新拾遺和歌集 (Shin Shūi wakashū) — 新拾遺和歌集卷第十九 雜歌中 作者複数 (Various) 1364 Shin Shūi wakashū 新拾遺和歌集 Various 作者複数 Kamakura-Muromachi-Azuchi-Momoyama Period 中世 14th century 14世紀 Poetry 韻文 Japanese 日本語 Text 本文 1364 しんしゅういわかしゅう Shin Shūi wakashū 新拾遺和歌集 しんしゅういわかしゅう Various 作者複数 さくしゃふくすう
Titles ›
新拾遺和歌集 › 新拾遺和歌集卷第十九 雜歌中 Furigana ふりがな Vertical 縦書き
新拾遺和歌集 Shin Shūi wakashū
作者複数 Various
新拾遺和歌集卷第十九 雜歌中
1726
御製
百首の歌めされしとき、曉鶏
こと しげき我が習はしにおきなれて聞けば夜深き鳥の聲哉
1727
後醍醐院御製
題志らず
ほのかなる聲ぞ聞ゆる九重の宮のほかにや鳥は鳴くらむ
1728
前大納言爲世
嘉元の百首の歌奉りし時、曉
長閑なる老の寢覺の寂しきに鳥の八聲をかぞへてぞ聞く
1729
源氏經朝臣
題志らず
治まれる時をぞ告ぐる我が君の代に逢坂の關のとりのね
1730
二品法親王覺助
嘉元の百首の歌奉りし時
こと とひしみゆきの跡は世々ふりて殘る川邊の松ぞ木高き
1731
前中納言定家
名所の百首の歌奉りけるに
待ち戀ひし昔は今に忍ばれてかたみ久しきみつのはま松
1732
信明朝臣
題志らず
うちつけに渚の岡の松かぜを空にも浪のたつかとぞ聞く
1733
前大僧正孝覺
與謝の浦入海かけて見わたせば松原とほき天のはしだて
1734
從三位行尹
清見潟おきつしほせの夕なぎに入日うつろふ三保の松原
1735
花園院御製
三十首の歌詠ませ給うけるに
難波潟浪路はれゆく夕なぎに入日まぢかき淡路しまやま
1736
御製
百首の歌めされし時、眺望
松浦潟もろこしかけて見渡せば浪路も八重の末のしら雲
1737
按察使公通
保延元年、内裏の歌合に、海上遠望
波間より仄かに見ゆる蜑小舟雲とともにも消え渡るかな
1738
平泰時朝臣
題志らず
哀なり蜑のまてがた暇なみ誰れもさてこそ世は盡せども
1739
法印定爲
嘉元の百首の歌奉りし時、山
富士のねを田子の浦より見渡せば烟も空にたゝぬ日ぞなき
1740
法皇御製
題志らず
よるの雨の雲吹き拂ふ朝嵐に晴れてまぢかき遠の山のは
1741
龜山院御製
嘉元の百首の歌めしけるついでに、松
徒にみのゝを山のまつこともなき我ながら年ふりにけり
1742
前大僧正道昭
大峯にて詠み侍りける
今はわれ苦しき老の坂こえて又分け侘ぶるすゞのした道
1743
修理大夫顯季
題志らず
雲かゝる青ねが峯のこけ莚幾代經ぬらむ知るひとぞなき
1744
前大納言實教
幾世しも隔てぬものを位山のぼりし跡になどまよふらむ
1745
祝部成仲
天台座主忠尋僧正になりて程なく又法務になりぬと聞きてよろこびに遣しける
日にそへて位の高く成行けば山のかひある君とこそ見れ
1746
藤原爲邦
前參議爲秀いまだ四品に侍りける頃、寄山述懷といへる心をよめる
位山まだ椎柴のかげに居て我がのぼるべき道はいそがず
1747
太宰大貳重家
清輔朝臣、四位して侍りけるに遣しける
武藏野のわか紫の衣手はゆかりまでこそうれしかりけれ
1748
藤原朝尹朝臣
かうぶり給はりて後、又藏人にかへりなり侍りける時詠める
同じくばあけの衣の色ながらいかで雲居に立ち歸らまし
1749
月花門院
百首の御歌の中に、鶴をよませ給うける
