源氏物語

Genji monogatari

紫式部 Murasaki Shikibu

1 柏木の物語 女三の宮の結婚後

2 光る源氏の物語 住吉参詣

3 朱雀院の物語 朱雀院の五十賀の計画

4 光る源氏の物語 六条院の女楽

5 光る源氏の物語 源氏の音楽論

6 紫の上の物語 出家願望と発病

7 柏木の物語 女三の宮密通の物語

8 紫の上の物語 死と蘇生

9 女三の宮の物語 懐妊と密通の露見

10 光る源氏の物語 密通露見後

11 朱雀院の物語 五十賀の延引

12 柏木の物語 源氏から睨まれる

出典
校訂

1 柏木の物語 女三の宮の結婚後

2 光る源氏の物語 住吉参詣

3 朱雀院の物語 朱雀院の五十賀の計画

4 光る源氏の物語 六条院の女楽

5 光る源氏の物語 源氏の音楽論

6 紫の上の物語 出家願望と発病

7 柏木の物語 女三の宮密通の物語

8 紫の上の物語 死と蘇生

9 女三の宮の物語 懐妊と密通の露見

10 光る源氏の物語 密通露見後

11 朱雀院の物語 五十賀の延引

12 柏木の物語 源氏から睨まれる

1 Tale of Kashiwagi After Omna-Sam-no-Miya's marriage

2 Tale of Genji Visiting to Sumiyoshi-shrine

3 Tale of Suzaku A plan of celebrstion for Suzaku 50 years old

4 Tale of Genji A concert by four ladies at Rokujo-in

5 Tale of Genji Genji criticizes on music

6 Tale of Murasaki A desire to become a priestess, getting ill

7 Tale of Kashiwagi An adultery between Kashiwagi and Omna-Sam-no-Miya

8 Tale of Murasaki Death and revival

9 Tale of Omna-Sam-no-Miya A pregnancy and being found out of adultery

10 Tale of Genji After being found out of adultery

11 Tale of Suzaku The celebrstion for Suzaku is put off

12 Tale of Kashiwagi Genji stares Kashiwagi

 1 柏木の物語 女三の宮の結婚後 [1-1 六条院の競射]
ことわりとは思へども、「うれたくも言へるかな。いでや、なぞ、かく異なることなきあへしらひばかりを慰めにては、いかが過ぐさむ。かかる人伝てならで1668、一言をものたまひ聞こゆる世ありなむや」
と思ふにつけて、おほかたにては、惜しくめでたしと思ひきこゆる院の御ため、なまゆがむ心や添ひにたらむ。
晦日の日は、人々あまた参りたまへり。なまもの憂く、すずろはしけれど、「そのあたりの花の色をも見てや慰む」と思ひて参りたまふ。
殿上の賭弓、如月にとありしを過ぎて、三月はた御忌月なれば、口惜しくと人々思ふに、この院に、かかるまとゐあるべしと聞き伝へて、例の集ひたまふ。左右の大将、さる御仲らひにて参りたまへば、次将たちなど挑みかはして、小弓とのたまひしかど、歩弓のすぐれたる上手どもありければ、召し出でて射させたまふ。
殿上人どもも、つきづきしき限りは、皆前後の心、こまどりに方分きて、暮れゆくままに、今日にとぢむる霞のけしきもあわたたしく、乱るる夕風に、花の蔭1669いとど立つことやすからで、人々いたく酔ひ過ぎたまひて、
「艶なる賭物ども、こなたかなた人々の御心見えぬべきを。柳の葉を百度当て1670つべき舎人どもの、うけばりて射取る、無人なりや。すこしここしき手つきどもをこそ、挑ませめ」
とて、大将たちよりはじめて、下りたまふに、衛門督、人よりけに眺めをしつつものしたまへば、かの片端心知れる御目には、見つけつつ、
「なほ、いとけしき異なり。わづらはしきこと出で来べき世にやあらむ」
と、われさへ思ひつきぬる心地す。この君たち、御仲いとよし。さる仲らひといふ中にも、心交はしてねむごろなれば、はかなきことにても、もの思はしくうち紛るることあらむを、いとほしくおぼえたまふ。
みづからも、大殿を見たてまつるに、気恐ろしくまぶゆく、
「かかる心はあるべきものか。なのめならむにてだに、けしからず、人に点つかるべき振る舞ひはせじと思ふものを。ましておほけなきこと」
と思ひわびては、
「かのありし猫をだに、得てしがな。思うこと語らふべくはあらねど、かたはら寂しき慰めにも、なつけむ」
と思ふに、もの狂ほしく、「いかでかは盗み出でむ」と、それさへぞ難きことなりける。

 1 柏木の物語 女三の宮の結婚後 [1-1 六条院の競射]
もっともだとは思うけれども、「いまいましい言い方だな。いや、しかし、なんでこのような通り一遍の返事だけを慰めとしては、どうして過ごせようか。このような人を介してではなく、一言でも直接おっしゃってくださり、また申し上げたりする時があるだろうか」
と思うにつけても、普通の関係では、もったいなく立派な方だとお思い申し上げる院の御為には、けしからぬ心が生じたのであろうか。
晦日には、人々が大勢参上なさった。何やら気が進まず、落ち着かないけれども、「あのお方のいらっしゃる辺りの桜の花を見れば気持ちが慰むだろうか」と思って参上なさる。
殿上の賭弓は、二月とあったが過ぎて、三月もまた御忌月なので、残念に人々は思っているところに、この院で、このような集まりがある予定と伝え聞いて、いつものようにお集まりになる。左右の大将は、お身内という間柄で参上なさるので、中将たちなども互いに競争しあって、小弓とおっしゃったが、歩弓の勝れた名人たちもいたので、お呼び出しになって射させなさる。
殿上人たちも、相応しい人は、すべて前方と後方との、交互に組分けをして、日が暮れてゆくにつれて、今日が最後の春の霞の感じも気ぜわしくて、吹き乱れる夕風に、花の蔭はますます立ち去りにくく、人々はひどく酔い過ごしなさって、
「しゃれた賭物の数々は、あちらこちらの御婦人方のご趣味のほどが窺えようというものを。柳の葉を百発百中できそうな舎人たちが、わがもの顔をして射取るのは、面白くないことだ。少しおっとりした手並みの人たちこそ、競争させよう」
といって、大将たちをはじめとして、お下りになると、衛門督、他の人より目立って物思いに耽っていらっしゃるので、あの少々は事情をご存知の方のお目には止まって、
「やはり、様子が変だ。厄介な事が引き起こるのだろうか」
と、自分までが悩みに取りつかれたような心地がする。この君たち、お仲が大変に良い。従兄弟同士という中でも、気心が通じ合って親密なので、ちょっとした事でも、物思いに悩んで屈託しているところがあろうものなら、お気の毒にお思いになる。
自分でも、大殿を拝見すると、何やら恐ろしく目を伏せたくなるようで、
「このような考えを持ってよいものだろうか。どうでもよいことでさえ、不行き届きで、人から非難されるような振る舞いはすまいと思うものを。まして身のほどを弁えぬ大それたことを」
と思い悩んだ末に、
「あの先日の猫でも、せめて手に入れたい。思い悩んでいる気持ちを打ち明ける相手にはできないが、独り寝の寂しい慰めを紛らすよすがにも、手なづけてみよう」
と思うと、気違いじみて、「どうしたら盗み出せようか」と思うが、それさえ難しいことだったのである。

 1 Tale of Kashiwagi After Omna-Sam-no-Miya's marriage [1-1 A playing ardhery at Rokujo-in]
 Kotowari to ha omohe do mo, "Uretaku mo ihe ru kana! Ide ya, nazo, kaku kotonaru koto naki ahesirahi bakari wo nagusame ni te ha, ikaga sugusa m? Kakaru hito-dute nara de, hito-koto wo mo notamahi kikoyuru yo ari na m ya?"
 to omohu ni tuke te, ohokata ni te ha, wosiku medetasi to omohi kikoyuru Win no ohom-tame, nama-yugamu kokoro ya sohi ni tara m.
 Tugomori no hi ha, hito-bito amata mawiri tamahe ri. Nama-mono-uku, suzurohasikere do, "Sono atari no hana no iro wo mo mi te ya nagusamu?" to omohi te mawiri tamahu.
 Tenzyau no nori-yumi, Kisaragi ni to ari si wo sugi te, Sam-gwati hata ohom-kiduki nare ba, kutiwosiku to hito-bito omohu ni, kono Win ni, kakaru matowi aru besi to kiki-tutahe te, rei no tudohi tamahu. Sa-iu no Daisyau, saru ohom-nakarahi ni te mawiri tamahe ba, Suke-tati nado idomi-kahasi te, ko-yumi to notamahi sika do, kati-yumi no sugure taru zyauzu-domo ari kere ba, mesi-ide te yi sase tamahu.
 Tenzyau-bito-domo mo, tuki-dukisiki kagiri ha, mina mahe sirihe no kokoro, komadori ni kata waki te, kure-yuku mama ni, kehu ni todimuru kasumi no kesiki mo awatatasiku, midaruru yuhu-kaze ni, hana no kage itodo tatu koto yasukara de, hito-bito itaku wehi-sugi tamahi te,
 "En naru kake-mono-domo, konata kanata hito-bito no mi-kokoro miye nu beki wo. Yanagi no ha wo momo-tabi ate tu beki toneri-domo no, ukebari te yi-toru, mu-zin nari ya! Sukosi kokosiki tetuki-domo wo koso, idoma se me."
 tote, Daisyau-tati yori hazime te, ori tamahu ni, Wemon-no-Kami, hito yori keni nagame wo si tutu monosi tamahe ba, kano kata-hasi kokoro sire ru ohom-me ni ha, mituke tutu,
 "Naho, ito kesiki koto nari. Wadurahasiki koto ide-ku beki yo ni ya ara m?"
 to, ware sahe omohi-tuki nuru kokoti su. Kono Kimi-tati, ohom-naka ito yosi. Saru nakarahi to ihu naka ni mo, kokoro kahasi te nemgoro nare ba, hakanaki koto ni te mo, mono omohasiku uti-magiruru koto ara m wo, itohosiku oboye tamahu.
 Midukara mo, Otodo wo mi tatematuru ni, ke osorosiku mabayuku,
 "Kakaru kokoro ha aru beki mono ka. Nanome nara m ni te dani, kesikara zu, hito ni ten tuka ru beki hurumahi ha se zi to omohu mono wo. Masite ohokenaki koto."
 to omohi wabi te ha,
 "Kano ari si neko wo dani, e te si gana! Omohu koto katarahu beku ha ara ne do, katahara sabisiki nagusame ni mo, natuke m."
 to omohu ni, mono-guruhosiku, "Ikade ka ha nusumi ide m." to, sore sahe zo kataki koto nari keru.

 [1-2 柏木、女三の宮の猫を預る]
女御の御方に参りて、物語など聞こえ紛らはし試みる。いと奥深く、心恥づかしき御もてなしにて、まほに見えたまふこともなし。かかる御仲らひにだに、気遠くならひたるを、「ゆくりかにあやしくは、ありしわざぞかし」とは、さすがにうちおぼゆれど、おぼろけにしめたるわが心から、浅くも思ひなされず。
春宮に参りたまひて、「論なう通ひたまへるところあらむかし」と、目とどめて見たてまつるに、匂ひやかになどはあらぬ御容貌なれど、さばかりの御ありさまはた、いと異にて、あてになまめかしくおはします。
内裏の御猫の、あまた引き連れたりけるはらからどもの、所々にあかれて、この宮にも参れるが、いとをかしげにて歩くを見るに、まづ思ひ出でらるれば、
「六条の院の姫宮の御方にはべる猫こそ1671、いと見えぬやうなる顔して、をかしうはべしか。はつかになむ見たまへし」
と啓したまへば、わざとらうたくせさせたまふ御心にて、詳しく問はせたまふ。
「唐猫の、ここのに違へるさましてなむはべりし。同じやうなるものなれど、心をかしく人馴れたるは、あやしくなつかしきものになむはべる」
など、ゆかしく思さるばかり、聞こえなしたまふ。
聞こし召しおきて、桐壷の御方より伝へて聞こえさせたまひければ、参らせたまへり。「げに、いとうつくしげなる猫なりけり」と、人々興ずるを、衛門督は、「尋ねむと思したりき」と、御けしきを見おきて、日ごろ経て参りたまへり。
童なりしより、朱雀院の取り分きて思し使はせたまひしかば、御山住みに後れきこえては、またこの宮にも親しう参り、心寄せきこえたり。御琴など教へきこえたまふとて、
「御猫どもあまた集ひはべりにけり。いづら、この見し人は」
と尋ねて見つけたまへり。いとらうたくおぼえて、かき撫でてゐたり。宮も、
「げに、をかしきさましたりけり。心なむ、まだなつきがたきは、見馴れぬ人を知るにやあらむ。ここなる猫ども、ことに劣らずかし」
とのたまへば、
「これは、さるわきまへ心も、をさをさはべらぬものなれど、その中にも心かしこきは、おのづから魂はべらむかし」など聞こえて、「まさるどもさぶらふめるを、これはしばし賜はり預からむ」
と申したまふ。心のうちに、あながちにをこがましく、かつはおぼゆるに、これを尋ね取りて、夜もあたり近く臥せたまふ。
明け立てば、猫のかしづきをして、撫で養ひたまふ。人気遠かりし心も、いとよく馴れて、ともすれば、衣の裾にまつはれ、寄り臥し睦るるを、まめやかにうつくしと思ふ。いといたく眺めて、端近く寄り臥したまへるに、来て、「ねう、ねう」と、いとらうたげに鳴けば、かき撫でて、「うたても、すすむかな」と、ほほ笑まる。
「恋ひわぶる人のかたみと手ならせば
なれよ何とて鳴く音なるらむ
これも昔の契りにや」
と、顔を見つつのたまへば、いよいよらうたげに鳴くを、懐に入れて眺めゐたまへり。御達などは、
「あやしく、にはかなる猫のときめくかな。かやうなるもの見入れたまはぬ御心に」
と、とがめけり。宮より召すにも参らせず、取りこめて、これを語らひたまふ。

 [1-2 柏木、女三の宮の猫を預る]
弘徽殿女御の御方に参上して、お話などを申し上げて心を紛らわそうとしてみる。たいそう嗜み深く、気恥ずかしくなるようなご応対ぶりなので、直にお姿をお見せになることはない。このような姉弟の間柄でさえ、隔てを置いてきたのに、「思いがけず垣間見したのは、不思議なことであった」とは、さすがに思われるが、並々ならず思い込んだ気持ちゆえ、軽率だとは思われない。
東宮に参上なさって、「当然似ていらっしゃるところがあるだろう」と、目を止めて拝すると、輝くほどのお美しさのご容貌ではないが、これくらいのご身分の方は、また格別で、上品で優雅でいらっしゃる。
内裏の御猫が、たくさん引き連れていた仔猫たちの兄弟が、あちこちに貰われて行って、こちらの宮にも来ているのが、とてもかわいらしく動き回るのを見ると、何よりも思い出されるので、
「六条院の姫宮の御方におります猫は、たいそう見たこともないような顔をしていて、かわいらしうございました。ほんのちょっと拝見しました」
と申し上げなさると、猫を特におかわいがりあそばすご性分なので、詳しくお尋ねあそばす。
「唐猫で、こちらのとは違った恰好をしてございました。同じようなものですが、性質がかわいらしく人なつっこいのは、妙にかわいいものでございます」
などと、興味をお持ちになるように、特にお話し申し上げなさる。
お耳にお止めあそばして、桐壷の御方を介してご所望なさったので、差し上げなさった。「なるほど、たいそうかわいらしげな猫だ」と、人々が面白がるので、衛門督は、「手に入れようとお思いであった」と、お顔色で察していたので、数日して参上なさった。
子供であったころから、朱雀院が特別におかわいがりになってお召し使いあそばしていたので、御入山されて後は、やはりこの東宮にも親しく参上し、お心寄せ申し上げていた。お琴などをお教え申し上げなさるついでに、
「御猫たちがたくさん集まっていますね。どうしたかな、わたしが見た人は」
と探してお見つけになった。とてもかわいらしく思われて、撫でていた。東宮も、
「なるほど、かわいい恰好をしているね。性質が、まだなつかないのは、人見知りをするのだろうか。ここにいる猫たちも、大して負けないがね」
とおっしゃるので、
「猫というものは、そのような人見知りは、普通しないものでございますが、その中でも賢い猫は、自然と性根がございますのでしょう」などとお答え申し上げて、「これより勝れている猫が何匹もございますようですから、これは暫くお預かり申しましょう」
と申し上げなさる。心の中では、何とも馬鹿げた事だと、一方ではお考えになるが、この猫を手に入れて、夜もお側近くにお置きなさる。
夜が明ければ、猫の世話をして、撫でて食事をさせなさる。人になつかなかった性質も、とてもよく馴れて、ともすれば、衣服の裾にまつわりついて、側に寝そべって甘えるのを、心からかわいいと思う。とてもひどく物思いに耽って、端近くに寄り臥していらっしゃると、やって来て、「ねよう、ねよう」と、とてもかわいらしげに鳴くので、撫でて、「いやに、積極的だな」と、思わず苦笑される。
「恋いわびている人のよすがと思ってかわいがっていると
どういうつもりでそんな鳴き声を立てるのか
これも前世からの縁であろうか」
と、顔を見ながらおっしゃると、ますますかわいらしく鳴くので、懐に入れて物思いに耽っていらっしゃる。御達などは、
「奇妙に、急に猫を寵愛なさるようになったこと。このようなものはお好きでなかったご性分なのに」
と、不審がるのだった。宮から返すようにとご催促があってもお返し申さず、独り占めして、この猫を話相手にしていらっしゃる。

 [1-2 Kashiwagi gets a cat that is Omna-Sam-no-Miya's]
 Nyougo no Ohom-kata ni mawiri te, monogatari nado kikoye magirahasi kokoromiru. Ito oku-hukaku, kokoro-hadukasiki ohom-motenasi ni te, maho ni miye tamahu koto mo nasi. Kakaru ohom-nakarahi ni dani, ke-dohoku narahi taru wo, "Yukurika ni ayasiku ha, ari si waza zo kasi." to ha, sasuga ni uti-oboyure do, oboroke ni sime taru waga kokoro kara, asaku mo omohi-nasa re zu.
 Touguu ni mawiri tamahi te, "Ron nau kayohi tamahe ru tokoro ara m kasi." to, me todome te mi tatematuru ni, nihohiyaka ni nado ha ara nu ohom-katati nare do, sabakari no mi-arisama hata, ito koto ni te, ate ni namamekasiku ohasimasu.
 Uti no ohom-neko no, amata hiki-ture tari keru harakara-domo no, tokoro-dokoro ni akare te, kono Miya ni mo mawire ru ga, ito wokasige ni te ariku wo miru ni, madu omohi-ide rarure ba,
 "Rokudeu-no-Win no Hime-Miya no ohom-kata ni haberu neko koso, ito miye nu yau naru kaho si te, wokasiu habe'sika. Hatuka ni nam mi tamahe si."
 to, kei-si tamahe ba, wazato rautaku se sase tamahu mi-kokoro ni te, kuhasiku toha se tamahu.
 "Kara-neko no, koko no ni tagahe ru sama si te nam haberi si. Onazi yau naru mono nare do, kokoro wokasiku hito nare taru ha, ayasiku natukasiki mono ni nam haberu."
 nado, yukasiku obosa ru bakari, kikoye-nasi tamahu.
 Kikosi-mesi oki te, Kiritubo-no-Ohomkata yori tutahe te kikoye sase tamahi kere ba, mawira se tamahe ri. "Geni, ito utukusige naru neko nari keri." to, hito-bito kyou-zuru wo, Wemon-no-Kami ha, "Tadune m to obosi tari ki." to, mi-kesiki wo mi-oki te, hi-goro he te mawiri tamahe ri.
 Waraha nari si yori, Suzaku-Win no tori-waki te obosi tukaha se tamahi sika ba, mi-yama-zumi ni okure kikoye te ha, mata kono Miya ni mo sitasiu mawiri, kokoro-yose kikoye tari. Ohom-koto nado wosihe kikoye tamahu tote,
 "Ohom-neko-domo amata tudohi haberi ni keri. Idura, kono mi si hito ha?"
 to tadune te mituke tamahe ri. Ito rautaku oboye te, kaki-nade te wi tari. Miya mo,
 "Geni, wokasiki sama si tari keri. Kokoro nam, mada natuki gataki ha, mi nare nu hito wo siru ni ya ara m? Koko naru neko-domo, koto ni otora zu kasi."
 to notamahe ba,
 "Kore ha, saru wakimahe-gokoro mo, wosa-wosa habera nu mono nare do, sono naka ni mo kasikoki ha, onodukara tamasihi habera m kasi." nado kikoye te, "Masaru-domo saburahu meru wo, kore ha sibasi tamahari adukara m."
 to mausi tamahu. Kokoro no uti ni, anagati ni wokogamasiku, katu ha oboyuru ni, kore wo tadune tori te, yoru mo atari tikaku huse tamahu.
 Ake-tate ba, neko no kasiduki wo si te, nade yasinahi tamahu. Hitoge tohokari si kokoro mo, ito yoku nare te, tomosure ba, kinu no suso ni matuhare, yori-husi mutururu wo, mameyaka ni utukusi to omohu. Ito itaku nagame te, hasi tikaku yori-husi tamahe ru ni, ki te, "Neu, neu" to, ito rautage ni nake ba, kaki-nade te, "Utate mo susumu kana!" to, hohowema ru.
 "Kohi waburu hito no katami to te-narase ba
 nare yo nani tote naku ne naru ram

 Kore mo mukasi no tigiri ni ya?"
 to, kaho wo mi tutu notamahe ba, iyo-iyo rautage ni naku wo, hutokoro ni ire te nagame wi tamahe ri. Gotati nado ha,
 "Ayasiku, nihaka naru neko no tokimeku kana! Kayau naru mono mi-ire tamaha nu mi-kokoro ni."
 to, togame keri. Miya yori mesu ni mo mawira se zu, tori-kome te, kore wo katarahi tamahu.

 [1-3 柏木、真木柱姫君には無関心]
左大将殿の北の方は、大殿の君たちよりも、右大将の君をば、なほ昔のままに、疎からず思ひきこえたまへり。心ばへのかどかどしく、気近くおはする君にて、対面したまふ時々も、こまやかに隔てたるけしきなくもてなしたまへれば、大将も、淑景舎などの、疎々しく及びがたげなる御心ざまのあまりなるに、さま異なる御睦びにて、思ひ交はしたまへり。
男君、今はまして、かのはじめの北の方をももて離れ果てて、並びなくもてかしづききこえたまふ。この御腹には、男君達の限りなれば、さうざうしとて、かの真木柱の姫君を得て、かしづかまほしくしたまへど、祖父宮など、さらに許したまはず、
「この君をだに、人笑へならぬさまにて見む」
と思し、のたまふ。
親王の御おぼえいとやむごとなく、内裏にも、この宮の御心寄せ、いとこよなくて、このことと奏したまふことをば、え背きたまはず、心苦しきものに思ひきこえたまへり。おほかたも今めかしくおはする宮にて、この院、大殿にさしつぎたてまつりては、人も参り仕うまつり、世人も重く思ひきこえけり。
大将も、さる世の重鎮となりたまふべき下形なれば、姫君の御おぼえ、などてかはかなくはあらむ。聞こえ出づる人々、ことに触れて多かれど、思しも定めず。衛門督を、「さも、けしきばまば」と思すべかめれど、猫には思ひ落としたてまつるにや、かけても思ひ寄らぬぞ、口惜しかりける。
母君の、あやしく、なほひがめる人にて、世の常のありさまにもあらず、もて消ちたまへるを、口惜しきものに思して、継母の御あたりをば、心つけてゆかしく思ひて、今めきたる御心ざまにぞものしたまひける。

 [1-3 柏木、真木柱姫君には無関心]
左大将殿の北の方は、大殿の君たちよりも、右大将の君を、やはり昔のままに、親しくお思い申し上げていらっしゃった。気立てに才気があって、親しみやすくいらっしゃる方なので、お会いなさる時々にも、親身に他人行儀になるところはなくお振る舞いになるので、右大将も、淑景舎などが、他人行儀で近づきがたいお扱いであるので、一風変わったお親しさで、お付き合いしていらっしゃった。
夫君は、今では以前にもまして、あの前の北の方とすっかり縁が切れてしまって、並ぶ者がないほど大切にしていらっしゃる。このお方の腹には、男のお子たちばかりなので、物足りないと思って、あの真木柱の姫君を引き取って、大切にお世話申したいとお思いになるが、祖父宮などは、どうしてもお許しにならず、
「せめてこの姫君だけでも、物笑いにならないように世話しよう」
とお思いになり、おっしゃりもしている。
親王のご声望はたいそう高く、帝におかせられても、この宮への御信頼は、並々ならぬものがあって、こうと奏上なさることはお断りになることができず、お気づかい申していらっしゃる。だいたいのお人柄も現代的でいらっしゃる宮で、こちらの院、大殿にお次ぎ申して、人々もお仕え申し、世間の人々も重々しく申し上げているのであった。
左大将も、将来の国家の重鎮とおなりになるはずの有力者であるから、姫君のご評判、どうして軽いことがあろうか。求婚する人々、何かにつけて大勢いるが、ご決定なさらない。衛門督を、「そのような、態度を見せたら」とお思いのようだが、猫ほどにはお思いにならないのであろうか、まったく考えもしないのは、残念なことであった。
母君が、どうしたことか、今だに変な方で、普通のお暮らしぶりでなく、廃人同様になっていらっしゃるのを、残念にお思いになって、継母のお側を、いつも心にかけて憧れて、現代的なご気性でいらっしゃっるのだった。

 [1-3 Kashiwagi has no interest in Makibashira-Hime]
 Sa-Daisyau-dono no Kitanokata ha, Oho-Tono no Kimi-tati yori mo, U-Daisyau-no-Kimi wo ba, naho mukasi no mama ni, utokara zu omohi kikoye tamahe ri. Kokoro-bahe no kado-kadosiku, ke-dikaku ohasuru Kimi ni te, taimen si tamahu toki-doki mo, komayaka ni hedate taru kesiki naku motenasi tamahe re ba, Daisyau mo, Sigeisya nado no, uto-utosiku oyobi gatage naru mi-kokoro-zama no amari naru ni, sama kotonaru ohom-mutubi ni te, omohi-kahasi tamahe ri.
 Wotoko-Gimi, ima ha masite, kano hazime no Kitanokata wo mo mote-hanare hate te, narabi naku mote-kasiduki kikoye tamahu. Kono ohom-hara ni ha, wotoko-kindati no kagiri nare ba, sau-zausi tote, kano Makibasira-no-Himegimi wo e te, kasiduka mahosiku si tamahe do, Ohodi-Miya nado, sarani yurusi tamaha zu,
 "Kono Kimi wo dani, hito-warahe nara nu sama ni te mi m."
 to obosi, notamahu.
 Miko no ohom-oboye ito yamgotonaku, Uti ni mo, kono Miya no mi-kokoro-yose, ito koyonaku te, kono koto to sou-si tamahu koto wo ba, e somuki tamaha zu, kokoro-gurusiki mono ni omohi kikoye tamahe ri. Ohokata mo imamekasiku ohasuru Miya ni te, kono Win, Oho-Tono ni sasitugi tatematuri te ha, hito mo mawiri tukau-maturi, yo-hito mo omoku omohi kikoye keri.
 Daisyau mo, saru yo no omosi to nari tamahu beki sitakata nare ba, Hime-Gimi no ohom-oboye, nado te ka hakanaku ha ara m. Kikoye iduru hito-bito, koto ni hure te ohokare do, obosi mo sadame zu. Wemon-no-Kami wo, "Sa mo, kesiki-bama ba." to obosu beka'mere do, neko ni ha omohi otosi tatematuru ni ya, kakete mo omohi-yora nu zo, kutiwosikari keru.
 Haha-Gimi no, ayasiku, naho higame ru hito ni te, yo no tune no arisama ni mo ara zu, mote-keti tamahe ru wo, kutiwosiki mono ni obosi te, mama-haha no ohom-atari wo ba, kokoro tuke te yukasiku omohi te, imameki taru mi-kokoro-zama ni zo monosi tamahi keru.

 [1-4 真木柱、兵部卿宮と結婚]
兵部卿宮、なほ一所のみおはして、御心につきて思しけることどもは、皆違ひて、世の中もすさまじく、人笑へに思さるるに、「さてのみやはあまえて過ぐすべき」と思して、このわたりにけしきばみ寄りたまへれば、大宮、
「何かは。かしづかむと思はむ女子をば、宮仕へに次ぎては、親王たちにこそは見せたてまつらめ。ただ人の、すくよかに、なほなほしきをのみ、今の世の人のかしこくする、品なきわざなり」
とのたまひて、いたくも悩ましたてまつりたまはず、受け引き申したまひつ。
親王、あまり怨みどころなきを、さうざうしと思せど、おほかたのあなづりにくきあたりなれば、えしも言ひすべしたまはで、おはしましそめぬ。いと二なくかしづききこえたまふ。
大宮は、女子あまたものしたまひて、
「さまざまもの嘆かしき折々多かるに、物懲りしぬべけれど、なほこの君のことの思ひ放ちがたくおぼえてなむ。母君は、あやしきひがものに、年ごろに添へてなりまさりたまふ。大将はた、わがことに従はずとて、おろかに見捨てられためれば、いとなむ心苦しき」
とて、御しつらひをも、立ちゐ、御手づから御覧じ入れ、よろづにかたじけなく御心に入れたまへり。

 [1-4 真木柱、兵部卿宮と結婚]
蛍兵部卿宮は、やはり独身生活でいらっしゃって、熱心にお望みになった方々は、皆うまくいかなくて、世の中が面白くなく、世間の物笑いに思われると、「このまま甘んじていられない」とお思いになって、この宮に気持ちをお漏らしになったところ、式部卿大宮は、
「いや何。大切に世話しようと思う娘なら、帝に差し上げる次には、親王たちにめあわせ申すのがよい。臣下の、真面目で、無難な人だけを、今の世の人が有り難がるのは、品のない考え方だ」
とおっしゃって、そう大してお焦らし申されることなく、ご承諾なさった。
蛍親王は、あまりに口説きがいのないのを、物足りないとお思いになるが、大体が軽んじ難い家柄なので、言い逃れもおできになれず、お通いになるようになった。たいそうまたとなく大事にお世話申し上げなさる。
式部卿大宮は、女の子がたくさんいらっしゃって、
「いろいろと何かにつけ嘆きの種が多いので、懲り懲りしたと思いたいところだが、やはりこの君のことが放っておけなく思えてね。母君は、奇妙な変人に年とともになって行かれる。大将は大将で、自分の言う通りにしないからと言って、いい加減に見放ちなされたようだから、まことに気の毒である」
と言って、お部屋の飾り付けも、立ったり座ったり、ご自身でお世話なさり、すべてにもったいなくも熱心でいらっしゃった。

 [1-4 Makibashira-Hime gets married to Hyobukyo-no-Miya]
 Hyaubukyau-no-Miya, naho hito-tokoro nomi ohasi te, mi-kokoro ni tuki te obosi keru koto-domo ha, mina tagahi te, yononaka mo susamaziku, hito-warahe ni obosa ruru ni, "Sate nomi ya ha amaye te sugusu beki." to obosi te, kono watari ni kesikibami yori tamahe re ba, Oho-Miya,
 "Nani ka ha! Kasiduka m to omoha m womnago wo ba, miya-dukahe ni tugi te ha, Miko-tati ni koso ha mise tatematura me. Tada-udo no, sukuyoka ni, naho-nahosiki wo nomi, ima no yo no hito no kasikoku suru, sina naki waza nari."
 to notamahi te, itaku mo nayamasi tatematuri tamaha zu, uke-hiki mausi tamahi tu.
 Miko, amari urami dokoro naki wo, sau-zausi to obose do, ohokata no anaduri nikuki atari nare ba, e si mo ihi-subesi tamaha de, ohasimasi some nu. Ito ni naku kasiduki kikoye tamahu.
 Oho-Miya ha, womnago amata monosi tamahi te,
 "Sama-zama mono-nagekasiki wori-wori ohokaru ni, mono-gori si nu bekere do, naho kono Kimi no koto no omohi hanati gataku oboye te nam. Haha-Gimi ha, ayasiki higa-mono ni, tosi-goro ni sohe te nari masari tamahu. Daisyau hata, waga koto ni sitagaha zu tote, oroka ni mi-sute rare ta'mere ba, ito nam kokoro-gurusiki."
 tote, ohom-siturahi wo mo, tati-wi, ohom-tedukara go-ran-zi ire, yorodu ni katazikenaku mi-kokoro ni ire tamahe ri.

 [1-5 兵部卿宮と真木柱の不幸な結婚生活]
宮は、亡せたまひにける北の方を、世とともに恋ひきこえたまひて、「ただ、昔の御ありさまに似たてまつりたらむ人を見む」と思しけるに、「悪しくはあらねど、さま変りてぞものしたまひける」と思すに、口惜しくやありけむ、通ひたまふさま、いともの憂げなり。
大宮、「いと心づきなきわざかな」と思し嘆きたり。母君も、さこそひがみたまへれど、うつし心出で来る時は、「口惜しく憂き世」と、思ひ果てたまふ。
大将の君も、「さればよ。いたく色めきたまへる親王を」と、はじめよりわが御心に許したまはざりしことなればにや、ものしと思ひたまへり。
尚侍の君も、かく頼もしげなき御さまを、近く聞きたまふには、「さやうなる世の中を見ましかば、こなたかなた、いかに思し見たまはまし」など、なまをかしくも、あはれにも思し出でけり。
「そのかみも、気近く見聞こえむとは、思ひ寄らざりきかし。ただ、情け情けしう、心深きさまにのたまひわたりしを、あへなくあはつけきやうにや、聞き落としたまひけむ」と、いと恥づかしく、年ごろも思しわたることなれば、「かかるあたりにて、聞きたまはむことも、心づかひせらるべく」など思す。
これよりも、さるべきことは扱ひきこえたまふ。せうとの君たちなどして、かかる御けしきも知らず顔に、憎からず聞こえまつはしなどするに、心苦しくて、もて離れたる御心はなきに、大北の方といふさがな者ぞ、常に許しなく怨じきこえたまふ。
「親王たちは、のどかに二心なくて、見たまはむをだにこそ、はなやかならぬ慰めには思ふべけれ」
とむつかりたまふを、宮も漏り聞きたまひては、「いと聞きならはぬことかな。昔、いとあはれと思ひし人をおきても、なほ、はかなき心のすさびは絶えざりしかど、かう厳しきもの怨じは、ことになかりしものを」
心づきなく、いとど昔を恋ひきこえたまひつつ、故里にうち眺めがちにのみおはします。さ言ひつつも、二年ばかりになりぬれば、かかる方に目馴れて、ただ、さる方の御仲にて過ぐしたまふ。

 [1-5 兵部卿宮と真木柱の不幸な結婚生活]
宮は、お亡くなりになった北の方を、それ以来ずっと恋い慕い申し上げなさって、「ただ、亡くなった北の方の面影にお似申し上げたような方と結婚しよう」とお思いになっていたが、「悪くはないが、違った感じでいらっしゃる」とお思いになると、残念であったのか、お通いになる様子は、まこと億劫そうである。
式部卿大宮は、「まったく心外なことだ」とお嘆きになっていた。母君も、あれほど変わっていらっしゃったが、正気に返る時は、「口惜しい嫌な世の中だ」と、すっかり思いきりなさる。
左大将の君も、「やはりそうであったか。ひどく浮気っぽい親王だから」と、はじめからご自身お認めにならなかったことだからであろうか、面白からぬお思いでいらっしゃった。
尚侍の君も、このように頼りがいのないご様子を、身近にお聞きになるにつけ、「そのような方と結婚をしたのだったら、こちらにもあちらにも、どんなにお思いになり御覧になっただろう」などと、少々おかしくも、また懐かしくもお思い出しになるのだった。
「あの当時も、結婚しようとは、考えてもいなかったのだ。ただ、いかにも優しく、情愛深くお言葉をかけ続けてくださったのに、張り合いなく軽率なように、お見下しになったであろうか」と、とても恥ずかしく、今までもお思い続けていらっしゃることなので、「あのような近いところで、わたしの噂をお聞きになることも、気をつかわねばならない」などとお思いになる。
こちらからも、しかるべき事柄はしてお上げになる。兄弟の公達などを差し向けて、このようなご夫婦仲も知らない顔をして、親しげにお側に伺わせたりなどするので、気の毒になって、お見捨てになる気持ちはないが、大北の方という性悪な人が、いつも悪口を申し上げなさる。
「親王たちは、おとなしく浮気をせず、せめて愛して下さるのが、華やかさがない代わりには思えるのだが」
とぶつぶつおっしゃるのを、宮も漏れお聞きなさっては、「まったく変な話だ。昔、とてもいとしく思っていた人を差し置いても、やはり、ちょっとした浮気はいつもしていたが、こう厳しい恨み言は、なかったものを」
と、気にくわなく、ますます故人をお慕いなさりながら、自邸に物思いに耽りがちでいらっしゃる。そうは言いながらも、二年ほどになったので、こうした事にも馴れて、ただ、そのような夫婦仲としてお過ごしになっていらっしゃる。

 [1-5 Unhappy married life between Makibashira-Hime and Hyobukyo-no-Miya]
 Miya ha, use tamahi ni keru Kitanokata wo, yo to tomo ni kohi kikoye tamahi te, "Tada, mukasi no ohom-arisama ni ni tatematura m hito wo mi m." to obosi keru ni, "Asiku ha ara ne do, sama kahari te zo monosi tamahi keru." to obosu ni, kutiwosiku ya ari kem, kayohi tamahu sama, ito mono-uge nari.
 Oho-Miya, "Ito kokorodukinaki waza kana!" to obosi nageki tari. Haha-Gimi mo, sa koso higami tamahe re do, utusi-gokoro ide-kuru toki ha, "Kutiwosiku uki yo." to, omohi-hate tamahu.
 Daisyau-no-Kimi mo, "Sareba yo. Itaku iromeki tamahe ru Miko wo." to, hazime yori waga mi-kokoro ni yurusi tamaha zari si koto nare ba ni ya, monosi to omohi tamahe ri.
 Kam-no-Kimi mo, kaku tanomosige naki ohom-sama wo, tikaku kiki tamahu ni ha, "Sayau naru yononaka wo mi masika ba, konata kanata, ika ni obosi mi tamaha masi." nado, nama-wokasiku mo, ahare ni mo obosi-ide keri.
 "Sono-kami mo, ke-dikaku mi kikoye m to ha, omohi-yora zari ki kasi. Tada, nasake-nasake-siu, kokoro hukaki sama ni notamahi watari si wo, ahenaku ahatukeki yau ni ya, kiki-otosi tamahi kem." to, ito hadukasiku, tosi-goro mo obosi-wataru koto nare ba, "Kakaru atari ni te, kiki tamaha m koto mo, kokoro-dukahi se raru beku." nado obosu.
 Kore yori mo, saru beki koto ha atukahi kikoye tamahu. Seuto-no-Kimi-tati nado si te, kakaru mi-kesiki mo sira-zu-gaho ni, nikukara zu kikoye matuhasi nado suru ni, kokoro-gurusiku te, mote hanare taru mi-kokoro ha naki ni, Oho-Kitanokata to ihu sagana mono zo, tune ni yurusi naku wen-zi kikoye tamahu.
 "Miko-tati ha, nodoka ni huta-gokoro naku te, mi tamaha m wo dani koso, hanayaka nara nu nagusame ni ha omohu bekere."
 to mutukari tamahu wo, Miya mo mori kiki tamahi te ha, "Ito kiki naraha nu koto kana! Mukasi, ito ahare to omohi si hito wo oki te mo, naho, hakanaki kokoro no susabi ha taye zari sika do, kau kibisiki mono-wen-zi ha, koto ni nakari si mono wo."
 Kokoro-dukinaku, itodo mukasi wo kohi kikoye tamahi tutu, hurusato ni uti-nagame-gati ni nomi ohasimasu. Sa ihi tutu mo, huta-tose bakari ni nari nure ba, kakaru kata ni me-nare te, tada, saru kata no ohom-naka ni te sugusi tamahu.

 2 光る源氏の物語 住吉参詣 [2-1 冷泉帝の退位]
はかなくて、年月もかさなりて、内裏の帝、御位に即かせたまひて、十八年にならせたまひぬ。
「嗣の君とならせたまふべき御子おはしまさず、ものの栄なきに、世の中はかなくおぼゆるを、心やすく、思ふ人々にも対面し、私ざまに心をやりて、のどかに過ぎまほしくなむ」
と、年ごろ思しのたまはせつるを、日ごろいと重く悩ませたまふことありて、にはかに下りゐさせたまひぬ。世の人、「飽かず盛りの御世を、かく逃れたまふこと」と惜しみ嘆けど、春宮もおとなびさせたまひにたれば、うち嗣ぎて、世の中の政事など、ことに変はるけぢめもなかりけり。
太政大臣、致仕の表たてまつりて、籠もりゐたまひぬ。
「世の中の常なきにより、かしこき帝の君も、位を去りたまひぬるに、年深き身の冠を挂けむ1672、何か惜しからむ」
と思しのたまひて、左大将、右大臣になりたまひてぞ、世の中の政事仕うまつりたまひける。女御の君は、かかる御世をも待ちつけたまはで、亡せたまひにければ、限りある御位を得たまへれど、ものの後ろの心地して、かひなかりけり。
六条の女御の御腹の一の宮、坊にゐたまひぬ。さるべきこととかねて思ひしかど、さしあたりてはなほめでたく、目おどろかるるわざなりけり。右大将の君、大納言になりたまひぬ。いよいよあらまほしき御仲らひなり。
六条院は、下りゐたまひぬる冷泉院の、御嗣おはしまさぬを、飽かず御心のうちに思す。同じ筋なれど、思ひ悩ましき御ことならで、過ぐしたまへるばかりに、罪は隠れて、末の世まではえ伝ふまじかりける御宿世、口惜しくさうざうしく思せど、人にのたまひあはせぬことなれば、いぶせくなむ。
春宮の女御は、御子たちあまた数添ひたまひて、いとど御おぼえ並びなし。源氏の、うち続き后にゐたまふべきことを、世人飽かず思へるにつけても、冷泉院の后は、ゆゑなくて、あながちにかくしおきたまへる御心を思すに、いよいよ六条院の御ことを、年月に添へて、限りなく思ひきこえたまへり。
院の帝、思し召ししやうに、御幸も、所狭からで渡りたまひなどしつつ、かくてしも、げにめでたくあらまほしき御ありさまなり。

 2 光る源氏の物語 住吉参詣 [2-1 冷泉帝の退位]
これという事もなくて、年月が過ぎて行き、今上の帝、御即位なさってから十八年におなりあそばした。
「後を嗣いで次の帝におなりになる皇子がいらっしゃらず、物寂しい上に、寿命がいつまで続くか分からない気がするので、気楽に、会いたい人たちと会い、私人として思うままに振る舞って、のんびりと過ごしたい」
と、長年お思いになりおっしゃりもしていたが、最近たいそう重くお悩みあそばすことがあって、急に御退位あそばした。世間の人は、「惜しい盛りのお年を、このようにお退きになること」と、惜しみ嘆いたが、東宮もご成人あそばしているので、お嗣ぎになって、世の中の政治など、特別に変わることもなかった。
太政大臣は致仕の表を奉って、ご引退なさった。
「世間の無常によって、恐れ多い帝の君も、御位をお下りになったのに、年老いた自分が冠を掛けるのは、何の惜しいことがあろうか」
とお考えになりおっしゃって、左大将が、右大臣におなりになって、政務をお勤めになったのであった。承香殿女御の君は、このような御世にお会いにならず、お亡くなりになったので、規定のご称号を奉られたが、光の当たらない感じがして、何にもならなかった。
六条院の女御腹の一の宮、東宮におつきになった。当然のこととは以前から思っていたが、実現して見るとやはり素晴らしく、目を見張るようなことであった。右大将の君、大納言におなりになった。ますます理想的なお間柄である。
六条院は、御退位あそばした冷泉院が、御後嗣がいらっしゃらないのを、残念なこととご心中ひそかにお思いになる。同じ自分の血統であるが、御煩悶なさることなくて、無事にお過ごしなっただけに、罪は現れなかったが、子孫まで皇位を伝えることができなかった御運命を、口惜しく物足りなくお思いになるが、人と話し合えないことなので、気持ちが晴れない。
東宮の母女御は、御子たちが大勢いらっしゃって、ますます御寵愛は並ぶ者がいない。源氏が、引き続いて皇后におなりになることを、世間の人は不満に思っているのにつけても、冷泉院の皇后は、格別の理由もないのに、強引にこのようにして下さったお気持ちをお思いになると、ますます六条院の御事を、年月と共に、この上なく有り難くお思い申し上げになっていらっしゃった。
院の帝は、お考えになっていたように、御幸も、気軽にお出かけなさったりして、御退位後はかえって、確かに素晴らしく申し分ない御生活である。

 2 Tale of Genji Visiting to Sumiyoshi-shrine [2-1 Reizei-Mikado abdicates from the throne]
 Hakanaku te, tosi-tuki mo kasanari te, Uti-no-Mikado, mi-kurawi ni tuka se tamahi te, zihu-hati-nen ni nara se tamahi nu.
 "Tugi no kimi to nara se tamahu beki mi-ko ohasimasa zu, mono no haye naki ni, yononaka hakanaku oboyuru wo, kokoro-yasuku, omohu hito-bito ni mo taimen-si, watakusi-zama ni kokoro wo yari te, nodoka ni sugi mahosiku nam."
 to, tosi-goro obosi notamahase turu wo, hi-goro ito omoku nayamase tamahu koto ari te, nihaka ni ori-wi sase tamahi nu. Yo no hito, "Aka-zu sakari no mi-yo wo, kaku nogare tamahu koto." to wosimi nageke do, Touguu mo otonabi sase tamahi ni tare ba, uti-tugi te, yononaka no maturigoto nado, koto ni kaharu kedime mo nakari keri.
 Ohoki-Otodo, tizi-no-heu tatematuri te, komori wi tamahi nu.
 "Yononaka no tune naki ni yori, kasikoki Mikado-no-Kimi mo, kurawi wo sari tamahi nuru ni, tosi hukaki mi no kauburi wo kake m, nani ka wosikara m."
 to obosi notamahi te, Sa-Daisyau, U-Daizin ni nari tamahi te zo, yononaka no maturigoto tukau-maturi tamahi keru. Nyougo-no-Kimi ha, kakaru mi-yo wo mo mati-tuke tamaha de, use tamahi ni kere ba, kagiri aru mi-kurawi wo e tamahe re do, mono no usiro no kokoti si te, kahi nakari keri.
 Rokudeu-no-Nyougo no ohom-hara no Iti-no-Miya, Bau ni wi tamahi nu. Saru beki koto to kanete omohi sika do, sasi atari te ha naho medetaku, me odoroka ruru waza nari keri. U-Daisyau-no-kimi, Dainagon ni nari tamahi nu. Iyo-iyo aramahosiki ohom-nakarahi nari.
 Rokudeu-Win ha, ori-wi tamahi nuru Reizei-Win no, ohom-tugi ohasimasa nu wo, aka zu mi-kokoro no uti ni obosu. Onazi sudi nare do, omohi nayamasiki ohom-koto nara de, sugusi tamahe ru bakari ni, tumi ha kakure te, suwe no yo made ha e tutahu mazikari keru ohom-sukuse, kutiwosiku sau-zausiku obose do, hito ni notamahi ahase nu koto nare ba, ibuseku nam.
 Touguu-no-Nyougo ha, mi-ko-tati amata kazu sohi tamahi te, itodo ohom-oboye narabi nasi. Genzi no, uti-tuduki Kisaki ni wi tamahu beki koto wo, yo-hito aka zu omohe ru ni tuke te mo, Reizei-Win no Kisaki ha, yuwe naku te, anagati ni kaku si-oki tamahe ru mi-kokoro wo obosu ni, iyo-iyo Rokudeu-Win no ohom-koto wo, tosi-tuki ni sohe te, kagiri naku omohi kikoye tamahe ri.
 Win-no-Mikado, obosi-mesi si yau ni, mi-yuki mo, tokoro-sekara de watari tamahi nado si tutu, kakute si mo, geni medetaku aramahosiki ohom-arisama nari.

 [2-2 六条院の女方の動静]
姫宮の御ことは、帝、御心とどめて思ひきこえたまふ。おほかたの世にも、あまねくもてかしづかれたまふを、対の上の御勢ひには、えまさりたまはず。年月経るままに、御仲いとうるはしく睦びきこえ交はしたまひて、いささか飽かぬことなく、隔ても見えたまはぬものから、
「今は、かうおほぞうの住まひならで、のどやかに行なひをも、となむ思ふ。この世はかばかりと、見果てつる心地する齢にもなりにけり。さりぬべきさまに思し許してよ」
と、まめやかに聞こえたまふ折々あるを、
「あるまじく、つらき御ことなり。みづから、深き本意あることなれど、とまりてさうざうしくおぼえたまひ、ある世に変はらむ御ありさまの、うしろめたさによりこそ、ながらふれ。つひにそのこと遂げなむ後に、ともかくも思しなれ」
などのみ、妨げきこえたまふ。
女御の君、ただこなたを、まことの御親にもてなしきこえたまひて、御方は隠れがの御後見にて、卑下しものしたまへるしもぞ、なかなか、行く先頼もしげにめでたかりける。
尼君も、ややもすれば、堪へぬよろこびの涙、ともすれば落ちつつ、目をさへ拭ひただして、命長き、うれしげなる例になりてものしたまふ。

 [2-2 六条院の女方の動静]
姫宮の御事は、帝が、御配慮になってお気をつけて差し上げなさる。世間の人々からも、広く重んじられていらっしゃるが、対の上のご威勢には、勝ることがおできになれない。年月がたつにつれて、ご夫婦仲は互いにたいそうしっくりと睦まじくいらして、少しも不満なところなく、よそよそしさもお見えでないが、
「今は、このような普通の生活ではなく、のんびりと仏道生活に入りたい、と思います。この世はこれまでと、すっかり見終えた気がする年齢にもなってしまいました。そのようにお許し下さいませ」
と、真剣に申し上げなさることが度々あるが、
「とんでもない、酷いおっしゃりようです。わたし自身、強く希望するところですが、後に残って寂しいお気持ちがなさり、今までと違ったようにおなりになるのが、気がかりなばかりに、生き永らえているのです。とうとう出家した後に、どうなりとお考え通りになさるがよい」
などとばかり、ご制止申し上げなさる。
女御の君、ひたすらこちらを、本当の母親のようにお仕え申し上げなさって、御方は蔭のお世話役として、謙遜していらっしゃるのが、かえって、将来頼もしげで、立派な感じであった。
尼君も、ややもすれば感激に堪えない喜びの涙、ともすれば、落とし落としして、目まで拭い爛れさせて、長生きした、幸福者の例になっていらっしゃる。

 [2-2 About movement of ladys in Rokujo-in]
 Hime-Miya no ohom-koto ha, Mikado, mi-kokoro todome te omohi kikoye tamahu. Ohokata no yo ni mo, amaneku mote kasiduka re tamahu wo, Tai-no-Uhe no ohom-ikihohi ni ha, e masari tamaha zu. Tosi-tuki huru mama ni, ohom-naka ito uruhasiku mutubi kikoye kahasi tamahi te, isasaka aka nu koto naku, hedate mo miye tamaha nu mono kara,
 "Ima ha, kau ohozau no sumahi nara de, nodoyaka ni okonahi wo mo, to nam omohu. Kono yo ha kabakari to, mi-hate turu kokoti suru yohahi ni mo nari ni keri. Sari nu beki sama ni obosi yurusi te yo."
 to, mameyaka ni kikoye tamahu wori-wori aru wo,
 "Aru maziku, turaki ohom-koto nari. Midukara, hukaki ho'i aru koto nare do, tomari te sau-zausiku oboye tamahi, aru yo ni kahara m ohom-arisama no, usiro-metasa ni yori koso, nagarahure. Tuhi ni sono koto toge na m noti ni, tomokaku mo obosi nare."
 nado nomi, samatage kikoye tamahu.
 Nyougo-no-Kimi, tada konata wo, makoto no mi-oya ni motenasi kikoye tamahi te, Ohom-kata ha kakure-ga no ohom-usiromi ni te, hige-si monosi tamahe ru si mo zo, naka-naka, yuku-saki tanomosige ni medetakari keru.
 Ama-Gimi mo, yaya mo sure ba, tahe nu yorokobi no namida, tomosure ba oti tutu, me wo sahe nogohi tadasi te, inoti nagaki, uresige naru tamesi ni nari te monosi tamahu.

 [2-3 源氏、住吉に参詣]
住吉の御願、かつがつ果たしたまはむとて、春宮女御の御祈りに詣でたまはむとて、かの箱開けて御覧ずれば、さまざまのいかめしきことども多かり。
年ごとの春秋の神楽に、かならず長き世の祈りを加へたる願ども、げに、かかる御勢ひならでは、果たしたまふべきこととも思ひおきてざりけり。ただ走り書きたる趣きの、才々しくはかばかしく、仏神も聞き入れたまふべき言の葉明らかなり。
「いかでさる山伏の聖心に、かかることどもを思ひよりけむ」と、あはれにおほけなくも御覧ず。「さるべきにて、しばしかりそめに身をやつしける、昔の世の行なひ人にやありけむ」など思しめぐらすに、いとど軽々しくも思されざりけり。
このたびは、この心をば表はしたまはず、ただ、院の御物詣でにて出で立ちたまふ。浦伝ひのもの騒がしかりしほど、そこらの御願ども、皆果たし尽くしたまへれども、なほ世の中にかくおはしまして、かかるいろいろの栄えを見たまふにつけても、神の御助けは忘れがたくて、対の上も具しきこえさせたまひて、詣でさせたまふ、響き世の常ならず。いみじくことども削ぎ1673捨てて、世の煩ひあるまじく、と省かせたまへど、限りありければ、めづらかによそほしくなむ。

 [2-3 源氏、住吉に参詣]
住吉の神に懸けた御願、そろそろ果たそうとなさって、春宮の女御の御祈願に参詣なさろうとして、あの箱を開けて御覧になると、いろいろな盛大な願文が多かった。
毎年の春秋に奏する神楽に、必ず子孫の永遠の繁栄を祈願した願文類が、なるほど、このようなご威勢でなければ果たすことがおできになれないように考えていたのであった。ただ走り書きしたような文面で、学識が見え論旨も通り、仏神もお聞き入れになるはずの文意が明瞭である。
「どうしてあのような山伏の聖心で、このような事柄を思いついたのだろう」と、感服し分を過ぎたことだと御覧になる。「前世の因縁で、ほんの少しの間、仮に身を変えた前世の修行者であったのだろうか」などとお考えめぐらすと、ますます軽んじることはできなかった。
今回は、この趣旨は表にお立てにならず、ただ、院の物詣でとしてご出立なさる。浦から浦へと流離した事変の当時の数多くの御願は、すっかりお果たしなさったが、やはりこの世にこうお栄えになっていらっしゃって、このようないろいろな栄華を御覧になるにつけても、神の御加護は忘れることができず、対の上もご一緒申し上げなさって、ご参詣あそばす、その評判、大変なものである。たいそう儀式を簡略にして、世間に迷惑があってはならないように、と省略なさるが、仕来りがあることゆえ、またとない立派さであった。

 [2-3 Genji's family visit to Sumiyoshi-shrine]
 Sumiyosi no ohom-gwan, katu-gatu hatasi tamaha m tote, Touguu-no-Nyougo no ohom-inori ni ma'de tamaha m tote, kano hako ake te go-ran-zure ba, sama-zama no ikamesiki koto-domo ohokari.
 Tosi goto no haru aki no kagura ni, kanarazu nagaki yo no inori wo kuhahe taru gwan-domo, geni, kakaru ohom-ikihohi nara de ha, hatasi tamahu beki koto to mo omohi-oki te zari keri. Tada hasiri-gaki taru omomuki no, zae-zaesiku haka-bakasiku, Hotoke Kami mo kiki-ire tamahu beki kotonoha akiraka nari.
 "Ikade saru yamabusi no hiziri-gokoro ni, kakaru koto-domo wo omohi-yori kem?" to, ahare ni ohokenaku mo go-ran-zu. "Saru beki ni te, sibasi karisome ni mi wo yatusi keru, mukasi no yo no okonahi-bito ni ya ari kem?" nado obosi-megurasu ni, itodo karu-garusiku mo obosa re zari keri.
 Kono tabi ha, kono kokoro wo ba arahasi tamaha zu, tada, Win no ohom-mono-maude ni te ide-tati tamahu. Ura-dutahi no mono-sawagasikari si hodo, sokora no ohom-gwan-domo, mina hatasi-tukusi tamahe re do mo, naho yononaka ni kaku ohasimasi te, kakaru iro-iro no sakaye wo mi tamahu ni tuke te mo, Kami no ohom-tasuke ha wasure gataku te, Tai-no-Uhe mo gu-si kikoye sase tamahi te, maude sase tamahu, hibiki yo no tune nara zu. Imiziku koto-domo sogi sute te, yo no wadurahi aru maziku, to habuka se tamahe do, kagiri ari kere ba, meduraka ni yosohosiku nam.

