源氏物語

Genji monogatari

紫式部 Murasaki Shikibu

1 光る源氏の物語 逝く春と離別の物語

2 光る源氏の物語 夏の長雨と鬱屈の物語

3 光る源氏の物語 須磨の秋の物語

4 光る源氏の物語 信仰生活と神の啓示の物語

出典
校訂

1 光る源氏の物語 逝く春と離別の物語

2 光る源氏の物語 夏の長雨と鬱屈の物語

3 光る源氏の物語 須磨の秋の物語

4 光る源氏の物語 信仰生活と神の啓示の物語

1 Tale of Hikaru-Genji A parting in departing spring

2 Tale of Hikaru-Genji Gloomy days in summer-rain on Suma and Kyoto

3 Tale of Hikaru-Genji Fall on Suma

4 Tale of Hikaru-Genji Religious life on Suma and God's revelation

 世の中、いとわづらはしく、はしたなきことのみまされば、「せめて知らず顔にあり経ても、これよりまさることもや」と思しなりぬ。
「かの須磨は、昔こそ人の住みかなどもありけれ、今は、いと里離れ心すごくて、海人の家だにまれに」など聞きたまへど、「人しげく、ひたたけたらむ住まひは、いと本意なかるべし。さりとて、都を遠ざからむも、故郷おぼつかなかるべきを」、人悪くぞ思し乱るる。
よろづのこと、来し方行く末、思ひ続けたまふに、悲しきこといとさまざまなり。憂きものと思ひ捨てつる世も、今はと住み離れなむことを思すには、いと捨てがたきこと多かるなかにも、姫君の、明け暮れにそへては、思ひ嘆きたまへるさまの、心苦しうあはれなるを、「行きめぐりても、また逢ひ見むことをかならず」と、思さむにてだに、なほ一、二日のほど、よそよそに明かし暮らす折々だに、おぼつかなきものにおぼえ、女君も心細うのみ思ひたまへるを、「幾年そのほどと限りある道にもあらず、逢ふを限りに530隔たりゆかむも、定めなき世に、やがて別るべき門出531にもや」と、いみじうおぼえたまへば、「忍びてもろともにもや」と、思し寄る折あれど、さる心細からむ海づらの、波風よりほかに立ちまじる人もなからむに、かくらうたき御さまにて、引き具したまへらむ532も、いとつきなく、わが心にも、「なかなか、もの思ひのつまなるべきを」など思し返すを、女君は、「いみじからむ道にも、後れきこえずだにあらば」と、おもむけて、恨めしげに思いたり。
かの花散里にも、おはし通ふことこそまれなれ、心細くあはれなる御ありさまを、この御蔭に隠れてものしたまへば、思し嘆きたるさまも、いとことわりなり。なほざりにても、ほのかに見たてまつり通ひたまひし所々、人知れぬ心をくだきたまふ人ぞ多かりける。
入道の宮よりも、「ものの聞こえや、またいかがとりなさむ」と、わが御ためつつましけれど、忍びつつ御とぶらひ常にあり。「昔、かやうに相思し、あはれをも見せたまはましかば」と、うち思ひ出でたまふにも、「さも、さまざまに、心をのみ尽くすべかりける人の御契りかな」と、つらく思ひきこえたまふ。

 世の中、まことに厄介で、体裁の悪いことばかり増えていくので、「無理にそ知らぬふりをして過ごしていても、これより厄介なことが増えていくのでは」とお思いになった。
「あの須磨は、昔こそ人の住居などもあったが、今では、とても人里から離れ物寂しくて、漁師の家さえまれで」などとお聞きになるが、「人が多く、ごみごみした住まいは、いかにも本旨にかなわないであろう。そうといって、都から遠く離れるのも、家のことがきっと気がかりに思われるであろう」と、人目にもみっともなくお悩みになる。
すべてのこと、今までのこと将来のこと、お思い続けなさると、悲しいことさまざまである。嫌な世だとお捨てになった世の中も、今は最後と住み離れるようなことお思いになると、まことに捨てがたいことが多いなかでも、姫君が、明け暮れ日の経つにつれて、思い悲しんでいられる様子が、気の毒で悲しいので、「別れ別れになても、再び逢えることは必ず」と、お思いになる場合でも、やはり一、二日の間、別々にお過ごしになった時でさえ、気がかりに思われ、女君も心細いばかりに思っていらっしゃるのを、「何年間と期限のある旅路でもなく、再び逢えるまであてどもなく漂って行くのも、無常の世に、このまま別れ別れになってしまう旅立ちにでもなりはしまいか」と、たいそう悲しく思われなさるので、「こっそりと一緒にでは」と、お思いよりになる時もあるが、そのような心細いような海辺の、波風より他に訪れる人もないような所に、このようないじらしいご様子で、お連れなさるのも、まことに不似合いで、自分の心にも、「かえって、物思いの種になるにちがいなかろう」などとお考え直しになるが、女君は、「どんなにつらい旅路でも、ご一緒申し上げることができたら」と、それとなくほのめかして、恨めしそうに思っていらっしゃった。
あの花散里にも、お通いになることはまれであるが、心細く気の毒なご様子を、この君のご庇護のもとに過ごしていらっしゃるので、お嘆きになる様子も、いかにもごもっともである。かりそめであっても、わずかにお逢い申しお通いにった所々では、人知れず心をお痛めになる方々が多かったのである。
入道の宮からも、「世間の噂は、またどのように取り沙汰されるだろうか」と、ご自身にとっても用心されるが、人目に立たないよう立たないようにしてお見舞いが始終ある。「昔、このように互いに思ってくださり、情愛をもお見せくださったのであったならば」と、ふとお思い出しになるにつけても、「そのようにも、あれやこれやと、心の限りを尽くさなければならない宿縁のお方であった」と、辛くお思い申し上げなさる。

 1 Tale of Hikaru-Genji A parting in departing spring [1-1 Genji determines to leave Kyoto for Suma]
 Yononaka, ito wadurahasiku, hasitanaki koto nomi masare ba, "Semete sira-zu-gaho ni ari-he te mo, kore yori masaru koto mo ya?" to obosi nari nu.
 "Kano suma ha, mukasi koso hito no sumika nado mo ari kere, ima ha, ito sato hanare kokoro-sugoku te, ama no ihe dani mare ni." nado kiki tamahe do, "Hito sigeku, hitatake tara m sumahi ha, ito ho'i nakaru besi. Sa'ri tote, miyako toho-zakara m mo, hurusato obotukanakaru beki wo", hito-waruku zo obosi midaruru.
 Yorodu no koto, kisikata yukusuwe, omohi-tuduke tamahu ni, kanasiki koto ito sama-zama nari. Uki mono to omohi-sute turu yo mo, ima ha to sumi-hanare na m koto wo obosu ni ha, ito sute gataki koto ohokaru naka ni mo, Hime-Gimi no, ake-kure ni sohe te ha, omohi-nageki tamahe ru sama no, kokoro-gurusiu ahare naru wo, "Yuki-meguri te mo, mata ahi-mi m koto wo kanarazu." to, obosa m ni te dani, naho hito-hi hutu-ka no hodo, yoso-yoso ni akasi-kurasu wori-wori dani, obotukanaki mono ni oboye, Womna-Gimi mo kokoro-bosou nomi omohi tamahe ru wo, "Iku-tosi sono hodo to kagiri aru miti ni mo ara zu, ahu wo kagiri ni hedatari yuka m mo, sadame naki yo ni, yagate wakaru beki kadode ni mo ya?" to, imiziu oboye tamahe ba, "Sinobi te morotomo ni mo ya?" to, obosi-yoru wori are do, saru kokoro-bosokara m umi-dura no, nami-kaze yori hoka ni tati-maziru hito mo nakara m ni, kaku rautaki ohom-sama ni te, hiki-gusi tamahe ra m mo, ito tukinaku, waga kokoro ni mo, "Naka-naka, mono-omohi no tuma naru beki wo." nado obosi-kahesu wo, Womna-Gimi ha, "Imizikara m miti ni mo, okure kikoye zu dani ara ba." to, omomuke te, uramesige ni oboi tari.
 Kano Hanatirusato ni mo, ohasi-kayohu koto koso mare nare, kokoro-bosoku ahare naru ohom-arisama wo, kono mi-kage ni kakure te monosi tamahe ba, obosi-nageki taru sama mo, ito kotowari nari. Nahozari ni te mo, honoka ni mi tatematuri kayohi tamahi si tokoro-dokoro, hito sire nu kokoro wo kudaki tamahu hito zo ohokari keru.
 Nihudau-no-Miya yori mo, "Mono no kikoye ya, mata ikaga tori-nasa m?" to, waga ohom-tame tutumasikere do, sinobi tutu ohom-toburahi tune ni ari. "Mukasi, kayau ni ahi-obosi, ahare wo mo mise tamaha masika ba!" to, uti-omohi-ide tamahu ni mo, "Sa mo, sama-zama ni, kokoro wo nomi tukusu bekari keru hito no ohom-tigiri kana!" to, turaku omohi kikoye tamahu.

 三月二十日あまりのほどになむ、都を離れたまひける。人にいつとしも知らせたまはず、ただいと近う仕うまつり馴れたる限り、七、八人ばかり御供にて、いとかすかに出で立ちたまふ。さるべき所々に、御文ばかりうち忍びたまひしにも、あはれと忍ばるばかり尽くいたまへるは、見どころもありぬべかりしかど、その折の、心地の紛れに、はかばかしうも聞き置かずなりにけり。
二、三日かねて、夜に隠れて、大殿に渡りたまへり。網代車のうちやつれたるにて、女車のやうにて隠ろへ入り533たまふも、いとあはれに、夢とのみ見ゆ。御方、いと寂しげにうち荒れたる心地して、若君の御乳母ども、昔さぶらひし人のなかに、まかで散らぬ限り、かく渡りたまへるをめづらしがりきこえて534、参う上り集ひて見たてまつるにつけても、ことにもの深からぬ若き人々さへ、世の常なさ思ひ知られて、涙にくれたり。
若君はいとうつくしうて、され走りおはしたり。
「久しきほどに、忘れぬこそ、あはれなれ」
とて、膝に据ゑたまへる御けしき、忍びがたげなり。
大臣、こなたに渡りたまひて、対面したまへり。
「つれづれに籠もらせたまへらむほど、何とはべらぬ昔物語も、参りて、聞こえさせむと思うたまへれど、身の病重きにより、朝廷にも仕うまつらず、位をも返し535たてまつりてはべるに、私ざまには腰のべてなむと、ものの聞こえひがひがしかるべきを、今は世の中憚る536べき身にもはべらねど、いちはやき世のいと恐ろしうはべるなり。かかる御ことを見たまふる537につけて、命長きは心憂く538思うたまへらるる世の末にもはべるかな。天の下をさかさまになしても、思うたまへ寄らざりし御ありさまを見たまふれば、よろづいとあぢきなくなむ」
と聞こえたまひて、いたうしほたれたまふ。
「とあることも、かかることも、前の世の報いにこそはべるなれば、言ひもてゆけば、ただ、みづからのおこたりになむはべる。さして、かく、官爵を取られず、あさはかなることにかかづらひてだに、朝廷のかしこまりなる人の、うつしざまにて世の中にあり経るは、咎重きわざに人の国にもしはべるなるを、遠く放ちつかはすべき定めなどもはべるなるは、さま異なる罪に当たるべきにこそはべるなれ。濁りなき心にまかせて、つれなく過ぐしはべらむも、いと憚り多く、これより大きなる恥にのぞまぬさきに、世を逃れなむと思うたまへ立ちぬる」
など、こまやかに聞こえたまふ。
昔の御物語、院の御こと、思しのたまはせし御心ばへなど聞こえ出でたまひて、御直衣の袖もえ引き放ちたまはぬに、君も、え心強くもてなしたまはず。若君の何心なく紛れありきて、これかれに馴れきこえたまふを、いみじと思いたり。
「過ぎはべりにし人を、世に思うたまへ忘るる世なくのみ、今に悲しびはべるを、この御ことになむ、もしはべる世ならましかば、いかやうに思ひ嘆きはべらまし。よくぞ短くて、かかる夢を見ずなりにけると、思うたまへ慰めはべる。幼くものしたまふが、かく齢過ぎぬるなかにとまりたまひて、なづさひきこえぬ月日や隔たりたまはむと思ひたまふるをなむ、よろづのことよりも、悲しうはべる。いにしへの人も、まことに犯しあるにてしも、かかることに当たらざりけり。なほさるべきにて、人の朝廷にもかかるたぐひ多うはべりけり。されど、言ひ出づる節ありてこそ、さることもはべりけれ、とざま、かうざまに、思ひたまへ寄らむかたなくなむ」
 など539、多くの御物語聞こえたまふ。
三位中将も参りあひたまひて、大御酒など参りたまふに、夜更けぬれば、泊まりたまひて、人々御前にさぶらはせたまひて、物語などせさせたまふ。人よりはこよなう忍び思す中納言の君、言へばえに540悲しう思へるさまを、人知れずあはれと思す。人皆静まりぬるに、とりわきて語らひたまふ。これにより泊まりたまへるなるべし。
明けぬれば、夜深う出でたまふに、有明の月いとをかし。花の木どもやうやう盛り過ぎて、わづかなる木蔭の、いと白き庭に薄く霧りわたりたる、そこはかとなく霞みあひて、秋の夜のあはれにおほくたちまされり。隅の高欄におしかかりて、とばかり、眺めたまふ。
中納言の君、見たてまつり送らむとにや、妻戸おし開けてゐたり。
「また対面あらむことこそ、思へばいと難けれ。かかりける世を知らで、心やすくもありぬべかりし月ごろ、さしも急がで、隔てしよ」
などのたまへば、ものも聞こえず泣く。
若君の御乳母の宰相の君して、宮の御前より御消息聞こえたまへり。
「身づから聞こえまほしきを、かきくらす乱り心地ためらひはべるほどに、いと夜深う出でさせたまふなるも、さま変はりたる心地のみしはべるかな。心苦しき人のいぎたなきほどは、しばしもやすらはせたまはで」
と聞こえたまへれば、うち泣きたまひて、
「鳥辺山燃えし煙もまがふやと
海人の塩焼く浦見にぞ行く」
御返りともなくうち誦じたまひて、
「暁の別れは、かうのみや心尽くしなる。思ひ知りたまへる人もあらむかし」
とのたまへば、
「いつとなく、別れといふ文字こそうたてはべるなるなかにも、今朝はなほたぐひあるまじう思うたまへらるるほどかな」
と、鼻声にて、げに浅からず思へり。
「聞こえさせまほしきことも、返す返す思うたまへながら、ただに結ぼほれはべるほど、推し量らせたまへ。いぎたなき人は、見たまへむにつけても、なかなか、憂き世逃れがたう思うたまへられぬべければ、心強う思うたまへなして、急ぎまかではべり」
と聞こえたまふ。
出でたまふほどを、人々覗きて見たてまつる。
入り方の月いと明きに、いとどなまめかしうきよらにて、ものを思いたるさま、虎、狼だに泣きぬべし。まして、いはけなくおはせしほどより見たてまつりそめてし人々なれば、たとしへ541なき御ありさまをいみじと思ふ。
まことや、御返り、
「亡き人の別れやいとど542隔たらむ
煙となりし雲居ならでは」
取り添へて、あはれのみ尽きせず、出でたまひぬる名残、ゆゆしきまで泣きあへり。

 三月二十日過ぎのころに、都をお離れになった。誰にもいつとはお知らせなさらず、わずかにごく親しくお仕え申し馴れている者だけ、七、八人ほどをお供として、たいそうひっそりとご出発になる。しかるべき所々には、お手紙だけをそっと差し上げなさったが、しみじみと偲ばれるほど言葉をお尽くしになったのは、きっと素晴らしいものであっただろうが、その時の、気の動転で、はっきりと聞いて置かないままになってしまったのであった。
二、三日前に、夜の闇に隠れて、大殿にお渡りになった。網代車の粗末なので、女車のようにひっそりとお入りになるのも、実にしみじみと、夢かとばかり思われる。お部屋は、とても寂しそうに荒れたような感じがして、若君の御乳母どもや、生前から仕えていた女房の中で、お暇を取らずにいた人は皆、このようにお越しになったのを珍しくお思い申して、参集して拝し上げるにつけても、たいして思慮深くない若い女房でさえ、世の中の無常が思い知られて、涙にくれた。
若君はとてもかわいらしく、はしゃいで走っていらっしゃった。
「長い間逢わないのに、忘れていないのが、感心なことだ」
と言って、膝の上にお乗せになったご様子、堪えきれなさそうである。
大臣、こちらにお越しになって、お会いになった。
「所在なくお引き籠もりになっていらっしゃる間、何ということもない昔話でも、参上して、お話し申し上げようと存じておりましたが、わが身の病気が重い理由で、朝廷にもお仕え申さず、官職までもお返し申し上げておりますのに、私事には腰を伸ばして勝手にと、世間の風評も悪く取り沙汰されるにちがいないので、今では世間に遠慮しなければならない身の上ではございませんが、厳しく性急な世の中がとても恐ろしいのでございます。このようなご悲運を拝見するにつけても、長生きは厭わしく存じられる末世でございますね。天地を逆様にしても、存じよりませんでしたご境遇を拝見しますと、万事がまことにおもしろくなく存じられます」
とお申し上げになって、ひどく涙にくれていらっしゃる。
「このようなことも、あのようなことも、前世からの因果だということでございますから、せんじつめれば、ただ、わたくしの宿運のつたなさゆえでございます。これと言った理由で、このように、官位を剥奪されず、ちょっとした科に関係しただけでも、朝廷のお咎めを受けた者が、普段と変わらない様子で世の中に生活をしているのは、罪の重いことに唐土でも致しておるということですが、遠流に処すべきだという決定などもございますというのは、容易ならぬ罪科に当たることになっているのでしょう。潔白な心のままで、素知らぬ顔で過ごしていますのも、まことに憚りが多く、これ以上大きな辱めを受ける前に、都を離れようと決意致した次第です」
などと、詳しくお話し申し上げなさる。
昔のお話、院の御事、御遺言あそばされた御趣旨などをお申し上げなさって、お直衣の袖もお引き放しになれないので、君も、気丈夫に我慢がおできになれない。若君が無邪気に走り回って、二人にお甘え申していらっしゃるのを、悲しくお思いになる。
「亡くなりました人を、まことに忘れる時とてなく、今でも悲しんでおりますのに、この度の出来事で、もし生きていましたら、どんなに嘆き悲しんだことでしょう。よくぞ短命で、このような悪夢を見ないで済んだことだと、存じて僅かに慰めております。あどけなくいらっしゃるのが、このように年寄たちの中に後に残されなさって、お甘え申し上げられない月日が重なって行かれるのであろうと存じますのが、何事にもまして、悲しうございます。昔の人も、本当に犯した罪があったからといっても、このような罪科には処せられたわけではありませんでした。やはり前世からの宿縁で、異国の朝廷にもこのような冤罪に遭った例は数多くございました。けれど、言い出す根拠があって、そのようなことにもなったのでございますが、どのような点から見ても、思い当たるような節がございませんのに」
などと、数々お話をお申し上げになる。
三位中将も参上なさって、お酒などをお上がりになっているうちに、夜も更けてしまったので、お泊まりになって、女房たちを御前に伺候させなさって、お話などをおさせになる。誰よりも特に密かに情けをかけていらっしゃる中納言の君、言葉に尽くせないほど悲しく思っている様子を、人知れずいじらしくお思いになる。女房たちが皆寝静まったころ、格別に睦言をお交わしになる。この人のためにお泊まりになったのであろう。
夜が明けてしまいそうなので、まだ夜の深いうちにお帰りになると、有明の月がとても美しい。花の樹々がだんだんと盛りを過ぎて、わずかに残っている花の木蔭が、とても白い庭にうっすらと朝霧が立ちこめているが、どことなく霞んで見えて、秋の夜の情趣よりも数段勝っていた。隅の高欄に寄り掛かって、しばらくの間、物思いにふけっていらっしゃる。
中納言の君、お見送り申し上げようとしてであろうか、妻戸を押し開けて座っている。
「再びお会いしようことを、思うとまことに難しい。このようなことになろうとは知らず、気安く逢えた月日があったのに、そのように思わず、ご無沙汰してしまったことよ」
などとおっしゃると、何とも申し上げられず泣く。
若君の御乳母の宰相の君をお使いとして、宮の御前からご挨拶を申し上げなさった。
「わたくし自身でご挨拶申し上げたいのですが、目の前が眩むほど悲しみに取り乱しておりますうちに、たいそう暗いうちにお帰りあそばすというのも、以前とは違った感じばかり致しますこと。不憫な子が眠っているうちを、少しもゆっくりともなさらず」
とお申し上げになさったので、ふと涙をお洩らしになって、
「あの鳥辺山で焼いた煙に似てはいないかと
海人が塩を焼く煙を見に行きます」
お返事というわけでもなく口ずさみなさって、
「暁の別れは、こんなにも心を尽くさせるものなのか。お分かりの方もいらっしゃるでしょう」
とおっしゃると、
「いつとなく、別れという文字は嫌なものだと言います中でも、今朝はやはり例があるまいと存じられますこと」
と、鼻声になって、なるほど深く悲しんでいる。
「お話し申し上げたい事も、何度も胸の中で考えておりましたが、ただ胸がつまって申し上げられずにおりましたこと、お察しください。眠っている子は、顔を拝見するにつけても、かえって、辛い都を離れがたく思われるにちがいありませんので、気をしっかりと取り直して、急いで退出致します」
とお申し上げになる。
お出ましになるところを、女房たちが覗いてお見送り申し上げる。
入り方の月がとても明るいので、ますます優雅に清らかで、物思いされているご様子、虎、狼でさえ、泣くにちがいない。まして、お小さくいらした時からお世話申し上げてきた女房たちなので、譬えようもないご境遇をひどく悲しいと思う。
そうそう、ご返歌は、
「亡き娘との仲もますます遠くなってしまうでしょう
煙となった都の空のではないのでは」
とり重ねて、悲しさだけが尽きせず、お帰りになった後、不吉なまで泣き合っていた。

