麦の穂稲穂
村の一年
一
都近い此辺の村では、陽暦陰暦を折衷して一月晩れで年中行事をやる。陽暦正月は村役場の正月、小学校の正月である。いさゝか神楽の心得ある若者連が、松の内の賑合を見物かた/″\東京に獅子舞に出かけたり、甲州街道を紅白美々しく飾り立てた初荷の荷馬車が新宿さして軋らしたり、黒の帽子に紫の袈裟、白足袋に高足駄の坊さんが、年玉を入れた萌黄の大風呂敷包を頸からつるして両手で抱えた草鞋ばきの寺男を連れて檀家の廻礼をしたりする外は、村は餅搗くでもなく、門松一本立つるでなく、至極平気な一月である。唯農閑なので、青年の夜学がはじまる。井浚え、木小屋の作事、屋根の葺き更え、農具の修繕なども、此隙にする。日なたぼこりで孫いじりにも飽いた爺の仕事は、啣え煙管の背手で、ヒョイ/\と野らの麦踏。若い者の仕事は東京行の下肥取りだ。寒中の下肥には、蛆が涌かぬ。堆肥製造には持て来いの季節、所謂寒練である。夜永の夜延べには、親子兄弟大きな炉側でコト/\藁を擣っては、俺ァ幾括だ卿は何足かと競争しての縄綯い草履草鞋作り。かみさんや娘は、油煙立つランプの傍でぼろつぎ。兵隊に出て居る自家の兼公の噂も出よう。東京帰りに兄が見て来た都の嫁入車の話もあろう。
都では晴の春着も夙に箪笥の中に入って、歌留多会の手疵も痕になり、お座敷つゞきのあとに大妓小妓のぐったりとして欠伸を噛む一月末が、村の師走の煤掃き、つゞいて餅搗きだ。寒餅はわるくならぬ。水に浸して置いて、年中の茶受、忙しい時の飯代り、多い家では一石も二石も搗く。縁者親類加勢し合って、歌声賑やかに、東でもぽったん、西でもどったん、深夜の眠を驚かして、夜の十二時頃から夕方までも舂く。陽暦で正月を済ましてとくに餅は食うてしもうた美的百姓の家へ、にこ/\顔の糸ちゃん春ちゃんが朝飯前に牡丹餅を持て来てくれる。辰爺さん家のは大きくて他家の三倍もあるが、搗きが細かで、上手に紅入の宝袋なぞ拵えてよこす。下田の金さん処のは、餡は黒砂糖だが、手奇麗で、小奇麗な蓋物に入れてよこす。気取ったおかず婆さんからは、餡がお気に召すまいからと云って、唯搗き立てをちぎったまゝで一重よこす。礼に往って見ると、奥は正月前らしく奇麗に掃かれて、土間にはちゃんと塩鮭の二枚もつるしてある。
二
二月は村の正月だ。松立てぬ家はあるとも、着物更えて長閑に遊ばぬ人は無い。甲州街道は木戸八銭、十銭の芝居が立つ。浪花節が入り込む。小学校で幻燈会がある。大きな天理教会、小さな耶蘇教会で、東京から人を呼んで説教会がある。府郡の技師が来て、農事講習会がある。節分は豆撒き。七日が七草。十一日が倉開き。十四日が左義長。古風にやる家も、手軽でやらぬ家もあるが、要するに年々昔は遠くなって行く。名物は秩父颪の乾風と霜解けだ。武蔵野は、雪は少ない。一尺の上も積るは稀で、五日と消えぬは珍らしい。ある年四月に入って、二尺の余も積ったのは、季節からも、量からも、井伊掃部さん以来の雪だ、と村の爺さん達も驚いた。武蔵野は霜の野だ。十二月から三月一ぱいは、夥しい霜解けで、草鞋か足駄長靴でなくては歩かれぬ。霜枯れの武蔵野を乾風が飈々と吹きまくる。霜と風とで、人間の手足も、土の皮膚も、悉く皹赤ぎれになる。乾いた畑の土は直ぐ塵に化ける。風が吹くと、雲と舞い立つ。遠くから見れば正に火事の煙だ。火事もよくある。乾き切った藁葺の家は、此上も無い火事の燃料、それに竈も風呂も藁屑をぼう/\燃すのだからたまらぬ。火事の少ないのが寧不思議である。村々字々に消防はあるが、無論間に合う事じゃない。夜遊び帰りの誰かが火を見つけて、「おゝい、火事だよゥ」と呼わる。「火事だっさ、火事は何処だンべか、――火事だよゥ」と伝える。「火事だよう」「火事だァよゥ」彼方此方で消防の若者が聞きつけ、家に帰って火事袢纏を着て、村の真中の火の番小屋の錠をあけて消防道具を持出し、わッしょい/\駈けつける頃は、大概の火事は灰になって居る。人家が独立して周囲に立木がある為に、人家櫛比の街道筋を除いては、村の火事は滅多に大火にはならぬ。然し火の粉一つ飛んだらば、必焼けるにきまって居る。東京は火事があぶねえから、好い着物は預けとけや、と云って、東京の息子の家の目ぼしい着物を悉皆預って丸焼にした家もある。
梅は中々二月には咲かぬ。尤も南をうけた崖下の暖かい隈なぞには、ドウやらすると菫の一輪、紫に笑んで居ることもあるが、二月は中々寒い。下旬になると、雲雀が鳴きはじめる。チ、チ、チ、ドウやら雲雀が鳴いた様だと思うと、翌日は聞こえず、又の日いと明瞭に鳴き出す。あゝ雲雀が鳴いて居る。例令遠山は雪であろうとも、武蔵野の霜や氷は厚かろうとも、落葉木は皆裸で松の緑は黄ばみ杉の緑は鳶色に焦げて居ようとも、秩父颪は寒かろうとも、雲雀が鳴いて居る。冴えかえる初春の空に白光りする羽たゝきして雲雀が鳴いて居る。春の驩喜は聞く人の心に涌いて来る。雲雀は麦の伶人である。雲雀の歌から武蔵野の春は立つのだ。
三
武蔵野に春は来た。暖い日は、甲州の山が雪ながらほのかに霞む。庭の梅の雪とこぼるゝ辺に耳珍しくも藪鶯の初音が響く。然しまだ冴え返える日が多い。三月もまだ中々寒い月である。初午には輪番に稲荷講の馳走。各自に米が五合に銭十五銭宛持寄って、飲んだり食ったり驩を尽すのだ。まだ/\と云うて居る内に、そろ/\畑の用が出て来る。落葉掻き寄せて、甘藷や南瓜胡瓜の温床の仕度もせねばならぬ。馬鈴薯も植えねばならぬ。
彼岸前の農家の一大事は、奉公男女の出代りである。田舎も年々人手が尠なく、良い奉公人は引張り合だ。近くに東京と云う大渦がある。何処へ往っても直ぐ銭になる種々の工場があるので、男も女も愚図〻〻云われると直ぐぷいと出て往って了う。寺本さんの作代は今年も勤続と云うが、盆暮の仕着せで九十円、彼様な好い作代なら廉いもンだ、と皆が羨む。亥太郎さんの末の子は今年十二で、下田さんの子守に月五十銭で雇われて行く。下唇の厚い久さんは、本家で仕事の暇を、大尽の伊三郎さん処で、月十日のきめで二十五円。石山さんが隣村の葬式に往って居ると娘が駈けて来て、作代が逃げ出すと云うので、石山さんは遽てゝ葬式の場から尻引っからげて作代引とめに走って行く。勘さんの嗣子の作さんは草鞋ばきで女中を探してあるいて居る。些好さそうな養蚕傭の女なぞは、去年の内に相談がきまってしまう。メレンスの半襟一かけ、足袋の一足、窃と他の女中の袂にしのばせて、来年の餌にする家もある。其等の出代りも済んで、やれ一安心と息をつけば、最早彼岸だ。
線香、花、水桶なぞ持った墓参が続々やって来る。丸髷や紋付は東京から墓参に来たのだ。寂しい墓場にも人声がする。線香の煙が上る。沈丁花や赤椿が、竹筒に插される。新しい卒塔婆が立つ。緋の袈裟かけた坊さんが畑の向うを通る。中日は村の路普請。遊び半分若者総出で、道側にさし出た木の枝を伐り払ったり、些ばかりの芝土を路の真中に抛り出したり、路壊しか路普請か分からぬ。
四
四月になる。愈春だ。村の三月、三日には雛を飾る家もある。菱餅草餅は、何家でも出来る。小学校の新学年。つい去年まで碌に口も利けなかった近所の喜左坊が、兵隊帽子に新らしいカバンをつるし、今日から小学第一年生だと小さな大手を振って行く。五六年前には、式日以外女生の袴など滅多に見たこともなかったが、此頃では日々の登校にも海老茶が大分殖えた。小学校に女教員が来て以来の現象である。桃之夭々、其葉蓁々、桃の節句は昔から婚嫁の季節だ。村の嫁入婿取は多く此頃に行われる。三日三晩村中呼んでの飲明しだの、「目出度、〻〻〻の若松様よ」の歌で十七荷の嫁入荷物を練込むなぞは、大々尽の家の事、大抵は万事手軽の田舎風、花嫁自身髪結の家から島田で帰って着物を更え、車は贅沢、甲州街道まで歩いてガタ馬車で嫁入るなぞはまだ好い方だ。足入れと云ってこっそり嫁を呼び、都合の好い時あらためて腰入をする家もある。はずんだところで調布あたりから料理を呼んでの饗宴は、唯親類縁者まで、村方一同へは、婿は紋付で組内若くは親類の男に連れられ、軒別に手拭の一筋半紙の一帖も持って挨拶に廻るか、嫁は真白に塗って、掻巻程の紋付の裾を赤い太い手で持って、後見の婆さんかかみさんに連れられてお辞儀をして廻れば、所謂顔見せの義理は済む。村は一月晩れでも、寺は案外陽暦で行くのがあって、四月八日はお釈迦様の誕生会。寺々の鐘が子供を呼ぶと、爺か嬶か姉に連れられた子供が、小さな竹筒を提げて、嬉々として甘茶を汲みに行く。
東京は桜の盛、車も通れぬ程の人出だった、と麹町まで下肥ひきに往った音吉の話。村には桜は少いが、それでも桃が咲く、李が咲く。野はすみれ、たんぽゝ、春竜胆、草木瓜、薊が咲き乱るゝ。「木瓜薊、旅して見たく野はなりぬ」忙しくなる前に、此花の季節を、御岳詣、三峰かけて榛名詣、汽車と草鞋で遊んで来る講中の者も少くない。子供連れて花見、潮干に出かける村のハイカラも稀にはある。浮かれて蝶が舞いはじめる。意地悪の蛇も穴を出る。空では雲雀がます/\勢よく鳴きつれる。其れに喚び出される様に、麦がつい/\と伸びて穂に出る。子供がぴいーッと吹く麦笛に、武蔵野の日は永くなる。三寸になった玉川の鮎が、密漁者の手から窃と旦那の勝手に運ばれる。仁左衛門さん宅の大欅が春の空を摩でて淡褐色に煙りそめる。雑木林の楢が逸早く、櫟はやゝ晩れて、芽を吐きそめる。貯蔵の里芋も芽を吐くので、里芋を植えねばならぬ。月の終は、若葉の盛季だ。若々とした武蔵野に復活の生気が盈ち溢れる。色々の虫が生れる。田圃に蛙が泥声をあげる。水がぬるむ。そろ/\種籾も浸さねばならぬ。桑の葉がほぐれる。彼方も此方も養蚕前の大掃除、蚕具を乾したり、ばた/\莚をはたいたり。月末には早い処では掃き立てる。蚕室を有つ家は少いが、何様な家でも少くも一二枚飼わぬ家はない。筍の出さかりで、孟宗藪を有つ家は、朝々早起きが楽だ。肥料もかゝるが、一反八十円から百円にもなるので、雑木山は追々孟宗藪に化けて行く。
五
五月だ。来月の忙さを見越して、村でも此月ばかりは陽暦で行く。大麦も小麦も見渡す限り穂になって、緑の畑は夜の白々と明ける様に、総々とした白い穂波を漂わす。其が朝露を帯びる時、夕日に栄えて白金色に光る時、人は雲雀と歌声を競いたくなる。五日は檞餅の節句だ。目もさむる若葉の緑から、黒い赤い紙の鯉がぬうと出てほら/\跳って居る。五月五日は府中大国魂神社所謂六所様の御祭礼。新しい紺の腹掛、紺股引、下ろし立てのはだし足袋、切り立ての手拭を顋の下でチョッキリ結びの若い衆が、爺をせびった小使の三円五円腹掛に捻込んで、四尺もある手製の杉の撥を担いで、勇んで府中に出かける。六所様には径六尺の上もある大太鼓が一個、中太鼓が幾個かある。若い逞しい両腕が、撥と名づくる棍棒で力任せに打つ音は、四里を隔てゝ鼕々と遠雷の如く響くのである。府中の祭とし云えば、昔から阪東男の元気任せに微塵になる程御神輿の衝撞あい、太鼓の撥のたゝき合、十二時を合図に燈明と云う燈明を消して、真闇の中に人死が出来たり処女が女になったり、乱暴の限を尽したものだが、警察の世話が届いて、此頃では滅多な事はなくなった。
落葉木は若葉から漸次青葉になり、杉松樫などの常緑木が古葉を落し落して最後の衣更をする。田は紫雲英の花ざかり。林には金蘭銀蘭の花が咲く。ぜんまいや、稀に蕨も立つが、滅多に見かえる者も無い。八十八夜だ。其れ茶も摘まねばならぬ。茶は大抵葉のまゝで売るのだ。隠元、玉蜀黍、大豆も蒔かねばならぬ。降って来そうだ。桑は伐ったか。桑つきが悪いはお蚕様が如何ぞしたのじゃあるまいか。養蚕教師はまだ廻って来ないか。種籾は如何した。田の荒おこしもせねばならぬ。苗代掻きもせねばならぬ。最早早生の陸稲も蒔かねばならぬ。何かと云う内、胡瓜、南瓜、甘藷や茄子も植えねばならぬ。稗や黍の秋作も蒔かねばならぬ。月の中旬には最早大麦が色づきはじめる。三寸の緑から鳴きはじめた麦の伶人の雲雀は、麦が熟れるぞ、起きろ、急げと朝未明から囀ずる。折も折とて徴兵の検査。五分苅頭で紋付羽織でも引かけた体は逞しく顔は子供〻〻した若者が、此村からも彼村からも府中に集まる。川端の嘉ちゃんは甲種合格だってね、俺が家の忠はまだ抽籤は済まねえが、海軍に採られべって事だ、俺も稼げる男の子はなし、忠をとられりゃ作代でも雇うべい、国家の為だ、仕方が無えな、と与右衛門さんが舌鼓うつ。下田の金さん宅では、去年は兄貴が抽籤で免れたが、今年は稲公が彼体格で、砲兵にとられることになった。当人は勇んで居るが、阿母が今から萎れて居る。