たぐひなく哀とぞ聞く小夜ふけて雲居に渡るたづの一聲
1750
順徳院御製
名所の百首の歌めしけるついでに
芦邊より潮滿ちくらし天つ風吹飯の浦にたつぞ鳴くなる
1751
天暦御製
忠見津の國に年頃身を沈めて侍りけるにおほやけ聞しめして召し侍りければよる參りて侍りけるつとめてありとしの朝臣して仰せられける
見しかども誰とも知らず難波潟波の夜にて歸りにしかば
1752
忠見
御返し
住吉の松と仄かに聞きしかば滿ちにし潮のよる歸りけむ
1753
讀人志らず
應和二年、一宮の歌合に
田子の浦の波はのどけし我袖に譬へむ方のなきぞ悲しき
1754
前大納言爲世
文保三年百首の歌奉りける時
立歸り和歌の浦波この御世に老いて再びなをぞかけつる
1755
善源法師
題志らず
沖つ波高師の濱の志ほ風に夜や寒からしたづぞなくなる
1756
中宮大夫公宗母
貞和の百首の歌めされし時
斯しつゝ積れば老の水無瀬川さのみや有りて袖濡すべき
1757
後嵯峨院御製
題志らず
龜山のみねたちこえて見渡せばきよたき川をおとす筏師
1758
中園入道前太政大臣
貞和の百首の歌奉りけるに
渡りする川瀬の舟にさす棹の其名ばかりはとるも苦しな
1759
俊頼朝臣
河を詠める
大井川みなわさかまく岩淵にたゝむ筏のすぎがたの世や
1760
亭子院御製
宮瀧御覽じて歸らせ給ふとて立田山をこえさせ給うける日、時雨の志侍りければ
世の中にいひながしてし立田川みるに涙ぞ雨と降りける
1761
前内大臣
題志らず
世々絶えぬ關の藤川いかなれば沈む浮瀬に名を流すらむ
1762
平兼盛
荒れたる宿にてよめる
岩間より出づる泉ぞむせぶなる昔を忍ぶ戀にやあるらむ
1763
能因法師
音無の瀧にて
都人きかぬはなきを音なしの瀧とは誰か云ひはじめけむ
1764
西行法師
大覺寺の瀧殿の石ども閑院へわたされて跡なくなりたると聞きてみにまかりて赤染衛門が、いまだにかゝりとよみけむ折、思ひ出でられて
今だにもかゝりと云ひし瀧つ瀬の其の折迄は昔なりけむ
1765
法印定圓
志ばし世をのがれてこもりゐて侍りけるに勅命のがれ難くて又公請にしたがふとて心の内に思ひつゞけゝる
又世にも立ち歸るかなすゝぎえぬうき三輪河の水の白波
1766
祝部成久
題志らず
待たれつるこのせも過ぎぬ君が代に阿武隈川の名を頼め共
1767
紫式部
里の名を我が身に知れば山城の宇治の渡りぞ最ど住憂き
1768
三條院御製
世を歎かせ給うて
つく%\と浮世に咽ぶ河竹のつれなき色はやる方もなし
1769
右大臣
百首の歌奉りし時、庭竹
家の風なほ吹きたえず十代餘り又かげなびく庭のくれ竹
1770
正三位有範
竹をよめる
呉竹のよゝの君には仕へきぬ思出のこるひとふしもがな
1771
前中納言爲相
空しきを友とはすれど呉竹のうき節ばかり身にぞ數そふ
1772
從二位家隆
千五百番歌合に
存へてあればぞあへる君が代に數ならずとも身をば厭はじ
1773
後山本前左大臣
嘉元の百首の歌奉りし時、述懷
おろかなる我が身にむけて思ふには君が惠の猶餘りぬる
1774
六條内大臣
後醍醐院御受禪のほど近くなりて後宇多院西園寺に御幸侍りけるに仕うまつりて詠める
老らくの白髮までに仕へきて今日の御幸に逢ふが嬉しさ
1775
前大納言爲家
弘長元年百首の歌奉りけるとき、述懷
傳へくる庭の教のかたばかり跡あるにだに猶まよひつゝ
1776
院御製
題志らず
敷島の道は正しきみちにしも心づからやふみまよふらむ
1777
民部卿爲明
康安二年三月古今集の家の説聞こしめされし事を傳へ承りて、按察使實繼その儀を尋ね侍りしに
塵の身に積れる庭の教までいともかしこく聞えあげてき
1778
按察使實繼
返し
和歌の浦に年ふるたづの雲居まで聞えあげゝる道ぞ畏き