 [2-4 住吉参詣の一行]
上達部も、大臣二所をおきたてまつりては、皆仕うまつりたまふ。舞人は、衛府の次将どもの、容貌きよげに、丈だち等しき限りを選らせたまふ。この選びに入らぬをば恥に、愁へ嘆きたる好き者どもありけり。
陪従も、石清水、賀茂の臨時の祭などに召す人々の、道々のことにすぐれたる限りを整へさせたまへり。加はりたる二人なむ、近衛府の名高き限りを召したりける。
御神楽の方には、いと多く仕うまつれり。内裏、春宮、院の殿上人、方々に分かれて、心寄せ仕うまつる。数も知らず、いろいろに尽くしたる上達部の御馬、鞍、馬副、随身、小舎人童、次々の舎人などまで、整へ飾りたる見物、またなきさまなり。
女御殿、対の上は、一つに奉りたり。次の御車には、明石の御方、尼君忍びて乗りたまへり。女御の御乳母、心知りにて乗りたり。方々のひとだまひ、上の御方の五つ、女御殿の五つ、明石の御あかれの三つ、目もあやに飾りたる装束、ありさま、言へばさらなり。さるは、
「尼君をば、同じくは、老の波の皺延ぶばかりに、人めかしくて詣でさせむ」
と、院はのたまひけれど、
「このたびは、かくおほかたの響きに立ち交じらむもかたはらいたし。もし思ふやうならむ世の中を待ち出でたらば」
と、御方はしづめたまひけるを、残りの命うしろめたくて、かつがつものゆかしがりて、慕ひ参りたまふなりけり。さるべきにて、もとよりかく匂ひたまふ御身どもよりも、いみじかりける契り、あらはに思ひ知らるる人の御ありさまなり。

 [2-4 住吉参詣の一行]
上達部も、大臣お二方をお除き申しては、皆お供奉申し上げなさる。舞人は、近衛府の中将たちで器量が良くて、背丈の同じ者ばかりをお選びあそばす。この選に漏れたことを恥として、悲しみ嘆いている芸熱心の者たちもいるのだった。
陪従も、岩清水、賀茂の臨時の祭などに召す人々で、諸道に殊に勝れた者ばかりをお揃えになっていらっしゃった。それに加わった二人も、近衛府の世間に名高い者ばかりをお召しになっているのだった。
御神楽の方には、たいそう数多くの人々がお供申していた。帝、東宮、院の殿上人、それぞれに分かれて、進んで御用をお勤めになる。その数も知れず、いろいろと善美を尽くした上達部の御馬、鞍、馬添、随身、小舎人童、それ以下の舎人などまで、飾り揃えた見事さは、またとないほどである。
女御殿と、対の上は、同じお車にお乗りになっていた。次のお車には、明石の御方と、尼君がこっそりと乗っていらっしゃった。女御の御乳母、事情を知る者として乗っていた。それぞれお供の車は、対の上の御方のが五台、女御殿のが五台、明石のご一族のが三台、目も眩むほど美しく飾り立てた衣装、様子は、言うまでもない。一方では、
「尼君をば、どうせなら、老の波の皺が延びるように、立派に仕立てて参詣させよう」
と、院はおっしゃったが、
「今回は、このような世を挙げての参詣に加わるのも憚られます。もし希望通りの世まで生き永らえていましたら」
と、御方はお抑えなさったが、余命が心配で、もう一方では見たくて、付いていらっしゃったのであった。前世からの因縁で、もともとこのようにお栄えになるお身の上の方々よりも、まことに素晴らしい幸運が、はっきり分かるご様子の方である。

 [2-4 About appearance of visitors]
 Kamdatime mo, Otodo huta-tokoro wo oki tatematuri te ha, mina tukau-maturi tamahu. Mahi-bito ha, Wehu no Suke-domo no, katati kiyoge ni, take-dati hitosiki kagiri wo era se tamahu. Kono erabi ni ira nu wo ba hadi ni, urehe nageki taru suki-mono-domo ari keri.
 Beiziu mo, Ihasimidu, Kamo no rinzi no maturi nado ni mesu hito-bito no, miti-miti no koto ni sugure taru kagiri wo totonohe sase tamahe ri. Kuhahari taru hutari nam, Konowe-dukasa no na-dakaki kagiri wo mesi tari keru.
 Mi-kagura no kata ni ha, ito ohoku tukau-mature ri. Uti, Touguu, Win no Tenzyau-bito, kata-gata ni wakare te, kokoro-yose tukau-maturu. Kazu mo sira zu, iro-iro ni tukusi taru Kamdatime no ohom-uma, kura, uma-zohi, zuizin, kodoneri-waraha, tugi-tugi no toneri nado made, totonohe kazari taru mi-mono, mata naki sama nari.
 Nyougo-dono, Tai-no-Uhe ha, hito-tu ni tatematuri tari. Tugi no mi-kuruma ni ha, Akasi-no-Ohomkata, Ama-Gimi sinobi te nori tamahe ri. Nyougo no ohom-menoto, kokoro-siri ni te nori tari. Kata-gata no hito-damahi, Uhe-no-Ohomkata no itu-tu, Nyougo-dono no itu-tu, Akasi no ohom-akare no mi-tu, me mo aya ni kazari taru sauzoku, arisama, ihe ba sara nari. Saru ha,
 "Ama-Gimi wo ba, onaziku ha, oyi no nami no siha nobu bakari ni, hito-mekasiku te maude sase m."
 to, Win ha notamahi kere do,
 "Kono-tabi ha, kaku ohokata no hibiki ni tati-mazira m mo katahara itasi. Mosi omohu yau nara m yononaka wo mati-ide tara ba."
 to, Ohom-kata ha sidume tamahi keru wo, nokori no inoti usirometaku te, katu-gatu mono-yukasi-gari te, sitahi mawiri tamahu nari keri. Saru beki ni te, moto yori kaku nihohi tamahu ohom-mi-domo yori mo, imizikari keru tigiri, araha ni omohi sira ruru hito no mi-arisama nari.

 [2-5 住吉社頭の東遊び]
十月中の十日なれば、神の斎垣にはふ葛も色変はり1674て、松の下紅葉1675など、音にのみ秋を聞かぬ顔なり。ことことしき高麗、唐土の楽よりも、東遊の耳馴れたるは、なつかしくおもしろく、波風の声に響きあひて、さる木高き松風に吹き立てたる笛の音も、ほかにて聞く調べには変はりて身にしみ、御琴1676に打ち合はせたる拍子も、鼓を離れて調へとりたるかた、おどろおどろしからぬも、なまめかしくすごうおもしろく、所からは、まして聞こえけり。
山藍に摺れる竹の節は、松の緑に見えまがひ、插頭の色々は、秋の草に異なるけぢめ分かれで、何ごとにも目のみまがひいろふ。
「求子1677」果つる末に、若やかなる上達部は、肩ぬぎて下りたまふ。匂ひもなく黒き袍に、蘇芳襲の、葡萄染の袖を、にはかに引きほころばしたるに、紅深き衵の袂の、うちしぐれたるにけしきばかり濡れたる、松原をば忘れて、紅葉の散るに思ひわたさる。
見るかひ多かる姿どもに、いと白く枯れたる荻を、高やかにかざして、ただ一返り舞ひて入りぬるは、いとおもしろく飽かずぞありける。

 [2-5 住吉社頭の東遊び]
十月の二十日なので、社の玉垣に這う葛も色が変わって、松の下紅葉などは、風の音にだけ秋を聞き知っているのではないというふうである。仰々しい高麗、唐土の楽よりも、東遊の耳馴れているのは、親しみやすく美しく、波風の音に響き合って、あの木高い松風に吹き立てる笛の音も、他で聞く調べに変わって身にしみて感じられ、お琴に合わせた拍子も、鼓を用いないで調子をうまく合わせた趣が、大げさなところがないのも、優美でぞっとするほど面白く、場所が場所だけに、いっそう素晴らしく聞こえるのであった。
山藍で摺り出した竹の模様の衣装は、松の緑に見間違えて、插頭の色とりどりなのは、秋の草と見境がつかず、どれもこれも目先がちらつくばかりである。
「求子」が終わった後に、若い上達部は、肩脱ぎしてお下りになる。光沢のない黒の袍衣から、蘇芳襲で、葡萄染の袖を急に引き出したところ、紅の濃い袙の袂が、はらはらと降りかかる時雨にちょっとばかり濡れたのは、松原であることを忘れて、紅葉が散ったのかと思われる。
皆見栄えのする容姿で、たいそう白く枯れた荻を、高々と插頭に挿して、ただ一さし舞って入ってしまったのは、実に面白くもっといつまでも見ていたい気がするのであった。

 [2-5 Azuma-asobi at Sumiyoshi-shrine]
 Zihu-gwati naka no towo-ka nare ba, Kami no igaki ni hahu kuzu mo iro kahari te, matu no sita momidi nado, oto ni nomi aki wo kika nu kaho nari. Koto-kotosiki Koma, Morokosi no gaku yori mo, Aduma-asobi no mimi-nare taru ha, natukasiku omosiroku, nami-kaze no kowe ni hibiki-ahi te, saru kodakaki matukaze ni huki-tate taru hue no ne mo, hoka ni te kiku sirabe ni ha kahari te mi ni simi, ohom-koto ni uti-ahase taru hyausi mo, tudumi wo hanare te totonohe tori taru kata, odoro-odorosikara nu mo, namamekasiku sugou omosiroku, tokoro-kara ha, masite kikoye keri.
 Yama-awi ni sure ru take no husi ha, matu no midori ni miye magahi, kazasi no iro-iro ha, aki no kusa ni kotonaru kedime wakare de, nani-goto ni mo me nomi magahi irohu.
 Motome-go haturu suwe ni, waka-yaka naru Kamdatime ha, kata nugi te ori tamahu. Nihohi mo naku kuroki uhe-no-kinu ni, suhau-gasane no, ebi-zome no sode wo, nihaka ni hiki-hokorobasi taru ni, kurenawi hukaki akome no tamoto no, uti-sigure taru ni kesiki bakari nure taru, matu-bara wo ba wasure te, momidi no tiru ni omohi watasa ru.
 Miru kahi ohokaru sugata-domo ni, ito siroku kare taru wogi wo, taka-yaka ni kazasi te, tada hito-kaheri mahi te iri nuru ha, ito omosiroku aka zu zo ari keru.

 [2-6 源氏、往時を回想]
大殿、昔のこと思し出でられ、中ごろ沈みたまひし世のありさまも、目の前のやうに思さるるに、その世のこと、うち乱れ語りたまふべき人もなければ、致仕の大臣をぞ、恋しく思ひきこえたまひける。
入りたまひて、二の車に忍びて、
「たれかまた心を知りて住吉の
神代を経たる松にこと問ふ」
御畳紙に書きたまへり。尼君うちしほたる。かかる世を見るにつけても、かの浦にて、今はと別れたまひしほど、女御の君のおはせしありさまなど思ひ出づるも、いとかたじけなかりける身の宿世のほどを思ふ。世を背きたまひし人も恋しく、さまざまにもの悲しきを、かつはゆゆしと言忌して、
「住の江をいけるかひある渚とは
年経る尼も今日や知るらむ」
遅くは便なからむと、ただうち思ひけるままなりけり。
「昔こそまづ忘られね住吉の
神のしるしを見るにつけても」
と独りごちけり。

 [2-6 源氏、往時を回想]
大殿、昔の事が思い出されて、ひところご辛労なさった当時の有様も、目の前のように思い出されなさるが、その当時の事、遠慮なく語り合える相手もいないので、致仕の大臣を、恋しくお思い申し上げなさるのであった。
お入りになって、二の車に目立たないように、
「わたしの外に誰がまた昔の事情を知って住吉の
神代からの松に話しかけたりしましょうか」
御畳紙にお書きになっていた。尼君、感涙にむせぶ。このような時世を見るにつけても、あの明石の浦で、これが最後とお別れになった時の事、女御の君が御方のお腹に中にいらっしゃった時の様子などを思い出すにつけても、まことにもったいない運勢の程を思う。出家なさった方も恋しく、あれこれと物悲しく思われるので、一方では涙は縁起でもないと思い直して言葉を慎んで、
「住吉の浜を生きていた甲斐がある渚だと
年とった尼も今日知ることでしょう」
遅くなっては不都合だろうと、ただ思い浮かんだままにお返ししたのであった。
「昔の事が何よりも忘れられない
住吉の神の霊験を目の当たりにするにつけても」
とひとり口ずさむのであった。

 [2-6 Genji recalls his dark years]
 Otodo, mukasi no koto obosi-ide rare, naka-goro sidumi tamahi si yo no arisama mo, me no mahe no yau ni obosa ruru ni, sono yo no koto, uti-midare katari tamahu beki hito mo nakere ba, Tizi-no-Otodo wo zo, kohisiku omohi kikoye tamahi keru.
 Iri tamahi te, ni-no-kuruma ni sinobi te,
 "Tare ka mata kokoro wo siri te Sumiyosi no
 Kami-yo wo he taru matu ni koto tohu
"
 Ohom-tatam-gami ni kaki tamahe ri. Ama-Gimi uti-sihotaru. Kakaru yo wo miru ni tuke te mo, kano ura ni te, ima ha to wakare tamahi si hodo, Nyougo-no-Kimi no ohase si arisama nado omohi-iduru mo, ito katazikenakari keru mi no sukuse no hodo wo omohu. Yo wo somuki tamahi si hito mo kohisiku, sama-zama ni mono-ganasiki wo, katu ha yuyusi to koto-imi si te,
 "Sumi-no-e wo ike ru kahi aru nagisa to ha
 tosi huru Ama mo kehu ya siru ram
"
 Osoku ha bin-nakara m to, tada uti-omohi keru mama nari keri.
 "Mukasi koso madu wasurare ne Sumiyosi no
 Kami no sirusi wo miru ni tuke te mo
"
 to hitori-goti keri.

 [2-7 終夜、神楽を奏す]
夜一夜遊び明かしたまふ。二十日の月はるかに澄みて、海の面おもしろく見えわたるに、霜のいとこちたく置きて、松原も色まがひて、よろづのことそぞろ寒く、おもしろさもあはれさも立ち添ひたり。
対の上、常の垣根のうちながら、時々につけてこそ、興ある朝夕の遊びに、耳古り目馴れたまひけれ、御門より外の物見、をををさしたまはず、ましてかく都のほかのありきは、まだ慣らひたまはねば、珍しくをかしく思さる。
「住の江の松に夜深く置く霜は
神の掛けたる木綿鬘かも」
篁の朝臣の、「比良の山さへ1678」と言ひける雪の朝を思しやれば、祭の心うけたまふしるしにやと、いよいよ頼もしくなむ。女御の君、
「神人の手に取りもたる榊葉に
木綿かけ添ふる深き夜の霜」
中務の君、
「祝子が木綿うちまがひ置く霜は
げにいちじるき神のしるしか」
次々数知らず多かりけるを、何せむに1679かは聞きおかむ。かかるをりふしの歌は、例の上手めきたまふ男たちも、なかなか出で消えして、松の千歳より離れて、今めかしきことなければ、うるさくてなむ。

 [2-7 終夜、神楽を奏す]
一晩中神楽を奏して夜をお明かしなさる。二十日の月が遥かかなたに澄み照らして、海面が美しく見えわたっているところに、霜がたいそう白く置いて、松原も同じ色に見えて、何もかもが寒気をおぼえる素晴らしさで、風情や情趣の深さも一入に感じられる。
対の上は、いつものお邸の内にいらしたまま、季節季節につけて、興趣ある朝夕の遊びに、耳慣れ目馴れていらっしゃったが、御門から外の見物を、めったになさらず、ましてこのような都の外へお出になることは、まだご経験がないので、物珍しく興味深く思わずにはいらっしゃれない。
「住吉の浜の松に夜深く置く霜は
神様が掛けた木綿鬘でしょうか」
篁朝臣が、「比良の山さえ」と言った雪の朝をお思いやりになると、ご奉納の志をお受けになった証だろうかと、ますます頼もしかった。女御の君、
「神主が手に持った榊の葉に
木綿を掛け添えた深い夜の霜ですこと」
中務の君、
「神に仕える人々の木綿鬘と見間違えるほどに置く霜は
仰せのとおり神の御霊験の証でございましょう」
次々と数え切れないほど多かったのだが、どうして覚えていられようか。このような時の歌は、いつもの上手でいらっしゃるような殿方たちも、かえって出来映えがぱっとしないで、松の千歳を祝う決まり文句以外に、目新しい歌はないので、煩わしくて省略した。

 [2-7 There are playing Kagura all through the night]
 Yo-hito-yo asobi akasi tamahu. Hatuka no tuki haruka ni sumi te, umi no omote omosiroku miye wataru ni, simo no ito kotitaku oki te, matu-bara mo iro magahi te, yorodu no koto sozoro samuku, omosirosa mo aharesa mo tati-sohi tari.
 Tai-no-Uhe, tune no kakine no uti nagara, toki-doki ni tuke te koso, kyou aru asa-yuhu no asobi ni, mimi huri me nare tamahi kere, mi-kado yori to no mono-mi, wosa-wosa si tamaha zu, masite kaku miyako no hoka no ariki ha, mada narahi tamaha ne ba, medurasiku wokasiku obosa ru.
 "Sumi-no-e no matu ni yo-bukaku oku simo ha
 Kami no kake taru yuhu-kadura kamo
"
 Takamura-no-Asom no, "Hira no yama sahe" to ihi keru yuki no asita wo obosi yare ba, maturi no kokoro uke tamahu sirusi ni ya to, iyo-iyo tanomosiku nam. Nyougo-no-Kimi,
 "Kami-bito no te ni tori-mo'taru sakaki-ba ni
 yuhu kake sohuru hukaki yo no simo
"
 Nakatukasa-no-Kimi,
 "Hahuri-ko ga yuhu uti-magahi oku simo ha
 geni itiziruki Kami no sirusi ka
"
 Tugi-tugi kazu sira zu ohokari keru wo, nani se m ni ka ha kiki-oka m. Kakaru wori-husi no uta ha, rei no zyauzu meki tamahu wotoko-tati mo, naka-naka ide-giye si te, matu no ti-tose yori hanare te, imamekasiki koto nare ba, urusaku te nam.

 [2-8 明石一族の幸い]
ほのぼのと明けゆくに、霜はいよいよ深くて、本末もたどたどしきまで、酔ひ過ぎにたる神楽おもてどもの、おのが顔をば知らで、おもしろきことに心はしみて、庭燎も影しめりたるに、なほ、「万歳、万歳1680」と、榊葉を取り返しつつ、祝ひきこゆる御世の末、思ひやるぞいとどしきや。
よろづのこと飽かずおもしろきままに、千夜を一夜に1681なさまほしき夜の、何にもあらで明けぬれば、返る波にきほふも口惜しく、若き人々思ふ。
松原に、はるばると立て続けたる御車どもの、風にうちなびく下簾の隙々も、常磐の蔭に、花の錦を引き加へたると見ゆるに、袍の色々けぢめおきて、をかしき懸盤取り続きて、もの参りわたすをぞ、下人などは目につきて、めでたしとは思へる。
尼君の御前にも、浅香の折敷に、青鈍の表折りて、精進物を参るとて、「めざましき女の宿世かな」と、おのがじしはしりうごちけり。
詣でたまひし道は、ことことしくて、わづらはしき神宝、さまざまに所狭げなりしを、帰さはよろづの逍遥を尽くしたまふ。言ひ続くるもうるさく、むつかしきことどもなれば。
かかる御ありさまをも、かの入道の、聞かず見ぬ世にかけ離れたうべるのみなむ、飽かざりける。難き1682ことなりかし、交じらはましも見苦しくや。世の中の人、これを例にて、心高くなりぬべきころなめり。よろづのことにつけて、めであさみ、世の言種にて、「明石の尼君」とぞ、幸ひ人に言ひける。かの致仕の大殿の近江の君は、双六打つ時の言葉にも、
「明石の尼君、明石の尼君」
とぞ賽は乞ひける。

 [2-8 明石一族の幸い]
夜がほのぼのと明けて行くと、霜はいよいよ深く、本方と末方とがその分担もはっきりしなくなるほど、酔い過ぎた神楽面が、自分の顔がどんなになっているか知らないで、面白いことに夢中になって、庭燎も消えかかっているのに、依然として、「万歳、万歳」と、榊の葉を取り直し取り直して、お祝い申し上げる御末々の栄えを、想像するだけでもいよいよめでたい限りである。
万事が尽きせず面白いまま、千夜の長さをこの一夜の長さにしたいほどの今夜も、何という事もなく明けてしまったので、返る波と先を争って帰るのも残念なことと、若い人々は思う。
松原に、遥か遠くまで立て続けた幾台ものお車が、風に靡く下簾の間々も、常磐の松の蔭に、花の錦を引き並べたように見えるが、袍の色々な色が位階の相違を見せて、趣きのある懸盤を取って、次々と食事を一同に差し上げるのを、下人などは目を見張って、立派だと思っている。
尼君の御前にも、浅香の折敷に、青鈍の表を付けて、精進料理を差し上げるという事で、「驚くほどの女性のご運勢だ」と、それぞれ陰口を言ったのであった。
御参詣なさった道中は、ものものしいことで、もてあますほどの奉納品が、いろいろと窮屈げにあったが、帰りはさまざまな物見遊山の限りをお尽くしになる。それを語り続けるのも煩わしく、厄介な事柄なので。
このようなご様子をも、あの入道が、聞こえないまた見えない山奥に離れ去ってしまわれたことだけが、不満に思われた。それも難しいことだろう、出てくるのは見苦しいことであろうよ。世の中の人は、これを例として、高望みがはやりそうな時勢のようである。万事につけて、誉め驚き、世間話の種として、「明石の尼君」と、幸福な人の例に言ったのであった。あの致仕の大殿の近江の君は、双六を打つ時の言葉にも、
「明石の尼君、明石の尼君」
と言って賽を祈ったのである。

 [2-8 Akashi's clan had a feeling of happiness]
 Hono-bono to ake-yuku ni, simo ha iyo-iyo hukaku te, moto suwe mo tado-tadosiki made, wehi-sugi ni taru kagura omote-domo no, onoga kaho wo ba sira de, omosiroki koto ni kokoro ha simi te, niha-bi mo kage simeri taru ni, naho, "Man-zai, man-zai" to, sakaki-ba wo tori-kahesi tutu, ihahi kikoyuru mi-yo no suwe ni, omohi yaru zo itodosiki ya!
 Yorodu no koto aka zu omosiroki mama ni, ti-yo wo hito-yo ni nasa mahosiki yo no, nani ni mo ara de ake nure ba, kaheru nami ni kihohu mo kutiwosiku, wakaki hito-bito omohu.
 Matu-bara ni, haru-baru to tate-tuduke taru mi-kurum-domo no, kaze ni uti-nabiku sita-sudare no hima-hima mo, tokiha no kage ni, hana no nisiki wo hiki-kuhahe taru to miyuru ni, uhe-no-kinu no iro-iro kedime oki te, wokasiki kakeban tori-tuduki te, mono mawiri-watasu wo zo, simo-bito nado ha me ni tuki te, medetasi to ha omohe ru.
 Ama-Gimi no o-mahe ni mo sen-kau no wosiki ni, awo-nibi no omote wori te, sauzin-mono wo mawiru tote, "Mezamasiki womna no sukuse kana!" to, onogazisi ha siriu-goti keri.
 Maude tamahi si miti ha, koto-kotosiku te, wadurahasiki kam-dakara, sama-zama ni tokorose-ge nari si wo, kahesa ha yorodu no seueu wo tukusi tamahu. Imi-tudukuru mo urusaku, mutukasiki koto-domo nare ba.
 Kakaru mi-arisama wo mo, kano Nihudau no, kika zu mi nu yo ni kake-hanare taube ru nomi nam, aka zari keru. Kataki koto nari kasi, maziraha masi mo mi-gurusiku ya! Yononaka no hito, kore wo tamesi ni te, kokoro takaku nari nu beki koro na'meri. Yorodu no koto ni tuke te, mede asami, yo no koto-gusa ni te, "Akasi-no-Amagimi" to zo, saihahi-bito ni ihi keru. Kano Tizi-no-Ohotono no Ahumi-no-Kimi ha, suguroku utu toki no kotoba ni mo,
 "Akasi-no-Amagimi, Akasi-no-Amagimi!"
 to zo sai ha kohi keru.

 3 朱雀院の物語 朱雀院の五十賀の計画 [3-1 女三の宮と紫の上]
入道の帝は、御行なひをいみじくしたまひて、内裏の御ことをも聞き入れたまはず。春秋の行幸になむ、昔思ひ出でられたまふこともまじりける。姫宮の御ことをのみぞ、なほえ思し放たで、この院をば、なほおほかたの御後見に思ひきこえたまひて、うちうちの御心寄せあるべく奏せさせたまふ。二品になりたまひて、御封などまさる。いよいよはなやかに御勢ひ添ふ。
対の上、かく年月に添へて、かたがたにまさりたまふ御おぼえに、
「わが身はただ一所の御もてなしに、人には劣らねど、あまり年積もりなば、その御心ばへもつひに衰へなむ。さらむ世を見果てぬさきに、心と背きにしがな」
と、たゆみなく思しわたれど、さかしきやうにや思さむとつつまれて、はかばかしくもえ聞こえたまはず。内裏の帝さへ、御心寄せことに聞こえたまへば、おろかに聞かれたてまつらむもいとほしくて、渡りたまふこと、やうやう等しきやうになりゆく。
さるべきこと、ことわりとは思ひながら、さればよとのみ、やすからず思されけれど、なほつれなく同じさまにて過ぐしたまふ。春宮の御さしつぎの女一の宮を、こなたに取り分きてかしづきたてまつりたまふ。その御扱ひになむ、つれづれなる御夜がれのほども慰めたまひける。いづれも分かず、うつくしくかなしと思ひきこえたまへり。

 3 朱雀院の物語 朱雀院の五十賀の計画 [3-1 女三の宮と紫の上]
入道の帝は、仏道に御専心あそばして、内裏の御政道にはいっさいお口をお出しにならない。春秋の朝覲の行幸には、昔の事をお思い出しになることもあった。姫宮の御事だけを、今でも御心配でいらして、こちらの六条院を、やはり表向きのお世話役としてお思い申し上げなさって、内々の御配慮を下さるべく帝にもお願い申し上げていらっしゃる。二品におなりになって、御封なども増える。ますます華やかにご威勢も増す。
対の上は、このように年月とともに何かにつけてまさって行かれるご声望に比べて、
「自分自身はただ一人が大事にして下さるお蔭で、他の人には負けないが、あまりに年を取り過ぎたら、そのご愛情もしまいには衰えよう。そのような時にならない前に、自分から世を捨てたい」
と、ずっと思い続けていらっしゃるが、生意気なようにお思いになるだろうと遠慮されて、はっきりとはお申し上げになることができない。今上帝までが、御配慮を特別にして上げていらっしゃるので、疎略なと、お耳にあそばすことがあったらお気の毒なので、お通いになることがだんだんと同等になってなって行く。
無理もないこと、当然なこととは思いながらも、やはりそうであったのかとばかり、面白からずお思いになるが、やはり素知らぬふうに同じ様にして過ごしていらっしゃる。春宮のすぐお下の女一の宮を、こちらに引き取って大切にお世話申し上げていらっしゃる。そのご養育に、所在ない殿のいらっしゃらない夜々を気をお紛らしていらっしゃるのだった。どちらの宮も区別せず、かわいくいとしいとお思い申し上げていらっしゃった。

 3 Tale of Suzaku A plan of celebrstion for Suzaku 50 years old [3-1 The present of Omna-Sam-no-Miya and Murasaki]
 Nihudau-no-Mikado ha, ohom-okonahi wo imiziku si tamahi te, Uti no ohom-koto wo mo kiki-ire tamaha zu. Syun-ziu no gyougau ni nam, mukasi omohi-ide rare tamahu koto mo maziri keru. Hime-Miya no ohom-koto wo nomi zo, naho e obosi-hanata de, kono Win wo ba, naho ohokata no ohom-usiromi ni omohi kikoye tamahi te, uti-uti no mi-kokoro-yose aru beku sou-se sase tamahu. Ni-hon ni nari tamahi te, mi-bu nado masaru. Iyo-iyo hanayaka ni ohom-ikihohi sohu.
 Tai-no-Uhe, kaku tosi-tuki ni sohe te, kata-gata ni masari tamahu ohom-oboye ni,
 "Waga mi ha tada hito-tokoro no ohom-motenasi ni, hito ni ha otora ne do, amari tosi tumori na ba, sono mi-kokoro-bahe mo tuhi ni otorohe na m. Sara m yo wo mi-hate nu saki ni, kokoro to somuki ni si gana!"
 to, tayumi naku obosi watare do, sakasiki yau ni ya obosa m to tutuma re te, haka-bakasiku mo e kikoye tamaha zu. Uti-no-Mikado sahe, mi-kokoro-yose koto ni kikoye tamahe ba, oroka ni kika re tatematura m mo itohosiku te, watari tamahu koto, yau-yau hitosiki yau ni nari yuku.
 Saru beki koto, kotowari to ha omohi nagara, sare ba yo to nomi, yasukara zu obosa re kere do, naho turenaku onazi sama ni te sugusi tamahu. Touguu no ohom-sasitugi no Womna-Iti-no-Miya wo, konata ni tori-waki te kasiduki tatematuri tamahu. Sono ohom-atukahi ni nam, ture-dure naru ohom-yo-gare no hodo mo nagusame tamahi keru. Idure mo waka zu, utukusiku kanasi to omohi kikoye tamahe ri.

 [3-2 花散里と玉鬘]
夏の御方は、かくとりどりなる御孫扱ひをうらやみて、大将の君の典侍腹の君を、切に迎へてぞかしづきたまふ。いとをかしげにて、心ばへも、ほどよりはされおよすけたれば、大殿の君もらうたがりたまふ。少なき御嗣と思ししかど、末に広ごりて、こなたかなたいと多くなり添ひたまふを、今はただ、これをうつくしみ扱ひたまひてぞ、つれづれも慰めたまひける。
右の大殿の参り仕うまつりたまふこと、いにしへよりもまさりて親しく、今は北の方もおとなび果てて、かの昔のかけかけしき筋思ひ離れたまふにや、さるべき折も渡りまうでたまふ。対の上にも御対面ありて、あらまほしく聞こえ交はしたまひけり。
姫宮のみぞ、同じさまに若くおほどきておはします。女御の君は、今は公ざまに思ひ放ちきこえたまひて、この宮をばいと心苦しく、幼からむ御女のやうに、思ひはぐくみたてまつりたまふ。

 [3-2 花散里と玉鬘]
夏の御方は、このようなあれこれのお孫たちのお世話を羨んで、大将の君の典侍腹のお子を、ぜひにと引き取ってお世話なさる。とてもかわいらしげで、気立ても、年のわりには利発でしっかりしているので、大殿の君もおかわいがりになる。数少ないお子だとお思いであったが、孫は大勢できて、あちらこちらに数多くおなりになったので、今はただ、これらをかわいがり世話なさることで、退屈さを紛らしていらっしゃるのであった。
右の大殿が参上してお仕えなさることは、昔以上に親密になって、今では北の方もすっかり落ち着いたお年となって、あの昔の色めかしい事は思い諦めたのであろうか、適当な機会にはよくお越しになる。対の上ともお会いになって、申し分ない交際をなさっているのであった。
姫宮だけが、同じように若々しくおっとりしていらっしゃる。女御の君は、今は主上にすべてお任せ申し上げなさって、この姫宮をたいそう心に懸けて、幼い娘のように思ってお世話申し上げていらっしゃる。

 [3-2 The present of Hanachirusato and Tamakazura]
 Natu-no-Ohomkata ha, kaku tori-dori naru ohom-mago atukahi wo urayami te, Daisyau-no-Kimi no Naisi-no-Suke-bara no Kimi wo, seti ni mukahe te zo kasiduki tamahu. Ito wokasige ni te, kokorobahe mo, hodo yori ha sare oyosuke tare ba, Otodo-no-Kimi mo rautagari tamahu. Sukunaki ohom-tugi to obosi sika do, suwe ni hirogori te, konata kanata ito ohoku nari sohi tamahu wo, ima ha tada, kore wo utukusimi atukahi tamahi te zo, ture-dure mo nagusame tamahi keru.
 Migi-no-Ohotono no mawiri tukau-maturi tamahu koto, inisihe yori mo masari te sitasiku, ima ha Kitanokata mo otonabi-hate te, kano mukasi no kake-kakesiki sudi omohi hanare tamahu ni ya, saru beki wori mo watari maude tamahu. Tai-no-Uhe ni mo ohom-taimen ari te, aramahosiku kikoye kahasi tamahi keri.
 Hime-Miya nomi zo, onazi sama ni wakaku ohodoki te ohasimasu. Nyougo-no-kimi ha, ima ha ohoyake-zama ni omohi hanati kikoye tamahi te, kono Miya wo ba ito kokoro-gurusiku, wosanakara m mi-musume no yau ni, omohi hagukumi tatematuri tamahu.

 [3-3 朱雀院の五十の賀の計画]
朱雀院の、
「今はむげに世近くなりぬる心地して、もの心細きを、さらにこの世のこと顧みじと思ひ捨つれ1683ど、対面なむ今一度あらまほしきを、もし恨み残りもこそすれ、ことことしきさまならで渡りたまふべく」
聞こえたまひければ、大殿も、
「げに、さるべきことなり。かかる御けしきなからむにてだに、進み参りたまふべきを。まして、かう待ちきこえたまひけるが、心苦しきこと」
と、参りたまふべきこと思しまうく。
「ついでなく、すさまじきさまにてやは、はひ渡りたまふべき。何わざをしてか、御覧ぜさせたまふべき」
と、思しめぐらす。
「このたび足りたまはむ年、若菜など調じてや」と、思して、さまざまの御法服のこと、斎の御まうけの1684しつらひ、何くれとさまことに変はれることどもなれば、人の御心しつらひども入りつつ、思しめぐらす。
いにしへも、遊びの方に御心とどめさせたまへりしかば、舞人、楽人などを、心ことに定め、すぐれたる限りをととのへさせたまふ。右の大殿の御子ども二人、大将の御子、典侍の腹の加へて三人、まだ小さき七つより上のは、皆殿上せさせたまふ。兵部卿宮の童孫王、すべてさるべき宮たちの御子ども、家の子の君たち、皆選び出でたまふ。
殿上の君達も、容貌よく、同じき舞の姿も、心ことなるべきを定めて、あまたの舞のまうけをせさせたまふ。いみじかるべきたびのこととて、皆人心を尽くしたまひてなむ。道々のものの師、上手、暇なきころなり。

 [3-3 朱雀院の五十賀の計画]
朱雀院が、
「今はすっかり死期が近づいた心地がして、何やら心細いが、決してこの世のことは気に懸けまいと思い捨てたが、もう一度だけお会いしたく思うが、もし未練でも残ったら大変だから、大げさにではなくお越しになるように」
と、お便り申し上げなさったので、大殿も、
「なるほど、仰せの通りだ。このような御内意が仮になくてさえ、こちらから進んで参上なさるべきことだ。なおさらのこと、このようにお待ちになっていらっしゃるとは、おいたわしいことだ」
と、ご訪問なさるべきことをご準備なさる。
「何のきっかけもなく、取り立てた趣向もなくては、どうして簡単にお出かけになれようか。どのようなことをして、御覧に入れたらよかろうか」
と、ご思案なさる。
「来年ちょうどにお達しになる年に、若菜などを調進してお祝い申し上げようか」と、お考えになって、いろいろな御法服のこと、精進料理のご準備、何やかやと勝手が違うことなので、ご夫人方のお智恵も取り入れてお考えになる。
御出家以前にも、音楽の方面には御関心がおありでいらっしゃったので、舞人、楽人などを、特別に選考し、勝れた人たちだけをお揃えあそばす。右の大殿のお子たち二人、大将のお子は、典侍腹の子を加えて三人、まだ小さい七歳以上の子は、皆童殿上させなさる。兵部卿宮の童孫王、すべてしかるべき宮家のお子たちや、良家のお子たち、皆お選び出しになる。
殿上の君たちも、器量が良く、同じ舞姿と言っても、また格別な人を選んで、多くの舞の準備をおさせになる。大層なこの度の催しとあって、誰も皆懸命に練習に励んでいらっしゃる。その道々の師匠、名人が、大忙しのこのごろである。

 [3-3 A plan of celebrstion for Suzaku 50 years old]
 Suzaku-Win no,
 "Ima ha muge ni yo tikaku nari nuru kokoti si te, mono-kokoro-bosoki wo, sara ni kono yo no koto kaherimi zi to omohi-suture do, taimen nam ima hito-tabi ara mahosiki wo, mosi urami nokori mo koso sure, koto-kotosiki sama nara de watari tamahu beku."
 kikoye tamahi kere ba, Otodo mo,
 "Geni, saru beki koto nari. Kakaru mi-kesiki nakara m ni te dani, susumi mawiri tamahu beki wo. Masite, kau mati kikoye tamahi keru ga, kokoro-gurusiki koto."
 to, mawiri tamahu beki koto obosi mauku.
 "Tuide naku, susamaziki sama ni te ya ha, hahi-watari tamahu beki. Nani-waza wo si te ka, go-ran-ze sase tamahu beki."
 to, obosi megurasu.
 "Kono tabi tari tamaha m tosi, wakana nado teu-zi te ya." to, obosi te, sama-zama no ohom-hohubuku no koto, imohi no ohom-mauke no siturahi, nani-kure to sama koto ni kahare ru koto-domo nare ba, hito no mi-kokoro siturahi-domo iri tutu, obosi megurasu.
 Inisihe mo, asobi no kata ni mi-kokoro todome sase tamahe ri sika ba, mahi-bito, gaku-nin nado wo, kokoro koto ni sadame, sugure taru kagiri wo totonohe sase tamahu. Migi-no-Ohotono no mi-ko-domo hutari, Daisyau no m-iko, Naisi-no-Suke-bara no kuhahe te sam-nin, mada tihisaki nana-tu yori kami no ha, mina tenzyau se sase tamahu. Hyaubukyau-no-Miya no waraha-sonwau, subete saru beki Miya-tati no mi-ko-domo, ihe-no-ko no Kimi-tati, mina erabi ide tamahu.
 Tenzyau no Kimi-tati mo, katati yoku, onaziki mahi no sugata mo, kokoro koto naru beki wo sadame te, amata no mahi no mauke wo se sase tamahu. Imizikaru beki tabi no koto tote, mina hito kokoro wo tukusi tamahi te nam. Miti-miti no mono-no-si, zyauzu, itoma naki koro nari.

 [3-4 女三の宮に琴を伝授]
宮は、もとより琴の御琴をなむ習ひたまひけるを、いと若くて院にもひき別れたてまつりたまひしかば、おぼつかなく思して、
「参りたまはむついでに、かの御琴の音なむ聞かまほしき。さりとも琴ばかりは弾き取りたまひつらむ」
と、しりうごとに聞こえたまひけるを、内裏にも聞こし召して、
「げに、さりとも、けはひことならむかし。院の御前にて、手尽くしたまはむついでに、参り来て聞かばや」
などのたまはせけるを、大殿の君は伝へ聞きたまひて、
「年ごろさりぬべきついでごとには、教へきこゆることもあるを、そのけはひは、げにまさりたまひにたれど、まだ聞こし召しどころあるもの深き手には及ばぬを、何心もなくて参りたまへらむついでに、聞こし召さむとゆるしなくゆかしがらせたまはむは、いとはしたなかるべきことにも」
と、いとほしく思して、このころぞ御心とどめて教へきこえたまふ。
調べことなる手、二つ三つ、おもしろき大曲どもの、四季につけて変はるべき響き、空の寒さぬるさをととのへ1685出でて、やむごとなかるべき手の限りを、取り立てて教へきこえたまふに、心もとなくおはするやうなれど、やうやう心得たまふままに、いとよくなりたまふ1686。
「昼は、いと人しげく、なほ一度も揺し按ずる暇も、心あわたたしければ、夜々なむ、静かにことの心もしめたてまつるべき」
とて、対にも、そのころは御暇聞こえたまひて、明け暮れ教へきこえたまふ。

 [3-4 女三の宮に琴を伝授]
姫宮は、もともと琴の御琴をお習いであったが、とても小さい時に父院にお別れ申されたので、気がかりにお思いになって、
「お越しになる機会に、あの御琴の音をぜひ聞きたいものだ。いくら何でも琴だけは物になさったことだろう」
と、陰で申されなさったのを、帝におかせられてもお耳にあそばして、
「仰せの通り、何と言っても、格別のご上達でしょう。院の御前で、奥義をお弾きなさる機会に、参上して聞きたいものだ」
などと仰せになったのを、大殿の君は伝え聞きなさって、
「今までに適当な機会があるたびに、お教え申したことはあるが、その腕前は、確かに上達なさったが、まだお聞かせできるような深みのある技術には達していないのを、何の準備もなくて参上した機会に、お聞きあそばしたいと強くお望みあそばしたら、とてもきっときまり悪い思いをすることになりはせぬか」
と、気の毒にお思いになって、ここのところご熱心にお教え申し上げなさる。
珍しい曲目、二つ三つ、面白い大曲類で、四季につれて変化するはずの響き、空気の寒さ温かさをその音色によって調え出して、高度な技術のいる曲目ばかりを、特別にお教え申し上げになるが、気がかりなようでいらっしゃるが、だんだんと習得なさるにつれて、大変上手におなりになる。
「昼間は、たいそう人の出入りが多く、やはり絃を一度揺すって音をうねらせる間も、気ぜわしいので、夜な夜なに、静かに奏法の勘所をじっくりとお教え申し上げよう」
と言って、対の上にも、そのころはお暇申されて、朝から晩までお教え申し上げなさる。

 [3-4 Genji teaches playing shitigen-kin to Omna-Sam-no-Miya]
 Miya ha, moto yori kin no ohom-koto wo nam narahi tamahi keru wo, ito wakaku te Win ni mo hiki-wakare tatematuri tamahi sika ba, obotukanaku obosi te,
 "Mawiri tamaha m tuide ni, ka no ohom-koto no ne nam kika mahosiki. Saritomo kin bakari ha hiki-tori tamahi tura m."
 to, siriu-goto ni kikoye tamahi keru wo, Uti ni mo kikosimesi te,
 "Geni, saritomo, kehahi koto nara m kasi. Win no go-zen ni te, te tukusi tamaha m tuide ni, mawiri ki te kika baya."
 nado notamahase keru wo, Otodo-no-Kimi ha tutahe kiki tamahi te,
 "Tosi-goro sari nu beki tuide goto ni ha, wosihe kikoyuru koto mo aru wo, sono kehahi ha, geni masari tamahi ni tare do, mada kikosimesi dokoro aru mono hukaki te ni ha oyoba nu wo, nani-gokoro mo naku te mawiri tamahe ra m tuide ni, kikosimesa m to yurusi naku yukasi-gara se tamaha m ha, ito hasitanakaru beki koto ni mo."
 to, itohosiku obosi te, kono-koro zo mi-kokoro todome te wosihe kikoye tamahu.
 Sirabe koto naru te, huta-tu mi-tu, omosiroki dai-goku-domo no, siki ni tuke te kaharu beki hibiki, sora no samusa nurusa wo totonohe ide te, yamgotonakaru beki te no kagiri wo, tori-tate te wosihe kikoye tamahu ni, kokoro-motonaku ohasuru yau nare do, yau-yau kokoro-e tamahu mama ni, ito yoku nari tamahu.
 "Hiru ha, ito hito sigeku, naho hito-tabi mo yu-si an-zuru itoma mo, kokoro-awatatasikere ba, yoru-yoru nam, siduka ni koto no kokoro mo sime tatematuru beki.
 tote, Tai ni mo, sono-koro ha ohom-itoma kikoye tamahi te, ake-kure wosihe kikoye tamahu.

 [3-5 明石女御、懐妊して里下り]
女御の君にも、対の上にも、琴は習はしたてまつりたまはざりければ、この折、をさをさ耳馴れぬ手ども弾きたまふらむを、ゆかしと思して、女御も、わざとありがたき御暇を、ただしばしと聞こえたまひてまかでたまへり。
御子二所おはするを、またもけしきばみたまひて、五月ばかりにぞなりたまへれば、神事などにことづけておはしますなりけり。十一日過ぐしては、参りたまふべき御消息うちしきりあれど、かかるついでに、かくおもしろき夜々の御遊びをうらやましく、「などて我に伝へたまはざりけむ」と、つらく思ひきこえたまふ。
冬の夜の月は、人に違ひてめでたまふ御心なれば、おもしろき夜の雪の光に、折に合ひたる手ども弾きたまひつつ、さぶらふ人々も、すこしこの方にほのめきたるに、御琴どもとりどりに弾かせて、遊びなどしたまふ。
年の暮れつ方は、対などにはいそがしく、こなたかなたの御いとなみに、おのづから御覧じ入るることどもあれば、
「春のうららかならむ夕べなどに、いかでこの御琴の音聞かむ」
とのたまひわたるに、年返りぬ。

 [3-5 明石女御、懐妊して里下り]
女御の君にも、対の上にも、琴の琴はお習わせ申されなかったので、この機会に、めったに耳にすることのない曲目をお弾きになっていらっしゃるらしいのを、聞きたいとお思いになって、女御も、特別にめったにないお暇を、ただ少しばかりお願い申し上げなさって御退出なさっていた。
お子様がお二方いらっしゃるが、再びご懐妊なさって、五か月ほどにおなりだったので、神事にかこつけてお里下がりしていらっしゃるのであった。十一日が過ぎたら、参内なさるようにとのお手紙がしきりにあるが、このような機会に、このように面白い毎夜の音楽の遊びが羨ましくて、「どうしてわたしにはご伝授して下さらなかったのだろう」と、恨めしくお思い申し上げなさる。
冬の夜の月は、人とは違ってご賞美なさるご性分なので、美しい雪の夜の光に、季節に合った曲目類をお弾きになりながら、伺候する女房たちも、少しはこの方面に心得のある者に、お琴類をそれぞれ弾かせて、管弦の遊びをなさる。
年の暮れ方は、対の上などは忙しく、あちらこちらのご準備で、自然とお指図なさる事柄があるので、
「春のうららかな夕方などに、ぜひにこのお琴の音色を聞きたい」
とおっしゃり続けているうちに、年が改まった。

 [3-5 Akashi-Nyogo comes back to her parents' home because of pregnancy]
 Nyougo-no-Kimi ni mo, Tai-no-Uhe ni mo, kin ha nrahasi tatematuri tamaha zari kere ba, kono wori, wosa-wosa mimi nare nu te-domo hiki tamahu ram wo, yukasi to obosi te, Nyougo mo, wazato arigataki ohom-itoma wo, tada sibasi to kikoye tamahi te makade tamahe ri.
 Mi-ko huta-tokoro ohasuru wo, mata mo kesikibami tamahi te, itu-tuki bakari ni zo nari tamahe re ba, kam-waza nado ni kotoduke te ohasimasu nari keri. Zihu-iti-niti sugusi te ha, mawiri tamahu beki ohom-seusoko uti-sikiri are do, kakaru tuide ni, kaku omosiroki yoru-yoru no ohom-asobi wo urayamasiku, "Nadote ware ni tutahe tamaha zari kem?" to, turaku omohi kikoye tamahu.
 Huyu no yo no tuki ha, hito ni tagahi te mede tamahu mi-kokoro nare ba, omosiroki yo no yuki no hikari ni, wori ni ahi taru te-domo hiki tamahi tutu, saburahu hito-bito mo, sukosi kono kata ni honomeki taru ni, ohom-koto-domo tori-dori ni hika se te, asobi nado si tamahu.
 Tosi no kure tu kata ha, Tai nado ni ha isogasiku, konata kanata no ohom-itonami ni, onodukara go-ran-zi iruru koto-domo are ba,
 "Haru no uraraka nara m yuhube nado ni, ikade kono ohom-koto no ne kika m."
 to notamahi wataru ni, tosi kaheri nu.

 [3-6 朱雀院の御賀を二月十日過ぎと決定]
院の御賀、まづ朝廷よりせさせたまふことどもこちたきに、さしあひては便なく思されて、すこしほど過ごしたまふ。二月十余日と定めたまひて、楽人、舞人など参りつつ、御遊び1687絶えず。
「この対に、常にゆかしくする御琴の音、いかでかの人々の箏、琵琶の音も合はせて、女楽試みさせむ。ただ今のものの上手どもこそ、さらにこのわたりの人々の御心しらひどもにまさらね。
はかばかしく伝へ取りたることは、をさをさなけれど、何ごとも、いかで心に知らぬことあらじとなむ、幼きほどに思ひしかば、世にあるものの師といふ限り、また高き家々の、さるべき人の伝へどもをも、残さず試みし中に、いと深く恥づかしきかなとおぼゆる際の人なむなかりし。
そのかみよりも、またこのころの若き人々の、されよしめき過ぐすに、はた浅くなりにたるべし。琴はた、まして、さらにまねぶ人なくなりにたりとか。この御琴の音ばかりだに伝へたる人、をさをさあらじ」
とのたまへば、何心なくうち笑みて、うれしく、「かくゆるしたまふほどになりにける」と思す。
二十一、二ばかりになりたまへど、なほいといみじく片なりに、きびはなる心地して、細くあえかにうつくしくのみ見えたまふ。
「院にも見えたてまつりたまはで、年経ぬるを、ねびまさりたまひにけりと御覧ずばかり、用意加へて見えたてまつりたまへ」
と、ことに触れて教へきこえたまふ。
「げに、かかる御後見なくては、ましていはけなくおはします御ありさま、隠れなからまし」
と、人々も見たてまつる。

 [3-6 朱雀院の御賀を二月十日過ぎと決定]
朱雀院の五十の御賀は、まず今上の帝のあそばすことがたいそう盛大であろうから、それに重なっては不都合だとお思いになって、少し日を遅らせなさる。二月十日過ぎとお決めになって、楽人や、舞人などが参上しては、合奏が続く。
「こちらの対の上が、いつも聞きたがっているお琴の音色を、ぜひとも他の方々の箏の琴や、琵琶の音色も合わせて、女楽を試みてみたい。ただ最近の音楽の名人たちは、この院の御方々のお嗜みのほどにはかないませんね。
きちんと伝授を受けたことは、ほとんどありませんが、どのようなことでも、何とかして知らないことがないようにと、子供の時に思ったので、世間にいる道々の師匠は全部、また高貴な家々の、しかるべき人の伝えをも残さず受けてみた中で、とても造詣が深くてこちらが恥じ入るように思われた人はいませんでした。
その当時から、また最近の若い人々が、風流で気取り過ぎているので、全く浅薄になったのでしょう。琴の琴は、琴の琴で、他の楽器以上に全然稽古する人がなくなってしまったとか。あなたの御琴の音色ほどにさえも習い伝えている人は、ほとんどありますまい」
とおっしゃると、無邪気にほほ笑んで、嬉しくなって、「このようにお認めになるほどになったのか」とお思いになる。
二十一、二歳ほどにおなりになりだが、まだとても幼げで、未熟な感じがして、ほっそりと弱々しく、ただかわいらしくばかりお見えになる。
「院にもお目にかかりなさらないで、何年にもなったが、ご成人なさったと御覧いただけるように、一段と気をつけてお会い申し上げなさい」
と、何かの機会につけてお教え申し上げなさる。
「なるほど、このようなご後見役がいなくては、まして幼そうにいらっしゃいますご様子、隠れようもなかろう」
と、女房たちも拝見する。

 [3-6 The celebration is fixed the date for Feb. 10 past]
 Win no ohom-ga, madu Ohoyake yori se sase tamahu koto-domo kotitaki ni, sasi-ahi te ha bin-naku obosa re te, sukosi hodo sugosi tamahu. Ni-gawati zihu-yo-niti to sadame tamahi te, gaku-nin, mahi-bito nado mawiri tutu, ohom-asobi taye zu.
 "Kono Tai ni, tune ni yukasiku suru ohom-koto no ne, ikade kano hito-bito no sau, biha no ne mo ahase te, womna-gaku kokoromi sase m. Tada ima no mono no zyauzu-domo koso, sarani kono watari no hito-bito no mi-kokoro-sirahi-domo ni masara ne.
 Haka-bakasiku tutahe tori taru koto ha, wosa-wosa nakere do, nani-goto mo, ikade kokoro ni sira nu koto ara zi to nam, wosanaki hodo ni omohi sika ba, yo ni aru mono no si to ihu kagiri, mata takaki ihe-ihe no, saru beki hito no tutahe-domo wo mo, nokosa zu kokoromi si naka ni, ito hukaku hadukasiki kana to oboyuru kiha no hito nam nakari si.
 Sono-kami yori mo, mata kono-koro no wakaki hito-bito no, sare yosimeki sugusu ni, hata asaku nari ni taru besi. Kin hata, masite, sarani manebu hito naku nari ni tari to ka. Kono ohom-koto no ne bakari dani tutahe taru hito, wosa-wosa ara zi."
 to notamahe ba, nani-gokoro naku uti-wemi te, uresiku, "Kaku yurusi tamahu hodo ni nari ni keru." to obosu.
 Ni-zihu iti, ni bakari ni nari tamahe do, naho ito imiziku kata-nari ni, kibiha naru kokoti si te, hosoku ayeka ni utukusiku nomi miye tamahu.
 "Win ni mo miye tatematuri tamaha de, tosi he nuru wo, nebi masari tamahi ni keri to go-ran-zu bakari, youi kuhahe te miye tatematuri tamahe."
 to, koto ni hure te wosihe kikoye tamahu.
 "Geni, kakaru ohom-usiromi naku te ha, masite ihakenaku ohasimasu mi-arisama, kakure nakara masi."
 to, hito-bito mo mi tatematuru.

