源氏物語

Genji monogatari

紫式部 Murasaki Shikibu

1 玉鬘の物語 筑紫流離の物語

2 玉鬘の物語 大夫監の求婚と筑紫脱出

3 玉鬘の物語 玉鬘、右近と椿市で邂逅

4 光る源氏の物語 玉鬘を養女とする物語

5 光る源氏の物語 末摘花の物語と和歌論

出典
校訂

1 玉鬘の物語 筑紫流離の物語

2 玉鬘の物語 大夫監の求婚と筑紫脱出

3 玉鬘の物語 玉鬘、右近と椿市で邂逅

4 光る源氏の物語 玉鬘を養女とする物語

5 光る源氏の物語 末摘花の物語と和歌論

1 Tale of Tamakazura The life of Tsukushi

2 Tale of Tamakazura The denial of Gen's proposal and getting out of Tsukushi

3 Tale of Tamakazura Tamakazura happened to meet Ukon at Tsubaichi

4 Tale of Hikaru-Genji Genji makes Tamakazura to his adopted daughter

5 Tale of Hikaru-Genji Genji's opinion about waka and the tale of Suetsumuhana

 年月隔たりぬれど、飽かざりし夕顔を、つゆ忘れたまはず、心々なる人のありさまどもを、見たまひ重ぬるにつけても、「あらましかば1033」と、あはれに口惜しくのみ思し出づ。
右近は、何の人数ならねど、なほ、その形見と見たまひて、らうたきものに思したれば、古人の数に仕うまつり馴れたり。須磨の御移ろひのほどに、対の上の御方に、皆人々聞こえ渡したまひしほどより、そなたにさぶらふ。心よくかいひそめたるものに、女君も思したれど、心のうちには、
「故君ものしたまはましかば、明石の御方ばかりのおぼえには劣りたまはざらまし。さしも深き御心ざしなかりけるをだに、落としあぶさず、取りしたためたまふ御心長さなりければ、まいて、やむごとなき列にこそあらざらめ、この御殿移りの数のうちにはまじらひたまひなまし」
と思ふに、飽かず悲しくなむ思ひける。
かの西の京にとまりし若君をだに行方も知らず、ひとへにものを思ひつつみ、また、「今さらにかひなきことによりて、我が名漏らすな1034」と、口がためたまひしを憚りきこえて、尋ねても音づれきこえざりしほどに、その御乳母の男、少弐になりて、行きければ、下りにけり。かの若君の四つになる年ぞ、筑紫へは行きける。

 1 玉鬘の物語 筑紫流離の物語 [1-1 源氏と右近、夕顔を回想]
年月がたってしまったが、諦めてもなお諦めきれなかった夕顔を、少しもお忘れにならず、人それぞれの性格を、次々に御覧になって来たのにつけても、「もし生きていたならば」と、悲しく残念にばかりお思い出しになる。
右近は、物の数にも入らないが、やはり、その形見と御覧になって、お目を掛けていらっしゃるので、古参の女房の一人として長くお仕えしていた。須磨へのご退去の折に、対の上に女房たちを皆お仕え申させなさったとき以来、あちらでお仕えしている。気立てのよく控え目な女房だと、女君もお思いになっていたが、心の底では、
「亡くなったご主人が生きていられたならば、明石の御方くらいのご寵愛に負けはしなかったろうに。それほど深く愛していられなかった女性でさえ、お見捨てにならず、めんどうを見られるお心の変わらないお方だったのだから、まして、身分の高い人たちと同列とはならないが、この度のご入居者の数のうちには加わっていたであろうに」
と思うと、悲しんでも悲しみきれない思いであった。
あの西の京に残っていた若君の行方をすら知らず、ひたすら世をはばかり、又、「今更いっても始まらないことだから、しゃべってうっかり私の名を世間に漏らすな」と、口止めなさったことにご遠慮申して、安否をお尋ね申さずにいたうちに、若君の乳母の夫が、大宰少弍になって、赴任したので、下ってしまった。あの若君が四歳になる年に、筑紫へは行ったのであった。

 1 Tale of Tamakazura The life of Tsukushi [1-1 Genji and Ukon remember Yugao]
 Tosi-tuki hedatari nure do, aka zari si Yuhugaho wo, tuyu wasure tamaha zu, kokoro-gokoro naru hito no arisama-domo wo, mi tamahi kasanuru ni tuke te mo, "Aramasika ba." to, ahare ni kutiwosiku nomi obosi-idu.
 Ukon ha, nani no hito-kazu nara ne do, naho, sono katami to mi tamahi te, rautaki mono ni obosi tare ba, huru-hito no kazu ni tukau-maturi nare tari. Suma no ohom-uturohi no hodo ni, Tai-no-Uhe no Ohom-kata ni, mina hito-bito kikoye watasi tamahi si hodo yori, sonata ni saburahu. Kokoro yoku kai-hisome taru mono ni, Womna-Gimi mo obosi tare do, kokoro no uti ni ha,
 "Ko-Gimi monosi tamaha masika ba, Akasi-no-Ohomkata bakari no oboye ni ha otori tamaha zara masi. Sa si mo hukaki mi-kokorozasi nakari keru wo dani, otosi abusa zu, tori sitatame tamahu mi-kokoro nagasa nari kere ba, maite, yamgotonaki tura ni koso ara za'mere, kono ohom-tono-uturi no kazu no uti ni ha mazirahi tamahi na masi."
 to omohu ni, aka zu kanasiku nam omohi keru.
 Kano Nisi-no-Kyau ni tomari si Waka-Gimi wo dani yukuhe mo sira zu, hitohe ni mono wo omohi tutumi, mata, "Imasara ni kahinaki koto ni yori te, waga na morasu na." to, kuti-gatame tamahi si wo habakari kikoye te, tadune te mo otodure kikoye zari si hodo ni, sono ohom-menoto no wotoko, Seuni ni nari te, iki kere ba, kudari ni keri. Kano Waka-Gimi no yo-tu ni naru tosi zo, Tukusi he ha iki keru.

 母君の御行方を知らむと、よろづの神仏に申して、夜昼泣き恋ひて、さるべき所々を尋ねきこえけれど、つひにえ聞き出でず。
「さらばいかがはせむ。若君をだにこそは、御形見に見たてまつらめ。あやしき道に添へたてまつりて、遥かなるほどにおはせむことの悲しきこと。なほ、父君にほのめかさむ」
と思ひけれど、さるべきたよりもなきうちに、
「母君のおはしけむかたも知らず、尋ね問ひたまはば、いかが聞こえむ」
「まだ、よくも見なれたまはぬに、幼き人をとどめたてまつりたまはむも、うしろめたかるべし」
「知りながら、はた、率て下りねと許したまふべきにもあらず」
など、おのがじし語らひあはせて、いとうつくしう、ただ今から気高くきよらなる御さまを、ことなるしつらひなき舟に乗せて漕ぎ出づるほどは、いとあはれになむおぼえける。
幼き心地に、母君を忘れず、折々に、
「母の御もとへ行くか」
と問ひたまふにつけて、涙絶ゆる時なく、娘どもも思ひこがるるを、「舟路ゆゆし」と、かつは諌めけり。
おもしろき所々を見つつ、
「心若うおはせしものを、かかる路をも見せたてまつるものにもがな」
「おはせましかば、われらは下らざらまし」
と、京の方を思ひやらるるに、帰る浪もうらやましく1035、心細きに、舟子どもの荒々しき声にて、
「うらがなしくも、遠く来にけるかな」
と、歌ふを聞くままに、二人さし向ひて泣きけり。
「舟人もたれを恋ふとか大島の
うらがなしげに声の聞こゆる」
「来し方も行方も知らぬ沖に出でて
あはれいづくに君を恋ふらむ」
 鄙の別れ1036に、おのがじし心をやりて言ひける。
 金の岬過ぎて、「われは忘れず」1037など、世とともの言種になりて、かしこに到り着きては、まいて遥かなるほどを思ひやりて、恋ひ泣きて、この君をかしづきものにて、明かし暮らす。
夢などに、いとたまさかに見えたまふ時などもあり。同じさまなる女など、添ひたまうて見えたまへば、名残心地悪しく悩みなどしければ、
「なほ、世に亡くなりたまひにけるなめり」
と思ひなるも、いみじくのみなむ。

 [1-2 玉鬘一行、筑紫へ下向]
母君のお行方を知りたいと思って、いろいろの神仏に願掛け申して、夜昼となく泣き恋い焦がれて、心当たりの所々をお探し申したが、結局お訪ね当てることができない。
「それではどうしようもない。せめて若君だけでも、母君のお形見としてお世話申しそう。鄙の道にお連れ申して、遠い道中をおいでになることもおいたわしいこと。やはり、父君にそれとなくお話し申し上げよう」
と思ったが、適当なつてもないうちに、
「母君のいられる所も知らないで、お訪ねになられたら、どのようにお返事申し上げられようか」
「まだ、十分に見慣れていられないのに、幼い姫君をお手許にお引き取り申すされるのも、やはり不安でしょう」
「お知りになりながら、またやはり、筑紫へ連れて下ってよいとは、お許しになるはずもありますまい」
などと、お互いに相談し合って、とてもかわいらしく、今から既に気品があってお美しいご器量を、格別の設備もない舟に乗せて漕ぎ出す時は、とても哀れに思われた。
子供心にも、母君のことを忘れず、時々、
「母君様の所へ行くの」
とお尋ねになるにつけて、涙の止まる時がなく、娘たちも思い焦がれているが、「舟路に不吉だ」と、泣く一方では制すのであった。
美しい場所をあちこち見ながら、
「気の若い方でいらしたが、こうした道中をお見せ申し上げたかったですね」
「いいえ、いらっしゃいましたら、私たちは下ることもなかったでしょうに」
と、都の方ばかり思いやられて、寄せては返す波も羨ましく、かつ心細く思っている時に、舟子たちが荒々しい声で、
「物悲しくも、こんな遠くまで来てしまったよ」
と謡うのを聞くと、とたんに二人とも向き合って泣いたのであった。
「舟人も誰を恋い慕ってか大島の浦に
悲しい声が聞こえます」
「来た方角もこれから進む方角も分からない沖に出て
ああどちらを向いて女君を恋い求めたらよいのでしょう」
遠く都を離れて、それぞれに気慰めに詠むのであった。
金の岬を過ぎても、「我は忘れず」などと、明けても暮れても口ぐせになって、あちらに到着してからは、まして遠くに来てしまったことを思いやって、恋い慕い泣いては、この姫君を大切にお世話申して、明かし暮らしている。
夢などに、ごく稀に現れなさる時などもある。同じ姿をした女などが、ご一緒にお見えになるので、その後に気分が悪く具合悪くなったりなどしたので、
「やはり、亡くなられたのだろう」
と諦める気持ちになるのも、とても悲しい思いである。

 [1-2 Tamakazura goes to Tsukushi with her nursemaid's family]
 Haha-Gimi no ohom-yukuhe wo sira m to, yorodu no Kami Hotoke ni mausi te, yoru hiru naki kohi te, saru beki tokoro-dokoro wo tadune kikoye kere ba, tuhi ni e kiki ide zu.
 "Sara ba ikaga ha se m? Waka-Gimi wo dani koso ha, ohom-katami ni mi tatematura me. Ayasiki miti ni sohe tatematuri te, haruka naru hodo ni ohase m koto no kanasiki koto. Naho, Titi-Gimi ni honomekasa m."
 to omohi kere do, sa'ru beki tayori mo naki uti ni,
 "Haha-Gimi no ohasimasi kem kata mo sira zu, tadune tohi tamaha ba, ikaga kikoye m?"
 "Mada, yoku mo mi nare tamaha nu ni, wosanaki hito wo todome tatematuri tamaha m mo, usirometakaru besi."
 "Siri nagara, hata, wi te kudari ne to yurusi tamahu beki ni mo ara zu."
 nado, onogazisi katarahi-ahase te, ito utukusiu, tada ima kara ke-dakaku kiyora naru ohom-sama wo, koto naru siturahi naki hune ni nose te kogi-iduru hodo ha, ito ahare ni nam oboye keru.
 Wosanaki kokoti ni, Haha-Gimi wo wasure zu, wori-wori ni,
 "Haha no ohom-moto he yuku ka?"
 to tohi tamahu ni tuke te, namida tayuru toki naku, musume-domo mo omohi kogaruru wo, "Huna-miti yuyusi." to, katu ha isame keri.
 Omosiroki tokoro-dokoro wo mi tutu,
 "Kokoro wakau ohase si mono wo, kakaru miti wo mo mise tatematuru mono ni mo gana!"
 "Ohase masika ba, warera ha kudara zara masi."
 to, Kyou no kata wo omohi-yara ruru ni, kaheru nami mo urayamasiku, kokoro-bsoki ni, hunako-domo no ara-arasiki kowe ni te,
 "Uraganasiku mo, tohoku ki ni keru kana!"
 to, utahu wo kiku mama ni, hutari sasimukahi te naki keri.
 "Huna-bito mo tare wo kohu to ka Ohosima no
 uara-ganasige ni kowe no kikoyuru
"
 "Kosikata mo yukuhe mo sira nu oki ni ide te
 ahare iduku ni Kimi wo kohu ram
"
 Hina no wakare ni, onogazisi kokoro wo yari te ihi keru.
 Kane-no-Misaki sugi te, "Ware ha wasure zu." nado, yo to tomo no koto-gusa ni nari te, kasiko ni itari-tuki te ha, maite haruka naru hodo wo omohi-yari te, kohi naki te, kono Kimi wo kasiduki mono ni te, akasi kurasu.
 Yume nado ni, ito tamasaka ni miye tamahu toki nado mo ari. Onazi sama naru womna nado, sohi tamau te miye tamahe ba, nagori kokoti asiku nayami nado si kere ba,
 "Naho, yo ni nakunari tamahi ni keru na'meri."
 to omohi-naru mo, imiziku nomi nam.

 少弐、任果てて上りなどするに、遥けきほどに、ことなる勢ひなき人は、たゆたひつつ、すがすがしくも出で立たぬほどに、重き病して、死なむとする心地にも、この君の十ばかりにもなりたまへるさまの、ゆゆしきまでをかしげなるを見たてまつりて、
「我さへうち捨てたてまつりて、いかなるさまにはふれたまはむとすらむ。あやしき所に生ひ出でたまふも、かたじけなく思ひきこゆれど、いつしかも京に率てたてまつりて、さるべき人にも知らせたてまつりて、御宿世にまかせて見たてまつらむにも、都は広き所なれば、いと心やすかるべしと、思ひいそぎつるを、ここながら命堪へずなりぬること」
と、うしろめたがる。男子三人あるに、
「ただこの姫君、京に率てたてまつるべきことを思へ。わが身の孝をば、な思ひそ」
となむ言ひ置きける。
その人の御子とは、館の人にも知らせず、ただ「孫のかしづくべきゆゑある」とぞ言ひなしければ、人に見せず、限りなくかしづききこゆるほどに、にはかに亡せぬれば、あはれに心細くて、ただ京の出で立ちをすれど、この少弐の仲悪しかりける国の人多くなどして、とざまかうざまに、懼ぢ憚りて、われにもあらで年を過ぐすに、この君、ねびととのひたまふままに、母君よりもまさりてきよらに、父大臣の筋さへ加はればにや、品高くうつくしげなり。心ばせおほどかにあらまほしうものしたまふ。

 [1-3 乳母の夫の遺言]
少弍は、任期が終わって上京などするのに、遠い旅路である上に、格別の財力もない人では、ぐずぐずしたまま思い切って旅立ちしないでいるうちに、重い病に罹って、死にそうな気持ちでいた時にも、姫君が十歳ほどにおなりになった様子が、不吉なまでに美しいのを拝見して、
「自分までがお見捨て申しては、どんなに落ちぶれなさろうか。辺鄙な田舎で成長なさるのも、恐れ多いことと存じているが、早く都にお連れ申して、しかるべき方にもお知らせ申し上げて、ご運勢にお任せ申し上げるにも、都は広い所だから、とても安心であろうと、準備していたが、自分はこの地で果ててしまいそうなことだ」
と、心配している。男の子が三人いるので、
「ただこの姫君を、都へお連れ申し上げることだけを考えなさい。私の供養など、考えなくてもよい」
と遺言していたのであった。
どなたのお子であるとは、館の人たちにも知らせず、ひたすら「孫で大切にしなければならない訳のある子だ」とだけ言いつくろっていたので、誰にも見せないで、大切にお世話申しているうちに、急に亡くなってしまったので、悲しく心細くて、ひたすら都へ出立しようとしたが、亡くなった少弍と仲が悪かった国の人々が多くいて、何やかやと、恐ろしく気遅れしていて、不本意にも年を越しているうちに、この君は、成人して立派になられていくにつれて、母君よりも勝れて美しく、父大臣のお血筋まで引いているためであろか、上品でかわいらしげである。気立てもおっとりとしていて申し分なくいらっしゃる。

 [1-3 The last will of nursemaid's husband]
 Seuni, nin hate te nobori nado suru ni, harukeki hodo ni, koto naru ikihohi naki hito ha, tayutahi tutu, suga-sugasiku mo ide-tata nu hodo ni, omoki yamahi si te, si na m to suru kokoti ni mo, kono Kimi no towo bakari ni mo nari nu tamahe ru sama no, yuyusiki made wokasige naru wo mi tatematuri te,
 "Ware sahe uti-sute tatematuri te, ika naru sama ni hahure tamaha m to sura m? Ayasiki tokoro ni ohi-ide tamahu mo, katazikenaku omohi kikoyure do, itusika mo Kyou ni wi te tatematuri te, sa'ru beki hito ni mo sira se tatematuri te, ohom-sukuse ni makase te mi tatematura m ni mo, miyako ha hiroki tokoro nare ba, ito kokoro-yasukaru besi to, omohi isogi turu wo, koko nagara inoti tahe zu nari nuru koto."
 to, usirometagaru. Wonoko-go mitari aru ni,
 "Tada kono Hime-Gimi, Kyou ni wi te tatematuru beki koto wo omohe. Waga mi no keu wo ba, na omohi so!"
 to nam ihi-oki keru.
 Sono hito no mi-ko to ha, tati no hito ni mo sira se zu, tada "Mumago no kasiduku beki yuwe aru." to zo ihi-nasi kere ba, hito ni mi se zu, kagiri naku kasiduki kikoyuru hodo ni, nihaka ni use nure ba, ahare ni kokoro-bosoku te, tada Kyou no ide-tati wo sure do, kono Seuni no naka asikari keru kuni no hito ohoku nado si te, tozama kauzama ni, odi-habakari te, ware ni mo ara de tosi wo sugusu ni, kono Kimi, nebi-totonohi tamahu mama ni, Haha-Gimi yori mo masari te kiyora ni, titi-Otodo no sudi sahe kuhahare ba ni ya, sina takaku utukusige nari. Kokorobase ohodoka ni aramahosiu monosi tamahu.

 聞きついつつ、好いたる田舎人ども、心かけ消息がる、いと多かり。ゆゆしくめざましくおぼゆれば、誰も誰も聞き入れず。
「容貌などは、さてもありぬべけれど、いみじきかたはのあれば、人にも見せで尼になして、わが世の限りは持たらむ」
と言ひ散らしたれば、
「故少弐の孫は、かたはなむあむなる」
「あたらものを」
と、言ふなるを1038聞くもゆゆしく、
「いかさまにして、都に率てたてまつりて、父大臣に知らせたてまつらむ。いときなきほどを、いとらうたしと思ひきこえたまへりしかば、さりともおろかには思ひ捨てきこえたまはじ」
など言ひ嘆くほど、仏神に願を立ててなむ念じける。
娘どもも男子どもも、所につけたるよすがども出で来て、住みつきにたり。心のうちにこそ急ぎ思へど、京のことはいや遠ざかるやうに隔たりゆく。もの思し知るままに、世をいと憂きものに思して、年三などしたまふ。二十ばかりになりたまふままに、生ひととのほりて、いとあたらしくめでたし。
この住む所は、肥前国とぞいひける。そのわたりにもいささか由ある人は、まづこの少弐の孫のありさまを聞き伝へて、なほ、絶えず訪れ来るも、いといみじう、耳かしかましきまでなむ。

 [1-4 玉鬘への求婚]
聞きつけ聞きつけては、好色な田舎の男どもが、懸想をして手紙をよこしたがる者が、多くいた。滅相もない身のほど知らずなと思われるので、誰も誰も相手にしない。
「顔かたちなどは、まあ十人並と言えましょうが、ひどく不具なところがありますので、結婚させないで尼にして、私の生きているうちは面倒をみよう」
と言い触らしていたので、
「亡くなった少弍殿の孫は、不具なところがあるそうだ」
「惜しいことだわい」
と、人々が言っているらしいのを聞くのも忌まわしく、
「どのようにして、都にお連れ申して、父大臣にお知らせ申そう。幼い時分を、とてもかわいいとお思い申していられたから、いくら何でもいいかげんにお見捨て申されることはあるまい」
などと言って嘆くとき、仏神に願かけ申して祈るのであった。
娘たちも息子たちも、場所相応の縁も生じて住み着いてしまっていた。心の中でこそ急いでいたが、都のことはますます遠ざかるように隔たっていく。分別がおつきになっていくにつれて、わが身の運命をとても不幸せにお思いになって、年三の精進などをなさる。二十歳ほどになっていかれるにつれて、すっかり美しく成人されて、たいそうもったいない美人である。
姫君の住んでいる所は、肥前の国と言った。その周辺で少しばかり風流な人は、まずこの少弍の孫娘の様子を聞き伝えて、断られても断られても、なおも絶えずやって来る者がいるのは、とても大変なもので、うるさいほどである。

 [1-4 The proposals for Tamakazura]
 Kiki tui tutu, sui taru winaka-bito-domo, kokoro-kake seusoko-garu, ito ohokari. Yuyusiku mezamasiku oboyure ba, tare mo tare mo kiki-ire zu.
 "Katati nado ha, sa te mo ari nu bekere do, imiziki kataha no are ba, hito ni mo mise de ama ni nasi te, waga yo no kagiri ha mo'tara m."
 to ihi-tirasi tare ba,
 "Ko-Seuni no mumago ha, kataha nam an'naru."
 "Atara mono wo!"
 to, ihu naru wo kiku mo yuyusiku,
 "Ikasama ni si te, miyako ni wi te tatematuri te, titi-Otodo ni sirase tatematura m? Itokinaki hodo wo, ito rautasi to omohi kikoye tamahe ri sika ba, sari to mo oroka ni ha omohi sute kikoye tamaha zi."
 nado ihi nageku hodo, Hotoke Kami ni gwan wo tate te nam nen-zi keru.
 Musume-domo mo wonoko-domo mo, tokoro ni tuke taru yosuga-domo ide-ki te, sumi-tuki ni tari. Kokoro no uti ni koso isogi omohe do, Kyou no koto ha iya tohozakaru yau ni hedatari yuku. Mono obosi-siru mama ni, yo wo ito uki mono ni obosi te, nensau nado si tamahu. Hatati bakari ni nari tamahu mama ni, ohi totonohori te, ito atarasiku medetasi.
 Kono sumu tokoro ha, Hizen-no-Kuni to zo ihi keru. Sono watari ni mo isasaka yosi aru hito ha, madu kono Seuni no mumago no arisama wo kiki-tutahe te, naho, taye zu otodure kuru mo, ito imiziu, mimi kasikamasiki made nam.