1779
從二位行家
續古今の竟宴の歌
志き島の道の光とまき/\の中にみがける玉を見るかな
1780
前大納言爲氏
弘安元年百首の歌奉りけるに
古の世々に變らず傳へきて今もあつむるやまとことの葉
1781
等持院贈左大臣
貞和の百首の歌奉りし時
古のかしこきみちをまなべども心をかふる人ぞすくなき
1782
中納言爲藤
月の歌とてよめる
三笠山その名をかけて見し秋も遙になれる峰のつきかげ
1783
前大納言爲氏
弘安の百首の歌奉りける時
めぐり逢ふ雲居の月に幾度か出でゝ仕へし秋を戀ふらむ
1784
前關白左大臣近衛
從三位[7]E 7 子八月十五夜に、位記をうけ侍りける時、詠み侍りける
今宵しも光そへけるくらゐ山かひある秋の月を見るかな
1785
藤原高範
藏人にて侍りけるがかうぶり給はりて後よめる
位山のぼる我が身のいかなれば雲居の月に遠ざかるらむ
1786
前中納言雅孝
貞和の百首の歌奉りし時
齡こそいつよをこえめ位山たえにし跡にまたのぼるかな
1787
八條入道内大臣
題志らず
二代迄承繼ぐ君をわが君と仰ぐ八十ぢの身こそふりぬれ
1788
後中院前太政大臣
なゝそぢの袖の涙にやどりきて老をば月ぞ厭はざりける
1789
法印長舜
むそぢ餘り同じ空行く月を見て積れる老の程ぞ知らるゝ
1790
彈正尹邦省親王
家に五十首の歌よみ侍りけるに、月
身のうさの慰むとしはなけれ共夜はすがらに月を見る哉
1791
前大納言爲氏
月の歌の中に
おのづから物思ふ人も慰さめと浮世に秋の月やすむらむ
1792
惠慶法師
人の家に女どもの月みける所にて
我宿の物とだに見ば秋の夜の月夜よしとも人に告げまし
1793
藤原爲顯
弘安の百首の歌奉りし時
和歌の浦に沈み果てにし捨舟も今人並の世にひかれつゝ
1794
源成實朝臣
寄草述懷
藻鹽草かきおく數は積れども又あらはるゝ言の葉ぞなき
1795
伏見院御製
竹林院入道左大臣いまだ右大將に侍りける頃、御製をあまたあそばして給はせける奥に
かきとむる此水莖の變らずばなからむ跡の形見とも見よ
1796
後二條院御製
御歌ども書きおかれたる卷物のおくに
我が身世になからむ後に哀れとは誰れか岩間の水莖の跡
1797
從二位行忠
文和三年十一月、大甞會の悠紀方の額書とて代々の古本をみ侍りて
見る度に思ひぞ出づる水莖の跡は忘れぬ代々のかたみを
1798
大納言經信
人の手本かゝせけるを主はたれぞと尋ねけれども中さず侍りければおくに書き侍りける
誰かすむ宿の妻とも知らなくにはかなくかける小蟹の跡
1799
讀人志らず
屏風の繪に花の木ある家に人來りてあるじに向ひゐたる所
心ひく宿にくらして梓弓かへらむほどをわすれぬるかな
1800
贈法印慈應
右近大將道綱の家に人々小弓射てあそびける時、まかり侍らで申し遣しける
梓弓居てもかひなき身にしあれば今日の圓居にはづれぬる哉
1801
道命法師
返し
梓弓君しまとゐにたぐはねばとも離れたる心地こそすれ
1802
中園入道前太政大臣
貞和二年百首のうた奉りける時
五代まで君に仕へてとしさむき松の心はならひきにけり
1803
前大僧正實伊
山家の歌とてよみ侍りける
高砂の尾上に見ゆる松の戸は誰が世を盡すすみかなる覽
1804
平貞秀
述懷の歌に
待ちいでゝ見るも難面き我身かなすむべき山の有明の月
1805
中園入道前太政大臣
百首の歌奉りし時、山家
あらましの心は行きてすみ乍らよそは深山の雲ぞ隔つる
1806
戒仙法師
山にのぼりて詠める
雲ならで木高き峯にゐる物は浮世を背く我が身なりけり
1807
前律師永觀
禪林寺にて時鳥を聞きて
志のびねも音なかりけり郭公こやしづかなる林なるらむ
1808
