太平記 (Taiheiki) — 太平記(国民文庫) 太平記巻第六 不明 (Anonymous) 1366-1379 Taiheiki 太平記 Anonymous 不明 Kamakura-Muromachi-Azuchi-Momoyama Period 中世 14th century 14世紀 Fiction フィクション Japanese 日本語 Text 本文 1368 たいへいき Taiheiki 太平記 たいへいき Anonymous 不明 ふめい
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太平記 › 太平記(国民文庫) 太平記巻第六 Furigana ふりがな Vertical 縦書き
太平記( 国民文庫 ) 太平記巻第六○民部卿三位局( みんぶきやうさんみのつぼね ) 御夢想( ごむさうの ) 事( こと ) 夫( それ ) 年光( ねんくわう ) 不停如奔箭下流水、哀楽( あいらく ) 互( たがひに ) 替( かはること ) 似紅栄黄落樹。尓( しか ) れば此世中( このよのなか ) の有様( ありさま ) 、只( ただ ) 夢とやいはん幻( うつつ ) とやいはん。憂喜( いうき ) 共に感ずれば、袂( たもと ) の露を催( もよほ ) す事雖不始今、去年( きよねん ) 九月に笠置( かさぎの ) 城破( やぶ ) れて、先帝( せんてい ) 隠岐( おきの ) 国( くに ) へ被遷させ給( たまひ ) し後( のち ) は、百司( はくし ) の旧臣( きうしん ) 悲( かなしみ ) を抱( いだい ) て所々( しよしよ ) に篭居( ろうきよ ) し、三千の宮女( きゆうぢよ ) 涙を流して面々( めんめん ) に臥沈( ふししづみ ) 給ふ有様、誠( まこと ) に憂( うき ) 世( よ ) の中( なか ) の習( ならひ ) と云( いひ ) ながら、殊更( ことさら ) 哀( あはれ ) に聞へしは、民部( みんぶ ) 卿( きやう ) 三位殿( さんみどのの ) 御局( おつぼね ) にて留( とどめ ) たり。其( それ ) を如何にと申( まうす ) に、先朝( せんてう ) の御寵愛( ごちようあい ) 不浅上、大塔( おほたふ ) の宮( みやの ) 御母堂( ごぼだう ) にて渡( わたら ) せ給( たまひ ) しかば、傍( かた ) への女御( にようご ) ・后( きさき ) は、花の側( あたり ) の深山木( みやまぎ ) の色香( いろか ) も無( なき ) が如く〔也( なり ) 〕。而るを世間( よのなか ) 静( しづか ) ならざりし後は、万( よろ ) づ引替( ひきかへ ) たる九重( ここのへ ) の内の御住居( おんすまゐ ) も不定、荒( あれ ) のみ増( まさ ) る浪( なみ ) の上に、舟( ふね ) 流したる海士( あま ) の心地( ここち ) して、寄( よ ) る方もなき御思( おんおもひ ) の上に打添( うちそひ ) て、君は西海( さいかい ) の帰らぬ波に浮沈( うきしづ ) み、泪( なみだ ) 無隙( ひまなき ) 御袖( おんそで ) の気色( けしき ) と承( うけたまは ) りしかば、空( むなしく ) 傾思於万里之暁月、宮は又南山( なんざん ) の道なき雲に踏迷( ふみまよ ) はせ給( たまひ ) て、狂浮( あこがれ ) たる御住居( おんすまゐ ) と聞ゆれど、難託書於三春之暮雁。云彼云此一方( ひとかた ) ならぬ御歎( おんなげき ) に、青糸( せいし ) の髪疎( おろそか ) にして、いつの間( ま ) に老( おい ) は来( き ) ぬらんと被怪、紅玉( こうぎよくの ) 膚( はだへ ) 消( きえ ) て、今日( けふ ) を限( かぎり ) の命( いのち ) 共( とも ) がなと思召( おぼしめし ) ける御悲( かなしみ ) の遣方( やるかた ) なさに、年来( としごろ ) の御祈( いのり ) の師( し ) とて、御誦経( おんじゆきやう ) ・御撫物( おんなでもの ) なんど奉りける、北野( きたの ) の社僧( しやそう ) の坊( ばう ) に御坐( おはしま ) して、一七日( ひとなぬか ) 参篭( さんろう ) の御志( おんこころざし ) ある由( よし ) を被仰ければ、此折節( このをりふし ) 武家の聞( きこえ ) も無憚には非( あら ) ねども、日来( ひごろ ) の御恩( ごおん ) も重く、今程( いまほど ) の御有様も御痛( おんいたは ) しければ、無情は如何( いかが ) と思( おもひ ) て、拝殿( はいでん ) の傍( かたはら ) に僅( わづか ) なる一間( ひとま ) を拵( こしらへ ) て、尋常( よのつね ) の青女房( なまにようばう ) なんどの参篭( さんろう ) したる由にて置( おき ) 奉りけり。哀( あはれ ) 古( いにし ) へならば、錦帳( きんちやう ) に妝( よそほひ ) を篭( こめ ) 、紗窓( しやさう ) に艶( えん ) を閉( とぢ ) て、左右の侍女( おもとびと ) 其数( そのかず ) を不知、当( あた ) りを輝( かかやかし ) て仮傅奉( いつきかしづきたてまつる ) べきに、いつしか引替( ひきかへ ) たる御忍( おんしのび ) の物篭( ものごもり ) なれば、都( みやこ ) 近けれ共( ども ) 事( こと ) 問( こととひ ) かわす人もなし。只一夜松( ひとよのまつ ) の嵐に御夢( おんゆめ ) を被覚、主( あるじ ) 忘れぬ梅( むめ ) が香( か ) に、昔の春を思召出( おぼしめしいだ ) すにも、昌泰( しやうたい ) の年( とし ) の末( すゑ ) に荒人神( あらひとかみ ) と成( なら ) せ玉ひし、心づくしの御旅宿( おんたびね ) までも、今は君の御思( おんおもひ ) に擬( なぞら ) へ、又は御身( おんみ ) の歎( なげき ) に被思召知たる、哀( あはれ ) の色( いろ ) の数々( かずかず ) に、御念誦( おんねんじゆ ) を暫( しばらく ) 被止て、御涙( おんなみだ ) の内にかくばかり、忘( わすれ ) ずは神も哀れと思( おもひ ) しれ心づくしの古( いにし ) への旅と遊( あそばし ) て、少( すこ ) し御目睡有( おんまどろみあり ) ける其夜( そのよ ) の御夢( おんゆめ ) に、衣冠( いくわん ) 正( ただ ) しくしたる老翁( らうをう ) の、年( とし ) 八十有余( いうよ ) なるが、左の手に梅( むめ ) の花を一枝( ひとえだ ) 持( もち ) 、右の手に鳩( はと ) の杖( つゑ ) をつき、最( いと ) 苦しげなる体( てい ) にて、御局( おんつぼね ) の臥給( ふしたまひ ) たる枕の辺( へん ) に立( たち ) 給へり。御夢心地( おんゆめごこち ) に思召( おぼしめし ) けるは、篠( ささ ) の小篠( をざさ ) の一節( ひとふし ) も、可問人も覚( おぼえ ) ぬ都の外( ほか ) の蓬生( よもぎふ ) に、怪( あや ) しや誰人( たれびと ) の道蹈迷( ふみまよ ) へるやすらひぞやと御尋( おんたづね ) 有( あり ) ければ、此老翁( このらうをう ) 世( よ ) に哀( あはれ ) なる気色( きしよく ) にて、云ひ出( いだ ) せる詞( こと ) は無( なく ) て、持( もち ) たる梅( むめの ) 花を御前( おんまへ ) に指置( さしおい ) て立帰( たちかへり ) けり。不思議( ふしぎ ) やと思召( おぼしめし ) て御覧ずれば、一首( いつしゆ ) の歌を短冊( たんざく ) にかけり。廻( めぐ ) りきて遂( つひ ) にすむべき月影( つきかげ ) のしばし陰( くもる ) を何( なに ) 歎( なげ ) くらん御夢( おんゆめ ) 覚( さめ ) て歌の心を案( あん ) じ給( たまふ ) に、君( きみ ) 遂( つひ ) に還幸( くわんかう ) 成( なり ) て雲の上に住ませ可給瑞夢( ずゐむ ) 也( なり ) 。と、憑敷( たのもしく ) 思召( おぼしめし ) けり。誠( まこと ) に彼聖廟( かのせいべう ) と申( まうし ) 奉るは、大慈大悲( だいじだいひ ) の本地( ほんぢ ) 、天満天神( てんまんてんじん ) の垂迹( すゐじやく ) にて渡らせ給へば、一度( ひとたび ) 歩( あゆみ ) を運( はこ ) ぶ人、二世の悉地( しつち ) を成就( じやうじゆ ) し、僅( わづか ) に御名( みな ) を唱( となふ ) る輩( ともがら ) 、万事( ばんじ ) の所願( しよぐわん ) を満足す。況乎( いはんや ) 千行万行( せんかうばんかう ) の紅涙( こうるゐ ) を滴尽( しただりつくし ) て、七日七夜の丹誠( たんぜい ) を致させ給へば、懇誠( こんぜい ) 暗( あん ) に通じて感応( かんおう ) 忽( たちまち ) に告( つげ ) あり。世( よ ) 既( すでに ) 澆季( げうき ) に雖及、信心誠( しんじんまこと ) ある時は霊艦( れいかん ) 新( あらた ) なりと、弥( いよいよ ) 憑敷( たのもしく ) ぞ思食( おぼしめし ) ける。