 4 光る源氏の物語 六条院の女楽 [4-1 六条院の女楽]
正月二十日ばかりになれば、空もをかしきほどに、風ぬるく吹きて、御前の梅も盛りになりゆく。おほかたの花の木どもも、皆けしきばみ、霞みわたりにけり。
「月たたば、御いそぎ近く、もの騒がしからむに、掻き合はせたまはむ御琴の音も、試楽めきて人言ひなさむを、このころ静かなるほどに試みたまへ」
とて、寝殿に渡したてまつりたまふ。
御供に、我も我もと、ものゆかしがりて、参う上らまほしがれど、こなたに遠きをば、選りとどめさせたまひて、すこしねびたれど、よしある限り選りてさぶらはせたまふ。
童女は、容貌すぐれたる四人、赤色に桜の汗衫、薄色の織物の衵、浮紋の表の袴、紅の擣ちたる、さま、もてなしすぐれたる限りを召したり。女御の御方にも、御しつらひなど、いとどあらたまれるころのくもりなきに、おのおの挑ましく、尽くしたるよそほひども、鮮やかに二なし。
童は、青色に蘇芳の汗衫、唐綾の表の袴、衵は山吹なる唐の綺を、同じさまに調へたり。明石の御方のは、ことことしからで、紅梅二人、桜二人、青磁の限りにて、衵濃く薄く、擣目などえならで着せたまへり。
宮の御方にも、かく集ひたまふべく聞きたまひて、童女の姿ばかりは、ことにつくろはせたまへり。青丹に柳の汗衫、葡萄染の衵など、ことに好ましくめづらしきさまにはあらねど、おほかたのけはひの、いかめしく気高きことさへ、いと並びなし。

 4 光る源氏の物語 六条院の女楽 [4-1 六条院の女楽]
正月二十日ほどなので、空模様もうららかで、風がなま温かく吹いて、御前の梅の花も盛りになって行く。たいていの花の木も、みな蕾がふくらんで、一面に霞んでいた。
「来月になったら、ご準備が近づいて、何かと騒がしかろうから、合奏なさる琴の音色も、試楽のように人が噂するだろうから、今の静かなころに合奏なさってごらんなさい」
とおっしゃって、寝殿にお迎え申し上げなさる。
お供に、わたしもわたしもと、合奏を聞きたく参上したがるが、音楽の方面に疎い者は、残させなさって、すこし年は取っていても、心得のある者だけを選んで伺候させなさる。
女童は、器量の良い四人、赤色の表着に桜襲の汗衫、薄紫色の織紋様の袙、浮紋の上の袴に、紅の打ってある衣装で、容姿、態度などのすぐれている者たちだけをお召しになっていた。女御の御方にも、お部屋の飾り付けなど、常より一層に改めたころの明るさなので、それぞれ競争し合って、華美を尽くしている衣装、鮮やかなこと、またとない。
童は、青色の表着に蘇芳の汗衫、唐綾の表袴、袙は山吹色の唐の綺を、お揃いで着ていた。明石の御方のは、仰々しくならず、紅梅襲が二人、桜襲が二人、いずれも青磁色ばかりで、袙は濃紫や薄紫、打目の模様が何とも言えず素晴らしいのを着せていらっしゃった。
宮の御方でも、このようにお集まりになるとお聞きになって、女童の容姿だけは特別に整えさせていらっしゃった。青丹の表着に柳襲の汗衫、葡萄染の袙など、格別趣向を凝らして目新しい様子ではないが、全体の雰囲気が、立派で気品があることまでが、まことに並ぶものがない。

 4 Tale of Genji A concert by four ladies at Rokujo-in [4-1 A concert by four ladies at Rokujo-in]
 Syaugwati hatuka bakari ni nare ba, sora mo wokasiki hodo ni, kaze nuruku huki te, o-mahe no ume mo sakari ni nari-yuku. Ohokata no hana no ki-domo mo, mina kesiki-bami, kasumi watari ni keri.
 "Tuki tata ba, ohom-isogi tikaku, mono-sawagasikara m ni, kaki-ahase tamaha m ohom-koto no ne mo, sigaku meki te hito ihi-nasa m wo, kono-koro siduka naru hodo ni kokoromi tamahe."
 tote, sin-den ni watasi tatematuri tamahu.
 Ohom-tomo ni, ware mo ware mo to, mono yukasigari te, mau-nobora mahosi-gare do, konata ni tohoki wo ba, eri todome sase tamahi te, sukosi nebi tare do, yosi aru kagiri eri te saburaha se tamahu.
 Warahabe ha, katati sugure taru yo-tari, aka-iro ni sakura no kazami, usu-iro no orimono no akome, uki-mon no uhe no hakama, kurenawi no uti taru, sama, motenasi sugure taru kagiri wo mesi tari. Nyougo-no-Ohomkata ni mo, ohom-siturahi nado, itodo aratamare ru koro no kumori naki ni, ono-ono idomasiku, tukusi taru yosohohi-domo, azayaka ni ni nasi.
 Waraha ha, awo-iro ni suhau no kazami, kara-aya no uhe no hakama, akome ha yamabuki naru kara no ki wo, onazi sama ni totonohe tari. Akasi-no-Ohomkata no ha, koto-kotosikara de, koubai hutari, sakura hutari, awodi no kagiri ni te, akome koku usuku, utime nado e nara de kise tamahe ri.
 Miya-no-Ohomkata ni mo, kaku tudohi tamahu beku kiki tamahi te, warahabe no sugata bakari ha, koto ni tukuroha se tamahe ri. Awoni ni yanagi no kazami, ebi-zome no akome nado, koto ni konomasiku medurasiki sama ni ha ara ne do, ohokata no kehahi no, ikamesiku kedakaki koto sahe, ito narabi nasi.

 [4-2 孫君たちと夕霧を召す]
廂の中の御障子を放ちて、こなたかなた御几帳ばかりをけぢめにて、中の間は、院のおはしますべき御座よそひたり。今日の拍子合はせには童べを召さむとて、右の大殿の三郎、尚侍の君の御腹の兄君、笙の笛、左大将の御太郎、横笛と吹かせて、簀子にさぶらはせたまふ。
内には、御茵ども並べて、御琴ども参り渡す。秘したまふ御琴ども、うるはしき紺地の袋どもに入れたる取り出でて、明石の御方に琵琶、紫の上に和琴、女御の君に箏の御琴、宮には、かくことことしき琴はまだえ弾きたまはずやと、あやふくて、例の手馴らしたまへるをぞ、調べてたてまつりたまふ。
「箏の御琴は、ゆるぶとなけれど、なほ、かく物に合はする折の調べにつけて、琴柱の立処乱るるものなり。よくその心しらひ調ふべきを、女はえ張りしづめじ。なほ、大将をこそ召し寄せつべかめれ。この笛吹ども、まだいと幼げにて、拍子調へむ頼み強からず」
と笑ひたまひて、
「大将、こなたに」
と召せば、御方々恥づかしく、心づかひしておはす。明石の君を放ちては、いづれも皆捨てがたき御弟子どもなれば、御心加へて、大将の聞きたまはむに、難なかるべくと思す。
「女御は、常に上の聞こし召すにも、物に合はせつつ弾きならしたまへれば、うしろやすきを、和琴こそ、いくばくならぬ調べなれど、あと定まりたることなくて、なかなか女のたどりぬべけれ。春の琴の音は、皆掻き合はするものなるを、乱るるところもや」
と、なまいとほしく思す。

 [4-2 孫君たちと夕霧を召す]
廂の中の御障子を取り外して、あちらとこちらと御几帳だけを境にして、中の間には、院がお座りになるための御座所を設けてあった。今日の拍子合わせの役には、子供を召そうとして、右の大殿の三郎君、尚侍の君の御腹の兄君、笙の笛、左大将の御太郎君、横笛と吹かせて、簀子に伺候させなさる。
内側には御褥をいくつも並べて、お琴を御方々に差し上げる。秘蔵の御琴類を、いくつもの立派な紺地の袋に入れてあるのを取り出して、明石の御方に琵琶、紫の上に和琴、女御の君に箏のお琴、宮には、このような仰々しい琴はまだお弾きになれないかと、心配なので、いつもの手馴れていらっしゃる琴を調絃して差し上げなさる。
「箏のお琴は、弛むというわけではないが、やはり、このように合奏する時の調子によって、琴柱の位置がずれるものだ。よくその点を考慮すべきだが、女性の力ではしっかりと張ることはできまい。やはり、大将を呼んだ方がよさそうだ。この笛吹く人たちも、まだ幼いようで、拍子を合わせるには頼りにならない」
とお笑いになって、
「大将、こちらに」
とお呼びになるので、御方々はきまり悪く思って、緊張していらっしゃる。明石の君を除いては、どなたも皆捨てがたいお弟子たちなので、お気を遣われて、大将がお聞きになるので、難点がないようにとお思いになる。
「女御は、ふだん主上がお聞きあそばすにも、楽器に合わせながら弾き馴れていらっしゃるので、安心だが、和琴は、たいして変化のない音色なのだが、奏法に決まった型がなくて、かえって女性は弾き方にまごつくに違いないのだ。春の琴の音色は、おおよそ合奏して聞くものであるから、他の楽器と合わないところが出て来ようかしら」
と、何となく気がかりにお思いになる。

 [4-2 Genji invites his son Yugiri and grandsons to the concert]
 Hisasi no naka no mi-sauzi wo hanati te, konata kanata mi-kityau bakari wo kedime ni te, naka-no-ma ha, Win no ohasimasu beki o-masi yosohi tari. Kehu no hyausi-ahase ni ha warahabe wo mesa m tote, Migi-no-Ohoidono no Saburau, Kam-no-Kimi no ohom-hara no Ani-Gimi, sau-no-hue, Sa-Daisyau no ohom-Tarau, yoko-bue to huka se te, sunoko ni saburaha se tamahu.
 Uti ni ha, ohom-sitone-domo narabe te, ohom-koto-domo mawiri watasu. Hisi tamahu ohom-koto-domo, uruhasiki kon-di no hukuro-domo ni ire taru tori-ide te, Akasi-no-Ohomkata ni biha, Murasaki-no-Uhe ni wagon, Nyougo-no-Kimi ni sau-no-ohom-koto, Miya ni ha, kaku koto-kotosiki koto ha mada e hiki tamaha zu ya to, ayahuku te, rei no te-narasi tamahe ru wo zo, sirabe te tatematuri tamahu.
 "Sau no ohom-koto ha, yurubu to nakere do, naho, kaku mono ni ahasuru wori no sirabe ni tuke te, kotodi no tatido midaruru mono nari. Yoku sono kokoro-sirahi totonohu beki wo, womna ha e hari sidume zi. Naho, Daisyau wo koso mesi-yose tu beka'mere. Kono hue huki-domo, mada ito wosanage ni te, hyausi totonohe m tanomi tuyokara zu."
 to warahi tamahi te,
 "Daisyau, konata ni."
 to mese ba, ohom-Kata-gata hadukasiku, kokoro-dukahi si te ohasu. Akasi-no-Kimi wo hanati te ha, idure mo mina sute gataki mi-desi-domo nare ba, mi-kokoro kuhahe te, Daisyau no kiki tamaha m ni, nan nakaru beku to obosu.
 "Nyougo ha, tune ni Uhe no kikosi-mesu ni mo, mono ni ahase tutu hiki narasi tamahe re ba, usiro-yasuki wo, wagon koso, ikubaku nara nu sirabe nare do, ato sadamari taru koto naku te, naka-naka womna no tadori nu bekere. Haru no koto no ne ha, mina kaki-ahasuru mono naru wo, midaruru tokoro mo ya."
 to, nama itohosiku obosu.

 [4-3 夕霧、箏を調絃す]
大将、いと1688いたく心懸想して、御前のことことしく、うるはしき御試みあらむよりも、今日の心づかひは、ことにまさりておぼえたまへば、あざやかなる御直衣、香にしみたる御衣ども、袖いたくたきしめて、引きつくろひて参りたまふほど、暮れ果てにけり。
ゆゑあるたそかれ時の空に、花は去年の古雪思ひ出でられて、枝もたわむばかり咲き乱れたり。ゆるるかにうち吹く風に、えならず匂ひたる御簾の内の香りも吹き合はせて、鴬誘ふ1689つまにしつべく、いみじき御殿のあたりの匂ひなり。御簾の下より、箏の御琴のすそ、すこしさし出でて、
「軽々しきやうなれど、これが緒調へて、調べ試みたまへ。ここにまた疎き人の入るべきやうもなきを」
とのたまへば、うちかしこまりて賜はりたまふほど、用意多くめやすくて、「壱越調」の声に発の緒を立てて、ふとも調べやらでさぶらひたまへば、
「なほ、掻き合はせばかりは、手一つ、すさまじからでこそ」
とのたまへば、
「さらに、今日の御遊びのさしいらへに、交じらふばかりの手づかひなむ、おぼえずはべりける」
と、けしきばみたまふ。
「さもあることなれど、女楽にえことまぜでなむ逃げにけると、伝はらむ名こそ惜しけれ」
とて笑ひたまふ。
調べ果てて、をかしきほどに掻き合はせばかり弾きて、参らせたまひつ。この御孫の君達の、いとうつくしき宿直姿どもにて、吹き合はせたる物の音ども、まだ若けれど、生ひ先ありて、いみじくをかしげなり。

 [4-3 夕霧、箏を調絃す]
大将は、とてもたいそう緊張して、御前での大がかりな、改まった御試楽以上に、今日の気づかいは、格別に勝って思われなさったので、鮮やかなお直衣に、香のしみたいく重ものお召し物で、袖に特に香をたきしめて、化粧して参上なさるころ、日はすっかり暮れてしまった。
趣深い夕暮の空に、花は去年の古雪を思い出されて、枝も撓むほどに咲き乱れている。緩やかに吹く風に、何とも言えず素晴らしく匂っている御簾の内側の薫りも一緒に漂って、鴬を誘い出すしるべにできそうな、たいそう素晴らしい御殿近辺の匂いである。御簾の下から箏のお琴の裾、少しさし出して、
「失礼なようですが、この絃を調節して、みてやって下さい。ここには他の親しくない人を入れることはできないものですから」
とおっしゃると、礼儀正しくお受け取りになる態度、心づかいも行き届いていて立派で、「壱越調」の音に発の緒を合わせて、すぐには弾き始めずに控えていらっしゃるので、
「やはり、調子合わせの曲ぐらいは、一曲、興をそがない程度に」
とおっしゃるので、
「まったく、今日の演奏会のお相手に、仲間入りできるような腕前では、ございませんから」
と、思わせぶりな態度をなさる。
「もっともな言い方だが、女楽の相手もできずに逃げ出したと、噂される方が不名誉だぞ」
と言ってお笑いになる。
調絃を終わって、興をそそる程度に調子合わせだけを弾いて、差し上げなさった。このお孫の君たちが、とてもかわいらしい宿直姿で、笛を吹き合わせている音色は、まだ幼い感じだが、将来性があって、素晴らしく聞こえる。

 [4-3 Yugiri strings the sou-no-koto]
 Daisyau, ito itaku kokoro-gesau si te, o-mahe no koto-kotosiku, uruhasiki ohom-kokoromi ara m yori mo, kehu no kokoro-dukahi ha, koto ni masari te oboye tamahe ba, azayaka naru ohom-nahosi, kau ni simi taru mi-zo-domo, sode itaku taki-sime te, hiki-tukurohi te mawiri tamahu hodo, kure hate ni keri.
 Yuwe aru tasokare-doki no sora ni, hana ha kozo no huru-yuki omohi-ide rare te, eda mo tawamu bakari saki midare tari. Yururuka ni uti-huku kaze ni, e nara zu nihohi taru mi-su no uti no uti no kawori mo huki ahase te, uguhisu sasohu tuma ni si tu beku, imiziki o-todo no atari no nihohi nari. Mi-su no sita yori, sau no ohom-koto no suso, sukosi sasi-ide te,
 "Karu-garusiki yau nare do, kore ga wo totonohe te, sirabe kokoromi tamahe. Koko ni mata utoki hito no iru beki yau mo naki mono wo."
 to notamahe ba, uti-kasikomari te tamahari tamahu hodo, youi ohoku meyasuku te, Iti-koti-deu no kowe ni hati-no-wo wo tate te, huto mo sirabe yara de saburahi tamahe ba,
 "Naho, kaki-ahase bakari ha, te hitotu, susamazikara de koso."
 to notamahe ba,
 "Sarani, kehu no ohom-asobi no sasi-irahe ni, mazirahu bakari no te-dukahi nam, oboye zu haberi keru."
 to, kesikibami tamahu.
 "Sa mo aru koto nare do, womna-gaku ni e koto-maze de nam nige ni keru to, tutahara m na koso wosikere."
 tote warahi tamahu.
 Sirabe-hate te, wokasiki hodo ni kaki-ahase bakari hiki te, mawira se tamahi tu. Kono ohom-mago no kimi-tati no ito utukusiki tonowi-sugata-domo ni te, huki-ahase taru mono no ne-domo, mada wakakere do, ohisaki ari te, imiziku wokasige nari.

 [4-4 女四人による合奏]
御琴どもの調べども調ひ果てて、掻き合はせたまへるほど、いづれとなき中に、琵琶はすぐれて上手めき、神さびたる手づかひ、澄み果てておもしろく聞こゆ。
和琴に、大将も耳とどめたまへるに、なつかしく愛敬づきたる御爪音に、掻き返したる音の、めづらしく今めきて、さらにこのわざとある上手どもの、おどろおどろしく掻き立てたる調べ調子に劣らず、にぎははしく、「大和琴にもかかる手ありけり」と聞き驚かる。深き御労のほどあらはに聞こえて、おもしろきに、大殿御心落ちゐて、いとありがたく思ひきこえたまふ。
箏の御琴は、ものの隙々に、心もとなく漏り出づる物の音がらにて、うつくしげになまめかしくのみ聞こゆ。
琴は、なほ若き方なれど、習ひたまふ盛りなれば、たどたどしからず、いとよくものに響きあひて、「優になりにける御琴の音かな」と、大将聞きたまふ。拍子とりて唱歌したまふ。院も、時々扇うち鳴らして、加へたまふ御声、昔よりもいみじくおもしろく、すこしふつつかに、ものものしきけ添ひて聞こゆ。大将も、声いとすぐれたまへる人にて、夜の静かになりゆくままに、言ふ限りなくなつかしき夜の御遊びなり。

 [4-4 女四人による合奏]
それぞれのお琴の調絃が終わって、合奏なさる時、どれも皆優劣つけがたい中で、琵琶は特別上手という感じで、神々しい感じの弾き方、音色が澄みきって美しく聞こえる。
和琴に、大将も耳を留めていらっしゃるが、やさしく魅力的な爪弾きに、掻き返した音色が、珍しく当世風で、まったくこの頃名の通った名人たちが、ものものしく掻き立てた曲や調子に負けず、華やかで、「大和琴にもこのような弾き方があったのか」と感嘆される。深いお嗜みのほどがはっきりと分かって、素晴らしいので、大殿はご安心なさって、またとない方だとお思い申し上げなさる。
箏のお琴は、他の楽器の音色の合間合間に、頼りなげに時々聞こえて来るといった性質の音色のものなので、可憐で優美一筋に聞こえる。
琴の琴は、やはり未熟ではあるが、習っていらっしゃる最中なので、あぶなげなく、たいそう良く他の楽器の音色に響き合って、「随分と上手になったお琴の音色だな」と、大将はお聞きになる。拍子をとって唱歌なさる。院も、時々扇を打ち鳴らして、一緒に唱歌なさるお声、昔よりもはるかに美しく、少し声が太く堂々とした感じが加わって聞こえる。大将も、声はたいそう勝れていらっしゃる方で、夜が静かになって行くにつれて、何とも言いようのない優雅な夜の音楽会である。

 [4-4 A concert begins by four ladies at Rokujo-in]
 Ohom-koto-domo no sirabe-domo totonohi hate te, kaki-ahase tamahe ru hodo, idure to naki naka ni, biha ha sugurete zyauzu meki, kami-sabi taru te-dukahi, sumi-hate te omosiroku kikoyu.
 Wagon ni, Daisyau mo mimi todome tamahe ru ni, natukasiku aigyau-duki taru ohom-tuma-oto ni, kaki-kahesi taru ne no, medurasiku imameki te, sarani kono waza to aru zyauzu-domo no, odoro-odorosiku kaki-tate taru sirabe teusi ni otora zu, nigihahasiku, "Yamato-goto ni mo kakaru te ari keri!" to kiki odoroka ru. Hukaki go-rau no hodo araha ni kikoye te, omosiroki ni, Otodo mi-kokoro oti-wi te, ito arigataku omohi kikoye tamahu.
 Sau no ohom-koto ha, mono no hima-hima ni, kokoro-motonaku mori-iduru mono no ne-gara ni te, utukusige ni namamekasiku nomi kikoyu.
 Kin ha, naho wakaki kata nare do, narahi tamahu sakari nare ba, tado-tadosikara zu, ito yoku mono ni hibiki-ahi te, "Iu ni nari ni keru ohom-koto no ne kana!" to, Daisyau kiki tamahu. Hyausi tori te sauga si tamahu. Win mo, toki-doki ahugi uti-narasi te, kuhahe tamahu ohom-kowe, mukasi yori mo imiziku omosiroku, sukosi hututuka ni, mono-monosiki ke sohi te kikoyu. Daisyau mo, kowe ito sugure tamahe ru hito ni te, yo no siduka ni nari yuku mama ni, ihu kagiri naku natukasiki yo no ohom-asobi nari.

 [4-5 女四人を花に喩える]
月心もとなきころなれば、灯籠こなたかなたに懸けて、火よきほどに灯させたまへり。
宮の御方を覗きたまへれば、人よりけに小さくうつくしげにて、ただ御衣のみある心地す。匂ひやかなる方は後れて、ただいとあてやかにをかしく、二月の中の十日ばかりの青柳の、わづかに枝垂りはじめたらむ心地して、鴬の羽風1690にも乱れぬべく、あえかに見えたまふ。
桜の細長に、御髪は左右よりこぼれかかりて、柳の糸のさましたり。
「これこそは、限りなき人の御ありさまなめれ」と見ゆるに、女御の君は、同じやうなる御なまめき姿の、今すこし匂ひ加はりて、もてなしけはひ心にくく、よしあるさましたまひて、よく咲きこぼれたる藤の花の、夏にかかりて、かたはらに並ぶ花なき、朝ぼらけの心地ぞしたまへる。
さるは、いとふくらかなるほどになりたまひて、悩ましくおぼえたまひければ、御琴もおしやりて、脇息におしかかりたまへり。ささやかになよびかかりたまへるに、御脇息は例のほどなれば、およびたる心地して、ことさらに小さく作らばやと見ゆるぞ、いとあはれげにおはしける。
紅梅の御衣に、御髪のかかりはらはらときよらにて、火影の御姿、世になくうつくしげなるに、紫の上は、葡萄染にやあらむ、色濃き小袿、薄蘇芳の細長に、御髪のたまれるほど、こちたくゆるるかに、大きさなどよきほどに、様体あらまほしく、あたりに匂ひ満ちたる心地して、花といはば桜に喩へても1691、なほものよりすぐれたるけはひ、ことにものしたまふ。
かかる御あたりに、明石はけ圧さるべきを、いとさしもあらず、もてなしなどけしきばみ恥づかしく、心の底ゆかしきさまして、そこはかとなくあてになまめかしく見ゆ。
柳の織物の細長、萌黄にやあらむ、小袿着て、羅の裳のはかなげなる引きかけて、ことさら卑下したれど、けはひ、思ひなしも、心にくくあなづらはしからず。
高麗の青地の錦の端さしたる茵に、まほにもゐで、琵琶をうち置きて、ただけしきばかり弾きかけて、たをやかに使ひなしたる撥のもてなし、音を聞くよりも、またありがたくなつかしくて、五月待つ花橘、花も実も具しておし折れる薫りおぼゆ。

 [4-5 女四人を花に喩える]
月の出が遅いころなので、灯籠をあちらこちらに懸けて、明かりを調度良い具合に灯させていらっしゃった。
宮の御方をお覗きになると、他の誰よりも一段と小さくかわいらしげで、ただお召し物だけがあるという感じがする。つややかな美しさは劣るが、ただとても上品に美しく、二月の二十日頃の青柳が、ようやく枝垂れ始めたような感じがして、鴬の羽風にも乱れてしまいそうなくらい、弱々しい感じにお見えになる。
桜襲の細長に、御髪は左右からこぼれかかって、柳の糸のようであった。
「この方こそは、この上ないご身分の方のご様子というものだろう」と見えるが、女御の君は、同じような優美なお姿で、もう少し生彩があって、態度や雰囲気が奥ゆかしく、風情のあるご様子でいらっしゃって、美しく咲きこぼれている藤の花が、夏に咲きかかって、他に並ぶ花がない、朝日に輝いているような感じでいらっしゃった。
とは言え、とてもふっくらとしたころにおなりになって、ご気分もすぐれない時期でいらっしゃったので、お琴も押しやって、脇息に寄りかかっていらっしゃった。小柄なお身体でなよなよとしていらっしゃるが、ご脇息は並の大きさなので、無理に背伸びしている感じで、特別に小さく作って上げたいと見えるのが、とてもおかわいらしげにお見えになるのであった。
紅梅襲のお召物に、お髪がかかってさらさらと美しくて、灯台の光に映し出されたお姿、またとなくかわいらしげだが、紫の上は、葡萄染であろうか、色の濃い小袿に、薄蘇芳襲の細長で、お髪がたまっている様子、たっぷりとゆるやかで、背丈などちょうど良いぐらいで、姿形は申し分なく、辺り一面に美しさが満ちあふれている感じがして、花と言ったら桜に喩えても、やはり衆に抜ん出た様子、格別の風情でいらっしゃる。
このような方々の中で、明石は圧倒されてしまうところだが、まったくそのようなことはなく、態度なども意味ありげにこちらが恥ずかしくなるくらいで、心の底を覗いてみたいほどの深い様子で、どことなく上品で優雅に見える。
柳の織物の細長に、萌黄であろうか、小袿を着て、羅の裳の目立たないのを付けて、特に卑下していたが、その様子、そうと思うせいもあって、立派で軽んじられない。
高麗の青地の錦で縁どりした敷物に、まともに座らず、琵琶をちょっと置いて、ほんの心持ばかり弾きかけて、しなやかに使いこなした撥の扱いよう、音色を聞くやいなや、また比類なく親しみやすい感じがして、五月待つ花橘の、花も実もともに折り取った薫りのように思われる。

 [4-5 The four ladies are compared to flowers]
 Tuki kokoro-motonaki koro nare ba, touro konata kanata ni kake te, hi yoki hodo ni tomosa se tamahe ri.
 Miya no ohom-kata wo nozoki tamahe re ba, hito yori keni tihisaku utukusige ni te, tada ohom-zo nomi aru kokoti su. Nihohiyaka naru kata ha okure te, tada ito ate-yaka ni wokasiku, Ni-gwati no naka no towo-ka bakari no awo-yagi no, waduka ni sidari hazime tara m kokoti si te, uguhisu no ha-kaze ni mo midare nu beku, ayeka ni miye tamahu.
 Sakura no hosonaga ni, mi-gusi ha hidari migi yori kobore kakari te, yanagi no ito no sama si tari.
 "Kore koso ha, kagiri naki hito no mi-arisama na'mere." to miyuru ni, Nyougo-no-Kimi ha, onazi yau naru ohom-namameki sugata no, ima sukosi nihohi kuhahari te, motenasi kehahi kokoro nikuku, yosi aru sama si tamahi te, yoku saki kobore taru hudi no hana no, natu ni kakari te, katahara ni narabu hana naki, asaborake no kokoti zo si tamahe ru.
 Saru ha, ito hukuraka naru hodo ni nari tamahi te, nayamasiku oboye tamahi kere ba, ohom-koto mo osiyari te, kehusoku ni osi-kakari tamahe ri. Sasayaka ni nayobi kakari tamahe ru ni, ohom-kehusoku ha rei no hodo nare ba, oyobi taru kokoti si te, kotosara ni tihisaku tukura baya to miyuru zo, ito aharege ni ohasi keru.
 Koubai no mi-zo ni, mi-gusi no kakari hara-hara to kiyora ni te, hokage no ohom-sugata, yo ni naku utukusige naru ni, Murasaki-no-Uhe ha, ebi-zome ni ya ara m, iro koki ko-utiki, usu-suhau no hosonaga ni, mi-gusi no tamare ru hodo, koti taku yururuka ni, ohokisa nado yoki hodo ni, yaudai aramahosiku, atari ni nihohi miti taru kokoti si te, hana to iha ba sakura ni tatohe te mo, naho mono yori sugure taru kehahi, koto ni monosi tamahu.
 Kakaru ohom-atari ni, Akasi ha ke osa ru beki wo, ito sa si mo ara zu, motenasi nado kesikibami hadukasiku, kokoro no soko yukasiki sama si te, sokohaka to naku ate ni namamekasiku miyu.
 Yanagi no ori-mono no hosonaga, moyegi ni ya ara m, ko-utiki ki te, usumono no mo no hakanage naru hiki-kake te, kotosara hige si tare do, kehahi, omohi-nasi mo, kokoro-nikuku anadurahasikara zu.
 Koma no awo-di no nisiki no hasi sasi taru sitone ni, maho ni mo wi de, biha wo uti-oki te, tada kesiki bakari hiki-kake te, tawoyaka ni tukahi-nasi taru bati no motenasi, ne wo kiku yori mo, mata arigataku natukasiku te, Satuki matu hana-tatibana, hana mo mi mo gu-si te osi-wore ru kawori oboyu.

 [4-6 夕霧の感想]
これもかれも、うちとけぬ御けはひどもを聞き見たまふに、大将も、いと内ゆかしくおぼえたまふ。対の上の、見し折よりも、ねびまさりたまへらむありさまゆかしきに、静心もなし。
「宮をば、今すこしの宿世及ばましかば、わがものにても見たてまつりてまし。心のいとぬるきぞ悔しきや。院は、たびたびさやうにおもむけて、しりう言にものたまはせけるを」と、ねたく思へど、すこし心やすき方に見えたまふ御けはひに、あなづりきこゆとはなけれど、いとしも心は動かざりけり。
この御方をば、何ごとも思ひ及ぶべき方なく、気遠くて、年ごろ過ぎぬれば、「いかでか、ただおほかたに。心寄せあるさまをも見たてまつらむ」とばかりの、口惜しく嘆かしきなりけり。あながちに、あるまじくおほけなき心地などは、さらにものしたまはず、いとよくもてをさめたまへり。

 [4-6 夕霧の感想]
この方もあの方も、とりすましたご様子を見たり聞いたりなさると、大将も、まことに中を御覧になりたくお思いになる。対の上が、昔見た時よりも、ずっと美しくなっていっらっしゃるだろう様子が見たいので、心が落ち着かない。
「宮を、もう少し運勢があったなら、自分の妻としてお世話申し上げられたであろうに。まことにゆったり構えていたのが悔やまれるよ。院は、度々そのように水を向けられ、蔭でおっしゃっていられたものを」と、残念に思うが、少し軽率なようにお見えになるご様子に、軽くお思い申すと言うのではないが、それほど心は動かなかったのである。
こちらの御方を、何事につけても手の届くすべなく、高嶺の花として、長年過ごして来たので、「ただ何とかして、義理の親子の関係として、好意をお寄せ申している気持ちをお見せ申し上げたい」とだけ、残念に嘆かわしいのであった。むやみに、あってはならない大それた考えなどは、まったくおありではなく、実に立派に振る舞っていらっしゃった。

 [4-6 Yugiri thinks about four ladies after the concert]
 Kore mo kare mo, utitoke nu ohom-kehahi-domo wo kiki mi tamahu ni, Daisyau mo, ito uti yukasiku oboye tamahu. Tai-no-Uhe no, mi si wori yori mo, nebi masari tamahe ra m arisama yukasiki ni, sidu-kokoro mo nasi.
 "Miya wo ba, ima sukosi no sukuse oyoba masika ba, waga mono ni te mo mi tatematuri te masi. Kokoro no ito nuruki zo kuyasiki ya! Win ha, tabi-tabi sayau ni omomuke te, siriu-goto ni mo notamaha se keru wo." to, netaku omohe do, sukosi kokoro-yasuki kata ni miye tamahu ohom-kehahi ni, anaduri kikoyu to ha nakere do, ito si mo kokoro ha ugoka zari keri.
 Kono ohom-kata wo ba, nani-goto mo omohi oyobu beki kata naku, ke tohoku te, tosi-goro sugi nure ba, "Ikade ka, tada ohokata ni. Kokoro-yose aru sama wo mo mi tatematura m." to bakari no, kutiwosiku nagekasiki nari keri. Anagati ni, aru maziku ohokenaki kokoti nado ha, sarani monosi tamaha zu, ito yoku mote wosame tamahe ri.

 5 光る源氏の物語 源氏の音楽論 [5-1 音楽の春秋論]
夜更けゆくけはひ、冷やかなり。臥待の月はつかにさし出でたる、
「心もとなしや、春の朧月夜よ。秋のあはれ、はた、かうやうなる物の音に、虫の声縒り合はせたる、ただならず、こよなく響き添ふ心地すかし」
とのたまへば、大将の君、
「秋の夜の隈なき月には、よろづの物とどこほりなきに、琴笛の音も、あきらかに澄める心地はしはべれど、なほことさらに作り合はせたるやうなる空のけしき、花の露も、いろいろ目移ろひ心散りて、限りこそはべれ。
春の空のたどたどしき霞の間より、おぼろなる月影に、静かに吹き合はせたるやうには、いかでか。笛の音なども、艶に澄みのぼり果てずなむ。
 女は春をあはれぶ1692と、古き人の言ひ置きはべりける。げに、さなむはべりける。なつかしく物のととのほることは、春の夕暮こそことにはべりけれ」
と申したまへば、
「いな、この定めよ。いにしへより人の分きかねたることを、末の世に下れる人の、えあきらめ果つまじくこそ。物の調べ、曲のものどもはしも、げに律をば次のものにしたるは、さもありかし」
などのたまひて、
「いかに。ただ今、有職のおぼえ高き、その人かの人、御前などにて、たびたび試みさせたまふに、すぐれたるは、数少なくなりためるを、そのこのかみと思へる上手ども、いくばくえまねび取らぬにやあらむ。このかくほのかなる女たちの御中に弾きまぜたらむに、際離るべくこそおぼえね。
年ごろかく埋れて過ぐすに、耳などもすこしひがひがしくなりにたるにやあらむ、口惜しうなむ。あやしく、人の才、はかなくとりすることども、ものの栄ありてまさる所なる。その、御前の御遊びなどに、ひときざみに選ばるる人々、それかれといかにぞ」
とのたまへば、大将、
「それをなむ、とり申さむと思ひはべりつれど、あきらかならぬ心のままに、およすけてやはと思ひたまふる。上りての世を聞き合はせはべらねばにや、衛門督の和琴、兵部卿宮の御琵琶などをこそ、このころめづらかなる例に引き出ではべめれ。
げに、かたはらなきを、今宵うけたまはる物の音どもの、皆ひとしく耳おどろきはべるは。なほ、かくわざともあらぬ御遊びと、かねて思うたまへたゆみける心の騒ぐにやはべらむ。唱歌など、いと仕うまつりにくくなむ。
和琴は、かの大臣ばかりこそ、かく折につけて、こしらへなびかしたる音など、心にまかせて掻き立てたまへるは、いとことにものしたまへ、をさをさ際離れぬものにはべめるを、いとかしこく整ひてこそはべりつれ」
と、めできこえたまふ。
「いと、さことことしき際にはあらぬを、わざとうるはしくも取りなさるるかな」
とて、したり顔にほほ笑みたまふ。
「げに、けしうはあらぬ弟子どもなりかし。琵琶はしも、ここに1693口入るべきことまじらぬを、さいへど、物のけはひ異なるべし。おぼえぬ所にて聞き始めたりしに、めづらしき物の声かなとなむおぼえしかど、その折よりは、またこよなく優りにたるをや」
と、せめて我がしこにかこちなしたまへば、女房などは、すこしつきしろふ。

 5 光る源氏の物語 源氏の音楽論 [5-1 音楽の春秋論]
夜が更けて行く様子、冷え冷えとした感じがする。臥待の月がわずかに顔を出したのを、
「おぼつかない光だね、春の朧月夜は。秋の情趣は、やはりまた、このような楽器の音色に、虫の声を合わせたのが、何とも言えず、この上ない響きが深まるような気がするものだ」
とおっしゃると、大将の君、
「秋の夜の曇りない月には、すべてのものがくっきりと見え、琴や笛の音色も、すっきりと澄んだ気は致しますが、やはり特別に作り出したような空模様や、草花の露も、いろいろと目移りし気が散って、限界がございます。
春の空のたどたどしい霞の間から、朧に霞んだ月の光に、静かに笛を吹き合わせたようなのには、どうして秋が及びましょうか。笛の音色なども、優艶に澄みきることはないのです。
女性は春をあわれぶと、昔の人が言っておりました。なるほど、そのようでございます。やさしく音色が調和する点では、春の夕暮が格別でございます」
と申し上げなさると、
「いや、この議論だがね。昔から皆が判断しかねた事を、末の世の劣った者には、決定しがたいことであろう。楽器の調べや、曲目などは、なるほど律を二の次にしているが、そのようなことであろう」
などとおっしゃって、
「どんなものであろう。現在、演奏上手の評判の高い、その人あの人を、帝の御前などで、度々試みさせあそばすと、勝れた者は、数少なくなったようだが、その一流と思われる名人たちも、どれほども習得し得ていないのではなかろうか。このような何でもないご婦人方の中で一緒に弾いたとしても、格別に勝れているようには思われない。
何年もこのように引き籠もって過ごしていると、鑑賞力も少し変になったのだろうか、残念なことだ。妙に、人々の才能は、ちょっと習い覚えた芸事でも、見栄えがして他より勝れているところである。あの、御前の管弦の御遊などに、一流の名手として選ばれた人々の、誰それと比較したらどうであろうか」
とおっしゃるので、大将は、
「その事を、申し上げようと思っておりましたが、よくも弁えぬくせに、偉そうに言うのもどうかと存じまして。古い昔の勝れた時代を聞き比べておりませんからでしょうか、衛門督の和琴、兵部卿宮の御琵琶などは、最近の珍しく勝れた例に引くようでございます。
なるほど、又とない演奏者ですが、今夜お聞き致しました楽の音色は、皆同じように耳を驚かしました。やはり、このように特別のことでもない御催しと、かねがね思って油断しておりました気持ちが不意をつかれて騒ぐのでしょう。唱歌など、とてもお付き合いしにくうございました。
和琴は、あの太政大臣だけが、このように臨機応変に、巧みに操った音色などを、思いのままに掻き立てていらっしゃるのは、とても格別上手でいらっしゃったが、なかなか飛び抜けて上手には弾けないものでございますのに、まことに勝れて調子が整ってございました」
と、お誉め申し上げなさる。
「いや、それほど大した弾き方ではないが、特別に立派なようにお誉めになるね」
とおっしゃって、得意顔に微笑んでいらっしゃる。
「なるほど、悪くはない弟子たちである。琵琶は、わたしが口出しするようなことは何もないが、そうは言っても、どことなく違うはずだ。思いがけない所で初めて聞いた時、珍しい楽の音色だと思われたが、その時からは、又格段上達しているからな」
と、強引に自分の手柄のように自慢なさるので、女房たちは、そっとつつきあう。

 5 Tale of Genji Genji criticizes on music [5-1 Genji criticizes on spring and fall music]
 Yo huke-yuku kehahi, hiyayaka nari. Husimati-no-tuki hatuka ni sasi-ide taru,
 "Kokoro-motonasi ya, haru no oboro-tuki-yo yo, Aki no ahare, hata, kau yau naru mono no ne ni, musi no kowe yori-ahase taru, tada nara zu, koyonaku hibiki sohu kokoti su kasi."
 to notamahe ba, Daisyau-no-Kimi,
 "Aki no yo no kuma naki tuki ni ha, yorodu no mono todokohori naki ni, koto hue no ne mo, akiraka ni sume ru kokoti si habere do, naho kotosara ni tukuri ahase taru yau naru sora no kesiki, hana no tuyu mo, iro-iro me uturohi kokoro tiri te, kagiri koso habere.
 Haru no sora no tado-tadosiki kasumi no ma yori, oboro naru tuki-kage ni, siduka ni huki-ahase taru yau ni ha, ikade ka. Hue no ne nado mo, en ni sumi-nobori hate zu nam.
 Womna ha haru wo aharebu to, huruki hito no ihi-oki haberi keru. Geni, sa nam haberi keru. Natukasiku mono no totonohoru koto ha, haru no yuhugure koso koto ni haberi kere!"
 to mausi tamahe ba,
 "Ina, kono sadame yo. Inisihe yori hito no waki-kane taru koto wo, suwe no yo ni kudare ru hito no, e akirame hatu maziku koso. Mono no sirabe, goku no mono-domo ha si mo, geni riti wo ba tugi no mono ni si taru ha, sa mo ari kasi."
 nado notamahi te,
 "Ika ni? Tada ima, iusoku no oboye takaki, sono hito kano hito, o-mahe nado ni te, tabi-tabi kokoromi sase tamahu ni, sugure taru ha, kazu sukunaku nari ta'meru wo, sono kono-kami to omohe ru zyauzu-domo, ikubaku e manebi tora nu ni ya ara m? Kono kaku honoka naru womna-tati no ohom-naka ni hiki maze tara m ni, kiha hanaru beku koso oboye ne.
 Tosi-goro kaku umore te sugusu ni, mimi nado mo sukosi higa-higasiku nari ni taru ni ya ara m, kutiwosiu nam. Ayasiku, hito no zae, hakanaku tori suru koto-domo, mono no haye ari te masaru tokoro naru. Sono, o-mahe no ohom-asobi nado ni, hito-kizami ni eraba ruru hito-bito, sore kare to ikani zo?"
 to notamahe ba, Daisyau,
 "Sore wo nam, tori mausa m to omohi haberi ture do, akiraka nara nu kokoro no mama ni, oyosuke te ya ha to omohi tamahuru. Nobori te no yo wo kiki-ahase habera ne ba ni ya, Wemon-no-Kami no wagon, Hyaubukyau-no-Miya no ohom-biha nado wo koso, kono-koro meduraka naru tamesi ni hiki-ide habe'mere.
 Geni, katahara naki wo, koyohi uketamaharu mono no ne-domo no, mina hitosiku mimi odoroki haberu ha. Naho, kaku wazato mo ara nu ohom-asobi to, kanete omou tamahe tayumi keru kokoro no sawagu ni ya habera m? Sauga nado, ito tukau-maturi nikuku nam.
 Wagon ha, kano Otodo bakari koso, kaku wori ni tuke te, kosirahe nabikasi taru ne nado, kokoro ni makase te kaki-tate tamahe ru ha, ito koto ni monosi tamahe, wosa-wosa kiha hanare nu mono ni habe'meru wo, ito kasikoku totonohi te koso haberi ture."
 to, mede kikoye tamahu.
 "Ito, sa koto-kotosiki kiha ni ha ara nu wo, wazato uruhasiku mo torinasa ruru kana!"
 tote, sitari-gaho ni hohowemi tamahu.
 "Geni, kesiu ha ara nu desi-domo nari kasi. Biha ha si mo, koko ni kuti iru beki koto mazira nu wo, sa ihe do, mono no kehahi kotonaru besi. Oboye nu tokoro ni te kiki hazime tari si ni, medurasiki mono no ne kana to nam oboye sika do, sono wori yori ha, mata koyonaku masari ni taru wo ya!"
 to, semete ware-gasiko ni kakoti nasi tamahe ba, nyoubau nado ha, sukosi tukisirohu.

 [5-2 琴の論]
「よろづのこと、道々につけて習ひまねばば、才といふもの、いづれも際なくおぼえつつ、わが心地に飽くべき限りなく、習ひ取らむことはいと難けれど、何かは、そのたどり深き人の、今の世にをさをさなければ、片端をなだらかにまねび得たらむ人、さるかたかどに心をやりてもありぬべきを、琴なむ、なほわづらはしく、手触れにくきものはありける。
この琴は、まことに跡のままに尋ねとりたる昔の人は、天地をなびかし1694、鬼神の心をやはらげ、よろづの物の音のうちに従ひて、悲しび深き者も喜びに変はり、賤しく貧しき者も高き世に改まり、宝にあづかり、世にゆるさるるたぐひ多かりけり。
この国に弾き伝ふる初めつ方まで、深くこの事を心得たる人は、多くの年を知らぬ国に過ぐし、身をなきになして、この琴をまねび取らむと惑ひてだに、し得るは難くなむありける。げにはた、明らかに空の月星を動かし、時ならぬ霜雪を降らせ、雲雷を騒がしたる例、上りたる世にはありけり。
かく限りなきものにて、そのままに習ひ取る人のありがたく、世の末なればにや1695、いづこのそのかみの片端にかはあらむ。されど、なほ、かの鬼神の耳とどめ、かたぶきそめにけるものなればにや、なまなまにまねびて、思ひかなはぬたぐひありけるのち、これを弾く人、よからずとかいふ難をつけて、うるさきままに、今はをさをさ伝ふる人なしとか。いと口惜しきことにこそあれ。
琴の音を離れては、何琴をか物を調へ知るしるべとはせむ。げに、よろづのこと衰ふるさまは、やすくなりゆく世の中に、一人出で離れて、心を立てて、唐土、高麗と、この世に惑ひありき、親子を離れむことは、世の中にひがめる者になりぬべし。
などか、なのめにて、なほこの道を通はし知るばかりの端をば、知りおかざらむ。調べ一つに手を弾き尽くさむことだに、はかりもなきものななり。いはむや、多くの調べ、わづらはしき曲多かるを、心に入りし盛りには、世にありとあり1696、ここに伝はりたる譜といふものの限りをあまねく見合はせて、のちのちは、師とすべき人もなくてなむ、好み習ひしかど、なほ上りての人には、当たるべくもあらじをや。まして、この後といひては、伝はるべき末もなき、いとあはれになむ」
などのたまへば、大将、げにいと口惜しく恥づかしと思す。
「この御子たちの御中に、思ふやうに生ひ出でたまふものしたまはば、その世になむ、そもさまでながらへとまるやうあらば、いくばくならぬ手の限りも、とどめたてまつるべき。三の宮、今よりけしきありて見えたまふを」
などのたまへば、明石の君は、いとおもだたしく、涙ぐみ1697て聞きゐたまへり。

 [5-2 琴の論]
「何事も、その道その道の稽古をすれば、才能というもの、どれも際限ないとだんだんと思われてくるもので、自分の気持ちに満足する限度はなく、習得することは実に難しいことだが、いや、どうして、その奥義を究めた人が、今の世に少しもいないので、一部分だけでも無難に習得したような人は、その一面で満足してもよいのだが、琴の琴は、やはり面倒で、手の触れにくいものである。
この琴は、ほんとうに奏法どおりに習得した昔の人は、天地を揺るがし、鬼神の心を柔らげ、すべての楽器の音がこれに従って、悲しみの深い者も喜びに変わり、賎しく貧しい者も高貴な身となり、財宝を得て、世に認められるといった人が多かったのであった。
わが国に弾き伝える初めまで、深くこの事を理解している人は、長年見知らぬ国で過ごし、生命を投げうって、この琴を習得しようとさまよってすら、習得し得るのは難しいことであった。なるほど確かに、明らかに空の月や星を動かしたり、時節でない霜や雪を降らせたり、雲や雷を騒がしたりした例は、遠い昔の世にはあったことだ。
このように限りない楽器で、その伝法どおりに習得する人がめったになく、末世だからであろうか、どこにその当時の一部分が伝わっているのだろうか。けれども、やはり、あの鬼神が耳を止め、傾聴した始まりの事のある琴だからであろうか、なまじ稽古して、思いどおりにならなかったという例があってから後は、これを弾く人、禍があるとか言う難癖をつけて、面倒なままに、今ではめったに弾き伝える人がいないとか。実に残念なことである。
琴の音以外では、どの絃楽器をもって音律を調える基準とできようか。なるほど、すべての事が衰えて行く様子は、たやすくなって行く世の中で、一人故国を離れて、志を立てて、唐土、高麗と、この世をさまよい歩き、親子と別れることは、世の中の変わり者となってしまうことだろう。
どうして、それほどまでせずとも、やはりこの道をだいたい知る程度の一端だけでも、知らないでいられようか。一つの調べを弾きこなす事さえ、量り知れない難しいものであるという。いわんや、多くの調べ、面倒な曲目が多いので、熱中していた盛りには、この世にあらん限りの、わが国に伝わっている楽譜という楽譜のすべてを広く見比べて、しまいには、師匠とすべき人もなくなるまで、好んで習得したが、やはり昔の名人には、かないそうにない。まして、これから後というと、伝授すべき子孫がいないのが、何とも心寂しいことだ」
などとおっしゃるので、大将は、なるほどまことに残念にも恥ずかしいとお思いになる。
「この御子たちの中で、望みどおりにご成人なさる方がおいでなら、その方が大きくなった時に、その時まで生きていることがあったら、いかほどでもないわたしの技にしても、すべてご伝授申し上げよう。三の宮は、今からその才能がありそうにお見えになるから」
などとおっしゃると、明石の君は、たいそう面目に思って、涙ぐんで聞いていらっしゃった。

 [5-2 Genji criticizes on shichigen-kin]
 "Yorodu no koto, miti-miti ni tuke te narahi maneba ba, zae to ihu mono, idure mo kiha naku oboye tutu, waga kokoti ni aku beki kagiri naku, narahi tora m koto ha ito katakere do, nani ka ha, sono tadori hukaki hito no, ima no yo ni wosa-wosa nakere ba, katahasi wo nadaraka ni manebi e tara m hito, saru kata-kado ni kokoro wo yari te mo ari nu beki wo, kin nam, naho wadurahasiku, te hure nikuki mono ha ari keru.
 Kono koto ha, makoto ni ato no mama ni tadune tori taru mukasi no hito ha, tenti wo nabikasi, Oni Kami no kokoro wo yaharage, yorodu no mono no ne no uti ni sitagahi te, kanasibi hukaki mono mo yorokobi ni kahari, iyasiku madusiki mono mo takaki yo ni aratamari, takara ni adukari, yo ni yurusa ruru taguhi ohokari keri.
 Kono kuni ni hiki tutahuru hazime tu kata made, hukaku kono koto wo kokoro-e taru hito ha, ohoku no tosi wo sira nu kuni ni sugusi, mi wo naki ni nasi te, kono koto wo manebi-tora m to madohi te dani, si uru ha kataku nam ari keru. Geni hata, akiraka ni sora no tuki hosi wo ugokasi, toki nara nu simo yuki wo hurase, kumo ikaduti wo sawagasi taru tamesi, agari taru yo ni ha ari keri.
 Kaku kagiri naki mono ni te, sono mama ni narahi toru hito no ari gataku, yo no suwe nare ba ni ya, iduko no sono-kami no kata-hasi ni ka ha ara m? Saredo, naho, kano Oni Kami no mimi todome, katabuki some ni keru mono nare ba ni ya, nama-nama ni manebi te, omohi kanaha nu taguhi ari keru noti, kore wo hiku hito, yokara zu to ka ihu nan wo tuke te, urusaki mam ni, ima ha wosa-wosa tutahuru hito nasi to ka. Ito kutiwosiki koto ni koso are.
 Kin no ne wo hanare te ha, nani-goto wo ka mono wo totonohe siru sirube to ha se m. Geni, yorodu no koto otorohuru sama ha, yasuku nari-yuku yononaka ni, hitori ide hanare te, kokoro wo tate te, Morokosi, Koma to, kono yo ni madohi ariki, oyako wo hanare m koto ha, yononaka ni higame ru mono ni nari nu besi.
 Nado ka, nanome ni te, naho kono miti wo kayohasi siru bakari no hasi wo ba, siri-oka zara m. Sirabe hitotu ni te wo hiki-tukusa m koto dani, hakari mo naki mono na'nari. Iha m ya, ohoku no sirabe, wadurahasiki goku ohokaru wo, kokoro ni iri si sakari ni ha, yo ni ari to ari, koko ni tutahari taru hu to ihu mono no kagiri wo amaneku mi-ahase te, noti-noti ha, si to su beki hito mo naku te nam, konomi narahi sika do, naho agari te no hito ni ha, ataru beku mo arazi wo ya! Masite, kono noti to ihi te ha, tutaharu beki suwe mo naki, ito ahare ni nam."
 nado notamahe ba, Daisyau, geni ito kutiwosiku hadukasi to obosu.
 "Kono Mi-ko-tati no ohom-naka ni, omohu yau ni ohi-ide tamahu monosi tamaha ba, sono yo ni nam, so mo sa made nagarahe tomaru yau ara ba, ikubaku nara nu te no kagiri mo, todome tatematuru beki. Sam-no-Miya, ima yori kesiki ari te miye tamahu."
 nado notamahe ba, Akasi-no-Kimi ha, ito omodatasiku, namida-gumi te kiki wi tamahe ri.

 [5-3 源氏、葛城を謡う]
女御の君は、箏の御琴をば、上に譲りきこえて、寄り臥したまひぬれば、和琴を大殿の御前に参りて、気近き御遊びになりぬ。「葛城1698」遊びたまふ。はなやかにおもしろし。大殿折り返し謡ひたまふ御声、たとへむかたなく愛敬づきめでたし。
月やうやうさし上るままに、花の色香ももてはやされて、げにいと心にくきほどなり。箏の琴は、女御の御爪音は、いとらうたげになつかしく、母君の御けはひ加はりて、揺の音深く、いみじく澄みて聞こえつるを、この御手づかひは、またさま変はりて、ゆるるかにおもしろく、聞く人ただならず、すずろはしきまで愛敬づきて、輪の手など、すべてさらに、いとかどある御琴の音なり。
返り声に、皆調べ変はりて、律の掻き合はせども、なつかしく今めきたるに、琴は、五個の調べ、あまたの手の中に、心とどめてかならず弾きたまふべき五、六の発刺1699を、いとおもしろく澄まして弾きたまふ。さらにかたほならず、いとよく澄みて聞こゆ。
春秋よろづの物に通へる調べにて、通はしわたしつつ弾きたまふ。心しらひ、教へきこえたまふさま違へず、いとよくわきまへたまへるを、いとうつくしく、おもだたしく思ひきこえたまふ。

 [5-3 源氏、葛城を謡う]
女御の君は、箏の御琴を、紫の上にお譲り申し上げて、寄りかかりなさったので、和琴を大殿の御前に差し上げて、寛いだ音楽の遊びになった。「葛城」を演奏なさる。明るくおもしろい。大殿が繰り返しお謡いになるお声は、何にも喩えようがなく情がこもっていて素晴らしい。
月がだんだんと高く上って行くにつれて、花の色も香も一段と引き立てられて、いかにも優雅な趣である。箏の琴は、女御のお爪音は、とてもかわいらしげにやさしく、母君のご奏法の感じが加わって、揺の音が深く、たいそう澄んで聞こえたのを、こちらのご奏法は、また様子が違って、緩やかに美しく、聞く人が感に堪えず、気もそぞろになるくらい魅力的で、輪の手など、すべていかにも、たいそう才気あふれたお琴の音色である。
返り声に、すべて調子が変わって、律の合奏の数々が、親しみやすく華やかな中にも、琴の琴は、五箇の調べを、たくさんある弾き方の中で、注意して必ずお弾きにならなければならない五、六の発刺を、たいそう見事に澄んでお弾きになる。まったくおかしなところはなく、たいそうよく澄んで聞こえる。
春秋どの季節の物にも調和する調べなので、それぞれに相応しくお弾きになる。そのお心配りは、お教え申し上げたものと違わず、たいそうよく会得していらっしゃるのを、たいそういじらしく、晴れがましくお思い申し上げになる。

 [5-3 Genji sings Kazuraki]
 Nyougo-no-Kimi ha, sau no ohom-koto wo ba, Uhe ni yuduri kikoye te, yori-husi tamahi nure ba, aduma wo Otodo no o-mahe ni mawiri te, kedikaki ohom-asobi ni nari nu. Kaduraki asobi tamahu. Hanayaka ni omosirosi. Otodo wori-kahesi utahi tamahu ohom-kowe, tatohe m kata naku aigyau-duki medetasi.
 Tuki yau-yau sasi-agaru mama ni, hana no iro ka mo motehayasa re te, geni ito kokoro-nikuki hodo nari. Sau-no-koto ha, Nyougo no ohom-tuma-oto ha, ito rautage ni natukasiku, Haha-Gimi no ohom-kehahi kuhahari te, yu no ne hukaku, imiziku sumi te kikoye turu wo, kono ohom-tedukahi ha, mata sama kahari te, yururuka ni omosiroku, kiku hito tada nara zu, suzurohasiki made aigyau-duki te, rin no te nado, subete sara ni, ito kado aru ohom-koto no ne nari.
 Kaheri-gowe ni, mina sirabe kahari te, riti no kaki-ahase-domo, natukasiku imameki taru ni, kin ha, go-ka no sirabe, amata no te no naka ni, kokoro todome te kanarazu hiki tamahu beki go, roku no hara wo, ito omosiroku sumasi te hiki tamahu. Sarani kataho nara zu, ito yoku sumi te kikoyu.
 Haru aki yorodu no mono ni kayohe ru sirabe ni te, kayohasi watasi tutu hiki tamahu. Kokoro sirahi wosihe kikoye tamahu sama tagahe zu, ito yoku wakimahe tamahe ru wo, ito utukusiku, omodatasiku omohi kikoye tamahu.

