源氏物語

Genji monogatari

紫式部 Murasaki Shikibu

1 玉鬘の物語 冷泉帝の大原野行幸

2 光源氏の物語 大宮に玉鬘の事を語る

3 玉鬘の物語 裳着の物語

出典
校訂

1 玉鬘の物語 冷泉帝の大原野行幸

2 光源氏の物語 大宮に玉鬘の事を語る

3 玉鬘の物語 裳着の物語

1 Tale of Tamakazura Mikado goes to Ohoharano at the west of Kyoto

2 Tale of Hikaru-Genji Genji tells about Tamakazura to her Grandmother

3 Tale of Tamakazura She grows up to be a woman

 かく思しいたらぬことなく、いかでよからむことはと、思し扱ひたまへど、この音無の滝1216こそ、うたていとほしく、南の上の御推し量りごとにかなひて、軽々しかるべき御名なれ。かの大臣、何ごとにつけても、きはぎはしう、すこしもかたはなるさまのことを、思し忍ばずなどものしたまふ御心ざまを、「さて思ひ隈なく、けざやかなる御もてなしなどのあらむにつけては、をこがましうもや」など、思し返さふ。
その師走に、大原野の行幸とて、世に残る人なく見騒ぐを、六条院よりも、御方々引き出でつつ見たまふ。卯の時に出でたまうて、朱雀より五条の大路を、西ざまに折れたまふ。桂川のもとまで、物見車隙なし。
行幸といへど、かならずかうしもあらぬを、今日は親王たち、上達部も、皆心ことに、御馬鞍をととのへ、随身、馬副の容貌丈だち、装束を飾りたまうつつ、めづらかにをかし。左右大臣、内大臣、納言より下はた、まして残らず仕うまつりたまへり。青色の袍、葡萄染の下襲を、殿上人、五位六位まで着たり。
雪ただいささかづつうち散りて、道の空さへ艶なり。親王たち、上達部なども、鷹にかかづらひたまへるは、めづらしき狩の御よそひどもをまうけたまふ。近衛の鷹飼どもは、まして世に目馴れぬ摺衣を乱れ着つつ、けしきことなり。めづらしうをかしきことに競ひ出でつつ、その人ともなく、かすかなる足弱き車など、輪を押しひしがれ、あはれげなるもあり。浮橋のもとなどにも、好ましう立ちさまよふよき車多かり。

 1 玉鬘の物語 冷泉帝の大原野行幸 [1-1 大原野行幸]
このようにお考えの行き届かないことなく、何とかよい案はないかと、ご思案なさるが、あの音無の滝ではないが、嫌で気の毒なことなので、南の上のご想像通り、身分にふさわしくないご醜聞である。あの内大臣が、何ごとにつけても、はっきりさせ、少しでも中途半端なことを、我慢できずにいらっしゃるようなご気性なので、「そうなったら誰はばからず、はっきりとしたお婿扱いなどなされたりしたら、世間の物笑いになるのではないか」などと、お考え直しなさる。
その年の十二月に、大原野の行幸とあって、世の中の人は一人残らず見物に騒ぐのを、六条院からも御夫人方が引き連ねて御覧になる。卯の刻に御出発になって、朱雀大路から五条大路を西の方に折れなさる。桂川の所まで、見物の車がびっしり続いている。
行幸といっても、かならずしもこんなにではないのだが、今日は親王たちや、上達部も、皆特別に気をつかって、御馬や鞍を整え、随身、馬副人の器量や背丈、衣装をお飾りお飾りになっては、見事で美しい。左右の大臣、内大臣、大納言以下、いうまでもなく一人残らず行幸に供奉なさった。麹塵の袍に、葡萄染の下襲を、殿上人から五位六位までの人々が着ていた。
雪がほんの少し降って、道中の空までが優美に見えた。親王たち、上達部なども、鷹狩に携わっていらっしゃる方は、見事な狩のご装束類を用意なさっている。近衛の鷹飼どもは、それ以上に見たことのない摺衣を思い思いに着て、その様子は格別である。素晴らしく美しい見物をと競って出て来ては、大した身分でもなく、お粗末な脚の弱い車など、車輪を押しつぶされて、気の毒なのもある。舟橋の辺りなどにも優美にあちこちする立派な車が多かった。

 1 Tale of Tamakazura Mikado goes to Ohoharano at the west of Kyoto [1-1 Mikado goes to Ohoharano]
 Kaku obosi iatara nu koto naku, ika de yokara m koto ha to, obosi atukahi tamahe do, kono Otonasi-no-taki koso, utate itohosiku, Minami-no-Uhe no ohom-osihakari goto ni kanahi te, karu-garusikaru beki ohom-na nare. Kano Otodo, nani-goto ni tuke te mo, kiha-gihasiu, sukosi mo kataha naru sama no koto wo, obosi-sinoba zu nado monosi tamahu mi-kokoro-zama wo, "Sate omohi-guma naku, kezayaka naru ohom-motenasi nado no ara m ni tuke te ha, wokogamasiu mo ya." nado, obosi-kahesahu.
 Sono Sihasu ni, Ohohara-no no gyaugau tote, yo ni nokoru hito naku mi-sawagu wo, Rokudeu-no-Win yori mo, ohom-kata-gata hiki-ide tutu mi tamahu. U-no-toki ni ide tamau te, Suzaku yori Godeu-no-ohodi wo, nisi-zama ni wore tamahu. Katura-gaha no moto made, mono-mi-guruma hima nasi.
 Gyaugau to ihe do, kanarazu kau si mo ara nu wo, kehu ha Miko-tati, Kamdatime mo, mina kokoro koto ni, ohom-uma kura wo totonohe, zuizin uma-zohi no katati take-dati, sauzoku wo kazari tamau tutu, meduraka ni wokasi. Sa-U-no-Otodo, Uti-no-Otodo, Nahugon yori simo hata, masite nokora zu tukau-maturi tamahe ri. Awo-iro no uhe-no-kinu, ebi-zome no sita-gasane wo, Tenzyau-bito, go-wi roku-wi made ki tari.
 Yuki tada isasaka dutu uti-tiri te, miti no sora sahe en nari. Miko-tati, Kamdatime nado mo, taka ni kakadurahi tamahe ru ha, medurasiki kari no ohom-yosohi-domo wo mauke tamahu. Konowe no taka-gahi-domo ha, masite yo ni me nare nu suri-goromo wo midare ki tutu, kesiki koto nari. Medurasiu wokasiki koto ni kihohi-ide tutu, sono hito to mo naku, kasuka naru asi yowaki kuruma nado, wa wo osi-hisiga re, aharege naru mo ari. Uki-hasi no moto nado ni mo, konomasiu tati samayohu yoki kuruma ohokari.

 西の対の姫君も立ち出でたまへり。そこばく挑み尽くしたまへる人の御容貌ありさまを見たまふに、帝の、赤色の御衣たてまつりて、うるはしう動きなき御かたはらめに、なずらひきこゆべき人なし。
わが父大臣を、人知れず目をつけたてまつりたまへど、きらきらしうものきよげに、盛りにはものしたまへど、限りありかし。いと人にすぐれたるただ人と見えて、御輿のうちよりほかに、目移るべくもあらず。
まして、容貌ありや、をかしやなど、若き御達の消えかへり心うつす中少将、何くれの殿上人やうの人は、何にもあらず消えわたれるは、さらに類ひなうおはしますなりけり。源氏の大臣の御顔ざまは、異ものとも見えたまはぬを、思ひなしの今すこしいつかしう、かたじけなくめでたきなり。
さは、かかる類ひはおはしがたかりけり。あてなる人は、皆ものきよげにけはひ異なべいものとのみ、大臣、中将などの御にほひに目馴れたまへるを、出で消えどものかたはなるにやあらむ、同じ目鼻とも見えず、口惜しうぞ圧されたるや。
兵部卿宮もおはす。右大将の、さばかり重りかによしめくも、今日のよそひいとなまめきて、やなぐひなど負ひて、仕うまつりたまへり。色黒く鬚がちに見えて、いと心づきなし。いかでかは、女の1217つくろひたてたる顔の色あひには似たらむ。いとわりなきことを、若き御心地には、見おとしたまうてけり。
大臣の君の思し寄りてのたまふことを、「いかがはあらむ、宮仕へは、心にもあらで、見苦しきありさまにや」と思ひつつみたまふを、「馴れ馴れしき筋などをばもて離れて、おほかたに仕うまつり御覧ぜられむは、をかしうもありなむかし」とぞ、思ひ寄りたまうける。

 [1-2 玉鬘、行幸を見物]
西の対の姫君もお出かけになった。大勢の我こそはと綺羅を尽くしていらっしゃる方々のご器量や様子を御覧になると、帝が赤色の御衣をお召しになって、凛々しく微動だになさらない御横顔に、ご比肩申し上げる人もいない。
わが父内大臣を、こっそりとお気をつけて拝見なさったが、派手で美しく、男盛りでいらっしゃるが、限界があった。たいそう人よりは優れた臣下と見えて、御輿の中以外の人には、目が移りそうもない。
ましてや、美男だとか、素敵な方よなどと、若い女房たちが死ぬほど慕っている中将、少将、何とかいう殿上人などの人は、何ほどのこともなく眼中にないのは、まったく群を抜いていらっしゃるからなのであった。源氏の太政大臣のお顔の様子は、別人とはお見えにならないが、気のせいかもう少し威厳があって、恐れ多く立派である。
そうしてみると、このような方はいらっしゃりにくいのであった。身分の高い人は、皆美しく感じも格別よいはずのものとばかり、大臣や、中将などのお美しさに見慣れていたので、見劣りした者たちでまともな者はないのであろうか、同じ人の目鼻とも見えず、悔しいほど圧倒されていることだ。
兵部卿宮もいらっしゃる。右大将が、あれほど重々しく気取っているのも、今日の衣装がたいそう優美で、やなぐいなどを背負って供奉なさっていた。色黒く鬚が多い感じに見えて、とても好感がもてない。どうして、女性の化粧した顔の色に男が似たりしようか。とても無理なことを、お若い方の考えとて、軽蔑なさったのであった。
大臣の君がお考えになっておっしゃっることを、「どうしたものか、宮仕えは、不本意なことで見苦しいことではないかしら」と躊躇していらっしゃったが、「帝の寵愛ということを離れて、一般の宮仕えしてお目通りするならば、きっと結構なことであろう」という、お気持ちになった。

 [1-2 Tamakazura goes sightseeing Mikado's parade to Ohoharano]
 Nisi-no-tai no Hime-Gimi mo tati-ide tamahe ri. Sokobaku idomi-tukusi tamahe ru hito no ohom-katati arisama wo mi tamahu ni, Mikado no, aka-iro no mi-zo tatematuri te, uruhasiu ugoki naki ohom-katahara-me ni, nazurahi kikoyu beki hito nasi.
 Waga titi-Otodo wo, hito-sire-zu me wo tuke tatematuri tamahe do, kira-kirasiu mono-kiyoge ni, sakari ni ha monosi tamahe do, kagiri ari kasi. Ito hito ni sugure taru tada-udo to miye te, mi-kosi no uti yori hoka ni, me uturu beku mo ara zu.
 Masite, katati ari ya, wokasi ya nado, wakaki go-tati no kiye-kaheri kokoro utusu Tiu-Seusyau, nani-kure no Tenzyau-bito yau no hito ha, nani ni mo ara zu kiye watare ru ha, sarani taguhi nau ohasimasu nari keri. Genzi-no-Otodo no ohom-kaho-zama ha, koto-mono to mo miye tamaha nu wo, omohi-nasi no ima sukosi itukasiu, katazikenaku medetaki nari.
 Sa ha, kakaru taguhi ha ohasi gatakari keri. Ate naru hito ha, mina mono-kiyoge ni kehahi koto na'bei mono to nomi, Otodo, Tiuzyau nado no ohom-nihohi ni me-nare tamahe ru wo, ide-giye-domo no kataha naru ni ya ara m, onazi me-hana to mo miye zu, kutiwosiu zo osa re taru ya!
 Hyaubukyau-no-Miya mo ohasu. U-Daisyau no, sa-bakari omorika ni yosimeku mo, kehu no yosohi ito namameki te, yanaguhi nado ohi te, tukau-maturi tamahe ri. Iro kuroku hige-gati ni miye te, ito kokoro-duki nasi. Ikade ka ha, womna no tukurohi-tate taru kaho no iro-ahi ni ha ni tara m? Ito warinaki koto wo, wakaki mi-kokoti ni ha, mi-otosi tamau te keri.
 Otodo-no-Kimi no obosi-yori te notamahu koto wo, "Ikaga ha ara m, Miya-dukahe ha, kokoro ni mo ara de, mi-gurusiki arisama ni ya?" to omohi-tutumi tamahu wo, "Nare-naresiki sudi nado wo ba mote-hanare te, ohokata ni tukau-maturi go-ran-ze rare m ha, wokasiu mo ari na m kasi." to zo, omohi-yori tamau keru.

 かうて、野におはしまし着きて、御輿とどめ、上達部の平張にもの参り、御装束ども、直衣、狩のよそひなどに改めたまふほどに、六条院より、御酒、御くだものなどたてまつらせたまへり。今日仕うまつりたまふべく1218、かねて御けしきありけれど、御物忌のよしを奏せさせたまへりけるなりけり。
蔵人の左衛門尉1219を御使にて、雉一枝たてまつらせたまふ。仰せ言には何とかや、さやうの折のことまねぶに、わづらはしくなむ。
「雪深き小塩山にたつ雉の
古き跡をも今日は尋ねよ」
太政大臣の、かかる野の行幸に仕うまつりたまへる例などやありけむ。大臣、御使をかしこまりもてなさせたまふ。
「小塩山深雪積もれる松原に
今日ばかりなる跡やなからむ」
と、そのころほひ聞きしことの、そばそば思ひ出でらるるは、ひがことにやあらむ。

 [1-3 行幸、大原野に到着]
こうして、大原野に御到着あそばして、御輿を止め、上達部の平張の中で食事を召し上がり、御衣装を直衣や、狩衣の装束に改めたりなさる時に、六条院からお酒やお菓子類などが献上された。今日供奉なさる予定だと、前もってご沙汰があったのだが、御物忌の理由を奏上なさったのであった。
蔵人で左衛門尉を御使者として、雉をつけた一枝を献上あそばしなさった。仰せ言にはどのようにあったか、そのような時のことを語るのは、わずらわしいことなので。
「雪の深い小塩山に飛び立つ雉のように
古例に従って今日はいらっしゃればよかったのに」
太政大臣が、このような野の行幸に供奉なさった先例があったのであろうか。大臣は、御使者を恐縮しておもてなしなさる。
「小塩山に深雪が積もった松原に
今日ほどの盛儀は先例がないでしょう」
と、その当時に伝え聞いたことで、ところどころ思い出されるのは、聞き間違いがあるかもしれない。

 [1-3 The parade arrives in Ohoharano]
 Kau te, no ni ohasimasi tuki te, mi-kosi todome, Kamdatime no hirabari ni mono mawiri, ohom-sauzoku-domo, nahosi, kari no yosohi nado ni aratame tamahu hodo ni, Rokudeu-no-Win yori, ohom-mi-ki, ohom-kudamono nado tatematura se tamahe ri. Kehu tukau-maturi tamahu beku, kanete mi-kesiki ari kere do, ohom-monoimi no yosi wo sou-se sase tamahe ri keru nari keri.
 Kura-udo no Sawemon-no-Zeu wo ohom-tukahi ni te, kizi hito-eda tatematura se tamahu. Ohose-goto ni ha nani to ka ya, sayau no wori no koto manebu ni, wadurahasiku nam.
 "Yuki hukaki Wosiho-no-yama ni tatu kizi no
 huruki ato wo mo kehu ha tadune yo
"
 Ohoki-Otodo no, kakaru no no Gyaugau ni tukau-maturi tamahe ru tamesi nado ya ari kem? Otodo, ohom-tukahi wo kasikomari motenasa se tamahu.
 "Wosiho-yama mi-yuki tumore ru matu-bara ni
 kehu bakari naru ato ya nakara m
"
 to, sono-korohohi kiki si koto no, soba-soba omohi-ide raruru ha, higa-koto ni ya ara m?

