源氏物語

Genji monogatari

紫式部 Murasaki Shikibu

1 末摘花の物語 光る源氏の須磨明石離京時代

2 末摘花の物語 光る源氏帰京後

3 末摘花の物語 久しぶりの再会の物語

4 末摘花の物語 その後の物語

出典
校訂

1 末摘花の物語 光る源氏の須磨明石離京時代

2 末摘花の物語 光る源氏帰京後

3 末摘花の物語 久しぶりの再会の物語

4 末摘花の物語 その後の物語

1 Tale of Suetsumu Hikaru-Genji in Suma and Akashi

2 Tale of Suetsumu Hikaru-Genji returned to Kyoto later

3 Tale of Suetsumu Meeting again after long interval

4 Tale of Suetsumu Suetsumu's happy days after Genji's visit

 藻塩たれつつわびたまひしころほひ、都にも、さまざまに思し嘆く人多かりしを、さても、わが御身の拠り所あるは、一方の思ひこそ苦しげなりしか、二条の上なども、のどやかにて、旅の御住みかをもおぼつかなからず、聞こえ通ひたまひつつ、位を去りたまへる仮の御よそひをも、竹の子の世の憂き節743を、時々につけてあつかひきこえたまふに、慰めたまひけむ、なかなか、その数と人にも知られず、立ち別れたまひしほどの御ありさまをも、よそのことに思ひやりたまふ人々の、下の心くだきたまふたぐひ多かり。
常陸の宮の君は、父親王の亡せたまひにし名残に、また思ひあつかふ人もなき御身にて、いみじう心細げなりしを、思ひかけぬ御ことの出で来て、訪らひきこえたまふこと絶えざりしを、いかめしき御勢にこそ、ことにもあらず、はかなきほどの御情けばかりと思したりしかど、待ち受けたまふ袂の狭きに、大空の星の光を盥の水に映したる心地して過ぐしたまひしほどに、かかる世の騷ぎ出で来て、なべての世憂く思し乱れしまぎれに、わざと深からぬ方の心ざしはうち忘れたるやうにて、遠くおはしましにしのち、ふりはへてしもえ尋ねきこえたまはず。その名残に、しばしは、泣く泣くも過ぐしたまひしを、年月経るままに、あはれにさびしき御ありさまなり。
古き女ばらなどは、
「いでや、いと口惜しき御宿世なりけり。おぼえず神仏の現はれたまへらむやうなりし御心ばへに、かかるよすがも人は出でおはするものなりけりと、ありがたう見たてまつりしを、おほかたの世の事といひながら、また頼む方なき御ありさまこそ、悲しけれ」
と、つぶやき嘆く。さる方にありつきたりしあなたの年ごろは、いふかひなきさびしさに目なれて過ぐしたまふを、なかなかすこし世づきてならひにける年月に、いと堪へがたく思ひ嘆くべし。すこしも、さてありぬべき人々は、おのづから参りつきてありしを、皆次々に従ひて行き散りぬ。女ばらの命堪へぬもありて、月日に従ひては、上下人数少なくなりゆく。

 1 末摘花の物語 光る源氏の須磨明石離京時代 [1-1 末摘花の孤独]
須磨の浦で涙に暮れながら過ごしていらっしゃったころ、都でも、あれこれとお嘆きになっていらっしゃる方々が多かったが、そうはいっても、ご自身の生活のよりどころのある方は、ただお一方をお慕いする思いだけは辛そうであったが、二条の上なども、平穏なお暮らしで、旅のお暮らしをご心配申し、お手紙をやりとりなさっては、位をお退きになってからの仮りのご装束をも、この世の辛い生活をも、季節ごとにご調進申し上げなさることによって、心を慰めなさったであろうが、かえって、その妻妾の一人として世の人にも認められず、ご離京なさった時のご様子にも、他人事のように聞いて思いやった人々で、内心をお痛めになった人も多かった。
常陸宮の姫君は、父の親王がお亡くなりになってから、他には誰もお世話する人もないお身の上で、ひどく心細い有様であったが、思いがけないお通いが始まって、お気をつけてくださることは絶えなかっが、大変なご威勢には、大したこともない、お情け程度とお思いであったが、それを待ち受けていらっしゃる貧しい生活には、大空の星の光を盥の水に映したような気持ちがして、お過ごしになっていたところ、あのような世の中の騒動が起こって、おしなべて世の中が嫌なことに思い悩まれた折に、格別に深い関係でない方への愛情は、何となく忘れたようになって、遠く旅立ちなさった後は、わざわざお訪ね申し上げることもおできになれない。かつてのご庇護のお蔭で、しばらくの間は、泣きながらもお過ごしになっていらっしゃったが、歳月が過ぎるにしたがって、実にお寂しいご様子である。
昔からの女房などは、
「いやはや、まったく情けないご運であった。思いがけない神仏がご出現なさったようであったお心寄せを受けて、このような頼りになることも出ていらっしゃるのだと、ありがたく拝見しておりましたが、世間一般のこととはいいながらも、また他には誰をも頼りにできないお身の上は、悲しいことです」
と、ぶつぶつ言って嘆く。あのような生活に馴れていた昔の長い年月は、何とも言いようもない寂しさに目なれてお過ごしになっていたが、なまじっか少し世間並みの生活になった年月を送ったばかりに、かえってとても堪え難く嘆くのであろう。少しでも、女房としてふさわしい者たちは、自然と参集して来たが、みな次々と後を追って離散して行ってしまった。女房たちの中には亡くなった者もいて、月日の過ぎるにしたがって、上下の女房の数が少なくなって行く。

 1 Tale of Suetsumu Hikaru-Genji in Suma and Akashi [1-1 Suetsumu's lonely days]
 Mosiho tare tutu wabi tamahi si korohohi, miyako ni mo, sama-zama ni obosi nageku hito ohokari si wo, sate mo, waga ohom-mi no yori-dokoro aru ha, hito-kata no omohi koso kurusige nari sika, Nideu-no-Uhe nado mo, nodoyaka ni te, tabi no ohom-sumika wo mo obotukanakara zu, kikoye kayohi tamahi tutu, kurawi wo sari tamahe ru kari no ohom-yosohohi wo mo, take no ko no yo no uki husi wo, toki-doki ni tuke te atukahi kikoye tamahu ni, nagusame tamahi kem, naka-naka, sono kazu to hito ni mo sira re zu, tati-wakare tamahi si hodo no ohom-arisama wo mo, yoso no koto ni omohi-yari tamahu hito-bito no, sita no kokoro kudaki tamahu taguhi ohokari.
 Hitati-no-Miya no Kimi ha, titi-Miko no use tamahi ni si nagori ni, mata omohi atukahu hito mo naki ohom-mi ni te, imiziu kokoro-bosoge nari si wo, omohi kake nu ohom-koto no ide-ki te, toburahi kikoye tamahu koto taye zari si wo, ikamesiki ohom-ikihohi ni koso, koto ni mo ara zu, hakanaki hodo no ohom-nasake bakari to obosi tari sika do, mati-uke tamahu tamoto no sebaki ni, ohozora no hosi no hikari wo tarahi no midu ni utusi taru kokoti si te sugusi tamahi si hodo ni, kakaru yo no sawagi ide-ki te, nabete no yo uku obosi midare si magire ni, wazato hukakara nu kata no kokorozasi ha uti-wasure taru yau ni te, tohoku ohasimasi ni si noti, hurihahe te si mo e tadune kikoye tamaha zu. Sono nagori ni, sibasi ha, naku-naku mo sugusi tamahi si wo, tosi-tuki huru mama ni, ahare ni sabisiki ohom-arisama nari.
 Huruki womna-bara nado ha,
 "Ide ya, ito kutiwosiki ohom-sukuse nari keri. Oboye zu Kami Hotoke no arahare tamahe ra m yau nari si mi-kokorobahe ni, kakaru yosuga mo hito ha ide ohasuru mono nari keri to, arigatau mi tatematuri si wo, ohokata no yo no koto to ihi nagara, mata tanomu kata naki ohom-arisama koso, kanasikere!"
 to, tubuyaki nageku. Saru kata ni aritukitari si anata no tosi-goro ha, ihukahi naki sabisisa ni me-nare te sugusi tamahu wo, naka-naka sukosi yo-duki te narahi ni keru tosi-tuki ni, ito tahe gataku omohi nageku besi. Sukosi mo, sate ari nu beki hito-bito ha, onodukara mawiri-tuki te, ari si wo, mina tugi-tugi ni sitagahi te iki-tiri nu. Womna-bara no inoti tahe nu mo ari te, tuki-hi ni sitagahi te ha, kami simo hito kazu sukunaku nari yuku.

 もとより荒れたりし宮の内、いとど狐の棲みか744になりて、うとましう、気遠き木立に、梟の声を朝夕に耳ならしつつ、人気にこそ、さやうのものもせかれて影隠しけれ、木霊など、けしからぬものども、所得て、やうやう形745を現はし、ものわびしきことのみ数知らぬに、まれまれ残りてさぶらふ人は、
「なほ、いとわりなし。この受領どもの、おもしろき家造り好むが、この宮の木立を心につけて、放ちたまはせてむやと、ほとりにつきて、案内し申さするを、さやうにせさせたまひて、いとかう、もの恐ろしからぬ御住まひに、思し移ろはなむ。立ちとまりさぶらふ人も、いと堪へ746がたし」
など聞こゆれど、
「あな、いみじや。人の聞き思はむこともあり。生ける世に、しか名残なきわざ、いかがせむ。かく恐ろしげに荒れ果てぬれど、親の御影とまりたる心地する古き住みかと思ふに、慰みてこそあれ」
と、うち泣きつつ、思しもかけず。
御調度どもを、いと古代になれたるが、昔やうにてうるはしきを、なまもののゆゑ知らむと思へる人、さるもの要じて、わざとその人かの人にせさせたまへると尋ね聞きて、案内747するも、おのづからかかる貧しきあたりと思ひあなづりて言ひ来るを、例の女ばら、
「いかがはせむ。そこそは世の常のこと」
とて、取り紛らはしつつ、目に近き今日明日の見苦しさを繕はむとする時もあるを、いみじう諌めたまひて、
「見よと思ひたまひてこそ、しおかせたまひけめ。などてか、軽々しき人の家の飾りとはなさむ。亡き人の御本意違はむが、あはれなること」
とのたまひて、さるわざはせさせたまはず。

 [1-2 常陸宮邸の窮乏]
もともと荒れていた宮の邸の中、ますます狐の棲みかとなって、気味悪く、人気のない木立に、梟の声を毎日耳にして、人気のあるによって、そのような物どもも阻まれて姿を隠していたが、木霊などの怪異の物どもが、我がもの顔になって、だんだんと姿を現し、何ともやりきれないことばかりが数知らず増えて行くので、たまたま残っていてお仕えしている女房は、
「やはり、まこと困ったことです。最近の受領どもで、風流な家造りを好む者が、この宮の木立に心をかけて、お手放しにならないかと、伝を求めて、ご意向を伺わせていますが、そのようにあそばして、とてもこう、恐ろしくないお住まいに、ご転居をお考えになってください。今も残って仕えている者も、とても我慢できません」
などと申し上げるが、
「まあ、とんでもありません。世間の外聞もあります。生きているうちに、そのようなお形見を何もかも無くしてしまうなんて、どうしてできましょう。このように恐ろしそうにすっかり荒れてしまったが、親の面影がとどまっている心地がする懐かしい住まいだと思うから、慰められるのです」
と、泣く泣くおっしゃって、お考えにも入れない。
お道具類も、たいそう古風で使い馴れているのが、昔風で立派なのを、なまはんかに由緒を尋ねようとする者、そのような物を欲しがって、特別にあの人この人にお作らせになったのだと聞き出して、お伺いを立てるのも、自然とこのような貧しいあたりと侮って言って来るのを、いつもの女房、
「しかたがございません。そうすることが世間一般のこと」
と思って、目立たぬように取り計らって、眼前の今日明日の生活の不自由を繕う時もあるのを、きつくお叱りになって、
「わたしのためにとお考えになって、お作らせになったのでしょう。どうして、賤しい人の家の飾り物にさせましょうか。亡きお父上のご遺志に背くのが、たまりません」
とおっしゃって、そのようなことはおさせにならない。

 [1-2 Suetsumu lives in poverty]
 Moto yori are tari si Miya no uti, itodo kitune no sumika ni nari te, utomasiu, kedohoki kodati ni, hukurohu no kowe wo asa-yuhu ni mimi-narasi tutu, hito-ke koso, sayau no mono mo sekare te kage kakusi kere, kodama nado, kesikara nu mono-domo, tokoro e te, yau-yau katati arahasi, mono-wabisiki koto nomi kazu sira nu ni, mare-mare nokori te saburahu hito ha,
 "Naho, ito wari nasi. Kono zuryau-domo no, omosiroki ihe-dukuri konomu ga, kono Miya no kodati wo kokoro ni tuke te, hanati tamaha se te m ya to, hotori ni tuki te, an'nai si mausa suru wo, sayau ni se sase tamahi te, ito kau, mono-osorosikara nu ohom-sumahi ni, obosi-uturoha nam. Tati-tomari saburahu hito mo, ito tahe gatasi."
 nado kikoyure do,
 "Ana, imizi ya! Hito no kiki omoha m koto mo ari. Ike ru yo ni, sika nagori naki waza, ikaga se m. Kaku osorosige ni are-hate nure do, oya no ohom-kage tomari taru kokoti suru huruki sumika to omohu ni, nagusami te koso are."
 to, uti-naki tutu, obosi mo kake zu.
 Ohom-teudo-domo wo, ito kotai ni nare taru ga, mukasi yau ni te uruhasiki wo, nama-mono no yuwe wo sira m to omohe ru hito, saru mono eu-zi te, waza to sono hito kano hito ni se sase tamahe ru to tadune kiki te, an'nai suru mo, onodukara kakaru madusiki atari to omohi anaduri te ihi kuru wo, rei no womna-bara,
 "Ikaga ha se m. Soko so ha yo no tune no koto."
 tote, tori-magirahasi tutu, me ni tikaki kehu asu no mi-gurusisa wo tukuroha m to suru toki mo aru wo, imiziu isame tamahi te,
 "Mi yo to omohi tamahi te koso, si-oka se tamahi keme. Nadote ka, karo-garosiki hito no ihe no kazari to ha nasa m. Naki hito no ohom-ho'i tagaha m ga, ahare naru koto."
 to notamahi te, saru waza ha se sase tamaha zu.