頓着なく日は立って行く。わかれ霜を気遣うたは昨日の様でも、最早春蝉が鳴き出して青葉の蔭がそゞろ恋しい日もある。詩人が歌う緑蔭幽草白花を点ずるの時節となって、畑の境には雪の様に卯の花が咲きこぼれる。林端には白いエゴの花がこぼれる。田川の畔には、花茨が芳しく咲き乱れる。然し見かえる者はない。大切の大切のお蚕様が大きくなって居るのだ。然し月の中に一度雹祭だけは屹度鎮守の宮でする。甲武の山近い三多摩の地は、甲府の盆地から発生する低気圧が東京湾へぬける通路に当って居るので、雹や雷雨は名物である。秋の風もだが、春暮初夏の雹が殊に恐ろしいものになって居る。雹の通る路筋はほゞきまって居る。大抵上流地から多摩川に沿うて下り、此辺の村を掠めて、東南に過ぎて行く。既に五年前も成人の拳大の恐ろしい雹を降らした。一昨年も唯十分か十五分の間に地が白くなる程降って、場所によっては大麦小麦は種も残さず、桑、茶、其外青物一切全滅した処もある。可なりの生活をして居ながら、銭になると云えば、井浚えでも屋根葺の手伝でも何でもする隣字の九右衛門爺さんは、此雹に畑を見舞われ、失望し切って蒲団をかぶって寝てしもうた。ゾラの小説「土」に、ある慾深の若い百姓が雹に降られて天に向って拳をふり上げ、「何ちゅう事をしくさるか」と怒鳴るところがあるが、無理はない。此辺では「雹乱」と云って、雹は戦争よりも恐れられる。そこで雹祭をする。榛名様に願をかける。然し榛名様も、鎮守の八幡も、如何ともしかね玉う場合がある。出水の患が無い此村も、雹の賜物は折々受けねばならぬ。村の天に納める租税である。
六
六月になった。麦秋である。「富士一つ埋み残して青葉かな」其青葉の青闇い間々を、熟れた麦が一面日の出の様に明るくする。陽暦六月は「農攻五月急於弦」と云う農家の五月だ。農家の戦争で最劇戦は六月である。六月初旬は、小学校も臨時農繁休をする。猫の手でも使いたい時だ。子供一人、ドウして中々馬鹿にはならぬ。初旬には最早蚕が上るのだ。中旬には大麦、下旬には小麦を苅るのだ。
最早梅雨に入って、じめ/\した日がつゞく。簑笠で田も植えねばならぬ。畑勝ちの村では、田植は一仕事、「植田をしまうとさば/\するね」と皆が云う。雨間を見ては、苅り残りの麦も苅らねばならぬ。苅りおくれると、畑の麦が立ったまゝに粒から芽をふく。油断を見すまして作物其方退けに増長して来た草もとらねばならぬ。甘藷の蔓もかえさねばならぬ。陸稲や黍、稗、大豆の中耕もしなければならぬ。二番茶も摘まねばならぬ。お屋敷に叱られるので、東京の下肥ひきにも行かねばならぬ。時も時とて飯料の麦をきらしたので、水車に持て行って一晩寝ずの番をして搗いて来ねばならぬ。最早甲州の繭買が甲州街道に入り込んだ。今年は値が好くて、川端の岩さん家では、四円十五銭に売ったと云う噂が立つ。隣村の浜田さんも繭買をはじめた。工女の四五人入れて足踏器械で製糸をやる仙ちゃん、長さんも、即座師の鑑札を受けて繭買をはじめた。自家のお春っ子お兼っ子に一貫目何銭の掻き賃をくれて、大急ぎで掻いた繭を車に積んで、重い車を引張って此処其処相場を聞き合わせ、一銭でも高い買手をやっと見つけて、一切合切屑繭まで売ってのけて、手取が四十九円と二十五銭。夜の目も寝ずに五十両たらずかと思うても、矢張まとまった金だ。持て帰って、古箪笥の奥にしまって茶一ぱい飲むと直ぐ畑に出なければならぬ。
空ではまだ雲雀が根気よく鳴いて居る。村の木立の中では、何時の間にか栗の花が咲いて居る。田圃の小川では、葭切が口やかましく終日騒いで居る。杜鵑が啼いて行く夜もある。梟が鳴く日もある。水鶏がコト/\たゝく宵もある。螢が出る。蝉が鳴く。蛙が鳴く。蚊が出る。ブヨが出る。蠅が真黒にたかる。蚤が跋扈する。カナブン、瓜蠅、テントウ虫、野菜につく虫は限もない。皆生命だ。皆生きねばならぬのだ。到底取りきれる事ではないが、うっちゃって置けば野菜が全滅になる、取れるだけは取らねばならぬ。此方も生きねばならぬ人間である。手が足りぬ。手が足りぬ。自家の人数ではやりきれぬ。果ては甲州街道から地所にはなれた百姓を雇うて、一反何程の請負で、田も植えさす、麦も苅らす。それでもまだやり切れぬ。墓地の骸骨でも引張り出して来て使いたい此頃には、死人か大病人の外は手をあけて居る者は無い。盲目の婆さんでも、手さぐりで茶位は沸かす。豌豆や隠元は畑に数珠生りでも、もいで煮て食う暇は無い。如才ない東京場末の煮豆屋が鈴を鳴らして来る。飯の代りに黍の餅で済ます日もある。近い所は、起きぬけに朝飯前の朝作り、遠い畑へはお春っ子が片手に大きな薬鑵、片手に茶受の里芋か餅かを入れた風呂敷包を重そうに提げ、小さな体を歪めてお八つを持て行く。斯季節に農家を訪えば大抵は門をしめてある。猫一疋居ぬ家もある。何を問うても、くる/\とした眼を睜って、「知ンねェや」と答うる五六歳の女の子が赤ン坊と唯二人留守して居る家もある。斯様な時によく子供の大怪我がある。家の内は麦の芒だらけ、墓地は草だらけで、お寺や教会では坊さん教師が大欠伸して居る。後生なんか願うて居る暇が無いのだ。
七
忙しい中に、月は遠慮なく七月に入る。六月は忙しかったが、七月も忙しい。
忙しい、忙しい。何度云うても忙しい。日は永くても、仕事は終えない。夜は短くてもおち/\眠ることが出来ぬ。何処の娘も赤い眼をして居る。何処のかみさんも、半病人の蒼い顔をして居る。短気の石山さんが、鈍な久さんを慳貪に叱りつける。「車の心棒は鉄だが、鉄だァて使や耗るからナ、俺ァ段々稼げなくなるのも無理はねえや」と、小男ながら小気味よく稼ぐ辰爺さんがこぼす。「違ねえ、俺ァ辰さんよか年の十も下だンべが、何糞ッ若け者に負けるもンかってやり出しても、第一息がつゞかんからナ」と岩畳づくりの与右衛門さんが相槌をうつ。然し耗っても錆びても、心棒は心棒だ。心棒が廻わらぬと家が廻わらぬ。折角苅り入れた麦も早く扱いて撲って俵にしなければ蝶々になる。今日も雨かと思うたりゃ、さあお天道様が出なさったぞ、皆来うと呼ばって、胡麻塩頭に向鉢巻、手垢に光るくるり棒押取って禾場に出る。それっと子供が飛び出す。兄が出る。弟が出る。嫁が出る。娘が出る。腰痛でなければ婆さんも出る。奇麗に掃いた禾場に一面の穂麦を敷いて、男は男、女は女と相並んでの差向い、片足踏出し、気合を入れて、一上一下とかわる/″\打下ろす。男は股引に腹かけ一つ、黒鉢巻の経木真田の帽子を阿弥陀にかぶって、赤銅色の逞しい腕に撚をかけ、菅笠若くは手拭で姉様冠りの若い女は赤襷手甲がけ、腕で額の汗を拭き/\、くるり棒の調子を合わして、ドウ、ドウ、バッタ、バタ、時々群の一人が「ヨウ」と勇みを入れて、大地も挫げと打下ろす。「お前さんとならばヨウ、何処までもウ、親を離れて彼世までもゥ」若い女の好い声が歌う。「コラコラ」皆が囃す。禾場の日はかん/\照って居る。くるり棒がぴかりと光る。若い男女の顔は、熟した桃の様に紅光って居る。空には白光りする岩雲が堆く湧いて居る。
七月中旬、梅雨があけると、真剣に暑くなる。明るい麦が取り去られて、田も畑も緑に返える。然し其は春暮の嫩らかな緑では無い、日中は緑の焔を吐く緑である。朝夕は蜩の声で涼しいが、昼間は油蝉の音の煎りつく様に暑い。涼しい草屋でも、九十度に上る日がある。家の内では大抵誰も裸体である。畑ではズボラの武太さんは褌一つで陸稲のサクを切って居る。十五六日は、東京のお盆で、此処其処に藪入姿の小さな白足袋があるく。甲州街道の馬車は、此等の小僧さんで満員である。
八
暴風にも静な中心がある。忙しい農家の夏の戦闘にも休戦の期がある。
七月末か、八月初か、麦も仕舞い、草も一先ず取りしもうた程よい頃を見はからって、月番から総郷上り正月のふれを出す。総郷業を休み足を洗うて上るの意である。其期は三日。中日は村総出の草苅り路普請の日とする。右左から恣に公道を侵した雑草や雑木の枝を、一同磨ぎ耗らした鎌で遠慮会釈もなく切払う。人よく道を弘むを、文義通りやるのである。慾張と名のある不人望な人の畑や林は、此時こそ思い切り切りまくる。昔は兎に角、此の頃では世の中せち辛くなって、物日にも稼ぐことが流行する。総郷上り正月にも、畑に田にぽつ/\働く影を見うける。
八月は小学校も休業だ。八月七日は村の七夕、五色の短冊さげた笹を立つる家もある。やがて于蘭盆会。苧殻のかわりに麦からで手軽に迎火を焚いて、それでも盆だけに墓地も家内も可なり賑合い、緋の袈裟をかけた坊さんや、仕着せの浴衣単衣で藪入に行く奉公男女の影や、断続して来る物貰いや、盆らしい気もちを見せて通る。然し斯貧しい小さな野の村では、昔から盆踊りと云うものを知らぬ。一年中で一番好い水々しい大きな月が上っても、其れは断片的に若者の歌を嗾るばかりである。まる/\とした月を象どる環を作って、大勢の若い男女が、白い地を践み、黒い影を落して、歌いつ踊りつ夜を深して、傾く月に一人減り二人寝に行き、到頭「四五人に月落ちかゝる踊かな」の趣は、此辺の村では見ることが出来ぬ。
夏蚕を飼う家はないが、秋蚕を飼う家は沢山ある。秋蚕を飼えば、八月はまだ忙しい月だ。然し秋蚕のまだ忙しくならぬ隙を狙って、富士詣、大山詣、江の島鎌倉の見物をして来る者も少くない。大山へは、夜立ちして十三里日着きする。五円持て夜徹し歩るき、眠たくなれば堂宮に寝て、唯一人富士に上って来る元気な若者もある。夏の命は日と水だ。照らねばならず、降らねばならぬ。多摩川遠い此村里では、水害の患は無いかわり、旱魃の恐れがある。大抵は都合よく夕立が来てくれる。雨乞は六年間に唯一度あった。降って欲しい時に降れば、直ぐ「おしめり正月」である。伝染病が襲うて来るも此月だ。赤痢、窒扶斯で草葺の避病院が一ぱいになる年がある。真白い診察衣を着た医員が歩く。大至急清潔法施行の布令が来る。村の衛生係が草鞋ばきの巡査さんと溷、掃溜を見てあるく。其巡査さんの細君が赤痢になったと云う評判が立つ。鉦や太鼓で念仏唱えてねりあるき、厄病禳いする村もある。
其様な騒ぎも何時しか下火になって、暑い/\と云う下から、ある日秋蝉がせわしく鳴きそめる。武蔵野の秋が立つ。早稲が穂を出す。尾花が出て覗く。甘藷を手掘りすると、早生は赤児の腕程になって居る。大根、漬菜を蒔かねばならぬ。蕎麦、秋馬鈴薯もそろ/\蒔かねばならぬ。暫く緑一色であった田は、白っぽい早稲の穂の色になり、畑では稗が黒く、黍が黄に、粟が褐色に熟れて来る。粟や黍は餅にしてもまだ食える。稗は乃木さんでなければ中々食えぬ。此辺では、米を非常、挽割麦を常食にして、よく/\の家でなければ純稗の飯は食わぬ。下肥ひきの弁当に稗の飯でも持って行けば、冷たい稗はザラ/\して咽を通らぬ。湯でも水でもぶっかけてざぶ/\流し込むのである。若い者の楽の一は、食う事である。主人は麦を食って、自分に稗を食わした、と忿って飛び出した作代もある。
九
九月は農家の厄月、二百十日、二百二十日を眼の前に控えて、朔日には風祭をする。麦桑に雹を気づかった農家は、稲に風を気づかわねばならぬ。九月は農家の鳴戸の瀬戸だ。瀬戸を過ぐれば秋の彼岸。蚊帳を仕舞う。おかみや娘の夜延仕事が忙しくなる。秋の田園詩人の百舌鳥が、高い栗の梢から声高々と鳴きちぎる。栗が笑む。豆の葉が黄ばむ。雁来紅が染むを相図に、夜は空高く雁の音がする。林の中、道草の中、家の中まで入り込んで、虫と云う虫が鳴き立てる。早稲が黄ろくなりそめる。蕎麦の花は雪の様だ。彼岸花と云う曼珠沙華は、此辺に少ない。此あたりの彼岸花は、萩、女郎花、嫁菜の花、何よりも初秋の栄を見せるのが、紅く白く沢々と絹総を靡かす様な花薄である。子供が其れを剪って来て、十五夜の名月様に上げる。萱は葺料にして長もちするので、小麦からの一束五厘に対し、萱は一銭も其上もする。そこで萱野を仕立てゝ置く家もある。然し東京がます/\西へ寄って来るので、萱野も雑木山も年々減って行くばかりである。