 またの日、大臣、西の対に、
「昨日、主上は見たてまつりたまひきや。かのことは、思しなびきぬらむや」
と聞こえたまへり。白き色紙に、いとうちとけたる文、こまかにけしきばみてもあらぬが、をかしきを見たまうて、
「あいなのことや」
と笑ひたまふものから、「よくも推し量らせたまふものかな」と思す。御返りに、
「昨日は、
うちきらし1220朝ぐもりせし行幸には
さやかに空の光やは見し
おぼつかなき御ことどもになむ」
とあるを、上も見たまふ。
「ささのことをそそのかししかど1221、中宮かくておはす、ここながらのおぼえには、便なかるべし。かの大臣に知られても、女御かくてまたさぶらひたまへばなど、思ひ乱るめりし筋なり。若人の、さも馴れ仕うまつらむに、憚る思ひなからむは、主上をほの見たてまつりて、えかけ離れて思ふはあらじ」
とのたまへば、
「あな、うたて。めでたしと見たてまつるとも、心もて宮仕ひ思ひ立たむこそ、いとさし過ぎたる心ならめ」
とて、笑ひたまふ。
「いで、そこにしもぞ、めできこえたまはむ」
などのたまうて、また御返り、
「あかねさす光は空に曇らぬを
などて行幸に目をきらしけむ
なほ、思し立て」
など、絶えず勧めたまふ。

 [1-4 源氏、玉鬘に宮仕えを勧める]
翌日、大臣は、西の対に、
「昨日、主上は拝見なさいましたか。あの件は、その気におなりになりましたか」
と申し上げなさった。白い色紙に、たいそう親しげな手紙で、こまごまと色めいたことも含まれてないのが、素晴らしいのを御覧になって、
「いやなことを」
とお笑いなさるものの、「よくも人の心を見抜いていらっしゃるわ」とお思いになる。お返事には、
「昨日は、
雪が散らついて朝の間の行幸では
はっきりと日の光は見えませんでした
はっきりしない御ことばかりで」
とあるのを、紫の上も御覧になる。
「しかじかのことを勧めたのですが、中宮がああしていらっしゃるし、わたしの娘という扱いのままでは不都合であろう。あの内大臣に知られても、弘徽殿の女御がまたあのようにいらっしゃるのだからなどと、思い悩んでいたことです。若い女性で、そのように親しくお仕えするのに、何も遠慮する必要がないのは、主上をちらとでも拝見して、宮仕えを考えない者はないでしょう」
とおっしゃると、
「あら、嫌ですわ。いくら御立派だと拝見しても、自分から進んで宮仕えを考えるなんて、とても出過ぎた考えでしょう」
と言って、お笑いになる。
「さあ、そういうあなたこそ、きっと熱心になることでしょう」
などとおっしゃって、改めてお返事に、
「日の光は曇りなく輝いていましたのに
どうして行幸の日に雪のために目を曇らせたのでしょう
やはり、ご決心なさい」
などと、ひっきりなしにお勧めになる。

 [1-4 Genji advises Tamakazura to work under Mikado]
 Mata-no-hi, Otodo, Nisi-no-tai ni,
 "Kinohu, Uhe ha mi tatematuri tamahi ki ya? Kano koto ha, obosi-nabiki nu ram ya?"
 to kikoye tamahe ri. Siroki siki-si ni, ito uti-toke taru humi, komaka ni kesikibani te mo ara nu ga, wokasiki wo mi tamau te,
 "Aina no koto ya!"
 to warahi tamahu mono-kara, "Yoku mo osihakara se tamahu mono kana!" to obosu. Ohom-kaheri ni,
 "Kinohu ha,
 Uti-kirasi asa-gumori se si Mi-yuki ni ha
 sayaka ni sora no hikari ya ha mi si

 Obotukanaki ohom-koto-domo ni nam."
 to aru wo, Uhe mo mi tamahu.
 "Sasa no koto wo sosonokasi sika do, Tiuguu kaku te ohasu, koko nagara no oboye ni ha, bin nakaru besi. Kano Otodo ni sira re te mo, Nyougo kaku te mata saburahi tamahe ba nado, omohi-midaru meri si sudi nari. Waka-udo no, sa mo nare tukau-matura m ni, habakaru omohi nakara m ha, Uhe wo hono-mi tatematuri te, e kake-hanare te omohu ha ara zi."
 to notamahe ba,
 "Ana, utate! Medetasi to mi tatematuru to mo, kokoro mote miya-dukahi omohi-tata m koso, ito sasi-sugi taru kokoro nara me."
 tote, warahi tamahu.
 "Ide, soko ni si mo zo, mede kikoye tamaha m."
 nado notamau te, mata ohom-kaheri,
 "Akane sasu hikari ha sora ni kumora nu wo
 nadote Mi-yuki ni me wo kirasi kem

 Naho, obosi-tate."
 nado, taye zu susume tamahu.

 「とてもかうても、まづ御裳着のことをこそは」と思して、その御まうけの御調度の、こまかなるきよらども加へさせたまひ、何くれの儀式を、御心にはいとも思ほさぬ1222ことをだに、おのづからよだけくいかめしくなるを、まして、「内の大臣にも1223、やがてこのついでにや知らせたてまつりてまし」と思し寄れば、いとめでたく1224なむ。「年返りて、二月に」と思す。
「女は、聞こえ高く、名隠したまふべきほどならぬも、人の御女とて、籠もりおはするほどは、かならずしも、氏神の御つとめなど、あらはならぬほどなればこそ、年月はまぎれ過ぐしたまへ、この、もし思し寄ることもあらむには、春日の神の御心違ひぬべきも、つひには隠れてやむまじきものから、あぢきなく、わざとがましき後の名まで、うたたあるべし。なほなほしき人の際こそ、今様とては、氏改むることのたはやすきもあれ」など思しめぐらすに、「親子の御契り、絶ゆべきやうなし。同じくは、わが心許してを、知らせたてまつらむ」
など思し定めて、この御腰結には、かの大臣をなむ、御消息聞こえたまうければ、大宮、去年の冬つ方より悩みたまふこと、さらにおこたりたまはねば、かかるに合はせて、便なかるべきよし、聞こえたまへり。
中将の君も、夜昼、三条にぞさぶらひたまひて、心の隙なくものしたまうて、折悪しきを、いかにせましと思す。
「世も、いと定めなし。宮も亡せさせたまはば、御服あるべきを、知らず顔にてものしたまはむ、罪深きこと多からむ。おはする世に、このこと表はしてむ」
と思し取りて、三条の宮に、御訪らひがてら渡りたまふ。

 [1-5 玉鬘、裳着の準備]
「何はともあれ、まずは御裳着の儀式を」とお思いになって、そのご用意の御調度類の、精巧で立派な品々をお加えになり、どういった儀式であれ、ご自分では大して考えていらっしゃらないことでも、自然と大げさに立派になるのを、まして、「内大臣にも、このまま儀式の機会にお知らせ申そうか」とお考え寄りになったので、たいそう立派である。「年が明けて、二月に」とお考えになる。
「女性というものは、評判が高く、名をお隠しできる年頃ではなくとも、誰かの姫君として、深窓にこもっていらっしゃる間は、必ずしも氏神への参詣なども、表立ってしないので、今までは分からないように過ごしていらっしゃったが、この、もし今考えていることが実現したら、春日明神の御心に背いてしまうし、結局は隠しおおせるものではないから、つまらないことに、格別の計略があったことのように後々まで取り沙汰されては、おもしろからぬことだろう。並の人の身分なら、当世ふうとしては、氏を改めることも簡単なものだが」などとご思案なさるが、「親子のご縁は、絶えるようなことはないものだ。同じことなら、こちらから進んで、お知らせ申そう」
などとご決心なさって、この儀式の御腰結役には、その内大臣をと、お手紙を差し上げなさったところ、大宮が、去年の冬頃から病気をなさっていたが、一向によくおなりにならないので、このような場合では、都合がつかない旨を、お返事申された。
中将の君も、昼夜、三条宮邸に伺候なさっていて、心に余裕もなくいらっしゃるので、時機が悪いのを、どうしたものか、とお考えになる。
「世の中も、まことに無常なものだ。大宮がお亡くなりにあそばしたら、御喪に服さなければならないのに、知らない顔をしていらっしゃったら、罪深いことが多かろう。生きていらっしゃるうちに、このことを打ち明けよう」
とお考えになって、三条宮邸に、お見舞いかたがたお出かけになる。

 [1-5 Genji prepares the ceremony for Tamakazura to grow up to be a woman]
 "Tote-mo kau-te-mo, madu ohom-mogi no koto wo koso ha." to obosi te, sono ohom-mauke no ohom-teudo no, komaka naru kiyora-domo kuhahe sase tamahi, nani-kure no gisiki wo, mi-kokoro ni ha ito mo omohosa nu koto wo dani, onodukata yodakeku ikamesiku naru wo, masite, "Uti-no-Otodo ni mo, yagate kono tuide ni ya sirase tatematuri te masi?" to obosi-yore ba, ito medetaku nam. "Tosi-kaheri te, Kisaragi ni." to obosu.
 "Womna ha, kikoye takaku, na kakusi tamahu beki hodo nara nu mo, hito no ohom-musume tote, komori ohasuru hodo ha, kanarazu si mo, Udi-Gami no ohom-tutome nado, araha nara nu hodo nare ba koso, tosi-tuki ha magire sugusi tamahe, kono, mosi obosi-yoru koto mo ara m ni ha, Kasuga-no-Kami no mi-kokoro tagahi nu beki mo, tuhi ni ha kakure te yamu maziki mono-kara, adikinaku, wazatogamasiki noti no na made, utata aru besi. Naho-nahosiki hito no kiha koso, imayau tote ha, udi aratamuru koto no tahayasuki mo are." nado obosi megurasu ni, "Oya-ko no ohom-tigiri, tayu beki yau nasi. Onaziku ha, waga kokoro yurusi te wo, sirase tatematura m."
 nado, obosi-sadame te, kono ohom-kosiyuhi ni ha, kano Otodo wo nam, ohom-seusoko kikoye tamau kere ba, Oho-Miya, kozo no huyu tu kata yori nayami tamahu koto, sarani okotari tamaha ne ba, kakaru ni ahase te, bin nakaru beki yosi, kikoye tamahe ri.
 Tiuzyau-no-Kimi mo, yoru hiru, Samdeu ni zo saburahi tamahi te, kokoro no hima naku monosi tamau te, wori asiki wo, ika ni se masi to obosu.
 "Yo mo, ito sadame nasi. Miya mo use sase tamaha ba, ohom-buku aru beki wo, sira-zu-gaho ni te monosi tamaha m, tumi hukaki koto ohokara m. Ohasuru yo ni, kono koto arahasi te m."
 to obosi-tori te, Samdeu-no-Miya ni, ohom-toburahi gatera watari tamahu.

 今はまして、忍びやかにふるまひたまへど、行幸に劣らずよそほしく、いよいよ光をのみ添へたまふ御容貌などの、この世に見えぬ心地して、めづらしう見たてまつりたまふには、いとど御心地の悩ましさも、取り捨てらるる心地して、起きゐたまへり。御脇息にかかりて、弱げなれど、ものなどいとよく聞こえたまふ。
「けしうはおはしまさざりけるを、なにがしの朝臣の心惑はして、おどろおどろしう嘆ききこえさすめれば、いかやうにものせさせたまふにかとなむ、おぼつかながりきこえさせつる。内裏などにも、ことなるついでなき限りは参らず、朝廷に仕ふる人ともなくて籠もりはべれば、よろづうひうひしう、よだけくなりにてはべり。齢など、これよりまさる人、腰堪へぬまで屈まりありく例、昔も今もはべめれど、あやしくおれおれしき本性に、添ふもの憂さになむはべるべき」
など聞こえたまふ。
「年の積もりの悩みと思うたまへつつ、月ごろになりぬるを、今年となりては、頼み少なきやうにおぼえはべれば、今一度、かく見たてまつりきこえさすることもなくてやと、心細く思ひたまへつるを、今日こそ、またすこし延びぬる心地しはべれ。今は惜しみとむべきほどにもはべらず。さべき人々にも立ち後れ、世の末に残りとまれる類ひを、人の上にて、いと心づきなしと見はべりしかば、出で立ちいそぎをなむ、思ひもよほされはべるに、この中将の、いとあはれにあやしきまで思ひあつかひ、心を騒がいたまふ見はべるになむ、さまざまにかけとめられて、今まで長びきはべる」
と、ただ泣きに泣きて、御声のわななくも、をこがましけれど、さることどもなれば、いとあはれなり。

 2 光源氏の物語 大宮に玉鬘の事を語る [2-1 源氏、三条宮を訪問]
今は以前にもまして、目立たないようになさったが、行幸に負けないほど厳めしく立派で、ますます光輝くばかりのお顔立ちなどが、この世では見られないほどの感じがして、素晴らしいと拝見なさるにつけては、ますますご気分の悪さも、取り除かれたような気持ちがして、起きて座わりになった。御脇息に寄りかかりなさって、弱々しそうであるが、お話などはたいそうよく申し上げなさる。
「お悪くはいらっしゃいませんのに、某の朝臣が気を動転させて、仰々しくお嘆き申しているようでしたので、どのようにいらっしゃるのかと、ご心配申し上げておりました。宮中などにも、特別な場合でない限りは参内せず、朝廷に仕える人らしくもなく籠もっておりますので、何事も不慣れで大儀に思っております。年齢など、わたし以上の人で、腰が辛抱できないほど曲がっても動き回る例は、昔も今もございますようですが、妙に愚かしい性分の上に、物臭になったのでございましょう」
などと申し上げなさる。
「年老いたための病気と存じながら、ここ数か月になってしまいましたが、今年になってからは、望みも少なそうに思われますので、もう一度、このようにお目にかかりお話し申し上げることもないのではなかろうかと、心細く存じておりましたが、今日は、再びもう少し寿命も延びたような気が致します。今はもう惜しむほどの年ではございません。親しい人たちにも先立たれ、年老いて生き残っている例を、他人の身の上として、とても見苦しいと見ておりましたので、後世への出立の準備が、気になっておりますが、この中将が、とても真心こめて不思議なほどよくお世話し、心配してくださるのを見ましては、あれこれと心を引き留められて、今まで生き延びております」
と、ただお泣きになるばかりで、お声が震えているのも、ばかばかしく思うが、無理のないことなので、まことにお気の毒なことである。