 [1-2 Parting greeting to Sa-daijin]
 Yayohi hatuka amari no hodo ni nam, miyako wo hanare tamahi keru. Hito ni itu to si mo sirase tamaha zu, tada ito tikau tukau-maturi nare taru kagiri, siti, hati-nin bakari ohom-tomo ni te, ito kasuka ni ide-tati tamahu. Sa'ru beki tokoro-dokoro ni, ohom-humi bakari uti-sinobi tamahi si ni mo, ahare to sinoba ruru bakari tukui tamahe ru ha, mi-dokoro mo ari nu bekari sika do, sono wori no, kokoti no magire ni, haka-bakasiu mo kiki-oka zu nari ni keri.
 Hutu-ka, mi-ka kanete, yo ni kakure te, Ohoi-dono ni watari tamahe ri. Anziro-guruma no uti-yature taru ni te, womna-guruma no yau ni te kakurohe iri tamahu mo, ito ahare ni, yume to nomi miyu. Ohom-kata, ito sabisige ni uti-are taru kokoti si te, Waka-Gimi no ohom-menoto-domo, mukasi saburahi si hito no naka ni, makade tira nu kagiri, kaku watari tamahe ru wo medurasigari kikoye te, mau-nobori tudohi te mi tatematuru ni tuke te mo, koto ni mono-hukakara nu wakaki hito-bito sahe, yo no tune nasa omohi-sira re te, namida ni kure tari.
 Waka-Gimi ha ito utukusiu te, sare hasiri ohasi tari.
 "Hisasiki hodo ni, wasure nu koso, ahare nare!"
 tote, hiza ni suwe tamahe ru mi-kesiki, sinobi-gatage nari.
 Otodo, konata ni watari tamahi te, taimen si tamahe ri.
 "Ture-dure ni komora se tamahe ra m hodo, nani to habera nu mukasi-monogatari mo, mawiri te, kikoye sase m to omou tamahe re do, mi no yamahi omoki ni yori, ohoyake ni mo tukau-matura zu, kurawi wo mo kahesi tatematuri te haberu ni, watakusi-zama ni ha kosi nobe te nam to, mono no kikoye higa-higasikaru beki wo, ima ha yononaka habakaru beki mi ni mo habera ne do, itihayaki yo no ito osorosiu haberu nari. Kakaru ohom-koto wo mi tamahuru ni tuke te, inoti nagaki ha kokoro-uku omou tamahe raruru yo no suwe ni mo haberu kana! Ame no sita wo sakasama ni nasi te mo, omou tamahe yora zari si ohom-arisama wo mi tamahure ba, yorodu ito adikinaku nam."
 to kikoye tamahi te, itau sihotare tamahu.
 "To aru koto mo, kakaru koto mo, saki no yo no mukuyi ni koso haberu nare ba, ihi mote yuke ba, tada, midukara no okotari ni nam haberu. Sasite, kaku, kwansyaku wo tora re zu, asahaka naru koto ni kakadurahi te dani, ohoyake no kasikomari naru hito no, utusi-zama ni te yononaka ni ari huru ha, toga omoki waza ni hito no kuni ni mo si haberu naru wo, tohoku hanati tukahasu beki sadame nado mo haberu naru ha, sama koto naru tumi ni ataru beki ni koso haberu nare. Nigori naki kokoro ni makase te, turenaku sugusi habera m mo, ito habakari ohoku, kore yori ohoki naru hadi ni nozoma nu saki ni, yo wo nogare na m to omou tamahe tati nuru."
 nado, komayaka ni kikoye tamahu.
 Mukasi no ohom-monogatari, Win no ohom-koto, obosi notamahase si mi-kokorobahe nado kikoye-ide tamahi te, ohom-nahosi no sode mo e hiki-hanati tamaha nu ni, Kimi mo, e kokoro-duyoku motenasi tamaha zu. Waka-Gimi no nani-gokoro naku magire ariki te, kore kare ni nare kikoye tamahu wo, imizi to oboi tari.
 "Sugi haberi ni si hito wo, yo ni omou tamahe wasururu yo naku nomi, ima ni kanasibi haberu wo, kono ohom-koto ni nam, mosi haberu yo nara masika ba, ika yau ni omohi nageki habera masi. Yoku zo mizikaku te, kakaru yume wo mi zu nari ni keru to, omou tamahe nagusame haberu. Wosanaku monosi tamahu ga, kaku yohahi sugi nuru naka ni tomari tamahi te, nadusahi kikoye nu tuki-hi ya hedatari tamaha m to omohi tamahuru wo nam, yorodu no koto yori mo, kanasiu haberu. Inisihe no hito mo, makoto ni wokasi aru ni te si mo, kakaru koto ni atara zari keri. Naho sa'ru beki ni te, hito no mikado ni mo kakaru taguhi ohou haberi keri. Saredo, ihi-iduru husi ari te koso, sa'ru koto mo haberi kere, to zama, kau zama ni, omohi tamahe yora m kata naku nam."
 nado, ohoku no ohom-monogatari kikoye tamahu.
 Samwi-no-Tiuzyau mo mawiri-ahi tamahi te, oho-miki nado, mawiri tamahu ni, yo-huke nure ba, tomari tamahi te, hito-bito o-mahe ni saburaha se tamahi te, monogatari nado se sase tamahu. Hito yori ha koyonau sinobi obosu Tiunagon-no-Kimi, ihebaye ni kanasiu omohe ru sama wo, hito sire zu ahare to obosu. Hito mina sidumari nuru ni, tori-waki te katarahi tamahu. Kore ni yori tomari tamahe ru naru besi.
 Ake nure ba, yo-bukau ide tamahu ni, ariake-no-tuki ito wokasi. Hana no ki-domo yau-yau sakari sugi te, waduka naru kokage no, ito siroki niha ni usuku kiri-watari taru, sokohaka to naku kasumi-ahi te, aki no yo no ahare ni ohoku tati-masare ri. Sumi no kauran ni osi-kakari te, to bakari, nagame tamahu.
 Tiunagon-no-Kimi, mi tatematuri okura m to ni ya, tumado osi-ake te wi tari.
 "Mata taimen ara m koto koso, omohe ba ito katakere! Kakari keru yo wo sira de, kokoro-yasuku mo ari nu bekari si tuki-goro, sa si mo isoga de, hedate si yo!"
 nado notamahe ba, mono mo kikoye zu naku.
 Waka-Gimi no ohom-menoto no Saisyau-no-Kimi site, Miya no o-mahe yori ohom-seusoko kikoye tamahe ri.
 "Midukara kikoye mahosiki wo, kaki-kurasu midari-gokoti tamerahi haberu hodo ni, ito yo-bukau ide sase tamahu naru mo, sama kahari taru kokoti nomi si haberu kana! Kokoro-gurusiki hito no igitanaki hodo ha, sibasi mo yasuraha se tamaha de."
 to kikoye tamahe re ba, uti-naki tamahi te,
 "Toribe-yama moye si keburi mo magahu ya to
 ama no siho yaku ura mi ni zo yuku
"
 Ohom-kaheri to mo naku uti-zu-zi tamahi te,
 "Akatuki no wakare ha, kau nomi ya kokoro-dukusi naru. Omohi-siri tamahe ru hito mo ara m kasi."
 to notamahe ba,
 "Itu to naku, wakare to ihu mozi koso utate haberu naru naka ni mo, kesa ha naho taguhi aru maziu omou tamahe raruru hodo kana!"
 to, hana-gowe ni te, geni asakara zu omohe ri.
 "Kikoye sase mahosiki koto mo, kahesu-gahesu omou tamahe nagara, tada ni musubohore haberu hodo, osihakara se tamahe. Igitanaki hito ha, mi tamahe mu ni tuke te mo, naka-naka, uki yo nogare gatau omou tamahe rare nu bekere ba, kokoro-duyou omou tamahe nasi te, isogi makade haberi."
 to kikoye tamahu.
 Ide tamahu hodo wo, hito-bito nozoki te mi tatematuru.
 Iri-gata no tuki ito akaki ni, itodo namamekasiu kiyora ni te, mono wo oboi taru sama, tora, ohokami dani naki nu besi. Masite, ihakenaku ohasesi hodo yori mi tatematuri some te si hito-bito nare ba, tatosihe naki ohom-arisama wo imizi to omohu.
 Makoto ya, ohom-kaheri,
 "Naki hito no wakare ya itodo hedatara m
 keburi to nari si kumo-wi nara de ha
"
 Tori-sohe te, ahare nomi tuki se zu, ide tamahi nuru nagori, yuyusiki made naki-ahe ri.

 殿におはしたれば、わが御方の人々も、まどろまざりけるけしきにて、所々に群れゐて、あさましとのみ世を思へるけしきなり。侍には、親しう仕まつる限りは、御供に参るべき心まうけして、私の別れ惜しむほどにや、人もなし。さらぬ人は、とぶらひ参るも重き咎めあり、わづらはしきことまされば、所狭く集ひし馬、車の方もなく、寂しきに、「世は憂きものなりけり」と、思し知らる。
台盤なども、かたへは塵ばみて、畳、所々引き返したり。「見るほどだにかかり。ましていかに荒れゆかむ」と思す。
西の対に渡りたまへれば、御格子も参らで、眺め明かしたまひければ、簀子などに、若き童女、所々に臥して、今ぞ起き騒ぐ。宿直姿どもをかしうてゐるを見たまふにも、心細う、「年月経ば、かかる人々も、えしもあり果てでや、行き散らむ」など、さしもあるまじきこと543さへ、御目のみとまりけり。
「昨夜は、しかしかして夜更けにしかばなむ。例の思はずなるさまにや思しなしつる。かくてはべるほどだに御目離れずと思ふを、かく世を離るる際には、心苦しきことのおのづから多かりける、ひたやごもりにてやは。常なき世に、人にも情けなきものと心おかれ544果てむと、いとほしうてなむ」
と聞こえたまへば、
「かかる世を見るよりほかに、思はずなることは、何ごとにか」
とばかりのたまひて、いみじと思し入れたるさま、人よりことなるを、ことわりぞかし、父親王、いとおろかにもとより思しつきにけるに、まして、世の聞こえをわづらはしがりて、訪れきこえたまはず、御とぶらひにだに渡りたまはぬを、人の見るらむことも恥づかしく、なかなか知られたてまつらでやみなましを、継母の北の方などの、
「にはかなりし幸ひのあわたたしさ。あな、ゆゆしや。思ふ人、方々につけて別れたまふ人かな」
とのたまひけるを、さる便りありて漏り聞きたまふにも、いみじう心憂ければ、これよりも絶えて訪れきこえたまはず。また頼もしき人もなく、げにぞ、あはれなる御ありさまなる。
「なほ世に許されがたうて、年月を経ば、巌の中にも545迎へたてまつらむ。ただ今は、人聞きのいとつきなかるべきなり。朝廷にかしこまりきこゆる人は、明らかなる月日の影をだに見ず、安らかに身を振る舞ふことも、いと罪重かなり。過ちなけれど、さるべきにこそかかることもあらめと思ふに、まして思ふ人具するは、例なきことなるを、ひたおもむきにものぐるほしき世にて、立ちまさることもありなむ」
など聞こえ知らせたまふ。
日たくるまで大殿籠もれり。帥宮、三位中将などおはしたり。対面したまはむとて、御直衣などたてまつる。
「位なき人は」
とて、無紋の546直衣、なかなか、いとなつかしきを着たまひて、うちやつれたまへる、いとめでたし。御鬢かきたまふとて、鏡台に寄りたまへるに、面痩せたまへる影の、我ながらいとあてにきよらなれば、
「こよなうこそ、衰へにけれ。この影のやうにや痩せてはべる。あはれなるわざかな」
とのたまへば、女君、涙一目うけて、見おこせたまへる、いと忍びがたし。
「身はかくてさすらへぬとも君があたり
去らぬ鏡の影は離れじ」
と、聞こえたまへば、
「別れても影だにとまるものならば
鏡を見ても慰めてまし」
柱隠れにゐ隠れて、涙を紛らはしたまへるさま、「なほ、ここら見るなかにたぐひなかりけり」と、思し知らるる人の御ありさま547なり。
親王は、あはれなる御物語聞こえたまひて、暮るるほどに帰りたまひぬ。

 殿にお帰りになると、ご自分方の女房たちも、眠らなかった様子で、あちこちにかたまっていて、驚くばかりだとご境遇の変化を思っている様子である。侍所では、親しくお仕えしている者だけは、お供に参るつもりをして、個人的な別れを惜しんでいるころなのであろうか、人影も見えない。その他の人は、お見舞いに参上するにも重い処罰があり、厄介な事が増えるので、所狭しと集まっていた馬、車が跡形もなく、寂しい気がするので、「世の中とは嫌なものだ」と、お悟りになる。
台盤所なども、半分は塵が積もって、畳も所々裏返ししてある。「見ているうちでさえこんなである。ましてどんなに荒れてゆくのだろう」とお思いになる。
西の対にお渡りになると、御格子もお下ろしにならないで、物思いに沈んで夜を明かしていられたので、簀子などに、若い童女が、あちこちに臥せっていて、急に起き出し騒ぐ。宿直姿がかわいらしく座っているのを御覧になるにつけても、心細く、「歳月が重なったら、このような子たちも、最後まで辛抱しきれないで、散りじりに辞めていくのではなかろうか」などと、何でもないことまで、お目が止まるのであった。
「昨夜は、これこれの事情で夜を明かしてしまいました。いつものように心外なふうに邪推でもなさっていたのでは。せめてこうしている間だけでも離れないようにと思うのが、このように京を離れる際には、気にかかることが自然と多かったので、籠もってばかりいるわけにも行きましょうか。無常の世に、人からも薄情な者だとすっかり疎まれてしまうのも、辛いのです」
とお申し上げになると、
「このような悲しい目を見るより他に、もっと心外な事とは、どのような事でしょうか」
とだけおっしゃって、悲しいと思い込んでいらっしゃる様子、人一倍であるのは、もっともなことで、父親王は、実に疎遠にはじめからお思いになっていたが、まして今は、世間の噂を煩わしく思って、お便りも差し上げなさらず、お見舞いにさえお越しにならないのを、人の手前も恥ずかしく、かえってお知られ頂かないままであればよかったのに、継母の北の方などが、
「束の間であった幸せの急がしさ。ああ、縁起でもない。大事な人が、それぞれに別れなさる人だわ」
とおっしゃったのを、ある筋から漏れ聞きなさるにつけても、ひどく情けないので、こちらからも少しもお便りを差し上げなさらない。他に頼りとする人もなく、なるほど、お気の毒なご様子である。
「いつまでたっても赦免されずに、歳月が過ぎるようなら、巌の中でもお迎え申そう。今すぐでは、人聞きがまことに悪いであろう。朝廷に謹慎申し上げている者は、明るい日月の光をさえ見ず、思いのままに身を振る舞うことも、まことに罪の重いことである。過失はないが、前世からの因縁でこのようなことになったのであろうと思うが、まして愛する人を連れて行くのは、先例のないことなので、一方的で道理を外れた世の中なので、これ以上の災難もきっと起ころう」
などと、お話し申し上げなさる。
日が高くなるまでお寝みになっていた。帥宮や三位中将などがいらっしゃった。お会いなさろうとして、お直衣などをお召しになる。
「無位無官の者は」
と言って、無紋の直衣、かえって、とても優しい感じなのをお召しになって、地味にしていらっしゃるのが、たいそう素晴らしい。鬢の毛を掻きなでなさろうとして、鏡台に近寄りなさると、面痩せなさった顔形が、自分ながらとても気品あって美しいので、
「すっかり、衰えてしまったな。この影のように痩せていますか。ああ、悲しいことだ」
とおっしゃると、女君、涙を目にいっぱい浮かべて、こちらを御覧になるが、とても堪えきれない。
「わが身はこのように流浪しようとも
鏡に映った影はあなたの元を離れずに残っていよう」
と、お申し上げになると、
「お別れしても影だけでもとどまっていてくれるものならば
鏡を見て慰めることもできましょうに」
柱の蔭に隠れて座って、涙を隠していらっしゃる様子、「やはり、おおぜいの妻たちの中で類のない人だ」と、思わずにはいらっしゃれないご様子の方である。
親王は、心のこもったお話を申し上げなさって、日の暮れるころにお帰りになった。

 [1-3 Parting greeting to Nijo-in]
 Tono ni ohasi tare ba, waga ohom-kata no hito-bito mo, madoroma zari keru kesiki ni te, tokoro-dokoro ni mure-wi te, asamasi to nomi yo wo omohe ru kesiki nari. Saburahi ni ha, sitasiu tuka-maturu kagiri ha, ohom-tomo ni mawiru beki kokoro-mauke si te, watakusi no wakare wosimu hodo ni ya, hito mo nasi. Sa'ra nu hito ha, toburahi mawiru mo omoki togame ari, wadurahasiki koto masare ba, tokoro-seku tudohi si mma, kuruma no kata mo naku, sabisiki ni, "Yo ha uki mono nari keri!" to, obosi-sira ru.
 Daiban nado mo, katahe ha tiri-bami te, tatami, tokoro-dokoro hiki-kahesi tari. "Miru hodo dani kakari. Masite ika ni are-yuka m." to obosu.
 Nisi-no-Tai ni watari tamahe re ba, mi-kausi mo mawira de, nagame-akasi tamahi kere ba, sunoko nado ni, wakaki warahabe tokoro-dokoro ni husi te, ima zo oki-sawagu. Tonowi-sugata-domo wokasiu te wiru wo mi tamahu ni mo, kokoro-bosou, "Tosi-tuki he ba, kakaru hito-bito mo, e si mo ari-hate de ya, yuki-tira m." nado, sa si mo arumaziki koto sahe, ohom-me nomi tomari keri.
 "Yobe ha, sika-sika si te yo-huke ni sika ba nam. Rei no omohazu naru sama ni ya obosi-nasi turu? Kaku te haberu hodo dani ohom-me kare zu to omohu wo, kaku yo wo hanaruru kiha ni ha, kokoro-gurusiki koto no onodukara ohokari keru, hitaya-gomori ni te ya ha! Tune naki yo ni, hito ni mo nasake naki mono to kokoro-oka re hate m to, itohosiu te nam."
 to kikoye tamahe ba,
 "Kakaru yo wo miru yori hoka ni, omoha zu naru koto ha, nani-goto ni ka?"
 to bakari notamahi te, imizi to obosi-ire taru sama, hito yori koto naru wo, kotowari zo kasi, titi-Miko, ito oroka ni motoyori obosi-tuki ni keru ni, masite, yo no kikoye wo wadurahasigari te, otodure kikoye tamaha zu, ohom-toburahi ni dani watari tamaha nu wo, hito no miru ram koto mo hadukasiku, naka-naka sira re tatematura de yami na masi wo, mama-haha no Kita-no-kata nado no,
 "Nihaka nari si saihahi no awatatasisa. Ana, yuyusi ya! Omohu hito, kata-gata ni tuke te wakare tamahu hito kana!"
 to notamahi keru wo, saru tayori ari te mori-kiki tamahu ni mo, imiziu kokoro-ukere ba, kore yori mo tayete otodure kikoye tamaha zu. Mata tanomosiki hito mo naku, geni zo, ahare naru ohom-arisama naru.
 "Naho yo ni yurusa re gatau te, tosi-tuki wo he ba, ihaho no naka ni mo mukahe tatematura m. Tada ima ha, hito-giki no ito tukinakaru beki nari. Ohoyake ni kasikomari kikoyuru hito ha, akiraka naru tuki-hi no kage wo dani mi zu, yasuraka ni mi wo hurumahu koto mo, ito tumi omoka'nari. Ayamati nakere do, sa'ru beki ni koso kakaru koto mo arame to omohu ni, masite omohu hito gu-suru ha, rei naki koto naru wo, hita-omomuki ni mono-guruhosiki yo ni te, tati-masaru koto mo ari na m."
 nado kikoye sira se tamahu.
 Hi takuru made ohotono-gomore ri. Soti-no-Miya, Samwi-no-Tiuzyau nado ohasi tari. Taimen si tamaha m tote, ohom-nahosi nado tatematuru.
 "Kurawi naki hito ha."
 tote, mu-mon no nahosi, naka-naka, ito natukasiki wo ki tamahi te, uti-yature tamahe ru, ito medetasi. Ohom-bin kaki tamahu tote, kyaudai ni yori tamahe ru ni, omo-yase tamahe ru kage no, ware nagara ito ate ni kiyora nare ba,
 "Koyonau koso, otorohe ni kere! Kono kage no yau ni ya yase te haberu? Ahare naru waza kana!"
 to notamahe ba, Womna-Gimi, namida hitome uke te, mi-okose tamahe ru, ito sinobi gatasi.
 "Mi ha kakute sasurahe nu to mo Kimi ga atari
 sara nu kagami no kage ha hanare zi
"
 to, kikoye tamahe ba,
 "Wakare te mo kage dani tomaru mono nara ba
 kagami wo mi te mo nagusame te masi
"
 Hasira-gakure ni wi kakure te, namida wo magirahasi tamahe ru sama, "Naho, kokora miru naka ni taguhi nakari keri." to, obosi sira ruru hito no ohom-arisama nari.
 Miko ha, ahare naru ohom-monogatari kikoye tamahi te, kururu hodo ni kaheri tamahi nu.

 花散里の心細げに思して、常に聞こえたまふもことわりにて、「かの人も、今ひとたび見ずは、つらしとや思はむ」と思せば、その夜は、また出でたまふものから、いともの憂くて、いたう更かしておはしたれば、女御、
「かく数まへたまひて、立ち寄らせたまへること」
と、よろこびきこえたまふさま、書き続けむもうるさし。
いといみじう心細き御ありさま、ただ御蔭に隠れて過ぐいたまへる年月、いとど荒れまさらむほど思しやられて、殿の内、いとかすかなり。
月おぼろにさし出でて、池広く、山木深きわたり、心細げに見ゆるにも、住み離れたらむ巌のなか、思しやらる。
西面は、「かうしも渡りたまはずや」と、うち屈して思しけるに、あはれ添へたる月影の、なまめかしうしめやかなるに、うち振る舞ひたまへるにほひ、似るものなくて、いと忍びやかに入りたまへば、すこしゐざり出でて、やがて月を見ておはす。またここに御物語のほどに、明け方近うなりにけり。
「短か夜のほどや。かばかりの対面も、またはえしもやと思ふこそ、ことなしにて過ぐしつる年ごろも悔しう、来し方行く先のためしになるべき身にて、何となく心のどまる世なくこそありけれ」
と、過ぎにし方のことどものたまひて、鶏もしばしば鳴けば、世につつみて急ぎ出でたまふ。例の、月の入り果つるほど、よそへられて、あはれなり。女君の濃き御衣に映りて、げに、漏るる顔548なれば、
「月影の宿れる袖はせばくとも
とめても見ばやあかぬ光を」
いみじと思いたるが、心苦しければ、かつは慰めきこえたまふ。
「行きめぐりつひにすむべき月影の
しばし雲らむ空な眺めそ
思へば、はかなしや。ただ、知らぬ涙549のみこそ、心を昏らすものなれ」
などのたまひて、明けぐれのほどに出でたまひぬ。

 花散里邸が心細そうにお思いになって、常にお便り差し上げなさるのも無理からぬことで、「あの方も、もう一度お会いしなかったら、辛く思うだろうか」とお思いになると、その夜は、また一方でお出かけになるものの、とても億劫なので、たいそう夜が更けてからいらっしゃると、女御が、
「このように人並みに扱っていただいて、お立ち寄りくださいましたこと」
と、感謝申し上げるご様子、書き綴るのも煩わしい。
とてもひどく心細いご様子で、まったくこの方のご庇護のもとにお過ごしになってきた歳月、ますます荒れていくだろうことが、ご想像されて、邸内は、まことにひっそりとしている。
月が朧ろに照らし出して、池が広く、築山の木深い辺り、心細そうに見えるにつけても、人里離れた巌の中の生活が、お思いやられる。
西面では、「こうしたお越しもあるまいか」と、塞ぎこんでいらっしゃったが、一入心に染みる月の光が、美しくしっとりとしているところに、身動きなさると匂う薫物の香が、他に似るものがなくて、とても人目に立たぬように部屋にお入りになると、少し膝行して出て来て、そのまま月を御覧になる。またここでお話なさっているうちに、明け方近くになってしまった。
「短い夜ですね。このようにお会いすることも、再びはとてもと思うと、何事もなく過ごしてきてしまった歳月が残念に思われ、過去も未来も先例となってしまいそうな身の上で、何となく気持ちのゆっくりする間もなかったね」
と、過ぎ去った事のあれこれをおっしゃって、鶏もしきりに鳴くので、人目を憚って急いでお帰りになる。例によって、月がすっかり入るのになぞらえられて、悲しい。女君の濃いお召物に映えて、なるほど、濡るる顔の風情なので、
「月の光が映っているわたしの袖は狭いですが
そのまま留めて置きたいと思います、見飽きることのない光を」
悲しくお思いになっているのが、おいたわしいので、一方ではお慰め申し上げなさる。
「大空を行きめぐって、ついには澄むはずの月の光ですから
しばらくの間曇っているからといって悲観なさいますな
考えてみれば、はかないことよ。ただ、行方を知らない涙ばかりが、心を暗くさせるものですね」
などとおっしゃって、まだ薄暗いうちにお帰りになった。

 [1-4 Parting greeting to Hanachirusato]
 Hanatirusato no kokoro-bosoge ni obosi te, tune ni kikoye tamahu mo kotowari ni te, "Kano hito mo, ima hito-tabi mi zu ha, turasi to ya omoha m?" to obose ba, sono yo ha, mata ide tamahu monokara, ito mono-uku te, itau hukasi te ohasi tare ba, Nyougo,
 "Kaku kazumahe tamahi te, tati-yora se tamahe ru koto."
 to, yorokobi kikoye tamahu sama, kaki-tuduke m mo urusasi.
 Ito imiziu kokoro-bosoki ohom-arisama, tada ohom-kage ni kakure te sugui tamahe ru tosi-tuki, itodo are-masara m hodo obosi-yara re te, tono no uti, ito kasuka nari.
 Tuki oboro ni sasi-ide te, ike hiroku, yama kobukaki watari, kokoro-bosoge ni miyuru ni mo, sumi hanare tara m ihaho no naka, obosi-yara ru.
 Nisi-omote ha, "Kau si mo watari tamaha zu ya?" to, uti-ku'-si te obosi keru ni, ahare sohe taru tuki-kage no, namamekasiu simeyaka naru ni, uti-hurumahi tamahe ru nihohi, niru mono naku te, ito sinobiyaka ni iri tamahe ba, sukosi wizari-ide te, yagate tuki wo mi te ohasu. Mata koko ni ohom-monogatari no hodo ni, akegata tikau nari ni keri.
 "Mizika-yo no hodo ya! Kabakari no taimen mo, mata ha e si mo ya to omohu koso, kotonasi ni te sugusi turu tosi-goro mo kuyasiu, kisikata-yukusaki no tamesi ni naru beki mi ni te, nani to naku kokoro nodomaru yo naku koso ari kere!"
 to, sugi ni si kata no koto-domo notamahi te, tori mo siba-siba nake ba, yo ni tutumi te isogi ide tamahu. Rei no, tuki no iri-haturu hodo, yosohe rare te, ahare nari. Womna-Gimi no koki ohom-zo ni uturi te, geni, nururu-gaho nare ba,
 "Tuki-kage no yadore ru sode ha sebaku tomo
 tome te mo mi baya aka nu hikari wo
"
 Imizi to oboi taru ga, kokoro-gurusikere ba, katu ha nagusame kikoye tamahu.
 "Yuki-meguri tuhi ni sumu beki tuki-kage no
 sibasi kumora m sora na nagame so

 Omohe ba, hakanasi ya! Tada, sira nu namida nomi koso, kokoro wo kurasu mono nare!"
 nado notamahi te, akegure no hodo ni ide tamahi nu.

