草葉のささやき
二百円
樫の実が一つぽとりと落ちた。其幽な響が消えぬうちに、突と入って縁先に立った者がある。小鼻に疵痕の白く光った三十未満の男。駒下駄に縞物ずくめの小商人と云う服装。眉から眼にかけて、夕立の空の様な真闇い顔をして居る。
「私は是非一つ聞いていたゞきたい事があるンで」
と座に着くなり息をはずませて云った。
「私は妻に不幸な者でして……斯申上げると最早御分かりになりましょうが」
最初は途切れ/\に、あとは次第に調子づいて、盈ちた心を傾くる様に彼は熱心に話した。
彼は埼玉の者、養子であった。繭商法に失敗して、養家の身代を殆んど耗ってしまい、其恢復の為朝鮮から安東県に渡って、材木をやった。こゝで妻子を呼び迎えて、暫暮らして居たが、思わしい事もないので、大連に移った。日露戦争の翌年の秋である。大連に来て好い仕事もなく、満人臭い裏町にころがって居る内に、子供を亡くしてしまった。
「可愛いやつでした。五歳でした、女児でしたがね、其れはよく私になずいて居ました。国に居た頃でも、私が外から帰って来る、母や妻は無愛想でしても、女児が阿爺、阿爺と歓迎して、帽子をしまったり、其れはよくするのです。私も全く女児を亡くしてがっかりしてしまいました。病気は急性肺炎でしたがね、医者に駈けつけ頼むと、来ると云いながら到頭来ません。其内息を引きとってしまったンです。医者は耶蘇教信者だそうですが、私が貧乏者なんだから、それで其様な事をしたものでしょう。尤も医者もあとで吾子を亡くして、自分が曾て斯々の事をした、それで斯様な罰を受けたと懺悔したそうですがね」
彼は暫く眼をつぶって居た。
「それから?」
「それから何時まで遊んでも居られませんから、夫婦である会社――左様、大連で一と云って二と下らぬ大きな会社と云えば大概御存じでしょう、其会社のまあ大将ですね、其大将の家に奉公に住み込みました。何しろ大連で一と云って二と下らぬ会社なものですから、生活なンかそりゃ贅沢なもンです。召使も私共夫婦の外に五六人も居ました。奥さんは好い方で、私共によく眼をかけてくれました。其内奥さんは何か用事で一寸内地へ帰られました。奥さんが内地へ帰られてから、二週間程経つと、如何も妻の容子が変って来ました。――妻ですか、何、美人なもンですか、些も好くはないのです」と彼は吐き出す様に云った。
「妻の容子がドウも変になりました。私も気をつけて見て居ると、腑に落ちぬ事がいくらもあるのです。主人が馬車で帰って来ます。二階で呼鈴が鳴ると、妻が白いエプロンをかけて、麦酒を盆にのせて持て行くのです。私は階段下に居ます。妻が傍眼に一寸私を見て、ずうと二階に上って行く。一時間も二時間も下りて来ぬことがあります。私は耳をすまして二階の物音を聞こうとしたり、窃と主人の書斎の扉の外に抜足してじいッと聴いたり、鍵の穴からも覗いて見ました。が、厚い厚い扉です。中は寂然して何を為て居るか分かりません。私は実に――」
彼は泣き声になった。一つに寄った真黒い彼の眉はビリ/\動いた。唇は顫えた。
「妻の眼色を読もうとしても、主人の貌色に気をつけても、唯疑念ばかりで証拠を押えることが出来ません。斯様な処に奉公するじゃないと幾度思ったか知れません。また其様妻に云ったことも一度や二度じゃありません。けれども妻は其度に腹を立てます。斯様にお世話になりながら奥様のお留守にお暇をいたゞくなんかわたしには出来ない、其様に出たければあなた一人で勝手に何処へでもお出なさい、何処ぞへ仕事を探がしに御出なさい、と突慳貪に云うンです。最早私も堪忍出来なくなりました」
「そこである日妻を無理に大連の郊外に連れ出しました。誰も居ない川原です。種々と妻を詰問しましたが、如何しても実を吐きません。其れから懐中して居た短刀をぬいて、白状するなら宥す、嘘を吐くなら命を貰うからそう思え、とかゝりますと、妻は血相を変えて、全く主人に無理されて一度済まぬ事をした、と云います。嘘を吐け、一度二度じゃあるまい、と畳みかけて責めつけると、到頭悉皆白状してしまいました」
彼はホウッと長い息をついた。
「それから私は主人に詰問の手紙を書きました。すると翌日主人が私を書斎に呼びまして『ドウも実に済まぬ事をした。主人の俺が斯う手をついてあやまるから、何卒内済にしてくれ。其かわり君の将来は必俺が面倒を見る。屹度成功さす。これで一先ず内地に帰ってくれ』と云って、二百円、左様、手の切れる様な十円札でした、二百円呉れました」
「君は其二百円を貰ったンだね、何故其短刀で其男を刺殺さなかった?」
彼は俯いた。
「それから?」
「それから一旦内地に帰って、また大連に行きました。最早主人は私達に取合いません。面会もしてくれません」
「而して今は?」
「今は東京の場末に、小さな小間物屋を出して居ます」
「細君は?」
「妻は一緒に居るのです」
話は暫く絶えた。
「一緒に居ますが、面白くなくて/\、胸がむしゃくしゃして仕様がないものですから、それで今日は――」
*
忽然と風の吹く様に来た男は、それっきり影も見せぬ。
百草園
田の畔に赭い百合めいた萱草の花が咲く頃の事。ある日太田君がぶらりと東京から遊びに来た。暫く話して、百草園にでも往って見ようか、と主人は云い出した。百草園は府中から遠くないと聞いて居る。府中まではざッと四里、これは熟路である。時計を見れば十一時、ちと晩いかも知れぬが、然し夏の日永の折だ、行こう行こうと云って、早昼飯を食って出かけた。
大麦小麦はとくに刈られて、畑も田も森も林も何処を見ても緑ならぬ処もない。其緑の中を一条白く西へ西へ山へ山へと這って行く甲州街道を、二人は話しながらさッさと歩いた。太田君は紺絣の単衣、足駄ばきで古い洋傘を手挾んで居る。主人の彼は例のカラカフス無しの古洋服の一張羅に小豆革の帯して手拭を腰にぶらさげ、麦藁の海水帽をかぶり、素足に萎えくたれた茶の運動靴をはいて居る。二人はさッさと歩いた。太田君は以前社会主義者として、主義宣伝の為、平民社の出版物を積んだ小車をひいて日本全国を漫遊しただけあって、中々健脚である。主人は歩くことは好きだが、足は云う甲斐もなく弱い。一日に十里も歩けば、二日目は骨である。二人は大胯に歩いた。蒸暑い日で、二人はしば/\額の汗を拭うた。
府中に来た。千年の銀杏、欅、杉など欝々蒼々と茂った大国魂神社の横手から南に入って、青田の中の石ころ路を半里あまり行って、玉川の磧に出た。此辺を分倍河原と云って、新田義貞大に鎌倉北条勢を破った古戦場である。玉川の渡を渡って、また十丁ばかり、長堤を築いた様に川と共に南東走する低い連山の中の唯有る小山を攀じて百草園に来た。もと松蓮寺の寺跡で、今は横浜の某氏が別墅になって居る。境内に草葺の茶屋があって、料理宿泊も出来る。茶屋からまた一段堆丘を上って、大樹に日をよけた恰好の観望台がある。二人は其処の素床に薄縁を敷いてもらって、汗を拭き、茶をのみ、菓子を食いながら眼を騁せた。
東京近在で展望無双と云わるゝも譌ではなかった。生憎野末の空少し薄曇りして、筑波も野州上州の山も近い秩父の山も東京の影も今日は見えぬが、つい足下を北西から南東へ青白く流るゝ玉川の流域から「夕立の空より広き」と云う武蔵野の平原をかけて自然を表わす濃淡の緑色と、磧と人の手のあとの道路や家屋を示す些の灰色とをもて描かれた大きな鳥瞰画は、手に取る様に二人が眼下に展げられた。「好い喃」二人はかわる/″\景を讃めた。
やゝ眺めて居る内に、緑の武蔵野がすうと翳った。時計をもたぬ二人は最早暮るゝのかと思うた。蒸暑かった日は何時しか忘られ、水気を含んだ風が冷々と顔を撫でて来た。唯見ると、玉川の上流、青梅あたりの空に洋墨色の雲がむら/\と立って居る。
「夕立が来るかも知れん」
「然、降るかも知れんですな」
二人は茶菓の代を置いて、山を下りた。太田君はこれから日野の停車場に出て、汽車で帰京すると云う。日野までは一里強である。山の下で二人は手を分った。
「それじゃ」
「じゃ又」
人家の珊瑚木の生籬を廻って太田君の後姿は消えた。残る一人は淋しい心になって、西北の空を横眼に見上げつゝ渡の方へ歩いて行った。川上の空に湧いて見えた黒雲は、玉川の水を趁うて南東に流れて来た。彼の一足毎に空はヨリ黯くなった。彼は足を早めた。然し彼の足より雲の脚は尚早かった。一の宮の渡を渡って分倍河原に来た頃は、空は真黒になって、北の方で殷々闐々雷が攻太鼓をうち出した。農家はせっせとほし麦を取り入れて居る。府中の方から来る肥料車も、あと押しをつけて、曳々声して家の方へ急いで居る。
「太田君は何の辺まで往ったろう?」
彼は一瞬時斯く思うた。而して今にも泣き出しそうな四囲の中を、黙って急いだ。
府中へ来ると、煤色に暮れた。時間よりも寧空の黯い為に町は最早火を点して居る。早や一粒二粒夕立の先駆が落ちて来た。此処で夕立をやり過ごすかな、彼は一寸斯く思うたが、こゝに何時霽れるとも知らぬ雨宿りをすべく彼の心はとく四里を隔つる家に急いで居た。彼は一の店に寄って糸経を買うて被った。腰に下げた手拭をとって、海水帽の上から確と頬被をした。而して最早大分硬ばって来た脛を踏張って、急速に歩み出した。
府中の町を出はなれたかと思うと、追かけて来た黒雲が彼の頭上で破裂した。突然に天の水槽の底がぬけたかとばかり、雨とは云わず瀑布落しに撞々と落ちて来た。紫色の光がぱッと射す。直ぐ頭上で、火薬庫が爆発した様に劇しい雷が鳴った。彼はぐっと息が詰った。本能的に彼は奔り出したが、所詮此雷雨の重囲を脱けることは出来ぬと観念して、歩調をゆるめた。此あたりは、宿と村との中間で、雷雨を避くべき一軒の人家もない。人通りも絶え果てた。彼は唯一人であった。雨は少しおだれるかと思うと、また思い出した様にざあ〻〻ドウ〻〻と漲り落ちた。彼の頬被りした海水帽から四方に小さな瀑が落ちた。糸経を被った甲斐もなく総身濡れ浸りポケットにも靴にも一ぱい水が溜った。彼は水中を泳ぐ様に歩いた。紫色や桃色の電がぱっ/\と一しきり闇に降る細引の様な太い雨を見せて光った。ごろ/\/\雷がやゝ遠のいたかと思うと、意地悪く舞い戻って、夥しい爆竹を一度に点火した様に、ぱち/\/\彼の頭上に砕けた。長大な革の鞭を彼を目がけて打下ろす音かとも受取られた。其度に彼は思わず立竦んだ。如何しても落ちずには済まぬ雷の鳴り様である。何時落ちるかも知れぬと最初思うた彼は、屹度落ちると覚期せねばならなかった。屹度彼の頭上に落ちると覚期せねばならなかった。此街道の此部分で、今動いて居る生類は彼一人である。雷が生き者に落ちるならば即ち彼の上に落ちなければならぬ。雷にうたれて死ぬ運命の人間が、地の此部分にあるなら、其は取りも直さず彼でなくてはならぬ。彼は是非なく死を覚期した。彼は生命が惜しくなった。今此処から三里隔てゝ居る家の妻の顔が歴々と彼の眼に見えた。彼は電光の如く自己の生涯を省みた。其れは美しくない半生であった。妻に対する負債の数々も、緋の文字をもて書いた様に顕れた。彼は此まゝ雷にうたれて死んだあとに残る者の運命を考えた。「一人はとられ一人は残さるべし」と云う聖書の恐ろしい宣告が彼の頭に閃いた。彼は反抗した。然し其反抗の無益なるを知った。雷はます/\劇しく鳴った。最早今度は落ちた、と彼は毎々観念した。而して彼の心は却て落ついた。彼の心は一種自己に対し、妻に対し、一切の生類に対する憐愍に満された。彼の眼鏡は雨の故ならずして曇った。斯くして夕暮の街道二里を、彼は雷と共に歩いた。