 2 Tale of Hikaru-Genji Genji tells about Tamakazura to her Grandmother [2-1 Genji visits to Ohomiya in Samjo-palace]
 Ima ha masite, sinobiyaka ni hurumahi tamahe do, Miyuki ni otora zu yoso-yosohosiku, iyo-iyo hikari wo nomi sohe tamahu ohom-katati nado no, kono yo ni miye nu kokoti si te, medurasiu mi tatematuri tamahu ni ha, itodo mi-kokoti no nayamasisa mo, tori-sute raruru kokoti si te, oki-wi tamahe ri. Ohom-kehusoku ni kakari te, yowage nare do, mono nado ito yoku kikoye tamahu.
 "Kesiu ha ohasimasa zari keru wo, Nanigasi-no-Asom no kokoro madohasi te, odoro-odorosiu nageki kikoye sasu mere ba, ika yau ni monose sase tamahu ni ka to nam, obotukanagari kikoye sase turu. Uti nado ni mo, koto naru tuide naki kagiri ha mawira zu, Ohoyake ni tukahuru hito to mo naku te komori habere ba, yorodu uhi-uhisiu, yodakeku nari ni te haberi. Yohahi nado, kore yori masaru hito, kosi tahe nu made kagamari ariku tamesi, mukasi mo ima mo habe'mere do, ayasiku ore-oresiki honzyau ni, sohu mono-usa ni nam haberu beki."
 nado kikoye tamahu.
 "Tosi no tumori no nayami to omou tamahe tutu, tuki-goro ni nari nuru wo, kotosi to nari te ha, tanomi sukunaki yau ni oboye habere ba, ima hito-tabi, kaku mi tatematuri kikoye sasuru koto mo naku te ya to, kokoro-bosoku omohi tamahe turu wo, kehu koso, mata sukosi nobi nuru kokoti si habere. Ima ha wosimi tomu beki hodo ni mo habera zu. Sa' beki hito-bito ni mo tati-okure, yo no suwe ni nokori tomare ru taguhi wo, hito no uhe ni te, ito kokoro-duki-nasi to mi haberi sika ba, ide-tati isogi wo nam, omohi moyohosa re haberu ni, kono Tiuzyau no, ito ahare ni ayasiki made omohi atukahi, kokoro wo sawagai tamahu mi haberu ni nam, sama-zama ni kake tome rare te, ima made nagabiki haberu."
 to, tada naki ni naki te, ohom-kowe no wananaku mo, wokogamasikere do, sa'ru koto-domo nare ba, ito ahare nari.

 御物語ども、昔今のとり集め聞こえたまふついでに、
「内の大臣は、日隔てず参りたまふことしげからむを、かかるついでに対面のあらば、いかにうれしからむ。いかで聞こえ知らせむと思ふことのはべるを、さるべきついでなくては、対面もありがたければ、おぼつかなくてなむ」
と聞こえたまふ。
「公事のしげきにや、私の心ざしの深からぬにや、さしもとぶらひものしはべらず。のたまはすべからむことは、何さまのことにかは。中将の恨めしげに思はれたることもはべるを、『初めのことは知らねど、今はけに聞きにくくもてなすにつけて、立ちそめにし名の、取り返さるるものにもあらず、をこがましきやうに、かへりては世人も言ひ漏らすなるを』などものしはべれば、立てたるところ、昔よりいと解けがたき人の本性にて、心得ずなむ見たまふる」
と、この中将の御ことと思してのたまへば1225、うち笑ひたまひて、
「いふかひなきに、許し1226捨てたまふこともやと聞きはべりて、ここにさへなむかすめ申すやうありしかど、いと厳しう諌めたまふよしを見はべりし後、何にさまで言をもまぜはべりけむと、人悪う悔い思うたまへてなむ。
よろづのことにつけて、清めといふことはべれば、いかがは、さもとり返しすすいたまはざらむとは思うたまへながら、かう口惜しき濁りの末に、待ちとり深う住むべき水こそ出で来がたかべい世なれ。何ごとにつけても、末になれば、落ちゆくけぢめこそやすくはべめれ。いとほしう聞きたまふる」
など申したまうて、

 [2-2 源氏と大宮との対話]
お話など、昔のこと今のことなどあれこれととりまぜて申し上げなさる折に、
「内大臣は、日を置かず参上なさることは多いでしょうから、このような機会にお目にかかれたら、どんなに嬉しいことでしょう。ぜひともお知らせ申し上げたいと思うことがございますが、しかるべき機会がなくては、お目にかかることも難しいので、気になっています」
と申し上げなさる。
「公務が忙しいのでしょうか、孝心が深くないのでしょうか、それほど見舞いにも参りません。おっしゃりたいことは、どのようなことでしょうか。中将が恨めしく思っていることもございますが、『初めのことは知らないが、今となって二人を引き離そうとしたところで、いったん立った噂は、取り消せるものではなし、ばかげたようで、かえって世間の人も噂するというものを』などと言いましたが、一度言い出しことは、昔から後に引かない性格ですから、分かってくれないように見受けられます」
と、この中将のこととお思いになっておっしゃるので、にっこりなさって、
「今さら言ってもしかたのないことと、お許しになることもあろうかと聞きまして、わたくしまでがそれとなく口添え申したようなことがありましたが、たいそう厳しくお諌めになる旨を拝見しまして後は、どうしてそんなにまで口出しを致したのだろうかと、体裁悪く後悔致しております。
万事につけて、清めということがございますので、何とかして、元通りにきれいさっぱり水に流してくださらないことがあろうかとは存じながら、このように残念ながら濁り淀んでしまった末には、いくら待ち受けても深く澄むような水というものは出て来にくいものなのでしょう。何事につけても、後になるほど、悪くなって行き易いもののようでございます。お気の毒なことと存じます」
などと申し上げて、

 [2-2 Genji talks with Ohomiya]
 Ohom-monogatari-domo, mukasi ima no tori-atume kikoye tamahu tuide ni,
 "Uti-no-Otodo ha, hi hedate zu mawiri tamahu koto sigekara m wo, kakaru tuide ni taimen no ara ba, ika ni uresikara m. Ikade kikoye sirase m to omohu koto no haberu wo, saru beki tuide naku te ha, taimen mo arigatakere ba, obotukanaku te nam."
 to kikoye tamahu.
 "Ohoyake-goto no sigeki ni ya, watakusi no kokorozasi no hukakara nu ni ya, sa si mo toburahi monosi habera zu. Notamahasu bekara m koto ha, nani-sama no koto ni ka ha? Tiuzyau no uramesige ni omoha re taru koto mo haberu wo, "Hazime no koto ha sira ne do, ima ha keni kiki-nikuku motenasu ni tuke te, tati-some ni si na no, torikahesa ruru mono ni mo ara zu, wokogamasiki yau ni, kaheri te ha yo-hito mo ihi morasu naru wo." nado monosi habere ba, tate taru tokoro, mukasi yori ito toke gataki hito no honzyau ni te, kokoro-e zu nam mi tamahuru."
 to, kono Tiuzyau no ohom-koto to obosi te notamahe ba, uti-warahi tamahi te,
 "Ihu-kahi naki ni, yurusi sute tamahu koto mo ya to kiki haberi te, koko ni sahe nam kasume mausu yau ari sika do, ito kibisiu isame tamahu yosi wo mi haberi si noti, nani ni sa made koto wo mo maze haberi kem to, hito-waruu kuyi omou tamahe te nam.
 Yorodu no koto ni tuke te, kiyome to ihu koto habere ba, ika ga ha, sa mo torikahesi susui tamaha zara m to ha omou tamahe nagara, kau kutiwosiki nigori no suwe ni, mati-tori hukau sumu beki midu koso ide-ki gataka'bei yo nare. Nani-goto ni tuke te mo, suwe ni nare ba, oti-yuku kedime koso yasuku habe'mere. Itohosiu kiki tamahuru."
 nado mausi tamau te,

 「さるは、かの知りたまふべき人をなむ、思ひまがふることはべりて、不意に尋ね取りてはべるを、その折は、さるひがわざとも明かしはべらずありしかば、あながちにことの心を尋ね返さふこともはべらで、たださるものの種の少なきを、かことにても、何かはと思うたまへ許して、をさをさ睦びも見はべらずして、年月はべりつるを、いかでか聞こしめしけむ、内裏に仰せらるるやうなむある。
尚侍、宮仕へする人なくては、かの所のまつりごとしどけなく、女官なども公事を1227仕うまつるに、たづきなく、こと乱るるやうになむありけるを、ただ今、主上にさぶらふ故老の典侍二人、またさるべき人々、さまざまに申さするを、はかばかしう選ばせたまはむ尋ねに、類ふべき人なむなき。
なほ、家高う、人のおぼえ軽からで、家のいとなみたてたらぬ人なむ、いにしへよりなり来にける。したたかにかしこきかたの選びにては、その人ならでも、年月の労になりのぼる類ひあれど、しか類ふべきもなしとならば、おほかたのおぼえをだに選らせたまはむとなむ、うちうちに仰せられたりしを、似げなきこととしも、何かは思ひたまはむ。
宮仕へは、さるべき筋にて、上も下も思ひ及び、出で立つこそ心高きことなれ。公様にて、さる所のことをつかさどり、まつりごとのおもぶきをしたため知らむことは、はかばかしからず、あはつけきやうにおぼえたれど、などかまたさしもあらむ。ただ、わが身のありさまからこそ、よろづのことはべめれと、思ひ弱りはべりしついでになむ。
齢のほどなど問ひ聞きはべれば、かの御尋ねあべいことになむありけるを、いかなべいことぞとも、申しあきらめまほしうはべる。ついでなくては対面はべるべきにもはべらず。やがてかかることなむと、あらはし申すべきやうを思ひめぐらして、消息申ししを、御悩みにことづけて、もの憂げにすまひたまへりし。
げに、折しも便なう思ひとまりはべるに、よろしうものせさせたまひければ、なほ、かう思ひおこせるついでにとなむ思うたまふる。さやうに伝へものせさせたまへ」
と聞こえたまふ。宮、
「いかに、いかに、はべりけることにか。かしこには、さまざまにかかる名のりする人を、厭ふことなく拾ひ集めらるめるに、いかなる心にて、かくひき違へかこちきこえらるらむ。この年ごろ、うけたまはりて、なりぬるにや」
と、聞こえたまへば、
「さるやうはべることなり。詳しきさまは、かの大臣もおのづから尋ね聞きたまうてむ。くだくだしき直人の仲らひに似たることにはべれば、明かさむにつけても、らうがはしう人言ひ伝へはべらむを、中将の朝臣にだに、まだわきまへ知らせはべらず。人にも漏らさせたまふまじ」
と、御口かためきこえたまふ。

 [2-3 源氏、大宮に玉鬘を語る]
「実は、あの方がお世話なさるはずの人を、思い違いがございまして、思いがけず捜し出しましたが、その時は、そうした間違いだとも言ってくれなかったものでしたから、しいて事情を詮索することもしませんで、ただそのような子どもが少ないので、口実であっても、何かまうものかと大目に見まして、少しも親身な世話もしませんで、年月が過ぎましたが、どのようにしてお聞きあそばしたのでしょうか、帝から仰せになることがございました。
尚侍として、宮仕えする者がいなくては、あの役所の仕事は取り締まれず、女官なども公務を勤めるのに頼り所がなく、事務が滞るようであったが、現在、帝付きの老齢の典侍二人や、また他に適当な人々が、それぞれに申し出ているが、立派な人をお選びあそばそうとするのに、その適任者がいない。
やはり、家柄も高く、世間の評判も軽くはなく、家の生活の心配のない人が、昔からなってきている。仕事ができて賢い人という点での選考ならば、そういった人でなくとも、長年の功労によって昇任する例もあるが、それに当たる者もいないとなると、せめて世間一般の評判によってでもお選びあそばそうと、内々に仰せられましたが、似つかわしくないことだと、どうしてお思いになるでしょう。
宮仕えというものは、帝の恩顧を期待して、身分の高い者も低い者も出仕するというのが、理想が高いというものです。一般職の役職に就いて、そうした所の役所を取り仕切り、公事に関する事務を処理するようなことは、何でもない、重々しくないように思われていますが、どうしてまたそのようなことがありましょうか。ただ、自分自身の心がけ次第で、万事決まるようでございましょうというふうに、気持ちが傾いてきましたところです。
年齢を尋ねましたところ、あの大臣がお引き取りになるはずの人であることが分かりましたので、どうしたらよいことかと、はっきりとご相談申し上げたいと存じております。何かの機会がなくてはお目にかかることもございません。すぐにこれこれしかじかのことをと、打ち明けて申し上げるべく手立てを考えて、お手紙を差し上げたのですが、ご病気のことを口実にして、億劫がって辞退なさいました。
なるほど、時期も悪いと思い止まっていたのですが、ご病気もよろしくいらっしゃるようですから、やはり、このように考え出しました機会にと存じております。そのようにお伝え下さいませ」
と申し上げなさる。宮、
「それは、それは、一体どうしたことでございましょうか。あちらでは、いろいろとこのような名乗って出て来る人を、かまわずに迎え取っているようですが、どのような考えで、このように間違えて申し出たのでしょう。近年になってから、お噂を伺って、お子になったのでしょうか」
と、お尋ねなさるので、
「それにはそれなりの訳がございますのです。詳しい事情は、あの大臣も自然とお分かりになるでしょう。ごたごたした身分の女との間によくあるような話ですから、事情を明かしても、喧しく人が噂するでしょうから、中将の朝臣にさえ、まだ事情を知らせておりません。人にはお漏らしになりませんように」
と、お口止め申し上げなさる。

 [2-3 Genji talks about Tamakazura to Ohomiya, her granddaughter]
 "Saru ha, kano siri tamahu beki hito wo nam, omohi magahuru koto haberi te, hui ni tadune-tori te haberu wo, sono wori ha, saru higa-waza to mo akasi habera zu ari sika ba, anagati ni koto no kokoro wo tadune kahesa hu koto mo habera de, tada saru mono no kusa no sukunaki wo, kakoto ni te mo, nani ka ha to omou tamahe yurusi te, wosa-wosa mutubi mo mi habera zu si te, tosi-tuki haberi turu wo, ikade ka kikosimesi kem, Uti ni ohose raruru yau nam aru.
 Naisi-no-Kami, Miya-dukahe suru hito naku te ha, kano tokoro no maturigoto sidokenaku, nyokan nado mo ohoyake-goto wo tukau-maturu ni, tadukinaku, koto midaruru yau ni nam ari keru wo, tada-ima, Uhe ni saburahu korau no Suke hutari, mata saru beki hito-bito, sama-zama ni mausa suru wo, haka-bakasiu eraba se tamaha m tadune ni, taguhu beki hito nam naki.
 Naho, ihe takau, hito no oboye karokara de, ihe no itonami tate tara nu hito nam, inisihe yori nari ki ni keru. Sitataka ni kasikoki kata no erabi ni te ha, sono hito nara de mo, tosi-tuki no rau ni nari noboru taguhi are do, sika taguhu beki mo nasi to nara ba, ohokata no oboye wo dani era se tamaha m to nam, uti-uti ni ohose rare tari si wo, nigenaki koto to si mo, nani ka ha omohi tamaha m?
 Miya-dukahe ha, saru beki sudi ni te, kami mo simo mo omohi-oyobi, ide-tatu koso kokoro-takaki koto nare. Ohoyake-zama ni te, saru tokoro no koto wo tukasadori, maturi-goto no omobuki wo sitatame sira m koto ha, haka-bakasikara zu, ahatukeki yau ni oboye tare do, nado ka mata sa si mo ara m? Tada, waga-mi no arisama kara koso, yorodu no koto habe'mere to, omohi yowari haberi si tuide ni nam.
 Yohahi no hodo nado tohi-kiki habere ba, kano ohom-tadune abei koto ni nam ari keru wo, ika na'bei koto zo to mo, mausi akirame mahosiu haberu. Tuide naku te ha taimen haberu beki ni mo habera zu. Yagate kakaru koto nam to, arahasi mausu beki yau wo omohi megurasi te, seusoko mausi si wo, ohom-nayami ni kotoduke te, mono-uge ni sumahi tamahe ri si.
 Geni, wori si mo bin nau omohi tomari haberu ni, yorosiu monose sase tamahi kere ba, naho, kau omohi okose ru tuide ni to nam omou tamahuru. Sayau ni tutahe monose sase tamahe."
 to kikoye tamahu. Miya,
 "Ika ni, ika ni, haberi keru koto ni ka? Kasiko ni ha, sama-zama ni kakaru nanori suru hito wo, itohu koto naku hirohi atume raru meru ni, iaka naru kokoro ni te, kaku hiki-tagahe kakoti kikoye raru ram? Kono tosi-goro, uketamahari te, nari nuru ni ya?"
 to kikoye tamahe ba,
 "Saru yau haberu koto nari. Kuhasiki sama ha, kano Otodo mo onodukara tadune kiki tamau te m. Kuda-kudasiki naho-bito no nakarahi ni ni taru koto ni habere ba, akasa m ni tuke te mo, raugahasiu hito ihi tutahe habara m wo, Tiuzyau-no-Asom ni dani, mada wakimahe sira se habera zu. Hito ni mo mora sase tamahu mazi."
 to, ohom-kuti katame kikoye tamahu.

