太平記 (Taiheiki) — 太平記(国民文庫) 太平記巻第四 不明 (Anonymous) 1366-1379 Taiheiki 太平記 Anonymous 不明 Kamakura-Muromachi-Azuchi-Momoyama Period 中世 14th century 14世紀 Fiction フィクション Japanese 日本語 Text 本文 1368 たいへいき Taiheiki 太平記 たいへいき Anonymous 不明 ふめい
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太平記 › 太平記(国民文庫) 太平記巻第四 Furigana ふりがな Vertical 縦書き
太平記( 国民文庫 ) 太平記巻第四○笠置( かさぎの ) 囚人( とらはれびと ) 死罪( しざい ) 流刑( るけいの ) 事( こと ) 付藤房( ふぢふさ ) 卿( きやうの ) 事( こと ) 笠置( かさぎの ) 城( しろ ) 被攻落刻、被召捕給( たまひ ) し人々( ひとびと ) の事( こと ) 、去年( きよねん ) は歳末( さいまつ ) の計会( けいくわい ) に依( よつ ) て、暫く被閣ぬ。新玉( あらたま ) の年( とし ) 立回( たちかへぬ ) れば、公家( くげ ) の朝拝( てうはい ) 武家( ぶけ ) の沙汰( さた ) 始( はじま ) りて後( のち ) 、東使( とうし ) 工藤( くどう ) 次郎左衛門( じらうざゑもんの ) 尉( じよう ) ・二階堂( にかいだう ) 信濃( しなのの ) 入道行珍( ぎやうちん ) 二人( ににん ) 上洛( しやうらく ) して、可行死罪人々、可処流刑国々、関東( くわんとう ) 評定( ひやうぢやう ) の趣( おもむき ) 、六波羅( ろくはら ) にして被定。山門( さんもん ) ・南都( なんと ) の諸門跡( しよもんぜき ) 、月卿( げつけい ) ・雲客( うんかく ) ・諸衛( しよゑ ) の司等( つかさとう ) に至( いたる ) 迄、依罪軽重、禁獄( きんごく ) 流罪( るざい ) に処( しよ ) すれ共( ども ) 、足助( あすけの ) 次郎重範( しげのり ) をば六条河原( ろくでうかはら ) に引出( ひきいだ ) し、首( くび ) を可刎と被定。万里小路( までのこうぢ ) 大納言宣房卿( のぶふさきやう ) は、子息( しそく ) 藤房( ふぢふさ ) ・季房( すゑふさ ) 二人( ににん ) の罪科( ざいくわ ) に依( よつ ) て、武家に被召捕、是( これ ) も如召人にてぞ座( おは ) しける。齢( よはひ ) 已( すで ) に七旬( しちじゆん ) に傾( かたぶい ) て、万乗( ばんじよう ) の聖主は遠嶋( ゑんたう ) に被遷させ給ふべしと聞ゆ。二人( ににん ) の賢息( けんそく ) は、死罪にぞ行はれんずらんと覚へて、我身( わがみ ) さへ又楚( そ ) の囚人( とらはれびと ) と成( なり ) 給へば、只今まで命( いのち ) 存( ながらへ ) て、浩( かか ) る憂( うき ) 事( こと ) をのみ見聞( みきく ) 事( こと ) の悲しければと、一方( ひとかた ) ならぬ思ひに、一首( いつしゆ ) の歌をぞ被詠ける。長かれと何( なに ) 思ひけん世中( よのなか ) の憂( うき ) を見するは命( いのち ) なりけり罪科( ざいくわ ) 有( ある ) もあらざるも、先朝拝趨( せんてうはいすう ) の月卿・雲客、或( あるひ ) は被停出仕、尋桃源迹、或被解官職、懐首陽愁、運の通塞( つうそく ) 、時の否泰( ひたい ) 、為夢為幻、時( とき ) 遷( うつ ) り事去( さつ ) て哀楽( あいらく ) 互に相替( あひかは ) る。憂( うき ) を習( ならひ ) の世の中( なか ) に、楽( たのし ) んでも何かせん、歎( なげい ) ても由無( よしなか ) るべし。源( げん ) 中納言( ぢゆうなごん ) 具行( ともゆきの ) 卿( きやう ) をば、佐々木( ささきの ) 佐渡判官( さどのはんぐわん ) 入道道誉( だうよ ) 、路次( ろし ) を警固仕( つかまつり ) て鎌倉( かまくら ) へ下( くだ ) し奉る。道にて可被失由( よし ) 、兼( かね ) て告申( つげまうす ) 人や有( あり ) けん、会坂( あふさか ) の関( せき ) を越( こえ ) 給ふとて、帰るべき時しなければ是( これ ) や此( この ) 行( ゆく ) を限りの会坂の関勢多( せた ) の橋( はし ) を渡るとて、けふのみと思( おもふ ) 我身( わがみ ) の夢の世を渡る物( もの ) かはせたの長橋( ながはし ) 此卿( このきやう ) をば道にて可奉失と、兼( かね ) て定( さだめ ) し事なれば、近江( あふみ ) の柏原( かしはばら ) にて切( きり ) 奉るべき由( よし ) 、探使( たんし ) 襲来( しふらい ) していらでければ、道誉、中納言殿( どの ) の御前( おんまへ ) に参り、「何( いか ) なる先世( ぜんせ ) の宿習( しゆくしふ ) によりてか、多( おほく ) の人の中( なか ) に入道預進( あづかりまゐら ) せて、今更( いまさら ) 加様( かやう ) に申( まうし ) 候へば、且( かつう ) は情( なさけ ) を不知に相似( あひに ) て候へ共( ども ) 、卦( かか ) る身には無力次第にて候。今までは随分( ずゐぶん ) 天下( てんか ) の赦( ゆるし ) を待( まち ) て、日数( ひかず ) を過( すご ) し候( さふらひ ) つれ共( ども ) 、関東( くわんとう ) より可失進由( よし ) 、堅く被仰候へば、何事( なにこと ) も先世( ぜんせ ) のなす所と、思召慰( おぼしめしなぐさ ) ませ給( たまひ ) 候へ。」と申( まうし ) もあへず袖を顔に押当( おしあて ) しかば、中納言殿( どの ) も不覚( ふかく ) の泪( なみだ ) すゝみけるを、推拭( おしのご ) はせ給ひて、「誠( まこと ) に其( その ) 事( こと ) に候。此間( このあひだ ) の儀をば後世( ごせ ) までも難忘こそ候へ。命( いのち ) の際( きは ) の事は、万乗の君( きみ ) 既( すで ) に外土遠嶋( ぐわいどゑんたう ) に御遷幸( ごせんかう ) の由聞へ候上( うへ ) は、其以下( そのいげ ) の事どもは、中々( なかなか ) 不及力。殊更此( この ) 程の情( なさけ ) の色、誠( まことに ) 存命( ぞんめい ) すとも難謝こそ候へ。」と計( ばかり ) にて、其後( そののち ) は言( もの ) をも被仰ず、硯( すずり ) と紙とを取寄( とりよせ ) て、御文( おんふみ ) 細々( こまごま ) とあそばして、「便( たより ) に付( つけ ) て相知( あひし ) れる方( かた ) へ、遣( やり ) て給はれ。」とぞ被仰ける。角( かく ) て日( ひ ) 已( すで ) に暮( くれ ) ければ、御輿( おんこし ) 指寄( さしよせ ) て乗( の ) せ奉り、海道( かいだう ) より西なる山際( やまぎは ) に、松の一村( ひとむら ) ある下( もと ) に、御輿( おんこし ) を舁居( かきすゑ ) たれば、敷皮( しきがは ) の上に居直( ゐなほら ) せ給ひて、又硯を取寄せ、閑々( しづしづ ) と辞世( じせい ) の頌( じゆ ) をぞ被書ける。逍遥生死。四十二年。山河一革。天地洞然。六月十九日某( それがし ) と書( かい ) て、筆を抛( なげうつ ) て手を叉( あざへ ) 、座( ざ ) をなをし給ふとぞ見へし。田児( たごの ) 六郎左衛門( さゑもんの ) 尉( じよう ) 、後( うしろ ) へ廻( まは ) るかと思へば、御首( くび ) は前にぞ落( おち ) にける。哀( あはれ ) と云( いふ ) も疎( おろか ) なり。入道泣々( なくなく ) 其遺骸( そのゆゐがい ) を煙( けぶり ) となし、様々( さまざま ) の作善( さぜん ) を致してぞ菩提( ぼだい ) を奉祈ける。糸惜( いとをしき ) 哉( かな ) 、此卿( このきやう ) は先帝( せんてい ) 帥宮( そつのみや ) と申( まうし ) 奉りし比( ころ ) より近侍( きんじ ) して、朝夕( てうせきの ) 拝礼( はいれい ) 不怠、昼夜( ちうや ) の勤厚( きんこう ) 異于他。されば次第に昇進( しようじん ) も不滞、君( きみ ) の恩寵( おんちよう ) も深かりき。今かく失給( うせたまひ ) ぬと叡聞( えいぶん ) に達せば、いかばかり哀( あはれ ) にも思食( おぼしめさ ) れんずらんと覚へたり。同( おなじき ) 二十一日殿法印( とののほふいん ) 良忠( りやうちゆう ) をば大炊御門油小路( おほゐのみかどあぶらのこうぢ ) の篝( かがり ) 、小串( こぐし ) 五郎兵衛( ごらうびやうゑ ) 秀信( ひでのぶ ) 召捕( めしとり ) て六波羅( ろくはら ) へ出( いだ ) したりしかば、越後( ゑちごの ) 守( かみ ) 仲時( なかとき ) 、斉藤十郎兵衛を使にて被申けるは、「此比( このごろ ) 一天( いつてん ) の君だにも叶はせ給はぬ御謀叛( ごむほん ) を、御身( おんみ ) なんど思立( おもひたち ) 給はん事( こと ) 、且( かつう ) は無止、且( かつう ) は楚忽( そこつ ) にこそ覚( おぼえ ) て候へ。先帝( せんていを ) 奪ひ進( まゐら ) せん為に、当所( たうしよ ) の絵図( ゑづ ) なんどまで持廻( もちまは ) られ候( さふらひ ) ける条、武敵( ぶてき ) の至( いた ) り重科( ぢゆうくわ ) 無双、隠謀の企( くはだて ) 罪責( ざいせき ) 有余。計( はかりごと ) の次第一々に被述候へ。具( つぶさ ) に関東( くわんとう ) へ可注進。」とぞ宣( のたまひ ) ける。法印( ほふいん ) 返事( へんじ ) せられけるは、「普天( ふてん ) の下( した ) 無非王土、率土( そつとの ) 人無非王民。誰か先帝の宸襟( しんきん ) を歎き奉らざらん。人たる者是( これ ) を喜( よろこぶ ) べきや。叡慮( えいりよ ) に代( かはつ ) て玉体を奪( うばひ ) 奉らんと企( くはだつる ) 事( こと ) 、なじかは可無止。為誅無道、隠謀を企( くはだつる ) 事( こと ) 更( さら ) に非楚忽儀。始( はじめ ) より叡慮の趣を存知( ぞんぢし ) 、笠置( かさぎ ) の皇居( くわうきよ ) へ参内( さんだい ) せし条無子細。而( しか ) るを白地( あからさま ) に出京( しゆつきやう ) の蹤( あと ) に、城郭無固、官軍( くわんぐん ) 敗北( はいぼく ) の間( あひだ ) 、無力本意を失へり。其間( そのあひだ ) に具行卿( ともゆききやう ) 相談して、綸旨( りんし ) を申下( まうしくだし ) 、諸国の兵( つはもの ) に賦( くばり ) し条勿論( もちろん ) なり。有程( あるほど ) の事は此等( これら ) なり。」とぞ返答せられける。依之( これによつて ) 六波羅( ろくはら ) の評定( ひやうぢやう ) 様々( さまざま ) なりけるを、二階堂( にかいだう ) 信濃( しなのの ) 入道進( すすん ) で申( まうし ) けるは、「彼罪責( かのざいせき ) 勿論の上( うへ ) は、無是非可被誅けれども、与党( よたう ) の人なんど尚尋( たづね ) 沙汰有( あつ ) て重( かさね ) て関東( くわんとう ) へ可被申かとこそ存( ぞんじ ) 候へ。」と申( まうし ) ければ、長井右馬助( ながゐうまのすけ ) 、「此義( このぎ ) 尤( もつとも ) 可然候。是( これ ) 程の大事( だいじ ) をば関東( くわんとう ) へ被申てこそ。」と申( まうし ) ければ、面々( めんめん ) の意見一同( いちどう ) せしかば、法印( ほふいん ) をば五条京極( きやうごく ) の篝( かがり ) 、加賀( かがの ) 前司( ぜんじ ) に預( あづけ ) られて禁篭( きんろう ) し、重( かさね ) て関東( くわんとう ) へぞ被注進ける。平宰相( へいさいしやう ) 成輔( なりすけ ) をば、河越( かはごえ ) 参河( みかはの ) 入道円重( ゑんぢゆう ) 具足( ぐそく ) し奉( たてまつり ) て、是( これ ) も鎌倉( かまくら ) へと聞へしが、鎌倉( かまくら ) 迄も下( くだ ) し着( つけ ) 奉らで相摸( さがみ ) の早河尻( はやかはじり ) にて奉失。