 大夫監とて、肥後国に族広くて、かしこにつけてはおぼえあり、勢ひいかめしき武士ありけり。むくつけき心のなかに、いささか好きたる心混じりて、容貌ある女を集めて見むと思ひける。この姫君を聞きつけて、
「いみじきかたはありとも、我は見隠して持たらむ」
と、いとねむごろに言ひかかるを、いとむくつけく思ひて、
「いかで、かかることを聞かで、尼になりなむとす」
と、言はせたれば、いよいよあやふがりて、おしてこの国に越え来ぬ。
この男子どもを呼びとりて、語らふことは、
「思ふさまになりなば、同じ心に勢ひを交はすべきこと」
など語らふに、二人は赴きにけり。
「しばしこそ、似げなくあはれと思ひきこえけれ、おのおの我が身のよるべと頼まむに、いと頼もしき人なり。これに悪しくせられては、この近き世界にはめぐらひなむや」
「よき人の御筋といふとも、親に数まへられたてまつらず、世に知られでは、何のかひかはあらむ。この人のかくねむごろに思ひきこえたまへるこそ、今は御幸ひなれ」
「さるべきにてこそは、かかる世界にもおはしましけめ。逃げ隠れたまふとも、何のたけきことかはあらむ」
「負けじ魂に、怒りなば、せぬことどももしてむ」
と言ひ脅せば、「いといみじ」と聞きて、中の兄なる豊後介なむ、
「なほ、いとたいだいしく、あたらしきことなり。故少弐ののたまひしこともあり。とかく構へて、京に上げたてまつりてむ」
と言ふ。娘どもも泣きまどひて、
「母君のかひなくてさすらへたまひて、行方をだに知らぬかはりに、人なみなみにて見たてまつらむとこそ思ふに」
「さるものの中に混じりたまひなむこと」
と思ひ嘆くをも知らで、「我はいとおぼえ高き身」と思ひて、文など書きておこす。手などきたなげなう書きて、唐の色紙、香ばしき香に入れしめつつ、をかしく書きたりと思ひたる言葉ぞ、いとだみたりける。みづからも、この家の次郎を語らひとりて、うち連れて来たり。

 2 玉鬘の物語 大夫監の求婚と筑紫脱出 [2-1 大夫の監の求婚]
大夫の監といって、肥後の国に一族が広くいて、その地方では名声があって、勢い盛んな武士がいた。恐ろしい無骨者だがわずかに好色な心が混じっていて、美しい女性をたくさん集めて妻にしようと思っていた。この姫君の噂を聞きつけて、
「ひどい不具なところがあっても、私は大目に見て妻にしたい」
と、熱心に言い寄って来たが、とても恐ろしく思って、
「どうかして、このようなお話には耳をかさないで、尼になってしまおうとするのに」
と、言わせたところが、ますます気が気でなくなって、強引にこの国まで国境を越えてやって来た。
この男の子たちを呼び寄せて、相談をもちかけて言うことには、
「思い通りに結婚出来たら、同盟を結んで互いに力になろうよ」
などと持ちかけると、二人はなびいてしまった。
「最初のうちは、不釣り合いでかわいそうだと思い申していましたが、我々それぞれが後ろ楯と頼りにするには、とても頼りがいのある人物です。この人に悪く睨まれては、この国近辺では暮らして行けるものではないでしょう」
「高貴なお血筋の方といっても、親に子として扱っていただけず、また世間でも認めてもらえなければ、何の意味がありましょうや。この人がこんなに熱心にご求婚申していられるのこそ、今ではお幸せというものでしょう」
「そのような前世からの縁があって、このような田舎までいらっしゃったのだろう。逃げ隠れなさろうとも、何のたいしたことがありましょうか」
「負けん気を起こして、怒り出したら、とんでもないことをしかねません」
と脅し文句を言うので、「とてもひどい話だ」と聞いて、子供たちの中で長兄である豊後介は、
「やはり、とても不都合な、口惜しいことだ。故少弍殿がご遺言されていたこともある。あれこれと手段を講じて、都へお上らせ申そう」
と言う。娘たちも悲嘆に泣き暮れて、
「母君が何とも言いようのない状態でどこかへ行ってしまわれて、その行方をすら知らないかわりに、人並に結婚させてお世話申そうと思っていたのに」
「そのような田舎者の男と一緒になろうとは」
と言って嘆いているのも知らないで、「自分は大変に偉い人物と言われている身だ」と思って、懸想文などを書いてよこす。筆跡などは小奇麗に書いて、唐の色紙で香ばしい香を何度も何度も焚きしめた紙に、上手に書いたと思っている言葉が、いかにも田舎訛がまる出しなのであった。自分自身でも、この次男を仲間に引き入れて、連れ立ってやって来た。

 2 Tale of Tamakazura The denial of Gen's proposal and getting out of Tsukushi [2-1 Gen's proposal for Tamakazura]
 Taihu-no-Gen tote, Higo-no-Kuni ni zou hiroku te, kasiko ni tuke te ha oboye ari, ikihohi ikamesiki tuhamono ari keri. Mukutukeki kokoro no naka ni, isasaka suki taru kokoro maziri te, katati aru womna wo atume te mi mu to omohi keru. Kono Hime-Gimi wo kiki tuke te,
 "Imiziki kataha ari to mo, ware ha mi-kakusi te mo'tara m."
 to, ito nemgoro ni ihi-kakaru wo, ito mukutukeku omohi te,
 "Ikade, kakaru koto wo kika de, ama ni nari na m to su."
 to, iha se tare ba, iyo-iyo ayahugari te, osi te kono kuni ni koye ki nu.
 Kono wonoko-domo wo yobi tori te, katarahu koto ha,
 "Omohu sama ni nari na ba, onazi kokoro ni ikihohi wo kahasu beki koto."
 nado katarahu ni, hutari ha omomuki ni keri.
 "Sibasi koso, nigenaku ahare to omohi kikoye kere, ono-ono wagami no yorube to tanoma m ni, ito tanomosiki hito nari. Kore ni asiku se rare te ha, kono tikaki sekai ni ha megurahi na m ya?"
 "Yoki hito no sudi to ihu to mo, oya ni kazumahe rare tatematura zu, yo ni sira re de ha, nani no kahi ka ha ara m? Kono hito no kaku nemgoro ni omohi kikoye tamahe ru koso, ima ha ohom-saihahi nare."
 "Sa'ru beki ni te koso ha, kakaru sekai ni mo ohasimasi keme. Nige kakure tamahu to mo, nani no takeki koto ka ha ara m?"
 "Makezi-danasihi ni, ikari na ba, se nu koto-domo si te m."
 to ihi-odose ba, "Ito imizi." to kiki te, naka no konokami naru Bungo-no-Suke nam,
 "Naho, ito tai-daisiku, atarasiki koto nari. Ko-Seuni no notamahi si koto mo ari. Tokaku kamahe te, Kyau ni age tatematuri te m."
 to ihu. Musume-domo mo naki-madohi te,
 "Haha-Gimi no kahinaku te sasurahe tamahi te, yukuhe wo dani sira nu kahari ni, hito nami-nami ni te mi tatematura m to koso omohu ni."
 "Saru mono no naka ni maziri tamahi na m koto."
 to omohi nageku wo mo sira de, "Ware ha ito oboye takaki mi." to omohi te, humi nado kaki te okosu. Te nado kitanage nau kaki te, kara no sikisi, kaubasiki ka ni ire sime tutu, wokasiku kaki tari to omohi taru kotoba zo, ito dami tari keru. Midukara mo, kono ihe no Zirou wo katarahi tori te, uti-ture te ki tari.

 三十ばかりなる男の、丈高くものものしく太りて、きたなげなけれど、思ひなし疎ましく、荒らかなる振る舞ひなど、見るもゆゆしくおぼゆ。色あひ心地よげに、声いたう嗄れてさへづりゐたり。懸想人は夜に隠れたるをこそ、よばひとは言ひけれ、さまかへたる春の夕暮なり。秋ならねども、あやしかりけり1039と見ゆ。
心を破らじとて、祖母おとど出で会ふ。
「故少弐のいと情けび、きらきらしくものしたまひしを、いかでかあひ語らひ申さむと思ひたまへしかども、さる心ざしをも見え聞こえずはべりしほどに、いと悲しくて、隠れたまひにしを、その代はりに、いかうに仕うまつるべくなむ、心ざしを励まして、今日は、いとひたぶるに、強ひてさぶらひつる。
このおはしますらむ女君、筋ことにうけたまはれば、いとかたじけなし。ただ、なにがしらが私の君と思ひ申して、いただきになむささげたてまつるべき。おとどもしぶしぶにおはしげなることは、よからぬ女どもあまたあひ知りてはべるを聞こしめし疎むななり。さりとも、すやつばらを、人並みにはしはべりなむや。わが君をば、后の位に落としたてまつらじものをや」
など、いとよげに言ひ続く。
「いかがは。かくのたまふを、いと幸ひありと思ひたまふるを、宿世つたなき人にやはべらむ、思ひ憚ることはべりて、いかでか人に御覧ぜられむと、人知れず嘆きはべるめれば、心苦しう見たまへわづらひぬる」
と言ふ。
「さらに、な思し憚りそ。天下に、目つぶれ、足折れたまへりとも、なにがしは仕うまつりやめてむ。国のうちの仏神は、おのれになむ靡きたまへる」
など、誇りゐたり。
「その日ばかり」と言ふに、「この月は季の果てなり」など、田舎びたることを言ひ逃る。

 [2-2 大夫の監の訪問]
三十歳ぐらいの男で、背丈は高く堂々と太っていて、見苦しくないが、田舎者と思って見るせいか嫌らしい感じで、荒々しい動作などが、見えるのも忌まわしく思われる。色つやも元気もよく、声はひどくがらがら声でしゃべり続けている。懸想人は夜の暗闇に隠れて来てこそ、夜這いとは言うが、ずいぶんと変わった春の夕暮である。秋の季節ではないが、おかしな懸想人の来訪と見える。
機嫌を損ねまいとして、祖母殿が応対する。
「故少弍殿がとても風雅の嗜み深くご立派な方でいらしたので、是非とも親しくお付き合いいただきたいと存じておりましたが、そうした気持ちもお見せ申さないうちに、たいそうお気の毒なことに、亡くなられてしまったが、その代わりにひたむきにお仕え致そうと、気を奮い立てて、今日はまことにご無礼ながら、あえて参ったのです。
こちらにいらっしゃるという姫君、格別高貴な血筋のお方と承っておりますので、とてももったいないことでございます。ただ、私めのご主君とお思い申し上げて、頭上高く崇め奉りましょうぞ。祖母殿がお気が進まないでいられるのは、良くない妻妾たちを大勢かかえていますのをお聞きになって嫌がられるのでございましょう。しかしながら、そんなやつらを、同じように扱いましょうか。わが姫君をば、后の地位にもお劣り申させない所存でありますものを」
などと、とても良い話のように言い続ける。
「いえどう致しまして。このようにおっしゃって戴きますのを、とても幸せなことと存じますが、薄幸の人なのでございましょうか、遠慮致した方が良いことがございまして、どうして人様の妻にさせて頂くことができましょうと、人知れず嘆いていますようなので、気の毒にと思ってお世話申し上げるにも困り果てているのでございます」
と言う。
「またっく、そのようなことなどご遠慮なさいますな。万が一、目が潰れ、足が折れていらしても、私めが直して差し上げましょう。国中の仏神は、皆自分の言いなりになっているのだ」
などと、大きなことを言っていた。
「何日の時に」と日取りを決めて言うので、「今月は春の末の月である」などと、田舎めいたことを口実に言い逃れる。

 [2-2 Gen's visit to Tamakazura]
 Sam-zihu bakari naru wonoko no, take takaku mono-monosiku hutori te, kitanage nakere do, omohi-nasi utomasiku, araraka naru hurumahi nado, miru mo yuyusiku oboyu. Iro-ahi kokoti yoge ni, kowe itau kare te saheduri wi tari. Kesau-bito ha yo ni kakure taru wo koso, yobahi to ha ihi kere, sama kahe taru haru no yuhugure nari. Aki nara ne do mo, ayasikari keri to miyu.
 Kokoro wo yabura zi tote, oba-Otodo ide ahu.
 "Ko-Seuni no ito nasakebi, kira-kirasiku monosi tamahi si wo, ikade ka ahi-katarahi mausa m to omohi tamahe sika do mo, saru kokorozasi wo mo miye kikoye zu haberi si hodo ni, ito kanasiku te, kakure tamahi ni si wo, sono kahari ni, ikau ni tukau-maturu beku nam, kokorozasi wo hagemasi te, kehu ha, ito hitaburu ni, sihite saburahi turu.
 Kono ohasimasu ram Womna-Gimi, sudi koto ni uketamahare ba, ito katazikenasi. Tada, nanigasi-ra ga watakusi no kimi to omohi mausi te, itadaki ni nam sasage tatematuru beki. Otodo mo sibu-sibu ni ohasige naru koto ha, yokara nu womna-domo amata ahi-siri te haberu wo kikosimesi utomu na'nari. Sari to mo, suyatu-bara wo, hitonami ni ha si haberi nam ya. Waga kimi wo ba, Kisaki no kurawi ni otosi tatematura zi mono wo ya!"
 nado, ito yoge ni ihi tuduku.
 "Ikaga ha? Kaku notamahu wo, ito saihahi ari to omohi tamahuru wo, sukuse tutanaki hito ni ya habera m, omohi habakaru koto haberi te, ikade ka hito ni go-ran-ze rare m to, hito sire zu nageki haberu mere ba, kokoro-gurusiu mi tamahe wadurahi nuru."
 to ihu.
 "Sarani, na obosi habakari so. Tenka ni, me tubure, asi wore tamahe ri to mo, nanigasi ha tukau-maturi yame te m. Kuni no uti no Hotoke Kami ha, onore ni nam nabiki tamahe ru."
 nado, hokori wi tari.
 "Sono hi bakari" to ihu ni, "Kono tuki ha ki no hate nari." nado, winakabi taru koto wo ihi-nogaru.

 下りて行く際に、歌詠ままほしかりければ、やや久しう思ひめぐらして、
「君にもし心違はば松浦なる
鏡の神をかけて誓はむ
この和歌は、仕うまつりたりとなむ思ひたまふる」
と、うち笑みたるも、世づかずうひうひうしや。あれにもあらねば、返しすべくも思はねど、娘どもに詠ますれど、
「まろは、ましてものもおぼえず」
とてゐたれば、いと久しきに思ひわづらひて、うち思ひけるままに、
「年を経て祈る心の違ひなば
鏡の神をつらしとや見む」
とわななかし出でたるを、
「待てや。こはいかに仰せらるる」
と、ゆくりかに寄り来たるけはひに、おびえて、おとど、色もなくなりぬ。娘たち、さはいへど、心強く笑ひて、
「この人の、さまことにものしたまふを、引き違へはべらば、思はれむを、なほ、ほけほけしき人の、神かけて、聞こえひがめたまふなめりや」
と解き聞かす。
「おい、さり、さり」とうなづきて、「をかしき御口つきかな。なにがしら、田舎びたりといふ名こそはべれ、口惜しき民にははべらず。都の人とても、何ばかりかあらむ。みな知りてはべり。な思しあなづりそ」
とて、また、詠まむと思へれども、堪へず1040やありけむ、去ぬめり。

 [2-3 大夫の監、和歌を詠み贈る]
降りて行く際に、和歌を詠みたく思ったので、だいぶ長いこと思いめぐらして、
「姫君のお心に万が一違うようなことがあったら、どのような罰も受けましょうと
松浦に鎮座まします鏡の神に掛けて誓います
この和歌は、上手にお詠み申すことができたと我ながら存じます」
と言って、微笑んでいるのも、不慣れで幼稚な歌であるよ。気が気ではなく、返歌をするどころではなく、娘たちに詠ませたが、
「私は、さらに何することもできません」
と言ってじっとしていたので、とても時間が長くなってはと困って、思いつくままに、
「長年祈ってきましたことと違ったならば
鏡の神を薄情な神様だとお思い申しましょう」
と震え声で詠み返したのを、
「待てよ。それはどういう意味なのでしょうか」
と、不意に近寄って来た様子に、怖くなって、乳母殿は、血の気を失った。娘たちは、さすがに、気丈に笑って、
「姫君が、普通でない身体でいらっしゃるのを、せっかくのお気持ちに背きましたらなら、悔いることになりましょうものを、やはり、耄碌した人のことですから、神のお名前まで出して、うまくお答え申し上げ損ねられたのでしょう」
と説明して上げる。
「おお、そうか、そうか」とうなづいて、「なかなか素晴らしい詠みぶりであるよ。手前らは、田舎者だという評判こそござろうが、詰まらない民百姓どもではござりませぬ。都の人だからといって、何ということがあろうか。皆先刻承知でござる。けっして馬鹿にしてはなりませぬぞよ」
と言って、もう一度、和歌を詠もうとしたが、とてもできなかったのであろうか、行ってしまったようである。

 [2-3 Gen composes and sends waka to Tamakazura]
 Ori te iku kiha ni, uta yoma mahosikari kere ba, yaya hisasiu omohi megurasi te,
 "Kimi ni mosi kokoro tagaha ba Matura naru
 kagami no Kami wo kake te tikaha m

 Kono waka ha, tukau-maturi tari to nam omohi tamahuru."
 to, uti-wemi taru mo, yo-duka zu uhi-uhisi ya! Are ni mo ara ne ba, kahesi su beku mo omoha ne do, musume-domo ni yoma sure do,
 "Maro ha, masite mono mo oboye zu."
 tote wi tare ba, ito hisasiki ni omohi wadurahi te, uti omohi keru mama ni,
 "Tosi wo he te inoru kokoro no tagahi na ba
 kagami no Kami wo turasi to ya mi m
"
 to wananakasi ide taru wo,
 "Mate ya! Ko ha ika ni ohose raruru?"
 to, yukurika ni yori-ki taru kehahi ni, obiye te, Otodo, iro mo nakunari nu. Musume-tati, sa ha ihe do, kokoro-duyoku warahi te,
 "Kono hito no, sama koto ni monosi tamahu wo, hiki-tagahe habera ba, omoha re m wo, naho, hoke-hokesiki hito no, kami kake te, kikoye higame tamahu na'meri ya!"
 to toki kikasu.
 "Oi, sari, sari." to unaduki te, "Wokasi ki ohom-kuti-tuki kana! Nanigasi-ra, winaka-bi tari to ihu na koso habere, kutiwosiki tami ni ha habera zu. Miyako no hito tote mo, nani bakari ka ara m? Mina siri te haberi. Na obosi anadiri so."
 tote, mata, yoma m to omohe re do mo, tahe zu ya ari kem, inu meri.

 次郎が語らひ取られたるも、いと恐ろしく心憂くて、この豊後介を責むれば、
「いかがは仕まつるべからむ。語らひあはすべき人もなし。まれまれの兄弟は、この監に同じ心ならずとて、仲違ひにたり。この監にあたまれては、いささかの身じろきせむも、所狭くなむあるべき。なかなかなる目をや見む」
と、思ひわづらひにたれど、姫君の人知れず思いたるさまの、いと心苦しくて、生きたらじと思ひ沈みたまへる、ことわりとおぼゆれば、いみじきことを思ひ構へて出で立つ。妹たちも、年ごろ経ぬるよるべを捨てて、この御供に出で立つ。
あてきと言ひしは、今は兵部の君といふぞ、添ひて、夜逃げ出でて舟に乗りける。大夫の監は、肥後に帰り行きて、四月二十日のほどに、日取りて来むと1041するほどに、かくて逃ぐるなりけり。
姉おもとは、類広くなりて、え出で立たず。かたみに別れ惜しみて、あひ見むことの難きを思ふに、年経つる故里とて、ことに見捨てがたきこともなし。ただ、松浦の宮の前の渚と、かの姉おもとの別るるをなむ、顧みせられて、悲しかりける。
「浮島を漕ぎ離れても行く方や
いづく泊りと知らずもあるかな」
「行く先も見えぬ波路に1042舟出して
風にまかする身こそ浮きたれ」
いとあとはかなき心地して、うつぶし臥したまへり。

 [2-4 玉鬘、筑紫を脱出]
次男がまるめこまれたのも、とても怖く嫌な気分になって、この豊後介を催促すると、
「さてどのようにして差し上げたらよいのだろうか。相談できる相手もいない。たった二人しかの弟たちは、その監に味方しないと言って仲違いしてしまっている。この監に睨まれては、ちょっとした身の動きも、思うに任せられまい。かえって酷い目に遭うことだろう」
と、考えあぐんでいたが、姫君が人知れず思い悩んでいられるのが、とても痛々しくて、生きていたくないとまで思い沈んでいられるのが、ごもっともだと思われたので、思いきった覚悟をめぐらして上京する。妹たちも、長年過ごしてきた縁者を捨てて、このお供して出立する。
あてきと言った娘は、今では兵部の君と言うが、一緒になって、夜逃げして舟に乗ったのであった。大夫の監は、肥後国に帰って行って、四月二十日のころにと、日取りを決めて嫁迎えに来ようとしているうちに、こうして逃げ出したのであった。
姉のおもとは、家族が多くなって、出立することができない。お互いに別れを惜しんで、再会することの難しいことを思うが、長年過ごした土地だからと言っても、格別去り難くもない。ただ、松浦の宮の前の渚と、姉おもとと別れるのが、後髪引かれる思いがして、悲しく思われるのであった。
「浮き島のように思われたこの地を漕ぎ離れて行きますけれど
どこが落ち着き先ともわからない身の上ですこと」
「行く先もわからない波路に舟出して
風まかせの身の上こそ頼りないことです」
とても心細い気がして、うつ伏していらっしゃった。

 [2-4 Tamakazura gets out of Tsukushi and goes up to Kyoto]
 Zi-rau ga katarahi tora re taru mo, ito osorosiku kokoro-uku te kono Bungo-no-Suke wo semure ba,
 "Ikaga ha tuka-maturu bekara m? Katarahi ahasu beki hito mo nasi. Mare-mare no harakara ha, kono Gen ni onazi kokoro nara zu tote, naka-tagahi ni tari. Kono Gen ni atamare te ha, isasaka no miziroki se m mo, tokoro seku nam aru beki. Naka-naka naru me wo ya mi m."
 to, omohi wadurahi ni tare do, Hime-Gimi no hito sire zu oboi taru sama no, ito kurusiku te, iki tara zi to omohi sidumi tamahe ru, kotowari to oboyure ba, imiziki koto wo omohi kamahe te ide-tatu. Imouto-tati mo, tosi-goro he nuru yorube wo sute te, kono ohom-tomo ni ide-tatu.
 Ateki to ihi si ha, ima ha Hyaubu-no-kimi to ihu zo, sohi te, yo nige-ide te hune ni nori keru. Taihu-no-Gen ha, Higo ni kaheri iki te, Uduki no hatuka no hodo ni, hi tori te ko m to suru hodo ni, kaku te niguru nari keri.
 Ane-Omoto ha, rui hiroku nari te, e ide tata zu. Katami ni wakare wosimi te, ahi-mi m koto no kataki wo omohu ni, tosi he turu hurusato tote, koto ni mi-sute gataki koto mo nasi. Tada, Matura no Miya no mahe no nagisa to, kano ane-Omoto no wakaruru wo nam, kaherimi se rare te, kanasikari keru.
 "Uki-sima wo kogi hanare te mo yuku-kata ya
 iduku tomari to sira zu mo aru kana
"
 "Yuku-saki mo miye nu nami-di ni hunade si te
 kaze ni makasuru mi koso uki tare
"
 Ito ato hakanaki kokoti si te, utubusi husi tamahe ri.