調布の町に入る頃は、雷は彼の頭上を過ぎて、東京の方に鳴った。雨も小降りになり、やがて止んだ。暮れたと思うた日は、生白い夕明になった。調布の町では、道の真中に五六人立って何かガヤ/\云いながら地を見て居る。雷が落ちたあとであろう、煙の様なものがまだ地から立って居る。戸口に立ったかみさんが、向うのかみさんを呼びかけ、
「洗濯物取りに出りゃあの雷だね、わたしゃ薪小屋に逃げ込んだきり、出よう/\と思ったけンど、如何しても出られなかったゞよ」
と云って居る。
雷雨が過ぎて、最早大丈夫と思うと、彼は急に劇しい疲労を覚えた。濡れた洋服の冷たさと重たさが身にこたえる。足が痛む。腹はすく。彼は重たい/\足を曳きずって、一足ずつ歩いた。滝坂近くなる頃は、永い/\夏の日もとっぶり暮れて了うた。雨は止んだが、東北の空ではまだ時々ぱッ/\と稲妻が火花を散らして居る。
家へ六七丁の辺まで辿り着くと、白いものが立って居る。それは妻であった。家をあけ、犬を連れて、迎に出て居るのであった。あまり晩いので屹度先刻の雷におうたれなすったと思いました、と云う。
*
翌々日の新聞は、彼が其日行った玉川の少し下流で、雷が小舟に落ち、舳に居た男はうたれて即死、而して艫に居た男は無事だった、と云う事を報じた。
「一人はとられ、一人は残さるべし」の句がまた彼の頭に浮んだ。
月見草
村の人になった年、玉川の磧からぬいて来た一本の月見草が、今はぬいて捨てる程に殖えた。此頃は十数株、少くも七八十輪宵毎に咲いて、黄昏の庭に月が落ちたかと疑われる。
月見草は人好きのする花では無い。殊に日間は昨夜の花が赭く凋萎たれて、如何にも思切りわるくだらりと幹に付いた態は、見られたものではない。然し墨染の夕に咲いて、尼の様に冷たく澄んだ色の黄、其香も幽に冷たくて、夏の夕にふさわしい。花弁の一つずつほぐれてぱっと開く音も聴くに面白い。独物思うそゞろあるきの黄昏に、唯一つ黙って咲いて居る此花と、はからず眼を見合わす時、誰か心跳らずに居られようぞ。月見草も亦心浅からぬ花である。
八九歳の弱い男の子が、ある城下の郊外の家から、川添いの砂道を小一里もある小学校に通う。途中、一方が古来の死刑場、一方が墓地の其中間を通らねばならぬ処があった。死刑場には、不用になった黒く塗った絞台や、今も乞食が住む非人小屋があって、夕方は覚束ない火が小屋にともれ、一方の古墳新墳累々と立並ぶ墓場の砂地には、初夏の頃から沢山月見草が咲いた。日間通る時、彼は毎に赭くうな垂れた昨宵の花の死骸を見た。学校の帰りが晩くなると、彼は薄暗い墓場の石塔や土饅頭の蔭から黄色い眼をあいて彼を覗く花を見た。斯くて月見草は、彼にとって早く死の花であった。
其墓場の一端には、彼が甥の墓もあった。甥と云っても一つ違い、五つ六つの叔父甥は常に共に遊んだ。ある時叔父は筆の軸を甥に与えて、犬の如く啣えて振れと命じた。従順な子は二度三度云わるゝまゝに振った。叔父はまた振れと迫った。甥はもういやだと頭を掉った。憎さげに甥を睨んだ叔父は、其筆の軸で甥の頬をぐっと突いた。甥は声を立てゝ泣いた。其甥は腹膜炎にかゝって、明くる年の正月元日病院で死んだ。屠蘇を祝うて居る席に死のたよりが届いた。叔父の彼は異な気もちになった。彼ははじめてかすかな Remorse を感じた。
墓地は一方大川に面し、一方は其大川の分流に接して居た。甥は其分流近く葬られた。甥が死んで二三年、小学校に通う様になった叔父は、ある夏の日ざかりに、二三の友達と其小川に泳いだ。自分の甥の墓があると誇り貌に告げて、彼は友達を引張って、甥の墓に詣った。而して其小さな墓石の前に、真裸の友達とかわる/″\跪いて、凋れた月見草の花を折って、墓前の砂に插した。
彼は今月見草の花に幼き昔を夢の様に見て居る。
腫物
一
人声が賑やかなので、往って見ると、久さんの家は何時の間にか解き崩されて、煤けた梁や虫喰った柱、黒光りする大黒柱、屋根裏の煤竹、それ/″\類を分って積まれてある。近所近在の人々が大勢寄ってたかって居る。件の古家を買った人が、崩す其まゝ古材木を競売するので、其れを買いがてら見がてら寄り集うて居るのである。一方では、まだ崩し残りの壁など崩して居る。時々壁土が撞と落ちて、ぱっと汚ない煙をあげる。汚ないながらも可なり大きかった家が取り崩され、庭木や境の樫木は売られて切られたり掘られたりして、其処らじゅう明るくガランとして居る。
家族はと見れば、三坪程の木小屋に古畳を敷いて、眼の少し下って肥え脂ぎったおかみは、例の如くだらしなく胸を開けはだけ、おはぐろの剥げた歯を桃色の齦まで見せて、買主に出すとてせっせと茶を沸かして居る。頬冠りした主人の久さんは、例の厚い下唇を突出したまゝ、吾不関焉と云う顔をして、コト/\藁を打って居る。婆さんや唖の巳代吉は本家へ帰ったとか。末の子の久三は学校へでも往ったのであろ、姿は見えぬ。
一切の人と物との上に泣く様な糠雨が落ちて居る。
あゝ此家も到頭潰れるのだ。
二
今は二十何年の昔、村の口きゝ石山某に、女一人子一人あった。弟は一人前なかったので婿養子をしたが、婿と舅の折合が悪い為に、老夫婦は息子を連れて新家に出た。今解き崩されて片々に売られつゝある家が即ち其れなのである。己が娘に己が貰った婿ながら、気が合わぬとなれば仇敵より憎く、老夫婦は家財道具万端好いものは皆引たくる様にして持って出た。よく実る柿の木まで掘って持って往った。
痴な息子も年頃になったので、調布在から出もどりの女を嫁にもろうてやった。名をお広と云って某の宮様にお乳をあげたこともある女であった。婿入の時、肝腎の婿さんが厚い下唇を突出したまま戸口もとにポカンと立って居るので、皆ドッと笑い出した。久太郎が彼の名であった。
久さんに一人の義弟があった。久さんが生れて間もなく、村の櫟林に棄児があった。農村には人手が宝である。石山の爺さんが右の棄児を引受けて育てた。棄児は大きくなって、名を稲次郎と云った。彼の養父、久さんの実父は、一人前に足りぬ可愛の息子が行く/\の力にもなれと、稲次郎の為に新家の近くに小さな家を建て彼にも妻をもたした。
ある年の正月、石山の爺さんは年始に行くと家を出たきり行方不明になった。探がし探がした結果、彼は吉祥寺、境間の鉄道線路の土をとった穴の中に真裸になって死んで居た。彼は酒が好きだった。年始の酒に酔って穴の中に倒れ凍死んだのを物取りが来て剥いだか、それとも追剥が殺して着物を剥いだか、死骸は何も告げなかった。彼は新家の直ぐ西隣にある墓地に葬られた。
主翁が死んで、石山の新家は媳の天下になった。誰も久さんの家とは云わず、宮前のお広さんの家と云った。宮前は八幡前を謂うたのである。外交も内政も彼女の手と口とでやってのけた。彼女は相応に久さんを可愛がって面倒を見てやったが、無論亭主とは思わなかった。一人前に足らぬ久さんを亭主にもったおかみは、義弟稲次郎の子を二人まで生んだ。其子は兄が唖で弟が盲であった。罪の結果は恐ろしいものです、と久さんの義兄はある人に語った。其内、稲次郎は此辺で所謂即座師、繭買をして失敗し、田舎の失敗者が皆する様に東京に流れて往って、王子で首を縊って死んだ。其妻は子供を連れて再縁し、其住んだ家は隣字の大工が妾の住家となった。私も棺桶をかつぎに往きましたでサ、王子まで、と久さん自身稲次郎の事を問うたある人に語った。
三
背後は雑木林、前は田圃、西隣は墓地、東隣は若い頃彼自身遊んだ好人の辰爺さんの家、それから少し離れて居るので、云わば一つ家の石山の新家は内証事には誂向きの場所だった。石山の爺さんが死に、稲次郎も死んだあと、久さんのおかみは更に女一人子一人生んだ。唖と盲は稲次郎の胤と分ったが、彼二人は久さんのであろ、とある人が云うたら、否、否、あれは何某の子でさ、とある村人は久さんで無い外の男の名を云って苦笑した。Husband-in-Law の子で無い子は、次第に殖えた。殖えるものは、父を異にした子ばかりであった。新家に出た時石山の老夫婦が持て出た田畑財産は、段々に減って往った。本家から持ち出したものは、少しずつ本家へ還って往った。新家は博徒破落戸の遊び所になった。博徒の親分は、人目を忍ぶに倔強な此家を己が不断の住家にした。眼のぎろりとした、胡麻塩髯の短い、二度も監獄の飯を食った、丈の高い六十爺の彼は、村内に己が家はありながら婿夫婦を其家に住まして、自身は久さんの家を隠れ家にした。昼は炉辺の主の座にすわり、夜は久さんのおかみと奥の間に枕を並べた。久さんのおかみは亭主の久さんに沢庵で早飯食わして、僕かなんぞの様に仕事に追い立て、あとでゆる/\鰹節かいて甘い汁をこさえて、九時頃に起き出て来る親分に吸わせた。親分はまだ其上に養生の為と云って牛乳なぞ飲んだ。
「俺ァ嬶とられちゃった」と久さんは人にこぼしながら、無抵抗主義を執って僕の如く追い使われた。戸籍面の彼の子供は皆彼を馬鹿にした。久さんのおかみは「良人が正直だから、良人が正直だから」と流石に馬鹿と云いかねて正直と云った。東隣のおとなしい媼さんも「久さん、お広さんは今何してるだンべ?」などからかった。久さんは怪訝な眼を上げて、「え?」と頓狂な声を出す。「何さ、今しがたお広さんがね、甜瓜を食ってたて事よ、ふ〻〻〻」と媼さんは笑った。久さんの家には、久さんの老母があった。然し婆さんは媳の乱行家の乱脈に対して手も口も出すことが出来なかった。若い時大勢の奉公人を使っておかみさんと立てられた彼女は、八十近くなって眼液たらして竈の下を焚いたり、海老の様な腰をしてホウ/\云いながら庭を掃いたり、杖にすがって媳の命のまに/\使いあるきをしたり、其れでも其無能の子を見すてゝ本家に帰ることを得為なかった。それに婆さんは亡くなった爺さん同様酒を好んだ。本家の婿は耶蘇教信者で、一切酒を入れなかった。久さんのおかみは時々姑に酒を飲ました。白髪頭の婆さんは、顔を真赤にして居ることがあった。彼女は時々吾儘を云う四十男の久さんを、七つ八つの坊ちゃんかなんどの様に叱った。尻切草履突かけて竹杖にすがって行く婆さんの背から、鍬をかついだ四十男の久さんが、婆さんの白髪を引張ったりイタズラをして甘えた。酒でも飲んだ時は、媳に負け通しの婆さんも昔の権式を出して、人が久さんを雇いに往ったりするのが気にくわぬとなると、「お広、断わるがいゝ」と啖呵を切った。