 よろづのことどもしたためさせたまふ。親しう仕まつり、世になびかぬ限りの人々、殿の事とり行なふべき上下、定め置かせたまふ。御供に慕ひきこゆる限りは、また選り出でたまへり。
かの山里の御住みかの具は、えさらずとり使ひたまふべきものども、ことさらよそひもなくことそぎて、さるべき書ども文集など入りたる箱、さては琴一つぞ持たせたまふ。所狭き御調度、はなやかなる御よそひなど、さらに具したまはず、あやしの550山賤めきてもてなしたまふ。
さぶらふ人々よりはじめ、よろづのこと、みな西の対に聞こえわたしたまふ。領じたまふ御荘、御牧よりはじめて、さるべき所々、券など、みなたてまつり置きたまふ。それよりほかの御倉町、納殿などいふことまで、少納言をはかばかしきものに見置きたまへれば、親しき家司ども具して、しろしめすべきさまどものたまひ預く。
 わが御方の中務、中将などやうの人々、つれなき御もてなしながら、見たてまつるほどこそ慰めつれ、「何ごとにつけてか」と思へども、
「命ありてこの世にまた帰るやうもあらむを、待ちつけむと思はむ人は、こなたにさぶらへ」
とのたまひて、上下、皆参う上らせたまふ。
若君の御乳母たち、花散里なども、をかしきさまのはさるものにて、まめまめしき筋に思し寄らぬことなし。

 尚侍の御もとに、わりなくして聞こえたまふ。
「問はせたまはぬも、ことわりに思ひたまへながら、今はと、世を思ひ果つるほどの551憂さもつらさも、たぐひなきことにこそはべりけれ。
逢ふ瀬なき涙の河に沈みしや
流るる澪の初めなりけむ
と思ひたまへ出づるのみなむ、罪逃れがたうはべりける」
道のほども危ふければ、こまかには聞こえたまはず。
女、いといみじうおぼえたまひて、忍びたまへど、御袖よりあまるも所狭うなむ。
「涙河浮かぶ水泡も消えぬべし
流れて後の瀬をも待たずて」
泣く泣く乱れ書きたまへる御手、いとをかしげなり。今ひとたび対面なくやと思すは、なほ口惜しけれど、思し返して、憂しと思しなすゆかり多うて、おぼろけならず忍びたまへば、いとあながちにも聞こえたまはずなりぬ。

 何から何まで整理をおさせになる。親しくお仕えし、時勢に靡かない家臣たちだけの、邸の事務を執り行うべき上下の役目、お決め置きになる。お供に随行申し上げる者は皆、別にお選びになった。
あの山里の生活の道具は、どうしてもご必要な品物類を、特に飾りけなく簡素にして、しかるべき漢籍類、『白氏文集』などの入った箱、その他には琴を一張を持たせなさる。大げさなご調度類や、華やかなお装いなどは、まったくお持ちにならず、賎しい山里人のような振る舞いをなさる。
お仕えしている女房たちをはじめ、万事、すべて西の対にお頼み申し上げなさる。ご所領の荘園、牧場をはじめとして、しかるべき領地、証文など、すべて差し上げ置きなさる。その他の御倉町、納殿などという事まで、少納言を頼りになる者と見込んでいらっしゃるので、腹心の家司たちを付けて、取りしきられるように命じて置きなさる。
ご自身方の中務、中将などといった女房たち、何気ないお扱いとはいえ、お身近にお仕えしていた間は慰めることもできたが、「何を期待してか」と思うが、
「生きてこの世に再び帰って来るようなこともあろうから、待っていようと思う者は、こちらに伺候しなさい」
とおっしゃって、上下の女房たち、皆参上させなさる。
若君の乳母たち、花散里などにも、風情のある品物はもちろんのこと、実用品までお気のつかない事がない。

 尚侍の君の御許に、困難をおかしてお便りを差し上げなさる。
「お見舞いくださらないのも、ごもっともに存じられますが、今は最後と、この世を諦めた時の嫌で辛い思いも、何とも言いようがございません。
あなたに逢えないことに涙を流したことが
流浪する身の上となるきっかけだったのでしょうか
と思い出される事だけが、罪も逃れ難い事でございます」
届くかどうか不安なので、詳しくはお書きにならない。
女、大層悲しく思われなさって、堪えていらしたが、お袖から涙がこぼれるのもどうしようもない。
「涙川に浮かんでいる水泡も消えてしまうでしょう
生きながらえて再びお会いできる日を待たないで」
泣く泣く心乱れてお書きになったご筆跡、まことに深い味わいがある。もう一度お逢いできないものかとお思いになるのは、やはり残念に思われるが、お考え直して、ひどいとお思いになる一族が多くて、一方ならず人目を忍んでいらっしゃるので、あまり無理をしてまでお便り申し上げることもなさらずに終わった。

 [1-5 Preparation for life in Suma]
 Yorodu no koto-domo sitatame sase tamahu. Sitasiu tuka-maturi, yo ni nabika nu kagiri no hito-bito, tono no koto tori-okonahu beki kami simo, sadame oka se tamahu. Ohom-tomo ni sitahi kikoyuru kagiri ha, mata eri-ide tamahe ri.
 Kano yama-zato no ohom-sumika no gu ha, e sara zu tori-tukahi tamahu beki mono-domo, kotosara yosohi mo naku kotosogi te, sa'ru beki humi-domo bunsyu nado iri taru hako, sate ha kin hito-tu zo mota se tamahu. Tokoro-seki mi-teudo, hanayaka naru ohom-yosohi nado, sara ni gu-si tamaha zu, ayasi no yamagatu-meki te motenasi tamahu.
 Saburahu hito-bito yori hazime, yorodu no koto, mina Nisi-no-Tai ni kikoye watasi tamahu. Ryau-zi tamahu mi-syau, mi-maki yori hazime te, sa'ru beki tokoro-dokoro, ken nado, mina tatematuri oki tamahu. Sore yori hoka no mi-kuramati, wosame-dono nado ihu koto made, Seunagon wo haka-bakasiki mono ni mi-oki tamahe re ba, sitasiki Keisi-domo gu-si te, sirosimesu beki sama-domo notamahi aduku.
 Waga ohom-kata no Nakatukasa, Tiuzyau nado yau no hito-bito, turenaki ohom-motenasi nagara, mi tatematuru hodo koso nagusame ture, "Nani-goto ni tuke te ka?" to omohe do mo,
 "Inoti ari te konoyo ni mata kaheru yau mo ara m wo, mati-tuke m to omoha m hito ha, konata ni saburahe."
 to notamahi te, kami simo, mina mau-nobora se tamahu.
 Waka-Gimi no ohom-menoto-tati, Hanatirusato nado mo, wokasiki sama no ha sa'ru mono ni te, mame-mamesiki sudi ni obosi-yora nu koto nasi.

 Naisi-no-Kami no ohom-moto ni, warinaku si te kikoye tamahu.
 "Toha se tamaha nu mo, kotowari ni omohi tamahe nagara, ima ha to, yo wo omohi-haturu hodo no usa mo turasa mo, taguhi naki koto ni koso haberi kere.
 Ahu-se naki namida no kaha ni sidumi si ya
 nagaruru miwo no hazime nari kem

 to omohi tamahe iduru nomi nam, tumi nogare gatau haberi keru."
 Miti no hodo mo ayahukere ba, komaka ni ha kikoye tamaha zu.
 Womna, ito imiziu oboye tamahi te, sinobi tamahe do, ohom-sode yori amaru mo tokoro-seu nam.
 "Namida-gaha ukabu minaha mo kiye nu besi
 nagare te noti no se wo mata zu te
"
 Naku-naku midare kaki tamahe ru ohom-te, ito wokasige nari. Ima hito-tabi taimen naku ya to obosu ha, naho kutiwosikere do, obosi-kahesi te, usi to obosi-nasu yukari ohou te, oboroke nara zu sinobi tamahe ba, ito anagati ni mo kikoye tamaha zu nari nu.

 明日とて、暮には、院の御墓拝みたてまつりたまふとて、北山へ詣でたまふ。暁かけて月出づるころなれば、まづ、入道の宮に参うでたまふ。近き御簾の前に御座参りて、御みづから聞こえさせたまふ。春宮の御事をいみじううしろめたきものに思ひきこえたまふ。
かたみに心深きどちの御物語は、よろづあはれまさりけむかし。なつかしうめでたき御けはひの昔に変はらぬに、つらかりし御心ばへ552も、かすめきこえさせまほしけれど、今さらにうたてと思さるべし、わが御心にも、なかなか今ひときは乱れまさりぬべければ、念じ返して、ただ、
「かく思ひかけぬ罪に当たりはべるも、思うたまへあはすることの一節になむ、空も恐ろしうはべる。惜しげなき身はなきになしても、宮の御世にだに、ことなくおはしまさば」
とのみ聞こえたまふぞ、ことわりなるや。
宮も、みな思し知らるることにしあれぼ、御心のみ動きて、聞こえやりたまはず。大将、よろづのことかき集め思し続けて、泣きたまへるけしき、いと尽きせずなまめきたり。
「御山に参りはべるを、御ことつてや」
と聞こえたまふに、とみにものも聞こえたまはず、わりなくためらひたまふ御けしきなり。
「見しはなくあるは悲しき世の果てを
背きしかひもなくなくぞ経る」
いみじき御心惑ひどもに、思し集むることどもも、えぞ続けさせたまはぬ。
「別れしに悲しきことは尽きにしを
またぞこの世の憂さはまされる」

 明日という日、夕暮には、院のお墓にお参りなさろうとして、北山へ参拝なさる。明け方近くに月の出るころなので、最初、入道の宮にお伺いさる。近くの御簾の前にご座所をお設けになって、ご自身でご応対あそばす。東宮のお身の上をたいそうご心配申し上げなさる。
お互いに感慨深くお感じになっている者同士のお話は、何事もしみじみと胸に迫るものがさぞ多かったことであろう。慕わしく素晴らしいご様子が変わらないので、恨めしかったお気持ちも、それとなく申し上げたいが、いまさら嫌なこととお思いになろうし、自分自身でも、かえって一段と心が乱れるであろうから、思い直して、ただ、
「このように思いもかけない罪に問われますにつけても、思い当たるただ一つのことのために、天の咎めも恐ろしゅうございます。惜しくもないわが身はどうなろうとも、せめて東宮の御世だけでも、ご安泰でいらっしゃれば」
とだけ申し上げなさるのも、もっともなことである。
宮も、すっかりご存知のことであるので、お心がどきどきするばかりで、お返事申し上げられない。大将、あれからこれへとお思い続けられて、お泣きになる様子、とても言いようのないほど優艷である。
「山陵に詣でますが、お言伝は」
と申し上げなさるが、すぐにはお返事なさらず、ひたすらお気持ちを鎮めようとなさるご様子である。
「院は亡くなられ生きておいでの方は悲しいお身の上の世の末を
出家した甲斐もなく泣きの涙で暮らしています」
ひどくお悲しみの二方なので、お思いになっていることがらも、十分にお詠みあそばされない。
「故院にお別れした折に悲しい思いを尽くしたと思ったはずなのに
またもこの世のさらに辛いことに遭います」

 [1-6 Parting greeting to Fujitsubo]
 Asu tote, kure ni ha, Win no mi-haka wogami tatematuri tamahu tote, Kitayama he maude tamahu. Akatuki kake te iduru koro nare ba, madu, Nihudau-no-Miya ni maude tamahu. Tikaki mi-su no mahe ni o-masi mawiri te, ohom-midukara kikoye sase tamahu. Touguu no ohom-koto wo imiziu usirometaki mono ni omohi kikoye tamahu.
 Katami ni kokoro-hukaki-doti no ohom-monogatari ha, yorodu ahare masari kem kasi. Natukasiu medetaki ohom-kehahi no mukasi ni kahara nu ni, turakari si mi-kokoro-bahe mo, kasume kikoye sase mahosikere do, imasara ni utate to obosa ru besi, waga mi-kokoro ni mo, naka-naka ima hitokiha midare masari nu bekere ba, nen-zi kahesi te, tada,
 "Kaku omohi-kake nu tumi ni atari haberu mo, omou tamahe ahasuru koto no hitohusi ni nam, sora mo osorosiu haberu. Wosige naki mi ha naki ni nasi te mo, Miya no mi-yo ni dani, koto-naku ohasi masa ba."
 to nomi kikoye tamahu zo, kotowari naru ya!
 Miya mo, mina obosi-sira ruru koto ni si are ba, mi-kokoro nomi ugoki te, kikoye-yari tamaha zu. Daisyau, yorodu no koto kaki-atume obosi-tuduke te, naki tamahe ru kesiki, ito tukise zu namameki tari.
 "Mi-yama ni mawiri haberu wo, ohom-kototute ya?"
 to kikoye tamahu ni, tomi ni mono mo kikoye tamaha zu, warinaku tamerahi tamahu mi-kesiki nari.
 "Mi si ha naku aru ha kanasiki yo no hate wo
 somuki si kahi mo naku naku zo huru
"
 Imiziki mi-kokoro-madohi-domo ni, obosi-atumuru koto-domo mo, e zo tuduke sase tamaha nu.
 "Wakare si ni kanasiki koto ha tuki ni si wo
 mata zo konoyo no usa ha masare ru
"

 月待ち出でて出でたまふ。御供にただ五、六人ばかり、下人もむつましき限りして、御馬にてぞおはする。さらなることなれど、ありし世の御ありきに異なり、皆いと悲しう思ふなり。なかに、かの御禊の日、仮の御随身にて仕うまつりし右近の将監の蔵人、得べきかうぶりもほど過ぎつるを、つひに御簡削られ、官も取られて、はしたなければ、御供に参るうちなり。
賀茂の下の御社を、かれと見渡すほど、ふと思ひ出でられて、下りて、御馬の口を取る。
「ひき連れて葵かざししそのかみを
思へばつらし賀茂の瑞垣」
と言ふを、「げに、いかに思ふらむ。人よりけにはなやかなりしものを」と思すも、心苦し。
君も、御馬より下りたまひて、御社のかた拝みたまふ。神にまかり申したまふ。
「憂き世をば今ぞ別るるとどまらむ
名をば糺の神にまかせて」
とのたまふさま、ものめでする若き人にて、身にしみてあはれにめでたしと見たてまつる。
御山に詣うでたまひて、おはしましし御ありさま、ただ目の前のやうに思し出でらる。限りなきにても、世に亡くなりぬる人ぞ、言はむかたなく口惜しきわざなりける。よろづのことを泣く泣く申したまひても、そのことわりをあらはに承りたまはねば、「さばかり思しのたまはせしさまざまの御遺言は、いづちか消え失せにけむ」と、いふかひなし。
御墓は、道の草茂くなりて、分け入りたまふほど、いとど露けきに、月も隠れて、森の木立、木深く心すごし。帰り出でむ方もなき心地553して、拝みたまふに、ありし御面影、さやかに見えたまへる、そぞろ寒きほどなり。
「亡き影やいかが見るらむよそへつつ
眺むる月も雲隠れぬる」

 月を待ってお出かけになる。お供にわずか五、六人ほど、下人も気心の知れた者だけを連れて、お馬でいらっしゃる。言うまでもないことだが、以前のご外出と違って、皆とても悲しく思う。その中で、あの御禊の日、仮の御随身となってご奉仕した右近将監の蔵人、当然得るはずの五位の位にも時期が過ぎてしまったが、とうとう殿上の御簡も削られ、官職も剥奪されて、面目がないので、お供に参る一人である。
賀茂の下の御社を、それと見渡せる辺りで、ふと思い出されて、下りて、お馬の轡を取る。
「お供をして葵を頭に挿した御禊の日のことを思うと
御利益がなかったのかとつらく思われます、賀茂の神様」
と詠むのを、「本当に、どんなに悲しんでいることだろう。誰よりも羽振りがよく振る舞っていたのに」とお思いになると、気の毒である。
君も御馬から下りなさって、御社の方、拝みなさる。神にお暇乞い申し上げなさる。「辛い世の中を今離れて行く、後に残る
噂の是非は、糺の神に委ねて」
とお詠みになる様子、感激しやすい若者なので、身にしみてご立派なと拝する。
御陵に参拝なさって、御在世中のお姿、まるで眼前の事にお思い出しになられる。至尊の地位にあった方でも、この世を去ってしまった人は、何とも言いようもなく無念なことであった。何から何まで泣く泣く申し上げなさっても、その是非をはっきりとお承りにならないので、「あれほどお考え置かれたいろいろなご遺言は、どこへ消え失せてしまったのだろうか」と、何とも言いようがない。
御陵は、参道の草が生い茂って、かき分けてお入りになって行くうちに、ますます露に濡れると、月も雲に隠れて、森の木立は木深くぞっとする。帰る道も分からない気がして、参拝なさっているところに、御生前の御姿、はっきりと現れなさった、鳥肌の立つ思いである。
「亡き父上はどのように御覧になっていられることだろうか
父上のように思って見ていた月の光も雲に隠れてしまった」

 [1-7 Parting greeting to his father's grave]
 Tuki mati-ide te ide tamahu. Ohom-tomo ni tada go, roku-nin bakari, simo-bito mo mutumasiki kagiri si te, ohom-mma ni te zo ohasuru. Sara naru koto nare do, arisi yo no ohom-ariki ni kotonari, mina ito kanasiu omohu nari. Naka ni, kano misogi no hi, kari-no-mizuizin ni te tukau-maturi si Ukon-no-Zyou no Kuraudo, u beki kauburi mo hodo sugi turu wo, tuhi ni mi-huda kedura re, tukasa mo tora re te, hasitanakere ba, ohom-tomo ni mawiru uti nari.
 Kamo no simo no Mi-yasiro wo, kare to mi-watasu hodo, huto omohi-ide rare te, ori te, ohom-mma no kuti wo toru.
 "Hiki-ture te ahuhi kazasi si sono kami wo
 omohe ba turasi Kamo no midugaki
"
 to ihu wo, "Geni, ika ni omohu ram? Hito yori keni hanayaka nari si mono wo." to obosu mo, kokro-gurusi.
 Kimi mo, ohom-mma yori ori tamahi te, Mi-yasiro no kata wogami tamahu. Kami ni makari mausi tamahu.
 "Uki yo wo ba ima zo wakaruru todomara m
 na wo ba Tadasu-no-Kami ni makase te
"
 to notamahu sama, mono-mede suru wakaki hito ni te, mi ni simi te ahare ni medetasi to mi tatematuru.
 Mi-yama ni maude tamahi te, ohasimasi si ohom-arisama, tada me no mahe no yau ni obosi-ide raru. Kagiri naki ni te mo, yo ni nakunari nuru hito zo, iha m kata naku kutiwosiki waza nari keru. Yorodu no koto wo naku-naku mausi tamahi te mo, sono kotowari wo araha ni uketamahari tamaha ne ba, "Sabakari obosi notamahase si sama-zama no go-yuigon ha, iduti ka kiye use ni kem." to, ihu kahi nasi.
 Mi-haka ha, miti no kusa sigeku nari te, wake-iri tamahu hodo, itodo tuyukeki ni, tuki mo kakure te, mori no kodati, kobukaku kokoro-sugosi. Kaheri-ide m kata mo naki kokoti si te, wogami tamahu ni, arisi ohom-omokage, sayaka ni miye tamahe ru, sozoro samuki hodo nari.
 "Naki kage ya ikaga miru ram yosohe tutu
 nagamuru tuki mo kumo-gakure nuru
"