九月は農家の祭月、大事な交際季節である。風の心配も兎やら恁うやら通り越して、先収穫の見込がつくと、何処の村でも祭をやる。木戸銭御無用、千客万来の芝居、お神楽、其れが出来なければ詮方無しのお神酒祭。今日は粕谷か、明日は廻沢烏山は何日で、給田が何日、船橋では、上下祖師ヶ谷では、八幡山では、隣村の北沢では、と皆が指折数えて浮き立つ。彼方の村には太鼓が鳴る。此方の字では舞台がけ。一村八字、寄合うて大きくやればよさそうなものゝ、八つの字には八つの意志と感情と歴史があって、二百戸以上の烏山はもとより、二十七戸の粕谷でも、十九軒の八幡山でも、各自に自家の祭をせねば気が済まぬ。祭となれば、何様な家でも、強飯を蒸す、煮染をこさえる、饂飩をうつ、甘酒を作って、他村の親類縁者を招く。東京に縁づいた娘も、子を抱き亭主や縁者を連れて来る。今日は此方のお神楽で、平生は真白な鳥の糞だらけの鎮守の宮も真黒になる程人が寄って、安小間物屋、駄菓子屋、鮨屋、おでん屋、水菓子屋などの店が立つ。神楽は村の能狂言、神官が家元で、村の器用な若者等が神楽師をする。無口で大兵の鉄さんが気軽に太鼓をうったり、気軽の亀さんが髪髯蓬々とした面をかぶって真面目に舞台に立ちはだかる。「あ、ありゃ亀さんだよ、まァ」と可笑しざかりのお島がくつ/\笑う。今日自家の祭酒に酔うた仁左衛門さんが、明日は隣字の芝居で、透綾の羽織でも引被け、寸志の紙包を懐中して、芝居へ出かける。毎日近所で顔を合して居ながら、畑の畔の立話にも、「今日は」「今日は」と抑天気の挨拶からゆる/\とはじめる田舎気質で、仁左衛門さんと隣字の幹部の忠五郎さんとの間には、芝居の科白の受取渡しよろしくと云う挨拶が鄭重に交換される。輪番に主になったり、客になったり、呼びつ喚ばれつ、祭は村の親睦会だ。三多摩は昔から人の気の荒い処で、政党騒ぎではよく血の雨を降らし、気の立った日露戦争時代は、農家の子弟が面籠手かついで調布まで一里半撃剣の朝稽古に通ったり柔道を習ったりしたものだが、六年前に一度粕谷八幡山対烏山の間に大喧嘩があって、仕込杖が光ったり怪我人が出来たり長い間揉めくった以来、此と云う喧嘩の沙汰も聞かぬ。泰平有象村々酒。祭が繁昌すれば、田舎は長閑である。
十
十月だ。稲の秋。地は再び黄金の穂波が明るく照り渡る。早稲から米になって行く。性急に百舌鳥が鳴く。日が短くなる。赤蜻蛉が夕日の空に数限りもなく乱れる。柿が好い色に照って来る。ある寒い朝、不図見ると富士の北の一角に白いものが見える。雨でも降ったあとの冷たい朝には、水霜がある。
十月は雨の月だ。雨がつゞいたあとでは、雑木林に茸が立つ。野ら仕事をせぬ腰の曲った爺さんや、赤児を負ったお春っ子が、笊をかゝえて採りに来る。楢茸、湿地茸、稀に紅茸、初茸は滅多になく、多いのが油坊主と云う茸だ。一雨一雨に気は冷えて行く。田も林も日に/\色づいて行く。甘藷が掘られて、続々都へ運ばれる。田舎は金が乏しい。村会議員の石山さんも、一銭違うと謂うて甲州街道の馬車にも烏山から乗らずに山谷から乗る。だから、村の者が甘藷を出すにも、一貫目につき五厘も値がよければ、二里の幡ヶ谷に下ろすより四里の神田へ持って行く。
茶の花が咲く。雑木林の楢に絡む自然薯の蔓の葉が黄になり、藪からさし出る白膠木が眼ざむる様な赤になって、お納戸色の小さなコップを幾箇も列ねて竜胆が咲く。樫の木の下は、ドングリが箒で掃く程だ。最早豌豆や蚕豆も蒔かねばならぬ。蕎麦も霜前に苅らねばならぬ。また其れよりも農家の一大事、月の下旬から来月初旬にかけて、最早麦蒔きがはじまる。後押しの二人もついて、山の如く堆肥を積んだ車が頻に通る。先ず小麦を蒔いて、後に大麦を蒔くのである。奇麗に平した畑は一条一条丁寧に尺竹をあて、縄ずりして、真直ぐに西から東へ畝を立て、堆肥を置いて土をかけ、七蔵が種を振れば、赤児を負った若いかみさんが竹杖ついて、片足かわりに南から北へと足で土をかけて、奇麗に踏んづけて行く。燻炭肥料の、条播のと、農会の勧誘で、一二年やって見ても、矢張仕来りの勝手がよい方でやって行くのが多い。
十一
霜らしい霜は、例年明治天皇の天長節、十一月三日頃に来る。手を浄めに前夜雨戸をあくれば、鍼先を吹っかくる様な水気が面を撲って、遽てゝもぐり込む蒲団の中でも足の先が縮こまる程いやに冷たい、と思うと明くる朝は武蔵野一面の霜だ。草屋根と云わず、禾場と云わず、檐下から転び出た木臼の上と云わず、出し忘れた物干竿の上のつぎ股引と云わず、田も畑も路も烏の羽の上までも、真白だ。日が出ると、晶々とした白金末になり、紫水晶末になるのである。山風をあらしと云えば霜の威力を何に譬えよう? 地の上の白火事とでも云おう。大抵のものは爛れてしまう。桑と云う桑の葉は、ぐったりとなって、二日もすれば、歯がぬける様にひとりでにぼろりと落ちる。生々として居た甘藷の蔓は、唯一夜に正しく湯煎られた様に凋れて、明くる日は最早真黒になり、触ればぼろ/\の粉になる。シャンとして居た里芋の茎も、ぐっちゃりと腐った様になる。畑が斯うだから、園の内も青い物は全滅、色ある物は一夜に爛れて了うのである。霜にめげぬは、青々とした大根の葉と、霜で甘くなる漬菜の類と、それから緑の縞を土に織り出して最早ぼつ/\生えて来た大麦小麦ばかりである。
霜は霽に伴う。霜の十一月は、日本晴の明るい明るい月である。富士は真白。武蔵野の空は高く、たゝけばカン/\しそうな、碧瑠璃になる。朝日夕日が美しい。月や星が冴える。田は黄色から白茶になって行く。此処其処の雑木林や村々の落葉木が、最後の栄を示して黄に褐に紅に照り渡る。緑の葉の中に、柚子が金の珠を掛ける。光明は空から降り、地からも湧いて来る。小学校の運動会で、父兄が招かれる。村の恵比寿講、白米五合銭十五銭の持寄りで、夜徹の食ったり飲んだり話したりがある。日もいよ/\短くなる。甘藷や里芋も掘って、土窖に蔵わねばならぬ。中稲も苅らねばならぬ。其内に晩稲も苅らねばならぬ。でも、夏の戦闘に比べては、何を云っても最早しめたものである。朝霜、夜嵐、昼は長閑な小春日がつゞく。「小春日や田舎に廻る肴売」。「鯷は? 鯷?」「秋刀魚や秋刀魚!」のふれ声が村から村を廻ってあるく。牛豚肉は滅多に食わず、川魚は少し、稀に鼬に吸われた鶏でも食えば骨までたゝいて食い、土の物の外は大抵塩鮭、めざし、棒鱈にのみ海の恩恵を知る農家も、斯様な時には炙れば青い焔立つ脂ぎった生魚を買って舌鼓うつのである。
月の末方には、除隊の兵士が帰って来る。近衛か、第一師団か、せめて横須賀位ならまだしも、運悪く北海道三界旭川へでもやられた者は、二年ぶり三年ぶりで帰って来るのだ。親類縁者は遠出の出迎、村では村内少年音楽隊を先に立て、迎何々君之帰還の旗押立てゝ、村界まで迎いに出かける。二年三年の兵営生活で大分世慣れ人ずれて来た丑之助君が、羽織袴、靴、中折帽、派手をする向きは新調のカーキー服にギュウ/\云う磨き立ての長靴、腰の淋しいのを気にしながら、胸に真新しい在郷軍人徽章をつるして、澄まし返って歩いて来る。面々各自の挨拶がある。鎮守の宮にねり込んで、取りあえず神酒一献、古顔の在郷軍人か、若者頭の音頭で、大日本帝国、天皇陛下、大日本帝国陸海軍、何々丑之助君の万歳がある。丑之助君が何々有志諸君の万歳を呼ぶ。其れから丑之助君を宅へ送って、いよ/\飲食だ。赤の飯、刻鰑菎蒻里芋蓮根の煮染、豆腐に芋の汁、はずんだ家では菰冠りを一樽とって、主も客も芽出度と云って飲み、万歳と云っては食い、満腹満足、真赤になって祝うのだ。二三日すると帰り新参の丑之助君が、帰った時の服装で神妙に礼廻りをする。軒別に手拭か半紙。入営に餞別でも貰った家へは、隊名姓名を金文字で入れた盃や塗盆を持参する。兵士一人出す家の物入も大抵では無い。
兵隊さんの出代りで、除隊を迎えると、直ぐ入営送りだ。体格がよく、男の子が多くて、陸海軍拡張の今日と来て居るので、何れの字からも二人三人兵士を出さぬ年は無い。白羽の箭が立った若者には、勇んで出かける者もある。抽籤を遁れた礼参りに、わざ/\鴻の巣在の何宮さんまで出かける若者もある。二十歳前後が一番百姓仕事に実が入る時ですから、とこぼす若い爺さんもある。然し全国皆兵の今日だ。一人息子でも、可愛息子でも、云い聞かされた「国家の為」だ、出せとあったら出さねばならぬ。出さぬと云ったら、お上に済まぬ。近所に済まぬ。そこで父の右腕、母のおもい子の岩吉も、頭は五分刈、中折帽、紋付羽織、袴、靴、凜とした装で、少しは怯々した然し澄ました顔をして、鎮守の宮で神酒を飲まされ、万歳の声と、祝入営の旗五六本と、村楽隊と、一字総出の戸主連に村はずれまで見送られ、知らぬ生活に入る可く往ってしまう。二三日、七八日過ぐると、軒別に入営済の御礼のはがきが来る。
十二
兵隊さんの出代りを村の一年最後の賑合にして、あとは寂しい初冬の十二月に入る。
「稼収平野濶」晩稲も苅られて、田圃も一望ガランとして居る。畑の桑は一株ずつ髻を結われる。一束ずつ奇麗に結わえた新藁は、風よけがわりにずらりと家の周囲にかけられる。ざら/\と稲を扱く音。カラ/\と唐箕車を廻す響。大根引、漬菜洗い、若い者は真赤な手をして居る。昼は北を囲うた南向きの小屋の蓆の上、夜は炉の傍で、かみさんはせっせと股引、足袋を繕う。夜は晩くまで納屋に籾ずりの響がする。突然にざあと時雨が来る。はら/\と庇をうって霰が来る。ちら/\と風花が降る。北から凩が吹いて来て、落葉した村の木立を騒々しく鳴らす。乾いた落葉が、遽てゝカラカラと舞い奔る。箒を逆に立てた様な雑木山に、長い鋸を持った樵夫が入って、啣え煙管で楢や櫟を薪に伐る。海苔疎朶を積んだ車が村を出る。冬至までは、日がます/\つまって行く。六時にまだ小暗く、五時には最早闇い。流しもとに氷が張る。霜が日に/\深くなる。
十五日が世田ヶ谷のボロ市。世田ヶ谷のボロ市は見ものである。松陰神社の入口から世田ヶ谷の上宿下宿を打通して、約一里の間は、両側にずらり並んで、農家日用の新しい品々は素より、東京中の煤掃きの塵箱を此処へ打ち明けた様なあらゆる襤褸やガラクタをずらりと並べて、売る者も売る、買う者も買う、と唯驚かるゝばかりである。見世物が出る。手軽な飲食店が出る。咽を稗が通る様に、店の間を押し合いへし合いしてぞろ/\人間が通る。近郷近在の爺さん婆さん若い者女子供が、股引草鞋で大風呂敷を持ったり、荷車を挽いたり、目籠を背負ったりして、早い者は夜半から出かける。新しい莚、筍掘器、天秤棒を買って帰る者、草履の材料やつぎ切れにする襤褸を買う者、古靴を値切る者、古帽子、古洋燈、講談物の古本を冷かす者、稲荷鮨を頬張る者、玉乗の見世物の前にぽかんと立つ者、人さま/″\物さま/″\の限を尽す。世田ヶ谷のボロ市を観て悟らねばならぬ、世に無用のものは無い、而して悲観は単に高慢であることを。
ボロ市過ぎて、冬至もやがてあとになり、行く/\年も暮になる。蛇は穴に入り人は家に籠って、霜枯の武蔵野は、静かな昼にはさながら白日の夢に定に入る。寂しそうな烏が、此樫の村から田圃を唖々と鳴きながら彼欅の村へと渡る。稀には何処から迷い込んだか洋服ゲートルの猟者が銃先に鴫や鵯のけたゝましく鳴いて飛び立つこともあるが、また直ぐともとの寂しさに返える。凩の吹く夜は、海の様な響が武蔵野に起って、人の心を遠く遠く誘うて行く。但東京の屋敷に頼まれて餅を搗く家や、小使取りに餅舂きに東京に出る若者はあっても、村其ものには何処に師走の忙しさも無い。二十五日、二十八日、晦日、大晦日、都の年の瀬は日一日と断崖に近づいて行く。三里東の東京には、二百万の人の海、嘸さま/″\の波も立とう。日頃眺むる東京の煙も、此四五日は大息吐息の息巻荒く颺る様に見える。然し此処は田舎である。都の師走は、田舎の霜月。冬枯の寂しい武蔵野は、復活の春を約して、麦が今二寸に伸びて居る。気に入りの息子を月の初に兵隊にとられて、寂しい心の辰爺さんは、冬至が過ぎれば日が畳の目一つずつ永くなる、冬のあとには春が来る、と云う信仰の下に、時々竹箆で鍬の刃につく土を落しつゝ、悠々と二寸になった麦のサクを切って居る。