 はかなきことにても、見訪らひきこゆる人はなき御身なり。ただ、御兄の禅師の君ばかりぞ、まれにも京に出でたまふ時は、さしのぞきたまへど、それも、世になき古めき人にて、同じき法師といふなかにも、たづきなく、この世を離れたる聖にものしたまひて、しげき草、蓬をだに、かき払はむものとも思ひ寄りたまはず。
かかるままに、浅茅は庭の面も見えず、しげき蓬は軒を争ひて生ひのぼる。葎は西東の御門を閉ぢこめたるぞ頼もしけれど、崩れがちなるめぐりの垣を馬、牛などの踏みならしたる道にて、春夏になれば、放ち飼ふ総角の心さへぞ、めざましき。
八月、野分荒かりし年、廊どもも倒れ伏し、下の屋どもの、はかなき板葺なりしなどは、骨のみわづかに残りて、立ちとまる下衆だになし。煙絶えて、あはれにいみじきこと多かり。
盗人などいふひたぶる心ある者も、思ひやりの寂しければにや、この宮をば不要のものに踏み過ぎて、寄り来ざりければ、かくいみじき野良、薮なれども、さすがに寝殿のうちばかりは、ありし御しつらひ変らず、つややかに掻い掃きなどする人もなし。塵は積もれど、紛るることなきうるはしき御住まひにて、明かし暮らしたまふ。

 [1-3 常陸宮邸の荒廃]
ちょっとした用件でも、お訪ね申す人はないお身の上である。ただ、ご兄弟の禅師の君だけが、たまに京にお出になる時には、お立ち寄りになるが、その方も、世にもまれな古風な方で、同じ法師という中でも、処世の道を知らない、この世離れした僧でいらっしゃって、生い茂った草、蓬をさえ、かき払うものともお考えつきにならない。
このような状態で、浅茅は庭の表面も見えず、生い茂った蓬生は軒と争って成長している。葎は西と東の御門を鎖し固めているのは心強いが、崩れかかった周囲の土築を馬、牛などが踏みならした道にして、春夏ともなると、放ち飼いする子どもの料簡も、けしからぬことである。
八月、野分の激しかった年、渡廊類が倒れふし、幾棟もの下屋の、粗末な板葺きであったのなどは、骨組みだけがわずかに残って、居残る下衆さえいない。炊事の煙も上らなくなって、お気の毒なことが多かった。
盗人などという情け容赦のない連中も、想像するだけで貧乏と思ってか、この邸を無用のものと通り過ぎて、寄りつきもしなかったので、このようにひどい野原、薮原であるが、それでも寝殿の中だけは、昔の装飾と変わらないが、ぴかぴかに掃いたり拭いたりする人もいない。塵は積もっても、れっきとした荘厳なお住まいで、お過ごしになっている。

 [1-3 Ruined Suetsumu's residence]
 Hakanaki koto ni te mo, mi toburahi kikoyuru hito ha naki ohom-mi nari. Tada, ohom-seuto no Zenzi-no-Kimi bakari zo, mare ni mo Kyau ni ide tamahu toki ha, sasi-nozoki tamahe do, sore mo, yo ni naki hurumeki-bito ni te, onaziki hohusi to ihu naka ni mo, taduki naku, kono yo wo hanare taru hiziri ni monosi tamahi te, sigeki kusa, yomogi wo dani, kaki-haraha m mono to mo omohi-yori tamaha zu.
 Kakaru mama ni, asadi ha niha no omo mo miye zu, sigeki yomogi ha noki wo arasohi te ohi-noboru. Mugura ha nisi himgasi no mi-kado wo todi-kome taru zo tanomosikere do, kudure-gati naru meguri no kaki wo mma, usi nado no humi-narasi taru miti ni te, haru natu ni nare ba, hanati-kahu agemaki no kokoro sahe zo, mezamasiki.
 Ha-duki, nowaki arakari si tosi, rau-domo mo tahure-husi, simo no ya-domo no, hakanaki ita-buki nari si nado ha, hone nomi waduka ni nokori te, tati-tomaru gesu dani nasi. Keburi taye te, ahare ni imiziki koto ohokari.
 Nusu-bito nado ihu hitaburu kokoro aru mono mo, omohi-yari no sabisikere ba ni ya, kono Miya wo ba huyou no mono ni humi sugi te, yori-ko zari kere ba, kaku imiziki nora, yabu nare do mo, sasuga ni Sin-den no uti bakari ha, ari si ohom-siturahi kahara zu, tuyayaka ni kai-haki nado suru hito mo nasi. Tiri ha tumore do, magiruru koto naki uruhasiki ohom-sumahi ni te, akasi kurasi tamahu.

 はかなき古歌、物語などやうのすさびごとにてこそ、つれづれをも紛らはし、かかる住まひをも思ひ慰むるわざなめれ、さやうのことにも心遅くものしたまふ。わざと好ましからねど、おのづからまた急ぐことなきほどは、同じ心なる文通はしなどうちしてこそ、若き人は木草につけても心を慰めたまふべけれど、親のもてかしづきたまひし御心掟のままに、世の中をつつましきものに思して、まれにも言通ひたまふべき御あたりをも、さらに馴れたまはず、古りにたる御厨子開けて、『唐守748』、『藐姑射の刀自』、『かくや姫の物語』の絵に描きたるをぞ、時々のまさぐりものにしたまふ。
古歌とても、をかしきやうに選り出で、題をも読人をもあらはし心得たるこそ見どころもありけれ、うるはしき紙屋紙、陸奥紙などのふくだめるに、古言どもの目馴れたるなどは、いとすさまじげなるを、せめて眺めたまふ折々は、ひき広げたまふ。今の世の人のすめる、経うち読み、行なひなどいふことは、いと恥づかしくしたまひて、見たてまつる人もなけれど、数珠など取り寄せたまはず。かやうにうるはしくぞものしたまひける。

 [1-4 末摘花の気紛らし]
たわいもない古歌、物語などみたいな物を慰み事にして、無聊を紛らわし、このような生活でも慰める方法なのであろうが、そのような方面にも関心が鈍くいらっしゃる。特に風流ぶらずとも、自然と急ぐ用事もない時には、気の合う者どうしで手紙の書き交わしなど気軽にし合って、若い人は木や草につけて心をお慰めになるはずなのだが、父宮が大事にお育てになったお考えどおりに、世間を用心すべきものとお思いになって、たまには文通なさってもよさそうなご関係の家にも、まったくお親しみにならず、古くなった御厨子を開けて、『唐守』『藐姑射の刀自』『かぐや姫の物語』などの絵に描いてあるのを、時々のもて遊び物にしていらっしゃる。
古歌といっても、優雅な趣向で選び出して、題詞や読人をはっきりさせて鑑賞するのは見所もあるが、きちんとした紙屋紙、陸奥紙などの厚ぼったいのに、古歌のありふれた歌が書かれているのなどは、実に興醒めな感じがするが、つとめて物思いに耽りなさるような時々には、お広げになっている。今の時代の人が好んでするような、読経をちょっとしたり、勤行などということは、とてもきまり悪いものとお考えになって、拝見する人もいないのだが、数珠などをお取り寄せにならない。このように万事きちんとしていらっしゃるのであった。

 [1-4 Distraction of Suetsumu's life]
 Hakanaki huru-uta, monogatari nado yau no susabi-goto ni te koso, ture-dure wo mo magirahasi, kakaru sumahi wo mo omohi nagusamuru waza na'mere, sayau no koto ni mo kokoro-osoku monosi tamahu. Wazato konomasikara ne do, onodukara mata isogu koto naki hodo ha, onazi kokoro naru humi kayohasi nado uti-si te koso, wakaki hito ha ki kusa ni tuke te mo kokoro wo nagusame tamahu bekere do, oya no mote-kasiduki tamahi si mi-kokoro-okite no mama ni, yononaka wo tutumasiki mono ni obosi te, mare ni mo koto-kayohi tamahu beki ohom-atari wo mo, sarani nare tamaha zu, huri ni taru mi-dusi ake te, Karamori, Hakoya-no-Tozi, Kakuyahime-no-monogatari no we ni kaki taru wo zo, toki-doki no masaguri mono ni si tamahu.
 Huru-uta tote mo, wokasiki yau ni eri-ide, dai wo mo yomi-bito wo mo arahasi kokoro-e taru koso mi-dokoro mo ari kere, uruhasiki Kamya-gami, Mitinokuni-gami nado no hukudame ru ni, huru-koto-domo no me nare taru nado ha, ito susamazige naru wo, semete nagame tamahu wori-wori ha, hiki-hiroge tamahu. Ima no yo no hito no su meru, kyau uti-yomi, okonahi nado ihu koto ha, ito hadukasiku si tamahi te, mi tatematuru hito mo nakere do, zuzu nado tori-yose tamaha zu. Kayau ni uruhasiku zo monosi tamahi keru.

 侍従などいひし御乳母子のみこそ、年ごろあくがれ果てぬ者にてさぶらひつれど、通ひ参りし斎院亡せたまひなどして、いと堪へがたく心細きに、この姫君の母北の方の749はらから、世におちぶれて受領の北の方になりたまへるありけり。
娘どもかしづきて、よろしき若人どもも、「むげに知らぬ所よりは、親どももまうで通ひしを」と思ひて、時々行き通ふ。この姫君は、かく人疎き御癖なれば、むつましくも言ひ通ひたまはず。
「おのれをばおとしめたまひて、面伏せに思したりしかば、姫君の御ありさまの心苦しげなるも、え訪らひきこえず」
など、なま憎げなる言葉ども言ひ聞かせつつ、時々聞こえけり。
もとよりありつきたるさやうの並々の人は、なかなかよき人の真似に心をつくろひ、思ひ上がるも多かるを、やむごとなき筋ながらも、かうまで落つべき宿世ありければにや、心すこしなほなほしき御叔母にぞありける。
「わがかく劣りのさまにて、あなづらはしく思はれたりしを、いかで、かかる世の末に、この君を、わが娘どもの使人になしてしがな。心ばせなどの古びたる方こそあれ、いとうしろやすき後見ならむ」と思ひて、
「時々ここに渡らせたまひて。御琴の音もうけたまはらまほしがる人なむはべる」
と聞こえけり。この侍従も、常に言ひもよほせど、人にいどむ心にはあらで、ただこちたき御ものづつみなれば、さもむつびたまはぬを、ねたしとなむ思ひける。
かかるほどに、かの家主人、大弐になりぬ。娘どもあるべきさまに見置きて750、下りなむとす。この君を、なほも誘はむの心深くて、
「はるかに、かくまかり751なむとするに、心細き御ありさまの、常にしも訪らひきこえねど、近き頼みはべりつるほどこそあれ、いとあはれにうしろめたくなむ」
など、言よがるを、さらに受け引きたまはねば、
「あな、憎。ことことしや。心一つに思し上がるとも、さる薮原に年経たまふ人を、大将殿も、やむごとなくしも思ひきこえたまはじ」
など、怨じうけひけり。