惟宗行冬
題志らず
尋入るかひやなからむ山深くすむともすまぬ心なりせば
1809
前僧正慈快
柴の戸の暫しばかりのすまひぞと慰めて聞く軒のまつ風
1810
頓阿法師
庵室の庭の松を仙洞にうつされける時むすびつけ侍りける
友ときく松の嵐も音せずばなほやま里やさびしからまし
1811
法皇御製
御返し
さびしさを思ひこそやれ山里の友と聞きけるまつの嵐に
1812
前大納言爲家
弘長の百首の歌に、山家
垂乳根の昔の跡と思はずば松のあらしやすみうからまし
1813
後鳥羽院御製
建仁三年、八幡宮の歌合に、山家松
都人とはぬ程をも思ひ知れ見しより後のにはのまつかぜ
1814
藤原冬隆朝臣
山家を
憂き事を聞かじとてすむ山里に又や厭はむ峯のまつかぜ
1815
法皇御製
題志らず
あす知らぬ身はかくてもや山深み都は八重の雲に隔てゝ
1816
藤原高光
山深く住み侍りし頃人のとぶらひきて侍りけるによめる
山深み木の葉の露を打拂ひいつまでされば消え殘るらむ
1817
讀人志らず
題志らず
侘びぬれば松の嵐の寂しさも堪へてすまるゝ山の奥かな
1818
法印梁清
尋ね入る深山の奥の隱れがは世のうき事や導べなるらむ
1819
只皈法師
つねにすむ心の内の隱れがぞ人のとひくる道なかりける
1820
按察使公敏
山家の歌とて
とふ人のあらばと待ちし山里は猶世をすてぬ心なりけり
1821
源顯氏
人とはぬ程も知られて山里は苔のみ深きにはのかよひぢ
1822
源頼仲
栞せで入りにし道のかひありて人もとひこぬ山の奥かな
1823
藻壁門院少將
洞院攝政の家の百首の歌に
さらぬだぬ夕暮つらき山里にとふ人かへる岩のかけはし
1824
前大僧正尊什
東山なる所にてよみ侍りける
此儘にたちも歸らじ山里は思ひしよりも住みよかりけり
1825
法印禪守
山家の心を
山深み又すむ人のあるにこそ身一つならぬ浮世とは知れ
1826
法印禪隆
山家送年といふ事を
假そめに結びし柴の庵にもすめばすまれて年ぞ經にける
1827
藤原朝村
常陸の國に侍りける時よめる
假初と思ひし程に筑波嶺のすそわの田居も住みなれに鳬
1828
僧正桓覺
田家烟
筑波嶺のすそわの田居の松の庵このもかのもに烟立つなり
1829
二品法親王尊胤
百首の歌奉りし時、田家
守りあかす門田の面のいな莚ふきしくかぜを枕にぞ聞く
1830
大納言顯實母
世中は秋の山田の假の庵すみうしとてもよしやいつまで
1831
是法法師
八十ぢに多くあまりて後よめる
なべて世の憂きにこえたる老の波いつ迄斯る身を歎かまし
1832
前大僧正頼仲
題志らず
殘なき末を思へばなゝそぢのあまりにもろきわが涙かな
1833
前大納言良冬
徒に老いにけるかな春日野にひく人もなきもりの志た草
1834
大僧正忠性
述懷の歌の中に
いつ迄と思ふにつけて老が身は慰む程のあらましもなし
1835
頓阿法師
限あれば身の憂き事も歎かれず老をぞ人は待つべかりける
1836
法印長舜
いかにせむ憂しと思ひし世の中の面變りせで身こそ老いぬれ
1837
彈正尹邦省親王
老後述懷といふ事を
いつ迄と世を思ふにも袖ぬれて老のしるしぞ涙なりける
1838
覺空上人
題志らず
かひなしや我が世はふけて徒にかゝげもやらぬ法の燈火
1839
法印經深
後の世の闇をはるけよ集めても身をば照さぬ螢なりとも
1840
藤原成藤
遂に行く道はありとも暫しだに老をとゞむる關守もがな
1841
源光正
述懷の歌に
侘びつゝも猶すてやらぬ心哉げに浮世とや思はざるらむ
1842
宗祐法師
幾度かうき世の外に捨てし身を又立ち歸り歎き侘ぶらむ
1843
從三位實遠
なべて世の憂きはならひと思ひこし理すぎて身を歎く哉
1844
一條太政大臣女