四
死んだ棄児の稲次郎が古巣に、大工の妾と入れ代りに東京から書を読む夫婦の者が越して来た。地面は久さんの義兄のであったが、久さんの家で小作をやって居た。東京から買主が越して来ぬ内に、久さんのおかみは大急ぎで裏の杉林の下枝を落したり、櫟林の落葉を掃いて持って行ったりした。買主が入り込んでのちも、其栗の木は自分が植えたの、其韮や野菜菊は内で作ったの、其炉縁は自分のだの、と物毎に争うた。稲次郎の記憶が残って居る此屋敷を人手に渡すを彼女は惜んだのであった。地面は買主のでも、作ってある麦はまだおかみの麦であった。地面の主は、麦の一部を買い取るべく余儀なくされた。おかみは義兄と其値を争うた。買主は戯談に「無代でもいゝさ」と云うた。おかみはムキになって「あなたも耶蘇教信者じゃありませんか。信者が其様な事を云うてようござンすか」とやり込めた。彼女に恐ろしいものは無かった。ある時義兄が其素行について少し云々したら、泥足でぬれ縁に腰かけて居た彼女は屹と向き直り、あべこべに義兄に喰ってかゝり、老人と正直者を任せて置きながら、病人があっても本家として見もかえらぬの、慾張ってばかり居るのと、いきり立った。彼女は人毎に本家の悪口を云って同情を獲ようとした。「本家の兄が、本家の兄が」が彼女の口癖であった。彼女は本家の兄を其魔力の下に致し得ぬを残念に思うた。相手かまわず問わず語りの勢込んでまくしかけ、「如何に兄が本が読めるからって、村会議員だからって、信者だって、理に二つは無いからね、わたしは云ってやりましたのサ」と口癖の様に云うた。人が話をすれば、「呍、呍、ふん、ふん」と鼻を鳴らして聞いた。彼女の義兄も村に人望ある方ではなかったが、彼女も村では正札附の莫連者で、堅い婦人達は相手にしなかった。村に武太さんと云う終始ニヤ/\笑って居る男がある。かみさんは藪睨で、気が少し変である。ピイ/\声で言う事が、余程馴れた者でなければ聞きとれぬ。彼女は誰に向うても亡くした幼女の事ばかり云う。「子供ははァ背に負っとる事ですよ。背からおろしといたばかしで、女もなくなっただァ」と云いかけて、斜視の眼から涙をこぼして、さめ/″\泣き入るが癖である。また誰に向っても、「萩原の武太郎は、五宿へ往って女郎買ばかしするやくざ者で」と其亭主の事を訴える。武太さんは村で折紙つきのヤクザ者である。武太さんに同情する者は、久さんのおかみばかりである。「彼様な女房持ってるンだもの」と、武太さんを人が悪く言う毎に武太さんを弁護する。然し武太さんの同情者が乏しい様に、久さんのおかみもあまり同情者を有たなかった。唯村の天理教信者のおかず媼さんばかりは、久さんのおかみを済度す可く彼女に近しくした。
稲次郎のふる巣に入り込んだ新村入は、隣だけに此莫連女の世話になることが多かった。彼女も、久さんも、唖の子も、最初はよく小使銭取りに農事の手伝に来た。此方からも麦扱きを借りたり、饂飩粉を挽いてもらったり、豌豆や里芋を売ってもらったりした。おかみも小金を借りに来たり張板を借りに来たりした。其子供もよく遊びに来た。蔭でおかみも機嫌次第でさま/″\悪口を云うたが、顔を合わすと如才なく親切な口をきいた。彼女の家に集う博徒の若者が、夏の夜帰りによく新村入の畑に踏み込んで水瓜を打割って食ったりした。新村入は用があって久さんの家に往く毎に胸を悪くして帰った。障子は破れたきり張ろうとはせず、畳は腸が出たまゝ、壁は崩れたまゝ、煤と埃とあらゆる不潔に盈された家の内は、言語道断の汚なさであった。おかみはよく此中で蚕に桑をくれたり、大肌ぬぎになって蕎麦粉を挽いたり、破れ障子の内でギッチョンと響をさせて木綿機を織ったり、大きな眼鏡をかけて縁先で襤褸を繕ったりして居た。
五
新村入が村に入ると直ぐ眼についた家が二つあった。一は久さんの家で、今一つは品川堀の側にある店であった。其店には賭博をうつと云う恐い眼をした大酒呑の五十余のおかみさんと、白粉を塗った若い女が居て、若い者がよく酒を飲んで居た。其後大酒呑のおかみさんは頓死して店は潰れ、目ざす家は久さんの家だけになった。己が住む家の歴史を知るにつけ、新村入は彼の前に問題として置かれた久さんの家を如何にす可きかと思い煩うた。色々の「我」が寄って形成して居る彼家は、云わば大きな腫物である。彼は眼の前に臭い膿のだら/\流れ出る大きな腫物を見た。然し彼は刀を下す力が無い。彼は久しく機会を待った。
ある夏の夕、彼は南向きの縁に座って居た。彼の眼の前には蝙蝠色の夕闇が広がって居た。其闇を見るともなく見て居ると、闇の中から湧いた様に黒い影がすうと寄って来た。ランプの光の射す処まで来ると、其れは久さんのおかみであった。彼は畳の上に退り、おかみは縁に腰かけた。
「旦那様、新聞に出て居りましてすか」
と息をはずませて彼女は云った。それは新宿で、床屋の亭主が、弟と密通した妻と弟とを剃刀で殺害した事を、彼女は何処からか聞いたのである。「余りだと思います」と彼女は剃刀の刃を己が肉にうけたかの様に切ない声で云った。
聞く彼の胸はドキリとした。今だ、とある声が囁いた。彼はおかみに向うて、巳代公は如何して唖になったか、と訊いた。おかみは、巳代が三歳までよく口をきいて居たら、ある日「おっかあ、お湯が飲みてえ」と云うたを最後の一言にして、医者にかけても薬を飲ましても甲斐が無く唖になって了うた、と言った。何の故か知って居るか、と畳みかけて訊くと、其頃飼った牛を不親切からつい殺してしまいました、其牛の祟りだと人が申すので、色々信心もして見ましたが、甲斐がありませんでした、と云う。巳代公ばかりじゃ無い、亥之公が盲になったのは如何したものだ、と彼は肉迫した。而して彼はさし俯くおかみに向うて、此家の最初の主の稲次郎と密通以来今日に到るまで彼女の不届の数々を烈しく責めた。彼女は終まで俯いて居た。
それから二三日経つと、彼は屋敷下を通る頬冠の丈高い姿を認めた。其れが博徒の親分であることを知った彼は、声をかけて無理に縁側に引張った。満地の日光を樫の影が黒く染めぬいて、あたりには人の影もなかった。彼は親分に向って、彼の体力、智慧、才覚、根気、度胸、其様なものを従来私慾の為にのみ使う不埒を責め最早六十にもなって余生幾何もない其身、改心して死花を咲かせろと勧めた。親分は其稼業の苦しい事を話し、ぎろりとした眼から涙の様なものを落して居た。
六
然しながら彼癌腫の様な家の運命は、往く所まで往かねばならなかった。
己が生んだ子は己が処置しなければならぬので、おかみは盲の亥之吉を東京に連れて往って按摩の弟子にした。家に居る頃から、盲目ながら他の子供と足場の悪い田舎道を下駄ばきでかけ廻った勝気の亥之吉は、按摩の弟子になってめき/\上達し、追々一人前の稼ぎをする様になった。おかみは行々彼をかゝり子にする心算であった。それから自身によく肖た太々しい容子をした小娘のお銀を、おかみは実家近くの機屋に年季奉公に入れた。
二人の兄の唖の巳代吉は最早若者の数に入った。彼は其父方の血を示して、口こそ利けね怜悧な器用な華美な職人風のイナセな若者であった。彼は吾家に入り浸る博徒の親分を睨んだ。両手を組んでぴたりと云わして、親分とおっかあが斯様だと眼色を変えて人に訴えた。親分とおかみは巳代吉を邪魔にし出した。ある時巳代公は親分の財布を盗んで銀時計を買った。母を窃む者の財布を盗むは何でもないと思ったのであろう。親分は是れ幸と巡査を頼んで巳代公を告訴し、巳代公を監獄に入れようとした。巳代公を入れるより彼二人を入れろ、と村の者は罵った。巳代吉は本家から願下げて、監獄に入れる親分とおかみの計画は徒労になった。然し親分は中々其居馴れた久さんの家の炉の座を動こうともしなかった。親分と唖の巳代吉の間はいよ/\睨合の姿となった。或日巳代吉は手頃の棒を押取って親分に打ってかゝった。親分も麺棒をもって渡り合った。然し血気の怒に任する巳代吉の勢鋭く、親分は右の手首を打折られ、加之棒に出て居た釘で右手の肉をかき裂かれ、大分の痛手を負うた。隣家の婆さんが駈けつけて巳代吉を宥めなかったら、親分は手疵に止まらなかったかも知れぬ。繃帯して右手を頸から釣って、左の手で不精鎌を持って麦畑の草など親分が掻いて居るのを見たのは二月も後の事だった。喧嘩の仲入に駈けつけた隣の婆さんは、側杖喰って右の手を痛めた。久さんのおかみは、詫び心に婆さん宅の竈の下など焚きながら、喧嘩の折節近くに居合わせながら看過した隣村の甲乙を思うさま罵って居た。
七
田畑は勿論宅地もとくに抵当に入り、一家中日傭に出たり、おかみ自身手織の木綿物を負って売りあるいたこともあったが、要するに石山新家の没落は眼の前に見えて来た。「お広さん、大層精が出ますね」久さんが挽く肥車の後押して行くおかみを目がけて人が声をかけると、「天狗様の様に働くのさ」とおかみが答えたりしたのは、昔の事になった。おかみは一切稼ぎを廃した。而して時々丸髷に結って小ざっぱりとした服装をして親分と東京に往った。家には肴屋が出入したり、乞食物貰いが来れば気前を見せて素手では帰さなかった。彼女は癌腫の様な石山新家を内から吹き飛ばすべき使命を帯びて居るかの様に不敵であった。
*
到頭腫物が潰れる時が来た。
おかみは独で肝煎って、家を近在の人に、立木を隣字の大工に売り、抵当に入れた宅地を取戻して隣の辰爺さんに売り、大酒呑のおかみのあとに品川堀の店を出して居る天理教信者の彼おかず媼さん処へ引揚げた後、一人残った腫れぼったい瞼をした末の息子を近村の人に頼み、唯一つ残った木小屋を売り飛ばし、而して最早師匠の手を離れて独立して居る按摩の亥之吉と間借りして住む可く東京へ往って了うた。
酒好きの老母と唖の巳代吉は、家が売れる頃は最早本家へ帰って居た。
嬶に置去られ、家になくなられ、地面に逃げられ、置いてきぼりを喰って一人木小屋に踏み留まった久さんも、是非なく其姉と義兄の世話になるべく、頬冠の頭をうな垂れて草履ぼと/\懐手して本家に帰った。
屋敷のあとは鋤きかえされて、今は陸稲が緑々と茂って居る。
わかれの杉
彼の家から裏の方へ百歩往けば、鎮守八幡である。型の通りの草葺の小宮で、田圃を見下ろして東向きに立って居る。
