風雅和歌集卷第十七
雜歌下
1786
伏見院御歌
題志らず
天つ空照る日のしたに有りながら曇る心の隈をもためや
1787
太上天皇
雜の歌の中に
照りくもり寒きあつきも時として民に心の休む間もなし
1788
權大納言資明
百首の歌奉りし時
誰れもみな心をみがけ人を知る君が鏡のくもり無き世に
1789
左兵衛督直義
述懷の歌の中に
靜なる夜はの寐覺に世の中の人のうれへを思ふくるしさ
1790
光明峯寺入道前攝政左大臣
神代より道ある國につかへけるちぎりも絶えぬ關の藤川
1791
前大納言經顯
今までは代々經てすみし白河のにごらじ水の心ばかりは
1792
後伏見院御歌
雜の御歌の中に
仰ぎ見て我が身を問へば天の原すめる緑の言ふ事もなし
1793
前大僧正道玄
さりともと仰ぎて空を頼む哉月日の未だ落ちぬ世なれば
1794
深心院關白前左大臣
行く末の道は迷はじ春日山出づる朝日のかげにまかせて
1795
芬陀利花院前關白内大臣
文保の百首の歌に
曇らじと思ふこゝろを三笠山出づる朝日も空に知るらむ
1796
後醍醐院御歌
雜の御歌とて
治れる跡をぞ慕ふ押しなべて誰が昔とはおもひ分かねど
1797
太上天皇
百首の歌の中に
治まらぬ世のためのみぞうれはしき身のための世は遮莫
1798
從三位爲繼
嘉禎二年十二月四位の從上に叙して慶を奏しけるに雪のいみじく降りければ
位山かさなる雪に跡とめてまよはぬ道はなほぞかしこき
1799
藤原秀經
山を
道しあらば今も迷はで位山むかしの跡に名をのこさばや
1800
前大納言實教
百首の歌奉りし時
老の身に今ひと坂の位山のぼらぬにてもくるしかりけり
1801
伏見院御歌
雜の御歌の中に
愁へなく樂みもなし我が心いとなまぬ世はあるに任せて
1802
藤原爲守女
無きにのみ身を爲果てし心よりあるに任する世こそ安けれ
1803
法印顯範
古へは歎きしことも歎かれず憂きに習ひて年の經ぬれば
1804
藤原重能
人は知らじ片山影の埋れ水こゝろの底はいかに澄むとも
1805
藤原爲明朝臣
百首の歌奉りしに
憂き乍らあるに任する我身こそ斯ても捨つる此世なりけれ
1806
徽安門院
雜の歌に
身こそあらめ心を塵の外になして浮世の色にそまじとぞ思ふ
1807
入道二品親王尊圓
皇慶贈法印慈應の謚號を申し給はりてよみ侍りける
谷川の水の水上代々を經ていまぞかしこき名を流すらむ
1808
大江廣秀
題志らず
水上のすめるを受けて行く水の末にも濁る名をば流さじ
1809
左兵衛督直義
百首の歌奉りし時
高き山深き河にもまさるらし我が身にうくる君が惠みは
1810
前中納言爲相
中納言に拜任の時よみ侍りける
昇る瀬のありける物を引く人のなきにもよらぬ淀の川舟
1811
芬陀利花院前關白内大臣
文保の百首の歌に
沈む身と何歎きけむ佐保川の深き惠みのかゝりける世に
1812
藤原時藤
世をのがれてこもり居侍りけるに建武の頃又世にまじらへ侍るとてよめる
同じくば衰へざりしもとの身を今に還して世に仕へばや
1813
源到雄
題しらず
命をばかろきになして武士の道よりおもき道あらめやは
1814
入道二品親王尊圓
百首の歌奉りし時
百敷やみぎりの竹の臥して思ひ起きて祈るも我が君の爲
1815
西園寺前内大臣女
雜の歌に
住みわぶる我こそ常に急がるれ月は何ゆゑ山に入るらむ
1816
慶政上人
惱むこと侍りける頃雨の降りけるに衣笠前内大臣訪ひて侍りければよみてつかはしける
何事を思ひつゞくとなけれども雨の寐覺は物ぞかなしき
1817
前大僧正道玄
西山に住み侍りけるに京へ出でける時草庵の障子に書きつけゝる
入るたびに又は出でじと思ふ身の何ゆゑ急ぐ都なるらむ
1818
彈正尹邦省親王
述懷の歌の中に
身のうさを心一つに慰て我があらましを待つぞはかなき
1819
前大僧正守譽
何時までと思ふばかりぞあだし世のうきに慰む頼なりける
1820
權律師有淳
世の中の憂きは嬉しき物ぞともいつ捨てはてゝ思合せむ