媒妁
結婚の媒妁を頼まれた。式は宜い様にやってくれとの事である。新郎とは昨今の知合で、新婦は初めて名を聞いた。媒妁なンか経験もなし、断ったが、是非との頼み、諾と面白半分引受けてしもうた。
明治四十年の九月某日、媒妁夫妻は小婢と三人がかりで草屋の六畳二室を清め、赤、白、鼠、婢の有まで借りて、あらん限りの毛布を敷きつめた。家のまわりも一わたり掃いた。隔ての唐紙を取払い、テーブルを一脚東向きに据え、露ながら折って来た野の草花を花瓶一ぱいに插した。女郎花、地楡、水引、螢草、うつぼ草、黄碧紫紅入り乱れて、あばら家も為に風情を添えた。媒妁夫妻は心嬉しく、主人は綿絽の紋付羽織に木綿茶縞の袴、妻は紋服は御所持なしで透綾の縞の単衣にあらためて、徐に新郎新婦の到着を待った。
正午過ぎ、村を騒がして八台の車が来た。新郎新婦及縁者の人々である。新婦は初めて見た。眼のきれの長い佳人である。更衣室も無いので、仕切りの障子をしめ、二畳の板の間を半分占めた古長持の上に妻の鏡台を置いた。鏡台の背には、破簾を下げて煤だらけの勝手を隔てた。二十分の後此楽屋から現われ出た花嫁君を見ると、秋草の裾模様をつけた淡紅色絽の晴着で、今咲いた芙蓉の花の様だ。花婿も黒絽紋付、仙台平の袴、凜として座って居る。
媒妁は一咳してやおら立上った。
「勝田慶三郎」
「松居千代」
卒業免状でも渡す時の様に、声厳に新郎新婦を呼び出して、テーブルの前に立たせた。而して媒妁は自身愛読する創世記イサク、リベカ結婚の条を朗々と読み上げた。
「祈祷を致します」
斯く云って、媒妁がやゝ久しく精神を統一すべく黙って居ると、
「祈祷を致すのでございますか」
と新郎がやゝ驚いた様に小声できく。媒妁は頓着なく祝祷をはじめた。
祈祷が終る。妻が介抱して、新郎新婦を握手させる。一旦新婦の手からぬいて置いた指環を新郎に渡し、あらためて新郎の手ずから新婦の指に嵌めさす。二人ながら震えて居る。
屋敷に門無く、障子は穴だらけである。村あってより見たこともない夥しい車の入来に眼を驚かした村の子供が、草履ばた/\大勢縁先に入り込んで、ぽかんとした口だの、青涕の出入する鼻だの、驚いた様な眼だのが、障子の穴から覗いて居る。「何だ、ありゃ」。「あ、あ、あら、如何するだンべか」なンか云って居る。
六畳の大広間には、新郎新婦相並んで正面赤毛布の上に座って居る。結婚証書を三通新婦の兄者人に書いてもらって、新郎新婦をはじめ其尊長達、媒妁夫妻も署名した。これで結婚式は芽出度終った。小婢が茶を運んで来た。菓子が無いので、有り合せの梨を剥き、数が無いので小さく切って、小楊枝を添えて出した。
四時過ぎお開きとなった。
媒妁の役目相済んだつもりで納まって居ると、神田の料理屋で披露の宴をするとの事で、連れて来られた車にのせられ、十台の車は静かな村を犇めかして勢よく新宿に向った。新宿から電車でお茶の水に下り、某と云う料理店に案内された。
媒妁は滅多に公会祝儀の席なぞに出た事のない本当の野人である。酒がはじまった。手をついたり、お辞儀をしたり、小むつかしい献酬の礼が盛に行われる。酒を呑まぬ媒妁は、ぽかんとして皆の酒を飲むのを眺めて居る。料理が出たが、菜食主義の彼は肉食をせぬ。腹は無闇に減る。新郎の母者人が「ドウカお吸物を」との挨拶が無い前に、勝手に吸物椀の蓋をとって、鱚のムスビは残して松蕈とミツバばかり食った。
九時過ぎやっとお開きになった。媒妁夫婦は一同に礼して、寿の字の風呂敷に包んだ引き物の鰹節籠を二つ折詰を二つもらって、車で送られてお茶の水停車場に往った。媒妁の家は菜食で、ダシにも昆布を使って居るので、二つの鰹節包は二人の車夫にやった。車夫は眼を円くして居た。
新宿に下りると、雨が盛に降って居る。夜も最早十時、甲州街道口に一台の車も居ない。媒妁夫婦は、潜りの障子だけあかりのさした店に入って、足駄と傘とブラ提灯と蝋燭とマッチと糸経を買った。而しておの/\糸経を被り、男が二人のぬいだ日和下駄を風呂敷包にして腰につけ、小婢にみやげの折詰二箇半巾に包んで片手にぶら下げて、尻高々とからげれば、妻は一張羅の夏帯を濡らすまいとて風呂敷を腰に巻き、単衣の裾短に引き上げて、提灯ぶら提げ、人通りも絶え果てた甲州街道三里の泥水をピチャリ/\足駄に云わして帰った。
「如何だ、此態を勝田君に書いてもらったら、一寸茶番の道行が出来ようじゃないか」
夫が笑えば、妻も噴き出し、
「本当にね」
と相槌をうった。
新郎勝田君は、若手で錚々たる劇作家である。
螢
先刻から田圃に呼びかわす男の子の声がして居たと思うたら、闇の門口から小さな影が二つ三つ四つ縁先にあらわれた。小さな握拳の指の間から、ちら/\碧い光を見せて居る。
皆近所の子で、先夜主人が「ミゼラーブル」の話を聞いて息をのんだ連中である。
「螢を捕ったね」
「え」
と一人が云ったが、
「あ、此れに這わせて見べいや」
と云って、縁先に据えてある切株の上の小さな姫蘆の橢円形の水盤へ、窃と拳の中のものを移した。
すると、余の子供が吾も吾もと皆手を水盤の上に解いた。水を吹いた小さな姫蘆の葉の上、茎の間、蘆の根ざす小さな岩の上に、生きた、緑玉、碧玉、孔雀石の片がほろ/\とこぼれて、其数約二十余、葉末の露にも深さ一分の水盤の水にも映って、光ったり、消えたり、嬉しそうに明滅して、飛び立とうともしない。
「綺麗だ喃」
「綺麗だ喃」
皆嬉々としてしたり貌にほめそやす。
「皆何してるだか」
云って、また二人男の子が草履の音をさせて入って来た。
「あッ綺麗だな、俺がのも明けてやるべ」
と云って、また二人して八九疋螢の島へ螢を放った。
主人と妻と逗留に来て居る都の娘と、ランプを隅へ押しやって、螢と螢を眺むる子供を眺める。田圃の方から涼しい風が吹いて来る。其風に瞬く小さな緑玉の灯でゞもあるように、三十ばかりの螢がかわる/″\明滅する。縁にかけたり蹲んだりして、子供は黙って見とれて居る。
斯涼しい活画を見て居る彼の眼前に、何時とはなしにランプの明るい客間があらわれた。其処に一人の沈欝な顔をして丈高い西洋人が立って居る。前には学生が十五六人腰かけて居る。学生の中に十二位の男の子が居る。其は彼自身である。彼は十二の子供で、京都同志社の生徒である。彼は同窓諸子と宣教師デビス先生に招かれて、今茶菓と話の馳走になって居るのである。米国南北戦争に北軍の大佐であったとか云うデビス先生は、軍人だけに姿勢が殊に立派で、何処やら武骨な点もあって、真面目な時は頗る厳格沈欝な、一寸畏ろしい様な人であったが、子供の眼からも親切な、笑えば愛嬌の多い先生だった。何かと云うと頭を掉るのが癖だった。毎度先生に招かるゝ彼等学生は、今宵も蜜柑やケークの馳走になった。赤い碁盤縞のフロックを着た先生の末子が愛想に出て来たが、うっかり放屁したので、学生がドッと笑い出した。其子が泣き出した。デビス先生は左の手で泣く子の頭を撫で、右手の金網の炮烙でハゼ玉蜀黍をあぶりつゝ、プチヽヽプチヽヽ其はぜる響を口真似して笑いながら頭を掉られた。其つゞきである。先生は南北戦争の逸事を話して、ある夜火光を見さえすれば敵が射撃するので、時計を見るにマッチを擦ることもならず、恰飛んで居た螢を捉えて時計にのせて時間を見た、と云う話をされた。
其れは彼が今此処に居る子供の一番小さなの位の昔であった。其後彼はデビス先生に近しくする機会を有たなかった。先生の夫人は其頃から先生よりも余程ふけて居られた。後気が変になり、帰国の船中太平洋の水屑になられたと聞いて居る。デビス先生は男らしく其苦痛に耐え、宣教師排斥が一の流行になった時代に処して、恚らず乱れず始終一貫同志社にあって日本人の為に尽し、「吾生涯即吾遺言也」との訣辞を残して、先年終に米国に逝かれた。
螢を見れば常に憶い出すデビス先生を、彼は今宵も憶い出した。
夕立雲
畑のものも、田のものも、林のものも、園のものも、虫も、牛馬も、犬猫も、人も、あらゆる生きものは皆雨を待ち焦れた。
「おしめりがなければ、街道は塵埃で歩けないようでございます」と甲州街道から毎日仕事に来るおかみが云った。
「これでおしめりさえあれば、本当に好いお盆ですがね」と内の婢もこぼして居た。
両三日来非常に蒸す。東の方に雲が立つ日もあった。二声三声雷鳴を聞くこともあった。
「いまに夕立が来る」
斯く云って幾日か過ぎた。
今日早夕飯を食って居ると、北から冷やりと風が来た。眼を上げると果然、北に一団紺靛色の雲が蹲踞んで居る。其紺靛の雲を背に、こんもりした隣家の杉樫の木立、孟宗竹の藪などが生々しい緑を浮かして居る。
「夕立が来るぞ」
主人は大声に呼んで、手早く庭の乾し物、履物などを片づける。裏庭では、婢が駈けて来て洗濯物を取り入れた。
やがて食卓から立って妻児が下りて来た頃は、北天の一隅に埋伏し居た彼濃い紺靛色の雲が、倏忽の中にむら/\と湧き起った。何の艶もない濁った煙色に化り、見る/\天穹を這い上り、大軍の散開する様に、東に、西に、天心に、ず、ずうと広がって来た。
三人は芝生に立って、驚嘆の眼を瞪って斯夥しい雨雲の活動を見た。
あな夥しの雲の勢や。黙示録に「天は巻物を捲くが如く去り行く」と歌うたも無理はない。青空は今南の一軸に巻き蹙められ、煤煙の色をした雲の大軍は、其青空をすら余さじものをと南を指してヒタ押しに押寄せて居る。つい今しがたまで雨を恋しがって居た乾き切った真夏の喘ぎは何処へ往ったか。唯十分か十五分の中に、大地は恐ろしい雨雲の下に閉じこめられて、冷たい黯い冥府になった。
雲の運動は秒一秒劇しくなった。南を指して流るゝ雲、渦まく雲、真黒に屯って動かぬ雲、雲の中から生るゝ雲、雲を摩って移り行く雲、淡くなり、濃くなり、淡くなり、北から東へ、東から西へ、北から西へ、西から南へ、逆流して南から東へ、世界中の煙突と云う煙突をこゝに集めて煤煙の限りなく涌く様に、眼を驚かす雲の大行軍、音響を聞かぬが不思議である。
彼等は驚異の眼を瞪って、此活動する雲の下に魅せられた様に彳んだ。冷たい風がすうっすうっと顔に当る。後れ馳せに雷がそろ/\鳴り出した。北の方で、条をなさぬ紅や紫の電光が時々ぱっぱっと天の半壁を輝して閃めく。近づく雷雨を感じつゝ、彼等は猶頭上の雲から眼を離し得なかった。薄汚い煤煙色をした満天の雲はます/\南に流れる、水の様に、霧の様に、煙の様に。空は皆動いて居る。濶い空の何の一寸四方として動いて居ないのはない。皆恐ろしい勢を以て動いて居る。仰ぎ見る彼等は、流るゝ雲に引きずられてやゝもすれば駈け出しそうになる足を踏みしめ踏みしめ立って居なければならなかった。時々西の方で、或一処雲が薄れて、探照燈の光めいた生白い一道の明が斜に落ちて来て、深い深い井の底でも照す様に、彼等と其足下の芝生だけ明るくする。彼等ははっと驚惶の眼を見合わす。と思うと、怒れる神の額の如く最早真闇に真黒になって居る。妻児の顔は土色になった。草木も人も息を屏めたかの様に、一切の物音は絶えた。何処から来たか、犬のデカが不安の眼つきをして見上げつゝ、大きな体を主人の脚にすりつける。
空は到頭雲をかぶって了った。著しく水気を含んだ北風が、ぱっ/\と顔を撲って来た。やがて粒だった雨になる。雷も頭上近くなった。雲見の一群は、急いで家に入った。母屋の南面の雨戸だけ残して、悉く戸をしめた。暗いのでランプをつけた。
ざあっと降り出した。雷が鳴る。一庭の雨脚を凄じく見せて、ピカリと雷が光る。颯、颯と烈しく降り出した。
見る/\庭は川になる。雨が飛石をうって刎ねかえる。目に入る限りの緑葉が、一葉々々に雨を浴びて、嬉しげにぞく/\身を震わして居る。