月の朔には、太鼓が鳴って人を寄せ、神官が来て祝詞を上げ、氏子の神々達が拝殿に寄って、メチールアルコールの沢山入った神酒を聞召し、酔って紅くなり給う。春の雹祭、秋の風祭は毎年の例である。彼が村の人になって六年間に、此八幡で秋祭りに夜芝居が一度、昼神楽が一度あった。入営除隊の送迎は勿論、何角の寄合事があれば、天候季節の許す限りは此処の拝殿でしたものだ。乞食が寝泊りして火の用心が悪い処から、つい昨年になって拝殿に格子戸を立て、締りをつけた。内務省のお世話が届き過ぎて、神社合併が兎の、風致林が角のと、面倒な事だ。先頃も雑木を売払って、あとには杉か檜苗を植えることに決し、雑木を切ったあとを望の者に開墾させ、一時豌豆や里芋を作らして置いたら、神社の林地なら早々木を植えろ、畑にすれば税を取るぞ、税を出さずに畑を作ると法律があると、其筋から脅されたので、村は遽てゝ総出で其部分に檜苗を植えた。
粕谷八幡はさして古くもないので、大木と云う程の大木は無い。御神木と云うのは梢の枯れた杉の木で、此は社の背で高処だけに諸方から目標になる。烏がよく其枯れた木末にとまる。

宮から阪の石壇を下りて石鳥居を出た処に、また一本百年あまりの杉がある。此杉の下から横長い田圃がよく見晴される。田圃を北から南へ田川が二つ流れて居る。一筋の里道が、八幡横から此大杉の下を通って、直ぐ北へ折れ、小さな方の田川に沿うて、五六十歩往って小さな石橋を渡り、東に折れて百歩余往ってまた大きな方の田川に架した欄干無しの石橋を渡り、やがて二つに分岐して、直な方は人家の木立の間を村に隠れ、一は人家の檜林に傍うて北に折れ、林にそい、桑畑にそい、二丁ばかり往って、雑木山の端からまた東に折れ、北に折れて、六七丁往って終に甲州街道に出る。此雑木山の曲り角に、一本の檜があって、八幡杉の下からよく見える。
村居六年の間、彼は色々の場合に此杉の下に立って色々の人を送った。彼田圃を渡り、彼雑木山の一本檜から横に折れて影の消ゆるまで目送した人も少くはなかった。中には生別即死別となった人も一二に止まらない。生きては居ても、再び逢うや否疑問の人も少くない。此杉は彼にとりて見送の杉、さては別れの杉である。就中彼はある風雪の日こゝで生別の死別をした若者を忘るゝことが出来ぬ。
其は小説寄生木の原著者篠原良平の小笠原善平である。明治四十一年の三月十日は、奉天決勝の三週年。彼小笠原善平が恩人乃木将軍の部下として奉天戦に負傷したのは、三年前の前々日であった。三月十日は朝からちら/\雪が降って、寒い寂しい日であった。突然彼小笠原は来訪した。一年前、此家の主人は彼小笠原に剣を抛つ可く熱心勧告したが、一年後の今日、彼は陸軍部内の依怙情実に愛想をつかし疳癪を起して休職願を出し、北海道から出て来たので、今後は外国語学校にでも入って露語をやろうと云って居た。陸軍を去る為に恩人の不興を買い、恋人との間も絶望の姿となって居ると云うことであった。雪は終日降り、夜すがら降った。主は平和問題、信仰問題等につき、彼小笠原と反覆討論した。而して共に六畳に枕を並べて寝たのは、夜の十一時過ぎであった。
明くる日、午前十時頃彼は辞し去った。まだ綿の様な雪がぼったり/\降って居る。此辺では珍らしい雪で、一尺の上積った。彼小笠原は外套の頭巾をすっぽりかぶって、薩摩下駄をぽっくり/\雪に踏み込みながら家を出て往った。主は高足駄を穿き、番傘をさして、八幡下別れの杉まで送って往った。
「じゃァ、しっかりやり玉え」
「色々お世話でした」
傘を傾けて杉の下に立って見て居ると、また一しきり烈しく北から吹きつくる吹雪の中を、黒い外套姿が少し前俛みになって、一足ぬきに歩いて行く。第一の石橋を渡る。やゝあって第二の石橋を渡る。檜林について曲る。段々小さくなって遠見の姿は、谷一ぱいの吹雪に消えたり見えたりして居たが、一本檜の処まで来ると、見かえりもせず東へ折れて、到頭見えなくなってしもうた。
半歳の後、彼は郷里の南部で死んだ。
漢人の詩に、
歩出城東門、 遙望江南路、
前日風雪中、 故人従此去、
別れの杉の下に立って田圃を見渡す毎に、吹雪の中の黒い外套姿が今も彼の眼さきにちらつく。
白
一
彼の前生は多分犬であった。人間の皮をかぶった今生にも、彼は犬程可愛いものを知らぬ。子供の頃は犬とばかり遊んで、着物は泥まみれになり、裾は喰いさかれ、其様なに着物を汚すならわたしは知らぬと母に叱られても、また走り出ては犬と狂うた。犬の為には好きな甘い物も分けてやり、小犬の鳴き声を聞けばねむたい眼を摩って夜半にも起きて見た。明治十年の西郷戦争に、彼の郷里の熊本は兵戈の中心となったので、家を挙げて田舎に避難したが、オブチと云う飼犬のみは如何しても家を守って去らないので、近所の百姓に頼んで時々食物を与えてもらうことにして本意ない別を告げた。三月程して熊本城の包囲が解け、薩軍は山深く退いたので、欣々と帰って見ると、オブチは彼の家に陣どった薩摩健男に喰われてしまって、頭だけ出入の百姓によって埋葬されて居た。彼の絶望と落胆は際限が無かった。久しぶりに家に還って、何の愉快もなく、飯も喰わずに唯哭いた。南洲の死も八千の子弟の運命も彼には何の交渉もなく、西南役は何よりも彼の大切なオブチをとり去ったものとして彼に記憶されるのであった。
村入して間もなく、ある夜先家主の大工がポインタァ種の小犬を一疋抱いて来た。二子の渡の近所から貰って来たと云う。鼻尖から右の眼にかけ茶褐色の斑がある外は真白で、四肢は将来の発育を思わせて伸び/\と、気前鷹揚に、坊ちゃんと云った様な小犬である。既に近所からもらった黒い小犬もあるので、二の足踏んだが、折角貰って来てくれたのを還えすも惜しいので、到頭貰うことにした。今まで畳の上に居たそうな。早速畳に放尿して、其晩は大きな塊の糞を板の間にした。
新来の白に見かえられて、間もなく黒は死に、白の独天下となった。畳から地へ下ろされ、麦飯味噌汁で大きくなり、美しい、而して弱い、而して情愛の深い犬になった。雄であったが、雌の様な雄であった。
主夫妻が東京に出ると屹度跟いて来る。甲州街道を新宿へ行く間には、大きな犬、強い犬、暴い犬、意地悪い犬が沢山居る。而してそれを嗾しかけて、弱いもの窘めを楽む子供もあれば、馬鹿な成人もある。弱い白は屹度咬まれる。其れがいやさに隠れて出る様にしても、何処からか嗅ぎ出して屹度跟いて来る。而して咬まれる。悲鳴をあげる。二三疋の聯合軍に囲まれてべそをかいて歯を剥き出す。己れより小さな犬にすら尾を低れて恐れ入る。果ては犬の影され見れば、己ところんで、最初から負けてかゝる。それでも強者の歯をのがれぬ場合がある。最早懲りたろうと思うて居ると、今度出る時は、又候跟いて来る。而して往復途中の出来事はよく/\頭に残ると見えて、帰ったあとで樫の木の下にぐったり寝ながら、夢中で走るかの様に四肢を動かしたり、夢中で牙をむき出しふアッと云ったりする。
弱くても雄は雄である。交尾期になると、二日も三日も影を見せぬことがあった。てっきり殺されたのであろうと思うて居ると、村内唯一の牝犬の許に通うて、他の強い大勢の競争者に噛まれ、床の下に三日潜り込んで居たのであった。武智十次郎ならねども、美しい白が血だらけになって、蹌踉と帰って来る姿を見ると、生殖の苦を負う動物の運命を憐まずには居られなかった。一日其牝犬がひょっくり遊びに来た。美しいポインタァ種の黒犬で、家の人が見廻りして来いと云えば、直ぐ立って家の周囲を巡視し、夜中警報でもある時は吾体を雨戸にぶちつけて家の人に知らす程怜悧の犬であった。其犬がぶらりと遊びに来た。而して主人に愛想をするかの様にずうと白の傍に寄った。あまりに近く寄られては白は眼を円くし、据頸で、甚固くなって居た。牝犬はやがて往きかけた。白は纏綿として後になり先きになり、果ては主人の足下に駆けて来て、一方の眼に牝犬を見、一方の眼に主人を見上げ、引きとめて呉れ、媒妁して下さいと云い貌にクンクン鳴いたが、主人はもとより如何ともすることが出来なかった。
其秋白の主人は、死んだ黒のかわりに彼牝犬の子の一疋をもらって来て矢張其れを黒と名づけた。白は甚不平であった。黒を向うに置いて、走りかゝって撞と体当りをくれて衝倒したりした。小さな黒は勝気な犬で、縁代の下なぞ白の自由に動けぬ処にもぐり込んで、其処から白に敵対して吠えた。然し両雄並び立たず、黒は足が悪くなり、久しからずして死んだ。而して再び白の独天下になった。可愛がられて、大食して、弱虫の白はます/\弱く、鈍の性質はいよ/\鈍になった。よく寝惚けて主人に吠えた。主人と知ると、恐れ入って、膝行頓首、亀の様に平太張りつゝすり寄って詫びた。わるい事をして追かけられて逃げ廻るが、果ては平身低頭して恐る/\すり寄って来る。頭を撫でると、其手を軽く啣えて、衷心を傾けると云った様にはアッと長い/\溜息をついた。
二
死んだ黒の兄が矢張黒と云った。遊びに来ると、白が烈しく妬んだ。主人等が黒に愛想をすると、白は思わせぶりに終日影を見せぬことがあった。
甲州街道に獅子毛天狗顔をした意地悪い犬が居た。坊ちゃんの白を一方ならず妬み憎んで、顔さえ合わすと直ぐ咬んだ。ある時、裏の方で烈しい犬の噛み合う声がするので、出て見ると、黒と白とが彼天狗犬を散々咬んで居た。元来平和な白は、卿が意地悪だからと云わんばかり恨めしげな情なげな泣き声をあげて、黒と共に天狗犬に向うて居る。聯合軍に噛まれて天狗犬は尾を捲き、獅子毛を逆立てゝ、甲州街道の方に敗走するのを、白の主人は心地よげに見送った。
其後白と黒との間に如何な黙契が出来たのか、白はあまり黒の来遊を拒まなくなった。白を貰って来てくれた大工が、牛乳車の空箱を白の寝床に買うて来てくれた。其白の寝床に黒が寝そべって、尻尾ばた/\箱の側をうって納まって居ることもあった。界隈に野犬が居て、あるいは一疋、ある時は二疋、稲妻強盗の如く横行し、夜中鶏を喰ったり、豚を殺したりする。ある夜、白が今死にそうな悲鳴をあげた。雨戸引きあけると、何ものか影の如く走せ去った。白は後援を得てやっと威厳を恢復し、二足三足あと追かけて叱る様に吠えた。野犬が肥え太った白を豚と思って喰いに来たのである。其様な事が二三度もつゞいた。其れで自衛の必要上白は黒と同盟を結んだものと見える。一夜庭先で大騒ぎが起った。飛び起きて見ると、聯合軍は野犬二疋の来襲に遇うて、形勢頗る危殆であった。
白と黒は大の仲好になって、始終共に遊んだ。ある日近所の与右衛門さんが、一盃機嫌で談判に来た。内の白と彼黒とがトチ狂うて、与右衛門の妹婿武太郎が畑の大豆を散々踏み荒したと云うのである。如何して呉れるかと云う。仕方が無いから損害を二円払うた。其後黒の姿はこっきり見えなくなった。通りかゝりの武太さんに問うたら、与右衛門さんの懸合で、黒の持主の源さん家では余儀なく作男に黒を殺させ、作男が殺して煮て食うたと答えた。うまかったそうです、と武太さんは紅い齦を出してニタ/\笑った。