1821
如圓法師
慣れぬれば思ひもわかぬ身のうさを忘れぬ物は涙なりけり
1822
源宗滿
歎くべきことを數多の身のうさにまつは涙の何に落つらむ
1823
前左兵衛督惟方
皇太后宮大夫俊成千載集えらび侍りける時申しつかはしける
藻鹽草かき集めたる和歌の浦のその人數に思ひ出でずや
1824
皇太后宮大夫俊成
返し
今も猶なれし昔は忘れぬをかけざらめやは和歌のうら波
1825
平久時
題志らず
かひ積る藻屑のみしてあるかひも渚によする和歌の浦波
1826
大江宗秀
和歌の浦に心をよせて年ふれど藻屑うづもる玉は拾はず
1827
後徳大寺左大臣
賀茂重保が堂の障子に時の歌よみどものかたを書きて各よみたる歌を色紙形に書くべき由申し侍りければ我も入りたるらむと尋ね侍りけるに位高き人はおそれありて書かぬよし申したりければ色紙がた書きてつかはすとて
若の浦の波の數にはもれにけりかくかひもなき藻鹽草哉
1828
前參議經盛
皇太后宮大夫俊成打聞せむとて忠盛朝臣の歌をこひけるに遣はすとてよめる
家の風吹くとも見えぬ木のもとに書置く言の葉を散す哉
1829
左兵衛督直義
百首の歌奉りし時
言の葉の六くさのうちに樣々の心ぞ見ゆるしきしまの道
1830
皇太后宮大夫俊成
基俊に古今集を借りて侍りけるをかへしつかはすとて
君なくば如何にしてかははるけまし古今の覺つかなさを
1831
基俊
返し
かきたむる古今のことの葉を殘さず君につたへつるかな
1832
西行法師
西行、御裳濯の歌合とて、前中納言定家に判ずべきよし申しけるを、若かりける頃にて辭び申すをあながちに申し侍りければ、判じてつかはすとて、山水の深かれとてもかきやらず君に契を結ぶはかりぞと申して侍りける返事に
結びなす末を心にたぐふれば深く見ゆるを山がはのみづ
1833
前中納言定家
建保三年内裏に召されける名所の百首のうたの中に、辰市
敷島の道に我が名は辰の市やいさまだ知らぬ大和言の葉
1834
前大納言爲家
寳治の百首の歌奉りける時、浦舟を
和歌の浦に身ぞうき波の蜑小舟流石かさなる跡な忘れそ
1835
藤原隆信朝臣
從三位頼政正下五位に叙して侍りける時、其の悦云ひ遣すとて
若の浦に立昇るなる波の音はこさるゝ身にも嬉しとぞ聞く
1836
從三位頼政
返し
いかにして立昇る覽越ゆべしと思ひもよらぬ和歌の浦波
1837
清輔朝臣
同じ人高倉院の殿上の還昇を許されて侍りけるに申し遣しける
立歸る雲居のたづに言傳てむ獨さはべに鳴くと告げなむ
1838
大貳三位
橘爲仲朝臣藏人おりてまたの日、澤水におり居たるたづは年ふれどなれし雲居ぞ戀しかるべきし申し侍りける返事に
芦原に羽根休むめる芦たづはもとの雲居に歸らざらめや
1839
太宰大貳重家
二條院の御時御畏りにて籠り居侍りけるに許されて後殿上をば未だゆりざりける比奏せよと覺しくて藏人尹明に申し遣しける
此内を出づとしならば芦たづのなれし雲居になどや歸らぬ
1840
藤原定長
石清水の臨時の祭の舞人にて立ち宿りける家のあるじ、又來む春も侍つべき由言ひければ、思ふ心や有りけむ、
又も來む春とはえこそ石清水立ち舞ふ事も有り難き世に
1841
清輔朝臣
六條院位におはしましける時臨時の祭の四位の陪從に催されて參りけるに思ふ事や有りけむ、檜扇のつまに書きて中宮の御方の女房の中にさし置かせける
昔見し雲のかけ橋變らねど我が身一つのとだえなりけり
1842
欣子内親王
世を遁れて後大納言三位に琵琶の譜を返すとて
くもれかし半ばの月の面影もとめて見るべき袂ならねば
1843
民部卿爲定
文保三年百首の歌召されける時
今更にのぼりぞやらぬ位山苦しかるべき代々のあとかは
1844
高辨上人
白糸を人の心にたとへたる事を詠める
昔誰れ人のこゝろを白糸の染むれば染まる色に泣きけむ
1845
兼好法師
世を遁れて木曾路と云ふ所を過ぐるとて
思ひ立つ木曾の麻衣淺くのみ染めてやむべき袖の色かは