河を
飛鳥川あすのふち瀬を知らぬこそ定なき世の頼なりけれ
1845
三善直信
題志らず
斯計り憂きはいかなる報ぞと身をこそ喞て世をば恨みず
1846
入道二品親王法守
貞和の百首の歌奉りし時
折々に事こそかはれ身の憂さを思ふ心のやすげなの世や
1847
藤原宗遠
寄橋述懷を
東路の十綱の橋のくるしとも思ひ知らでや世を渡るらむ
1848
永福門院内侍
題志らず
仰ぎつゝ頼みし蔭は枯果てぬ殘る朽木の身をいかにせむ
1849
源直氏
數ならでながらへきつるうき身をも君が爲にと猶惜む哉
1850
藤原雅朝朝臣
述懷の心を
背かれぬ我身の程の難面さも世のうきにこそ思知りぬれ
1851
眞俊法師
生きて世に住むとはいはじ數ならぬ身とだに我を知る人ぞなき
1852
法印宗尋
題志らず
在果つる世とし思はゞいか計り數ならぬ身の猶うからまし
1853
惟宗忠景
世の中の憂きをもうしと歎く身に厭ふ心のなどなるか覽
1854
清原通定
浮世とは思ひも知らで過にけり數ならぬ身をあるに任せて
1855
平政村朝臣
述懷の歌よみ侍りけるに
今日まではうきもつらきも忍びきぬ猶世を慕ふ心弱さに
1856
公寛法師
浮世をも厭ひぞはてぬ折々にかはる心のさだめなければ
1857
信生法師
世を捨てゝ後猶のがれえぬ事のみ侍りければ
小蟹の厭ひしかひもなき世哉斯てもなどか苦しかるらむ
1858
津守國助
題志らず
何をして暮すともなき月日かな積る計りを身に算へつゝ
1859
權少僧都行顯
寄夢述懷を
思ひつゝ猶驚かぬ浮世こそ夢と知りてもかひなかりけれ
1860
源和義朝臣
鳥羽玉のよる見る夢を夢とのみ思ふ心ぞいやはかなゝる
1861
源義高朝臣
誰も皆まだ覺めぬ間の夢とのみ心をとむる程のはかなさ
1862
從二位經尹
二品法親王覺助の家の五十首の歌に、述懷
たち歸り猶ぞ悲しき世の中の憂きは夢ぞと思ひなせども
1863
後鳥羽院御製
題志らず
何か思ふ何かは歎く覺めやらぬ夢の裡なる夢の憂き世を
1864
法皇御製
うきも夢うからぬも亦幻の世をなぐさむる我もはかなし
1865
讀人志らず
夢のごと過ぎし月日の廻りきて忍ぶ昔となりにけるかな
1866
前權僧正雲雅
夢ならば覺むる現もあるべきを現ながらの夢ぞはかなき
1867
山田法師
哀なり消果てぬとも憂きならで何を此の世の思出にせむ
1868
賀茂基久
善惡を心にだにも捨てぬれば同じ浮世も住みよかりけり
1869
大江高廣
捨てはてぬ我心もて幾度か世を憂しとのみ恨みきぬらむ
1870
普誥法師
あらましに厭ふは今も易き世を誠にならば捨てや兼ねまし
1871
前參議彦良
夢を
現には又も歸らぬいにしへを二たび見るは夢路なりけり
1872
從三位宣子
懷舊の心を詠める
繰り返し何忍ぶらむ數ならで昔も過ぎし志づのをだまき
1873
圓空上人
浮世には覺むる現のあらばこそ見しを夢とも人に語らめ
1874
法印源意
戀ひわたる世々の昔も思ひつゝぬればや見ゆる夢の浮橋
1875
源義春
題志らず
我ながら心や變るうしといひてすぎし昔をまた忍ぶかな
1876
道昌法師
古を聞くにつけてぞ忍ばるゝ我が見し後や浮世なるらむ
1877
平守時朝臣女
平英時にともなひて西國にすみ侍りし事を思ひ出でゝ
志らざりし心づくしの古を身の思ひでと志のぶべしとは
1878
入道二品親王法守
貞和の百首の歌たてまつりける時
何しかもうさは變らぬ同じ世の昔になれば戀しかるらむ
7 [7] Kanji in place of E is not available in the JIS code table. The kanji is Morohashi's kanji number 30706.