ある日見知らぬかみさんが来て、此方の犬に食われましたと云って、汚ない風呂敷から血だらけの軍鶏の頭と足を二本出して見せた。内の犬は弱虫で、軍鶏なぞ捕る器量はないが、と云いつゝ、確に此方の犬と認めたのかときいたら、かみさんは白い犬だった、聞けば粕谷に悪イ犬が居るちゅう事だから、其れで来たと云うのだ。折よく白が来た。かみさんは、これですか、と少し案外の顔をした。然し新参者の弱身で、感情を傷わぬ為兎に角軍鶏の代壱円何十銭の冤罪費を払った。彼は斯様な出金を東京税と名づけた。彼等はしば/\東京税を払うた。
白の頭上には何時となく呪咀の雲がかゝった。黒が死んで、意志の弱い白はまた例の性悪の天狗犬と交る様になった。天狗犬に嗾されて、色々の悪戯も覚えた。多くの犬と共に、近在の豚小屋を襲うと云う評判も伝えられた。遅鈍な白は、豚小屋襲撃引揚げの際逃げおくれて、其着物の著しい為に認められたのかも知れなかった。其内村の収入役の家で、係蹄にかけて豚とりに来た犬を捕ったら、其れは黒い犬だったそうで、さし当り白の冤は霽れた様なものゝ、要するに白の上に凶き運命の臨んで居ることは、彼の主人の心に暗い翳を作った。
到頭白の運命の決する日が来た。隣家の主人が来て、数日来猫が居なくなった、不思議に思うて居ると、今しがた桑畑の中から腐りかけた死骸を発見した。貴家の白と天狗犬とで咬み殺したものであろ、死骸を見せてよく白を教誡していただき度い、と云う意を述べた。同時に白が度々隣家の鶏卵を盗み食うた罪状も明らかになった。
最早詮方は無い。此まゝにして置けば、隣家は宥してくれもしようが、必何処かで殺さるゝに違いない。折も好し、甲州の赤沢君が来たので、甲州に連れて往ってもらうことにした。白の主人は夏の朝早く起きて、赤沢君を送りかた/″\、白を荻窪の停車場まで牽いて往った。千歳村に越した年の春もろうて来て、この八月まで、約一年半白は主人夫妻と共に居たのであった。主婦は八幡下まで送りに来て、涙を流して白に別れた。田圃を通って、雑木山に入る岐れ道まで来た時、主人は白を抱き上げて八幡下に立って遙に目送して居る主婦に最後の告別をさせた。白は屠所の羊の歩みで、牽かれてようやく跟いて来た。停車場前の茶屋で、駄菓子を買うてやったが、白は食おうともしなかった。貨物車の犬箱の中に入れられて、飯がわりの駄菓子を入れてやったのを見むきもせず、ベソをかきながら白は甲州へ往ってしもうた。
三
最初の甲州だよりは、白が赤沢君に牽かれて無事に其家に着いた事を報じた。第二信は、ある日白が縄をぬけて、赤沢君の家から約四里甲府の停車場まで帰路を探がしたと云う事を報じた。然し甲府からは汽車である。甲府から東へは帰り様がなかった。
赤沢君が白を連れて撮った写真を送ってくれた。眼尻が少し下って、口をあんとあいたところは、贔屓目にも怜悧な犬ではなかった。然し赤沢君の村は、他に犬も居なかったので、皆に可愛がられて居ると云うことであった。
*
白が甲州に養われて丁度一年目の夏、旧主人夫妻は赤沢君を訪ねた。其家に着いて挨拶して居ると庭に白の影が見えた。喫驚する程大きくなり、豚の様にまる/\と太って居る。「白」と声をかくるより早く、土足で座敷に飛び上り、膝行匍匐して、忽ち例の放尿をやって、旧主人に恥をかゝした。其日は始終跟いてあるき、翌朝山の上の小舎にまだ寝て居ると、白は戸の開くや否飛び込んで来て、蚊帳越しにずうと頭をさし寄せた。帰りには、予め白を繋いであった。別に菓子なぞやっても、喰おうともしなかった。而して旧主人夫妻が帰った後、彼等が馬車に乗った桃林橋の辺まで、白は彼等の足跡を嗅いで廻って、大騒ぎしたと云うことであった。
翌年の春、夫妻は二たび赤沢君を訪うた。白は喜のあまり浮かれて隣家の鶏を追廻し、到頭一羽を絶息させ、而して旧主人にまた損害を払わせた。
其後白に関する甲州だよりは此様な事を報じた。笛吹川未曾有の出水で桃林橋が落ちた。防水護岸の為一村の男総出で堤防に群がって居ると、川向うの堤に白いものゝ影が見えた。其は隣郡に遊びに往って居た白であった。白だ、白だ、白も斯水では、と若者等は云い合わした様に如何するぞと見て居ると、白は向うの堤を川上へ凡二丁ばかり上ると、身を跳らしてざんぶとばかり濁流、箭の如き笛吹川に飛び込んだ。あれよ/\と罵り騒ぐ内に、愚なる白、弱い白は、斜に洪水の川を游ぎ越し、陸に飛び上って、ぶる/\ッと水ぶるいした。若者共は一斉に喝采の声をあげた。弱い彼にも猟犬即ち武士の血が流れて居たのである。
白に関する最近の消息は斯うであった。昨春当時の皇太子殿下今日の今上陛下が甲州御出の時、演習御覧の為赤沢君の村に御入の事があった。其時吠えたりして貴顕に失礼があってはならぬと云う其の筋の遠慮から、白は一日拘束された。主人が拘束されなかったのはまだしもであった。
四
白の旧主の隣家では、其家の猫の死の為に白が遠ざけられたことを気の毒に思い、其息子が甘藷売りに往った帰りに神田の青物問屋からテリアル種の鼠程な可愛い牝犬をもらって来てくれた。ピンと名をつけて、五年来飼うて居る。其子孫も大分界隈に蕃殖した。一昨年から押入婿のデカと云う大きなポインタァ種の犬も居る。昨秋からは追うても捨てゝも戻って来る、いまだ名無しの風来の牝犬も居る。然し愚な鈍な弱い白が、主人夫妻にはいつまでも忘られぬのである。
白は大正七年一月十四日の夜半病死し、赤沢君の山の上の小家の梅の木蔭に葬られました。甲州に往って十年です。村の人々が赤沢君に白のクヤミを言うたそうです。「白は人となり候」と赤沢君のたよりにありました。「白」は幸福な犬です。
大正十二年二月九日追記
ほおずき
一
其頃は女中も居ず、門にしまりもなかった。一家総出の時は、大戸を鎖して、ぬれ縁の柱に郵便箱をぶら下げ、
○○行
夕方(若くは明午○)帰る
御用の御方は北隣△△氏へ御申残しあれ
小包も同断
月日 氏名
斯く張札して置いた。稀には飼犬を縁先きの樫の木に繋いで置くこともあったが、多くは郵便箱に留守をさした。帰って見ると、郵便箱には郵便物の外、色々な名刺や鉛筆書きが入れてあったり、主人が穿きふるした薩摩下駄を物数寄にまだ真新しいのに穿きかえて行く人なぞもあった。ノートを引きちぎって、斯様なものを書いたのもあった。
君を尋ねて草鞋で来れば
君は在さず唯犬ばかり
縁に腰かけ大きなあくび
中で時計が五時をうつ
明治四十一年の新嘗祭の日であった。東京から親類の子供が遊びに来たので、例の通り戸をしめ、郵便箱をぶら下げ、玉川に遊びに往った。子供等は玉川から電車で帰り、主人夫妻は連れて往った隣家の女児と共に、つい其前々月もらって来た三歳の女児をのせた小児車を押して、星光を踏みつゝ野路を二里くたびれ果てゝ帰宅した。
隣家の女児と門口で別れて、まだ大戸も開けぬ内、二三人の足音と車の響が門口に止まった。車夫が提灯の光に、丈高い男がぬっと入って来た。つゞいて女が入って来た。
「僕が滝沢です、手紙を上げて置きましたが……」
其様な手紙は未だ見なかったのである。来意を聞けば、信州の者で、一晩御厄介になりたいと云うのだ。主人は疲れて大にいやであったが、遠方から来たものを、と勉強して兎に角戸をあけて内に請じた。吉祥寺から来たと云う車夫は、柳行李を置いて帰った。
二
ランプの明りで見れば、男は五分刈頭の二十五六、意地張らしい顔をして居る。女は少しふけて、おとなしい顔をして、丸髷に結って居る。主人が渋い顔をして居るので、丸髷の婦人は急いで風呂敷包の土産物を取出し主人夫妻の前にならべた。葡萄液一瓶、「醗酵しない真の葡萄汁です」と男が註を入れた。杏の缶詰が二個。「此はお嬢様に」と婦人が取出したのは、十七八ずつも実った丹波酸漿が二本。いずれも紅いカラのまゝ虫一つ喰って居ない。「まあ見事な」と主婦が歎美の声を放つ。「私の乳母が丹精して大事に大事に育てたのです」と婦人が誇り貌に口を添えた。二つ三つ語を交わす内に、男は信州、女は甲州の人で、共に耶蘇信者、外川先生の門弟、此度結婚して新生涯の門出に、此家の主人夫妻の生活ぶりを見に寄ったと云うことが分かった。畑の仕事でも明日は少し御手伝しましょうと男が云えば、台所の御手伝でもしましょうと女が云うた。
兎に角飯を食うた。飯を食うとやがて男が「腹が痛い」と云い出した。「そう、余程痛みますか」と女が憂わしそうにきく。「今日汽車の中で柿を食うた。あれが不好かった」と男が云う。此大きな無遠慮な吾儘坊ちゃんのお客様の為に、主婦は懐炉を入れてやった。大分落ついたと云う。晩くなって風呂が沸いた。まあお客様からと請じたら、「私も一緒に御免蒙りましょう」と婦人が云って、夫婦一緒にさっさと入って了った。寝ると云っても六畳二室の家、唐紙一重に主人組は此方、客は彼方と頭突き合わせである。無い蒲団を都合して二つ敷いてやったら、御免を蒙ってお先に寝る時、二人は床を一つにして寝てしまった。
三
明くる日、男は、「私共は二食で、朝飯を十時にやります。あなた方はお構いなく」と何方が主やら客やら分からぬ事を云う。其れでは十時に朝飯として、其れ迄ちと散歩でもして来ようと云って、主人は男を連れて出た。
畠仕事をして居る百姓の働き振を見ては、まるで遊んでる様ですな、と云う。彼は生活の闘烈しい雪の山国に生れ、彼自身も烈しい戦の人であった。彼は小学教員であった。耶蘇を信ずる為に、父から勘当同様の身となった。学校でも迫害を受けた。ある時、高等小学の修身科で彼は熱心に忍耐を説いて居たら、生徒の一人がつか/\立って来て、教師用の指杖を取ると、突然劇しく先生たる彼の背を殴った。彼は徐に顧みて何を為ると問うた。其生徒は杖を捨てゝ涙を流し、御免下さい、先生があまり熱心に忍耐を御説きなさるから、先生は実際どれ程忍耐が御出来になるか試したのです、と跪いて詫びた。彼は其生徒を賞めて、辞退するのを無理に筆を三本褒美にやった。
斯様な話をして帰ると、朝飯の仕度が出来て居た。落花生が炙れて居る。「落花生は大好きですから、私が炙りましょう」と云うて女が炙ったのそうな。主婦は朝飯の用意をしながら、細々と女の身上話を聞いた。