侍従( じじゆう ) 中納言公明( きんあきらの ) 卿( きやう ) ・別当( べつたう ) 実世( さねよ ) 卿( きやう ) 二人( ににん ) をば、赦免( しやめん ) の由( よし ) にて有( あり ) しかども、猶も心ゆるしや無( なか ) りけん、波多野( はだの ) 上野介( かうづけのかみ ) 宣通( のぶみち ) ・佐々木( ささきの ) 三郎左衛門( さぶらうざゑもんの ) 尉( じよう ) に被預て、猶( なほ ) も本( もと ) の宿所( しゆくしよ ) へは不帰給。尹( ゐんの ) 大納言師賢( もろかたの ) 卿( きやう ) をば下総( しもつさの ) 国( くに ) へ流して、千葉介( ちばのすけ ) に被預。此人( このひと ) 志学( しがく ) の年( とし ) の昔より、和漢の才( さい ) を事として、栄辱( えいじよく ) の中( うち ) に心を止( と ) め不給しかば、今遠流( をんる ) の刑に逢へる事( こと ) 、露計( つゆばかり ) も心に懸( かけ ) て思はれず。盛唐( せいたうの ) 詩人杜少陵( とせうりようが ) 、天宝( てんばう ) の末の乱に逢( あう ) て、「路経■■( えんよ ) 双蓬鬢、天落滄浪一釣舟」と天涯( てんがい ) の恨( うらみ ) を吟( ぎん ) じ尽( つく ) し、吾朝( わがてう ) の歌仙小野篁( をののたかむら ) は隠岐( おきの ) 国( くに ) へ被流て、「海原( わたのはら ) 八十嶋( やそしま ) かけて漕出( こぎいで ) ぬ」と釣( つり ) する海士( あま ) に言伝( ことづて ) て、旅泊( りよはく ) の思( おもひ ) を詠ぜらる。是( これ ) 皆時( とき ) の難易( なんい ) を知( しり ) て可歎を不歎、運の窮達( きゆうたつ ) を見て有悲を不悲。況乎( いはんや ) 「主( しゆ ) 憂( うれふ ) る則( ときんば ) 臣辱( はづかしめら ) る。主辱( はづかしめら ) るゝ則( ときんば ) 臣死( しす ) 」といへり。縦( たとひ ) 骨を醢( ししびしほ ) にせられ、身を車ざきにせらる共( とも ) 、可傷道に非( あら ) ずとて、少しも不悲給。只依時触興に、諷詠( ふうえい ) 等閑( なほざり ) に日を渡る。今は憂世( うきよ ) の望( のぞみ ) 絶( たえ ) ぬれば、有出家志由頻( しきり ) に被申けるを、相摸( さがみ ) 入道( にふだう ) 子細( しさい ) 候はじと被許ければ、年( とし ) 未満強仕、翠( みどり ) の髪を剃( そり ) 落し、桑門人( よすてびと ) と成給( なりたまひ ) しが、無幾程元弘( げんこう ) の乱出来( いでき ) し始( はじめ ) 俄に病に被侵、円寂( ゑんじやく ) し給ひけるとかや。東宮大進( とうぐうのだいしん ) 季房( すゑふさ ) をば常陸( ひたちの ) 国( くに ) へ流して、長沼駿河( ながぬまするがの ) 守( かみ ) に預( あづ ) けらる。中納言藤房( ふぢふさ ) をば同国( おなじくに ) に流して、小田民部大輔( をだみんぶのたいふ ) にぞ被預ける。左遷遠流( させんゑんる ) の悲( かなしみ ) は何( いづ ) れも劣らぬ涙なれども、殊に此( この ) 卿( きやう ) の心中( こころのうち ) 推量( おしはか ) るも猶哀( あはれ ) 也( なり ) 。近来( このごろ ) 中宮( ちゆうぐう ) の御方( おんかた ) に左衛門佐局( さゑものすけのつぼね ) とて容色( ようしよく ) 世に勝( すぐ ) れたる女房( にようばう ) 御座( おはしま ) しけり。去( さんぬる ) 元享( げんかう ) の秋の比( ころ ) かとよ、主上北山殿( きたやまどの ) に行幸( ぎやうがう ) 成( なつ ) て、御賀( おんが ) の舞( まひ ) の有( あり ) ける時、堂下( だうか ) の立部( りふはう ) 袖を翻( ひるがへ ) し、梨園( りゑん ) の弟子( ていし ) 曲( きよく ) を奏せしむ。繁絃急管( はんげんきふくわん ) 何( いづ ) れも金玉( きんぎよく ) の声( こゑ ) 玲瓏( れいろう ) たり。此女房( このにようばう ) 琵琶( びは ) の役( やく ) に被召、青海波( せいがいは ) を弾( だん ) ぜしに、間関( かんくわん ) たる鴬( うぐひす ) の語( かたり ) は花下( はなのもと ) に滑( なめらかに ) 、幽咽( いうえつ ) せる泉( いづみ ) の流( ながれ ) は氷の底( そこ ) に難( なや ) めり。適怨清和( てきゑんせいくわ ) 節( せつ ) に随( したがつ ) て移る。四絃( しげん ) 一声( いつせい ) 如裂帛。撥( はらつ ) ては復( また ) 挑( かかぐ ) 、一曲( いつきよく ) の清音( せいいん ) 梁上( りやうじやう ) に燕( つばめ ) 飛( とび ) 、水中( すゐちゆう ) に魚( うを ) 跳許( をどるばかり ) 也( なり ) 。中納言ほのかに是( これ ) を見給( みたまひ ) しより、人不知思初( おもひそめ ) ける心の色、日に副( そひ ) て深くのみ成行( なりゆけ ) 共( ども ) 、可云知便( たより ) も無ければ、心に篭( こめ ) て歎明( なげきあか ) し思暮( おもひくら ) して、三年( みとせ ) を過給( すごしたまひ ) けるこそ久しけれ。何( いか ) なる人目( ひとめ ) の紛( まぎ ) れにや、露のかごとを結ばれけん、一夜( ひとよ ) の夢の幻( うつつ ) 、さだかならぬ枕をかはし給( たまひ ) にけり。其次( そのつぎ ) の夜( よ ) の事ぞかし、主上俄( にはか ) に笠置( かさぎ ) へ落( おち ) させ給ひければ、藤房( ふぢふさ ) 衣冠( いくわん ) を脱( ぬ ) ぎ、戎衣( じゆうい ) に成( なつ ) て供奉( ぐぶ ) せんとし給ひけるが、此女房( このにようばう ) に廻( めぐ ) り逢( あは ) ん末の契( ちぎり ) も難知、一夜( いちや ) の夢の面影( おもかげ ) も名残( なごり ) 有( あり ) て、今一度( ひとたび ) 見もし見へばやと被思ければ、彼( かの ) 女房の住給( すみたまひ ) ける西の対( たい ) へ行( ゆき ) て見給ふに、時しもこそあれ、今朝( けさ ) 中宮( ちゆうぐう ) の召( めし ) 有( あつ ) て北山殿( きたやまどの ) へ参り給( たまひ ) ぬと申( まうし ) ければ、中納言鬢( びん ) の髪( かみ ) を少し切( きつ ) て、歌を書副( かきそへ ) てぞ被置ける。黒髪( くろかみ ) の乱( みだれ ) ん世まで存( ながら ) へば是( これ ) を今はの形見( かたみ ) とも見よ此( この ) 女房立帰( たちかへ ) り、形見の髪と歌とを見て、読( よみ ) ては泣( なき ) 、々( なき ) ては読み、千度百廻( ちたびももたび ) 巻( まき ) 返せ共( ども ) 、心乱( みだれ ) てせん方もなし。懸( かか ) る涙に文字( もじ ) 消( きえ ) て、いとゞ思( おもひ ) に絶兼( たへかね ) たり。せめて其( その ) 人の在所( いますところ ) をだに知( しり ) たらば、虎( とら ) 伏( ふす ) 野辺( のべ ) 鯨( くぢら ) の寄( よる ) 浦なり共( とも ) 、あこがれぬべき心地( ここち ) しけれ共( ども ) 、其行末( そのゆくすゑ ) 何( いづ ) く共( とも ) 不聞定、又逢( あは ) ん世の憑( たのみ ) もいさや知らねば、余( あま ) りの思( おもひ ) に堪( たへ ) かねて、書置( かきおき ) し君が玉章( たまづさ ) 身に副( そへ ) て後( のち ) の世までの形( かた ) みとやせん先( さき ) の歌に一首( いつしゆ ) 書副( かきそへ ) て、形見の髪を袖に入( いれ ) 、大井河( おほゐがは ) の深き淵に身を投( なげ ) けるこそ哀( あはれ ) なれ。「為君一日恩、誤妾百年身」とも、加様( かやう ) の事をや申( まうす ) べき。按察( あぜちの ) 大納言公敏( きんとしの ) 卿( きやう ) は上総( かづさの ) 国( くに ) 、東南院( とうなんゐんの ) 僧正( そうじやう ) 聖尋( しやうじん ) は下総( しもつさの ) 国( くに ) 、峯僧正( みねのそうじやう ) 俊雅( しゆんが ) は対馬( つしまの ) 国( くに ) と聞へしが、俄に其( その ) 議を改( あらため ) て、長門( ながとの ) 国( くに ) へ流され給ふ。第四( だいし ) の宮( みや ) は但馬( たじまの ) 国( くに ) へ流奉( ながしたてまつり ) て、其( その ) 国( くに ) の守護( しゆご ) 大田判官( おほたのはんぐわん ) に預( あづけ ) らる。
○八歳宮( はつさいのみや ) 御歌( おんうたの ) 事( こと ) 第九宮( だいくのみや ) は、未( いまだ ) 御幼稚( ごえうち ) に御坐( おはしませ ) ばとて、中御門( なかのみかど ) 中納言宣明( のぶあきら ) 卿( きやう ) に被預、都の内にぞ御坐有( ござあり ) ける。此( この ) 宮( みや ) 今年( こんねん ) は八歳( はつさい ) に成( なら ) せ給( たまひ ) けるが、常の人よりも御心様( おんこころざま ) さか/\しく御座( おはしまし ) ければ、常は、「主上已( すで ) に人も通( かよ ) はぬ隠岐( おきの ) 国( くに ) とやらんに被流させ給ふ上( うへ ) は、我( われ ) 独( ひとり ) 都の内に止( とどま ) りても何( なに ) かせん。哀( あはれ ) 我をも君の御座( ござ ) あるなる国のあたりへ流し遣( つかは ) せかし。せめては外所( よそ ) ながらも、御行末( おんゆくすゑ ) を承( うけたま ) はらん。」と書( かき ) くどき打( うち ) しほれて、御涙( おんなみだ ) 更( さら ) にせきあへず。「さても君の被押篭御座( ござ ) ある白河( しらかは ) は、京( みやこ ) 近き所と聞くに、宣明( のぶあきら ) はなど我を具足( ぐそく ) して御所( ごしよ ) へは参( まゐ ) らぬぞ。」と仰有( おほせあり ) ければ、宣明卿涙を押( おさ ) へて、「皇居( くわうきよ ) 程近( ほどちか ) き所にてだに候はゞ、御伴( おんとも ) 仕( おんともつかまつり ) て参( さん ) ぜん事子細( しさい ) 有( ある ) まじく候が、白河( しらかは ) と申( まうし ) 候は都より数百里( すひやくり ) を経( へ ) て下( くだ ) る道にて候。されば能因法師( のういんほつし ) が都をば霞( かすみ ) と共に出( いで ) しかど秋風ぞ吹( ふく ) 白川( しらかは ) の関( せき ) と読( よみ ) て候( さふらひ ) し歌にて、道の遠き程、人を通( とほ ) さぬ関ありとは思召知( おぼしめししら ) せ給へ。」と被申ければ、宮御泪( おんなみだ ) を押( おさ ) へさせ給( たまひ ) て、暫( しばし ) は被仰出事もなし。良( やや ) 有( あり ) て、「さては宣明( のぶあきら ) 我( われ ) を具足( ぐそく ) して参( まゐ ) らじと思へる故( ゆゑ ) に、加様( かやう ) に申( まうす ) 者也( なり ) 。白川( しらかはの ) 関読( よみ ) とたりしは、全く洛陽( らくやう ) 渭水( ゐすゐ ) の白河には非( あら ) ず、此( この ) 関奥州の名所( めいしよ ) 也( なり ) 。近来( このごろ ) 津守国夏( つもりくになつ ) が、是( これ ) を本歌( ほんか ) にて読( よみ ) たりし歌に、東路( あづまぢ ) の関迄ゆかぬ白川( しらかは ) も日数( ひかず ) 経( へ ) ぬれば秋風ぞ吹( ふく ) 又最勝寺( さいしようじ ) の懸( かかり ) の桜枯( かれ ) たりしを、植( うゑ ) かゆるとて、藤原雅経朝臣( ふぢはらのまさつねあつそん ) 、馴々( なれなれ ) て見しは名残( なごり ) の春ぞともなど白川の花( はな ) の下陰( したかげ ) 是( これ ) 皆( みな ) 名( な ) は同( おなじう ) して、所( ところ ) は替( かは ) れる証歌( しようか ) 也( なり ) 。よしや今は心に篭( こめ ) て云出( いひいだ ) さじ。」と、宣明( のぶあきら ) を被恨仰、其後( そののち ) よりは書絶( かきたえ ) 恋しとだに不被仰、万( よろ ) づ物憂( ものうき ) 御気色( おんきしよく ) にて、中門( ちゆうもん ) に立( たた ) せ給へる折節( をりふし ) 、遠寺( ゑんじ ) の晩鐘( ばんしよう ) 幽( かすか ) に聞へければ、つく/゛\と思暮( おもひくら ) して入逢( いりあひ ) の鐘を聞( きく ) にも君ぞ恋しき情( こころ ) 動于中言( ことば ) 呈於外、御歌( おんうた ) のをさ/\しさ哀れに聞へしかば、其比( そのころ ) 京中( きやうぢゆう ) の僧俗男女( なんによ ) 、是( これ ) を畳紙( たたうがみ ) ・扇( あふぎ ) に書付( かきつけ ) て、「是( これ ) こそ八歳( はつさい ) の宮( みや ) の御歌( おんうた ) よ。」とて、翫( もてあそ ) ばぬ人は無( なか ) りけり。
