお待ち申し上げるお気持ちなのであろう。「月の中に生えている」と朗誦なさる時に、あの淡路島をお思い出しになって、躬恒が「場所柄からであろうか」といぶかしがったという話などを、おっしゃり出したので、しみじみとした酔い泣きする者もいるのであろう。
「都に帰って来て手に取るばかり近くに見える月は
あの淡路島を臨んで遥か遠くに眺めた月と同じ月なのだろうか」
頭中将、
「浮雲に少しの間隠れていた月の光も
今は澄みきっているようにいつまでものどかでありましょう」
左大弁、少し年がいって、故院の御代にも、親しくお仕えしていた人なのであった。
「まだまだご健在であるはずの故院はどこの谷間に
お姿をお隠しあそばしてしまわれたのだろう」
それぞれに多くあるようだが、煩わしいので省略する。
親しい内輪とのしんみりしたお話に、少し砕けてきて、千年も見たり聞いていたりしたいご様子なので、斧の柄も朽ちてしまいそうだが、いくらなんでも今日まではと、急いでお帰りになる。
いろいろな品物を身分に応じてお与えになって、霧の絶え間に見え隠れしているのも、前栽の花かと見違えるような色あいなど、格別素晴らしく見える。近衛府の有名な舎人、芸能者などが従っているのに、何もないのはつまらないので、「その駒」などを謡いはやして、脱いで次々とお与えになる色合いは、秋の錦を風が吹き散らしているかのように見える。
大騷ぎしてお帰りになるざわめきを、大堰では遥か遠くに聞いて、名残寂しく物思いに沈んでいらっしゃる。「お手紙さえ出さなくて」と、大臣もお気にかかっていらっしゃった。

 [3-3 A messenger of Mikado comes to Katsura-villa]
 Ono-ono zekku nado tukuri watasi te, tuki hanayaka ni sasi-iduru hodo ni, ohomi-asobi hazimari te, ito imamekasi.
 Hiki-mono, biha, wagon bakari, hue-domo zyauzu no kagiri si te, wori ni ahi taru teusi huki-taturu hodo, kaha-kaze huki-ahase te omosiroki ni, tuki takaku sasi-agari, yorodu no koto sume ru yo no yaya hukuru hodo ni, Tenzyau-bito, si,go-nin bakari ture te mawire ri.
 Uhe ni saburahi keru wo, ohom-asobi ari keru tuide ni,
 "Kehu ha, muyi-ka no ohom-monoimi aku hi ni te, kanarazu mawiri tamahu beki wo, ika nare ba?"
 to ohose rare kere ba, koko ni, kau tomara se tamahi ni keru yosi kikosimesi te, ohom-seusoko aru nari keri. Ohom-tukahi ha, Kuraudo-no-Ben nari keri.
 "Tuki no sumu kaha no woti naru sato nare ba
 katura no kage ha nodokekaru ram

 Urayamasiu."
 to ari. Kasikomari kikoye sase tamahu.
 Uhe no ohom-asobi yori mo, naho tokoro kara no, sugosa sohe taru mono no ne wo mede te, mata wehi kuhahari nu. Koko ni ha mauke no mono mo saburaha zari kere ba, Ohowi ni,
 "Wazato nara nu mauke no mono ya?"
 to, ihi-tukahasi tari. Tori-ahe taru ni sitagahi te mawira se tari. Kinu-bitu huta-kake ni te aru wo, ohom-tukahi no Ben ha toku kaheri mawire ba, womna no sauzoku kaduke tamahu.
 "Hisakata no hikari ni tikaki na nomi si te
 asa-yuhu kiri mo hare nu yama-zato
"
 Gyaugau mati kikoye tamahu kokorobahe naru besi. "Naka ni ohi taru" to, uti-zun-zi tamahu tuide ni, kano Ahadi-sima wo obosi-ide te, Mitune ga "Tokoro kara ka" to obomeki kem koto nado, notamahi ide taru ni, mono ahare naru wehi-naki-domo aru besi.
 "Meguri-ki te te ni toru bakari sayakeki ya
 Ahadi no sima no aha to mi si tuki
"
 Tou-no-Tiuzyau,
 "Ukigumo ni sibasi magahi si tuki-kage no
 sumi-haturu yo zo nodokekaru beki
"
 Sa-Daiben, sukosi otonabi te, ko-Win no ohom-toki ni mo, mutumasiu tukau-maturi nare si hito nari keri.
 "Kumo no uhe no sumika wo sute te yoha no tuki
 idure no tani ni kage kakusi kem
"
 Kokoro-gokoro ni amata a'mere do, urusaku te nam.
 Ke-dikau uti-sidumari taru ohom-monogatari, sukosi uti-midare te, ti-tose mo mi kika mahosiki ohom-arisama nare ba, wono-no-ye mo kuti nu bekere do, kehu sahe ha tote, isogi kaheri tamahu.
 Mono-domo sina-zina ni kaduke te, kiri no tayema ni tati-mziri taru mo, sensai no hana ni miye magahi taru iro-ahi nado, koto ni medetasi. Konowe-Dukasa no nadakaki Toneri, mono no husi-domo nado saburahu ni, sau-zausikere ba, Sono-koma nado midare asobi te, nugi-kake tamahu iro-iro, aki no nisiki wo kaze no huki ohohu ka to miyu.
 Nonosiri te kahera se tamahu hibiki, Ohowi ni ha mono hedate te kiki te, nagori sabisiu nagame tamahu. "Ohom-seusoko wo dani se de." to, Otodo mo mi-kokoro ni kakare ri.