1846
藤原惟規
題志らず
なにとなく花や紅葉を見る程に春と秋とは幾めぐりしつ
1847
西行法師
花散らで月は曇らぬ世なりせば物を思はぬ我身ならまし
1848
基俊
權少僧都光覺、堅義請ひのぞみ侍りける時
九つの澤に鳴くなるあしたづの子を思ふ聲は空に聞ゆや
1849
法性寺入道前關白太政大臣
返し
よそにても子を思ふたづの鳴く聲を哀と人の聞かざらめやは
1850
高辨上人
或る人の久しく對面せざりけるが音づれ侍りければ
存らへてとはるべしとはおもひきや人の情も命なりけり
1851
祝子内親王
雜の歌に
憂しとても幾程の世と思ふ/\なほ其内も物ぞわびしき
1852
前中納言爲相
憂しとても憂からず迚もよしや唯五十の後の幾程の世は
1853
前大納言實教
百首の歌奉りし時
思出も無くて過ぎこしとし月の數にまさるは涙なりけり
1854
法印延全
雜の歌に
七十ぢの年波越えて今は身の何をか末の待つことにせむ
1855
前中納言爲相女
朝夕の心の内のもの憂さをさてもある身と人や知るらむ
1856
徽安門院小宰相
百首の歌奉りしに
思知らば背きもすべき身を置きて誰が名に立てし憂世なる覽
1857
前大僧正道玄
題志らず
今更に憂しといふこそ愚なれ斯るべき世の末と知らずや
1858
宣光門院新右衞門督
捨てかぬる心も我が身其上に誰が思はせて厭はしき世ぞ
1859
儀子内親王
思ふ事ならばいつまで住まむとて唯目の前の世を歎く覽
1860
前中納言雅孝
百首の歌奉りし時
果敢なしと思ひ乍らもあらましに身を慰めて年を經る哉
1861
權大納言公蔭
世の中騷がしける比東坂本におはしましける程の御歌どもを後に見て奉りける
さこそはと思遣られし其の折の旅の哀をさながらぞ見る
1862
院御歌
御返し
言の葉に色は無けれど思ひやる心を添へて哀れとや見る
1863
藤原爲基朝臣
文保の比つかさ解けて籠り居て侍りける比、山里にて
心とは住み果てられぬ奥山に我が跡うづめ八重のしら雲
1864
新宰相
述懷の歌の中に
行末を頼むと人や思ふらお心にもあらで世をすぐす身を
1865
藤原秀能
憂世とは思ひ乍らに捨遣らであらましにのみ過しつる哉
1866
源仲教
憂世とはなべていふなる理を我が身一つになしてこそ思へ
1867
權少僧都淨道
憂き事を思はじとても如何せむ流石心の無き身ならねば
1868
從二位宣子
折々の身のあらましも變りけり我が心さへ定めなの世や
1869
前大僧正道玄
文永の頃西山へ入る由申し遣して侍りければ出京いつ頃ぞと申して侍りける人の返事に
世の憂さに思立ちぬる山里はいさいつまでと程も定めず
1870
西園寺前内大臣女
閑居述懷といふ事を
哀にぞ蓬が庭の跡も無きもとより誰れを待つ身ならねば
1871
俊頼朝臣
雨を
つく%\と思へば悲し數ならぬ身を知る雨よをやみだにせよ
1872
前大僧正道昭
大峯のふるやのとまりにて
涙のみふるやの軒の板びさしもりくる月ぞ袖にくもれる
1873
藤原宗秀
題志らず
山深く身を隱しても世の中を遁れ果てぬはこゝろなりけり
1874
山田法師
斯くばかり取り集めたる身の憂さに心づよくも長き命か
1875
讀人志らず
身は斯くて遁れ果てぬる世の中を人の上まで猶厭ふかな
1876
權僧正忠性
世を憂しと思立つとも我が山のほかにはいかゞ墨染の袖
1877
前大僧正公什
世をうみの網のうけ繩一筋に引くべき人も無き身なりけり
1878
崇徳院御歌
雜の御歌の中に
我が心誰にか言はむ伊勢の蜑の釣のうけ引く人し無ければ
1879
前大僧正道意
いかにせむ背かばとこそ思しに捨てゝも憂きは此世なり鳬
1880
讀人志らず
前左兵衛督惟方使の別當になりて侍りける比歎く事ありけるをとぶらはず侍りければ申し遣しける
歎きをもとはぬつらさはつらけれど嬉しきことは嬉しとぞ聞く
1881
前左兵衛督惟方
返し
いふよりも言で思ふは勝るとてとはぬもとふに劣りやはせし
1882