 明け果つるほどに帰りたまひて、春宮にも御消息聞こえたまふ。王命婦を御代はりにてさぶらはせたまへば、「その局に554」とて、
「今日なむ、都離れはべる。また参りはべらずなりぬるなむ、あまたの憂へにまさりて思うたまへられはべる。よろづ推し量りて啓したまへ。
いつかまた春の都の花を見む
時失へる山賤にして」
桜の散りすきたる枝につけたまへり。「かくなむ」と御覧ぜさすれば、幼き御心地にもまめだちておはします。
「御返りいかがものしはべらむ」
と啓すれば、
「しばし見ぬだに恋しきものを、遠くはましていかに、と言へかし」
とのたまはす。「ものはかなの御返りや」と、あはれに見たてまつる。あぢきなきことに御心をくだきたまひし昔のこと、折々の御ありさま、思ひ続けらるるにも、もの思ひなくて我も人も過ぐいたまひつべかりける世を、心と思し嘆きけるを悔しう、わが心ひとつにかからむことのやうにぞおぼゆる。御返りは、
「さらに聞こえさせやりはべらず。御前には啓しはべりぬ。心細げに思し召したる御けしきもいみじくなむ」
と、そこはかとなく、心の乱れけるなるべし。
「咲きてとく散る555は憂けれどゆく春は
花の都を立ち帰り見よ
時しあらば」
と聞こえて、名残もあはれなる物語をしつつ、一宮のうち、忍びて泣きあへり。
一目も見たてまつれる人は、かく思しくづほれぬる御ありさまを、嘆き惜しみきこえぬ人なし。まして、常に参り馴れたりしは、知り及びたまふまじき長女、御厠人まで、ありがたき御顧みの下なりつるを、「しばしにても、見たてまつらぬほどや経む」と、思ひ嘆きけり。
おほかたの世の人も、誰かはよろしく思ひきこえむ。七つになりたまひしこのかた556、帝の御前に夜昼さぶらひたまひて、奏したまふことのならぬはなかりしかば、この御いたはりにかからぬ人なく、御徳をよろこばぬやはありし。やむごとなき上達部、弁官などのなかにも多かり。それより下は数知らぬを、思ひ知らぬにはあらねど、さしあたりて、いちはやき世を思ひ憚りて、参り寄るもなし。世ゆすりて惜しみきこえ557、下に朝廷をそしり、恨みたてまつれど、「身を捨ててとぶらひ参らむにも、何のかひかは」と思ふにや、かかる折は人悪ろく、恨めしき人多く、「世の中はあぢきなきものかな」とのみ、よろづにつけて思す。

 すっかり明けたころにお帰りになって、東宮にもお便りを差し上げなさる。王命婦をお身代わりとして伺候させていらしたので、「そのお部屋に」と言って、
「今日、都を離れます。もう一度参上せぬままになってしまったのが、数ある嘆きの中でも最も悲しく存じられます。すべてご推察いただき、啓上してください。
いつ再び春の都の花盛りを見ることができようか
時流を失った山賤のわが身になって」
桜の散ってまばらになった枝に結び付けていらっしゃった。「しかじかです」と御覧に入れると、幼心にも真剣な御様子でいらっしゃる。
「お返事はどのように申し上げましょうか」
と啓上すると、
「少しの間でさえ見ないと恋しく思われるのに、まして遠くに行ってしまったらどんなにか、と言いなさい」
と仰せになる。「あっけないお返事だこと」と、いじらしく拝する。どうにもならない恋にお心のたけを尽くされた昔のこと、季節折々のご様子、次から次へと思い出されるにつけても、何の苦労もなしに自分も相手もお過ごしになれたはずの世の中を、ご自分から求めてお苦しみになったのを悔しくて、自分一人の責任のように思われる。お返事は、
「とても言葉に尽くして申し上げられません。御前には啓上致しました。心細そうにお思いでいらっしゃる御様子もおいたわしうございます」
と、とりとめなく、心が動揺しているからであろう。
「咲いたかと思うとすぐに散ってしまう桜の花は悲しいけれども
再び都に戻って春の都を御覧ください
季節がめぐり来れば」
と申し上げて、その後も悲しいお話をしいしい、御所中、声を抑えて泣きあっていた。
一目でも拝し上げた者は、このようにご悲嘆のご様子を、嘆き惜しまない人はいない。まして、平素お仕えしてきた者は、ご存知になるはずもない下女、御厠人まで、世にまれなほどの手厚いご庇護であったのを、「少しの間にせよ、拝さぬ月日を過すことになるのか」と、思い嘆くのであった。
世間一般の人々も、誰が並大抵に思い申し上げたりなどしようか。七歳におなりになった時から今まで、帝の御前に昼夜となくご伺候なさって、ご奏上なさることでお聞き届けられぬことはなかったので、このご功労にあずからない者はなく、ご恩恵を喜ばない者がいたであろか。高貴な上達部、弁官などの中にも多かった。それより下では数も分からないが、ご恩を知らないのではないが、当面は、厳しい現実の世を憚って、寄って参る者はいない。世を挙げて惜しみ申し、内心では朝廷を批判し、お恨み申し上げたが、「身を捨ててお見舞いに参上しても、何になろうか」と思うのであろうか、このような時には体裁悪く、恨めしく思う人々が多く、「世の中というものはおもしろくないものだな」とばかり、万事につけてお思いになる。

 [1-8 Parting greeting to Tougu]
 Ake-haturu hodo ni kaheri tamahi te, Touguu ni mo ohom-seusoko kikoye tamahu. Wau-myaubu wo ohom-kahari ni te saburaha se tamahe ba, "Sono tubone ni." tote,
 "Kehu nam, miyako hanare haberu. Mata mawiri habera zu nari nuru nam, amata no urehe ni masari te omou tamahe rare haberu. Yorodu osihakari kei-si tamahe.
 Ituka mata haru no miyako no hana wo mi m
 toki usinahe ru yamagatu ni si te
"
 Sakura no tiri-suki taru eda ni tuke tamahe ri. "Kaku nam." to go-ran-ze sasure ba, wosanaki mi-kokoti ni mo mame-dati te ohasimasu.
 "Ohom-kaheri Ikaga monosi habera m?"
 to kei-sure ba,
 "Sibasi mi nu dani kohisiki mono wo, tohoku ha masite ika ni, to ihe kasi."
 to notamahasu. "Mono-hakna no ohom-kaheri ya!" to, ahare ni mi tatematuru. Adikinaki koto ni mi-kokoro wo kudaki tamahi si mukasi no koto, wori-wori no ohom-arisama, omohi-tuduke raruru ni mo, mono-omohi naku te ware mo hito mo sugui tamahi tu bekari keru yo wo, kokoro to obosi nageki keru wo kuyasiu, waga kokoro hito-tu ni kakara m koto no yau ni zo oboyuru. Ohom-kaheri ha,
 "Sarani kikoye sase yari habera zu. O-mahe ni ha kei-si haberi nu. Kokoro-bosoge ni obosimesi taru mi-kesiki mo imiziku nam."
 to, sokohaka to naku, kokoro no midare keru naru besi.
 "Saki te toku tiru ha ukere do yuku haru ha
 hana no miyako wo tati-kaheri mi yo

 toki si ara ba."
 to kikoye te, nagori mo ahare naru monogatari wo si tutu, hito-miya no uti, sinobi te naki-ahe ri.
 Hito-me mo mi tatemature ru hito ha, kaku obosi kuduhore nuru ohom-arisama wo, nageki wosimi kikoye nu hito nasi. Masite, tune ni mawiri nare tari si ha, siri oyobi tamahu maziki wosame, mikahaya-udo made, arigataki ohom-kaherimi no sita nari turu wo, "Sibasi ni te mo, mi tatematura nu hodo ya he m." to, omohi-nageki keri.
 Ohokata no yo no hito mo, tare ka ha yorosiku omohi kikoye m. Nana-tu ni nari tamahi si kono kata, Mikado no o-mahe ni yoru-hiru saburahi tamahi te, sou-si tamahu koto no nara nu ha nakari sika ba, kono ohom-itahari ni kakara nu hito naku, ohom-toku wo yorokoba nu ya ha ari si. Yamgotonaki Kamdatime, Ben-kwan nado no naka ni mo ohokari. Sore yori simo ha kazu sira nu wo, omohi-sira nu ni ha ara ne do, sasi-atari te, itihayaki yo wo omohi-habakari te, mawiri-yoru mo nasi. Yo yusuri te wosimi kikoye, sita ni Ohoyake wo sosiri, urami tatemature do, "Mi wo sute te toburahi mawira m ni mo, nani no kahi ka ha." to omohu ni ya, kakaru wori ha hito-waroku, uramesiki hito ohoku, "Yononaka ha adikinaki mono kana!" to nomi, yorodu ni tuke te obosu.

 その日は、女君に御物語のどかに聞こえ暮らしたまひて、例の、夜深く出でたまふ。狩の御衣など、旅の御よそひ558、いたくやつしたまひて、
「月出でにけりな。なほすこし出でて、見だに送りたまへかし。いかに聞こゆべきこと多くつもりにけりとおぼえむとすらむ。一日、二日たまさかに隔たる折だに、あやしういぶせき心地するものを」
とて、御簾巻き上げて、端にいざなひきこえたまへば、女君、泣き沈みたまへるを559、ためらひて、ゐざり出でたまへる、月影に、いみじうをかしげにてゐたまへり。「わが身かくてはかなき世を別れなば、いかなるさまにさすらへたまはむ」と、うしろめたく悲しけれど、思し入りたるに、いとどしかるべければ、
「生ける世の別れを知らで契りつつ
命を人に限りけるかな
はかなし」
など、あさはかに聞こえなしたまへば、
「惜しからぬ命に代へて目の前の
別れをしばしとどめてしがな」
「げに、さぞ思さるらむ」と、いと見捨てがたけれど、明け果てなば、はしたなかるべきにより、急ぎ出でたまひぬ。

 道すがら、面影につと添ひて、胸もふたがりながら、御舟に乗りたまひぬ。日長きころなれば、追風さへ添ひて、まだ申の時ばかりに、かの浦に着きたまひぬ。かりそめの道にても、かかる旅をならひたまはぬ心地に、心細さもをかしさもめづらかなり。大江殿と言ひける所は、いたう荒れて、松ばかりぞしるしなる。
「唐国に名を残しける人よりも
行方知られぬ家居をやせむ」
渚に寄る波のかつ返るを見たまひて、「うらやましくも560」と、うち誦じたまへるさま、さる世の古言なれど、珍しう聞きなされ、悲しとのみ御供の人々思へり。うち顧みたまへるに、来し方の山は霞はるかにて、まことに「三千里の外561」の心地するに、櫂の雫562も堪へがたし。
「故郷を峰の霞は隔つれど
眺むる空は同じ雲居か」
つらからぬものなくなむ。

 出発の当日は、女君にお話を一日中のんびりとお過ごし申し上げなさって、旅立ちの例で、夜明け前にお立ちになる。狩衣のご衣装など、旅のご装束、たいそう質素なふうになさって、
「月も出たなあ。もう少し端に出て、せめて見送ってください。どんなにお話申し上げたいことがたくさん積もったと思うことでしょう。一日、二日まれに離れている時でさえ、不思議と気が晴れない思いがしますものを」
とおっしゃって、御簾を巻き上げて、端近にお誘い申し上げなさると、女君、泣き沈んでいらっしゃたが、気持ちを抑えて、膝行して出ていらっしゃったのが、月の光にたいそう美しくお座りになった。「わが身がこのようにはかない世の中を離れて行ったら、どのような状態でさすらって行かれるのであろうか」と、不安で悲しく思われるが、深いお悲しみの上に、ますます悲しませるようなので、
「生きている間にも生き別れというものがあるとは知らずに
命のある限りは一緒にと信じていたことよ
はかないことだ」
などと、わざとあっさりと申し上げなさったので、
「惜しくもないわたしの命に代えて、今のこの
別れを少しの間でも引きとどめて置きたいものです」
「なるほど、そのようにもお思いだろう」と、たいそう見捨てて行きにくいが、夜がすっかり明けてしまったら、きまりが悪いので、急いでお立ちになった。

 道中、面影のようにありありとまぶたに浮かんで、胸もいっぱいのまま、お舟にお乗りになった。日の長いころなので、追い風までが吹き加わって、まだ申の時刻に、あの浦にお着きになった。ほんのちょっとのお出ましであっても、こうした旅路をご経験のない気持ちで、心細さも物珍しさも並大抵ではない。大江殿と言った所は、ひどく荒れて、松の木だけが形跡をとどめているだけである。
「唐国で名を残した人以上に
行方も知らない侘住まいをするのだろうか」
渚に打ち寄せる波の寄せては返すのを御覧になって、「うらやましくも」と口ずさみなさっているご様子、誰でも知っている古歌であるが、珍しく聞けて、悲しいとばかりお供の人々は思っている。振り返って御覧になると、来た方角の山は霞が遠くにかかって、まことに、「三千里の外」という心地がすると、櫂の滴も耐えきれない。
「住みなれた都を峰の霞は遠く隔てるが
悲しい気持ちで眺めている空は同じ空なのだ」
辛くなく思われないものはないのであった。

 [1-9 The day of leaving at Kyoto]
 Sono hi ha, Womna-Gimi ni ohom-monogatari nodoka ni kikoye kurasi tamahi te, rei no, yo-bukaku ide tamahu. Kari no ohom-zo nado, tabi no ohom-yosohi, itaku yatusi tamahi te,
 "Tuki ide ni keri na! Naho sukosi ide te, mi dani okuri tamahe kasi. Ika ni kikoyu beki koto ohoku tumori ni keri to oboye m to sura m. Hito-hi, hutu-ka tamasaka ni hedataru wori dani, ayasiu ibuseki kokoti suru mono wo!"
 tote, mi-su maki-age te, hasi ni izanahi kikoye tamahe ba, Womna-Gimi, naki-sidumi tamahe ru wo, tamerahi te, wizari-ide tamahe ru, tuki-kage ni, imiziu wokasige ni te wi tamaheri. "Waga-mi kaku te hakanaki yo wo wakare na ba, ika-naru sama ni sasurahe tamaha m." to, usirometaku kanasikere do, obosi-iri taru ni, itodosikaru bekere ba,
 "Ike ru yo no wakare wo sira de tigiri tutu
 inoti wo hito ni kagiri keru kana

 Hakanasi."
 nado, asahaka ni kikoye-nasi tamaha ba,
 "Wosikara nu inoti ni kahe te me no mahe no
 wakare wo sibasi todome te si gana
"
 "Geni, sa zo obosa ru ram." to, ito mi-sute gatakere do, ake-hate na ba, hasitanakaru beki ni yori, isogi ide tamahi nu.
 Miti-sugara, omokage ni tuto sohi te, mune mo hutagari nagara, mi-hune ni nori tamahi nu. Hi nagaki koro nare ba, ohi-kaze sahe sohi te, mada saru no toki bakari ni, kano ura ni tuki tamahi nu. Karisome no miti ni te mo, kakaru tabi wo narahi tamaha nu kokoti ni, kokoro-bososa mo wokasisa mo meduraka nari. Ohoe-dono to ihi keru tokoro ha, itau are te, matu bakari zo sirusi naru.
 "Kara-kuni ni na wo nokosi keru hito yori mo
 yukuhe sira re nu ihe-wi wo ya se m
"
 Nagisa ni yoru nami no katu kaheru wo mi tamahi te, "Urayamasiku mo" to, uti-zyu-zi tamahe ru sama, saru yo no huru-koto nare do, medurasiu kiki-nasa re, kanasi to nomi ohom-tomo no hito-bito omohe ri. Uti-kaherimi tamahe ru ni, ko-si-kata no yama ha kasumi haruka ni te, makoto ni "Sam-zen ri no hoka" no kokoti suru ni, kai no siduku mo tahe gatasi.
 "Hurusato wo mine no kasumi ha hedature do
 Nagamuru sora ha onazi kumo-wi ka
"
 Turakara nu mono naku nam.

 おはすべき所は、行平の中納言の、「藻塩垂れつつ563」侘びける家居近きわたりなりけり。海づらはやや入りて、あはれにすごげなる山中なり。
垣のさまよりはじめて、めづらかに見たまふ。茅屋ども、葦葺ける廊めく屋など、をかしうしつらひなしたり。所につけたる御住まひ、やう変はりて、「かからぬ折ならば、をかしうもありなまし」と、昔の御心のすさび思し出づ。
近き所々の御荘の司召して、さるべきことどもなど、良清朝臣、親しき家司にて、仰せ行なふもあはれなり。時の間に、いと見所ありてしなさせたまふ。水深う遣りなし、植木どもなどして、今はと静まりたまふ心地、うつつならず。国の守も親しき殿人なれば、忍びて心寄せ仕うまつる。かかる旅所ともなう、人騒がしけれども、はかばかしう物をものたまひあはすべき人しなければ、知らぬ国の心地して、いと埋れいたく、「いかで年月を過ぐさまし」と思しやらる。

 お住まいになる所は、行平中納言が、「藻塩たれつつ」と詠んだ侘住まい付近なのであった。海岸からは少し入り込んで、身にしみるばかり寂しい山の中である。
垣根の様子をはじめとして、物珍しく御覧になる。茅葺きの建物、葦で葺いた回廊のような建物など、風情のある造作がしてあった。場所柄にふさわしいお住まい、風変わりに思われて、「このようなでない時ならば、興趣深くもあったであろうに」と、昔のお心にまかせたお忍び歩きのころをお思い出しになる。
近い所々のご荘園の管理者を呼び寄せて、しかるべき事どもを、良清朝臣が、側近の家司として、お命じになり取り仕切るのも感に耐えないことである。暫くの間に、たいそう風情があるようにお手入れさせなさる。遣水を深く流し、植木類を植えたりして、もうすっかりと落ち着きなさるお気持ち、夢のようである。国守も親しい家来筋の者なので、こっそりと好意をもってお世話申し上げる。このような旅の生活にも似ず、人がおおぜい出入りするが、まともにお話相手となりそうな人もいないので、知らない他国の心地がして、ひどく気も滅入って、「どのようにしてこれから先過ごして行こうか」と、お思いやらずにはいられない。

 2 Tale of Hikaru-Genji Gloomy days in summer-rain on Suma and Kyoto [2-1 Genji's life in Suma]
 Ohasu beki tokoro ha, Yukihira-no-Tiunagon no, "Mosiho tare tutu" wabi keru ihe-wi tikaki watari nari keri. Umi-dura ha yaya iri te, ahare ni sugoge naru yama-naka nari.
 Kaki no sama yori hazime te, meduraka ni mi tamahu. Kaya-ya-domo, asi huke ru rau-meku ya nado, wokasiu siturahi-nasi tari. Tokoro ni tuke taru ohom-sumahi, yau kahari te, "Kakara nu wori nara ba, wokasiu mo ari na masi." to, mukasi no mi-kokoro no susabi obosi-idu.
 Tikaki tokoro-dokoro no mi-syau no tukasa mesi te, sa'ru beki koto-domo nado, Yosikiyo-no-Asom, sitasiki keisi ni te, ohose okonahu mo ahare nari. Toki no ma ni, ito mi-dokoro ari te si-nase tamahu. Midu hukau yari-nasi, uweki-domo nado si te, ima ha to sidumari tamahu kokoti, ututu nara zu. Kuni no kami mo sitasiki tono-bito nare ba, sinobi te kokoro-yose tukau maturu. Kakaru tabi-dokoro to mo nau, hito sawagasikere do, haka-bakasiu mono wo mo notamahi ahasu beki hito si nakere ba, sira nu kuni no kokoti si te, ito umore itaku, "Ikade tosi-tuki wo sugusa masi." to obosi-yara ru.

 やうやう事静まりゆくに、長雨のころになりて、京のことも思しやらるるに、恋しき人多く、女君の思したりしさま、春宮の御事、若君の何心もなく紛れたまひしなどをはじめ、ここかしこ思ひやりきこえたまふ。
京へ人出だし立てたまふ。二条院へたてまつりたまふと、入道の宮のとは、書きもやりたまはず、昏されたまへり。宮には、
「松島の海人の苫屋もいかならむ
須磨の浦人しほたるるころ
いつとはべらぬなかにも、来し方行く先かきくらし、『汀まさりて564』なむ」
尚侍の御もとに、例の、中納言の君の私事のやうにて、中なるに、
「つれづれと過ぎにし方の思うたまへ出でらるるにつけても、
 こりずまの浦のみるめ565のゆかしきを
塩焼く海人やいかが思はむ」
さまざま書き尽くしたまふ言の葉、思ひやるべし。
 大殿にも566、宰相の乳母にも、仕うまつるべきことなど書きつかはす。

 京には、この御文、所々に見たまひつつ、御心乱れたまふ人々のみ多かり。二条院の君は、そのままに起きも上がりたまはず、尽きせぬさまに思しこがるれば、さぶらふ人々もこしらへわびつつ、心細う思ひあへり。
もてならしたまひし御調度ども、弾きならしたまひし御琴、脱ぎ捨てたまへる御衣の匂ひなどにつけても、今はと世になからむ人のやうにのみ思したれば、かつはゆゆしうて、少納言は、僧都に御祈りのことなど聞こゆ。二方に御修法などせさせたまふ。かつは、「思し嘆く御心静めたまひて、思ひなき世にあらせたてまつりたまへ」と、心苦しきままに祈り申したまふ。
旅の御宿直物など、調じてたてまつりたまふ。かとりの御直衣、指貫、さま変はりたる心地するもいみじきに、「去らぬ鏡」とのたまひし面影の、げに身に添ひたまへるもかひなし。
出で入りたまひし方、寄りゐたまひし真木柱567などを見たまふにも、胸のみふたがりて、ものをとかう思ひめぐらし、世にしほじみぬる齢の人だにあり、まして、馴れむつびきこえ、父母にもなりて生ほし立てならはしたまへれば、恋しう思ひきこえたまへる、ことわりなり。ひたすら世になくなりなむは、言はむ方なくて、やうやう忘れ草も生ひやすらむ、聞くほどは近けれど、いつまでと限りある568御別れにもあらで、思すに尽きせずなむ。

 入道宮にも、春宮の御事により思し嘆くさま、いとさらなり。御宿世のほどを思すには、いかが浅く思されむ。年ごろはただものの聞こえなどのつつましさに、「すこし情けあるけしき見せば、それにつけて人のとがめ出づることもこそ」とのみ569、ひとへに思し忍びつつ、あはれをも多う御覧じ過ぐし、すくすくしうもてなしたまひしを、「かばかり憂き世の人言なれど、かけてもこの方には言ひ出づることなくて止みぬるばかりの、人の御おもむけも、あながちなりし心の引く方にまかせず、かつはめやすくもて隠しつるぞかし」。あはれに恋しうも、いかが思し出でざらむ。御返りも、すこしこまやかにて、
「このころは、いとど、
塩垂るることをやくにて松島に
年ふる海人も嘆きをぞつむ」

 尚侍君の御返りには、
「浦にたく海人だにつつむ恋なれば
くゆる煙よ行く方ぞなき
さらなることどもは、えなむ」
とばかり、いささか書きて、中納言の君の中にあり。思し嘆くさまなど、いみじう言ひたり。あはれと思ひきこえたまふ節々もあれば、うち泣かれたまひぬ。

 姫君の御文は、心ことにこまかなりし御返りなれば、あはれなること多くて、
「浦人の潮くむ袖に比べ見よ
波路へだつる夜の衣を」
ものの色、したまへるさまなど、いときよらなり。何ごともらうらうじう570ものしたまふを、思ふさまにて、「今は他事に心あわたたしう、行きかかづらふ方もなく、しめやかにてあるべきものを」と思すに、いみじう口惜しう、夜昼面影におぼえて、堪へがたう571思ひ出でられたまへば、「なほ忍びてや迎へまし」と思す。またうち返し、「なぞや、かく憂き世に、罪をだに失はむ」と思せば、やがて御精進にて、明け暮れ行なひておはす。
大殿の若君の御事などあるにも、いと悲しけれど、「おのづから逢ひ見てむ。頼もしき人々ものしたまへば、うしろめたうはあらず」と、思しなさるるは、なかなか、子の道の惑はれ572ぬにやあらむ。