○一宮( いちのみや ) 並( ならびに ) 妙法院( めうほふゐん ) 二品親王( にほんしんわうの ) 御事( おんこと ) 三月八日一宮( いちのみや ) 中務卿( なかつかさのきやう ) 親王( しんわう ) をば、佐々木( ささきの ) 大夫判官( たいふはんぐわん ) 時信( ときのぶ ) を路次( ろし ) の御警固( おんけいご ) にて、土佐( とさ ) の畑( はた ) へ流し奉る。今までは縦( たとひ ) 秋刑( しうけい ) の下( もと ) に死( しし ) て、竜門原上( りようもんげんじやう ) の苔に埋( うづま ) る共( とも ) 、都のあたりにて、兎( と ) も角( かく ) もせめて成らばやと、仰天伏地御祈念( ごきねん ) 有( あり ) けれ共( ども ) 、昨日( きのふ ) 既( すでに ) 先帝( せんてい ) をも流し奉りぬと、警固( けいご ) の武士共( ぶしども ) 申合( まうしあ ) ひけるを聞召( きこしめし ) て、御祈念( ごきねん ) の御憑( おんたのみ ) もなく、最( いと ) 心細く思召( おぼしめし ) ける処( ところ ) に、武士共( もののふども ) 数多( あまた ) 参りて、中門( ちゆうもん ) に御輿( おんこし ) を差寄( さしよ ) せたれば、押( おさ ) へかねたる御泪( おんなみだ ) の中( うち ) に、せき留( とむ ) る柵( しがらみ ) ぞなき泪河( なみだがは ) いかに流るゝ浮身( うきみ ) なるらん同( おなじき ) 日、妙法院( めうほふゐん ) 二品( にほん ) 親王( しんわう ) をも、長井( ながゐ ) 左近( さこんの ) 大夫将監( たいふしやうげん ) 高広( たかひろ ) を御警固( おんけいご ) にて讚岐( さぬきの ) 国( くに ) へ流し奉る。昨日( きのふ ) は主上御遷幸( ごせんかう ) の由を承( うけたまは ) り、今日( けふ ) は一宮( いちのみや ) 被流させ給( たまひ ) ぬと聞召( きこしめし ) 、御心( おんこころ ) を傷( いた ) ましめ給( たまひ ) けり。憂名( うきな ) も替らぬ同じ道に、而( しか ) も別( わかれ ) て赴( おもむ ) き給( たまふ ) 、御心( おんこころ ) の中( うち ) こそ悲( かなし ) けれ。初( はじめ ) の程こそ別々( べちべち ) にて御下( おんくだり ) 有( あり ) けるが、十一日の暮程( くれほど ) には、一宮( いちのみや ) も妙法院( めいほふゐん ) も諸共( もろとも ) に兵庫( ひやうご ) に着( つか ) せ給( たまひ ) たりければ、一宮( いちのみや ) は是( これ ) より御舟( おんふね ) にめして、土佐( とさ ) の畑( はた ) へ可有御下由聞へければ、御文( おんふみ ) を参( まゐら ) せ玉( たまひ ) けるに、今までは同じ宿( やど ) りを尋( たづね ) 来て跡( あと ) 無( な ) き波と聞( きく ) ぞ悲( かなし ) き一宮( いちのみや ) 御返事( おんへんじ ) 、明日( あす ) よりは迹( あと ) 無( な ) き波に迷共( まよふとも ) 通( かよ ) ふ心よしるべ共( とも ) なれ配所( はいしよ ) は共に四国( しこく ) と聞( きこ ) ゆれば、せめては同( おなじ ) 国にてもあれかし。事問( こととふ ) 風の便( たより ) にも、憂( うき ) を慰( なぐさ ) む一節( ひとふし ) とも念じ思召( おぼしめし ) けるも叶はで、一宮( いちのみや ) はたゆたふ波に漕( こが ) れ行( ゆく ) 、身を浮( うき ) 舟に任( まか ) せつゝ、土佐( とさ ) の畑( はた ) へ赴かせ給へば、有井( ありゐ ) 三郎左衛門( さぶらうざゑもんの ) 尉( じよう ) が館( たち ) の傍( かたはら ) に、一室( いつしつ ) を構( かまへ ) て置( おき ) 奉る。彼畑( かのはた ) と申( まうす ) は、南は山の傍( そば ) にて高く、北は海辺( かいへん ) にて下( さが ) れり、松の下露( したつゆ ) 扉( とぼそ ) に懸( かか ) りて、いとゞ御袖( おんそで ) の泪( なみだ ) を添( そへ ) 、磯( いそ ) 打( うつ ) 波の音御枕( おんまくら ) の下( した ) に聞へて、是( これ ) のみ通ふ故郷( ふるさと ) の、夢路( ゆめぢ ) も遠く成( なり ) にけり。妙法院( めうほふゐん ) は是( これ ) より引別( ひきわか ) れて、備前( びぜんの ) 国( くに ) 迄は陸地( くがぢ ) を経て、児嶋( こじま ) の吹上( ふきあげ ) より船に召( めし ) て、讚岐( さぬき ) の詫間( たくま ) に着( つか ) せ給ふ。是( これ ) も海辺( かいへん ) 近き処なれば、毒霧( どくむ ) 御身( おんみ ) を侵( をか ) して瘴海( しやうかい ) の気冷( すさま ) じく、漁歌牧笛( ぎよかぼくてき ) の夕べの声、嶺雲海月( れいうんかいげつ ) の秋の色、総( すべ ) て触耳遮眼事の、哀( あはれ ) を催( もよほ ) し、御涙( おんなみだ ) を添( そふ ) る媒( なかだち ) とならずと云( いふ ) 事( こと ) なし。先皇( せんくわう ) をば任承久例に、隠岐( おきの ) 国( くに ) へ流し可進に定まりけり。臣として君を無奉( ないがしろにしたてまつ ) る事( こと ) 、関東( くわんとう ) もさすが恐( おそれ ) 有( あり ) とや思( おもひ ) けん、此為( このため ) に後伏見( ごふしみの ) 院( ゐん ) の第一( だいいち ) の御子( みこ ) を御位( おんくらゐ ) に即( つけ ) 奉りて、先帝( せんてい ) 御遷幸( ごせんかう ) の宣旨( せんじ ) を可被成とぞ計( はから ) ひ申( まうし ) ける。於天下事に、今は重祚( ちようそ ) の御望( おんのぞみ ) 可有にも非ざれば、遷幸以前( いぜん ) に先帝( せんたい ) をば法皇( ほふわう ) に可奉成とて、香染( かうぞめ ) の御衣( おんころも ) を武家より調進( てうしん ) したりけれ共( ども ) 、御法体( ごほつたい ) の御事( おんこと ) は、暫く有( ある ) まじき由を被仰て、袞竜( こんりよう ) の御衣( ぎよい ) をも脱( ぬが ) せ給はず。毎朝( まいてう ) の御行水( おんぎやうずゐ ) をめされ、仮( かり ) の皇居( くわうきよ ) を浄( きよ ) めて、石灰( せきくわい ) の壇( だん ) に準( なぞら ) へて、太神宮( たいじんぐう ) の御拝( ごはい ) 有( あり ) ければ、天に二( ふたつ ) の日( ひ ) 無( なけ ) れども、国に二( ふたり ) の王( わう ) 御座( おはします ) 心地( ここち ) して、武家も持( もち ) あつかひてぞ覚へける。是( これ ) も叡慮に憑思食( たのみおぼしめす ) 事( こと ) 有( あり ) ける故( ゆゑ ) 也( なり ) 。
○俊明極( しゆんみんき ) 参内( さんだいの ) 事( こと ) 去元享( さんぬるげんかう ) 元年の春( はる ) の比( ころ ) 、元朝( げんてう ) より俊明極( しゆんみんき ) とて、得智( とくち ) の禅師( ぜんじ ) 来朝( らいてう ) せり。天子( てんし ) 直( ぢき ) に異朝( いてう ) の僧に御相看( ごしやうかん ) の事は、前々( さきざき ) 更( さら ) に無( なか ) りしか共( ども ) 、此君( このきみ ) 禅( ぜん ) の宗旨( しゆうし ) に傾( かたぶ ) かせ給( たまひ ) て、諸方( しよはう ) 参得( さんとく ) の御志( おんこころざし ) をはせしかば、御法談( ごほふだん ) の為に此( この ) 禅師を禁中( きんちゆう ) へぞ被召ける。事の儀式余( あまり ) に微々( びび ) ならんは、吾朝( わがてう ) の可恥とて、三公公卿( くぎやう ) も出仕( しゆつし ) の妝( よそほ ) ひを刷( つくろ ) ひ、蘭台金馬( らんだいきんめ ) も守禦( しゆぎよ ) の備( そなへ ) を厳( きびし ) くせり。夜半( やはん ) に蝋燭( ろつそく ) を伝( たて ) て禅師被参内。主上紫宸殿( ししんでん ) に出御( しゆつぎよ ) 成( なつ ) て、玉坐( ぎよくざ ) に席を薦( すす ) め給ふ。禅師三拝礼( さんはいらい ) 訖( をはつ ) て、香( かう ) を拈( ねん ) じて万歳( ばんぜい ) を祝( しゆく ) す。時に勅問( ちよくもん ) 有( あつ ) て曰( いはく ) 、「桟山航海得々( とくとくとして ) 来( きたる ) 。和尚( をしやう ) 以何度生( どしやう ) せん。」禅師答( こたへて ) 云( いはく ) 、「以仏法緊要処度生( どしやうせ ) ん。」重( かさね ) て、曰( いはく ) 、「正当( しやうたう ) 恁麼時( いんものとき ) 奈何( いかん ) 。」答( こたへて ) 曰( いはく ) 、「天上( てんじやう ) に有星、皆拱北。人間無水不朝東。」御法談( ごほふだん ) 畢( をはつ ) て、禅師拝揖( はいいふ ) して被退出。翌日( よくじつ ) 別当実世卿( さねよのきやう ) を勅使にて禅師号を被下る。時に禅師向勅使、「此( この ) 君雖有亢竜悔、二度( ふたたび ) 帝位( ていゐ ) を践( ふま ) せ給( たまふ ) べき御相( ごさう ) 有( あり ) 。」とぞ被申ける。今君為武臣囚( とらはれ ) て亢竜( かうりよう ) の悔( くい ) に合( あは ) せ給ひけれ共( ども ) 、彼( かの ) 禅師の相( さう ) し申( まうし ) たりし事なれば、二度( ふたたび ) 九五( きうご ) の帝位を践( ふま ) せ給はん事( こと ) 、無疑思食( おぼしめす ) に依( よつ ) て、法体( ほつたい ) の御事( おんこと ) は暫く有( ある ) まじき由を、強( しひ ) て被仰出けり。
○中宮( ちゆうぐう ) 御歎( おんなげきの ) 事( こと ) 三月七日、已( すで ) に先帝( せんてい ) 隠岐( おきの ) 国( くに ) へ被遷させ給ふと聞へければ、中宮夜( よ ) に紛れて、六波羅( ろくはら ) の御所( ごしよ ) へ行啓( ぎやうけい ) 成( なら ) せ給( たまひ ) 、中門( ちゆうもん ) に御車( おんくるま ) を差寄( さしよせ ) たれば、主上出御( しゆつぎよ ) 有( あり ) て、御車( おんくるま ) の簾( すだれ ) を被掲( かかげらる ) 。君は中宮を都に止置( とめおき ) 奉りて、旅泊( りよはく ) の波長汀( ちやうてい ) の月に彷徨( さすらひ ) 給はんずる行末( ゆくすゑ ) の事を思召( おぼしめ ) し連( つら ) ね、中宮は又主上を遥々( はるばる ) と遠外( ゑんぐわい ) に想像( おもひやり ) 奉りて、何( なに ) の憑( たのみ ) の有世( あるよ ) 共( とも ) なく、明( あけ ) ぬ長夜( ちやうや ) の心迷ひの心地( ここち ) し、長襟( ながきものおもひ ) にならんと、共に語り尽( つく ) させ給はゞ、秋の夜( よ ) の千夜( ちよ ) を一夜( ひとよ ) に準( なぞらふ ) 共( とも ) 、猶詞( ことば ) 残( のこり ) て明( あけ ) ぬべければ、御心( おんこころ ) の中( うち ) の憂( う ) き程は其言( そのこと ) の葉( は ) も及ばねば、中々( なかなか ) 云出( いひいだ ) させ給ふ一節( ひとふし ) もなし。只御泪( おんなみだ ) にのみかきくれて、強顔( つれなく ) 見へし晨明( ありあけ ) も、傾( かたぶ ) く迄に成( なり ) にけり。夜( よ ) 已( すで ) に明( あけ ) なんとしければ、中宮御車( おんくるま ) を廻( めぐ ) らして還御( くわんぎよ ) 成( なり ) けるが、御泪( おんなみだ ) の中( うち ) に、此上( このうへ ) の思( おもひ ) はあらじつれなさの命( いのち ) よさればいつを限りぞと許( ばかり ) 聞へて、臥沈( ふししづ ) ませ給( たまひ ) ながら、帰車( かへるくるま ) の別路( わかれぢ ) に、廻( めぐ ) り逢世( あふよ ) の憑( たのみ ) なき、御心( おんこころ ) の中( うち ) こそ悲しけれ。