 [1-5 乳母子の侍従と叔母]
侍従などと言った御乳母子だけが、長年お暇も取ろうともしない者としてお仕えしていたが、お出入りしていた斎院がお亡くなりなったりなどして、まことに生活が苦しく心細い気がしていたところ、この姫君の母北の方の姉妹で、落ちぶれて受領の北の方におなりになっていた人がいた。
娘たちを大切にしていて、見苦しくない若い女房たちも、「全然知らない家よりは、親たちが出入りしていた所を」と思って、時々出入りしている。この姫君は、このように人見知りするご性格なので、親しくお付き合いなさらない。
「わたしを軽蔑なさって、不名誉にお思いであったから、姫君のご生活が困窮しているようなのも、お見舞い申し上げられないのです」
などと、こ憎らしい言葉を言って聞かせては、時々手紙を差し上げた。
もともと生まれついたそのような並みの人は、かえって高貴な人の真似をすることに神経をつかって、お高くとまっている人も多くいるが、高貴なお血筋ながらも、こうまで落ちぶれる運命だったからであろうか、心が少し卑しい叔母だったのであった。
「わたしがこのように落ちぶれたさまを、軽蔑されていたのだから、何とかして、このような宮家の衰退した折に、この姫君を、自分の娘たちの召し使いにしたいものだ。考え方の古風なところがあるが、それはいかにも安心できる世話役といえよう」と思って、
「時々こちらにお出あそばして。お琴の音を聴きたがっている人がおります」
と申し上げた。この侍従も、いつもお勧めするが、人に張り合う気持ちからではないが、ただ大変なお引っ込み思案なので、そのように親しくなさらないのを、憎らしく思うのであった。
こうしているうちに、あの叔母の夫が、大宰大弍になった。娘たちをしかるべく縁づけて、筑紫に下向しようとする。この姫君を、なおも誘おうという執念が深くて、
「遥か遠方に、このように赴任することになりましたが、心細いご様子が、つねにお見舞い申し上げていたわけではありませんでしたが、近くにいるという安心感があった間はともかく、とても気の毒で心配でなりません」
などと、言葉巧みに言うが、まったくご承知なさらないので、
「まあ、憎らしい。ご大層なこと。自分一人お高くとまっていても、あのような薮原に過ごしていらっしゃる人を、大将殿も、大事にお思い申し上げないでしょう」
などと、恨んだり呪ったりしているのであった。

 [1-5 Jiju, a foster sister, and her aunt]
 Zizyuu nado ihi si ohom-menoto-go nomi koso, tosi-goro akugare-hate nu mono ni te saburahi ture do, kayohi mawiri si Saiwin use tamahi nado si te, ito tahe gataku kokoro-bosoki ni, kono Hime-Gimi no haha-Kitanokata no harakara, yo ni otibure te zuryau no kitanokata ni nari tamahe ru ari keri.
 Musume-domo kasiduki te, yorosiki wakaudo-domo mo, "Muge ni sira nu tokoro yori ha, oya-domo mo maude kayohi si wo." to omohi te, toki-doki iki-kayohu. Kono Hime-Gimi ha, kaku hito utoki ohom-kuse nare ba, mutumasiku mo ihi kayohi tamaha zu.
 "Onore wo ba otosime tamahi te, omotebuse ni obosi tari sika ba, Hime-Gimi no ohom-arisama no kokoro-kurusige naru mo, e toburahi kikoye zu."
 nado, nama-nikuge naru kotoba-domo ihi-kika se tutu, toki-doki kikoye keri.
 Motoyori ari tuki taru sayau no nami-nami no hito ha, naka-naka yoki hito no mane ni kokoro wo tukurohi, omohi-agaru mo ohokaru wo, yamgotonaki sudi nagara mo, kau made otu beki sukuse ari kere ba ni ya, kokoro sukosi naho-nahosiki ohom-woba ni zo ari keru.
 "Waga kaku otori no sama ni te, anadurahasiku omoha re tari si wo, ikade, kakaru yo no suwe ni, kono Kimi wo, waga musume-domo no tukahi-bito ni nasi te si gana! Kokoro-base nado no hurubi taru kata koso are, ito usiroyasuki usiromi nara m." to omohi te,
 "Toki-doki koko ni watara se tamahi te. Ohom-koto no ne mo uketamahara mahosigaru hito nam haberu."
 to kikoye keri. Kono Zizyuu mo, tune ni ihi moyohose do, hito ni idomu kokoro ni ha ara de, tada kotitaki ohom-monodudumi nare ba, sa mo mutubi tamaha nu wo, netasi to nam omohi keru.
 Kakaru hodo ni, kano ihe-aruzi, Daini ni nari nu. Musume-domo aru beki sama ni mi-oki te, kudari na m to su. Kono Kimi wo, naho mo izanaha m no kokoro hukaku te,
 "Haruka ni, kaku makari na m to suru ni, kokoro-bosoki ohom-arisama no, tune ni si mo toburahi kikoye ne do, tikaki tanomi haberi turu hodo koso are, ito ahare ni usirometaku nam."
 nado, koto-yogaru wo, sarani ukehiki tamaha ne ba,
 "Ana, niku! Koto-kotosiya! Kokoro hitotu ni obosi-agaru to mo, saru yabu-hara ni tosi he tamahu hito wo, Daisyau-dono mo, yamgotonaku si mo omohi kikoye tamaha zi."
 nado, wen-zi ukehi keri.

 さるほどに、げに世の中に赦されたまひて、都に帰りたまふと、天の下の喜びにて立ち騒ぐ。我もいかで、人より先に、深き心ざしを御覧ぜられむとのみ、思ひきほふ男、女につけて、高きをも下れるをも、人の心ばへを見たまふに、あはれに思し知ること、さまざまなり。かやうに、あわたたしきほどに、さらに思ひ出でたまふけしき見えで月日経ぬ。
「今は限りなりけり。年ごろ、あらぬさまなる御さまを、悲しういみじきことを思ひながらも、萌え出づる春に752逢ひたまはなむと念じわたりつれど、たびしかはら753などまで喜び思ふなる、御位改まりなどするを、よそにのみ聞くべきなりけり。悲しかりし折のうれはしさは、ただわが身一つのためになれる754とおぼえし、かひなき世かな」と、心くだけて、つらく悲しければ、人知れず音をのみ泣きたまふ。
大弐の北の方、
「さればよ。まさに、かくたづきなく、人悪ろき御ありさまを、数まへたまふ人はありなむや。仏、聖も、罪軽きをこそ導きよくしたまふなれ、かかる御ありさまにて、たけく世を思し、宮、上などのおはせし時のままにならひたまへる、御心おごりの、いとほしきこと」
と、いとどをこがましげに思ひて、
「なほ、思ほし立ちね。世の憂き時は、見えぬ山路を755こそは尋ぬなれ。田舎などは、むつかしきものと思しやるらめど、ひたぶるに人悪ろげには、よも、もてなしきこえじ」
など、いと言よく言へば、むげに屈んじにたる女ばら、
「さもなびきたまはなむ。たけきこともあるまじき御身を、いかに思して、かく立てたる御心ならむ」
と、もどきつぶやく。
侍従も、かの大弐の甥だつ人、語らひつきて、とどむべくもあらざりければ、心よりほかに出で立ちて、
「見たてまつり置かむが、いと心苦しきを」
とて、そそのかしきこゆれど、なほ、かくかけ離れて久しうなりたまひぬる人に頼みをかけたまふ。御心のうちに、「さりとも、あり経ても、思し出づるついであらじやは。あはれに心深き契りをしたまひしに、わが身は憂くて、かく忘られたるに756こそあれ、風のつてにても、我かくいみじきありさまを聞きつけたまはば、かならず訪らひ出でたまひてむ」と、年ごろ思しければ、おほかたの御家居も、ありしよりけにあさましけれど、わが心もて、はかなき御調度どもなども取り失はせたまはず、心強く同じさまにて念じ過ごしたまふなりけり。
音泣きがちに、いとど思し沈みたるは、ただ山人の赤き木の実一つを顔に放たぬと見えたまふ、御側目などは、おぼろけの人の見たてまつりゆるすべきにもあらずかし。詳しくは聞こえじ。いとほしう、もの言ひさがなきやうなり。

 2 末摘花の物語 光る源氏帰京後 [2-1 顧みられない末摘花]
そうこうしているうちに、はたして天下に赦免されなさって、都にお帰りになるというので、世の中の慶事として大騷ぎする。自分も何とか、人より先に、深い誠意をご理解いただこうとばかりに、競い合っている男、女につけても、身分の貴い人も賤しい人も、人の心の動きを御覧になるにつけ、しみじみと考えさせられること、さまざまである。このように、あわただしいうちに、まったくお思い出しになる様子もなく月日が過ぎた。
「今はもうお終いだ。長い年月、ご不運な生活を、悲しくお気の毒なことと思いながらも、万物の蘇る春にめぐりあっていただきたいと願っていたが、とるにたらない下賤な者までが喜んでいるという、ご昇進などするのを、他人事として聞かねばならないのだった。悲しかった時の嘆かしさは、ただ自分ひとりのために起こったのだと思ったが、嘆いても甲斐のない仲だわ」とがっかりして、辛く悲しいので、人知れず声を立ててお泣きになるばかりである。
大弍の北の方、
「それ見たことか。いったい、このように不如意で、体裁の悪い人のご様子を、一人前にお扱いになる方がありましょうか。仏、聖も、罪の軽い人をよくお導きもなさるというものだが、このようなご様子で、偉そうに世間を見下しなさって、宮、上などが生きていらした時のままと同じようでいらっしゃる、ご高慢が、不憫なこと」
と、ますます馬鹿らしく思って、
「やはり、ご決心なさい。何かとうまく行かない時は、何も見なくてすむ山奥へ入りこむというものですよ。地方などは、むさ苦しい所とお思いでしょうが、むやみに体裁の悪いもてなしは、けっして、致しません」
などと、とても言葉巧みに言うと、すっかり元気をなくしている女房たちは、
「そのようにご承知なさってほしい。たいしたこともなさそうなお身の上を、どうお考えになって、このように意地をお張りになるのだろう」
と、ぶつぶつと非難する。
侍従も、あの大弍の甥に当たる人に、契りを結んで、残して行くはずもなかったので、不本意ながら出発することになって、
「お残し申したままで出立するのが、とても心残りです」と言って、お誘い申し上げるが、やはり、このように離れてしばらくになってしまった方に期待をかけなさっている。お心の中では、「いくら何でも、時のたつうちには、お思い出しくださる機会のないことがあろうか。しみじみと深いお約束をなさったのだから、わが身の上はつらくて、このように忘れられているようであるが、風の便りにでも、わたしのこのようにひどい暮らしをお耳になさったら、きっとお訪ねになってくださるにちがいない」と、長年お思いになっていたので、おおよそのお住まいも以前より実に荒廃してひどいが、ご自分のお考えで、ちょっとした御調度類なども失くさないようにさせなさって、辛抱強く同じように堪え忍んでてお過ごしになっているのであった。
声を立てて泣き暮らしながら、ますます悲嘆に暮れていらっしゃるのは、まるで山人が赤い木の実一つを顔から放さないようにお見えになる、その横顔などは、普通の男性ではとても堪えて拝見できないご容貌である。詳しくお話し申し上げられない。お気の毒で、あまりに口が悪いようであるから。

 2 Tale of Suetsumu Hikaru-Genji returned to Kyoto later [2-1 Suetsumu is forgotten by Genji]
 Saru hodo ni, geni yononaka ni yurusa re tamahi te, miyako ni kaheri tamahu to, amenosita no yorokobi ni te tati-sawagu. Ware mo ikade, hito yori saki ni, hukaki kokorozasi wo go-ran-ze rare m to nomi, omohi-kihohu wotoko, womna ni tuke te, takaki wo mo kudare ru wo mo, hito no kokoro-bahe wo mi tamahu ni, ahare ni obosi siru koto, sama-zama nari. Kayau ni, awatatasiki hodo ni, sarani omohi-ide tamahu kesiki miye de tuki-hi he nu.
 "Ima ha kagiri nari keri. Tosi-goro, ara nu sama naru ohom-sama wo, kanasiu imiziki koto wo omohi nagara mo, moye-iduru haru ni ahi tamaha nam to nen-zi watari ture do, tabisi-kahara nado made yorokobi omohu naru, ohom-kurawi aratamari nado suru wo, yoso ni nomi kiku beki nari keri. Kanasikari si wori no urehasisa ha, tada waga mi hitotu no tame ni nare ru to oboye si, kahi naki yo kana!" to, kokoro kudake te, turaku kanasikere ba, hito sire zu ne wo nomi naki tamahu.
 Daini-no-Kitanokata,
 "Sareba yo. Masa ni, kaku taduki naku, hito-waroki ohom-arisama wo, kazumahe tamahu hito ha ari na m ya! Hotoke, hiziri mo, tumi karoki wo koso mitibiki yoku si tamahu nare, kakaru ohom-arisama ni te, takeku yo wo obosi, Miya, Uhe nado no ohase si toki no mama ni narahi tamahe ru, mi-kokoro ogori no, itohosiki koto."
 to, itodo wokogamasige ni omohi te,
 "Naho, omohosi tati ne! Yo no uki toki ha, miye nu yamadi wo koso ha tadunu nare. Winaka nado ha, mutukasiki mono to obosi-yaru rame do, hitaburu ni hito-waroge ni ha, yomo, motenasi kikoye zi."
 nado, ito yoku ihe ba, muge ni kun-zi ni taru womna-bara,
 "Sa mo nabiki tamaha nam. Takeki koto mo aru maziki ohom-mi wo, ika ni obosi te, kaku tate taru mi-kokoro nara m."
 to, modoki tubuyaku.
 ZIzyuu mo, kano Daini no wohi-datu hito, katarahi-tuki te, todomu beku mo ara zari kere ba, kokoro yori hoka ni ide tati te,
 "Mi tatematuri-oka m ga, ito kokoro-gurusiki wo."
 tote, sosonokasi kikoyure do, naho, kaku kake-hanare te hisasiu nari tamahi nuru hito ni tanomi wo kake tamahu. Mi-kokoro no uti ni, "Saritomo, ari he te mo, obosi-iduru tuide ara zi ya ha. Ahare ni kokoro hukaki tigiri wo si tamahi si ni, waga mi ha uku te, kaku wasura re taru ni koso are, kaze no tute ni te mo, ware kaku imiziki arisama wo kiki-tuke tamaha ba, kanarazu toburahi ide tamahi te m." to, tosi-goro obosi kere ba, ohokata no ohom-ihe-wi mo, ari si yori keni asamasikere do, waga kokoro mote, hakanaki mi-teudo-domo nado mo tori usinahase tamaha zu, kokoro-duyoku onazi sama ni te nen-zi sugosi tamahu nari keri.
 Ne-naki-gati ni, itodo obosi sidumi taru ha, tada yama-bito no akaki konomi hitotu wo kaho ni hanata nu to miye tamahu, ohom-sobame nado ha, oboroke no hito no mi tatematuri yurusu beki ni mo ara zu kasi. Kuhasiku ha kikoye zi. Itohosiu, mono-ihi saga naki yau nari.