從二位爲子
題志らず
心だに我が思ふにも叶はぬに人を恨みむことわりぞ無き
1883
儀子内親王
康永二年、歌合に、雜の心を
物毎に心をとめば何にかはうき世の中の知られざるべき
1884
安嘉門院四條
百首の歌の中に
心こそ身の關守となりにけれ易く出づべき此世なれども
1885
徽安門院
雜の歌の中に
世の中の憂き度毎に慰むるよしいく程の無からましかば
1886
壽成門院
あらましの心の儘に見る夢を思ひ合するうつゝともがな
1887
徽安門院小宰相
百首の歌奉りし時
哀にもうつゝに思ふあらましの唯その儘に見つる夢かな
1888
後京極攝政前太政大臣
夢中述懷を
轉寐の果敢なき夢のうちにだに千々の思の有りける物を
1889
大江千里
夢中歡樂又紛然といふ事を
夢にても嬉しき事の見えつるは唯に憂ふる身には勝れり
1890
後鳥羽院御歌
雜の御歌の中に
大方の現は夢になし果てつぬるがうちには何をかも見む
1891
權僧正永縁
長き夜の夢の内にて見る夢は孰れうつゝといかゞ定めむ
1892
前大僧正慈鎭
夢ぞかし思ふ儘なる身なりとも嬉しかるべき此世とや見る
1893
後山本前左大臣
嘉元の百首の歌に、夢を
何方に思ひ定めむ夢といひて思ふも見えず思はぬも見ゆ
1894
前左大臣
同じ心を
あだし世に寐ても覺めても見る事は何れを夢と心にか分く
1895
院御歌
百首の御歌に
元よりのさながら夢と見る上はよしや必覺めも覺めずも
1896
永陽門院左京大夫
正慶二年藤原爲基朝臣世を背きぬと聞きて申し遣しける
驚くもさこそと悲し憂き夢の覺めぬ迷に世をや捨てけむ
1897
藤原爲基朝臣
返し
覺めやらぬ浮世の夢の名殘こそ捨てぬる身にも猶殘りけれ
1898
内大臣室
雜の歌の中に
曉の鐘はまくらに音すれどうき世の夢は覺めむともせず
1899
從二位爲子
長き夜に迷ふ闇路のいつ覺めて夢を夢ともおもひ合せむ
1900
藤原爲基朝臣
ぬるが内に見るより他の現さへいや果敢なゝる夢になりぬる
1901
前中納言爲相女
驚かぬ昨日の夢の世を知らで又あらましの明日もはかなし
1902
圓光寺入道前關白太政大臣
見し人も殘り少なき老が世に誰れと昔をかたりあはせむ
1903
源頼貞
哀とて我が寐覺とふ人もがな思ふこゝろを言ひも盡さむ
1904
永福門院内侍
今になりむかしに歸り思ふ間に寐覺の鐘も聲盡きぬなり
1905
右京大夫
建禮門院大原におはしましける頃尋ね參りたるに夢の心地のみして侍りければ思ひつゞけ侍りける
今や夢むかしや夢と辿られていかにと思へど現とぞ無き
1906
前參議信成
水無瀬に住み侍りける頃後鳥羽院の下野誰れとも無くて、水無瀬川哀れ昔と思ふより涙の淵を渡りかねつゝと書きてさし置かせ侍りけるにおひて遣はしける
君もさは渡りかねける涙川我が身ひとつの淵とおもふに
1907
藤原隆信朝臣
懷舊の心を
二度と歸る方無きむかしにも夢路は通ふ物にぞ有りける
1908
禪正尹忠房親王
院に卅首の歌召されし時、夜懷舊を
鳥羽玉の夜の衣をいにしへに返すたのみの夢も果敢なし
1909
儀子内親王
雜の歌の中に
覺めて後悔しき物は又もこぬ昔を見つる夢にぞ有りける
1910
前關白左大臣通
つく%\と過ぎにし方を思ひ寐の夢ぞ昔の名殘なりける
1911
式部卿恒明親王
歸りこぬ昔に通ふ夢路をば暫しもいかで覺まさでを見む
1912
藤原宗親
思ひ寐の夢より外は頼まれずさらではかへる昔ならねば
1913
前内大臣冬
李夫人を
見てもなほ思ひぞまさる花の跡中々つらき形見なりけり
1914
民部卿成範
配所より歸りて後、清輔朝臣の許より、鳥の子のありしにも似ぬ古巣には歸るにつけて音をや鳴くらむと申しける返しに
方々に鳴きて別れしむら鳥の古巣にだにも歸りやはする
1915
右兵衛督基氏
雜の歌の中に
古の今見るばかり覺ゆるは我が老ゆらくの寐覺なりけり
1916
高階宗成朝臣
古になせばこそあれ思ひ出づる心は今の物にぞ有りける