 「かく、逃げぬるよし、おのづから言ひ出で伝へば、負けじ魂にて、追ひ来なむ」と思ふに、心も惑ひて、早舟といひて、さまことになむ構へたりければ、思ふ方の風さへ進みて、危ふきまで走り上りぬ。響の灘もなだらかに過ぎぬ。
「海賊の舟にやあらむ。小さき舟の、飛ぶやうにて来る」
など言ふ者あり。海賊のひたぶるならむよりも、かの恐ろしき人の追ひ来るにやと思ふに、せむかたなし。
「憂きことに胸のみ騒ぐ響きには
響の灘もさはらざりけり」
「川尻といふ所、近づきぬ」
と言ふにぞ、すこし生き出づる心地する。例の、舟子ども、
「韓泊より、川尻おすほどは」
と歌ふ声の、情けなきも、あはれに聞こゆ。
豊後介、あはれになつかしう歌ひすさみて、
「いとかなしき妻子も忘れぬ」
とて、思へば、
「げにぞ、皆うち捨ててける。いかがなりぬらむ。はかばかしく身の助けと思ふ郎等どもは、皆率て来にけり。我を1043悪しと思ひて、追ひまどはして、いかがしなすらむ」と思ふに、「心幼くも、顧みせで、出でにけるかな」
と、すこし心のどまりてぞ、あさましき事を思ひ続くるに、心弱くうち泣かれぬ。
「胡の地の妻児をば虚しく棄て捐てつ1044」
と誦ずるを、兵部の君聞きて、
「げに、あやしのわざや。年ごろ従ひ来つる人の心にも、にはかに違ひて逃げ出でにしを、いかに思ふらむ」
と、さまざま思ひ続けらるる。
「帰る方とても、そこ所と行き着くべき故里もなし。知れる人と言ひ寄るべき頼もしき人もおぼえず。ただ一所の御ためにより、ここらの年つき住み馴れつる世界を離れて、浮べる波風にただよひて、思ひめぐらす方なし。この人をも、いかにしたてまつらむとするぞ」
と、あきれておぼゆれど、「いかがはせむ」とて、急ぎ入りぬ。

 [2-5 都に帰着]
「このように、逃げ出したことが、自然と人の口の端に上って知れたら、負けぬ気を起こして、後を追って来るだろう」と思うと、気もそぞろになって、早舟といって、特別の舟を用意して置いたので、その上あつらえ向きの風までが吹いたので、危ないくらい速くかけ上った。響灘も平穏無事に通過した。
「海賊船だろうか。小さい舟が、飛ぶようにしてやって来る」
などと言う者がいる。海賊で向う見ずな乱暴者よりも、あの恐ろしい人が追って来るのではないかと思うと、どうすることもできない気分である。
「嫌なことに胸がどきどきしてばかりいたので
それに比べれば響の灘も名前ばかりでした」
「河尻という所に、近づいた」
と言うので、少しは生きかえった心地がする。例によって、舟子たちが、
「唐泊から、河尻を漕ぎ行くときは」
と謡う声が、無骨ながらも、心にしみて感じられる。
豊後介がしみじみと親しみのある声で謡って、
「とてもいとしい妻や子も忘れてしもた」
と謡って、考えてみると、
「なるほど、舟唄のとおり、皆、家族を置いて来たのだ。どうなったことだろうか。しっかりした役に立つと思われる家来たちは、皆連れて来てしまった。私のことを憎いと思って、妻子たちを放逐して、どんな目に遭わせるだろう」と思うと、「浅はかにも、後先のことも考えず、飛び出してしまったことよ」
と、少し心が落ち着いて初めて、とんでもないことをしたことを後悔されて、気弱に泣き出してしまった。
「胡の地の妻児をば虚しく棄捐してしまった」
と詠じたのを、兵部の君が聞いて、
「ほんとうに、おかしなことをしてしまったわ。長年連れ添ってきた夫の心に、突然に背いて逃げ出したのを、どう思っていることだろう」
と、さまざまに思わずにはいられない。
「帰る所といっても、はっきりどこそこと落ち着くべき棲家もない。知り合いだといって頼りにできる人も頭に浮ばない。ただ姫君お一人のために、長い年月住み馴れた土地を離れて、あてどのない波風まかせの旅をして、何をどうしてよいのかわからない。この姫君を、どのようにして差し上げようと思っているのかしら」
と、途方に暮れているが、「今さらどうすることもできない」と思って、急いで京に入った。

 [2-5 Tamakazura arrives in Kyoto]
 "Kaku, nige nuru yosi, onodukara ihi-ide tutahe ba, make zi damasihi ni te, ohi-ki na m." to omohu ni, kokoro mo madohi te, haya-bune to ihi te, sama koto ni nam kamahe tari kere ba, omohu kata no kaze sahe susumi te, ayahuki made hasiri nobori nu. Hibiki-no-nada mo nadaraka ni sugi nu.
 "Kaizoku no hune ni ya ara m? Tihisaki hune no, tobu yau ni te kuru."
 nado ihu mono ari. Kaizoku no hitaburu nara m yori mo, kano osorosiki hito no ohi-kuru ni ya to omohu ni, semkata-nasi.
 "Uki koto ni mune nomi sawagu hibiki ni ha
 Hibiki-no-nada mo sahara zari keri
"
 "Kahaziri to ihu tokoro, tikaduki nu."
 to ihu ni zo, sukosi iki-iduru kokoti suru. Rei no, hunako-domo,
 "Kara-domari yori, Kahaziri osu hodo ha."
 to utahu kowe no, nasake naki mo, ahare ni kikoyu.
 Bungo-no-Suke, ahare ni natukasiu utahi susami te,
 "Ito kanasiki me-ko mo wasure nu."
 tote, omohe ba,
 "Geni zo, mina uti-sute te keru. Ikaga nari nura m? Haka-bakasiku mi no tasuke to omohu raudou-domo ha, mina wi te ki ni keri. Ware wo asi to omohi te, ohi-madohasi te, ikaga si-nasu ram." to omohu ni, "Kokoro wosanaku mo, kaherimi-se de, ide ni keru kana!"
 to, sukosi kokoro nodomari te zo, asamasiki koto wo omohi tudukuru ni, kokoro-yowaku uti-naka re nu.
 "Ko no ti no seizi wo ba munasiku sute sute tu"
 to zu-zuru wo, Hyaubu-no-Kimi kiki te,
 "Geni, ayasi no waza ya! Tosi-goro sitagahi ki turu hito no kokoro ni mo, nihaka ni tagahi te nige-ide ni si wo, ika ni omohu ram?"
 to, sama-zama omohi-tuduke raruru.
 "Kaheru kata tote mo, soko tokoro to iki-tuku beki hurusato mo nasi. Sire ru hito to ihi-yoru beki tanomosiki hito mo oboye zu. Tada hito-tokoro no ohom-tame ni yori, kokora no tosi-tuki sumi-nare turu sekai wo hanare te, ukabe ru nami-kaze ni tadayohi te, omohi-megurasu kata nasi. Kono hito wo mo, ika ni si tatematura m to suru zo."
 to, akire te oboyure do, "Ikaga ha se m?" tote, isogi iri nu.

 九条に、昔知れりける人の残りたりけるを訪らひ出でて、その宿りを占め置きて、都のうちといへど、はかばかしき人の住みたるわたりにもあらず、あやしき市女、商人のなかにて、いぶせく世の中を思ひつつ、秋にもなりゆくままに、来し方行く先、悲しきこと多かり。
豊後介といふ頼もし人も、ただ水鳥の陸に惑へる心地して、つれづれにならはぬありさまのたづきなきを思ふに、帰らむにもはしたなく、心幼く出で立ちにけるを思ふに、従ひ来たりし者どもも、類に触れて逃げ去り、本の国に帰り散りぬ。
住みつくべきやうもなきを、母おとど、明け暮れ嘆きいとほしがれば、
「何か。この身は、いとやすくはべり。人一人の御身に代へたてまつりて、いづちもいづちもまかり失せなむに咎あるまじ。我らいみじき勢ひになりても、若君をさるものの中にはふらしたてまつりては、何心地かせまし」
と語らひ慰めて、
「神仏こそは、さるべき方にも導き知らせたてまつりたまはめ。近きほどに、八幡の宮と申すは、かしこにても参り祈り申したまひし松浦、筥崎、同じ社なり。かの国を離れたまふとても、多くの願立て申したまひき。今、都に帰りて、かくなむ御験を得てまかり上りたると、早く申したまへ」
とて、八幡に詣でさせたてまつる。それのわたり知れる人に言ひ尋ねて、五師とて、早く親の語らひし大徳残れるを呼びとりて、詣でさせたてまつる。

 3 玉鬘の物語 玉鬘、右近と椿市で邂逅 [3-1 岩清水八幡宮へ参詣]
九条に、昔知っていた人で残っていたのを訪ね出して、その宿を確保して、都の中とは言っても、れっきとした人々が住んでいる辺りではなく、卑しい市女や、商人などが住んでいる辺りで、気持ちの晴れないままに、秋に移っていくにつれて、これまでのことや今後のこと、悲しいことが多かった。
豊後介という頼りになる者も、ちょうど水鳥が陸に上がってうろうろしているような思いで、所在なく慣れない都の生活の何のつてもないことを思うにつけ、今さら国へ帰るのも体裁悪く、幼稚な考えから出立してしまったことを後悔していると、従って来た家来たちも、それぞれ縁故を頼って逃げ去り、元の国に散りじりに帰って行ってしまった。
落ち着いて住むすべもないのを、母乳母は、明けても暮れても嘆いて気の毒がっているので、
「いやどうして。我が身には、心配いりません。姫君お一方のお身代わりとなり申して、どこへなりと行って死んでも問題ありますまい。自分がどんなに豪者となっても、姫君をあのような田舎者の中に放っておき申したのでは、どのような気がしましょうか」
と心配せぬよう慰めて、
「神仏は、しかるべき方向にお導き申しなさるでしょう。この近い所に、八幡宮と申す神は、あちらにおいても参詣し、お祈り申していらした松浦、箱崎と、同じ社です。あの国を離れ去るときも、たくさんの願をお掛け申されました。今、都に帰ってきて、このように御加護を得て無事に上洛することができましたと、早くお礼申し上げなさい」
と言って、岩清水八幡宮に御参詣させ申し上げる。その辺の事情をよく知っている者に問い尋ねて、五師といって、以前に亡き父親が懇意にしていた社僧で残っていたのを呼び寄せて、御参詣させ申し上げる。

 3 Tale of Tamakazura Tamakazura happened to meet Ukon at Tsubaichi [3-1 Tamakazura visits to Iwashimizu-shrine in KYoto]
 Ku-deu ni, mukasi sire ri keru hito no nokori tari keru wo toburahi ide te, sono yadori wo sime oki te, miyako no uti to ihe do, haka-bakasiki hito no sumi taru watari ni mo ara zu, ayasiki iti-me, aki-udo no naka ni te, ibuseku yo-no-naka wo omohi tutu, aki ni mo nari yuku mama ni, kisikata yukusaki, kanasiki koto ohokari.
 Bungo-no-Suke to ihu tanomosi-bito mo, tada midu-tori no kuga ni madohe ru kokoti si te, ture-dure ni naraha nu arisama no taduki-naki wo omohu ni, kahera m ni mo hasitanaku, kokoro-wosanaku ide-tati ni keru wo omohu ni, sitagahi ki tari si mono-domo, rui ni hure te nige-sari, moto no kuni ni kaheri tiri nu.
 Sumi-tuku beki yau mo naki wo, haha-Otodo, ake-kure nageki itohosigare ba,
 "Nani ka? Kono mi ha, ito yasuku haberi. Hito hitori no ohom-mi ni kahe tatematuri te, iduti mo iduti mo makari use na m ni toga aru mazi. Ware-ra imiziki ikihohi ni nari te mo, Waka-Gimi wo saru mono no naka ni hahurasi tatematuri te ha, nani-gokoti ka se masi?"
 to katarahi nagusame te,
 "Kami Hotoke koso ha, sa'ru beki kata ni mo mitibiki sirase tatematuri tamaha me. Tikaki hodo ni, Yahata-no-Miya to mausu ha, kasiko ni te mo mawiri inori mausi tamahi si Matura, Hakozaki, onazi yasiro nari. Kano kuni wo hanare tamahu tote mo, ohoku no gwan tate mausi tamahi ki. Ima, miyako ni kaheri te, kaku nam ohom-sirusi wo e te makari nobori taru to, hayaku mausi tamahe."
 tote, Yahata ni maude sase tatematuru. Sore no watari sire ru hito ni ihi-tadune te, Go-si tote, hayaku oya no katarahi si daitoku nokore ru wo yobi tori te, maude sase tatematuru.

 「うち次ぎては、仏の御なかには、初瀬なむ、日の本のうちには、あらたなる験現したまふと、唐土にだに聞こえあむなり。まして、わが国のうちにこそ、遠き国の境とても、年経たまへれば、若君をば、まして恵みたまひてむ」
とて、出だしたてまつる。ことさらに徒歩よりと定めたり。ならはぬ心地に、いとわびしく苦しけれど、人の言ふままに、ものもおぼえで歩みたまふ。
「いかなる罪深き身にて、かかる世にさすらふらむ。わが親、世に亡くなりたまへりとも、われをあはれと思さば、おはすらむ所に誘ひたまへ。もし、世におはせば、御顔見せたまへ」
と、仏を念じつつ、ありけむさまをだにおぼえねば、ただ、「親おはせましかば」と、ばかりの悲しさを、嘆きわたりたまへるに、かくさしあたりて、身のわりなきままに、取り返しいみじくおぼえつつ、からうして、椿市といふ所に、四日といふ巳の時ばかりに、生ける心地もせで、行き着きたまへり。
歩むともなく、とかくつくろひたれど、足のうら動かれず、わびしければ、せむかたなくて休みたまふ。この頼もし人なる介、弓矢持ちたる人二人、さては下なる者、童など三、四人、女ばらある限り三人、壷装束して、樋洗めく者、古き下衆女二人ばかりとぞある。
いとかすかに忍びたり。大御燈明のことなど、ここにてし加へなどするほどに日暮れぬ。家主人の法師、
「人宿したてまつらむとする所に、何人のものしたまふぞ。あやしき女どもの、心にまかせて」
とむつかるを、めざましく聞くほどに、げに、人々来ぬ。

 [3-2 初瀬の観音へ参詣]
「次いでは、仏様の中では、初瀬に、日本でも霊験あらたかでいらっしゃると、唐土でも評判の高いといいます。まして、わが国の中で、遠い地方といっても、長年お住みになったのだから、姫君には、なおさら御利益があるでしょう」
と言って、出発させ申し上げる。わざと徒歩で参詣することにした。慣れないこととて、とても辛く苦しいけれど、人の言うのにしたがって、無我夢中で歩いて行かれる。
「どのような前世の罪業深い身であったために、このような流浪の日を送るのだろう。わたしの母親が、既にお亡くなりになっていらっしゃろうとも、わたしをかわいそうだとお思いになってくださるなら、いらっしゃるところへお連れください。もし、この世に生きていらっしゃるならば、お顔をお見せください」
と、仏に願いながら、生きていらしらときの面影をすら知らないので、ただ、「母親が生きていらしたら」と、ばかりの一途な悲しい思いを、嘆き続けていらっしゃったので、こうして今、慣れない徒歩の旅で、辛くて堪らないうちに、また改めて悲しい思いをかみしめながら、やっとのことで、椿市という所に、四日目の巳の刻ごろに、生きた心地もしないで、お着きになった。
歩くともいえないありさまで、あれこれとどうにかやって来たが、もう一歩も歩くこともできず、辛いので、どうすることもできずお休みになる。この一行の頼りとする豊後介、弓矢を持たせている者が二人、その他には下衆と童たち三、四人、女性たちはすべてで三人、壷装束姿で、樋洗童女らしい者と老婆の下衆女房とが二人ほどいた。
ひどく目立たないようにしていた。仏前に供えるお灯明など、ここで買い足しなどをしているうちに日が暮れた。宿の主人の法師が、
「他の方をお泊め申そうとしているお部屋に、どなたがお入りになっているのですか。下女たちが、勝手なことをして」
と不平を言うのを、失礼なと思って聞いているうちに、なるほど、その人々が来た。

 [3-2 Tamakazura visits to Hase-temple in Nara]
 "Uti-tugi te ha, Hotoke no ohom-naka ni ha, Hatuse nam, Hi-no-moto no uti ni ha, arata naru sirusi arahasi tamahu to, Morokosi ni dani kikoye am-nari. Masite, waga kuni no uti ni koso, tohoki kuni no sakahi tote mo, tosi he tamahe re ba, Waka-Gimi wo ba, masite megumi tamahi te m."
 tote, idasi-tate tatematuru. Kotosara ni kati yori to sadame tari. Naraha nu kokoti ni, ito wabisiku kurusikere do, hito no ihu mama ni, mono mo oboye de ayumi tamahu.
 "Ika naru tumi hukaki mi ni te, kakaru yo ni sasurahu ram? Waga oya, yo ni nakunari tamahe ri to mo, ware wo ahare to obosa ba, ohasura m tokoro ni sasohi tamahe. Mosi, yo ni ohase ba, ohom-kaho mise tamahe!"
 to, Hotoke wo nen-zi tutu, ari kem sama wo dani oboye ne ba, tada, "Oya ohase masika ba." to, bakari no kanasisa wo, nageki watari tamahe ru ni, kaku sasiatari te, mi no warinaki mama ni, tori-kahesi imiziku oboye tutu, karausite, Tuba-iti to ihu tokoro ni, yo-ka to ihu mi no toki bakari ni, ike ru kokoti mo se de, iki-tuki tamahe ri.
 Ayumu to mo naku, tokaku tukurohi tare do, asi no ura ugoka re zu, wabisikere ba, semkata naku te yasumi tamahu. Kono tanomosi-bito naru Suke, yumi-ya moti taru hito hutari, sate ha simo naru mono, waraha nado mitari, yotari, womna-bara aru kagiri mitari, tubo-sauzoku si te, hisumasi meku mono, huruki gesu-womna hutari bakari to zo aru.
 Ito kasuka ni sinobi tari. Ohomi-akasi no koto nado, koko ni te si kuhahe nado suru ni hi kure nu. Ihe-aruzi no hohusi,
 "Hito yadosi tatematura m to suru tokoro ni, nani-bito no monosi tamahu zo. Ayasiki womna-domo no, kokoro ni makase te."
 to mutukaru wo, mezamasiku kiku hodo ni, geni, hito-bito ki nu.

 これも徒歩よりなめり。よろしき女二人、下人どもぞ、男女、数多かむめる。馬四、五つ牽かせて、いみじく忍びやつしたれど、きよげなる男どもなどあり。
法師は、せめてここに宿さまほしくして、頭掻きありく。いとほしけれど、また、宿り替へむもさま悪しくわづらはしければ、人々は奥に入り、他に隠しなどして、かたへは片つ方に寄りぬ。軟障などひき隔てておはします。
この来る人も恥づかしげもなし。いたうかいひそめて、かたみに心づかひしたり。
さるは、かの世とともに恋ひ泣く右近なりけり。年月に添へて、はしたなき交じらひのつきなくなりゆく身を思ひなやみて、この御寺になむたびたび詣でける。
例ならひにければ、かやすく構へたりけれど、徒歩より歩み堪へがたくて、寄り臥したるに、この豊後介、隣の軟障のもとに寄り来て、参り物なるべし、折敷手づから取りて、
「これは、御前に参らせたまへ。御台などうちあはで、いとかたはらいたしや」
と言ふを聞くに、「わが並の人にはあらじ」と思ひて、物のはさまより覗けば、この男の顔、見し心地す。誰とはえおぼえず。いと若かりしほどを見しに、太り黒みてやつれたれば、多くの年隔てたる目には、ふとしも見分かぬなりけり。
「三条、ここに召す」
と呼び寄する女を見れば、また見し人なり。
「故御方に、下人なれど、久しく仕うまつりなれて、かの隠れたまへりし御住みかまでありし者なりけり」
と見なして、いみじく夢のやうなり。主とおぼしき人は、いとゆかしけれど、見ゆべくも構へず。思ひわびて、
「この女に問はむ。兵藤太といひし人も、これにこそあらめ。姫君のおはするにや」
と思ひ寄るに、いと心もとなくて、この中隔てなる三条を呼ばすれど、食ひ物に心入れて、とみにも来ぬ、いと憎しとおぼゆるも、うちつけなりや。

 [3-3 右近も初瀬へ参詣]
この一行も徒歩でのようである。身分の良い女性が二人、下人どもは、男女らが、大勢のようである。馬を四、五頭牽かせたりして、たいそうひっそりと人目に立たないようにしていたが、こざっぱりとした男性たちが従っている。
法師は、無理してもこの一行を泊まらせたく思って、頭を掻きながらうろうろしている。気の毒であるが、また一方、宿を取り替えるのも体裁が悪くめんどうだったので、人々は奥の方に入り、下衆たちは目に付かないようなところに隠して、他の人たちは片端に寄った。幕などを間に引いていらっしゃる。
この新客も気の置ける相手ではない。ひどくこっそりと目立たないようにして、互いに気を遣っていた。
それが実は、あの何年も主人を恋い慕っていた右近なのであった。年月がたつにつれて、中途半端な女房仕えが似つかわしくなっていく身を思い悩んで、このお寺に度々参詣していたのであった。
いつもの馴れたことなので、身軽な旅支度であったが、徒歩での旅は我慢のできないほど疲れて、物に寄りかかって臥していると、この豊後介が、隣の幕の側に近寄って来て、お食事なのであろう、折敷を自分で持って、
「これは、御主人様に差し上げてください。お膳などが整わなくて、たいそう恐れ多いことですが」
と言うのを聞くと、「自分と同じような身分の者ではあるまい」と思って、物の間から覗くと、この男の顔、見たことのある気がする。しかし誰とも思い出せない。たいそう若かった時を見たのだが、太って色黒くなって粗末な身なりをしていたので、長い年月の間を経た目では、すぐには見分けることができなかったのであった。
「三条、お呼びです」
と呼び寄せる女を見ると、これもまた見た人なのであった。
「亡くなったご主人に、下人であるが、長い間お仕えしていて、あの隠してお住みになった所までお供していた者であったよ」
と見て取ると、まるで夢のような心地である。主人と思われる方は、とても見たい気がするが、とても見えるようなしつらいではない。困って、
「この女に尋ねよう。兵藤太と言った人も、この男であろう。姫君がいらっしゃるのかしら」
と思い及ぶと、とても気もそぞろになって、この中仕切りの所にいる三条を呼ばせたが、食事に夢中になっていて、すぐには来ない。ひどく憎らしく思われるのも、せっかちというものである。

 [3-3 Ukon visits to Hase-temple too]
 Kore mo kati yori na'meri. Yorosiki womna hutari, simo-bito-domo zo, wotoko womna, kazu ohokam meru. Mma yotu, itutu hika se te, imiziku sinobi yatusi tare do, kiyoge naru wotoko-domo nado ari.
 Hohusi ha, semete koko ni yadosa mahosiku te, kasira kaki ariku. Itohosikere do, mata, yadori kahe m mo sama asiku wadurahasikere ba, hito-bito ha oku ni iri, hoka ni kakusi nado si te, katahe ha kata tu kata ni yori nu. Zezyau nado hiki hedate te ohasimasu.
 Kono kuru hito mo hadukasige mo nasi. Itau kai-hisome te, katami ni kokoro-dukahi si tari.
 Saru ha, kano yo to tomo ni kohi naku Ukon nari keri. Tosi-tuki ni sohe te, hasitanaki mazirahi no tukinaku nari yuku mi wo omohi-nayami te, kono mi-tera ni nam tabi-tabi maude keru.
 Rei narahi ni kere ba, kayasuku kamahe tari kere do, kati yori ayumi tahe gataku te, yori-husi taru ni, kono Bungo-no-Suke, tonari no zezyau no moto ni yori-ki te, mawiri mono naru besi, wosiki te-dukara tori te,
 "Kore ha, o-mahe ni mawira se tamahe. Mi-dai nado uti-aha de, ito kataharaitasi ya!"
 to ihu wo kiku ni, "Waga nami no hito ni ha ara zi." to omohi te, mono no hasamayori nozoke ba, kono wotoko no kaho, mi si kokoti su. Tare to ha e oboye zu. Ito wakakari si hodo wo mi si ni, hutori kuromi te yature tare ba, ohoku no tosi hedate taru me ni ha, huto si mo mi-waka nu nari keri.
 "Samdeu, koko ni mesu."
 to yobi-yosuru womna wo mire ba, mata mi si hito nari.
 "Ko-ohom-Kata ni, simo-bito nare do, hisasiku tukau-maturi nare te, kano kakure tamahe ri si ohom-sumika made ari si mono nari keri!"
 to mi-nasi te, imiziku yume no yau nari. Siu to obosiki hito ha, ito yukasikere do, miyu beku mo kamahe zu. Omohi-wabi te,
 "Kono womna ni toha m. Hyau-Touta to ihi si hito mo, kore ni koso ara me. Hime-Gimi no ohasuru ni ya?"
 to omohi-yoru ni, ito kokoro-motonaku te, kono naka-hedate naru Samdeu wo yoba sure do, kuhi-mono ni kokoro ire te, tomi ni mo ko nu, ito nikusi to oboyuru mo, utituke nari ya!