○楠( くすのき ) 出張天王寺( てんわうじしゆつちやうの ) 事付隅田( すだ ) 高橋並( ならびに ) 宇都宮( うつのみやの ) 事( こと ) 元弘二年三月五日、左近将監( さこんのしやうげん ) 時益( ときます ) 、越後( ゑちごの ) 守( かみ ) 仲時( なかとき ) 、両六波羅( りやうろくはら ) に被補て、関東( くわんとう ) より上洛( しやうらく ) す。此( この ) 三四年は、常葉( ときは ) 駿河( するがの ) 守( かみ ) 範貞( のりさだ ) 一人として、両六波羅( りやうろくはら ) の成敗( せいばい ) を司( つかさどつ ) て在( あり ) しが、堅く辞( じ ) し申( まうし ) けるに依( よつ ) てとぞ聞へし。楠兵衛正成( まさしげ ) は、去年( きよねん ) 赤坂( あかさか ) の城にて自害して、焼死( やけしし ) たる真似( まね ) をして落( おち ) たりしを、実( まこと ) と心得て、武家( ぶけ ) より、其跡( そのあと ) に湯浅孫六( ゆあさまごろく ) 入道定仏( ぢやうぶつ ) を地頭( ぢとう ) に居置( すゑおき ) たりければ、今は河内( かはちの ) 国( くに ) に於ては殊( こと ) なる事あらじと、心安( こころやす ) く思( おもひ ) ける処に、同( おなじき ) 四月三日楠五百( ごひやく ) 余騎( よき ) を率( そつ ) して、俄に湯浅( ゆあさ ) が城へ押寄( おしよせ ) て、息をも不継責戦( せめたたか ) ふ。城中( じやうちゆう ) に兵粮( ひやうらう ) の用意( ようい ) 乏( とぼ ) しかりけるにや、湯浅が所領紀伊( きの ) 国( くに ) の阿瀬河( あぜがは ) より、人夫( にんぶ ) 五六百人( ごろつぴやくにん ) に兵粮を持( もた ) せて、夜中( やちゆう ) に城へ入( いれ ) んとする由( よし ) を、楠風( ほのかに ) 聞( きい ) て、兵( つはもの ) を道の切所( せつしよ ) へ差遣( さしつかはし ) 、悉( ことごとく ) 是( これ ) を奪取( うばひとり ) て其俵( そのたはら ) に物具( もののぐ ) を入替( いれかへ ) て、馬に負( おふ ) せ人夫( にんぶ ) に持( もた ) せて、兵( つはもの ) を二三百人( にさんびやくにん ) 兵士( ひやうじ ) の様( やう ) に出立( いでたた ) せて、城中へ入( いら ) んとす。楠が勢是を追散( おひちら ) さんとする真似( まね ) をして、追( おつ ) つ返( かへし ) つ同士軍( どしいくさ ) をぞしたりける。湯浅入道是( これ ) を見て、我兵粮( わがひやうらう ) 入るゝ兵共( つはものども ) が、楠が勢と戦ふぞと心得て、城中より打( うつ ) て出( い ) で、そゞろなる敵( てき ) の兵共( つはものども ) を城中へぞ引入( ひきいれ ) ける。楠が勢共( せいども ) 思( おもひ ) の侭に城中に入( いり ) すまして、俵( たはら ) の中より物具共( もののぐども ) 取出( とりいだ ) し、ひし/\と堅めて、則( すなはち ) 時( とき ) の声をぞ揚( あげ ) たりける。城の外( ほか ) の勢( せい ) 、同時( どうじ ) に木戸( きど ) を破( やぶ ) り、屏( へい ) を越( こえ ) て責入( せめいり ) ける間、湯浅入道内外( ないげ ) の敵に取篭( とりこめ ) られて、可戦様( やう ) も無( なか ) りければ、忽( たちまち ) に頚を伸( のべ ) て降人( かうにん ) に出づ。楠其( その ) 勢を合( あは ) せて、七百余騎( よき ) にて和泉( いづみ ) ・河内の両国( りやうごく ) を靡( なび ) けて、大勢に成( なり ) ければ、五月十七日( じふしちにち ) に先( まづ ) 住吉( すみよし ) ・天王寺( てんわうじ ) 辺( へん ) へ打( うつ ) て出で、渡部( わたなべ ) の橋より南( みんなみ ) に陣を取る。然間( しかるあひだ ) 和泉・河内の早馬( はやむま ) 敷並( しきなみ ) を打( うつて ) 、楠已( すで ) に京都へ責上( せめのぼ ) る由告( つげ ) ければ、洛中の騒動不斜。武士( ぶし ) 東西に馳散( はせち ) りて貴賎( きせん ) 上下周章( あわつる ) 事( こと ) 窮( きはま ) りなし。斯( かか ) りければ両六波羅( りやうろくはら ) には畿内近国( きないきんごく ) の勢如雲霞の馳集( はせあつまつ ) て、楠今や責上( せめのぼ ) ると待( まち ) けれ共( ども ) 、敢( あへ ) て其義( そのぎ ) もなければ、聞( きく ) にも不似、楠小勢( こぜい ) にてぞ有覧( あるらん ) 、此方( こなた ) より押寄( おしよせ ) て打散( うちちら ) せとて、隅田( すだ ) ・高橋を両六波羅( ろくはら ) の軍奉行( いくさぶぎやう ) として、四十八箇所( しじふはちかしよ ) の篝( かがり ) 、並( ならび ) に在京人( ざいきやうにん ) 、畿内近国( きないきんごく ) の勢を合( あは ) せて、天王寺( てんわうじ ) へ被指向。其( その ) 勢都合( つがふ ) 五千( ごせん ) 余騎( よき ) 、同( おなじき ) 二十日京都を立( たつ ) て、尼崎( あまがさき ) ・神崎( かんざき ) ・柱松( はしらもと ) の辺( へん ) に陣を取( とり ) て、遠篝( とほかがり ) を焼( たい ) て其夜( そのよ ) を遅しと待明( まちあか ) す。楠是( これ ) を聞( きい ) て、二千余騎( よき ) を三手に分け、宗( むね ) との勢をば住吉・天王寺( てんわうじ ) に隠( かくし ) て、僅( わづか ) に三百騎( さんびやくき ) 許( ばかり ) を渡部( わたなべ ) の橋の南( みんなみ ) に磬( ひかへ ) させ、大篝( おほかがり ) 二三箇所( にさんかしよ ) に焼( たか ) せて相向( あひむか ) へり。是( これ ) は態( わざ ) と敵に橋を渡させて、水の深みに追( おひ ) はめ、雌雄( しゆう ) を一時( いちじ ) に決せんが為と也( なり ) 。去程( さるほど ) に明( あく ) れば五月二十一日に、六波羅( ろくはら ) の勢五千( ごせん ) 余騎( よき ) 、所々( しよしよ ) の陣を一所( いつしよ ) に合( あは ) せ、渡部( わたなべ ) の橋まで打臨( うちのぞん ) で、河向( かはむかひ ) に引( ひか ) へたる敵の勢を見渡せば、僅( わづか ) に二三百騎( にさんびやくき ) には不過、剰( あまつさへ ) 痩( やせ ) たる馬に縄手綱( なはたづな ) 懸( かけ ) たる体( てい ) の武者共( むしやども ) 也( なり ) 。隅田( すだ ) ・高橋是( これ ) を見て、さればこそ和泉・河内の勢の分際( ぶんざい ) 、さこそ有らめと思ふに合せて、はか/゛\しき敵は一人も無( なか ) りけり。此奴原( このやつばら ) 一々に召捕( めしとつ ) て六条河原( ろくでうかはら ) に切懸( きりかけ ) て、六波羅殿( ろくはらどの ) の御感( ぎよかん ) に預( あづか ) らんと云侭( いふまま ) に、隅田( すだ ) ・高橋人交( ひとまぜ ) もせず橋より下( しも ) を一文字( いちもんじ ) にぞ渡( わたし ) ける。五千( ごせん ) 余騎( よき ) の兵共( つはものども ) 是( これ ) を見て、我先( われさき ) にと馬を進めて、或( あるひ ) は橋の上( うへ ) を歩( あゆ ) ませ或( あるひ ) は河瀬( かはせ ) を渡して、向( むかひ ) の岸に懸驤( かけあが ) る。楠( くすのきが ) 勢是( これ ) を見て、遠矢( とほや ) 少々射捨( いすて ) て、一戦( いつせん ) もせず天王寺( てんわうじ ) の方( かた ) へ引退( ひきしりぞ ) く。六波羅( ろくはら ) の勢是( これ ) を見て、勝( かつ ) に乗り、人馬( じんば ) の息をも不継せ、天王寺( てんわうじ ) の北の在家( ざいけ ) まで、揉( もみ ) に揉( もう ) でぞ追( おう ) たりける。楠思程( おもふほど ) 敵の人馬を疲( つか ) らかして、二千騎( にせんぎ ) を三手に分( わけ ) て、一手( ひとて ) は天王寺( てんわうじ ) の東( ひんがし ) より敵を弓手( ゆんで ) に請( うけ ) て懸出( かけい ) づ。一手( ひとて ) は西門( さいもん ) の石の鳥居より魚鱗懸( ぎよりんがかり ) に懸出( かけい ) づ。一手は住吉の松( まつの ) 陰より懸出( かけい ) で、鶴翼( かくよく ) に立( た ) て開合( ひらきあは ) す。六波羅( ろくはら ) の勢を見合( みあは ) すれば、対揚( たいやう ) すべき迄( まで ) もなき大勢なりけれ共( ども ) 、陣の張様( はりやう ) しどろにて、却( かへつ ) て小勢( こぜい ) に囲( かこま ) れぬべくぞ見へたりける。隅田・高橋是( これ ) を見て、「敵後( うし ) ろに大勢を陰( かく ) してたばかりけるぞ。此辺( このあたり ) は馬の足立( あしだち ) 悪( あしう ) して叶はじ。広みへ敵を帯( おび ) き出( いだ ) し、勢( せい ) の分際( ぶんざい ) を見計( みはから ) ふて、懸合々々( かけあはせかけあはせ ) 勝負を決せよ。」と、下知( げぢ ) しければ、五千( ごせん ) 余騎( よき ) の兵共( つはものども ) 、敵に後( うし ) ろを被切ぬ先にと、渡部( わたなべ ) の橋を指( さし ) て引退( ひきしりぞ ) く。楠が勢是( これ ) に利( り ) を得て、三方( さんばう ) より勝時( かちどき ) を作( つくつ ) て追懸( おつか ) くる。橋近く成( なり ) ければ、隅田( すだ ) ・高橋是( これ ) を見て、「敵は大勢にては無( なか ) りけるぞ、此( ここ ) にて不返合大河( たいが ) 後( うし ) ろに在( あつ ) て悪( あし ) かりぬべし。返せや兵共( つはものども ) 。」と、馬の足を立直( たてなほ ) し/\下知( げぢ ) しけれども、大勢の引立( ひきたて ) たる事なれば、一返( ひとかへし ) も不返、只我先( われさき ) にと橋の危( あやふき ) をも不云、馳集( はせあつま ) りける間、人馬共( じんばとも ) に被推落て、水に溺( おぼ ) るゝ者不知数、或( あるひは ) 淵瀬( ふちせ ) をも不知渡し懸( かかつ ) て死( し ) ぬる者も有り、或( あるひ ) は岸より馬を馳倒( はせたふし ) て其侭( そのまま ) 被討者も有( あり ) 。只馬・物具( もののぐ ) を脱捨( ぬぎすて ) て、逃延( にげのび ) んとする者は有れ共( ども ) 、返合( かへしあは ) せて戦はんとする者は無( なか ) りけり。而( しか ) れば五千( ごせん ) 余騎( よき ) の兵共( つはものども ) 、残少( のこりずく ) なに被打成て這々( はふはふ ) 京へぞ上( のぼ ) りける。其翌日( そのよくじつ ) に何者( なにもの ) か仕( し ) たりけん、六条河原( ろくでうかはら ) に高札( たかふだ ) を立( た ) て一首( いつしゆ ) の歌をぞ書( かき ) たりける。