1917
如願法師
志づたまき數にも非ぬ身なれ共仕へし道は忘れしもせず
1918
後宇多院宰相典侍
こし方の忘れ難きも又人に語るばかりの思ひいではなし
1919
藤原頼氏
ことに出でゝ哀昔と云はるゝも更に身の憂き時にぞ有ける
1920
三善遠衡朝臣
をり/\に昔を忍ぶ涙こそこけのたもとにいまも乾かね
1921
藤原爲嗣朝臣
現にて今見る事はまぎるれど昔のゆめぞわすれざりける
1922
後宇多院宰相典侍
老いぬればかつ見る事は忘られて遠き昔の忍ばるゝかな
1923
從三位爲繼
思ひいでのなき身なれども古を戀ふるは老を厭ふなりけり
1924
前關白左大臣基
隔たらぬ我が身の程の古へも過ぎにし方は猶ぞ戀ひしき
1925
讀人志らず
過ぎぬれば今日を昨日と云做して遠ざかるこそ昔なりけれ
1926
權中納言公雄
文保三年後宇多院に奉りける百首の歌の中に
あやにくに忍ばるゝ身の昔かな物忘れする老のこゝろに
1927
藤原範秀
述懷の歌に
見し友はあるが少なきおなじ世に老の命のなに殘るらむ
1928
從二位爲子
雜の歌の中に
背かばやよしや世の中と計りのあらましにてや遂に過なむ
1929
藤原資隆朝臣
朝ごとに哀れをいとゞ眞澄鏡知らぬ翁をいつまでか見む
1930
讀人志らず
諸共に世を背きなむと契りける人に、心ならず長らふる由を言ひて
はかなさは今日共知らぬ世の中にさり共とのみ何時を待つ覽
1931
寂然法師
返し
思ひ知る心とならば徒らにあたら此世をすぐさゞらなむ
1932
中務卿宗尊親王
我若未忘世雖閑心亦忙、世若未忘我雖退身難藏と云ふ事を
そむくとも猶や心の殘らまし世に忘られぬ我身なりせば
1933
前中納言有忠
出家の後、述懷の歌の中に
子を思ふやみにぞ迷ふ桑の門うき世に歸る道はとぢても
1934
後伏見院御歌
御ぐしおろさせ給ひて秋の始めつ方永福門院に奉らせ給ひける
秋を待たで思ひ立ちにし苔衣今より露をいかで干さまし
1935
永福門院
御返し
思ひやる苔の衣の露かけてもとのなみだの袖や朽ちなむ
1936
前大納言爲兼
應長元年八月竹林院前左大臣かざりおろして侍りけるを聞きて申し遣しける
かた%\に惜むべき世を思捨てゝ誠の道に入るぞかしこき
1937
竹林院入道前左大臣
返し
消えぬべき露の命を惜むとて捨て難き世を今日背きぬる
1938
民部卿成範
年頃召し使ひける者の出家し侍りければ
存らへて我も住むべき宿ならば暫しと人を言はまし物を
1939
藤原爲守女
雜の歌の中に
あらましはさながら變る身の果に背く計りぞ末通りける
1940
永福門院
内侍都の外に住み侍りけるに御心地例ならざりける頃遣はされける
忘られぬ昔語りも押しこめて遂にさてやのそれぞ悲しき
1941
同院内侍
御返し
はるけずてさてやと思ふ恨のみ深き歎きに添へて悲しき
1942
哀れその憂きはて聞かで時の間も君に先だつ命ともがな
1943
寂然法師
述懷の心を詠める
何事を待つ事にてはすぐさましうき世を背く道なかりせば
1944
從三位盛親
雜多を
今は我れうき世をよそに墨染の夕の色のあはれなるかな
1945
待賢門院堀川
夕暮に雲の漂ふを見て詠める
それと無き夕の雲にまじりなば哀れ誰かは分きて詠めむ
1946
寂然法師
題志らず
稻妻の光の程かあきの田のなびく末葉のつゆのいのちは
1947
俊惠法師
後の世と言へば遙かに聞ゆるを出入る息の絶ゆる待つ程
1948
前大僧正慈鎭
言へば憂し死ぬる別の遁れぬを思ひも入れぬ世の習こそ
1949
後二條院御歌
五月五日爲道朝臣身まかりて後三年めぐりぬる同じ日數も哀れにて前大納言爲世につかはさせ給ひける
今日と言へば別れし人の名殘よりあやめもつらき物をこそおもへ
1950
前大納言爲世
御返し
今日は猶あやめの草のうきねにも最ど三歳の露ぞ乾かぬ
1951
三條入道前太政大臣
雜の歌の中に
哀何時か其は昔になりにきとはかなき數に人に言はれむ
1952
院冷泉