 内の大殿、かく三条の宮に太政大臣渡りおはしまいたるよし、聞きたまひて、
「いかに寂しげにて、いつかしき1228御さまを待ちうけきこえたまふらむ。御前どももてはやし、御座ひきつくろふ人も、はかばかしうあらじかし。中将は、御供にこそものせられつらめ」
など、おどろきたまうて、御子どもの君達、睦しうさるべきまうち君たち、たてまつれたまふ。
「御くだもの、御酒など、さりぬべく参らせよ。みづからも参るべきを、かへりてもの騒がしきやうならむ」
などのたまふほどに、大宮の御文あり。
「六条の大臣の訪らひに渡りたまへるを、もの寂しげにはべれば、人目のいとほしうも、かたじけなうもあるを、ことことしう、かう聞こえたるやうにはあらで、渡りたまひなむや。対面に聞こえまほしげなることもあなり」
と聞こえたまへり。
「何ごとにかはあらむ。この姫君の御こと、中将の愁へにや」と思しまはすに、「宮もかう御世残りなげにて、このことと切にのたまひ、大臣も憎からぬさまに一言うち出で恨みたまはむに、とかく申しかへさふことえあらじかし。つれなくて思ひ入れぬを見るにはやすからず、さるべきついであらば、人の御言になびき顔にて許してむ」と思す。
「御心をさしあはせてのたまはむこと」と思ひ寄りたまふに、「いとど否びどころなからむが、また、などかさしもあらむ」とやすらはるる、いとけしからぬ御あやにく心なりかし。「されど、宮かくのたまひ、大臣も対面すべく待ちおはするにや、かたがたにかたじけなし。参りてこそは、御けしきに従はめ」
など思ほしなりて、御装束心ことにひきつくろひて、御前などもことことしきさまにはあらで渡りたまふ。

 [2-4 大宮、内大臣を招く]
内大臣、このように三条宮に太政大臣がお越しになっていらっしゃる由、お聞きになって、
「どんなに人少なの状態で、威勢の盛んな御方をお迎え申されているのだろう。御前駆どもを接待し、お座席を、整える女房も、きっと気の利いた者はいないだろう。中将は、お供をなさっていることだろう」
などと、驚きなさって、ご子息の公達や、親しく出入りしているしかるべき廷臣たちを、差し向けなさる。
「御果物や、御酒など、しかるべく差し上げよ。自分自身も参上しなければならないが、かえって大騷ぎになるだろう」
などとおっしゃているところに、大宮のお手紙がある。
「六条の大臣がお見舞いにいらっしゃっているが、人少なな感じが致しますので、人目も体裁も悪く、もったいなくもあるので、仰々しくこのように申し上げたようにではなく、お越しになりませんか。お目にかかって申し上げたいそうなこともあるそうです」
と、お申し上げなさった。
「どのようなことだろうか。この姫君のおんこと、中将の苦情だろうか」とお考えめぐらしになって、「宮もこのように余命少なげで、このことをしきりにおっしゃり、大臣も穏やかに一言口に出して訴えておっしゃるなるば、とやかく反対申すことはしまい。平気な顔をして深く思い悩んでいないのを見るのは面白くないし、適当な機会があったら、相手のお言葉に従った顔をして二人の仲を許そう」とお考えになる。
「お二人が心を合わせておっしゃろうとすることだな」とお思いになると、「ますます反対のしようのないことだが、また、どうしてすぐに承知する必要があろうか」と躊躇されるのは、じつによからぬあいにくなご性分である。「しかし、宮がこのようにおっしゃり、大臣も会おうとお待ちになっているとか、どちらに対しても恐れ多い。参上してからご意向に従おう」
などとお考え直して、ご装束を特に気をつけ整えなさって、御前駆なども仰々しくなくしてお出かけになる。

 [2-4 Ohomiya invites Nai-Daijin, her son]
 Uti-no-Ohoidono, kaku Samdeu-no-Miya ni Ohoki-Otodo, watari ohasi mai taru yosi, kiki tamahi te,
 "Ika ni sabisige ni te, itukasiki ohom-sama wo mati-uke kikoye tamahu ram? Go-zen-domo mote-hayasi, o-masi hiki-tukurohu hito mo, haka-bakasiu ara zi kasi. Tiuzyau ha, ohom-tomo ni koso monose rare tura me."
 nado, odoroki tamau te, mi-ko-domo no kimi-tati, mutumasiu saru beki Mauti-Gimi-tati, tatemature tamahu.
 "Ohom-kudamono, ohom-miki nado, sa'ri nu beku mawira se yo. Midukara mo mawiru beki wo, kaheri te mono-sawagasiki yau nara m."
 nado notamahu hodo ni, Oho-Miya no ohom-humi ari.
 "Rokudeu-no-Otodo no toburahi ni watari tamahe ru wo, mono-sabisige ni habere ba, hito-me no itohosiu mo, katazikenau mo aru wo, koto-kotosiu, kau kikoye taru yau ni ha ara de, watari tamahi na m ya? Taimen ni kikoye mahosige naru koto a'nari."
 to kikoye tamahe ri.
 "Nani-goto ni ka ha ara m? Kono Hime-Gimi no ohom-koto, Tiuzyau no urehe ni ya?" to obosi-mahasu ni, "Miya mo kau mi-yo nokori nage ni te, kono koto to seti ni notamahi, Otodo mo nikukara nu sama ni hito-koto uti-ide urami tamaha m ni, tokaku mausi-kahesahu koto e ara zi kasi. Turenaku te omohi-ire nu wo miru ni ha yasukara zu, sa'ru beki tuide ara ba, hito no ohom-koto ni nabiki-gaho ni te yurusi te m." to obosu.
 "Mi-kokoro wo sasi-ahase te notamaha m koto." to omohi-yori tamahu ni, "Itodo inabi dokoro nakara m ga, mata, nado ka sa si mo ara m?" to yasuraha ruru, ito kesikara nu ohom-ayaniku gokoro nari kasi. "Saredo, Miya kaku notamahi, Otodo mo taimen su beku mati ohasuru ni ya, kata-gata ni katazikenasi. Mawiri te koso ha, mi-kesiki ni sitagaha me."
 nado omohosi nari te, ohom-sauzoku kokoro koto ni hiki-tukurohi te, go-zen nado mo koto-kotosiki sama ni ha ara de watari tamahu.

 君達いとあまた引きつれて入りたまふさま、ものものしう頼もしげなり。丈だちそぞろかにものしたまふに、太さもあひて、いと宿徳に、面もち、歩まひ、大臣といはむに足らひたまへり。
葡萄染の御指貫、桜の下襲、いと長うは尻引きて、ゆるゆるとことさらびたる御もてなし、あなきらきらしと見えたまへるに、六条殿は、桜の唐の綺の御直衣、今様色の御衣ひき重ねて、しどけなき大君姿、いよいよたとへむものなし。光こそまさりたまへ、かうしたたかにひきつくろひたまへる御ありさまに、なずらへても見えたまはざりけり。
君達次々に、いとものきよげなる御仲らひにて、集ひたまへり。藤大納言、春宮大夫など、今は聞こゆる子どもも、皆なり出でつつものしたまふ。おのづから、わざともなきに、おぼえ高くやむごとなき殿上人、蔵人頭、五位の蔵人、近衛の中、少将、弁官など、人柄はなやかにあるべかしき、十余人集ひたまへれば、いかめしう、次々のただ人も多くて、土器あまたたび流れ、皆酔ひになりて、おのおのかう幸ひ人にすぐれたまへる御ありさまを物語にしけり。

 [2-5 内大臣、三条宮邸に参上]
ご子息方をたいそう大勢引き連れてお入りになる様子、堂々として頼もしげである。背丈も高くていらっしゃるうえに、肉づきも釣り合って、たいそう落ち着いて威厳があり、お顔つき、歩き方、大臣というに十分でいらっしゃる。
葡萄染の御指貫、桜の下襲、たいそう長く裾を引いて、ゆったりとことさらに振る舞っていらっしゃるのは、ああ何とご立派なとお見えになるが、六条殿は、桜の唐の綺の御直衣、今様色の御衣を重ねて、くつろいだ皇子らしい姿が、ますます喩えようもない。一段と光輝いていらっしゃるが、このようにきちんと衣装を整えていらっしゃるご様子には、比べものにならないお姿であった。
ご子息たちは次々と、まことに美しいご兄弟で、集まっていらっしゃる。藤大納言、春宮大夫などと、今では申す方のご子息方も、みな大きくなってお供していらっしゃる。自然と、特別ではないが、評判が高く身分の高い殿上人、蔵人頭、五位の蔵人、近衛の中将、少将、弁官など、人柄が派手で立派な、十何人が集まっていらっしゃるので、堂々としていて、それ以下の普通の人も多くいるので、杯が何回も回り、みな酔ってしまって、それぞれがこのように幸福が誰よりも勝れていらっしゃるご境遇を話題にしていた。

 [2-5 Nai-Daijin comes to Samjo-palace accepting her invitation]
 Kimi-tati ito amata hiki-ture te iri tamahu sama, mono-monosiu tanomosige nari. Take-dati sozoroka ni monosi tamahu ni, hutosa mo ahi te, ito siutoku ni, omo-moti, ayumahi, Otodo to iha m ni tarahi tamahe ri.
 Ebi-zome no ohom-sasinuki, sakura no sita-gasane, ito nagau ha siri hiki te, yuru-yuru to kotosarabi taru ohom-motenasi, ana kira-kirasi to miye tamahe ru ni, Rokudeu-dono ha, sakura no kara no ki no ohom-nahosi, imayau-iro no ohom-zo hiki-kasane te, sidokenaki Ohokimi-sugata, iyo-iyo tatohe m mono nasi. Hikari koso masari tamahe, kau sitataka ni hiki-tukurohi tamahe ru ohom-arisama ni, nazurahe te mo miye tamaha zari keri.
 Kimi-tati tugi-tugi ni, ito mono-kiyoge naru ohom-nakarahi ni te, tudohi tamahe ri. Tou-Dainagon, Touguu-no-Daibu nado, ima ha kikoyuru kodomo mo, mina nari-ide tutu monosi tamahu. Onodukara, wazato mo naki ni, oboye takaku yamgotonaki Tenzyau-bito, Kurahito-no-Tou, go-wi no Kura-udo, Konowe-no-Tiu, Seu-syau, Ben-kwan nado, hito-gara hanayaka ni aru bekasiki, zihu-yo-nin tudohi tamahe re ba, ikamesiu, tugi-tugi no tada-hudo mo ohoku te, kaharake amata tabi nagare, mina wehi ni nari te, ono-ono kau saihahi hito ni sugure tamahe ru mi-arisama wo monogatari ni si keri.

 大臣も、めづらしき御対面に、昔のこと思し出でられて、よそよそにてこそ、はかなきことにつけて、挑ましき御心も添ふべかめれ、さし向かひきこえたまひては、かたみにいとあはれなることの数々思し出でつつ、例の、隔てなく、昔今のことども、年ごろの御物語に、日暮れゆく。御土器など勧め参りたまふ。
「さぶらはでは悪しかりぬべかりけるを、召しなきに憚りて。うけたまはり過ぐしてましかば、御勘事や添はまし」
と申したまふに、
「勘当は、こなたざまになむ。勘事と思ふこと多くはべる」
など、けしきばみたまふに、このことにやと思せば、わづらはしうて、かしこまりたるさまにてものしたまふ。
「昔より、公私のことにつけて、心の隔てなく、大小のこと聞こえうけたまはり、羽翼を並ぶるやうにて1229、朝廷の御後見をも仕うまつるとなむ思うたまへしを、末の世となりて、そのかみ思うたまへし本意なきやうなること、うち交りはべれど、うちうちの私事にこそは。
おほかたの心ざしは、さらに移ろふことなくなむ。何ともなくて積もりはべる年齢に添へて、いにしへのことなむ恋しかりけるを、対面賜はることもいとまれにのみはべれば、こと限りありて、世だけき御ふるまひとは思うたまへながら、親しきほどには、その御勢ひをも、引きしじめたまひてこそは、訪らひものしたまはめとなむ、恨めしき折々はべる」
と聞こえたまへば、
「いにしへは、げに面馴れて、あやしくたいだいしきまで馴れさぶらひ、心に隔つることなく御覧ぜられしを、朝廷に仕うまつりし際は、羽翼を1230並べたる数にも思ひはべらで、うれしき御かへりみをこそ、はかばかしからぬ身にて、かかる位に及びはべりて、朝廷に仕うまつりはべることに添へても、思うたまへ知らぬにははべらぬを、齢の積もりには、げにおのづからうちゆるぶことのみなむ、多くはべりける」
などかしこまり申したまふ。
そのついでに、ほのめかし出でたまひてけり。大臣、
「いとあはれに、めづらかなることにもはべるかな」と、まづうち泣きたまひて、「そのかみより、いかになりにけむと尋ね思うたまへしさまは、何のついでにかはべりけむ、愁へに堪へず、漏らし聞こしめさせし心地なむしはべる。今かく、すこし人数にもなりはべるにつけて、はかばかしからぬ者どもの、かたがたにつけてさまよひはべるを、かたくなしく、見苦しと見はべるにつけても、またさるさまにて、数々に連ねては、あはれに思うたまへらるる折に添へても、まづなむ思ひたまへ出でらるる」
とのたまふついでに、かのいにしへの雨夜の物語に、いろいろなりし御睦言の定めを思し出でて、泣きみ笑ひみ、皆うち乱れたまひぬ。