 冬になりゆくままに、いとど、かき付かむかたなく、悲しげに眺め過ごしたまふ。かの殿には、故院の御料の御八講、世の中ゆすりてしたまふ。ことに僧などは、なべてのは召さず、才すぐれ行なひにしみ、尊き限りを選らせたまひければ、この禅師の君参りたまへりけり。
帰りざまに立ち寄りたまひて、
「しかしか。権大納言殿の御八講に参りてはべるなり。いとかしこう、生ける浄土の飾りに劣らず、いかめしうおもしろきことどもの限りをなむしたまひつる。仏菩薩の変化の身にこそものしたまふめれ。五つの濁り深き世に、などて生まれたまひけむ」
と言ひて、やがて出でたまひぬ。
言少なに、世の人に似ぬ御あはひにて、かひなき世の物語をだにえ聞こえ合はせたまはず。「さても、かばかりつたなき身のありさまを、あはれにおぼつかなくて過ぐしたまふは、心憂の仏菩薩や」と、つらうおぼゆるを、「げに、限りなめり」と、やうやう思ひなりたまふに、大弐の北の方、にはかに来たり。

 [2-2 法華御八講]
冬になってゆくにつれて、ますます、すがりつくべきてだてもなく、悲しそうに物思いに沈んでお過ごしになる。あの殿におかれては、故院の御追善の御八講を、世間でも大騷ぎとなって盛大に催しなさる。特に僧侶などは、普通の僧はお召しにならず、学問の優れ修行を積んだ、高徳の僧だけをお選びあそばしたので、この禅師の君も参上なさっていた。
帰りがけにお立ち寄りになって、
「これこれでした。権大納言殿の御八講に参上しておったのです。たいそう立派で、この世の極楽浄土の装飾に負けず、荘厳で興趣のぜいをお尽くしになっていた。仏か菩薩の化身でいらっしゃるのだろう。五濁に深く染まっているこの世に、どうしてお生まれになったのだろう」
と言って、そのまますぐにお帰りになってしまった。
言葉少なで、世間の人と違ったご兄妹どうしであって、ちょっとした世間話でさえお交わしなされない。「それにしても、このように不甲斐ない身の上を、悲しく不安なままに放ってお過ごしになるとは、辛い仏菩薩様だわ」と、辛く思われるが、「いかにも、これきりの縁なのだろう」と、だんだんお考えになっているところに、大弐の北の方が、急に来た。

 [2-2 Memorial service, Hokke-hakkou, by Genji]
 Huyu ni nari yuku mama ni, itodo, kaki-tuka m kata naku, kanasige ni nagame sugosi tamahu. Kano tono ni ha, ko-Win no go-reu no mi-ha'kau, yononaka yusuri te si tamahu. Kotoni sou nado ha, nabete no ha mesa zu, zae sugure okonahi ni simi, tahutoki kagiri wo era se tamahi kere ba, kono Zenzi-no-Kimi mawiri tamahe ri keri.
 Kaheri-zama ni tati-yori tamahi te,
 "Sika-sika. Gon-Dainagon-dono no mi-ha'kau ni mawiri te haberu nari. Ito kasikou, ike ru Zyaudo no kazari ni otora zu, ikamesiu omosiroki koto-domo no kagiri wo nam si tamahi turu. Butu Bosatu no henge no mi ni koso monosi tamahu mere! Itu-tu no nigori hukaki yo ni, nadote umare tamahi kem?"
 to ihi te, yagate ide tamahi nu.
 Koto-zukuna ni, yo no hito ni ni nu ohom-ahahi ni te, kahi naki yo no monogatari wo dani e kikoye ahase tamaha zu. "Sate mo, kabakari tutanaki mi no arisama wo, ahare ni obotukanaku te sugusi tamahu ha, kokoro-u no Butu Bosatu ya!" to, turau oboyuru wo, "Geni, kagiri na'meri." to, yau-yau omohi nari tamahu ni, Daini-no-Kitanokata, nihaka ni ki tari.

 例はさしもむつびぬを、誘ひ立てむの心にて、たてまつるべき御装束など調じて、よき車に乗りて、面もち、けしき、ほこりかにもの思ひなげなるさまして、ゆくりもなく走り来て、門開けさするより、人悪ろく寂しきこと、限りもなし。左右の戸もみなよろぼひ倒れにければ、男ども助けてとかく開け騒ぐ。いづれか、この寂しき宿にもかならず分けたる跡あなる三つの径と、たどる。
わづかに南面の格子上げたる間に寄せたれば、いとどはしたなしと思したれど、あさましう煤けたる几帳さし出でて、侍従出で来たり。容貌など、衰へにけり。年ごろいたうつひえたれど、なほものきよげによしあるさまして、かたじけなくとも、取り変へつべく見ゆ。
「出で立ちなむことを思ひながら、心苦しきありさまの見捨てたてまつりがたきを。侍従の迎へになむ参り来たる。心憂く思し隔てて、御みづからこそあからさまにも渡らせたまはね、この人をだに許させたまへとてなむ。などかうあはれげなるさまには」
とて、うちも泣くべきぞかし。されど、行く道に心をやりて、いと心地よげなり。
「故宮おはせしとき、おのれをば面伏せなりと思し捨てたりしかば、疎々しきやうになりそめにしかど、年ごろも、何かは。やむごとなきさまに思しあがり、大将殿などおはしまし通ふ御宿世のほどを、かたじけなく思ひたまへられしかばなむ、むつびきこえさせむも、憚ること多くて、過ぐしはべるを、世の中のかく定めもなかりければ、数ならぬ身は、なかなか心やすくはべるものなりけり。及びなく見たてまつりし御ありさまの、いと悲しく心苦しきを、近きほどはおこたる折も、のどかに頼もしくなむはべりけるを、かく遥かにまかりなむとすれば、うしろめたくあはれになむおぼえたまふ」
など語らへど、心解けても応へたまはず。
「いとうれしきことなれど、世に似ぬさまにて、何かは。かうながらこそ朽ちも失せめとなむ思ひはべる」
とのみのたまへば、
「げに、しかなむ思さるべけれど、生ける身を捨て、かくむくつけき住まひするたぐひははべらずやあらむ。大将殿の造り磨きたまはむにこそは、引きかへ玉の台にもなりかへらめとは、頼もしうははべれど、ただ今は、式部卿宮の御女よりほかに、心分けたまふ方もなかなり。昔より好き好きしき御心にて、なほざりに通ひたまひける所々、皆思し離れにたなり。まして、かうものはかなきさまにて、薮原に過ぐしたまへる人をば、心きよく我を頼みたまへるありさまと尋ねきこえたまふこと、いとかたくなむあるべき」
など言ひ知らするを、げにと思すも、いと悲しくて、つくづくと泣きたまふ。

 [2-3 叔母、末摘花を誘う]
いつもはそんなに親しくしないのに、お誘い申そうとの考えで、お召しになるご装束など準備して、よい車に乗って、顔つき、態度も、得意に物思いのない様子で、予告もなくやって来て、門を開けさせるや、見苦しく寂しい様子、この上もない。左右の戸もみな傾き倒れてしまっていたので、男どもが手助けして、あれこれと大騷ぎして開ける。どれがそれか、この寂しい宿にも必ず踏み分けた跡があるという三つの道はと、探し当てて行く。
かろうじて南面の格子を上げている一間に車を寄せたので、ますますどうしてよいか分からなくお思いになったが、あきれるくらい煤けた几帳を差し出して、侍従が出て来た。容貌など、衰えてしまっていた。長年のうちにひどくやせ細っているが、やはりどことなく品のある感じで、恐れ多いことであるが、姫君と取り替えたいくらいに見える。
「旅立とうと思いながらも、お気の毒な様子がお見捨て申し上げにくくて。侍従の迎えに参上しました。お嫌いになりよそよそしくして、ご自身ではちょっとでもお越しあそばされませんが、せめてこの人だけはお許しいただきたく思いまして。どうしてこのような寂しいさまで」
と言って、つい泣き出してしまうはずのところだ。けれども旅先に思いを馳せて、とても気分よさそうである。
「故宮がご存命でいらした時、わたしを不名誉な者とお思い捨てになっていらしたので、疎遠なようになってしまいましたが、今までにも、どうしてそう思ったでしょうか。高貴なお身の上に気位い高くお持ちになり、大将殿などがお通いになるご運勢のほどを、もったいなくも存ぜずにはいられませんでしたので、親しく交際させていただきますのも、遠慮いたすことが多くて、ご無沙汰いたしておりましたが、世の中がこのように定めないものなので、人数にも入らない身の上は、かえって気安いものでございました。及びもつかなく拝見いたしましたご様子が、実に悲しく気の毒なのを、近くにいますうちは御無沙汰いたしていた折も、そのうちにと呑気に思っておりましたが、このように遥か遠くに下ってしまうことになると、気がかりで悲しく存じられます」
などと話を持ち掛けるが、心を許してお返事もなさらない。
「とても嬉しいことですが、世間離れしたわたしなどには、どうして一緒に行けましょうか。こうしたまま朽ち果てようと存じております」
とだけおっしゃるので、
「なるほど、そのようにお思いになるのもごもっともですが、せっかく生きている身をだいなしにして、このように気味の悪い所に暮らしている例はございませんでしょう。大将殿がお手入れしてくだされば、うって変わって元の美しい御殿にもなり変わろうと、頼もしうございますが、ただ今のところは、式部卿宮の姫君より他には、心をお分けになる方もないということです。昔から浮気なお心で、かりそめにお通いになった人々は、みなすっかりお心が離れておしまいになったということです。ましてや、このようにみすぼらしい様子で、薮原にお過ごしになっていらっしゃる人を、貞淑に自分を頼っていらっしゃる様子だと、お訪ね申されることは、とても難しいことです」
などと説得するが、本当にそのとおりだとお思いになるのも、実に悲しくて、しみじみとお泣きになる。