はかなき事のみ聞えける頃詠み侍りける
厭へ共身はあやにくにつれなくてよその哀を聞き積る哉
1953
郁芳門院宣旨
心地例ならざりける頃詠み侍りける
露の身の消果てぬとも言の葉に掛けても誰か思出づべき
1954
上西門院兵衛
昔法金剛院の梅をめでける人の年經て後いかゞなりぬらむと云ふに折りて遣はすとて詠める
何事も昔語りになり行くは花も見し世のいろやかはれる
1955
二條太皇太后宮堀川
返し
かく計り移り行く世の花なれど咲く宿からは色も變らず
1956
遊義門院
後深草院隱れ給ひての又の年の春伏見院へ梅の花を折りて奉らせ給ふとて
故郷の軒端に匂ふ花だにも物うきいろに咲きすさびつゝ
1957
伏見院御歌
御返し
花はなほ春をも分くや時志らぬ身のみ物憂き頃の詠めを
1958
中務卿宗尊親王
文永九年二月十七日後嵯峨院隱れ給ひぬと聞きて急ぎ參る道にて思ひつゞけ侍りける
悲しさは我がまだしらぬ別にて心もまどふ志のゝめの道
1959
中臣祐任
中臣祐春の墓に櫻を折りて立つるとて
自づから苔の下にも見るやとて心をとめし花せ折りつる
1960
前大僧正全玄
前大僧正行玄身まかりて後何事も引きかへて歎かしく覺え侍りけるに又の年の春ひえの山に登りて花の面白く咲きたりけるを見て詠み侍りける
今日見れば深山の花は咲きにけり歎ぞ春も變らざりける
1961
伏見院御歌
後深草院隱れ給ひて又の年の二月ばかり雨降りけるに覺助法親王の許に給はせける
露けさは昨日のまゝの涙にて秋をかけたるそでのはる雨
1962
二品法親王覺助
御返し
かき暮れし秋の涙のそのまゝに猶そでしぼる今日の春雨
1963
西園寺前内大臣女
雜の歌の中に
露消えむいつの夕も誰れか知らむ訪ふ人無しの蓬生の庭
1964
從二位隆博
後一條入道關白身まかりて後八月末つかた袖の露も折しも思ひ遣らるゝ由申したる人の返事に
思へかしさらでも脆き袖のうへに露置き餘るあきの心を
1965
藤原光俊朝臣
深心院關白身まかりにける時詠みて遣しける
誠とも覺えぬ程のはかなさは夢かとだにもとはれやはする
1966
高階宗成朝臣
返し
今もなほ夢かと思ふ悲しさを誰が誠とておどろかすらむ
1967
欣子内親王
太宰帥世良親王の一めぐりに臨川寺へ思ひ立つとて
常ならぬ浮世の嵯峨の野邊の露消にし跡と尋ねてぞとふ
1968
前大納言實國
二條院隱れ給ひて又の年の春南殿の花を折りて人の許へ遣はしける
九重に見し世の春は思ひ出づや變らぬ花の色に付けても
1969
寂念法師
父なくなりて後常磐の山里に侍りける頃三月ばかりに源仲正が許に遣しける
春來てもとはれざりける山里を花咲きなばと何思ひけむ
1970
源仲正
返し
諸共に見し人もなき山里の花さへ憂くてとはぬとを知れ
1971
永福門院内侍
顯親門院御忌の頃奉りける
今年しもあらぬ方にやしたひまさるつらき別の花鳥の春
1972
院御歌
御返し
花の散り春の暮るらむ行方だに知らぬ歎きの本ぞ悲しき
1973
前中納言定家
後京極攝政身まかりて後四五日ありて從二位家隆の許より、臥して戀ひ起きても惑ふ春の夢いつか思ひの覺めむとすらむと申して侍りける返事に
夢ならで縫ふよも今は白露の起くとは別れぬとは待たれて
1974
藤原爲守
病限りに侍りける時書き置きける
六十ぢ餘り四年の冬の長き夜に浮世の夢を見果てつる哉
1975
從二位爲子
雜の歌の中に
人の世は久しと云ふも一時の夢のうちにてさも程もなき
1976
永福門院右衛門督
百首の歌奉りし時
今日暮れぬ明日ありとても幾程のあだなる世にぞ憂きも慰む
1977
僧正慈快
無常の心を
聞く度によその哀と思ふこそなき人よりもはかなかりけれ
1978
伏見院御歌
秋の始つ方近くさぶらひたる人の身まかりければ
彦里の逢ふてふ秋はうたて我れ人に別るゝ時にぞ有りける
1979
久良親王
前中納言爲相の七年の遠忌に、藤原爲秀朝臣、一品經供養しけるついでに、秋懷舊と云ふ事を