「あゝ好いおしめりだ」
斯く云った彼等は、更に
「まだ七時前だよ、まあ」
と婢の云う声に驚かされた。
夕立から本降りになって、雨は夜すがら降った。
(大正元年 八月十四日)
葬式
一
午前十時と云う触込みなので、十一時に寺本さんの家に往って見ると、納屋と上塗せぬ土蔵の間の大きな柿の木の蔭に村の衆がまだ五六人、紙旗を青竹に結いつけて居る。
「ドウも御苦労さま、此方様でも御愁傷な」
と云う慣例の挨拶を交わして、其の群に入る。一本の旗には「諸行無常」、一本には「是生滅法」、一本には「皆滅々己」、今一本には何とか書いてある。其上にはいずれも梵字で何か書いてある。
「お寺は東覚院ですか」
「否、上祖師ヶ谷の安穏寺です」
其安穏寺の坊さんであろう、紫紺の法衣で母屋の棺の前に座って居るのが、此方から見える。棺は緑色の簾をかけた立派な輿に納めて、母屋の座敷の正面に据えてある。洋服の若い男が坊さんと相対して座って居る。医者であろう。左の腕に黒布を巻いた白衣の看護婦の姿が見える。
「看護婦さんも、癒って帰るじゃ帰り力があるが」と誰やらが嘆息する。
時分だから上れと云わるゝので、諸君の後について母屋の表縁側から上って、棺の置いてある十畳の次ぎの十畳に入る。頭の禿げた石山氏が、黒絽の紋付、仙台平の袴で、若主人に代って応対する。諸君と共に二列に差向って、饌に就く。大きな黒塗の椀に堆く飯を盛ってある。汁椀は豆腐と茄子と油揚のつゆで、向うに沢庵が二切つけてある。眼の凹い、鮫の歯の様な短い胡麻塩髯の七右衛門爺さんが、年増の婦人と共に甲斐〻〻しく立って給仕をする。一椀をやっと食い終えて、すべり出る。
二
柿の木蔭は涼しい風が吹いて居る。青苔蒸した柿の幹から花をつけた雪の下が長くぶら下って居る。若い作男が其処にあった二台の荷車を引きのけ、大きな鍵で土蔵の戸前を開けて、蓆を七八枚出して敷いてくれた。其れに座った者もある。足駄ばきのまゝ蹲んで話して居る者もある。彼は納屋の檐下にころがって居る大きな木臼の塵を払って腰かけた。追々人が殖えて、柿の下は十五六人になった。
「何しろむつかしい事がありゃ一番に飛び込もうと云うンだからエライや」
「全くだね。寺本さんはソノ粕谷の人物ばかりじゃねえ、千歳村の人物だからね」
と紺飛白で何処やら品の好い昨年母をなくした仁左衛門さんが相槌をうつ。「俺ァ全くがっかりしちまった。コウ兄か伯父見たいで、何と云いや来ちゃ相談したもンだからな。今後何処へ往って相談したらいゝんだか――勘さん、卿の所へでも往くだね」と縞の夏羽織を着た矮い真黒な六十爺さんの顔を仁左衛門さんは見る。爺さんは黙って左の掌にこつ/\煙管をはたいて居る。
「寺本さんも、こちとら見たいに銭が無かったから何だが、あれで金でも持って居たらソラエライ事をやる人だったが」と隅の方から誰やら云うた。
「他が死にゃ働くなンか全くいやになっちまうね」まだ若い組の浜田の金さんが云う。
「いやになったって、死にゃえゝが、生命がありゃ困っちまうからな」
故人の弟達や縁者の志だと云って、代々木の酒屋の屋号のついた一升徳利が四本持ち出された。茶碗と箸と、それから一寸五分角程に切った冷豆腐に醤油をぶっかけた大皿と、輪ぎりにした朝漬の胡瓜の皿が運ばれた。皆蓆の上に車座になった。茶碗になみ/\と酒が注がれた。彼も座って胡瓜の漬物をつまむ。羽織袴の幸吉さんが挨拶に来た。故人の弟である。故人は丈高い苦み走った覇気満々たる男であったが、幸さんは人の好さそうな矮い男だ。一戸から一銭出した村香奠の礼を丁寧に述べて、盃を重ぬべく挨拶して立つ。
「幸さん一つ」と誰やらが茶碗をさす。
「酒どころかよ、兄貴が死んだンだ、本当に」と来た時から已に真赤な顔して居た辰爺さん――勘さんの弟――が怒鳴る。皆がドッと笑う。
「兄貴が死んだンだ、本当に、酒どころかよ」と辰爺さんは呟く様に繰りかえす。
皆好い顔になって立上った。村中で唯一人のチョン髷の持主、彼に対してはいつも御先生と挨拶する佐平爺さんは、荒蓆の上にころり横になって、肱枕をしたが、風がソヨ/\吹くので直ぐ快い気もちに眠ってしまったと見え、其腫れぼったい瞼はヒタと押かぶさって、浅葱縞の単衣の脇がすう/\息つく毎に高くなり低くなりして居る。
三
母屋の方では、頻に人が出たり入ったりして居る。白襦袢、白の半股引、紺の腹掛、手拭を腰にさげた跣足の若い衆は、忙しそうに高張の白提灯の仕度をしたり、青竹のもとを鉈で削いだりして居る。
二人挽の車が泥塗になって、入って来た。車から下りた銀杏返の若い女は、鼠色のコオトをぬいで、草色の薄物で縁に上り、出て来た年増の女と挨拶して居る。
「井は何処ですかな」
抓んだ手拭で額の汗を拭き/\、真赤になった白襦袢の車夫の一人が、柿の木の下の群に来て尋ねる。
「井かね、井は直ぐ其裏にあるだよ、それ其処をそう往ってもえゝ、彼方へ廻ってもいかれるだ」辰爺さんが顋でしゃくる。
美的百姓は木臼に腰かけたまゝ、所在なさに手近にある大麦の穂を摘んでは、掌で籾を摺って噛って居る。不図気がつくと、納屋の檐下には、小麦も大麦も刈入れた束のまゝまだ扱きもせずに入れてある。他所では最早棒打も済んだ家もある。此家の主人の病気が、如何に此家の機関を停止して居たかが分かる。美的百姓も、黯い気分になった。此家の若主人に妻君があったか如何か、と辰爺さんに尋ねて見た。
「まだ何もありませんや。ソラ、去年の暮に帰って来たばかりだからね」
然だ。若主人は二年の兵役にとられて、去年の十二月初やっと帰って来たのであった。一人息子だったので、彼を兵役に出したあと、五十を越した主人は分外に働かねばならなかった。彼の心臓病は或は此無理の労働の結果であったかも知れぬ。尤も随分酒は飲んで居た。故人は村の兵事係であった。一人子でも、兵役に出すは国家に対する義務ですからと、毎に云うて居た。若主人の留守中、彼の手助けは若い作男であった。故人は其作代が甲斐々々しく骨身を惜まず働く事を人毎に誉めて居た。
時が大分移った。酔った辰爺さんは煙管と莨入を両手に提げながら、小さな体をやおら起して、相撲が四股を踏む様に前を明けはたげ、「のら番は何しとるだんべ。のら番を呼んで来う」と怒鳴った。
「野良番を呼んで来う。のら番は何しとるだンべ。酔っぱらって寝てしまったンべ」と辰爺さんは重ねて怒鳴った。
「何、銀平さんに文ちゃんだから、酔っぱらってなンか居るもンか。最早来る時分だ」仁左衛門さんが宥める。
「いや野ら番ばかりァ酒が無えじゃやりきれねえナ。彼臭いがな」と誰やらが云う。
「来た、来た、噂をすりゃ影だ、野ら番が来た」
墓掘番の四人が打連れて来た。
「御苦労様でしたよ」皆が挨拶する。
「棺が重いぞ。四人じゃ全くやりきれねえや。八人舁きだもの」と云う声がする。
勘爺さんが頷いた。「然だ/\、手代りでやるだな。野良番が四人に、此家の作代に、俺が家の作代に、それから石山さんの作代に、それから、七ちゃんでも舁いてもらうべい」
野良番四人の為に蓆の上に膳が運ばれた。赤児の風呂桶大の飯櫃が持て来られる。食事半に、七右衛門爺さんが来て切口上で挨拶し、棺を舁いで御出の時襷にでもと云って新しい手拭を四筋置いて往った。粕谷で其子を中学二年までやった家は此家ばかりと云う程万事派手であった故人が名残は、斯様な事にまであらわれた。
四
「念仏でもやるべいか」
と辰爺さんが言い出した。「おい、幸さんとこの其児、鉦を持て来いよ」
呼ばれた十二三の子が紐をつけた鉦と撞木を持て来た。辰爺さんはガンと一つ鳴らして見た。「こらいけねえな、斯様な響をすらァ」ガン/\と二つ三つ鳴らして見る。冴えない響がする。
「さあ、念仏は何にしべいか。南ァまァ陀ァ仏にするか。ジンバラハラバイタァウンケンソバギャアノベイロシャノにするか」
「ジンバラハラバイタァが後生になるちゅうじゃねいか」仁左衛門さんが真面目に口を入れた。「辰さん、お前音頭をとるンだぜ」
「呍、乃公が音頭とるべい。音頭とるべいが、皆であとやらんといけねえぞ。音頭取りばかりにさしちゃいけねえぞ――ソラ、ジンバラハラバイタァ」ガーンと鉦が鳴る。
「ジンバラハラバイタァ――」仁左衛門さんが真面目について行く。多くは唯笑って居る。
「いかん/\、今時の若けい者ァ念仏一つ知んねえからな。昔は男は男、女は女、月に三日宛寄っちゃ念仏の稽古したもンだ」辰爺さん躍起となった。
「教えて置かねえからだよ」若い者の笑声が答える。
「炬火は如何だな。おゝ、久さんが来た。久さん/\、済まねえが炬火を拵えてくんな」
唇の厚い久さんは、やおら其方を向いて「炬火かね、炬火は幾箇拵えるだね?」
「短くて好えからな、四つも拵えるだな。そ、其処の麦からが好いよ」
「呍」と久さんは答えて、のそり/\檐下から引き出して、二握三握一つにして、トンと地につき揃えて、無雑作に小麦からで縛って、炬火をこさえた。
「まだかな」先刻から焦々して居る辰爺さんが大声に唸やく。
「今本膳が出てる処だからな」母屋の方を見ながら一人が辰さんを宥める。
「それはソウと、上祖師ヶ谷の彦さんは分ったかな」
「分からねえとよ。中隊でも大騒ぎして、平服で出る、制服で出る、何でも空井戸を探してるちゅうこンだ」
「窘められたンですかね?」
「ナニ、中隊では評判がよかったンですよ。正直でね」
「正直者が一番危ねえだ。少し時間に後れたりすると、直ぐ無分別をやるからな」
「違えねえ」
皆一寸黙った。
辰爺さんは、美的百姓に大きな声で囁やいた。「岩もね、上等兵の候補者になりましたってね」
「然かね。岩さんは何処に往っても可愛がられる男だよ」
「毎月ね、」辰爺さんは声を落して囁いた。「毎月ね、三円宛やりますよ。それから兄の所から三円宛ね、くれますよ。ソレ小遣が足りねえと、上祖師ヶ谷の様にならァね」
「月に六円宛、其れは大変だね」
「岩もね、其当座は腹が減って困ったてこぼして居ましたっけ。何しろ麦飯の七八杯もひっかけて居ったンだからね。酒保に飛んで行き/\したって話してました。今じゃ大きに楽になったってますよ。最早あと一年半で帰って来ますだよ」
農家から大切な働き男を取って、其上間接に小使としての税金を金の乏しい農村から月々六円もとる兵役と云うものについて、美的百姓は大に考えざるを得なかった。
五
母屋では、最早仕度が出来たと見え、棺が縁の方に舁き出された。柿の木の下では、寝た者も起き、総立になった。手々に白張提灯を持ったり、紙の幟を握ったり、炬火をとったりした。辰爺さんはやおら煙草入を腰に插して鉦と撞木をとった。
「旗が先に行くかね、提灯かね?」
「冥土の案内じゃ提灯が先だんべ」
「東京じゃ旗が先きに行くようだね、ねえ先生」
「東京は東京、粕谷は粕谷流で行こうじゃねえか」と誰やらの声。
「炬火が一番先だよ」
「応、然だ、炬火が一番先だ」
白無垢を着た女達が、縁から下りて草履をはいた。其草履は墓地でぬぎ棄てるので、帰途の履物がいる。大きな目籠に駒下駄も空気草履も泥だらけの木履も一つにぶち込んで、久さんが背負って居る。
「南無阿弥陀ァ仏」
辰爺さんが音頭をとりながら先に立つ。鉦がガァンと鳴る。講中が「南無阿弥陀ァ仏」と和する。鉦、炬火、提灯、旗、それから兵隊帰りの喪主が羽織袴で位牌を捧げ、其後から棺を蔵めた輿は八人で舁かれた。七さんは着流しに新しい駒下駄で肩を入れて居る。此辺には滅多に見た事も無い立派な輿だ。白無垢の婦人、白衣の看護婦、黒い洋服の若い医師、急拵えの紋を透綾の羽織に張った親戚の男達、其等が棺の前後に附添うた。大勢の子供や、子守が跟いて来る。婆さんかみさんが皆出て見る。
昨夜の豪雨は幸にからり霽れて、道も大抵乾いて居る。風が南からソヨ/\吹いて、「諸行無常」「是生滅法」の紙幟がヒラ/\靡く。「南無阿弥陀ァ仏――南無阿弥陀ァ仏」単調な村の哀の譜は、村の静寂の中に油の様に流れて、眠れよ休めよと云う様に棺を墓地へと導く。