 [5-4 女楽終了、禄を賜う]
この君達の、いとうつくしく吹き立てて、切に心入れたるを、らうたがりたまひて、
「ねぶたくなりにたらむに。今宵の遊びは、長くはあらで、はつかなるほどにと思ひつるを。とどめがたき物の音どもの、いづれともなきを、聞き分くほどの耳とからぬたどたどしさに、いたく更けにけり。心なきわざなりや」
とて、笙の笛吹く君に、土器さしたまひて、御衣脱ぎてかづけたまふ。横笛の君には、こなたより、織物の細長に、袴などことことしからぬさまに、けしきばかりにて、大将の君には、宮の御方より、杯さし出でて、宮の御装束一領かづけたてまつりたまふを、大殿、
「あやしや。物の師をこそ、まづはものめかしたまはめ。愁はしきことなり」
とのたまふに、宮のおはします御几帳のそばより、御笛をたてまつる。うち笑ひたまひて取りたまふ。いみじき高麗笛なり。すこし吹き鳴らしたまへば、皆立ち出でたまふほどに、大将立ち止まりたまひて、御子の持ちたまへる笛を取りて、いみじくおもしろく吹き立てたまへるが、いとめでたく聞こゆれば、いづれもいづれも、皆御手を離れぬものの伝へ伝へ、いと二なくのみあるにてぞ、わが御才のほど、ありがたく思し知られける。

 [5-4 女楽終了、禄を賜う]
この若君たちが、とてもかわいらしく笛を吹き立てて、一生懸命になっているのを、おかわいがりになって、
「眠たくなっているだろうに。今夜の音楽の遊びは、長くはしないで、ほんの少しのところでと思っていたが。やめるのには惜しい楽の音色が、甲乙をつけがたいのを、聞き分けるほどに耳がよくないので愚図愚図しているうちに、たいそう夜が更けてしまった。気のつかないことであった」
と言って、笙の笛を吹く君に、杯をお差しになって、お召物を脱いでお与えになる。横笛の君には、こちらから、織物の細長に、袴などの仰々しくないふうに、形ばかりにして、大将の君には、宮の御方から、杯を差し出して、宮のご装束を一領をお与え申し上げなさるのを、大殿は、
「妙なことだね。師匠のわたしにこそ、さっそくご褒美を下さってよいものなのに。情ないことだ」
とおっしゃるので、宮のおいであそばす御几帳の側から、御笛を差し上げる。微笑みなさってお取りになる。たいそう見事な高麗笛である。少し吹き鳴らしなさると、皆お返りになるところであったが、大将が立ち止まりなさって、ご子息の持っておいでの笛を取って、たいそう素晴らしく吹き鳴らしなさったのが、実に見事に聞こえたので、どなたもどなたも、皆ご奏法を受け継がれたお手並みが、実に又となくばかりあるので、ご自分の音楽の才能が、めったにないほどだと思われなさるのであった。

 [5-4 The concert comes to an end, Yugiri and gandsons are rewarded for their efforts to the concert]
 Kono Kimi-tati no, ito utukusiku huki-tate te, seti ni kokoro-ire taru wo, rautagari tamahi te,
 "Nebutaku nari ni tara m ni. Koyohi no asobi ha, nagaku ha ara de, hatuka naru hodo ni to omohi turu wo. Todome gataki mono no ne-domo no, idure to mo naki wo, kiki-waku hodo no mimi tokara nu tado-tadosisa ni, itaku huke ni keri. Kokoro-naki waza nari ya!"
 tote, Syau-no-hue huku Kimi ni, kaharake sasi tamahi te, mi-zo nugi te kaduke tamahu. Yoko-bue no Kimi ni ha, konata yori, orimono no hosonaga ni, hakama nado koto-kotosikara nu sama ni, kesiki bakari ni te, Daisyau-no-Kimi ni ha, Miya-no-Ohomkata yori, sakaduki sasi-ide te, Miya no ohom-sauzoku hito-kudari kaduke tatematuri tamahu wo, Otodo,
 "Ayasi ya! Mono no si wo koso, madu ha mono-mekasi tamaha me. Urehasiki koto nari."
 to notamahu ni, Miya no ohasimasu mi-kityau no soba yori, ohom-hue wo tatematuru. Uti-warahi tamahi te tori tamahu. Imiziki Koma-bue nari. Sukosi huki-narasi tamahe ba, mina tati-ide tamahu hodo ni, Daisyau tati-tomari tamahi te, mi-ko no moti tamahe ru hue wo tori te, imiziku omosiroku huki tate tamahe ru ga, ito medetaku kikoyure ba, idure mo idure mo, mina ohom-te wo hanare nu mono no tutahe tutahe, ito ni-naku nomi aru ni te zo, waga ohom-zae no hodo, arigataku obosi sira re keru.

 [5-5 夕霧、わが妻を比較して思う]
大将殿は、君達を御車に乗せて、月の澄めるにまかでたまふ。道すがら、箏の琴の変はりていみじかりつる音も、耳につきて恋しくおぼえたまふ。
わが北の方は、故大宮の教へきこえたまひしかど、心にもしめたまはざりしほどに、別れたてまつりたまひにしかば、ゆるるかにも弾き取りたまはで、男君の御前にては、恥ぢてさらに弾きたまはず。何ごともただおいらかに、うちおほどきたるさまして、子ども扱ひを、暇なく次々したまへば、をかしきところもなくおぼゆ。さすがに、腹悪しくて、もの妬みうちしたる、愛敬づきてうつくしき人ざまにぞものしたまふめる。

 [5-5 夕霧、わが妻を比較して思う]
大将殿は、若君たちをお車に乗せて、月の澄んだ中をご退出なさる。道中、箏の琴が普通とは違ってたいそう素晴らしかった音色が、耳について恋しくお思い出されなさる。
ご自分の北の方は、亡き大宮がお教え申し上げなさったが、熱心にお習いなさらなかったうちに、お引き離されておしまいになったので、ゆっくりとも習得なさらず、夫君の前では、恥ずかしがって全然お弾きにならない。何ごともただあっさりと、おっとりとした物腰で、子供の世話に、休む暇もなく次々となさるので、風情もなくお思いになる。そうはいっても、機嫌を悪くして、嫉妬するところは、愛嬌があってかわいらしい人柄でいらっしゃるようである。

 [5-5 Yugiri considers his wife compared with Murasaki]
 Daisyau-dono ha, Kimi-tati wo mi-kuruma ni nose te, tuki no sume ru ni makade tamahu. Miti-sugara, sau-no-koto no kahari te imizikari turu ne mo, mimi ni tuki te kohisiku oboye tamahu.
 Waga Kitanokata ha, ko-Oho-Miya no wosihe kikoye tamahi sika do, kokoro ni mo sime tamaha zari si hodo ni, wakare tatematuri tamahi ni sika ba, yururuka ni mo hiki tori tamaha de, Wotoko-Gimi no o-mahe ni te ha, hadi te sarani hiki tamaha zu. Nani-goto mo tada oyiraka ni, uti-ohodoki taru sama si te, kodomo-atukahi wo, itoma naku tugi-tugi si tamahe ba, wokasiki tokoro mo naku oboyu. Sasuga ni, hara asiku te, mono-netami uti-si taru, aigyau-duki te utukusiki hito-zama ni zo monosi tamahu meru.

 6 紫の上の物語 出家願望と発病 [6-1 源氏、紫の上と語る]
院は、対へ渡りたまひぬ。上は、止まりたまひて、宮に御物語など聞こえたまひて、暁にぞ渡りたまへる。日高うなるまで大殿籠れり。
「宮の御琴の音は、いとうるさくなりにけりな。いかが聞きたまひし」
と聞こえたまへば、
「初めつ方、あなたにてほの聞きしは、いかにぞやありしを、いとこよなくなりにけり。いかでかは、かく異事なく教へきこえたまはむには」
といらへきこえたまふ。
「さかし。手を取る取る、おぼつかなからぬ物の師なりかし。これかれにも、うるさくわづらはしくて、暇いるわざなれば、教へたてまつらぬを、院にも内裏にも、琴はさりとも習はしきこゆらむとのたまふと聞くがいとほしく、さりとも、さばかりのことをだに、かく取り分きて御後見にと預けたまへるしるしにはと、思ひ起こしてなむ」
など聞こえたまふついでにも、
「昔、世づかぬほどを、扱ひ思ひしさま、その世には暇もありがたくて、心のどかに取りわき教へきこゆることなどもなく、近き世にも、何となく次々、紛れつつ過ぐして、聞き扱はぬ御琴の音の、出で栄えしたりしも、面目ありて、大将の、いたくかたぶきおどろきたりしけしきも、思ふやうにうれしくこそありしか」
など聞こえたまふ。

 6 紫の上の物語 出家願望と発病 [6-1 源氏、紫の上と語る]
院は、対へお渡りになった。紫の上は、お残りになって、宮にお話など申し上げなさって、暁方にお帰りになった。日が高くなるまでお寝みになった。
「宮のお琴の音色は、たいそう上手になったものだな。どのようにお聞きなさいましたか」
とお尋ねなさるので、
「初めの方は、あちらでちらっと聞いた時には、どんなものかしらと思いましたが、とてもこの上なく上手になりましたわ。どうして、あのように専心してお教え申し上げになったのですから」
とお答えなさる。
「そうなのだ。手を取り取りの、たいした師匠なんだよ。他のどなたにも、厄介で、面倒なことなので、お教え申さないが、院にも帝にも、琴の琴はいくらなんでもお教え申しているだろうとおっしゃると、耳にするのがおいたわしくて、そうは言っても、せめてその程度のことだけはと、このように特別なご後見にとお預けになった甲斐にはと、思い立ってね」
などと申し上げなさるついでにも、
「昔、まだ幼かったころ、お世話したものだが、当時は暇がなくて、ゆっくりと特別にお教え申し上げることなどもなく、近頃になっても、何となく次から次へと、とり紛れては日を送り、聞いて上げなかったお琴の音色が、素晴らしい出来映えだったのも、晴れがましいことで、大将が、たいそう耳を傾け感嘆していた様子も、思いどおりで嬉しいことであった」
などと申し上げなさる。

 6 Tale of Murasaki A desire to become a priestess, getting ill [6-1 Genji talks with Murasaki about the concert]
 Win ha, tai he watari tamahi nu. Uhe ha, tomari tamahi te, Miya ni ohom-monogatari nado kikoye tamahi te, akatuki ni zo watari tamahe ru. Hi takau naru made ohotono-gomore ri.
 "Miya no ohom-koto no ne ha, ito urusaku nari ni keri na! Ikaga kiki tamahi si?"
 to kikoye tamahe ba,
 "Hazime tu kata, anata ni te hono-kiki si ha, ikani zo ya ari si wo, ito koyonaku nari ni keri. Ikade ka ha, kaku koto-goto naku wosihe kikoye tamaha m ni ha."
 to irahe kikoye tamahu.
 "Sakasi. Te wo toru toru, obotukanakara nu mono no si nari kasi. Kore kare ni mo, urusaku wadurahasiku te, itoma iru waza nare ba, wosihe tatematura nu wo, Win ni mo Uti ni mo, kin ha sari-tomo narahasi kikoyu ram to notamahu to kiku ga itohosiku, sari-tomo, sa bakari no koto wo dani, kaku tori-waki te ohom-usiromi ni to aduke tamahe ru sirusi ni ha to, omohi-okosi te nam."
 nado kikoye tamahu tuide ni mo,
 "Mukasi, yo-duka nu hodo wo, atukahi omohi si sama, sono yo ni ha itoma mo ari gataku te, kokoro nodoka ni tori-waki wosihe kikoyuru koto nado mo naku, tikaki yo ni mo, nani to naku tugi-tugi, magire tutu sugusi te, kiki atukaha nu ohom-koto no ne no, ide-baye si tari si mo, menboku ari te, Daisyau no, itaku katabuki odoroki tari si kesiki mo, omohu yau ni uresiku koso ari sika."
 nado kikoye tamahu.

 [6-2 紫の上、37歳の厄年]
かやうの筋も、今はまたおとなおとなしく、宮たちの御扱ひなど、取りもちてしたまふさまも、いたらぬことなく、すべて何ごとにつけても、もどかしくたどたどしきこと混じらず、ありがたき人の御ありさまなれば、いとかく具しぬる人は、世に久しからぬ例もあなるをと、ゆゆしきまで思ひきこえたまふ。
さまざまなる人のありさまを見集めたまふままに、取り集め足らひたることは、まことにたぐひあらじとのみ思ひきこえたまへり。今年は三十七にぞなりたまふ。見たてまつりたまひし年月のことなども、あはれに思し出でたるついでに、
「さるべき御祈りなど、常よりも取り分きて、今年はつつしみたまへ。もの騒がしくのみありて、思ひいたらぬこともあらむを、なほ、思しめぐらして、大きなることどももしたまはば、おのづからせさせてむ。故僧都のものしたまはずなりにたるこそ、いと口惜しけれ。おほかたにてうち頼まむにも、いとかしこかりし人を」
などのたまひ出づ。

 [6-2 紫の上、37歳の厄年]
こういった音楽の方面のことも、今はまた年輩者らしく、若宮たちのお世話などを、引き受けなさっている様子も、至らないところなく、すべて何事につけても、非難されるような行き届かないところなく、世にもまれなご様子の方なので、まことにこのように何から何までそなわっていらっしゃる方は、長生きしない例もあるというのでと、不吉なまでにお思い申し上げなさる。
いろいろな人の有様を多く御覧になっているために、何から何まで揃っている点では、本当に例があるまいと心底からお思い申し上げていらっしゃった。今年は、三十七歳におなりである。一緒にお暮らし申されてからの年月のことなどを、しみじみとお思い出しなさったついでに、
「しかるべきご祈祷など、いつもの年よりも特別にして、今年はご用心なさい。何かと忙しくばかりあって、考えつかないことがあるだろうから、やはり、あれこれとお思いめぐらしになって、大がかりな仏事を催しなさるなら、わたしの方でさせていただこう。僧都が亡くなってしまわれたことが、たいそう残念なことだ。一通りのお願いをするのにつけても、たいそう立派な方であったのに」
などとおっしゃる。

 [6-2 Murasaki becomes 37 old years, an unlucky year]
 Kayau no sudi mo, ima ha mata otona-otonasiku, Miya-tati no ohom-atukahi nado, torimoti te si tamahu sama mo, itara nu koto naku, subete nani-goto ni tuke te mo, modokasiku tado-tadosiki koto mazira zu, arigataki hito no mi-arisama nare ba, ito kaku gu-si nuru hito ha, yo ni hisasikara nu tamesi mo a'naru wo to, yuyusiki made omohi kikoye tamahu.
 Sama-zama naru hito no arisama wo mi atume tamahu mam ni, tori-atume tarahi taru koto ha, makoto ni taguhi ara zi to nomi omohi kikoye tamahe ri. Kotosi ha sam-zihu-siti ni zo nari tamahu. Mi tatematuri tamahi si tosi-tuki no kto nado mo, ahare ni obosi-ide taru tuide ni,
 "Saru beki ohom-inori nado, tune yori mo tori-waki te, kotosi ha tutusimi tamahe. Mono-sawagasiku nomi ari te, omohi itara nu koto mo ara m wo, naho, obosi-megurasi te, ohoki naru koto-domo mo si tamah ba, onodukara se sase te m. Ko-Soudu no monosi tamaha zu nari ni taru koso, ito kutiwosikere. Ohokata ni te uti-tanoma m ni mo, ito kasikokari si hito wo."
 nado notamahi idu.

 [6-3 源氏、半生を語る]
「みづからは、幼くより、人に異なるさまにて、ことことしく生ひ出でて、今の世のおぼえありさま、来し方にたぐひ少なくなむありける。されど、また、世にすぐれて悲しきめを見る方も、人にはまさりけりかし。
まづは、思ふ人にさまざま後れ、残りとまれる齢の末にも、飽かず悲しと思ふこと多く、あぢきなくさるまじきことにつけても、あやしくもの思はしく、心に飽かずおぼゆること添ひたる身にて過ぎぬれば、それに代へてや、思ひしほどよりは、今までもながらふるならむとなむ、思ひ知らるる。
君の御身には、かの一節の別れより、あなたこなた、もの思ひとて、心乱りたまふばかりのことあらじとなむ思ふ。后といひ、ましてそれより次々は、やむごとなき人といへど、皆かならずやすからぬもの思ひ添ふわざなり。
高き交じらひにつけても、心乱れ、人に争ふ思ひの絶えぬも、やすげなきを、親の窓のうちながら過ぐしたまへるやうなる心やすきことはなし。そのかた、人にすぐれたりける宿世とは思し知るや。
思ひの外に、この宮のかく渡りものしたまへるこそは、なま苦しかるべけれど、それにつけては、いとど加ふる心ざしのほどを、御みづからの上なれば、思し知らずやあらむ。ものの心も深く知りたまふめれば、さりともとなむ思ふ」
と聞こえたまへば、
「のたまふやうに、ものはかなき身には、過ぎにたるよそのおぼえはあらめど、心に堪へぬもの嘆かしさのみうち添ふや、さはみづからの祈りなりける」
とて、残り多げなるけはひ、恥づかしげなり。
「まめやかには、いと行く先少なき心地するを、今年もかく知らず顔にて過ぐすは、いとうしろめたくこそ。さきざきも聞こゆること、いかで御許しあらば」
と聞こえたまふ。
「それはしも、あるまじきことになむ。さて、かけ離れたまひなむ世に残りては、何のかひかあらむ。ただかく何となくて過ぐる年月なれど、明け暮れの隔てなきうれしさのみこそ、ますことなくおぼゆれ。なほ思ふさま異なる心のほどを見果てたまへ」
とのみ聞こえたまふを、例のことと心やましくて、涙ぐみたまへるけしきを、いとあはれと見たてまつりたまひて、よろづに聞こえ紛らはしたまふ。

 [6-3 源氏、半生を語る]
「わたしは、幼い時から、人とは違ったふうに、大層な育ち方をして来て、現在の世の評判や有様、過去にも類例が少ないものであった。けれども、また一方で、大変に悲しいめに遭ったことでも、人並み以上であったことです。
まず第一に、愛する方々に次々と先立たれ、とり残された晩年になっても、意に満たず悲しいと思う事が多く、不本意にも感心しないことにかかわったにつけても、妙に物思いが絶えず、心に満足のゆかず思われる事が身につきまとって過ごして来てしまったので、その代わりとででもいうのか、思っていたわりに、今まで生き永らえているのだろうと、思わずにはいられません。
あなたご自身には、あの一件での離別のほかは、その前にも後にも、心配して、心をお痛めになるようなことはあるまいと思う。后と言っても、ましてそれより下の方々は、身分が高いからと言っても、皆必ず物思いの種が付き纏うものなのです。
高いお付き合いをするにつけても、気苦労があり、人と争う思いが絶えないのも、楽なことではないから、親のもとでの深窓生活同然に暮らしていらっしゃるような気楽さはありません。その点では、人並み以上の運勢だとお分かりでしょうか。
思いもかけず、この宮がこのようにお輿入れなさったのは、何やら辛くお思いでしょうが、それにつけては、いっそう勝る愛情を、ご自分の身の上のことですから、あるいはお気づきでないかも知れません。物のわけをよくお分りのようですから、きっとお分りだろうと思います」
と申し上げなさると、
「おっしゃるように、ふつつかな身の上には、過ぎた事と世間の目には見えましょうが、心に堪えない物思いばかりがつきまとうのは、それがわたし自身のご祈祷となっているのでした」
と言って、多く言い残したような様子は、奥ゆかしそうである。
「ほんとうのことを申しますと、もうとても先も長くないような心地がするのですが、今年もこのように知らない顔をして過ごすのは、とても不安なことです。先々にも申し上げたこと、何とかお許しがあれば」
と申し上げなさる。
「それは、とんでもないことだ。そうして、離れておしまいになった後に残ったわたしは、何の生き甲斐があろう。ただこのように何ということもなく過ぎて行く月日だが、朝に晩に顔を合わせる嬉しさだけで、これ以上の事はないと思われるのです。やはりあなたを人とは違って思う気持ちがどれほど深いものであるか最後まで見届けてください」
とばかり申し上げなさるのを、いつものことと胸が痛んで、涙ぐんでいらっしゃる様子を、たいそういとしいと拝見なさって、いろいろとお慰め申し上げなさる。

 [6-3 Genji talks about half his life to Murasaki]
 "Midukara ha, wosanaku yori, hito ni koto naru sama ni te, koto-kotosiku ohi-ide te, ima no yo no oboye arisama, ki-si-kata ni taguhi sukunaku nam ari keru. Saredo, mata, yo ni sugure te kanasiki me wo miru kata mo, hito ni ha masari keri kasi.
 Madu ha, omohu hito ni sama-zama okure, nokori tomare ru yohahi no suwe ni mo, aka-zu kanasi to omohu koto ohoku, adikinaku saru maziki koto ni tuke te mo, ayasiku mono omohasiku, kokoro ni aka zu oboyuru koto sohi taru mi ni te sugi nure ba, sore ni kahe te ya, omohi si hodo yori ha, ima made mo nagarahuru nara m to nam, omohi sira ruru.
 Kimi no ohom-mi ni ha, kano hito-husi no wakare yori, anata konata, mono-omohi tote, kokoro-midari tamahu bakari no koto ara zi to nam omohu. Kisaki to ihi, masite sore yori tugi-tugi ha, yamgotonaki hito to ihe do, mina kanarazu yasukara nu mono-omohi sohu waza nari.
 Takaki mazirahi ni tuke te mo, kokoro midare, hito ni arasohu omohi no taye nu mo, yasuge naki wo, oya no mado no uti nagara sugusi tamahe ru yau naru kokoro-yasuki koto ha nasi. Sono kata, hito ni sugure tari keru sukuse to ha obosi siru ya?
 Omohi no hoka ni, kono Miya no kaku watari monosi tamahe ru koso ha, nama-kurusikaru bekere do, sore ni tuke te ha, itodo kuhahuru kokoro-zasi no hodo wo, ohom-midukara no uhe nare ba, obosi sira zu ya ara m. Mono no kokoro mo hukaku siri tamahu mere ba, sari to mo to nam omohu."
 to kikoye tamahe ba,
 "Notamahu yau ni, mono-hakanaki mi ni ha, sugi ni taru yoso no oboye ha ara me do, kokoro ni tahe nu mono nagekasisa nomi uti-sohu ya, sa ha midukara no inori nari keru."
 tote, nokori ohoge naru kehahi, hadukasige nari.
 "Mameyaka ni ha, ito yukusaki sukunaki kokoti suru wo, kotosi mo kaku sira-zu-gaho ni te sugusu ha, ito usirometaku koso. Saki-zaki mo kikoyuru koto, ikade ohom-yurusi ara ba."
 to kikoye tamahu.
 "Sore ha si mo, aru maziki koto ni nam. Sate, kake-hanare tamahi na m yo ni nokori te ha, nani no kahi ka ara m? Tada kaku nani to naku te suguru tosi-tuki nare do, ake-kure no hedate naki uresi sa nomi koso, masu koto naku oboyure. Naho omohu sama koto naru kokoro no hodo wo mi-hate tamahe."
 to nomi kikoye tamahu wo, rei no koto to kokoro-yamasiku te, namida-gumi tamahe ru kesiki wo, ito ahare to mi tatematuri tamahi te, yorodu ni kikoye magirahasi tamahu.

 [6-4 源氏、関わった女方を語る]
「多くはあらねど、人のありさまの、とりどりに口惜しくはあらぬを見知りゆくままに、まことの心ばせおいらかに落ちゐたるこそ、いと難きわざなりけれとなむ、思ひ果てにたる。
大将の母君を、幼かりしほどに見そめて、やむごとなくえ避らぬ筋には思ひしを、常に仲よからず、隔てある心地して止みにしこそ、今思へば、いとほしく悔しくもあれ。
また、わが過ちにのみもあらざりけりなど、心ひとつになむ思ひ出づる。うるはしく重りかにて、そのことの飽かぬかなとおぼゆることもなかりき。ただ、いとあまり乱れたるところなく、すくすくしく、すこしさかしとやいふべかりけむと、思ふには頼もしく、見るにはわづらはしかりし人ざまになむ。
中宮の御母御息所なむ、さま異に心深くなまめかしき例には、まづ思ひ出でらるれど、人見えにくく、苦しかりしさまになむありし。怨むべきふしぞ、げにことわりとおぼゆるふしを、やがて長く思ひつめて、深く怨ぜられしこそ、いと苦しかりしか。
心ゆるびなく恥づかしくて、我も人もうちたゆみ、朝夕の睦びを交はさむには、いとつつましきところのありしかば、うちとけては見落とさるることやなど、あまりつくろひしほどに、やがて隔たりし仲ぞかし。
いとあるまじき名を立ちて、身のあはあはしくなりぬる嘆きを、いみじく思ひしめたまへりしがいとほしく、げに人がらを思ひしも、我罪ある心地して止みにし慰めに、中宮をかくさるべき御契りとはいひながら、取りたてて、世のそしり、人の恨みをも知らず、心寄せたてまつるを、かの世ながらも見直されぬらむ。今も昔も、なほざりなる心のすさびに、いとほしく悔しきことも多くなむ」
と、来し方の人の御上、すこしづつのたまひ出でて、
「内裏の御方の1700御後見は、何ばかりのほどならずと、あなづりそめて、心やすきものに思ひしを、なほ心の底見えず、際なく深きところある人になむ。うはべは人になびき、おいらかに見えながら、うちとけぬけしき下に籠もりて、そこはかとなく恥づかしきところこそあれ」
とのたまへば、
「異人は見ねば知らぬを、これは、まほならねど、おのづからけしき見る折々もあるに、いとうちとけにくく、心恥づかしきありさましるきを、いとたとしへなきうらなさを、いかに見たまふらむと、つつましけれど、女御は、おのづから思し許すらむとのみ思ひてなむ」
とのたまふ。
さばかりめざましと心置きたまへりし人を、今はかく許して見え交はしなどしたまふも、女御の御ための真心なるあまりぞかしと思すに、いとありがたければ、
「君こそは、さすがに隈なきにはあらぬものから、人により、ことに従ひ、いとよく二筋に心づかひはしたまひけれ。さらにここら1701見れど、御ありさまに似たる人はなかりけり。いとけしきこそものしたまへ」
と、ほほ笑みて聞こえ1702たまふ。
「宮に、いとよく弾き取りたまへりしことの喜び聞こえむ」
とて、夕つ方渡りたまひぬ。我に心置く人やあらむとも思したらず、いといたく若びて、ひとへに御琴に心入れておはす。
「今は、暇許してうち休ませたまへかし。物の師は心ゆかせてこそ。いと苦しかりつる日ごろのしるしありて、うしろやすくなりたまひにけり」
とて、御琴どもおしやりて、大殿籠もりぬ。

 [6-4 源氏、関わった女方を語る]
「多くは知らないが、人柄が、それぞれにとりえのないものはないと分かって行くにつれて、ほんとうの気立てがおおらかで落ち着いているのは、なかなかいないものであると、思うようになりました。
大将の母君を、若いころにはじめて妻として、大事にしなければならない方とは思ったが、いつも夫婦仲が好くなく、うちとけぬ気持ちのまま終わってしまったのが、今思うと、気の毒で残念である。
しかしまた、わたし一人の罪ばかりではなかったのだと、自分の胸一つに思い出される。きちんとして重々しくて、どの点が不満だと思われることもなかった。ただ、あまりにくつろいだところがなく、几帳面すぎて、少しできすぎた人であったと言うべきであろうかと、離れて思うには信頼が置けて、一緒に生活するには面倒な人柄であった。
中宮の御母君の御息所は、人並すぐれてたしなみ深く優雅な人の例としては、まず第一に思い出されるが、逢うのに気がおけて、こちらが気苦労するような方でした。恨むことも、なるほど無理もないことと思われる点を、そのままいつまでも思い詰めて、深く怨まれたのは、まことに辛いことであった。
緊張のし通しで気づまりで、自分も相手もゆっくりとして、朝夕睦まじく語らうには、とても気の引けるところがあったので、気を許しては軽蔑されるのではないかなどと、あまりに体裁をつくろっていたうちに、そのまま疎遠になった仲なのです。
たいそうとんでもない浮名を立て、ご身分に相応しくなくなってしまった嘆きを、たいそう思い詰めていらっしゃったのがお気の毒で、なるほど人柄を考えても、自分に罪がある心地がして終わってしまったその罪滅ぼしに、中宮をこのようにそうなるべき前世からのご因縁とは言いながら、取り立てて、世の非難、人の嫉妬も意に介さず、お世話申し上げているのを、あの世からであっても考え直して下さったろう。今も昔も、いいかげんな気まぐれから、気の毒な事や後悔する事が多いのです」
と、亡くなったご夫人方について少しずつおっしゃり出して、
「今上の御方のご後見は、大した身分の人でないと、最初から軽く見て、気楽な相手だと思っていたが、やはり心の底が見えず、際限もなく深いところのある人でした。表面は従順で、おっとりして見えるながら、しっかりしたところが下にあって、どことなく気の置けるところがある人です」
とおっしゃると、
「他の方は会ったことがないので知りませんが、この方は、はっきりとではないが、自然と様子を見る機会も何度かあったので、とても馴れ馴れしくできず、気の置ける嗜みがはっきりと分かりますにつけても、とても途方もない単純なわたしを、どのように御覧になっているだろうと、気の引けるところですが、女御は、自然と大目に見て下さるだろうとばかり思っています」
とおっしゃる。
あれほど目障りな人だと心を置いていらっしゃった人を、今ではこのように顔を合わせたりなどなさるのも、女御の御ためを思う真心の結果なのだとお思いになると、普通にはとても出来ないことなので、
「あなたこそは、それでもやはり心底に思わないこともないではないが、人によって、事によって、とても上手に心を使い分けていらっしゃいますね。全く多くの女たちに接して来たが、あなたのご様子に似ている人はいませんでした。とても態度は格別でいらっしゃいます」
と、ほほ笑んで申し上げなさる。
「宮に、とても琴の琴を上手にお弾きになったお祝いを申し上げよう」
と言って、夕方お渡りになった。自分に気兼ねする人があろうかともお考えにもならず、とてもたいそう若々しくて、一途に御琴に熱中していらっしゃる。
「もう、お暇を下さって休ませていただきたいものです。師匠は満足させてこそです。とても辛かった日頃の成果があって、安心出来るほどお上手になりになりました」
と言って、お琴類は押しやって、お寝みになった。

 [6-4 Genji talks about his girlfriends to Murasaki]
 "Ohoku ha ara ne do, hito no arisama no, tori-dori ni kutiwosiku ha ara nu wo mi-siri yuku mama ni, makoto no kokorobase oyiraka ni oti-wi taru koso, ito kataki waza nari kere to nam, omohi-hate ni taru.
 Daisyau no Haha-Gimi wo, wosanakari si hodo ni mi-some te, yamgotonaku e sara nu sudi ni ha omohi si wo, tune ni naka yokara zu, hedate aru kokoti si te yami ni si koso, ima omohe ba, itohosiku kuyasiku mo are.
 Mata, waga ayamati ni nomi mo ara zari keri nado, kokoro hitotu ni nam omohi-iduru. Uruhasiku omorika ni te, sono koto no aka nu kana to oboyuru koto mo nakari ki. Tada, ito amari midare taru tokoro naku, suku-sukusiku, sukosi sakasi to ya ihu bekari kem to, omohu ni ha tanomosiku, miru ni ha wadurahasikari si hito-zama ni nam.
 Tiuguu no ohom-haha-Miyasumdokoro nam, sama koto ni kokoro hukaku namamekasiki tamesi ni ha, madu omohi-ide rarure do, hito miye nikuku, kurusikari si sama ni nam ari si. Uramu beki husi zo, geni kotowari to oboyuru husi wo, yagate nagaku omohi tume te, hukaku wen-ze rare si koso, ito kurusikari sika.
 Kokoro yurubi naku hadukasiku te, ware mo hito mo uti-tayumi, asa-yuhu no mutubi wo kahasa m ni ha, ito tutumasiki tokoro no ari sika ba, utitoke te ha mi-otosa ruru koto ya nado, amari tukurohisi hodo ni, yagate hedatari si naka zo kasi.
 Ito aru maziki na wo tati te, mi no aha-ahasiku nari nuru nageki wo, imiziku omohi-sime tamahe ri si ga itohosiku, geni hitogara wo omohi si mo, ware tumi aru kokoti si te yami ni si nagusame ni, Tiuguu wo kaku saru beki ohom-tigiri to ha ihi nagara, toritate te, yo no sosiri, hito no urami wo mo sira zu, kokoro yose tatematuru wo, kano yo nagara mo mi-nahosa re nu ram. Ima mo mukasi mo, nahozari naru kokoro no susabi ni, itohosiku kuyasiki koto mo ohoku nam."
 to, ki-si-kata no hito no ohom-uhe, sukosi dutu notamahi ide te,
 "Uti-no-Ohomkata no ohom-usiromi ha, nani bakari no hodo nara zu to, anaduri some te, kokoro-yasuki mono ni omohi si wo, naho kokoro no soko miye zu, kiha naku hukaki tokoro aru hito ni nam. Uhabe ha hito ni nabiki, oyiraka ni miye nagara, utitoke nu kesiki sita ni komori te, sokohaktonaku hadukasiki tokoro koso are."
 to notamahe ba,
 "Koto-bito ha mi ne ba sira nu wo, kore ha, maho nara ne do, onodukara kesiki miru wori-wori mo aru ni, ito utitoke nikuku, kokoro-hadukasiki arisama siruki wo, ito tatosihe naki ura-nasa wo, ika ni mi tamahu ram to, tutumasikere do, Nyougo ha, onodukara obosi-yurusu ram to nomi omohi te nam."
 to notamahu.
 Sabakari mezamasi to kokoro-oki tamahe ri si hito wo, ima ha kaku yurusi te miye-kahasi nado si tamahu mo, Nyougo no ohom-tame no ma-gokoro naru amari zo kasi to obosu ni, ito arigatakere ba,
 "Kimi koso ha, sasuga ni kuma-naki ni ha ara nu mono kara, hito ni yori, koto ni sitagahi, ito yoku huta-sudi ni kokoro-dukahi ha si tamahi kere. Sara ni kokora mire do, mi-arisama ni ni taru hito ha nakari keri. Ito kesiki koso monosi tamahe."
 to, hohowemi te kikoye tamahu.
 "Miya ni, ito yoku hiki-tori tamahe ri si koto no yorokobi kikoye m."
 tote, yuhu tu kata watari tamahi nu. Ware ni kokoro-oku hito ya ara m to mo obosi tara zu, ito itaku wakabi te, hitohe ni ohom-koto ni kokoro ire te ohasu.
 "Ima ha, itoma yurusi te uti-yasuma se tamahe kasi. Mono no si ha kokoro-yuka se te koso. Ito kurusikari turu hi-goro no sirusi ari te, usiro-yasuku nari tamahi ni keri."
 tote, ohom-koto-domo osi-yari te, ohotono-gomori nu.

 [6-5 紫の上、発病す]
対には、例のおはしまさぬ夜は、宵居したまひて、人々に物語など読ませて聞きたまふ。
「かく、世のたとひに言ひ集めたる昔語どもにも、あだなる男、色好み、二心ある人にかかづらひたる女、かやうなることを言ひ集めたるにも、つひに寄る方1703ありてこそあめれ。あやしく、浮きても過ぐしつるありさまかな。げに、のたまひつるやうに、人より異なる宿世もありける身ながら、人の忍びがたく飽かぬことにするもの思ひ離れぬ身にてや止みなむとすらむ。あぢきなくもあるかな」
など思ひ続けて、夜更けて大殿籠もりぬる、暁方より、御胸を悩みたまふ。人々見たてまつり扱ひて、
「御消息聞こえさせむ」
と聞こゆるを、
「いと便ないこと」
と制したまひて、堪へがたきを押さへて明かしたまひつ。御身もぬるみて1704、御心地もいと悪しけれど、院もとみに渡りたまはぬほど、かくなむとも聞こえず。

 [6-5 紫の上、発病す]
対の上のもとでは、いつものようにいらっしゃらない夜は、遅くまで起きていらして、女房たちに物語などを読ませてお聞きになる。
「このように、世間で例に引き集めた昔語りにも、不誠実な男、色好み、二心ある男に関係した女、このようなことを語り集めた中にも、結局は頼る男に落ち着くようだ。どうしたことか、浮いたまま過してきたことだわ。確かにおっしゃったように、人並み勝れた運勢であったわが身の上だが、世間の人が我慢できず満足ゆかないこととする悩みが身にまといついて終わろうとするのだろうか。つまらない事よ」
などと思い続けて、夜が更けてお寝みになった、その明け方から、お胸をお病みになる。女房たちがご看病申し上げて、
「お知らせ申し上げましょう」
と申し上げるが、
「とても不都合なことです」
とお制しなさって、苦しいのを我慢して夜を明かしなさった。お身体も熱があって、ご気分もとても悪いが、院がすぐにお帰りにならない間、これこれとも申し上げない。

 [6-5 Murasaki getts ill at daybreak]
 Tai ni ha, rei no ohasimasa nu yo ha, yohi-wi si tamahi te, hito-bito ni monogatari nado yoma se te kiki tamahu.
 "Kaku, yo no tatohi ni ihi atume taru mukasi-gatari-domo ni mo, ada naru wotoko, iro-gonomi, huta-kokoro aru hito ni kakadurahi taru womna, kayau naru koto wo ihi atume taru ni mo, tuhi ni yoru kata ari te koso a'mere. Ayasiku, uki te mo sugusi turu arisama kana! Geni, notamahi turu yau ni, hito yori koto naru sukuse mo ari keru mi nagara, hito no sinobi gataku aka nu koto ni mo suru mono omohi hanare nu mi ni te ya yami na m to su ram. Adikinaku mo aru kana!"
 nado omohi tuduke te, yo huke te ohotono-gomori nuru, akatuki-gata yori, ohom-mune wo nayami tamahu. Hito-bito mi tatematuri atukahi te,
 "Ohom-seusoko kikoye sase m."
 to kikoyuru wo,
 "Ito bin-nai koto."
 to sei-si tamahi te, tahe gataki wo osahe te akasi tamahi tu. Ohom-mi mo nurumi te, mi-kokoti mo ito asikere do, Win mo tomi ni watari tamaha nu hodo, kaku nam to mo kikoye zu.

 [6-6 朱雀院の五十賀、延期される]
女御の御方より御消息あるに、
「かく悩ましくてなむ」
と聞こえたまへるに、驚きて、そなたより聞こえたまへるに、胸つぶれて、急ぎ渡りたまへるに、いと苦しげにておはす。
「いかなる御心地ぞ」
とて探りたてまつりたまへば、いと熱くおはすれば、昨日聞こえたまひし御つつしみの筋など思し合はせたまひて、いと恐ろしく思さる。
御粥などこなたに参らせたれど、御覧じも入れず、日一日1705添ひおはして、よろづに見たてまつり嘆きたまふ。はかなき御くだものをだに、いともの憂くしたまひて、起き上がりたまふこと絶えて、日ごろ経ぬ。
いかならむと思し騒ぎて、御祈りども、数知らず始めさせたまふ。僧召して、御加持などせさせたまふ。そこところともなく、いみじく苦しくしたまひて、胸は時々おこりつつ患ひたまふさま、堪へがたく苦しげなり。
さまざまの御慎しみ限りなけれど、しるしも見えず。重しと見れど、おのづからおこたるけぢめあらば頼もしきを、いみじく心細く悲しと見たてまつりたまふに、異事思されねば、御賀の響きも静まりぬ。かの院よりも、かく患ひたまふよし聞こし召して、御訪らひいとねむごろに、たびたび聞こえたまふ。

 [6-6 朱雀院の五十賀、延期される]
女御の御方からお便りがあったので、
「これこれと気分が悪くていらっしゃいます」
と申し上げなさると、びっくりして、そちらから申し上げなさったので、胸がどきりとして、急いでお帰りになると、とても苦しそうにしていらっしゃる。
「どのようなご気分ですか」
と手をさし入れなさると、とても熱っぽくいらっしゃるので、昨日申し上げなさったご用心のことなどをお考え合わせになって、とても恐ろしく思わずにはいらっしゃれない。
御粥などをこちらで差し上げたが、御覧にもならず、一日中付き添っていらして、いろいろと介抱なさりお心を痛めなさる。ちょっとしたお果物でさえ、とても億劫になさって、起き上がりなさることはまったくなくなって、数日が過ぎてしまった。
どうなるのだろうとご心配になって、御祈祷などを、数限りなく始めさせなさる。僧侶を召して、御加持などをおさせになる。どこということもなく、たいそうお苦しみになって、胸は時々発作が起こってお苦しみになる様子は、我慢できないほど苦しげである。
さまざまのご謹慎は数限りないが、効験も現れない。重態と見えても、自然と快方に向かう兆しが見えれば期待できるが、たいそう心細く悲しいと見守っていらっしゃると、他の事はお考えになれないので、御賀の騷ぎも静まってしまった。あちらの院からも、このようにご病気である由をお聞きあそばして、お見舞いを非常に御丁重に、度々申し上げなさる。

 [6-6 The celebration of Suzaku is put off because of Murasaki's illness]
 Nyougo no ohom-kata yori ohom-seusoko aru ni,
 "Kaku nayamasiku te nam."
 to kikoye tamahe ru ni, odoroki te, sonata yori kikoye tamahe ru ni, mune tubure te, isogi watari tamahe ru ni, ito kurusige ni te ohasu.
 "Ika naru mi-kokoti zo?"
 tote saguri tatematuri tamahe ba, ito atuku ohasure ba, kinohu kikoye tamahi si ohom-tutusimi no sudi nado obosi-ahase tamahi te, ito osorosiku obosa ru.
 Ohom-kayu nado konata ni mawira se tare do, go-ran-zi mo ire zu, hi-hito-hi sohi ohasi te, yorodu ni mi tatematuri nageki tamahu. Hakanaki ohom-kudamono wo dani, ito mono-uku si tamahi te, okiagari tamahu koto taye te, hi-goro he nu.
 Ika nara m to obosi sawagi te, ohom-inori-domo, kazu sira zu hazime sase tamahu. Sou mesi te, go-kadi nado se sase tamahu. Soko-tokoro to mo naku, imiziku kurusiku si tamahi te, mune ha toki-doki okori tutu wadurahi tamahu sama, tahe gataku kurusige nari.
 Sama-zama no ohom-tutusimi kagiri nakere do, sirusi mo miye zu. Omosi to mire do, onodukara okotaru kedime ara ba, tanomosiki wo, imiziku kokoro-bosoku kanasi to mi tatematuri tamahu ni, koto-goto obosa re ne ba, ohom-ga no hibiki mo sidumari nu. Kano Win yori mo, kaku wadurahi tamahu yosi kikosi-mesi te, ohom-toburahi ito nemgoro ni, tabi-tabi kikoye tamahu.

 [6-7 紫の上、二条院に転地療養]
同じさまにて、二月も過ぎぬ。いふ限りなく思し嘆きて、試みに所を変へたまはむとて、二条の院に渡したてまつりたまひつ。院の内ゆすり満ちて、思ひ嘆く人多かり。
冷泉院も聞こし召し嘆く。この人亡せたまはば、院も、かならず世を背く御本意遂げたまひてむと、大将の君なども、心を尽くして見たてまつり扱ひたまふ。
御修法などは、おほかたのをばさるものにて、取り分きて仕うまつらせたまふ。いささかもの思し分く隙には、
「聞こゆることを、さも心憂く」
とのみ恨みきこえたまへど、限りありて別れ果てたまはむよりも、目の前に、わが心とやつし捨てたまはむ御ありさまを見ては、さらに片時堪ふまじくのみ、惜しく悲しかるべければ、
「昔より、みづからぞかかる本意深きを、とまりてさうざうしく思されむ心苦しさに引かれつつ過ぐすを、さかさまにうち捨てたまはむとや思す」
とのみ、惜しみきこえたまふに、げにいと頼みがたげに弱りつつ、限りのさまに見えたまふ折々多かるを、いかさまにせむと思し惑ひつつ、宮の御方にも、あからさまに渡りたまはず。御琴どももすさまじくて、皆引き籠められ、院の内の人々は、皆ある限り二条の院に集ひ参りて、この院には、火を消ちたるやうにて、ただ女どちおはして、人ひとりの1706御けはひなりけりと見ゆ。

 [6-7 紫の上、二条院に転地療養]
同じような状態で、二月も過ぎた。言いようもない程にお嘆きになって、ためしに場所をお変えなさろうとして、二条院にお移し申し上げなさった。院の中は上を下への大騒ぎで、嘆き悲しむ者が多かった。
冷泉院にもお聞きあそばして悲しまれる。この方がお亡くなりになったら、院もきっと出家のご素志をお遂げになるだろうと、大将の君なども、真心をこめてお世話申し上げなさる。
御修法などは、普通に行うものはもとより、特別に選んでおさせになる。少しでも意識がはっきりしている時には、
「お願い申し上げていることを、お許しなく情けなくて」
とだけお恨み申し上げなさるが、寿命が尽きてお別れなさるよりも、目の前でご自分の意志で出家なさるご様子を見ては、まったく少しの間でも耐えられず、惜しく悲しい気がしないではいられないので、
「昔から、自分自身こそこのような出家の本願は深かったのだが、残されて物寂しくお思いなさる気の毒さに心引かれ引かれして過しているのに、逆にわたしを捨てて出家なさろうとお思いなのですか」
とばかり、惜しみ申し上げなさるが、本当にとても頼りなさそうに弱々しく、もうこれきりかとお見えになる時々が多かったが、どのようにしようとお迷いになっては、宮のお部屋には、ちょっとの間もお出掛けにならない。御琴類にも興が乗らず、みなしまいこまれて、院の内の人々は、すっかりみな二条院にお集まりになって、こちらの院では、火を消したようになって、ただ女君たちばかりがおいでになって、お一方の御威勢であったかと見える。

 [6-7 Murasaki tries a treatment by a change of air to Nijo-in]
 Onazi sama ni te, Ni-gwati mo sugi nu. Ihu kagiri naku obosi nageki te, kokoromi ni tokoro wo kahe tamaha m tote, Nideu-no-win ni watasi tatematuri tamahi tu. Win no uti yusuri miti te, omohi nageku hito ohokari.
 Reizei-Win mo kikosimesi nageku. Kono hito use tamaha ba, Win mo, kanara zu yo wo somuku ohom-hoi toge tamahi te m to, Daisyau-no-kimi nado mo, kokoro wo tukusi te mi tatematuri atukahi tamahu.
 Mi-zuhohu nado ha, ohokata no wo ba saru mono ni te, tori-waki te tukau matura se tamahu. Isasaka mono obosi-waku hima ni ha,
 "Kikoyuru koto wo, sa mo kokoro-uku."
 to nomi urami kikoye tamahe do, kagiri ari te wakare hate tamaha m yori mo, me no mahe ni, waga kokoro to yatusi sute tamaha m mi-arisama wo mi te ha, sarani kata-toki tahu maziku nomi, wosiku kanasikaru bekere ba,
 "Mukasi yori, midukara zo kakaru ho'i hukaki wo, tomari te sau-zausiku obosa re m kokoro-gurusisa ni hika re tutu sugusu wo, sakasama ni uti-sute tamaha m to ya obosu."
 to nomi, wosimi kikoye tamahu ni, geni ito tanomi gatage ni yowari tutu, kagiri no sama ni miye tamahu wori-wori ohokaru wo, ika sama ni se m to obosi madohi tutu, Miya no ohom-kata ni mo, akarasama ni watari tamaha zu. Ohom-koto-domo mo susamaziku te, mina hiki-kome rare, Win no uti no hito-bito ha, mina aru kagiri Nideu-no-win ni tudohi mawiri te, kono Win ni ha, hi wo keti taru yau ni te, tada womna-doti ohasi te, hito hitori no ohom-kehahi nari keri to miyu.

 [6-8 明石女御、看護のため里下り]
女御の君も渡りたまひて、もろともに見たてまつり扱ひたまふ。
「ただにもおはしまさで、もののけなどいと恐ろしきを、早く参りたまひね」
と、苦しき御心地にも聞こえたまふ。若宮の、いとうつくしうておはしますを見たてまつりたまひても、いみじく泣きたまひて、
「おとなびたまはむを、え見たてまつらずなりなむこと。忘れたまひなむかし」
とのたまへば、女御、せきあへず悲しと思したり。
「ゆゆしく、かくな思しそ。さりともけしうはものしたまはじ。心によりなむ、人はともかくもある。おきて広きうつはものには、幸ひもそれに従ひ、狭き心ある人は、さるべきにて、高き身となりても、ゆたかにゆるべる1707方は後れ、急なる人は、久しく常ならず1708、心ぬるくなだらかなる人は、長き例なむ多かりける」
など、仏神にも、この御心ばせのありがたく、罪軽きさまを申し明らめさせたまふ。
御修法の阿闍梨たち、夜居などにても、近くさぶらふ限りのやむごとなき僧などは、いとかく思し惑へる御けはひを聞くに、いといみじく心苦しければ、心を起こして祈りきこゆ。すこしよろしきさまに見えたまふ時、五、六日うちまぜつつ、また重りわづらひたまふこと、いつとなくて月日を経たまへば、「なほ、いかにおはすべきにか。よかるまじき御心地にや」と、思し嘆く。
御もののけなど言ひて出で来るもなし。悩みたまふさま、そこはかと見えず、ただ日に添へて、弱りたまふさまにのみ見ゆれば、いともいとも悲しくいみじく思すに、御心の暇もなげなり。

 [6-8 明石女御、看護のため里下り]
女御の君もお渡りになって、ご一緒にご看病申し上げなさる。
「普通のお身体でもいらっしゃらないので、物の怪などがとても恐ろしいから、早くお帰りあそばせ」
と、苦しいご気分ながらも申し上げなさる。若宮が、とてもかわいらしくていらっしゃるのを拝見なさっても、ひどくお泣きになって、
「大きくおなりになるのを、見ることができずになりましょうこと。きっとお忘れになってしまうでしょうね」
とおっしゃるので、女御は、涙を堪えきれず悲しくお思いでいらっしゃった。
「縁起でもない、そのようにお考えなさいますな。いくら何でも悪いことにはおなりになるまい。気持ちの持ちようで、人はどのようにでもなるものです。心の広い人には、幸いもそれに従って多く、狭い心の人には、そうなる運命によって、高貴な身分に生まれても、ゆったりゆとりのある点では劣り、性急な人は、長く持続することはできず、心穏やかでおっとりとした人は、寿命の長い例が多かったものです」
などと、仏神にも、この方のご性質が又とないほど立派で、罪障の軽い事を詳しくご説明申し上げなさる。
御修法の阿闍梨たち、夜居などでも、お側近く伺候する高僧たちは皆、たいそうこんなにまで途方に暮れていらっしゃるご様子を聞くと、何ともおいたわしいので、心を奮い起こしてお祈り申し上げる。少しよろしいようにお見えになる日が五、六日続いては、再び重くお悩みになること、いつまでということなく続いて、月日をお過ごしになるので、「やはり、どのようにおなりになるのだろうか。治らないご病気なのかしら」と、お悲しみになる。
御物の怪などと言って出て来るものもない。お悩みになるご様子は、どこということも見えず、ただ日がたつにつれて、お弱りになるようにばかりお見えになるので、とてもとても悲しく辛い事とお思いになると、お心の休まる暇もなさそうである。

 [6-8 Akashi-Nyogo comes back to nurse for Muraski]
 Nyougo-no-Kimi mo watari tamahi te, morotomo ni mi tatematuri atukahi tamahu.
 "Tada ni mo ohasimasa de, mononoke nado ito osorosiki wo, hayaku mawiri tamahi ne."
 to, kurusiki mi-kokoti ni mo kikoye tamahu. Waka-Miya no, ito utukusiu te ohasimasu wo mi tatematuri tamahi te mo, imiziku naki tamahi te,
 "Otonabi tamaha m wo, e mi tatematura zu nari na m koto. Wasure tamahi na m kasi."
 to notamahe ba, Nyougo, seki-ahe zu kanasi to obosi tari.
 "Yuyusiku, kaku na obosi so. Sari to mo kesiu ha monosi tamaha zi. Kokoro ni yori nam, hito ha tomokaku mo aru. Okite hiroki utuha-mono ni ha, saihahi mo sore ni sitagahi, sebaki kokoro aru hito ha, saru beki ni te, takaki mi to nari te mo, yutaka ni yurube ru kata ha okure, kihu naru hito ha, hisasiku tune nara zu, kokoro nuruku nadaraka naru hito ha, nagaki tamesi nam ohokari keru."
 nado, Hotoke Kami ni mo, kono mi-kokorobase no arigataku, tumi karoki sama wo mausi akirame sase tamahu.
 Mi-zuhohu no Azari-tati, yo-wi nado ni te mo, tikaku saburahu kagiri no yamgotonaki sou nado ha, ito kaku obosi-madohe ru ohom-kehahi wo kiku ni, ito imiziku kokoro-gurusikere ba, kokoro wo okosi te inori kikoyu. Sukosi yorosiki sama ni miye tamahutoki, go, roku-niti uti maze tutu, mata omori wadurahi tamahu koto, itu to naku te tuki-hi wo he tamahe ba, "Naho, ika ni ohasu beki ni ka? Yokaru maziki mi-kokoti ni ya?" to, obosi nageku.
 Ohom-mononoke nado ihi te ide kuru mo nasi. Nayami tamahu sama, sokohaka to miye zu, tada hi ni sohe te, yowari tamahu sama ni nomi myure ba, ito mo ito mo kanasiku imiziku obosu ni, mi-kokoro no itoma mo nage nari.

 7 柏木の物語 女三の宮密通の物語 [7-1 柏木、女二の宮と結婚]
まことや、衛門督は、中納言になりにきかし。今の御世には、いと親しく思されて、いと時の人なり。身のおぼえまさるにつけても、思ふことのかなはぬ愁はしさを思ひわびて、この宮の御姉の二の宮をなむ得たてまつりてける。下臈の更衣腹におはしましければ、心やすき方まじりて思ひきこえたまへり。
人柄も、なべての人に思ひなずらふれば、けはひこよなくおはすれど、もとよりしみにし方こそなほ深かりけれ、慰めがたき姨捨1709にて、人目に咎めらるまじきばかりに、もてなしきこえたまへり。
なほ、かの下の心忘られず、小侍従といふ語らひ人は、宮の御侍従の乳母の娘なりけり。その乳母の姉ぞ、かの督の君の御乳母なりければ、早くより気近く聞きたてまつりて、まだ宮幼くおはしましし時より、いときよらに1710なむおはします、帝のかしづきたてまつりたまふさまなど、聞きおきたてまつりて、かかる思ひもつきそめたるなりけり。

 7 柏木の物語 女三の宮密通の物語 [7-1 柏木、女二の宮と結婚]
そうであったよ、衛門督は、中納言になったのだ。今上の御治世では、たいそう御信任厚くて、今を時めく人である。わが身の声望が高まるにつけても、思いが叶わない悲しさを嘆いて、この宮の御姉君の二の宮を御降嫁頂いたのであった。身分の低い更衣腹でいらっしゃったので、多少軽んじる気持ちもまじってお思い申し上げていらっしゃった。
人柄も、普通の人に比較すれば、感じはこの上なくよくていらっしゃるが、はじめから思い込んでいた方がやはり深かったのであろう、慰められない姨捨で、人に見咎められない程度に、お世話申し上げていらっしゃった。
今なお、あの内心の思いを忘れることができず、小侍従という相談相手は、宮の御侍従の乳母の娘だった。その乳母の姉があの衛門督の君の御乳母だったので、早くから親しくご様子を伺っていて、まだ宮が幼くいらっしゃった時から、とてもお美しくいらっしゃるとか、帝が大事にしていらっしゃるご様子など、お聞き申していて、このような思いもついたのであった。

 7 Tale of Kashiwagi An adultery between Kashiwagi and Omna-Sam-no-Miya [7-1 Kashiwagi gets married with Omna-Ni-no-Miya]
 Makoto ya, Wemon-no-Kami ha, Tiunagon ni nari ni ki kasi. Ima no mi-yo ni ha, ito sitasiku obosa re te, ito toki no hito nari. Mino oboye masaru ni tuke te mo, omohu koto no kanaha nu urehasisa wo omohi wabi te, kono Miya no ohom-ane no Ni-no-Miya wo nam e tatematuri te keru. Gerahu no kaui-bara ni ohasimasi kere ba, kokoro-yasuki kata maziri te omohi kikoye tamahe ri.
 Hito-gara mo, nabete no hito ni omohi nazurahure ba, kehahi koyonaku ohasure do, motoyori simi ni si kata koso naho hukakari kere, nagusame gataki woba-sute ni te, hito-me ni togame raru maziki bakari ni, motenasi kikoye tamahe ri.
 Naho, kano sita no kokoro wasura re zu, Ko-Ziziu to ihu katarahi-bito ha, Miya no ohom-Ziziu no menoto no musume nari keri. Sono menoto no ane zo, kano Kam-no-Kimi no ohom-menoto nari kere ba, hayaku yori ke-dikaku kiki tatematuri te, mada Miya wosanaku ohasimasi si toki yori, ito kiyora ni nam ohasimasu, Mikado no kasiduki tatematuri tamahu sama nado, kiki oki tatematuri te, kakaru omohi mo tuki-some taru nari keri.