女は甲州の釜無川の西に当る、ある村の豪家の女であった。家では銀行などもやって居た。親類内に嫁に往ったが、弟が年若なので、父は彼女夫妻を呼んで家の後見をさした。結婚はあまり彼女の心に染まぬものであったが、彼女はよく夫婿に仕えて、夫婦仲も好く、他目には模範的夫婦と見られた。良人はやさしい人で、耶蘇教信者で、外川先生の雑誌の読者であった。彼女はその雑誌に時々所感を寄する信州の一男子の文章を読んで、其熱烈な意気は彼女の心を撼かした。其男子は良人の友達の一人で、稀に信州から良人を訪ねて来ることがあった。何時となく彼女と彼の間に無線電信がかゝった。手紙の往復がはじまった。其内良人は病気になって死んだ。死ぬる前、妻に向って、自分の死後は信州の友の妻になれ、と懇々遺言して死んだ。一年程過ぎた。彼女と彼の間は、熱烈な恋となった。而して彼女の家では、父死し、弟は年若ではあり、母が是非居てくれと引き止むるを聴かず、彼女は到頭家を脱け出して信州の彼が許に奔ったのである。
*
朝飯後、客の夫婦は川越の方へ行くと云うので、近所のおかみを頼み、荻窪まで路案内かた/″\柳行李を負わせてやることにした。
彼は尻をからげて、莫大小の股引白足袋に高足駄をはき、彼女は洋傘を杖について海松色の絹天の肩掛をかけ、主婦に向うて、
「何卒覚えて居て下さい、覚えて居て下さい」
と幾回も繰り返して出て往った。主人夫妻は門口に立って、影の消ゆるまで見送った。
四
一年程過ぎた。
此世から消え失せたかの様に、二人の消息ははたと絶えた。
「如何したろう。はがき位はよこしそうなものだな」
主人夫妻は憶い出す毎に斯く云い合った。
丁度満一年の新嘗祭も過ぎた十二月一日の午後、珍しく滝沢の名を帯びたはがきが主人の手に落ちた。其は彼の妻の死を報ずるはがきであった。消息こそせね、夫婦は一日も粕谷の一日一夜を忘れなかった、と書いてある。
吁彼女は死んだのか。友の妻になれと遺言して死んだ先夫の一言を言葉通り実行して恋に於ての勝利者たる彼等夫妻の前途は、決して百花園中のそゞろあるきではあるまい、とは期して居たが、彼女は早くも死んだの乎。
聞きたいのは、沈黙の其一年の消息である。知りたいのは、其死の状である。
*
あくる年の正月、主人夫妻は彼女の友達の一人なる甲州の某氏から彼女に関する消息の一端を知ることを得た。
彼等夫妻は千曲川の滸に家をもち、養鶏などやって居た。而して去年の秋の暮、胃病とやらで服薬して居たが、ある日医師が誤った投薬の為に、彼女は非常の苦痛をして死んだ。彼女の事を知る信者仲間には、天罰だと云う者もある、と某氏は附加えた。
*
某氏はまた斯様な話をした。亡くなった彼女は、思い切った女であった。人の為に金でも出す時は己が着類を質入れしたり売り払ったりしても出す女であった。彼女の前夫は親類仲で、慶応義塾出の男であった。最初は貨殖を努めたが、耶蘇を信じて外川先生の門人となるに及んで、聖書の教を文句通り実行して、決して貸した金の催促をしなかった。其れをつけ込んで、近郷近在の破落戸等が借金に押しかけ、数千円は斯くして還らぬ金となった。彼の家には精神病の血があった。彼も到頭遺伝病に犯された。其為彼の妻は彼と別居した。彼は其妻を恋いて、妻の実家の向う隣の耶蘇教信者の家に時々来ては、妻を呼び出してもろうて逢うた。彼の臨終の場にも、妻は居なかった。此時彼女の魂はとく信州にあったのである。彼女の前夫が死んで、彼女が信州に奔る時、彼女の懐には少からぬ金があった。実家の母が瞋ったので、彼女は甲府まで帰って来て、其金を還した。然し其前彼女は実家に居る時から追々に金を信州へ送り、千曲川の辺の家も其れで建てたと云うことであった。
*
彼夜彼女が持て来てくれたほおずきは、あまり見事なので、子供にもやらず、小箪笥の抽斗に大切にしまって置いたら、鼠が何時の間にか其小箪笥を背から噛破って喰ったと見え、年の暮に抽斗をあけて見たら、中実無しのカラばかりであった。
年々酸漿が紅くなる頃になると、主婦はしみ/″\彼女を憶い出すと云うて居る。
碧色の花
色彩の中で何色を好むか、と人に問われ、色彩について極めて多情な彼は答に迷うた。
吾墓の色にす可き鼠色、外套に欲しい冬の杉の色、十四五の少年を思わす落葉松の若緑、春雨を十分に吸うた紫がかった土の黒、乙女の頬に匂う桜色、枇杷バナナの暖かい黄、檸檬月見草の冷たい黄、銀色の翅を閃かして飛魚の飛ぶ熱帯の海のサッファイヤ、ある時は其面に紅葉を泛べ或時は底深く日影金糸を垂るゝ山川の明るい淵の練った様な緑玉、盛り上り揺り下ぐる岩蔭の波の下に咲く海アネモネの褪紅、緋天鵞絨を欺く緋薔薇緋芥子の緋紅、北風吹きまくる霜枯の野の狐色、春の伶人の鶯が着る鶯茶、平和な家庭の鳥に属する鳩羽鼠、高山の夕にも亦やんごとない僧の衣にもある水晶にも宿る紫、波の花にも初秋の空の雲にも山の雪野の霜にも大理石にも樺の膚にも極北の熊の衣にもなるさま/″\の白、数え立つれば際限は無い。色と云う色、皆好きである。
然しながら必其一を択まねばならぬとなれば、彼は種として碧色を、度として濃碧を択ぼうと思う。碧色――三尺の春の野川の面に宿るあるか無きかの浅碧から、深山の谿に黙す日蔭の淵の紺碧に到るまで、あらゆる階級の碧色――其碧色の中でも殊に鮮やかに煮え返える様な濃碧は、彼を震いつかす程の力を有って居る。
高山植物の花については、彼は呶々する資格が無い。園の花、野の花、普通の山の花の中で、碧色のものは可なりある。西洋草花にはロベリヤ、チヨノドクサの美しい碧色がある。春竜胆、勿忘草の瑠璃草も可憐な花である。紫陽花、ある種の渓蓀、花菖蒲にも、不純ながら碧色を見れば見られる。秋には竜胆がある。牧師の着物を被た或詩人は、嘗て彼の村に遊びに来て、路に竜胆の花を摘み、熟々見て、青空の一片が落っこちたのだなあ、と趣味ある言を吐いた。露の乾ぬ間の朝顔は、云う迄もなく碧色を要素とする。それから夏の草花には矢車草がある。舶来種のまだ我邦土には何処やら居馴染まぬ花だが、はらりとした形も、深い空色も、涼しげな夏の花である。これは園内に見るよりも Corn flower と名にもある通り外国の小麦畑の黄ばんだ小麦まじりに咲いたのが好い。七年前の六月三十日、朝早く露西亜の中部スチエキノ停車場から百姓の馬車に乗ってトルストイ翁のヤスナヤ、ポリヤナに赴く時、朝露にぬれそぼった小麦畑を通ると、苅入近い麦まじりに空色の此花が此処にも其処にも咲いて居る。睡眠不足の旅の疲れと、トルストイ翁に今会いに行く昂奮とで熱病患者の様であった彼の眼にも、花の空色は不思議に深い安息を与えた。
夏には更に千鳥草の花がある。千鳥草、又の名は飛燕草。葉は人参の葉の其れに似て、花は千鳥か燕か鳥の飛ぶ様な状をして居る。園養のものには、白、桃色、また桃色に紫の縞のもあるが、野生の其れは濃碧色に限られて居る様だ。濃碧が褪えば、菫色になり、紫になる。千鳥草と云えば、直ぐチタの高原が眼に浮ぶ。其れは明治三十九年露西亜の帰途だった。七月下旬、莫斯科を立って、イルクツクで東清鉄道の客車に乗換え、莫斯科を立って十日目にチタを過ぎた。故国を去って唯四ヶ月、然しウラルを東に越すと急に汽車がまどろかしくなる。イルクツクで乗換えた汽車の中に支那人のボオイが居たのが嬉しかった。イルクツクから一駅毎に支那人を多く見た。チタでは殊に支那人が多く、満洲近い気もち十分であった。バイカル湖から一路上って来た汽車は、チタから少し下りになった。下り坂の速力早く、好い気もちになって窓から覗いて居ると、空にはあらぬ地の上の濃い碧色がさっと眼に映った。野生千鳥草の花である。彼は頭を突出して見まわした。鉄路の左右、人気も無い荒寥を極めた山坡に、見る眼も染むばかり濃碧の其花が、今を盛りに咲き誇ったり、やゝ老いて紫がかったり、まだ蕾んだり、何万何千数え切れぬ其花が汽車を迎えては送り、送りては迎えした。窓に凭れた彼は、気も遠くなる程其色に酔うたのであった。
然しながら碧色の草花の中で、彼はつゆ草の其れに優した美しい碧色を知らぬ。つゆ草、又の名はつき草、螢草、鴨跖草なぞ云って、草姿は見るに足らず、唯二弁より成る花は、全き花と云うよりも、いたずら子に挘られたあまりの花の断片か、小さな小さな碧色の蝶の唯かりそめに草にとまったかとも思われる。寿命も短くて、本当に露の間である。然も金粉を浮べた花蕊の黄に映発して惜気もなく咲き出でた花の透き徹る様な鮮やかな純碧色は、何ものも比ぶべきものがないかと思うまでに美しい。つゆ草を花と思うは誤りである。花では無い、あれは色に出た露の精である。姿脆く命短く色美しい其面影は、人の地に見る刹那の天の消息でなければならぬ。里のはずれ、耳無地蔵の足下などに、さま/″\の他の無名草醜草まじり朝露を浴びて眼がさむる様に咲いたつゆ草の花を見れば、竜胆を讃めた詩人の言を此にも仮りて、青空の灝気滴り落ちて露となり露色に出てこゝに青空を地に甦らせるつゆ草よ、地に咲く天の花よと讃えずには居られぬ。「ガリラヤ人よ、何ぞ天を仰いで立つや。」吾等は兎角青空ばかり眺めて、足もとに咲くつゆ草をつい知らぬ間に蹂みにじる。
碧色の草花として、つゆ草は粋である。
おぼろ夜
早夕飯のあと、晩涼に草とりして居た彼は、日は暮れる、ブヨは出る、手足を洗うて上ろうかとぬれ縁に腰かけた。其時門口から白いものがすうと入って来た。彼はじいと近づくものを見て居たが、
「あゝM君ですか」
と声をかけた。
其は浴衣の着流しで駒下駄を穿いたM君であった。M君は早稲田中学の教師で、かたわら雑誌に筆を執って居る人である。彼が千歳村に引越したあくる月、M君は雑誌に書く料に彼の新生活を見に来た。丁度樫苗を植えて居たので、ろく/\火の気の無い室に二時間も君を待たせた。君は慍る容子もなく徐に待って居た。温厚な人である。其れから其年の夏、月の好い一夜、浴衣の上に夏羽織など引かけて、ぶらりと尋ねて来た。M君は綱島梁川君の言として、先ず神を見なければ一切の事悉く無意義だ、神を見ずして筆を執るなぞ無用である、との説に関し、自身の懊悩を述べ、自分の様な鈍根の者は、一切を抛擲して先ず神を見る可く全力を傾注する勇気が無い、と嘆息して帰った。
其後久しく消息を聞かなかったが、今夜一年ぶりに突然君は来訪したのであった。
君の所要は、先月茅ヶ崎で物故した一文士に関する彼の感想を聞くにあった。彼は故人について取りとめもない話をした。故人と彼とは同じ新聞社の編輯局に可なり久しく居たのであったが、故人は才華発越、筆をとれば斬新警抜、話をすれば談論火花を散らすに引易え、彼はわれながらもどかしくてたまらぬ程の迂愚、編輯局の片隅に猫の如く小さくなって居たので、故人と心腹を披いて語る機会もなく、故人の方には多少の侮蔑あり、彼の方には多少の嫉妬羨望あり、身は近く心ははなれ/″\に住んだ。其後故人も彼も前後に新聞社を出て、おの/\自家の路を歩み、顔を見ること稀に、消息を聞かぬ日多く打過ぎた。然し彼は一度故人と真剣の話をしたいと久しく思うて居た。日露戦争の終った年の暮、彼は一の心的革命を閲して、まさに東京を去り山に入る決心をして居た時、ある夜彼は新橋停車場の雑沓の中に故人を見出した。何処ぞへ出かけるところと覚しく、茶色の中折をかぶり、細巻の傘を持ち、瀟洒した洋装をして居た。彼は驚いた様な顔をして居る故人を片隅に引のけて、二分間の立話をした。彼は従来の疎隔を謝し、自愛を勧め、握手して別れた。これが最始の接近で、また最後の面会であった。