葬列は滞なく、彼が家の隣の墓地に入った。此春墓地拡張の相談がきまって、三畝余りの小杉山を拓いた。其杉を買った故人外二名の人々が、大きな分は伐って売り、小さなのは三人で持って来て彼の家に植えてくれた。其れは唯三月前の四月の事であった。其れから最早墓が二つも殖えた。二番目が寺本さんである。
墓地の樒の木に障るので、若い洋服の医師が手を添えて枝を擡げたりして、棺は掘られた墓の前に据えられた。輿を解くのが一仕事、東京から来た葬儀社の十七八の若者は、真赤になってやっと輿をはずした。白木綿で巻かれた柩は、荒縄で縛られて、多少の騒ぎと共に穴の中に下された。野良番は鍬をとった。どさりと赤土の塊が柩の上に落ちはじめた。
「皆入れてしまうとよ」囁き合うて、行列の先頭に来た紙幟は青竹からはずして、柩の上に投げ込まれた。
土がまたドサ/\落ちる。
*
葬式の五日目に、話題に上った上祖師ヶ谷の行衛不明の兵士の消息を乳屋が告げた。兵士の彦さんは縊死したのであった。代々木の山の中に、最早腐りかけて、両眼は烏につゝかれ、空洞になって居たそうだ。原因は分らぬが、彦さんの実父は養子で、彦さんの母に追出され、今の爺は後夫と云う事であった。
田川
最初近いと聞いた多摩川が、家から一里の余もある。玉川上水すら半里からある。好い水の流れに遠いのが、幾度も繰り返えさるゝ失望であった。つい其まゝに住むことになったが、流水があったらと思わぬことは無い。せめて掘抜井でも掘ろうかと思うが、経験ある人の言によると、此附近では曾て多額の費用をかけて掘った人があって、水は地面まで来るには来たが、如何しても噴き上らぬと云うのである。水の楽は、普通の井と、家内に居ては音は聞こえぬ附近の田川で満足しなければならぬ。
彼の家から五六丁はなれて品川堀がある。品川へ行く灌漑専用の堀川で、村の為には洗滌の用にしかならぬ。一昨々年の夏の出水に、村内で三間ばかり堤防が崩れ、堤から西は一時首まで浸る程の湖水になり、村総出で防水工事をやった。曾て村の小児が溺死したこともあって、村の為にはあまり有り難くもない水である。品川堀の外には、彼が家の下なる谷を西から東へ流るゝ小さな田川と、八幡田圃を北から南東に流るゝ大小二筋の田川がある。
彼の屋敷下の小さな谷を流るゝ小川は、何処から来るのか知らぬが、冬は大抵涸れて了う。其かわり夏の出水には堤を越して畑に溢れる。其様な時には、村の子供が大喜悦で、キャッ/\騒いで泳いで居る。本当の畑水練である。農としては出水を憂うべきだが、遊び好きなる事に於て村の悪太郎等に劣るまじい彼は、畑を流るゝ濁水の音颯々として松風の如く心耳一爽の快を先ず感じて、尻高々とからげ、下駄ばきでざぶ/\渡って見たりして、其日限りに水が落ちて了うのを毎に残念に思うのである。兎に角此気まぐれな小川でも、これあるが為に少しは田も出来る。堤の萱や葭は青々と茂って、殊更丈も高い。これあるが為に、夏は螢の根拠地ともなる。朝から晩までべちゃくちゃ囀る葭原雀の隠れ家にもなる。五月雨の夜にコト/\叩く水鶏の宿にもなる。
八幡田圃を流るゝ田川の大きな方を、此辺では大川と云う。一間幅しかない大川で、玉川浄水を分った灌漑用水である。此水あるが為に、千歳村から世田ヶ谷かけて、何百町の田が出来る。九十一歳になる彼の父は、若い頃は村吏県官として農政には深い趣味と経験を有って居る。其子の家に滞留中此田川の畔を歩いて、熟々と水を眺め、喟然として「仁水だ喃」と嘆じた。趣味を先ず第一に見る其子の為にも不仁の水とは云われない。此水あるが為に田圃がある。春は紫雲英の花氈を敷く。淋しい村を賑わして蛙が鳴く。朝露白い青田の涼しさも、黄なる日の光を震わして蝗飛ぶ秋の田の豊けさに伴うさま/″\の趣も、此水の賜ものである。こゝにこの水流るゝがために、水を好む野茨も心地よく其の涯に茂って、麦が熟れる頃は枝も撓に芳しい白い花を被る。薄紫の嫁菜の花や、薄紅の犬蓼や、いろ/\の秋の草花も美しい。鮒や鰌を子供が捕る。水底に影を曳いて、メダカが游ぐ。ドブンと音して蛙が飛び込む。稀にはしなやかな小さな十六盤橋を見せて、二尺五寸の蛇が渡る。田に入るとて水を堰く頃は、高八寸のナイヤガラが出来て、蛙の声にまぎらわしい音を立てる。玉川に行くかわりに子供はこゝで浴びる。「蘆の芽や田に入る水も隅田川」然だ。彼の村を流るゝ田川も、やはり玉川、玉川の孫であった。祖父様の玉川の水が出る頃は、この孫川の水も灰がゝった乳色になるのである。乞食は時々こゝに浴びる。去年の夏は照がつゞいたので、村居六年はじめて雨乞を見た。八幡に打寄って村の男衆が、神酒をあげ、「六根清浄………………懺悔〻〻」と叫んだあとで若い者が褌一つになって此二間幅の大川に飛び込み、肩から水を浴びて「六根清浄」……何とかして「さんげ〻〻〻」と口々に叫んだ。其声は舜旻天に号泣する声の如くいじらしく耳に響いた。霜の朝など八幡から眺めると、小川の上ばかり水蒸気がほうっと白く騰って、水の行衛が田圃はるかに指さゝれる。

筧の水音を枕に聞く山家の住居。山雨常に来るかと疑う渓声の裡。平時は汪々として声なく音なく、一たび怒る時万雷の崩るゝ如き大河の畔。裏に鳧を飼い門に舟を繋ぐ江湖の住居。色と動と音と千変万化の無尽蔵たる海洋の辺。野に饜いた彼には、此等のものが時々幻の如く立現われる。然しながら仮にサハラ、ゴビの一切水に縁遠い境に住まねばならぬとなったら如何であろう。また竈に蛭這い蛇寝床に潜る水国卑湿の地に住まねばならぬとなったら如何であろう。中庸は平凡である。然し平凡には平凡の意味があり強味がある。
田川の水よ。儞に筧の水の幽韻はない。雪氷を融かした山川の清冽は無い。瀑布の咆哮は無い。大河の溶々は無い。大海の汪洋は無い。儞は謙遜な農家の友である。高慢な心の角を折り、騒がしい気の遽たゞしさを抑えて、心静に儞の声低く語る教訓を聴かねばならぬ。
驟雨浴
両三日来、西の地平線上、甲相武信の境を造くる連山の空に当って、屡々黒雲が立った。遠寄の太鼓の様に雷も時々鳴る。黒雲の幕の中で、ぱっ/\と火花を散す様に、電光も射す。夕立が来ると云いながら、一滴も落ちずして二三日過ぎた。
土用太郎は涼しい彼の家でも九十一度と云う未曾有の暑気であった。土用二郎の今日は、朝来少し曇ったが、風と云うものはたと絶え、気温は昨日程上って居ないにも拘わらず、脂汗が流れた。
昼飯を食って汗になったので、天日で湯と沸いて居る庭の甕の水を浴び、籐の寝台に横になって新聞を見て居る内に、快い心地になって眠って了うた。
一寝入して眼をさますと、室内が暗くなって居る。時計を見ると、まだ二時廻ったばかりである。縁側に出て見た。南の方は明るく、午後二時の日がかん/\照って居るが、西の方が大分暗い。近村の二本松を前景にして、いつも近くは八王子在の高尾小仏、遠くて甲州東部の連峰が見ゆるあたりだけ、卵色の横幕を延いた様に妙に黄色になり、其上層は人を脅す様な真黯い色をして居る。西北の空が真暗になって、甲州の空の根方のみ妙に黄朱を抹った様になる時は、屹度何か出て来る。已に明治四十一年の春の暮、成人の握掌大の素晴しい雹が降った時も然だった。斯う思いながら縁から見て居ると、頭上の日はカン/\照りながら、西の方から涼しいと云うより寧冷たい気が吻々と吹っかけて来る。彼の家から、東は東京、南は横浜、夕立は滅多に其方からは来ぬ。夕立は矢張西若くは北の山から来る。山から都へ行く途中、彼が住む野の村を過ぎるのである。
西は本気に曇った。雷様も真面目に鳴り出した。最早多摩川の向うは降って居るのであろう。彼は大急ぎで下りて、庭に乾してあった仕事着やはだし足袋を取り入れた。帰って北の窓をあけると、面が冷やりとした。北の空は一面鼠色になって居る。日傭のおかみが大急ぎで乾し麦や麦からを取り入れて居る。
北の硝子窓をしめて、座敷の南縁に立って居ると、ぽつりと一つ大きな白い粒が落ちて、乾いて黄粉の様になった土にころりところんだ。
「来たぞ、来たぞ」
四十五歳の髯男、小供か小犬の様に嬉しい予期気分になって見て居ると、そろそろ落ち出した。大粒小粒、小粒大粒、かわる/″\斜に落ちては、地上にもんどりうって団子の様にころがる。二本松のあたり一抹の明色は薄墨色に掻き消されて、推し寄せて来る白い驟雨の進行が眼に見えて近づいて来る。
彼は久しく羨んで居た。熱帯を過ぐる軍艦の甲板で、海軍の将卒が折々やると云う驟雨浴「総員入浴用意!」の一令で、手早く制服をぬぎすて、石鹸とタオルを両手に抓んで、真黒の健児共がずらり甲板に列んだ処は、面白い見ものであろう。やがて雷鳴電光よろしくあって、錨索大の雨の棒が瀑布落しに撞々と来る。さあ、今だ。総員鶩の如くきゃッ/\笑い騒いで、大急ぎで石鹸を塗る、洗う。大洋の真中で大無銭湯が開かれるのだ。愚図々々すれば、石鹸を塗ったばかりの斑人形を残して、いたずらな驟雨はざあと駈けぬけて了う。四方水の上に居ながら、バケツ一ぱいの淡水にも中々ありつかれぬ海の子等に、蒸溜水の天水浴とは、何等贅沢の沙汰であろう。世界一の豪快は、甲板の驟雨浴であらねばならぬ。
不幸にして美的百姓氏は、海上ならぬ陸上に居る。熱帯ならぬ温帯に居る。壮快限り無い甲板の驟雨浴に真似られぬが、自己流の驟雨浴なら出来ぬことは無い。やって見るかな、と思うて居ると、妻児が来た。彼は手早く浴衣をぬいで真裸になり、突と走り出て、芝生の真中に棒立ちに立った。
ポトリ肩をうつ。脳天まで冷やりとする。またぽとり。ぽと/\ぽと/\。其たびに肩や腹や背が冷やり/\とする。好い気もちだ。然しまだ夕立の先手で、手痛くはやって来ぬ。
「此れをかぶっていらっしゃいな」
と云って、妻は硝子の大きな盂を持て来た。硝子は電気を絶縁する、雷よけのまじないにかぶれと謂うのだ。諾と受取って、いきなり頭にかぶった。黒眼鏡をかけた毛だらけの裸男が、硝子鉢を冠って、直立不動の姿勢をとったところは、新式の河童だ。不図思いついて、彼は頭上の硝子盂を上向けにし、両手で支えて立った。一つ二つと三十ばかり数うると、取り下ろして、ぐっと一気に飲み乾した。やわらかな天水である。二たび三たび興に乗じて此大觴を重ねた。
「もう上っていらっしゃいよ」
妻児が呼ぶ頃は、夕立の中軍まさに殺到して、四囲は真白い闇になった。電がピカリとする。雷が頭上で鳴る。ざあざあっと落ち来る太い雨に身の内撲たれぬ処もなく、ぐっと息が詰まる。驟雨浴もこれまでと、彼は滝の如く迸る樋口の水に足を洗わして、身震いして縁に飛び上った。
上ると土砂降りになった。庭の平たい甕の水を雨が乱れ撲って、無数の魚児の噞喁する様に跳ね上って居たが、其れさえ最早見えなくなった。
「呀、縁が」
と妻が叫んだ。南西からざァっと吹かけて来て、縁は忽川になった。妻と婢は遽てゝ書院の雨戸をくる。主人は障子、廊下の硝子窓をしめてまわる。一切の物音は絶えて、唯ざあと降る音、ざあっと吹く響ばかりである。忽珂瓈と硝子戸が響いた。また一つ珂瓈と響いた。雹である。彼はまだ裸であった。飛び下りて、雨の中から七八つ白いのを拾った。あまり大きなのではない。小指の尖位なのである。透明、不透明、不透明の核をもった半透明のもある。主人は二つ食った。妻は五六個食った。歯が痛い程冷たい。
座敷の縁は川になった。母屋の畳は湿る程吹き込んだ。家内は奥の奥まで冷たい水気がほしいまゝにかけ廻わる。
「あゝ好い夕立だ。降れ、降れ、降れ」
斯う呼わって居る内、夜の明くる様に西の空が明るくなり出した。霽際の繊い雨が、白い絹糸を閃めかす。一足縁へ出て見ると、東南の空は今真闇である。最早夕立の先手が東京に攻め寄せた頃である。二百万の人の子の遽てふためく状が見える様だ。
何時の間にかばったり雨は止んで、金光厳しく日が現われた。見る/\地面を流るゝ水が止まった。風がさあっと西から吹いて来る。庭の翠松がばら/\と雫を散らす。何処かでキリン/\と蜩が心地よく鳴き出した。
時計を見ると、二時三十分。夕立は唯三十分つゞいたのであった。