渡部( わたなべ ) の水いか許( ばかり ) 早( はや ) ければ高橋落( おち ) て隅田( すだ ) 流るらん京童( きやうわらんべ ) の僻( くせ ) なれば、此落書( このらくしよ ) を歌に作( つくり ) て歌ひ、或( あるひ ) は語伝( かたりつたへ ) て笑ひける間( あひだ ) 、隅田( すだ ) ・高橋面目( めんぼく ) を失ひ、且( しばらく ) は出仕( しゆつし ) を逗( とど ) め、虚病( きよびやう ) してぞ居たりける。両六波羅( りやうろくはら ) 是( これ ) を聞( きい ) て、安からぬ事に被思ければ、重( かさね ) て寄( よ ) せんと被議けり。其比( そのころ ) 京都余( あまり ) に無勢( ぶせい ) なりとて関東( くわんとう ) より被上たる宇都宮( うつのみや ) 治部大輔( ぢぶのたいふ ) を呼寄( よびよせ ) 評定( ひやうぢやう ) 有( あり ) けるは、「合戦( かつせん ) の習( なら ) ひ運に依( よつ ) て雌雄( しゆう ) 替( かは ) る事古( いにし ) へより無( なき ) に非( あら ) ず。然共( しかれども ) 今度( このたび ) 南方( なんばう ) の軍( いくさ ) 負( まけ ) ぬる事( こと ) 、偏( ひとへ ) に将( しやう ) の計( はかりごと ) の拙( つたなき ) に由( よ ) れり。又士卒( じそつ ) の臆病( おくびやう ) なるが故( ゆゑ ) 也( なり ) 。天下( てんがの ) 嘲哢( てうろう ) 口を塞( ふさ ) ぐに所( ところ ) なし。就中に仲時( なかとき ) 罷上( まかりのぼり ) し後( のち ) 、重( かさね ) て御上洛( ごしやうらく ) の事は、凶徒( きようと ) 若( もし ) 蜂起( ほうき ) せば、御向( おんむか ) ひ有( あつ ) て静謐候( せいひつさふらへ ) との為( ため ) なり。今の如( ごとき ) んば、敗軍の兵を駈集( かりあつめ ) て何度( いくたび ) むけて候とも、はか/゛\しき合戦しつ共不覚候。且( かつう ) は天下の一大事( いちだいじ ) 、此時( このとき ) にて候へば、御向候( むかひさふらひ ) て御退治( たいぢ ) 候へかし。」と宣( のたま ) ひければ、宇都宮( うつのみや ) 辞退( じたい ) の気色( きしよく ) 無( なう ) して被申けるは、「大軍( たいぐん ) 已( すで ) に利( り ) を失( うしなう ) て後( のち ) 、小勢( こぜい ) にて罷向( まかりむかひ ) 候はん事( こと ) 、如何( いかん ) と存( ぞんじ ) 候へども、関東( くわんとう ) を罷出( まかりいで ) し始( はじめ ) より、加様( かやう ) の御大事( おんだいじ ) に逢( あう ) て命( いのち ) を軽( かろ ) くせん事を存( ぞんじ ) 候き。今の時分( じぶん ) 、必( かならず ) しも合戦の勝負( しようぶ ) を見所( みるところ ) にては候はねば、一人にて候共( とも ) 、先( まづ ) 罷向( まかりむかう ) て一合戦( ひとかつせん ) 仕( つかまつ ) り、及難儀候はゞ、重( かさねて ) 御勢( おんせい ) をこそ申( まうし ) 候はめ。」と、誠( まこと ) に思定( おもひさだめ ) たる体( てい ) に見へてぞ帰りける。宇都宮( うつのみや ) 一人武命( ぶめい ) を含( ふくん ) で大敵に向( むか ) はん事( こと ) 、命( いのち ) を可惜に非ざりければ、態( わざ ) と宿所( しゆくしよ ) へも不帰、六波羅( ろくはら ) より直( すぐ ) に、七月十九日( じふくにちの ) 午刻( うまのこく ) に都を出で、天王寺( てんわうじ ) へぞ下( くだ ) りける。東寺辺( とうじへん ) までは主従( しゆじゆう ) 僅( わづか ) に十四五騎が程とみへしが、洛中( らくちゆう ) にあらゆる所( ところ ) の手者共( てのものども ) 馳加( はせくはは ) りける間、四塚( よつづか ) ・作道( つくりみち ) にては、五百( ごひやく ) 余騎( よき ) にぞ成( なり ) にける。路次( ろし ) に行逢( ゆきあふ ) 者をば、権門勢家( けんもんせいけ ) を不云、乗馬( のりむま ) を奪ひ人夫( にんぶ ) を駈立( かけた ) て通( とほ ) りける間、行旅( かうりよ ) の往反路( わうへんみち ) を曲( ま ) げ、閭里( りより ) の民屋( みんをく ) 戸( とぼそ ) を閉( と ) づ。其夜( そのよ ) は柱松( はしらもと ) に陣を取( とり ) て明( あく ) るを待つ。其志( そのこころざし ) 一人も生( いき ) て帰らんと思( おもふ ) 者は無( なか ) りけり。去程( さるほど ) に河内( かはちの ) 国( くに ) の住人( ぢゆうにん ) 和田( わだ ) 孫三郎此由( このよし ) を聞( きい ) て、楠が前( まへ ) に来( きたつ ) て云( いひ ) けるは、「先日( せんじつ ) の合戦に負腹( まけばら ) を立て京より宇都宮( うつのみや ) を向( むけ ) 候なる。今夜( こよひ ) 既( すで ) に柱松( はしらもと ) に着( つい ) て候が其勢( そのせい ) 僅( わづか ) に六七百騎( ろくしちひやくき ) には過( すぎ ) じと聞へ候。先( さき ) に隅田( すだ ) ・高橋が五千( ごせん ) 余騎( よき ) にて向( むかつ ) て候( さふらひ ) しをだに、我等( われら ) 僅( わづか ) の小勢( こぜい ) にて追散( おつちら ) して候( さふらひ ) しぞかし。其上( そのうへ ) 今度( このたび ) は御方( みかた ) 勝( かつ ) に乗( のつ ) て大勢也( なり ) 。敵は機( き ) を失( うしなう ) て小勢也( なり ) 。宇都宮( うつのみや ) 縦( たと ) ひ武勇( ぶゆう ) の達人( たつじん ) なりとも、何程( なにほど ) の事か候べき。今夜( こよひ ) 逆寄( さかよせ ) にして打散( うちちら ) して捨候( すてさふらは ) ばや。」と云( いひ ) けるを、楠暫( しばらく ) 思案( しあん ) して云( いひ ) けるは、「合戦の勝負( しようぶ ) 必( かならず ) しも大勢小勢( おほぜいこぜい ) に不依、只( ただ ) 士卒( じそつ ) の志( こころざし ) を一にするとせざると也( なり ) 。されば「大敵を見ては欺( あざむ ) き、小勢を見ては畏( おそ ) れよ」と申す事是( これ ) なり。先( まづ ) 思案( しあん ) するに、先度( せんど ) の軍( いくさ ) に大勢打負( うちまけ ) て引退( ひきしりぞ ) く跡( あと ) へ、宇都宮( うつのみや ) 一人小勢にて相向( あひむか ) ふ志( こころざし ) 、一人も生( いき ) て帰らんと思( おもふ ) 者よも候はじ。其上( そのうへ ) 宇都宮( うつのみや ) は坂東一( ばんどういち ) の弓矢取( ゆみやとり ) 也( なり ) 。紀清両党( きせいりやうたう ) の兵( つはもの ) 、元来( もとより ) 戦場( せんぢやう ) に臨( のぞん ) で命を棄( すつ ) る事塵芥( ぢんがい ) よりも尚( なほ ) 軽( かる ) くす。其兵( そのつはもの ) 七百余騎( よき ) 志を一( ひと ) つにして戦( たたかひ ) を決せば、当手( たうて ) の兵( つはもの ) 縦( たとひ ) 退( しりぞ ) く心なく共( とも ) 、大半( たいはん ) は必( かならず ) 可被討。天下の事全( まつたく ) 今般( このたび ) の戦( たたかひ ) に不可依。行末( ゆくすゑ ) 遥( はるか ) の合戦に、多からぬ御方( みかた ) 初度( しよど ) の軍( いくさ ) に被討なば、後日( ごにち ) の戦( たたかひ ) に誰か力( ちから ) を可合。「良将( りやうしやう ) は不戦して勝( かつ ) 」と申( まうす ) 事( こと ) 候へば、正成( まさしげ ) に於ては、明日態( わざ ) と此( この ) 陣を去( さつ ) て引退( ひきしりぞ ) き、敵に一面目( ひとめんぼく ) 在( あ ) る様( やう ) に思はせ、四五日を経て後( のち ) 、方々( はうばう ) の峯に篝( かがり ) を焼( たい ) て、一蒸( ひとむし ) 蒸程( むすほど ) ならば、坂東武者( ばんどうむしや ) の習( ならひ ) 、無程機疲( きつかれ ) て、「いや/\長居( ながゐ ) しては悪( あし ) かりなん。一面目( ひとめんぼく ) 有( ある ) 時去来( いざ ) や引返( ひきかへ ) さん。」と云( いは ) ぬ者は候はじ。されば「懸( かく ) るも引( ひく ) も折( をり ) による」とは、加様( かやう ) の事を申( まうす ) 也( なり ) 。夜( よ ) 已( すで ) に暁天( げうてん ) に及べり。敵定( さだめ ) て今は近付( ちかづく ) らん。去来( いざ ) させ給へ。」とて、楠天王寺( てんわうじ ) を立( たち ) ければ、和田・湯浅( ゆあさ ) も諸共( もろとも ) に打連( うちつれ ) てぞ引( ひき ) たりける。夜( よ ) 明( あけ ) ければ、宇都宮( うつのみや ) 七百余騎( よき ) の勢にて天王寺( てんわうじ ) へ押寄( おしよ ) せ、古宇都( こうづ ) の在家( ざいけ ) に火を懸け、時( とき ) の声を揚( あげ ) たれ共( ども ) 、敵なければ不出合。「たばかりぞすらん。此辺( このあたり ) は馬の足立( あしたち ) 悪( あしう ) して、道狭( せば ) き間、懸入( かけいる ) 敵に中( なか ) を被破な、後( うし ) ろを被裹な。」と下知( げぢ ) して、紀清両党( きせいりやうたう ) 馬の足をそろへて、天王寺( てんわうじ ) の東西( とうざい ) の口( くち ) より懸入( かけいつ ) て、二三度( にさんど ) まで懸入々々( かけいりかけいり ) しけれ共( ども ) 、敵一人も無( なく ) して、焼捨( たきすて ) たる篝( かがり ) に燈( ともしび ) 残( のこり ) て、夜はほの/゛\と明( あけ ) にけり。