 [2-6 源氏、内大臣と対面]
大臣も、ひさしぶりのご対面に、昔のことを自然と思い出されて、離れていてこそ、ちょっとしたことにつけても、競争心も起きるようだが、向かい合ってお話し申し上げなさると、お互いにたいそうしみじみとしたことの数々が思い出されなさって、いつもの、心の隔てなく、昔や今のことがらや、長年のお話しに、日が暮れて行く。お杯などお勧め申し上げなさる。
「お見舞いに伺わなくてはいけないことでしたが、お呼びがないので遠慮致しておりまして。お越しを承りながら参りませんでしたら、お叱り事が増えたことでしょうが」
とお申し上げになると、
「お叱りは、こちらの方です。お怒りだと思うことがたくさんございます」
などと、意味ありげにおっしゃると、あの姫君のことだろうかとお思いになって、厄介なことだと、恐縮した態度でいらっしゃる。
「昔から、公私の事柄につけて、心に隔てなく、大小のことを申し上げたり承ったりして、羽翼を並べるようにして、朝廷の御補佐も致そうと存じておりましたが、年月がたちまして、その当時考えておりました気持ちと違うようなこと、時々出て来ましたが、内々の私事でしかありません。
それ以外のことでは、まったく変わるところはありません。特に何ということもなく年をとって行くにつれて、昔のことが懐しくなったのに、お目にかかることもほとんどなくなって行くばかりですので、身分柄きまりがあって、威儀あるお振る舞いをしなければとは存じながらも、親しい間柄では、そのご威勢もお控え下さって、お訪ね下さったらよいのにと、恨めしく思うことが度々ございます」
とお申し上げなさると、
「昔は、おっしゃる通りしげしげお会いして、何とも失礼なまでにいつもご一緒申して、心に隔てることなくお付き合いいただきましたが、朝廷にお仕えした当初は、あなたと羽翼を並べる一人とは思いもよりませんで、嬉しいお引き立てをば、大したこともない身の上で、このような地位に昇りまして、朝廷にお仕え致しますことに合わせても、有り難いと存じませぬのではありませんが、年をとりますと、おっしゃる通りつい怠慢になることばかりが、多くございました」
などと、お詫びを申し上げなさる。
その機会に、ちらと姫君のことをおっしゃったのであった。内大臣、
「まことに感慨深く、またとなく珍しいことでございますね」と、何よりも先お泣きになって、「その当時からどうしてしまったのだろうと捜しておりましたことは、何の機会でございましたでしょうか、悲しさに我慢できず、お話しお耳に入れましたような気が致します。今このように、少しは一人前にもなりまして、つまらない子供たちが、それぞれの縁故を頼ってうろうろ致しておりますのを、体裁が悪く、みっともないと思っておりますにつけても、またそれはそれとして、数々いる子供の中では、不憫だと思われる時々につけても、真っ先に思い出されるのです」
とおっしゃるのをきっかけに、あの昔の雨夜の物語の時に、さまざまに語った体験談の結論をお思い出しになって、泣いたり笑ったり、すっかり打ち解けられた。

 [2-6 Genji meets to Nai-Daizin]
 Otodo mo, medurasiki go-taimen ni, mukasi no koto obosi-ide rare te, yoso-yoso ni te koso, hakanaki koto ni tuke te, idomasiki mi-kokoro mo sohu beka'mere, sasi-mukasi kikoye tamahi te ha, katami ni ito ahare naru koto no kazu-kazu obosi-ide tutu, rei no, hedate naku, mukasi ima no koto-domo, tosi-goro no ohom-monogatari ni, hi kure yuku. Ohom-kaharake nado susume mawiri tamahu.
 "Saburaha de ha asikari nu bekari keru wo, mesi naki ni habakari te. Uketamahari sugusi te masika ba, Ohom-kauzi ya soha masi."
 to mausi tamahu ni,
 "Kandau ha, konata zama ni nam. Kauzi to omohu koto ohoku haberu."
 nado, kesiki-bami tamahu ni, kono koto ni ya to obose ba, wadurahasiu te, kasikomari taru sama ni te monosi tamahu.
 "Mukasi yori, ohoyake watakusi no koto ni tuke te, kokoro no hedate naku, dai-seu no koto kikoye uketamahari, hane wo naraburu yau ni te, Ohoyake no ohom-usiromi wo mo tukau-maturu to nam omou tamahe si wo, suwe no yo to nari te, sono-kami omou tamahe si hoi naki yau naru koto, uti-maziri habere do, uti-uti no watakusi-goto ni koso ha.
 Ohokata no kokorozasi ha, sarani uturohu koto naku nam. Nani to mo naku te tumori haberu tosi yohahi ni sohe te, inisihe no koto nam kohisikari keru wo, taimen tamaharu koto mo ito mare ni nomi habere ba, koto kagiri ari te, yo-dakeki ohom-hurumahi to ha omou tamahe nagara, sitasiki hodo ni ha, sono ohom-ikihohi wo mo, hiki-sizime tamahi te koso ha, toburahi monosi tamaha me to nam, uramesiki wori-wori haberu."
 to kikoye tamahe ba,
 "Inisihe ha, geni omo-nare te, ayasiku tai-daisiki made nare saburahi, kokoro ni hedaturu koto naku go-ran-ze rare si wo, Ohoyake ni tukau-maturi si kiha ha, hane wo narabe taru kazu ni mo omohi habera de, uresiki ohom-kaherimi wo koso, haka-bakasikara nu mi ni te, kakaru kurawi ni oyobi haberi te, Ohoyake ni tukau-maturi haberu koto ni sohe te mo, omou tamahe sira nu ni ha habera nu wo, yohahi no tumori ni ha, geni onodukara uti-yuruburu koto nomi nam, ohoku haberi keru."
 nado kasikomari mausi tamahu.
 Sono tuide ni, honomekasi ide tamahi te keri. Otodo,
 "Ito ahare ni, meduraka naru koto ni mo haberu kaan!" to, madu uti-naki tamahi te, "Sono-kami yori, ika ni nari ni kem to tadune omou tamahe si sama ha, nani no tuide ni ka haberi kem, urehe ni tahe zu, morasi kikosimesa se si kokoti nam si haberu. Ima kaku, sukosi hito-kazu ni mo nari haberu ni tuke te, haka-bakasikara nu mono-domo no, kata-gata ni tuke te samayohi haberu wo, katakunasiku, mi-gurusi to mi haberu ni tuke te mo, mata saru sama ni te, kazu-kazu ni turane te ha, ahare ni omou tamahe raruru wori ni sohe te mo, madu nam omohi tamahe ide raruru."
 to notamahu tuide ni, kano inisihe no amayo-no-monogatari ni, iro-iro nari si ohom-mutu-goto no sadame wo obosi-ide te, naki-mi warahi-mi, mina uti-midare tamahi nu.

 夜いたう更けて、おのおのあかれたまふ。
「かく参り来あひては、さらに、久しくなりぬる世の古事、思うたまへ出でられ、恋しきことの忍びがたきに、立ち出でむ心地もしはべらず」
とて、をさをさ心弱くおはしまさぬ六条殿も、酔ひ泣きにや、うちしほれたまふ。宮はたまいて、姫君の御ことを思し出づるに、ありしにまさる御ありさま、勢ひを見たてまつりたまふに、飽かず悲しくて、とどめがたく、しほしほと泣きたまふ尼衣は、げに心ことなりけり。
かかるついでなれど、中将の御ことをば、うち出でたまはずなりぬ。ひとふし用意なしと思しおきてければ、口入れむことも人悪く思しとどめ、かの大臣はた、人の御けしきなきに、さし過ぐしがたくて、さずがにむすぼほれたる心地したまうけり。
「今宵も御供にさぶらふべきを、うちつけに騒がしくもやとてなむ。今日のかしこまりは、ことさらになむ参るべくはべる」
と申したまへば、
「さらば、この御悩みもよろしう見えたまふを、かならず聞こえし日違へさせたまはず、渡りたまふべき」よし、聞こえ契りたまふ。
御けしきどもようて、おのおの出でたまふ響き、いといかめし。君達の御供の人々、
「何ごとありつるならむ。めづらしき御対面に、いと御けしきよげなりつるは」
「また、いかなる御譲りあるべきにか」
など、ひが心を得つつ、かかる筋とは1231思ひ寄らざりけり。

 [2-7 源氏、内大臣、三条宮邸を辞去]
夜がたいそう更けて、それぞれお別れになる。
「このように参上してご一緒しては、まったく、古くなってしまった昔の事が、自然と思い出されて、懐しい気持ちが抑えきれずに、帰る気も致しません」
とおっしゃって、決して気弱くはいらっしゃらない六条殿も、酔い泣きなのか、涙をお流しになる。宮は宮で言うまでもなく、姫君のお身の上をお思い出しになって、昔に優るご立派な様子、ご威勢を拝見なさると、悲しみが尽きないで、涙をとどめることができず、しおしおとお泣きになる尼姿は、なるほど格別な風情であった。
このようなよい機会であるが、中将のおんことは、お口に出さずに終わってしまった。一ふし思いやりがないとお思いであったので、口に出すことも体裁悪くお考えやめになり、あの内大臣はまた内大臣で、お言葉もないのに出過ぎることができずに、そうはいうものの胸の晴れない気持ちがなさるのであった。
「今夜もお供致すべきでございますが、急なことでお騒がせしてもいかがかと存じます。今日のお礼は、日を改めて参上致します」
とお申し上げなさると、
「それでは、こちらのご病気もよろしいようにお見えになるので、きっと申し上げた日をお間違えにならず、お出で下さるように」とのこと、お約束なさる。
お二人方のご機嫌も良くて、それぞれがお帰りになる物音、たいそう盛大である。ご子息たちのお供の人々は、
「何があったのだろうか。久し振りのご対面で、たいそうご機嫌が良くなったのは」
「また、どのようなご譲与があったのだろうか」
などと、勘違いをして、このようなこととは思いもかけなかったのであった。

 [2-7 Genji and Nai-Daijin leave Samjo-palace]
 Yo itau huke te, ono-ono akare tamahu.
 "Kaku mawiri ki-ahi te ha, sara ni, hisasiku nari nuru yo no huru-koto, omou tamahe ide rare, kohisiki koto no sinobi gataki ni, tati-ide m kokoti mo si habera zu."
 tote, wosa-wosa kokoro-yowaku ohasimasa nu Rokudeu-Dono mo, wehi-naki ni ya, uti-sihore tamahu. Miya hata maite, Hime-Gimi no ohom-koto wo obosi-iduru ni, ari si ni masaru mi-arisama, ikihohi wo mi tatematuri tamahu ni, aka-zu kanasiku te, todome gataku, siho-siho to naki tamahu ama-goromo ha, geni kokoro koto nari keri.
 Kakaru tuide nare do, Tiuzyau no ohom-koto wo ba, uti-ide tamaha zu nari nu. Hito-husi youi nasi to obosi oki te kere ba, kuti ire m koto mo hito-waruku obosi-todome, kano Otodo hata, hito no mi-kesiki naki ni, sasi-sugusi gataku te, sasuga ni musubohore taru kokoti si tamau keri.
 "Koyohi mo ohom-tomo ni saburahu beki wo, uti-tuke ni sawagasiku mo ya tote nam. Kehu no kasikomari ha, koto sara ni nam mawiru beku haberu."
 to mausi tamahe ba,
 "Sara ba, kono ohom-nayami mo yorosiu miye tamahu wo, kanarazu kikoye si hi tagahe sase tamaha zu, watari tamahu beki." yosi, kikoye tigiri tamahu.
 Mi-kesiki-domo you te, ono-ono ide tamahu hibiki, ito ikamesi. Kimi-tati no ohom-tomo no hito-bito,
 "Nani-goto ari turu nara m? Medurasiki ohom-taimen ni, ito mi-kesiki yoge nari turu ha!"
 "Mata, ika naru ohom-yuduri aru beki ni ka?"
 nado, higa-kokoro wo e tutu, kakaru sudi to ha omohi-yora zari keri.

 大臣、うちつけにいといぶかしう、心もとなうおぼえたまへど、
「ふと、しか受けとり、親がらむも便なからむ。尋ね得たまへらむ初めを思ふに、定めて心きよう見放ちたまはじ。やむごとなき方々を憚りて、うけばりてその際にはもてなさず、さすがにわづらはしう、ものの聞こえを思ひて、かく明かしたまふなめり」
と思すは、口惜しけれど、
「それを疵とすべきことかは。ことさらにも、かの御あたりに触ればはせむに、などかおぼえの劣らむ。宮仕へざまにおもむきたまへらば、女御などの思さむこともあぢきなし」と思せど、「ともかくも、思ひ寄りのたまはむおきてを違ふべきことかは」
と、よろづに思しけり。
かくのたまふは、二月朔日ころなりけり。十六日、彼岸の初めにて、いと吉き日なりけり。近うまた吉き日なしと勘へ申しけるうちに、宮1232よろしうおはしませば、いそぎ立ちたまうて、例の渡りたまうても、大臣に申しあらはししさまなど、いとこまかにあべきことども教へきこえたまへば、
「あはれなる御心は、親と聞こえながらも、ありがたからむを」
と思すものから、いとなむうれしかりける。
かくて後は、中将の君にも、忍びてかかることの心のたまひ知らせけり。
「あやしのことどもや。むべなりけり」
と、思ひあはすることどもあるに、かのつれなき人の御ありさまよりも、なほもあらず思ひ出でられて、「思ひ寄らざりけることよ」と、しれじれしき心地す。されど、「あるまじう、ねじけ1233たるべきほどなりけり」と、思ひ返すことこそは、ありがたきまめまめしさなめれ。

 3 玉鬘の物語 裳着の物語 [3-1 内大臣、源氏の意向に従う]
内大臣は、さっそくとても見たくなって、早く会いたくお思いになるが、
「さっと、そのように迎え取って、親らしくするのも不都合だろう。捜し出して手にお入れになった当初のことを想像すると、きっと潔白なまま放っておかれることはあるまい。れっきとした夫人方の手前を遠慮して、はっきりと愛人としては扱わず、そうはいっても面倒なことで、世間の評判を思って、このように打ち明けたのだろう」
とお思いになるのは、残念だけれども、
「そのことを瑕としなくてはならないことだろうか。こちらから進んで、あちらのお側に差し上げたとしても、どうして評判の悪いことがあろうか。宮仕えなさるようなことになったら、女御などがどうお思いになることも、おもしろくないことだ」とお考えになるが、「どちらにせよ、ご決定されおっしゃったことに背くことができようか」
と、いろいろとお考えになるのであった。
このようなお話があったのは、二月上旬のことであった。十六日が彼岸の入りで、たいそう吉い日であった。近くにまた吉い日はないと占い申した上に、宮も少しおよろしかったので、急いでご準備なさって、いつものようにお越しになっても、内大臣にお打ち明けになった様子などを、たいそう詳細に、当日の心得などをお教え申し上げなさると、
「行き届いたお心づかいは、実の親と申しても、これほどのことはあるまい」
とお思いになるものの、とても嬉しくお思いになるのであった。
こうして以後は、中将の君にも、こっそりとこのような事実をお知らせなさったのであった。
「妙なことばかりだ。知ってみればもっともなことだ」
と、合点のゆくことがあるが、あの冷淡な姫君のご様子よりも、さらにたまらなく思い出されて、「思いも寄らないことだった」と、ばかばかしい気がする。けれども、「あってはならないこと。筋違いなことだ」と、反省することは、珍しいくらいの誠実さのようである。