 [7-2 柏木、小侍従を語らう]
かくて、院も離れおはしますほど、人目少なくしめやかならむを推し量りて、小侍従を迎へ取りつつ、いみじう語らふ。
「昔より、かく命も堪ふまじく思ふことを、かかる親しきよすがありて、御ありさまを聞き伝へ、堪へぬ心のほどをも聞こし召させて、頼もしきに、さらにそのしるしのなければ、いみじくなむつらき。
院の上だに、『かくあまたにかけかけしくて、人に圧されたまふやうにて、一人大殿籠もる夜な夜な多く、つれづれにて過ぐしたまふなり』など、人の奏しけるついでにも、すこし悔い思したる御けしきにて、
『同じくは、ただ人の心やすき後見を定めむには、まめやかに仕うまつるべき人をこそ、定むべかりけれ』と、のたまはせて、『女二の宮の、なかなかうしろやすく、行く末長きさまにてものしたまふなること』
と、のたまはせけるを伝へ聞きしに。いとほしくも、口惜しくも、いかが思ひ乱るる。
げに、同じ御筋とは尋ねきこえしかど、それはそれとこそおぼゆるわざなりけれ」
と、うちうめきたまへば、小侍従、
「いで、あな、おほけな。それをそれとさし置きたてまつりたまひて、また、いかやうに限りなき御心ならむ」
と言へば、うちほほ笑みて、
「さこそはありけれ。宮にかたじけなく聞こえさせ及びけるさまは、院にも内裏にも聞こし召しけり。などてかは、さてもさぶらはざらましとなむ、ことのついでにはのたまはせける。いでや、ただ、今すこしの御いたはりあらましかば」
など言へば、
「いと難き御ことなりや。御宿世とかいふことはべなるを、もとにて、かの院の言出でてねむごろに聞こえたまふに、立ち並び妨げきこえさせたまふべき御身のおぼえとや思されし。このころこそ、すこしものものしく、御衣の色も深くなりたまへれ」
と言へば、いふかひなくはやりかなる口強さに、え言ひ果てたまはで、
「今はよし。過ぎにし
1711方をば聞こえじや。ただ、かくありがたきものの隙に、気近きほどにて、この心1712のうちに思ふことの端、すこし聞こえさせつべくたばかりたまへ。おほけなき心は、すべて、よし見たまへ、いと恐ろしければ、思ひ離れてはべり」
とのたまへば、
「これよりおほけなき心は、いかがはあらむ。いとむくつけきことをも思し寄りけるかな。何しに参りつらむ」
と、はちふく。

 [7-2 柏木、小侍従を語らう]
こうして、院も離れていらっしゃる時、人目が少なくひっそりした時を推量して、小侍従を度々迎えては、懸命に相談をもちかける。
「昔から、このように寿命も縮むほどに思っていることを、このような親しい手づるがあって、ご様子を伝え聞いて、抑え切れない気持ちをお聞き頂いて、心丈夫にしているのに、全然その甲斐がないので、ひどく辛い。
院の上でさえ、『あのように大勢の方々と関わっていらっしゃって、他人に負けておいでのようで、独りでお寝みになる夜々が多く、寂しく過ごしていらっしゃるそうです』などと、人が奏上した時にも、少し後悔なさっている御様子で、
『同じ降嫁させるなら、臣下で安心な後見を決めるには、誠実にお仕えするような人を決めるべきであった』と、仰せになって、『女二の宮が、かえって安心で、将来長く幸福にお暮らしなさるようだ』
と、仰せになったのを伝え聞いたが。お気の毒にも、残念にも、どんなに思い悩んだことだろうか。
なるほど、同じご姉妹を頂戴したが、それはそれで別のことに思えるのだ」
と、思わず溜息をお漏らしになるので、小侍従は、
「まあ、何と、大それたことを。その方を別事とお置き申し上げなさって、さらにまた、なんと途方もないお考えをお持ちなのでしょう」
と言うと、ちょっとほほ笑んで、
「そうではあった。宮に恐れ多くも求婚申し上げたことは、院にも帝にもお耳にあそばしていらっしゃるのだ。どうして、そうとして相応しからぬことがあろうと、何かの機会に仰せになったのだ。いやなに、ただ、もう少しご慈悲を掛けて下さったならば」
などと言うと、
「とてもお難しいことですわ。ご宿運とか言うことがございますのに、それが本となって、あの院が言葉に出して丁重に求婚申し上げなさったのに、同じように張り合ってお妨げ申し上げることがおできになるほどのご威勢であったとお思いでしたか。最近は、少し貫祿もつき、ご衣装の色も濃くおなりになりましたが」
と言うので、言いようもなく遠慮のない口達者さに、最後までおっしゃり切れないで、
「今はもうよい。過ぎたことは申し上げまい。ただ、このようにめったにない人目のない機会に、お側近くで、わたしの心の中に思っていることを、少しでも申し上げられるようにとり計らって下さい。大それた考えは、まったく、まあ見て下さい、たいそう恐ろしいので、思ってもおりません」
とおっしゃると、
「これ以上大それた考えは、他に考えられますか。何とも恐ろしいことをお考えになったことですよ。どうして伺ったのでしょう」
と、口を尖らせる。

 [7-2 Kashiwagi asks Ko-Ziju to lead him to Omna-Sam-noMiya]
 Kaku te, Win mo hanare ohasimasu hodo, hito-me sukunaku simeyaka nara m wo osihakari te, Ko-Ziziu wo mukahe tori tutu, imiziu katarahu.
 "Mukasi yori, kaku inoti mo tahu maziku omohu koto wo, kakaru sitasiki yosuga ari te, mi-arisama wo kiki-tutahe, tahe nu kokoro no hodo wo mo kikosimesa se te, tanomosiki ni, sarani sono sirusi nakere ba, imiziku nam turaki.
 Win-no-Uhe dani, "Kaku amata ni kake-kakesiku te, hito ni osa re tamahu yau ni te, hitori ohotono-gomoru yona-yona ohoku, ture-dure ni te sugusi tamahu nari." nado, hito no sou-si keru tuide ni mo, sukosi kuyi obosi taru mi-kesiki ni te,
 "Onaziku ha, tada-udo no kokoro yasuki usiro-mi wo sadame m ni ha, mameyaka ni tukau-maturu beki hito wo koso, sadamu bekari kere." to, notamahase te, "Womna-Ni-no-Miya no, naka-naka usiro-yasuku, yuku-suwe nagaki sama ni te monosi tamahu naru koto."
 to, notamahase keru wo tutahe kiki si ni. Itohosiku mo, kutiwosiku mo, ikaga omohi midaruru?
 Geni, onazi sudi to ha tadune kikoye sika do, sore ha sore to koso oboyuru waza nari kere."
 to, uti-umeki tamahe ba, Ko-Ziziu,
 "Ide, ana, ohokena! Sore wo sore to sasi-oki tatematuri tamahi te, mata, ikayau ni kagirinaki mi-kokoro nara m?"
 to ihe ba, uti-hohowemi te,
 "Sa koso ha ari kere. Miya ni katazikenaku kikoye sase oyobi keru sama ha, Win ni mo Uti ni mo kikosimesi keri. Nado te ka ha, sate mo saburaha zara masi to nam, koto no tuide ni ha notamaha se keru. Ide ya, tada, ima sukosi no ohom-itahari ara masika ba."
 nado ihe ba,
 "Ito kataki ohom-koto nari ya! Ohom-sukuse to ka ihu koto habe naru wo, moto ni te, kano Win no koto ide te nemgoro ni kikoye tamahu ni, tati-narabi samatage kikoye sase tamahu beki ohom-mi no oboye to ya obosa re si. Kono-koro koso, sukosi mono-monosiku, ohom-zo no iro mo hukaku nari tamahe re."
 to ihe ba, ihu-kahi-naku hayarika naru kuti-gohasa ni, e ihi-hate tamaha de,
 "Ima ha yosi. Sugi ni si kata wo ba kikoye zi ya. Tada, kaku arigataki mono no hima ni, ke-dikaki hodo ni te, kono kokoro no uti ni omohu koto no hasi, sukosi kikoye sase tu beku tabakari tamahe. Ohokenaki kokoro ha, subete, yosi mi tamahe, ito osorosikere ba, omohi-hanare te haberi."
 to notamahe ba,
 "Kore yori ohokenaki kokoro ha, ikaga ha ara m. Ito mukutukeki koto wo mo obosi-yori keru kana! Nani si ni mawiri tu ram."
 to, hatihuku.

 [7-3 小侍従、手引きを承諾]
「いで、あな、聞きにく1713。あまりこちたくものをこそ言ひなしたまふべけれ。世はいと定めなきものを、女御、后も、あるやうありて、ものしたまふたぐひなくやは。まして、その御ありさまよ。思へば、いとたぐひなくめでたけれど、うちうちは心やましきことも多かるらむ。
院の、あまたの御中に、また並びなきやうにならはしきこえたまひしに、さしもひとしからぬ際の御方々にたち混じり、めざましげなることもありぬべくこそ。いとよく聞きはべりや。世の中はいと常なきものを、ひときはに思ひ定めて、はしたなく、突き切りなることなのたまひそよ」
とのたまへば、
「人に落とされたまへる御ありさまとて、めでたき方に改めたまふべきにやははべらむ。これは世の常の御ありさまにもはべらざめり。ただ、御後見なくて漂はしくおはしまさむよりは、親ざまに、と譲りきこえたまひしかば、かたみにさこそ思ひ交はしきこえさせたまひためれ。あいなき御落としめ言になむ」
と、果て果ては腹立つを、よろづに言ひこしらへて、
「まことは、さばかり世になき御ありさまを見たてまつり馴れたまへる御心に、数にもあらずあやしきなれ姿1714を、うちとけて御覧ぜられむとは、さらに思ひかけぬことなり。ただ一言、物越にて聞こえ知らすばかりは、何ばかりの御身のやつれにかはあらむ。神仏にも思ふこと申すは、罪あるわざかは」
と、いみじき誓言をしつつのたまへば、しばしこそ、いとあるまじきことに言ひ返しけれ、もの深からぬ若人は、人のかく身に代へていみじく思ひのたまふを、え否び果てで、
「もし、さりぬべき隙あらば、たばかりはべらむ。院のおはしまさぬ夜は、御帳のめぐりに人多くさぶらひて、御座のほとりに、さるべき人かならずさぶらひたまへば、いかなる折をかは、隙を見つけはべるべからむ」
と、わびつつ参りぬ。

 [7-3 小侍従、手引きを承諾]
「まあ、何と、聞きにくいことを。あまり大げさな物の言い方をなさるというものだ。男女の縁は分からないものだから、女御、后と申しても、事情がって、情を交わすことがないわけではあるまい。まして、その宮のご様子よ。思えば、たいそう又となく立派であるが、内情は面白くないことが多くあることだろう。
院が、大勢のお子様方の中で、他に肩を並べる者がないほど大切にお育て申し上げておいででしたのに、さほど同列とは思えないご夫人方の中にたち混じって、失礼に思うようなことがあるに違いない。何もかも知っておりますよ。世の中は無常なものですから、一概に決めつけて、取り付く島もなく、ぶっきらぼうにおっしゃるものではないよ」
とおっしゃるので、
「他の人から負かされていらっしゃるご境遇だからと言って、今さら別の結構な縁組をなさるというわけにも行きますまい。このご結婚は世間一般の結婚ではございませんでしょう。ただ、ご後見がなくて頼りなくお暮らしになるよりは、親代わりになって頂こう、というお譲り申し上げなさったご結婚なので、お互いにそのように思い合っていらっしゃるようです。つまらない悪口をおっしゃるものです」
と、しまいには腹を立てるが、いろいろと言いなだめて、
「本当は、そのように世に又とないご様子を日頃拝見していらっしゃるお方に、人数でもない見すぼらしい姿を、気を許して御覧に入れようとは、まったく考えていないことです。ただ一言、物越しに申し上げたいだけで、どれほどのご迷惑になることがありましょう。神仏にも思っていることを申し上げるのは、罪になることでしょうか」
と、大変な誓言を繰り返しおっしゃるので、暫くの間は、まったくとんでもないことだと断っていたが、思慮の足りない若い女は、男がこのように命に代えてたいそう熱心にお頼みになるので、断り切れずに、
「もし、適当な機会があったら、手立ていたしましょう。院がいらっしゃらない夜は、御帳台の回りに女房が大勢仕えていて、お寝みになる所には、しかるべき人が必ず伺候していらっしゃるので、どのような機会に、隙を見つけたらよいのだろう」
と、困りながら帰参した。

 [7-3 Ko-Ziju accepts his request]
 "Ide, ana, kiki niku! Amari kotitaku mono wo koso ihi-nasi tamahu bekere. Yo ha ito sadame naki mono wo, Nyougo, Kisaki mo, aru yau ari te, monosi tamahu taguhi naku ya ha. Masite, sono mi-arisama yo. Omohe ba, ito taguhi naku medetakere do, uti-uti ha kokoro-yamasiki koto mo ohokaru ram.
 Win no, amata no ohom-naka ni, mata narabi naki yau ni narahasi kikoye tamahi si ni, sa si mo hitosikara nu kiha no ohom-kata-gata ni tati-maziri, mezamasige naru koto mo ari nu beku koso. Ito yoku kiki haberi ya! Yononaka ha ito tune naki mono wo, hitokiha ni omohi sadame te, hasitanaku, tuki-kiri naru koto na notamahi so yo."
 to notamahe ba,
 "Hito ni otosa re tamahe ru mi-arisama tote, medetaki kata ni aratame tamahu beki ni ya ha habera m? Kore ha yo no tune no mi-arisama ni mo habera za'meri. Tada, ohom-usiromi naku te tadayohasiku ohasimasa m yori ha, oya-zama ni, to yuduri kikoye tamahi sika ba, katamini sa koso omohi-kahasi kikoye sase tamahi ta'mere. Ahinaki ohom-otosime-goto ni nam."
 to, hate hate ha hara-datu wo, yorodu ni ihi-kosirahe te,
 "Makoto ha, sa bakari yo ni naki mi-arisama wo mi tatematuri nare tamahe ru mi-kokoro ni, kazu ni mo ara zu ayasiki na nare-sugata wo, utitoke te go-ran-ze rare m to ha, sarani omohi kake nu koto nari. Tada hito-koto, mono-gosi ni te, kikoye-sirasu bakari ha, nani bakari no ohom-mi no yature ni ka ha ara m? Kami Hotoke ni mo omohu koto mausu ha, tumi aru waza ka ha."
 to, imiziki tika-koto wo si tutu notamahe ba, sibasi koso, ito aru maziki koto ni ihi-kahesi kere, mono hukakara nu waka-udo ha, hito no kaku mi ni kahe te imiziku omohi notamahu wo, e inabi hate de,
 "Mosi, sari nu beki hima ara ba, tabakari habera m. Win no ohasimasa nu yo ha, mi-tyau no meguri ni hito ohoku saburahi te, o-masi no hotori ni, saru beki hito kanarazu saburahi tamahe ba, ika naru wori wo ka ha, hima wo mituke haberu bekara m."
 to, wabi tutu mawiri nu.

 [7-4 小侍従、柏木を導き入れる]
いかに、いかにと、日々に責められ極じて、さるべき折うかがひつけて、消息しおこせたり。喜びながら、いみじくやつれ忍びておはしぬ。
まことに、わが心にもいとけしからぬことなれば、気近く、なかなか思ひ乱るることもまさるべきことまでは、思ひも寄らず、ただ、
「いとほのかに御衣のつまばかりを見たてまつりし春の夕の、飽かず世とともに思ひ出でられたまふ御ありさまを、すこし気近くて見たてまつり、思ふことをも聞こえ知らせては、一行の御返りなどもや見せたまふ、あはれとや思し知る」
とぞ思ひける。
四月十余日ばかりのことなり。御禊明日とて、斎院にたてまつりたまふ女房十二人、ことに上臈にはあらぬ若き人、童女など、おのがじしもの縫ひ、化粧などしつつ、物見むと思ひまうくるも、とりどりに暇なげにて、御前の方しめやかにて、人しげからぬ折なりけり。
近くさぶらふ按察使の君も、時々通ふ源中将、責めて呼び出ださせければ、下りたる間に、ただこの侍従ばかり、近くはさぶらふなりけり。よき折と思ひて、やをら御帳の東面の御座の端に据ゑつ。さまでもあるべきことなりやは。

 [7-4 小侍従、柏木を導き入れる]
どうなのか、どうなのかと、毎日催促され困って、適当な機会を見つけ出して、手紙をよこした。喜びながら、ひどく粗末で目立たない姿でいらっしゃった。
本当に、自分ながらまことに善くないことなので、お側近くに参って、かえって煩悶が勝ることまでは、考えもしないで、ただ、
「ほんの微かにお召し物の端だけを拝見した春の夕方が、いつまでも思い出されなさるご様子を、もう少しお側近くで拝見し、思っている気持ちをもお聞かせ申し上げたら、ほんの一くだりほどのお返事だけでも下さりはしまいか、かわいそういと思っては下さらないだろうか」
と思うのであった。
四月十日過ぎのことである。御禊が明日だと言って、斎院に差し上げなさる女房を十二人、特別に上臈ではない若い女房、女の童など、それぞれ裁縫をしたり、化粧などをしいしい、見物をしようと準備するのも、それぞれに忙しそうで、御前の方がひっそりとして、人が多くない時であった。
側近くに仕えている按察の君も、時々通って来る源中将が、無理やり呼び出させたので、下がっている間に、ただこの小侍従だけが、お側近くには伺候しているのであった。ちょうど良い機会だと思って、そっと御帳台の東面の御座所の端に座らせた。そんなにまですべきことであろうか。

 [7-4 Ko-Ziju leads Kashiwagi to Omna-Sam-no-Miya's room]
 Ika ni, ika ni to, hi-bi ni seme rare kou-zi te, saru beki wori ukagahi tuke te, seusoko si okose tari. Yorokobi nagara, imiziku yature sinobi te ohasi nu.
 Makoto ni, waga kokoro ni mo ito kesikara nu koto nare ba, ke-dikaku, naka-naka omohi midaruru koto mo masaru beki koto made ha, omohi mo yora zu, tada,
 "Ito honoka ni mi-zo no tuma bakari wo mi tatematuri si haru no yuhube no, aka zu yo to tomoni omohi-ide rare tamahu mi-arisama wo, sukosi ke-dikaku te mi tatematuri, omohu koto wo mo kikoye sira se te ha, hito-kudari no ohom-kaheri nado mo ya mise tamahu, ahare to ya obosi siru?"
 tozo omohi keru.
 Si-gwati zihu-yo-niti bakari no koto nari. Misogi asu tote, Saiwin ni tatematuri tamahu Nyoubau zihu-ni-nin, koto ni zyaurahu ni ha ara nu wakaki hito, waraha-be nado, onogazisi mono nuhi, kesau nado si tutu, mono mi m to omohi maukuru mo, tori-dori ni itoma na-ge ni te, o-mahe no kata simeyaka ni te, hito sigekara nu wori nari keri.
 Tikaku saburahu Azeti-no-Kimi mo, toki-doki kayohu Gen-Tiuzyau, seme te yobi-ida sase kere ba, ori taru ma ni, tada kono Ziziu bakari, tikaku ha saburahu nari keri. Yoki wori to omohi te, yawora mi-tyau no himgasi-omote no o-masi no hasi ni suwe tu. Sa made mo aru beki koto nari ya ha.

 [7-5 柏木、女三の宮をかき抱く]
宮は、何心もなく大殿籠もりにけるを、近く男のけはひのすれば、院のおはすると思したるに、うちかしこまりたるけしき見せて、床の下に抱き下ろしたてまつるに、物に襲はるるかと、せめて見上げたまへれば、あらぬ人なりけり。
あやしく聞きも知らぬことどもをぞ聞こゆるや。あさましくむくつけくなりて、人召せど、近くもさぶらはねば、聞きつけて参るもなし。わななきたまふさま、水のやうに汗も流れて、ものもおぼえたまはぬけしき、いとあはれにらうたげなり。
「数ならねど、いとかうしも思し召さるべき身とは、思うたまへられずなむ。
昔よりおほけなき心のはべりしを、ひたぶるに籠めて止みはべなましかば、心のうちに朽たして過ぎぬべかりけるを、なかなか、漏らしきこえさせて、院にも聞こし召されにしを、こよなくもて離れてものたまはせざりけるに、頼みをかけそめはべりて、身の数ならぬひときはに、人より深き心ざしを空しくなしはべりぬることと、動かしはべりにし心なむ、よろづ今はかひなきことと思うたまへ返せど、いかばかりしみはべりにけるにか、年月に添へて、口惜しくも、つらくも、むくつけくも、あはれにも、いろいろに深く思うたまへまさるに、せきかねて、かくおほけなきさまを御覧ぜられぬるも、かつは、いと思ひやりなく恥づかしければ、罪重き心もさらにはべるまじ」
と言ひもてゆくに、この人なりけりと思すに、いとめざましく恐ろしくて、つゆいらへもしたまはず。
「いとことわりなれど、世に例なきことにもはべらぬを、めづらかに情けなき御心ばへならば、いと心憂くて、なかなかひたぶるなる心もこそつきはべれ、あはれとだにのたまはせば、それをうけたまはりてまかでなむ」
と、よろづに聞こえたまふ。

 [7-5 柏木、女三の宮をかき抱く]
宮は、無心にお寝みになっていらっしゃったが、近くに男性の感じがするので、院がいらっしゃったとお思いになったが、かしこまった態度で、浜床の下に抱いてお下ろし申したので、魔物に襲われたのかと、やっとの思いで目を見開きなさると、違う人なのであった。
妙なわけも分からないことを申し上げるではないか。驚いて恐ろしくなって、女房を呼ぶが、近くに控えていないので、聞きつけて参上する者もいない。震えていらっしゃる様子、水のように汗が流れて、何もお考えになれない様子、とてもいじらしく可憐な感じである。
「人数の者ではありませんが、まことにこんなにまでも軽蔑されるべき身の上ではないと、存ぜずにはいられません。
昔から身分不相応の思いがございましたが、一途に秘めたままにしておきましたら、心の中に朽ちて過ぎてしまったでしょうが、かえって、少し願いを申し上げさせていただいたところ、院におかせられても御承知おきあそばされましたが、まったく問題にならないように仰せにはならなかったので、望みを繋ぎ始めまして、身分が一段劣っていたがために、誰よりも深くお慕いしていた気持ちを無駄なものにしてしまったことと、残念に思うようになりました気持ちが、すべて今では取り返しのつかないことと思い返しはいたしますが、どれほど深く取りついてしまったことなのか、年月と共に、残念にも、辛いとも、気味悪くも、悲しくも、いろいろと深く思いがつのることに、堪えかねて、このように大それた振る舞いをお目にかけてしまいましたのも、一方では、まことに思慮浅く恥ずかしいので、これ以上大それた罪を重ねようという気持ちはまったくございません」
と言い続けるうちに、この人だったのだとお分りになると、まことに失礼な恐ろしいことに思われて、何もお返事なさらない。
「まことにごもっともなことですが、世間に例のないことではございませんのに、又とないほどな無情なご仕打ちならば、まことに残念で、かえって向こう見ずな気持ちも起こりましょうから、せめて不憫な者よとだけでもおっしゃって下されば、その言葉を承って退出しましょう」
と、さまざまに申し上げなさる。

 [7-5 Kashiwagi meets and hugs Omna-Sam-no-Miya]
 Miya ha, nani gokoro mo naku ohotono-gomori ni keru wo, tikaku wotoko no kehahi no sure ba, Win no ohasuru to obosi taru ni, uti-kasikomari taru kesiki mise te, yuka no simo ni idaki orosi tatematuru ni, mono ni osoha ruru ka to, semete mi-age tamahe re ba, ara nu hito nari keri.
 Ayasiku kiki mo sira nu koto-domo wo zo kikoyuru ya! Asamasiku mukutukekunari te, hito mese do, tikaku mo saburaha ne ba, kiki-tuke te mawiru mo nasi. Wananaki tamahu sama, midu no yau ni ase mo nagare te, mono mo oboye tamaha nu kesiki, ito ahare ni rautage nari.
 "Kazu nara ne do, ito kau si mo obosimesa ru beki mi to ha, omou tamahe rare zu nam.
 Mukasi yori ohokenaki kokoro no haberi si wo, hitaburu ni kome te yami habe'na masika ba, kokoro no uti ni kutasi te sugi nu bekari keru wo, naka-naka, morasi kikoye sase te, Win ni mo kikosimesa re ni si wo, koyonaku mote hanare te mo notamaha se zari keru ni, tanomi wo kake some haberi te, mi no kazu nara nu hitokiha ni, hito yori hukaki kokoro-zasi wo munasiku nasi haberi nuru koto to, ugokasi haberi ni si kokoro nam yorodu ima ha kahinaki koto to omou tamahe kahese do, ika bakari simi haberi ni keru ni ka, tosi-tuki ni sohe te, kutiwosiku mo, turaku mo, mukutukeku mo, ahare ni mo, iro-iro ni hukaku omou tamahe masaru ni, seki-kane te, kaku ohokenaki sama wo go-ran-ze rare nuru mo, katu ha, ito omohi-yari naku hadukasikere ba, tumi omoki kokoro mo sarani haberu mazi."
 to ihi mote yuku ni, kono hito nari keri to obosu ni, ito mezamasiku osorosiku te, tuyu irahe mo si tamaha zu.
 "Ito kotowari nare do, yo ni tamesi naki koto ni mo habera nu wo, meduraka ni nasake naki mi-kokorobahe nara ba, ito kokoro-uku te, naka-naka hitaburu naru kokoro mo koso tuki habere, ahare to dani notamaha se ba, sore wo uketamahari te makade na m."
 to, yorodu ni kikoye tamahu.

 [7-6 柏木、猫の夢を見る]
よその思ひやりはいつくしく、もの馴れて見えたてまつらむも恥づかしく推し量られたまふに、「ただかばかり思ひつめたる片端聞こえ知らせて、なかなかかけかけしきことはなくて止みなむ」と思ひしかど、いとさばかり気高う恥づかしげにはあらで、なつかしくらうたげに、やはやはとのみ見えたまふ御けはひの、あてにいみじくおぼゆることぞ、人に似させたまはざりける。
賢しく思ひ鎮むる心も失せて、「いづちもいづちも率て隠したてまつりて、わが身も世に経るさまならず、跡絶えて止みなばや」とまで思ひ乱れぬ。
ただいささかまどろむともなき夢に、この手馴らしし猫の、いとらうたげにうち鳴きて来たるを、この宮に奉らむとて、わが率て来たるとおぼしきを、何しに奉りつらむと思ふほどに、おどろきて、いかに見えつるならむ、と思ふ。
宮は、いとあさましく、うつつともおぼえたまはぬに、胸ふたがりて、思しおぼほるるを、
「なほ、かく逃れぬ御宿世の、浅からざりけると思ほし1715なせ。みづからの心ながらも、うつし心にはあらずなむ、おぼえはべる」
かのおぼえなかりし御簾のつまを、猫の綱引きたりし夕べの1716ことも聞こえ出でたり。
「げに、さはたありけむよ」
と、口惜しく、契り心憂き御身なりけり。「院にも、今はいかでかは見えたてまつらむ」と、悲しく心細くて、いと幼げに泣きたまふを、いとかたじけなく、あはれと見たてまつりて、人の御涙をさへ拭ふ袖は、いとど露けさのみまさる。

 [7-6 柏木、猫の夢を見る]
はたから想像すると威厳があって、馴れ馴れしくお逢い申し上げるのもこちらが気が引けるように思われるようなお方なので、「ただこのように思い詰めているほんの一部を申し上げて、なまじ色めいた振る舞いはしないでおこう」と思っていたが、実際それほど気品高く恥ずかしくなるような様子ではなくて、やさしくかわいらしくて、どこまでももの柔らかな感じにお見えになるご様子で、上品で素晴らしく思えることは、誰とも違う感じでいらっしゃるのであった。
賢明に自制していた分別も消えて、「どこへなりとも連れて行ってお隠し申して、自分もこの世を捨てて、姿を隠してしまいたい」とまで思い乱れた。
ただちょっとまどろんだとも思われない夢の中に、あの手なずけた猫がとてもかわいらしく鳴いてやって来たのを、この宮にお返し申し上げようとして、自分が連れて来たように思われたが、どうしてお返し申し上げようとしたのだろうと思っているうちに、目が覚めて、どうしてあんな夢を見たのだろう、と思う。
宮は、あまりにも意外なことで、現実のことともお思いになれないので、胸がふさがる思いで、途方に暮れていらっしゃるのを、
「やはり、このように逃れられないご宿縁が、浅くなかったのだとお思い下さい。自分ながらも、分別心をなくしたように、思われます」
あの身に覚えのなかった御簾の端を、猫の綱が引いた夕方のこともお話し申し上げた。
「なるほど、そうであったことなのか」
と、残念に、前世からの宿縁が辛い御身の上なのであった。「院にも、今はどうしてお目にかかることができようか」と、悲しく心細くて、まるで子供のようにお泣きになるのを、まことに恐れ多く、いとしく拝見して、相手のお涙までを拭う袖は、ますます露けさがまさるばかりである。

 [7-6 Kashiwagi dreams that he presents a cat to Omna-Sam-no-Miya]
 Yoso no omohi-yari ha itukusiku, mono nare te miye tatematura m mo hadukasiku osihakara re tamahu ni, "Tada ka-bakari omohi-tume taru katahasi kikoye sira se te, naka-naka kake-kakesiki koto ha naku te yami na m." to omohi sika do, ito sa-bakari ke-dakau hadukasige ni ha ara de, natukasiku rautage ni, yaha-yaha to nomi miye tamahu ohom-kehahi no, ate ni imiziku oboyuru koto zo, hito ni ni sase tamaha zari keru.
 Sakasiku omohi-sidumuru kokoro mo use te, "Iduti mo iduti mo wi te kakusi tatematuri te, waga mi mo yo ni huru samanara zu, ato taye te yami na baya!" to made omohi midare nu.
 Tada isasaka madoromu to mo naki yume ni, kono te narasi si neko no, ito rautage ni uti naki te ki taru wo, kono Miya ni tatematura m tote, waga wi te ki taru to obosiki wo, nani si ni tatematuri tu ram to omohu hodo ni, odoroki te, ika ni miye turu nara m, to omohu.
 Miya ha, ito asamasiku, ututu to mo oboye tamaha nu ni, mune hutagari te, obosi-obohoruru wo,
 "Naho, kaku nogare nu ohom-sukuse no, asakara zari keru to omohosi nase. Midukara no kokoro nagara mo, utusi-gokoro ni ha ara zu nam, oboye haberu."
 Kano oboye nakari si mi-su no tuma wo, neko no tuna hiki tari si yuhube no koto mo kikoye ide tari.
 "Geni, sa hata ari kem yo!"
 to, kutiwosiku, tigiri kokoro-uki ohom-mi nari keri. "Win ni mo, ima ha ikade ka ha miye tatematura m." to, kanasiku kokoro-bosoku te, ito wosanage ni naki tamahu wo, ito katazikenaku, ahare to mi tatematuri te, hito no ohom-namida wo sahe nogohu sode ha, itodo tuyukesa nomi masaru.

 [7-7 きぬぎぬの別れ]
明けゆくけしきなるに、出でむ方なく、なかなかなり。
「いかがはしはべるべき。いみじく憎ませたまへば、また聞こえさせむこともありがたきを、ただ一言御声を聞かせたまへ」
と、よろづに聞こえ悩ますも、うるさくわびしくて、もののさらに言はれたまはねば、
「果て果ては、むくつけくこそなりはべりぬれ。また、かかるやうはあらじ」
と、いと憂しと思ひきこえて、
「さらば不用なめり。身をいたづらに1717やはなし果てぬ。いと捨てがたきによりてこそ、かくまでもはべれ。今宵に限りはべりなむもいみじくなむ。つゆにても御心ゆるしたまふさまならば1718、それに代へつるにても捨てはべりなまし」
とて、かき抱きて出づるに、果てはいかにしつるぞと、あきれて思さる。
隅の間の屏風をひき広げて、戸を押し開けたれば、渡殿の南の戸の、昨夜入りしがまだ開きながらあるに、まだ明けぐれのほどなるべし、ほのかに見たてまつらむの心あれば、格子をやをら引き上げて、
「かう、いとつらき御心に、うつし心も失せはべりぬ。すこし思ひのどめよと思されば、あはれとだにのたまはせよ」
と、脅しきこゆるを、いとめづらかなりと思して物も言はむとしたまへど、わななかれて、いと若々しき御さまなり。
ただ明けに明けゆくに、いと心あわたたしくて、
「あはれなる夢語りも聞こえさすべきを、かく憎ませたまへばこそ。さりとも、今思し合はすることもはべりなむ」
とて、のどかならず立ち出づる明けぐれ、秋の空よりも心尽くし1719なり。
「起きてゆく空も知られぬ明けぐれに
いづくの露のかかる袖なり」
と、ひき出でて愁へきこゆれば、出でなむとするに、すこし慰めたまひて、
「明けぐれの空に憂き身は消えななむ
夢なりけりと見てもやむべく」
と、はかなげにのたまふ声の、若くをかしげなるを、聞きさすやうにて出でぬる魂1720は、まことに身を離れて止まりぬる心地す。

 [7-7 きぬぎぬの別れ]
夜が明けてゆく様子であるが、帰って行く気にもなれず、かえって逢わないほうがましであったほどである。
「いったい、どうしたらよいのでしょう。ひどくお憎みになっていらっしゃるので、再びお話し申し上げることも難しいでしょうが、ただ一言だけでもお声をお聞かせ下さい」
と、さまざまに申し上げて困らせるのも、煩わしく情けなくて、何もまったくおしゃれないので、
「しまいには、薄気味悪くさえなってしまいました。他に、このような例はありますまい」
と、まことに辛いとお思い申し上げて、
「それでは生きていても無用のようですね。いっそ死んでしまいましょう。生きていたいからこそ、こうしてお逢いもしたのです。今晩限りの命と思うとたいそう辛うございます。少しでもお心を開いて下さるならば、それを引き換えにして命を捨てもしましょうが」
と言って、抱いて外へ出るので、しまいにはどうするのだろうと、呆然としていらっしゃる。
隅の間の屏風を広げて、妻戸を押し開けると、渡殿の南の戸の、昨夜入った所がまだ開いたままになっているが、まだ夜明け前の暗いころなのであろう、ちらっと拝見しようとの気があるので、格子を静かに引き上げて、
「このように、まことに辛い無情なお仕打ちなので、正気も消え失せてしまいました。少しでも気持ちを落ち着けるようにとお思いならば、せめて一言かわいそうにとおっしゃって下さい」
と、脅して申し上げると、とんでもないとお思いになって、何かおっしゃろうとなさったが、震えるばかりで、ほんとうに子供っぽいご様子である。
ただ夜が明けて行くので、とても気が急かれて、
「しみじみとした夢語りも申し上げたいのですが、このようにお憎みになっていらっしゃるので。そうは言っても、やがてお思い当たりなさることもございましょう」
と言って、気ぜわしく出て行く明けぐれ、秋の空よりも物思いをさせるのである。
「起きて帰って行く先も分からない明けぐれに
どこから露がかかって袖が濡れるのでしょう」
と、袖を引き出して訴え申し上げるので、帰って行くのだろうと、少しほっとなさって、
「明けぐれの空にこの身は消えてしまいたいものです
夢であったと思って済まされるように」
と、力弱くおっしゃる声が、若々しくかわいらしいのを、聞きも果てないようにして出てしまった魂は、ほんとうに身を離れて後に残った気がする。

 [7-7 A parting after the meeting at morning]
 Ake yuku kesiki naru ni, ide m kata naku, naka-naka nari.
 "Ikaga ha si haberu beki. Imiziku nikuma se tamahe ba, mata kikoye sase m koto mo ari gataki wo, tada hito-koto ohom-kowe wo kika se tamahe."
 to, yorodu ni kikoye nayamasu mo, urusaku wabisiku te, mono no sarani ihare tamaha ne ba,
 "Hate-hate ha, mukutukeku koso nari haberi nure. Mata, kakaru yau ha ara zi."
 to, ito usi to omohi kikoye te,
 "Sara ba hu-you na'meri. Mi wo itadura ni ya ha nasi hate nu. Ito sute gataki ni yori te koso, kaku made mo habere. Koyohi ni kagiri haberi na m mo imiziku nam. Tuyu ni te mo mi-kokoro yurusi tamahu sama nara ba, sore ni kahe turu ni te mo sute haberi na masi."
 tote, kaki-idaki te iduru ni, hate ha ika ni si turu zo to, akire te obosa ru.
 Sumi no ma no byaubu wo hiki-hiroge te, to wo osi-ake tare ba, wata-dono no minami no to no, yobe iri si ga mada aki nagara aru ni, mada ake-gure no hodo naru besi, honoka ni mi-tatematura m no kokoro are ba, kausi wo yawora hiki-age te,
 "Kau, ito turaki mi-kokoro ni, utusi-gokoro mo use haberi nu. Sukosi omohi nodome yo to obosa re ba, ahare to dani notamaha se yo."
 to, odosi kikoyuru wo, ito meduraka nari to obosi te mono mo iha m to si tamahe do, wananaka re te, ito waka-wakasiki ohom-sama nari.
 Tada ake ni ake yuku ni, ito kokoro-awatatasiku te,
 "Ahare naru yume-gatari mo kikoye sasu beki wo, kaku nikuma se tamahe ba koso. Sari to mo, ima obosi ahasuru koto mo haberi nam."
 tote, nodoka nara zu tati-iduru ake-gure, aki no sora yori mo kokoro-dukusi nari.
 "Oki te yuku sora mo sira re nu ake-gure ni
 iduku no tuyu no kakaru sode nari
"
 to, hiki-ide te urehe kikoyure ba, ide na m to suru ni, sukosi nagusame tamahi te,
 "Ake-gure no sora ni uki mi ha kiye na nam
 Yume nari keri to mi te mo yamu beku
"
 to, hakanage ni notamahu kowe no, wakaku wokasige naru wo, kiki-sasu yau ni te ide nuru tamasihi ha, makoto ni mi wo hanare te tomari nuru kokoti su.

 [7-8 柏木と女三の宮の罪の恐れ]
女宮の御もとにも参うでたまはで、大殿へぞ忍びておはしぬる。うち臥したれど目も合はず、見つる夢のさだかに合はむ1721ことも難きをさへ思ふに、かの猫のありしさま、いと恋しく思ひ出でらる。
「さてもいみじき過ちしつる身かな1722。世にあらむことこそ、まばゆくなりぬれ」
と、恐ろしくそら恥づかしき心地して、ありきなどもしたまはず。女の御ため1723はさらにもいはず、わが心地にもいとあるまじきことといふ中にも、むくつけくおぼゆれば、思ひのままにもえ紛れありかず。
帝の御妻をも取り過ちて、ことの聞こえあらむに、かばかりおぼえむことゆゑは、身のいたづらにならむ、苦しくおぼゆまじ。しか、いちじるき罪にはあたらずとも、この院に目をそばめられたてまつらむことは、いと恐ろしく恥づかしくおぼゆ。
限りなき女と聞こゆれど、すこし世づきたる心ばへ混じり、上はゆゑあり子めかしきにも、従はぬ下の心添ひたるこそ、とあることかかることにうちなびき、心交はしたまふたぐひもありけれ、これは深き心もおはせねど、ひたおもむきにもの懼ぢしたまへる御心に、ただ今しも、人の見聞きつけたらむやうに、まばゆく、恥づかしく思さるれば、明かき所にだにえゐざり出でたまはず。いと口惜しき身なりけりと、みづから思し知るべし。
悩ましげになむ、とありければ、大殿聞きたまひて、いみじく御心を尽くしたまふ御事にうち添へて、またいかにと驚かせたまひて、渡りたまへり。
そこはかと苦しげなることも見えたまはず、いといたく恥ぢらひしめりて、さやかにも見合はせたてまつりたまはぬを、「久しくなりぬる絶え間を恨めしく思すにや」と、いとほしくて、かの御心地のさまなど聞こえたまひて、
「今はのとぢめにもこそあれ。今さらにおろかなるさまを見えおかれじとてなむ。いはけなかりしほどより扱ひそめて、見放ちがたければ、かう月ごろよろづを知らぬさまに過ぐしはべるぞ。おのづから、このほど過ぎば、見直したまひてむ」
など聞こえたまふ。かくけしきも知りたまはぬも、いとほしく心苦しく思されて、宮は人知れず涙ぐましく思さる。

 [7-8 柏木と女三の宮の罪の恐れ]
女宮のお側にもお帰りにならないで、大殿へこっそりとおいでになった。横にはなったが目も合わず、あの見た夢が当たるかどうか難しいことを思うと、あの夢の中の猫の様子が、とても恋しく思い出さずにはいられない。
「それにしても大変な過ちを犯したものだな。この世に生きて行くことさえ、できなくなってしまった」
と、恐ろしく何となく身もすくむ思いがして、外歩きなどもなさらない。女のお身の上は言うまでもなく、自分を考えてもまことにけしからぬ事という中でも、恐ろしく思われるので、気ままに出歩くことはとてもできない。
帝のお妃との間に間違いを起こして、それが評判になったような時に、これほど苦しい思いをするなら、そのために死ぬことも、苦しくないことだろう。それほど、ひどい罪に当たらなくても、この院に睨まれ申すことは、まことに恐ろしく目も合わせられない気がする。
この上ない高貴な身分の女性とは申し上げても、少し夫婦馴れした所もあって、表面は優雅でおっとりしていても、心中はそうでもない所があるのは、あれやこれやの男の言葉に靡いて、情けをお交わしなさる例もあるのだが、この方は深い思慮もおありでないが、ひたすら恐がりなさるご性質なので、もう今にも誰かが見つけたり聞きつけたりしたかのように、目も上げられず、後ろめたくお思いなさるので、明るい所へいざり出なさることさえおできになれない。まことに情けないわが身の上だと、自分自身お分りになるのであろう。
ご気分がすぐれない、とあったので、大殿はお聞きになって、たいそうお心をお尽くしになるご看病に加えて、またどうしたことかとお驚きあそばして、お渡りになった。
どこそこと苦しそうな事もお見えにならず、とてもひどく恥ずかしがり沈み込んで、まともにお顔をお合わせ申されないのを、「長くなった絶え間を恨めしくお思いになっていらっしゃるのか」と、お気の毒に思って、あちらのご病状などをお話し申し上げなさって、
「もう最期かも知れません。今になって薄情な態度だと思われまいと思いましてね。幼いころからお世話して来て、放って置けないので、このように幾月も何もかもうち忘れて看病して来たのですよ。いつか、この時期が過ぎたら、きっとお見直し頂けるでしょう」
などと申し上げなさる。このようにお気づきでないのも、お気の毒にも心苦しくもお思いになって、宮は人知れずつい涙が込み上げてくる。

 [7-8 Kashiwagi and Omna-Sam-no-Miya are feaful of being noticed by Genji]
 Womna-Miya no o-moto ni mo maude tamaha de, Oho-tono he zo sinobi te ohasi nuru. Uti-husi tare do me mo aha zu, mi turu yume no sadaka ni aha m koto mo kataki wo sahe omohu ni, kano neko no ari si sama, ito kohisiku omohi-ide raru.
 "Sate mo imiziki ayamati si turu mi kana! Yo ni ara m koto koso, mabayuku nari nure."
 to, osorosiku sora-hadukasiki kokoti si te, ariki nado mo si tamaha zu. Womna no ohom-tame ha sarani mo iha zu, waga kokoti ni mo ito aru maziki koto to ihu naka ni mo, mukutukeku oboyure ba, omohi no mama ni mo e magire arika zu.
 Mikado no mi-me wo mo tori-ayamati te, koto no kikoye ara m ni, kabakari oboye m koto yuwe ha, mi no itadura ni nara m, kurusiku oboyu mazi. Sika, itiziruki tumi ni ha atara zu to mo, kono Win ni me wo sobame rare tatematura m koto ha, ito osorosiku hadukasiku oboyu.
 Kagiri naki womna to kikoyure do, sukosi yo-duki taru kokorobahe maziri, uhe ha yuwe ari komekasiki ni mo, sitagaha nu sita no kokoro sohi taru koso, to aru koto kakaru koto ni uti-nabiki, kokoro-kahasi tamahu taguhi mo ari kere, kore ha hukaki kokoro mo ohase ne do, hita-omomuki ni mono-odi si tamahe ru mi-kokoro ni, tada ima si mo, hito no mi-kiki tuke tara m yau ni, mabayuku, hadukasiku obosa rure ba, akaki tokoro ni dani e wizari ide tamaha zu. Ito kutiwosiki mi nari keri to, midukara obosi siru besi.
 Nayamasige ni nam, to ari kere ba, Otodo kiki tamahi te, imiziku mi-kokoro wo tukusi tamahu ohom-koto ni uti-sohe te, mata ika ni to nageka se tamahi te, watari tamahe ri.
 Sokohaka to kurusige naru koto mo miye tamaha zu, ito itaku hadirahi simeri te, sayaka ni mo mi-ahase tatematuri tamaha nu wo, "Hisasiku nari nuru tayema wo uramesiku obosu ni ya?" to, itohosiku te, kano mi-kokoti no sama nado kikoye tamahi te,
 "Ima ha no todime ni mo koso are. Imasara ni oroka naru sama wo miye oka re zi tote nam. Ihakenakari si hodo yori atukahi some te, mi-hanati gatakere ba, kau tuki-goro yorodu wo sira nu sama ni sugusi haberu zo. Onodukara, kono hodo sugi ba, mi-nahosi tamahi te m."
 nado kikoye tamahu. Kaku kesiki mo siri tamaha nu mo, itohosiku kokoro-gurusiku obosa re te, Miya ha hito-sire zu namida-gumasiku obosa ru.

 [7-9 柏木と女二の宮の夫婦仲]
督の君は、まして、なかなかなる心地のみまさりて、起き臥し明かし暮らしわびたまふ。祭の日などは、物見に争ひ行く君達かき連れ来て言ひそそのかせど、悩ましげにもてなして、眺め臥したまへり。
女宮をば、かしこまりおきたるさまにもてなしきこえて、をさをさうちとけても見えたてまつりたまはず、わが方に離れゐて、いとつれづれに心細く眺めゐたまへるに、童べの持たる葵を見たまひて、
「悔しくぞ摘み犯しける葵草
神の許せるかざしならぬに」
と思ふも、いとなかなかなり。
世の中静かならぬ車の音などを、よそのことに聞きて、人やりならぬつれづれに、暮らしがたくおぼゆ。
女宮も、かかるけしきのすさまじげさも見知られたまへば、何事とは知りたまはねど、恥づかしくめざましきに、もの思はしくぞ思されける。
女房など、物見に皆出でて、人少なにのどやかなれば、うち眺めて、箏の琴なつかしく弾きまさぐりておはするけはひも、さすがにあてになまめかしけれど、「同じくは今ひと際及ばざりける宿世よ」と、なほおぼゆ。
「もろかづら落葉を何に拾ひけむ
名は睦ましきかざしなれども」
と書きすさびゐたる、いとなめげなるしりう言なりかし。

 [7-9 柏木と女二の宮の夫婦仲]
督の君は、宮以上に、かえって苦しさがまさって、寝ても起きても明けても暮れても日を暮らしかねていらっしゃる。祭の日などは、見物に先を争って行く公達が連れ立って誘うが、悩ましそうにして物思いに沈んで横になっていらっしゃった。
女宮を、丁重にお扱い申しているが、親しくお逢い申されることもほとんどなさらず、ご自分の部屋に離れて、とても所在なさそうに心細く物思いに耽っていらっしゃるところに、女童が持っている葵を御覧になって、
「悔しい事に罪を犯してしまったことよ
神が許した仲ではないのに」
と思うにつけても、まことになまじ逢わないほうがましな思いである。
世間のにぎやかな車の音などを、他人事のように聞いて、我から招いた物思いに、一日が長く思われる。
女宮も、このような様子のつまらなさそうなのがお分かりになるので、どのような事情とはお分かりにならないが、気が引け心外なと思われるにつけ、面白くない思いでいられるのであった。
女房などは、見物に皆出かけて、人少なでのんびりしているので、物思いに耽って、箏の琴をやさしく弾くともなしに弾いていらっしゃるご様子も、内親王だけあって高貴で優雅であるが、「同じ皇女を頂くなら、もう一段及ばなかった運命よ」と、今なお思われる。
「劣った落葉のような方をどうして娶ったのだろう
同じ院のご姉妹ではあるが」
と遊び半分に書いているのは、まこと失礼な蔭口である。

 [7-9 Kashiwagi and Omna-Ni-no-Miya's married life]
 Kam-no-Kimi ha, masite, naka-naka naru kokoti nomi masari te, oki-husi akasi kurasi wabi tamahu. Maturi no hi nado ha, monomi ni arasohi iku Kimdati kaki-ture ki te ihi-sosonokase do, nayamasige ni motenasi te, nagame husi tamahe ri.
 Womna-Miya wo ba, kasikomari oki taru sama ni motenasi kikoye te, wosa-wosa uti-toke te mo miye tatematuri tamaha zu, waga kata ni hanre wi te, ito turedure ni kokoro-bosoku nagame wi tamahe ru ni, warahabe no mo'taru ahuhi wo mi tamahi te,
 "Kuyasiku zo tumi wokasi keru ahuhi-gusa
 Kami no yuruse ru kazasi nara nu ni
"
 to omohu mo, ito naka-naka nari.
 Yononaka siduka nara nu kuruma no oto nado wo, yoso no koto ni kiki te, hitoyari nara nu ture-dure ni, kurasi gataku oboyu.
 Womna-Miya mo, kakaru kesiki no susamazigesa mo mi sira re tamahe ba, nani-goto to ha siri tamaha ne do, hadukasiku mezamasiki ni, mono omohasiku zo obosa re keru.
 Nyoubau nado, mono-mi ni mina ide te, hito-zukuna ni nodoyaka nare ba, uti-nagame te, sau-no-koto natukasiku hiki-masaguri te ohasuru kehahi mo, sasuga ni ate ni namamekasikere do, "Onaziku ha ima hito-kiha oyoba zari keru sukuse yo!" to, naho oboyu.
 "Moro-kadura otiba wo nani ni hirohi kem
 na ha mutumasiki kazasi nare do mo
"
 to kaki susabi wi taru, ito namege naru siriu-goto nari kasi.

 8 紫の上の物語 死と蘇生 [8-1 紫の上、絶命す]
大殿の君は、まれまれ渡りたまひて、えふとも立ち帰りたまはず、静心なく思さるるに、
「絶え入りたまひぬ」
とて、人参りたれば、さらに何事も思し分かれず、御心も暮れて渡りたまふ。道のほどの心もとなきに、げにかの院は、ほとりの大路まで人立ち騒ぎたり。殿のうち泣きののしるけはひ、いとまがまがし。我にもあらで入りたまへれば、
「日ごろは、いささか隙見えたまへるを、にはかになむ、かくおはします」
とて、さぶらふ限りは、我も後れたてまつらじと、惑ふさまども、限りなし。御修法どもの檀こぼち、僧なども、さるべき限りこそまかでね、ほろほろと騒ぐを見たまふに、「さらば限りにこそは」と思し果つるあさましさに、何事かはたぐひあらむ。
「さりとも、もののけのするにこそあらめ。いと、かくひたぶるにな騷ぎそ」
と鎮めたまひて、いよいよいみじき願どもを立て添へさせたまふ。すぐれたる験者どもの限り召し集めて、
「限りある御命にて、この世尽きたまひぬとも、ただ、今しばしのどめたまへ。不動尊の御本の誓ひあり。その日数をだに、かけ止めたてまつりたまへ」
と、頭よりまことに黒煙を立てて、いみじき心を起こして加持したてまつる。院も、
「ただ、今一度目を見合はせたまへ。いとあへなく限りなりつらむほどをだに、え見ずなりにけることの、悔しく悲しきを」
と思し惑へるさま、止まりたまふべきにもあらぬを、見たてまつる心地ども、ただ推し量るべし。いみじき御心のうちを、仏も見たてまつりたまふにや、月ごろさらに現はれ出で来ぬもののけ、小さき童女に移りて、呼ばひののしるほどに、やうやう生き出でたまふに、うれしくもゆゆしくも思し騒がる。

 8 紫の上の物語 死と蘇生 [8-1 紫の上、絶命す]
大殿の君は、たまたまお渡りになって、すぐにはお帰りになることもできず、落ち着いていらっしゃれないところに、
「息をお引きとりになりました」
と言って、使者が参上したので、まったく何を考えることもおできになれず、お心も真暗になってお帰りになる。その道中気が気でないところ、なるほどあちらの院は、周囲の大路まで人が騷ぎ立っていた。邸の中の泣きわめいている様子、まことに不吉である。無我夢中で中にお入りになると、
「ここのところ数日は、少しよろしいようにお見えになったのですが、急に、このようにおなりになりました」
と言って、控えている女房たちは皆、自分も後を追おうと、うろうろしている者たちが、数限りない。いく壇もの御修法の壇を壊して、僧たちも残るべき人は残っているが、ばらばらと立ち騒ぐのを御覧になると、「それではもう最期なのだ」とお思い切りなさるその情けなさに、他にどのような比べるものがあろうか。
「そうは言っても、物の怪のすることであろう。まことに、そんなにむやみに騒ぐな」
と皆をお静めになって、ますます大層ないくつもの願をお立て加えさせなさる。すぐれた験者たちをすべて召し集めて、
「有限なご寿命であるから、この世でのご寿命が終わったとしても、ただ、もう暫く延ばして下さい。不動尊の御本の誓いがあります。せめてその日数だけでも、この世にお引き止め申して下さい」
と、頭から本当に黒い煙を立てて、大変な熱心さでご加持申し上げる。院も、
「ただ、もう一度目と目を見合わせて下さい。まったくあっけなく臨終の時をさえ、会わずじまいであったことが、悔しく悲しいのですよ」
と取り乱している様子は、生き残っていらっしゃることができそうにないのを、拝見する心地は、ただ想像できよう。大変なご悲痛を、仏も御照覧申されたのであろうか、このいく月もまったく現れなかった物の怪が小さい童に乗り移って、大声でわめくうちに、だんだんと生き返っていらっしゃって、嬉しくも不吉にもお心が騒がずにはいらっしゃれない。

 8 Tale of Murasaki Death and revival [8-1 A messenger said Genji that Murasaki died]
 Otodo-no-Kimi ha, mare-mare watari tamahi te, e huto mo tati-kaheri tamaha zu, sidu-kokoro naku obosa ruru ni,
 "Taye-iri tamahi nu."
 tote, hito mawiri tare ba, sarani nani-goto mo obosi waka re zu, mi-kokoro mo kure te watari tamahu. Miti no hodo no kokoro-motonaki ni, geni kano Win ha, hotori no oho-di made hito tati-sawagi tari. Tono no uti naki nonosiru kehahi, ito maga-magasi. Ware ni mo ara de iri tamahe re ba,
 "Hi-goro ha, isasaka hima miye tamahe ru wo, nihaka ni nam, kaku ohasimasu."
 tote, saburahu kagiri ha, ware mo okure tatematura zi to, madohu sama-domo, kagiri nasi. Mi-zuhohu-domo no dan koboti, sou nado mo, saru beki kagiri koso makade ne, horo-horo to sawagu wo mi tamahu ni, "Sara ba kagiri ni koso ha." to obosi haturu asamasisa ni, nani-goto ka ha taguhi ara m?
 "Sari to mo, mononoke no suru ni koso ara me. Ito, kaku hitaburu ni na sawagi so."
 to sidume tamahi te, iyo-iyo imiziki gwan-domo wo tate-sohe sase tamahu. Sugure taru genza-domo no kagiri mesi-atume te,
 "Kagiri aru ohom-inoti ni te, kono yo tuki tamahi nu to mo, tada, ima sibasi nodome tamahe. Hudouson no ohom-moto no tikahi ari. Sono hi-kazu wo dani, kake-todome tatematuri tamahe."
 to, kasira yori makoto ni kuro-keburi wo tate te, imiziki kokoro wo okosi te kadi si tatematuru. Win mo,
 "Tada, ima hito-tabi me wo mi-ahase tamahe. Ito ahenaku kagiri nari tura m hodo wo dani, e mi zu nari ni keru koto no, kuyasiku kanasiki wo."
 to obosi madohe ru sama, tomari tamahu beki ni mo ara nu wo, mi tatematuru kokoti-domo, tada osihakaru besi. Imiziki mi-kokoro no uti wo, Hotoke mo mi tatematuri tamahu ni ya, tuki-goro sarani arahare ide ko nu mononoke, tihisaki waraha ni uturi te, yobahi nonosiru hodo ni, yau-yau iki-ide tamahu ni, uresiku mo yuyusiku mo obosi sawaga ru.