 殿におはして、とばかりうち休みたまふ。山里の御物語など聞こえたまふ。
「暇聞こえしほど過ぎつれば、いと苦しうこそ。この好き者どもの尋ね来て、いといたう強ひ止めしに、引かされて。今朝は、いとなやまし」
とて、大殿籠もれり。例の、心とけず見えたまへど、見知らぬやうにて、
「なずらひならぬほどを、思し比ぶるも、悪ろきわざなめり。我は我と思ひなしたまへ」
と、教へきこえたまふ。
暮れかかるほどに、内裏へ参りたまふに、ひきそばめて急ぎ書きたまふは、かしこへなめり。側目こまやかに見ゆ。うちささめきて遣はすを、御達など、憎みきこゆ。

 4 紫の君の物語 嫉妬と姫君への関心 [4-1 二条院に帰邸]
邸にお帰りになって、しばらくの間お休みになる。山里のお話など申し上げなさる。
「お暇を頂戴したのが過ぎてしまったので、とても申し訳ありません。この風流人たちが尋ねて来て、無理に引き止めたので、それにつられて。今朝は、とても気分が悪い」
と言って、お寝みになった。例によって、不機嫌のようでいらしたが、気づかないないふりをして、
「比較にならない身分を、お比べになっても、良くないようです。自分は自分と思っていらっしゃい」
と、お教え申し上げなさる。
日が暮かかるころに、宮中へ参内なさるが、脇に隠して急いでお認めになるのは、あちらへなのであろう。横目には愛情深く見える。小声で言って遣わすのを、女房たちは、憎らしいとお思い申し上げる。

 4 Tale of Murasaki Jealousy and love for baby [4-1 Genji comebacks to his Nijo-residence]
 Tono ni ohasi te, tobakari uti-yasumi tamahu. Yama-zato no ohom-monogatari nado kikoye tamahu.
 "Itoma kikoye si hodo sugi ture ba, ito kurusiu koso. Kono suki-mono-domo no tadune ki te, ito itau sihi-todome si ni, hika sare te. Kesa ha, ito nayamasi."
 tote, ohotono-gomore ri. Rei no, kokoro-toke zu miye tamahe do, mi-sira nu yau ni te,
 "Nazurahi nara nu hodo wo, obosi-kuraburu mo, waruki waza na'meri. Ware ha ware to omohi-nasi tamahe."
 to, wosihe kikoye tamahu.
 Kure-kakaru hodo ni, Uti he mawiri tamahu ni, hiki-sobame te isogi kaki tamahu ha, kasiko he na'meri. Soba-me komayaka ni miyu. Uti-sasameki te tukahasu wo, go-tati nado, nikumi kikoyu.

 その夜は、内裏にもさぶらひたまふべけれど、解けざりつる御けしきとりに、夜更けぬれど、まかでたまひぬ。ありつる御返り持て参れり。え引き隠したまはで、御覧ず。ことに憎かるべきふしも見えねば、
「これ、破り隠したまへ。むつかしや。かかるものの散らむも、今はつきなきほどになりにけり」
とて、御脇息に寄りゐたまひて、御心のうちには、いとあはれに恋しう思しやらるれば、燈をうち眺めて、ことにものものたまはず853。文は広ごりながらあれど、女君、見たまはぬやうなるを、
「せめて、見隠したまふ御目尻こそ、わづらはしけれ」
とて、うち笑みたまへる御愛敬、所狭きまでこぼれぬべし。
さし寄りたまひて、
「まことは、らうたげなるものを見しかば、契り浅くも見えぬを、さりとて、ものめかさむほども憚り多かるに、思ひなむわづらひぬる。同じ心に思ひめぐらして、御心に思ひ定めたまへ。いかがすべき。ここにて育みたまひてむや854。蛭の子が齢にもなりにけるを、罪なきさまなるも思ひ捨てがたうこそ。いはけなげなる下つ方も、紛らはさむなど思ふを、めざましと思さずは、引き結ひたまへかし」
と聞こえ855たまふ。
「思はずにのみとりなしたまふ御心の隔てを、せめて見知らず、うらなくやはとてこそ。いはけなからむ御心には、いとようかなひぬべくなむ。いかにうつくしきほどに」
とて、すこしうち笑みたまひぬ。稚児をわりなうらうたきものにしたまふ御心なれば、「得て、抱きかしづかばや」と思す。
「いかにせまし。迎へやせまし」と思し乱る。渡りたまふこといとかたし。嵯峨野の御堂の念仏など待ち出でて、月に二度ばかりの御契りなめり。年のわたりには856、立ちまさりぬべかめるを、及びなきことと思へども、なほいかがもの思はしからぬ。