 3 Tale of Tamakazura She grows up to be a woman [3-1 Nai-Daijin obeys Genji's mind]
 Otodo, utituke ni ito ibukasiu, kokoro-motonau oboye tamahe do,
 "Huto, sika uketori, oya-gara m mo bin nakara m. Tadune-e tamahe ram hazime wo omohu ni, sadame te kokoro-giyou mi-hanati tamaha zi. Yamgotonaki kata-gata wo habakari te, ukebari te sono kiha ni ha motenasa zu, sasuga ni wadurahasiu, mono no kikoye wo omohi te, kaku akasi tamahu na'meri."
 to obosu ha, kutiwosikere do,
 "Sore wo kizu to subeki koto ka ha? Kotosara ni mo, kano ohom-atari ni hurebaha se m ni, nado ka oboye no otora m? Miya-dukahe zama ni omomuki tamahe ra ba, Nyougo nado no obosa m koto mo adikinasi." to obose do, "To-mo kaku-mo, omohi-yori notamaha m okite wo tagahu beki koto ka ha."
 to, yorodu ni obosi keri.
 Kaku notamahu ha, Kisaragi no tuitati-goro nari keri. Zihu-roku-niti, higan no hazime ni te, ito yoki hi nari keri. Tikau mata yoki hi nasi to kamgahe mausi keru uti ni, Miya yorosiu ohasimase ba, isogi-tati tamau te, rei no watari tamau te mo, Otodo ni mausi arahasi si sama nado, ito komaka ni a'beki koto-domo wosihe kikoye tamahe ba,
 "Ahare naru mi-kokoro ha, oya to kikoye nagara mo, arigatakara m wo."
 to obosu mono-kara, ito nam uresikari keru.
 Kakute noti ha, Tiuzyau-no-Kimi ni mo, sinobi te kakaru koto no kokoro notamahi sirase keri.
 "Ayasi no koto-domo ya! Mube nari keri."
 to, omohi ahasuru koto-domo aru ni, kano turenaki hito no mi-arisama yori mo, naho mo ara zu omohi-ide rare te, "Omohi-yora zari keru koto yo!" to, sire-ziresiki kokoti su. Saredo, "Aru maziu, nezike taru beki hodo nari keri." to, omohi-kahesu koto koso ha, arigataki mame-mamesisa na'mere.

 かくてその日になりて、三条の宮より、忍びやかに御使あり。御櫛の筥など、にはかなれど、ことどもいときよらにしたまうて、御文には、
「聞こえむにも、いまいましきありさまを、今日は忍びこめはべれど、さるかたにても、長き例ばかりを思し許すべうや、とてなむ。あはれにうけたまはり、あきらめたる筋をかけきこえむも、いかが。御けしきに従ひてなむ。
ふたかたに言ひもてゆけば玉櫛笥
わが身はなれぬ懸子なりけり」
と、いと古めかしうわななきたまへるを、殿もこなたにおはしまして、ことども1234御覧じ定むるほどなれば、見たまうて、
「古代なる御文書きなれど、いたしや、この御手よ。昔は上手にものしたまけるを、年に添へて、あやしく老いゆくものにこそありけれ。いとからく御手ふるひにけり」
など、うち返し見たまうて、
「よくも玉櫛笥にまつはれたるかな。三十一字の中に、異文字は少なく添へたることのかたきなり」
と、忍びて笑ひたまふ。

 [3-2 2月16日、玉鬘の裳着の儀]
こうしてその当日となって、三条宮からも、こっそりとお使いがある。御櫛の箱など、急なことであるが、種々の品々をたいそう見事に仕立てなさって、お手紙には、
「お手紙を差し上げるにも、憚れる尼姿のため、今日は引き籠もっておりますが、それに致しましても、長生きの例にあやかって戴くということで、お許し下さるだろうかと存じまして。しみじみと感動してお聞き致しまして、はっきりしました事情を申し上げるのも、どうかと存じまして。あなたのお気持ち次第で。
どちらの方から言いましてもあなたはわたしにとって
切っても切れない孫に当たる方なのですね」
と、たいそう古風に震えてお書きになっているのを、殿もこちらにいらっしゃって、準備をお命じになっている時なので、御覧になって、
「古風なご文面だが、大したものだ、このご筆跡は。昔はお上手でいらっしゃったが、年を取るに従って、奇妙に筆跡も年寄じみて行くものですね。たいそう痛々しいほどお手が震えていらっしゃるなあ」
などと、繰り返し御覧になって、
「よくもこれほど玉くしげに引っ掛けた歌だ。三十一文字の中に、無縁な文字を少ししか使わずに詠むということは難しいことだ」
と、そっとお笑いになる。

 [3-2 The ceremony of growing up to be a woman is hold February 16]
 Kakute sono hi ni nari te, Samdeu-no-Miya yori, sinobiyaka ni ohom-tukahi ari. Mi-kusi no hako nado, nihaka nare do, koto-domo ito kiyora ni si tamau te, ohom-humi ni ha,
 "Kikoye m ni mo, ima-imasiki arisama wo, kehu ha sinobi kome habere do, saru kata ni te mo, nagaki tamesi bakari wo obosi yurusu beu ya, tote nam. Ahare ni uketamahari, akirame taru sudi wo kake kikoye m mo, ikaga? Mi-kesiki ni sitagahi te nam.
 Huta-kata ni ihi-mote yuke ba tama-kusige
 waga mi ha nare nu kakego nari keri
"
 to, ito hurumekasiu wananaki tamahe ru wo, Tono mo konata ni ohasimasi te, koto-domo go-ran-zi sadamuru hodo nare ba, mi tamau te,
 "Kotai naru ohom-humi-gaki nare do, itasi ya, kono ohom-te yo! Mukasi ha zyauzu ni monosi tamahi keru wo, tosi ni sohe te, ayasiku oyi yuku mono ni koso ari kere. Ito karaku ohom-te huruhi ni keri."
 nado, uti-kahesi mi tamau te,
 "Yoku mo tama-kusige ni matuha re taru kana! Samzihu-iti-zi no naka ni, koto-mozi ha sukunaku sohe taru koto no kataki nari."
 to, sinobi te warahi tamahu.

 中宮より、白き御裳、唐衣、御装束、御髪上の具など、いと二なくて、例の、壷どもに、唐の薫物、心ことに香り深くてたてまつりたまへり。
御方々、皆心々に、御装束、人々の料に、櫛扇まで、とりどりにし出でたまへるありさま、劣りまさらず、さまざまにつけて、かばかりの御心ばせどもに、挑み尽くしたまへれば1235、をかしう見ゆるを、東の院の人々も、かかる御いそぎは聞きたまうけれども、訪らひきこえたまふべき数ならねば、ただ聞き過ぐしたるに、常陸の宮の御方、あやしうものうるはしう、するべきことの折過ぐさぬ古代の御心にて、いかでかこの御いそぎを、よそのこととは聞き過ぐさむ、と思して、形のごとなむし出でたまうける。
あはれなる御心ざしなりかし。青鈍の細長一襲、落栗とかや、何とかや、昔の人のめでたうしける袷の袴一具、紫のしらきり1236見ゆる霰地の御小袿と、よき衣筥に入れて、包いとうるはしうて、たてまつれたまへり。
御文には、
「知らせたまふべき数にもはべらねば、つつましけれど、かかる折は思たまへ忍びがたくなむ。これ、いとあやしけれど、人にも賜はせよ」
と、おいらかなり。殿、御覧じつけて、いとあさましう、例の、と思すに、御顔赤みぬ。
「あやしき古人にこそあれ。かくものづつみしたる人は、引き入り沈み入りたるこそよけれ。さすがに恥ぢがましや」とて、「返りことはつかはせ。はしたなく思ひなむ。父親王の、いとかなしうしたまひける、思ひ出づれば、人に落さむはいと心苦しき人なり」
と聞こえたまふ。御小袿の袂に、例の、同じ筋の歌ありけり。
「わが身こそ恨みられけれ唐衣
君が袂に馴れずと思へば」
御手は、昔だにありしを、いとわりなうしじかみ、彫深う、強う、堅う書きたまへり。大臣、憎きものの、をかしさをばえ念じたまはで、
「この歌詠みつらむほどこそ。まして今は力なくて、所狭かりけむ」
と、いとほしがりたまふ。
「いで、この返りこと、騒がしうとも、われせむ」
とのたまひて、
「あやしう、人の思ひ寄るまじき御心ばへこそ、あらでもありぬべけれ」
と、憎さに書きたまうて、
「唐衣また唐衣唐衣
かへすがへすも唐衣なる」
とて、
「いとまめやかに、かの人の立てて好む筋なれば、ものしてはべるなり」
とて、見せたてまつりたまへば、君、いとにほひやかに笑ひたまひて、
「あな、いとほし。弄じたるやうにもはべるかな」
と、苦しがりたまふ。ようなしごといと多かりや。

 [3-3 玉鬘の裳着への祝儀の品々]
中宮から、白い御裳、唐衣、御装束、御髪上の道具など、たいそうまたとない立派さで、例によって、数々の壷に、唐の薫物、格別に香り深いのを差し上げなさった。
ご夫人方は、みな思い思いに、御装束、女房の衣装に、櫛や扇まで、それぞれにご用意なさった出来映えは、優るとも劣らない、それぞれにつけて、あれほどの方々が互いに、競争でご趣向を凝らしてお作りになったので、素晴らしく見えるが、東の院の人々も、このようなご準備はお聞きになっていたが、お祝い申し上げるような人数には入らないので、ただ聞き流していたが、常陸の宮の御方、妙に折目正しくて、なすべき時にはしないではいられない昔気質でいらして、どうしてこのようなご準備を、他人事として聞き過していられようか、とお思いになって、きまり通りご用意なさったのであった。
殊勝なお心掛けである。青鈍色の細長を一襲、落栗色とか、何とかいう、昔の人が珍重した袷の袴を一具、紫色の白っぽく見える霰地の御小袿とを、結構な衣装箱に入れて、包み方をまことに立派にして、差し上げなさった。
お手紙には、
「お見知り戴くような数にも入らない者でございませんので、遠慮致しておりましたが、このような時は知らないふりもできにくうございまして。これは、とてもつまらない物ですが、女房たちにでもお与え下さい」
と、おっとり書いてある。殿が、御覧になって、たいそうあきれて、例によって、とお思いになると、お顔が赤くなった。
「妙に昔気質の人だ。ああした内気な人は、引っ込んでいて出て来ない方がよいのに。やはり体裁の悪いものです」と言って、「返事はおやりなさい。きまり悪く思うでしょう。父親王が、たいそう大切になさっていたのを、思い出すと、他人より軽く扱うのはたいそう気の毒な方です」
と申し上げなさる。御小袿の袂に、例によって、同じ趣向の歌があるのであった。
「わたし自身が恨めしく思われます
あなたのお側にいつもいることができないと思いますと」
ご筆跡は、昔でさえそうであったのに、たいそうひどくちぢかんで、彫り込んだように深く、強く、固くお書きになっていた。大臣は、憎く思うものの、おかしいのを堪えきれないで、
「この歌を詠むのにはどんなに大変だったろう。まして今は昔以上に助ける人もいなくて、思い通りに行かなかったことだろう」
と、お気の毒にお思いになる。
「どれ、この返事は、忙しくても、わたしがしよう」
とおっしゃって、
「妙な、誰も気のつかないようなお心づかいは、なさらなくてもよいことですのに」
と、憎らしさのあまりにお書きになって、
「唐衣、また唐衣、唐衣
いつもいつも唐衣とおっしゃいますね」
と書いて、
「たいそうまじめに、あの人が特に好む趣向ですから、書いたのです」
と言って、お見せなさると、姫君は、たいそう顔を赤らめてお笑いになって、
「まあ、お気の毒なこと。からかったように見えますわ」
と、気の毒がりなさる。つまらない話が多かったことよ。

 [3-3 A messenger of Tyugu comes to Rkujo-in to celebrate Tamakazura having many presents]
 Tiuguu yori, siroki ohom-mo, kara-ginu, ohom-sauzoku, mi-gusi-age no gu nado, ito ni naku te, rei no, tubo-domo ni, kara no taki-mono, kokoro koto ni kawori hukaku te tatematuri tamahe ri.
 Ohom-kata-gata, mina kokoro-gokoro ni, ohom-sauzoku, hito-bito no reu ni, kusi ahugi made, tori-dori ni si ide tamahe ru arisama, otori masara zu, sama-zama ni tuke te, kabakari no mi-kokorobase-domo ni, idomi-tukusi tamahe re ba, wokasiu miyuru wo, Himgasi-no-Win no hito-bito mo, kakaru ohom-isogi ha kiki tamau kere domo, toburahi kikoye tamahu beki kazu nara ne ba, tada kiki-sugusi taru ni, Hitati-no-Miya no Ohom-kata, ayasiu mono-uruhasiu, su'ru beki koto no wori sugusa nu kotai no mi-kokoro ni te, ikade ka kono ohom-isogi wo, yoso no koto to ha kiki-sugusa m, to obosi te, kata no goto nam si ide tamau keru.
 Ahare naru mi-kokorozasi nari kasi. Awo-nibi no hoso-naga hito-kasane, oti-guri to ka ya, nani to ka ya, mukasi no hito no medetau si keru ahase no hakama iti-gu, murasaki no sirakiri miyuru arare-di no ohom-ko-utiki to, yoki koromo-hako ni ire te, tutumi ito hasiu te, tatemature tamahe ri.
 Ohom-humi ni ha,
 "Sira se tamahu beki kazu ni mo habera ne ba, tutumasikere do, kakaru wori ha omo' tamahe sinobi gataku nam. Kore, ito ayasikere do, hito ni mo tamaha se yo."
 to, oiraka nari. Tono go-ran-zi tuke te, ito asamasiu, rei no, to obosu ni, ohom-kaho akami nu.
 "Ayasiki huru-bito ni koso are. Kaku mono-dutumi si taru hito ha, hiki-iri sidumi-iri taru koso yokere. Sasuga ni hadi-gamasi ya!" tote, "Kaheri-koto ha tukahase. Hasitanaku omohi nam. Titi-Miko no, ito kanasiu si tamahi keru, omohi-idure ba, hito ni otosa m ha ito kokoro-gurusiki hito nari."
 to kikoye tamahu. Ohom-ko-utiki no tamoto ni, rei no, onazi sudi no uta ari keri.
 "Waga mi koso urami rare kere kara-goromo
 kimi ga tamoto ni nare zu to omohe ba
"
 Ohom-te ha, mukasi dani ari si wo, ito warinau sizikami, weri hukau, tuyou, katau kaki tamahe ri. Otodo, nikuki mono no, wokasisa wo ba e nen-zi tamaha de,
 "Kono uta yomi tura m hodo koso. Masite ima ha tikara naku te, tokoro-sekari kem."
 to, itohosigari tamahu.
 "Ide, kono kaheri-koto, sawagasiu to mo, ware se m."
 to notamahi te,
 "Ayasiu, hito no omohi-yoru maziki mi-kokorobahe koso, ara de mo ari nu bekere."
 to, nikusa ni kaki tamau te,
 "Kara-goromo mata kara-goromo kara-goromo
 kahesu-gahesu mo kara-goromo naru
"
 tote,
 "Ito mameyaka ni, kano hito no tate te konomu sudi nare ba, monosi te haberu nari."
 tote, mise tatematuri tamahe ba, Kimi, ito nihohiyaka ni warahi tamahi te,
 "Ana, itohosi. Rau-zi taru yau ni mo haberu kana!"
 to, kurusigari tamahu. You nasi goto ito ohokari ya!