宇都宮( うつのみや ) 不戦先( さき ) に一勝( ひとかち ) したる心地( ここち ) して、本堂( ほんだう ) の前( まへ ) にて馬より下( お ) り、上宮太子( じやうぐうたいし ) を伏拝( ふしをが ) み奉り、是( これ ) 偏( ひとへ ) に武力( ぶりき ) の非所致、只然( しかしながら ) 神明仏陀( しんめいぶつだ ) の擁護( おうご ) に懸( かか ) れりと、信心( しんじん ) を傾( かたむ ) け歓喜( くわんぎ ) の思( おもひ ) を成( な ) せり。頓( やが ) て京都へ早馬( はやむま ) を立( た ) て、「天王寺( てんわうじ ) の敵をば即時( そくじ ) に追落( おひおと ) し候( さふらひ ) ぬ。」と申( まうし ) たりければ、両六波羅( りやうろくはら ) を始( はじめ ) として、御内外様( みうちとざま ) の諸軍勢( しよぐんぜい ) に至( いたる ) まで、宇都宮( うつのみや ) が今度( このたび ) の振舞( ふるまひ ) 抜群( ばつぐん ) 也( なり ) 。と、誉( ほめ ) ぬ人も無( なか ) りけり。宇都宮( うつのみや ) 、天王寺( てんわうじ ) の敵を輒( たやす ) く追散( おつちら ) したる心地( ここち ) にて、一面目( ひとめんぼく ) は有体( あるてい ) なれ共( ども ) 、軈( やが ) て続( つづい ) て敵の陣へ責入( せめい ) らん事も、無勢( ぶぜい ) なれば不叶、又誠( まこと ) の軍( いくさ ) 一度( いちど ) も不為して引返( ひつかへ ) さん事もさすがなれば、進退( しんだい ) 谷( きはまつ ) たる処に、四五日を経( へ ) て後( のち ) 、和田・楠( くすのき ) 、和泉( いづみ ) ・河内( かはち ) の野伏共( のぶしども ) を四五千人駈集( かりあつめ ) て、可然兵( つはもの ) 二三百騎( にさんびやくき ) 差副( さしそへ ) 、天王寺( てんわうじ ) 辺( へん ) に遠篝火( とほかがりび ) をぞ焼( たか ) せける。すはや敵こそ打出( うちいで ) たれと騒動( さうどう ) して、深行侭( ふけゆくまま ) に是( これ ) を見れば、秋篠( あきしの ) や外山( とやま ) の里( さと ) 、生駒( いこま ) の岳( だけ ) に見ゆる火は、晴( はれ ) たる夜の星よりも数( しげ ) く、藻塩草( もしほぐさ ) 志城津( しぎづ ) の浦、住吉( すみよし ) ・難波( なんば ) の里に焼篝( たくかがり ) は、漁舟( ぎよしう ) に燃( とぼ ) す居去火( いさりび ) の、波を焼( たく ) かと怪しまる。総( すべ ) て大和( やまと ) ・河内・紀伊( きの ) 国( くに ) にありとある所の山々浦々に、篝( かがり ) を焼( たか ) ぬ所は無( なか ) りけり。其( その ) 勢幾万騎( いくまんぎ ) あらんと推量してをびたゝし。如此する事両三夜に及び、次第( しだい ) に相近付( あひちかづ ) けば、弥( いよいよ ) 東西南北四維上下( しゆゐじやうげ ) に充満( じゆうまん ) して、闇夜( あんや ) に昼( ひる ) を易( かへ ) たり。宇都宮( うつのみや ) 是( これ ) を見て、敵寄来( よせきた ) らば一軍( ひといくさ ) して、雌雄( しゆう ) を一時に決せんと志( こころざ ) して、馬の鞍( くら ) をも不息、鎧( よろひ ) の上帯( うはおび ) をも不解待懸( まちかけ ) たれ共( ども ) 、軍( いくさ ) は無( なう ) して敵の取廻( とりまは ) す勢( いきほ ) ひに、勇気疲( つか ) れ武力( ぶりき ) 怠( たゆん ) で、哀( あは ) れ引退( ひきしりぞ ) かばやと思ふ心着( つき ) けり。斯( かか ) る処に紀清両党( きせいりやうたう ) の輩( ともがら ) も、「我等( われら ) が僅( わづか ) の小勢( こぜい ) にて此( この ) 大敵に当( あた ) らん事は、始終( しじゆう ) 如何( いかん ) と覚( おぼえ ) 候。先日( せんじつ ) 当所( たうしよ ) の敵を無事故追落( おひおと ) して候( さふらひ ) つるを、一面目( ひとめんぼく ) にして御上洛( ごしやうらく ) 候へかし。」と申せば、諸人( しよにん ) 皆此義( このぎ ) に同( どう ) じ、七月二十七日( にじふしちにちの ) 夜半許( やはんばかり ) に宇都宮( うつのみや ) 天王寺( てんわうじ ) を引( ひきて ) 上洛( しやうらく ) すれば、翌日( よくじつ ) 早旦( さうたん ) に楠頓( やが ) て入替( いりかは ) りたり。誠( まこと ) に宇都宮( うつのみや ) と楠と相戦( あひたたかう ) て勝負( しようぶ ) を決せば、両虎二龍( りやうこじりゆう ) の闘( たたかひ ) として、何( いづ ) れも死を共( とも ) にすべし。されば互に是( これ ) を思ひけるにや、一度( ひとたび ) は楠引( ひい ) て謀( はかりごと ) を千里( せんり ) の外( ほか ) に運( めぐら ) し、一度( ひとたび ) は宇都宮( うつのみや ) 退( しりぞい ) て名を一戦( いつせん ) の後( のち ) に不失。是( これ ) 皆智謀深く、慮( おもんばか ) り遠き良将( りやうしやう ) なりし故( ゆゑ ) 也( なり ) 。と、誉( ほめ ) ぬ人も無( なか ) りけり。去程( さるほど ) に楠兵衛正成( まさしげ ) は、天王寺( てんわうじ ) に打出( うちいで ) て、威猛( ゐまう ) を雖逞、民屋( みんをく ) に煩( わづら ) ひをも不為して、士卒( じそつ ) に礼を厚くしける間、近国( きんごく ) は不及申、遐壌遠境( かじやうゑんきやう ) の人牧( じんぼく ) までも、是( これ ) を聞伝( ききつた ) へて、我( われ ) も我( われ ) もと馳加( はせくはは ) りける程に、其勢( そのいきほ ) ひ漸( やうやく ) 強大( きやうだい ) にして、今は京都よりも、討手( うつて ) を無左右被下事は難叶とぞ見へたりける。
○正成( まさしげ ) 天王寺( てんわうじの ) 未来記( みらいき ) 披見( ひけんの ) 事( こと ) 元弘二年八月三日、楠兵衛正成住吉( すみよし ) に参詣し、神馬( しんめ ) 三疋( さんびき ) 献之。翌日( よくじつ ) 天王寺( てんわうじ ) に詣( まうで ) て白鞍( しろくら ) 置( おい ) たる馬、白輻輪( しらぶくりん ) の太刀、鎧( よろひ ) 一両( いちりやう ) 副( そへ ) て引進( ひきまゐら ) す。是( これ ) は大般若経( だいはんにやきやう ) 転読( てんどく ) の御布施( おんふせ ) なり。啓白( けいひやく ) 事終( ことをはつ ) て、宿老( しゆくらう ) の寺僧( じそう ) 巻数( くわんじゆ ) を捧( ささげ ) て来れり。楠則( すなはち ) 対面して申( まうし ) けるは、「正成、不肖( ふせう ) の身として、此( この ) 一大事( いちだいじ ) を思立( おもひたち ) て候事( こと ) 、涯分( がいぶん ) を不計に似たりといへ共( ども ) 、勅命の不軽礼儀を存( ぞん ) ずるに依( よつ ) て、身命( しんみやう ) の危( あやふ ) きを忘( わすれ ) たり。然( しかる ) に両度( りやうど ) の合戦聊( いささか ) 勝( かつ ) に乗( のつ ) て、諸国の兵不招馳加( はせくはは ) れり。是( これ ) 天の時を与へ、仏神( ぶつじん ) 擁護( おうご ) の眸( まなじり ) を被回歟( か ) と覚( おぼえ ) 候。誠やらん伝承( つたへうけたまは ) れば、上宮( じようぐう ) 太子の当初( そのかみ ) 、百王治天( ちてん ) の安危( あんき ) を勘( かんがへ ) て、日本( につぽん ) 一州( いつしう ) の未来記( みらいき ) を書置( かきおか ) せ給( たまひ ) て候なる。拝見若( もし ) 不苦候はゞ、今の時に当( あた ) り候はん巻許( まきばかり ) 、一見仕候( つかまつりさふらは ) ばや。」と云( いひ ) ければ、宿老( しゆくらう ) の寺僧( じそう ) 答( こたへ ) て云( いはく ) 、「太子守屋( もりや ) の逆臣( ぎやくしん ) を討( うつ ) て、始( はじめ ) て此寺( このてら ) を建( たて ) て、仏法を被弘候( さふらひ ) し後( のち ) 、神代( しんだい ) より始( はじめ ) て、持統( ぢとう ) 天皇( てんわう ) の御宇( ぎよう ) に至( いたる ) までを被記たる書( しよ ) 三十巻( さんじつくわん ) をば、前代旧事本記( ぜんだいくじほんぎ ) とて、卜部( うらべ ) の宿祢( すくね ) 是( これ ) を相伝( さうでん ) して有職( いうしよく ) の家を立( たて ) 候。其外( そのほか ) に又一巻( いつくわん ) の秘書( ひしよ ) を被留て候。是( これ ) は持統( ぢとう ) 天皇( てんわう ) 以来末世代々( まつせだいだい ) の王業( わうげふ ) 、天下の治乱( ちらん ) を被記て候。是( これ ) をば輒( たやす ) く人の披見( ひけん ) する事は候はね共( ども ) 、以別儀密( ひそか ) に見参( げんざん ) に入( いれ ) 候べし。」とて、即( すなはち ) 秘府( ひふ ) の銀鑰( ぎんやく ) を開( ひらい ) て、金軸( こんぢく ) の書( しよ ) 一巻( いつくわん ) を取出( とりいだ ) せり。正成悦( よろこび ) て則( すなはち ) 是( これ ) を披覧( ひらん ) するに、不思議( ふしぎ ) の記文( きもん ) 一段( だん ) あり。其文( そのもん ) に云( いはく ) 、当人王九十五代。天下一( ひとたび ) 乱( みだれて ) 而主( しゆ ) 不安。此( この ) 時東魚( とうぎよ ) 来( きたつて ) 呑四海( しかい ) 。日没西天三百( さんびやく ) 七十( しちじふ ) 余箇日( よかにち ) 。西鳥( せいてう ) 来( きたつて ) 食東魚を。其後( そののち ) 海内( かいだい ) 帰一三年。如■猴( みこうのごとき ) 者掠天下三十( さんじふ ) 余年( よねん ) 。大凶( だいきよう ) 変( へんじて ) 帰一元。云云。正成不思議( ふしぎ ) に覚へて、能々( よくよく ) 思案( しあん ) して此文( このもん ) を考( かんがふ ) るに、先帝( せんてい ) 既( すで ) に人王( にんわう ) の始( はじめ ) より九十五代に当( あた ) り給へり。