 だんだんと落ち着いて行くころ、梅雨時期になって、京のことがご心配になられて、恋しい人々が多く、女君の悲しんでいらした様子、東宮のお身の上、若君が無邪気に動き回っていらしたことなどをはじめとして、あちらこちら方をお思いやりになる。
京へ使者をお立てになる。二条院に差し上げなさるのと、入道の宮のとは、筆も思うように進まず、涙に目も暮れなさった。宮には、
「出家されたあなた様はいかがお過ごしでしょうか
わたしは須磨の浦で涙に泣き濡れております今日このごろです
悲しさは常のことですが、過去も未来もまっ暗闇といった感じで、『汀まさりて』という思いです」
尚侍のお許に、例によって、中納言の君への私事のようにして、その中に、
「所在なく過ぎ去った日々の事柄が自然と思い出されるにつけても、
性懲りもなくお逢いしたく思っていますが
あなた様はどう思っておいででしょうか」
いろいろとお心を尽くして書かれた言葉というのを想像してください。
大殿邸にも、宰相の乳母のもとに、ご養育に関する事柄をお書きつかわしになる。

 京では、このお手紙を、あちこちで御覧になって、お心を痛められる方々ばかりが多かった。二条院の君は、あれからお枕も上がらず、尽きぬ悲しみに沈まれているので、伺候している女房たちもお慰め困じて、互いに心細く思っていた。
日頃お使いになっていらした御調度などや、お弾き馴れていらしたお琴、お脱ぎ置きになったお召し物の薫りなどにつけても、今はもうこの世にいない人のようにばかりお思いになっているので、ごもっともと思う一方で縁起でもないので、少納言は、僧都にご祈祷をお願い申し上げる。お二方のために御修法などをおさせになる。ご帰京を祈る一方では、「このようにお悲しみになっているお気持ちをお鎮めくださって、物思いのないお身の上にさせて上げてください」と、おいたわしい気持ちでお祈り申し上げなさる。
旅先でのご寝具など、作ってお届けなさる。かとりのお直衣、指貫、変わった感じがするにつけても悲しいのに、「去らない鏡の」とお詠みになった面影が、なるほど目に浮かんで離れないのも詮のないことである。
始終出入りなさったあたり、寄り掛かりなさった真木柱などを御覧になるにつけても、胸ばかりが塞がって、よく物事の分別がついて、世間の経験を積ん年輩の人でさえそうであるのに、まして、お馴れ親しみ申し、父母にもなりかわってお育て申されてきたので、恋しくお思い申し上げなさるのも、ごもっともなことである。まるでこの世から去られてしまうのは、何とも言いようがなく、だんだん忘れることもできようが、聞けば近い所であるが、いつまでと期限のあるお別れでもないので、思えば思うほど悲しみは尽きないのである。

 入道の宮におかれても、春宮の御将来のことでお嘆きになるご様子、いうまでもない。御宿縁をお考えになると、どうして並大抵のお気持ちでいられようか。近年はただ世間の評判が憚られるので、「少しでも同情の素振りを見せたら、それにつけても誰か咎めだてすることがありはしまいか」とばかり、一途に堪え忍び忍びして、愛情をも多く知らないふりをして、そっけない態度をなさっていたが、「これほどにつらい世の噂ではあるが、少しもこのことについては噂されることなく終わったほどの、あの方の態度も、一途であった恋心の赴くままにまかせず、一方では無難に隠したのだ」。しみじみと恋しいが、どうしてお思い出しになれずにいられようか。お返事も、いつもより情愛こまやかに、
「このごろは、ますます、
涙に濡れているのを仕事として
出家したわたしも嘆きを積み重ねています」

 尚侍の君のお返事には、
「須磨の浦の海人でさえ人目を隠す恋の火ですから
人目多い都にいる思いはくすぶり続けて晴れようがありません
今さら言うまでもございませんことの数々は、申し上げるまでもなく」
とだけ、わずかに書いて、中納言の君の手紙の中にある。お嘆きのご様子など、たくさん書かれてあった。いとしいとお思い申されるところがあるので、ふとお泣きになってしまった。

 姫君のお手紙は、格別に心こめたお返事なので、しみじみと胸を打つことが多くて、
「あなたのお袖とお比べになってみてください
遠く波路隔てた都で独り袖を濡らしている夜の衣と」
お召物の色合い、仕立て具合など、実に良く出来上がっていた。何事につけてもいかにも上手にお出来になるのが、思い通りであるので、
「今ではよけいな情事に心せわしく、かかずらうこともなく、落ち着いて暮らせるはずものを」とお思いになると、ひどく残念に、昼夜なく面影が目の前に浮かんで、堪え難く思わずにはいらっしゃれないので、「やはりこっそりと呼び寄せようかしら」とお思いになる。また一方で思い返して、「どうして出来ようか、このようにつらい世であるから、せめて罪障だけでも消滅させよう」とお考えになると、そのままご精進の生活に入って、明け暮れお勤めをなさる。
大殿の若君のお返事などあるにつけ、とても悲しい気がするが、「いずれ再会の機会はあるであろう。信頼できる人々がついていらっしゃるから、不安なことはない」と、思われなされるのは、子供を思う煩悩の方は、かえってお惑いにならないのであろうか。

 [2-2 Genji writes to ladies in Kyoto]
 Yau-yau koto sidumari yuku ni, naga-ame no koro ni nari te, Kyau no koto mo obosi-yara ruru ni, kohisiki hito ohoku, Womna-Gimi no obosi tari si sama, Touguu no ohom-koto, Waka-Gimi no nani-gokoro mo naku magire tamahi si nado wo hazime, koko kasiko omohi-yari kikoye tamahu.
 Kyau he hito idasi-tate tamahu. Nideu-no-Win he tatematuri tamahu to, Nihudau-no-Miya no to ha, kaki mo yari tamaha zu, kurasa re tamahe ri. Miya ni ha,
 "Matusima no ama no tomaya mo ika nara m
 Suma no ura-bito siho taruru koro

 Itu to habera nu naka ni mo, kisikata yukusaki kaki-kurasi, 'Migiha masari te' nam."
 Naisi-no-Kami no ohom-moto ni, rei no, Tiunagon-no-Kimi no watakusi-goto no yau ni te, naka naru ni,
 "Ture-dure to sugi ni si kata no omou tamahe ide raruru ni tuke te mo,
 Korizuma no ura no mirume no yukasiki wo
 siho yaku ama ya ikaga omoha m
"
 Sama-zama kaki-tukusi tamahu kotonoha, omohi-yaru besi.
 Ohoi-dono ni mo, Saisyau-no-Menoto ni mo, tukau-maturu beki koto nado kaki tukahasu.

 Kyau ni ha, kono ohom-humi, tokoro-dokoro ni mi tamahi tutu, mi-kokoro midare tamahu hito-bito nomi ohokari. Nideu-no-Win no Kimi ha, sono mama ni oki mo agari tamaha zu, tuki se nu sama ni obosi kogarure ba, saburahu hito-bito mo kosirahe-wabi tutu, kokoro-bosou omohi-ahe ri.
 Mote-narasi tamahi si mi-teudo-domo, hiki-narasi tamahi si ohom-koto, nugi-sute tamahe ru ohom-zo no nihohi nado ni tuke te mo, ima ha to yo ni nakara m hito no yau ni nomi obosi tare ba, katu ha yuyusiu te, Seunagon ha, Soudu ni ohom-inori no koto nado kikoyu. Huta-kata ni mi-zyuhohu nado se sase tamahu. Katu ha, "Obosi nageku mi-kokoro sidume tamahi te, omohi-naki yo ni ara se tatematuri tamahe." to, kokoro-gurusiki mama ni inori mausi tamahu.
 Tabi no ohom-tonowi-mono nado, teu zi te tatematuri tamahu. Katori no ohom-nahosi, sasinuki, sama kahari taru kokoti suru mo imiziki ni, "Sara nu kagami" to notamahi si omokage no, geni mi ni sohi tamahe ru mo kahi nasi.
 Ide-iri tamahi si kata, yori-wi tamahi si maki-basira nado wo mi tamahu ni mo, mune nomi hutagari te, mono wo tokau omohi-megurasi, yo ni sihozimi nuru yohahi no hito dani ari, masite, nare mutubi kikoye, titi-haha ni mo nari te ohosi-tate narahasi tamahe re ba, kohisiu omohi kikoye tamahe ru, kotowari nari. Hitasura yo ni nakunari na m ha, iha m kata naku te, yau-yau wasure-gusa mo ohi ya sura m, kiku hodo ha tikakere do, itu made to kagiri aru ohom-wakare ni mo ara de, obosu ni tuki se zu nam.
 Nihudau-no-Miya ni mo, Touguu no ohom-koto ni yori obosi-nageku sama, ito sara nari. Ohom-sukuse no hodo wo obosu ni ha, ikaga asaku obosa re m. Tosi-goro ha tada mono no kikoye nado no tutumasisa ni, "Sukosi nasake aru kesiki mise ba, sore ni tuke te hito no togame iduru koto mo koso." to nomi, hitohe ni obosi-sinobi tutu, ahare wo mo ohou go-ran-zi sugusi, suku-sukusiu motenasi tamahi si wo, "Kabakari uki yo no hito-goto nare do, kakete mo kono kata ni ha ihi-iduru koto naku te yami nuru bakari no, hito no ohom-omomuke mo, anagati nari si kokoro no hiku kata ni makase zu, katu ha me-yasuku mote-kakusi turu zo kasi". Ahare ni kohisiu mo, ikaga obosi-idezara m. Ohom-kaheri mo, sukosi komayaka ni te,
 "Kono-koro ha, itodo,
 Siho taruru koto wo yaku ni te Matusima ni
 tosi huru ama mo nageki wo zo tumu
"

 Kam-no-Kimi no ohom-kaheri ni ha,
 "Ura ni taku ama dani tutumu kohi nare ba
 kuyuru keburi yo yuku-kata zo naki

 Sara naru koto-domo ha, e nam."
 to bakari, isasaka kaki te, Tiunagon-no-Kimi no naka ni ari. Obosi nageku sama nado, imiziu ihi tari. Ahare to omohi kikoye tamahu husi-busi mo are ba, uti-naka re tamahi nu.

 Hime-Gimi no ohom-humi ha, kokoro-koto ni komaka nari si ohom-kaheri nare ba, ahare naru koto ohoku te,
 "Ura-bito no siho kumu sode ni kurabe mi yo
 nami-di hedaturu yoru no koromo wo
"
 Mono no iro, si tamahe ru sama nado, ito kiyora nari. Nani-goto mo rau-rauziu monosi tamahu wo, omohu sama ni te, "Ima ha koto-goto ni kokoro-awatatasiu, yuki-kakadurahu kata mo naku, simeyaka ni te aru beki mono wo." to obosu ni, imiziu kutiwosiu, yoru-hiru omokage ni oboye te, tahe-gatau omohi-ide rare tamahe ba, "Naho sinobi te ya mukahe masi." to obosu. Mata uti-kahesi, "Nazo ya, kaku uki yo ni, tumi wo dani usinaha m." to obose ba, yagate mi-syauzin ni te, ake-kure okonahi te ohasu.
 Ohoi-dono no Waka-Gimi no ohom-koto nado aru ni mo, ito kanasikere do, "Onodukara ahi-mi te m. Tanomosiki hito-bito monosi tamahe ba, usirometau ha ara zu." to, obosi-nasa ruru ha, naka-naka, ko no miti no madoha re nu ni ya ara m.

 まことや、騒がしかりしほどの紛れに漏らしてけり。かの伊勢の宮へも御使ありけり。かれよりも、ふりはへ尋ね参れり。浅からぬことども573書きたまへり。言の葉、筆づかひなどは、人よりことになまめかしく、いたり深う見えたり。
「なほうつつとは思ひたまへられぬ御住ひをうけたまはるも、明けぬ夜の心惑ひかとなむ。さりとも、年月隔てたまはじと、思ひやりきこえさするにも、罪深き身のみこそ、また聞こえさせむこともはるかなるべけれ。
うきめかる伊勢をの海人を思ひやれ
藻塩垂るてふ須磨の浦にて
よろづに思ひたまへ乱るる世のありさまも、なほいかになり果つべきにか」
と多かり。
「伊勢島や潮干の潟に漁りても
いふかひなきは我が身なりけり」
ものをあはれと思しけるままに、うち置きうち置き書きたまへる、白き唐の紙、四、五枚ばかりを巻き続けて574、墨つきなど見所あり。
「あはれに思ひきこえし人を、ひとふし憂しと思ひきこえし心あやまりに、かの御息所も思ひ倦じて別れたまひにし」と思せば、今にいとほしうかたじけなきものに思ひきこえたまふ。折からの御文、いとあはれなれば、御使さへむつましうて、二、三日据ゑさせたまひて、かしこの物語などせさせて聞こしめす。
若やかにけしきある侍の人なりけり。かくあはれなる御住まひなれば、かやうの人もおのづからもの遠からで、ほの見たてまつる御さま、容貌を、いみじうめでたし、と涙落しをりけり。御返り書きたまふ、言の葉、思ひやるべし。
「かく世を離るべき身と、思ひたまへましかば、同じくは慕ひきこえましものを、などなむ。つれづれと、心細きままに、
 伊勢人の波の上漕ぐ小舟575にも
うきめは刈らで乗らましものを
海人がつむなげきのなかに塩垂れて
いつまで須磨の浦に眺めむ
聞こえさせむことの、いつともはべらぬこそ、尽きせぬ心地しはべれ」
などぞありける。かやうに、いづこにもおぼつかなからず聞こえかはしたまふ。

 花散里も、悲しと思しけるままに書き集めたまへる御心、御心見たまふ、をかしきも目なれぬ心地して、いづれもうち見つつ慰めたまへど、もの思ひのもよほしぐさなめり。
「荒れまさる軒のしのぶを眺めつつ
しげくも露のかかる袖かな」
とあるを、「げに、葎よりほかの後見もなきさまにておはすらむ」と思しやりて、「長雨に築地所々崩れてなむ」と聞きたまへば、京の家司のもとに仰せつかはして、近き国々の御荘の者などもよほさせて、仕うまつるべき由のたまはす。

 ほんと、そうであった、混雑しているうちに言い落としてしまった。あの伊勢の宮へもお使者があったのであった。そこからもお見舞いの使者がわざわざ尋ねて参った。並々ならぬ事柄をお書きになっていた。言葉の用い方、筆跡などは、誰よりも格別に優美で教養の深さが窺えた。
「依然として現実のこととは存じられませぬお住まいの様を承りますと、無明長夜の闇に迷っているのかと存じられます。そうは言っても、長の年月をお送りになることはありますまいと推察申し上げますにつけても、罪障深いわが身だけは、再びお目にかかることも遠い先のことでしょう。
辛く淋しい思いを致してます伊勢の人を思いやってくださいまし
やはり涙に暮れていらっしゃるという須磨の浦から
何事につけても思い乱れます世の中の有様も、やはりこれから先どのようになって行くのでしょうか」
と多く書いてある。
「伊勢の海の干潟で貝取りしても
何の甲斐もないのはこのわたしです」
しみじみとしたお気持ちで、筆を置いては書き置いては書きなさっている、白い唐紙、四、五枚ほどを継ぎ紙に巻いて、墨の付け具合なども素晴らしい。
「もともと慕わしくお思い申し上げていた人であったが、あの一件を辛くお思い申し上げた心の行き違いから、あの御息所も情けなく思って別れて行かれたのだ」とお思いになると、今ではお気の毒に申し訳ないこととお思い申し上げていらっしゃる。折からのお手紙、たいそう胸にしみたので、お使いの者までが慕わしく思われて、二、三日逗留させなさって、あちらのお話などをさせてお聞きになる。
若々しく教養ある侍所の人なのであった。このような寂しいお住まいなので、このような使者も自然と間近にちらっと拝する御様子、容貌を、たいそう立派である、と感涙するのであった。お返事をお書きになる、文言、想像してみるがよいであろう。
「このように都から離れなければならない身の上と、分かっておりましたら、いっそのこと後をお慕い申して行けばよかったものを、などと思えます。所在のない、心淋しいままに、
伊勢人が波の上を漕ぐ舟に一緒に乗ってお供すればよかったものを
須磨で浮海布など刈って辛い思いをしているよりは
海人が積み重ねる投げ木の中に涙に濡れて
いつまで須磨の浦にさすらっていることでしょう
お目にかかれることが、いつの日とも分かりませんことが、尽きせず悲しく思われてなりません」
などとあったのだった。このように、どの方ともことこまかにお手紙を書き交わしなさる。

 花散里も、悲しいとお思いになって書き集めなさったお二方の心を御覧になると、興趣あり珍しい心地もして、どちらも見ながら慰められなさるが、物思いを起こさせる種のようである。
「荒れて行く軒の忍ぶ草を眺めていると
ひどく涙の露に濡れる袖ですこと」
とあるのを、「なるほど、八重葎より他の後見もない状態でいられるのだろう」とお思いやりになって、「長雨に築地が所々崩れて」などとお聞きになったので、京の家司のもとにご命令なさって、近くの国々の荘園の者たちを徴用させて、修理をさせるようお命じになる。

 [2-3 Genji writes to Lady Rokujo in Ise]
 Makoto ya, sawagasikari si hodo no magire ni morasi te keri. Kano Ise no Miya he mo ohom-tukahi ari keri. Kare yori mo, huri-hahe tadune mawire ri. Asakara nu koto-domo kaki tamahe ri. Kotonoha, hude-dukahi nado ha, hito yori koto ni namamekasiku, itari hukau miye tari.
 "Naho ututu to ha omohi tamahe rare nu ohom-sumahi wo uketamaharu mo, ake nu yo no kokoro-madohi ka to nam. Sa'ri to mo, tosi-tuki hedate tamaha zi to, omohi-yari kikoye sasuru ni mo, tumi hukaki mi nomi koso, mata kikoye sase m koto mo haruka naru bekere.
 Ukime karu Ise wo no ama wo omohi-yare
 mo-siho taru tehu Suma no ura ni te

 Yorodu ni omohi tamahe midaruru yo no arisama mo, naho ika ni nari-hatu beki ni ka?"
 to ohokari.
 "Ise-sima ya sihohi no kata ni asari te mo
 ihukahi naki ha wagami nari keri
"
 Mono wo ahare to obosi keru mama ni, uti-oki uti-oki kaki tamahe ru, siroki kara no kami, si,go-mai bakari wo maki-tuduke te, sumi-tuki nado mi-dokoro ari.
 "Ahare ni omohi kikoye si hito wo, hito-husi usi to omohi kikoye si kokoro-ayamari ni, kano Miyasumdokoro mo omohi-u-zi te wakare tamahi ni si." to obose ba, ima ni itohosiu katazikenaki mono ni omohi kikoye tamahu. Wori kara no ohom-humi, ito ahare nare ba, ohom-tukahi sahe mutumasiu te, hutu-ka, mi-ka suwe sase tamahi te, kasiko no monogatari nado se sase te kikosimesu.
 Wakayaka ni kesiki aru saburahi no hito nari keri. Kaku ahare naru ohom-sumahi nare ba, kayau no hito mo onodukara mono-tohokara de, hono-mi tatematuru ohom-sama, katati wo, imiziu medetasi, to namida otosi wori keri. Ohom-kaheri kaki tamahu, kotonoha, omohi-yaru besi.
 "Kaku yo wo hanaru beki mi to, omohi tamahe masika ba, onaziku ha sitahi kikoye masi mono wo, nado nam. Ture-dure to, kokoro-bosoki mama ni,
 Ise-bito no nami no uhe kogu wo-bune ni mo
 ukime ha kara de nora masi mono wo

 Ama ga tumu nageki no nak ni siho tare te
 itu made Suma no ura ni nagame m

 Kikoye sase m koto no, ituto mo habera nu koso, tuki se nu kokoti si habere."
 nado zo ari keru. Kayau ni, iduko ni mo obotukanakara zu kikoye-kahasi tamahu.

 Hanatirusato mo, kanasi to obosi keru mama ni kaki-atume tamahe ru mi-kokoro, mi-kokoro mi tamahu, wokasiki mo me nare nu kokoti si te, idure mo uti-mi tutu nagusame tamahe do, mono-omohi no moyohosi-gusa na'meri.
 "Are masaru noki no sinobu wo nagame tutu
 sigeku mo tuyu no kakaru sode kana
"
 to aru wo, "Geni, mugura yori hoka no usiromi mo naki sama ni te ohasu ram." to obosi-yari te, "Naga-ame ni tuidi tokoro-dokoro kudure te nam." to kiki tamahe ba, Kyau no keisi no moto ni ohose-tukahasi te, tikaki kuni-guni no mi-syau no mono nado moyohosa se te, tukau-maturu beki yosi notamahasu.