○先帝( せんてい ) 遷幸( せんかうの ) 事( こと ) 明( あく ) れば三月七日、千葉介( ちばのすけ ) 貞胤( さだたね ) 、小山( をやまの ) 五郎左衛門、佐々木( ささきの ) 佐渡判官( さどのはうぐわん ) 入道々誉( だうよ ) 五百( ごひやく ) 余騎( よき ) にて、路次( ろし ) を警固仕( けいごつかまつり ) て先帝( せんてい ) を隠岐( おきの ) 国( くに ) へ遷( うつ ) し奉る。供奉( ぐぶ ) の人とては、一条頭大夫( とうだいぶ ) 行房( ゆきふさ ) 、六条( ろくでうの ) 少将忠顕( ただあき ) 、御仮借( おんかいしやく ) は三位殿( さんみどの ) 御局許( おんつぼねばかり ) 也( なり ) 。其外( そのほか ) は皆甲冑( かつちう ) を鎧( よろひ ) て、弓箭( きゆうせん ) 帯( たい ) せる武士共( ぶしども ) 、前後左右( ぜんごさいう ) に打囲( うちかこみ ) 奉りて、七条を西へ、東洞院( ひがしのとうゐん ) を下( しも ) へ御車( おんくるま ) を輾( きし ) れば、京中( きやうぢゆう ) 貴賎男女( きせんなんによ ) 小路( こうぢ ) に立双( たちならび ) て、「正( まさ ) しき一天( いつてん ) の主( あるじ ) を、下( しも ) として流し奉る事の浅猿( あさまし ) さよ。武家の運命( うんめい ) 今に尽( つき ) なん。」と所憚なく云( いふ ) 声巷( ちまた ) に満( みち ) て、只赤子( あかご ) の母を慕如( したふがごと ) く泣悲( なきかなし ) みければ、聞( きく ) に哀( あはれ ) を催( もよほ ) して、警固の武士( ぶし ) も諸共( もろとも ) に、皆鎧( よろひ ) の袖をぞぬらしける。桜井( さくらゐ ) の宿( しゆく ) を過( すぎ ) させ給( たまひ ) ける時、八幡( やはた ) を伏拝( ふしをがみ ) 御輿( おんこし ) を舁居( かきすゑ ) させて、二度( ふたたび ) 帝都( ていと ) 還幸( くわんかう ) の事をぞ御祈念( ごきねん ) 有( あり ) ける。八幡大菩薩( はちまんだいぼさつ ) と申( まうす ) は、応神天皇( てんわう ) の応化( おうげ ) 百王鎮護( ちんご ) の御誓( おんちか ) ひ新( あらた ) なれば、天子行在( あんざい ) の外( ほか ) までも、定( さだめ ) て擁護( おうご ) の御眸( おんまなじり ) をぞ廻( めぐら ) さる覧( らん ) と、憑敷( たのもしく ) こそ思召( おぼしめし ) けれ。湊川( みなとがは ) を過( すぎ ) させ給( たまふ ) 時、福原( ふくはら ) の京( きやう ) を被御覧ても、平相国清盛( へいしやうこくきよもり ) が四海( しかい ) を掌( たなごころ ) に握( にぎつ ) て、平安城( へいあんじやう ) を此卑湿( このひしつ ) の地に遷( うつ ) したりしかば、無幾程亡( ほろび ) しも、偏( ひとへ ) に上( かみ ) を犯さんとせし侈( おごり ) の末( すゑ ) 、果( はた ) して天の為に被罰ぞかしと、思食( おぼしめし ) 慰む端( はし ) となりにけり。印南野( いなの ) を末に御覧( ごらん ) じて、須磨( すま ) の浦を過( すぎ ) させ給へば、昔源氏( げんじの ) 大将( だいしやう ) の、朧月夜( おぼろづきよ ) に名を立( たて ) て此( この ) 浦に流され、三年( みとせ ) の秋を送りしに、波只( ただ ) 此( ここ ) もとに立( たち ) し心地( ここち ) して、涙落( おつる ) 共( とも ) 覚( おぼえ ) ぬに、枕は浮許( うくばかり ) に成( なり ) にけりと、旅寝( たびね ) の秋を悲( かなし ) みしも、理( ことわり ) なりと被思召。明石( あかし ) の浦の朝霧に遠く成行( なりゆく ) 淡路嶋( あはぢしま ) 、寄来( よせく ) る浪も高砂( たかさご ) の、尾上( をのへ ) の松に吹( ふく ) 嵐、迹( あと ) に幾重( いくへ ) の山川( やまかは ) を、杉坂( すぎさか ) 越( こえ ) て美作( みまさか ) や、久米( くめ ) の佐羅山( さらやま ) さら/\に、今は有( ある ) べき時ならぬに、雲間( くもま ) の山に雪見へて、遥( はるか ) に遠き峯あり。御警固( おんけいご ) の武士( ぶし ) を召( めし ) て、山の名を御尋( おんたづね ) あるに、「是( これ ) は伯耆( はうき ) の大山( だいせん ) と申( まうす ) 山にて候。」と申( まうし ) ければ、暫く御輿( おんこし ) を被止、内証甚深( ないしようじんしん ) の法施( ほつせ ) を奉らせ給ふ。或時( あるとき ) は鶏唱( けいしやうに ) 抹過茅店月、或時( あるとき ) は馬蹄( ばていに ) 踏破板橋霜、行路( かうろ ) に日を窮( きは ) めければ、都を御出( おんいで ) 有( あつ ) て、十三日と申( まうす ) に、出雲( いづも ) の見尾( みを ) の湊( みなと ) に着( つか ) せ給ふ。爰( ここ ) にて御船( おんふね ) を艤( ふなよそひ ) して、渡海( とかい ) の順風( じゆんぷう ) をぞ待( また ) れける。
○備後( びんご ) 三郎高徳( たかのりが ) 事( こと ) 付呉越( ごゑつ ) 軍( いくさの ) 事( こと ) 其比( そのころ ) 備前( びぜんの ) 国( くに ) に、児嶋( こじま ) 備後( びんご ) 三郎高徳( たかのり ) と云( いふ ) 者あり。主上笠置( かさぎ ) に御座有( ござあり ) し時、御方( みかた ) に参( さん ) じて揚義兵しが、事未( いまだ ) 成( ならざる ) 先( さき ) に、笠置( かさぎ ) も被落、楠も自害したりと聞へしかば、力を失( うしなう ) て黙止( もだし ) けるが、主上隠岐( おきの ) 国( くに ) へ被遷させ給( たまふ ) と聞( きい ) て、無弐一族共( いちぞくども ) を集めて評定( ひやうぢやう ) しけるは、「志士( しじ ) 仁( じん ) 人( じんは ) 無求生以( もつて ) 害仁、有殺身為仁。」といへり。されば昔衛( ゑい ) の懿公( いこう ) が北狄( ほくてき ) の為に被殺て有( あり ) しを見て、其( その ) 臣に弘演( こうえん ) と云( いひ ) し者、是( これ ) を見るに不忍、自( みづから ) 腹を掻切( かききつ ) て、懿公( いこう ) が肝を己( おのれ ) が胸の中( うち ) に収め、先君( せんくん ) の恩を死後( しご ) に報( はうじ ) て失( うせ ) たりき。「見義不為無勇。」いざや臨幸( りんかう ) の路次( ろし ) に参り会( あひ ) 、君を奪取奉( うばひとりたてまつり ) て大軍を起し、縦( たと ) ひ尸( かばね ) を戦場に曝( さら ) す共( とも ) 、名を子孫に伝へん。」と申( まうし ) ければ、心ある一族共( いちぞくども ) 皆此義( このぎ ) に同( どう ) ず。「さらば路次の難所( なんじよ ) に相待( あひまち ) て、其隙( そのひま ) を可伺。」とて、備前と播磨( はりま ) との境( さかひ ) なる、舟坂山( ふなさかやま ) の嶺( みね ) に隠れ臥( ふし ) 、今や/\とぞ待( まち ) たりける。臨幸余( あま ) りに遅( おそ ) かりければ、人を走らかして是( これ ) を見するに、警固( けいご ) の武士( ぶし ) 、山陽道( せんやうだう ) を不経、播磨( はりま ) の今宿( いまじゆく ) より山陰道( せんいんだう ) にかゝり、遷幸( せんかう ) を成( なし ) 奉りける間、高徳( たかのり ) が支度( したく ) 相違してけり。さらば美作( みまさか ) の杉坂( すぎさか ) こそ究竟( くつきやう ) の深山( みやま ) なれ。此( ここ ) にて待奉( まちたてまつら ) んとて、三石( みついし ) の山より直違( すぢかひ ) に、道もなき山の雲を凌( しの ) ぎて杉坂へ着( つい ) たりければ、主上早( は ) や院庄( ゐんのしやう ) へ入( いら ) せ給( たまひ ) ぬと申( まうし ) ける間( あひだ ) 、無力此( これ ) より散々( ちりぢり ) に成( なり ) にけるが、せめても此所存( このしよぞん ) を上聞( しやうぶん ) に達せばやと思( おもひ ) ける間、微服潛行( びふくせんかう ) して時分( じぶん ) を伺ひけれ共( ども ) 、可然隙( ひま ) も無( なか ) りければ、君の御坐( ござ ) ある御宿( おんやど ) の庭に、大( おほき ) なる桜木( さくらぎ ) 有( あり ) けるを押削( おしけづり ) て、大文字( おほもじ ) に一句の詩( し ) をぞ書付( かきつけ ) たりける。天莫空勾践( こうせん ) 。時非無范蠡。御警固( おんけいご ) の武士共( ぶしども ) 、朝( あした ) に是( これ ) を見付( みつけ ) て、「何事( なにこと ) を何( いか ) なる者が書( かき ) たるやらん。」とて、読( よみ ) かねて、則( すなはち ) 上聞( しやうぶん ) に達してけり。主上は軈( やが ) て詩の心を御覚( さと ) り有( あり ) て、竜顔( りようがん ) 殊に御快( おんこころよ ) く笑( ゑま ) せ給へども、武士共( ぶしども ) は敢て其来歴( そのらいれき ) を不知、思咎( おもひとがむ ) る事も無( なか ) りけり。抑( そもそも ) 此( この ) 詩の心は、昔異朝( いてう ) に呉越( ごゑつ ) とてならべる二( ふたつ ) の国あり。此両国( このりやうごく ) の諸侯( しよこう ) 皆王道( わうだう ) を不行、覇業( はげふ ) を務( つとめ ) としける間、呉は越を伐( うつ ) て取( とら ) んとし、越は呉を亡( ほろぼ ) して合( あは ) せんとす。如此相争( あひあらそふ ) 事( こと ) 及累年。呉越互に勝負( しようぶ ) を易( か ) へしかば、親の敵( てき ) となり、子の讎( あだ ) と成( なつ ) て共に天を戴( いただ ) く事を恥( はづ ) 。周( しう ) の季( すゑ ) の世に当( あたつ ) て、呉国( ごこく ) の主( あるじ ) をば呉王( ごわう ) 夫差( ふさ ) と云( いひ ) 、越国( ゑつのくに ) の主( あるじ ) をば越王( ゑつわう ) 勾践( こうせん ) とぞ申( まうし ) ける。或時( あるとき ) 此( この ) 越王( ゑつわう ) 范蠡と云( いふ ) 大臣を召( めし ) て宣( のたま ) ひけるは、「呉は是( これ ) 父祖( ふそ ) の敵( てき ) 也( なり ) 。我( われ ) 是( これ ) を不討、徒( いたづら ) に送年事( こと ) 、嘲( あざけり ) を天下の人に取( とる ) のみに非( あら ) ず。兼( かね ) ては父祖( ふそ ) の尸( かばね ) を九泉( きうせん ) の苔( こけ ) の下( した ) に羞( はづか ) しむる恨( うらみ ) あり。然れば我( われ ) 今( いま ) 国の兵( つはもの ) を召集( めしあつめ ) て、自( みづか ) ら呉国へ打超( うちこえ ) 、呉王夫差を亡( ほろぼ ) して父祖( ふそ ) の恨( うらみ ) を散( さん ) ぜんと思( おもふ ) 也( なり ) 。汝( なんぢ ) は暫く留此国可守社稷。」と宣ひければ、范蠡諌( いさ ) め申( まうし ) けるは、「臣窃( ひそか ) に事の子細( しさい ) を計( はか ) るに、今越の力を以て呉を亡( ほろぼ ) さん事は頗( すこぶる ) 以( もつて ) 可難る。其故( そのゆゑ ) は先( まづ ) 両国の兵( つはもの ) を数( かぞ ) ふるに呉は二十万騎( にじふまんぎ ) 越は纔( わづか ) に十万騎( じふまんぎ ) 也( なり ) 。誠( まこと ) に以小を、大( だい ) に不敵、是( これ ) 呉を難亡其一( そのひとつ ) 也( なり ) 。次には以時計( はか ) るに、春夏( はるなつ ) は陽( やう ) の時にて忠賞( ちゆうしやう ) を行ひ秋冬( あきふゆ ) は陰( いん ) の時にて刑罰を専( もつぱら ) にす。