 からうして、
「おぼえずこそはべれ。筑紫の国に、二十年ばかり経にける下衆の身を、知らせたまふべき京人よ。人違へにやはべらむ」
とて、寄り来たり。田舎びたる掻練に衣1045など着て、いといたう太りにけり。わが齢もいとどおぼえて恥づかしけれど、
「なほ、さし覗け。われをば見知りたりや」
とて、顔をさし出でたり。この女の手を打ちて、
「あが御許にこそおはしましけれ。あな、うれしともうれし。いづくより参りたまひたるぞ。上はおはしますや」
と、いとおどろおどろしく泣く。若き者にて見なれし世を思ひ出づるに、隔て来にける年月数へられて、いとあはれなり。
「まづ、おとどはおはすや。若君は、いかがなりたまひにし。あてきと聞こえしは」
とて、君の御ことは、言ひ出でず。
「皆おはします。姫君も大人になりておはします。まづ、おとどに、かくなむと聞こえむ」
とて入りぬ。
皆、驚きて、
「夢の心地もするかな」
「いとつらく、言はむかたなく思ひきこゆる人に、対面しぬべきことよ」
とて、この隔てに寄り来たり。気遠く隔てつる屏風だつもの、名残なくおし開けて、まづ言ひやるべき方なく泣き交はす。老い人は、ただ、
「わが君は、いかがなりたまひにし。ここらの年ごろ、夢にてもおはしまさむ所を見むと、大願を立つれど、遥かなる世界にて、風の音にてもえ聞き伝へたてまつらぬを、いみじく悲しと思ふに、老いの身の残りとどまりたるも、いと心憂けれど、うち捨てたてまつりたまへる若君の、らうたくあはれにておはしますを、冥途のほだしにもてわづらひきこえてなむ、またたきはべる」
と言ひ続くれば、昔その折、いふかひなかりしことよりも、応へむ方なくわづらはしと思へども、
「いでや、聞こえてもかひなし。御方は、はや亡せたまひにき」
と言ふままに、二、三人ながらむせかへり、いとむつかしく、せきかねたり。

 [3-4 右近、玉鬘に再会す]
やっとして、
「身に覚えのないことです。筑紫の国に、二十年ほど過ごした下衆の身を、ご存知の京の人がいようとは。人違いでございましょう」
と言って、近寄って来た。田舎者めいた掻練の上に衣などを着て、とてもたいそう太っていた。自分の年もますます思い知らされて、恥ずかしかったが、
「もっとよく、覗いてみなさい。私を知っていませんか」
と言って、顔を差し出した。この女は手を打って、
「あなた様でいらしたのですね。ああ、何とも嬉しいことよ。どこから参りなさったのですか。ご主人様はいらっしゃいますか」
と言って、とてもおおげさに泣く。まだ若いころを見慣れていたのを思い出すと、今まで過ぎてきた年月の長さが数えられて、とても感慨深いものがある。
「まずは、乳母殿はいらっしゃいますか。若君は、どうおなりになりましたか。あてきと言った人は」
と言って、ご主人のお身の上のことは、言い出さない。
「皆さんいらっしゃいます。姫君も大きくおなりです。まずは、乳母殿に、これこれと申し上げましょう」
と言って入って行った。
皆、驚いて、
「夢のような心地がしますね」
「とても辛く何とも言いようのないとお思い申していた人に、とうとう逢えるのだなんて」
と言って、この中仕切りに近寄って来た。よそよそしく隔てていた屏風のような物を、すっかり払い除けて、何とも言葉にも出されず、お互いに泣き合う。年老いた乳母が、ほんのわずかに、
「ご主人様は、どうなさいましたか。長年、夢の中でもいらっしゃるところを見たいと大願を立てましたが、都から遠い筑紫にいたために、風の便りにも噂を伝え聞くことができませんでしたのを、たいそう悲しく思うと、老いた身でこの世に生きながらえていますのも、とてもつらいのですが、お残し申された若君が、いじらしく気の毒でいらっしゃったのを、冥途の障りになろうかとお世話に困ったままで、まだ目を瞑れないでおります」
と言い続けるので、昔のあの当時のことを、今さら言っても詮ない事よりも、答えようがなく困ったと思うが、
「いえもう、申し上げたところで詮ないことでございます。御方は、もうとっくにお亡くなりになりました」
と言うなり、二、三人皆涙が込み上げてきて、とてもどうすることもできず、涙を抑えかねていた。

 [3-4 Ukon meets Tamakazura by chance at Tsubaichi]
 Karausite,
 "Oboye zu koso habere. Tukusi-no-Kuni ni, hata-tose bakari he ni keru gesu no mi wo, sira se tamahu beki Kyau-bito yo! Hito-tagahe ni ya habera m."
 tote, yori-ki tari. Winaka-bi taru kaineri ni kinu nado ki te, ito itau hutori ni keri. Waga yohahi mo itodo oboye te hadukasikere do,
 "Naho, sasi-nozoke. Ware wo ba mi-siri tari ya?"
 tote, kaho sasi-ide tari. Kono Womna no te wo uti te,
 "Aga O-moto ni koso ohasimasi kere! Ana, uresi to mo uresi. Iduku yori mawiri tamahi taru zo. Uhe ha ohasimasu ya?"
 to, ito odoro-odorosiku naku. Wakaki mono ni te mi-nare si yo wo omohi-iduru ni, hedate ki ni keru tosi-tuki kazohe rare te, ito ahare nari.
 "Madu, Otodo ha ohasu ya? Waka-Gimi ha, ikaga nari tamahi si? Ateki to kikoye si ha?"
 tote, Kimi no ohom-koto ha, ihi-ide zu.
 "Mina ohasimasu. Hime-Gimi mo otona ni nari te ohasimasu. Madu, Otodo ni, kaku nam to kikoye m."
 tote iri nu.
 Mina, odoroki te,
 "Yume no kokoti mo suru kana!"
 "Ito turaku, iha m kata naku omohi kikoyuru hito ni, taimen si nu beki koto yo!"
 tote, kono hedate ni yori ki tari. Ke-dohoku hedate turu byaubu-datu mono, nagori naku osi-ake te, madu ihi-yaru beki kata naku naki-kahasu. Oyi-bito ha tada,
 "Waga Kimi ha, ikaga nari tamahi ni si? Kokora no tosi-goro, yume ni te mo ohasimasa m tokoro wo mi m to, tai-gwan wo tature do, haruka naru sekai ni te, kaze no oto ni te mo e kiki tutahe tatematura nu wo, imiziku kanasi to omohu ni, oyi no mi no nokori todomari taru mo, ito kokoro-ukere do, uti-sute tatematuri tamahe ru Waka-Gimi no, rautaku ahare ni te ohasimasu wo, yomidi no hodasi ni mote wadurahi kikoye te nam, matataki haberu."
 to ihi-tudukure ba, mukasi sono wori, ihu-kahi nakari si koto yori mo, irahe m kata naku wadurahasi to omohe do mo,
 "Ide ya, kikoye te mo kahi nasi. Ohom-kata ha, haya use tamahi ni ki."
 to ihu mama ni, hutari, mitari nagara muse-kaheri, ito mutukasiku, seki-kane tari.

 日暮れぬと、急ぎたちて、御燈明の事どもしたため果てて、急がせば、なかなかいと心あわたたしくて立ち別る。「もろともにや」と言へど、かたみに供の人のあやしと思ふべければ、この介にも、ことのさまだに言ひ知らせあへず。われも人もことに恥づかしくはあらで、皆下り立ちぬ。
右近は、人知れず目とどめて見るに、なかにうつくしげなるうしろでの、いといたうやつれて、卯月の単衣めくものに着こめたまへる髪の透影、いとあたらしくめでたく見ゆ。心苦しう悲しと見たてまつる。
すこし足なれたる人は、とく御堂に着きにけり。この君をもてわづらひきこえつつ、初夜行なふほどにぞ上りたまへる。いと騒がしく人詣で混みてののしる。右近が局は、仏の右の方に近き間にしたり。この御師は、まだ深からねばにや、西の間に遠かりけるを、
「なほ、ここにおはしませ」
と、尋ね交はし言ひたれば、男どもをばとどめて、介にかうかうと言ひあはせて、こなたに移したてまつる。
「かくあやしき身なれど、ただ今の大殿になむさぶらひはべれば、かくかすかなる道にても、らうがはしきことははべらじと頼みはべる。田舎びたる人をば、かやうの所には、よからぬ生者どもの、あなづらはしうするも、かたじけなきことなり」
とて、物語いとせまほしけれど、おどろおどろしき行なひの紛れ、騒がしきにもよほされて、仏拝みたてまつる。右近は心のうちに、
「この人を、いかで尋ねきこえむと申しわたりつるに、かつがつ、かくて見たてまつれば、今は思ひのごと、大臣の君の、尋ねたてまつらむの御心ざし深かめるに、知らせたてまつりて、幸ひあらせたてまつりたまへ」
など申しけり。

 [3-5 右近、初瀬観音に感謝]
日が暮れてしまうと、急ぎだして、御灯明の用意を済ませて、急がせるので、かえって落ち着かない気がして別れる。「ご一緒にいらっしゃいませんか」と言うが、お互いに供の人々が不思議に思うに違いないので、この豊後介にも事情を説明することさえしない。自分も相手も格別気を遣うこともなく、皆外へ出た。
右近は、こっそりと注意して見ると、一行の中にかわいらしい後ろ姿をして、とてもひどく身を忍んだ旅姿で、四月ころの単衣のようなものの中に着込めていらっしゃる髪が、透き通って見えるのが、とてももったいなく立派に見える。おいたわしくかわいそうにと拝する。
少し歩きなれている人は、先に御堂に着いたのであった。この姫君を介抱するのに難渋しながら、初夜の勤行のころにお上りになった。とても騒がしく、人々の参詣で混み合って大騒ぎである。右近の部屋は仏の右側の近い間に用意してある。姫君一行の御師は、まだなじみが浅いためであろうか、西の間で遠い所だったのを、
「もっと、こちらにいらっしゃいませ」
と、探し合って言ったので、男たちはそこに置いて、豊後介にこれこれしかじかでと説明して、こちらにお移し申し上げる。
「このように賤しい身ですが、今の大臣殿のお邸にお仕え致しておりますので、このように忍びの旅でも、無礼な扱いを受けるようなことはありますまいと心丈夫にしております。田舎者めいた者には、このような所では、たちの良くない者どもが、侮ったりするのも、恐れ多いことです」
と言って、話をもっとしたく思ったが、仰々しい勤行の声に紛れ、騒がしさに引き込まれて、仏を拝み申し上げる。右近は、心の中で、
「この姫君を、何とかして尋ね上げたいとお願い申して来たが、何はともあれ、こうしてお逢い申せたので、今は願いのとおり、大臣の君が、お尋ね申したいというお気持ちが強いようなので、お知らせ申して、お幸せになりますように」
などとお祈り申し上げたのであった。

 [3-5 Ukon thanks for Hase-Kan'non]
 Hi kure nu to, isogi-tati te, mi-akasi no koto-domo sitatame-hate te, isogase ba, naka-naka ito kokoro-awatatasiku te tati-wakaru. "Moro-tomo ni ya?" to ihe do, katamini tomo no hito no ayasi to omohu bekere ba, kono Suke ni mo, koto no sama dani ihi sirase-ahe zu. Ware mo hito mo koto ni hadukasiku ha ara de, mina ori tati nu.
 Ukon ha, hito-sire zu me todome te miru ni, naka ni utukusige naru usirode no, ito itau yature te, U-duki no hitohe meku mono ni ki-kome tamahe ru kami no suki-kage, ito atarasiku medetaku miyu. Kokoro-gurusiu kanasi to mi tatematuru.
 Sukosi asi nare taru hitoa ha, toku mi-dau ni tuki ni keri. Kono Kimi wo mote wadurahi kikoye tutu, soya okonahu hodo ni zo nobori tamahe ru. Ito sawagasiku hito maude komi te nonosiru. Ukon ga tubone ha, Hotoke no migi no kata ni tikaki ma ni si tari. Kono go-si ha, mada hukakara ne ba ni ya, nisi no ma ni tohokari keru wo,
 "Naho, koko ni ohasimase."
 to, tadune-kahasi ihi tare ba, wotoko-domo wo ba todome te, Suke ni kau-kau to ihi ahase te, konata ni utusi tatematuru.
 "Kaku ayasiki mi nare do, tada ima no Oho-Tono ni nam saburahi habere ba, kaku kasuka naru miti ni te mo, raugahasiki koto ha habera zi to tanomi haberu. Winaka-bi taru hito wo ba, kayau no tokoro ni ha, yokara nu namamono-domo no, anadurahasiu suru mo, katazikenaki koto nari."
 tote, monogatari ito se mahosikere do, odoro-odorosiki okonahi no magire, sawagasiki ni moyohosa re te, Hotoke wogami tatematuru. Ukon ha kokoro no uti ni,
 "Kono hito wo, ikade tadune kikoye m to mausi watari turu ni, katu-gatu, kaku te mi tatemature ba, ima ha omohi no goto, Otodo-no-Kimi no, tadune tatematura m no mi-kokorozasi hukaka'meru ni, sirase tatematuri te, saihahi ara se tatematuri tamahe."
 nado mausi keri.

 国々より、田舎人多く詣でたりけり。この国の守の北の方も、詣でたりけり。いかめしく勢ひたるをうらやみて、この三条が言ふやう、
「大悲者には、異事も申さじ。あが姫君、大弐の北の方、ならずは1046、当国の受領の北の方になしたてまつらむ。三条らも、随分に栄えて、返り申しは仕うまつらむ」
と、額に手を当てて念じ入りてをり。右近、「いとゆゆしくも言ふかな」と聞きて、
「いと、いたくこそ田舎びにけれな。中将殿は、昔の御おぼえだにいかがおはしましし。まして、今は、天の下を御心にかけたまへる大臣にて、いかばかりいつかしき御仲に、御方しも、受領の妻にて、品定まりておはしまさむよ」
と言へば、
「あなかま。たまへ。大臣たちもしばし待て。大弐の御館の上の、清水の御寺、観世音寺1047に参りたまひし勢ひは、帝の御幸にやは劣れる。あな、むくつけ」
とて、なほさらに手をひき放たず、拝み入りてをり。
筑紫人は、三日籠もらむと心ざしたまへり。右近は、さしも思はざりけれど、かかるついで、のどかに聞こえむとて、籠もるべきよし、大徳呼びて言ふ。御あかし文など書きたる心ばへなど、さやうの人はくだくだしうわきまへければ、常のことにて、
「例の藤原の瑠璃君といふが御ためにたてまつる。よく祈り申したまへ。その人、このころなむ見たてまつり出でたる。その願も果たしたてまつるべし」
と言ふを聞くも、あはれなり。法師、
「いとかしこきことかな。たゆみなく祈り申しはべる験にこそはべれ」
と言ふ。いと騒がしう、夜一夜行なふなり。

 [3-6 三条、初瀬観音に祈願]
国々から、田舎の人々が大勢参詣しているのであった。大和国の守の北の方も、参詣しているのであった。たいそうな勢いなのを羨んで、この三条が言うことには、
「大慈悲の観音様には、他のことはお願い申し上げません。わが姫君様が、大弍の北の方に、さもなくば、この国の受領の北の方にして差し上げたく思います。わたくしめ三条らも、身分相応に出世して、お礼参りは致します」
と、額に手を当てて念じている。右近は、「ひどく縁起でもないことを言うわ」と聞いて、
「とても、ひどく田舎じみてしまったのね。頭の中将殿は、当時のご信任でさえどんなでもいらしゃいました。まして、今では天下をお心のままに動かしていらっしゃる大臣で、どんなにか立派なお間柄であるのに、このお方が、受領の妻として、お定まりになるものですか」
と言うと、
「お静かに。言わせて頂戴。大臣とやらの話もちょっと待って。大弍のお館の奥方様が、清水のお寺や、観世音寺に参詣なさった時の勢いは、帝の行幸に劣っていましょうか。まあ、いやだこと」
と言って、ますます手を額から離さず、一心に拝んでいた。
筑紫の人たちは、三日間参籠しようとお心づもりしていらっしゃった。右近は、そうは思っていなかったが、このような機会に、ゆっくりお話しようと思って、参籠する由を、大徳を呼んで言う。願文などに書いてある趣旨などは、そのような人はこまごまと承知していたので、いつものように、
「いつもの藤原の瑠璃君というお方のために奉ります。よくお祈り申し上げてくださいませ。その方は、つい最近お捜し申し上げました。そのお礼参りも申し上げましょう」
と言うのを、耳にするのも嬉しい気がする。法師は、
「それはとてもおめでたいことですな。怠りなくお祈り申し上げたしるしでございます」
と言う。とても騒がしく、一晩中お勤めするのである。

 [3-6 Sanjo prays to Hase-Kan'non]
 Kuni-guni yori winaka-bito ohoku maude tari keri. Kono kuni no kita-no-kata mo, maude tari keri. Ikamesiku ikihohi taru wo urayami te, kono Samdeu ga ihu yau,
 "Daihisya ni ha, koto-goto mo mausa zi. Aga Hime-Gimi, Daini no kita-no-kata, nara zu ha, taugoku no zuryau no kita-no-kata ni nasi tatematura m. Samdeu ra mo, zuibun ni sakaye te, kaheri-mausi ha tukau-matura m."
 to, hitahi ni te wo ate te nen-zi iri te wori. Ukon, "Ito yuyusiku mo ihu kana!" to kiki te,
 "Ito, itaku koso winaka-bi ni kere na! Tiuzyau-dono ha, mukasi no oboye dani ikaga ohasi masi si. Masite, ima ha, ame no sita wo mi-kokoro ni kake tamahe ru Otodo ni te, ikabakari itukasiki ohom-naka ni, ohom-kata si mo, zuryau no me ni te, sina sadamari te ohasimasa m yo!"
 to ihe ba,
 "Ana kama! Tamahe. Otodo-tati mo sibasi mate. Daini no mi-tati no uhe no, Simidu no mi-tera, Kwanzeon-zi ni mawiri tamahi si ikihohi ha, Mikado no miyuki ni ya ha otore ru? Ana, mukutuke!"
 tote, nahosara ni te wo hiki-hanata zu, wogami-iri te wori.
 Tukusi-bito ha, mi-ka komora m to kokorozasi tamahe ri. Ukon ha, sa si mo omoha zari kere do, kakaru tuide, nodoka ni kikoye m tote, komoru beki yosi, Daitoko yobi te ihu. Mi-akasibumi nado kaki taru kokorobahe nado, sayau no hito ha kuda-kudasiu wakimahe kere ba, tune no koto ni te,
 "Rei no Hudihara no Ruri-Gimi to ihu ga ohom-tame ni tatematuru. Yoku inori mausi tamahe. Sono hito, kono-koro nam mi tatematuri ide taru. Sono gwan mo hatasi tatematuru besi."
 to ihu wo kiku mo, ahare nari. Hohusi,
 "Ito kasikoki koto kana! Tayumi naku inori mausi haberu sirusi ni koso habere."
 to ihu. Ito sawagasiu, yo-hitoyo okonahu nari.