M君と彼の話は、故人の事から死生の問題に入った。心霊の交感、精神療法と、話は色々に移って往った。
彼等は久しく芝生の縁代で話した。M君が辞し去ったのは、夜も深けて十二時近かった。
彼はM君を八幡下まで送って別れた。夏ながら春の様なおぼろ月、谷向うの村は朦朧とうち煙り、田圃の蛙の声も夢を誘う様なおぼろ夜である。
「それじゃ」
「失礼」
駒下駄の音も次第に幽になって、浴衣姿の白いM君は吸わるゝ様に靄の中に消えた。
*
其後ふっつりM君の消息を聞かなかったが、翌年ある日の新聞に、M君が安心を求む可く妻子を捨てゝ京都山科の天華香洞に奔った事を報じてあった。間もなく君は東京に帰って来たと見え、ある雑誌に君が出家の感想を見たが、やがて君が死去の報は伝えられた。
見神の一義に君は到頭精力を傾注せずに居られなくなったのである。而して生涯の大事、生存の目的を果したので、君は軽く肉の衣を脱いだのであろう。
ヤスナヤ、ポリヤナの未亡人へ
一
夫人。
私は夙に手紙を差上げねばならなかったのでした。実は幾回も幾回もペンを執ったのでした。ペンを執りは執りながら、如何しても書くことが出来なかったのです。今日、ビルコフさんの書いた故先生小伝の英訳を見て居ましたら、丁度先生の逝去六週間前に撮影されたと云う先生とあなたの写真が出て居ました。熟々見て居る内に、私の眼は霞んで来ました。嗚呼ものが言いたい! 話がしたい! 然し先生は最早霊です。私の拙い言葉を仮らずとも、先生と話すことが出来ます。書くならあなたに書かねばならぬ。そこで此手紙を書きます。私はうちつけに書きます。万事直截其ものでお出のあなたは、私が心底から申すことを容して下さるだろうと思います。
二
何から申しましょうか。書く事があまり多い。最初先生の不可思議な遽かの家出を聞いた時、私は直ぐ先生の終が差迫って来た事を知りました。それで先生の訃に接した時も、少しも驚きませんでした。勿論先生を愛する者にとっては、先生の最期は苦しい最期でした。何故先生は愛妻愛子愛女の心尽しの介抱の中に、其一片と雖も先生を吾有と主張し要求し得ぬものはない切っても切れぬ周囲の中に、穏に死なれる事が何故出来なかったでしょうか? 何故其生の晩景になって、あわれなひとり者の死に様をする為に其温かな巣からさまよい出られねばならなかったのでしょうか? 世故を経尽し人事を知り尽した先生が、何故其老年に際し、否墓に片脚下しかけて、釈迦牟尼の其生の初に為られた処をされねばならなかったか? 世間は誰しも斯く驚き怪みました。不相変主我的だと非難した者も少なくありませんでした。一風変った天才の気まぐれと笑ったのは、まだよい方かも知れません。先生もつらかったでしょう。然し夫人、悲痛の重荷は偏にあなたの肩上に落ちました。あなたの経歴された処は、思うも恐ろしい。長い長い生涯の間、先生と棲んで先生を愛されたあなたが、此世の旅の夕蔭に、見棄てゝしまわれた様な姿になられようとは! 而してトルストイの邪魔物は此であると云った様に白昼世界の眼の前に曝しものになられようとは! 夫人、誰かあなたに同情をさゝげずに居られましょう乎。如何に頑固な先生の加担者でも、如何程苦り切ったあなたの敵対者でも、堪え難いあなたの苦痛と断腸の悲哀とは、其幾分を感ぜずに居られません。彼池の滸りの一刹那を思うては、戦慄せずには居られません。
三
然し夫人、世に先生を非難する者の多かった様に、あなたを非難する者も少くありませんでした。白状します、私も其一人でした。トルストイと云う様な偉大な名は、世界の目標です。先生や先生の一家一門の所作は、万人の具に瞻る所、批評の的であります。そこで先生の哀しい最期前後の出来事は、如何様な微細な事までも、世界中の新聞雑誌に掲載されて、色々の評判を惹起しました。私は漏らさず其記事を見ました。無論誤報曲説も多かったでしょう。針小棒大の記事も沢山あったに違いありません。然し打明けて云えば、其記事については、私は非常に心を痛むる事が多かった。打明けて云えば、夫人、私はあなたに対して少からぬ不平があったのです。勿論白が弥白くなれば、鼠色も純黒に勢なる様なもので、故先生があまりに物的自我を捨てようとせられた為、其反動の余勢であなたは実際以上に自己を主張されねばならぬ様なハメになられたこともありましょう。それでなくても、婦人は自然に物質的になる可き約束の下にあるのです。先生が産を治むる事をやめられてから、一家の主人役に立たれたあなたが、児孫の為に利益を計り権利を主張し、切々と生活の資を積む可く努められたのも、致方はないと云った様な御気の毒なわけで、あなたの方から云えば先生にこそ不平あれ、先生から不足を云われる事はない筈です。と、誰も然申しましょう。然し夫人、生計を立つると云うも、程度の問題です。あなたが家の為を思わるゝあまり、ノーベル賞金を辞された先生に不満を懐かれたり、何万ルーブルの為に先生の声を蓄音器に入れさせようとしたり、其外種々仁人としても詩人としても心の富、霊の自由、人格の尊厳を第一位に置く霊活不覊なる先生の心を傷むるのは知れ切った事まで先生に強られたのは、あまりと云えば無惨ではありますまいか。あなたはトルストイの名を其様に軽いやすっぽいものに思ってお出なのでしょう乎。「吾未だ義人の裔の物乞いあるくを見し事なし」とソロモンは申しました。トルストイの妻は其夫をルーブルにして置かねばならぬ程貧しい者でしょう乎。トルストイの子女は、其父を食わねば生きられぬ程腑甲斐ないものでしょう乎。私にはあなたがハズミに乗って機械的に為られたと思う外、ドウもあなたのお心持が分かりません。全く正気の沙汰とは思われかねるのです。莫斯科の小店なぞに切々と売溜の金勘定ばかりして居るかみさんのマシューリナ、カテーリナならいざ知らず、世界のトルストイの夫人の挙動としては、よく云えばあまりに謙遜な、正しく云えばあまりに信仰がない鄙い話ではありますまい乎。私は先生の心中が思われて、つらくてなりません。昔先生が命をかけて惚れられた美しい素直なソフィ嬢は、斯様な心の香の褪った老伯爵夫人になってしまわれたのでしょう乎。其れから先生逝去後の御家の挙動は如何です? 私はしば/\叫びました、先生も先生だ、何故先生は彼様な烈しい最後の手段を取らずに、犠牲となって穏に家庭に死ぬることが出来なかっただろう乎、あまりに我強い先生であると。然し此は先生がトルストイである事を忘れたからの叫びです。誰にでも其人相応の生き様があり、また其人相応の死に様があります。トルストイの様な人でトルストイの様な境遇にある者は、彼様な断末魔が当然で且自然であります。少しも無理は無い。余人にあっては兎も角も、先生にあっては彼様でなくては生の結末がつかぬのです。一切の人慾、一切の理想が恐ろしい火の如く衷に燃えて闘うた先生には、灰色にぼかした生や死は問題の外なのです。あなたに対する真の愛から云うても、理想に対する操節から云っても、出奔と浪死は必然の結果です。仮に先生が其趣味主張を一切胸に畳んで、所謂家庭の和楽の犠牲となって一個の好々翁として穏にヤスナヤ、ポリヤナに瞑目されたとして、先生は果してトルストイたり得たでしょう乎。其死が夫人、あなたをはじめとして全世界に彼様な警策を与えることが出来たでしょう乎。彼最後彼臨終あるが為に、先生等身の著作、多年の言説に画竜の睛を点じたのではありますまい乎。確に然です。トルストイは手軽に理想を実行してのける実行家では無い、然しトルストイは理想を賞翫して生涯を終る理想家で無い、トルストイは一切の執着煩悩を軽々に滑り脱ける木石人で無い、然しトルストイは最後の一息を以ても其理想を実現すべく奔騰する火の如き霊であると云う事が、墨黒の夜の空に火焔の字をもて大書した様に読まるゝのです。獅子は久しく眼に見えぬ檻の中で獅子吼をしたり、毬を弄んだり、無聊に悶えたりして居ましたが、最後に身を跳らして一躍檻外に飛び出で、万里の野に奔って自由の死を遂げました。惨ましく然も偉大なる死! 先生の死は、先生が最後の勝利でした。夫人、あなたは負けました。だからあなたの煩悶も、御家の沸騰も起きたのです。但今は斯く思うものゝ、其当時私は思いました、先生は先生としても、何故あなたも令息令嬢達も黙って哀しんで居られることが出来なかったのでしょう乎。何故の彼諍論? 何故の彼喧嘩? 無論先生の出奔と死は、云わば爆裂弾を投げたもので、あとの騒ぎが大きいのが自然であるし、また必要でもあるし、石が大きければ水煙も夥しいと云った様なもので、傍眼には醜態百出トルストイ家の乱脈と見えても、あなたの卒直一剋な御性質から云っても、令息令嬢達の腹蔵なき性質から云っても、世界の目の前にある家の立場から云っても、云うべき事は云わねばならず、弁難論諍も致方はもとよりありますまい。苟且の平和より真面目の争はまだ優です。但私は先生の彼惨ましい死を余儀なくした其事情を思うに忍びず、また先生の墓上涙未だ乾かざるに家族の方々が斯く喧嘩さるゝを見るに忍びなかったのであります。然し我々は人間です。人間として衝突は自然の約束であります。先生もよく/\思い込まるればこそ、彼死様をされた。而して偽ることを得為ぬトルストイ家の人々なればこそ、彼争もあったのでしょう。加之、承われば此頃では諸事円滑に運んで居るとやら、愚痴は最早言いますまい。唯先生を中心として起った悲劇に因り御一同の大小浅深さま/″\に受けられた苦痛から最好きものゝ生れ出でんことを信じ、且祷るのみであります。
四