浴衣を引かけ、低い薩摩下駄を突かけて畑に出た。さしもはしゃいで居た畑の土がしっとりと湿うて、玉蜀黍の下葉やコスモスの下葉や、刎ね上げた土まみれになって、身重げに低れて居る。何処を見ても、うれしそうに緑がそよいで居る。東の方では雷がまだ鳴って居る。
「虹収仍白雨、雲動忽青山」
斯く打吟じつゝ西の方を見た。高尾、小仏や甲斐の諸山は、一風呂浴びて、濃淡の碧鮮やかに、富士も一筋白い竪縞の入った浅葱の浴衣を着て、すがすがしく笑んで居る。
「キリン、キリンキリン!」
蜩がまた一声鳴いた。
隣家の主人が女児を負って畑廻わりをして居る。
「好いおしめりでございました」
と云う挨拶を透垣越しに取りかわす。
二時間ばかりすると、明日は「おしめり正月」との言いつぎが来た。
詩篇を出して、大声に第六十五篇を朗詠する。
『爾地にのぞみて水そゝぎ、大に之をゆたかにし玉へり。神の川に水満ちたり。爾かくそなへをなして、穀物をかれらにあたへたまへり。爾畎を大にうるほし、畝をたひらにし、白雨にてこれをやはらかにし、その萌え出づるを祝し、また恩恵をもて年の冕弁としたまへり。爾の途には膏したゝれり。その恩滴は野の牧場をうるほし、小山はみな歓びにかこまる。牧場は皆羊の群を衣、もろ/\の谷は穀物におほはれたり。彼等は皆よろこびてよばはりまた謳ふ』
(明治四十五年 七月廿一日)
村芝居
裏の八幡で村芝居がある。
一昨日は、一字の男総出で、隣村の北沢から切組舞台を荷車で挽いて来た。昨日は終日舞台かけで、村で唯一人の大工は先月来仕かけて居る彼が家の仕事を休んで舞台や桟敷をかけた。今夜は愈芝居である。
十一月も深い夜の事だ。外套を着て、彼等夫妻は家を空虚にして出かけた。
平生から暗くて淋しい八幡界隈が、今夜は光明世界人間の顔の海に化けて居る。八幡横手の阪道から、宮裏の雑木林をかけて、安小間物屋、鮨屋、柿蜜柑屋、大福駄菓子店、おでん店、ずらりと並んで、カンテラやランプの油煙を真黒に立てゝ、人声がや/\噪いで居る。其中を縫うて、宮の横手に行くと、山茶花小さな金剛纂なぞ植え込んだ一寸した小庭が出来て居て、ランプを入れた燈籠が立ち、杉皮葺の仮屋根の下に墨黒々と「彰忠」の二大字を書いた板額が掲って居る。然る可き目的がなければ村芝居の興行は許されぬと云う其筋の御意だそうで、此度の芝居も村の諸君が智慧をしぼって、日露戦役記念の為とこじつけ、漸く役場や警察の許可を得た。其れについて幸い木目見事の欅板があるので、戦役記念の題字を書いてくれと先日村の甲乙が彼に持込んで来たが、書くが職業と云う条あまりの名筆故彼は辞退した。そこで何処かの坊さんに頼んだそうだが、坊さんは佳墨がなければ書けぬと云うたそうで、字を書かぬなら墨を貸してくれと村の人達が墨を借りに来た。幸い持合せの些泥臭いが見かけは立派な円筒形の大きな舶来唐墨があったので、快く用立てた。今夜見れば墨痕美わしく「彰忠」の二字に化って居る。
拝殿には、村の幹部が、其ある者は紋付羽織など引かけて、他村から来る者に挨拶したり、机に向って奉納寄進のビラを書いたりして居る。「さあ此方へ」と招かれる。ビラを書いてくれと云う。例の悪筆を申立てゝ逃げる。
拝殿から見下ろすと、驚く可し、東向きのだら/\坂になって居た八幡の境内が、何時の間にか歌舞伎座か音楽学校の演奏室の様な次第高の立派な観劇場になり済ました。坂の中段もとに平生並んで居る左右二頭の唐獅子は何処へか担ぎ去られ、其あとには中々馬鹿にはならぬ舞台花道が出来て居る。桟敷も左右にかいてある。拝殿下から舞台下までは、次第下りに一面莚を敷きつめ、村はもとより他村の老若男女彼此四五百人も、ぎっしり詰まって、煙草を喫ったり、話したり、笑ったり、晴れと着飾った銀杏返しの娘が、立って見たり座ったり、桟敷からつるした何十と云うランプの光の下にがや/\どよめいて居る。無論屋根が無いので、見物の頭の上には、霜夜の星がキラ/\光って居る。舞台横手のチョボの床には、見た様な朝鮮簾が下って居ると思うたは、其れは若い者等が彼の家から徴発して往った簾であった。花道には、一金何十銭也船橋何某様、一金何十銭也廻沢何某様と隙間もなくびらを貼った。引切りなしに最寄の村々から紋付羽織位引かけた人達がやって来る。拝殿の所へ来て、「今晩は御芽出度う、此はホンの何ですが」と紙包を出す。幹部が丁寧に答礼して、若い者を呼び、桟敷や土間に案内さす。ビラを書く紙がなくなった、紙を持て来うと幹部が呼ぶ。素通し眼鏡をかけたイナセな村の阿哥が走る。「ありゃ好い男だな」と他村の者が評する。耳の届く限り洋々たる歓声が湧いて、理屈屋の石山さんも今日はビラを書き/\莞爾〻〻上機嫌で居る。
彼等の来様が些晩かったので、三番叟は早や済んで居た。伊賀越の序幕は、何が何やら分からぬ間に過ぎた。彼等夫妻も拝殿から下りて、土間に割り込み、今幕があいた沼津の場面を眺める。五十円で買われて来た市川某尾上某の一座が、団十菊五芝翫其方退けとばかり盛に活躍する。お米は近眼の彼には美しく見えた。お米の手に持つ菊の花、飾った菊の植木鉢、それから借金取が取って掃き出す手箒も、皆彼の家から若者等が徴発して往ったのである。分かるも、分からぬも、観客は口あんごりと心も空に見とれて居る。平作は好かった。隣に座って居る彼が組頭の恵比寿顔した爺さんが眼を霑まして見て居る。頭上の星も、霜夜も、座下の荒莚も忘れて、彼等もしばし忘我の境に入った。やがてきり〻〻と舞台が廻る。床下で若者が五人がゝりで廻すのである。村芝居に廻り舞台は中々贅沢なものだ。
次ぎは直ぐ仇討の幕になった。狭い舞台にせゝこましく槍をしごいたり眉尖刀を振ったり刀を振り廻したりする人形が入り乱れた。唐木政右衛門が二刀を揮って目ざましく働く。「あの腰付を御覧なさい」と村での通人仁左衛門さんが嘆美する。「星合団四郎なンか中々強いやつが向う方に居るのですからナ」と講談物仕入れの智識をふり廻す。
夜は最早十二時。これから中幕の曾我対面がある。彼等は見残して、留守番も火の気も無い家に帰った。平作やお米が踊る彼等が夢の中にも、八幡の賑合は夜すがら海の音の様に響いて居た。
(明治四十年 十一月)
夏の頌
一
夏は好い。夏が好い。夏ばかりでも困ろうが、四時春なンか云う天国は平に御免を蒙る。米国加州人士の中には、わざ〻〻夏を迎えに南方に出かける者もあるそうな。不思議はない。
夏は放胆の季節だ。小心怯胆屑々乎たる小人の彼は、身をめぐる自然の豪快を仮って、纔に自家の気焔を吐くことが出来る。排外的に立籠めた戸障子を思いきり取り払う。小面倒な着物なンか脱いでしもうて、毛深い体丸出しの赤裸々黒条々をきめ込む。大抵の客には裸体若くは半裸体で応接する。一夏過ぎると、背も腹も手足も、海辺に一月も過した様に真黒になる。臆病者も頗英雄になった気もちだ。夏の快味は裸の快味だ。裸の快味は懺悔の快味だ。さらけ出した体の土用干、霊魂の煤掃き、あとの清々しさは何とも云えぬ。起きぬけに木の下で冷たい水蜜桃をもいでがぶりと喰いついたり、朝露に冷え切った水瓜を畑で拳固で破って食うたり、自然の子が自然に還る快味は言葉に尽せぬ。
彼が家では、夏の夕飯をよく芝生でやる。椅子テーブルのこともあり、蓆を敷いて低い食卓の事もある。金を爍かす日影椎の梢に残り、芝生はすでに蔭に入り、蜩の声何処からともなく流れて来ると、成人も子供も嬉々として青芝の上の晩餐の席に就くのである。犬や猫が、主人も大分開けて我党に近くなった、頗話せると云った様な顔をして、主人の顔と食卓の上を等分に見ながら、おとなしく傍に附いて居る。毎常の夕飯がうまく喰われる、永くなる。梢に残った夕日が消えて、樺色の雲が一つ波立たぬ海の様な空に浮いて居る。夏の夕明は永い。まだ暮れぬ、まだ暮れぬ、と思う間に、其まゝすうと明るくなりまさる、眼をあげると、何時の間にか頭の上にまん丸な月が出て居て、団欒の影黒く芝生に落ちて居る。
二
強烈な日光の直射程痛快なものは無い。日蔭幽に笑む白い花もあわれ、曇り日に見る花の和かに落ちついた色も好いが、真夏の赫々たる烈日を存分受けて精一ぱい照りかえす花の色彩の美は何とも云えぬ。彼は色が大好きである。緋でも、紅でも、黄でも、紫でも、碧でも、凡そ色と云う色皆焔と燃え立つ夏の日の花園を、経木真田の帽一つ、真裸でぶらつく彼は、色の宴、光の浴に恍惚とした酔人である。彼は一滴の酒も飲まぬが、彼は色にはタワイもなく酔う。曾て戯れにある人のはがき帖に、
此身蝶にもあるまじけれど
わけもなくうれしかりけり日は午なる
真夏の園の花のいろ/\
三
変化の鮮やかは夏の特色である。彼の郷里熊本などは、昼間は百度近い暑さで、夜も油汗が流れてやまぬ程蒸暑い夜が少くない。蒲団なンか滅多に敷かず、蓙一枚で、真裸に寝たものだ。此様でも困る。朝顔の花一ぱいにたまる露の朝涼、岐阜提灯の火も消えがちの風の晩冷、涼しさを声にした様な蜩に朝涼夕涼を宣らして、日間は草木も人もぐったりと凋るゝ程の暑さ、昼夜の懸隔する程、夏は好いのである。
ヒマラヤを五も積み重ねた雲の峰が見る間に崩れ落ちたり、濃いインキの一点を天の一角にうった雲が十分間に全天空を鼠色に包んだり、電を閃かしたり、雹を撒いたり、雷を鳴らしたり、夕立になったり、虹を見せたり。而して急に青空になったり、分秒を以てする天空の変化は、眼にもとまらぬ早わざである。夏の天に目ざましい変化があれば、夏の地にも鮮やかな変化がある。尺を得れば尺、寸を獲れば寸と云う信玄流の月日を送る田園の人も、夏ばかりは謙信流の一気呵成を作物の上に味わうことが出来る。生憎草も夏は育つが、さりとて草ならぬものも目ざましく繁る。煙管啣えて、後手組んで、起きぬけに田の水を見る辰爺さんの眼に、露だらけの早稲が一夜に一寸も伸びて見える。昨日花を見た茄子が、明日はもうもげる。瓜の蔓は朝々伸びて、とめてもとめても心をとめ切れぬ。二三日打っちゃって置くと、甘藷の蔓は八重がらみになる。如何に一切を天道様に預けて、時計に用がない百姓でも、時には斯様なはき/\した成績を見なければ、だらけてしまう。夏は自然の「ヤンキーズム」だ。而して此夏が年が年中で、正月元日浴衣がけで新年御芽出度も困りものだが、此処らの夏はぐず/\するとさっさと過ぎてしまう位なので、却ってよいのである。
四
夏の命は水だが、川らしい川に遠く、海に尚遠い斯野の村では、水の楽が思う様にとれぬ。
昨年の夏、彼は大きな甕を買った。径三尺、深さは唯一尺五寸の平たい甕である。これを庭の芝生の端に据えて、毎朝水晶の様な井の水を盈たして置く。大抵大きなバケツ八はいで溢るゝ程になる。水気の少い野の住居は、一甕の水も琵琶洞庭である。太平洋大西洋である。書斎から見ると、甕の水に青空が落ちて、其処に水中の天がある。時々は白雲が浮く。空を飛ぶ五位鷺の影も過ぎる。風が吹くと漣が立つ。風がなければ琅玕の如く凝って居る。
日は段々高く上り、次第に熱して来る。一切の光熱線が悉く此径三尺の液体天地に投射せらるゝかと思われる。冷たく井を出た水も、日の熱心にほだされて、段々冷たくなくなる。生温くなる。所謂日なた水になる。正午の頃は最早湯だ。非常に暑い日は、甕の水もうめ水が欲しい程に沸く。
午後二時三時の交は、涼しいと思う彼の家でも、九十度にも上る日がある。風がぱったり止まる日がある。昼寝にも飽きる。新聞を見るすらいやになる。此時だ、此時彼は例の通り素裸で薩摩下駄をはき、手拭を持って、突と庭に出る。日ざかりの日は、得たりや応と真裸の彼を目がけて真向から白熱箭を射かける。彼は遽てず騒がず悠々と芝生を歩んで、甕の傍に立つ。先眼鏡をとって、ドウダンの枝にのせる。次ぎに褌をとって、春モミジの枝にかける。手拭を右の手に握り、甕から少しはなれた所に下駄を脱いで、下駄から直に大胯に片足を甕に踏み込む。呀、熱、と云いたい位。つゞいて一方の足も入れると、一気に撞と尻餅搗く様に坐わる。甕の縁を越して、水がざあっと溢れる。彼は悠然と甕の中に坐って、手拭を濡らして、頭から面、胸から手と、ゆる/\洗う。水はます/\溢れて流れる。乾いた庭に夕立のあとの如く水が流れる。油断をした蟻や螻が泡を喰って逃げる。逃げおくれて流される。彼は好い気もちになって、じいと眼をつぶる。眼を開いて徐に見廻わす。上には青天がある。下には大地がある。中には赤裸の彼がある。見物人は、太陽と雀と虫と樹と草と花と家ばかりである。時々は褌の洗濯もする。而してそれを楓の枝に曝らして置く。五分間で火熨斗をした様に奇麗に乾く。