時( とき ) 今( いま ) 春( はる ) の始( はじめ ) 也( なり ) 。是( これ ) 征伐( せいばつ ) を可致時に非( あら ) ず。是( これ ) 呉を難滅其二( そのふたつ ) 也( なり ) 。次に賢人( けんじんの ) 所帰則( すなはち ) 其( その ) 国( くに ) 強( つよし ) 、臣聞( きく ) 呉王夫差の臣下( しんか ) に伍子胥( ごししよ ) と云( いふ ) 者あり。智( ち ) 深( ふかう ) して人をなつけ、慮( おもんばかり ) 遠くして主( しゆ ) を諌( いさ ) む。渠儂( かれ ) 呉国に有( あら ) ん程は呉を亡( ほろぼ ) す事可難。是( これ ) 其三( そのみつ ) 也( なり ) 。麒麟( きりん ) は角( つの ) に肉有( あつ ) て猛( たけ ) き形( かたち ) を不顕、潛竜( せんりよう ) は三冬( さんとう ) に蟄( ちつ ) して一陽来復( いちやうらうふく ) の天を待( まつ ) 。君( きみ ) 呉越( ごゑつ ) を合( あはせ ) られ、中国( ちゆうごく ) に臨( のぞん ) で南面にして孤称( こしよう ) せんとならば、且( しばら ) く伏兵隠武、待時給ふべし。」と申( まうし ) ければ、其( その ) 時越王( ゑつわう ) 大( おほき ) に忿( いかつ ) て宣( のたまひ ) けるは、「礼記( らいき ) に、父の讎( あた ) には共に不戴天いへり、我已( すで ) に及壮年まで呉を不亡、共に戴日月光事人の羞( はづかし ) むる所( ところ ) に非( あらず ) や。是( これ ) を以( もつて ) 兵( つはもの ) を集( あつむ ) る処に、汝三( みつ ) の不可( ふか ) を挙( あげ ) て我を留( とどむ ) る事( こと ) 、其義( そのぎ ) 一も道に不協。先( まづ ) 兵( つはもの ) の多少( たせう ) を数( かぞ ) へて可致戦ば、越は誠( まこと ) に呉に難対。而( しか ) れ共( ども ) 軍( いくさ ) の勝負( しようぶ ) 必( かならず ) しも不依勢多少、只( ただ ) 依時運。又は依将謀。されば呉と越と戦ふ事及度々雌雄互に易( かは ) れり。是( これ ) 汝( なんぢ ) が皆知処( しるところ ) 也( なり ) 。今更( さら ) に何( なん ) ぞ越の小勢( こぜい ) を以て戦呉大敵事不協我を可諌や。汝が武略( ぶりやく ) の不足処の其一( そのひとつ ) 也( なり ) 。次( つぎ ) に以時軍( いくさ ) の勝負を計( はか ) らば天下の人皆時( とき ) を知れり。誰か軍( いくさ ) に不勝。若( もし ) 春夏は陽( やう ) の時にて罰( ばつ ) を不行と云はゞ、殷( いん ) の湯王( たうわう ) の桀( けつ ) を討( うち ) しも春也( なり ) 。周( しう ) の武王の紂( ちう ) を討( うち ) しも春也( なり ) 。されば、「天の時は不如地利に、地( ちの ) 利は〔不〕如人和に」といへり。而( しか ) るに汝今可行征罰時に非( あら ) ずと我を諌( いさ ) むる、是( これ ) 汝が知慮( ちりよ ) の浅き処の二( ふたつ ) 也( なり ) 。次に呉国に伍子胥( ごししよ ) が有( あら ) ん程は、呉を亡( ほろぼ ) す事不可叶と云はゞ、我( われ ) 遂に父祖の敵( てき ) を討( うつ ) て恨( うらみ ) を泉下( せんか ) に報ぜん事有( ある ) べからず。只徒( いたづら ) に伍子胥( ごししよ ) が死せん事を待たば死生( しせい ) 有命又は老少( らうせう ) 前後( ぜんご ) す。伍子胥( ごししよ ) と我と何( いづ ) れをか先( さき ) としる。此理( このり ) を不弁我( われ ) 征罰を可止や。此( これ ) 汝が愚( ぐ ) の三( みつ ) 也( なり ) 。抑( そもそも ) 我( われ ) 多日( たじつ ) に及( およん ) で兵( つはもの ) を召( めす ) 事( こと ) 呉国( ごこく ) へも定( さだめ ) て聞へぬらん。事遅怠( ちたい ) して却( かへつ ) て呉王に被寄なば悔( くゆ ) とも不可有益。「先則( さきんずるときは ) 制人後則( おくるるときは ) 被人制」といへり。事已( すで ) に決( けつ ) せり且( しばらく ) も不可止。」とて、越王( ゑつわう ) 十一年二月上旬に、勾践( こうせん ) 自( みづか ) ら十万余騎( よき ) の兵( つはもの ) を率( そつ ) して呉国へぞ被寄ける。呉王夫差( ふさ ) 是( これ ) を聞( きい ) て、「小敵をば不可欺。」とて、自ら二十万騎( にじふまんぎの ) 勢を率( そつ ) して、呉と越との境( さかひ ) 夫枡県( ふせうけん ) と云( いふ ) 所に馳向( はせむか ) ひ、後( うしろ ) に会稽山( くわいけいざん ) を当( あ ) て、前に大河( たいが ) を隔( へだて ) て陣を取る。態( わざ ) と敵を計( はから ) ん為に三万余騎( よき ) を出( いだ ) して、十七万騎( じふしちまんぎ ) をば陣の後( うしろ ) の山陰( やまかげ ) に深く隠( かく ) してぞ置( おい ) たりける。去程( さるほど ) に越王( ゑつわう ) 夫枡県( ふせうけん ) に打臨( うちのぞん ) で、呉の兵( つはもの ) を見給へば、其( その ) 勢僅( はつか ) に二三万騎( にさんまんぎ ) には過( すぎ ) じと覚へて所々( しよしよ ) に磬( ひか ) へたり。越王( ゑつわう ) 是( これ ) を見て、思( おもふ ) に不似小勢なりけりと蔑( あなどつ ) て、十万騎( じふまんぎ ) の兵同時( どうじ ) に馬を河水( かすゐ ) に打入( うちいれ ) させ、馬筏( むまいかだ ) を組( くん ) で打渡( うちわた ) す。比( ころ ) は二月上旬の事なれば、余寒( よかん ) 猶( なほ ) 烈( はげし ) くして、河水( かすゐ ) 氷( こほり ) に連( つらな ) れり。兵( つはもの ) 手( て ) 凍( こごつ ) て弓を控( ひく ) に不叶。馬は雪に泥( なづん ) で懸引( かけひき ) も不自在。され共( ども ) 越王( ゑつわう ) 責鼓( せめつづみ ) を打( うつ ) て進まれける間、越の兵我先( われさき ) にと双轡懸入( かけい ) る。呉国の兵は兼( かね ) てより敵( てき ) を難所( なんじよ ) にをびき入( いれ ) て、取篭( とりこめ ) て討( うた ) んと議( ぎ ) したる事なれば、態( わざ ) と一軍( ひといくさ ) もせで夫椒県( ふせうけん ) の陣を引退( ひきしりぞい ) て会稽山( くわいけいざん ) へ引篭( ひきこも ) る。越の兵勝( かつ ) に乗( のつ ) て北( にぐ ) るを追( おふ ) 事( こと ) 三十( さんじふ ) 余里( より ) 、四隊( したい ) の陣( ぢん ) を一陣に合( あは ) せて、左右( さいう ) を不顧、馬の息も切るゝ程、思々( おもひおもひ ) にぞ追( おう ) たりける。日已( すで ) に暮( くれ ) なんとする時に、呉( の ) 兵二十万騎( にじふまんぎ ) 思ふ図( づ ) に敵を難所( なんじよ ) へをびき入( いれ ) て、四方( しはう ) の山より打出( うちいで ) て、越王( ゑつわう ) 勾践( こうせん ) を中( なか ) に取篭( とりこめ ) 、一人も不漏と責( せめ ) 戦ふ。越の兵は今朝( こんてう ) の軍( いくさ ) に遠懸( とほがけ ) をして人馬( じんば ) 共に疲れたる上( うへ ) 無勢( ぶせい ) なりければ、呉の大勢( おほぜい ) に被囲、一所( いつしよ ) に打寄( うちより ) て磬( ひか ) へたり。進( すすん ) で前( さき ) なる敵( てき ) に蒐( かか ) らんとすれば、敵は嶮岨( けんそ ) に支( ささ ) へて、鏃( やじり ) を調( そろ ) へて待懸( まちかけ ) たり。引返( ひつかへし ) て後( うしろ ) なる敵を払はんとすれば、敵は大勢にて越( ゑつの ) 兵( つはもの ) 疲( つか ) れたり。進退( しんだい ) 此( ここ ) に谷( きはまつ ) て敗亡( はいばう ) 已( すで ) に極( きはま ) れり。され共( ども ) 越王( ゑつわう ) 勾践( こうせん ) は破堅摧利事( こと ) 、項王( かうわう ) が勢( いきほひ ) を呑( のみ ) 、樊■勇( はんくわいがゆう ) にも過( すぎ ) たりければ、大勢の中へ懸入( かけいり ) 、十文字( じふもんじ ) に懸破( かけやぶり ) 、巴( は ) の字に追廻( おひめぐ ) らす。一所( いつしよ ) に合( あう ) て三処に別れ、四方( しはう ) を払( はらう ) て八面( はちめん ) に当( あた ) る。頃刻( きやうこく ) に変化して雖百度戦、越王( ゑつわう ) 遂に打負( うちまけ ) て、七万余騎( よき ) 討( うた ) れにけり。勾践( こうせん ) こらへ兼( かね ) て会稽山( くわいけいざん ) に打上( うちあが ) り、越の兵を数( かぞふ ) るに打残されたる兵僅( わづか ) に三万余騎( よき ) 也( なり ) 。其( それ ) も半( なか ) ば手を負( おう ) て悉( ことごとく ) 箭( や ) 尽( つき ) て鋒( ほこさき ) 折( をれ ) たり。勝負( しようぶ ) を呉越に伺( うかがう ) て、未だ何方( いづかた ) へも不着つる隣国( りんごく ) の諸侯( しよこう ) 、多く呉王の方に馳加( はせくは ) はりければ、呉の兵弥( いよいよ ) 重( かさなつ ) て三十万騎( さんじふまんぎ ) 、会稽山( くわいけいざん ) の四面( しめん ) を囲( かこむ ) 事( こと ) 如稲麻竹葦也( なり ) 。越王( ゑつわう ) 帷幕( ゐばく ) の内に入り、兵を集めて宣( のたま ) ひけるは、「我( われ ) 運命已( すで ) に尽( つき ) て今此囲( このかこみ ) に逢へり。是( これ ) 全く非戦咎、天亡我。然れば我( われ ) 明日( みやうにち ) 士( し ) と共に敵の囲( かこみ ) を出( いで ) て呉王の陣に懸入( かけい ) り、尸( かばね ) を軍門に曝( さら ) し、恨( うらみ ) を再生( さいしやう ) に可報。」とて越の重器( ちようき ) を積( つん ) で、悉( ことごとく ) 焼捨( やきすて ) んとし給ふ。又王■与( わうせきよ ) とて、今年( こんねん ) 八歳( はつさい ) に成( なり ) 給ふ最愛( さいあい ) の太子( たいし ) 、越王( ゑつわう ) に随( したがつ ) て、同( おなじ ) く此( この ) 陣に座( おはし ) けるを呼出( よびいだ ) し奉( たてまつつ ) て、「汝未( いまだ ) 幼稚なれば、吾( わが ) 死( し ) に殿( おく ) れて、敵に捕( とら ) れ、憂目( うきめ ) を見ん事も可心憂。若( もし ) 又我( われ ) 為敵虜( とらは ) れて、我( われ ) 汝( なんぢ ) より先立( さきたた ) ば、生前( しやうぜん ) の思( おもひ ) 難忍。不如汝を先立( さきたて ) て心安く思切( おもひき ) り、明日の軍( いくさ ) に討死( うちじに ) して、九泉( きうせん ) の苔( こけ ) の下( した ) 、三途( さんづ ) の露の底迄( そこまで ) も、父子( ふし ) の恩愛( おんあい ) を不捨と思ふ也( なり ) 。」とて、左の袖に拭涙、右の手に提剣太子の自害を勧( すす ) め給ふ時に、越王( ゑつわう ) の左将軍( さしやうぐん ) に、大夫( たいふ ) 種( しよう ) と云( いふ ) 臣あり。越王( ゑつわう ) の御前( おんまへ ) に進出( すすみいで ) て申( まうし ) けるは、「生( しやう ) を全( まつた ) くして命( いのち ) を待( まつ ) 事( こと ) は遠くして難( かた ) く、死を軽( かろ ) くして節( せつ ) に随ふ事は近くして安( やす ) し。君暫く越の重器を焼捨( やきすて ) 、太子を殺す事を止( や ) め給へ。臣雖不敏、欺呉王君王( くんわう ) の死を救( すく ) ひ、本国( ほんごく ) に帰( かへつ ) て再び大軍を起( おこ ) し、此( この ) 恥を濯( すすが ) んと思ふ。今此( この ) 山を囲( かこ ) んで一陣を張( はら ) しむる呉の上( じよう ) 将軍太宰( たいさい ) ■( ひ ) は臣が古( いにしへ ) の朋友也( なり ) 。