 尚侍の君は、人笑へにいみじう思しくづほるるを、大臣いとかなしうしたまふ君にて、せちに、宮にも内裏にも奏したまひければ、「限りある女御、御息所にもおはせず、公ざまの宮仕へ」と思し直り、また、「かの憎かりしゆゑこそ、いかめしきことも出で来しか」。許されたまひて、参りたまふべきにつけても、なほ心に染みにし方ぞ、あはれにおぼえたまける。
七月になりて参りたまふ。いみじかりし御思ひの名残なれば、人のそしりもしろしめされず、例の、主上につとさぶらはせたまひて、よろづに怨み、かつはあはれに契らせたまふ。
御さま容貌もいとなまめかしうきよらなれど、思ひ出づることのみ多かる心のうちぞ、かたじけなき。御遊びのついでに、
「その人のなきこそ、いとさうざうしけれ。いかにましてさ思ふ人多からむ。何ごとも光なき心地するかな」とのたまはせて、「院の思しのたまはせし御心を違へつるかな。罪得らむかし」
とて、涙ぐませたまふに、え念じたまはず。
「世の中こそ、あるにつけてもあぢきなきものなりけれ、と思ひ知るままに、久しく世にあらむものとなむ、さらに思はぬ。さもなりなむに、いかが思さるべき。近きほどの別れに思ひ落とされむこそ、ねたけれ。生ける世に576とは、げに、よからぬ人の言ひ置きけむ」
と、いとなつかしき御さまにて、ものをまことにあはれと思し入りてのたまはするにつけて、ほろほろとこぼれ出づれば、
「さりや。いづれに落つるにか」
とのたまはす。
「今まで御子たちのなきこそ、さうざうしけれ。春宮を院ののたまはせしさまに思へど、よからぬことども出で来めれば、心苦しう」
など、世を御心のほかにまつりごちなしたまふ人々のあるに、若き御心の、強きところなきほどにて、いとほしと思したることも多かり。

 尚侍の君は、世間体を恥じてひどく沈みこんでいられるのを、大臣がたいそうかわいがっていらっしゃる姫君なので、無理やり、大后にも帝にもお許しを奏上なさったので、「決まりのある女御や御息所でもいらっしゃらず、公的な宮仕え人」とお考え直しになり、また、「あの一件が憎く思われたゆえに、厳しい処置も出て来たのだが」と。赦されなさって、参内なさるにつけても、やはり心に深く染み込んだお方のことが、しみじみと恋しく思われなさるのであった。
七月になって参内なさる。格別であった御寵愛が今に続いているので、他人の悪口などお気になさらず、いつものようにお側にずっと伺候させあそばして、いろいろと恨み言を言い、一方では愛情深く将来をお約束あそばす。
お姿もお顔もとてもお優しく美しいのだが、思い出されることばかり多い心中こそ、恐れ多いことである。管弦の御遊の折に、
「あの人がいないのが、とても淋しいね。どんなに自分以上にそのように思っている人が多いことであろう。何事につけても、光のない心地がするね」と仰せになって、「院がお考えになり仰せになったお心に背いてしまったなあ。きっと罰を得るだろう」
と言って、涙ぐみあそばすので、涙をお堪えきれになれない。
「世の中は、生きていてもつまらないものだと思い知られるにつれて、長生きをしようなどとは、少しも思わない。そうなった時には、どのようにお思いになるでしょう。最近の別れよりも軽く思われるのが、悔しい。生きている日のためというのは、なるほど、つまらない人が詠み残したのであろう」
と、とても優しい御様子で、何事も本当にしみじみとお考え入って仰せになるのにつけて、ぽろぽろと涙がこぼれ出ると、
「それごらん。誰のために流すのだろうか」
と仰せになる。
「今までお子様たちがいないのが、物足りないね。東宮を故院の仰せどおりに思っているが、良くない事柄が出てくるようなので、お気の毒で」
などと、治世をお心向きとは違って取り仕切る人々がいても、お若い思慮で、強いことの言えないお年頃なので、困ったことだとお思いあそばすことも多いのであった。

 [2-4 Oborotukiyo goes in the Court of Suzaku]
 Kam-no-Kimi ha, hito-warahe ni imiziu obosi-kuduhoruru wo, Otodo ito kanasiu si tamahu Kimi ni te, seti ni, Miya ni mo Uti ni mo sou-si tamahi kere ba, "Kagiri aru Nyougo, Miyasumdokoro ni mo ohase zu, ohoyake-zama no miya-dukahe." to obosi-nahori, mata, "Kano nikukari si yuwe koso, ikamesiki koto mo ide-kosi ka". Yurusa re tamahi te, mawiri tamahu beki ni tuke te mo, naho kokoro ni simi ni si kata zo, ahare ni oboye tama' keru.
 Huduki ni nari te mawiri tamahu. Imizikari si ohom-omohi no nagori nare ba, hito no sosiri mo sirosimesa re zu, rei no, Uhe ni tuto saburaha se tamahi te, yorodu ni urami, katu ha ahare ni tigira se tamahu.
 Ohom-sama katati mo ito namamekasiu kiyora nare do, omohi-iduru koto nomi ohokaru kokoro no uti zo, katazikenaki. Ohom-asobi no tuide ni,
 "Sono hito no naki koso, ito sau-zausikere! Ika ni masite sa omohu hito ohokara m. Nani-goto mo hikari naki kokoti suru kana!" to notamahase te, "Win no obosi notamahase si mi-kokoro wo tagahe turu kana! Tumi u ram kasi."
 tote, namida-guma se tamahu ni, e nen-zi tamaha zu.
 "Yononaka koso, aru ni tuke te mo adikinaki mono nari kere, to omohi-siru mama ni, hisasiku yo ni ara m mono to nam, sara ni omoha nu. Sa mo nari na m ni, iakaga obosa ru beki. Tikaki hodo no wakare ni omohi-otosa re mu koso, netakere. Ike ru yo ni to ha, geni, yokara nu hito no ihi-oki kem."
 to, ito natukasiki ohom-sama ni te, mono wo makoto ni ahare to obosi iri te notamahasuru ni tuke te, horo-horoto kobore-idure ba,
 "Sa'ri ya! Idure ni oturu ni ka?"
 to notamahasu.
 "Ima made Miko-tati no naki koso, sau-zausikere. Touguu wo Win no notamahase si sama ni omohe do, yokara nu koto-domo ide-ku mere ba, kokoro-gurusiu."
 nado, yo wo mi-kokoro no hoka ni maturigoti-nasi tamahu hito-bito no aru ni, wakaki mi-kokoro no, tuyoki tokoro naki hodo ni te, itohosi to obosi taru koto mo ohokari.

 須磨には、いとど心尽くしの秋風577に、海はすこし遠けれど、行平中納言の、「関吹き越ゆる578」と言ひけむ浦波、夜々はげにいと近く聞こえて、またなくあはれなるものは、かかる所の秋なりけり。
御前にいと人少なにて、うち休みわたれるに、一人目を覚まして、枕をそばだてて579四方の嵐を聞きたまふに、波ただここもとに立ちくる心地して、涙落つともおぼえぬに、枕浮くばかり580になりにけり。琴をすこしかき鳴らしたまへるが、我ながらいとすごう聞こゆれば、弾きさしたまひて、
「恋ひわびて泣く音にまがふ浦波は
 思ふ方より風や吹く581らむ」
と歌ひたまへるに、人々おどろきて、めでたうおぼゆるに、忍ばれで、あいなう起きゐつつ、鼻を忍びやかにかみわたす。
「げに、いかに思ふらむ。我が身ひとつにより、親、兄弟、片時立ち離れがたく、ほどにつけつつ思ふらむ家を別れて、かく惑ひあへる」と思すに、いみじくて、「いとかく思ひ沈むさまを、心細しと思ふらむ」と思せば、昼は何くれとうちのたまひ紛らはし、つれづれなるままに、色々の紙を継ぎつつ、手習ひをしたまひ、めづらしきさまなる唐の綾などに、さまざまの絵どもを描きすさびたまへる屏風の面どもなど、いとめでたく見所あり。
人々の語り聞こえし海山のありさまを、遥かに思しやりしを、御目に近くては、げに及ばぬ磯のたたずまひ、二なく582描き集めたまへり。
「このころの上手にすめる千枝、常則などを召して、作り絵仕うまつらせばや」
と、心もとながりあへり。なつかしうめでたき御さまに、世のもの思ひ忘れて、近う馴れ仕うまつるをうれしきことにて、四、五人ばかりぞ、つとさぶらひける。
前栽の花、色々咲き乱れ、おもしろき夕暮れに、海見やらるる廊に出でたまひて、たたずみたまふさまの、ゆゆしうきよらなること、所からは、ましてこの世のものと見えたまはず。白き綾のなよよかなる、紫苑色などたてまつりて、こまやかなる御直衣、帯しどけなくうち乱れたまへる御さまにて、
「釈迦牟尼仏の弟子」
と名のりて、ゆるるかに読みたまへる、また世に知らず聞こゆ。
沖より舟どもの歌ひののしりて漕ぎ行くなども聞こゆ。ほのかに、ただ小さき鳥の浮かべると見やらるるも、心細げなるに、雁の連ねて鳴く声、楫の音583にまがへる584を、うち眺めたまひて、涙こぼるるをかき払ひたまへる御手つき、黒き御数珠に映えたまへる、故郷の女恋しき人々、心みな慰みにけり。
「初雁は恋しき人の列なれや
旅の空飛ぶ声の悲しき」
とのたまへば、良清、
「かきつらね昔のことぞ思ほゆる
雁はその世の友ならねども」
民部大輔、
「心から常世を捨てて鳴く雁を
雲のよそにも思ひけるかな」
前右近将督、
「常世出でて旅の空なる雁がねも
列に遅れぬほどぞ慰む
友まどはしては、いかにはべらまし」
と言ふ。親の常陸になりて、下りしにも誘はれで、参れるなりけり。下には思ひくだくべかめれど、ほこりかにもてなして、つれなきさまにしありく。

 須磨では、ますます心づくしの秋風が吹いて、海は少し遠いけれども、行平中納言が、「関吹き越ゆる」と詠んだという波音が、夜毎夜毎にそのとおりに耳元に聞こえて、またとないほど淋しく感じられるものは、こういう所の秋なのであった。
御前にはまったく人少なで、皆寝静まっている中で、独り目を覚まして、枕を立てて四方の嵐を聞いていらっしゃると、波がまるでここまで立ち寄せて来る感じがして、涙がこぼれたとも思われないうちに、枕が浮くほどになってしまった。琴を少し掻き鳴らしていらっしゃったが、自分ながらひどく寂しく聞こえるので、お弾きさしになって、
「恋いわびて泣くわが泣き声に交じって波音が聞こえてくるが
それは恋い慕っている都の方から風が吹くからであろうか」
とお詠みになったことに、供の人々が目を覚まして、素晴らしいと感じられたが、堪えきれずに、わけもなく起き出して座り直し座り直しして、鼻をひそかに一人一人かんでいる。
「なるほど、どのように思っていることだろう。自分一人のために、親、兄弟が片時でも離れにくく、身分相応に大事に思っているだろう家人に別れて、このようにさまよっているとは」とお思いになると、ひどく気の毒で、「まことこのように沈んでいる様子を、心細いと思っているだろう」とお思いになると、昼間は何かとおっしゃってお紛らわしになり、なすこともないままに、色々な色彩の紙を継いで手習いをなさり、珍しい唐の綾などに、さまざまな絵を描いて気を紛らわしなさった屏風の絵など、とても素晴らしく見所がある。
供の人々がお話申し上げた海や山の様子を、遠くからご想像なさっていらっしゃったが、お目に近くなさっては、なるほど想像も及ばない磯のたたずまいを、またとないほど素晴らしくたくさんお描きになった。
「近年の名人と言われる千枝や常則などを召して、彩色させたいものだ」
と言って、皆残念がっていた。優しく立派なご様子に、世の中の憂さが忘れられて、お側に親しくお仕えできることを嬉しいことと思って、四、五人ほどが、ぴったりと伺候していたのであった。
前栽の花、色とりどりに咲き乱れて、風情ある夕暮れに、海が見える廊にお出ましになって、とばかり眺めていらっしゃる様子が、不吉なまでにお美しいこと、場所柄か、ましてこの世の方とはお見えにならない。白い綾で柔らかなのと、紫苑色のなどをお召しになって、濃い縹色のお直衣、帯をゆったりと締めてくつろいだお姿で、
「釈迦牟尼仏の弟子」
と唱えて、ゆっくりと読経なさっているのが、また聞いたことのないほど美しく聞こえる。
沖の方をいくつもの舟が大声で歌いながら漕いで行くのが聞こえてくる。かすかに、まるで小さい鳥が浮かんでいるように遠く見えるのも、頼りなさそうなところに、雁が列をつくって鳴く声、楫の音に似て聞こえるのを、物思いに耽りながら御覧になって、涙がこぼれるのを袖でお払いなさるお手つき、黒い数珠に映えていらっしゃるお美しさは、故郷の女性を恋しがっている人々の、心がすっかり慰めてしまったのであった。
「初雁は恋しい人の仲間なのだろうか
旅の空を飛んで行く声が悲しく聞こえる」
とお詠みになると、良清、
「次々と昔の事が懐かしく思い出されます
雁は昔からの友達であったわけではないのだが」
民部大輔、
「自分から常世を捨てて旅の空に鳴いて行く雁を
ひとごとのように思っていたことよ」
前右近将監、
「常世を出て旅の空にいる雁も
仲間に外れないでいるあいだは心も慰みましょう
道にはぐれては、どんなに心細いでしょう」
と言う。親が常陸介になって、下ったのにも同行しないで、お供して参ったのであった。心中では悔しい思いをしているようであるが、うわべは元気よくして、何でもないように振る舞っている。

 3 Tale of Hikaru-Genji Fall on Suma [3-1 Fall on Suma]
 Suma ni ha, itodo kokoro-dukusi no aki-kaze ni, umi ha sukosi tohokere do, Yukihira-no-Tiunagon no, "Seki huki koyuru" to ihi kem ura-nami, yoru-yoru ha geni ito tikaku kikoye te, mata naku ahare naru mono ha, kakaru tokoro no aki nari keri.
 O-mahe ni ito hito-zukuna ni te, uti-yasumi watare ru ni, hitori me wo samasi te, makura wo sobadate te yomo no arasi wo kiki tamahu ni, nami tada koko-moto ni tati-kuru kokoti si te, namida otu to mo oboye nu ni, makura uku bakari ni nari ni keri. Kin wo sukosi kaki-narasi tamahe ru ga, ware nagara ito sugou kikoyure ba, hiki-sasi tamahi te,
 "Kohi-wabi te naku ne ni magahu ura-nami ha
 omohu kata yori kaze ya huku ram
"
 to utahi tamahe ru ni, hito-bito odoroki te, medetau oboyuru ni, sinoba re de, ainau oki-wi tutu, hana wo sinobiyaka ni kami watasu.
 "Geni, ika ni omohu ram? Waga mi hitotu ni yori, oya, harakara, kata-toki tati-hanare gataku, hodo ni tuke tutu omohu ram ihe wo wakare te, kaku madohi ahe ru." to obosu ni, imiziku te, "Ito kaku omohi-sidumu sama wo, kokoro-bososi to omohu ram." to obose ba, hiru ha nani-kure to uti-notamahi magirahasi, ture-dure naru mama ni, iro-iro no kami wo tugi tutu, tenarahi wo si tamahi, medurasiki sama naru kara no aya nado ni, sama-zama no we-domo wo kaki-susabi tamahe ru byaubu no omote-domo nado, ito medetaku mi-dokoro ari.
 Hito-bito no katari kikoye si umi yama no arisama wo, haruka ni obosi-yari si wo, ohom-me ni tikaku te ha, geni, oyoba nu iso no tatazumahi, ni-naku kaki-atume tamahe ri.
 "Kono-koro no zyauzu ni su meru Tieda, Tunenori nado wo mesi te, tukuri-we tukau-matura se baya!"
 to, kokoro-motonagari ahe ri. Natukasiu medetaki ohom-sama ni, yo no mono-omohi wasure te, tikau nare tukau maturu wo uresiki koto ni te, si, go-nin bakari zo, tuto saburahi keru.
 Sensai no hana, iro-iro saki-midare, omosiroki yuhugure ni, umi mi-yara ruru Rau ni ide tamahi te, tatazumi tamahu sama no, yuyusiu kiyora naru koto, tokoro-kara ha, masite konoyo no mono to miye tamaha zu. Siroki aya no nayoyoka naru, siwon-iro nado tatematuri te, komayaka naru ohom-nahosi, obi sidikenaku uti-midare tamahe ru ohom-sama ni te,
 "Syaka mu ni butu no desi."
 to nanori te, yururuka ni yomi tamahe ru, mata yo ni sira zu kikoyu.
 Oki yori hune-domo no utahi nonosiri te kogi-yuku nado mo kikoyu. Honoka ni, tada tihisaki tori no ukabe ru to mi-yara ruru mo, kokoro-bosoge naru ni, kari no turane te naku kowe, kadi no oto ni magahe ru wo, uti-nagame tamahi te, namida koboruru wo kaki-harahi tamahe ru ohom-te-tuki, kuroki ohom-zuzu ni haye tamahe ru, hurusato no womna kohisiki hito-bito, kokoro mina nagusami ni keri.
 "Hatu-kari ha kohisiki hito no tura nare ya
 tabi no sora tobu kowe no kanasiki
"
 to notamahe ba, Yosikiyo,
 "Kaki-turane mukasi no koto zo omohoyuru
 Kari ha sono yo no tomo nara ne domo
"
 Minbu-no-Taihu,
 "Kokoro kara tokoyo wo sute te naku kari wo
 kumo no yoso ni mo omohi keru kana
"
 Saki-no-Ukon-no-Zyou,
 "Tokoyo ide te tabi no sora naru karigane mo
 tura ni okure nu hodo zo nagusamu

 Tomo madohasi te ha, ika ni habera masi."
 to ihu. Oya no Hitati ni nari te, kudarisi ni mo sasoha re de, mawire ru nari keri. Sita ni ha omohi-kudaku beka'mere do, hokorika ni motenasi te, turenaki sama ni si ariku.

 月のいとはなやかにさし出でたるに、「今宵は十五夜なりけり」と思し出でて、殿上の御遊び恋しく、「所々眺めたまふらむかし」と思ひやりたまふにつけても、月の顔のみまもられたまふ。
「二千里外故人心585」
と誦じたまへる、例の涙もとどめられず。入道の宮の、「霧や隔つる」とのたまはせしほど、言はむ方なく恋しく、折々のこと思ひ出でたまふに、よよと、泣かれたまふ。
「夜更けはべりぬ」
と聞こゆれど、なほ入りたまはず。
「見るほどぞしばし慰むめぐりあはむ
月の都は遥かなれども」
その夜、主上のいとなつかしう昔物語などしたまひし御さまの、院に似たてまつりたまへりしも、恋しく思で出できこえたまひて、
「恩賜の御衣は今此に在り586」
と誦じつつ入りたまひぬ。御衣はまことに身を放たず、かたはらに置きたまへり。
「憂しとのみひとへにものは思ほえで
左右にも濡るる袖かな」

 月がとても明るく出たので、「今夜は十五夜であったのだ」とお思い出しになって、殿上の御遊が恋しく思われ、「あちこち方で物思いにふけっていらっしゃるであろう」とご想像なさるにつけても、月の顔ばかりがじっと見守られてしまう。
「二千里の外故人の心」
と朗誦なさると、いつものように涙がとめどなく込み上げてくる。入道の宮が、「九重には霧が隔てているのか」とお詠みになった折、何とも言いようもがなく恋しく、折々のことをお思い出しになると、よよと、泣かずにはいらっしゃれない。
「夜も更けてしまいました」
と申し上げたが、なおも部屋にお入りにならない。
「見ている間は暫くの間だが心慰められる、また廻り逢える
月の都は、遥か遠くであるが」
その夜、主上がとても親しく昔話などをなさった時の御様子、故院にお似申していらしたのも、恋しく思い出し申し上げなさって、
「恩賜の御衣は今此に在る」
と朗誦なさりながらお入りになった。御衣は本当に肌身離さず、側にお置きになっていた。
「辛いとばかり一途に思うこともできず
恋しさと辛さとの両方に濡れるわが袖よ」

 [3-2 Genji views the moon at Suma on August 15 on innocent]
 Tuki no ito hanayaka ni sasi-ide taru ni, "Koyohi ha zihugo-ya nari keri!" to obosi-ide te, Tenzyau no ohom-asobi kohisiku, "Tokoro-dokoro nagame tamahu ram kasi." to omohi-yari tamahu ni tuke te mo, tuki no kaho nomi mamora re tamahu.
 "Zisenri no hoka kozin no kokoro."
 to zu-zi tamahe ru, rei no namida mo todome rare zu. Nihudau-no-Miya no, "Kiri ya hedaturu" to notamaha se si hodo, iha m kata naku kohisiku, wori-wori no koto omohi-ide tamahu ni, yoyo to, naka re tamahu.
 "Yo huke haberi nu."
 to kiyoyure do, naho iri tamaha zu.
 "Miru hodo zo sibasi nagusame m meguri-aha m
 tuki no miyako ha haruka nare do mo
"
 Sono yo, Uhe no ito natukasiu mukasi-monogatari nado si tamahi si ohom-sama no, Win ni ni tatematuri tamahe ri si mo, kohisiku omohi-ide kikoye tamahi te,
 "Onsi no gyoi ha ima koko ni ari."
 to zu-zi tutu iri tamahi nu. Ohom-zo ha makoto ni mi wo hanata zu, katahara ni oki tamahe ri.
 "Usi to nomi hitohe ni mono ha omohoye de
 hidari migi ni mo nururu sode kana
"

 そのころ、大弐は上りける。いかめしく類広く、娘がちにて所狭かりければ、北の方は舟にて上る。浦づたひに逍遥しつつ来るに、他よりもおもしろきわたりなれば、心とまるに、「大将かくておはす」と聞けば、あいなう、好いたる若き娘たちは、舟の内さへ恥づかしう、心懸想せらる。まして、五節の君は、綱手引き過ぐるも口惜しきに、琴の声、風につきて遥かに聞こゆるに、所のさま、人の御ほど、物の音の心細さ、取り集め、心ある限りみな泣きにけり。
帥、御消息聞こえたり。
「いと遥かなるほどよりまかり上りては、まづいつしかさぶらひて、都の御物語もとこそ、思ひたまへはべりつれ、思ひの外に、かくておはしましける御宿をまかり過ぎはべる、かたじけなう悲しうもはべるかな。あひ知りてはべる人々、さるべきこれかれ、参で来向ひてあまたはべれば、所狭さを思ひたまへ憚りはべることどもはべりて、えさぶらはぬこと。ことさらに参りはべらむ」
など聞こえたり。子の筑前守ぞ参れる。この殿の、蔵人になし顧みたまひし人なれば、いとも悲し。いみじと思へども、また見る人々のあれば、聞こえを思ひて、しばしもえ立ち止まらず。
「都離れて後、昔親しかりし人々、あひ見ること難うのみなりにたるに、かくわざと立ち寄りものしたること」
とのたまふ。御返りもさやうになむ。
守、泣く泣く帰りて、おはする御ありさま語る。帥よりはじめ、迎への人々、まがまがしう泣き満ちたり。五節は、とかくして聞こえたり。
「琴の音に弾きとめらるる綱手縄
たゆたふ心君知るらめや
好き好きしさも、人な咎めそ587」
と聞こえたり。ほほ笑みて見たまふ、いと恥づかしげなり。
「心ありて引き手の綱のたゆたはば
うち過ぎましや須磨の浦波
 いさりせむとは588思はざりしはや」
とあり。駅の長に句詩取らする人もありけるを、まして、落ちとまりぬべくなむおぼえける。

 その頃、大弍は上京した。ものものしいほど一族が多く、娘たちもおおぜいで大変だったので、北の方は舟で上京する。浦伝いに風景を見ながら来たところ、他の場所よりも美しい辺りなので、心惹かれていると、「大将が退居していらっしゃる」と聞くと、関係のないことなのに、色めいた若い娘たちは、舟の中にいてさえ気になっ、て改まった気持ちにならずにはいられない。まして、五節の君は、綱手を引いて通り過ぎるのも残念に思っていたので、琴の音が、風に乗って遠くから聞こえて来ると、場所の様子、君のお人柄、琴の音の淋しい感じなど、あわせて、風流を解する者たちは皆泣いてしまった。
大宰の帥は、ご挨拶を申し上げた。
「大変に遠い所から上京しては、まずはまっ先にお訪ね申して、都のお噂をもと存じておりましたが、意外なことに、こうしていらっしゃるお住まいを通り過ぎますこと、もったいなくも、また悲しうもございます。知り合いの者たちや、縁ある誰彼が、出迎えに多数来ておりますので、人目を憚ること多くございまして、お伺いできませんこと。また改めて参上いたします」
などと申し上げた。子の筑前守が参上した。この殿が、蔵人にして目をかけてやった人なので、とても悲しく辛いと思うが、また人の目があるので、噂を憚って、暫くの間も立ち留まっていることもできない。
「都を離れて後は、昔から親しかった人々に会うことは難しくなっていたが、このようにわざわざ立ち寄ってくれたとは」
とおっしゃる。お返事も同様にあった。
守は、泣く泣く戻って、いらっしゃるご様子を話す。帥をはじめとして、迎えの人々も、不吉なほど一同泣き満ちた。五節は、やっとの思いでお便りを差し上げた。
「琴の音に引き止められた綱手縄のように
ゆらゆら揺れているわたしの心をお分かりでしょうか
色めいて聞こえるのも、お咎めくださいますな」
と申し上げた。苦笑して御覧になるさま、まったく気後れする感じである。
「わたしを思う心があって引手綱のように揺れるというならば
通り過ぎて行きましょうか、この須磨の浦を
さすらおうとは思ってもみないことであった」
とある。駅長に口詩をお与えになった人もあったが、それ以上に、このまま留まってしまいそうに思うのであった。

 [3-3 Genji and Gosechi compose and exchange waka]
 Sono-koro, Daini ha nobori keru. Ikamesiku rui hiroku, musume-gati ni te tokoro-sekari kere ba, Kitanokata ha hune ni te noboru. Ura-dutahi ni seueu si tutu kuru ni, hoka yori mo omosiroki watari nare ba, kokoro tomaru ni, "Daisyau kaku te ohasu." to kike ba, ainau, sui taru wakaki musume-tati ha, hune no uti sahe hadukasiu, kokoro-gesau se raru. Masite, Goseti-no-Kimi ha, tunade hiki-suguru mo kutiwosiki ni, kin no kowe, kaze ni tuki te, haruka ni kikoyuru ni, tokoro no sama, hito no ohom-hodo, mono no ne no kokoro-bososa, tori-atume, kokoro aru kagiri mina naki ni keri.
 Soti, ohom-seusoko kikoye tari.
 "Ito haruka naru hodo yori makari nobori te ha, madu itusika saburahi te, miyako no ohom-monogatari mo to koso, omohi tamahe haberi ture, omohi no hoka ni, kaku te ohasimasi keru ohom-yado wo makari sugi haberu, katazikenau kanasiu mo haberu kana! Ahi-siri te haberu hito-bito, sa'ru beki kore kare, ma'de ki-mukahi te amata habere ba, tokoro-sesa wo omohi tamahe habakari haberu koto-domo haberi te, e saburaha nu koto. Kotosara ni mawiri habera m."
 nado kikoye tari. Ko no Tikuzen-no-Kami zo mawire ru. Kono Tono no, Kuraudo ni nasi kaherimi tamahi si hito nare ba, ito mo kanasi. Imizi to omohe do mo, mata miru hito-bito no are ba, kikoye wo omohi te, sibasi mo e tati-tomara zu.
 "Miyako hanare te noti, mukasi sitasikari si hito-bito, ahi-miru koto katau nomi nari ni taru ni, kaku waza to tati-yori monosi taru koto."
 to notamahu. Ohom-kaheri mo sayau ni nam.
 Kami, naku-naku kaheri te, ohasuru ohom-arisama kataru. Soti yori hazime, mukahe no hito-bito, maga-magasiu naki-miti tari. Goseti ha, tokaku si te kikoye tari.
 "Koto no ne ni hiki-tome raruru tuna-de-naha
 tayutahu kokoro Kimi siru rame ya

 Suki-zukisisa mo hito na, togame so."
 to kikoye tari. Hoho-wemi te mi tamahu, ito hadukasige nari.
 "Kokoro ari te hiki te no tuna no tayutaha ba
 uti-sugi masi ya Suma no ura-nami

 Isari se m toha omoha zari si ha ya!"
 to ari. Mmaya no wosa ni kusi tora suru hito mo ari keru wo, masite, oti-tomari nu beku nam oboye keru.