 明けぬれば、知れる大徳の坊に下りぬ。物語、心やすくとなるべし。姫君のいたくやつれたまへる、恥づかしげに思したるさま、いとめでたく見ゆ。
「おぼえぬ高き交じらひをして、多くの人をなむ見集むれど、殿の上の御容貌に似る人おはせじとなむ、年ごろ見たてまつるを、また、生ひ出でたまふ姫君の御さま、いとことわりにめでたくおはします。かしづきたてまつりたまふさまも、並びなかめるに、かうやつれたまへる御さまの、劣りたまふまじく見えたまふは、ありがたうなむ。
大臣の君、父帝の御時より、そこらの女御、后、それより下は残る1048なく見たてまつり集めたまへる御目にも、当代の御母后と聞こえしと、この姫君の御容貌とをなむ、『よき人とはこれを言ふにやあらむとおぼゆる』と聞こえたまふ。
見たてまつり並ぶるに、かの后の宮をば知りきこえず、姫君はきよらにおはしませど、まだ、片なりにて、生ひ先ぞ推し量られたまふ。
上の御容貌は、なほ誰か並びたまはむと、なむ見えたまふ。殿も、すぐれたりと思しためるを、言に出でては、何かは数へのうちには聞こえたまはむ。『我に並びたまへるこそ、君はおほけなけれ』となむ、戯れきこえたまふ。
見たてまつるに、命延ぶる御ありさまどもを、またさるたぐひおはしましなむやとなむ思ひはべるに、いづくか1049劣りたまはむ。ものは限りあるものなれば、すぐれたまへりとて、頂きを離れたる光やはおはする。ただ、これを、すぐれたりとは聞こゆべきなめりかし」
と、うち笑みて見たてまつれば、老ひ人もうれしと思ふ。

 [3-7 右近、主人の光る源氏について語る]
夜が明けたので、知っている大徳の坊に下がった。話を、心おきなくというのであろう。姫君がひどく質素にしていらっしゃるのを恥ずかしそうに思っていらっしゃる様子が、たいそう立派に見える。
「思いもかけない高貴な方にお仕えして、大勢の方々を見てきましたが、殿の上様のご器量に並ぶ方はいらっしゃらないと、長年拝見しておりましたが、また一方に、ご成長されてゆく姫君のご器量も、当然のことながら優れていらっしゃいます。大切にお育て申し上げなさる様子も、又とないくらいですが、このように質素にしていらっしゃる姫君が、お劣りにならないくらいにお見えになりますのは、めったにないお美しさであります。
大臣の君は、御父帝の御時代から、多数の女御や、后をはじめ、それより以下の女は残るところなくご存知でいらしたお目には、今上帝の御母后と申し上げた方と、この姫君のご器量とを、『美人とはこのような方をいうのであろうかと思われる』とお口にしていらっしゃいます。
拝見して比べますに、あの后の宮は存じません。姫君はおきれいでいらっしゃいますが、まだ、お小さくて、これから先どんなにお美しくなられることかと思いやられます。
上のご器量は、やはりどなたが及びなされましょうと、お見えになります。殿も、優れているとお思いでいらっしゃいますが、口に出しては、どうして数の中にお加え申されましょうか。『わたしと夫婦でいらっしゃるとは、あなたは分不相応ですよ』と、ご冗談を申し上げていらっしゃいます。
拝見すると、寿命が延びるお二方のご様子を、また他にそのような例がいらっしゃるだろうかと、思っておりましたが、どこが劣ったところがございましょうか。物には限度というものがありますから、どんなに優れていらっしゃろうとも、頭上から光をお放ちになるようなことはありません。ただ、こういう方をこそ、お美しいと申し上げるべきでしょう」
と、微笑んで拝見するので、老人も嬉しく思う。

 [3-7 Ukon talks about Hikaru-Genji who is her master to Tamakazura's nursemaid]
 Ake nure ba, sire ru Daitoko no bau ni ori nu. Monogatari, kokoro-yasuku to naru besi. Hime-Gimi no itaku yature tamahe ru, hadukasige ni obosi taru sama, ito medetaku miyu.
 "Oboye nu takaki mazirahi wi si te, ohoku no hito wo nam mi-atumure do, Tono-no-Uhe no ohom-katati ni niru hito ohase zi to nam, tosi-goro mi tatematuru wo, mata, ohi-ide tamahu Hime-Gimi no ohom-sama, ito kotowari ni medetaku ohasimasu. Kasiduki tatematuri tamahu sama mo, narabi naka'meru ni, kau yature tamahe ru ohom-sama no, otori tamahu maziku miye tamahu ha, arigatau nam.
 Otodo-no-Kimi, titi-Mikado no ohom-toki yori, sokora no Nyougo, Kisaki, sore yori simo ha nokoru naku mi tatematuri atume tamahe ru ohom-me ni mo, taudai no ohom-Haha-Gisaki to kikoye si to, kono Hime-Gimi no ohom-katati to wo nam, 'Yoki hito to ha kore wo ihu ni ya ara m to oboyuru.' to kikoye tamahu.
 Mi tatematuri naraburu ni, kano Kisaki-no-Miya wo ba siri kikoye zu, Hime-Gimi ha kiyora ni ohasimase do, mada, katanari ni te, ohi-saki zo osihakara re tamahu.
 Uhe no ohom-katati ha, naho tare ka narabi tamaha m to, nam mi tamahu. Tono mo, sugure tari to obosi ta'meru wo, koto ni ide te ha, nani ka ha kazuhe no uti ni ha kikoye tamaha m? 'Ware ni narabi tamahe ru koso, Kimi ha ohoke nakere!' to nam, tahabure kikoye tamahu.
 Mi tatematuru ni, inoti noburu ohom-arisama-domo wo, mata saru taguhi ohasimasi na m ya to nam omohi haberu ni, iduku ka otori tamaha m? Mono ha kagiri aru mono nare ba, sugure tamahe ri tote, itadaki wo hanare taru hikari ya ha ohasuru. Tada, kore wo, sugure tari to ha kikoyu beki na'meri kasi."
 to, uti-wemi te mi tatemature ba, oyi-bito mo uresi to omohu.

 「かかる御さまを、ほとほとあやしき所に沈めたてまつりぬべかりしに、あたらしく悲しうて、家かまどをも捨て、男女の頼むべき子どもにも引き別れてなむ、かへりて知らぬ世の心地する京にまうで来し。
あが御許、はやくよきさまに導ききこえたまへ。高き宮仕へしたまふ人は、おのづから行き交じりたるたよりものしたまふらむ。父大臣に聞こしめされ、数まへられたまふべきたばかり、思し構へよ」
と言ふ。恥づかしう思いて、うしろ向きたまへり。
「いでや、身こそ数ならねど、殿も御前近く召し使ひたまへば、ものの折ごとに、『いかにならせたまひにけむ』と聞こえ出づるを、聞こしめし置きて、『われいかで尋ねきこえむと思ふを、聞き出でたてまつりたらば』となむ、のたまはする」
と言へば、
「大臣の君は、めでたくおはしますとも、さるやむごとなき妻どもおはしますなり。まづまことの親とおはする大臣にを知らせたてまつりたまへ」
など言ふに、ありしさまなど語り出でて、
「世に忘れがたく悲しきことになむ思して、『かの御代はりに見たてまつらむ。子も少なきがさうざうしきに、わが子を尋ね出でたると人には知らせて』と、そのかみよりのたまふなり。
心の幼かりけることは、よろづにものつつましかりしほどにて、え尋ねても聞こえで過ごししほどに、少弐になりたまへるよしは、御名にて知りにき。まかり申しに、殿に参りたまへりし日、ほの見たてまつりしかども、え聞こえで止みにき。
さりとも、姫君をば、かのありし夕顔の五条にぞとどめたてまつりたまへらむとぞ思ひし。あな、いみじや。田舎人にておはしまさましよ」
など、うち語らひつつ、日一日、昔物語、念誦などしつつ。

 [3-8 乳母、右近に依頼]
「このようなお美しい方を、危うく辺鄙な土地に埋もれさせ申し上げてしまうところでしたのを、もったいなく悲しくて、家やかまどを捨てて、息子や娘の頼りになるはずの子どもたちにも別れて、かえって見知らない世界のような心地がする京に上って来ました。
あなた、早く良いようにお導きくださいまし。高い宮仕えをなさる方は、自然と交際の便宜もございましょう。父大臣のお耳に入れられて、お子様の中に数え入れてもらえるような工夫を、お計らいになってください」
と言う。恥ずかしくお思いになって、後ろをお向きになっていらっしゃった。
「いやもう、わたしはとるにたりない身の上ですけれども、殿も御前近くにお使いになってくださいますので、何かの時毎に、『どうおなりあそばしたことでしょう』と口に出し申し上げたのを、お心にお掛けになっていらして、『わたしも何とかお捜し申したいと思うが、もしお聞き出し申したら』と、仰せになっています」
と言うと、
「大臣の君は、ご立派でいらっしゃっても、そうしたれっきとした奥方様たちがいらっしゃると言います。まずは実の親でいらっしゃる内大臣様にお知らせ申し上げなさってください」
などと言うので、昔の事情などを話に出して、
「ほんとうに忘れられず悲しいこととお思いになって、『あの方の代わりにお育て申し上げよう。子どもも少ないのが寂しいから、自分の子を捜し出したのだと世間の人には思わせて』と、その当時から仰せになっているのです。
分別の足りなかったことは、いろいろと遠慮の多かった時なので、お尋ね申すこともできないでいるうちに、大宰少弍におなりになったことは、お名前で知りました。赴任の挨拶に、殿に参られた日、ちらっと拝見しましたが、声をかけることができずじまいでした。
そうはいっても、姫君は、あの昔の夕顔の五条の家にお残し申されたものと思っていました。ああ、何ともったいない。田舎者におなりになってしまうところでしたねえ」
などと、お話しながら、一日中、昔話や、念誦などして。

 [3-8 Nursemaid asks a favor of Tamakazura's future to Ukon]
 "Kakaru ohom-sama wo, hoto-hoto ayasiki tokoro ni sidume tatematuri nu bekari si ni, atarasiku kanasiu te, ihe kamado wo mo sute, wotoko womna no tanomu beki kodomo ni mo hiki-wakare te nam, kaharite sira nu yo no kokoti suru Kyau ni maude ko si.
 Aga O-moto, hayaku yoki sama ni mitibiki kikoye tamahe. Takaki miya-dukahe si tamahu hito ha, onodukara yuki-maziri taru tayori monosi tamahu ram. Titi-Otodo ni kikosimesa re, kazumahe rare tamahu beki tabakari, obosi kamahe yo."
 to ihu. Hadukasiu oboi te, usiro muki tamahe ri.
 "Ide ya, mi koso kazu nara ne do, Tono mo o-mahe tikaku mesi-tukahi tamahe ba, mono no wori goto ni, 'Ika ni nara se tamahi ni kem?' to kikoye-iduru wo, kikosimesi oki te, 'Ware ikade tadune kikoye m to omohu wo, kiki-ide tatematuri tara ba.' to nam, notamaha suru."
 to ihe ba,
 "Otodo-no-Kimi ha, medetaku ohasimasu to mo, saru yamgotonaki me-domo ohasimasu nari. Madu makoto no oya to ohasuru Otodo ni wo sira se tatematuri tamahe."
 nado ihu ni, ari-si sama nado katari-ide te,
 "Yo ni wasure gataku kanasiki koto ni nam obosi te, 'Kano ohom-kahari ni mi tatematura m. Ko mo sukunaki ga sau-zausiki ni, waga ko wo tadune-ide taru to hito ni ha sirase te.' to, sonokami yori notamahu nari.
 Kokoro no wosanakari keru koto ha, yorodu ni mono tutumasikari si hodo ni te, e tadune te mo kikoye de sugosi si hodo ni, Seuni ni nari tamahe ru yosi ha, ohom-na ni te siri ni ki. Makari mausi ni, Tono ni mawiri tamahe ri si hi, hono-mi tatematuri sika do mo, e kikoye de yami ni ki.
 Saritomo, Hime-Gimi wo ba, kano ari si Yuhugaho-no-Godeu ni zo todome tatematuri tamahe ra m to zo omohi si. Ana, imizi ya! Winaka-bito ni te ohasimasa masi yo."
 nado, uti-katarahi tutu, hi hitohi, monogatari, nen-zu nado si tutu.

 参り集ふ人のありさまども、見下さるる方なり。前より行く水をば、初瀬川といふなりけり。右近、
「二本の杉1050のたちどを尋ねずは
古川野辺に君を見ましや
 うれしき瀬にも1051」
と聞こゆ。
「初瀬川はやくのことは知らねども
今日の逢ふ瀬に身さへ流れぬ」
と、うち泣きておはするさま、いとめやすし。
「容貌はいとかくめでたくきよげながら、田舎び、こちこちしうおはせましかば、いかに玉の瑕ならまし。いで、あはれ、いかでかく生ひ出でたまひけむ」
と、おとどをうれしく思ふ。
母君は、ただいと若やかにおほどかにて、やはやはとぞ、たをやぎたまへりし。これは気高く、もてなしなど恥づかしげに、よしめきたまへり。筑紫を心にくく思ひなすに、皆、見し人は里びにたるに、心得がたくなむ。
暮るれば、御堂に上りて、またの日も行なひ暮らしたまふ。
秋風、谷より遥かに吹きのぼりて、いと肌寒きに、ものいとあはれなる心どもには1052、よろづ思ひ続けられて、人並々ならむこともありがたきことと思ひ沈みつるを、この人の物語のついでに、父大臣の御ありさま、腹々の何ともあるまじき御子ども、皆ものめかしなしたてたまふを聞けば、かかる下草頼もしくぞ思しなりぬる。
出づとても、かたみに宿る所も問ひ交はして、もしまた追ひ惑はしたらむ時と、危ふく思ひけり。右近が家は、六条の院近きわたりなりければ、ほど遠からで、言ひ交はすもたつき出で来ぬる心地しけり。

 [3-9 右近、玉鬘一行と約束して別れる]
参詣する人々の様子が、見下ろせる所である。前方を流れる川は、初瀬川というのであった。右近は、
「二本の杉の立っている長谷寺に参詣しなかったなら
古い川の近くで姫君にお逢いできたでしょうか
『嬉しき逢瀬です』」
と申し上げる。
「昔のことは知りませんが、今日お逢いできた
嬉し涙でこの身まで流れてしまいそうです」
とお詠みになって、泣いていらっしゃる様子、とても好感がもてる。
「ご器量はとてもこのように素晴らしく美しくいらしても、田舎人めいて、ごつごつしていらっしゃったら、どんなにか玉の瑕になったことであろうに。いやもう、立派に、どうしてこのようにご成長されたのであろう」
と、乳母殿に感謝する。
母君は、ただたいそう若々しくおっとりしていて、なよなよと、しなやかでいらした。この姫君は気品が高く、動作などもこちらが恥ずかしくなるくらいに、優雅でいらっしゃる。筑紫の地を奥ゆかしく思ってみるが、皆、他の人々は田舎人めいてしまったのも、合点が行かない。
日が暮れたので、御堂に上って、翌日も同じように勤行してお過ごしになる。
秋風が、谷から遥かに吹き上がってきて、とても肌寒く感じられる上に、感慨無量の人々にとっては、それからそれへと連想されて、人並みになるようなことも難しいことと沈みこんでいたが、この右近の話の中に、父内大臣のご様子、他のたいしたことのない方々が生んだご子息たちも、皆一人前になさっていることを聞くと、このような日陰者も頼もしく、お思いになるのであった。
出る時にも、互いに住所を聞き交わして、もしも再び姫君の行く方が分からなくなってしまってはと、心配に思うのであった。右近の家は、六条院の近辺だったので、程遠くないので、話し合うにも便宜ができた心地がしたのであった。

 [3-9 Ukon says goodbye to Tamakazura making a promise]
 Mawiri tudohu hito no arisama-domo, mi-kudasa ruru kata nari. Mahe yori yuku midu wo ba, Hatuse-gaha to ihu nari keri. Ukon,
 "Huta-moto no sugi no tatido wo tadune zu ha
 huru kaha nobe ni Kimi wo mi masi ya

 uresiki se ni mo."
 to kikoyu.
 "Hatuse-gaha hayaku no koto ha sira ne do mo
 kehu no ahu se ni mi sahe nagare nu
"
 to, uti naki te ohasuru sama, ito meyasusi.
 "Katati ha ito kaku medetaku kiyoge nagara, winaka-bi, koti-kotisiu ohase masika ba, ika ni tama-no-kizu nara masi. Ide, ahare, ikade kaku ohi-ide tamahi kem?"
 to, otodo wo uresiku omohu.
 Haha-Gimi ha, tada ito wakayaka ni ohodoka ni te, yaha-yahato zo, tawoyagi tamahe ri si. Kore ha ke-dakaku, motenasi nado hadukasige ni, yosimeki tamahe ri. Tukusi wo kokoro-nikuku omohi-nasu ni, mina, mi si hito ha sato-bi ni taru ni, kokoroe gataku nam.
 Kurure ba, mi-Dau ni nobori te, mata no hi mo okonahi kurasi tamahu.
 Aki-kaze, tani yori haruka ni huki-nobori te, ito hada-samuki ni, mono ito ahare naru kokoro-domo ni ha, yorodu omohi-tuduke rare te, hito nami-nami nara m koto mo ari gataki koto to omohi-sidumi turu wo, kono hito no monogatari no tuide ni, titi-Otodo no ohom-arisama, hara-bara no nani to mo aru maziki mi-ko-domo, mina mono-mekasi-nasi tate tamahu wo kike ba, kakaru sita-kusa tanomosiku zo obosi nari nuru.
 Idu tote mo, katamini yadoru tokoro mo tohi-kahasi te, mosi mata ohi-madohasi tara m toki to, ayahuku omohi keri. Ukon ga ihe ha, Rokudeu-no-Win tikaki watari nari kere ba, hodo tohokara de, ihi-kahasu mo tatuki ide-ki nuru kokoti si keri.

 右近は、大殿に参りぬ。このことをかすめ聞こゆるついでもやとて、急ぐなりけり。御門引き入るるより、けはひことに広々として、まかで参りする車多くまよふ。数ならで立ち出づるも、まばゆき心地する玉の台なり。その夜は御前にも参らで、思ひ臥したり。
またの日、昨夜里より参れる上臈、若人どものなかに、取り分きて右近を召し出づれば、おもだたしくおぼゆ。大臣も御覧じて、
「などか、里居は久しくしつるぞ。例ならずやまめ人の、引き違へ、こまがへるやうもありかし。をかしきことなどありつらむかし」
など、例の、むつかしう、戯れ事などのたまふ。
「まかでて、七日に過ぎはべりぬれど、をかしきことははべりがたくなむ。山踏しはべりて、あはれなる人をなむ見たまへつけたりし」
「何人ぞ」
と問ひたまふ。「ふと聞こえ出でむも、まだ上に聞かせたてまつらで、取り分き申したらむを、のちに聞きたまうては、隔てきこえけりとやおぼさむ」など、思ひ乱れて、
「今聞こえさせはべらむ」
とて、人々参れば、聞こえさしつ。
大殿油など参りて、うちとけ並びおはします御ありさまども、いと見るかひ多かり。女君は、二十七八にはなりたまひぬらむかし、盛りにきよらにねびまさりたまへり。すこしほど経て見たてまつるは、「また、このほどにこそ、にほひ加はりたまひにけれ」と見えたまふ。
かの人をいとめでたし、劣らじと見たてまつりしかど、思ひなしにや、なほこよなきに、「幸ひのなきとあるとは、隔てあるべきわざかな」と見合はせらる。

 4 光る源氏の物語 玉鬘を養女とする物語 [4-1 右近、六条院に帰参する]
右近は、大殿に参上した。このことをちらっとお耳に入れる機会もあろうかと思って、急ぐのであった。ご門を入るや、感じが格別に広々として、退出や参上する車が多く行き来している。一人前でもない者が出入りするのも、気のひける思いがする玉の御殿である。その夜は御前にも参上しないで、思案しながら寝た。
翌日、昨夜里から参上した身分の高い女房、若い女房たちの中で、特別に右近をお召しになったので、晴れがましい気がする。大臣も御覧になって、
「どうして、里住みを長くしていたのだ。めずらしく寡婦が、うって変わって、若変ったようなことでもしたのでしょうか。きっとおもしろいことがあったのでしょう」
などと、例によって、返事に困るような、冗談をおっしゃる。
「お暇をいただいて、七日以上過ぎましたが、おもしろいことなどめったにございません。山路歩きしまして、懐かしい人にお逢いいたしました」
「どのような人か」
とお尋ねになる。「ここで申し上げるのも、まだ主人にお聞かせ申さないで、特別に申し上げるようなのを、後でお聞きになったら、自分が隠しごとを申したとお思いになるのではないかしら」などと、思い悩んで、
「そのうちにお話申し上げましょう」
と言って、女房たちが参上したので、中断した。
大殿油などを点灯して、うちとけて並んでいらっしゃるご様子、たいそう見ごたえがあった。女君は、二十七、八歳におなりになったであろう、今を盛りといよいよ美しく成人されていらっしゃる。少し日をおいて拝見すると、「また、この間にも美しさがお加わりになった」とお見えになる。
あの姫君をとても素晴らしい、この女君に負けないくらいだと拝見したが、思いなしか、やはりこの女君はこの上ないので、「運のある方とない方とでは、違いがあるものだわ」と自然と比較される。

 4 Tale of Hikaru-Genji Genji makes Tamakazura to his adopted daughter [4-1 Ukon comes back to Rokujo-in]
 Ukon ha, Oho-tono ni mawiri nu. Kono koto wo kasume kikoyuru tuide mo ya tote, isogu nari keri. Mi-kado hiki-iruru yori, kehahi koto ni hiro-biro to si te, makade mawiri suru kuruma ohoku mayohu. Kazu nara de tati-iduru mo, mabayuki kokoti suru tama-no-utena nari. Sono yo ha o-mahe ni mo mawira de, omohi-husi tari.
 Mata no hi, yobe sato yori mawire ru zyaurau, wakaudo-domo no naka ni tori-waki te Ukon wo mesi-idure ba, omodatasiku oboyu. Otodo mo go-ran-zi te,
 "Nado ka, sato-wi ha hisasiku si turu zo? Rei nara zu yamame-bito no, hiki-tagahe, komagahe ru yau mo ari kasi. Wokasiki koto nado ari tura m kasi."
 nado, rei no, mutukasiu, tahabure-goto nado notamahu.
 "Makade te, nanuka ni sugi haberi nure do, wokasiki koto ha haberi gataku nam. Yama-bumi si haberi te, ahare naru hito wo nam mi tamahe tuke tari si."
 "Nani bito zo?"
 to tohi tamahu. "Huto kikoye ide m mo, mada Uhe ni kika se tatematura de, tori-waki mausi tara m wo, noti ni kiki tamau te ha, hedate kikoye keri to ya obosa m." nado, omohi-midare te,
 "Ima kikoye sase habera m."
 tote, hito-bito mawire ba, kikoye-sasi tu.
 Ohotonabura nado mawiri te, uti-toke narabi ohasimasu ohom-arisama-domo, ito miru kahi ohokari. Womna-Gimi ha, nizihu-siti hati ni ha nari tamahi nura m kasi, sakari ni kiyora ni nebi masari tamahe ri. Sukosi hodo he te mi tatematuru ha, "Mata kono hodo ni koso, nihohi kuhahari tamahi ni kere!" to miye tamahu.
 Kano hito wo ito medetasi, otora zi to mi tatematuri sika do, omohi-nasi ni ya, naho koyonaki ni, "Saihahi no naki to aru to ha, hedate aru beki waza kana!" to mi-ahase raru.