久( ひさし ) く相馴( あひなれ ) て彼( かれ ) が心を察せしに、是( これ ) 誠( まこと ) に血気の勇者なりと云へ共( ども ) 、飽( あく ) まで其( その ) 心に欲有( あつ ) て、後( のち ) の禍( わざはひ ) を不顧。又彼( かの ) 呉王夫差の行迹( かうせき ) を語るを聞( きき ) しかば、智浅( あさう ) して謀( はかりごと ) 短く、色に婬( いん ) して道に暗し。君臣( くんしん ) 共に何( いづ ) れも欺くに安( やす ) き所( ところ ) 也( なり ) 。抑( そもそも ) 今越の戦無利、為呉被囲ぬる事も、君范蠡( はんれい ) が諌めを用ひ不給故( ゆゑ ) に非( あら ) ずや。願( ねがはく ) は君王( くんわう ) 臣が尺寸( せきすん ) の謀( はかりごと ) を被許、敗軍( はいぐん ) 数万( すまん ) の死を救ひ給へ。」と諌申( いさめまうし ) ければ、越王( ゑつわう ) 理( り ) に折( をれ ) て、「「敗軍の将( しやう ) は再び不謀」と云へり。自今後( のち ) の事は然( しかしながら ) 大夫( たいふ ) 種( しよう ) に可任。」と宣( のたまひ ) て、重器を被焼事を止( やめ ) 、太子の自害( じがい ) をも被止けり。大夫( たいふ ) 種( しよう ) 則( すなはち ) 君の命( めい ) を請( うけ ) て、冑( かぶと ) を脱( ぬ ) ぎ旗を巻( まい ) て、会稽山( くわいけいざん ) より馳下( はせくだ ) り、「越王( ゑつわう ) 勢( いきほ ) ひ尽( つき ) て、呉の軍門( ぐんもん ) に降( くだ ) る。」と呼( よばは ) りければ、呉の兵三十万騎( さんじふまんぎ ) 、勝時( かちどき ) を作( つくつ ) て皆万歳( ばんぜい ) を唱( とな ) ふ。大夫( たいふ ) 種( しよう ) は則( すなはち ) 呉の轅門( ゑんもん ) に入( いつ ) て、「君王の倍臣( ばいしん ) 、越( ゑつの ) 勾践( こうせん ) の従者( じゆうしや ) 、小臣種( しよう ) 慎( つつしん ) で呉の上( じやう ) 将軍の下執事( かしつじ ) に属( しよく ) す。」と云( いつ ) て、膝行頓首( しつかうとんしゆ ) して、太宰( たいさい ) ■( ひ ) が前( まへ ) に平伏( へいふく ) す。太宰( たいさい ) ■( ひ ) ( ) 床( ゆか ) の上に坐( ざ ) し、帷幕( ゐばく ) を揚( あげ ) させて大夫( たいふ ) 種( しよう ) に謁す。大夫( たいふ ) 種( しよう ) 敢( あへ ) て平視せず。低面流涙申( まうし ) けるは、「寡君( くわくん ) 勾践( こうせん ) 運極( きは ) まり、勢( いきほひ ) 尽( つき ) て呉の兵に囲( かこま ) れぬ。仍( よつて ) 今( いま ) 小臣種( しよう ) をして、越王( ゑつわう ) 長く呉王の臣と成( なり ) 、一畝( いつぽ ) の民と成( なら ) ん事を請( こは ) しむ。願( ねがはく ) は先日( せんじつ ) の罪を被赦今日( こんにち ) の死を助け給へ。将軍若( もし ) 勾践( こうせん ) の死を救ひ給はゞ、越の国を献呉王成湯沐地、其( その ) 重器を将軍に奉り、美人西施( せいし ) を洒掃( せいさう ) の妾( せふ ) たらしめ、一日( いちにち ) の歓娯( くわんご ) に可備。若( もし ) 夫( それ ) 請( こふ ) 、所望不叶遂に勾践( こうせん ) を罪( つみ ) せんとならば、越の重器を焼棄( やきすてて ) 、士卒( しそつ ) の心を一( ひとつ ) にして、呉王の堅陣( けんぢん ) に懸入( かけいり ) 、軍門に尸( かばね ) を可止。臣平生( へいぜい ) 将軍と交( まじはり ) を結ぶ事膠漆( かうしつ ) よりも堅し。生前( しやうぜん ) の芳恩( はうおん ) 只此( この ) 事( こと ) にあり。将軍早く此( この ) 事( こと ) を呉王に奏( そう ) して、臣が胸中( きようちゆう ) の安否( あんぴ ) を存命( ぞんめい ) の裏( うち ) に知( しら ) しめ給へ。」と一度( ひとたび ) は忿( いか ) り一度( ひとたび ) は歎き、言( ことば ) を尽( つく ) して申( まうし ) ければ、太宰( たいさい ) ■( ひ ) ( ) 顔色( がんしよく ) 誠( まこと ) に解( とけ ) て、「事以( もつて ) 不難、我必( かならず ) 越王( ゑつわう ) の罪をば可申宥。」とて軈( やが ) て呉王の陣へぞ参りける。太宰( たいさい ) ■( ひ ) ( ) 即( すなはち ) 呉王の玉座( ぎよくざ ) に近付( ちかづ ) き、事の子細( しさい ) を奏( そう ) しければ、呉王大( おほき ) に忿( いかつ ) て、「抑( そもそも ) 呉と越と国を争ひ、兵を挙( あぐ ) る事今日( こんにち ) のみに非( あら ) ず。然るに勾践( こうせん ) 運窮( きはまつ ) て呉の擒( とりこ ) となれり。是( これ ) 天の予( われ ) に与へたるに非( あらず ) や。汝( なんぢ ) 是( これ ) を乍知勾践( こうせん ) が命( いのち ) を助けんと請ふ。敢( あへ ) て非忠烈之臣。」宣( のたま ) ひければ、太宰( たいさい ) ■( ひ ) ( ) 重( かさね ) て申( まうし ) けるは、「臣雖不肖、苛( いやしく ) も将軍の号( がう ) を被許、越の兵と戦( たたかひ ) を致す日、廻謀大敵を破り、軽命勝( かつ ) 事( こと ) を快( こころよ ) くせり。是( これ ) 偏( ひとへ ) に臣が丹心( たんしん ) の功と云( いひ ) つべし。為君王の、天下の太平を謀( はか ) らんに、豈( あに ) 一日も尽忠不傾心や。倩( つらつら ) 計事是非、越王( ゑつわう ) 戦に負( まけ ) て勢( いきほひ ) 尽( つき ) ぬといへ共( ども ) 、残処( のこるところ ) の兵( つはもの ) 猶( なほ ) 三万余騎( よき ) 、皆逞兵鉄騎( ていへいてつき ) の勇士也( なり ) 。呉の兵雖多昨日の軍( いくさ ) に功有( あつ ) て、自今後( のち ) は身を全( まつたう ) して賞を貪( むさぼら ) ん事を思ふべし。越の兵は小勢( こぜい ) なりといへ共( ども ) 志( こころざし ) を一( ひとつ ) にして、而( しか ) も遁( のが ) れぬ所を知れり。「窮鼠( きゆうそ ) 却( かへつて ) 噛猫、闘雀( とうじやく ) 不恐人」といへり。呉越重( かさね ) て戦( たたか ) はゞ、呉は必( かならず ) 危( あやふき ) に可近る。不如先( まづ ) 越王( ゑつわう ) の命を助け、一畝( いつぽ ) の地( ち ) を与( あたへ ) て呉の下臣( かしん ) と成さんには。然( しか ) らば君王呉越( ごゑつ ) 両国( りやうこく ) を合( あは ) するのみに非( あら ) ず。斉( せい ) ・楚( そ ) ・秦( しん ) ・趙( てう ) も悉く不朝云( いふ ) 事( こと ) 有( ある ) べからず。是( これ ) 根を深くし蔕( ほぞ ) を固( かたう ) する道也( なり ) 。」と、理を尽( つくし ) て申( まうし ) ければ、呉王即( すなはち ) 欲( よく ) に耽( ふけ ) る心を逞( たくましう ) して、「さらば早( はや ) 会稽山( くわいけいざん ) の囲( かこみ ) を解( とい ) て勾践( こうせん ) を可助。」宣ひける。太宰( たいさい ) ■( ひ ) ( ) 帰( かへつ ) て大夫( たいふ ) 種( しゆう ) に此由( このよし ) を語( かた ) りければ、大夫( たいふ ) 種( しよう ) 大( おほき ) に悦( よろこう ) で、会稽山( くわいけいざん ) に馳( はせ ) 帰り、越王( ゑつわう ) に此旨( このむね ) を申せば、士卒皆( みな ) 色( いろ ) を直( なほ ) して、「出万死逢一生( いつしやう ) 、偏( ひとへ ) に大夫( たいふ ) 種( しよう ) が智謀( ちぼう ) に懸( かか ) れり。」と、喜ばぬ人も無( なか ) りけり。越王( ゑつわう ) 已( すで ) に降旗( かうき ) を被建ければ、会稽( くわいけい ) の囲( かこみ ) を解( とい ) て、呉の兵( つはもの ) は呉に帰り、越の兵は越に帰る。勾践( こうせん ) 即( すなはち ) 太子王■与( わうせきよ ) をば、大夫( たいふ ) 種( しよう ) に付( つけ ) て本国へ帰し遣( つかは ) し、我( わが ) 身は白馬素車( はくばそしや ) に乗( のつ ) て越の璽綬( じじう ) を頚に懸( かけ ) 、自( みづか ) ら呉の下臣( かしん ) と称して呉の軍門に降( くだ ) り給ふ。斯( かか ) りけれ共( ども ) 、呉王猶( なほ ) 心ゆるしや無( なか ) りけん、「君子( くんし ) は不近刑人」とて、勾践( こうせん ) に面( おもて ) を不見給、剰( あまつさへ ) 勾践( こうせん ) を典獄( てんごく ) の官( くわん ) に被下、日に行事一駅( えき ) 駆( く ) して、呉の姑蘇城( こそじやう ) へ入( いり ) 給ふ。其( その ) 有様を見る人、涙の懸( かか ) らぬ袖はなし。経日姑蘇城に着( つき ) 給へば、即( すなはち ) 手械( てかせ ) 足械( あしかせ ) を入( いれ ) て、土( つち ) の楼( ろう ) にぞ入( いれ ) 奉りける。夜( よ ) 明( あけ ) 日( ひ ) 暮( くる ) れ共( ども ) 、月日( つきひ ) の光をも見給はねば、一生( いつしやう ) 溟暗( めいあん ) の中( うち ) に向( むかつ ) て、歳月( としつき ) の遷易( うつりかはる ) をも知( しり ) 給はねば、泪( なみだ ) の浮ぶ床( とこ ) の上( うへ ) 、さこそは露も深かりけめ。去( さる ) 程に范蠡( はんれい ) 越の国に在( あつ ) て此( この ) 事( こと ) を聞( きく ) に、恨( うらみ ) 骨髄( こつずゐ ) に徹( とほつ ) て難忍。哀( あはれ ) 何( いか ) なる事をもして越王( ゑつわう ) の命を助け、本国に帰り給へかし。諸共( もろとも ) に謀( はかりごと ) を廻( めぐ ) らして、会稽山( くわいけいざん ) の恥を雪( きよ ) めんと、肺肝( はいかん ) を砕( くだい ) て思( おもひ ) ければ、疲身替形、簀( あじか ) に魚( うを ) を入( いれ ) て自ら是( これ ) を荷( にな ) ひ、魚( うを ) を売( うる ) 商人( あきんど ) の真似( まね ) をして、呉国へぞ行( ゆき ) たりける。姑蘇城の辺( ほとり ) にやすらひて、勾践( こうせん ) のをはする処を問( とひ ) ければ、或人( あるひと ) 委( くはし ) く教へ知( しら ) せけり。范蠡嬉しく思( おもひ ) て、彼獄( かのごく ) の辺( ほとり ) に行( ゆき ) たりけれ共( ども ) 、禁門( きんもん ) 警固( けいご ) 隙( ひま ) 無( なか ) りければ、一行( いちがう ) の書( しよ ) を魚( うを ) の腹の中に収( をさめ ) て、獄( ごく ) の中へぞ擲入( なげいれ ) ける。勾践( こうせん ) 奇( あやし ) く覚( おぼ ) して、魚の腹を開( ひらい ) て見給へば、西伯囚■里。重耳走■。皆以為王覇。莫死許敵。とぞ書( かき ) たりける。筆の勢( いきほひ ) 文章の体( てい ) 、まがふべくもなき范蠡( はんれい ) が業( しわ ) ざ也( なり ) 。と見給ひければ、彼( か ) れ未だ憂世( うきよ ) に存( ながら ) へて、為我肺肝( はいかん ) を尽( つく ) しけりと、其( その ) 志の程哀( あはれ ) にも又憑( たの ) もしくも覚へけるにこそ、一日片時( へんし ) も生( い ) けるを憂( う ) しとかこたれし我( わが ) 身ながらの命( いのち ) も、却( かへつ ) て惜( をし ) くは思はれけれ。斯( かか ) りける処に、呉王夫差( ふさ ) 俄に石淋( せきりん ) と云( いふ ) 病( やまひ ) を受( うけ ) て、身心( しんしん ) 鎮( とこしなへ ) に悩乱( なうらん ) し、巫覡( ぶげき ) 祈れ共( ども ) 無験、医師( いし ) 治( ぢ ) すれ共( ども ) 不痊、露命( ろめい ) 已( すで ) に危( あやふ ) く見( み ) へ給( たまひ ) ける処に、侘国( たこく ) より名医( めいい ) 来( きたつ ) て申( まうし ) けるは、「御病( おんやまひ ) 実( まこと ) に雖重医師の術( じゆつ ) 及( およぶ ) まじきに非( あら ) ず。