 [2-3 Her aunt tempts Suetsumu to go to Tsukushi together]
 Rei ha sa si mo mutubi nu wo, sasohi-tate m no kokro ni te, tatematuru beki ohom-sauzoku nado teu-zi te, yoki kuruma ni nori te, omomoti, kesiki, hokorika ni mono-omohi nage naru sama si te, yukuri mo naku hasiri ki te, kado ake sasuru yori, hito-waroku sabisiki koto, kagiri mo nasi. Hidari migi no to mo mina yorobohi tahure ni kere ba, wonoko-domo tasuke te tokaku ake-sawagu. Idure ka, kono sabisiki yado ni mo kanarazu wake taru ato a'naru mi-tu no miti to, tadoru.
 Waduka ni minami-omote no kausi age taru ma ni yose tare ba, itodo hasitanasi to obosi tare do, asamasiu susuke taru kityau sasi-ide te, Zizyuu ide-ki tari. Katati nado, otorohe ni keri. Tosi-goro itau tuhihe tare do, naho mono-kiyoge ni yosi aru sama si te, katazikenaku to mo, torikahe tu beku miyu.
 "Ide-tati na m koto wo omohi nagara, kokoro-gurusiki arisama no mi-sute tatematuri gataki wo! Zizyuu no mukahe ni nam mawiri ki taru. Kokoro-uku obosi hedate te, ohom-midukara koso akarasama ni mo watara se tamaha ne, kono hito wo dani yurusa se tamahe to te nam. Nado kau aharege naru sama ni ha."
 tote, uti mo naku beki zo kasi. Saredo, yuku-miti ni kokoro wo yari te, ito kokoti yoge nari.
 "Ko-Miya ohase si toki, onore wo ba omote-buse nari to obosi-sute tari sika ba, uto-utosiki yau ni nari-some ni sika do, tosi-goro mo, nani ka ha. Yamgotonaki sama ni obosi-agari, Daisyau-dono nado ohasimasi kayohu ohom-sukuse no hodo wo, katazikenaku omohi tamahe rare sika ba nam, mutubi kikoye sase m mo, habakaru koto ohoku te, sugusi haberu wo, yononaka no kaku sadame mo nakari kere ba, kazu nara nu mi ha, naka-naka kokoro-yasuku haberu mono nari keri. Oyobi naku mi tatematuri si ohom-arisama no, ito kanasiku kokoro-gurusiki wo, tikaki hodo ha okotaru wori mo, nodoka ni tanomosiku nam haberi keru wo, kaku haruka ni makari nam to sure ba, usirometaku ahare ni nam oboye tamahu."
 nado katarahe do, kokoro toke te mo irahe tamaha zu.
 "Ito uresiki koto nare do, yo ni ni nu sama ni te, nani ka ha. Kau nagara koso kuti mo use me to nam omohi haberu."
 to nomi notamahe ba,
 "Geni, sika nam obosa ru bekere do, ike ru mi wo sute, kaku mukutuke ki sumahi suru taguhi habera zu ya ara m. Daisyau-dono no tukuri migaki tamaha m ni koso ha, hiki-kahe tama-no-utena ni mo nari-kahera me to ha, tanomosiu ha habere do, tada ima ha, Sikibukyau-no-Miya no ohom-Musume yori hoka ni, kokoro-wake tamahu kata mo naka'nari. Mukasi yori suki-zukisiki mi-kokoro ni te, nahozari ni kayohi tamahi keru tokoro-dokoro, mina obosi hanare ni ta'nari. Masite, kau mono-hakanaki sama ni te, yabu-hara ni sugusi tamahe ru hito wo ba, kokoro kiyoku wara wo tanomi tamahe ru arisama to tadune kikoye tamahu koto, ito kataku nam aru beki."
 nado ihi-sira suru wo, geni to obosu mo, ito kanasiku te, tuku-duku to naki tamahu.

 されど、動くべうもあらねば、よろづに言ひわづらひ暮らして、
「さらば、侍従をだに」
と、日の暮るるままに急げば、心あわたたしくて、泣く泣く、
「さらば、まづ今日は。かう責めたまふ送りばかりにまうではべらむ。かの聞こえたまふもことわりなり。また、思しわづらふもさることにはべれば、中に見たまふるも心苦しくなむ」
と、忍びて聞こゆ。
この人さへうち捨ててむとするを、恨めしうもあはれにも思せど、言ひ止むべき方もなくて、いとど音をのみたけきことにてものしたまふ。
形見に添へたまふべき身馴れ衣も、しほなれたれば、年経ぬるしるし見せたまふべきものなくて、わが御髪の落ちたりけるを取り集めて、鬘にしたまへるが、九尺余ばかりにて、いときよらなるを、をかしげなる箱に入れて、昔の薫衣香のいとかうばしき、一壷具して賜ふ。
「絶ゆまじき筋を頼みし玉かづら
思ひのほかにかけ離れぬる
故ままの、のたまひ置きしこともありしかば、かひなき身なりとも、見果ててむとこそ思ひつれ。うち捨てらるるもことわりなれど、誰に見ゆづりてかと、恨めしうなむ」
とて、いみじう泣いたまふ。この人も、ものも聞こえやらず。
「ままの遺言は、さらにも聞こえさせず、年ごろの忍びがたき世の憂さを過ぐしはべりつるに、かくおぼえぬ道にいざなはれて、遥かにまかりあくがるること」とて、
「玉かづら絶えてもやまじ行く道の
手向の神もかけて誓はむ
命こそ知りはべらね」
など言ふに、
「いづら。暗うなりぬ」
と、つぶやかれて、心も空にて引き出づれば、かへり見のみ757せられける。
年ごろわびつつも行き離れざりつる人の、かく別れぬることを、いと心細う思すに、世に用ゐらるまじき老人さへ、
「いでや、ことわりぞ。いかでか立ち止まりたまはむ。われらも、えこそ念じ758果つまじけれ」
と、おのが身々につけたるたよりども思ひ出でて、止まるまじう思へるを、人悪ろく聞きおはす。

 [2-4 侍従、叔母に従って離京]
けれども、動きそうにもないので、一日中いろいろと説得したものの困りはてて、
「それでは、侍従だけでも」
と、日が暮れるままに急ぎ立てるので、気がせいて、泣く泣く、
「それでは、ともかく今日のところは。このようにお勧めになるお見送りだけでも参りましょう。あのように申されることもごもっともなことです。また一方、お迷いになることもごもっともなことですので、間に立って拝見するのも辛くて」
と、小声で申し上げる。
この人までが自分を見捨てて行ってしまおうとするのが、恨めしくも悲しくもお思いになるが、引き止めるすべもないので、ますます声を立てて泣くことばかりでいらっしゃる。
形見にお与えになるべき着用の衣も垢じみているので、長年の奉公に報いるべき物がなくて、ご自分のお髪の抜け落ちたのを集めて、鬘になさっていたのが、九尺余りの長さで、たいそうみごとなのを、風流な箱に入れて、昔の薫衣香のたいそう香ばしいのを、一壷添えてお与えになる。
「あなたを絶えるはずのない間柄だと信頼していましたが
思いのほかに遠くへ行ってしまうのですね
亡くなった乳母が、遺言なさったこともありましたから、不甲斐ない我が身であっても、最後までお世話してくれるものと思っていましたのに。見捨てられるのももっともなことですが、この後誰に世話を頼むのかと、恨めしくて」
と言って、ひどくお泣きになる。この人も、何も申し上げることができない。
「乳母の遺言は、もとより申し上げるまでもなく、長年の堪えがたい生活を堪えて参りましたのに、このように思いがけない旅路に誘われて、遥か遠くに彷徨い行くことになるとは」と言って、
「お別れしましてもお見捨て申しません
行く道々の道祖神にかたくお誓いしましょう
寿命だけは分りませんが」
などと言うと、
「どこにいますか。暗くなってしまいます」
と、ぶつぶつ言われて、心も上の空のまま引き出したので、振り返りばかりせずにはいられないのであった。
長年辛い思いをしながらも、お側を離れなかった人が、このように離れて行ってしまったことを、たいそう心細くお思いになると、世間では役に立ちそうにもない老女房までが、
「いやはや、無理もないことです。どうしてお残りになることがありましょうか。わたしたちも、とても我慢できそうにありませんわ」
と、それぞれに関係ある縁故を思い出して、残っていられないと思っているのを、体裁の悪いことだと聞いていらっしゃる。

 [2-4 Jiju goes to Tsukusi with Suetsumu's aunt]
 Saredo, ugoku beu mo ara ne ba, yorodu ni ihi-wadurahi kurasi te,
 "Sara ba, Zizyuu wo dani."
 to, hi no kururu mama ni isoge ba, kokoro awatatasiku te, naku-naku,
 "Sara ba, madu kehu ha. Kau seme tamahu okuri bakari ni maude habera m. Kano kikoye tamahu mo kotowari nari. Mata, obosi wadurahu mo saru koto ni habere ba, naka ni mi tamahuru mo kokoro-gurusiku nam."
 to, sinobi te kikoyu.
 Kono hito sahe uti-sute te m to suru wo, uramesiu mo ahare ni mo obose do, ihi-todomu beki kata mo naku te, itodo ne wo nomi takeki koto ni te monosi tamahu.
 Katami ni sohe tamahu beki mi-nare-goromo mo, siho-nare tare ba, tosi he nuru sirusi mise tamahu beki mono naku te, waga mi-gusi no oti tari keru wo tori-atume te, kadura ni si tamahe ru ga, kiu-syaku yo bakari ni te, ito kiyora naru wo, wokasige naru hako ni ire te, mukasi no kunoe-kau no ito kaubasiki, hito-tubo gu-si te tamahu.
 "Tayu maziki sudi wo tanomi si tama-kadura
 omohi no hoka ni kake-hanare nuru

 Ko-Mama no, notamahi-oki si koto mo ari sika ba, kahi naki mi nari to mo, mi-hate te m to koso omohi ture. Uti-sute raruru mo kotowari nare do, tare ni mi-yuduri te ka to, uramesiu nam."
 tote, imiziu nai tamahu. Kono hito mo, mono mo kikoye-yara zu.
 "Mama no yuigon ha, sarani mo kikoye sase zu, tosi-goro no sinobi gataki yo no usa wo sugusi haberi turu ni, kaku oboye nu miti ni izanaha re te, haruka ni makari akugaruru koto." tote,
 "Tama-kadura taye te mo yama zi yuku miti no
 Tamuke-no-Kami mo kake te tikaha m

 Inoti koso siri habera ne."
 nado ihu ni,
 "Idura? Kurau nari nu."
 to, tubuyaka re te, kokoro mo sora ni te hiki-idure ba, kaheri-mi nomi se rare keru.
 Tosi-goro wabi tutu mo yuki-hanare zari turu hito no, kaku wakare nuru koto wo, ito kokoro-bosou obosu ni, yo ni motiwi raru maziki oyi-bito sahe,
 "Ide ya, kotowari zo. Ikade ka tati-tomari tamaha m. Ware-ra mo, e koso nen-zi-hatu mazikere."
 to, onoga mi-mi ni tuke taru tayori-domo omohi-ide te, tomaru maziu omohe ru wo, hito-waroku kiki ohasu.

 霜月ばかりになれば、雪、霰がちにて、ほかには消ゆる間もあるを、朝日、夕日をふせぐ蓬葎の蔭に深う積もりて、越の白山思ひやらるる759雪のうちに、出で入る下人だになくて、つれづれと眺めたまふ。はかなきことを聞こえ慰め、泣きみ笑ひみ紛らはしつる人さへなくて、夜も塵がましき御帳のうちも、かたはらさびしく、もの悲しく思さる。
かの殿には、めづらし人760に、いとどもの騒がしき御ありさまにて、いとやむごとなく思されぬ所々には、わざともえ訪れたまはず。まして、「その人はまだ世にやおはすらむ」とばかり思し出づる折もあれど、尋ねたまふべき御心ざし761も急がであり経るに、年変はりぬ。

 [2-5 常陸宮邸の寂寥]
霜月ころになると、雪、霰の降る日が多くなって、他では消える間もあるが、朝日、夕日をさえぎる雑草や葎の蔭に深く積もって、越の白山が思いやられる雪の中で、出入りする下人さえもいなくて、所在なく物思いに沈んでいらっしゃる。とりとめもないお話を申し上げてお慰めし、泣いたり笑ったりしながらお気を紛らし申したりした人さえいなくなって、夜も塵の積った御帳台の中も、寄り添う人もなく、何となく悲しく思わずにはいらっしゃれない。
あちらの殿では、久々に再会した方に、ますます夢中なご様子で、たいして重要にお思いでない方々には、特別ご訪問もおできになれない。まして、「あの人はまだ生きていらっしゃるだろうか」という程度にお思い出しになる時もあるが、お訪ねになろうというお気持ちも急に起こらずにいるうちに、年も変わった。

 [2-5 Suetsumu's terrible lonely days]
 Simo-tuki bakari ni nare ba, yuki, arare-gati ni te, hoka ni ha kiyuru ma mo aru wo, asa-hi, yuhu-hi wo husegu yomogi mugura no kage ni hukau tumori te, Kosi no Sira-yama omohi-yara ruru yuki no uti ni, ide-iru simo-bito dani naku te, ture-dure to nagame tamahu. Hakanaki koto wo kikoye nagusame, naki-mi warahi-mi magirahasi turu hito sahe naku te, yoru mo tiri-gamasiki mi-tyau no uti mo, katahara sabisiku, mono-ganasiku obosa ru.
 Kano Tono ni ha, medurasi-bito ni, itodo mono-sawagasiki ohom-arisama ni te, ito yamgotonaku obosa re nu tokoro-dokoro ni ha, wazato mo e otodure tamaha zu. Masite, "Sono hito ha mada yo ni ya ohasu ram?" to bakari obosi-iduru wori mo are do, tadune tamahu beki mi-kokorozasi mo isoga de ari huru ni, tosi kahari nu.