 大殿籠もるとて、右近を御脚参りに召す。
「若き人は、苦しとてむつかるめり。なほ年経ぬるどちこそ、心交はして睦びよかりけれ」
とのたまへば、人々忍びて笑ふ。
「さりや。誰か、その使ひならいたまはむをば、むつからむ」
「うるさき戯れ事言ひかかりたまふを、わづらはしきに」
など言ひあへり。
「上も、年経ぬるどちうちとけ過ぎ、はた、むつかりたまはむとや。さるまじき心と見ねば、危ふし」
など、右近に語らひて笑ひたまふ。いと愛敬づき、をかしきけさへ添へたまへり。
今は朝廷に仕へ、忙しき御ありさまにもあらぬ御身にて、世の中のどやかに思さるるままに、ただはかなき御戯れ事をのたまひ、をかしく人の心を見たまふあまりに、かかる古人をさへぞ戯れたまふ。
「かの尋ね出でたりけむや、何ざまの人ぞ。尊き修行者語らひて、率て来たるか」
と問ひたまへば、
「あな、見苦しや。はかなく消えたまひにし夕顔の露の御ゆかりをなむ、見たまへつけたりし」
と聞こゆ。
「げに、あはれなりけることかな。年ごろはいづくにか」
とのたまへば、ありのままには聞こえにくくて、
「あやしき山里になむ。昔人もかたへは変はらではべりければ、その世の物語し出ではべりて、堪へがたく思ひたまへりし」
など聞こえゐたり。
「よし、心知りたまはぬ御あたりに」
と、隠しきこえたまへば、上、
「あな、わづらはし。ねぶたきに、聞き入るべくもあらぬものを」
とて、御袖して御耳塞ぎたまひつ。
「容貌などは、かの昔の夕顔と劣らじや」
などのたまへば、
「かならずさしもいかでかものしたまはむと思ひたまへりしを、こよなうこそ生ひまさりて見えたまひしか」
と聞こゆれば、
「をかしのことや。誰ばかりとおぼゆ。この君と」
とのたまへば、
「いかでか、さまでは」
と聞こゆれば、
「したり顔にこそ思ふべけれ。我に似たらばしも、うしろやすしかし」
と、親めきてのたまふ。

 [4-2 右近、源氏に玉鬘との邂逅を語る]
お寝みになろうとして、右近をお足さすらせに召す。
「若い女房は、疲れると言って嫌がるようです。やはりお互いに年配どうしは、気が合ってうまくいきますね」
とおっしゃると、女房たちはひそひそと笑う。
「そうですわ。誰が、そのようにお使い慣らされるのを、嫌がりましょう」
「やっかいなご冗談をお言いかけなさるのが、煩わしいので」
などと互いに言う。
「紫の上も、年とった者どうしが仲よくし過ぎると、それはやはり、ご機嫌を悪くされるだろうと思うよ。そのようなこともなさそうなお心とは見えないから、危険なものです」
などと、右近に話してお笑いになる。たいそう愛嬌があって、冗談をおっしゃるところまでがお加わりになっていらっしゃる。
今では朝廷にお仕えし、忙しいご様子でもないお身体なので、世の中の事に対してものんびりとしたお気持ちのままに、ただとりとめもないご冗談をおっしゃって、おもしろく女房たちの気持ちをお試しになるあまりに、このような古女房をまでおからかいになる。
「あの捜し出した人というのは、どのような人か。尊い修行者と親しくして、連れて来たのか」
とお尋ねになると、
「まあ、人聞きの悪いことを。はかなくお亡くなりになった夕顔の露の縁のある人を、お見つけ申したのです」
と申し上げる。
「ほんとうに、思いもかけないことであるなあ。長い年月どこにいたのか」
とお尋ねになるので、真実そのままには申し上げにくいので、
「辺鄙な山里に、昔の女房も幾人かは変わらずに仕えておりましたので、その当時の話を致しまして、たまらない思いが致しました」
などとお答え申した。
「よし、事情をご存知でない方の前だから」
とお隠し申しなさると、紫の上は、
「まあ、やっかいなお話ですこと。眠たいので、耳に入るはずもありませんのに」
とおっしゃって、お袖で耳をお塞ぎになった。
「器量などは、あの昔の夕顔に劣らないだろうか」
などとおっしゃると、
「きっと母君ほどでいらっしゃるまいと存じておりましたが、格別に優れてご成長なさってお見えになりました」
と申し上げるので、
「興味あることだ。誰くらいに見えますか。この紫の君とは」
とおっしゃると、
「どうして、それほどまでは」
と申し上げるので、
「得意になって思っているのだな。わたしに似ていたら、安心だ」
と、実の親のようにおっしゃる。

 [4-2 Ukon talks about Tamakazura whom she happened to meet to Genji]
 Ohotono-gomoru tote, Ukon wo mi-asi-mawiri ni mesu.
 "Wakaki hito ha, kurusi tote mutukaru meri. Naho tosi he nuru doti koso, kokoro kahasi te mutubi yokari kere!"
 to notamahe ba, hito-bito sinobi te warahu.
 "Sa'ri ya! Tare ka, sono tukahi narahi tamaha m wo ba, mutukara m?"
 "Urusaki tahabure-goto ihi-kakari tamahu wo, wadurahasiki ni."
 nado ihi-ahe ri.
 "Uhe mo, tosi he nuru doti utitoke sugi, hata, mutukari tamaha m to ya! Sa'ru maziki kokoro to mi ne ba, ayahusi."
 nado, Ukon ni katarahi te warahi tamahu. Ito aigyau-duki, wokasiki ke sahe sohi tamahe ri.
 Ima ha Ohoyake ni tukahe, isogasiki ohom-arisama ni mo ara nu ohom-mi ni te, yo-no-naka nodoyaka ni obosa ruru mama ni, tada hakanaki ohom-tahabure-goto wo notamahi, wokasiku hito no kokoro wo mi tamahu amari ni, kakaru huru-bito wo sahe zo tahabure tamahu.
 "Kano tadune-ide tari kem ya, nani-zama no hito zo? Tahutoki sugyauzya katarahi te, wi te ki taru ka?"
 to tohi tamahe ba,
 "Ana, migurusi ya! Hakanaku kiye tamahi ni si Yuhugaho no tuyu no ohom-yukari wo nam, mi tamahe tuke tari si."
 to kikoyu.
 "Geni, ahare nari keru koto kana! Tosi-goro ha iduku ni ka?"
 to notamahe ba, ari no mama ni ha kikoye nikuku te,
 "Ayasiki yama-zato ni nam. Mukasi-bito mo katahe ha kahara de haberi kere ba, sono yo no monogatari si ide haberi te, tahe gataku omohi tamahe ri si."
 nado kikoye wi tari.
 "Yosi, kokoro siri tamaha nu ohom-atari ni."
 to, kakusi kikoye tamahe ba, Uhe,
 "Ana, wadurahasi. Nebutaki ni, kiki-iru beku mo ara nu mono wo."
 tote, ohom-sode si te ohom-mimi hutagi tamahi tu.
 "Katati nado ha, kano mukasi no Yuhugaho to otora zi ya?"
 nado notamahe ba,
 "Kanarazu sa si mo ikade ka monosi tamaha m to omohi tamahe tari si wo, koyonau koso ohi masari te miye tamahi sika!"
 to kikoyure ba,
 "Wokasi no koto ya! Tare bakari to oboyu? Kono Kimi to."
 to notamahe ba,
 "Ikade ka, sa made ha."
 to kikoyure ba,
 "Sitari-gaho ni koso omohu bekere. Ware ni ni tara ba, si mo, usiroyasusi kasi."
 to, oya-meki te notamahu.

 かく聞きそめてのちは、召し放しつつ、
「さらば、かの人、このわたりに渡いたてまつらむ。年ごろ、もののついでごとに、口惜しう惑はしつることを思ひ出でつるに、いとうれしく聞き出でながら、今までおぼつかなきも、かひなきことになむ。
父大臣には、何か知られむ。いとあまたもて騒がるめるが、数ならで、今はじめ立ち交じりたらむが、なかなかなることこそあらめ。我は、かうさうざうしきに、おぼえぬ所より尋ね出だしたるとも言はむかし。好き者どもの心尽くさするくさはひにて、いといたうもてなさむ」
など語らひたまへば、かつがついとうれしく思ひつつ、
「ただ御心になむ。大臣に知らせたてまつらむとも、誰かは伝へほのめかしたまはむ。いたづらに過ぎものしたまひし代はりには、ともかくも引き助けさせたまはむことこそは、罪軽ませたまはめ」
と聞こゆ。
「いたうもかこちなすかな」
と、ほほ笑みながら、涙ぐみたまへり。
「あはれに、はかなかりける契りとなむ、年ごろ思ひわたる。かくて集へる1053方々のなかに、かの折の心ざしばかり思ひとどむる人なかりしを、命長くて、わが心長さをも見はべるたぐひ多かめるなかに、いふかひなくて、右近ばかりを形見に見るは、口惜しくなむ。思ひ忘るる時なきに、さてものしたまはば、いとこそ本意かなふ心地すべけれ」
とて、御消息たてまつれたまふ。かの末摘花のいふかひなかりしを思し出づれば、さやうに沈みて生ひ出でたらむ人のありさまうしろめたくて、まづ、文のけしきゆかしく思さるるなりけり。ものまめやかに、あるべかしく書きたまひて、端に、
「かく聞こゆるを、
知らずとも尋ねて知らむ三島江に
生ふる三稜の筋は1054絶えじを」
となむありける。
御文、みづからまかでて、のたまふさまなど聞こゆ。御装束、人々の料などさまざまあり。上にも語らひきこえたまへるなるべし、御匣殿などにも、設けの物召し集めて、色あひ、しざまなど、ことなるをと、選らせたまへれば、田舎びたる目どもには、まして珍らしきまでなむ思ひける。

 [4-3 源氏、玉鬘を六条院へ迎える]
このように聞き初めてから後は、幾度もお召しになっては、
「それでは、その人を、ここにお迎え申そう。長年、何かの折ごとに、残念にも行く方がわからなくなったことを思い出していたが、とても嬉しく聞き出しながら、今まで会わないでいるのも、つまらなことだ。
父の大臣には、どうして知らせる必要があろうか。たいそう大勢の子どもたちに大騷ぎしているようであるが、数ならぬ身で、今初めて仲間入りしたところで、かえってつらい思いをすることであろう。わたしは、このように子どもが少ないので、思いがけない所から捜し出したとでも言っておこうよ。好色者たちに気をもませる種として、たいそう大切にお世話しよう」
などとうまくおっしゃるので、一方では嬉しく思うものの、
「ただお心のままにどうぞ。父大臣にお知らせ申すとしても、どなたがお耳にお入れなさいましょう。むなしくお亡くなりになった方の代わりに、何としてでもお助けあそばすことが、罪滅ぼしあそばすことになりましょう」
と申し上げる。
「ひどく言いがかりをつけますね」
と、苦笑いしながら、涙ぐんでいらっしゃる。
「しみじみと、感慨深い関係であったと、長年思っていた。このように六条院に集っている方々の中に、あの時のように気持ちを惹かれる人はなかったが、長生きをして、自分の愛情の変わらなさを見ております人々が多くいる中で、言っても詮ないことになってしまい、右近だけを形見として見ているのは、残念なことだ。忘れる時もないが、そのようにここにいらしてくれたら、たいそう長年の願いが叶う気持ちがするに違いない」
と言って、お手紙を差し上げなさる。あの末摘花の何とも言いようもなかったのをお思い出しになると、そのように落ちぶれた境遇で育ったような人の様子が不安になって、まずは、手紙の様子がどんなものかと思わずにはいらっしゃれないのであった。きまじめに、それにふさわしくお認めになって、端の方に、
「このようにお便り申し上げますのを、
今はご存知なくともやがて聞けばおわかりになりましょう
三島江に生えている三稜のようにわたしとあなたは縁のある関係なのですから」
とあったのであった。
お手紙は、右近みずから持参して、おっしゃる様子などを申し上げる。ご装束、女房たちの物などいろいろとある。紫の上にもご相談申し上げられたのであろう、御匣殿などでも、用意してある品物を取り集めて、色あいや、出来具合などのよい物をと、選ばせなさったので、田舎じみた人々の目には、ひとしお目を見張るほどに思ったのであった。

 [4-3 Genji wants to welcome Tamakazura to his Rokujo-in]
 Kaku kiki-some te moti ha, mesi-hanati tutu,
 "Saraba, kano hito, kono watari ni watai tatematura m. Tosi-goro, mono no tuide goto ni, kutiwosiu madohasi turu koto wo omohi-ide turu ni, ito uresiku kiki-ide nagara, ima made obotukanaki mo, kahi-naki koto ni nam.
 Titi-Otodo ni ha, nani ka sira re m? Ito amata mote-sawaga ru meru ga, kazu nara de, ima hazime tati-maziri tara m ga, naka-naka naru koto koso ara me. Ware ha, kau sau-zausiki ni, oboye nu tokoro yori tadune idasi taru to mo iha m kasi. Suki-mono-domo no kokoro tukusa suru kusahahi ni te, ito itau motenasa m."
 nado katarahi tamahe ba, katu-gatu ito uresiku omohi tutu,
 "Tada mi-kokoro ni nam. Otodo ni sira se tatematura m to mo, tare ka ha tutahe honomekasi tamaha m? Itadura ni sugi monosi tamahi si kahari ni ha, tomo-kaku-mo hiki-tasuke sase tamaha m koto koso ha, tumi karoma se tamaha me."
 to kikoyu.
 "Itau mo kakoti-nasu kana!"
 to, hohowemi nagara, namida-gumi tamahe ri.
 "Ahare ni, hakanakari keru tigiri to nam, tosi-goro omohi-wataru. Kakute tudohe ru kata-gata no naka ni, kano wori no kokorozasi bakari omohi todomuru hito nakari si wo, inoti nagaku te, waga kokoro-nagasa wo mo mi haberu taguhi ohoka'meru naka ni, ihu-kahi naku te, Ukon bakari wo katami ni miru ha, kutiwosiku nam. Omohi wasururu toki naki ni, sate monosi tamaha ba, ito koso ho'i kanahu kokoti su bekere."
 tote, ohom-seusoko tatemature tamahu. Kano Suwetumuhana no ihu-kahi nakari si wo obosi-idure ba, sayau ni sidumi te ohi-ide tara m hito no arisama usirometaku te, madu, humi no kesiki yukasiku obosa ruru nari keri. Mono mameyaka ni, aru bekasiku kaki tamahi te, hasi ni,
 "Kaku kikoyuru wo,
 Sira zu to mo tadune te sira m Misima-e ni
 ohuru mikuri no sudi ha taye zi wo
"
 to nam ari keru.
 Ohom-humi, midukara makade te, notamahu sama nado kikoyu. Ohom-sauzoku, hito-bito no reu nado sama-zama ari. Uhe ni mo katarahi kikoye tamahe ru naru besi, mi-kusige-dono nado ni mo, mauke no mono mesi atume te, iro-ahi, si-zama nado, koto naru wo to, era se tamahe re ba, winaka-bi taru me-domo ni ha, masite medurasiki made nam omohi keru.

 正身は、
「ただかことばかりにても、まことの親の御けはひならばこそうれしからめ。いかでか知らぬ人の御あたりには交じらはむ」
と、おもむけて、苦しげに思したれど、あるべきさまを、右近聞こえ知らせ、人々も、
「おのづから、さて人だちたまひなば、大臣の君も尋ね知りきこえたまひなむ。親子の御契りは、絶えて止まぬものなり」
「右近が、数にもはべらず、いかでか御覧じつけられむと思ひたまへしだに、仏神の御導きはべらざりけりや。まして、誰も誰もたひらかにだにおはしまさば」
と、皆聞こえ慰む。
「まづ御返りを」と、責めて書かせたてまつる。
「いとこよなく田舎びたらむものを」
と恥づかしく思いたり。唐の紙のいと香ばしきを取り出でて、書かせたてまつる。
「数ならぬ三稜や何の筋なれば
憂きにしもかく根をとどめけむ」
とのみ、ほのかなり。手は、はかなだち、よろぼはしけれど、あてはかにて口惜しからねば、御心落ちゐにけり。
住みたまふべき御かた御覧ずるに、
「南の町には、いたづらなる対どもなど1055なし。勢ひことに住み満ちたまへれば、顕証に人しげくもあるべし。中宮のおはします1056町は、かやうの人も住みぬべく、のどやかなれど、さてさぶらふ人の列にや聞きなさむ」と思して、「すこし埋れたれど、丑寅の町の西の対、文殿にてあるを、異方へ移して」と思す。
「あひ住みにも、忍びやかに心よくものしたまふ御方なれば、うち語らひてもありなむ」
と思しおきつ。

 [4-4 玉鬘、源氏に和歌を返す]
ご本人は、
「ほんの申し訳程度でも、実の親のお気持ちならば、どんなにか嬉しいであろう。どうして知らない方の所に出て行けよう」
と、ほのめかして、苦しそうに悩んでいたが、とるべき態度を、右近が申し上げ教え、女房たちも、
「自然と、そのようにしてあちらで一人前の姫君となられたら、大臣の君もお聞きつけになられるでしょう。親子のご縁は、けっして切れるものではありません」
「右近が、物の数ではございませんが、ぜひともお目にかかりたいと念じておりましたのさえ、仏神のお導きがございませんでしたか。まして、どなたもどなたも無事でさえいらしたら」
と、皆がお慰め申し上げる。
「まずは、お返事を」と、無理にお書かせ申し上げる。
「とてもひどく田舎じみているだろう」
と恥ずかしくお思いであった。唐の紙でたいそうよい香りのを取り出して、お書かせ申し上げる。
「物の数でもないこの身はどうして
三稜のようにこの世に生まれて来たのでしょう」
とだけ、墨付き薄く書いてある。筆跡は、かぼそげにたどたどしいが、上品で見苦しくないので、ご安心なさった。
お住まいになるべき部屋をお考えになると、
「南の町には、空いている対の屋などはない。威勢も特別でいっぱいに使っていらっしゃるので、目立つし人目も多いことだろう。中宮のいらっしゃる町は、このような人が住むのに適してのんびりしているが、そうするとそこにお仕えする女房と同じように思われるだろう」とお考えになって、「少し埋もれた感じだが、丑寅の町の西の対が、文殿になっているのを、他の場所に移して」とお考えになる。
「一緒に住むことになっても、慎ましく気立てのよいお方だから、話相手になってよいだろう」
とお決めになった。

 [4-4 Tamakazura answers waka to Genji]
 Sauzimi ha,
 "Tada kakoto bakari ni te mo, makoto no oya no ohom-kehahi nara ba koso uresikara me. Ikade ka sira nu hito no ohom-atari ni ha mazira ha m?"
 to, omomuke te, kurusi-ge ni obosi tare do, aru beki sama wo, Ukon kikoye sira se, hito-bito mo,
 "Onodukara, sate hito-dati tamahi na ba, Otodo-no-Kimi mo tadune siri kikoye tamahi na m. Oya-ko no ohom-tigiri ha, taye te yama nu mono nari."
 "Ukon ga, kazu ni mo habera zu, ikade ka go-ran-zi tuke rare m to omohi tamahe si dani, Hotoke Kami no ohom-mitibiki habera zari keri ya? Masite, tare mo tare mo tahiraka ni dani ohasimasa ba."
 to mina kikoye nagusamu.
 "Madu ohom-kaheri wo." to, seme te kaka se tatematuru.
 "Ito koyonaku winaka-bi tara m mono wo."
 to hadukasiku oboi tari. Kara no kami no ito kau-basiki wo tori-ide te, kaka se tatematuru.
 "Kazu nara nu mikuri ya nani no sudi nare ba
 uki ni si mo kaku ne wo todome kem
"
 to nomi, honoka nari. Te ha, hakana-dati, yorobohasikere do, ate-haka ni te kutiwosikara ne ba, mi-kokoro oti-wi ni keri.
 Sumi tamahu beki ohom-kata go-ran-zuru ni,
 "Minami no mati ni ha, itadura naru tai-domo nado nasi. Ikihohi koto ni sumi miti tamahe re ba, keseu ni hito sigeku mo aru besi. Tiuguu ohasimasu mati ha, kayau no hito mo sumi nu beku, nodoyaka nare do, sate saburahu hito no tura ni ya kiki-nasa m." to obosi te, "Sukosi mumore tare do, Usitora-no-Mati no nisi-no-tai, hu-dono ni te aru wo, koto-kata he utusi te." to obosu.
 "Ahi-zumi ni mo, sinobiyaka ni kokoro-yoku monosi tamahu ohom-kata nare ba, uti-katarahi te mo ari na m."
 to obosi-oki tu.

 上にも、今ぞ、かのありし昔の世の物語聞こえ出でたまひける。かく御心に籠めたまふことありけるを、恨みきこえたまふ。
「わりなしや。世にある人の上とてや、問はず語りは聞こえ出でむ。かかるついでに隔てぬこそは、人にはことには思ひきこゆれ」
とて、いとあはれげに思し出でたり。
「人の上にてもあまた見しに、いと思はぬなかも、女といふものの心深きをあまた見聞きしかば、さらに好き好きしき心はつかはじとなむ思ひしを、おのづからさるまじきをもあまた見しなかに、あはれとひたぶるにらうたきかたは、またたぐひなくなむ思ひ出でらるる。世にあらましかば、北の町にものする人の並には、などか見ざらまじ。人のありさま、とりどりになむありける。かどかどしう、をかしき筋などはおくれたりしかども、あてはかにらうたくもありしかな」
などのたまふ。
「さりとも、明石のなみには、立ち並べたまはざらまし」
とのたまふ。なほ北の御殿をば、めざましと心置きたまへり。姫君の、いとうつくしげにて、何心もなく聞きたまふが、らうたければ、また、「ことわりぞかし」と思し返さる。

 [4-5 源氏、紫の上に夕顔について語る]
紫の上にも、今初めて、あの昔の話をお話し申し上げたのであった。このようお心に秘めていらしたことがあったのを、お恨み申し上げなさる。
「困ったことですね。生きている人の身の上でも、問わず語りは申したりしましょうか。このような時に、隠さず申し上げるのは、他の人以上にあなたを愛しているからです」
と言って、とてもしみじみとお思い出しになっていた。
「他人の身の上として大勢見て来たが、ほれほどにも思わなかった中でも、女性というものの愛執の深さを多数見たり聞いたりしてきましたので、少しも浮気心はつかうまいと思っていたが、いつの間にかそうあってはならなかった女を多数相手にした中で、しみじみとひたすらかわいらしく思えた方では、他に例がなく思い出されます。生きていたならば、北の町におられる人と同じくらいには、世話しないことはなかったでしょう。人の有様は、いろいろですね。才気があり趣味の深い点では劣っていたが、上品でかわいらしかったなあ」
などとおっしゃる。
「そうは言っても、明石の方と同じようには、お扱いなさらないでしょう」
とおっしゃる。やはり、北の殿の御方を、気にさわる者とお思いであった。姫君が、とてもかわいらしげに何心もなく聞いていらっしゃるのが、いじらしいので、また一方では、「もっともなことだわ」と思い返しなさる。

 [4-5 Genji talks about Tamakazura's mother to Murasaki]
 Uhe ni mo, ima zo, kano ari si mukasi no yo no monogatari kikoye-ide tamahi keru. Kaku mi-kokoro ni kome tamahu koto ari keru wo, urami kikoye tamahu.
 "Warinasi ya! Yo ni aru hito no uhe tote ya, toha-zu-gatari ha kikoye-ide m? Kakaru tuide ni hedate nu koso ha, hito ni ha koto ni omohi kikoyure."
 tote, ito aharege ni obosi-ide tari.
 "Hito no uhe ni te mo amata mi si ni, ito omoha nu naka ni mo, womna to ihu mono no kokoro-hukaki wo amata mi kiki sika ba, sarani suki-zukisiki kokoro ha tukaha zi to nam omohi si wo, onodukara sa'ru maziki wo mo amata mi si naka ni, ahare to hitaburu ni rautaki kata ha, mata taguhi naku nam omohi-ide raruru. Yo ni aramasika ba, Kita-no-Mati ni monosuru hito no nami ni ha, nado ka mi zara masi. Hito no arisama, tori-dori ni nam ari keru. Kado-kadosiu, wokasiki sudi nado ha okure tari sika do mo, atehaka ni rautaku mo ari si kana!"
 nado notamahu.
 "Sa'ri to mo, Akasi no nami ni ha, tati-narabe tamaha zara masi."
 to notamahu. Naho Kita-no-Otodo wo ba, mezamasi to kokoro-oki tamahe ri. Hime-Gimi no, ito utukusige ni te, nani-gokoro mo naku kiki tamahu ga, rautakere ba, mata, "Kotowari zo kasi." to obosi-kahesa ru.