 内大臣は、さしも急がれたまふまじき御心なれど、めづらかに聞きたまうし後は、いつしかと御心にかかりたれば、疾く参りたまへり。
儀式など、あべい限りにまた過ぎて、めづらしきさまにしなさせたまへり。「げにわざと御心とどめたまうけること」と見たまふも、かたじけなきものから、やう変はりて思さる。
亥の時にて、入れたてまつりたまふ。例の御まうけをばさるものにて、内の御座いと二なくしつらはせたまうて、御肴参らせたまふ。御殿油、例のかかる所よりは、すこし光見せて、をかしきほどにもてなしきこえたまへり。
いみじうゆかしう思ひきこえたまへど、今宵はいとゆくりかなべければ、引き結びたまふほど、え忍びたまはぬけしきなり。
あるじの大臣、
「今宵は、いにしへさまのことはかけはべらねば、何のあやめも分かせたまふまじくなむ。心知らぬ人目を飾りて、なほ世の常の作法に」
と聞こえたまふ。
「げに、さらに聞こえさせやるべき方はべらずなむ」
御土器参るほどに1237、
「限りなきかしこまりをば、世に例なきことと聞こえさせながら、今までかく忍びこめさせたまひける恨みも、いかが添へはべらざらむ」
と聞こえたまふ。
「恨めしや沖つ玉藻をかづくまで
磯がくれける海人の心よ」
とて、なほつつみもあへずしほたれたまふ。姫君は、いと恥づかしき御さまどものさし集ひ、つつましさに、え聞こえたまはねば、殿、
「よるべなみかかる渚にうち寄せて
海人も尋ねぬ藻屑とぞ見し
いとわりなき御うちつけごとになむ」
と聞こえたまへば、
「いとことわりになむ」
と、聞こえやる方なくて、出でたまひぬ。

 [3-4 内大臣、腰結に役を勤める]
内大臣は、大してお急ぎにならない気持ちであったが、珍しい話をお聞きになって後は、早く会いたいとお心にかかっていたので、早く参上なさった。
裳着の儀式などは、しきたり通りのことに更に事を加えて、目新しい趣向を凝らしてなさった。「なるほど特にお心を留めていらっしゃることだ」と御覧になるのも、もったいないと思う一方で、風変わりだと思わずにはいらっしゃれない。
亥の刻になって、御簾の中にお入れなさる。慣例通りの設備はもとよりのこと、御簾の中のお席をまたとないほど立派に整えなさって、御酒肴を差し上げなさる。御殿油は、慣例の儀式の明るさよりも、少し明るくして、気を利かせてお持てなしなさった。
たいそうはっきりとお顔を見たいとお思いになるが、今夜はとても唐突なことなので、お結びになる時、お堪えきれない様子である。
主人の大臣、
「今夜は、昔のことは何も話しませんから、何の詳細もお分りなさらないでしょう。事情を知らない人の目を繕って、やはり普通通りの作法で」
とお申し上げなさる。
「おっしゃる通り、まったく何とも申し上げようもございません」
お杯をお口になさる時、
「言葉に尽くせないお礼の気持ちは、世間にまたとないご厚意と感謝申し上げますが、今までこのようにお隠しになっていらっしゃった恨み言も、どうして申し添えずにいられましょう」
と申し上げなさる。
「恨めしいことですよ。玉裳を着る
今日まで隠れていた人の心が」
と言って、やはり隠し切れず涙をお流しになる。姫君は、とても立派なお二方が集まっており、気恥ずかしさに、お答え申し上げることがおできになれないので、殿が、
「寄る辺がないので、このようなわたしの所に身を寄せて
誰にも捜してもらえない気の毒な子だと思っておりました
何とも無体なだしぬけのお言葉です」
と、お答え申し上げなさると、
「まことにごもっともです」
と、それ以上申し上げる言葉もなくて、退出なさった。

 [3-4 Nai-Daijin plays the part of koshiyui]
 Uti-no-Otodo ha, sa si mo isoga re tamahu maziki mi-kokoro nare do, meduraka ni kiki tamau si noti ha, itusika to mi-kokoro ni kakari tare ba, toku mawiri tamahe ri.
 Gisiki nado, a'bei kagiri ni mata sugi te, medurasiki sama ni si-nasa se tamahe ri. "Geni wazato mi-kokoro todome tamau keru koto." to mi tamahu mo, katazikenaki mono-kara, yau kahari te obosa ru.
 Wi no toki ni te, ire tatematuri tamahu. Rei no ohom-mauke wo ba saru mono ni te, uti no o-masi ito ni naku situraha se tamau te, mi-sakana mawira se tamahu. Ohom-tono-abura, rei no kakaru tokoro yori ha, sukosi hikari mise te, wokasiki hodo ni motenasi kikoye tamahe ri.
 Imiziu yukasiu omohi kikoye tamahe do, koyohi ha ito yukurika na'bekere ba, hiki-musubi tamahu hodo, e sinobi tamaha nu kesiki nari.
 Aruzi no Otodo,
 "Koyohi ha, inisihe-sama no koto ha kake habera ne ba, nani no ayame mo waka se tamahu maziku nam. Kokoro sira nu hito-me wo kazari te, naho yo no tune no sahohu ni."
 to kikoye tamahu.
 "Geni, sara ni kikoye sase yaru beki kata habera zu nam."
 Ohom-kaharake mawiru hodo ni,
 "Kagiri naki kasikomari wo ba, yo ni tamesi naki koto to kikoye sase nagara, ima made kaku sinobi kome sase tamahi keru urami mo, ika ga sohe habera zara m."
 to kikoye tamahu.
 "Uramesi ya oki tu tama mo wo kaduku made
 iso-gakure keru ama no kokoro yo
"
 tote, naho tutumi mo ahe zu sihotare tamahu. Hime-Gimi ha, ito hadukasiki ohom-sama-domo no sasi-tudohi, tutumasisa ni, e kikoye tamaha ne ba, Tono,
 "Yorube nami kakaru nagisa ni uti-yose te
 ama mo tadune nu mo-kuzu to zo mi si

 Ito wari naki ohom-utituke-goto ni nam."
 to kikoye tamahe ba,
 "Ito kotowari ni nam."
 to, kikoye-yaru kata naku te, ide tamahi nu.

 親王たち、次々、人々残るなく集ひたまへり。御懸想人もあまた混じりたまへれば、この大臣、かく入りおはしてほど経るを、いかなることにかと疑ひたまへり。
かの殿の君達、中将、弁の君ばかりぞ、ほの知りたまへりける。人知れず思ひしことを、からうも、うれしうも思ひなりたまふ。弁は、
「よくぞうち出でざりける」とささめきて、「さま異なる大臣の御好みどもなめり。中宮の御類ひに仕立てたまはむとや思すらむ」
など、おのおの言ふよしを聞きたまへど、
「なほ、しばしは御心づかひしたまうて、世にそしりなきさまにもてなさせたまへ。何ごとも、心やすきほどの人こそ、乱りがはしう、ともかくもはべべかめれ、こなたをもそなたをも、さまざま1238人の聞こえ悩まさむ、ただならむよりはあぢきなきを、なだらかに、やうやう人目をも馴らすなむ、よきことにははべるべき」
と申したまへば、
「ただ御もてなしになむ従ひはべるべき。かうまで御覧ぜられ、ありがたき御育みに隠ろへはべりけるも、前の世の契りおろかならじ」
と申したまふ。
御贈物など、さらにもいはず、すべて引出物、禄ども、品々につけて、例あること限りあれど、またこと加へ、二なくせさせたまへり。大宮の御悩みにことづけたまうし名残もあれば、ことことしき御遊びなどはなし。
兵部卿宮、
「今はことづけやりたまふべき滞りもなきを」
と、おりたち聞こえたまへど、
「内裏より御けしきあること、かへさひ奏し、またまた仰せ言に従ひてなむ、異ざものことは、ともかくも思ひ定むべき」
とぞ聞こえさせたまひける。
父大臣は、
「ほのかなりしさまを、いかでさやかにまた見む。なまかたほなること見えたまはば、かうまでことことしうもてなし思さじ」
など、なかなか心もとなう恋しう思ひきこえたまふ。
今ぞ、かの御夢も、まことに思しあはせける。女御ばかりには、さだかなることのさまを聞こえたまうけり。

 [3-5 祝賀者、多数参上]
親王たちや、次々の、人々が残らずお祝いに参上なさった。思いを寄せている方々も大勢混じっていらっしゃったので、この内大臣が、このように中にお入りになって暫く時間がたつので、どうしたことか、とお疑いになっていた。
あの殿のご子息の中将や、弁の君だけは、かすかにご存知だったのであった。密かに思いを懸けていたことを、辛いこととも、また嬉しいこととも、お思いになる。弁の君は、
「よくもまあ告白しなかった」と小声で言って、「一風変わった大臣のお好みのようだ。中宮とご同様に入内させなさろうとお考えなのだろう」
などと、めいめい言っているのをお聞きになるが、
「やはり、暫くの間はご注意なさって、世間から非難されないようにお扱い下さい。何事も、気楽な身分の人には、みだらなことがままあるでしょうが、こちらもそちらも、いろいろな人が噂して悩まされようなことがあっては、普通の身分の人よりも困ることですから、穏やかに、だんだんと世間の目が馴れて行くようにするのが、良いことでございましょう」
と申し上げなさると、
「ただあなた様のなされように従いましょう。こんなにまでお世話いただき、またとないご養育によって守られておりましたのも、前世の因縁が特別であったのでしょう」
とお答えなさる。
御贈物などは、言うまでもなく、すべて引出物や、禄などは、身分に応じて、通常の例では限りがあるが、それに更に加えて、またとないほど盛大におさせになった。大宮のご病気を理由に断りなさった事情もあるので、大げさな音楽会などはなかった。
兵部卿宮は、
「今はもうお断りになる支障も何もないでしょうから」
と、身を入れてお願い申し上げなさるが、
「帝から御内意があったことを、ご辞退申し上げ、また再びお言葉に従いまして、他の話は、その後にでも決めましょう」
とお返事申し上げなさった。
父内大臣は、
「かすかに見た様子を、何とかはっきりと再び見たいものだ。少しでも不具なところがおありならば、こんなにまで大げさに大事にお世話なさるまい」
などと、かえって焦れったく恋しく思い申し上げなさる。
今になって、あの御夢も、本当にお分かりになったのであった。弘徽殿女御だけには、はっきりと事情をお話し申し上げなさったのであった。

 [3-5 Many men come to Rokujo-in to celebrate Tamakazura]
 Miko-tati, tugi-tugi, hito-bito nokoru naku tudohi tamahe ri. Ohom-kesau-bito mo amata maziri tamahe re ba, kono Otodo, kaku iri ohasi te hodo huru wo, ika naru koto ni ka to utagahi tamahe ri.
 Kano Tono no Kim-dati, Tiuzyau, Ben-no-Kimi bakari zo, hono-siri tamahe ri keru. Hito-sire-zu omohi si koto wo, karau mo, uresiu mo, omohi nari tamahu. Ben ha,
 "Yoku zo uti-ide zari keru." to sasameki te, "Sama koto naru Otodo no ohom-konomi-domo na'meri. Tiuguu no ohom-taguhi ni sitate tamaha m to ya obosu ram?"
 nado, ono-ono ihu yosi wo kiki tamahe do,
 "Naho, sibasi mi-kokoro-dukahi si tamau te, yo ni sosiri naki sama ni motenasa se tamahe. Nani-goto mo, kokoro-yasuki hodo no hito koso, midari-gahasiu, tomokaku mo habe'bekamere, konata wo mo sonata wo mo, sama-zama hito no kikoye nayamasa m, tada nara m yori ha adikinaki wo, nadaraka ni, yau-yau hito-me wo mo narasu nam, yoki koto ni ha haberu beki."
 to mausi tamahe ba,
 "Tada ohom-motenasi ni nam sitagahi haberu beki. Kau made go-ran-ze rare, arigataki ohom-hagukumi ni kakurohe haberi keru mo, saki no yo no tigiri oroka nara zi."
 to mausi tamahu.
 Ohom-okurimono nado, sara ni mo iha zu, subete hikiide-mono, roku-domo, sina-zina ni tuke te, rei aru koto kagiri are do, mata koto kuhahe, ni naku se sase tamahe ri. Oho-Miya no ohom-nayami ni koto-duke tamau si nagori mo are ba, koto-kotosiki ohom-asobi nado ha nasi.
 Hyaubukyau-no-Miya,
 "Ima ha kotoduke yari tamahu beki todokohori mo naki wo."
 to, ori-tati kikoye tamahe do,
 "Uti yori mi-kesiki aru koto, kahesahi sou-si, mata-mata ohose-goto ni sitagahi te nam, koto-zama no koto ha, tomokaku mo omohi sadamu beki."
 to zo kikoye sase tamahi keru.
 Titi-Otodo ha,
 "Honoka nari si sama wo, ikade sayaka ni mata mi m. Nama-kataho naru koto miye tamaha ba, kau made koto-kotosiu motenasi obosa zi."
 nado, naka-naka kokoro-motonau kohisiu omohi kikoye tamahu.
 Ima zo, kano ohom-yume mo, makoto ni obosi-ahase keru. Nyougo bakari ni ha, sadaka naru koto no sama wo kikoye tamau keri.