 [8-2 六条御息所の死霊出現]
いみじく調ぜられて、
「人は皆去りね。院一所の御耳に聞こえむ。おのれを月ごろ調じわびさせたまふが、情けなくつらければ、同じくは思し知らせむと思ひつれど、さすがに命も堪ふまじく、身を砕きて思し惑ふを見たてまつれば、今こそ、かくいみじき身を受けたれ、いにしへの心の残りてこそ、かくまでも参り来たるなれば、ものの心苦しさをえ見過ぐさで、つひに現はれぬること。さらに知られじと思ひつるものを」
とて、髪を振りかけて泣くけはひ、ただ昔見たまひしもののけのさまと見えたり。あさましく、むくつけしと、思ししみにしことの変はらぬもゆゆしければ、この童女の手をとらへて、引き据ゑて、さま悪しくもせさせたまはず。
「まことにその人か。よからぬ狐などいふなるものの、たぶれたるが、亡き人の面伏なること言ひ出づるもあなるを、たしかなる名のりせよ。また人の知らざらむことの、心にしるく思ひ出でられぬべからむを言へ。さてなむ、いささかにても信ずべき」
とのたまへば、ほろほろといたく泣きて、
「わが身こそあらぬさまなれそれながら
そらおぼれする君は君なり
いとつらし、いとつらし」
と泣き叫ぶものから、さすがにもの恥ぢしたるけはひ、変らず、なかなかいと疎ましく、心憂けば、もの言はせじと思す。
「中宮の御事にても、いとうれしくかたじけなしとなむ、天翔りても見たてまつれど、道異になりぬれば、子の上までも深くおぼえぬにやあらむ、なほ、みづからつらしと思ひきこえし心の執なむ、止まるものなりける。
その中にも、生きての世に、人より落として思し捨てしよりも、思ふどちの御物語の1724ついでに、心善からず憎かりしありさまをのたまひ出でたりしなむ、いと恨めしく。今はただ亡きに思し許して、異人の言ひ落としめむをだに、はぶき隠したまへとこそ思へ、とうち思ひしばかりに、かくいみじき身のけはひなれば、かく所狭きなり。
この人を、深く憎しと思ひきこゆることはなけれど、守り強く、いと御あたり遠き心地して、え近づき参らず、御声をだにほのかになむ聞き1725はべる。
よし、今は、この罪軽むばかりのわざをせさせたまへ。修法、読経とののしることも、身には苦しくわびしき炎とのみまつはれて、さらに尊きことも聞こえねば、いと悲しくなむ。
中宮にも、このよしを伝へ聞こえたまへ。ゆめ御宮仕へのほどに、人ときしろひ嫉む心つかひたまふな。斎宮におはしまししころほひの御罪軽むべからむ功徳のことを、かならずせさせたまへ。いと悔しきことになむありける」
など、言ひ続くれど、もののけに向かひて物語したまはむも、かたはらいたければ、封じ込めて、上をば、また異方に、忍びて渡したてまつりたまふ。

 [8-2 六条御息所の死霊出現]
ひどく調伏されて、
「他の人は皆去りなさい。院お一人方のお耳に申し上げたい。自分をこのいく月も調伏し困らせなさるのが薄情で辛いので、同じことならお知らせしようと思ったが、そうは言っても命が耐えられないほど、身を粉にして悲嘆に暮れていらっしゃるご様子を拝見すると、今でこそ、このようなあさましい姿に変わっているが、昔の愛執が残っていればこそ、このように参上したので、お気の毒な様子を放って置くことができなくて、とうとう現れ出てしまったのです。決して知られまいと思っていたのに」
と言って、髪を振り掛けて泣く様子は、まったく昔御覧になった物の怪の恰好と見えた。こんなことがこの世にあろうか、恐ろしいことだと、心底お思い込みになったことが相変わらず忌まわしいことなので、この童女の手を捉えて、じっとさせて、体裁の悪いようにはおさせにならない。
「本当にあなたか。良くない狐などと言うもので、気の狂ったのが、亡くなった人の不名誉になることを言い出すということもあると言うから、はっきりと名乗りをせよ。また誰も知らないようなことで、心にはっきりと思い出されるようなことを言いなさい。そうすれば、少しは信じもしよう」
とおっしゃると、ぽろぽろとひどく泣いて、
「わたしはこんな変わりはてた身の上となってしまったが
知らないふりをするあなたは昔のままですね
とてもひどい方だわ、とてもひどい方だわ」
と泣き叫ぶ一方で、そうはいっても恥ずかしがっている様子、昔に変わらず、かえってまことに疎ましい気がし、情けないので、何も言わせまいとお思いになる。
「中宮の御事につけても、大変に嬉しく有り難いことだと、魂が天翔りながら拝見していますが、明幽境を異にしてしまったので、子の身の上までも深く思われないのでしょうか、やはり、自分自身がひどい方だとお思い申し上げた方への愛執が残るのでした。
その中でも、生きているうちに、人より軽いお扱いをなさってお見捨てになったことよりも、お親しい者どうしのお話の時に、性格が善くない扱いにくい女であったとおっしゃったのが、まことに恨めしくて。今はもう亡くなってしまったのだからとお許し下さって、他人が悪口を言うのでさえ、打ち消してかばって戴きたいと思うと、その思っただけで、このように恐ろしい身の上なので、このように大変なことになったのです。
この方を、心底憎いと思い申すことはないが、あなたの神仏の加護が強くて、とてもご身辺は遠い感じがして、近づき参ることができず、お声さえもかすかに聞くだけでおります。
よし、今はもう、この罪障を軽めることをなさって下さい。修法や読経の大声を立てることも、わが身には苦しく情けない炎となってまつわりつくばかりで、まったく尊いお経の声も聞こえないので、まことに悲しい気がします。
中宮にも、この旨をお伝え申し上げて下さい。決して御宮仕え中に、他人と争ったり嫉妬したりする気をお持ちになってなりません。斎宮でいらっしゃったころのご罪障を軽くするような功徳のことを、必ずなさるように。ほんとうに残念なことでしたよ」
などと、言い続けるが、物の怪に向かってお話なさることも、気が引けることなので、物の怪を封じ込めて、紫の上を、別の部屋に、こっそりお移し申し上げなさる。

 [8-2 A gohst of Rokujo-Miyasumdokoro appears in front of Genji]
 Imiziku teu-ze rare te,
 "Hito ha mina sari ne. Win hito-tokoro no ohom-mimi ni kikoye m. Onore wo, tuki-goro teu-zi wabi sase tamahu ga, nasake naku turakere ba, onaziku ha obosi sira se m to omohi ture do, sasuga ni inoti mo tahu maziku, mi wo kudaki te obosi madohu wo mi tatemature ba, ima koso, kaku imiziki mi wo uke tare, inisihe no kokoro no nokori te koso, kaku made mo mawiri ki taru nare ba, mono no kokoro-gurusisa wo e mi-sugusa de, tuhi ni arahare nuru koto. Sarani sira re zi to omohi turu mono wo."
 tote, kami wo huri-kake te naku kehahi, tada mukasi mi tamahi si mononoke no sama to miye tari. Asamasiku, mukutukesi to, obosi simi ni si koto no kahara nu mo yuyusikere ba, kono waraha no te wo torahe te, hiki-suwe te, sama asiku mo se sase tamaha zu.
 "Makoto ni sono hito ka? Yokara nu kitune nado ihu naru mono no, tabure taru ga, naki hito no omote-buse naru koto ihi-iduru mo anaru wo, tasika naru nanori se yo. Mata hito no sira zara m koto no, kokoro ni siruku omohi-ide rare nu bekara m wo ihe. Sate nam, isasaka ni te mo sin-zu beki."
 to notamahe ba, horo-horo to itaku naki te,
 "Waga mi koso ara nu sama nare sore nagara
 sora obore suru Kimi ha Kimi nari

 ito turasi, ito turasi."
 to naki sakebu mono kara, sasuga ni mono-hadi si taru kehahi, kahara zu, naka-naka ito utomasiku, kokoro-ukere ba, mono iha se zi to obosu.
 "Tiuguu no ohom-koto ni te mo, ito uresiku katazikenasi to nam, ama-gakeri te mo mi tatemature do, miti koto ni nari nure ba, ko no uhe made mo hukaku oboye nu ni ya ara m, naho, midukara turasi to omohi kikoye si kokoro no sihu nam, tomaru mono nari keru.
 Sono naka ni mo, iki te no yo ni, hito yori otosi te obosi sute si yori mo, omohu-doti no ohom-monogatari no tuide ni, kokoro yokara zu nikukari si arisama wo notamahi ide tari si nam, ito uramesiku. Ima ha tada naki ni obosi yurusi te, koto-bito no ihi-otosime m wo dani, habuki kakusi tamahe to koso omohe, to uti omohi si bakari ni, kaku imiziki mi no kehahi nare ba, kaku tokoro-seki nari.
 Kono hito wo, hukaku nikusi to omohi kikoyuru koto ha nakere do, mamori tuyoku, ito ohom-atari tohoki kokoti si te, e tikaduki mawira zu, ohom-kowe wo dani honoka ni nam kiki haberu.
 Yosi, ima ha, kono tumi karomu bakari no waza wo se sase tamahe. Zuhohu, dokyau to nonosiru koto mo, mi ni ha kurusiku wabisiki honoho to nomi matuha re te, sarani tahutoki koto mo kikoye ne ba, ito kanasiku nam.
 Tiuguu ni mo, kono yosi wo tutahe kikoye tamahe. Yume ohom-miya-dukahe no hodo ni, hito to kisirohi sonemu kokoro tuakhi tamahu na. Saiguu ni ohasimasi si korohohi no ohom-tumi karumu bekara m kudoku no koto wo, kanara zu se sase tamahe. Ito kuyasiki koto ni nam ari keru."
 nado, ihi-tudukure do, mononoke ni mukahi te monogatari si tamaha m mo, katahara-itakere ba, hun-zi-kome te, Uhe wo ba, mata koto-kata ni sinobi te watasi tatematuri tamahu.

 [8-3 紫の上、死去の噂流れる]
かく亡せたまひにけりといふこと、世の中に満ちて、御弔らひに聞こえたまふ人々あるを、いとゆゆしく思す。今日の帰さ見に出でたまひける上達部など、帰りたまふ道に、かく人の申せば、
「いといみじき1726ことにもあるかな。生けるかひありつる幸ひ人の、光失ふ日にて、雨はそほ降るなりけり」
と、うちつけ言したまふ人もあり。また、
「かく足らひぬる人は、かならずえ長からぬことなり。『何を桜に1727』といふ古言もあるは。かかる人の、いとど世にながらへて、世の楽しびを尽くさば、かたはらの人苦しからむ。今こそ、二品の宮は、もとの御おぼえ現はれたまはめ。いとほしげに圧されたりつる御おぼえを」
など、うちささめきけり。
衛門督、昨日暮らしがたかりしを思ひて、今日は、御弟ども、左大弁、藤宰相など、奥の方に乗せて見たまひけり。かく言ひあへるを聞くにも、胸うちつぶれて、
「何か憂き世に久しかるべき1728」
と、うち誦じ独りごちて、かの院へ皆参りたまふ。たしかならぬことなればゆゆしくや、とて、ただおほかたの御訪らひに参りたまへるに、かく人の泣き騒げば、まことなりけりと、立ち騷ぎたまへり。
式部卿宮も渡りたまひて、いといたく思しほれたるさまにてぞ入りたまふ。人の御消息も、え申し伝へたまはず。大将の君、涙を拭ひて立ち出でたまへるに、
「いかに、いかに。ゆゆしきさまに人の申しつれば、信じがたきことにてなむ。ただ久しき御悩みをうけたまはり嘆ぎて参りつる」
などのたまふ。
「いと重くなりて、月日経たまへるを、この暁より絶え入りたまへりつるを、もののけのしたるになむありける。やうやう生き出でたまふやうに聞きなしはべりて、今なむ皆人心静むめれど、まだいと頼もしげなしや。心苦しきことにこそ」
とて、まことにいたく泣きたまへるけしきなり。目もすこし腫れたり。衛門督、わがあやしき心ならひにや、この君の、いとさしも親しからぬ継母の御ことを、いたく心しめたまへるかな、と目をとどむ。
かく、これかれ参りたまへるよし聞こし召して、
「重き病者の、にはかにとぢめつるさまなりつるを、女房などは、心もえ収めず、乱りがはしく騷ぎはべりけるに、みづからもえのどめず、心あわたたしきほどにてなむ。ことさらになむ、かくものしたまへるよろこびは聞こゆべき」
とのたまへり。督の君は胸つぶれて、かかる折のらうろうならずはえ参るまじく、けはひ恥づかしく思ふも、心のうちぞ腹ぎたなかりける。

 [8-3 紫の上、死去の噂流れる]
このようにお亡くなりになったという噂が、世間に広がって、ご弔問に参上なさる方々がいるのを、まことに縁起でもなくお思いになる。今日の祭の翌日の行列の見物にお出かけになった上達部などは、お帰りになる道すがら、このように人が申すので、
「大変な事になったな。この世の生甲斐を満喫した幸福な方が、光を失う日なので、雨がしょぼしょぼ降るのだな」
と、思いつきの発言をなさる方もいる。また、
「このようにすべてに満ち足りた方は、必ず寿命も長くはないことです。『何を桜に』と言う古歌もあることよ。このような方が、ますます世に長生きをして、この世の楽しみの限りを尽くしたら、はたの人が迷惑するだろう。これでやっと、二品の宮は、本来のご寵愛をお受けになられることだろう。お気の毒に圧倒されていたご寵愛であったから」
などと、ひそひそ噂するのであった。
衛門督は、昨日一日とても過ごしにくかったことを思って、今日は、弟の方々の、左大弁、藤宰相など、車の奥の方に乗せて見物なさった。このように噂しあっているのを聞くにつけても、胸がどきっとして、
「どうして嫌な世の中に長生きしようか」
と、独り口ずさんで、あちらの院に皆で参上なさる。不確かなことなので縁起でもないことを言っては、と思って、ただ普通のお見舞いの形で参上したところ、このように人が泣き叫んでいるので、本当だったのだなと、驚きなさった。
式部卿宮もお越しになって、とてもひどくご悲嘆なさった様子でお入りになる。一般の方々のご弔問も、お伝え申し上げることがおできになれない。大将の君が、涙を拭って出ていらっしゃったので、
「いかがですか、いかがですか。縁起でもないふうに皆が申しましたので、信じがたいことです。ただ長い間のご病気と承って嘆いて参上しました」
などとおっしゃる。
「大変に重態になって、月日を送っていらっしゃったが、今日の夜明け方から息絶えてしまわれましたが、物の怪の仕業でした。だんだんと息を吹き返しなさったふうに聞きまして、今ちょうど皆安心したようですが、まだとても気がかりでなりません。おいたわしい限りです」
と言って、本当にひどくお泣きになるご様子である。目も少し腫れている。衛門督は、自分のけしからぬ気持ちに照らしてか、この君が、大して親しい関係でもない継母のご病気を、ひどく悲嘆していらっしゃるなと、目を止める。
このように、いろいろな方々がお見舞いに参上なさった旨をお聞きになって、
「重病人が、急に息を引き取ったふうになったのですが、女房たちは、冷静さを失って、取り乱して騷ぎましたが、自分自身も落ちつきをなくして、取り乱しております。後日改めて、このお見舞いにはお礼申し上げます」
とおっしゃった。督の君は胸がどきっとして、このようなのっぴきならぬ事情がなければ参上できそうになく、何がなし恐ろしい気がするのも、心中後ろめたいところがあるからなのであった。

 [8-3 The rumor that Murasaki died has spread the whole streets]
 Kaku use tamahi ni keri to ihu koto, yononaka ni miti te, ohom-toburahi ni kikoye tamahu hito-bito aru wo, ito yuyusiku obosu. Kehu no kahesa mi ni ide tamahi keru Kamdatime nado, kaheri tamahu miti ni, kaku hito no mause ba,
 "Ito i imiziki koto ni mo aru kana! Ike ru kahi ari turu saihahi-bito no, hikari usinahu hi ni te, ame ha soho-huru nari keri."
 to, uti-tuke-goto si tamahu hito mo ari. Mata,
 "Kaku tarahi nuru hito ha, kanarazu e nagakara nu koto nari. Nani wo sakura ni to ihu huru-koto mo aru ha! Kakaru hito no, itodo yo ni nagarahe te, yo no tanosibi wo tukusa ba, katahara no hito kurusikara m. Ima koso, Nihon-no-Miya ha, moto no ohom-oboye arahare tamaha me. Itohosige ni osa re tari turu ohom-oboye wo."
 nado, uti-sasameki keri.
 Wemon-no-Kami, kinohu kurasi gatakari si wo omohi te, kehu ha, ohom-otouto-domo, Sa-Daiben, Tou-Saisyau nado, oku no kata ni nose te mi tamahi keri. Kaku ihi-ahe ru wo kiku ni mo, mune uti-tubure te,
 "Nani ka uki yo ni hisasikaru beki"
 to, uti-zu-zi hitori-goti te, kano Win he mina mawiri tamahu. Tasika nara nu koto nare ba yuyusiku ya, tote, tada ohokata no ohom-toburahi ni mawiri tamahe ru ni, kaku hito no naki sawage ba, makoto nari keri to, tati-sawagi tamahe ri.
 Sikibukyau-no-Miya mo watari tamahi te, ito itaku obosi hore taru sama ni te zo iri tamahu. Hito no ohom-seusoko mo, e mausi tutahe tamaha zu. Daisyau-no-kimi, namida nogohi te tati-ide tamahe ru ni,
 "Ika ni, ika ni? Yuyusiki sama ni hito no mausi ture ba, sin-zi gataki koto ni te nam. Tada hisasiki ohom-nayami wo uke tamahari nageki te mawiri turu."
 nado notamahu.
 "Ito omoku nari te, tuki-hi he tamahe ru wo, kono akatuki yori taye-iri tamahe ri turu wo, mononoke no si taru ni nam ari keru. Yau-yau iki-ide tamahu yau ni kiki-nasi haberi te, ima nam mina-hito kokoro sidumu mere do, mada ito tanomosige nasi ya! Kokoro-gurusiki koto ni koso."
 tote, makoto ni itaku naki tamahe ru kesiki nari. Me mo sukosi hare tari. Wemon-no-Kami, waga ayasiki kokoro-narahi ni ya, kono Kimi no, ito sa si mo sitasikara nu mama-haha no ohom-koto wo, itaku kokoro-sime tamahe ru kana, to me wo todomu.
 Kaku, kore kare mawiri tamahe ru yosi kikosimesi te,
 "Omoki byauza no, nihaka ni todime turu sama nari turu wo, nyoubau nado ha, kokoro mo e wosame zu, midari-gahasiku sawagi haberi keru ni, midukara mo e nodome zu, kokoro-awatatasiki hodo ni te nam. Kotosara ni nam, kaku monosi tamaheru yorokobi ha kikoyu beki."
 to notamahe ri. Kam-no-Kimi ha mune tubure te, kakaru wori no rau-rau nara zu ha e mawiru maziku, kehahi hadukasiku omohu mo, kokoro no uti zo hara-gitanakari keru.

 [8-4 紫の上、蘇生後に五戒を受く]
かく生き出でたまひての後しも、恐ろしく思して、またまた、いみじき法どもを尽くして加へ行なはせたまふ。
うつし人にてだに、むくつけかりし人の御けはひの、まして世変はり、妖しきもののさまになりたまへらむを思しやるに、いと心憂ければ、中宮を扱ひきこえたまふさへぞ、この折はもの憂く、言ひもてゆけば、女の身は、皆同じ罪深きもとゐぞかしと、なべての世の中厭はしく、かの、また人も聞かざりし御仲の睦物語に、すこし語り出でたまへりしことを言ひ出でたりしに、まことと思し出づるに、いとわづらはしく思さる。
御髪下ろしてむと切に思したれば、忌むことの力もやとて、御頂しるしばかり挟みて、五戒ばかり受けさせたてまつりたまふ。御戒の師、忌むことのすぐれたるよし、仏に申すにも、あはれに尊きこと混じりて、人悪く御かたはらに添ひゐて、涙おし拭ひたまひつつ、仏を諸心に念じきこえたまふさま、世にかしこくおはする人も、いとかく御心惑ふことにあたりては、え静めたまはぬわざなりけり。
いかなるわざをして、これを救ひかけとどめたてまつらむとのみ、夜昼思し嘆くに、ほれぼれしきまで、御顔もすこし面痩せたまひにたり。

 [8-4 紫の上、蘇生後に五戒を受く]
このように生き返りなさった後は、恐ろしくお思いになって、再度、大変ないくつもの修法のあらん限りを追加して行わせなさる。
生きていた時の人でさえ、嫌な気がしたご様子の方が、まして死後に、異形のものに姿を変えていらっしゃるのだろうことをご想像なさると、まことに気味が悪いので、中宮をお世話申し上げなさることまでが、この際は億劫になり、せんじつめれば、女性の身は、皆同様に罪障の深いものだと、すべての男女関係が嫌になって、あの、他人は聞かなかったお二人の睦言に、少しお話し出しになったことを言い出したので、確かにそうだとお思い出しになると、まことに厄介なことに思わずにはいらっしゃれない。
御髪を下ろしたいと切望なさっているので、持戒による功徳もあろうかと考えて、頭の頂を形式的に挟みを入れて、五戒だけをお受けさせ申し上げなさる。御戒の師が、持戒のすぐれている旨を仏に申すにつけても、しみじみと尊い文句が混じっていて、体裁が悪いまでお側にお付きなさって、涙をお拭いになりながら、仏を一緒にお念じ申し上げなさる様子は、この世に又となく立派でいらっしゃる方も、まことにこのようにご心痛になる非常時に当たっては、冷静ではいらっしゃれないものなのであった。
どのような手立てをしてでも、この方をお救い申しこの世に引き止めておこうとばかり、昼夜お嘆きになっているので、ぼうっとするほどになって、お顔も少しお痩せになっていた。

 [8-4 Murasaki revivals and receives Go-kai, Buddhist's ceremony]
 Kaku iki-ide tamahi te no noti si mo, osorosiku obosi te, mata-mata, imiziki hohu-domo wo tukusi te, kuhahe okonaha se tamahu.
 Utusi-bito ni te dani, mukutukekari si hito no ohom-kehahi no, masite yo kahari, ayasiki mono no sama ni nari tamahe ra m wo obosi-yaru ni, ito kokoro-ukere ba, Tiuguu wo atukahi kikoye tamahu sahe zo, kono wori ha mono-uku, ihi mote yuke ba, womna no mi ha, mina onazi tumi hukaki motowi zo kasi to, nabete no yononaka itohasiku, kano, mata-hito mo kika zari si ohom-naka no mutu-monogatari ni, sukosi katari-ide tamahe ri si koto wo ihi-ide tari si ni, makoto to obosi-iduru ni, ito wadurahasiku obosa ru.
 Mi-gusi orosi te m to seti ni obosi tare ba, imu koto no tikara mo ya tote, ohom-itadaki sirusi bakari hasami te, gokai bakari uke sase tatematuri tamahu. Go-kai no si, imu koto no sugure taru yosi, Hotoke ni mausu ni mo, ahare ni tahutoki koto maziri te, hito-waruku ohom-katahara ni sohi-wi te, namida osi-nogohi tamahi tutu, Hotoke wo moro-gokoro ni nen-zi kikoye tamahu sama, yo ni kasikoku ohasuru hito mo, ito kaku mi-kokoro madohu koto ni atari te ha, e sidume tamaha nu waza nari keri.
 Ika naru waza wo si te, kore wo sukuhi kake-todome tatematura m to nomi, yoru hiru obosi nageku ni, hore-boresiki made, ohom-kaho mo sukosi omoyase tamahi ni tari.

 [8-5 紫の上、小康を得る]
五月などは、まして、晴れ晴れしからぬ空のけしきに、えさはやぎたまはねど、ありしよりはすこし良ろしきさまなり。されど、なほ絶えず悩みわたりたまふ。
もののけの罪救ふべきわざ、日ごとに法華経一部づつ供養ざさせたまふ。日ごとに何くれと尊きわざせさせたまふ。御枕上近くても、不断の御読経、声尊き限りして読ませたまふ。現はれそめては、折々悲しげなることどもを言へど、さらにこの1729もののけ去り果てず。
いとど暑きほどは、息も絶えつつ、いよいよのみ弱りたまへば、いはむかたなく思し嘆きたり。なきやうなる御心地にも、かかる御けしきを心苦しく見たてまつりたまひて、
「世の中に亡くなりなむも、わが身にはさらに口惜しきこと残るまじけれど、かく思し惑ふめるに、空しく見なされたてまつらむが、いと思ひ隈なかるべければ」
思ひ起こして、御湯などいささか参るけにや、六月になりてぞ、時々御頭もたげたまひける。めづらしく見たてまつりたまふにも、なほ、いとゆゆしくて、六条の院にはあからさまにもえ渡りたまはず。

 [8-5 紫の上、小康を得る]
五月などは、これまで以上に、晴々しくない空模様で、すっきりした気分におなりになれないが、以前よりは少し良い状態である。けれども、やはりずっと絶えることなくお悩みになっている。
物の怪の罪障を救えるような仏事として、毎日法華経を一部ずつ供養させなさる。毎日何やかやと尊い供養をおさせになる。御枕元近くでも、不断の御読経を、声の尊い人だけを選んでおさせになる。物の怪が正体を現すようになってからは、時々悲しげなことを言うが、まったくこの物の怪がすっかり消え去ったというわけではない。
ますます暑いころは、息も絶え絶えになって、ますますご衰弱なさるので、何とも言いようがないほどお嘆きになった。意識もないようなご病状の中でも、このようなご様子をお気の毒に拝見なさって、
「この世から亡くなっても、わたしには少しも残念だと思われることはないが、これほどご心痛のようなので、自分の亡骸をお目にかけるのも、いかにも思いやりのないことだから」
と、気力を奮い起こして、お薬湯などを少し召し上がったせいか、六月になってからは、時々頭を枕からお上げになった。珍しいことと拝見なさるにつけても、やはり、とても危なそうなので、六条院にはわずかの間でもお出向きになることができない。

 [8-5 Murasaki gets a breathing space]
 Go-gwati nado ha, masite, hare-baresikara nu sora no kesiki ni, e sahayagi tamaha ne do, ari si yori ha sukosi yorosiki sama nari. Saredo, naho taye zu nayami watari tamahu.
 Mononoke no tumi sukuhu beki waza, hi-goto ni Hokekyau iti-bu dutu kuyau-ze sase tamahu. Hi-goto ni nani-kure to tahutoki waza se sase tamahu. Ohom-makuragami tikaku te mo, hudan no mi-dokyau, kowe tahutoki kagiri si te yoma se tamahu. Arahare some te ha, wori-wori kanasige naru koto-domo wo ihe do, sarani kono mononoke sari-hate zu.
 Itodo atuki hodo ha, iki mo taye tutu, iyo-iyo nomi yowari tamahe ba, iha m kata naku obosi nageki tari. Naki yau naru mi-kokoti ni mo, kakaru mi-kesiki wo kokoro-gurusiku mi tatematuri tamahi te,
 "Yononaka ni nakunari na m mo, waga mi ni ha sarani kutiwosiki koto nokoru mazikere do, kaku obosi madohu meru ni, munasiku mi-nasa re tatematura m ga, ito omohi kuma nakaru bekere ba."
 Omohi-okosi te, ohom-yu nado isasaka mawiru ke ni ya, Roku-gwati ni nari te zo, toki-doki mi-gusi motage tamahi keru. Medurasiku mi tatematuri tamahu ni mo, naho, ito yuyusiku te, Rokudeu-no-win ni ha akarasama ni mo e watari tamaha zu.

 9 女三の宮の物語 懐妊と密通の露見 [9-1 女三の宮懐妊す]
姫宮は、あやしかりしことを思し嘆きしより、やがて例のさまにもおはせず、悩ましくしたまへど、おどろおどろしくはあらず、立ちぬる月より、物きこし召さで、いたく青みそこなはれたまふ。
かの人は、わりなく思ひあまる時々は、夢のやうに見たてまつりけれど、宮、尽きせずわりなきことに思したり。院をいみじく懼ぢきこえたまへる御心に、ありさまも人のほども、等しくだにやはある、いたくよしめきなまめきたれば、おほかたの人目にこそ、なべての人には優りてめでらるれ、幼くより、さるたぐひなき御ありさまに馴らひたまへる御心には、めざましくのみ見たまふほどに、かく悩みわたりたまふは、あはれなる御宿世にぞありける。
御乳母たち見たてまつりとがめて、院の渡らせたまふこともいとたまさかになるを、つぶやき恨みたてまつる。
かく悩みたまふと聞こし召してぞ渡りたまふ。女君は、暑くむつかしとて、御髪澄まして、すこしさはやかにもてなしたまへり。臥しながらうちやりたまへりしかば、とみにも乾かねど、つゆばかりうちふくみ、まよふ筋もなくて、いときよらにゆらゆらとして、青み衰へたまへるしも、色は真青に白くうつくしげに、透きたるやうに見ゆる御肌つきなど、世になくらうたげなり。もぬけたる虫の殻などのやうに、まだいとただよはしげにおはす。
年ごろ住みたまはで、すこし荒れたりつる院の内、たとしへなく狭げにさへ見ゆ。昨日今日かくものおぼえたまふ隙にて、心ことにつくろはれたる遣水、前栽の、うちつけに1730心地よげなるを見出だしたまひても、あはれに、今まで経にけるを思ほす。

 9 女三の宮の物語 懐妊と密通の露見 [9-1 女三の宮懐妊す]
姫宮は、わけの分からなかった出来事をお嘆きになって以来、そのまま普通のお具合ではいらっしゃらず、苦しそうにしておいでであったが、そうひどい状態でもなく、先月から、食べ物をお召し上がりにならず、ひどく蒼ざめてやつれていらっしゃる。
あの人は、無性に我慢ができない時々には、夢のようにお逢い申し上げたが、宮は、どこまでも無体なことだとお思いになっていた。院をひどくお恐がり申されるお気持ちから、態度も人品も、同等に見られようか、たいそう風流っぽく優美にしているので、一般の目には、普通の人以上に誉められるが、幼い時から、そのように類例のないご様子の方に馴れ親しんでいらっしゃるお心にとっては、心外な者とばかり見ていらっしゃるうちに、このようにずっとお悩みになることは、気の毒なご運命であった。
御乳母たちは懐妊の様子に気がついて、院がお越しになることも実にたまにでしかないのを、ぶつぶつお恨み申し上げる。
このようにお苦しみでいらっしゃるとお聞きになってお出かけになる。女君は、暑く苦しいと言って、御髪を洗って、少しさわやかにしていらっしゃった。横になりながら髪を投げ出していらっしゃったので、すぐには乾かないが、少しもふくらんだり、乱れたりした毛もなくて、実に清らかにゆらゆらとたっぷりあって、蒼く痩せていらっしゃるのが、かえって青白くかわいらしげに見え、透き透ったように見えるお肌つきなどは、又とないほど可憐な感じである。脱皮した虫の脱殻かのように、まだとても頼りない感じでいらっしゃる。
長年お住みにならなかったので、多少荒れていた院の内、喩えようもないくらい手狭な感じにさえ見える。昨日今日とこのように意識のおありの時に、特別に手入れをさせた遣水、前栽が、急にさわやかに感じられるのを御覧になっても、しみじみと、今まで過ごしてきたことをお思いになる。

 9 Tale of Omna-Sam-no-Miya A pregnancy and being found out of adultery [9-1 Omna-Sam-no-Miya pregnants with Kashiwagi's baby]
 Hime-Miya ha, ayasikari si koto wo obosi-nageki si yori, yagate rei no sama ni mo ohase zu, nayamasiku si tamahe do, odoro-odorosiku ha ara zu, tati nuru tuki yori, mono kikosimesa de, itaku awomi sokonaha re tamahu.
 Kano hito ha, warinaku omohi amaru toki-doki ha, yume no yau ni mi tatematuri kere do, Miya, tukise zu warinaki koto ni obosi tari. Win wo imiziku odi kikoye tamahe ru mi-kokoro ni, arisama mo hito no hodo mo, hitosiku dani ya ha aru, itaku yosimeki namemeki tare ba, ohokata no hitome ni koso, nabete no hito ni ha masari te mede rarure, wosanaku yori, saru taguhi naki mi-arisama ni narahi tamahe ru mi-kokoro ni ha, mezamasiku nomi mi tamahu hodo ni, kaku nayami watari tamahu ha, ahare naru ohom-sukuse ni zo ari keru.
 Ohom-menoto-tati mi tatematuri togame te, Win no watara se tamahu koto mo ito tamasaka ni naru wo, tubuyaki urami tatematuru.
 Kaku nayami tamahu to kikosimesi te zo watari tamahu. Womna-Gimi ha, atuku mutukasi tote, mi-gusi sumasi te, sukosi sahayaka ni motenasi tamahe ri. Husi nagara uti-yari tamahe ri sika ba, tomi ni mo kahaka ne do, tuyu bakari uti-hukumi, mayohu sudi mo naku te, ito kiyora ni yura-yura to si te, awomi otorohe tamahe ru si mo, iro ha sa-wo ni siroku utukusige ni, suki taru yau ni miyuru ohom-hada-tuki nado, yo ni naku rautage nari. Monuke taru musi no kara nado no yau ni, mada ito tadayohasige ni ohasu.
 Tosi-goro sumi tamaha de, sukosi are tari turu Win no uti, tatosihe naku semage ni sahe miyu. Kinohu kehu kaku mono oboye tamahu hima ni te, kokoro koto ni tukuroha re taru yarimidu, sensai no, utituke ni kokoti yoge naru wo mi-idasi tamahi te mo, ahare ni, ima made he ni keru wo omohosu.

 [9-2 源氏、紫の上と和歌を唱和す]
池はいと涼しげにて、蓮の花の咲きわたれるに、葉はいと青やかにて、露きらきらと玉のやうに見えわたるを、
「かれ見たまへ。おのれ一人も涼しげなるかな」
とのたまふに、起き上がりて見出だしたまへるも、いとめづらしければ、
「かくて見たてまつるこそ、夢の心地すれ。いみじく、わが身さへ限りとおぼゆる折々のありしはや」
と、涙を浮けてのたまへば、みづからもあはれに思して、
「消え止まるほどやは経べきたまさかに
蓮の露のかかるばかりを」
とのたまふ。
「契り置かむこの世ならでも蓮葉に
玉ゐる露の心隔つな」
 出でたまふ1731方ざまはもの憂けれど、内裏にも院にも、聞こし召さむところあり、悩みたまふと聞きてもほど経ぬるを、目に近きに心を惑はしつるほど、見たてまつることもをさをさなかりつるに、かかる雲間にさへやは絶え籠もらむと、思し立ちて、渡りたまひぬ。

 [9-2 源氏、紫の上と和歌を唱和す]
池はとても涼しそうで、蓮の花が一面に咲いているところに、葉はとても青々として、露がきらきらと玉のように一面に見えるのを、
「あれを御覧なさい。自分ひとりだけ涼しそうにしているね」
とおっしゃると、起き上がって外を御覧になるのも、実に珍しいことなので、
「このように拝見するのさえ、夢のような気がします。ひどく、自分自身までが終わりかと思われた時がありましたよ」
と涙を浮かべておっしゃると、自分自身でも胸がいっぱいになって、
「露が消え残っている間だけでも生きられましょうか
たまたま蓮の露がこうしてあるほどの命ですから」
とおっしゃる。
「お約束して置きましょう、この世ばかりでなく来世に蓮の葉の上に
玉と置く露のようにいささかも心の隔てを置きなさいますな」
お出かけになる先は億劫であるが、帝におかれても院おかれても、お耳にあそばすこともあるので、ご病気と聞いてしばらくたっているので、目の前の病人に心を混乱させていた間、お目にかかることもほとんどなかったので、このような雲の晴れ間にまで引き籠もっていては、とお思い立ちになって、お出かけになった。

 [9-2 Genji and Murasaki exchange waka each other]
 Ike ha ito suzusige ni te, hatisu no hana no saki watare ru ni, ha ha ito awoyaka ni te, tuyu kira-kira to tama no yau ni miye watare ru wo,
 "Kare mi tamahe. Onore hitori mo suzusige naru kana!"
 to notamahu ni, okiagari te mi-idasi tamahe ru mo, ito medurasikere ba,
 "Kaku te mi tatematuru koso, yume no kokoti sure. Imiziku, waga mi sahe kagiri to oboyuru wori-wori no ari si ha ya!"
 to, namida wo uke te notamahe ba, midukara mo ahare ni obosi te,
 "Kiye tomaru hodo ya ha hu beki tamasaka ni
 hatisu no tuyu no kakaru bakari wo
"
 to notamahu.
 "Tigiri-oka m kono-yo nara de mo hatisu ba ni
 tama wiru tuyu no kokoro hedatu na
"
 Ide tamahu kata zama ha mono-ukere do, Uti ni mo Win ni mo, kikosimesa m tokoro ari, nayami tamahu to kiki te mo hodo he nuru wo, me ni tikaki ni kokoro wo madohasi turu hodo, mi tatematuru koto mo wosa-wosa nakari turu ni, kakaru kumo-ma ni sahe ya ha taye komora m to, obosi-tati te, watari tamahi nu.

 [9-3 源氏、女三の宮を見舞う]
宮は、御心の鬼に、見えたてまつらむも恥づかしう、つつましく思すに、物など聞こえたまふ御いらへも、聞こえたまはねば、日ごろの積もりを、さすがにさりげなくてつらしと思しけると、心苦しければ、とかくこしらへきこえたまふ。大人びたる人召して、御心地のさまなど問ひたまふ。
「例のさまならぬ御心地になむ」
と、わづらひたまふ御ありさま1732を聞こゆ。
「あやしく。ほど経てめづらしき御ことにも」
とばかりのたまひて、御心のうちには、
「年ごろ経ぬる人々だにもさることなきを、不定なる御事にもや」
と思せば、ことにともかくものたまひあへしらひたまはで、ただ、うち悩みたまへるさまのいとらうたげなるを、あはれと見たてまつりたまふ。
からうして思し立ちて渡りたまひしかば、ふともえ帰りたまはで、二、三日おはするほど、「いかに、いかに」とうしろめたく思さるれば、御文をのみ書き尽くしたまふ。
「いつの間に積もる御言の葉にかあらむ。いでや、やすからぬ世をも見るかな」
と、若君の御過ちを知らぬ人は言ふ。侍従ぞ、かかるにつけても胸うち騷ぎける。
かの人も、かく渡りたまへりと聞くに、おはけなく心誤りして、いみじきことどもを書き続けて、おこせたまへり。対にあからさまに渡りたまへるほどに、人間なりければ、忍びて見せたてまつる。
「むつかしきもの見するこそ、いと心憂けれ。心地のいとど悪しきに」
とて臥したまへれば、
「なほ、ただ、この端書きの、いとほしげにはべるぞや」
とて広げたれば、人の参るに、いと苦しくて、御几帳引き寄せて去りぬ。
いとど胸つぶるるに、院入りたまへば、えよくも隠したまはで、御茵の下にさし挟みたまひつ。

 [9-3 源氏、女三の宮を見舞う]
宮は、良心の呵責に苛まれて、お会いするのも恥ずかしく、気が引けてお思いになると、何かおっしゃるお言葉にも、お返事申し上げなさらないので、長い間会わずにいたことを、そうと言わないけれど辛くお思いになっているのだと、お気の毒なので、あれやこれやとお慰めになる。年輩の女房を召して、ご気分の様子などをお尋ねになる。
「普通のお身体ではいらっしゃいません」
と、ご気分のすぐれないご様子を申し上げる。
「妙だな。今ごろになってご妊娠だとは」
とだけおっしゃって、ご心中には、「長年連れ添った妻たちでさえそのようなことはなかったのに、不確かなことなので、どうなのか」
とお思いなさるので、特にあれこれとおっしゃらずに、ただ、お苦しみでいらっしゃる様子がとても痛々しげなのを、いたわしく拝見なさる。
やっとのことでお思い立ちになってお越しになったので、すぐにはお帰りになることはできず、二、三日いらっしゃる間、「どうしているだろうか、どうしているだろうか」と気がかりにお思いになるので、お手紙ばかりをこまごまとお書きになる。
「いつの間にたくさんお言葉が溜るのでしょう。まあ、何と、心配でならないこと」
と、若君の御過ちを知らない女房は言う。侍従だけは、このようなことにつけても胸騷ぎがするのであった。
あの人も、このようにお越しになっていると聞くと、大それた考え違いを起こして、大層な訴え事を書き綴っておよこしになった。対の屋にちょっとお渡りになっている間に、人少なであったので、こっそりとお見せ申し上げる。
「厄介な物を見せるのは、とても辛いわ。気分がますます悪くなりますから」
と言ってお臥せになっているので、
「でも、ただ、このはしがきが、お気の毒な気がいたしますよ」
と言って、広げたところへ誰か参ったので、まこと困って、御几帳を引き寄せて出て行った。
ますます胸がどきどきしているところに、院がお入りになったので、上手にお隠しになることもできず、御褥の下にさし挟みなさった。

 [9-3 Genji visits Omna-Sam-no-Miya's pregnancy]
 Miya ha, mi-kokoro no oni ni, miye tatematura m mo hadukasiu, tutumasiku obosu ni, mono nado kikoye tamahu ohom-irahe mo, kikoye tamaha ne ba, hi-goro no tumori wo, sasuga ni sarigenaku te turasi to obosi keru to, kokoro-gurusikere ba, tokaku kosirahe kikoye tamahu. Otonabi taru hito mesi te, mi-kokoti no sama nado tohi tamahu.
 "Rei no sama nara nu mi-kokoti ni nam."
 to, wadurahi tamahu mi-arisama wo kikoyu.
 "Ayasiku. Hodo he te medurasiki ohom-koto ni mo."
 to bakari notamahi te, mi-kokoro no uti ni ha,
 "Tosi-goro he nuru hito-bito dani mo saru koto naki wo, hudyau naru ohom-koto ni mo ya."
 to obose ba, koto ni tomo-kaku mo notamahi ahe sirahi tamaha de, tada, uti nayami tamahe ru sama no ito rautage naru wo, ahare to mi tatematuri tamahu.
 Karausite obosi-tati te watari tamahi sika ba, huto mo e kaheri tamaha de, ni, sam niti ohasuru hodo, "Ika ni, ika ni?" to usirometaku obosa rure ba, ohom-humi wo nomi kaki-tukusi tamahu.
 "Itu no ma ni tumoru ohom-kotonoha ni ka ara m? Ide ya, yasukara nu yo wo mo miru kana!"
 to, Waka-Gimi no ohom-ayamati wo sira nu hito ha ihu. Ziziu zo, kakaru ni tuke te mo mune uti-sawagi keru.
 Kano-Hito mo, kaku watari tamahe ri to kiku ni, ohokenaku kokoro-ayamari si te, imiziki koto-domo wo kaki tuduke te, okose tamahe ri. Tai ni akarasama ni watari tamahe ru hodo ni, hitoma nari kere ba, sinobi te mise tatematuru.
 "Mutukasiki mono misuru koso, ito kokoro-ukere. Kokoti no itodo asiki ni."
 tote husi tamahe re ba,
 "Naho, tada, kono hasigaki no, itohosige ni haberu zo ya!"
 tote hiroge tare ba, hito no mawiru ni, ito kurusiku te, mi-kityau hiki-yose te sari nu.
 Itodo mune tubururu ni, Win iri tamahe ba, e yoku mo kakusi tamaha de, ohom-sitone no sita ni sasi-hasami tamahi tu.

 [9-4 源氏、女三の宮と和歌を唱和す]
夜さりつ方、二条の院へ渡りたまはむとて、御暇聞こえたまふ。
「ここには、けしうはあらず見えたまふを、まだいとただよはしげなりしを、見捨てたるやうに思はるるも、今さらにいとほしくてなむ。ひがひがしく聞こえなす人ありとも、ゆめ心置きたまふな。今見直したまひてむ」
と語ひたまふ。例は、なまいはけなき戯れ言なども、うちとけ聞こえたまふを、いたくしめりて、さやかにも見合はせたてまつりたまはぬを、ただ世の恨めしき御けしきと心得たまふ。
昼の御座にうち臥したまひて、御物語など聞こえたまふほどに暮れにけり。すこし大殿籠もり入りにけるに、ひぐらしのはなやかに鳴くにおどろきたまひて、
「さらば、道たどたどしからぬ1733ほどに」
とて、御衣などたてまつり直す。
「月待ちて、とも言ふなるものを」
と、いと若やかなるさましてのたまふは、憎からずかし。「その間にも、とや思す」と、心苦しげに思して、立ち止まりたまふ。
「夕露に袖濡らせとやひぐらしの
鳴くを聞く聞く起きて行くらむ」
片なりなる御心にまかせて言ひ出でたまへるもらうたければ、ついゐて、
「あな、苦しや」
と、うち嘆きたまふ。
「待つ里もいかが聞くらむ方がたに
心騒がすひぐらしの声」
など思しやすらひて、なほ情けなからむも心苦しければ、止まりたまひぬ。静心なく、さすがに眺められたまひて、御くだものばかり参りなどして、大殿籠もりぬ。

 [9-4 源氏、女三の宮と和歌を唱和す]
夜になってから、二条院にお帰りになろうとして、ご挨拶を申し上げなさる。
「こちらには、お具合は悪くないようにお見えですが、まだとても頼りなさそうなのを、放って置くように思われますのも、今さらお気の毒なので。悪く申す者がありましても、決してお気になさいますな。やがてきっとお分かりになりましょう」
とお慰めになる。いつもは、子供っぽい冗談事などを、気楽に申し上げなさるのだが、ひどく沈み込んで、ちゃんと目をお合わせ申すこともなさらないのを、ただ側にいないのを恨んでいらっしゃるのだとお思いなさる。
昼の御座所に横におなりになって、お話など申し上げているうちに日が暮れてしまった。少しお寝入りになってしまったが、ひぐらしが派手に鳴いたのに目をお覚ましになって、
「それでは、道が暗くならない間に」
と言って、お召し物などをお召し替えになる。
「月を待って、と言うそうですから」
と、若々しい様子でおっしゃるのはとてもいじらしい。「その間でも、とお思いなのだろうか」と、いじらしくお思いになって、お立ち止まりになる。
「夕露に袖を濡らせというつもりで、ひぐらしが鳴くのを
聞きながら起きて行かれるのでしょうか」
子供のようなあどけないままにおっしゃったのもかわいらしいので、膝をついて、
「ああ、困りましたこと」
と、溜息をおつきになる。
「わたしを待っているほうでもどのように聞いているでしょうか
それぞれに心を騒がすひぐらしの声ですね」
などとご躊躇なさって、やはり無情に帰るのもお気の毒なので、お泊まりになった。心は落ち着かず、そうは言っても物思いにお耽りになって、果物類だけを召し上がりなどなさって、お寝みになった。

 [9-4 Genji and Omna-Sam-no-Miya exchange waka each other]
 Yo-sari tu kata, Nideu-no-win he watari tamaha m tote, ohom-itoma kikoye tamahu.
 "Koko ni ha, kesiu ha ara zu miye tamahu wo, mada ito tadayohasige nari si wo, mi-sute taru yau ni omoha ruru mo, imasara ni itohosiku te nam. Higa-higasiku kikoye-nasu hito ari to mo, yume kokoro oki tamahu na. Ima mi-nahosi tamahi te m."
 to katarahi tamahu. Rei ha, nama ihake naki tahabure-goto nado mo, utitoke kikoye tamahu wo, itaku simeri te, sayaka ni mo mi-ahase tatematuri tamaha nu wo, tada yo no uramesiki mi-kesiki to kokoro-e tamahu.
 Hiru no o-masi ni uti-husi tamahi te, ohom-monogatari nado kikoye tamahu hodo ni kure ni keri. Sukosi ohotono-gomori iri ni keru ni, higurasi no hanayaka ni naku ni odoroki tamahi te,
 "Sara ba, miti tado-tadosikara nu hodo ni."
 tote, mi-zo nado tatematuri nahosu.
 "Tuki mati te, to ihu naru mono wo."
 to, ito wakyaka naru sama si te notamahu ha, nikukara zu kasi. "Sono ma ni mo, to ya obosu?" to, kokoro-kurusige ni obosi te, tati-tomari tamahu.
 "Yuhu tuyu ni sode nura se to ya higurasi no
 naku wo kiku kiku oki te yuku ram
"
 Katanari naru mi-kokoro ni makase te ihi-ide tamahe ru mo rautakere ba, tui-wi te,
 "Ana, kurusi ya!"
 to, uti nageki tamahu.
 "Matu sato mo ikaga kiku ram kata-gata ni
 kokoro sawagasu higurasi no kowe

 nado obosi yasurahi te, naho nasake nakara m mo kokoro-kurusikere ba, tomari tamahi nu. Sidu-kokoro naku, sasuga ni nagame rare tamahi te, ohom-kudamono bakari mawiri nado si te, ohotono-gomori nu.

 [9-5 源氏、柏木の手紙を発見]
まだ朝涼みのほどに渡りたまはむとて、とく起きたまふ。
「昨夜のかはほりを落として、これは風ぬるくこそありけれ」
とて、御扇置きたまひて、昨日うたた寝したまへりし御座のあたりを、立ち止まりて見たまふに、御茵のすこしまよひたるつまより、浅緑の薄様なる文の、押し巻きたる端見ゆるを、何心もなく引き出でて御覧ずるに、男の手なり。紙の香などいと艶に、ことさらめきたる書きざまなり。二重ねにこまごまと書きたるを見たまふに、「紛るべき方なく、その人の手なりけり」と見たまひつ。
御鏡など開けて参らする人は、見たまふ文にこそはと、心も知らぬに、小侍従見つけて、昨日の文の色と見るに、いといみじく、胸つぶつぶと鳴る心地す。御粥など参る方に目も見やらず、
「いで、さりとも、それにはあらじ。いといみじく、さることはありなむや。隠いたまひてけむ」
と思ひなす。
宮は、何心もなく、まだ大殿籠もれり。
「あな、いはけな。かかる物を散らしたまひて。我ならぬ人も見つけたらましかば」
と思すも、心劣りして、
「さればよ。いとむげに心にくきところなき御ありさまを、うしろめたしとは見るかし」
と思す。

 [9-5 源氏、柏木の手紙を発見]
まだ朝の涼しいうちにお帰りになろうとして、早くお起きになる。
「昨夜の扇を落として。これでは風がなま温いな」
と言って、御桧扇をお置きになって、昨日うたた寝なさった御座所の近辺を、立ち止まってお探しになると、御褥の少し乱れている端から、浅緑の薄様の手紙で、押し巻いてある端が見えるのを、何気なく引き出して御覧になると、男性の筆跡である。紙の香りなどはとても優美で、気取った書きぶりである。二枚にこまごまと書いてあるのを御覧になると、「紛れようもなく、あの人の筆跡である」と御覧になった。
お鏡の蓋を開けて差し上げる女房は、やはり殿が御覧になるはずの手紙であろうと、事情を知らないが、小侍従はそれを見つけて、昨日の手紙と同じ色と見ると、まことにたいそう、胸がどきどき鳴る心地がする。お粥などを差し上げる方には見向きもせず、
「いいえ、いくら何でも、それはあるまい。本当に大変で、そのようなことがあろうか。きっとお隠しになったことだろう」
としいて思い込む。
宮は、無心にまだお寝みになっていらっしゃった。
「何と、幼いのだろう。このような物をお散らかしになって。自分以外の人が見つけたら」
とお思いになるにつけても、見下される思いがして、
「やはりそうであったか。本当に奥ゆかしいところがないご様子を、不安であると思っていたのだ」
とお思いになる。

 [9-5 Genji finds a letter from Kashiwagi to Omna-Sam-no-Miya]
 Mada asa-suzumi no hodo ni watari tamaha m tote, toku oki tamahu.
 "Yobe no kahahori wo otosi te, kore ha kaze nuruku koso ari kere."
 tote, ohom-ahugi oki tamahi te, kinohu utatane si tamahe ri si o-masi no atari wo, tati-tomari te mi tamahu ni, ohom-sitone no sukosi mayohi taru tuma yori, asa-midori no usuyau naru humi no, osi-maki taru hasi miyuru wo, nani-gokoro mo naku hiki-ide te go-ran-zuru ni, wotoko no te nari. Kami no ka nado ito en ni, kotosara meki taru kaki-zama nari. Huta-kasane ni koma-goma to kaki taru wo mi tamahu ni, "Magiru beki kata naku, sono hito no te nari keri!" to mi tamahi tu.
 Ohom-kagami nado ake te mawira suru hito ha, mi tamahu humi ni koso ha to, kokoro mo sira nu ni, Ko-Ziziu mituke te, kinohu no humi no iro to miru ni, ito imiziku, mune tubu-tubu to naru kokoti su. Ohom-kayu nado mawiru kata ni me mo mi-yara zu,
 "Ide, sari to mo, sore ni ha ara zi. Ito imiziku, saru koto ha ari na m ya? Kakui tamahi te kem."
 to omohi-nasu.
 Miya ha, nani-gokoro mo naku, mada ohotono-gomore ri.
 "Ana, ihake na! Kakaru mono wo tirasi tamahi te. Ware nara nu hito mo mituke tara masika ba."
 to obosu mo, kokoro-otori si te,
 "Sare ba yo. Ito muge ni kokoro-nikuki tokoro naki mi-arisama wo, usirometasi to ha miru kasi."
 to obosu.

 [9-6 小侍従、女三の宮を責める]
出でたまひぬれば、人々すこしあかれぬるに、侍従寄りて、
「昨日の物は、いかがせさせたまひてし。今朝、院の御覧じつる文の色こそ、似てはべりつれ」
と聞こゆれば、あさましと思して、涙のただ出で来に出で来れば、いとほしきものから、「いふかひなの御さまや」と見たてまつる。
「いづくにかは、置かせたまひてし。人々の参りしに、ことあり顔に近くさぶらはじと、さばかりの忌みをだに、心の鬼に避り1734はべしを。入らせたまひしほどは、すこしほど経はべりにしを、隠させたまひつらむとなむ、思うたまへし」
と聞こゆれば、
「いさ、とよ。見しほどに入りたまひしかば、ふともえ置きあへで1735、さし挟みしを、忘れにけり」
とのたまふに、いと聞こえむかたなし。寄りて見れば、いづくのかはあらむ。
「あな、いみじ。かの君も、いといたく懼ぢ憚りて、けしきにても漏り聞かせたまふことあらばと、かしこまりきこえたまひしものを。ほどだに経ず、かかることの出でまうで来るよ。すべて、いはけなき御ありさまにて、人にも見えさせたまひければ、年ごろさばかり忘れがたく、恨み言ひわたりたまひしかど、かくまで思うたまへし御ことかは。誰が御ためにも、いとほしくはべるべきこと」
と、憚りもなく聞こゆ。心やすく若くおはすれば、馴れきこえたるなめり。いらへもしたまはで、ただ泣きにのみぞ泣きたまふ。いと悩ましげにて、つゆばかりの物もきこしめさねば、
「かく悩ましくせさせたまふを、見おきたてまつりたまひて、今はおこたり果てたまひにたる御扱ひに、心を入れたまへること」
と、つらく思ひ言ふ。

 [9-6 小侍従、女三の宮を責める]
お帰りになったので、女房たちが少しばらばらになったので、侍従がお側に寄って、
「昨日のお手紙は、どのようにあそばしましましたか。今朝、院が御覧になっていた手紙の色が、似ておりましたが」
と申し上げると、意外なことと驚きなさって、涙が止めどもなく出て来るので、お気の毒に思う一方で、「何とも言いようのない方だ」と拝し上げる。
「どこに、お置きあそばしましたか。女房たちが参ったので、子細ありげに近くに控えておりまいと、ちょっとしたぐらいの用心でさえ、気が咎めますので慎重にしておりましたのに。お入りあそばしました時には、少し間がございましたが、お隠しあそばただろうと、存じておりました」
と申し上げると、
「いいえ、それがね。見ていた時にお入りになったので、すぐに起き上がることもできないで、褥に差し挟んで置いたのを、忘れてしまったの」
とおっしゃるので、何ともまったく申し上げる言葉もない。近寄って探すが、どこにもあろうはずがない。
「まあ、大変。かの君も、とてもひどく恐れ憚って、素振りにもお聞かせ申されるようなことがあったら大変と、恐縮申していられたものを。まだいくらもたたないのに、もうこのような事になってしまってよ。全体、子供っぽいご様子でいらして、人にお姿をお見せあそばしたので、長年あれほどまで忘れることができず、ずっと恨み言を言い続けていらっしゃったが、こうまでなるとは存じませんでした事ですわ。どちら様のためにも、お気の毒な事でございますわ」
と、遠慮もなく申し上げる。気安く子供っぽくいらっしゃるので、ずけずけと申し上げたのであろう。お答えもなさらず、ただ泣いてばかりいらっしゃる。とても苦しそうで、まったく何もお召し上がりにならないので、
「このようにお苦しみでいらっしゃるのを、放っていらっしゃって、今はもうすっかりお治りになったお方のお世話に、熱心でいらっしゃること」
と、薄情に思って言う。

 [9-6 Ko-Ziju blames omna-Sam-no-Miya who lost the letter]
 Ide tamahi nure ba, hito-bito sukosi akare nuru ni, Ziziu yori te,
 "Kinohu no mono ha, ikaga se sase tamahi te si? Kesa, Win no go-ran-zi turu humi no iro koso, ni te haberi ture."
 to kikoyure ba, asamasi to obosi te, namida no tada ide ki ni ide kure ba, itohosiki mono kara, "Ihu kahi na no ohom sama ya!" to mi tatematuru.
 "Iduku ni ka ha, oka se tamahi te si? Hito-bito no mawiri si ni, koto-ari-gaho ni tikaku saburaha zi to, sabakari no imi wo dani, kokoro no oni ni sari haberi si wo. Ira se tamahi si hodo ha sukosi hodo he haberi ni si wo, kakusa se tamahi tura m to nam, omou tamahe si."
 to kikoyure ba,
 "Isa, to yo. Mi si hodo ni iri tamahi sika ba, huto mo e oki ahe de, sasi-hasami si wo, wasure ni keri."
 to notamahu ni, ito kikoye m kata nasi. Yori te mire ba, iduku no ka ha ara m?
 "Ana, imizi! Kano Kimi mo, ito itaku odi habakari te, kesiki ni te mo mori kika se tamahu koto ara ba to, kasikomari kikoye tamahi si mono wo. Hodo dani he zu, kakaru koto no ide maude kuru yo! Subete, ihakenaki ohom-arisama ni te, hito ni mo miye sase tamahi kere ba, tosi-goro sa bakari wasure gataku, urami ihi watari tamahi sika do, kaku made omou tamahe si ohom-koto ka ha! Taga ohom-tame ni mo, itohosiku haberu beki koto."
 to, habakari mo naku kikoyu. Kokoro-yasuku wakaku ohasure ba, nare kikoye taru na'meri. Irahe mo si tamaha de, tada naki ni nomi zo naki tamahu. Ito nayamasige ni te, tuyu bakari no mono mo kikosimesa ne ba,
 "Kaku nayamasiku se sase tamahu wo, mi oki tatematuri tamahi te, ima ha okotari-hate tamahi ni taru ohom-atukahi ni, kokoro wo ire tamahe ru koto."
 to, turaku omohi ihu.