「天下一度( ひとたび ) 乱( みだれ ) て主不安」とあるは是此( これこの ) 時なるべし。「東魚( とうぎよ ) 来( きたつ ) て呑四海( しかい ) 」とは逆臣( ぎやくしん ) 相摸( さがみ ) 入道の一類( いちるゐ ) なるべし。「西鳥( せいてう ) 食東魚を」とあるは関東( くわんとう ) を滅( ほろぼ ) す人可有。「日没西天に」とは、先帝( せんてい ) 隠岐( おきの ) 国( くに ) へ被遷させ給ふ事なるべし。「三百( さんびやく ) 七十( しちじふ ) 余箇日( よかにち ) 」とは、明年( みやうねん ) の春( はる ) の比( ころ ) 此( この ) 君隠岐( おきの ) 国( くに ) より還幸( くわんかう ) 成( なつ ) て、再び帝位に即( つ ) かせ可給事なるべしと、文( もん ) の心を明( あきらか ) に勘( かんがふる ) に、天下の反覆( へんふく ) 久しからじと憑敷( たのもしく ) 覚( おぼえ ) ければ、金作( こがねづくり ) の太刀一振( ひとふり ) 此( この ) 老僧に与へて、此書( このしよ ) をば本( もと ) の秘府( ひふ ) に納( をさめ ) させけり。後( のち ) に思合( おもひあは ) するに、正成( まさしげ ) が勘( かんが ) へたる所、更( さら ) に一事( いちじ ) も不違。是( これ ) 誠( まこと ) に大権聖者( だいごんのしやうじや ) の末代( まつだい ) を鑒( かんがみ ) て記( しる ) し置給( おきたまひ ) し事なれ共( ども ) 、文質三統( ぶんしつさんとう ) の礼変( れいべん ) 、少しも違( たが ) はざりけるは、不思議( ふしぎ ) なりし讖文( しんもん ) 也( なり ) 。
○赤松( あかまつ ) 入道円心( ゑんしん ) 賜大塔宮令旨事 其比( そのころ ) 播磨国( はりまのくに ) の住人( ぢゆうにん ) 、村上( むらかみ ) 天皇( てんわう ) 第七( だいしちの ) 御子( みこ ) 具平( ぐへい ) 親王( しんわう ) 六代の苗裔( べうえい ) 、従三位( じゆさんみ ) 季房( すゑふさ ) が末孫( ばつそん ) に、赤松( あかまつの ) 次郎入道円心( ゑんしん ) とて弓矢取( とつ ) て無双( ぶさう ) の勇士( ゆうし ) 有り。元来( もとより ) 其( その ) 心闊如( くわつじよ ) として、人の下風( したて ) に立( たた ) ん事を思はざりければ、此( この ) 時絶( たえ ) たるを継廃( つぎすたれ ) たるを興( おこ ) して、名を顕( あらは ) し忠を抽( ぬきんで ) ばやと思( おもひ ) けるに、此( この ) 二三年大塔宮( おほたふのみや ) に属纒奉( つきまとひたてまつり ) て、吉野十津川( とつがは ) の艱難( かんなん ) を経( へ ) ける円心が子息( しそく ) 律師( りつし ) 則祐( そくいう ) 、令旨( りやうじ ) を捧( ささげ ) て来れり。披覧( ひらん ) するに、「不日( ふじつ ) に揚義兵率軍勢、可令誅罰朝敵、於有其功者{は}、恩賞( おんしやう ) 宜依請」之( の ) 由( よし ) 、被戴。委細( いさいの ) 事書( ことがき ) 十七( じふしち ) 箇条の恩裁( おんさいを ) 被添たり。条々何( いづ ) れも家の面目( めんぼく ) 、世の所望( しよまう ) する事なれば、円心不斜悦( よろこう ) で、先( まづ ) 当国佐用庄( さよのしやう ) 苔縄( こけなは ) の山に城を構( かまへ ) て、与力( よりき ) の輩( ともがら ) を相招( あひまね ) く。其( その ) 威漸( やうやく ) 近国( きんごく ) に振( ふる ) ひければ、国中の兵共( つはものども ) 馳集( はせあつまつ ) て、無程其( その ) 勢一千余騎( よき ) に成( なり ) にけり。只秦( しん ) の世已( すで ) に傾( かたむか ) んとせし弊( つひえ ) に乗( のつとつ ) て、楚( そ ) の陳勝( ちんしよう ) が異蒼頭( さうとう ) にして大沢( だいたく ) に起りしに異ならず。頓( やが ) て杉坂( すぎさか ) ・山( やま ) の里( さと ) 二箇所( にかしよ ) に関を居( すゑ ) 、山陽( せんやう ) ・山陰( せんいん ) の両道( りやうだう ) を差塞( さしふさ ) ぐ。是より西国( さいこく ) の道止( とまつ ) て、国々の勢上洛( しやうらく ) する事を得ざりけり。
○関東( くわんとうの ) 大勢( おほぜい ) 上洛( しやうらくの ) 事( こと ) 去程( さるほど ) に畿内西国( きないさいこく ) の凶徒( きようと ) 、日を逐( おつ ) て蜂起( ほうき ) する由( よし ) 、六波羅( ろくはら ) より早馬( はやむま ) を立( た ) て関東( くわんとう ) へ被注進。相摸( さがみ ) 入道大( おほき ) に驚( おどろい ) て、さらば討手を指遣( さしつかは ) せとて、相摸守( さがみのかみ ) の一族( いちぞく ) 、其外( そのほか ) 東( ひがし ) 八箇国( はちかこく ) の中に、可然大名共( だいみやうども ) を催( もよほ ) し立( た ) て被差上。先( まづ ) 一族( いちぞく ) には、阿曾弾正少弼( あそのだんじやうせうひつ ) ・名越遠江( なごやのとほたふみの ) 入道・大仏( おさらぎの ) 前陸奥守( さきのむつのかみ ) 貞直( さだなほ ) ・同( おなじき ) 武蔵( むさしの ) 左近( さこんの ) 将監( しやうげん ) ・伊具右近( いぐのうこんの ) 大夫将監・陸奥右馬助( むつのうまのすけ ) 、外様( とざま ) の人々には、千葉大介( ちばのおほすけ ) ・宇都宮( うつのみや ) 三河( みかはの ) 守( かみ ) ・小山判官( をやまのはんぐわん ) ・武田( たけだの ) 伊豆( いづの ) 三郎・小笠原( をがさはら ) 彦五郎・土岐伯耆( ときのはうき ) 入道・葦名判官( あしなのはんぐわん ) ・三浦( みうらの ) 若狭( わかさの ) 五郎・千田( せんだの ) 太郎・城太宰大弐( じやうのださいのだいに ) 入道・佐々木( ささきの ) 隠岐前司( おきのぜんじ ) ・同( おなじき ) 備中( びつちゆうの ) 守( かみ ) ・結城( ゆふきの ) 七郎左衛門( さゑもんの ) 尉( じよう ) ・小田常陸前司( をだのひたちのぜんじ ) ・長崎四郎左衛門( しらうざゑもんの ) 尉( じよう ) ・同( おなじき ) 九郎左衛門( さゑもんの ) 尉( じよう ) ・長江( ながえの ) 弥六左衛門( さゑもんの ) 尉( じよう ) ・長沼駿河( ながぬまのするがの ) 守( かみ ) ・渋谷( しぶや ) 遠江守( とほたふみのかみ ) ・河越( かはごえ ) 三河( みかはの ) 入道・工藤( くどう ) 次郎左衛門( じらうざゑもん ) 高景( たかかげ ) ・狩野( かのの ) 七郎左衛門( さゑもんの ) 尉( じよう ) ・伊東常陸( いとうひたちの ) 前司・同( おなじき ) 大和( やまとの ) 入道・安藤藤内( あんどうとうない ) 左衛門( さゑもんの ) 尉( じよう ) ・宇佐美摂津( つの ) 前司・二階堂( にかいだう ) 出羽( ではの ) 入道・同下野( おなじきしもつけの ) 判官・同常陸介( おなじきひたちのかみ ) ・安保( あぶの ) 左衛門入道・南部( なんぶの ) 次郎・山城( やましろの ) 四郎左衛門( しらうざゑもんの ) 尉( じよう ) 、此等( これら ) を始( はじめ ) として、宗( むね ) との大名( だいみやう ) 百三十二人( ひやくさんじふににん ) 、都合( つがふ ) 其( その ) 勢三十万七千五百( ごひやく ) 余騎( よき ) 、九月二十日鎌倉( かまくら ) を立( たつ ) て、十月八日先陣( せんぢん ) 既( すで ) に京都に着( つ ) けば後陣( ごぢん ) は未だ足柄( あしがら ) ・筥根( はこね ) に支( ささ ) へたり。是( これ ) のみならず河野( かうのの ) 九郎四国の勢を率( そつ ) して、大船( たいせん ) 三百( さんびやく ) 余艘( よさう ) にて尼崎( あまがさき ) より襄( あがつ ) て下京( しもきやう ) に着( つく ) 。厚東( こうとう ) 入道・大内介( おほちのすけ ) ・安芸( あきの ) 熊谷( くまがえ ) 、周防( すはう ) ・長門( ながと ) の勢を引具( ひきぐ ) して、兵船( ひやうせん ) 二百余艘( よさう ) にて、兵庫( ひやうご ) より襄( あがつ ) て西( にし ) の京( きやう ) に着( つく ) 。甲斐・信濃( しなの ) の源氏七千余騎( よき ) 、中山道( なかせんだう ) を経( へ ) て東山( ひがしやま ) に着( つく ) 。江馬( えま ) 越前守( ゑちぜんのかみ ) ・淡河右京亮( あいかはうきやうのすけ ) 、北陸道( ほくろくだう ) 七( しち ) 箇国( かこく ) の勢を率( そつ ) して、三万余騎( よき ) にて東坂本( ひがしさかもと ) を経て上京( かみきやう ) に着( つく ) 。総( そう ) じて諸国七道の軍勢( ぐんぜい ) 我( われ ) も我( われ ) もと馳上( はせのぼ ) りける間、京白河( しらかは ) の家( いへ ) 々に居余( ゐあま ) り、醍醐( だいご ) ・小栗栖( をぐるす ) ・日野( ひの ) ・勧修寺( くわんしゆじ ) ・嵯峨・仁和寺( にんわじ ) ・太秦( うづまさ ) の辺( へん ) ・西山( にしやま ) ・北山( きたやま ) ・賀茂( かも ) ・北野・革堂( かうだう ) ・河崎( かうさき ) ・清水( きよみづ ) ・六角堂の門( もん ) の下( した ) 、鐘楼( しゆろう ) の中迄( まで ) も、軍勢の宿( やど ) らぬ所は無( なか ) りけり。日本( につぽん ) 雖小国是程( これほど ) に人の多かりけりと始( はじめ ) て驚く許( ばかり ) 也( なり ) 。去程( さるほど ) に元弘三年正月晦日( つごもり ) 、諸国の軍勢八十万騎( はちじふまんぎ ) を三手( みて ) に分( わけ ) て、吉野・赤坂・金剛山( こんがうせん ) 、三( みつ ) の城へぞ被向ける。