 都には、月日過ぐるままに、帝を初めたてまつりて、恋ひきこゆる折ふし多かり。春宮は、まして、常に思し出でつつ忍びて泣きたまふ。見たてまつる御乳母、まして命婦の君は、いみじうあはれに見たてまつる。
入道の宮は、春宮の御ことをゆゆしうのみ思ししに、大将もかくさすらへたまひぬるを、いみじう思し嘆かる。
御兄弟の親王たち、むつましう聞こえたまひし上達部など、初めつ方はとぶらひきこえたまふなどありき。あはれなる文を作り交はし、それにつけても、世の中にのみめでられたまへば、后の宮聞こしめして、いみじうのたまひけり。
「朝廷の勘事なる人は、心に任せてこの世のあぢはひをだに知ること難うこそあなれ。おもしろき家居して、世の中を誹りもどきて、かの鹿を馬と言ひけむ人のひがめるやうに追従する」
など、悪しきことども聞こえければ、わづらはしとて、消息聞こえたまふ人なし。
二条院の姫君は、ほど経るままに、思し慰む折なし。東の対にさぶらひし人々も、みな渡り参りし初めは、「などかさしもあらむ」と思ひしかど、見たてまつり馴るるままに、なつかしうをかしき御ありさま、まめやかなる御心ばへも、思ひやり深うあはれなれば、まかで散るもなし。なべてならぬ際の人々には、ほの見えなどしたまふ。「そこらのなかにすぐれたる御心ざしもことわりなりけり」と見たてまつる。

 都では、月日が過ぎて行くにつれて、帝をおはじめ申して、恋い慕い申し上げる折節が多かった。東宮は、まして誰よりも、いつでもお思い出しなさっては忍び泣きなさる。拝見する御乳母や、それ以上に王命婦の君は、ひどく悲しく拝し上げる。
入道の宮は、東宮のお身の上をそら恐ろしくばかりお思いであったが、大将もこのように流浪の身となっておしまいになったのを、ひどく悲しくお嘆きになる。
ご兄弟の親王たち、お親しみ申し上げていらした上達部など、初めのうちはお見舞い申し上げなさることもあった。しみじみとした漢詩文を作り交わし、それにつけても、世間から素晴らしいとほめられてばかりいらっしゃるので、后宮がお聞きあそばして、きついことをおっしゃったのだった。
「朝廷の勅勘を受けた者は、勝手気ままに日々の享楽を味わうことさえ難しいというものを。風流な住まいを作って、世の中を悪く言ったりして、あの鹿を馬だと言ったという人のように追従しているとは」
などと、良くないことが聞こえてきたので、厄介なことだと思って、手紙を差し上げなさる方もいない。
二条院の姫君は、時が経つにつれて、お心のやすらぐ折がない。東の対にお仕えしていた女房たちも、みな移り参上した当初は、「まさかそんなに優れた方ではあるまい」と思っていたが、お仕えし馴れていくうちに、お優しく美しいご様子、日常の生活面についてのお心配りも、思慮深く立派なので、お暇を取って出て行く者もいない。身分のある女房たちには、ちらっとお姿をお見せなどなさる。「たくさんいる夫人方の中でも格別のご寵愛も、もっともなことだわ」と拝見する。

 [3-4 People's life in Kyoto]
 Miyako ni ha, tuki-hi suguru mama ni, Mikado wo hazime tatematuri te, kohi kikoyuru wori-husi ohokari. Touguu ha, masite, tune ni obosi-ide tutu sinobi te naki tamahu. Mi tatematuru ohom-menoto, masite Myaubu-no-Kimi ha, imiziu ahareni mi tatematuru.
 Nihudau-no-Miya ha, Touguu no ohom-koto wo yuyusiu nomi obosi si ni, Daisyau mo kaku sasurahe tamahi nuru wo, imiziu obosi nageka ru.
 Ohom-harakara no Miko-tati, mutumasiu kikoye tamahi si Kamdatime nado, hazime tu kata ha toburahi kikoye tamahu nado ari ki. Ahare naru humi wo tukuri kahasi, sore ni tuke te mo, yononaka ni nomi mede rare tamahe ba, Kisai-no-Miya kikosimesi te, imiziu notamahi keri.
 "Ohoyake no kauzi naru hito ha, kokoro ni makase te konoyo no adihahi wo dani siru koto katau koso a'nare. Omosiroki ihe-wi si te, yononaka wo sosiri modoki te, kano sika wo mma to ihi kem hito no higame ru yau ni tuiseu suru."
 nado, asiki koto-domo kikoye kere ba, wadurahasi tote, seusoko kikoye tamahu hito nasi.
 Nideu-no-Win no Hime-Gimi ha, hodo huru mama ni, obosi nagusamu wori nasi. Himgasi-no-Tai ni saburahi si hito-bito mo, mina watari mawiri si hazime ha, "Nado ka sa si mo ara m." to omohi sika do, mi tatematuri naruru mama ni, natukasiu wokasiki ohom-arisama, mameyaka naru mi-kokoro-bahe mo, omohi-yari hukau ahare nare ba, makade tiru mo nasi. Nabete nara nu kiha no hito-bito ni ha, hono-miye nado si tamahu. "Sokora no naka ni sugure taru mi-kokorozasi mo kotowari nari keri." to mi tatematuru.

 かの御住まひには、久しくなるままに、え念じ過ぐすまじうおぼえたまへど、「我が身だにあさましき宿世とおぼゆる住まひに、いかでかは、うち具しては、つきなからむ」さまを思ひ返したまふ。所につけて、よろづのことさま変はり、見たまへ知らぬ下人のうへをも、見たまひ慣らはぬ御心地に、めざましうかたじけなう、みづから思さる。煙のいと近く時々立ち来るを、「これや海人の塩焼く589ならむ」と思しわたるは、おはします後の山に、柴といふものふすぶるなりけり。めづらかにて、
「山賤の庵に焚けるしばしばも
言問ひ来なむ恋ふる里人」

 冬になりて雪降り荒れたるころ、空のけしきもことにすごく眺めたまひて、琴を弾きすさびたまひて、良清に歌うたはせ、大輔、横笛吹きて、遊びたまふ。心とどめてあはれなる手など弾きたまへるに、他物の声どもはやめて、涙をのごひあへり。
昔、胡の国に遣しけむ女を思しやりて、「ましていかなりけむ。この世に我が思ひきこゆる人などをさやうに放ちやりたらむこと」など思ふも、あらむことのやうにゆゆしう590て、
「霜の後の夢591」
と誦じたまふ。
月いと明うさし入りて、はかなき旅の御座所、奥まで隈なし。床の上に夜深き空も見ゆ。入り方の月影、すごく見ゆるに、
「ただ是れ西に行くなり592」
と、ひとりごちたまて、
「いづ方の雲路に我も迷ひ593なむ
月の見るらむことも恥づかし」
とひとりごち594たまひて、例のまどろまれぬ暁の空に、千鳥いとあはれに鳴く。
「友千鳥諸声に鳴く暁は
ひとり寝覚の床も頼もし」
また起きたる人もなければ、返す返すひとりごちて臥したまへり。
夜深く御手水参り、御念誦595などしたまふも、めづらしきことのやうに、めでたうのみおぼえたまへば、え見たてまつり捨てず、家にあからさまにもえ出でざりけり。

 あちらのお暮らしは、生活が長くなるにしたがって、とても我慢できなくお思いになったが、「自分の身でさえ驚くばかりの運命だと思われる住まいなのに、どうして、一緒に暮らせようか、いかにもふさわしくない」さまをお考え直しになる。場所が場所なだけに、すべて様子が違って、ご存じでない下人の身の上をも、見慣れていらっしゃらなかったことなので、心外にももったいなくも、ご自身思わずにはいらっしゃれない。煙がとても近くに時々立ち上るのを、「これが海人が塩を焼く煙なのだろう」とずっとお思いになっていたのは、お住まいになっている後ろの山で、柴というものをいぶしているのであった。珍しいので、
「賤しい山人が粗末な家で焼いている柴のように
しばしば訪ねて来てほしいわが恋しい都の人よ」

 冬になって雪が降り荒れたころ、空模様もことにぞっとするほど寂しく御覧になって、琴を心にまかせてお弾きになって、良清に歌をうたわせ、大輔、横笛を吹いて、お遊びなさる。心をこめてしみじみとした曲をお弾きになると、他の楽器の音はみなやめて、涙を拭いあっていた。
昔、胡の国に遣わしたという女のことをお思いやりになって、「自分以上にどんな気持ちであったろう。この世で自分の愛する人をそのように遠くにやったりしたら」などと思うと、実際に起こるように不吉に思われて、
「胡角一声霜の後の夢」
と朗誦なさる。
月がたいそう明るく差し込んで、仮そめの旅のお住まいでは、奥の方まで素通しである。床の上から夜の深い空も見える。入り方の月の光が、寒々と見えるので、
「ただ月は西へ行くのである」
と独り口ずさみなさって、
「どの方角の雲路にわたしも迷って行くことであろう
月が見ているだろうことも恥ずかしい」
と独詠なさると、いつものようにうとうととなされぬ明け方の空に、千鳥がとても悲しい声で鳴いている。
「友千鳥が声を合わせて鳴いている明け方は
独り寝覚めて泣くわたしも心強い気がする」
他に起きている人もいないので、繰り返し独り言をいって臥せっていらっしゃった。
深夜にお手を洗い、御念誦などをお唱えになるのも、珍しいことのように、ただもう立派にお見えになるので、お見捨て申し上げることができず、家にちょっとでも退出することもできなかった。

 [3-5 Genji's life in Suma]
 Kano ohom-sumahi ni ha, hisasiku naru mama ni, e nan-zi sugusu maziu oboye tamahe do, "Waga mi dani asamasiki sukuse to oboyuru sumahi ni, ikade ka ha, uti-gusi te ha, tuki nakara m" sama wo omohi-kahesi tamahu. Tokoro ni tuke te, yorodu no koto sama kahari, mi tamahe sira nu simo-bito no uhe wo mo, mi tamahi naraha nu mi-kokoti ni, mezamasiu katazikenau, midukara obosa ru. Keburi no ito tikaku toki-doki tati-kuru wo, "Kore ya ama no siho yaku nara m." to obosi-wataru ha, ohasimasu usiro no yama ni, siba to ihu mono husuburu nari keri. Meduraka ni te,
 "Yamagatu no ihori ni take ru siba-siba mo
 koto-tohi ko nam kohuru sato-bito
"

 Huyu ni nari te yuki huri are taru koro, sora no kesiki mo koto ni sugoku nagame tamahi te, kin wo hiki-susabi tamahi te, Yosikiyo ni utaha se, Taihu, yokobue huki te, asobi tamahu. Kokoro todome te ahare naru te nado hiki tamahe ru ni, koto mono no kowe-domo ha yame te, namida wo mogohi-ahe ri.
 Mukasi, Ko-no-kuni ni tukahasi kem womna wo obosi-yari te, "Masite ika nari kem. Konoyo ni waga omohi kikoyuru hito nado wo sayau ni hanati-yari tara m koto." nado omohu mo, ara m koto no yau ni yuyusiu te,
 "Simo no noti no yume"
 to zu-zi tamahu.
 Tuki ito akau sasi-iri te, hakanaki tabi no omasi-dokoro, oku made kuma nasi. Yuka no uhe ni yo-bukaki sora mo miyu. Iri-gata no tuki-kage, sugoku miyuru ni,
 "Tada kore nisi ni yuku nari"
 to, hitori-goti tama' te,
 "Idu-kata no kumo-di ni ware mo mayohi na m
 tuki no miru ram koto mo hadukasi
"
 to hitori-goti tamahi te, rei no madoroma re nu akatuki no sora ni, tidori ito ahare ni naku.
 "Tomo-tidori moro-gowe ni naku akatuki ha
 hitori nezame no toko mo tanomosi
"
 Mata oki taru hito mo nakere ba, kahesu-gahesu hitori-goti te husi tamahe ri.
 Yo-bukaku mi-teudu mawiri, ohom-nenzu nado si tamahu mo, medurasiki koto no yau ni, medetau nomi oboye tamahe ba, e mi tatematuri sute zu, ihe ni akarasama ni mo e ide zari keri.

 明石の浦は、ただはひ渡るほどなれば、良清の朝臣、かの入道の娘を思ひ出でて、文など遣りけれど、返り事もせず、父入道ぞ、
「聞こゆべきことなむ。あからさまに対面もがな」
と言ひけれど、「うけひかざらむものゆゑ、行きかかりて、むなしく帰らむ後手もをこなるべし」と、屈じいたうて行かず。
世に知らず心高く思へるに、国の内は守の596ゆかりのみこそはかしこきことにすめれど、ひがめる心はさらにさも思はで年月を経けるに、この君かくておはすと聞きて、母君に語らふやう、
「桐壷の更衣の御腹の、源氏の光る君こそ、朝廷の御かしこまりにて、須磨の浦にものしたまふなれ。吾子の御宿世にて、おぼえぬことのあるなり。いかでかかるついでに、この君にをたてまつらむ」
と言ふ。母、
「あな、かたはや。京の人の語るを聞けば、やむごとなき御妻ども、いと多く持ちたまひて、そのあまり、忍び忍び帝の御妻さへあやまちたまひて、かくも騒がれたまふなる人は、まさにかくあやしき山賤を、心とどめたまひてむや」
と言ふ。腹立ちて、
「え知りたまはじ。思ふ心ことなり。さる心をしたまへ。ついでして、ここにもおはしまさせむ」
と、心をやりて言ふもかたくなしく見ゆ。まばゆきまでしつらひかしづきけり。母君、
「などか、めでたくとも、ものの初めに、罪に当たりて流されておはしたらむ人をしも思ひかけむ。さても心をとどめたまふべくはこそあらめ、たはぶれにてもあるまじきことなり」
と言ふを、いといたくつぶやく。
「罪に当たることは、唐土にも我が朝廷にも、かく世にすぐれ、何ごとも人にことになりぬる人の、かならずあることなり。いかにものしたまふ君ぞ。故母御息所は、おのが叔父にものしたまひし按察使大納言の御娘なり。いとかうざくなる名をとりて、宮仕へに出だしたまへりしに、国王すぐれて時めかしたまふこと、並びなかりけるほどに、人の嫉み重くて亡せたまひにしかど、この君のとまりたまへる、いとめでたしかし。女は心高くつかふべきものなり。おのれ、かかる田舎人なりとて、思し捨てじ」
など言ひゐたり。
この娘、すぐれたる容貌ならねど、なつかしうあてはかに、心ばせあるさまなどぞ、げに、やむごとなき人に劣るまじかりける。身のありさまを、口惜しきものに思ひ知りて、
「高き人は、我を何の数にも思さじ。ほどにつけたる世をばさらに見じ。命長くて、思ふ人々に後れなば、尼にもなりなむ、海の底にも入りなむ」
などぞ思ひける。
父君、所狭く思ひかしづきて、年に二たび、住吉に詣でさせけり。神の御しるしをぞ、人知れず頼み思ひける。

 明石の浦は、ほんの這ってでも行けそうな距離なので、良清の朝臣、あの入道の娘を思い出して、手紙などをやったのだが、返事もせず、父の入道が、
「申し上げたいことがある。ちょっとお会いしたい」
と言ったが、「承知してくれないようなのに、出かけて行って、空しく帰って来るような後ろ姿もばからしい」と、気がふさいで行かない。
世にまたとないほど気位高く思っているので、播磨の国中では守の一族だけがえらい者と思っているようだが、偏屈な気性はまったくそのようなことも思わず歳月を送るうちに、この君がこうして来ていらっしゃると聞いて、母君に言うことには、
「桐壷の更衣がお生みになった、源氏の光る君は、朝廷の勅勘を蒙って、須磨の浦にこもっていらっしゃるという。わが娘のご運勢によって、思いがけないことがあるのです。何とかこのような機会に、娘を差し上げたいものです」
と言う。母は、
「まあ、とんでもない。京の人の話すのを聞くと、ご立派な奥方様たちをとてもたくさんお持ちになっていらして、その他にも、こっそりと帝のお妃まで過ちを犯しなさって、このような騷ぎになられた方が、いったいこのような賤しい田舎者に心をとめてくださいましょうか」
と言う。腹を立てて、
「ご存知あるまい。考えが違うのです。その心づもりをしなさい。機会を作って、ここにお出でいただこう」
と、思いのままに言うのも頑固に見える。眩しいくらい立派に飾りたて大事にお世話していた。母君は、
「どうして、ご立派な方とはいえ、初めての縁談に、罪に当たって流されていらしたような方を考えるのでしょう。それにしても、心をおとめくださるようならともかくも、冗談にもありそうにないことです」
と言うので、ひどくぶつぶつと不平を言う。
「罪に当たることは、唐土でもわが国でも、このように世の中に傑出して、何事でも人に抜きんでた人には必ずあることなのだ。どういうお方でいらっしゃると思うか。亡くなった母御息所は、わたしの叔父でいらした按察大納言の御娘である。まことに素晴らしい評判をとって、宮仕えにお出しなさったところ、国王も格別に御寵愛あそばすこと、並ぶ者がなかったほどであったが、皆の嫉妬が強くてお亡くなりになってしまったが、この君が生いきていらっしゃる、大変に喜ばしいことである。女は気位を高く持つべきなのだ。わたしが、このような田舎者だからといって、お見捨てになることはあるまい」
などと言っていた。
この娘、すぐれた器量ではないが、優しく上品らしく、賢いところなどは、なるほど、高貴な女性に負けないようであった。わが身の境遇を、ふがいない者とわきまえて、
「身分の高い方は、わたしを物の数のうちにも入れてくださるまい。身分相応の結婚はまっぴら嫌。長生きして、両親に先立たれてしまったら、尼にもなろう、海の底にも沈みもしよう」
などと思っているのであった。
父君は、仰々しく大切に育てて、一年に二度、住吉の神に参詣させるのであった。神の御霊験を、心ひそかに期待しているのであった。

 [3-6 Akasi's daughter]
 Akasi no ura ha, tada hahi-wataru hodo nare ba, Yosikiyo-no-Asom, kano Nihudau no musume wo omohi-ide te, humi nado yari kere do, kaheri-koto mo se zu, titi Nihudau zo,
 "Kikoyu beki koto nam. Akarasama ni taimen mo gana."
 to ihi kere do, "Uke-hika zara m mono yuwe, yuki-kakari te, munasiku kahera m usitode mo woko naru basi." to, kun-zi itau te ika zu.
 Yo ni sira zu kokoro-takaku omohe ru ni, kuni no uti ha kami no yukari nomi koso ha kasikoki koto ni su mere do, higame ru kokoro ha sara ni sa mo omoha de tosi-tuki wo he keru ni, kono Kimi kaku te ohasu to kiki te, Haha-Gimi ni katarahu yau,
 "Kiritubo-no-Kaui no ohom-hara no, Genzi-no-Hikarukimi koso, ohoyake no ohom-kasikomari ni te, Suma no ura ni monosi tamahu nare. Ako no ohom-sukuse ni te, oboye nu koto no aru nari. Ikade kakaru tuide ni, kono Kimi ni wo tatematura m."
 to ihu. Haha,
 "Ana, kataha ya! Kyau no hito no kataru wo kike ba, yamgotonaki mi-me-domo, ito ohoku moti tamahi te, sono amari, sinobi-sinobi Mikado no mi-me sahe ayamati tamahi te, kaku mo sawaga re tamahu naru hito ha, masa ni kaku ayasiki yamagatu wo, kokoro todome tamahi te m ya."
 to ihu. Hara-dati te,
 "E siri tamaha zi. Omohu kokoro koto nari. Saru kokoro si tamahe. Tuide si te, koko ni mo ohasimasa se m."
 to, kokoro wo yari te ihu mo katakunasiku miyu. Mabayuki made siturahi kasiduki keri. Haha-Gimi,
 "Nado ka, medetaku to mo, mono no hazime ni, tumi ni atari te nagasa re te ohasi tara m hito wo si mo omohi-kake m. Sate mo kokoro wo todome tamahu beku ha koso ara me, tahabure ni te mo aru maziki koto nari."
 to ihu wo, ito itaku tubuyaku.
 "Tumi ni ataru koto ha, Morokosi ni mo waga Mikado ni mo, kaku yo ni sugure, nani-goto mo hito ni koto ni nari nuru hito no, kanarazu aru koto nari. Ika ni monosi tamahu Kimi zo? Ko-haha-Miyasumdokoro ha, onoga wodi ni monosi tamahi si Azeti-no-Dainagon no ohom-musume nari. Ito kauzaku naru na wo tori te, miya-dukahe ni idasi tamahe ri si ni, Kokuwau sugurete tokimekasi tamahu koto, narabi nakari keru hodo ni, hito no sonemi omoku te use tamahi ni sika do, kono Kimi no tomari tamahe ru, ito medetasi kasi. Womna ha kokoro-takaku tukahu beki mono nari. Onore, kakaru winaka-bito nari tote, obosi-sute zi."
 nado ihi-wi tari.
 Kono Musume, sugure taru katati nara ne do, natukasiu atehaka ni, kokoro-base aru sama nado zo, geni, yamgotonaki hito ni otoru mazikari keru. Mi no arisama wo, kutiwosiki mono ni omohi siri te,
 "Takaki hito ha, ware wo nani no kazu ni mo obosa zi. Hodo ni tuke taru yo wo ba sarani mi zi. Inoti nagaku te, omohu hito-bito ni okure na ba, ama ni mo nari na m, umi no soko ni mo iri na m."
 nado zo omohi keru.
 Titi-Gimi, tokoro-seku omohi kasiduki te, tosi ni huta-tabi, Sumiyosi ni maude sase keri. Kami no ohom-sirusi wo zo, hito sire zu tanomi omohi keru.