勿論先生があなたを深く深く愛された事は、誰よりもあなたこそ御存じの筈。あなたを離れて出奔される時にも、先生はあなたを愛して居られた。否、深くあなたを愛さるればこそ先生は他人に出来ない事を苦痛を忍んで為られたのです。頗無理な言葉の様ですが、先生の家出の動機の重なる一が、あなたはじめ先生の愛さるゝ人達の済度にあった事は決して疑はありません。人は石を玉と握ることもあれば、玉を石と抛つ場合もあります。獅子は子を崖から落します。我々の捨てるものは、往々我々にとって一番捨て難い宝なのです。先生にとって人の象をとった一番の宝は、あなたでした。臨終の譫言にもあなたの名を呼ばれたのでも分かる。あなたは最後までも先生の恋人でした。あなたの為に先生は彼様な死をされた。あなたは衷心に確にソレを知ってお出です。夫人、あなたは其深い深い愛の下に頭を低れて下さることは出来ないのでしょう乎。人の霊魂は不覊独立なもの、肉体一世の結合は彼若くば彼女の永久の存在を拘束することは出来ないのですから、先生の生前、先生は先生の道、あなたはあなたの路を別々に辿られたのも致方は無いものゝ、先生が肉の衣を脱がれた今日、私は金婚式でも金剛石婚式でもなく、第二の真の結婚が御両人の間に成就されん事を祈って已まないのであります。悲哀を通して我々は浄められるのです。苦痛を経由して我々は智識に達するのです。敬愛する夫人よ、先生はあなたの良人御家族の父君で御出でしたが、また凡そ先生を信愛する者の総ての父でした。敬愛する夫人よ、あなたは今ヤスナヤ、ポリヤナ小王国の皇太后で御出ですが、同時にあなたを識る程の者の母君となられるのである事をお忘れなすってはなりません。夫人、御安心なさい、あなたにお目にかゝった程の者は、誰かあなたの真面目な而して勇敢な霊魂を尊敬せぬ者がありましょう乎。誰かあなたの故先生に対する愛の助勢によって、人類に貢献された働を知らない者がありましょう乎。あなたがお出でなかったら、先生が果して彼偉大なトルストイと熟された乎、否乎、分かりません。先生が不朽である如く、あなたも不朽です。あなたは曾て自伝を書いて居ると云うお話でした。あれは著々進行しつゝあることゝ思います。私は其面白かる可き頁が覗きたくてなりません。出版されたら、種々分明する事があろうと思います。我々一同に対してあなたは楯の一面を示される義務があります。何卒独得の真摯と気力とをもてあなたの御言い分をお述べ下さい。我々一同其一日も早く出版されんことを待って居る者であります。
五
今日は七月の三日です。七年前の丁度今日は、ヤスナヤ、ポリヤナで御厚遇を享けて居ました。其折お目にかゝった方々や色々の出来事を、私は如何様にはっきりと記憶して居るでしょう。正に今日でした、私は彼はなれからペンとインキを持ち出して、彼楓の下の食卓に居られる皆さんの署名を記念の為に求めました。其手帳は今私の手近にあります。私は開けて見ました。皆在焉。先生のも、あなたのも、其他皆さんの手によって署せられた皆さんの名が歴々として其処にあります。インキもまだ乾かないかと思われるばかりです。然るに、想えば先生の椅子は最早永久に空しいのです。此頃は楓の下の彼食卓も嘸淋しいことでしょう。私はマウド氏の先生の伝を見て、オボレンスキー公爵夫人マリーさんも、私がお目にかゝって間もなく死去された事を知りました。私はマリーさんが大好きでした。最早あの方もホンの記憶になってしまわれたのです。先頃莫斯科から帰って来られた小西君に面会しました。小西君は彼哀しい出来事の少し前に先生に会われ、それから葬儀にも出られたそうです。然しあなたや御家族の事については、あまり知って居られないのでした。多分伯アンドリゥ君は御同居だろうと思います。ドウかよろしく、私は時々アンドリゥ君の事を思うて居るとお伝え下さい。レオ君の御一家は聖彼得堡にお住いですか。ヤスナヤ、ポリヤナの園でトチ/\歩みをして居られたお孫達も、最早大きなむすこさん達になられたでしょう。伯令嬢アレキサンドラは如何して居られますか。私は折々あのヷロンカの川辺で迷子になって、令嬢を煩わして探しに来ていたゞいた事を憶い出します。ミハイル君は如何です。私は唯一度、それもホンの一寸会ったゞけですが、大層好きな方と思いました。ジュリヤ嬢はとくにヤスナヤ、ポリヤナを去られたとか。マコヸィッキー君は今何処に居られるでしょう? スホーチン君は矢張ヂュマの議員でお出ですか。オボレンスキー公爵と、鼻眼鏡をかけて居られる其母堂とは、御息災ですか。イリヤはまだ勤めて居ますか。曾て其人を私も手伝って牧草を掻いた料理番の老細君は達者にして居ますか。
嗚呼彼の楓の下の雪白の布を覆うた食卓、其処に朝々サモヷルが来り喫む人を待って吟じ、其下の砂は白くて踏むに軟なあの食卓! 先生は読み、あなたは縫うて居られた彼露台の夕! 家の息達と令嬢とマンドリンを弾いて歌われた彼ヹランダの一夜! 彼ヷロンカの水浴! 彼涼しい、而して木の葉の網目を洩る日光が金の斑点を地に落すあの白樺の林の逍遙! 先生も其処に眠って居られる。記憶から記憶と群がり来って果しがない。嗟今一度なつかしいヤスナヤ、ポリヤナに往って見たい!
敬愛する夫人よ。私は長い手紙を書いてしまいました。最早こゝでペンを擱かねばなりません。願わくば神あなたの寂寥を慰めて力を与え玉わんことを。願わくばあなたの晩年が、彼露西亜の美わしい夏の夕の様に穏に美しくあらんことを。終に臨み、私の妻もあなたの負われ負わるゝ数々の重荷に対し、真実御同情申上げる旨、呉々も申しました。
一九一二年 七月三日
ヤスナヤ、ポリヤナと其記念を永久に愛する
――― ―――――
安さん
乞食も色々のが来る。春秋の彼岸、三五月の節句、盆なンどには、服装も小ざっぱりした女等が子供を負って、幾組も隊をなして陽気にやって来る。何処から来るのかと聞いたら、新宿からと云うた。浅草紙、やす石鹸やす玩具など持て来るほンの申訳ばかりの商人実際のお貰いも少からず来る。喰いつめた渡り職人、仕事にはなれた土方、都合次第で乞食になったり窃盗になったり強盗になったり追剥になったりする手合も折々来る。曾てある秋の朝、つい門前の雑木林の中でがさ/\音がするので、ふっと見ると、昨夜此処に寝たと見えて、一人の古い印半纏を着た四十ばかりの男が、眠たい顔して起き上り、欠伸をして往って了うた。
一般的乞食の外に、特別名指しの金乞いも時々来る。やりたくても無い時があり、あってもやりたくない時があり、二拍子揃って都合よくやる時もあり、ふかし甘藷二三本新聞紙に包んで御免を蒙る場合もある。然し斯様な特別のは別にして、彼が村居六年の間に懇意になった乞食が二人ある。仙さんと安さん。
仙さんは多少富裕な家の息子の果であろう。乞食になっても権高で、中々吾儘である。五分苅頭の面桶顔、柴栗を押つけた様な鼻と鼻にかゝる声が、昔の耽溺を語って居る。仙さんは自愛家である。飲料には屹度湯をくれと云う。曾て昆布の出しがらをやったら、次ぎに来た時、あんな物をくれるから、醤油を損した上に下痢までした、と嗔った。小婢一人留守して居る処に来ては、茶をくれ、飯をくれ、果てはお前の着て居る物を脱いでくれ、と強請って、婢は一ちゞみになったことがある。主婦が仙さんの素生を尋ねかけたら、「乃公に喧嘩を売るのか」と仙さんは血相を変えた。ある時やるものが無くて梅干をやったら、斯様なものと顔をしかめる。居合わした主人は、思わず勃然として、貰う者の分際で好悪を云う者があるか、と叱りつけたら、ブツ/\云いながら受取ったが、門を出て五六歩行くと雑木林に投げ棄てゝ往った。追かけて撲ちのめそうか、と思ったが、やっと堪えた。彼は此後仙さんを憎んだ。其後一二度来たきり、此二三年は頓斗姿を見せぬ。
我強い仙さんに引易え、気易の安さんは村でもうけがよい。安さんは五十位、色の浅黒い、眼のしょぼ/\した、何処やらのっぺりした男である。安さんは馬鹿を作って居る。夏着冬着ありたけの襤褸の十二一重をだらりと纏うて、破れしゃっぽのこともあり、黒い髪を長く額に垂らして居ることもあり、或は垢染みた手拭を頬冠りのこともある。下駄を片足、藁草履を片足、よく跛曳いてあるく。曾て穿きふるしの茶の運動靴をやったら、早速穿いて往ったが、十日たゝぬ内に最早跣足で来た。
江戸の者らしい。何時、如何な事情の下に乞食になったか、余程話を引出そうとしても、中々其手に乗らぬ。唯床屋をして居たと云う。剃刀の磨ぐのでもありませんか、とある時云うた。主人の髯は六七年来放任主義であまりうるさくなると剪で苅るばかりだし、主婦は嫁して来て十八年来一度も顔を剃ったことがないので、家には剃刀と云うものが無い。折角の安さんの親切も、無駄であった。然し剃刀があった処で、あの安さんの清潔な手では全く恐れ入る。
いつも門口に来ると、杖のさきでぱっ/\と塵を掃く真似をする。其響を聞いたばかりで、安さんと分った。「おゝそれながら……」と中音で拍子をとって戸口に立つこともある。「春雨にィ……」と小声で歌うて来ることもある。ある時来たのを捉えて、笊で砂利を運ぶ手伝をさせ、五銭やったら、其れから来る毎に「仕事はありませんか」と云う。時々は甘えて煙草をくれと云う。此家では喫まぬと云っても、忘れてはまた煙草をくれと云う。正直の仙さんは一剋で向張りが強く、智慧者の安さんは狡獪くて軟な皮をかぶって居た。
夏は乞食の天国である。夏は我儕も家なンか厄介物を捨てゝしもうて、野に寝、山に寝、日本国中世界中乞食して廻りたい気も起る。夏は乞食の天国である。唯蚊だけが疵だが、至る処の堂宮は寝室、日蔭の草は茵、貯えれば腐るので家々の貰い物も自然に多い。ある時、安さんが田川の側に跪いて居るのを見た。
「何をして居るのかね、安さん?」
声をかけると、安さんは寝惚けた様な眼をあげて、
「エ、エ、洗濯をして」
と答えた。麦藁帽の洗濯をして居るのであった。処々の田川は彼の洗濯場で、また彼の浴槽であった。
冬は惨だ。小屋かけ、木賃宿、其れ等に雨雪を凌ぐのは、乞食仲間でも威張った手合で、其様な栄耀が出来ぬやからは、村の堂宮、畑の中の肥料小屋、止むなければ北をよけた崖の下、雑木林の落葉の中に、焚火を力にうと/\一夜を明すのだ。そこでよく火事が起る。彼が隣の墓地にはもと一寸した閻魔堂があったが、彼が引越して来る少し前に乞食の焚火から焼けて了うて、木の閻魔様は灰になり、石の奪衣婆ばかり焼け出されて、露天に片膝立てゝ恐い顔をして居る。鎮守八幡でも、乞食の火が険呑と云うので、つい去年拝殿に厳重な戸締りを設けて了うた。安さんの為に寝所が一つ無くなったのである。それかあらぬか、近頃一向安さんの影を見かけなくなった。
「安さんは如何したろ?」
彼等はしば/\斯く噂をした。
昨日婢が突然安さんの死を報じた。近所の女児が斯く婢に云うたそうだ。
「安さんなァ、安さんな内のお安さんが死んだ些前に、は、死んじまったとよ」
近所のお安さんと云う娘が死んだのは、五月の初であったから、乞食の安さんは桜の花の頃に死んだものと見える。
安さんは大抵甲州街道南裏の稲荷の宮に住んで居たそうだ。埋葬は高井戸でしたと云うが、如何な臨終であったやら。
「あれで中々女が好きでね、女なんかゞ一人で物を持って往ってやるといけないって、皆が云ってました」
と婢が云うた。
安さんが死んだか。乞食の安さんが死んだか。
「死んで安心な様な、可哀想な様な気もちがしますよ」
主婦が云うた。
秋の野にさす雲の翳の様に、淡い哀がすうと主人の心を掠めて過ぎた。