 かくいふは、九月のことなりけり。渡り1057たまはむこと、すがすがしくもいかでかはあらむ。よろしき童女、若人など求めさす。筑紫にては、口惜しからぬ人々も、京より散りぼひ来たるなどを、たよりにつけて呼び集めなどしてさぶらはせ1058しも、にはかに惑ひ出でたまひし騷ぎに、皆おくらしてければ、また人もなし。京はおのづから広き所なれば、市女などやうのもの、いとよく求めつつ、率て来1059。その人の御子などは知らせざりけり。
右近が里の五条に、まづ忍びて渡したてまつりて、人々選りととのへ、装束ととのへなどして、十月にぞ渡りたまふ。
大臣、東の御方に聞こえつけたてまつりたまふ。
「あはれと思ひし人の、ものうじして、はかなき山里に隠れゐにけるを、幼き人のありしかば、年ごろも人知れず尋ねはべりしかども、え聞き出ででなむ、をうなになるまで1060過ぎにけるを、おぼえぬかたよりなむ、聞きつけたる時にだにとて、移ろはしはべるなり」とて、「母も亡くなりにけり。中将を聞こえつけたるに、悪しくやはある。同じごと後見たまへ。山賤めきて生ひ出でたれば、鄙びたること多からむ。さるべく、ことに触れて教へたまへ」
と、いとこまやかに聞こえたまふ。
「げに、かかる人のおはしけるを、知りきこえざりけるよ。姫君の一所ものしたまふがさうざうしきに、よきことかな」
と、おいらかにのたまふ。
「かの親なりし人は、心なむありがたきまでよかりし。御心もうしろやすく思ひきこゆれば」
などのたまふ。
「つきづきしく後む人なども、こと多からで、つれづれにはべるを、うれしかるべきこと」
になむのたまふ。
殿のうちの人は、御女とも知らで、
「何人、また尋ね出でたまへるならむ」
「むつかしき古者扱ひかな」
と言ひけり。
御車三つばかりして、人の姿どもなど、右近あれば、田舎びず仕立てたり。殿よりぞ、綾、何くれとたてまつれたまへる。

 [4-6 玉鬘、六条院に入る]
こういう話は、九月のことなのであった。お渡りになることは、どうしてすらすらと事が運ぼうか。適当な童女や、若い女房たちを探させる。筑紫では、見苦しくない人々も、京から流れて下って来た人などを、縁故をたどって呼び集めなどして仕えさせていたのも、急に飛び出して上京なさった騒ぎに、皆を残して来たので、また他に女房もいない。京は自然と広い所なので、市女などのような者を、たいそううまく使っては探し出して、連れて来る。誰それの姫君などとは知らせなかったのであった。
右近の実家の五条の家に、最初こっそりとお移し申し上げて、女房たちを選びすぐり、装束を調えたりして、十月に六条院にお移りになる。
大臣は、東の御方にお預け申し上げなさる。
「いとしいと思っていた女が、気落ちして、たよりない山里に隠れ住んでいたのだが、幼い子がいたので、長年人に知らせず捜しておりましたが、聞き出すことが出来ませんで、年頃の女性になるまで過ぎてしまったが、思いがけない方面から、聞きつけた時には、せめてと思って、お引き取りするのでございます」と言って、「母も亡くなってしまったのです。中将をお預け申し上げましたが、不都合ありませんね。同じようにお世話なさってください。山家育ちのように成長してきたので、田舎めいたことが多くございましょう。しかるべく、機会にふれて教えてやってください」
と、とても丁寧にお頼み申し上げなさる。
「なるほど、そのような人がいらっしゃるのを、存じませんでしたわ。姫君がお一人いらっしゃるのは寂しいので、よいことですわ」
と、おおようにおっしゃる。
「その母親だった人は、気立てがめったにいないまでによい人でした。あなたの気立ても安心にお思い申しておりますので」
などとおっしゃる。
「相応しくお世話している人などと言っても、面倒がかからず、暇でおりますので、嬉しいことですわ」
とおっしゃる。
殿の内の女房たちは、殿の姫君とも知らないで、
「どのような女を、また捜し出して来られたのでしょう」
「厄介な昔の女性をお集めになることですわ」
と言った。
お車を三台ほどで、お供の人々の姿などは、右近がいたので、田舎くさくないように仕立ててあった。殿から、綾や、何やかやかとお贈りなさっていた。

 [4-6 Tamakazura enters the Rokujo-in]
 Kaku ihu ha, Naga-tuki no koto nari keri. Watari tamaha m koto, suga-sugasiku mo ikade ka ha ara m. Yorosiki waraha, waka-udo nado motome sasu. Tukusi ni te ha, kutiwosikara nu hito-bito mo, Kyau yori tiribohi ki taru nado wo, tayori ni tuke te yobi atume nado si te saburaha se si mo, nihaka ni madohi-ide tamahi si sawagi ni, mina okurasi te kere ba, mata hito mo nasi. Kyau ha onodukara hiroki tokoro nare ba, iti-me nado yau no mono, ito yoku motome tutu, wi te ku. Sono hito no mi-ko nado ha sira se zari keri.
 Ukon ga sato no Go-deu ni, madu sinobi te watasi tatematuri te, hito-bito eri totonohe, sauzoku totonohe nado si te, Kamna-duki ni zo watari tamahu.
 Otodo, Himgasi-no-Ohomkata ni kikoye tuke tatematuri tamahu.
 "Ahare to omohi si hito no, mono-u'-zi si te, hakanaki yama-zato ni kakure wi ni keru wo, wosanaki hito no ari sika ba, tosi-goro mo hito sire zu tadune haberi sika do mo, e kiki-ide de nam, womna ni naru made sugi ni keru wo, oboye nu kata yori nam, kiki-tuke taru toki ni dani tote, uturohasi haberu nari." tote, "Haha mo nakunari ni keri. Tiuzyau wo kikoye tuke taru ni, asiku ya ha aru? Onazi goto usiromi tamahe. Yamagatu meki te ohi-ide tare ba, hinabi taru koto ohokara m. Sa'ru beku, koto ni hure te wosihe tamahe."
 to, ito komayaka ni kikoye tamahu.
 "Geni, kakaru hito no ohasi keru wo, siri kikoye zari keru yo. Hime-Gimi no hito tokoro monosi tamahu ga sau-zausiki ni, yoki koto kana!"
 to, oiraka ni notamahu.
 "Kano oya nari si hito ha, kokoro nam arigataki made yokari si. Mi-kokoro mo usiro-yasuku omohi kikoyure ba."
 nado notamahu.
 "Tuki-dukisiku usiromu hito nado mo, koto ohokara de, ture-dure ni haberu wo, uresikaru beki koto."
 ni nam notamahu.
 Tono no uti no hito ha, mi-musume to mo sira de,
 "Nani-bito, mata tadune ide tamahe ru nara m?"
 "Mutukasiki huru-mono atukahi kana!"
 to ihi keri.
 Mi-kuruma mi-tu bakari si te, hito no sugata-domo nado, Ukon are ba, winaka-bi zu sitate tari. Tono yori zo, aya, nani-kure to tatemature tamahe ru.

 その夜、やがて大臣の君渡りたまへり。昔、光る源氏などいふ御名は、聞きわたりたてまつりしかど、年ごろのうひうひしさに、さしも思ひきこえざりけるを、ほのかなる大殿油に、御几帳のほころびよりはつかに見たてまつる、いとど恐ろしくさへぞおぼゆるや。
渡りたまふ方の戸を、右近かい放てば、
「この戸口に入るべき人は、心ことにこそ」
と笑ひたまひて、廂なる御座についゐたまひて、
「燈こそ、いと懸想びたる心地すれ。親の顔はゆかしきものとこそ聞け。さも思さぬか」
とて、几帳すこし押しやりたまふ。わりなく恥づかしければ、そばみておはする様体など、いとめやすく見ゆれば、うれしくて、
「今すこし、光見せむや。あまり心にくし」
とのたまへば、右近、かかげてすこし寄す。
「おもなの人や」
とすこし笑ひたまふ。げにとおぼゆる御まみの恥づかしげさなり。いささかも異人と隔てあるさまにものたまひなさず、いみじく親めきて、
「年ごろ御行方を知らで、心にかけぬ隙なく嘆きはべるを、かうて見たてまつるにつけても、夢の心地して、過ぎにし方のことども取り添へ、忍びがたきに、えなむ聞こえられざりける」
とて、御目おし拭ひたまふ。まことに悲しう思し出でらる。御年のほど、数へたまひて、
「親子の仲の、かく年経たるたぐひあらじものを。契りつらくもありけるかな。今は、ものうひうひしく、若びたまふべき御ほどにもあらじを、年ごろの御物語など聞こえまほしきに、などかおぼつかなくは」
と恨みたまふに、聞こえむこともなく、恥づかしければ、
「脚立たず沈み1061そめはべりにけるのち、何ごともあるかなきかになむ」
と、ほのかに聞こえたまふ声ぞ、昔人にいとよくおぼえて若びたりける。ほほ笑みて、
「沈みたまひけるを、あはれとも、今は、また誰かは」
とて、心ばへいふかひなくはあらぬ御応へと思す。右近に、あるべきことのたまはせて、渡りたまひぬ。

 [4-7 源氏、玉鬘に対面する]
その夜、さっそく大臣の君がお渡りになった。その昔、光る源氏などといった評判は、始終お聞き知り申し上げていたが、長年都の生活に縁がなかったので、それほどともお思い申していなかったが、かすかな大殿油の光に、御几帳の隙間からわずかに拝見すると、ますます恐ろしいまでに思われるお美しさであるよ。
お渡りになる方の戸を、右近が掛け金を外して開けると、
「この戸口から入れる人は、特別な気がしますね」
とお笑いになって、廂の間のご座所に膝をおつきになって、
「燈火は、とても懸想人めいた心地がするな。親の顔は見たいものと聞いている。そうお思いなさらないかね」
と言って、几帳を少し押しやりなさる。たまらなく恥ずかしいので、横を向いていらっしゃる姿態など、たいそう難なく見えるので、嬉しくて、
「もう少し、明るくしてくれませんか。あまりに奥ゆかしすぎる」
とおっしゃるので、右近が、燈芯をかき立てて少し近付ける。
「遠慮のない人だね」
と少しお笑いになる。なるほど似ていると思われるお目もとの美しさである。少しも他人として隔て置くようにおっしゃらず、まことに実の親らしくして、
「長年お行く方も知らないで、心から忘れる間もなく嘆いておりましたが、こうしてお目にかかれたにつけても、夢のような心地がして、過ぎ去った昔のことがいろいろと思い出されて、堪えがたくて、すらすらとお話もできないほどですね」
と言って、お目をお拭いになる。ほんとうに悲しく思い出さずにはいられない。お年のほど、お数えになって、
「親子の仲で、このように長年会わずに過ぎた例はあるまいものを。宿縁のつらいことであったよ。今は、恥ずかしがって、子供っぽくなさるほどのお年でもあるまいから、長年のお話なども申し上げたいのだが、どうして何もおっしゃってくださらぬのか」
とお恨みになると、申し上げることもなく、恥ずかしいので、
「幼いころに流浪するようになってから後、何ごとも頼りなく過ごして来ました」
と、かすかに申し上げなさるお声が、亡くなった母にたいそうよく似て若々しい感じであった。微笑して、
「苦労していらっしゃったのを、かわいそうにと、今は、わたしの他に誰が思いましょう」
と言って、嗜みのほどは悪くはないとお思いになる。右近に、しかるべき事柄をお命じになって、出て行かれた。

 [4-7 Genji meets Tamakazura]
 Sono yo, yagate Otodo-no-Kimi watari tamahe ri. Mukasi, Hikaru-Gwenzi nado ihu ohom-na ha, kiki-watari tatematuri sika do, tosi-goro no uhi-uhisisa ni, sa si mo omohi kikoye zari keru wo, honoka naru ohotonabura ni, mi-kityau no hokorobi yori hatuka ni mi tatematuru, itodo osorosiku sahe zo oboyuru ya!
 Watari tamahu kata no to wo, Ukon kai-hanate ba,
 "Kono to-guti ni iru beki hito ha, kokoro koto ni koso."
 to warahi tamahi te, hisasi naru o-masi ni tui-wi tamahi te,
 "Hi koso, ito kesau-bi taru kokoti sure. Oya no kaho ha, yukasiki mono to koso kike. Sa mo obosa nu ka."
 tote, kityau sukosi osi-yari tamahu. Wari naku hadukasikere ba, sobami te ohasuru yaudai nado, ito meyasuku miyure ba, uresiku te,
 "Ima sukosi, hikari mise m ya? Amari kokoro-nikusi."
 to notamahe ba, Ukon, kakage te sukosi yosu.
 "Omona no hito ya!"
 to sukosi warahi tamahu. Geni to oboyuru ohom-mami no hadukasige sa nari. Isasaka mo koto-bito to hedate aru sama ni mo notamahi nasa zu, imiziku oya-meki te,
 "Tosi-goro ohom-yukuhe wo sira de, kokoro ni kake nu hima naku nageki haberu wo, kau te mi tatematuru ni tuke te mo, yume no kokoti si te, sugi ni si kata no koto-domo tori-sohe, sinobi gataki ni, e nam kikoye rare zari keru."
 tote, ohom-me osi-nogohi tamahu. Makoto ni kanasiu obosi-ide raru. Ohom-tosi no hodo, kazohe tamahi te,
 "Oya-ko no naka no, kaku tosi he taru taguhi ara zi mono wo. Tigiri turaku mo ari keru kana! Ima ha, mono uhi-uhisiku, wakabi tamahu beki ohom-hodo ni mo ara zi wo, tosi-goro no ohom-monogatari nado kikoye mahosiki ni, nado ka obotukanaku ha."
 to urami tamahu ni, kikoye m koto mo naku, hadukasikere ba,
 "Asi tata zu sidumi some haberi ni keru noti, nani-goto mo aru ka naki ka ni nam."
 to, honoka ni kikoye tamahu kowe zo, mukasi-bito ni ito yoku oboye te wakabi tari keru. Hohowemi te,
 "Sidumi tamahi keru wo, ahare to mo, ima ha, mata tare ka ha?"
 tote, kokorobahe ihukahi naku ha ara nu ohom-irahe to obosu. Ukon ni, aru beki koto notamahase te, watari tamahi nu.

 めやすくものしたまふを、うれしく思して、上にも語りきこえたまふ。
「さる山賤のなかに年経たれば、いかにいとほしげならむとあなづりしを、かへりて心恥づかしきまでなむ見ゆる。かかる者ありと、いかで人に知らせて、兵部卿宮などの、この籬のうち好ましうしたまふ心乱りにしがな。好き者どもの、いとうるはしだちてのみ、このわたりに見ゆるも、かかる者のくさはひのなきほどなり。いたうもてなしてしがな。猶うちあはぬ人のけしき見集めむ」
とのたまへば、
「あやしの人の親や。まづ人の心励まさむことを先に思すよ。けしからず」
とのたまふ。
「まことに君をこそ、今の心ならましかば、さやうにもてなして見つべかりけれ。いと無心にしなしてしわざぞかし」
とて、笑ひたまふに、面赤みておはする、いと若くをかしげなり。硯引き寄せたまうて、手習に、
「恋ひわたる身はそれなれど玉かづら
いかなる筋を尋ね来つらむ
あはれ」
と、やがて独りごちたまへば、「げに、深く思しける人の名残なめり」と見たまふ。

 [4-8 源氏、玉鬘の人物に満足する]
無難でいらっしゃったのを、嬉しくお思いになって、紫の上にもご相談申し上げなさる。
「ある田舎に長年住んでいたので、どんなにおかわいそうなと見くびっていたのでしたが、かえってこちらが恥ずかしくなるくらいに見えます。このような姫君がいると、何とか世間の人々に知らせて、兵部卿宮などが、この邸の内に好意を寄せていらっしゃる心を騒がしてみたいものだ。風流人たちが、たいそうまじめな顔ばかりして、ここに見えるのも、こうした話の種になる女性がいないからである。たいそう世話を焼いてみたいものだ。知っては平気ではいられない男たちの心を見てやろう」
とおっしゃると、
「変な親ですこと。まっさきに人の心をそそるようなことをお考えになるとは。よくありませんよ」
とおっしゃる。
「ほんとうにあなたをこそ、今のような気持ちだったならば、そのように扱って見たかったのですがね。まったく心ない考えをしてしまったものだ」
と言って、お笑いになると、顔を赤くしていらっしゃる、とても若く美しい様子である。硯を引き寄せなさって、手習いに、
「ずっと恋い慕っていたわが身は同じであるが
その娘はどのような縁でここに来たのであろうか
ああ、奇縁だ」
と、そのまま独り言をおっしゃっるので、「なるほど、深くお愛しになった女の忘れ形見なのだろう」と御覧になる。

 [4-8 Genji is satisfied with Tamakazura]
 Meyasuku monosi tamahu wo, uresiku obosi te, Uhe ni mo katari kikoye tamahu.
 "Saru yama-gatu no naka ni tosi he tare ba, ika ni itohosige nara m to anaduri si wo, kaheri te kokoro-hadukasiki made nam miyuru. Kakaru mono ari to, ikade hito ni sirase te, Hyaubukyau-no-Miya nado no, kono magaki no uti konomasiu si tamahu kokoro midari ni si gana. Suki-mono-domo no, ito uruhasi-dati te nomi, kono watari ni miyuru mo, kakaru mono no kusahahi no naki hodo nari. Itau motenasi te si gana! Naho uti aha nu hito no kesiki mi atume m."
 to notamahe ba,
 "Ayasi no hito no oya ya! Madu hito no kokoro hagemasa m koto wo saki ni obosu yo! Kesikara zu."
 to notamahu.
 "Makoto ni Kimi wo koso, ima no kokoro nara masika ba, sayau ni motenasi te mi tu bekari kere! Ito mu-zin ni si-nasi te si waza zo kasi."
 tote, warahi tamahu ni, omote akami te ohasuru, ito wakaku wokasige nari. Suzuri hiki-yose tamau te, tenarahi ni,
 "Kohi-wataru mi ha sore nare do tama-kadura
 ika naru sudi wo tadune ki tura m

 Ahare!"
 to, yagate hitori-goti tamahe ba, "Geni, hukaku obosi keru hito no nagori na'meri." to mi tamahu.

 中将の君にも、
「かかる人を尋ね出でたるを、用意して睦び訪らへ」
とのたまひければ、こなたに参うでたまひて、
「人数ならずとも、かかる者さぶらふと、まづ召し寄すべくなむはべりける。御渡りのほどにも、参り仕うまつらざりけること」
と、いとまめまめしう聞こえたまへば、かたはらいたきまで、心知れる人は思ふ。
心の限り尽くしたりし御住まひなりしかど、あさましう田舎びたりしも、たとしへなくぞ思ひ比べらるるや。御しつらひよりはじめ、今めかしう気高くて、親、はらからと睦びきこえたまふ御さま、容貌よりはじめ、目もあやにおぼゆるに、今ぞ、三条も大弐をあなづらはしく思ひける。まして、監が息ざしけはひ、思ひ出づるもゆゆしきこと限りなし。
豊後介の心ばへをありがたきものに君も思し知り、右近も思ひ言ふ。「おほぞうなるは、ことも怠りぬべし」とて、こなたの家司ども定め、あるべきことどもおきてさせたまふ。豊後介もなりぬ。
年ごろ田舎び沈みたりし心地に、にはかに名残もなく、いかでか、かりにても立ち出で見るべきよすがなくおぼえし大殿のうちを、朝夕に出で入りならし、人を従へ、事行なふ身となれば1062、いみじき面目と思ひけり。大臣の君の御心おきての、こまかにありがたうおはしますこと、いとかたじけなし。

 [4-9 玉鬘の六条院生活始まる]
中将の君にも、
「このような人を尋ね出したので、気をつけて親しく訪れなさい」
とおっしゃったので、こちらに参上なさって、
「つまらない者ですが、このような弟もいると、まずはお召しになるべきでございましたよ。お引っ越しの時にも、参上してお手伝い致しませんでしたことが」
と、たいそう実直にお申し上げになるので、側で聞いているのもきまりが悪いくらいに、事情を知っている女房たちは思う。
思う存分に数奇を凝らしたお住まいではあったが、あきれるくらい田舎びていたのが、何とも比べようもなく思われるよ。お部屋のしつらいをはじめとして、当世風で上品で、親、姉弟として親しくお付き合いさせていただいていらっしゃるご様子、容貌をはじめ、目もくらむほどに思われるので、今になって、三条も大弍を軽々しく思うのであった。まして、大夫の監の鼻息や態度は、思い出すのも忌ま忌ましいことこの上ない。
豊後介の心根を立派なものだと姫君もご理解なさりになり、右近もそう思って口にする。「いい加減にしていたのでは不行き届きも生じるだろう」と考えて、こちら方の家司たちを任命して、しかるべき事柄を決めさせなさる。豊後介も家司になった。
長年田舎に沈淪していた心地には、急にすっかり変わり、どうして、仮にも自分のような者が出入りできる縁さえないと思っていた大殿の内を、朝な夕なに出入りし、人を従えて、事務を行う身」となることができたのは、たいそう面目に思った。大臣の君のお心配りが、細かに行き届いて世にまたとないほどでいらっしゃることは、たいそうもったいない。

 [4-9 Tamakazura's new life begins in rokujo-in]
 Tiuzyau-no-Kimi ni mo,
 "Kakaru hito wo tadune-ide taru wo, youi si te mutubi toburahe."
 to notamahi kere ba, konata ni maude tamahi te,
 "Hito-kazu nara zu to mo, kakaru mono saburahu to, madu mesi-yosu beku nam haberi keru. Ohom-watari no hodo ni mo, mawiri tukau-matura zari keru koto."
 to, ito mame-mamesiu kikoye tamahe ba, kataharaitaki made, kokoro sire ru hito ha omohu.
 Kokoro no kagiri tukusi tari si ohom-sumahi nari sika do, asamasiu winaka-bi tari si mo, tatosihe naku zo omohi kurabe raruru ya! Ohom-siturahi yori hazime, imamekasiu kedakaku te, oya, harakara to mutubi kikoye tamahu ohom-sama, katati yori hazime, me mo aya ni oboyuru ni, ima zo, Samdeu mo Daini wo anadurahasiku omohi keru. Masite, Gen ga iki-zasi kehahi, omohi-iduru mo yuyusiki koto kagiri nasi.
 Bungo-no-Suke no kokorobahe wo arigataki mono ni Kimi mo obosi-siri, Ukon mo omohi ihu. "Ohozou naru ha, koto mo okotari nu besi." tote, konata no keisi-domo sadame, aru beki koto-domo okite se sase tamahu. Bungo-no-Suke mo nari nu.
 Tosi-goro winaka-bi tari si kokoti ni, nihaka ni nagori mo naku, ikade ka, kari ni te mo tati-ide miru beki yosuga naku oboye si Oho-Tono no uti wo, asa-yuhu ni ide-iri narasi, hito wo sitagahe, koto okonahu mi to nare ba, imiziki meiboku to omohi keri. Otodo-no-Kimi no mi-kokoro okite no, komaka ni arigatau ohasimasu koto, ito katazikenasi.