石淋( せきりん ) の味( あぢはひ ) を甞( なめ ) て、五味( ごみ ) の様( やう ) を知( しら ) する人あらば、輒( たやす ) く可奉療治。」とぞ申( まうし ) ける。「さらば誰か此( この ) 石淋を甞( なめ ) て其味( そのあぢはひ ) をしらすべき」と問( とふ ) に、左右( さいう ) の近臣( きんしん ) 相顧( あひかへりみ ) て、是( これ ) を甞( なむ ) る人更( さら ) になし。勾践( こうせん ) 是( これ ) を伝聞( つたへきい ) て泪( なみだ ) を押へて宣( のたまは ) く、「我( われ ) 会稽( くわいけい ) の囲( かこみ ) に逢( あひ ) し時已( すで ) に被罰べかりしを、今に命( いのち ) 助置( たすけおか ) れて天下の赦( ゆるし ) を待( まつ ) 事( こと ) 、偏( ひとへ ) に君王( くんわう ) 慈慧( じけい ) の厚恩( こうおん ) 也( なり ) 。我( われ ) 今是( これ ) を以て不報其恩何( いつ ) の日をか期( ご ) せん。」とて潛( ひそか ) に石淋を取( とり ) て是( これ ) を甞( なめ ) て其味( そのあぢはひ ) を医師に被知。医師味( あぢはひ ) を聞( きい ) て加療治、呉王の病( やまひ ) 忽( たちまち ) に平癒( へいゆつ ) してげり。呉王大( おほき ) に悦( よろこう ) で、「人有心助我死、我( われ ) 何( なん ) ぞ是( これ ) を謝( しや ) する心無( なか ) らんや。」とて、越王( ゑつわう ) を自楼出( いだ ) し奉るのみに非( あら ) ず。剰( あまつさへ ) 越の国を返し与へて、「本国へ返( かへ ) り去( さる ) べし。」とぞ被宣下ける。爰( ここ ) に呉王の臣伍子胥( ごししよ ) と申( まうす ) 者、呉王を諌( いさめ ) て申( まうし ) けるは、「「天( てんの ) 与( あたふるを ) 不取却( かへつ ) て得其咎」云へり。此( この ) 時越の地を不取勾践( こうせん ) を返し被遣事( こと ) 、千里( せんり ) の野辺( のべ ) に虎を放つが如し。禍( わざはひ ) 可在近。」申( まうし ) けれ共( ども ) 呉王是( これ ) を不聞給、遂に勾践( こうせん ) を本国へぞ被返ける。越王( ゑつわう ) 已( すで ) に車( くるま ) の轅( ながえ ) を廻( めぐら ) して、越の国へ帰り給ふ処に、蛙( かはづ ) 其( その ) 数を不知車( くるまの ) 前( さき ) に飛来( とびきたる ) 。勾践( こうせん ) 是( これ ) を見給( たまひ ) て、是( これ ) は勇士を得て素懐( そくわい ) を可達瑞相( ずゐさう ) 也( なり ) 。とて、車より下( おり ) て是( これ ) を拝( はい ) し給ふ。角( かく ) て越の国へ帰( かへつ ) て住来( すみこし ) 故宮( こきゆう ) を見給へば、いつしか三年( みとせ ) に荒( あれ ) はて、梟( ふくろふ ) 鳴松桂枝狐( きつね ) 蔵蘭菊叢、無払人閑庭( かんてい ) に落葉( らくえふ ) 満( みち ) て簫々( せうせう ) たり。越王( ゑつわう ) 免死帰給( かへりたまひ ) ぬと聞へしかば、范蠡( はんれい ) 王子( わうじ ) 王■与( わうせきよ ) を宮中( きゆうちゆう ) へ入( いれ ) 奉りぬ。越王( ゑつわう ) の后( きさき ) に西施( せいし ) と云( いふ ) 美人座( おはし ) けり。容色( ようしよく ) 勝世嬋娟( せんげん ) 無類しかば、越王( ゑつわう ) 殊に寵愛( ちようあい ) 甚しくして暫くも側( そば ) を放れ給はざりき。越王( ゑつわう ) 捕呉給ひし程は為遁其難側身隠居し給( たまひ ) たりしが、越王( ゑつわう ) 帰( かへり ) 給ふ由を聞( きき ) 給ひて則( すなはち ) 後宮( こうきゆう ) に帰り参り玉( たま ) ふ。年の三年( みとせ ) を待( まち ) わびて堪( たへ ) ぬ思( おもひ ) に沈玉( しづみたまひ ) ける歎( なげき ) の程も呈( あらは ) れて、鬢( びん ) 疎( おろそ ) かに膚( はだへ ) 消( きえ ) たる御形( おんかたち ) 最( いと ) わりなくらうたけて、梨花( りくわ ) 一枝( いつし ) 春( はるの ) 雨( あめ ) に綻( ほころ ) び、喩( たと ) へん方も無( なか ) りけり。公卿( こうけい ) ・大夫( たいふ ) ・文武百司( ぶんぶはくし ) 、此彼( ここかしこ ) より馳( はせ ) 集りける間( あひだ ) 、軽軒( けいけん ) 馳紫陌塵冠珮( ぐわんぱい ) 鎗丹■月、堂上( だうじやう ) 堂下( だうか ) 如再開花。斯( かか ) りける処に自呉国使者( ししや ) 来れり。越王( ゑつわう ) 驚( おどろい ) て以范蠡事の子細( しさい ) を問( とひ ) 給ふに、使者答曰( こたへていはく ) 、「我君( わがきみ ) 呉王大王( だいわう ) 好婬重色尋美人玉( たま ) ふ事天下に普( あまね ) し。而( しか ) れ共( ども ) 未だ如西施不見顔色。越王( ゑつわう ) 出会稽山( くわいけいざん ) 囲時有一言約。早く彼( かの ) 西施を呉の後宮( こうきゆう ) へ奉傅入、備后妃位。」使( つかひ ) 也( なり ) 。越王( ゑつわう ) 聞之玉( たまひ ) て、「我( われ ) 呉王夫差が陣に降( くだつ ) て、忘恥甞石淋助命事( こと ) 、全( まつたく ) 保国身を栄( さか ) やかさんとには非( あら ) ず、只西施( せいし ) に為結偕老契なりき。生前( しやうぜん ) に一度( ひとたび ) 別( わかれ ) て死して後( のち ) 期再会、保万乗国何( なに ) かせん。されば縦( たと ) ひ呉越の会盟( くわいめい ) 破れて二度( ふたたび ) 我( われ ) 為呉成擒共( とも ) 、西施を送他国事は不可有。」とぞ宣ひける。范蠡( はんれい ) 流涙申( まうし ) けるは、「誠( まこと ) に君展転( てんてん ) の思( おもひ ) を計( はか ) るに、臣非不悲云へ共( ども ) 、若( もし ) 今西施を惜( をしみ ) 給はゞ、呉越の軍( いくさ ) 再び破( やぶれ ) て呉王又可発兵。去程( さるほど ) ならば、越( ゑつの ) 国( くに ) を呉に被合のみに非( あら ) ず、西施をも可奪、社稷( しやしよく ) をも可被傾。臣倩( つらつら ) 計( はか ) るに、呉王好婬迷色事甚し。西施呉の後宮( こうきゆう ) に入( いり ) 給ふ程ならば、呉王是( これ ) に迷( まよひ ) て失政事非所疑。国( くに ) 費( つひ ) へ民背( そむか ) ん時に及( およん ) で、起兵被攻呉勝( かつ ) 事( こと ) を立処( たちどころ ) に可得つ。是( これ ) 子孫万歳( しそんばんぜい ) に及( およん ) で、夫人( ふじん ) 連理( れんり ) の御契( おんちぎり ) 可久道となるべし。」と、一度( ひとたび ) は泣( なき ) 一度( ひとたび ) は諌( いさめ ) て尽理申( まうし ) ければ、越王( ゑつわう ) 折理西施を呉国へぞ被送ける。西施は小鹿( をじか ) の角( つの ) のつかの間( ま ) も、別れて可有物かはと、思ふ中をさけられて、未だ幼( いとけ ) なき太子王■与( わうせきよ ) をも不云知思置( おもひおき ) 、ならはぬ旅に出( いで ) 玉へば、別( わかれ ) を慕( したふ ) 泪( なみだ ) さへ暫( しば ) しが程も止( とどま ) らで、袂( たもと ) の乾( かわ ) く隙( ひま ) もなし。越王( ゑつわう ) は又是( これ ) や限( かぎり ) の別( わかれ ) なる覧( らん ) と堪( たへ ) ぬ思( おもひ ) に臥沈( ふししづみ ) て、其方( そなた ) の空を遥々( はるばる ) と詠( なが ) めやり玉へば、遅々( ちち ) たる暮山( ぼざん ) の雲いとゞ泪( なみだ ) の雨となり、虚( むな ) しき床( ゆか ) に独( ひとり ) ねて、夢にも責( せめ ) て逢見( あひみ ) ばやと欹枕臥( ふし ) 玉へば、無添甲斐化に、無為方歎玉( なげきたま ) ふもげに理( ことわ ) りなり。彼( かの ) 西施( せいし ) と申( まうす ) は天下第一( だいいち ) の美人也( なり ) 。妝( よそほひ ) 成( なつ ) て一度( ひとたび ) 笑( ゑめ ) ば百( もも ) の媚( こび ) 君( きみ ) が眼( まなこ ) を迷( まよは ) して、漸( やうやく ) 池上( ちじやう ) に無花歟( か ) と疑ふ。艷( えん ) 閉( とぢ ) て僅( わづか ) に見れば千態( ちぢのすがた ) 人の心を蕩( とらか ) して忽( たちまち ) に雲間( くもま ) に失月歟( か ) と奇( あや ) しまる。されば一度( ひとたび ) 入宮中君王( くんわう ) の傍( かたはら ) に侍( はんべり ) しより、呉王の御心( おんこころ ) 浮( うか ) れて、夜( よる ) は終夜( よもすが ) ら婬楽( いんらく ) をのみ嗜( たしなん ) で、世の政( まつりごと ) をも不聞、昼( ひる ) は尽日( ひねもすに ) 遊宴( いうえん ) をのみ事として、国の危( あやふき ) をも不顧。金殿( きんでん ) 挿雲、四辺( しへん ) 三百里が間( あひだ ) 、山河( さんか ) を枕の下に直下( みおろし ) ても、西施の宴( えん ) せし夢の中( うち ) に興( きよう ) を催さん為なりき。輦路( れんろ ) に無花春( はるの ) 日は、麝臍( じやせい ) を埋( うづみ ) て履( くつ ) を熏( にほは ) し、行宮( あんきゆう ) に無月夏の夜( よ ) は、蛍火( けいくわ ) を集( あつめ ) て燭( とぼしび ) に易( か ) ふ。婬乱重日更( さらに ) 無止時しかば、上( かみ ) 荒( すさみ ) 下( しも ) 廃( すた ) るれ共( ども ) 、佞臣( ねいしん ) は阿( おもねつ ) て諌( いさめ ) せず。呉王( ごわう ) 万事酔( ゑひて ) 如忘。伍子胥( ごししよ ) 見之呉王を諌( いさめ ) て申( まうし ) けるは、「君不見殷( いんの ) 紂王( ちうわう ) 妲妃( だつき ) に迷( まよひ ) て世を乱り、周( しう ) の幽王( いうわう ) 褒■( はうじ ) を愛して国を傾( かたぶけし ) 事( こと ) を。君今西施( せいし ) を婬( いん ) し給へる事過之。国の傾敗( けいはい ) 非遠に。願( ねがはく ) は君止之給へ。」と侵言顔諌申( いさめまうし ) けれ共( ども ) 、呉王敢( あへ ) て不聞給。或時( あるとき ) 又呉王西施に為宴、召群臣南殿( なんでん ) の花( はな ) に酔( ゑひ ) を勧( すす ) め給( たまひ ) ける処に、伍子胥( ごししよ ) 威儀を正( ただ ) しくして参( まゐり ) たりけるが、さしも敷玉鏤金瑶階( えうかい ) を登るとて、其裾( そのもすそ ) を高くかゝげたる事恰( あたかも ) 如渉水時。其怪( そのあやし ) き故を問( とふ ) に、伍子胥( ごししよ ) 答申( こたへてまうし ) けるは、「此( この ) 姑蘇台( こそだい ) 越王( ゑつわう ) の為に被亡、草深く露滋( しげ ) き地とならん事非遠。臣若( もし ) 其( それ ) 迄命( いのち ) あらば、住( すみ ) こし昔の迹( あと ) とて尋見( たづねみ ) ん時、さこそは袖より余( あま ) る荊棘( けいぎよく ) の露も、■々( じやうじやう ) として深からんずらめと、行末( ゆくすゑ ) の秋を思ふ故( ゆゑ ) に身を習はして裙( もすそ ) をば揚( あぐ ) る也( なり ) 。」とぞ申( まうし ) ける。忠臣諌( いさめ ) を納( いる ) れ共( ども ) 、呉王曾( かつ ) て不用給しかば、余( あまり ) に諌( いさめ ) かねて、よしや身を殺して危( あやふ ) きを助けんとや思( おもひ ) けん、伍子胥( ごししよ ) 又或時( あるとき ) 、只今新( あらた ) に砥( と ) より出( いで ) たる青蛇( せいじや ) の剣( けん ) を持( もち ) て参りたり。