 [9-7 源氏、手紙を読み返す]
大殿は、この文のなほあやしく思さるれば、人見ぬ方にて、うち返しつつ見たまふ。「さぶらふ人々の中に、かの中納言の手に似たる手して書きたるか」とまで思し寄れど、言葉づかひきらきらと、まがふべくもあらぬことどもあり。
「年を経て思ひわたりけることの、たまさかに本意かなひ1736て、心やすからぬ筋を書き尽くしたる言葉、いと見所ありてあはれなれど、いとかくさやかには1737書くべしや。あたら人の、文をこそ思ひやりなく書きけれ。落ち散ることもこそと思ひしかば、昔、かやうにこまかなるべき折ふしにも、ことそぎつつこそ書き紛らはししか。人の深き用意は難きわざなりけり」
と、かの人の心をさへ見落としたまひつ。

 [9-7 源氏、手紙を読み返す]
大殿は、この手紙をやはり不審に思わずにはいらっしゃれないので、人の見ていない方で、繰り返し御覧になる。「伺候している女房の中で、あの中納言の筆跡に似た書き方で書いたのだろうか」とまでお考えになったが、言葉遣いがはっきりしていて、本人に間違いないことがいろいろと書いてある。
「長年慕い続けてきたことが、偶然に念願が叶って、心にかかってならないといった事を書き尽くした言葉は、まことに見所があって感心するが、本当に、こんなにまではっきりと書いてよいものだろうか。惜しいことに、あれほどの人が、思慮もなく手紙を書いたものだ。人目に触れることがあってはいけないと思ったので、昔、このようにこまごまと書きたい時も、言葉を簡略に簡略にして書き紛らわしたものだ。人が用心するということは難しいことなのだ」
と、その人の心までお見下しなさった。

 [9-7 Genji reads the letter repeatedly]
 Otodo ha, kono humi no naho ayasiku obosa rure ba, hito mi nu kata ni te, uti kahesi tutu mi tamahu. "Saburahu hito-bito no naka ni, kano Tiunagon no te ni ni taru te si te kaki taru ka?" to made obosi-yore do, kotoba-dukahi kira-kira to, magahu beku mo ara nu koto-domo ari.
 "Tosi wo he te omohi watari keru koto no, tamasaka ni ho'i kanahi te, kokoro-yasukara nu sudi wo kaki-tukusi taru kotoba, ito mi-dokoro ari te ahare nare do, ito kaku sayaka ni ha kaku besi ya! Atara hito no, humi wo koso omohi-yari naku kaki kere. Oti tiru koto mo koso to omohi sika ba, mukasi, kayau ni komaka naru beki wori husi ni mo, kotosogi tutu koso kaki magirahasi sika. Hito no hukaki youi ha, kataki waza nari keri."
 to, kano Hito no kokoro wo sahe mi-otosi tamahi tu.

 [9-8 源氏、妻の密通を思う]
「さても、この人をばいかがもてなしきこゆべき。めづらしきさまの御心地も、かかることの紛れにてなりけり。いで、あな、心憂や。かく、人伝てならず憂きことを知るしる、ありし1738ながら見たてまつらむよ」
と、わが御心ながらも、え思ひなほすまじくおぼゆるを、
「なほざりのすさびと、初めより心をとどめぬ人だに、また異ざまの心分くらむと思ふは、心づきなく思ひ隔てらるるを、ましてこれは、さま異に、おほけなき人の心にもありけるかな。
帝の御妻をも過つたぐひ、昔もありけれど、それはまたいふ方異なり。宮仕へといひて、我も人も同じ君に馴れ仕うまつるほどに、おのづから、さるべき方につけても、心を交はしそめ、もののまぎれ多かりぬべきわざなり。
女御、更衣といへど、とある筋かかる方につけて、かたほなる人もあり、心ばせかならず重からぬうち混じりて、思はずなることもあれど、おぼろけの定かなる過ち見えぬほどは、さても交じらふやうもあらむに、ふとしもあらはならぬ紛れありぬべし。
かくばかり、またなきさまにもてなしきこえて、うちうちの心ざし引く方よりも、いつくしくかたじけなきものに思ひはぐくまむ人をおきて、かかることは、さらにたぐひあらじ」
と、爪弾きせられたまふ。
「帝と聞こゆれど、ただ素直に、公ざまの心ばへばかりにて、宮仕へのほどもものすさまじきに、心ざし深き私のねぎ言になびき1739、おのがじしあはれを尽くし、見過ぐしがたき折のいらへをも言ひそめ、自然に心通ひそむらむ仲らひは、同じけしからぬ筋なれど、寄る方ありや。わが身ながらも、さばかりの人に心分けたまふべくはおぼえぬものを」
と、いと心づきなけれど、また「けしきに出だすべきことにもあらず」など、思し乱るるにつけて、
「故院の上も、かく御心には知ろし召してや、知らず顔を作らせたまひけむ。思へば、その世のことこそは、いと恐ろしく、あるまじき過ちなりけれ」
と、近き例を思すにぞ、恋の山路1740は、えもどくまじき御心まじりける。

 [9-8 源氏、妻の密通を思う]
「それにしても、この宮をどのようにお扱いしたら良いものだろうか。おめでたいことのご懐妊も、このようなことのせいだったのだ。ああ、何と、厭わしいことだ。このような、目の当たりに嫌な事を知りながら、今までどおりにお世話申し上げるのだろうか」
と、自分のお心ながらも、とても思い直すことはできないとお思いになるが、
「浮気の遊び事としても、初めから熱心でない女でさえ、また別の男に心を分けていると思うのは、気にくわなく疎んじられてしまうものなのに、ましてこの宮は、特別な方で、大それた男の考えであることよ。
帝のお妃と過ちを生じる例は、昔もあったが、それはまた事情が違うのだ。宮仕えと言って、自分も相手も同じ主君に親しくお仕えするうちに、自然と、そのような方面で、好意を持ち合うようになって、みそか事も多くなるというものだ。
女御、更衣と言っても、あれこれいろいろあって、どうかと思われる人もおり、嗜みが必ずしも深いとは言えない人も混じっていて、意外なことも起こるが、重大な確かな過ちと分からないうちは、そのままで宮仕えを続けて行くようなこともあるから、すぐには分からない過ちもきっとあることだろう。
このように、又となく大事にお扱い申し上げて、内心愛情を寄せている人よりも、大切な恐れ多い方と思ってお世話しているような自分をさしおいて、このような事を起こすとは、まったく例がない」
と、つい非難せずにはいらっしゃれない。
「帝とは申し上げても、ただ素直に、お仕えするだけでは面白くもないので、深い私的な思いを訴えかける言葉に引かれて、お互いに愛情を傾け尽くし、放って置けない折節の返事をするようになり、自然と心が通い合うようになった間柄は、同様に良くない事柄だが、まだ理由があろうか。自分自身の事ながら、あの程度の男に宮が心をお分けにならねばならないとは思われないのだが」
と、まことに不愉快ではあるが、また「顔色に出すべきことではない」などと、ご煩悶なさるにつけても、
「故院の上も、このように御心中には御存知でいらして、知らない顔をあそばしていられたのだろうか。それを思うと、その当時のことは、本当に恐ろしく、あってはならない過失であったのだ」
と、身近な例をお思いになると、恋の山路は、非難できないというお気持ちもなさるのであった。

 [9-8 Genji understands his wife's adultery]
 "Sate mo, kono hito wo ba ikaga motenasi kikoyu beki? Medurasiki sama no mi-kokoti mo, kakaru koto no magire ni te nari keri. Ide, ana, kokoro-u ya! Kaku, hito-dute nara zu uki koto wo siru siru, ari si nagara mi tatematura m yo!"
 to, waga mi-kokoro nagara mo, e omohi nahosu maziku oboyuru wo,
 "Nahozari no susabi to, hazime yori kokoro wo todome nu hito dani, mada koto-zama no kokoro waku ram to omohu ha, kokoro-duki-naku omohi hedate raruru wo, masite kore ha, sama koto ni, ohokenaki hito no kokoro ni mo ari keru kana!
 Mikado no mi-me wo mo ayamatu taguhi, mukasi mo ari kere do, sore ha mata ihu kata koto nari. Miya-dukahe to ihi te, ware mo hito mo onazi Kimi ni nare tukau-maturu hodo ni, onodukara, saru beki kata ni tuke te mo, kokoro wo kahasi-some, mono no magire ohokari nu beki waza nari.
 Nyougo, Kaui to ihe do, to aru sudi kakaru kata ni tuke te, kataho naru hito mo ari, kokorobase kanarazu omokara nu uti-maziri te, omoha zu naru koto mo are do, oboroke no sadaka naru ayamati miye nu hodo ha, sate mo mazirahu yau mo ara m ni, huto si mo araha nara nu magire ari nu besi.
 Kaku bakari, mata naki sama ni motenasi kikoye te, uti-uti no kokorozasi hiku kata yori mo, itukusiku katazikenaki mono ni omohi hagukuma m hito wo oki te, kakaru koto ha, sarani taguhi ara zi."
 to, tuma-haziki se rare tamahu.
 "Mikado to kikoyure do, tada sunaho ni, ohoyake-zama no kokorobahe bakari ni te, miya-dukahe no hodo mo mono-susamaziki ni, kokorozasi hukaki watakusi no negi-goto ni nabiki, onogazisi ahare wo tukusi, mi-sugusi gataki wori no irahe wo mo ihi-some, zinen ni kokoro kayohi somu ram nakarahi ha, onazi kesikara nu sudi nare do, yoru kata ari ya? Waga mi nagara mo, sabakari no hito ni kokoro wake tamahu beku ha oboye nu mono wo!"
 to, ito kokoro-dukinakere do, mata "Kesiki ni idasu beki koto ni mo ara zu." nado, obosi midaruru ni tuke te,
 "Ko-Win-no-Uhe mo, kaku mi-kokoro ni ha sirosimesi te ya, sira zu gaho wo tukura se tamahi kem. Omohe ba, sono yo no koto koso ha, ito osorosiku, aru-maziki ayamati nari kere."
 to, tikaki tamesi wo obosu ni zo, kohi no yamadi ha, e modoku maziki mi-kokoro maziri keru.

 10 光る源氏の物語 密通露見後 [10-1 紫の上、女三の宮を気づかう]
つれなしづくりたまへど、もの思し乱るるさまのしるければ、女君、消え残りたるいとほしみに渡りたまひて、「人やりならず、心苦しう思ひやりきこえたまふにや」と思して、
「心地はよろしくなりにてはべるを、かの宮の悩ましげにおはすらむに、とく渡りたまひにしこそ、いとほしけれ」
と聞こえたまへば、
「さかし。例ならず見えたまひしかど、異なる心地にもおはせねば、おのづから心のどかに思ひてなむ。内裏よりは、たびたび御使ありけり。今日も御文ありつとか。院の、いとやむごとなく聞こえつけたまへれば、上もかく思したるなるべし。すこしおろかになどもあらむは、こなたかなた思さむことの、いとほしきぞや」
とて、うめきたまへば、
「内裏の聞こし召さむよりも、みづから恨めしと思ひきこえたまはむこそ、心苦しからめ。我は思し咎めずとも、よからぬさまに聞こえなす人々、かならずあらむと思へば、いと苦しくなむ」
などのたまへば、
「げに、あながちに思ふ人のためには、わづらはしきよすがなけれど、よろづにたどり深きこと、とやかくや1741と、おほよそ人の思はむ心さへ思ひめぐらさるるを、これはただ、国王の御心やおきたまはむとばかりを憚らむは、浅き心地ぞしける」
と、ほほ笑みてのたまひ紛らはす。渡りたまはむことは、
「もろともに帰りてを。心のどかにあらむ」
とのみ聞こえたまふを、
「ここには、しばし心やすくてはべらむ。まづ渡りたまひて、人の御心も慰みなむほどにを」
と、聞こえ交はしたまふほどに、日ごろ経ぬ。

 10 光る源氏の物語 密通露見後 [10-1 紫の上、女三の宮を気づかう]
平静を装っていらっしゃるが、ご煩悶の様子がはっきりと見えるので、女君は、生き返ったのをいじらしそうに思ってこちらにお帰りになって、「ご自身どうにもならず、宮をお気の毒に思っていらっしゃるのだろうか」とお思いになって、
「気分は良ろしくなっておりますが、あちらの宮がお悪くいらっしゃいましょうに、早くお帰りになったのが、お気の毒です」
とお申し上げなさるので、
「そうですね。普通のお身体ではないようにお見えになりましたが、別段のご病気というわけでもいらっしゃらないので、何となく安心に思っていましてね。宮中からは、何度もお使いがありました。今日もお手紙があったとか。院が、特別大切になさるようにとお頼み申し上げていらっしゃるので、主上もそのようにお考えなのでしょう。少しでも宮を疎かになどあるようであれば、お二方がどうお思いになるかが、心苦しいことです」
と言って、嘆息なさると、
「帝がお耳にあそばすことよりも、宮ご自身が恨めしいとお思い申し上げなさることのほうが、お気の毒でしょう。ご自分ではお気になさらなくても、良からぬように蔭口を申し上げる女房たちが、きっといるでしょうと思うと、とてもつろう存じます」
などとおっしゃるので、
「なるほど、おっしゃるとおり、ひたすら愛しく思っているあなたには、厄介な縁者はいないが、いろいろと思慮を廻らすことといったら、あれやこれやと、一般の人が思うような事まで考えを廻らされますが、わたしのただ、国王が御機嫌を損ねないかという事だけを気にしているのは、考えの浅いことだな」
と、苦笑して言い紛らわしなさる。お帰りになることは、
「一緒に帰ってよ。ゆっくりと過すことにしよう」
とだけ申し上げなさるのを、
「ここでもう暫くゆっくりしていましょう。先にお帰りになって、宮のご気分もよくなったころに」
と、話し合っていらっしゃるうちに、数日が過ぎた。

 10 Tale of Genji After being found out of adultery [10-1 Murasaki is anxious about Omna-Sam-no-Miya]
 Turenasi dukuri tamahe do, mono-obosi midaruru sama no sirukere ba, Womna-Gimi, kiye-nokori taru itohosimi ni watari tamahi te, "Hito yari nara zu, kokoro-gurusiu omohi-yari kikoye tamahu ni ya?" to obosi te,
 "Kokoti ha yorosiku nari ni te haberu wo, kano Miya no nayamasige ni ohasu ram ni, toku watari tamahi ni si koso, itohosikere."
 to kikoye tamahe ba,
 "Sakasi. Rei nara zu miye tamahi sika do, koto naru kokoti ni mo ohase ne ba, onodukara kokoro nodoka ni omohi te nam. Uti yori ha, tabi-tabi ohom-tukahi ari keri. Kehu mo ohom-humi ari tu to ka. Win no, ito yamgotonaku kikoye tuke tamahe re ba, Uhe mo kaku obosi taru naru besi. Sukosi oroka ni nado mo ara m ha, konata kanata obosa m koto no, itohosiki zo ya!"
 tote, umeki tamahe ba,
 "Uti no kikosimesa m yori mo, midukara uramesi to omohi kikoye tamaha m koso, kokoro-gurusikara me. Ware ha obosi togame zu to mo, yokara nu sama ni kikoye-nasu hito-bito, kanarazu ara m to omohe ba, ito kurusiku nam."
 nado notamahe ba,
 "Geni, anagati ni omohu hito no tame ni ha, wadurahasiki yosuga nakere do, yorodu ni tadori hukaki koto, to-ya kaku ya to, ohoyoso-bito no omoha m kokoro sahe omohi megurasa ruru wo, kore ha tada Kokuwau no mi-kokoro ya oki tamaha m to bakari wo habakara m ha, asaki kokoti zo si keru."
 to, hohowemi te notamahi magirahasu. Watari tamaha m koto ha,
 "Morotomo ni kaheri te wo! Kokoro nodoka ni ara m."
 to nomi kikoye tamahu wo,
 "Koko ni ha, sibasi kokoro-yasuku te habera m. Madu watari tamahi te, hito no mi-kokoro mo nagusami na m hodo ni wo!"
 to, kikoye-kahasi tamahu hodo ni, hi-goro he nu.

 [10-2 柏木と女三の宮、密通露見におののく]
姫宮は、かく渡りたまはぬ日ごろの経るも、人の御つらさにのみ思すを、今は、「わが御おこたりうち混ぜてかくなりぬる1742」と思すに、院も聞こし召しつけて1743、いかに思し召さむと、世の中つつましくなむ。
かの人も、いみじげにのみ言ひわたれども、小侍従もわづらはしく思ひ嘆きて、「かかることなむ、ありし」と告げてければ、いとあさましく、
「いつのほどにさること出で来けむ。かかることは、あり経れば、おのづからけしきにても漏り出づるやうもや」
と思ひしだに、いとつつましく、空に目つきたるやうにおぼえしを、「ましてさばかり違ふべくもあらざりしことどもを見たまひてけむ」、恥づかしく、かたじけなく、かたはらいたきに、朝夕、涼みもなき1744ころなれど、身もしむる心地して、いはむかたなくおぼゆ。
「年ごろ、まめごとにもあだことにも、召しまつはし参り馴れつるものを。人よりは1745こまかに思しとどめたる御けしきの、あはれになつかしきを、あさましくおほけなきものに心おかれたてまつりては、いかでかは目をも見合はせたてまつらむ。さりとて、かき絶えほのめき参らざらむも、人目あやしく、かの御心にも思し合はせむことのいみじさ」
など、やすからず思ふに、心地もいと悩ましくて、内裏へも参らず。さして重き罪には当たるべきならねど、身のいたづらになりぬる心地すれば、「さればよ」と、かつはわが心も、いとつらくおぼゆ。
「いでや、しづやかに心にくきけはひ見えたまはぬわたりぞや。まづは、かの御簾のはさまも、さるべきことかは。軽々しと、大将の思ひたまへるけしき見えきかし」
など、今ぞ思ひ合はする。しひてこのことを思ひさまさむと思ふ方にて、あながちに難つけたてまつらまほしきにやあらむ。

 [10-2 柏木と女三の宮、密通露見におののく]
姫宮は、このようにお越しにならない日が数日続くのも、相手の薄情とばかりお思いであったが、今では、「自分の過失も加わってこうなったのだ」とお思いになると、院も御存知になって、どのようにお思いだろうかと、身の置き所のない心地である。
かの人も、熱心に手引を頼み続けるが、小侍従も面倒に思い困って、「このような事が、ありました」と知らせてしまったので、まこと驚いて、
「いつの間にそのような事が起こったのだろうか。このような事は、いつまでも続けば、自然と気配だけで感づかれるのではないか」
と思っただけでも、まことに気が引けて、空に目が付いているように思われたが、「ましてあんなに間違いようもない手紙を御覧になったのでは」と、顔向けもできず、恐れ多く、居たたまれない気がして、朝夕の、涼しい時もないころであるが、身も凍りついたような心地がして、何とも言いようもない気がする。
「長年、公事でも遊び事でも、お呼び下さり親しくお伺いしていたものを。誰よりもこまごまとお心を懸けて下さったお気持ちが、しみじみと身にしみて思われるので、あきれはてた大それた者と不快の念を抱かれ申したら、どうして目をお合わせ申し上げることができようか。そうかと言って、ふっつりと参上しなくなるのも、人が変だと思うだろうし、あちらでもやはりそうであったかと、お思い合わせになろう、それが堪らない」
などと、気が気でない思いでいるうちに、気分もとても苦しくなって、内裏へも参内なさらない。それほど重い罪に当たるはずではないが、身も破滅してしまいそうな気がするので、「やっぱり懸念していたとおりだ」と、一方では自分ながら、まことに辛く思われる。
「考えて見れば、落ち着いた嗜み深いご様子がお見えでない方であった。まず第一に、あの御簾の隙間の事も、あっていいことだろうか。軽率だと、大将が思っていらした様子に見えた事だ」
などと、今になって気がつくのである。無理してこの思いを冷まそうとするあまり、むやみに非難つけお思い申し上げたいのであろうか。

 [10-2 Kashiwagi and Omna-Sam-no-Miya tremble with fear]
 Hime-Miya ha, kaku watari tamaha nu hi-goro no huru mo, hito no ohom-turasa ni nomi obosu wo, ima ha, "Waga ohom-okotari uti-maze te kaku nari nuru." to obosu ni, Win mo kikosimesi tuke te, ika ni obosimesa m to, yononaka tutumasiku nam.
 Kano hito mo, imizige ni nomi ihi-watare do mo, Ko-Ziziu mo wadurahasiku omohi nageki te, "Kakaru koto nam, ari si." to tuge te kere ba, ito asamasiku,
 "Itu no hodo ni saru koto ide-ki kem? Kakaru koto ha, ari hure ba, onodukara kesiki ni te mo mori-iduru yau mo ya?"
 to omohi si dani, ito tutumasiku, sora ni me tuki taru yau ni oboye si wo, "Masite sabakari tagahu beku mo ara zari si koto-domo wo mi tamahi te kem.", hadukasiku, katazikenaku, katahara-itaki ni, asa-yuhu, suzumi mo naki koro nare do, mi mo simuru kokoti si te, iham kata naku oboyu.
 "Tosi-goro, mame-goto ni mo ada-koto ni mo, mesi matuhasi mawiri nare turu mono wo. Hito yori ha komaka ni obosi todome taru mi-kesiki no, ahare ni natukasiki wo, asamasiku ohokenaki mono ni kokoro oka re tatematuri te ha, ikade ka ha me wo mo mi-ahase tatematura m. Sari tote, kaki-taye honomeki mawira zara m mo, hito-me ayasiku, kano mi-kokoro ni mo obosi ahase m koto no imizisa."
 nado, yasukara zu omohu ni, kokoti mo ito nayamasiku te, Uti he mo mawira zu. Sasite omoki tumi ni ha ataru beki nara ne do, mi no itadura ni nari nuru kokoti sure ba, "Sare ba yo." to, katu ha waga kokoro mo, ito turaku oboyu.
 "Ide ya, siduyaka ni kokoro nikuki kehahi miye tamaha nu watari zo ya! Madu ha, kano mi-su no hasama mo, saru beki koto ka ha. Karu-garusi to, Daisyau no omohi tamahe ru kesiki miye ki kasi."
 nado, ima zo omohi ahasuru. Sihite kono koto wo omohi samasa m to omohu kata ni te, anagati ni nan tuke tatematura mahosiki ni ya ara m.

 [10-3 源氏、女三の宮の幼さを非難]
「良きやうとても、あまりひたおもむきにおほどかにあてなる人は、世のありさまも知らず、かつ、さぶらふ人に心おきたまふこともなくて、かくいとほしき御身のためも、人のためも、いみじきことにもあるかな」
と、かの御ことの心苦しさも、え思ひ放たれたまはず。
宮は、いとらうたげにて悩みわたりたまふさまの、なほいと心苦しく、かく思ひ放ちたまふにつけては、あやにくに、憂きに紛れぬ恋しさの苦しく思さるれば、渡りたまひて、見たてまつりたまふにつけても、胸いたくいとほしく思さる。
御祈りなど、さまざまにせさせたまふ。おほかたのことは、ありしに変らず、なかなか労しくやむごとなくもてなしきこゆるさまをましたまふ。気近くうち語らひきこえたまふさまは、いとこよなく御心隔たりて、かたはらいたければ、人目ばかりをめやすくもてなして、思しのみ乱るるに、この御心のうちしもぞ苦しかりける。
さること見きとも表はしきこえたまはぬに、みづからいとわりなく思したるさまも、心幼し。
「いとかくおはするけぞかし。良きやうといひながら、あまり心もとなく後れたる、頼もしげなきわざなり」
と思すに、世の中なべてうしろめたく、
「女御の、あまりやはらかにおびれたまへるこそ、かやうに心かけきこえむ人は、まして心乱れなむかし。女は、かうはるけどころなくなよびたるを、人もあなづらはしきにや、さるまじきに、ふと目とまり、心強からぬ過ちはし出づるなりけり」
と思す。

 [10-3 源氏、女三の宮の幼さを非難]
「良いことだからと言って、あまり一途におっとりし過ぎている高貴な人は、世間の事もご存知なく、一方では、伺候している女房に用心なさることもなくて、このようにおいたわしいご自身にとっても、また相手にとっても、大変な事になるのだ」
と、あのお方をお気の毒だと思う気持ちも、お捨てになることができない。
宮はまことに痛々しげにお苦しみ続けなさる様子が、やはりとてもお気の毒で、このようにお見限りになるにつけては、妙に嫌な気持ちに消せない恋しい気持ちが苦しく思われなさるので、お越しになって、お目にかかりなさるにつけても、胸が痛くおいたわしく思わずにはいらっしゃれない。
御祈祷などを、いろいろとおさせになる。大体のことは、以前と変わらず、かえって労り深く大事にお持てなし申し上げる態度がお加わりさる。身近にお話し合いなさる様子は、まことにすっかりお心が離れてしまって、体裁が悪いので、人前だけは体裁をつくろって、苦しみ悩んでばかりなさっているので、ご心中は苦しいのであった。
そうした手紙を見たともはっきり申し上げなさらないのに、ご自分でとてもむやみに苦しみ悩んでいらっしゃるのも子供っぽいことである。
「まことにこんなお人柄である。良い事だとは言っても、あまりに気がかりなほどおっとりし過ぎているのは、何とも頼りないことだ」
とお思いになると、男女の仲の事がすべて心もとなく、
「女御が、あまりにやさしく穏やかでいらっしゃるのは、このように懸想するような人は、これ以上にきっと心が乱れることであろう。女性は、このように内気でなよなよとしているのを、男も甘く見るのだろうか、あってはならぬが、ふと目にとまって、自制心のない過失を犯すことになるのだ」
とお思いになる。

 [10-3 Genji blames Omna-Sam-no-Miya for her thoughtless]
 "Yoki yau tote mo, amari hita-omomuki ni ohodoka ni ate naru hito ha, yo no arisama mo sira zu, katu, saburahu hito ni kokoro-oki tamahu koto mo naku te, kaku itohosiki ohom-mi no tame mo, imiziki koto ni mo aru kana!"
 to, kano ohom-koto no kokoro-gurusisa mo, e omohi hanata re tamaha zu.
 Miya ha, ito rautage ni te nayami watari tamahu sama no, naho ito kokoro-gurusiku, kaku omohi-hanati tamahu ni tuke te ha, ayaniku ni, uki ni magire nu kohisisa no kurusiku obosa rure ba, watari tamahi te, mi tatematuri tamahu ni tuke te mo, mune itaku itohosiku obosa ru.
 Ohom-inori nado, sama-zama ni se sase tamahu. Ohokata no koto ha, ari si ni kahara zu, naka-naka itahasiku yamgotonaku motenasi kikoyuru sama wo masi tamahu. Ke-dikaku uti katarahi kikoye tamahu sama ha, ito koyonaku mi-kokoro hedatari te, katahara itakere ba, hito-me bakari wo meyasuku motenasi te, obosi nomi midaruru ni, kono mi-kokoro no uti si mo zo kurusikari keru.
 Saru koto mi ki to mo arahasi kikoye tamaha nu ni, midukara ito wari naku obosi taru sama mo, kokoro wosanasi.
 "Ito kaku ohasuru ke zo kasi. Yoki yau to ihi nagara, amari kokoro-motonaku okure taru, tanomosige naki waza nari."
 to obosu ni, yononaka nabete usirometaku,
 "Nyougo no, amari yaharaka ni obire tamahe ru koso, kayau ni kokoro kake kikoye m hito ha, masite kokoro midare na m kasi. Womna ha, kau haruke-dokoro naku nayobi taru wo, hito mo anadurahasiki ni ya, saru maziki ni, huto me tomari, kokoro-duyokara nu ayamati ha si iduru nari keri."
 to obosu.

 [10-4 源氏、玉鬘の賢さを思う]
「右の大臣の北の方の、取り立てたる後見もなく、幼くより、ものはかなき世にさすらふるやうにて、生ひ出でたまひけれど、かどかどしく労ありて、我もおほかたには親めきしかど、憎き心の添はぬにしもあらざりしを、なだらかにつれなくもてなして過ぐし、この大臣の、さる無心の女房に心合はせて入り来たりけむにも、けざやかにもて離れたるさまを、人にも見え知られ、ことさらに許されたるありさまにしなして、わが心と罪あるにはなさずなりにしなど、今思へば、いかにかどあることなりけり。
契り深き仲なりければ、長くかくて保たむことは、とてもかくても、同じごとあらましものから、心もてありしこととも、世人も思ひ出でば、すこし軽々しき思ひ加はりなまし、いといたくもてなしてしわざなり」と思し出づ。

 [10-4 源氏、玉鬘の賢さを思う]
「右大臣の北の方が、特にご後見もなく、幼い時から、頼りない生活を流浪するような有様で、ご成人なさったが、利発で才気があって、自分も表向きは親のようにしていたが、憎からず思う心がないでもなかったが、穏やかにさりげなく受け流して、あの大臣が、あのような心ない女房と心を合わせて入って来たときにも、はっきりと受け付けなかった態度を、周囲の人にも見せて分からせ、改めて許された結婚の形にしてから、自分のほうに落度があったようにはしなかった事など、今から思うと、何とも賢い身の処し方であった。
宿縁の深い仲であったので、長くこうして連れ添ってゆくことは、その初めがどのような事情からであったにせよ、同じような事であったろうが、自分の意志でしたのだと、世間の人も思い出したら、少しは軽率な感じが加わろうが、本当に上手に身を処したことだ」
とお思い出しになる。

 [10-4 Genji admires Tamakazura for her thoughtful]
 "Migi-no-Otodo no Kitanokata no, toritate taru usiromi mo naku, wosanaku yori, mono-hakanaki yo ni sasurahuru yau ni te, ohi-ide tamahi kere do, kado-kadosiku rau ari te, ware mo ohokata ni ha oya-meki sika do, nikuki kokoro no soha nu ni si mo ara zari si wo, nadaraka ni turenaku motenasi te sugusi, kono Otodo no, saru muzin no nyoubau ni kokoro ahase te iri kitari kem ni mo, kezayaka ni mote-hanare taru sama wo, hito ni mo miye sira re, kotosara ni yurusa re taru arisama ni si-nasi te, waga kokoro to tumi aru ni ha nasa zu nari ni si nado, ima omohe ba, ika ni kado aru koto nari keri.
 Tigiri hukaki naka nari kere ba, nagaku kakute tamota m koto ha, tote mo kakute mo, onazi goto ara masi mono kara, kokoro mote ari si koto to mo, yo-hito mo omohi-ide ba, sukosi karu-garusiki omohi kuhahari na masi, ito itaku motenasi te si waza nari." to obosi-idu.

 [10-5 朧月夜、出家す]
二条の尚侍の君をば、なほ絶えず、思ひ出できこえたまへど、かくうしろめたき筋のこと、憂きものに思し知りて、かの御心弱さも、少し軽く思ひなされたまひけり。
つひに御本意のことしたまひてけりと聞きたまひては、いとあはれに口惜しく、御心動きて、まづ訪らひきこえたまふ。今なむとだににほはしたまはざりけるつらさを、浅からず聞こえたまふ。
「海人の世をよそに聞かめや須磨の浦に
藻塩垂れしも誰ならなくに
さまざまなる世の定めなさを心に思ひつめて、今まで後れきこえぬる口惜しさを、思し捨てつとも、避りがたき御回向のうちには、まづこそはと、あはれになむ」
など、多く聞こえたまへり。
とく思し立ちにしことなれど、この御妨げにかかづらひて、人にはしか表はしたまはぬことなれど、心のうちあはれに、昔よりつらき御契りを、さすがに浅くしも思し知られぬなど、かたがたに思し出でらる。
御返り、今はかくしも通ふまじき御文のとぢめと思せば、あはれにて、心とどめて書きたまふ、墨つきなど、いとをかし。
「常なき世とは身一つにのみ知りはべりにしを、後れぬとのたまはせたるになむ、げに、
海人舟にいかがは思ひおくれけむ
明石の浦にいさりせし君
回向には、あまねきかどにても、いかがは」
とあり。濃き青鈍の紙にて、樒にさしたまへる、例のことなれど、いたく過ぐしたる筆つかひ、なほ古りがたくをかしげなり。

 [10-5 朧月夜、出家す]
二条の尚侍の君を、依然として忘れず、お思い出し申し上げなさるが、このように気がかりな方面の事を、厭わしくお思いになって、あの方のお心弱さも、少しお見下しなさるのだった。
とうとうご出家の本懐を遂げられたとお聞きになってからは、まことにしみじみと残念に、お心が動いて、さっそくお見舞いを申し上げなさる。せめて今出家するとだけでも知らせて下さらなかった冷たさを、心からお恨み申し上げなさる。
「出家されたことを他人事して聞き流していられましょうか
わたしが須磨の浦で涙に沈んでいたのは誰ならぬあなたのせいなのですから
いろいろな人生の無常さを心の内に思いながら、今まで出家せずに先を越されて残念ですが、お見捨てになったとしても、避けがたいご回向の中には、まず第一にわたしを入れて下さると、しみじみと思われます」
などと、たくさんお書き申し上げなさった。
早くからご決意なさった事であるが、この方のご反対に引っ張られて、誰にもそのようにはお表しなさらなかった事だが、心中ではしみじみと昔からの恨めしいご縁を、何と言っても浅くはお思いになれない事など、あれやこれやとお思い出さずにはいらっしゃれない。
お返事は、今となってはもうこのようなお手紙のやりとりをしてはならない最後とお思いになると、感慨無量となって、念入りにお書きになる、その墨の具合などは、実に趣がある。
「無常の世とはわが身一つだけと思っておりましたが、先を越されてしまったとの仰せを思いますと、おっしゃるとおり、
尼になったわたしにどうして遅れをおとりになったのでしょう
明石の浦に海人のようなお暮らしをなさっていたあなたが
回向は、一切衆生の為のものですから、どうして含まれないことがありましょうか」
とある。濃い青鈍色の紙で、樒に挟んでいらっしゃるのは、通例のことであるが、ひどく洒落た筆跡は、今も変わらず見事である。

 [10-5 Oborozukiyo becomes a nun]
 Nideu no Naisi-no-Kamnokimi wo ba, naho taye zu omohi-ide kikoye tamahe do, kaku usirometaki sudi no koto, uki mono ni obosi-siri te, kano mi-kokoro yowasa mo, sukosi karuku omohi-nasa re tamahi keri.
 Tuhi ni ohom-hoi no koto si tamahi te keri to kiki tamahi te ha, ito ahare ni kutiwosiku, mi-kokoro ugoki te, madu toburahi kikoye tamahu. Ima nam to dani nihohasi tamaha zari keru turasa wo, asakara zu kikoye tamahu.
 "Ama no yo wo yoso ni kika me ya Suma no ura ni
 mo-siho tare si mo tare nara naku ni

 Sama-zama naru yo no sadame nasa wo kokoro ni omohi-tume te, ima made okure kikoye nuru kutiwosisa wo, obosi-sute tu to mo, sari gataki go-wekau no uti ni ha, madu koso ha to, ahare ni nam."
 nado, ohoku kikoye tamahe ri.
 Toku obosi-tati ni si koto nare do, kono ohom-samatage ni kakadurahi te, hito ni ha sika arahasi tamaha nu koto nare do, kokoro no uti ahare ni, mukasi yori turaki ohom-tigiri wo, sasuga ni asaku si mo obosi sira re nu nado, kata-gata ni obosi-ide raru.
 Ohom-kaheri, ima ha kaku si mo kayohu maziki ohom-humi no todime to obose ba, ahare ni te, kokoro todome te kaki tamahu, sumi tuki nado, ito wokasi.
 "Tune naki yo to ha mi hitotu ni nomi siri haberi ni si wo, okure nu to notamaha se taru ni nam, geni,
 Ama-bune ni ikaga ha omohi okure kem
 Akasi no ura ni isari se si Kimi

 Wekau ni ha, amaneki kado ni te mo, ikaga ha."
 to ari. Koki awo-nibi no kami ni te, sikimi ni sasi tamahe ru, rei no koto nare do, itaku sugusi taru hude tukahi, naho huri gataku wokasige nari.

 [10-6 源氏、朧月夜と朝顔を語る]
二条院におはしますほどにて、女君にも、今はむげに絶えぬることにて、見せたてまつりたまふ。
「いといたくこそ恥づかしめられたれ。げに、心づきなしや。さまざま心細き世の中のありさまを、よく見過ぐしつるやうなるよ。なべての世のことにても、はかなくものを言ひ交はし、時々によせて、あはれをも知り、ゆゑをも過ぐさず、よそながらの睦び交はしつべき人は、斎院とこの君とこそは残りありつるを、かくみな背き果てて、斎院はた、いみじうつとめて、紛れなく行なひにしみたまひにたなり。
なほ、ここらの人のありさまを聞き見る中に、深く思ふさまに、さずがになつかしきことの、かの人の御なずらひにだにもあらざりけるかな。女子を生ほし立てむことよ、いと難かるべきわざなりけり。
宿世などいふらむものは、目に見えぬわざにて、親の心に任せがたし。生ひ立たむほどの心づかひは、なほ力入るべかめり。よくこそ、あまたかたがたに心を乱るまじき契りなりけれ。年深くいらざりしほどは、さうざうしのわざや、さまざまに見ましかばとなむ、嘆かしきをりをりありし。
若宮を、心して生ほし立てたてまつりたまへ。女御は、ものの心を深く知りたまふほどならで、かく暇なき交らひをしたまへば、何事も心もとなき方にぞものしたまふらむ。御子たちなむ、なほ飽く限り人に点つかるまじくて、世をのどかに過ぐしたまはむに、うしろめたかるまじき心ばせ、つけまほしきわざなりける。限りありて、とざままうざまの後見まうくるただ人は、おのづからそれにも助けられぬるを」
など聞こえたまへば、
「はかばかしきさまの御後見ならずとも、世にながらへむ限りは、見たてまつらぬやうあらじと思ふを、いかならむ」
とて、なほものを心細げにて、かく心にまかせて、行なひをもとどこほりなくしたまふ人々を、うらやましく思ひきこえたまへり。
「尚侍の君に、さま変はりたまへらむ装束など、まだ裁ち馴れぬほどは訪らふべきを、袈裟などはいかに縫ふものぞ。それせさせたまへ。一領は、六条の東の君にものしつけむ。うるはしき法服だちては、うたて見目もけうとかるべし。さすがに、その心ばへ見せてを」
など聞こえたまふ。
青鈍の一領を、ここにはせさせたまふ。作物所の人召して、忍びて、尼の御具どものさるべきはじめのたまはす。御茵、上席、屏風、几帳などのことも、いと忍びて、わざとがましくいそがせたまひけり。

 [10-6 源氏、朧月夜と朝顔を語る]
二条院にいらっしゃる時なので、女君にも、今ではすっかり関係が切れてしまったこととて、お見せ申し上げなさる。
「とてもひどくやっつけられたものです。本当に、気にくわないよ。いろいろと心細い世の中の様子を、よく見過して来たものですよ。普通の世間話でも、ちょっと何か言い交わしあい、四季折々に寄せて、情趣をも知り、風情を見逃さず、色恋を離れて付き合いのできる人は、斎院とこの君とが生き残っているが、このように皆出家してしまって、斎院は斎院で、熱心にお勤めして、余念なく勤行に精進していらっしゃるということだ。
やはり、大勢の女性の様子を見たり聞いたりした中で、思慮深い人柄で、それでいて心やさしい点では、あの方にご匹敵する人はいなかったなあ。女の子を育てることは、まことに難しいことだ。
宿世などと言うものは、目に見えないことなので、親の心のままにならない。成長して行く際の注意は、やはり力を入れねばならないようです。よくぞまあ、大勢の女の子に心配しなくてもよい運命であった。まだそれほど年を取らなかったころは、もの足りないことだ、何人もいたらと嘆かわしく思ったことも度々あった。
若宮を、注意してお育て申し上げて下さい。女御は、物の分別を十分おわきまえになる年頃でなくて、このようにお暇のない宮仕えをなさっているので、何事につけても頼りないといったふうでいらっしゃるでしょう。内親王たちは、やはりどこまでも人に後ろ指をさされるようなことなくして、一生をのんびりとお過ごしなさるように、不安でない心づかいを、付けたいものです。身分柄、あれこれと夫をもつ普通の女性であれば、自然と夫に助けられるものですが」
などと申し上げなさると、
「しっかりしたしたご後見はできませんでも、世に生き永らえています限りは、是非ともお世話してさし上げたいと思っておりますが、どうなることでしょう」
と言って、やはり何か心細そうで、このように思いどおりに、仏のお勤めを差し障りなくなさっている方々を、羨ましくお思い申し上げていらっしゃった。
「尚侍の君に、尼になられた衣装など、まだ裁縫に馴れないうちはお世話すべきであるが、袈裟などはどのように縫うものですか。それを作って下さい。一領は、六条院の東の君に申し付けよう。正式の尼衣のようでは、見た目にも疎ましい感じがしよう。そうはいっても、法衣らしいのが分かるのを」
などと申し上げなさる。
青鈍の一領を、こちらではお作らせになる。宮中の作物所の人を呼んで、内々に、尼のお道具類で、しかるべき物をはじめとしてご下命なさる。御褥、上蓆、屏風、几帳などのことも、たいそう目立たないようにして、特別念を入れてご準備なさったのであった。

 [10-6 Genji talks about Oborozukiyo and Asagao]
 Nideu-no-win ni ohasimasu hodo ni te, Womna-Gimi ni mo, ima ha muge ni taye nuru koto ni te, mise tatematuri tamahu.
 "Ito itaku koso hadukasime rare tare. Geni, kokoro-dukinasi ya! Sama-zama kokoro-bosoki yononaka no arisama wo, yoku mi-sugusi turu yau naru yo. Nabete no yo no koto ni te mo, hakanaku mono wo ihi-kahasi, toki-doki ni yose te, ahare wo mo siri, yuwe wo mo sugusa zu, yoso nagara no mutubi-kahasi tu beki hito ha, Saiwin to kono Kimi to koso ha nokori ari turu wo, kaku mina somuki-hate te, Saiwin hata, imiziu tutome te, magire naku okonahi ni simi tamahi ni ta'nari.
 Naho, kokora no hito no arisama wo kiki miru naka ni, hukaku omohu sama ni, sasuga ni natukasiki koto no, kano Hito no ohom-nazurahi ni dani mo ara zari keru kana! Womna-go wo ohosi-tate m koto yo, ito katakaru beki waza nari keri.
 Sukuse nado ihu ram mono ha, me ni miye nu waza ni te, oya no kokoro ni makase gatasi. Ohi-tata m hodo no kokoro-dukahi ha, naho tikara iru beka'meri. Yoku koso, amata kata-gata ni kokoro wo midaru maziki tigiri nari kere. Tosi hukaku ira zari si hodo ha, sau-zausi no waza ya, sama-zama ni mi masika ba to nam, nagekasiki wori-wori ari si.
 Waka-Miya wo, kokoro si te ohosi-tate tatematuri tamahe. Nyougo ha, mono no kokoro wo hukaku siri tamahu hodo nara de, kaku itoma naki mazirahi wo si tamahe ba, nani-goto mo kokoro-motonaki kata ni zo monosi tamahu ram. Mi-ko tati nam, naho aku kagiri hito ni ten tuka ru maziku te, yo wo nodoka ni sugusi tamaha m ni, usirometakaru maziki kokorobase, tuke mahosiki waza nari keru. Kagiri ari te, tozama kau zama no usiromi maukuru tada-udo ha, onodukara sore ni mo tasuke rare nuru wo."
 nado kikoye tamahe ba,
 "Haka-bakasiki sama no ohom-usiromi nara zu to mo, yo ni nagara he m kagiri ha, mi tatematura nu yau ara zi to omohu wo, ika nara m?"
 tote, naho mono wo kokoro-bosoge ni te, kaku kokoro ni makase te, okonahi wo mo todokohori naku sitamahu hito-bito wo, urayamasiku omohi kikoye tamahe ri.
 "Kam-no-Kimi ni, sama kahari tamahe ra m sauzoku nado, mada tati nare nu hodo ha toburahu beki wo, kesa nado ha ika ni nuhu mono zo? Sore se sase tamahe. Hito-kudari ha, Roku-deu no Homgasi-no-Kimi ni monosi tuke m. Uruhasiki hohubuku-dati te ha, utate mi-me mo ke-utokaru besi. Sasuga ni, sono kokorobahe mise te wo."
 nado kikoye tamahu.
 Awo-nibi no hito-kudari wo, koko ni ha se sase tamahu. Tukumo-dokoro no hito mesi te, sinobi te, ama no ohom-gu-domo no saru beki hazime notamahasu. Ohom-sitone, uha-musiro, byaubu, kityau nado no koto mo, ito sinobi te, wazato gamasiku isogase tamahi keri.

 11 朱雀院の物語 五十賀の延引 [11-1 女二の宮、院の五十の賀を祝う]
かくて、山の帝の御賀も延びて、秋とありしを、八月は大将の御忌月にて、楽所のこと行なひたまはむに、便なかるべし。九月は、院の大后の崩れたまひにし月なれば、十月にと思しまうくるを、姫宮いたく悩みたまへば、また延びぬ。
衛門督の御預りの宮なむ、その月には参りたまひける。太政大臣居立ちて、いかめしくこまかに、もののきよら、儀式を尽くしたまへりけり。督の君も、そのついでにぞ、思ひ起こして出でたまひける。なほ、悩ましく、例ならず病づきてのみ過ぐしたまふ。
 宮1746も、うちはへてものをつつましく、いとほしとのみ思し嘆くけにやあらむ、月多く重なりたまふままに、いと苦しげにおはしませば、院は、心憂しと思ひきこえたまふ方こそあれ、いとらうたげにあえかなるさまして、かく悩みわたりたまふを、いかにおはせむと嘆かしくて、さまざまに思し嘆く。御祈りなど、今年は紛れ多くて過ぐしたまふ。

 11 朱雀院の物語 五十賀の延引 [11-1 女二の宮、院の五十の賀を祝う]
こうして、山の帝の御賀も延期になって、秋にとあったが、八月は大将の御忌月で、楽所を取り仕切られるのには、不都合であろう。九月は、院の大后がお崩れになった月なので、十月にとご予定を立てたが、姫宮がひどくお悩みになったので、再び延期になった。
衛門督がお引き受けになっている宮が、その月には御賀に参上なさったのだった。太政大臣が奔走して、盛大にかつこまごまと気を配って、儀式の美々しさ、作法の格式の限りをお尽くしなさっていた。督の君も、その機会には、気力を出してご出席なさったのだった。やはり、気分がすぐれず、普通と違って病人のように日を送ってばかりいらっしゃる。
宮も、引き続いて何かと気がめいって、ただつらいとばかりお思い嘆いていられるせいであろうか、懐妊の月数がお重なりになるにつれて、とても苦しそうにいらっしゃるので、院は、情けないとお思い申し上げなさる気持ちはあるが、とても痛々しく弱々しい様子をして、このようにずっとお悩みになっていらっしゃるのを、どのようにおなりになることかと心配で、あれこれとお心をお痛めになられる。ご祈祷など、今年は取り込み事が多くてお過ごしになる。

 11 Tale of Suzaku The celebrstion for Suzaku is put off [11-1 Omna-Ni-no-Miya celebrates for Suzaku 50 years old]
 Kakute, Yama-no-Mikado no ohom-ga mo nobi te, aki to ari si wo, Hati-gwati ha Daisyau no ohom-ki-duki ni te, gakuso no koto okonahi tamaha m ni, bin nakaru besi. Ku-gwati ha, Win no Oho-Kisaki no kakure tamahi ni si tuki nare ba, Zihu-gwati ni to obosi maukuru wo, Hime-Miya itaku nayami tamahe ba, mata nobi nu.
 Wemon-no-Kami no ohom-adukari no Miya nam, sono tuki ni ha mawiri tamahi keru. Ohoki-Otodo wi-tati te, ikamesiku komaka ni, mono no kiyora, gisiki wo tukusi tamahe ri keri . Kam-no-Kimi mo, sono tuide ni zo, omohi-okosi te ide tamahi keru. Naho, nayamasiku, rei nara zu yamahi-duki te nomi sugusi tamahu.
 Miya mo, uti-hahe te mono wo tutumasiku, itohosi to nomi obosi nageku ni ya ara m, tuki ohoku kasanari tamahu mama ni, ito kurusige ni ohasimase ba, Win ha, kokoro-usi to omohi kikoye tamahu kata koso are, ito rautage ni aeka naru sama si te, kaku nayami watari tamahu wo, ika ni ohase m to nagekasiku te, sama-zama ni obosi nage ku. Ohom-inori nado, kotosi ha magire ohoku te sugusi tamahu.

 [11-2 朱雀院、女三の宮へ手紙]
御山にも聞こし召して、らうたく恋しと思ひ1747きこえたまふ。月ごろかくほかほかにて、渡りたまふこともをさをさなきやうに、人の奏しければ、いかなるにかと御胸つぶれて、世の中も今さらに恨めしく思して、
「対の方のわづらひけるころは、なほその扱ひにと聞こし召してだに、なまやすからざりしを、そののち、直りがたくものしたまふらむは、そのころほひ、便なきことや出で来たりけむ。みづから知りたまふことならねど、良からぬ御後見どもの心にて、いかなることかありけむ。内裏わたりなどの、みやびを交はすべき仲らひなどにも、けしからず憂きこと言ひ出づるたぐひも聞こゆかし」
とさへ思し寄るも、こまやかなること思し捨ててし世なれど、なほ子の道は離れがたくて、宮に御文こまやかにてありけるを、大殿、おはしますほどにて、見たまふ。
「そのこととなくて、しばしばも聞こえぬほどに、おぼつかなくてのみ年月の過ぐるなむ、あはれなりける。悩みたまふなるさまは、詳しく聞きしのち、念誦のついでにも思ひやらるるは、いかが。世の中寂しく思はずなることありとも、忍び過ぐしたまへ。恨めしげなるけしきなど、おぼろけにて、見知り顔にほのめかす、いと品おくれたるわざになむ」
 など1748、教へきこえたまへり。
いといとほしく心苦しく、「かかるうちうちのあさましきをば、聞こし召すべきにはあらで、わがおこたりに、本意なくのみ聞き思すらむことを」とばかり思し続けて、
「この御返りをば、いかが聞こえたまふ。心苦しき御消息に、まろこそいと苦しけれ。思はずに思ひきこゆることありとも、おろかに、人の見咎むばかりはあらじとこそ思ひはべれ。誰が聞こえたるにかあらむ」
とのたまふに、恥ぢらひて背きたまへる御姿も、いとらうたげなり。いたく面痩せて、もの思ひ屈したまへる、いとどあてにをかし。

 [11-2 朱雀院、女三の宮へ手紙]
お山におかせられてもお耳にあそばして、いとおしくお会いしたいとお思い申し上げなさる。いく月もあのように別居していて、お越しになることもめったにないように、ある人が奏上したので、どうしたことにかとお胸が騒いで、俗世のことも今さらながら恨めしくお思いになって、
「対の方が病気であったころは、やはりその看病でとお聞きになってでさえ、心穏やかではなかったのに、その後も、変わらずにいらっしゃるとは、そのころに、何か不都合なことが起きたのだろうか。宮自身に責任がおありのことでなくても、良くないお世話役たちの考えで、どんな失態があったのだろうか。宮中あたりなどで、風雅なやりとりをし合う間柄などでも、けしからぬ評判を立てる例も聞こえるものだ」
とまでお考えになるのも、肉親の情愛はお捨てになった出家の生活だが、やはり親子の愛情は忘れ去りがたくて、宮にお手紙を心をこめて書いてあったのを、大殿も、いらっしゃった時なので、御覧になる。
「特に用件もないので、たびたびはお便りを差し上げなかったうちに、あなたの様子も分からないままに歳月が過ぎるのは、気がかりなことです。お具合がよろしくなくいらっしゃるという様子は、詳しく聞いてからは、念仏誦経の時にも気にかかってならないが、いかがいらっしゃいますか。ご夫婦仲が寂しくて意に満たないことがあっても、じっと堪えてお過ごしなさい。恨めしそうな素振りなどを、いい加減なことで、心得顔にほのめかすのは、まことに品のないことです」
などと、お教え申し上げていらっしゃった。
まことにお気の毒で心が痛み、「このような内々の宮の不始末を、お耳にあそばすはずはなく、わたしの怠慢のせいにと、御不満にばかりお思いあそばすことだろう」とばかりにお思い続けて、
「このお返事は、どのようにお書き申し上げなさいますか。お気の毒なお手紙で、わたしこそとても辛い思いです。たとえ心外にお思い申す事があったとしても、疎略なお扱いをして、人が変に思うような態度はとるまいと思っております。誰が申し上げたのでしょうか」
とおっしゃると、恥ずかしそうに横を向いていらっしゃるお姿も、まことに痛々しい。ひどく面やつれして、物思いに沈んでいらっしゃるのは、ますます上品で美しい。

 [11-2 Suzaku sends a letter to Omna-Sam-no-miya]
 Mi-yama ni mo kikosimesi te, rautaku kohisi to omohi kikoye tamahu. Tuki-goro kaku hoka-hoka ni te, watari tamahu koto mo wosa-wosa naki yau ni, hito no sau-si kere ba, ika naru ni ka to ohom-mune tubure te, yononaka mo imasara ni uramesiku obosi te,
 "Tai-no-Kata no wadurahi keru koro ha, naho sono atukahi ni to kikosimesi te dani, nama-yasukara zari si wo, sono noti, nahori gataku monosi tamahu ram ha, sono korohohi, bin-naki koto ya ide-ki tari kem? Midukara siri tamahu koto nara ne do, yokara nu ohom-usiromi-domo no kokoro ni te, ika naru koto ka ari kem? Uti watari nado no, miyabi wo kahasu beki nakarahi nado ni mo, kesikara zu uki koto ihi iduru taguhi mo kikoyu kasi."
 to sahe obosi-yoru mo, komayaka naru koto obosi-sute te si yo nare do, naho ko no miti ha hanare gataku te, Miya ni ohom-humi komayaka ni te ari keru wo, otodo, ohasimasu hodo ni te, mi tamahu.
 "Sono koto to naku te, siba-siba mo kikoye nu hodo ni, obotukanaku te nomi tosi-tuki no suguru nam, ahare nari keru. Nayami tamahu naru sama ha, kuhasiku kiki si noti, nenzu no tuide ni mo omohi-yara ruru ha, ikaga? Yononaka sabisiku omoha zu naru koto ari to mo, sinobi sugusi tamahe. Uramesige naru kesiki nado, oboroke ni te, mi-siri-gaho ni honomekasu, ito sina okure taru waza ni nam."
 nado, wosihe kikoye tamahe ri.
 Ito itohosiku kokoro-gurusiku, "Kakaru uti-uti no asamasiki wo ba, kikosimesu beki ni ha ara de, waga okotari ni, ho'i naku nomi kiki obosu ram koto wo." to bakari obosi tuduke te,
 "Kono ohom-kaheri wo ba, ikaga kikoye tamahu. Kokoro-gurusiki ohom-seusoko ni, maro koso ito kurusikere. Omoha zu ni omohi kikoyuru koto ari to mo, oroka ni, hito no mi togamu bakari ha ara zi to koso omohi habere. Taga kikoye taru ni ka ara m?"
 to notamahu ni, hadirahi te somuki tamahe ru ohom-sugata mo, ito rautage nari. Itaku omo-yase te, mono-omohi ku-si tamahe ru, itodo ate ni wokasi.