 年の暮に、御しつらひのこと、人々の装束など、やむごとなき御列に思しおきてたる、「かかりとも、田舎びたることや」と、山賤の方にあなづり推し量りきこえたまひて調じたるも、たてまつりたまふついでに、織物どもの、我も我もと、手を尽くして織りつつ持て参れる細長、小袿の、色々さまざまなるを御覧ずるに、
「いと多かりけるものどもかな。方々に、うらやみなくこそものすべかりけれ」
と、上に聞こえたまへば、御匣殿に仕うまつれるも、こなたにせさせたまへるも、皆取う出させたまへり。
かかる筋はた、いとすぐれて、世になき色あひ、匂ひを染めつけたまへば、ありがたしと思ひきこえたまふ。
ここかしこの擣殿より参らせたる擣物ども御覧じ比べて、濃き赤きなど、さまざまを選らせたまひつつ、御衣櫃、衣筥どもに入れさせたまうて、おとなびたる上臈どもさぶらひて、「これは、かれは」と取り具しつつ入る。上も見たまひて、
「いづれも、劣りまさるけぢめも見えぬものどもなめるを、着たまはむ人の御容貌に思ひよそへつつたてまつれたまへかし。着たる物のさまに似ぬは、ひがひがしくもありかし」
とのたまへば、大臣うち笑ひて、
「つれなくて、人の御容貌推し量らむの御心なめりな。さては、いづれをとか思す」
と聞こえたまへば、
「それも鏡にては、いかでか」
と、さすが恥ぢらひておはす。
紅梅のいと紋浮きたる葡萄染の御小袿、今様色のいとすぐれたるとは、かの御料。桜の細長に、つややかなる掻練取り添へては、姫君の御料なり。
浅縹の海賦の織物、織りざまなまめきたれど、匂ひやかならぬに、いと濃き掻練具して、夏の御方に。
曇りなく赤きに、山吹の花の細長は、かの西の対にたてまつれたまふを、上は見ぬやうにて思しあはす。「内の大臣の、はなやかに、あなきよげとは見えながら、なまめかしう見えたる方のまじらぬに似たるなめり」と、げに推し量らるる1063を、色には出だしたまはねど、殿見やりたまへるに、ただならず。
「いで、この容貌のよそへは、人腹立ちぬべきことなり。よきとても、物の色は限りあり、人の容貌は、おくれたるも、またなほ底ひあるものを」
とて、かの末摘花の御料に、柳の織物の、よしある唐草を乱れ織れるも、いとなまめきたれば、人知れずほほ笑まれたまふ。
梅の折枝、蝶、鳥1064、飛びちがひ、唐めいたる白き小袿に、濃きがつややかなる重ねて、明石の御方に。思ひやり気高きを、上はめざましと見たまふ。
空蝉の尼君に、青鈍の織物、いと心ばせあるを見つけたまひて、御料にある梔子の御衣、聴し色なる添へたまひて、同じ日着たまふべき御消息聞こえめぐらしたまふ。げに、似ついたる見むの御心なりけり。

 5 光る源氏の物語 末摘花の物語と和歌論 [5-1 歳末の衣配り]
年の暮に、お飾りのことや、女房たちの装束などを、高貴な夫人方と同じようにお考えおいたが、「器量はこうでも、田舎めいている点もありはしないか」と、山里育ちのように軽んじ想像申し上げなさって仕立てたのを、差し上げなさる折に、いろいろな織物を、我も我もと、技を競って織っては持って上がった細長や、小袿の、色とりどりでさまざまなのを御覧になると、
「たいそうたくさんの織物ですね。それぞれの方々に、羨みがないように分けてやるとよいですね」
と、紫の上にお申し上げなさると、御匣殿でお仕立て申したのも、こちらでお仕立てさせなさったのも、みな取り出させなさっていた。
このような方面のことはそれは、とても上手で、世に類のない色合いや、艶を染め出させなさるので、めったにいない人だとお思い申し上げになさる。
あちらこちらの擣殿から進上したいくつもの擣物をご比較なさって、濃い紫や赤色などを、さまざまお選びになっては、いくつもの御衣櫃や、衣箱に入れさせなさって、年配の上臈の女房たちが伺候して、「これは、あれは」と取り揃えて入れる。紫の上も御覧になって、
「どれもこれも、劣り勝りの見えないもののようですが、お召しになる人のご器量に似合うように選んで差し上げなさい。お召し物が似合わないのは、みっともないことですから」
とおっしゃると、大臣も笑って、
「それとなく、他の人たちのご器量を想像しようというおつもりのようですね。では、あなたはどれをご自分のにとお思いですか」
と申し上げなさると、
「それは鏡で見ただけでは、どうして決められましょうか」
と、そうは言ったものの恥ずかしがっていらっしゃる。
紅梅のたいそうくっきりと紋が浮き出た葡萄染の御小袿と、流行色のとても素晴らしいのは、こちらのお召し物。桜の細長に、艶のある掻練を取り添えたのは、姫君の御料である。
浅縹の海賦の織物で、織り方は優美であるが、鮮やかな色合いでないものに、たいそう濃い紅の掻練を付けて、夏の御方に。
曇りなく明るくて、山吹の花の細長は、あの西の対の方に差し上げなさるのを、紫の上は見ぬふりをして想像なさる。「内大臣が、はなやかで、ああ美しいと見える一方で、優美に見えるところがないのに似たのだろう」と、お言葉どおりだと推量されるのを、顔色にはお出しにならないが、殿がご覧やりなさると、ただならぬ関心を寄せているようである。
「いや、この器量比べは、当人の腹を立てるに違いないことだ。よいものだといっても、物の色には限りがあり、人の器量というものは、劣っていても、また一方でやはり奥底のあるものだから」
と言って、あの末摘花の御料に、柳の織物で、由緒ある唐草模様を乱れ織りにしたのも、とても優美なので、人知れず苦笑されなさる。
梅の折枝に、蝶や、鳥が、飛び交い、唐風の白い小袿に、濃い紫の艶のあるのを重ねて、明石の御方に。衣装から想像して気品があるのを、紫の上は憎らしいとお思いになる。
空蝉の尼君に、青鈍色の織物、たいそう気の利いたのを見つけなさって、御料にある梔子色の御衣で、聴し色なのをお添えになって、同じ元日にお召しになるようにとお手紙をもれなくお回しになる。なるほど、似合っているのを見ようというお心なのであった。

 5 Tale of Hikaru-Genji Genji's opinion about waka and the tale of Suetsumuhana [5-1 Present of kimono for Genji's wives in the end of the year]
 Tosi no kure ni, ohom-siturahi no koto, hito-bito no sauzoku nado, yamgotonaki ohom-tura ni obosi-oki te taru, "Kakari to mo, winaka-bi taru koto ya?" to, yamagatu no kata ni anaduri osihakari kikoye tamahi te teu-zi taru mo, tatematuri tamahu tuide ni, orimono-domo no, ware mo ware mo to, te wo tukusi te ori tutu mote mawire ru hoso-naga, ko-utiki no, iro-iro sama-zama naru wo go-ran-zuru ni,
 "Ito ohokari keru mono-domo kana! Kata-gata ni, urayami naku koso monosu bekari kere."
 to, Uhe ni kikoye tamahe ba, Mi-kusige-dono ni tukau-mature ru mo, konata ni se sase tamahe ru mo, mina tou-de sase tamahe ri.
 Kakaru sudi hata, ito sugure te, yo ni naki iro-ahi, nihohi wo some tuke tamahe ba, arigatasi to omohi kikoye tamahu.
 Koko kasiko no Uti-dono yori mawira se taru utimono-domo go-ran-zi kurabe te, koki akaki nado, sama-zama wo era se tamahi tutu, mi-zo-bitu, koromo-bako-domo ni ire sase tamau te, otonabi taru zyaurau-domo saburahi te, "Kore ha, kare ha." to tori-gusi tutu iru. Uhe mo mi tamahi te,
 "Idure mo, otori masaru kedime mo miye nu mono domo na'meru wo, ki tamaha m hito no ohom-katati ni omohi yosohe tutu tatemature tamahe kasi. Ki taru mono no sama ni ni nu ha, higa-higasiku mo ari kasi."
 to notamahe ba, Otodo uti-warahi te,
 "Turenaku te, hito no ohom-katati osihakara m no mi-kokoro na'meri na! Sate ha, idure wo to ka obosu."
 to kikoye tamahe ba,
 "Sore mo kagami ni te ha, ikade ka?"
 to, sasuga hadirahi te ohasu.
 Koubai no ito mon uki taru ebi-zome no ohom-koutiki, imayau-iro no ito sugure taru to ha, kano go-reu. Sakura no hoso-naga ni, tuyayaka naru kaineri tori-sohe te ha, Hime-Gimi no go-reu nari.
 Asa-hanada no kaihu no ori-mono, ori-zama namameki tare do, nihohiyaka nara nu ni, ito koki kaineri gu-si te, Natu no ohom-kata ni.
 Kumori naku akaki ni, yamabuki no hana no hoso-naga ha, kano Nisi-no-Tai ni tatemature tamahu wo, Uhe ha mi nu yau ni te obosi-ahasu. "Uti-no-Otodo no, hanayaka ni, ana kiyoge to ha miye nagara, namamekasiu miye taru kata no mazira nu ni ni taru na'meri." to, geni osihakara ruru wo, iro ni ha idasi tamahe ne do, Tono mi-yari tamahe ru ni, tada nara zu.
 "Ide, kono katati no yosohe ha, hito hara-dati nu beki koto nari. Yoki tote mo, mono no iro ha kagiri ari, hito no katati ha okure taru mo, mata naho sokohi aru mono wo."
 tote, kano Suwetumuhana no go-reu ni, yanagi no ori-mono no, yosi aru kara-kusa wo midare ore ru mo, ito namameki tare ba, hito-sire-zu hohowema re tamahu.
 Ume no wori-ede, tehu, tori, tobi-tigahi, kara-mei taru siroki ko-utiki ni, koki ga tuyayaka naru kasane te, Akasi-no-Ohomkata ni. Omohi-yari ke-dakaki wo, Uhe ha mezamasi to mi tamahu.
 Utusemi-no-Amagimi ni, awo-nibi no ori-mono, ito kokorobase aruwo, mituke tamahi te, go-reu ni aru kutinasi no ohom-zo, yurusi-iro naru sohe tamahi te, onazi hi ki tamahu beki ohom-seusoko kikoye megurasi tamahu. Geni, ni-tui taru mi m no mi-kokoro nari keri.

 皆、御返りどもただならず。御使の禄、心々なるに、末摘、東の院におはすれば、今すこしさし離れ、艶なるべきを、うるはしくものしたまふ人にて、あるべきことは違へたまはず、山吹の袿の、袖口いたくすすけたるを、うつほにてうち掛けたまへり。御文には、いとかうばしき陸奥紙の、すこし年経、厚きが黄ばみたるに、
「いでや、賜へるは、なかなかにこそ。
着てみれば恨みられけり唐衣
返しやりてむ袖を濡らして」
御手の筋、ことに奥よりにたり。いといたくほほ笑みたまひて、とみにもうち置きたまはねば、上、何ごとならむと見おこせたまへり。
御使にかづけたる物を、いと侘しくかたはらいたしと思して、御けしき悪しければ、すべりまかでぬ。いみじく、おのおのはささめき笑ひけり。かやうにわりなう古めかしう、かたはらいたきところのつきたまへるさかしらに、もてわづらひぬべう思す。恥づかしきまみなり。

 [5-2 末摘花の返歌]
すべて、お返事は並大抵ではない。お使いへの禄も、それぞれに気をつかっていたが、末摘花は、東院にいらっしゃるので、もう少し違って、一趣向あってしかるべきなのに、几帳面でいらっしゃる人柄で、定まった形式は違えなさらず、山吹の袿で、袖口がたいそう煤けているのを、下に衣も重ねずにお与えになった。お手紙には、とても香ばしい陸奥国紙で、少し古くなって厚く黄ばんでいる紙に、
「どうも、戴くのは、かえって恨めしゅうございまして。
着てみると恨めしく思われます、この唐衣は
お返ししましょう、涙で袖を濡らして」
ご筆跡は、特に古風であった。たいそう微笑を浮かべなさって、直ぐには手放しなさらないので、紫の上は、どうしたのかしらと覗き込みなさった。
お使いに取らせた物が、とてもみすぼらしく体裁が悪いとお思いになって、ご機嫌が悪かったので、御前をこっそり退出した。ひどく、ささやき合って笑うのであった。このようにむやみに古風に体裁の悪いところがおありになる振る舞いに、手を焼くのだとお思いになる。気恥ずかしくなる目もとである。

 [5-2 Suetsumuhana answers waka to Genji]
 Mina, ohom-kaheri-domo tada nara zu. Ohom-tukahi no roku, kokoro-gokoro naru ni, Suwetumu, Himgasi-no-Win ni ohasure ba, ima sukosi sasi-hanare, en naru beki wo, uruhasiku monosi tamahu hito ni te, aru beki koto ha tagahe tamaha zu, yamabuki no utiki no, sode-kuti itaku susuke taru wo, utuho ni uti-kake tamahe ri. Ohom-humi ni ha, ito kaubasiki mitinokuni-gami no, sukosi tosi he, atuki ga ki-bami taru ni,
 "Ide ya, tamahe ru ha, naka-naka ni koso.
 Ki te mire ba urami rare keri kara-goromo
 kahesi-yari te m sode wo nurasi te
"
 Ohom-te no sudi, koto ni au yori ni tari. Ito itaku hohowemi tamahi te, tomi ni mo uti-oki tamaha ne ba, Uhe, nani-goto nara m to mi-okose tamahe ri.
 Ohom-tukahi ni kaduke taru mono wo, ito wabisiku kataharaitasi to obosi te, mi-kesiki asikere ba, suberi makade nu. Imiziku, ono-ono ha sasameki warahi keri. Kayau ni warinau hurumekasiu, kataharaitaki tokoro no tuki tamahe ru sakasira ni, mote wadurahi nu beu obosu. Hadukasiki mami nari.

 「古代の歌詠みは、『唐衣』、『袂濡るる』かことこそ離れねな。まろも、その列ぞかし。さらに一筋にまつはれて、今めきたる言の葉にゆるぎたまはぬこそ、ねたきことは、はたあれ。人の中なることを、をりふし、御前などのわざとある歌詠みのなかにては、『円居』離れぬ三文字ぞかし。昔の懸想のをかしき挑みには、『あだ人』といふ五文字を、やすめどころにうち置きて、言の葉の続きたよりある心地すべかめり」
など笑ひたまふ。
「よろづの草子、歌枕、よく案内知り見尽くして、そのうちの言葉を取り出づるに、詠みつきたる筋こそ、強うは変はらざるべけれ。
常陸の親王の書き置きたまへりける紙屋紙の草子をこそ、見よとておこせたりしか。和歌の髄脳いと所狭う、病去るべきことろ多かりしかば、もとよりおくれたる方の、いとどなかなか動きすべくも見えざりしかば、むつかしくて返してき。よく案内知りたまへる人の口つきにては、目馴れてこそあれ」
とて、をかしく思いたるさまぞ、いとほしきや。
上、いとまめやかにて、
「などて、返したまひけむ。書きとどめて、姫君にも見せたてまつりたまふべかりけるものを。ここにも、もののなかなりしも、虫みな損なひてければ。見ぬ人はた、心ことにこそは遠かりけれ」
とのたまふ。
「姫君の御学問に、いと用なからむ。すべて女は、立てて好めることまうけてしみぬるは、さまよからぬことなり。何ごとも、いとつきなからむは口惜しからむ。ただ心の筋を、漂はしからずもてしづめおきて、なだらかならむのみなむ、めやすかるべかりける」
などのたまひて、返しは思しもかけねば、
「返しやりてむ、とあめるに、これよりおし返したまはざらむも、ひがひがしからむ」
と、そそのかしきこえたまふ。情け捨てぬ御心にて、書きたまふ。いと心やすげなり。
「返さむと言ふにつけても片敷の
夜の衣を思ひこそやれ
ことわりなりや」
とぞあめる。

 [5-3 源氏の和歌論]
「昔風の歌詠みは、『唐衣』、『袂濡るる』といった恨み言が抜けないですね。自分も、同じですが。まったく一つの型に凝り固まって、当世風の詠み方に変えなさらないのが、ご立派と言えばご立派なものです。人々が集まっている中にいることを、何かの折ふしに、御前などにおける特別の歌を詠む時には『まとゐ』が欠かせぬ三文字なのですよ。昔の恋のやりとりは、『あだ人--』という五文字を、休め所の第三句に置いて、言葉の続き具合が落ち着くような感じがするようです」
などとお笑いになる。
「さまざまな草子や、歌枕に、よく精通し読み尽くして、その中の言葉を取り出しても、詠み馴れた型は、たいして変わらないだろう。
常陸の親王がお書き残しになった紙屋紙の草子を、読んでみなさいと贈ってよこしたことがありました。和歌の規則がたいそうびっしりとあって、歌の病として避けるべきところが多く書いてあったので、もともと苦手としたことで、ますますかえって身動きがとれなく思えたので、わずらわしくて返してしまった。よく内容をご存知の方の詠みぶりとしては、ありふれた歌ですね」
とおっしゃって、おもしろがっていらっしゃる様子、お気の毒なことである。
上は、たいそう真面目になって、
「どうして、お返しになったのですか。書き写して、姫君にもお見せなさるべきでしたのに。私の手もとにも、何かの中にあったのも、虫がみな食ってしまいましたので。まだ見てない人は、やはり特に心得が足りないのです」
とおっしゃる。
「姫君のお勉強には、必要がないでしょう。総じて女性は、何か好きなものを見つけてそれに凝ってしまうことは、体裁のよいものではありません。どのようなことにも、不調法というのも感心しないものです。ただ自分の考えだけは、ふらふらさせずに持っていて、おだやかに振る舞うのが、見た目にも無難というものです」
などとおっしゃって、返歌をしようとはまったくお考えでないので、
「返してしまおう、とあるようなのに、こちらからお返歌なさらないのも、礼儀に外れていましょう」
と、お勧め申し上げなさる。思いやりのあるお心なので、お書きになる。とても気安いふうである。
「お返ししましょうとおっしゃるにつけても
独り寝のあなたをお察しいたします
ごもっともですね」
とあったようである。

 [5-3 Genji's opinion about waka]
 "Kotai no uta-yomi ha, Kara-koromo,Tamoto nururu kakoto koso hanare ne na! Maro mo, sono tura zo kasi. Sara ni hito-sudi ni matuhare te, imameki taru kotonoha ni yurugi tamaha nu koso, netaki koto ha, hata are. Hito no naka naru koto wo, wori-husi, o-mahe nado no waza to aru uta yomi no naka ni te ha, Madowi hanare nu mi-mozi zo kasi. Mukasi no kesau no wokasiki idomi ni ha, Ada-bito to ihu itu-mozi wo, yasume-dokoro ni uti-oki te, kotonoha no tuduki tayori aru kokoti su beka'meri."
 nado warahi tamahu.
 "Yorodu no sausi, uta-makura, yoku a'nai siri mi-tukusi te, sono uti no kotoba wo tori-iduru ni, yomi tuki taru sudi koso, tuyou ha kahara zaru bekere.
 Hitati-no-Miko no kaki-oki tamahe ri keru kauya-gami no sausi wo koso, mi yo tote okose tari sika. Waka no zuinau ito tokoro-seu, yamahi saru beki tokoro ohokari sika ba, motoyori okure taru kata no, itodo naka-naka ugoki su beku mo miye zari sika ba, mutukasiku te kahesi te ki. Yoku a'nai siri tamahe ru hito no kuti-tuki ni te ha, me nare te koso are."
 tote, wokasiku oboi taru sama zo, itohosiki ya.
 Uhe, ito mameyaka ni te,
 "Nado te, kahesi tamahi kem? Kaki-todome te, Hime-Gimi ni mo mise tatematuri tamahu bekari keru mono wo. Koko ni mo, mono no nakari si mo, musi mina sokonahi te kere ba. Minu hito hata, kokoro koto ni koso ha tohokari kere."
 to notamahu.
 "Hime-Gimi no go-gakumon ni, ito you nakara m. Subete womna ha, tate te konome ru koto mauke te simi nuru ha, sama yokara nu koto nari. Nani-goto mo, ito tuki nakara m ha kutiwosikara m. Tada kokoro no sudi wo, tadayohasikara zu mote-sidume oki te, nadaraka nara m nomi nam, meyasukaru bekari keru."
 nado notamahi te, kahesi ha obosi mo kake ne ba,
 "Kahesi-yari te m, to ameru ni, kore yori osi-kahesi tamaha zara m mo, higa-higasikara m."
 to, sosonokasi kikoye tamahu. Nasake sute nu mi-kokoro ni te, kaki tamahu. Ito kokoro-yasuge nari.
 "Kahesa m to ihu ni tuke te mo katasiki no
 yoru no koromo wo omohi koso yare

 kotowari nari ya!"
 to zo a'meru.

 出典

 校訂
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Last Modified: Tuesday, August 31, 2004
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