先( まづ ) 吉野へは二階堂出羽( ではの ) 入道々蘊( だううん ) を太将として、態( わざ ) と他の勢を交( まじ ) へず、二万七千余騎( よき ) にて、上道( かみみち ) ・下道( しもみち ) ・中道( なかみち ) より、三手に成( なつ ) て相向ふ。赤坂へは阿曾弾正少弼( あそだんじやうせうひつ ) を大将として、其( その ) 勢八万( はちまん ) 余騎( よき ) 、先( まづ ) 天王寺( てんわうじ ) ・住吉に陣を張る。金剛山( こんがうせん ) へは陸奥( むつの ) 右馬助( うまのすけ ) 、搦手( からめで ) の大将として、其( その ) 勢二十万騎( にじふまんぎ ) 、奈良路( ならぢ ) よりこそ被向けれ。中にも長崎悪四郎左衛門( しらうざゑもんの ) 尉( じよう ) は、別して侍( さぶらひ ) 大将を承( うけたまはつ ) て、大手( おほて ) へ向ひけるが、態( わざと ) 己( おのれ ) が勢( せい ) の程を人に被知とや思( おもひ ) けん。一日引( ひき ) さがりてぞ向ひける。其行妝( そのかうさう ) 見物( けんぶつ ) の目をぞ驚( おどろか ) しける。先( まづ ) 旗差( はたさし ) 、其( その ) 次に逞しき馬に厚総( あつぶさ ) 懸( かけ ) て、一様( いちやう ) の鎧( よろひ ) 着( きた ) る兵( つはもの ) 八百( はつぴやく ) 余騎( よき ) 、二町( にちやう ) 計( ばかり ) 先( さ ) き立( だ ) てゝ、馬を静めて打( うた ) せたり。我( わが ) 身は其( その ) 次に纐纈( かうけつ ) の鎧直垂( よろひひたたれ ) に、精好( せいがう ) の大口( おほくち ) を張( はら ) せ、紫下濃( むらさきすそご ) の鎧に、白星( しらぼし ) の五枚甲( かぶと ) に八竜( はちりゆう ) を金( きん ) にて打( うつ ) て付( つけ ) たるを猪頚( ゐくび ) に着成( きな ) し、銀( しろがね ) の瑩付( みがきつけ ) の脛当( すねあて ) に金作( こがねづくり ) の太刀に振帯( ふりはい ) て、一部黒( いちのへいぐろ ) とて、五尺三寸有( あり ) ける坂東( ばんどう ) 一の名馬に塩干潟( しほひがた ) の捨小舟( すてをぶね ) を金貝( かながひ ) に磨( すり ) たる鞍を置( おい ) て、款冬( やまぶき ) 色の厚総( あつぶさ ) 懸( かけ ) て、三十六( さんじふろく ) 差( さい ) たる白磨( しらすり ) の銀筈( しろがねはず ) の大中黒( おほなかぐろ ) の矢に、本滋藤( もとしげどう ) の弓の真中( まつなか ) 握( にぎつ ) て、小路( こうぢ ) を狭( せば ) しと歩( あゆ ) ませたり。片小手( かたこて ) に腹当( はらあて ) して、諸具足( もろぐそく ) したる中間( ちゆうげん ) 五百( ごひやく ) 余人( よにん ) 、二行( にがう ) に列を引き、馬の前後( ぜんご ) に随( したがつ ) て、閑( しづか ) に路次( ろし ) をぞ歩( あゆ ) みける。其後( そののち ) 四五町( しごちやう ) 引( ひき ) さがりて、思々( おもひおもひ ) に鎧( よろう ) たる兵( つはもの ) 十万余騎( よき ) 、甲( かぶと ) の星を輝( かかや ) かし、鎧の袖を重( かさね ) て、沓( くつ ) の子( こ ) を打( うち ) たるが如くに道五六里が程支( ささへ ) たり。其勢( そのいきほ ) ひ決然( けつぜん ) として天地を響( ひび ) かし山川( さんせん ) を動( うごか ) す許( ばかり ) 也( なり ) 。此外( このほか ) 々様( とざま ) の大名( だいみやう ) 五千騎( ごせんぎ ) ・三千騎、引分々々( ひきわけひきわけ ) 昼夜( ちうや ) 十三日迄( まで ) 、引( ひき ) も切らでぞ向ひける。我朝( わがてう ) は不及申、唐土( たうど ) ・天竺( てんぢく ) ・太元( たいげん ) ・南蛮( なんばん ) も、未( いまだ ) 是程( これほど ) の大軍を発( おこ ) す事難有かりし事也( なり ) 。と思はぬ人こそ無( なか ) りけれ。
○赤坂合戦( あかさかかつせんの ) 事( こと ) 付人見本間( ひとみほんま ) 抜懸( ぬけがけの ) 事( こと ) 去程( さるほど ) に赤坂の城へ向ひける大将、阿曾弾正少弼( あそだんじやうせうひつ ) 、後陣( ごぢん ) の勢を待調( まちそろ ) へんが為に、天王寺( てんわうじ ) に両日逗留( とうりう ) 有( あつ ) て、同( おなじき ) 二月二日午刻( むまのこく ) に、可有矢合、於抜懸之輩者{は}、可為罪科之由( よし ) をぞ被触ける。爰( ここ ) に武蔵( むさしの ) 国( くに ) の住人( ぢゆうにん ) に人見( ひとみ ) 四郎入道恩阿( おんあ ) と云( いふ ) 者あり。此( この ) 恩阿、本間( ほんま ) 九郎資貞( すけさだ ) に向( むかつ ) て語りけるは、「御方( みかた ) の軍勢雲霞( うんか ) の如くなれば、敵陣を責落( せめおと ) さん事疑( うたがひ ) なし。但( ただし ) 事( こと ) の様( やう ) を案( あん ) ずるに、関東( くわんとう ) 天下を治( をさめ ) て権を執( と ) る事已( すで ) に七代に余れり。天道( てんだう ) 欠盈理( り ) 遁( のが ) るゝ処なし。其上( そのうへ ) 臣として君を流し奉る積悪( せきあく ) 、豈( あに ) 果して其身( そのみ ) を滅( ほろぼ ) さゞらんや。某( それがし ) 不肖( ふせう ) の身なりと云へ共( ども ) 、武恩を蒙( かうむつ ) て齢( よはひ ) 已( すで ) に七旬( しちじゆん ) に余れり。今日より後( のち ) 差( さし ) たる思出( おもひで ) もなき身の、そゞろに長生( ながいき ) して武運の傾( かたぶ ) かんを見んも、老後( らうご ) の恨( うらみ ) 臨終( りんじゆう ) の障( さはり ) 共( とも ) 成( なり ) ぬべければ、明日( みやうにち ) の合戦( かつせん ) に先懸( さきがけ ) して、一番に討死して、其( その ) 名を末代( まつだい ) に遺( のこ ) さんと存( ぞん ) ずる也( なり ) 。」と語りければ、本間九郎心中( しんちゆう ) にはげにもと思( おもひ ) ながら、「枝葉( しえふ ) の事を宣( のたまふ ) 者哉( かな ) 。是( これ ) 程なる打囲( うちごみ ) の軍( いくさ ) に、そゞろなる先懸( さきがけ ) して討死したりとも、差( さし ) て高名( かうみやう ) とも云( いは ) れまじ。されば只( ただ ) 某( それがし ) は人なみに可振舞也( なり ) 。」と云( いひ ) ければ、人見よにも無興気( ぶきようげ ) にて、本堂の方( かた ) へ行( ゆき ) けるを、本間怪( あやし ) み思( おもひ ) て、人を付( つけ ) て見せければ、矢立( やたて ) を取出( とりいだ ) して、石の鳥居( とりゐ ) に何事( なにこと ) とは不知一筆( ひとふで ) 書付( かきつけ ) て、己( おのれ ) が宿( やど ) へぞ帰りける。本間九郎、さればこそ此( この ) 者に一定( いちぢやう ) 明日先懸( さきがけ ) せられぬと、心ゆるし無( なか ) りければ、まだ宵( よひ ) より打立( うちたつ ) て、唯( ただ ) 一騎東条( とうでう ) を指( さし ) て向( むかひ ) けり。石川々原( いしかはかはら ) にて夜( よ ) を明( あか ) すに、朝霞( あさぎり ) の晴間( はれま ) より、南の方( かた ) を見ければ、紺唐綾威( こんのからあやをどし ) の鎧に白母衣( しろほろ ) 懸( かけ ) て、鹿毛( かげ ) なる馬に乗( のつ ) たる武者( むしや ) 一騎、赤坂( あかさか ) の城へぞ向ひける。何者( なにもの ) やらんと馬打寄( うちよ ) せて是( これ ) を見れば、人見四郎入道なりけり。人見本間を見付( みつけ ) て云( いひ ) けるは、「夜部( よべ ) 宣( のたまひ ) し事を実( まこと ) と思( おもひ ) なば、孫( まご ) 程の人に被出抜まし。」と打笑( うちわらう ) てぞ、頻( しきり ) に馬を早めける。本間跡( あと ) に付( つい ) て、「今は互に先( さき ) を争ひ申( まうす ) に及( およば ) ず、一所( いつしよ ) にて尸( かばね ) を曝( さら ) し、冥途( めいど ) までも同道( どうだう ) 申さんずるぞよ。」と云( いひ ) ければ、人見、「申( まうす ) にや及ばん。」と返事して、跡になり先になり物語して打( うち ) けるが、赤坂城の近く成( なり ) ければ、二人( ににん ) の者共( ものども ) 馬の鼻を双( ならべ ) て懸驤( かけあが ) り、堀の際( きは ) まで打寄( うちよつ ) て、鐙( あぶみ ) 踏張( ふんばり ) 弓杖( ゆんづゑ ) 突( つい ) て、大音声( だいおんじやう ) を揚( あげ ) て名乗( なのり ) けるは、「武蔵( むさしの ) 国( くに ) の住人( ぢゆうにん ) に、人見四郎入道恩阿( おんあ ) 、年( とし ) 積( つもつ ) て七十三、相摸( さがみの ) 国( くに ) の住人( ぢゆうにん ) 本間九郎資貞( すけさだ ) 、生年( しやうねん ) 三十七、鎌倉( かまくら ) を出( いで ) しより軍( いくさ ) の先陣を懸( かけ ) て、尸( かばね ) を戦場に曝( さら ) さん事を存じて相向( あひむか ) へり。我( われ ) と思はん人々は、出合( いであひ ) て手なみの程を御覧( ごらん ) ぜよ。」と声々( こゑごゑ ) に呼( よばはつ ) て城を睨( にらん ) で引( ひか ) へたり。城中( じやうちゆう ) の者共( ものども ) 是( これ ) を見て、是( これ ) ぞとよ、坂東武者( ばんどうむしや ) の風情( ふぜい ) とは。只( ただ ) 是( これ ) 熊谷( くまがえ ) ・平山( ひらやま ) が一谷( いちのたに ) の先懸( さきがけ ) を伝聞( つたへきい ) て、羨敷( うらやましく ) 思へる者共( ものども ) 也( なり ) 。