 [11-3 源氏、女三の宮を諭す]
「いと幼き御心ばへを見おきたまひて、いたくはうしろめたがりきこえたまふなりけりと、思ひあはせたてまつれば、今より後もよろづになむ。かうまでもいかで聞こえじと思へど、上の、御心に背くと聞こし召すらむことの、やすからず、いぶせきを、ここにだに聞こえ知らせでやはとてなむ。
いたり少なく、ただ、人の聞こえなす方にのみ寄るべかめる御心には、ただおろかに浅きとのみ思し、また、今はこよなくさだ過ぎにたるありさまも、あなづらはしく目馴れてのみ見なしたまふらむも、かたがたに口惜しくもうれたくもおぼゆるを、院のおはしまさむほどは、なほ心収めて、かの思しおきてたるやうありけむ、さだ過ぎ人をも、同じくなずらへきこえて、いたくな軽めたまひそ。
いにしへより本意深き道にも、たどり薄かるべき女方1749にだに、皆思ひ後れつつ、いとぬるきこと多かるを、みづからの心には、何ばかり思しまよふべきにはあらねど、今はと捨てたまひけむ世の後見に譲り1750おきたまへる御心ばへの、あはれにうれしかりしを、ひき続き争ひきこゆるやうにて、同じさまに見捨てたてまつらむことの、あへなく思されむにつつみてなむ。
心苦しと思ひし人々も、今はかけとどめらるるほだしばかりなるもはべらず。女御も、かくて、行く末は知りがたけれど、御子たち数添ひたまふめれば、みづからの世だにのどけくはと見おきつべし。その他は、誰も誰も、あらむに従ひて、もろともに身を捨てむも、惜しかるまじき齢どもになりにたるを、やうやうすずしく思ひはべる。
院の御世の残り久しくもおはせじ。いと篤しくいとどなりまさりたまひて、もの心細げにのみ思したるに、今さらに思はずなる御名の1751漏り聞こえて、御心乱りたまふな。この世はいとやすし。ことにもあらず。後の世の御道の妨げならむも、罪いと恐ろしからむ」
など、まほにそのこととは明かしたまはねど、つくづくと聞こえ続けたまふに、涙のみ落ちつつ、我にもあらず思ひしみておはすれば、我もうち泣きたまひて、
「人の上にても、もどかしく聞き思ひし古人のさかしらよ。身に代はることにこそ。いかにうたての翁やと、むつかしくうるさき御心添ふらむ」
と、恥ぢたまひつつ、御硯引き寄せたまひて、手づから押し擦り、紙取りまかなひ、書かせたてまつりたまへど、御手もわななきて、え書きたまはず。
「かのこまかなりし返事は、いとかくしもつつまず通はしたまふらむかし」と思しやるに、いと憎ければ、よろづのあはれも冷めぬべけれど、言葉など教へて書かせたてまつりたまふ。

 [11-3 源氏、女三の宮を諭す]
「とても幼い御気性を御存知で、たいそう御心配申し上げていらっしゃるのだと、拝察されますので、今後もいろいろと心配でなりません。こんなにまでは決して申し上げまいと思いましたが、院の上が、御心中にわたしが背いているとお思いになろうことが、不本意であり、心の晴れない思いであるが、せめてあなたにだけは申し上げておかなくてはと思いまして。
思慮が浅く、ただ、人が申し上げるままにばかりお従いになるようなあなたとしては、ただ冷淡で薄情だとばかりお思いで、また、今ではわたしのすっかり年老いた様子も、軽蔑し飽き飽きしてばかりお思いになっていられるらしいのも、それもこれも残念にも忌ま忌ましくも思われますが、院の御存命中は、やはり我慢して、あちらのお考えもあったことでしょうから、この年寄をも、同じようにお考え下さって、ひどく軽蔑なさいますな。
昔からの出家の本願も、考えの不十分なはずのご婦人方にさえ、みな後れを取り後れを取りして、とてものろまなことが多いのですが、自分自身の心には、どれほどの思いを妨げるものはないのですが、院がこれを最後と御出家なさった後のお世話役にわたしをお譲り置きになったお気持ちが、しみじみと嬉しかったが、引き続いて後を追いかけるようにして、同じようにお見捨て申し上げるようなことが、院にはがっかりされるであろうと差し控えているのです。
気にかかっていた人々も、今では出家の妨げとなるほどの者もおりません。女御も、あのようにして、将来の事は分かりませんが、皇子方がいく人もいらっしゃるようなので、わたしの存命中だけでもご無事であればと安心してよいでしょう。その他の事は、誰も彼も、状況に従って、一緒に出家するのも、惜しくはない年齢になっているのを、だんだんと気持ちも楽になっております。
院の御寿命もそう長くはいらっしゃらないでしょう。とても御病気がちにますますなられて、何となく心細げにばかりお思いでいられるから、今さら感心しないお噂を院のお耳にお入れ申して、お心を乱したりなさらないように。現世はまことに気にかけることはありません。どうということもありません。が、来世の御成仏の妨げになるようなのは、罪障がとても恐ろしいでしょう」
などと、はっきりとその事とはお明かしにならないが、しみじみとお話し続けなさるので、涙ばかりがこぼれては、正体もない様子で悲しみに沈んでいらっしゃるので、ご自分もお泣きになって、
「他人の身の上でも、嫌なものだと思って聞いていた老人のおせっかいというものを。自分がするようになったことよ。どんなに嫌な老人かと、不愉快で厄介なと思うお気持ちがつのることでしょう」
と、お恥になりながら、御硯を引き寄せなさって、自分で墨を擦り、紙を整えて、お返事をお書かせ申し上げなさるが、お手も震えて、お書きになることができない。
「あのこまごまと書いてあった手紙のお返事は、とてもこのように遠慮せずやりとりなさっていたのだろう」とご想像なさると、実に癪にさわるので、一切の愛情も冷めてしまいそうであるが、文句などを教えてお書かせ申し上げなさる。

 [11-3 Genji admonishs Omna-Sam-no-miya about her behavior]
 "Ito wosanaki mi-kokorobahe wo mi-oki tamahi te, itaku ha usirometagari kikoye tamahu nari keri to, omohi ahase tatemature ba, ima yori noti mo yorodu ni nam. Kau made mo ikade kikoye zi to omohe do, Uhe no, mi-kokoro ni somuku to kikosimesu ram koto no, yasukara zu, ibuseki wo, koko ni dani kikoye sirase de ya ha tote nam.
 Itari sukunaku, tada, hito no kikoye nasu kata ni nomi yoru beka'meru mi-kokoro ni ha, tada oroka ni asaki to nomi obosi, mata, ima ha koyonaku sada sugi ni taru arisama mo, anadurahasiku me nare te nomi mi-nasi tamahu ram mo, kata-gata ni kutiwosiku mo uretaku mo oboyuru wo, Win no ohasimasa m hodo ha, naho kokoro wosame te, kano obosi oki te taru yau ari kem, sada-sugi-bito wo mo, onaziku nazurahe kikoye te, itaku na karume tamahi so.
 Inisihe yori ho'i hukaki miti ni mo, tadori usukaru beki Womna-gata ni dani, mina omohi okure tutu, ito nuruki koto ohokaru wo, midukara no kokoro ni ha, nani bakari obosi mayohu beki ni ha ara ne do, ima ha to sute tamahi kem yo no usiromi ni yuzuri oki tamahe ru mi-kokorobahe no, ahare ni uresikari si wo, hiki-tuduki arasohi kikoyuru yau ni te, onazi sama ni mi-sute tatematura m koto no, ahenaku obosa re m ni tutumi te nam.
 Kokoro-gurusi to omohi si hito-bito mo, ima ha kake todome raruru hodasi bakari naru mo habera zu. Nyougo mo, kakute, yukusuwe ha siri gatakere do, mi-ko-tati kazu sohi tamahu mere ba, midukara no yo dani nodokeku ha to mi oki tu besi. Sono hoka ha, tare mo tare mo, ara m ni sitagahi te, morotomo ni mi wo sute m mo, wosikaru maziki yohahi-domo ni nari ni taru wo, yau-yau suzusiku omohi haberu.
 Win no mi-yo no nokori hisasiku mo ohase zi. Ito atusiku itodo nari masari tamahi te, mono-kokoro-bosoge ni nomi obosi taru ni, ima-sara ni omoha zu naru ohom-na no mori kikoye te, mi-kokoro midari tamahu na. Kono yo ha ito yasusi. Koto ni mo ara zu. Noti no yo no ohom-miti no samatage nara m mo, tumi ito osorosikara m."
 nado, maho ni sono koto to ha akasi tamaha ne do, tuku-duku to kikoye tuduke tamahu ni, namida nomi oti tutu, ware ni mo ara zu omohi-simi te ohasure ba, ware mo uti-naki tamahi te,
 "Hito no uhe ni te mo, modokasiku kiki omohi si huru-bito no sakasira yo. Mi ni kaharu koto ni koso. Ika ni utate no okina ya to, mutukasiku urusaki mi-kokoro sohu ram."
 to, hadi tamahi tutu, ohom-suzuri hiki-yose tamahi te, te-dukara osi-suri, kami tori makanahi, kaka se tatematuri tamahe do, mi-te mo wananaki te, e kaki tamaha zu.
 "Kano komaka nari si kaheri-goto ha, ito kaku si mo tutuma zu kayohasi tamahu ram kasi." to obosi-yaru ni, ito nikukere ba, yorodu no ahare mo same nu bekere do, kotoba nado wosihe te kaka se tatematuri tamahu.

 [11-4 朱雀院の御賀、十二月に延引]
参りたまはむことは、この月かくて過ぎぬ。二の宮の御勢殊にて参りたまひけるを、古めかしき御身ざまにて、立ち並び顔ならむも、憚りある心地しけり。
「霜月はみづからの忌月なり。年の終りはた、いともの騒がし。また、いとどこの御姿も見苦しく、待ち見たまはむをと思ひはべれど、さりとて、さのみ延ぶべきことにやは。むつかしくもの思し乱れず、あきらかにもてなしたまひて、このいたく面痩せたまへる、つくろひたまへ」
など、いとらうたしと、さすがに見たてまつりたまふ。
衛門督をば、何ざまのことにも、ゆゑあるべきをりふしには、かならずことさらにまつはしたまひつつ、のたまはせ合はせしを、絶えてさる御消息もなし。人あやしと思ふらむと思せど、「見むにつけても、いとどほれぼれしきかた恥づかしく、見むにはまたわが心もただならずや」と思し返されつつ、やがて月ごろ参りたまはぬをも咎めなし。
おほかたの人は、なほ例ならず悩みわたりて、院にはた、御遊びなどなき年なれば、とのみ思ひわたるを、大将の君ぞ、「あるやうあることなるべし。好色者は、さだめてわがけしきとりしことには、忍ばぬにやありけむ」と思ひ寄れど、いとかく定かに残りなきさまならむとは、思ひ寄りたまはざりけり。

 [11-4 朱雀院の御賀、十二月に延引]
参賀なさることは、この月はこうして過ぎてしまった。二の宮が格別のご威勢で参賀なさったのに、身籠もられたお身体で、競うようなのも、遠慮され気が引けるのであった。
「十一月はわたしの忌月です。年の終わりは歳末で、とても騒々しい。また、ますますこのお姿も体裁悪く、お待ち受けあそばす院はいかが御覧になろうと思いますが、そうかと言って、そんなにも延期することはでません。くよくよとお思いあそばさず、明るくお振る舞いになって、このひどくやつれていらっしゃるのを、お直しなさい」
などと、とてもおいたわしいと、それでもお思い申し上げていらっしゃる。
衛門督をどのような事でも、風雅な催しの折には、必ず特別に親しくお召しになっては、ご相談相手になさっていたのが、全然そのようなお便りはない。皆が変だと思うだろうとお思いになるが、「顔を見るにつけても、ますます自分の間抜けさが恥ずかしくて、顔を見てはまた自分の気持ちも平静を失うのではないか」と思い返され思い返されて、そのままいく月も参上なさらないのにもお咎めはない。
世間一般の人は、ずっと普通の状態でなく病気でいらっしゃったし、院でもまた、管弦のお遊びなどがない年なので、とばかりずっと思っていたが、大将の君は、「何かきっと事情があることに違いない。風流者は、さだめし自分が変だと気がづいたことに、我慢できなかったのだろうか」と考えつくが、ほんとうにこのようにはっきりと何もかも知れるところにまでなっているとは、想像もおつきにならなかったのである。

 [11-4 The celebrstion for Suzaku is put off on December]
 Mawiri tamaha m koto ha, kono tuki kakute sugi nu. Ni-no-Miya no ohom-ikihohi koto ni te, mawiri tamahi keru wo, hurumekasiki ohom-mi-zama ni te, tati narabi gaho nara m mo, habakari aru kokoti si keri.
 "Simo-tuki ha midukara no ki-duki nari. Tosi no wohari hata, ito mono sawagasi. Mata, itodo kono ohom-sugata mo mi-gurusiku, mati mi tamaha m wo to omohi habere do, sari tote, sa nomi nobu beki koto ni ya ha. Mutukasiku mono obosi midare zu, akiraka ni motenasi tamahi te, kono itaku omo-yase tamahe ru, tukurohi tamahe."
 nado, ito rautasi to, sasuga ni mi tatematuri tamahu.
 Wemon-no-Kami wo ba, nani zama no koto ni mo, yuwe aru beki wori husi ni ha, kanarazu kotosara ni matuhasi tamahi tutu, notamahase ahase si wo, taye te saru ohom-seusoko mo nasi. Hito ayasi to omohu ram to obose do, "Mi m ni tuke te mo, itodo hore-boresiki kata hadukasiku, mi m ni ha mata waga kokoro mo tadanara zu ya!" to obosi kahesa re tutu, yagate tuki-goro mawiri tamaha nu wo mo togame nasi.
 Ohokata no hito ha, naho rei nara zu nayami watari te, Win ni hata, ohom-asobi nado naki tosi nare ba, to nomi omohi wataru wo, Daisyau-no-Kimi zo, "Aru yau aru koto naru besi. Suki-mono ha, sadame te waga kesiki tori si koto ni ha, sinoba nu ni ya ari kem." to omohi-yore do, ito kaku sadaka ni nokori naki sama nara m to ha, omohi-yori tamaha zari keri.

 [11-5 源氏、柏木を六条院に召す]
十二月になりにけり。十余日と定めて、舞ども習らし、殿のうちゆすりてののしる。二条の院の上は、まだ渡りたまはざりけるを、この試楽によりてぞ1752、えしづめ果てで渡りたまへる。女御の君も里におはします。このたびの御子は、また男にてなむおはしましける。すぎすぎいとをかしげにておはするを、明け暮れもて遊びたてまつりたまふになむ、過ぐる齢のしるし、うれしく思されける。試楽に、右大臣殿の北の方も渡りたまへり。
大将の君、丑寅の町にて、まづうちうちに調楽のやうに、明け暮れ遊び習らしたまひければ、かの御方は、御前の物は見たまはず。
衛門督を、かかることの折も交じらはせざらむは、いと栄なく、さうざうしかるべきうちに、人あやしと傾きぬべきことなれば、参りたまふべきよしありけるを、重くわづらふよし申して参らず。
さるは、そこはかと苦しげなる病にもあらざなるを、思ふ心のあるにやと、心苦しく思して、取り分きて御消息つかはす。父大臣も、
「などか返さひ申されける。ひがひがしきやうに、院にも聞こし召さむを、おどろおどろしき病にもあらず、助けて参りたまへ」
とそそのかし1753たまふに、かく重ねてのたまへれば、苦しと思ふ思ふ参りぬ。

 [11-5 源氏、柏木を六条院に召す]
十二月になってしまった。十何日と決めて、数々の舞を練習し、御邸中大騒ぎしている。二条院の上は、まだお移りにならなかったが、この試楽のために、落ち着き払ってもいられずお帰りになった。女御の君も里にお下がりになっていらっしゃる。今度御誕生の御子は、また男御子でいらっしゃった。次々とおかわいらしくていらっしゃるのを、一日中御子のお相手をなさっていらっしゃるので、長生きしたお蔭だと、嬉しく思わずにはいらっしゃれないのだった。試楽には、右大臣殿の北の方もお越しになった。
大将の君は、丑寅の町で、まず内々に調楽のように、毎日練習なさっていたので、あの御方は、御前での試楽は御覧にならない。
衛門督を、このような機会に参加させないようなのは、まことに引き立たず、もの足りなく感じられるし、皆が変だと思うに違いないことなので、参上なさるようにお召しがあったが、重病である旨を申し上げて参上しない。
しかし、どこがどうと苦しい病気でもないようなのに、自分に遠慮してのことかと、気の毒にお思いになって、特別にお手紙をお遣わしになる。父の大臣も、
「どうしてご辞退申されたのか。いかにもすねているように、院におかれてもお思いあそばそうから、大した病気でもない、何とかして参上なさい」
とお勧めなさっているところに、このように重ねておっしゃってきたので、苦しいと思いながらも参上した。

 [11-5 Genji invites Kashiwagi to Rokujo-in]
 Zihuni-gwati ni nari ni keri. Zihu-yo-niti to sadame te, mahi-domo narasi, tono no uti yusuri te nonosiru. Nideu-no-win no Uhe ha, mada watari tamaha zari keru wo, kono sigaku ni yori te zo, e sidume hate de watari tamahe ru. Nyougo-no-Kimi mo sato ni ohasimasu. Kono tabi no Mi-ko ha, mata wotoko ni te nam ohasimasi keru. Sugi-sugi ito wokasige ni te ohasuru wo, akekure mote-asobi tatematuri tamahu ni nam, suguru yohahi no sirusi, uresiku obosa re keru. Sigaku ni, U-Daizin-dono no Kitanokata mo watari tamahe ri.
 Daisyau-no-Kimi, Usitora-no-mati ni te, madu uti-uti ni teugaku no yau ni, akekure asobi narasi tamahi kere ba, kano ohom-kata ha, o-mahe no mono ha mi tamaha zu.
 Wemon-no-Kami wo, kakaru koto no wori mo maziraha se zara m ha, ito haye naku, sau-zausikaru beki uti ni, hito ayasi to katabuki nu beki koto nare ba, mawiri tamahu beki yosi ari keru wo, omoku wadurahu yosi mausi te mawira zu.
 Saru ha, sokohaka to kurusige naru yamahi ni mo ara za'naru wo, omohu kokoro no aru ni ya to, kokoro-kurusiku obosi te, toriwaki te ohom-seusoko tukahasu. Titi-Otodo mo,
 "Nado ka kahesahi mausa re keru. Higa-higasiki yau ni, Win ni mo kikosimesa m wo, odoro-odorosiki yamahi ni mo ara zu, tasuke te mawiri tamahe."
 to sosonokasi tamahu ni, kaku kasane te notamahe re ba, kurusi to omohu omohu mawiri nu.

 [11-6 源氏、柏木と対面す]
まだ上達部なども集ひたまはぬほどなりけり。例の気近き御簾の内に入れたまひて、母屋の御簾下ろしておはします。げに、いといたく痩せ痩せに青みて、例も誇りかにはなやぎたる方は、弟の君たちにはもて消たれて、いと用意あり顔にしづめたるさまぞことなるを、いとどしづめてさぶらひたまふさま、「などかは皇女たちの御かたはらにさし並べたらむに、さらに咎あるまじきを、ただことのさまの、誰も誰もいと思ひやりなきこそ、いと罪許しがたけれ」など、御目とまれど、さりげなく、いとなつかしく、
「そのこととなくて、対面もいと久しくなりにけり。月ごろは、いろいろの病者を見あつかひ、心の暇なきほどに、院の御賀のため、ここにものしたまふ皇女の、法事仕うまつりたまふべくありしを、次々とどこほることしげくて、かく年もせめつれば、え思ひのごとくしあへで、型のごとくなむ、斎の御鉢参るべきを、御賀などいへば、ことことしきやうなれど、家に生ひ出づる童べの数多くなりにけるを御覧ぜさせむとて、舞など習はしはじめし、そのことをだに果たさむとて。拍子調へむこと、また誰にかはと思ひめぐらしかねてなむ、月ごろ訪ぶらひものしたまはぬ恨みも捨ててける」
とのたまふ御けしきの、うらなきやうなるものから、いといと恥づかしきに、顔の色違ふらむとおぼえて、御いらへもとみに聞こえず。

 [11-6 源氏、柏木と対面す]
まだ上達部なども参上なさっていない時分であった。いつものようにお側近くの御簾の中に招き入れなさって、母屋の御簾を下ろしていらっしゃる。なるほど、実にひどく痩せて蒼い顔をしていて、いつもの陽気で派手な振る舞いは、弟の君たちに気圧されて、いかにも嗜みありげに落ち着いた態度でいるのが格別であるのを、いつもより一層静かに控えていらっしゃる様子は、「どうして内親王たちのお側に夫として並んでも、全然遜色はあるまいが、ただ今度の一件については、どちらもまことに思慮のない点に、ほんとうに罪は許せないのだ」などと、お目が止まりなさるが、平静を装って、とてもやさしく、
「特別の用件もなくて、お会いすることも久し振りになってしまった。ここいく月は、あちこちの病人を看病して、気持ちの余裕もなかった間に、院の御賀のために、こちらにいらっしゃる内親王が、御法事をして差し上げなさる予定になっていたが、次々と支障が続出して、このように年もおし迫ったので、思うとおりにもできず、型通りに精進料理を差し上げる予定だが、御賀などと言うと、仰々しいようだが、わが家に生まれた子供たちの数が多くなったのを御覧に入れようと、舞などを習わせ始めたが、その事だけでも予定どおり執り行おうと思って。調子をきちんと合わせることは、誰にお願いできようかと思案に窮していたが、いく月もお顔を見せにならなかった恨みも捨てました」
とおっしゃるご様子が、何のこだわりないような一方で、とてもとても顔も上げられない思いに、顔色も変わるような気がして、お返事もすぐには申し上げられない。

 [11-6 Genji meets and talks with Kashiwagi]
 Mada Kamdatime nado mo tudohi tamaha nu hodo nari keri. Rei no ke-dikaki mi-su no uti ni ire tamahi te, Moya no mi-su orosi te ohasimasu. Geni, ito itaku yase-yase ni awomi te, rei mo hokorika ni hanayagi taru kata ha, otouto no Kimi-tati ni ha mote keta re te, ito youi ari gaho ni sidume taru sama zo koto naru wo, itodo sidume te saburahi tamahu sama, "Nado ka ha Mi-ko-tati no ohom-katahara ni sasi-narabe tara m ni, sarani toga aru maziki wo, tada koto no sama no, tare mo tare mo ito omohi-yari naki koso, ito tumi yurusi gatakere." nado, ohom-me tomare do, sarigenaku, ito natukasiku,
 "Sono koto to naku te, taimen mo ito hisasiku nari ni keri. Tuki-goro ha, iro-iro no byauza wo mi atukahi, kokoro no itoma naki hodo ni, Win no ohom-ga no tame, koko ni monosi tamahu Miko no, hohuzi tukau-maturi tamahu beku ari si wo, tugi-tugi todokohoru koto sigeku te, kaku tosi mo seme ture ba, e omohi no gotoku si-ahe de, kata no gotoku nam, imohi no mi-hati mawiru beki wo, ohom-ga nado ihe ba, koto-kotosiki yau nare do, ihe ni ohi-iduru warahabe no kazu ohoku nari ni keru wo go-ran-ze sase m tote. Mahi nado narahasi hazime si, sono koto wo dani hatasa m tote. Hausi totonohe m koto, mata tare ni ka ha to omohi megurasi-kane te nam, tuki-goro toburahi monosi tamaha nu urami mo sute te keru."
 to notamahu mi-kesiki no, uranaki yau naru mono kara, ito ito hadukasiki ni, kaho no iro tagahu ram to oboye te, ohom-irahe mo tomi ni kikoye zu.

 [11-7 柏木と御賀について打ち合わせる]
「月ごろ、かたがたに思し悩む御こと、承り嘆きはべりながら、春のころほひより、例も患ひはべる乱り脚病といふもの、所狭く起こり患ひはべりて、はかばかしく踏み立つることもはべらず、月ごろに添へて沈みはべりてなむ、内裏などにも参らず、世の中跡絶えたるやうにて籠もりはべる。
院の御齢足りたまふ年なり、人よりさだかに数へたてまつり仕うまつるべきよし、致仕の大臣思ひ及び申されしを、『冠を掛け1754、車を惜しまず捨て1755てし身にて、進み仕うまつらむに、つくところなし。げに、下臈なりとも、同じごと深きところはべらむ。その心御覧ぜられよ』と、催し申さるることのはべしかば、重き病を相助けてなむ、参りてはべし。
今は、いよいよいとかすかなるさまに思し澄まして、いかめしき御よそひを待ちうけたてまつりたまはむこと、願はしくも思すまじく見たてまつりはべしを、事どもをば削がせたまひて、静かなる御物語の深き御願ひ叶はせたまはむなむ、まさりてはべるべき」
と申したまへば、いかめしく聞きし御賀の事を、女二の宮の御方ざまには言ひなさぬも、労ありと思す。
「ただかくなむ。こと削ぎたるさまに世人は浅く見るべきを、さはいへど、心得てものせらるるに、さればよとなむ、いとど思ひなられはべる。大将は、公方は、やうやう大人ぶめれど、かうやうに情けびたる方は、もとよりしまぬにやあらむ。
かの院、何事も心及びたまはぬことは、をさをさなきうちにも、楽の方のことは御心とどめて、いとかしこく知り調へたまへるを、さこそ思し捨てたるやうなれ、静かに聞こしめし澄まさむこと、今しもなむ心づかひせらるべき。かの大将ともろともに見入れて、舞の童べの用意、心ばへ、よく加へたまへ。物の師などいふものは、ただわが立てたることこそあれ、いと口惜しきものなり」
など、いとなつかしくのたまひつくるを、うれしきものから、苦しくつつましくて、言少なにて、この御前をとく立ちなむと思へば、例のやうにこまやかにもあらで、やうやうすべり出でぬ。
東の御殿にて、大将のつくろひ出だしたまふ楽人、舞人の装束のことなど、またまた行なひ加へたまふ。あるべき限りいみじく尽くしたまへるに、いとど詳しき心しらひ添ふも、げにこの道は、いと深き人にぞものしたまふめる。

 [11-7 柏木と御賀について打ち合わせる]
「ここいく月、あちらの方こちらの方のご病気にご心配でいらっしゃったお噂を、お聞きいたしてお案じ申し上げておりましたが、春ごろから、普段も病んでおりました脚気という病気が、ひどくなって苦しみまして、ちゃんと立ち歩くこともできませんで、月日が経つにつれて臥せっておりまして、内裏などにも参内せず、世間とすっかり没交渉になったようにして家に籠もっておりました。
院のお年がちょうどにおなりあそばす年であり、誰よりも人一倍しっかりしたお祝いをして差し上げるよう、致仕の大臣も思って申されましたが、『冠を挂け、車を惜しまず捨てて官職を退いた身で、進み出てお祝い申し上げるようなのも身の置き所がない。なるほど、そなたは身分が低いと言っても、自分と同じように深い気持ちは持っていよう。その気持ちを御覧に入れなさい』と、催促申されることがございましたので、重病をあれこれ押して、参上いたしました。
このごろは、ますますひっそりとしたご様子で俗世間のことはお考えにならずお過ごしあそばしていらっしゃいまして、盛大なお祝いの儀式をお待ち受け申されることは、お望みではありますまいと拝察いたしましたが、諸事簡略にあそばして、静かなお話し合いを心からお望みであるのを叶えて差し上げるのが、上策かと存じられます」
とお申し上げなさったので、盛大であったと聞いた御賀の事を、女二の宮の事とは言わないのは、大したものだとお思いになる。
「ただこのとおりだ。簡略な様子に世間の人は浅薄に思うに違いないが、さすがに、よく分かってくれるので、思ったとおりで良かったと、ますます安心して来ました。大将は、朝廷の方では、だんだん一人前になって来たようだが、このように風流な方面は、もともと性に合わないのであろうか。
あちらの院は、どのような事でもお心得のないことは、ほとんどない中でも、音楽の方面には御熱心で、まことに御立派に精通していらっしゃるから、そのように世をお捨てになっているようだが、静かにお心を澄まして音楽をお聞きになることは、このような時にこそ気づかいすべきでしょう。あの大将と一緒に面倒を見て、舞の子供たちの心構えや、嗜みをよく教えてやって下さい。音楽の師匠などというものは、ただ自分の専門についてはともかくも、他はまったくどうしようもないものです」
などと、たいそうやさしくお頼みになるので、嬉しく思う一方で、辛く身の縮む思いがして、口数少なくこの御前を早く去りたいと思うので、いつものようにこまごまと申し上げず、やっとの思いで下がりになった。
東の御殿で、大将が用意なさった楽人、舞人の装束のことなどを、さらに重ねて指図をお加えになる。できるかぎり立派になさっていた上に、ますます細やかな心づかいが加わるのも、なるほどこの道には、まことに深い人でいらっしゃるようである。

 [11-7 Genji asks Kashiwagi for an advice about the celebrstion]
 "Tuki-goro, kata-gata ni obosi nayamu ohom-koto, uketamahri nageki haberi nagara, haru no korohohi yori, rei mo wadurahi haberu midari kakubyau to ihu mono, tokoro-seku okori wadurahi haberi te, haka-bakasiku humi taturu koto mo habera zu, tuki-goro ni sohe te sidumi haberi te nam, Uti nado ni mo mawira zu, yononaka ato taye taru yau ni te komori haberu.
 Win no ohom-yohahi tari tamahu tosi nari, hito yori sadaka ni kazohe tatematuri tukau-maturu beki yosi, Tizi-no-Otodo omohi oyobi mausa re si wo, "Kauburi wo kake, kuruma wo wosima zu sute te si mi ni te, susumi tukau-matura m ni, tuku tokoro nasi. Geni, gerahu nari to mo, onazi goto hukaki tokoro habera m. Sono kokoro go-ran-ze rare yo." to, moyohosi mausa ruru koto no habe' sika ba, omoki yamahi wo ahi-tasuke te nam, mawiri te habe' si.
 Ima ha, iyo-iyo ito kasuka naru sama ni obosi-sumasi te, ikamesiki ohom-yosohi wo mati-uke tatematuri tamaha m koto, negahasiku mo obosu maziku mi tatematuri habe' si wo, koto-domo wo ba soga se tamahi te, siduka naru ohom-monogatari no hukaki ohom-negahi kanaha se tamaha m nam, masari te haberu beki."
 to mausi tamahe ba, ikamesiku kiki si ohom-ga no koto wo, Womna-Ni-no-Miya no ohom-kata zama ni ha ihi-nasa nu mo, rau ari to obosu.
 "Tada kaku nam. Koto-sogi taru sama ni yo-hito ha asaku miru beki wo, sa ha ihe do, kokoro-e te monose raruru ni, sare ba yo to nam, itodo omohi nara re haberu. Daisyau ha, ohoyake-gata ha, yau-yau otona-bu mere do, kauyau ni nasake-bi taru kata ha, moto yori sima nu ni ya ara m?
 Kano Win, nai-goto mo kokoro oyobi tamaha nu koto ha, wosa-wosa naki uti ni mo, gaku no koto ha mi-kokoro todome te, ito kasikoku siri totonohe tamahe ru wo, sa koso obosi sute taru yau nare, siduka ni kikosimesi suma sa m koto, ima si mo nam kokoro-dukahi se raru beki. Kano Daisyau to morotomo ni mi-ire te, mahi no warahabe no youi, kokorobahe, yoku kuhahe tamahe. Mono no si nado ihu mono ha, tada waga tate taru koto koso are, ito kutiwosiki mono nari."
 nado, ito natukasiku notamahi tukuru wo, uresiki mono kara, kurusiku tutumasiku te, koto-sukuna ni te, kono o-mahe wo toku tati nam to omohe ba, rei no yau ni komayaka ni mo ara de, yau-yau suberi ide nu.
 Himgasi no o-todo ni te, Daisyau no tukurohi idasi tamahu gaku-nin, mahi-bito no sauzoku no koto nado, mata mata okonahi kuhahe tamahu. Aru beki kagiri imiziku tukusi tamahe ru ni, itodo kuhasiki kokoro-sirahi sohu mo, geni kono miti ha, ito hukaki hito ni zo monosi tamahu meru.

 12 柏木の物語 源氏から睨まれる [12-1 御賀の試楽の当日]
今日は、かかる試みの日なれど、御方々物見たまはむに、見所なくはあらせじとて、かの御賀の日は、赤き白橡に、葡萄染の下襲を着るべし、今日は、青色に蘇芳襲、楽人三十人、今日は白襲を着たる、辰巳の方の釣殿に続きたる廊を楽所にて、山の南の側より御前に出づるほど、「仙遊霞」といふもの遊びて、雪のただいささか散るに、春のとなり近く1756、梅のけしき1757見るかひありてほほ笑みたり。
廂の御簾の内におはしませば、式部卿宮、右大臣ばかりさぶらひたまひて、それより下の上達部は簀子に、わざとならぬ日のことにて、御饗など、気近きほどに仕うまつりなしたり。
右の大殿の四郎君、大将殿の三郎君、兵部卿宮の孫王の君たち二人は、「万歳楽」。まだいと小さきほどにて、いとろうたげなり。四人ながら、いづれとなく高き家の子にて、容貌をかしげにかしづき出でたる、思ひなしも、やむごとなし。
また、大将の典侍1758腹の二郎君、式部卿宮の兵衛督といひし、今は源中納言の御子、「皇じやう」。右の大殿の三郎君、「陵王」。大将殿の太郎、「落蹲」。さては「太平楽」、「喜春楽」などいふ舞どもをなむ、同じ御仲らひの君たち、大人たちなど舞ひける。
暮れゆけば、御簾上げさせたまひて、物の興まさるに、いとうつくしき御孫の君たちの容貌、姿にて、舞のさまも、世に見えぬ手を尽くして、御師どもも、おのおの手の限りを教へきこえけるに、深きかどかどしさを加へて、珍らかに舞ひたまふを、いづれをもいとらうたしと思す。老いたまへる上達部たちは、皆涙落としたまふ。式部卿宮も、御孫を思して、御鼻の色づくまでしほたれたまふ。

 12 柏木の物語 源氏から睨まれる [12-1 御賀の試楽の当日]
今日は、このような試楽の日であるが、ご夫人方が見物なさるので、見がいのないようにはしまいと思って、あの御賀の日は、赤い白橡に葡萄染の下襲を着るのであろう、今日は、青色に蘇芳襲の下襲を着て、楽人三十人は、今日は白襲を着ているが、東南の方の釣殿に続いている廊を楽所にして、山の南の側から御前に出る所で、「仙遊霞」という楽を奏して、雪がほんのわずか散らついたので、春の隣に近い、梅の花の様子が見栄えがしてほころびかけていた。
廂の御簾の内側にいらっしゃるので、式部卿宮、右大臣ぐらいがお側に伺候していらっしゃるだけで、それ以下の上達部は簀子で、特別の日でないので、御饗応などは、お手軽な物を用意してあった。
右の大殿の四郎君、大将殿の三郎君、兵部卿宮の孫王の公達二人は、「万歳楽」。まだとても小さい年なので、とてもかわいらしげである。四人とも、誰彼となく高貴な家柄のお子なので、器量もかわいらしく装い立てられている姿は、そう思うせいか、気品がある。
また、大将の典侍がお生みになった二郎君と、式部卿宮の兵衛督と言った人で、今では源中納言になっている方の御子は「皇じょう」。右の大殿の三郎君は、「陵王」。大将殿の太郎は、「落蹲」。その他では「太平楽」、「喜春楽」などと言ういくつもの舞を、同じ一族の子供たちや大人たちなどが舞ったのであった。
日が暮れて来たので、御簾を上げさせなさって、感興が高まっていくにつれて、実にかわいらしいお孫の君たちの器量や、姿で、舞の様子も、又とは見られない妙技を尽くして、お師匠たちも、それぞれ技のすべてをお教え申し上げたうえに、深い才覚をそれに加えて、素晴らしくお舞いになるのを、どの御子もかわいいとお思いになる。年老いた上達部たちは、皆涙を落としなさる。式部卿宮も、お孫のことをお思いになって、お鼻が赤く色づくほどお泣きになる。

 12 Tale of Kashiwagi Genji stares Kashiwagi [12-1 The day of rehearsal]
 Kehu ha, kakaru kokoromi no hi nare do, ohom-kata-gata mono mi tamaha m ni, mi-dokoro naku ha ara se zi tote, kano ohom-ga no hi ha, akaki sira-turubami ni, ebi-zome no sita-gasane wo kiru besi, kehu ha, awo-iro ni suhau-gasane, gaku-nin samzihu-nin, kehu ha sira-gasane wo ki taru, tatumi no kata no Turi-dono ni tuduki taru rau wo gaku-so ni te, yama no minami no soba yori o-mahe ni iduru hodo, Senyuuka to ihu mono asobi te, yuki no tada isasaka tiru ni, haru no tonari tikaku, ume no kesiki miru kahi ari te hohowemi tari.
 Hisasi no mi-su no uti ni ohasimase ba, Sikibukyau-no-Miya, Migi-no-Otodo bakari saburahi tamahi te, sore yori simo no Kamdatime ha sunoko ni, wazato nara nu hi no koto ni te, ohom-aruzi nado, ke-dikaki hodo ni tukau-maturi-nasi tari.
 Migi-no-Ohotono no Sirau-Gimi, Daisyau-dono no Saburau-Gimi, Hyaubukyau-no-Miya no sonwau no Kimi-tati hutari ha, Manzai-raku. Mada ito tihisaki hodo ni te, ito rautage nari. Yo-tari nagara, idure to naku takaki ihe no ko ni te, katati wokasige ni kasiduki ide taru, omohi-nasi mo, yamgotonasi.
 Mata, Daisyau no Naisinosuke-bara no Zirau-Gimi, Sikibukyau-no-Miya no Hyauwe-no-Kami to ihi si, ima ha Gwen-Tiunagon no Mi-ko, Wauzyau. Migi-no-Ohoidono no Saburau-Gimi, Ryauwau. Daisyau-dono no Tarau, Rakuson. Sate ha Taihei-raku, Kisun-raku nado ihu mahi-domo wo nam, onazi ohom-nakarahi no Kimi-tati, Otona-tati nado mahi keru.
 Kure yuke ba, mi-su age sase tamahi te, mono no kyou masaru ni, ito utukusiki ohom-mago no Kimi-tati no katati, sugata ni te, mahi no sama mo, yo ni miye nu te wo tukusi te, ohom-si-domo mo, ono-ono te no kagiri wo wosihe kikoye keru ni, hukaki kado-kadosisa wo kuhahe te, meduraka ni mahi tamahu wo, idure wo mo ito rautasi to obosu. Oyi tamahe ru Kamdatime-tati ha, mina namida otosi tamahu. Sikibukyau-no-Miya mo, ohom-mago wo obosi te, ohom-hana no iro-duku made sihotare tamahu.

 [12-2 源氏、柏木に皮肉を言う]
主人の院、
「過ぐる齢に添へては、酔ひ泣きこそとどめがたきわざなりけれ。衛門督、心とどめてほほ笑まるる、いと心恥づかしや。さりとも、今しばしならむ。さかさまに行かぬ年月1759よ。老いはえ逃れぬわざなり」
とて、うち見やりたまふに、人よりけにまめだち屈じて、まことに心地もいと悩ましければ、いみじきことも目もとまらぬ心地する人をしも、さしわきて、空酔ひをしつつかくのたまふ。戯れのやうなれど、いとど胸つぶれて、盃のめぐり来るも頭いたくおぼゆれば、けしきばかりにて紛らはすを、御覧じ咎めて、持たせながらたびたび強ひたまへば、はしたなくて、もてわづらふさま、なべての人に似ずをかし。
心地かき乱りて堪へがたければ、まだことも果てぬにまかでたまひぬるままに、いといたく惑ひて、
「例の、いとおどろおどろしき酔ひにもあらぬを、いかなればかかるならむ。つつましとものを思ひつるに、気ののぼりぬるにや。いとさいふばかり臆すべき心弱さとはおぼえぬを、言ふかひなくもありけるかな」
とみづから思ひ知らる。
しばしの酔ひの惑ひにもあらざりけり。やがていといたくわづらひたまふ。大臣、母北の方思し騷ぎて、よそよそにていとおぼつかなしとて、殿に渡したてまつりたまふを、女宮の思したるさま、またいと心苦し。

 [12-2 源氏、柏木に皮肉を言う]
ご主人の院は、
「寄る年波とともに、酔泣きの癖は止められないものだな。衛門督が目を止めてほほ笑んでいるのは、まことに恥ずかしくなるよ。そうは言っても、もう暫くの間だろう。さかさまには進まない年月さ。老いは逃れることのできないものだよ」
と言って、ちらっと御覧やりなさると、誰よりも一段とかしこまって塞ぎ込んで、真実に気分もたいそう悪いので、試楽の素晴らしさも目に入らない気分でいる人をつかまえて、わざと名指しで、酔ったふりをしながらこのようにおっしゃる。冗談のようであるが、ますます胸が痛くなって、杯が回って来るのも頭が痛く思われるので、真似事だけでごまかすのを、お見咎めなさって、杯をお持ちになりながら何度も無理にお勧めなさるので、いたたまれない思いで、困っている様子、普通の人と違って優雅である。
気分が悪くて我慢できないので、まだ宴も終わらないのにお帰りになったが、そのままひどく苦しくなって、
「いつものような、大した深酔いしたのでもないのに、どうしてこんなに苦しいのであろうか。何か気が咎めていたためか、上気してしまったのだろうか。そんなに怖気づくほどの意気地なしだとは思わなかったが、何とも不甲斐ない有様だった」
と自分自身思わずにはいられない。
一時の酔の苦しみではなかったのであった。そのまままことひどくお病みになる。大臣、母北の方が心配なさって、別々に住んでいたのでは気がかりであると考えて、邸にお移し申されるのを、女宮がお悲しみになる様子、それはそれでまたお気の毒である。

 [12-2 Genji talks cynically at Kashiwagi]
 Aruzi-no-Win,
 "Suguru yohahi ni sohe te ha, wehi-naki koso todome gataki waza nari kere! Wemon-no-Kami, kokoro todome te hohowema ruru, ito kokoro-hadukasi ya! Sari to mo, ima sibasi nara m. Sakasama ni yuka nu tosi-tuki yo! Oyi ha e nogare nu waza nari."
 tote, uti-miyari tamahu ni, hito yori keni mamedati kun-zi te, makoto ni kokoti mo ito nayamasikere ba, imiziki koto mo me mo tomara nu kokoti suru hito wo si mo, sasiwaki te, sora-wehi wo si tutu kaku notamahu. Tahabure no yau nare do, itodo mune tubure te, sakaduki no meguri kuru mo kasira itaku oboyure ba, kesiki bakari ni te magirahasu wo, go-ran-zi togame te, mota se nagara tabi-tabi sihi tamahe ba, hasitanaku te, mote-wadurahu sama, nabete no hito ni ni zu wokasi.
 Kokoti kaki midari te tahe gatakere ba, mada koto mo hate nu ni makade tamahi nuru mama ni, ito itaku madohi te,
 "Rei no, ito odoro-odorosiki wehi ni mo ara nu wo, ika nare ba kakaru nara m? Tutumasi to mono wo omohi turu ni, ke no nobori nuru ni ya? Ito sa ihu bakari oku-su beki kokoro-yowasa to ha oboye nu wo, ihu-kahi naku mo ari keru kana!"
 to midukara omohi sira ru.
 Sibasi no wehi no madohi ni mo ara zari keri. Yagate ito itaku wadurahi tamahu. Otodo, haha-Kitanokata obosi sawagi te, yoso-yoso ni te ito obotukanasi tote, tono ni watasi tatematuri tamahu wo, Womna-Miya no obosi taru sama, mata ito kokoro-gurusi.

 [12-3 柏木、女二の宮邸を出る]
ことなくて過ぐす月日1760は、心のどかにあいな頼みして、いとしもあらぬ御心ざしなれど、今はと別れ1761たてまつるべき門出にやと思ふは、あはれに悲しく、後れて思し嘆かむことのかたじけなきを、いみじと思ふ。母御息所も、いといみじく嘆きたまひて、
「世のこととして、親をばなほさるものにおきたてまつりて、かかる御仲らひは、とある折もかかる折も、離れたまはぬこそ例のことなれ、かく引き別れて、たひらかにものしたまふまでも過ぐしたまはむが、心尽くしなるべきことを、しばしここにて、かくて試みたまへ」
と、御かたはらに御几帳ばかりを隔てて見たてまつりたまふ。
「ことわりや。数ならぬ身にて、及びがたき御仲らひに、なまじひに許されたてまつりて、さぶらふしるしには、長く世にはべりて、かひなき身のほども、すこし人と等しくなるけぢめをもや御覧ぜらるる、とこそ思うたまへつれ、いといみじく、かくさへなりはべれば、深き心ざしをだに御覧じ果てられずやなりはべりなむと思うたまふるになむ、とまりがたき心地にも、え行きやるまじく思ひたまへらるる」
など、かたみに泣きたまひて、とみにもえ渡りたまはねば、また母北の方、うしろめたく思して、
「などか、まづ見えむとは思ひたまふまじき。われは、心地もすこし例ならず心細き時は、あまたの中に、まづ取り分きてゆかしくも頼もしくもこそおぼえたまへ。かくいとおぼつかなきこと」
と恨みきこえたまふも、また、いとことわりなり1762。
「人より先なりけるけぢめにや、取り分きて思ひならひたるを、今になほかなしくしたまひて、しばしも見えぬをば苦しきものにしたまへば、心地のかく限りにおぼゆる折しも、見えたてまつらざらむ、罪深く、いぶせかるべし。
今はと頼みなく聞かせたまはば、いと忍びて渡りたまひて御覧ぜよ。かならずまた対面賜はらむ。あやしくたゆくおろかなる本性にて、ことに触れておろかに思さるることありつらむこそ、悔しくはべれ。かかる命のほどを知らで、行く末長くのみ思ひはべりけること」
と、泣く泣く渡りたまひぬ。宮はとまりたまひて、言ふ方なく思しこがれたり。

 [12-3 柏木、女二の宮邸を出る]
特別の事がない月日は、のんびりと当てにならない将来のことを当てにして、格別深い愛情もかけなかったが、今が最後と思ってお別れ申し上げる門出であろうかと思うと、しみじみと悲しく、自分に先立たれてお嘆きになるだろうことの恐れ多さを、とても辛いと思う。母御息所も、ひどくお嘆きになって、
「世間普通の事として、親は親としてひとまずお立て申しても、このような夫婦のお間柄は、どのような時でも、お離れにならないのが常のことですが、このように離れて、よくお治りになるまであちらでお過ごしになるのが、心配でならないでしょうから、もう暫くこちらで、このままご養生なさって下さい」
と、お側に御几帳だけを間に置いてご看病なさる。
「ごもっともなことです。取るに足りない身の上で、及びもつかないご結婚を、なまじお許し頂きまして、こうしてお側におりますその感謝には、長生きをしまして、つまらない身の上も、もう少し人並みとなるところを御覧に入れたいと存じておりましたが、とてもひどく、このようにまでなってしまいましたので、せめて深い愛情だけでも御覧になって頂けずに終わってしまうのではないか存じられまして、生き永らえられそうにない気がするにつけても、まこと安心してあの世に行けそうにも存じられません」
などと、お互いにお泣きになって、すぐにもお移りにならないので、再び母北の方が、気がかりにお思いになって、
「どうして、まずは顔を見せようとはお思いになさらないのだろうか。わたしは、少しでも気分のいつもと違って心細い時は、大勢の子らの中で、まず第一に会いたくなり頼りに思っているのです。このように大変に気がかりなこと」
とお恨み申し上げなさるのも、これもまた、もっともなことである。
「他の兄弟より先に生まれたせいでしょうか、特別にかわいがっていたので、今でもやはりいとしくお思いになって、少しの間でも会わないのを辛くお思いになっているので、気分がこのように最期かと思われるような時に、お目にかからないのは、罪障深く、気が塞ぐことでしょう。
今はいよいよ危篤とお聞きあそばしたら、たいそうこっそりお越しになってお会い下さい。必ず再びお会いしましょう。妙に気がつかないふつつかな性分で、何かにつけて疎略な扱いであったとお思いになることがおありだったでしょうと、後悔されます。このような寿命とは知らないで、将来末長くご一緒にとばかり思っておりました」
と言って、泣き泣きお移りになった。宮はお残りになって、何とも言いようもなく恋い焦がれなさった。

 [12-3 Kashiwagi leaves Omna-Ni-no-Miya's home]
 Koto naku te sugusu tuki-hi ha, kokoro nodoka ni aina-danomi si te, ito si mo ara nu mi-kokorozasi nare do, ima ha to wakare tatematuru beki kadode ni ya to omohu ha, ahare ni kanasiku, okure te obosi nageka m koto no katazikenaki wo, imizi to omohu. Haha-Miyasumdokoro mo, ito imiziku nageki tamahi te,
 "Yo no koto to si te, oya wo ba naho saru mono ni oki tatematuri te, kakaru ohom-nakarahi ha, to aru wori mo kakaru wori mo, hanare tamaha nu koso rei no koto nare, kaku hiki-wakare te, tahiraka ni monosi tamahu made mo sugusi tamaha m ga, kokoro-dukusi naru beki koto wo, sibasi koko ni te, kaku te kokoromi tamahe."
 to, ohom-katahara ni mi-kityau bakari wo hedate te mi tatematuri tamhu.
 "Kotowari ya! Kazu nara nu mi ni te, oyobi gataki ohom-nakarahi ni, namazihi ni yurusa re tatematuri te, saburahu sirusi ni ha, nagaku yo ni haberi te, kahi naki mi no hodo mo, sukosi hito to hitosiku naru kedime wo mo ya go-ran-ze raruru, to koso omou tamahe ture, ito imiziku, kaku sahe nari habere ba, hukaki kokorozasi wo dani go-ran-zi hate rare zu ya nari haberi na m to omou tamahuru ni nam, tomari gataki kokoti ni mo, e yuki-yaru maziku omohi tamahe raruru."
 nado, katami ni naki tamahi te, tomi ni mo e watari tamaha ne ba, mata haha-Kitanokata, usirometaku obosi te,
 "Nado ka, madu miye m to ha omohi tamahu maziki? Ware ha, kokoti mo sukosi rei nara zu kokoro-bosoki toki ha, amata no naka ni, madu toriwaki te yukasiku mo tanomosiku mo koso oboye tamahe. Kaku ito obotukanaki koto."
 to urami kikoye tamahu mo, mata, ito kotowari nari.
 "Hito yori saki nari keru kedime ni ya, toriwaki te omohi narahi taru wo, ima ni naho kanasiku si tamahi te, sibasi mo miye nu wo ba kurusiki mono ni si tamahe ba, kokoti no kaku kagiri ni oboyuru wori si mo, miye tatematura zara m, tumi hukaku, ibusekaru besi.
 Ima ha to tanomi naku kika se tamaha ba, ito sinobi te watari tamahi te go-ran-ze yo. Kanarazu mata taimen tamahara m. Ayasiku tayuku oroka naru honzyau ni te, koto ni hure te oroka ni obosa ruru koto ari tura m koso, kuyasiku habere. Kakaru inoti no hodo wo sira de, yuku-suwe nagaku nomi omohi haberi keru koto."
 to, naku naku watari tamahi nu. Miya ha tomari tamahi te, ihu kata naku obosi kogare tari.

 [12-4 柏木の病、さらに重くなる]
大殿に待ち受けきこえたまひて、よろづに騷ぎたまふ。さるは、たちまちにおどろおどろしき御心地のさまにもあらず、月ごろ物などをさらに参らざりけるに、いとどはかなき柑子などをだに触れたまはず、ただ、やうやうものに引き入るるやうに見えたまふ。
さる時の有職の、かくものしたまへば、世の中惜しみあたらしがりて、御訪らひに参りたまはぬ人なし。内裏よりも院よりも、御訪らひしばしば聞こえつつ、いみじく惜しみ思し召したるにも、いとどしき親たちの御心のみ惑ふ。
六条院にも、「いと口惜しきわざなり」と思しおどろきて、御訪らひにたびたびねむごろに父大臣にも聞こえたまふ。大将は、ましていとよき御仲なれば、気近くものしたまひつつ、いみじく嘆きありきたまふ。
御賀は、二十五日になりにけり。かかる時のやむごとなき上達部の重く患ひたまふに、親、兄弟、あまたの人々、さる高き1763御仲らひの嘆きしをれたまへるころほひにて、ものすさまじきやうなれど、次々に滞りつることだにあるを、さて止むまじきことなれば、いかでかは思し止まらむ。女宮の御心のうちをぞ、いとほしく思ひきこえさせたまふ。
例の、五十寺の御誦経、また、かのおはします御寺にも、摩訶毘盧遮那の。

 [12-4 柏木の病、さらに重くなる]
大殿ではお待ち受け申し上げなさって、いろいろと大騒ぎをなさる。そうはいえ、急変するようなご病気の様子でもなく、ここいく月も食べ物などをまったくお召し上がりにならなかったが、ますますちょっとした柑子などでさえお手を触れにならず、ただ、冥界に引き込まれていくようにお見えになる。
このような当代の優れた人物が、こんなでいらっしゃるので、世間中が惜しみ残念がって、お見舞いに上がらない人はいない。朝廷からも院の御所からも、お見舞いを度々差し上げては、ひどく惜しんでいらっしゃるのにつけても、ますますご両親のお心は痛むばかりである。
六条院におかれても、「まことに残念なことだ」とお嘆きになって、お見舞いを頻繁に丁重に父大臣にも差し上げなさる。大将は、それ以上に仲の好い間柄なので、お側近くに見舞っては、大変にお嘆きになっておろおろしていらっしゃる。
御賀は、二十五日になってしまった。このような時に重々しい上達部が重病でいらっしゃるので、親、兄弟たち、大勢の方々、そういう高貴なご縁戚や友人方が嘆き沈んでいらっしゃる折柄なので、何か興の冷めた感じもするが、次々と延期されて来た事情さえあるのに、このまま中止にすることもできないので、どうして断念なされよう。女宮のご心中を、おいたわしくお察し上げになる。
例によって、五十寺の御誦経、それから、あちらのおいでになる御寺でも、摩訶毘廬遮那の御誦経が。

 [12-4 Kashiwagi falls into a critical condition]
 Ohotono ni mati-uke kikoye tamahi te, yorodu ni sawagi tamahu. Saru ha, tatimati ni odoro-odorosiki mi-kokoti no sama ni mo ara zu, tuki-goro mono nado wo sarani mawira zari keru ni, itodo hakanaki kauzi nado wo dani hure tamaha zu, tada, yau-yau mono ni hiki-iruru yau ni miye tamahu.
 Saru toki no iusoku no, kaku monosi tamahe ba, yononaka wosimi atarasigari te, ohom-toburahi ni mawiri tamaha nu hito nasi. Uti yori mo Win yori mo, ohom-toburahi siba-siba kikoye tutu, imiziku wosimi obosimesi taru ni mo, itodosiki oya-tati no mi-kokoro nomi madohu.
 Rokudeu-no-Win ni mo, "Ito kutiwosiki waza nari." to obosi odoroki te, ohom-toburahi ni tabi-tabi nemgoro ni titi-Otodo ni mo kikoye tamahu. Daisyau ha, masite ito yoki ohom-naka nare ba, ke-dikaku monosi tamahi tutu, imiziku nageki ariki tamahu.
 Ohom-ga ha, nizihu-go-niti ni nari ni keri. Kakaru toki no yamgotonaki Kamdatime no omoku wadurahi tamahu ni, oya, harakara, amata no hito-bito, saru takaki ohom-nakarahi no nageki siwore tamahe ru korohohi ni te, mono susamaziki yau nare do, tugi-tugi ni todokohori turu koto dani aru wo, sate yamu maziki koto nare ba, ikade ka ha obosi todomara m. Womna-Miya no mi-kokoro no uti wo zo, itohosiku omohi kikoye sase tamahu.
 Rei no, go-zihu-zi no mi-zukyau, mata, kano ohasimasu mi-tera ni mo, Makabirusana no.

 出典

 校訂
備考--(/) ミセケチ--$ 抹消--# 補入--+ 傍書--= ナゾリ--& 独自異文等--* 朱筆--<朱> 不明--△

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Last Modified: Tuesday, August 31, 2004
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