 卯月ばかりに、花散里を思ひ出できこえたまひて、忍びて対の上に御暇聞こえて出でたまふ。日ごろ降りつる名残の雨、いますこしそそきて、をかしきほどに、月さし出でたり。昔の御ありき思し出でられて、艶なるほどの夕月夜に、道のほど、よろづのこと思し出でておはするに、形もなく荒れたる家の、木立しげく森のやうなるを過ぎたまふ。
大きなる松に藤の咲きかかり762て、月影になよびたる、風につきてさと匂ふ763がなつかしく、そこはかとなき香りなり。橘に変はりてをかしければ、さし出でたまへるに、柳もいたうしだりて、築地も障はらねば、乱れ伏したり。
「見し心地する木立かな」と思すは、早う、この宮なりけり。いとあはれにて、おし止めさせたまふ。例の、惟光はかかる御忍びありきに後れねば、さぶらひけり。召し寄せて、
「ここは、常陸の宮ぞかしな」
「しかはべる」
と聞こゆ。
「ここにありし人は、まだや眺むらむ。訪らふべきを、わざとものせむも所狭し。かかるついでに、入りて消息せよ。よく尋ね入りてを、うち出でよ。人違へしては、をこならむ」
とのたまふ。
ここには、いとど眺めまさるころにて、つくづくとおはしけるに、昼寝の夢に故宮の見えたまひければ、覚めて、いと名残悲しく思して、漏り濡れたる廂の端つ方おし拭はせて、ここかしこの御座引きつくろはせなどしつつ、例ならず世づきたまひて、
「亡き人を恋ふる袂のひまなきに
荒れたる軒のしづくさへ添ふ」
も、心苦しきほどになむありける。

 3 末摘花の物語 久しぶりの再会の物語 [3-1 花散里訪問途上]
卯月ころに、花散里をお思い出し申されて、こっそりと対の上にお暇乞い申し上げてお出かけになる。数日来降り続いていた雨の名残、まだ少しぱらついて、風情ある折に、月が差し出ていた。昔のお忍び歩きが自然と思い出されて、優艷な感じの夕月夜に、途上、あれこれの事柄が思い出されていらっしゃるうちに、見るかたもなく荒れた邸で、木立が鬱蒼とした森のような所をお通り過ぎになる。
大きな松の木に藤が咲きかかって、月の光に揺れているのが、風に乗ってさっと匂うのが慕わしく、どれがそれからともない香りである。橘のとは違って風趣があるので、のり出して御覧になると、柳もたいそう長く垂れて、築地も邪魔しないから、乱れ臥していた。
「かつて見た感じのする木立だなあ」とお思いになると、それもそのはず、この宮邸なのであった。ひどく胸を打たれて、お車を止めさせなさる。例によって、惟光はこのようなお忍び歩きに外れることはないので、お供していたのであった。お召しになって、
「ここは常陸宮であったな」
「さようでございます」
と申し上げる。
「ここにいた人は、今も物思いに沈んでいるのだろうか。お見舞いすべきであるが、わざわざ訪ねるのも大げさでなる。このような機会に、入って便りをしてみよ。よく調べてから、言い出しなさい。人違いをしては馬鹿らしいから」
とおっしゃる。
こちらでは、ひとしお物思いのまさるころで、つくづくと物思いに沈んでいらっしゃると、昼寝の夢に故宮がお見えになったので、目が覚めて、実に名残が悲しくお思いになって、雨漏りがして濡れている廂の端の方を拭かせて、あちらこちらの御座所を取り繕わせてなどしながら、いつになく人並みになられて、
「亡き父上を恋い慕って泣く涙で袂の乾く間もないのに
荒れた軒の雨水までが降りかかる」
というのも、お気の毒なことであった。

 3 Tale of Suetsumu Meeting again after long interval [3-1 On a visit to Hanachirusato]
 Uduki bakari ni, Hanatirusato wo omohi-ide kikoye tamahi te, sinobi te Tai-no-Uhe ni ohom-itoma kikoye te ide tamahu. Hi-goro huri turu nagori no ame, ima sukosi sosoki te, wokasiki hodo ni, tuki sasi-ide tari. Mukasi no ohom-ariki obosi-ide rare te, en naru hodo no yuhu-dukuyo ni, miti no hodo, yorodu no koto obosi-ide te ohasuru ni, kata mo naku are taru ihe no, kodati sigeku mori no yau naru wo sugi tamahu.
 Ohoki naru matu ni hudi no saki-kakari te, tuki-kage ni nayobi taru, kaze ni tuki te sato nihohu ga natukasiku, sokohakatonaki kawori nari. Tatibana ni kahari te wokasikere ba, sasi-ide tamahe ru ni, yanagi mo itau sidari te, tuidi mo sahara ne ba, midare-husi tari.
 "Mi si kokoti suru kodati kana!" to obosu ha, hayau, kono Miya nari keri. Ito ahare ni te, osi-todome sase tamahu. Rei no, Koremitu ha kakaru ohom-sinobi-ariki ni okure ne ba, saburahi keri. Mesi-yose te,
 "Koko ha, Hitati-no-Miya zo kasi na?"
 "Sika haberu."
 to kikoyu.
 "Koko ni ari si hito ha, mada ya nagamu ram. Toburahu beki wo, wazato monose m mo tokoro-sesi. Kakaru tuide ni, iri te seusoko se yo. Yoku tadune iri te wo, uti-ide yo. Hito-tagahe si te ha, woko nara m."
 to notamahu.
 Koko ni ha, itodo nagame masaru koro ni te, tuku-duku to ohasi keru ni, hirune no yume ni ko-Miya no miye tamahi kere ba, same te, ito nagori kanasiku obosi te, mori-nure taru hisasi no hasi tu kata osi-nogoha se te, koko kasiko no o-masi hiki-tukuroha se nado si tutu, rei nara zu yo-duki tamahi te,
 "Naki hito wo kohuru tamoto no hima naki ni
 are taru noki no siduku sahe sohu
"
 mo, kokoro-gurusiki hodo ni nam ari keru.

 惟光入りて、めぐるめぐる人の音する方やと見るに、いささかの人気もせず。「さればこそ、往き来の道に見入るれど、人住みげもなきものを」と思ひて、帰り参るほどに、月明くさし出でたるに、見れば、格子二間ばかり上げて、簾動くけしきなり。わづかに見つけたる心地、恐ろしくさへおぼゆれど、寄りて、声づくれば、いともの古りたる声にて、まづしはぶきを先にたてて、
「かれは誰れそ。何人ぞ」
と問ふ。名のりして、
「侍従の君と聞こえし人に、対面賜はらむ」
と言ふ。
「それは、ほかになむものしたまふ。されど、思しわくまじき女なむはべる」
と言ふ声、いたうねび過ぎたれど、聞きし老人と聞き知りたり。
内には、思ひも寄らず、狩衣姿なる男、忍びやかにもてなし、なごやかなれば、見ならはずなりにける目にて、「もし、狐などの変化にや」とおぼゆれど、近う寄りて、
「たしかになむ、うけたまはらまほしき764。変はらぬ御ありさまならば、尋ねきこえさせたまふべき御心ざしも、絶えずなむおはしますめるかし。今宵も行き過ぎがてに、止まらせたまへるを、いかが聞こえさせむ。うしろやすくを」
と言へば、女どもうち笑ひて、
「変はらせたまふ御ありさまならば、かかる浅茅が原を移ろひたまはでははべりなむや。ただ推し量りて聞こえさせたまへかし。年経たる人の心にも、たぐひあらじとのみ、めづらかなる世をこそは見たてまつり過ごしはべれ765」
と、ややくづし出でて、問はず語りもしつべきが、むつかしけれ766ば、
「よしよし。まづ、かくなむ、聞こえさせむ」
とて参りぬ。

 [3-2 惟光、邸内を探る]
惟光が邸の中に入って、あちこちと人の音のする方はどこかと探すが、すこしも人影が見えない。「やはりそうだ、今までに行き帰りに覗いたことがあるが、人は住んでいないのだ」と思って、戻って参る時に、月が明るく照らし出したので、見ると、格子が二間ほど上がっていて、簾の動く気配である。やっと見つけた感じ、恐ろしくさえ思われるが、近寄って、訪問の合図をすると、ひどく老いぼれた声で、まずは咳払いしてから、
「そこにいる人は誰ですか。どのような方ですか」
と聞く。名乗りをして、
「侍従の君と申した方に、面会させていただきたい」
と言う。
「その人は、他へ行っておられます。けれども、同じように考えてくだっさてよい女房はおります」
と言う声は、ひどく年とっているが、聞いたことのある老人だと聞きつけた。
室内では、思いも寄らない、狩衣姿の男性が、ひっそりと振る舞い、物腰も柔らかなので、見馴れなくなってしまった目には、「もしや、狐などの変化のものではないか」と思われるが、近く寄って、
「はっきりと、お話を承りたい。昔と変わらないお暮らしならば、お訪ね申し上げなさるべきお気持ちも、今も変わらずにおありのようです。今宵も素通りしがたくて、お止まりあそばしたのだが、どのようにお返事申し上げましょう。どうぞご安心を」
と言うと、女房たちは笑って、
「お変わりあそばす御身の上ならば、このような浅茅が原をお移りにならずにおりましょうか。ただご推察申されてお伝えください。年老いた女房にとっても、またとあるまいと思われるほどの、珍しい身の上を拝見しながら過ごしてまいったのです」
と、ぽつりぽつりと話し出して、問わず語りもし出しそうなのが、厄介なので、
「よいよい、分かった。まずは、そのように、申し上げましょう」
と言って帰参した。

 [3-2 Koremitsu searchs for in the residence]
 Koremitu iri te, meguru-meguru hito no oto suru kata ya to miru ni, isasaka no hitoke mo se zu. "Sareba koso, yuki-ki no miti ni mi-irure do, hito-sumige mo naki mono wo." to omohi te, kaheri mawiru hodo ni, tuki akaku sasi-ide taru ni, mire ba, kausi huta-ma bakari age te, sudare ugoku kesiki nari. Waduka ni mi-tuke taru kokoti, osorosiku sahe oboyure do, yori te, kowa-dukure ba, ito mono-huri taru kowe ni te, madu sihabuki wo saki ni tate te,
 "Kare ha tare so? Nani-bito zo?"
 to tohu. Nanori si te,
 "Zizyuu-no-Kimi to kikoye si hito ni, taimen tamahara m."
 to ihu.
 "Sore ha, hoka ni nam monosi tamahu. Saredo, obosi-waku maziki womna nam haberu."
 to ihu kowe, itau nebi-sugi tare do, kiki si oyi-bito to kiki-siri tari.
 Uti ni ha, omohi mo yora zu, kariginu-sugata naru wotoko, sinobiyaka ni motenasi, nagoyaka nare ba, mi-naraha zu nari ni keru me ni te, "Mosi, kitune nado no henge ni ya?" to oboyure do, tikau yori te,
 "Tasika ni nam, uketamahara mahosiki. Kahara nu ohom-arisama nara ba, tadune kikoye sase tamahu beki mi-kokorozasi mo, taye zu nam ohasimasu meru kasi. Koyohi mo yuki-sugi gate ni, tomara se tamahe ru wo, ikaga kikoye sase m? Usiroyasuku wo!"
 to ihe ba, womna-domo uti-warahi te,
 "Kahara se tamahu ohom-arisama nara ba, kakaru asadi-ga-hara wo uturohi tamaha de ha haberi na m ya. Tada osihakari te kikoye sase tamahe kasi. Tosi-he taru hito no kokoro ni mo, taguhi ara zi to nomi, meduraka naru yo wo koso ha mi tatematuri sugosi habere."
 to, yaya kudusi-ide te, toha-zu-gatari mo si tu beki ga, mutukasikere ba,
 "Yosi yosi. Madu, kaku nam, kikoye sase m."
 tote mawiri nu.