十分十五分ばかりして、甕を出る。濡手拭を頭にのせたまゝ、四体は水の滴るゝまゝに下駄をはいて、今母の胎内を出た様に真裸で、天上天下唯我独尊と云う様な大踏歩して庭を歩いて帰る。帰って縁に上って、手拭で悉皆体を拭いて、尚暫くは縁に真裸で立って居る。全く一皮脱いだ様で、己が体のあたりばかり涼しい気がそよぐ。縁から見ると、七分目に減った甕の水がまだ揺々して居る。其れは夕蔭に、乾き渇いた鉢の草木にやるのである。稀には彼が出たあとで、妻児が入ることもある。青天白日、庭の真中で大びらに女が行水するも、田舎住居のお蔭である。
夏は好い。夏が好い。
低い丘の上から
一
彼は毎に武蔵野の住民と称して居る。然し実を云えば、彼が住むあたりは、武蔵野も場末で、景が小さく、豪宕な気象に乏しい。真の武蔵野を見るべく、彼の家から近くて一里強北に当って居る中央東線の鉄路を踏み切って更に北せねばならぬ。武蔵野に住んで武蔵野の豪宕莽蒼の気を領することが出来ず、且居常流水の音を耳にすることが出来ぬのが、彼の毎々繰り返えす遺憾である。然し縁なればこそ来て六年も住んだ土地だ。平凡は平凡ながら、平凡の趣味も万更捨てたものでもない。
彼の住居は、東京の西三里、玉川の東一里、甲州街道から十丁程南に入って、北多摩郡中では最も東京に近い千歳村字粕谷の南耕地と云って、昔は追剥が出たの、大蛇が出て婆が腰をぬかしたのと伝説がある徳川の御林を、明治近くに拓いたものである。林を拓いて出来た新開地だけに、いずれも古くて三十年二十年前株を分けてもらった新家の部落で、粕谷中でも一番新しく、且人家が殊に疎な方面である。就中彼の家は此新部落の最南端に一つ飛び離れて、直ぐ東隣は墓地、生きた隣は背戸の方へ唯一軒、加之小一丁からある。田圃向うの丘の上を通る青山街道から見下ろす位の低い丘だが、此方から云えば丘の南端に彼の家はあって、東一帯は八幡の森、雑木林、墓地の木立に塞がれて見えぬが、南と西とは展望に障るものなく、小さなパノラマの様な景色が四時朝夕眺められる。
二
三鷹村の方から千歳村を経て世田ヶ谷の方に流るゝ大田圃の一の小さな枝が、入江の如く彼が家の下を東から西へ入り込んで居る。其西の行きどまりは築き上げた品川堀の堤の藪だたみになって、其上から遠村近落の樫の森や松原を根占にして、高尾小仏から甲斐東部の連山が隠見出没して居る。冬は白く、春は夢の様に淡く、秋の夕は紫に、夏の夕立後はまさまさと青く近寄って来る山々である。近景の大きな二本松が此山の鏈を突破して居る。
此山の鏈を伝うて南東へ行けば、富士を冠した相州連山の御国山から南端の鋭い頭をした大山まで唯一目に見られる筈だが、此辺で所謂富士南に豪農の防風林の高い杉の森があって、正に富士を隠して居る。少し杉を伐ったので、冬は白いものが人を焦らす様にちら/\透いて見えるのが、却て懊悩の種になった。あの杉の森がなかったら、と彼は幾度思うたかも知れぬ。然し此頃では唯其杉の伐られんことを是れ恐るゝ様になった。下枝を払った百尺もある杉の八九十本、欝然として風景を締めて居る。斯杉の森がなかったら、富士は見えても、如何に浅薄の景色になってしまったであろう。春雨の明けの朝、秋霧の夕、此杉の森の梢がミレージの様に靄から浮いて出たり、棚引く煙を紗の帯の如く纏うて見たり、しぶく小雨に見る/\淡墨の画になったり、梅雨には梟の宿、晴れた夏には真先に蜩の家になったり、雪霽には青空に劃然と聳ゆる玉樹の高い梢に百点千点黒い鴉をとまらして見たり、秋の入日の空樺色に曛ずる夕は、濃紺濃紫の神秘な色を湛えて梢を距る五尺の空に唯一つ明星を煌めかしたり、彼の杉の森は彼に尽きざる趣味を与えてくれる。
三
彼の家の下なる浅い横長の谷は、畑が重で、田は少しであるが、此入江から本田圃に出ると、長江の流るゝ様に田が田に連なって居る。まだ北風の寒い頃、子を負った跣足の女の子が、小目籠と庖刀を持って、芹、嫁菜、薺、野蒜、蓬、蒲公英なぞ摘みに来る。紫雲英が咲く。蛙が鳴く。膝まで泥になって、巳之吉亥之作が田螺拾いに来る。簑笠の田植は骨でも、見るには画である。螢には赤い火が夏の夜にちら/\するのは、子供が鰌突きして居るのである。一条の小川が品川堀の下を横に潜って、彼の家の下の谷を其南側に添うて東へ大田圃の方へと流れて居る。最初は女竹の藪の中を流れ、それから稀に葭を交えた萱の茂る土堤の中を流れる。夏は青々として眼がさめる。葭切、水鶏の棲家になる。螢が此処からふらりと出て来て、田面に乱れ、墓地を飛んでは人魂を真似て、時々は彼が家の蚊帳の天井まで舞い込む。夏は翡翠の屏風に光琳の筆で描いた様に、青萱まじりに萱草の赭い花が咲く。萱、葭の穂が薄紫に出ると、秋は此小川の堤に立つ。それから日に/\秋風をこゝに見せて、其薄紫の穂が白く、青々とした其葉が黄ばみ、更に白らむ頃は、漬菜を洗う七ちゃんが舌鼓うつ程、小川の水は浅くなる。行く/\年闌けて武蔵野の冬深く、枯るゝものは枯れ、枯れたものは乾き、風なき日には光り、風ある日にはがさ/\と人が来るかの様に響く。其内ある日近所の辰さん兼さんが簌々簌々と音さして悉皆堤の上のを苅って、束にして、持って往って了う。あとは苅り残されの枯尾花や枯葭の二三本、野茨の紅い実まじりに淋しく残って居る。覗いて見ると、小川の水は何処へ潜ったのか、窪い水道だけ乾いたまゝに残される。
四
谷の向う正面は、雑木林、小杉林、畑などの入り乱れた北向きの傾斜である。此頃は其筋の取締も厳重になったが、彼が引越して来た当座は、まだ賭博が流行して、寒い夜向うの雑木林に不思議の火を見ることもあった。其火を見ぬ様になったはよいが、真正面に彼が七本松と名づけて愛でゝ居た赤松が、大分伐られたのは、惜しかった。此等の傾斜を南に上りつめた丘の頂は、隣字の廻沢である。雑木林に家がホノ見え、杉の森に寺が隠れ、此程並木の櫟を伐ったので、畑の一部も街道も見える。彼が粕谷に住んだ六年の間に、目通りに木羽葺が一軒、麦藁葺が一軒出来た。最初はけば/\しい新屋根が気障に見えたが、数年の風日は一を燻んだ紫に、一を淡褐色にして、あたりの景色としっくり調和して見せた。此丘を甲州街道の滝阪から分岐して青山へ行く青山街道が西から東へと這って居る。青山に出るまでには大きな阪の二つもあるので、甲州街道の十分の一も往来は無いが、街道は街道である。肥車が通う。馬士が歌うて荷馬車を牽いて通る。自転車が鈴を鳴らして行く。稀に玉川行の自動車が通る。年に幾回か人力車が通る。道は面白い。座って居て行路の人を眺むるのは、断片の芝居を見る様に面白い。時々は緑の油箪や振りの紅を遠目に見せて嫁入りが通る。附近に寺があるので、時々は哀しい南無阿弥陀ァ仏の音頭念仏に導かれて葬式が通る。
街道は此丘を東に下りて、田圃を横ぎり、また丘に上って、東へ都へと這って行く。田圃をはさむ南北の丘が隣字の船橋で、幅四丁程の此田圃は長く世田ヶ谷の方へつゞいて居る。田圃の遙東に、いつも煙が幾筋か立って居る。一番南が目黒の火薬製造所の煙で、次が渋谷の発電所、次ぎが大橋発電所の煙である。一度東京から逗留に来た幼ない姪が、二三日すると懐家病に罹って、何時も庭の端に出ては右の煙を眺めて居た。五月雨で田圃が白くなり、雲霧で遠望が煙にぼかさるゝ頃は、田圃の北から南へ出る岬と、南から北へと差出る𡽶とが、宛ながら入江を囲む崎の如く末は海かと疑われる。廻沢と云い、船橋と云い、地形から考えても、昔は此田圃は海か湖かであったろうと思われる。
五
谷から向うの丘にかけて、麦と稲とが彼の為に一年両度緑になり黄になってくれる。雑木林が、若葉と、青葉と、秋葉と、三度の栄を見せる。常見てはありとも見えぬ辺に、春来れば李や梅が白く、桃が紅く、夏来れば栗の花が黄白く、秋は其処此処に柿紅葉、白膠木紅葉、山紅葉が眼ざましく栄える。雪も好い。月も好い。真暗い五月闇に草舎の紅い火を見るも好い。雨も好い。春陰も好い。秋晴も好い。降る様な星の夜も好い。西の方甲州境の山から起って、玉川を渡り、彼が住む村を過ぎて東京の方へ去る夕立を目迎えて見送るに好い。向うの村の梢に先ず訪ずれて、丘の櫟林、谷の尾花が末、さては己が庭の松と、次第に吹いて来る秋風を指点するに好い。翳ったり、照ったり、躁いだり、黙ったり、雲と日と風の丘と谷とに戯るゝ鬼子っこを見るにも好い。白鯉の鱗を以て包んだり、蜘蛛の糸を以て織りなした縮羅の巾を引きはえたり、波なき海を縁どる夥しい砂浜を作ったり、地上の花を羞じ凋ます荘厳偉麗の色彩を天空に輝かしたり、諒闇の黒布を瞬く間に全天に覆うたり、摩天の白銅塔を見る間に築き上げては奈翁の雄図よりも早く微塵に打崩したり、日々眼を新にする雲の幻術天象の変化を、出て見るも好い。
四辺が寂しいので、色々な物音が耳に響く。鄙びて長閑な鶏の声。あらゆる鳥の音。子供の麦笛。うなりをうって吹く二百十日の風。音なくして声ある春の雨。音なく声なき雪の緘黙。単調な雷の様で聞く耳に嬉しい籾摺りの響。凱旋の爆竹を聞く様な麦うちの響。秋祭りの笛太鼓。月夜の若い者の歌。子供の喜ぶ飴屋の笛。降るかと思うと忽ち止む時雨のさゝやき。東京の午砲につゞいて横浜の午砲。湿った日の電車汽車の響。稀に聞く工場の汽笛。夜は北から響く烏山の水車。隣家で井汲む音。向うの街道を通る行軍兵士の靴音や砲車の響。小学校の唱歌。一丁はなれた隣家の柱時計が聞こゆる日もある。一番好いのは、春四月の末、隣の若葉した雑木林に朝日が射す時、ぽたり……ぽたりと若葉を辷る露の滴りを聴くのである。
夏秋の虫の音の外に、一番嬉しいのは寺の鐘。真言宗の安穏寺。其れはずッと西南へ寄って、寺は見えぬが、鐘の音は聞こえる。東覚院、これも真言宗、つい向うの廻沢にあって、寺は見えぬが、鐘の音は一番近い。尤も東にあるのが船橋の宝性寺、日蓮宗で、其草葺の屋根と大きな目じるしの橡の木は、小さく彼の縁から指さゝれる。
大木は地の栄である。彼の周囲に千年の古木は無い。甲州の山鏈を突破する二本松と、豪農の杉の森の外、木らしい木は、北の方三丁ばかり畑を隔てゝ欅の杜の大欅が亭々と天を摩して聳えて居る。其若葉は此あたりで春の目じるし、其鳶色は秋も深い目じるしである。北の方は、此欅の中の欅と下枝を払った数本のはら/\松を点景にして、林から畑、畑から村と、遠く武蔵野につゞいて居る。
六
家の門口は東にある。出ると直ぐ雑木林。彼の有ではないが、千金啻ならず彼に愛される。彼が家の背に、三角形をなす小さな櫟林と共に、春夏の際は若葉青葉の隧道を造る。青空から降る雨の様に落葉する頃は、人の往来の足音が耳に立つ。蛇の巣でもあるが、春は香の好いツボスミレ、金蘭銀蘭、エゴ、ヨツドヽメ、夏は白百合、撫子花、日おうぎ、秋は萩、女郎花、地楡、竜胆などが取々に咲く。ヨツドヽメの実も紅の玉を綴る。楢茸、湿地茸も少しは立つ。秋はさながらの虫籠で、松虫鈴虫の好い音はないが、轡虫などは喧しい程で、ともすれば家の中まで舞い込んでわめき立てる。今は無くなったが、先年まで其林の南、墓地の東隣に家があって、十五六の唖の兄と十二三になる盲の弟が、兄が提灯つけて見る眼を働かすれば、弟が聞く耳を立てゝ虫の音を指し、不具二人寄って一人前の虫採をしたものだ。最早其家はつぶれ、弟は東京で一人前の按摩になり、兄は本家に引取られて居るが、虫は秋毎に依然として鳴いて居る。家がさながら虫の音に溺れる様な宵がある。

大正十二年九月一日の大震に倒れただけで無事だった地蔵尊が、大正十三年一月十五日の中震に二たび倒れて無惨や頭が落ちました。私共の身代りになったようなものです。身代り地蔵と命名して、倒れたまま置くことにしました。
大正十三年 春彼岸の中日