抜( ぬい ) て呉王の御前( おんまへ ) に拉( とりひしい ) で申( まうし ) けるは、「臣此剣( このけん ) を磨( とぐ ) 事( こと ) 、退邪払敵為( ため ) 也( なり ) 。倩( つらつら ) 国の傾( かたぶか ) んとする其基( そのもとゐ ) を尋( たづ ) ぬれば、皆西施より出( いで ) たり。是( これ ) に過( すぎ ) たる敵( てき ) 不可有。願( ねがはく ) は刎西施首、社稷( しやしよく ) の危( あやふき ) を助けん。」と云( いひ ) て、牙( きば ) を噛( かみ ) て立( たつ ) たりければ、忠言( ちゆうげん ) 逆耳時( とき ) 君不犯非云( いふ ) 事( こと ) なければ、呉王大( おほき ) に忿( いかつ ) て伍子胥( ごししよ ) を誅( ちゆう ) せんとす。伍子胥( ごししよ ) 敢( あへ ) て是( これ ) を不悲。「争( あらそ ) い諌( いさ ) めて死節是( これ ) 臣下( しんか ) の則( のり ) 也( なり ) 。我( われ ) 正( まさ ) に越の兵( つはもの ) の手に死なんよりは、寧( むしろ ) 君王( くんわう ) の手に死( しなん ) 事( こと ) 恨( うらみ ) の中の悦( よろこび ) 也( なり ) 。但( ただ ) し君王臣が忠諌( ちゆうかん ) を忿( いかつ ) て吾( われ ) に賜死事( こと ) 、是( これ ) 天已( すで ) に棄君也( なり ) 。君越王( ゑつわう ) の為に滅( ほろぼさ ) れて、刑戮( けいりく ) の罪に伏( ふくせ ) ん事( こと ) 、三年( みとせ ) を不可過。願( ねがはく ) は臣が穿両眼呉の東門( とうもん ) に掛( かけ ) られて、其後( そののち ) 首( くび ) を刎( はね ) 給へ。一双( いつさう ) の眼( まなこ ) 未枯前( いまだかれざるさき ) に、君勾践( こうせん ) に被亡て死刑に赴( おもむ ) き給はんを見て、一笑( いつせう ) を快( こころよ ) くせん。」と申( まうし ) ければ、呉王弥( いよいよ ) 忿( いかつ ) て即( すなはち ) 伍子胥( ごししよ ) を被誅、穿其両眼呉の東門( とうもんの ) 幢( はたほこの ) 上( うへ ) にぞ被掛ける。斯( かか ) りし後( のち ) は君悪( あく ) を積( つめ ) ども臣敢( あへ ) て不献諌、只群臣( ぐんしん ) 口( くち ) を噤( つぐ ) み万人( ばんにん ) 目を以( もつ ) てす。范蠡( はんれい ) 聞之、「時已( すで ) に到りぬ。」と悦( よろこう ) で、自( みづから ) 二十万騎( にじふまんぎ ) の兵を率( そつ ) して、呉国へぞ押寄( おしよせ ) ける。呉王夫差( ふさ ) は折節( をりふし ) 晋国( しんのくに ) 呉を叛( そむく ) と聞( きい ) て、晋国へ被向たる隙( ひま ) なりければ、防ぐ兵( つはもの ) 一人( いちにん ) もなし。范蠡( はんれい ) 先( まづ ) 西施を取返( とりかへ ) して越王( ゑつわう ) の宮( きゆう ) へ帰( かへ ) し入( いれ ) 奉り、姑蘇台( こそだい ) を焼掃( やきはら ) ふ。斉( せい ) ・楚( そ ) の両国( りやうごく ) も越王( ゑつわう ) に志( こころざし ) を通( つう ) ぜしかば、三十万騎( さんじふまんぎ ) を出( いだ ) して范蠡( はんれい ) に戮力。呉王聞之先( まづ ) 晋国の戦( たたかひ ) を閣( さしおい ) て、呉国へ引返( ひつかへ ) し、越に戦( たたかひ ) を挑( いどまん ) とすれば、前( まへ ) には呉( ご ) ・越( ゑつ ) ・斉( せい ) ・楚( そ ) の兵( つはもの ) 如雲霞の、待懸( まちかけ ) たり。後( うしろ ) には又晋国の強敵( がうてき ) 乗勝追懸( おつかけ ) たり。呉王大敵に前後( ぜんご ) を裹( つつま ) れて可遁方( かた ) も無( なか ) りければ、軽死戦ふ事三日三夜、范蠡荒手( あらて ) を入替( いれかへ ) て不継息攻( せめ ) ける間、呉の兵三万余人( よにん ) 討( うた ) れて僅( わづか ) に百騎に成( なり ) にけり。呉王自( みづから ) 相当( あひあた ) る事三十二箇度( さんじふにかど ) 、夜半( やはん ) に解囲六十七騎を随へ、姑蘇山( こそざん ) に取上( とりのぼ ) り、越王( ゑつわう ) に使者( ししや ) を立( たて ) て曰( いはく ) 、「君王( くんわう ) 昔会稽山( くわいけいざん ) に苦( くるしみ ) し時臣( しん ) 夫差( ふさ ) 是( これ ) を助( たすけ ) たり。願( ねがはく ) は吾( われ ) 今より後( のち ) 越の下臣( かしん ) と成( なつ ) て、君王の玉趾( ぎよくし ) を戴( いただか ) ん。君若( もし ) 会稽( くわいけい ) の恩を不忘、臣が今日( こんにち ) の死を救ひ給へ。」と言( ことば ) を卑( いやしう ) し厚礼降( かう ) せん事をぞ被請ける。越王( ゑつわう ) 聞之古( いにしへ ) の我が思ひに、今人( こんじん ) の悲( かなし ) みさこそと哀( あはれ ) に思知給( おもひしりたまひ ) ければ、呉王を殺に不忍、救其死思( おもひ ) 給へり。范蠡( はんれい ) 聞之、越王( ゑつわう ) の御前( おんまへ ) に参( まゐり ) て犯面申( まうし ) けるは、「伐柯其則( そののり ) 不遠。会稽( くわいけい ) の古( いにしへ ) は天越( ゑつ ) を呉( ご ) に与へたり。而( しかる ) を呉王取( とる ) 事( こと ) 無( なう ) して忽( たちまち ) に此害( このがい ) に逢( あへ ) り。今却( かへつ ) て天越( ゑつ ) に呉を与へたり。無取事越又如此の害に逢( あふ ) べし。君臣共( とも ) に肺肝( はいかん ) を砕( くだい ) て呉を謀( はか ) る事二十一年、一朝( いつてう ) にして棄( すて ) ん事豈( あに ) 不悲乎( や ) 。君行非時( ときに ) 不顧臣の忠( ちゆう ) 也( なり ) 。」と云( いひ ) て、呉王の使者未( いまだ ) 帰( かへらざる ) 前( さき ) に、范蠡自( みづから ) 攻鼓( せめつづみ ) を打( うつ ) て兵を勧( すす ) め、遂に呉王を生捕( いけどつ ) て軍門の前に引出( ひきいだ ) す。呉王已( すで ) に被面縛、呉の東門( とうもん ) を過( すぎ ) 給ふに、忠臣伍子胥( ごししよ ) が諌( いさめ ) に依( よつ ) て、被刎首時、幢( はたほこ ) の上( うへ ) に掛( かけ ) たりし一双( いつさう ) の眼( まなこ ) 、三年( みとせ ) まで未枯( いまだかれず ) して有( あり ) けるが、其眸( そのまなじり ) 明( あきらか ) に開( ひら ) け、相見( あひみ ) て笑( わら ) へる気色( きしよく ) なりければ、呉王是( これ ) に面( おもて ) を見( みゆる ) 事( こと ) さすが恥かしくや被思けん、袖を顔に押当( おしあて ) て低首過( すぎ ) 給ふ。数万( すまん ) の兵見之涙を流さぬは無( なか ) りけり。即( すなはち ) 呉王を典獄( てんごく ) の官( くわん ) に下( くだ ) され、会稽山( くわいけいざん ) の麓にて遂に首( くび ) を刎( はね ) 奉る。古来( こらい ) より俗( ぞく ) の諺( ことわざに ) 曰( いはく ) 、「会稽( くわいけい ) の恥を雪( きよ ) むる。」とは此( この ) 事( こと ) を云( いふ ) なるべし。自是越王( ゑつわう ) 呉を合( あは ) するのみに非( あら ) ず、晉( しん ) ・楚( そ ) ・斉( せい ) ・秦( しん ) を平( たひら ) げ、覇者( はしや ) の盟主( めいしゆ ) と成( なり ) しかば、其功( そのこう ) を賞( しやう ) して范蠡( はんれい ) を万戸侯( ばんここう ) に封( ほう ) ぜんとし給ひしか共( ども ) 、范蠡( はんれい ) 曾( かつ ) て不受其禄( そのろくを ) 、「大名( たいめい ) の下( もと ) には久( ひさし ) く不可居る、功成( なり ) 名遂( とげて ) 而身退( しりぞく ) は天の道也( なり ) 。」とて、遂( つひ ) に姓名を替( か ) へ陶朱公( たうしゆこう ) と呼( よばは ) れて、五湖( ごこ ) と云( いふ ) 所( ところ ) に身を隠し、世を遁( のがれ ) てぞ居たりける。釣( つり ) して芦花( ろくわ ) の岸に宿( しゆく ) すれば、半蓑( はんさ ) に雪を止( とど ) め、歌( うたうたう ) て楓葉( ふうえふ ) の陰( かげ ) を過( すぐ ) れば、孤舟( こしう ) に秋を戴( のせ ) たり。一蓬( いつぽう ) の月( つきは ) 万頃( ばんきやう ) の天、紅塵( こうぢん ) の外( ほか ) に遊( あそん ) で、白頭( はくとう ) の翁( おきな ) と成( なり ) にけり。高徳( たかのり ) 此( この ) 事( こと ) を思准( おもひなぞ ) らへて、一句の詩に千般( せんぱん ) の思( おもひ ) を述べ、窃( ひそか ) に叡聞( えいぶん ) にぞ達( たつし ) ける。去程( さるほど ) に先帝( せんてい ) は、出雲( いづも ) の三尾( みを ) の湊( みなと ) に十( じふ ) 余日( よにち ) 御逗留( ごとうりう ) 有( あつ ) て、順風( じゆんぷう ) に成( なり ) にければ、舟人( ふなうど ) 纜( ともづな ) を解( とい ) て御艤( ふなよそひ ) して、兵船( ひやうせん ) 三百( さんびやく ) 余艘( よさう ) 、前後左右に漕並( こぎなら ) べて、万里( ばんり ) の雲に沿( さかのぼる ) 。時に滄海( さうかい ) 沈々( ちんちん ) として日没西北浪、雲山( うんざん ) 迢々( でうでう ) として月出東南天、漁舟( ぎよしう ) の帰る程見へて、一灯( とう ) 柳岸( りうがん ) に幽( かすか ) 也( なり ) 。暮( くる ) れば芦岸( ろがん ) の煙( けぶり ) に繋船、明( あく ) れば松江( すんがう ) の風に揚帆、浪路( なみぢ ) に日数( ひかず ) を重( かさ ) ぬれば、都を御出( おんいで ) 有( あつ ) て後( のち ) 二十六日と申( まうす ) に、御舟( おんふね ) 隠岐( おき ) の国に着( つき ) にけり。佐々木( ささきの ) 隠岐( おきの ) 判官( はんぐわん ) 貞清( さだきよ ) 、府( こふ ) の嶋( しま ) と云( いふ ) 所に、黒木( くろき ) の御所( ごしよ ) を作( つくり ) て皇居( くわうきよ ) とす。玉■( ぎよくい ) に咫尺( しせき ) して被召仕ける人とては、六条( ろくでうの ) 少将忠顕( ただあき ) 、頭大夫( とうのたいふ ) 行房( ゆきふさ ) 、女房( にようばう ) には三位殿( さんみどの ) の御局許( おんつぼねばかり ) 也( なり ) 。昔の玉楼金殿( ぎよくろうきんでん ) に引替( ひきかへ ) て、憂( うき ) 節( ふし ) 茂( しげ ) き竹椽( たけたるき ) 、涙( なみだ ) 隙( ひま ) なき松の墻( かき ) 、一夜( ひとよ ) を隔( へだつ ) る程も可堪忍御心地( おんここち ) ならず。■人( けいじん ) ( ) 暁( あかつき ) を唱( となへ ) し声、警固( けいご ) の武士( ぶし ) の番( とのゐ ) を催( もよほ ) す声許( ばか ) り、御枕( おんまくら ) の上( うへ ) に近ければ、夜( よん ) のをとゞに入( いら ) せ給( たまひ ) ても、露まどろませ給はず。萩戸( はぎのと ) の明( あく ) るを待( まち ) し朝政( あさまつりごと ) なけれ共( ども ) 、巫山( ぶざん ) の雲雨( うんう ) 御夢( おんゆめ ) に入( いる ) 時も、誠( まこと ) に暁( あかつき ) ごとの御勤( おんつとめ ) 、北辰( ほくしん ) の御拝( ごはい ) も懈( おこた ) らず、今年何( いか ) なる年( とし ) なれば、百官無罪愁( うれへ ) の涙( なんだ ) を滴配所月、一人( いちじん ) 易位宸襟( しんきん ) を悩他郷風給( たまふ ) らん。天地開闢( てんちかいびやく ) より以来( このかた ) 斯( かか ) る不思議( ふしぎ ) を不聞。されば掛天日月も、為誰明( あきらか ) なる事を不恥。無心草木も悲之花( はな ) 開( さく ) 事( こと ) を忘( わすれ ) つべし。