忘られぬ涙は同じたもとにてはや七年のあきも來にけり
1980
備前
近衛院の御事に土左内侍さま變へて籠り居て侍りける許へ又の年の七月七日詠みて遣しける
天の川ほし合ひの空は變らねどなれし雲居の秋ぞ戀しき
1981
正三位季經
月催無常と云ふ事を
澄むとても頼なき世と思へとや雲がくれぬる有明のつき
1982
前中納言爲相
平貞時朝臣身まかりて後四十九日過ぎて彼の跡にいひつかはしける
跡慕ふかたみの日數それだにも昨日の夢に又うつりぬる
1983
藤原頼氏
返し
其の際は唯夢とのみ惑はれて覺むる日數に添ふ名殘かな
1984
前中納言爲相
正和五年九月佛國禪師鎌倉より下野の那須に下り侍りける時春は必下りて彼の山の花をも見るべき由など契りけるに其年の十月に入滅し侍りにければ佛應禪師の許へ申し遣はしける
咲く花の春を契りしはかなさよ風の木の葉の留らぬ世に
1985
院御歌
從三位守子なくなりてける頃
目に近き人のあはれにおどろけば世の道理ぞ更に悲しき
1986
中務卿宗尊親王
題志らず
見し人の昨日の烟今日の雲立ちも止らぬ世にこそ有けれ
1987
永陽門院左京大夫
朔平門院隱れ給ひて後よみ侍りける
殘り居て思ふも悲し哀れなど燃えし烟に立ちおくれけむ
1988
從三位爲信
安嘉門院の四十九日の法事過ぎて人々出でけるに前權僧正教範の許より、身にかへて思ひし程は無けれども今日も別れは悲しかりけりと申し遣しける返事に
遠ざかる名殘こそ猶悲しけれ憂さは隔たる日數ならねば
1989
權大納言長家
權大納言行成の女に住み侍りけるを身まかりて歎きける頃よみ侍りける
戀しさに死なばやとさへ思ふ哉渡り川にも逢瀬有りやと
1990
前大僧正範憲
前大僧正尊信身まかりて後思ひつゞけ侍りける
遠ざかる日數につけて悲しきは又もかへらぬ別なりけり
1991
前大僧正道意
後西園寺入道前太政大臣身まかりて又の年服ぬぎ侍るとて
憂かりつる藤の衣の形見さへ別るとなれば又ぞかなしき
1992
寂然法師
相空法師身まかりて侍りけるを西行法師とはず侍りければ數多よみて遣しける中に
いかゞせむ跡の哀はとはずとも別れし人の行くへ尋ねよ
1993
西行法師
返し
亡き人を忍ぶ思のなぐさまば跡をも千度とひこそはせめ
1994
祝部成仲
めなくなりての頃秋になりて物悲しく覺えければよみ侍りける
秋風の身にしむばかり悲しきは妻なき床の寐覺なりけり
1995
清空上人
後伏見院かくれ給ひて後仙骨を從三位守子の墓所に並べて置き奉るべき由御遺誡に任せてをさめ奉るとて
置く露も一つ蓮にむすべとや烟もおなじ野邊に消ゆらむ
1996
建禮門院右京大夫
左近中將維盛熊野の浦にて失せにける由聞きてよみ侍りける
悲しくも斯る憂き目を三熊野の浦わの波に身を沈めける
1997
同じ頃右近中將資盛西國に侍りけるに便りに付けて申し遣しける
同じ世と猶思ふこそ悲しけれ在るが在るにも非ぬ此世を
1998
全性法師
世の中騷がしかりける頃西國の方に罷りて程經て都に歸りて侍りければ知りたる人は皆なくなりてよろづ心細く哀なりければ
さもこそはあらずなりぬる世にしあらめ都も旅の心地さへする
1999
前左大臣
後醍醐院隱れ給ひて後人の夢に、自づからまぼろしにもや通ふらむ我が住む山の面影に立つと見え給ひければ此の歌の一句を置きて經の料紙の爲によみ侍りける歌の中に
別れこし人も心や通ふらむ夢のたゞぢはいまもへだてず
2000
正二位隆教
後光明峯寺攝政の第三年の佛事の頃源邦長朝臣に贈り侍りける
如何に忍び如何にか歎くうしと見し夢は三年のけふの名殘を
2001
源邦長朝臣
返し
覺め難き同じつらさの夢ながら三とせの今日も猶ぞ驚く
2002
法印隆憲
近衛院隱れ給ひてのみ土左内侍さまかへて大原にて經供養しけるに火舍に煙立ちたるを書きたる扇を捧げ物にして侍りけるに書き付けて遣しける
これやさば重ねし袖の移り香をくゆる思ひの煙なるらむ
2003
後宇多院御歌