 須磨には、年返りて、日長くつれづれなるに、植ゑし若木の桜ほのかに咲き初めて、空のけしきうららかなるに、よろづのこと思し出でられて、うち泣きたまふ折多かり。
二月二十日あまり、去にし年、京を別れし時、心苦しかりし人々の御ありさまなど、いと恋しく、「南殿の桜、盛りになりぬらむ。一年の花の宴に、院の御けしき、内裏の主上のいときよらになまめいて、わが作れる句を誦じたまひし」も、思ひ出できこえたまふ。
「いつとなく大宮人の恋しきに
 桜かざしし今日597も来にけり」
いとつれづれなるに、大殿の三位中将は、今は宰相になりて、人柄のいとよければ、時世のおぼえ重くてものしたまへど、世の中あはれにあぢきなく、ものの折ごとに恋しくおぼえたまへば、「ことの聞こえありて罪に当たるともいかがはせむ」と思しなして、にはかに参うでたまふ。
うち見るより、めづらしううれしきにも、ひとつ涙598ぞこぼれける。
住まひたまへるさま、言はむかたなく唐めいたり。所のさま、絵に描きたらむやうなるに、竹編める垣しわたして、石の階、松の柱599、おろそかなるものから、めづらかにをかし。
山賤めきて、ゆるし色の黄がちなるに、青鈍の狩衣、指貫、うちやつれて、ことさらに田舎びもてなしたまへるしも、いみじう、見るに笑まれてきよらなり。
取り使ひたまへる調度も、かりそめにしなして、御座所もあらはに見入れらる。碁、双六盤、調度、弾棊の具など、田舎わざにしなして、念誦の具、行なひ勤めたまひけりと見えたり。もの参れるなど、ことさら所につけ、興ありてしなしたり。
海人ども漁りして、貝つ物持て参れるを600、召し出でて御覧ず。浦に年経るさまなど問はせたまふに、さまざま安げなき身の愁へを申す。そこはかとなくさへづるも、「心の行方は同じこと。何か異なる」と、あはれに見たまふ。御衣どもなどかづけさせたまふを、生けるかひありと思へり。御馬ども近う立てて、見やりなる倉か何ぞなる稲取り出でて飼ふなど、めづらしう見たまふ。
「飛鳥井601」すこし歌ひて、月ごろの御物語、泣きみ笑ひみ、
「若君の何とも世を思さでものしたまふ悲しさを、大臣の明け暮れにつけて思し嘆く」
など語りたまふに、堪へがたく思したり。尽きすべくもあらねば、なかなか片端もえまねばず。
夜もすがらまどろまず、文作り明かしたまふ。さ言ひながらも、ものの602聞こえをつつみて、急ぎ帰りたまふ。いとなかなかなり。御土器参りて、
「酔ひの悲しび涙そそく春の盃の裏603」
と、諸声に誦じたまふ。御供の人も涙を流す。おのがじし604、はつかなる別れ惜しむべかめり。
朝ぼらけの空に雁連れて渡る。主人の君、
「故郷をいづれの春か行きて見む
うらやましきは帰る雁がね」
宰相、さらに立ち出でむ心地せで、
「あかなくに雁の常世を立ち別れ
花の都に道や惑はむ」
さるべき都の苞など、由あるさまにてあり。主人の君、かくかたじけなき御送りにとて、黒駒たてまつりたまふ。
「ゆゆしう思されぬべけれど、風に当たりては、嘶えぬ605べければなむ」
と申したまふ。世にありがたげなる御馬のさまなり。
「形見に偲びたまへ」
とて、いみじき笛の名ありけるなどばかり、人咎めつべきことは、かたみにえしたまはず。
日やうやうさし上がりて、心あわたたしければ、顧みのみしつつ出でたまふを、見送りたまふけしき、いとなかなかなり。
「いつまた対面は」
と申したまふに、主人、
「雲近く飛び交ふ鶴も空に見よ
我は春日の曇りなき身ぞ
かつは頼まれながら、かくなりぬる人、昔のかしこき人だに、はかばかしう世にまたまじらふこと難くはべりければ、何か、都のさかひをまた見むとなむ思ひはべらぬ」
などのたまふ。宰相、
「たづかなき雲居にひとり音をぞ鳴く
翼並べし友を恋ひつつ
かたじけなく馴れきこえはべりて、いとしもと悔しう606思ひたまへらるる折多く」
など、しめやかにもあらで帰りたまひぬる名残、いとど悲しう眺め暮らしたまふ。

 須磨では、年も改まって、日が長くすることもない頃に、植えた若木の桜がちらほらと咲き出して、空模様もうららかな感じがして、さまざまなことがお思い出されなさって、ふとお泣きになる時が多くあった。
二月二十日過ぎ、過ぎ去った年、京を離れた時、気の毒に思えた人たちのご様子など、たいそう恋しく、「南殿の桜は、盛りになっただろう。去る年の花の宴の折に、院の御様子、主上がたいそう美しく優美に、わたしの作った句を朗誦なさった」のも、お思い出し申される。
「いつと限らず大宮人が恋しく思われるのに
桜をかざして遊んだその日がまたやって来た」
何もすることもないころ、大殿の三位中将は、今では宰相に昇進して、人柄もとてもよいので、世間の信頼も厚くいらっしゃったが、世の中がしみじみつまらなく、何かあるごとに恋しく思われなさるので、「噂が立って罪に当たるようなことがあろうともかまうものか」とお考えになって、急にお訪ねになる。
一目見るなり、珍しく嬉しくて、同じく涙がこぼれるのであった。
お住まいになっている様子、いいようもなく唐風である。その場所の有様、絵に描いたような上に、竹を編んで垣根をめぐらして、石の階段、松の柱、粗末ではあるが、珍しく趣がある。
山人みたいに、許し色の黄色の下着の上に、青鈍色の狩衣、指貫、質素にして、ことさら田舎風にしていらっしゃるのが、実に、見るからににっこりせずにはいられないお美しさである。
お使いになっていらっしゃる調度も、一時の間に合わせ物にして、ご座所もまる見えにのぞかれる。碁、双六の盤、お道具、弾棊の具などは、田舎風に作ってあって、念誦の具は、勤行なさっていたように見えた。お食事を差し上げる折などは、格別に場所に合わせて、興趣あるもてなしをした。
海人たちが漁をして、貝の類を持って参ったのを、召し出して御覧になる。海辺に生活する様子などを尋ねさせなさると、いろいろと容易でない身の辛さを申し上げる。とりとめもなくしゃべり続けるのも、「心労は同じことだ。何の身分の上下に関係あろうか」と、しみじみと御覧になる。御衣類をお与えさせになると、生きていた甲斐があると思った。幾頭ものお馬を近くに繋いで、向こうに見える倉か何かにある稲を取り出して食べさせているのを、珍しく御覧になる。
「飛鳥井」を少し歌って、数月来のお話を、泣いたり笑ったりして、
「若君が何ともご存知なくいらっしゃる悲しさを、大臣が明け暮れにつけてお嘆きになっている」
などとお話になると、たまらなくお思いになった。お話し尽くせるものでないから、かえって少しも伝えることができない。
一晩中一睡もせず、詩文を作って夜をお明かしになる。そうは言うものの、世間の噂を気にして、急いでお帰りになる。かえって辛い思いがする。お杯を差し上げて、
「酔ひの悲しびを涙そそぐ春の盃の裏」
と、一緒に朗誦なさる。お供の人も涙を流す。お互いに、しばしの別れを惜しんでいるようである。
明け方の空に雁が列を作って飛んで行く。主の君は、
「ふる里をいつの春にか見ることができるだろう
羨ましいのは今帰って行く雁だ」
宰相は、まったく立ち去る気もせず、
「まだ飽きないまま雁は常世を立ち去りますが
花の都への道にも惑いそうです」
しかるべき都へのお土産など、風情ある様に準備してある。主の君は、このような有り難いお礼にと思って、黒駒を差し上げなさる。
「縁起でもなくお思いになるかも知れませんが、風に当たったら、きっと嘶くでしょうから」
とお申し上げになる。世にめったにないほどの名馬の様である。
「わたしの形見として思い出してください」
と言って、たいそう立派な笛で高名なのを贈るぐらいで、人が咎め立てするようなことは、お互いにすることはおできになれない。
日がだんだん高くさしのぼって、心せわしいので、振り返り振り返りしながらお立ちになるのを、お見送りなさる様子、まったくなまじお会いせねばよかったと思われるくらいである。
「いつ再びお目にかからせていただけましょう」
と申し上げると、主人の君は、
「雲の近くを飛びかっている鶴よ、雲上人よ、はっきりと照覧あれ
わたしは春の日のようにいささかも疚しいところのない身です
一方では当てにしながら、このように勅勘を蒙った人は、昔の賢人でさえ、満足に世に再び出ることは難しかったのだから、どうして、都の地を再び見ようなどとは思いませぬ」
などとおっしゃると、宰相は、
「頼りない雲居にわたしは独りで泣いています
かつて共に翼を並べた君を恋い慕いながら
もったいなく馴れなれしくお振る舞い申して、かえって悔しく存じられます折々の多いことでございます」
などと、しんみりすることなくてお帰りになった、その後、ますます悲しく物思いに沈んでお過ごしになる。

 4 Tale of Hikaru-Genji Religious life on Suma and God's revelation [4-1 Geuji greets the new Year in Suma]
 Suma ni ha, tosi kaheri te, hi nagaku ture-dure naru ni, uwe si wakagi no sakura honoka ni saki-some te, sora no kesiki uraraka naru ni, yorodu no koto obosi-ide rare te, uti-naki tamahu wori ohokari.
 Kisaragi no hatuka amari, ini si tosi, Kyau wo wakare si toki, kokoro-gurusikari si hito-bito no ohom-arisama nado, ito kohisiku, "Na-den no sakura, sakari ni nari nu ram. Hitotose no hana no en ni, Win no mi-kesiki, Uti-no-Uhe no ito kiyora ni namamei te, waga tukure ru ku wo zu-zi tamahi si" mo, omohi-ide kikoye tamahu.
 "Itu to naku ohomiya-bito no kohisiki ni
 sakura kazasi si kehu mo ki ni keri
"
 Ito ture-dure naru ni, Ohoi-dono no Samwi-no-Tiuzyau ha, ima ha Saisyau ni nari te, hitogara no ito yokere ba, toki-yo no oboye omoku te monosi tamahe do, yononaka ahare ni adikinaku, mono no wori goto ni kohisiku oboye tamahe ba, "Koto no kikoye ari te tumi ni ataru to mo ikaga ha se m." to obosi-nasi te, nihaka ni maude tamahu.
 Uti-miru yori, medurasiu uresiki ni mo, hitotu namida zo kobore keru.
 Sumahi tamahe ru sama, iha m kata naku kara-mei tari. Tokoro no sama, we ni kaki tara m yau naru ni, take ame ru kaki si watasi te, isi no hasi, matu no hasira, orosoka naru mono kara, meduraka ni wokasi.
 Yamagatu-meki te, yurusi-iro no ki-gati naru ni, awo-nibi no kariginu, sasinuki, uti-yature te, kotosara ni inaka-bi motenasi tamahe ru si mo, imiziu, miru ni wema re te kiyora nari.
 Tori-tukahi tamahe ru teudo mo, karisome ni si nasi te, omasi-dokoro mo araha ni mi-ire raru. Go, suguroku-ban, teudo, tagi no gu nado, winaka waza ni si-nasi te, nenzu no gu, okonahi tutome tamahi keri to miye tari. Mono mawire ru nado, kotosara tokoro ni tuke, kyou ari te si-nasi tari.
 Ama-domo asari si te, kahi tu mono mote mawire ru wo, mesi-ide te go-ran-zu. Ura ni tosi huru sama nado toha se tamahu ni, sama-zama yasuge naki mi no urehe wo mausu. Sokohaka to naku saheduru mo, "Kokoro no yukuhe ha onazi koto. Nani ka kotonaru?" to, ahare ni mi tamahu. Ohom-zo-domo nado kaduke sase tamahu wo, ike ru kahi ari to omohe ri. Ohom-mma-domo tikau tate te, mi-yari naru kura ka nani zo naru ine tori-ide te kahu nado, medurasiu mi tamahu.
 Asukawi sukosi utahi te, tuki-goro no ohom-monogatari, naki-mi warahi-mi,
 "Waka-Gimi no nani to mo yo wo obosa de monosi tamahu kanasisa wo, Otodo no akekure ni tuke te obosi nageku."
 nado katari tamahu ni, tahe gataku obosi tari. Tuki su beku mo ara ne ba, naka-naka katahasi mo e maneba zu.
 Yomosugara madoroma zu, humi tukuri akasi tamahu. Sa ihi nagara mo, mono no kikoye wo tutumi te, isogi kaheri tamahu. Ito naka-naka nari. Ohom-kaharake mawiri te,
 "Wehi no kanasibi namida sosoku haru no sakaduki no uti"
 to, moro-gowe ni zu-zi tamahu. Ohom-tomo no hito mo namida wo nagasu. Onogazisi, hatuka naru wakare wosimu beka'meri.
 Asaborake no sora ni kari ture te wataru. Aruzi no Kimi,
 "Hurusato wo idure no haru ka yuki te mi m
 Urayamasiki ha kaheru karigane
"
 Saisyau, sara ni tati-ide m kokoti se de,
 "Aka naku ni kari no tokoyo wo tati-wakare
 hana no miyako ni miti ya madoha m
"
 Sa'ru beki miyako no tuto nado, yosi aru sama ni te ari. Aruzi no Kimi, kaku katazikenaki ohom-okuri ni tote, kuro-koma tatematuri tamahu.
 "Yuyusiu obosa re nu bekere do, kaze ni atari te ha, ibaye nu bekere ba nam."
 to mausi tamahu. Yo ni arigatage naru ohom-mma no sama nari.
 "Katami ni sinobi tamahe."
 tote, imiziki hue no na ari keru nado bakari, hito togame tu beki koto ha, katamini e si tamaha zu.
 Hi yau-yau sasi-agari te, kokoro-awatatasikere ba, kaherimi nomi si tutu ide tamahu wo, mi-okuri tamahu kesiki, ito naka-naka nari.
 "Itu mata taimen ha?"
 to mausi tamahu ni, Aruzi,
 "Kumo tikaku tobi-kahu tadu mo sora ni mi yo
 ware ha haru-hi no kumori naki mi zo

 Katu ha tanoma re nagara, kaku nari nuru hito, mukasi no kasikoki hito dani, haka-bakasiu yo ni mata mazirahu koto kataku haberi kere ba, nani ka, miyako no sakahi wo mata mi m to nam omohi habera nu."
 nado notamahu. Saisyau,
 "Tadukanaki kumowi ni hitori ne wo zo naku
 tubasa narabe si tomo wo kohi tutu

 katazikenaku nare kikoye haberi te, ito si mo to kuyasiu omohi tamahe raruru wori ohoku."
 nado, simeyaka ni mo ara de kaheri tamahi nuru nagori, itodo kanasiu nagame kurasi tamahu.

 弥生の朔日に出で来たる巳の日、
「今日なむ、かく思すことある人は、御禊したまふべき」
と、なまさかしき人の聞こゆれば、海づらもゆかしうて出でたまふ。いとおろそかに、軟障ばかりを引きめぐらして、この国に通ひける陰陽師召して、祓へせさせたまふ。舟にことことしき人形乗せて流すを見たまふに、よそへられて、
「知らざりし大海の原に流れ来て
ひとかたにやはものは悲しき」
とて、ゐたまへる御さま、さる晴れに出でて、言ふよしなく見えたまふ。
海の面うらうらと凪ぎわたりて、行方も知らぬに、来し方行く先思し続けられて、
「八百よろづ神もあはれと思ふらむ
犯せる罪のそれとなければ」
とのたまふに、にはかに風吹き出でて、空もかき暮れぬ。御祓へもし果てず、立ち騒ぎたり。肱笠雨607とか降りきて、いとあわたたしければ、みな帰りたまはむとするに、笠も取りあへず。さる心もなきに、よろづ吹き散らし、またなき風なり。波いといかめしう立ちて、人々の足をそらなり。海の面は、衾を張りたらむやうに光り満ちて、雷鳴りひらめく。落ちかかる心地して、からうしてたどり来て、
「かかる目は見ずもあるかな」
「風などは吹くも、けしきづきてこそあれ。あさましうめづらかなり」
と惑ふに、なほ止まず鳴りみちて、雨の脚当たる所、徹りぬべく、はらめき落つ。「かくて世は尽きぬるにや」と、心細く思ひ惑ふに、君は、のどやかに経うち誦じておはす。
暮れぬれば、雷すこし鳴り止みて、風ぞ、夜も吹く。
「多く立てつる願の力なるべし」
「今しばし、かくあらば、波に引かれて入りぬべかりけり」
「高潮といふものになむ、とりあへず人そこなはるるとは聞けど、いと、かかることは、まだ知らず」
と言ひあへり。
暁方、みなうち休みたり。君も608いささか寝入りたまへれば、そのさまとも見えぬ人来て、
「など、宮より召しあるには参りたまはぬ」
とて、たどりありくと見るに、おどろきて、「さは、海の中の龍王の、いといたうものめでするものにて、見入れたるなりけり」と思すに、いとものむつかしう、この住まひ堪へがたく思しなりぬ。

 三月の上旬にめぐって来た巳の日に、
「今日は、このようにご心労のある方は、御禊をなさるのがようございます」
と、知ったかぶりの人が申し上げるので、海辺も見たくてお出かけになる。ひどく簡略に、軟障だけを引きめぐらして、この国に行き来していた陰陽師を召して、祓いをおさせなになる。舟に仰々しい人形を乗せて流すのを御覧になるにつけても、わが身になぞらえられて、
「見も知らなかった大海原に流れきて
人形に一方ならず悲しく思われることよ」
と詠んで、じっとしていらっしゃるご様子、このような広く明るい所に出て、何とも言いようのないほど素晴らしくお見えになる。
海の表面もうららかに凪わたって、際限も分からないので、過去のこと将来のことが次々と胸に浮かんできて、
「八百万の神々もわたしを哀れんでくださるでしょう
これといって犯した罪はないのだから」
とお詠みになると、急に風が吹き出して、空もまっ暗闇になった。お祓いもし終えないで、騒然となった。肱笠雨とかいうものが降ってきて、ひどくあわただしいので、皆がお帰りになろうとするが、笠も手に取ることができない。こうなろうとは思いもしなかったが、いろいろと吹き飛ばし、またとない大風である。波がひどく荒々しく立ってきて、人々の足も空に浮いた感じである。海の表面は、衾を広げたように一面にきらきら光って、雷が鳴りひらめく。落ちてきそうな気がして、やっとのことで、家にたどり着いて、
「このような目には遭ったこともないな」
「風などは、吹くが、前触れがあって吹くものだ。思いもせぬ珍しいことだ」
と困惑しているが、依然として止まず鳴りひらめいて、雨脚の当たる所、地面を突き通してしまいそうに、音を立てて落ちてくる。「こうして世界は滅びてしまうのだろうか」と、心細く思いうろたえているが、君は、落ち着いて経を誦していらっしゃる。
日が暮れたので、雷は少し鳴り止んだが、風は、夜も吹く。
「たくさん立てた願の力なのでしょう」
「もうしばらくこのままだったら、波に呑みこまれて海に入ってしまうところだった」
「高潮というものに、何を取る余裕もなく人の命がそこなわれるとは聞いているが、まこと、このようなことは、まだ見たこともない」
と言い合っていた。
明け方、みな寝んでいた。君もわずかに寝入りなさると、誰ともわからない者が来て、
「どうして、宮からお召しがあるのに参らないのか」
と言って、手探りで捜してしるように見ると、目が覚めて、「さては海龍王が、美しいものがひどく好きなもので、魅入ったのであったな」とお思いになると、とても気味が悪く、ここの住まいが耐えられなくお思いになった。

 [4-2 Sinto purification at March 3 and a storm]
 Yayohi no tuitati ni ide-ki taru mi-no-hi,
 "Kehu nam, kaku obosu koto aru hito ha, misogi si tamahu beki."
 to, nama-sakasiki hito no kikoyure ba, umi-dura mo yukasiu te ide tamahu. Ito orosoka ni, zenzyau bakari wo hiki-megurasi te, kono kuni ni kayohi keru onyauzi mesi te, harahe se sase tamahu. Hune ni koto-kotosiki hito-kata nose te nagasu wo mi tamahu ni, yosohe rare te,
 "Sira zari si oho-umi no hara ni nagare ki te
 hitokata ni ya ha mono ha kanasiki
"
 tote, wi tamahe ru ohom-sama, saru hare ni ide te, ihu yosi naku miye tamahu.
 Umi no omote ura-ura to nagi-watari te, yukuhe mo sira nu ni, kosikata yukusaki obosi-tuduke rare te,
 "Yaho-yorodu kami mo ahare to omohu ram
 wokase ru tumi no sore to nakere ba
"
 to notamahu ni, nihaka ni kaze huki-ide te, sora mo kaki-kure nu. Ohom-harahe mo si hate zu, tati-sawagi tari. Hidikasa-ame to ka huri-ki te, ito awatatasiker ba, mina kaheri tamaha m to suru ni, kasa mo tori-ahe zu. Saru kokoro mo naki ni, yorodu huki-tirasi, mata naki kaze nari. Nami ito ikamesiu tati te, hito-bito no asi wo sora nari. Umi no omote ha, husuma hari tara m yau ni hikari-miti te, kami-nari hirameku. Oti-kakaru kokoti si te, karausite tadori-ki te,
 "Kakaru me ha mi zu mo aru kana!"
 "Kaze nado ha huku mo, kesiki-duki te koso are! Asamasiu meduraka nari."
 to madohu ni, naho yama zu nari-miti te, ame no asi ataru tokoro, tohori nu beku, harameki otu. "Kaku te yo ha tuki nuru ni ya." to, kokoro-bosoku omohi-madohu ni, Kimi ha, nodoyaka ni kyau uti-zu-zi te ohasu.
 Kure nure ba, kami sukosi nari-yami te, kaze zo, yoru mo huku.
 "Ohoku tate turu gwan no tikara naru besi."
 "Ima sibasi, kaku ara ba, nami ni hika re te iri nu bekari keri."
 "Takasiho to ihu mono ni nam, tori-ahe zu hito sokonaha ruru to ha kike do, ito, kakaru koto ha, mada sira zu."
 to ihi-ahe ri.
 Akatuki-gata, mina uti-yasumi tari. Kimi mo isasaka ne-iri tamahe re ba, sono sama to mo miye nu hito ki te,
 "Nado, Miya yori mesi aru ni ha mawiri tamaha nu?"
 tote, tadori-ariku to miru ni, odoroki te, "Saha, umi no naka no Riu-wau no, ito itau mono-mede suru mono ni te, mi-ire taru nari keri." to obosu ni, ito mono-mutukasiu, kono sumahi tahe gataku obosi nari nu.

 出典

 校訂
備考--(/) ミセケチ--$ 抹消--# 補入--+ 傍書--= ナゾリ--& 独自異文等--* 朱筆--<朱> 不明--?

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Last Modified: Tuesday, August 31, 2004
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