 「などかいと久しかりつる。いかにぞ。昔のあとも見えぬ蓬のしげさかな」
とのたまへば、
「しかしかなむ、たどり寄りてはべりつる。侍従が叔母の少将といひはべりし老人なむ、変はらぬ声にてはべりつる」
と、ありさま聞こゆ。いみじうあはれに、
「かかるしげき中に、何心地して過ぐしたまふらむ。今まで訪はざりけるよ」
と、わが御心の情けなさも思し知らる。
「いかがすべき。かかる忍びあるきも難かるべきを、かかるついでならでは、え立ち寄らじ。変はらぬありさまならば、げにさこそはあらめと、推し量らるる人ざまになむ」
とはのたまひながら、ふと入りたまはむこと、なほつつましう思さる。ゆゑある御消息もいと聞こえまほしけれど、見たまひしほどの口遅さも、まだ変らずは、御使の立ちわづらはむもいとほしう、思しとどめつ。惟光も、
「さらにえ分けさせたまふまじき、蓬の露けさになむはべる。露すこし払はせてなむ、入らせたまふべき」
と聞こゆれば、
「尋ねても我こそ訪はめ道もなく
深き蓬のもとの心を」
と独りごちて、なほ下りたまへば、御先の露を、馬の鞭して払ひつつ入れたてまつる。
雨そそきも、なほ秋の時雨めきてうちそそけば、
「御傘さぶらふ。げに、木の下露は、雨にまさりて767」
と聞こゆ。御指貫の裾は、いたうそほちぬめり。昔だにあるかなきかなりし中門など、まして形もなくなりて、入りたまふにつけても、いと無徳なるを、立ちまじり見る人なきぞ心やすかりける。

 [3-3 源氏、邸内に入る]
「どうしてひどく長くかかったのだ。どうであったか。昔の面影も見えないほど雑草の茂っていることよ」
とおっしゃると、
「これこれの次第で、ようやく分かりました。侍従の叔母で少将と言いました老女が、昔と変わらない様子でおりました」
と、その様子を申し上げる。ひどく不憫な気持ちになって、
「このような蓬生の茂った中に、どのようなお気持ちでお過ごしになっていられたのだろう。今までお訪ねしなかったとは」
と、ご自分の薄情さを思わずにはいらっしゃれない。
「どうしたらよいものだろう。このような忍び歩きも難しいであろうから、このような機会でなかったら、立ち寄ることもできまい。昔と変わっていない様子ならば、なるほどそのようであろうと、推量されるお人柄である」
とはおっしゃるものの、すぐにお入りになること、やはり躊躇される。趣き深いご消息も差し上げたくお思いになるが、かつてご経験された返歌の遅いのも、まだ変わっていなかったなら、お使いの者が待ちあぐねるのも気の毒で、お止めになった。惟光も、
「とてもお踏み分けになれそうにない、ひどい蓬生の露けさでございます。露を少し払わせて、お入りあそばすよう」
と申し上げるので、
「誰も訪ねませんがわたしこそは訪問しましょう
道もないくらい深く茂った蓬の宿の姫君の変わらないお心を」
と独り言をいって、やはりお車からお下りになると、御前の露を、馬の鞭で払いながらお入れ申し上げる。
雨の雫も、やはり秋の時雨のように降りかかるので、
「お傘がございます。なるほど、木の下露は雨にまさって」
と申し上げる。御指貫の裾は、ひどく濡れてしまったようである。昔でさえあるかないかであった中門など、昔以上に跡形もなくなって、お入りになるにつけても、何の役に立たないのであるが、その場にいて見ている人がないのも気楽であった。

 [3-3 Genji goes in to the residence]
 "Nado ka ito hisasikari turu? Ika ni zo? Mukasi no ato mo miye nu yomogi no sigesa kana!"
 to notamahe ba,
 "Sika sika nam, tadori-yori te haberi turu. Zizyuu ga woba no Seusyau to ihi haberi si oyi-bito nam, kahara nu kowe ni te haberi turu."
 to, arisama kikoyu. Imiziu ahare ni,
 "Kakaru sigeki naka ni, nani-gokokoti si te sugusi tamahu ram. Ima made toha zari keru yo."
 to, waga mi-kokoro no nasake-nasa mo obosi sira ru.
 "Ikaga su beki. Kakaru sinobi-aruki mo katakaru beki wo, kakaru tuide nara de ha, e tati-yora zi. Kahara nu arisama nara ba, geni sa koso ha ara me to, osihakara ruru hito-zama ni nam."
 to ha notamahi nagara, huto iri tamaha m koto naho tutumasiu obosa ru. Yuwe aru ohom-seusoko mo ito kikoye mahosikere do, mi tamahi si hodo no kuti ososa mo, mada kahara zu ha, ohom-tukahi no tati-waduraha m mo itohosiu, obosi todome tu. Koremitu mo,
 "Sarani e wake sase tamahu maziki, yomogi no tuyu-kesa ni nam haberu. Tuyu sukosi haraha se te nam, ira se tamahu beki."
 to kikoyure ba,
 "Tadune te mo ware koso toha me miti mo naku
 hukaki yomogi no moto no kokoro wo
"
 to hitori-goti te, naho ori tamahe ba, ohom-saki no tuyu wo, mma no muti si te harahi tutu ire tatematuru.
 Ama-sosoki mo, naho aki no sigure meki te uti-sosoke ba,
 "Mi-kasa saburahu. Geni, ko-no-sita tuyu ha, ame ni masari te."
 to kikoyu. Ohom-sasinuki no suso ha, itau sohoti nu meri. Mukasi dani aruka nakika nari si Tiu-mon nado, masite kata mo naku nari te, iri tamahu ni tuke te mo, ito mutoku naru wo, tati-maziri miru hito naki zo kokoro-yasukari keru.

 姫君は、さりともと待ち過ぐしたまへる心もしるく、うれしけれど、いと恥づかしき御ありさまにて対面せむも、いとつつましく思したり。大弐の北の方768のたてまつり置きし御衣どもをも、心ゆかず思されしゆかりに、見入れたまはざりけるを、この人々の、香の御唐櫃に入れたりけるが、いとなつかしき香したるをたてまつりければ、いかがはせむに、着替へたまひて、かの煤けたる御几帳引き寄せておはす。
入りたまひて、
「年ごろの隔てにも、心ばかりは変はらずなむ、思ひやりきこえつるを、さしもおどろかいたまはぬ恨めしさに、今までこころみきこえつるを、杉ならぬ木立769のしるさに、え過ぎでなむ、負けきこえにける」
とて、帷子をすこしかきやりたまへれば、例の、いとつつましげに、とみにも応へきこえたまはず。かくばかり分け入りたまへるが浅からぬに、思ひ起こしてぞ、ほのかに聞こえ出でたまひける。
「かかる草隠れに過ぐしたまひける年月のあはれも、おろかならず、また変はらぬ心ならひに、人の御心のうちもたどり知らずながら、分け入りはべりつる露けさなどを、いかが思す。年ごろのおこたり、はた、なべての世に思しゆるすらむ。今よりのちの御心にかなはざらむなむ、言ひしに違ふ罪770も負ふべき」
など、さしも思されぬことも、情け情けしう聞こえなしたまふことども、あむめり771。

 立ちとどまりたまはむも、所のさまよりはじめ、まばゆき御ありさまなれば、つきづきしうのたまひすぐして、出でたまひなむとす。引き植ゑしならねど、松の木高くなりにける772年月のほどもあはれに、夢のやうなる御身のありさまも思し続けらる。
「藤波のうち過ぎがたく見えつるは
松こそ宿のしるしなりけれ
数ふれば、こよなう積もりぬらむかし。都に変はりにけることの多かりけるも、さまざまあはれになむ。今、のどかにぞ鄙の別れに衰へし773世の物語も聞こえ尽くすべき。年経たまへらむ春秋の暮らしがたさなども、誰にかは愁へたまはむと、うらもなくおぼゆるも、かつは、あやしうなむ」
など聞こえたまへば、
「年を経て待つしるしなきわが宿を
花のたよりに過ぎぬばかりか」
と忍びやかにうちみじろきたまへるけはひも、袖の香も、「昔よりはねびまさりたまへるにや」と思さる。

 月入り方になりて、西の妻戸の開きたるより、障はるべき渡殿だつ屋もなく、軒のつまも残りなければ、いとはなやかにさし入りたれば、あたりあたり見ゆるに、昔に変はらぬ御しつらひのさまなど、忍草にやつれたる774上の見るめよりは、みやびかに見ゆるを、昔物語に塔こぼちたる人もありけるを思しあはするに、同じさまにて年古りにけるもあはれなり。ひたぶるにものづつみしたるけはひの、さすがにあてやかなるも、心にくく思されて、さる方にて忘れじと心苦しく思ひしを、年ごろさまざまのもの思ひに、ほれぼれしくて隔てつるほど、つらしと思はれつらむと、いとほしく思す。
かの花散里も、あざやかに今めかしうなどは花やぎ775たまはぬ所にて、御目移しこよなからぬに、咎多う隠れにけり。

 [3-4 末摘花と再会]
姫君は、いくら何でもとお待ち暮らしになっていた期待どおりで、嬉しいけれど、とても恥ずかしいご様子で面会するのも、たいそうきまり悪くお思いであった。大弐の北の方が差し上げておいたお召し物類も、不愉快にお思いであった人からの物ゆえに、見向きもなさらなかったが、この女房たちが、香の唐櫃に入れておいたのが、とても懐かしい香りが付いているのを差し上げたので、どうにも仕方がなく、お着替えになって、あの煤けた御几帳を引き寄せてお座りになる。
お入りになって、
「長年のご無沙汰にも、心だけは変わらずに、お思い申し上げていましたが、何ともおっしゃってこないのが恨めしくて、今まで様子をお伺い申し上げておりましたが、あのしるしの杉ではないが、その木立がはっきりと目につきましたので、通り過ぎることもできず、根くらべにお負け致しました」
とおっしゃって、帷子を少しかきやりなさると、例によって、たいそうきまり悪そうにすぐにも、お返事申し上げなさらない。こうまでして草深い中をお訪ねになったお心の浅くないことに、勇気を奮い起こして、かすかにお返事申し上げるのであった。
「このような草深い中にひっそりとお過ごしになっていらした年月のおいたわしさも、一通りではございませんが、また昔と心変わりしない性癖なので、あなたのお心中も知らないままに、分け入って参りました露けさなどを、どのようにお思いでしょうか。長年のご無沙汰は、それはまた、どなたからもお許しいただけることでしょう。今から後のお心に適わないようなことがあったら、言ったことに違うという罪も負いましょう」
などと、それほどにもお思いにならないことでも、深く愛しているふうに申し上げなさることも、いろいろあるようだ。

 お泊まりになるのも、あたりの様子をはじめとして、目を背けたいご様子なので、体よく言い逃れなさって、お帰りになろうとする。ひき植えた松ではないが、松の木が高くなった長い歳月の程がしみじみと、夢のようであったお身の上の様子も自然とお思い続けられる。
「松にかかった藤の花を見過ごしがたく思ったのは
その松がわたしを待つというあなたの家の目じるしであったのですね
数えてみると、すっかり月日が積もってしまったようだね。都で変わったことが多かったのも、あれこれと胸が痛みます。そのうち、のんびりと田舎に離別して下ったという苦労話もすべて申し上げましょう。長年過ごして来られた折節のお暮らしの辛かったことなども、わたし以外の誰に訴えることがおできになれようかと、衷心より思われますのも、一方では、不思議なくらいに思われます」
などとお申し上げになると、
「長年待っていた甲斐のなかったわたしの宿を
あなたはただ藤の花を御覧になるついでにお立ち寄りになっただけなのですね」
とひっそりと身動きなさった気配も、袖の香りも、「昔よりは成長なされたか」とお思いになる。

 月は入り方になって、西の妻戸の開いている所から、さえぎるはずの渡殿のような建物もなく、軒先も残っていないので、たいそう明るく差し込んでいるため、ここかしこが見えるが、昔と変わらないお道具類の様子などが、忍ぶ草に荒れているというよりも、雅やかに見えるので、昔物語に塔を壊したという人があったのをお考え併せになると、それと同じような状態で歳月を経て来たことも胸を打たれる。ひたすら遠慮している態度が、そうはいっても上品なのも、奥ゆかしく思わずにはいらっしゃれなくて、それを取柄と思って忘れまいと気の毒に思っていたが、ここ数年のさまざまな悩み事に、うっかり疎遠になってしまった間、さぞ薄情者だと思わずにはいられなかっただろうと、不憫にお思いになる。
あの花散里も、人目に立つ当世風になどはなやかになさらない所なので、比較しても大差はないので、欠点も多く隠れるのであった。

 [3-4 Meeting again after long interval]
 Hime-Gimi ha, sari to mo to mati-sugusi tamahe ru kokoro mo siruku, uresikere do, ito hadukasiki ohom-arisama ni te taimen se m mo, ito tutumasiku obosi tari. Daini-no-Kitanokata no tatematuri oki si ohom-zo-domo wo mo, kokoro-yuka zu obosa re si yukari ni, mi-ire tamaha zari keru wo, kono hito-bito no, kau no ohom-karabitu ni ire tari keru ga, ito natukasiki ka si taru wo tatematuri kere ba, ikaga ha se m ni, ki-kahe tamahi te, kano susuke taru mi-kityau hiki-yose te ohasu.
 Iri tamahi te,
 "Tosi-goro no hedate ni mo, kokoro bakari ha kahara zu nam, omohi-yari kikoye turu wo, sa si mo odorokai tamaha nu uramesisa ni, ima made kokoromi kikoye turu wo, sugi nara nu kodati no sirusa ni, e sugi de nam, make kikoye ni keru."
 tote, katabira wo sukosi kaki-yari tamahe re ba, rei no, ito tutumasige ni, tomi ni mo irahe kikoye tamaha zu. Kaku bakari wake-iri tamahe ru ga asakara nu ni, omohi-okosi te zo, honoka ni kikoye ide tamahi keru.
 "Kakaru kusa-gakure ni sugusi tamahi keru tosi-tuki no ahare mo, oroka nara zu, mata kahara nu kokoro narahi ni, hito no mi-kokoro no uti mo tadori sira zu nagara, wake-iri haberi turu tuyukesa nado wo, ikaga obosu? Tosi-goro no okotari, hata, nabete no yo ni obosi yurusu ram. Ima yori noti no mi-kokoro ni kanaha zara m nam, ihi si ni tagahu tumi mo ohu beki."
nado, sa si mo obosa re nu koto mo, nasake-nasakesiu kikoye-nasi tamahu koto-domo, ammeri.