跡( あと ) を見るに続く武者もなし。又さまで大名( だいみやう ) とも見へず。溢( あふ ) れ者の不敵武者( ふてきむしや ) に跳( をど ) り合( あう ) て、命( いのち ) 失( うしなう ) て何かせん。只置( おい ) て事の様( やう ) を見よ、とて、東西鳴( なり ) を静めて返事もせず。人見腹を立( た ) て、「早旦( さうたん ) より向( むかつ ) て名乗れ共( ども ) 、城より矢の一( ひとつ ) をも射出( いいだ ) さぬは、臆病( おくびやう ) の至( いた ) り歟( か ) 、敵を侮( あなど ) る歟( か ) 、いで其義( そのぎ ) ならば手柄( てがら ) の程を見せん。」とて、馬より飛下( とびおり ) て、堀の上なる細橋( ほそはし ) さら/\と走渡( はしりわた ) り、二人( ににん ) の者共( ものども ) 出( だ ) し屏( べい ) の脇に引傍( ひつそう ) て、木戸を切落( きりおと ) さんとしける間、城中是( これ ) に騒( さわい ) で、土小間( つちざま ) ・櫓( やぐら ) の上より、雨の降( ふる ) が如くに射ける矢、二人( ににん ) の者共( ものども ) が鎧に、蓑毛( みのけ ) の如くにぞ立( たち ) たりける。本間も人見も、元( もと ) より討死( うちじに ) せんと思立( おもひたち ) たる事なれば、何かは一足( ひとあし ) も可引。命( いのち ) を限( かぎり ) に二人( ににん ) 共( とも ) に一所( いつしよ ) にて被討けり。是( これ ) まで付従( つきしたが ) ふて最後の十念( じふねん ) 勧( すす ) めつる聖( ひじり ) 、二人( ににん ) が首を乞得( こひえ ) て、天王寺( てんわうじ ) に持( もち ) て帰り、本間が子息( しそく ) 源内( げんない ) 兵衛資忠( すけただ ) に始( はじめ ) よりの有様( ありさま ) を語る。資忠( すけただ ) 父が首を一目見て、一言( いちごん ) をも不出、只涙に咽( むせん ) で居たりけるが、如何( いかが ) 思( おもひ ) けん、鐙を肩に投懸( なげかけ ) 、馬に鞍置( おい ) て只一人打出( うちいで ) んとす。聖怪( あやし ) み思( おもう ) て、鎧の袖を引留( ひきとど ) め、「是( これ ) はそも如何( いか ) なる事にて候ぞ。御親父( ごしんぶ ) も此( この ) 合戦に先懸( さきがけ ) して、只名( な ) を天下の人に被知と許( ばかり ) 思召( おぼしめ ) さば、父子( ふし ) 共に打連( うちつれ ) てこそ向はせ給ふべけれ共、命( いのち ) をば相摸殿( さがみどの ) に献( たてまつ ) り、恩賞( おんしやう ) をば子孫( しそん ) の栄花( えいぐわ ) に貽( のこ ) さんと思召( おぼしめし ) ける故( ゆゑ ) にこそ、人より先( さき ) に討死をばし給( たまふ ) らめ。而( しか ) るに思ひ篭( こめ ) 給へる所もなく、又敵陣に懸入( かけいつ ) て、父子共( ふしとも ) に打死し給ひなば、誰か其跡( そのあと ) を継( つ ) ぎ誰か其( その ) 恩賞を可蒙。子孫無窮( ぶきゆう ) に栄( さかゆ ) るを以( もつ ) て、父祖の孝行を呈( あらは ) す道とは申( まうす ) 也( なり ) 。御悲歎( ごひたん ) の余( あま ) りに無是非死を共にせんと思召( おぼしめす ) は理( ことわり ) なれ共( ども ) 、暫( しばらく ) 止( とま ) らせ給へ。」と堅く制しければ、資忠涙を押( おさ ) へて無力着( き ) たる鎧を脱置( ぬぎおき ) たり。聖( ひじり ) さては制止に拘( かかは ) りぬと喜しく思て、本間が首( くび ) を小袖に裹( つつ ) み、葬礼の為に、側( あたり ) なる野辺( のべ ) へ越( こえ ) ける其( その ) 間に、資忠( すけただ ) 今は可止人なければ、則( すなはち ) 打出( うちいで ) て、先( まづ ) 上宮( じやうぐう ) 太子の御前( おんまへ ) に参り、今生( こんじやう ) の栄耀( えいえう ) は、今日( けふ ) を限りの命( いのち ) なれば、祈る所に非( あら ) ず、唯( ただ ) 大悲( だいひ ) の弘誓( ぐぜい ) の誠( まこと ) 有らば、父にて候者の討死仕候( つかまつりさふらひ ) し戦場( せんぢやう ) の同じ苔( こけ ) の下( した ) に埋( うづも ) れて、九品安養( くぼんあんやう ) の同台( おなじうてな ) に生( むま ) るゝ身と成( な ) させ給へと、泣々( なくなく ) 祈念( きねむ ) を凝( こら ) して泪( なみだ ) と共に立出( たちいで ) けり。石の鳥居( とりゐ ) を過( すぐ ) るとて見れば我( わが ) 父と共に討死しける人見四郎入道が書付( かきつけ ) たる歌あり。是( これ ) ぞ誠( まこと ) に後世( ごせ ) までの物語に可留事よと思( おもひ ) ければ、右の小指を喰切( くひきつ ) て、其( その ) 血を以て一首( いつしゆ ) を側( そば ) に書添( かきそへ ) て、赤坂の城へぞ向ひける。城近く成( なり ) ぬる所にて馬より下( お ) り、弓を脇に挟( さしはさん ) で城戸( きど ) を叩き、「城中の人々に可申事あり。」と呼( よばは ) りけり。良( やや ) 暫く在( あつ ) て、兵( つはもの ) 二人( ににん ) 櫓( やぐら ) の小間( さま ) より顔を指出( さしいだ ) して、「誰人( たれびと ) にて御渡( わたり ) 候哉( や ) 。」と問( とひ ) ければ、「是( これ ) は今朝( こんてう ) 此( この ) 城に向( むかつ ) て打死( うちじに ) して候( さふらひ ) つる、本間九郎資貞( すけさだ ) が嫡子、源内( げんない ) 兵衛資忠( すけただ ) と申( まうす ) 者にて候也( なり ) 。人の親の子を憶( おも ) ふ哀( あはれ ) み、心の闇に迷( まよ ) ふ習( ならひ ) にて候間、共に打死( うちじに ) せん事を悲( かなしみ ) て、我に不知して、只一人打死( うちじに ) しけるにて候。相伴( あひともな ) ふ者無( なく ) て、中有( ちゆうう ) の途( みち ) に迷ふ覧( らん ) 。さこそと被思遣候へば、同( おなじ ) く打死仕( つかまつり ) て、無迹( なきあと ) まで父に孝道を尽( つく ) し候( さふらは ) ばやと存( ぞん ) じて、只一騎相向( あひむかつ ) て候也( なり ) 。城の大将に此由( このよし ) を被申候( さふらひ ) て、木戸( きど ) を被開候へ。父が打死( うちじに ) の所にて、同( おなじ ) く命( いのち ) を止( とど ) めて、其望( そののぞみ ) を達し候はん。」と、慇懃( いんぎん ) に事を請( こ ) ひ泪( なみだ ) に咽( むせん ) でぞ立( たつ ) たりける。一の木戸を堅( かた ) めたる兵( つはもの ) 五十( ごじふ ) 余人( よにん ) 、其志( そのこころざし ) 孝行にして、相向( あひむか ) ふ処やさしく哀( あはれ ) なるを感じて、則( すなはち ) 木戸を開き、逆茂木( さかもぎ ) を引( ひき ) のけしかば、資忠( すけただ ) 馬に打乗り、城中へ懸入( かけいつ ) て、五十( ごじふ ) 余人( よにん ) の敵と火を散( ちらし ) てぞ切合( きりあひ ) ける。遂に父が被討し其迹( そのあと ) にて、太刀を口に呀( くはへ ) て覆( うつぶ ) しに倒( たふれ ) て、貫かれてこそ失( うせ ) にけれ。惜( をしい ) 哉( かな ) 、父の資貞( すけさだ ) は、無双( ぶさう ) の弓矢取( ゆみやとり ) にて国の為に要須( えうしゆ ) たり。又子息資忠( すけただ ) は、ためしなき忠孝の勇士にて家の為に栄名( えいめい ) あり。人見は年( とし ) 老( おい ) 齢( よはひ ) 傾( かたむ ) きぬれ共( ども ) 、義を知( しり ) て命( めい ) を思ふ事( こと ) 、時と共に消息( せうそく ) す。此( この ) 三人( さんにん ) 同時( どうじ ) に討死( うちじに ) しぬと聞へければ、知( しる ) も知( しら ) ぬもをしなべて、歎かぬ人は無( なか ) りけり。既( すで ) に先懸( さきがけ ) の兵共( つはものども ) 、ぬけ/\に赤坂の城へ向( むかつ ) て、討死する由披露( ひろう ) 有( あり ) ければ、大将則( すなはち ) 天王寺( てんわうじ ) を打立( うちたつ ) て馳向( はせむか ) ひけるが、上宮( じやうぐう ) 太子の御前( おんまへ ) にて馬より下( お ) り、石の鳥居を見給へば、左の柱に、花さかぬ老木( おいき ) の桜朽( くち ) ぬとも其( その ) 名は苔の下( した ) に隠( かく ) れじと一首( いつしゆ ) の歌を書( かい ) て、其( その ) 次に、「武蔵( むさしの ) 国( くに ) の住人( ぢゆうにん ) 人見( ひとみ ) 四郎恩阿( おんあ ) 、生年( しやうねん ) 七十三、正慶( しやうきやう ) 二年二月二日、赤坂の城へ向( むかつ ) て、武恩を報ぜん為に討死仕畢( つかまつりをはん ) ぬ。」とぞ書( かい ) たりける。又右の柱を見れば、まてしばし子を思ふ闇に迷( まよふ ) らん六( むつ ) の街( ちまた ) の道しるべせんと書( かい ) て、「相摸( さがみの ) 国( くに ) の住人( ぢゆうにん ) 本間九郎資貞( すけさだが ) 嫡子( ちやくし ) 、源内兵衛資忠生年( しやうねん ) 十八歳( じふはつさい ) 、正慶二年仲春( ちゆうしゆん ) 二日、父が死骸( しがい ) を枕にして、同戦場( おなじせんぢやう ) に命( いのち ) を止( とど ) め畢( をはん ) ぬ。」とぞ書( かい ) たりける。父子の恩義君臣の忠貞、此( この ) 二首の歌に顕( あらは ) れて、骨は化( け ) して黄壌( くわうじやう ) 一堆( いつたい ) の下( もと ) に朽( くち ) ぬれど、名は留( とどまつ ) て青雲( せいうん ) 九天の上に高し。されば今に至るまで、石碑( せきひ ) の上に消残( きえのこ ) れる三十一字( みそぢひともじ ) を見る人、感涙( かんるゐ ) を流さぬは無( なか ) りけり。