あらくれ

Arakure

徳田秋声 Tokuda Shūsei

五

 お島が作を一層嫌って、侮蔑(ぶべつ)するようになったのもその頃からであった。

 蒸暑い夏の或真夜中に、お島はそこらを開放(あけはな)して、蚊帳(かや)のなかで寝苦しい体を持余(もてあま)していたことがあった。酸(す)っぱいような蚊の唸声(うなりごえ)が夢現(ゆめうつつ)のような彼女のいらいらしい心を責苛(せめさいな)むように耳についた。その時ふとお島の目を脅(おびや)かしたのは、蚊帳のそとから覗(のぞ)いている作の蒼白い顔であった。

「莫迦(ばか)、阿母(おっか)さんに言告(いいつ)けてやるぞ」

 お島は高い調子に叫んだ。それで作はのそのそと出ていったが、それまで何の気もなしに見ていたそれと同じような作の挙動が、その時お島の心に一々意味をもって来た。お島は劇しい侮蔑を感じた。或時は野良仕事をしている時につけ廻されたり、或時は湯殿にいる自分の体に見入っている彼の姿を見つけたりした。

 お島はそれ以来、作の顔を見るのも胸が悪かった。そして養父から、善く働く作を自分の婿に択(えら)ぼうとしているらしい意嚮(いこう)を洩(もら)されたときに、彼女は体が竦(すく)むほど厭(いや)な気持がした。しかし養父のその考えが、段々分明(はっきり)して来たとき、お島の心は、自(おのずか)ら生みの親の家の方へ嚮(む)いていった。

「何しろ作は己(おれ)の血筋のものだから、同じ継(つが)せるなら、あれに後を取らせた方が道だ」

 養父は時おり妻のおとらと、その事を相談しているらしかったが、お島はふとそれを立聞したりなどすると、堪えがたい圧迫を感じた。我儘(わがまま)な反抗心が心に湧返(わきかえ)って来た。

 作の自分を見る目が、段々親しみを加えて来た。彼は出来るだけ打釈(うちと)けた態度で、お島に近づこうとした。畑で桑など摘(つ)んでいると、彼はどんな遠いところで、忙(せわ)しい用事に働いている時でも、彼女を見廻ることを忘れなかった。彼はその頃から、働くことが面白そうであった。叔父夫婦にも従順であった。お島は一層それが不快であった。

 おとらが内々(ないない)お島の婿にしようと企てているらしい或若い男の兄が、その頃おとらのところへ入浸(いりびた)っていた。青柳と云うその男は、その町の開業医として可也(かなり)に顔が売れていたが、或私立学校を卒業したというその弟をも、お島はちょいちょい見かけて知っていた。

 気爽(きさく)で酒のお酌などの巧いおとらは、夫の留守などに訪ねてくる青柳を、よく奥へ通して銚子(ちょうし)のお燗(かん)をしたりしているのを、お島は時々見かけた。一日かかって四十把(ぱ)の楮(かぞ)を漉(す)くのは、普通一人前(いちにんまえ)の極度の仕事であったが、おとらは働くとなると、それを八十把も漉くほどの働きものであった。そして人のいい夫を其方退(そっちの)けにして、傭い人を見張ったり、金の貸出方(かしだしかた)や取立方(とりたてかた)に抜目のない頭脳(あたま)を働かしていたが、青柳の顔が見えると、どんな時でも彼女の様子がそわそわしずにはいなかった。

 お島の目にも、愛相(あいそ)のいい青柳の人柄は好ましく思えた。彼は青柳から始終お島坊お島坊と呼びなずけられて来た。最近青柳がいつか養父から借りて、新座敷の造営に費(つか)った金高は、少い額ではなかった。

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Last Modified: Thursday, January 09, 2014
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