 Tati-todomari tamaha m mo, tokoro no sama yori hazime, mabayuki ohom-arisama nare ba, tuki-dukisiu notamahi sugusi te, ide tamahi na m to su. Hiki-uwe si nara ne do, matu no kodakaku nari ni keru tosi-tuki no hodo mo ahare ni, yume no yau naru ohom-mi no arisama mo obosi tuduke raru.
 "Hudi-nami no uti-sugi gataku miye turu ha
 matu koso yado no sirusi nari kere

 Kazohure ba, koyonau tumori nura m kasi. Miyako ni kahari ni keru koto no ohokari keru mo, sama-zama ahare ni nam. Ima, nodoka ni zo hina no wakare ni otorohe si yo no monogatari mo kikoye tukusu beki. Tosi he tamahe ra m haru aki no kurasi gatasa nado mo, tare ni ka ha urehe tamaha m to, ura mo naku oboyuru mo, katu ha, ayasiu nam."
 nado kikoye tamahe ba,
 "Tosi wo he te matu sirusi naki waga yado wo
 hana no tayori ni sugi nu bakari ka
"
 to sinobiyaka ni uti-miziroki tamahe ru kehahi mo, sode no ka mo, "Mukasi yori ha nebi-masari tamahe ru ni ya?" to obosa ru.

 Tuki iri-gata ni nari te, nisi no tumado no aki taru yori, saharu beki Wata-dono-datu ya mo naku, noki no tuma mo nokori nakere ba, ito hanayaka ni sasi-iri tare ba, atari atari miyuru ni, mukasi ni kahara nu ohom-siturahi no sama nado, sinobu-gusa ni yature taru uhe no miru me yori ha, miyabika ni miyuru wo, mukasi-monogatari ni tahu koboti taru hito mo ari keru wo obosi-ahasuru ni, onazi sama ni te tosi huri ni keru mo ahare nari. Hitaburu ni mono-dutumi si taru kehahi no, sasuga ni ateyaka naru mo, kokoro-nikuku obosare te, saru kata ni te wasure zi to kokoro-gurusiku omohi si wo, tosi-goro sama-zama no mono-omohi ni, hore-boresiku te hedate turu hodo, turasi to omoha re tura m to, itohosiku obosu.
 Kano Hanatirusato mo, azayaka ni imamekasiu nado ha hanayagi tamaha nu tokoro ni te, ohom-me utusi koyonakara nu ni, toga ohou kakure ni keri.

 祭、御禊などのほど、御いそぎどもにことつけて、人のたてまつりたる物いろいろに多かるを、さるべき限り御心加へたまふ。中にもこの宮にはこまやかに思し寄りて、むつましき人々に仰せ言賜ひ、下部どもなど遣はして、蓬払はせ、めぐりの見苦しきに、板垣といふもの、うち堅め繕はせたまふ。かう尋ね出でたまへりと、聞き伝へむにつけても、わが御ため面目なければ、渡りたまふことはなし。御文いとこまやかに書きたまひて、二条院近き所を造らせたまふを、
「そこになむ渡したてまつるべき。よろしき童女など、求めさぶらはせたまへ」
など、人々の上まで思しやりつつ、訪らひきこえたまへば、かくあやしき蓬のもとには、置き所なきまで、女ばらも空を仰ぎてなむ、そなたに向きて喜びきこえける。
なげの御すさびにても、おしなべたる世の常の人をば、目止め耳立てたまはず、世にすこしこれはと思ほえ、心地にとまる節あるあたりを尋ね寄りたまふものと、人の知りたるに、かく引き違へ、何ごともなのめにだにあらぬ御ありさまを、ものめかし出でたまふは、いかなりける御心にかありけむ。これも昔の契りなめりかし。

 4 末摘花の物語 その後の物語 [4-1 末摘花への生活援助]
賀茂祭、御禊などのころ、ご準備などにかこつけて、人々が献上した物がいろいろと多くあったので、しかるべき夫人方にお心づけなさる。中でもこの宮には細々とお心をかけなさって、親しい人々にご命令をお下しになって、下べ連中などを遣わして、雑草を払わせ、周囲が見苦しいので、板垣というもので、しっかりと修繕させなさる。このようにお訪ねになったと、噂するにつけても、ご自分にとって不名誉なので、お渡りになることはない。お手紙をたいそう情愛こまやかにお認めになって、二条院近くの所をご建築なさっているので、
「そこにお移し申し上げましょう。適当な童女など、お探しになって仕えさせなさい」
などと、女房たちのことまでお気を配りになって、お世話申し上げなさるので、このようにみすぼらしい蓬生の宿では、身の置きどころのないまで、女房たちも空を仰いで、そちらの方角を向いてお礼申し上げるのであった。
かりそめのお戯れにしても、ありふれた普通の女性には、目を止めたり聞き耳を立てたりはなさらず、世間で少しでもこの人はと噂されたり、心に止まる点のある女性をお求めなさるものと、皆思っていたが、このように予想を裏切って、どのような点においても人並みでない方を、ひとかどの人物としてお扱いなさるのは、どのようなお心からであったのであろうか。これも前世からのお約束なのであろうよ。

 4 Tale of Suetsumu Suetsumu's happy days after Genji's visit [4-1 Genji aids Suetsumu in her life]
 Maturi, Go-kei nado no hodo, ohom-isogi-domo ni kototuke te, hito no tatematuri taru mono iro-iro ni ohokaru wo, saru beki kagiri mi-kokoro kuhahe tamahu. Naka ni mo kono Miya ni ha komayaka ni obosi-yori te, mutumasiki hito-bito ni ohose-goto tamahi, simobe-domo nado tukahasi te, yomogi haraha se, meguri no migurusiki ni, itagaki to ihu mono, uti-katame tukuroha se tamahu. Kau tadune ide tamahe ri to, kiki-tutahe m ni tuke te mo, waga ohom-tame menboku nakere ba, watari tamahu koto ha nasi. Ohom-humi ito komayaka ni kaki tamahi te, Nideu-no-Win tikaki tokoro wo tukura se tamahu wo,
 "Soko ni nam watasi tatematuru beki. Yorosiki warahabe nado, motome saburaha se tamahe."
 nado, hito-bito no uhe made obosi-yari tutu, toburahi kikoye tamahe ba, kaku ayasiki yomogi no moto ni ha, oki-dokoro naki made, womna-bara mo sora wo ahugi te nam, sonata ni muki te yorokobi kikoye keru.
 Nage no ohom-susabi ni te mo, osinabe taru yo no tune no hito wo ba, me todome mimi tate tamaha zu, yo ni sukosi kore ha to omohoye, kokoti ni tomaru husi aru atari wo tadune-yori tamahu mono to, hito no siri taru ni, kaku hiki-tagahe, nani-goto mo nanome ni dani ara nu ohom-arisama wo, mono-mekasi ide tamahu ha, ika nari keru mi-kokoro ni ka ari kem. Kore mo mukasi no tigiri na'meri kasi.

 今は限りと、あなづり果てて、さまざまに迷ひ散りあかれし上下776の人々、我も我も参らむと争ひ出づる人もあり。心ばへなど、はた、埋もれいたきまでよくおはする御ありさまに、心やすくならひて、ことなることなきなま受領などやうの家にある人は、ならはずはしたなき心地するもありて、うちつけの心みえに参り帰り、君は、いにしへにもまさりたる御勢のほどにて、ものの思ひやりもまして添ひたまひにければ、こまやかに思しおきてたるに、にほひ出でて、宮の内やうやう人目見え、木草の葉もただすごくあはれに見えなされしを、遣水かき払ひ、前栽のもとだちも涼しうしなしなどして、ことなるおぼえなき下家司の、ことに仕へ777まほしきは、かく御心とどめて思さるることなめりと見取り778て、御けしき賜はりつつ、追従し仕うまつる。

 [4-2 常陸宮邸に活気戻る]
 もうこれまでだと、馬鹿にしきって、それぞれさまよい離散して行った上下の女房たち、我も我もとお仕えし直そうと、争って願い出て来る者もいる。気立てなど、それはそれはで、引っ込み思案なまでによくていらっしゃるご様子ゆえに、気楽な宮仕えに慣れて、これといったところのないつまらない受領などのような家にいる女房は、今までに経験したこともないきまりの悪い思いをするのもいて、げんきんな心をあけすけにして帰って参り、源氏の君は、以前にも勝るご権勢となって、何かにつけて物事の思いやりもさらにお加わりになったので、細々と指図して置かれているので、明るく活気づいて、宮邸の中がだんだんと人の姿も多くなり、木や草の葉もただすさまじくいたわしく見えたのを、遣水を掃除し、前栽の根元をさっぱりなどさせて、大して目をかけていただけない下家司で、格別にお仕えしたいと思う者は、このようにご寵愛になるらしいと見てとって、ご機嫌を伺いながら、追従してお仕え申し上げている。

 [4-2 Restoration of happy life]
 Ima ha kagiri to, anaduri-hate te, sama-zama ni mayohi tiri akare si kami simo no hito-bito, ware mo ware mo mawira m to arasohi-iduru hito mo ari. Kokoro-bahe nado, hata, umore itaki made yoku ohasuru ohom-arisama ni, kokoro-yasuku narahi te, kotonaru koto naki nama-zuryau nado yau no ihe ni aru hito ha, naraha zu hasitanaki kokoti suru mo ari te, uti-tuke no kokoro miye ni mawiri kaheri, Kimi ha, inisihe ni mo masari taru ohom-ikihohi no hodo ni te, mono no omohi-yari mo masite sohi tamahi ni kere ba, komayaka ni obosi-oki te taru ni, nihohi-ide te, Miya no uti yau-yau hito-me miye, ki kusa no ha mo tada sugoku ahare ni miye-nasa re si wo, yari-midu kaki-harahi, sensai no moto-dati mo suzusiu si-nasi nado si te, koto naru oboye naki simo-geisi no, koto ni tukahe mahosiki ha, kaku mi-kokoro todome te obosa ruru koto na'meri to mi-tori te, mi-kesiki tamahari tutu, tuiseu si tukau-maturu.

 二年ばかりこの古宮に眺めたまひて、東の院といふ所になむ、後は渡したてまつりたまひける。対面したまふことなどは、いとかたけれど、近きしめのほどにて、おほかたにも渡りたまふに、さしのぞきなどしたまひつつ、いとあなづらはしげにもてなしきこえたまはず。
かの大弐の北の方、上りて驚き思へるさま、侍従が、うれしきものの、今しばし待ちきこえざりける心浅さを、恥づかしう思へるほどなどを、今すこし問はず語りもせまほしけれど、いと頭いたう、うるさく、もの憂ければなむ。今またもついであらむ折に、思ひ出でて聞こゆべき、とぞ。

 [4-3 末摘花のその後]
二年ほどこの古いお邸に寂しくお過ごしになって、東の院という所に、後はお移し申し上げたのであった。お逢いになることなどは、とても難しいことであるが、近い敷地内なので、普通にお渡りになった時、お立ち寄りなどなさっては、そう軽々しくお扱い申し上げなさらない。
あの大弐の北の方が、上京して来て驚いた様子や、侍従が、嬉しく思う一方で、もう少しお待ち申さなかった思慮の浅さを、恥ずかしく思っていたところなどを、もう少し問わず語りもしたいが、ひどく頭が痛く、厄介で、億劫に思われるので。今後また機会のある折に思い出してお話し申し上げよう、ということである。

 [4-3 In after years about Suetsumu]
 Huta-tose bakari kono huru-Miya ni nagame tamahi te, Himgasi-no-Win to ihu tokoro ni nam, noti ha watasi tatematuri tamahi keru. Taimen si tamahu koto nado ha, ito katakere do, tikaki sime no hodo ni te, ohokata ni mo watari tamahu ni, sasi-nozoki nado si tamahi tutu, ito anadurahasige ni motenasi kikoye tamaha zu.
 Kano Daini-no-Kitanokata, nobori te odoroki omohe ru sama, Zizyuu ga, uresiki mono no, ima sibasi mati kikoye zari keru kokoro asasa wo, hadukasiu omohe ru hodo nado wo, ima sukosi toha-zu-gatari mo se mahosikere do, ito kasira itau, urusaku, mono-ukere ba nam. Ima mata mo tuide ara m wori ni, omohi-ide te kikoyu beki,to zo.

 出典

 校訂
備考--(/) ミセケチ--$ 抹消--# 補入--+ 傍書--= ナゾリ--& 独自異文等--* 朱筆--<朱> 不明--?

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Last Modified: Tuesday, August 31, 2004
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