去程( さるほど ) に阿曾弾正少弼( あそのだんじやうせうひつ ) 、八万( はちまん ) 余騎( よき ) の勢を率( そつ ) して、赤坂へ押寄( おしよ ) せ、城の四方( しはう ) 二十( にじふ ) 余町( よちやう ) 、雲霞( うんか ) の如くに取巻( とりまい ) て、先時( まづとき ) の声をぞ揚( あげ ) たりける。其音( そのこゑ ) 山を動( うごか ) し地を震( ふる ) ふに、蒼涯( さうがい ) も忽( たちまち ) に可裂。此( この ) 城三方( さんぱう ) は岸( きし ) 高( たかう ) して、屏風( びやうぶ ) を立( たて ) たるが如し。南の方許( ばかり ) こそ平地( ひらち ) に継( つづ ) ひて、堀を広く深く掘切( ほりきつ ) て、岸の額( ひたひ ) に屏( へい ) を塗( ぬ ) り、其( その ) 上に櫓( やぐら ) を掻双( かきなら ) べたれば、如何なる大力早態( だいりきはやわざ ) なりとも、輒( たやす ) く可責様( やう ) ぞなき。され共( ども ) 寄手( よせて ) 大勢なれば、思侮( おもひあなどつ ) て楯にはづれ矢面( やおもて ) に進( すすん ) で、堀の中へ走り下( おり ) て、切岸( きりぎし ) を襄( あが ) らんとしける処を、屏( へい ) の中より究竟( くきやう ) の射手共( いてども ) 、鏃( やじり ) を支( ささへ ) て思様( おもふやう ) に射ける間、軍( いくさ ) の度毎( たびごと ) に、手負死人( ておひしにん ) 五百人( ごひやくにん ) 六百人( ろつぴやくにん ) 、不被射出時はなかりけり。是をも不痛荒手( あらて ) を入替々々( いれかへいれかへ ) 、十三日までぞ責( せめ ) たりける。され共( ども ) 城中少( すこし ) も不弱見へけり。爰( ここ ) に播磨国( はりまのくに ) の住人( ぢゆうにん ) 、吉河( きつかはの ) 八郎と云( いふ ) 者、大将の前に来( きたつ ) て申( まうし ) けるは、「此( この ) 城の為体( ていたらく ) 、力責( ちからせめ ) にし候はゞ無左右不可落候。楠此( この ) 一両年が間、和泉( いづみ ) ・河内を管領( くわんりやう ) して、若干( そこばく ) の兵粮( ひやうらう ) を取入( とりいれ ) て候なれば、兵粮も無左右尽( つき ) 候まじ。倩( つらつら ) 思案( しあん ) を廻( めぐら ) し候に、此( この ) 城三方( さんぱう ) は谷深( ふかう ) して地に不継、一方は平地( ひらち ) にて而( しか ) も山遠く隔( へだた ) れり。されば何( いづ ) くに水可有とも見へぬに、火矢( ひや ) を射れば水弾( みづはじき ) にて打消( うちけし ) 候。近来( このごろ ) は雨の降る事も候はぬに、是程( これほど ) まで水の卓散( たくさん ) に候は、如何様( いかさま ) 南の山の奥より、地( ち ) の底に樋( ひ ) を伏( ふせ ) て、城中へ水を懸入( かけい ) るゝ歟( か ) と覚( おぼえ ) 候。哀( あはれ ) 人夫( にんぶ ) を集めて、山の腰を掘( ほり ) きらせて、御覧候へかし。」と申( まうし ) ければ、大将、「げにも。」とて、人夫を集め、城へ継( つづ ) きたる山の尾を、一文字( いちもんじ ) に掘切( ほりきつ ) て見れば、案の如く、土( つち ) の底に二丈余( あま ) りの下に樋( ひ ) を伏せて、側( そば ) に石を畳( たた ) み、上に真木( まき ) の瓦( かはら ) を覆( ふせ ) て、水を十町( じつちよう ) 余( あまり ) の外( ほか ) よりぞ懸( かけ ) たりける。此揚水( このあげみづ ) を被止て後( のち ) 、城中に水乏( とぼしう ) して、軍勢口中( くぢゆう ) の渇( かつ ) 難忍ければ、四五日が程は、草葉( くさば ) に置( お ) ける朝( あした ) の露を嘗め、夜気( やき ) に潤( うるほ ) へる地( ち ) に身を当( あて ) て、雨を待( まち ) けれ共( ども ) 雨不降。寄手( よせて ) 是( これ ) に利を得、隙( ひま ) なく火矢( ひや ) を射ける間、大手の櫓( やぐら ) 二( ふた ) つをば焼落( やきおと ) しぬ。城中の兵( つはもの ) 水を飲まで十二日に成( なり ) ければ、今は精力( せいりよく ) 尽( つき ) はてゝ、可防方便( てだて ) も無( なか ) りけり。死( しに ) たる者は再び帰る事なし。去来( いざ ) や、とても死なんずる命( いのち ) を、各( おのおの ) 力( ちから ) の未だ墜( おち ) ぬ先( さき ) に打出( うちい ) で、敵に指違( さしちが ) へ、思様( おもふやう ) に打死( うちじに ) せんと、城の木戸を開( ひらい ) て、同時に打出( うちいで ) んとしけるを、城の本人平野将監( しやうげん ) 入道、高櫓( たかやぐら ) より走下( はしりお ) り、袖をひかへて云( いひ ) けるは、「暫く楚忽( そこつ ) の事な仕給( したま ) ふそ。今は是程( これほど ) に力尽( つ ) き喉( のんど ) 乾( かわい ) て疲( つか ) れぬれば、思ふ敵に相逢( あひあは ) ん事有難( ありがた ) し。名もなき人の中間( ちゆうげん ) ・下部共( しもべども ) に被虜て、恥を曝( さら ) さん事可心憂。倩( つらつら ) 事( こと ) の様( やう ) を案( あん ) ずるに、吉野・金剛山( こんがうせん ) の城、未( いまだ ) 相支( あひささへ ) て勝負( しようぶ ) を不決。西国( さいこく ) の乱( らん ) 未だ静まらざるに、今降人( かうにん ) に成( なつ ) て出( いで ) たらん者をば、人に見こらせじとて、討( うつ ) 事( こと ) 不可有と存ずる也( なり ) 。とても叶( かな ) はぬ我等なれば、暫( しばらく ) 事( こと ) を謀( はかつ ) て降人に成( なり ) 、命を全( まつたう ) して時至らん事を可待。」といへば、諸卒( しよそつ ) 皆此義( このぎ ) に同( どう ) じて、其( その ) 日の討死をば止( や ) めてけり。去程( さるほど ) に次( つぎの ) 日軍( いくさ ) の最中( さいちゆう ) に、平野入道高櫓( たかやぐら ) に上( のぼつ ) て、「大将の御方( おんかた ) へ可申子細( しさい ) 候。暫く合戦を止( やめ ) て、聞食( きこしめし ) 候へ。」と云( いひ ) ければ、大将渋谷( しぶや ) 十郎を以て、事の様( やう ) を尋( たづぬ ) るに、平野木戸口( きどくち ) に出合( いであつ ) て、「楠和泉・河内の両国を平げて威を振( ふる ) ひ候( さふらひ ) し刻( きざみ ) に、一旦( いつたん ) の難( なん ) を遁れん為に、不心御敵に属( しよく ) して候( さふらひ ) き。此子細( このしさい ) 京都に参( さん ) じ候( さふらう ) て、申入( まうしいれ ) 候はんと仕( つかまつり ) 候処に、已( すで ) に大勢を以て被押懸申( まうし ) 候間( あひだ ) 、弓矢取身( ゆみやとるみ ) の習ひにて候へば、一矢( ひとや ) 仕りたるにて候。其罪科( そのざいくわ ) をだに可有御免にて候はゞ、頚を伸( のべ ) て降人( かうにん ) に可参候。若( もし ) 叶( かな ) ふまじきとの御定( ごぢやう ) にて候はゞ、無力一矢( ひとや ) 仕( つかまつつ ) て、尸( かばね ) を陣中に曝( さら ) すべきにて候。此様( このやう ) を具( つぶさ ) に被申候へ。」と云( いひ ) ければ、大将大( おほき ) に喜( よろこび ) て、本領安堵( ほんりやうあんど ) の御教書( みげうしよ ) を成( な ) し、殊に功あらん者には、則( すなはち ) 恩賞を可申沙汰由( よし ) 返答して、合戦をぞ止( や ) めける。城中( じやうちゆう ) に篭( こも ) る所の兵( つはもの ) 二百八十二人( にひやくはちじふににん ) 、明日( みやうにち ) 死なんずる命( いのち ) をも不知、水に渇( かつ ) せる難堪さに、皆降人( かうにん ) に成( なつ ) てぞ出( いで ) たりける。長崎九郎左衛門( さゑもんの ) 尉( じよう ) 是( これ ) を請取( うけとり ) て、先( まづ ) 降人の法なればとて、物具( もののぐ ) ・太刀( たち ) ・刀( かたな ) を奪取( うばひと ) り、高手小手( たかてこて ) に禁( いましめ ) て六波羅( ろくはら ) へぞ渡しける。降人の輩( ともがら ) 、如此ならば只( ただ ) 討死( うちじに ) すべかりける者をと、後悔すれ共( ども ) 無甲斐。日を経( へ ) て京都に着( つき ) しかば、六波羅( ろくはら ) に誡置( いましめおい ) て、合戦の事始( ことはじめ ) なれば、軍神( いくさがみ ) に祭( まつり ) て人に見懲( みごり ) させよとて、六条河原( ろくでうかはら ) に引出( ひきいだ ) し、一人も不残首( くび ) を刎( はね ) て被懸けり。是( これ ) を聞( きき ) てぞ、吉野・金剛山( こんがうせん ) に篭( こも ) りたる兵共( つはものども ) も、弥( いよいよ ) 獅子( しし ) の歯嚼( はがみ ) をして、降人( かうにん ) に出( いで ) んと思ふ者は無( なか ) りけり。「罪を緩( ゆる ) ふするは将の謀( はかりごと ) 也( なり ) 。」と云( いふ ) 事( こと ) を知らざりける六波羅( ろくはら ) の成敗( せいばい ) を、皆( みな ) 人毎( ひとごとに ) 押( おし ) なべて、悪( あし ) かりけりと申( まうせ ) しが、幾程( いくほど ) も無( なう ) して悉( ことごとく ) 亡( ほろ ) びけるこそ不思議( ふしぎ ) なれ。情( なさけ ) は人の為ならず。余( あまり ) に驕( おごり ) を極( きは ) めつゝ、雅意( がい ) に任( まかせ ) て振舞へば、武運も早く尽( つき ) にけり。因果( いんぐわ ) の道理( だうり ) を知るならば、可有心( こころあるべき ) 事共( ことども ) 也( なり ) 。