 [4-2 源氏、紫の君に姫君を養女とする件を相談]
その夜は、宮中にご宿直の予定であったが、直らなかったご機嫌を取るために、夜が更けたが退出なさった。先ほどのお返事を持って参った。お隠しになることができず、御覧になる。特別に憎むような点も見えないので、
「これ、破り捨ててください。厄介なことだ。このような手紙が散らかっているのも、今では不似合いな年頃になってしまったよ」
と言って、御脇息に寄り掛かりなさって、お心の中では、実にしみじみといとしく思わずにはいられないので、燈火をふと御覧になって、特に何もおっしゃらない。手紙は広げたままあるが、女君、御覧にならないようなので、
「無理して、見て見ぬふりをなさる眼つきが、やっかいですよ」
と言って、微笑みなさる魅力、あたり一面にこぼれるほどである。
側にお寄りになって、
「実を申すと、かわいらしい姫君が生まれたものだから、宿縁は浅くも思えず、そうかといって、一人前に扱うのも憚りが多いので、困っているのです。わたしと同じ気持ちになって考えて、あなたのお考えで決めてください。どうしましょう。ここでお育てになってくださいませんか。蛭の子の三歳にもなっているのだが、無邪気な様子も放って置けないので。幼げな腰のあたりを、取り繕ってやろうなどと思うのだが、嫌だとお思いでなければ、腰結いの役を勤めてやってくださいな」
とお頼み申し上げなさる。
「思ってもいない方にばかりお取りになる冷たいお気持ちを、無理に気づかないふりをして、無心に振る舞っていては良くないとは思えばこそです。幼ない姫君のお心には、きっととてもよくお気にめすことでしょう。どんなにかわいらしい年頃なのでしょう」
と言って、少し微笑みなさった。子どもをひどくかわいがるご性格なので、「引き取ってお育てしたい」とお思いになる。
「どうしようか。迎えようか」とご思案なさる。お出向きになることはとても難しい。嵯峨野の御堂の念仏の日を待って、一月に二度ほどの逢瀬のようである。年に一度の七夕の逢瀬よりは勝っているようであるが、これ以上は望めないことと思うけれども、やはりどうして嘆かずにいられようか。

 [4-2 Genji talks Murasaki to adopt Akashi's daughter]
 Sono yo ha, Uti ni mo saburahi tamahu bekere do, toke zari turu mi-kesiki tori ni, yo huke nure do, makade tamahi nu. Ari turu ohom-kaheri mote mawire ri. E hiki-kakusi tamaha de, go-ran-zu. Koto ni nikukaru beki husi mo miye ne ba,
 "Kore, yari kakusi tamahe. Mutukasi ya! Kakaru mono no tira m mo, ima ha tukinaki hodo ni nari ni keri!"
 tote, ohom-keusoku ni yori-wi tamahi te, mi-kokoro no uti ni ha, ito ahare ni kohisiu obosi-yara rure ba, hi wo uti-nagame te, koto ni mono mo notamaha zu. Humi ha hirogori nagara are do, Womna-Gimi, mi tamaha nu yau naru wo,
 "Semete, mi-kakusi tamahu ohom-maziri koso, wadurahasikere."
 tote, uti-wemi tamahe ru ohom-aigyau, tokoro-seki made kobore nu besi.
 Sasi-yori tamahi te,
 "Makoto ha, rautage naru mono wo mi sika ba, tigiri asaku mo miye nu wo, saritote, monomekasa m hodo mo habakari ohokaru ni, omohi nam wadurahi nuru. Onazi kokoro ni omohi-megurasi te, mi-kokoro ni omohi sadame tamahe. Ikaga su beki. Kokoni te hagukumi tamahi te m ya? Hiru-no-ko ga yohahi ni mo nari ni keru wo, tumi naki sama naru mo omohi-sute gatau koso. Ihakenage naru simo-tu-kata mo, magirahasa m nado omohu wo, mezamasi to obosa zu ha, hiki-yuhi tamahe kasi."
 to kikoye tamahu.
 "Omoha zu ni nomi torinasi tamahu mi-kokoro no hedate wo, semete mi-sira zu, uranaku ya ha tote koso. Ihakenaka'ram mi-kokoro ni ha, ito you kanahi nu beku nam. Ika ni utukusiki hodo ni?"
 tote, sukosi uti-wemi tamhi nu. Tigo wo warinau rautaki mono ni si tamahu mi-kokoro nare ba, "E te, idaki kasiduka baya." to obosu.
 "Ika ni se masi? Mukahe ya se masi?" to obosi midaru. Watari tamahu koto ito katasi. Sagano no Mi-dau no nenbutu nado mati-ide te, tuki ni huta-tabi bakari no ohom-tigiri na'meri. Tosi no watari ni ha, tati-masari nu beka'meru wo, oyobinaki koto to omohe do mo, naho ikaga mono omohasikara nu.

 出典

 校訂
備考--(/) ミセケチ--$ 抹消--# 補入--+ 傍書--= ナゾリ--& 独自異文等--* 朱筆--<朱> 不明--?

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Last Modified: Tuesday, August 31, 2004
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