 世の人聞きに、「しばしこのこと出ださじ」と、切に籠めたまへど、口さがなきものは世の人なりけり。自然に言ひ漏らしつつ、やうやう聞こえ出で来るを、かのさがな者の君聞きて、女御の御前に、中将、少将さぶらひたまふに出で来て、
「殿は、御女まうけたまふべかなり。あな、めでたや。いかなる人、二方にもてなさるらむ。聞けば、かれも劣り腹なり」
と、あふなげにのたまへば、女御、かたはらいたしと思して、ものものたまはず。中将、
「しか、かしづかるべきゆゑこそものしたまふらめ。さても、誰が言ひしことを、かくゆくりなくうち出でたまふぞ。もの言ひただならぬ女房など1239こそ、耳とどむれ」
とのたまへば、
「あなかま。皆聞きてはべり。尚侍になるべかなり。宮仕へにと急ぎ出で立ちはべりしことは、さやうの御かへりみもやとてこそ、なべての女房たちだに仕うまつらぬことまで、おりたち仕うまつれ。御前のつらくおはしますなり」
と、恨みかくれば、皆ほほ笑みて1240、
「尚侍あかば1241、なにがしこそ望まむと思ふを、非道にも思しかけけるかな」
などのたまふに、腹立ちて、
「めでたき御仲に、数ならぬ人は、混じるまじかりけり。中将の君ぞつらくおはする。さかしらに迎へたまひて、軽めあざけりたまふ。せうせうの人は、え立てるまじき殿の内かな。あな、かしこ。あな、かしこ」
と、後へざまにゐざり退きて、見おこせたまふ。憎げもなけれど、いと腹悪しげに目尻引き上げたり。
中将は、かく言ふにつけても、「げにし過ちたること」と思へば、まめやかにてものしたまふ。少将は、
「かかる方にても、類ひなき御ありさまを、おろかにはよも思さじ。御心しづめたまうてこそ。堅き巌も沫雪になしたまうつべき御けしきなれば、いとよう思ひかなひたまふ時もありなむ」
と、ほほ笑みて言ひゐたまへり。中将も、
「天の岩門鎖し籠もりたまひなむや、めやすく」
とて、立ちぬれば、ほろほろと泣きて、
「この君達さへ、皆すげなくしたまふに、ただ御前の御心のあはれにおはしませば、さぶらふなり」
とて、いとかやすく、いそしく、下臈童女などの仕うまつりたらぬ雑役をも、立ち走り、やすく惑ひありきつつ、心ざしを尽くして宮仕へしありきて、
「尚侍に、おれを、申しなしたまへ」
と責めきこゆれば、あさましう、「いかに思ひて言ふことならむ」と思すに、ものも言はれたまはず。

 [3-6 近江の君、玉鬘を羨む]
世間の人の口の端のために、「暫くの間はこのことを上らないように」と、特にお隠しになっていたが、おしゃべりなのは世間の人であった。自然と噂が流れ流れて、だんだんと評判になって来たのを、あの困り者の姫君が聞いて、女御の御前に、中将や、少将が伺候していらっしゃる所に出て来て、
「殿は、姫君をお迎えあそばすそうですね。まあ、おめでたいこと。どのような方が、お二方に大切にされるのでしょう。聞けば、その人も賤しいお生まれですね」
と、無遠慮におっしゃるので、女御は、はらはらなさって、何ともおっしゃらない。中将が、
「そのように、大切にされるわけがおありなのでしょう。それにしても、誰が言ったことを、このように唐突におっしゃるのですか。口うるさい女房たちが、耳にしたらたいへんだ」
とおっしゃると、
「おだまり。すっかり聞いております。尚侍になるのだそうですね。宮仕えにと心づもりして出て参りましたのは、そのようなお情けもあろうかと思ってなので、普通の女房たちですら致さぬようなことまで、進んで致しました。女御様がひどくていらっしゃるのです」
と、恨み言をいうので、みなにやにやして、
「尚侍に欠員ができたら、わたしこそが願い出ようと思っていたのに、無茶苦茶なことをお考えですね」
などとおっしゃるので、腹を立てて、
「立派なご兄姉の中に、人数にも入らない者は、仲間入りすべきではなかったのだわ。中将の君はひどくていらっしゃる。自分からかってにお迎えになって、軽蔑し馬鹿になさる。普通の人では、とても住んでいられない御殿の中ですわ。ああ、恐い。ああ、恐い」
と、後ろの方へいざり下がって、睨んでいらっしゃる。憎らしくもないが、たいそう意地悪そうに目尻をつり上げている。
中将は、このように言うのを聞くにつけ、「まったく失敗したことだ」と思うので、まじめな顔をしていらっしゃる。少将は、
「こちらの宮仕えでも、またとないようなご精勤ぶりを、いいかげんにはお思いでないでしょう。お気持ちをお鎮めになって下さい。固い岩も沫雪のように蹴散らかしてしまいそうなお元気ですから、きっと願いの叶う時もありましょう」
と、にやにやして言っていらっしゃる。中将も、
「天の岩戸を閉じて引っ込んでいらっしゃるのが、無難でしょうね」
と言って、立ってしまったので、ぽろぽろと涙をこぼして、
「わたしの兄弟たちまでが、みな冷たくあしらわれるのに、ただ女御様のお気持ちだけが優しくいらっしゃるので、お仕えしているのです」
と言って、とても簡単に、精を出して、下働きの女房や童女などが行き届かない雑用などをも、走り回り、気軽にあちこち歩き回っては、真心をこめて宮仕えして、
「尚侍に、わたしを、推薦して下さい」
とお責め申すので、あきれて、「どんなつもりで言っているのだろう」とお思いになると、何ともおっしゃれない。

 [3-6 Ohmi-no-Kimi is envious of Tamakazura's employment]
 Yo no hito-giki ni, "Sibasi kono koto idasa zi." to, seti ni kome tamahe do, kuti saganaki mono ha yo no hito nari keri. Zinen ni ihi-morasi tutu, yau-yau kikoye ide kuru wo, kano sagana mono no Kimi kiki te, Nyougo no o-mahe ni, Tiuzyau, Seusyau saburahi tamahu ni ide-ki te,
 "Tono ha, ohom-musume mauke tamahu beka'nari. Ana, medeta ya! Ika naru hito, huta-kata ni motenasa ru ram? Kike ba, kare mo otori-bara nari."
 to, ahunage ni notamahe ba, Nyougo, katahara itasi to obosi te, mono mo notamaha zu. Tiuzyau,
 "Sika, kasiduka ru beki yuwe koso monosi tamahu rame. Sate mo, taga ihi si koto wo, kaku yukuri-naku uti-ide tamahu zo. Mono-ihi tada-nara-nu nyoubau nado koso, mimi todomu re."
 to notamahe ba,
 "Ana kama! Mina kiki te haberi. Naisi-no-Kami ni naru beka'nari. Miya-dukahe ni to isogi ide-tati haberi si koto ha, sayau no ohom-kaherimi mo ya tote koso, nabete no nyoubau-tati dani tukau-matura nu koto made, ori-tati tukau-mature. O-mahe no turaku ohasimasu nari."
 to, urami-kakure ba, mina hohowemi te,
 "Naisi-no-Kami aka ba, nanigasi koso nozoma m to omohu wo, hidau ni mo obosi kake keru kana!"
 nado notamahu ni, hara-dati te,
 "Medetaki ohom-naka ni, kazu nara nu hito ha, maziru mazikari keri. Tiuzyau-no-Kimi zo turaku ohasuru. Sakasira ni mukahe tamahi te, karome azakeri tamahu. Seu-seu no hito ha, e tate ru maziki tono no uti kana! Ana, kasiko! Ana, kasiko!"
 to, sirihe-zama ni wizari sizoki te, mi-okose tamahu. Nikuge mo nakere do, ito hara-asige ni maziri hiki-age tari.
 Tiuzyau ha, kaku ihu ni tuke te mo, "Geni si ayamati taru koto." to omohe ba, mameyaka ni te monosi tamahu. Seusyau ha,
 "Kakaru kata ni te mo, taguhi naki mi-arisama wo, oroka ni ha yo mo obosa zi. Mi-kokoro sidume tamau te koso. Kataki ihaho mo awa-yuki ni nasi tamau tu beki ohom-kesiki nare ba, ito you omohi kanahi tamahu toki mo ari nam."
 to, hohowemi te ihi-wi tamahe ri. Tiuzyau mo,
 "Ama-no-ihato sasi-komori tamahi na m ya, meyasuku."
 tote, tati nure ba, horo-horo to naki te,
 "Kono kimi-tati sahe, mina sugenaku si tamahu ni, tada o-mahe no ahare ni ohasimase ba, saburahu nari."
 tote, ito kayasuku, isosiku, gerahu warahabe nado no tukau-maturi tara nu zahuyaku wo mo, tati-hasiri, yasuku madohi ariki tutu, kokorozasi wo tukusi te miya-dukahe si ariki te,
 "Naisi-no-Kami ni, ore wo, mausi-nasi tamahe."
 to seme kikoyure ba, asamasiu, "Ika ni omohi te ihu koto nara m?" to obosu ni, mono mo iha re tamaha zu.

 大臣、この望みを聞きたまひて、いとはなやかにうち笑ひたまひて、女御の御方に参りたまへるついでに、
「いづら、この、近江の君。こなたに」
と召せば、
「を」
と、いとけざやかに聞こえて、出で来たり。
「いと、仕へたる御けはひ、公人にて、げにいかにあひたらむ。尚侍のことは、などか、おのれに疾くはものせざりし」
と、いとまめやかにてのたまへば、いとうれしと思ひて、
「さも、御けしき賜はらまほしうはべりしかど、この女御殿など、おのづから伝へ聞こえさせたまひてむ1242と、頼み1243ふくれてなむさぶらひつるを、なるべき人ものしたまふやうに聞き1244たまふれば、夢に富したる心地しはべりてなむ、胸に手を置きたるやうにはべる」
と申したまふ。舌ぶりいとものさはやかなり。笑みたまひぬべきを念じて、
「いとあやしう、おぼつかなき御癖なりや。さも思しのたまはましかば、まづ人の先に奏してまし。太政大臣の御女、やむごとなくとも、ここに切に申さむことは、聞こし召さぬやうあらざらまし。今にても、申し文を取り作りて、びびしう書き出だされよ。長歌などの心ばへあらむを御覧ぜむには、捨てさせたまはじ。主上は、そのうちに情け捨てずおはしませば」
など、いとようすかしたまふ。人の親げなく、かたはなりや。
「大和歌は、悪し悪しも1245続けはべりなむ。むねむねしき方のことはた、殿より申させたまはば、つま声のやうにて、御徳をもかうぶりはべらむ」
とて、手を押しすりて聞こえゐたり。御几帳のうしろなどにて聞く女房、死ぬべくおぼゆ。もの笑ひに堪へぬは、すべり出でてなむ、慰めける。女御も御面赤みて、わりなう見苦しと思したり。殿も、
「ものむつかしき折は、近江の君見るこそ、よろづ紛るれ」
とて、ただ笑ひ種につくりたまへど、世人は、
「恥ぢがてら、はしたなめたまふ」
など、さまざま言ひけり。

 [3-7 内大臣、近江の君を愚弄]
内大臣、この願いをお聞きになって、たいそう陽気にお笑いになって、女御の御方に参上なさった折に、
「どこですか、これ、近江の君。こちらに」
とお呼びになると、
「はあい」
と、とてもはっきりと答えて、出て来た。
「たいそう、よくお仕えしているご様子は、お役人としても、なるほどどんなにか適任であろう。尚侍のことは、どうして、わたしに早く言わなかったのですか」
と、たいそう真面目な態度でおっしゃるので、とても嬉しく思って、
「そのように、ご内意をいただきとうございましたが、こちらの女御様が、自然とお伝え申し上げなさるだろうと、精一杯期待しておりましたのに、なる予定の人がいらっしゃるようにうかがいましたので、夢の中で金持になったような気がしまして、胸に手を置いたようでございます」
とお答えなさる。その弁舌はまことにはきはきしたものである。笑ってしまいそうになるのを堪えて、
「たいそう変った、はっきりしないお癖だね。そのようにもおっしゃってくださったら、まず誰より先に奏上したでしょうに。太政大臣の姫君、どんなにご身分が高かろうとも、わたしが熱心にお願い申し上げることは、お聞き入れなさらぬことはありますまい。今からでも、申文をきちんと作って、立派に書き上げなさい。長歌などの趣向のあるのを御覧あそばしたら、きっとお捨て去りなさることはありますまい。主上は、とりわけ風流を解する方でいらっしゃるから」
などと、たいそううまくおだましになる。人の親らしくない、見苦しいことであるよ。
「和歌は、下手ながら何とか作れましょう。表向きのことの方は、殿様からお申し上げ下されば、それに言葉を添えるようにして、お蔭を頂戴しましょう」
と言って、両手を擦り合わせて申し上げていた。御几帳の後ろなどにいて聞いている女房は、死にそうなほどおかしく思う。おかしさに我慢できない者は、すべり出して、ほっと息をつくのであった。女御もお顔が赤くなって、とても見苦しいと思っておいでであった。殿も、
「気分のむしゃくしゃする時は、近江の君を見ることによって、何かと気が紛れる」
と言って、ただ笑い者にしていらっしゃるが、世間の人は、
「ご自分でも恥ずかしくて、ひどい目におあわせになる」などと、いろいろと言うのであった。

 [3-7 Nai-Daijin makes fun of Ohmi-no-Kimi]
 Otodo, kono nozomi wo kiki tamahi te, ito hanayaka ni uti warahi tamahi te, Nyougo-no-Ohomkata ni mawiri tamahe ru tuide ni,
 "Idura, kono, Ahumi-no-Kimi? Konata ni."
 to mese ba,
 "Wo!"
 to, ito kezayaka ni kikoye te, ide-kitari.
 "Ito, tukahe taru ohom-kehahi, ohoyake-bito ni te, geni ika ni ahi tara m? Naisi-no-Kami no koto ha, nado ka, onore ni toku ha monose zari si?"
 to, ito mameyaka ni te notamahe ba, ito uresi to omohi te,
 "Sa mo, mi-kesiki tamahara mahosiu haberi sika do, kono Nyougo-dono nado, onodukara tutahe kikoye sase tamahi te m to, tanomi hukure te nam saburahi turu wo, naru beki hito monosi tamahu yau ni kiki tamahure ba, yume ni tomi si taru kokoti si haberi te nam, mune ni te wo oki taru yau ni haberu."
 to mausi tamahu. Sita-buri ito mono sahayaka nari. Wemi tamahi nu beki wo nen-zi te,
 "Ito ayasiu, obotukanaki ohom-kuse nari ya! Sa mo obosi notamaha masika ba, madu hito no saki ni sou-si te masi. Ohoki-Otodo no ohom-musume, yamgotonaku to mo, koko ni seti ni mausa m koto ha, kikosi-mesa nu yau ara zara masi. Ima ni te mo, mausi-bumi wo tukuri te, bibisiu kaki-idasa re yo. Naga-uta nado no kokoro-bahe ara m wo go-ran-ze m ni ha, sute sase tamaha zi. Uhe ha, sono uti ni nasake sute zu ohasimase ba."
 nado, ito you sukasi tamahu. Hito no oya-ge naku, kataha nari ya!
 "Yamato-uta ha, asi-asi mo tuduke haberi na m. Mune-munesiki kata no koto hata, Tono yori mausa se tamaha ba, tuma-gowe no yau ni te, ohom-toku wo mo kauburi habera m."
 tote, te wo osi-suri te kikoye wi tari. Mi-kityau no usiro nado ni te kiku nyoubau, sinu beku oboyu. Mono-warahi ni tahe nu ha, suberi-ide te nam, nagusame keru. Nyougo mo ohom-omote akami te, warinau mi-gurusi to obosi tari. Tono mo,
 "Mono-mutukasiki wori ha, Ahumi-no-Kimi miru koso, yorodu magirure."
 tote, tada warahi-gusa ni tukuri tamahe do, yo-hito ha,
 "Hadi gatera, hasitaname tamahu."
 nado, sama-zama ihi keri.

 出典

 校訂
備考--(/) ミセケチ--$ 抹消--# 補入--+ 傍書--= ナゾリ--& 独自異文等--* 朱筆--<朱> 不明--?

Japanese Text Initiative
Electronic Text Center | University of Virginia Library
PO Box 400148 | Charlottesville VA 22904-4148
434.243.8800 | fax: 434.924.1431
Etext Home | Library Home | Search the Library Web
Contact Us:UVA Library Feedback
Last Modified: Tuesday, August 31, 2004
© 2025 The Rector and Visitors of the University of Virginia