前左大臣、母の十三年の佛事し侍りけるに彼の文の裏に壽量品を書かせ給ひて包紙に書き付けさせ給ひける
はかなくて消えにし秋の涙をも玉とぞ磨くはちす葉の露
2004
前左大臣
御返し
みがきなす光もうれし蓮葉の濁りにしまぬつゆのしら玉
2005
安嘉門院四條
前大納言爲家身まかりて後百首の歌よみ侍りけるに
夢にさへ立ちもはなれず露きえし草の蔭より通ふ面かげ
2006
悔しくぞさらぬ別に先だちてしばしも人に遠ざかりける
2007
讀人志らず
題志らず
眞澄鏡手に取持ちてみれど飽かぬ君に後れて生けりともなし
2008
赤染衛門
むすめの亡くなりて侍りけるに服着るとてよめる
我が爲に着よと思ひし藤衣身にかへてこそ悲しかりけれ
2009
能宣朝臣
語らひ侍りける人の親亡くなりぬと聞きて云ひ遣しける
我がために薄かりしかど墨染のいろをば深く哀とぞ思ふ
2010
赤染衛門
道濟筑前守にて下り侍りけるが國にて亡くなりぬと聞きてまかりまうしに詣で來りける事を思ひいでゝ
歸るべき程と頼めし別れこそ今は限りの旅には有りけれ
2011
上東門院五節
後一條院かくれ給ひての頃、月を見て
さやかなる月も涙に曇りつゝ昔見し夜のこゝちやはする
2012
寂然法師
父亡くなりて後日數も殘りすくなくなりて侍りける頃
君に我が後るゝ道の悲しきは過ぐる月日も早きなりけり
2013
皇太后宮大夫俊成
前中納言定家母の思ひに侍りける頃比叡の山の中堂に籠り侍るに雪のいみじう降りけるつとめて覺束なさなど書きて、奥に
子を思ふ心や雪にまよふらむ山の奥のみゆめに見えつゝ
2014
前中納言定家
返し
打ちも寐ず嵐のうへの旅枕みやこの夢にわたるこゝろは
2015
頓阿法師
雪の降る日母の墓にまかりて
思ひ遣る苔の下だに悲しきにふかくも雪のなほ埋むかな
2016
上西門院兵衛
待賢門院の御忌の頃
木のもとを昔のかげと頼めども涙の雨に濡れぬ間ぞなき
2017
後伏見院御歌
後西園寺入道前太政大臣亡くなりて後北山の家に御幸ありて題を探りて人々歌詠み侍りけるに、山家水を
山里の亡き影慕ふ池水にむなしきふねぞさしてもの憂き
2018
伏見院御歌
後深草院七月に隱れ給ひての又の年の九月龜山院失せ給ひにければ
消えつゞきおくれぬ秋の哀志らば先だつ苔の下や露けき
2019
遊義門院隱れ給ひにける秋雁の鳴くを聞かせ給ひて
後れてもかつ何時迄と身をぞ思ふ列に別るゝ秋の雁がね
2020
室町院隱れ給ひて後持明院に御幸ありて紅葉を御覽じて詠ませ給ひける
心とめしかたみの色も哀なり人は舊りにし宿のもみぢ葉
2021
後深草院隱れ給ひての年神無月の始つ方圓光院入道前關白の許より文を奉るとて冬にも程なくなりぬる事に思ひ咎めらるゝ由申して侍りける御返事のついでに
思へたゞ露の秋よりしをれ來て時雨にかゝるそでの涙を
2022
圓光院入道前關白太政大臣
御返し
思ひ遣る老の涙の落ち添ひて露も時雨も干すひまぞ無き
2023
從二位爲子
次の年龜山院隱れ給ひけるに前大納言爲兼、二年の秋の哀は深草や嵯峨野の露も亦消えぬなりと申し侍りけるに
深草の露に重ねてしをれ添ふうき世の嵯峨の秋ぞ悲しき
2024
伏見院御歌
同じ頃詠ませ給ひける
あだし色に心は染めじ山風におつる紅葉の程も無き世に
2025
二品法親王慈道
後醍醐院かくれ給ひける十月に女御榮子さまかへ侍りける戒師にて其の哀など申して詠み侍りける
思ひ遣れふかき涙の一しほも色に出でたる墨ぞめのそで
2026
入道二品親王尊圓
返し
色かはる袖の涙のかきくらしよそもしぐるゝ神無月かな
2027
右衛門督
永福門院の御忌の頃過ぎてかた%\に散る哀など宣光門院新右衛門督の許へ申しけるついでに
別れにしその散り%\の木のもとに殘る一葉も嵐吹くなり
2028
顯親門院
伏見院九月三日隱れ給ひける後
恨みても今はかたみのあきの空涙に暮れし三日月のかげ
2029
高辨上人
文學上人の遠忌の日詠み侍りける
こゝのめぐり春は昔にかはり來て面影かすむ今日の夕暮