源氏物語

Genji monogatari

紫式部 Murasaki Shikibu

1 女三の宮の物語 持仏開眼供養

2 光る源氏の物語 六条院と冷泉院の中秋の宴

3 秋好中宮の物語 出家と母の罪を思う

1 Tale of Omna-Sam-no-Miya A new statue of Buddha service

2 Tale of Genji Two banquets of middle-fall at Rokujo-in and Reizei-in

3 Tale of Akikonomu Thinking to be a nun and her mother's a sin

 1 女三の宮の物語 持仏開眼供養 [1-1 持仏開眼供養の準備]
夏ごろ、蓮の花の盛りに、入道の姫宮の御持仏どもあらはしたまへる、供養ぜさせたまふ。
このたびは、大殿の君の御心ざしにて、御念誦堂の具ども、こまかに調へさせたまへるを、やがてしつらはせたまふ。幡のさまなどなつかしう、心ことなる唐の錦を選び縫はせたまへり。紫の上ぞ、急ぎせさせたまひける。
花机の覆ひなどのをかしき目染もなつかしう、きよらなる匂ひ、染めつけられたる心ばへ、目馴れぬさまなり。夜の御帳の帷を、四面ながら上げて、後ろの方に法華の曼陀羅かけたてまつりて、銀の花瓶に、高くことことしき花の色を調へてたてまつり、名香に、唐の百歩の薫衣香を焚きたまへり。
阿弥陀仏、脇士の菩薩、おのおの白檀して作りたてまつりたる、こまかにうつくしげなり。閼伽の具は、例の、きはやかに小さくて、青き、白き、紫の蓮を調へて、荷葉の方を合はせたる名香、蜜を隠しほほろげて、焚き匂はしたる、一つ薫りに匂ひ合ひて、いとなつかし。
経は、六道の衆生のために六部書かせたまひて、みづからの御持経は、院ぞ御手づから書かせたまひける。これをだに、この世の結縁にて、かたみに導き交はしたまふべき心を、願文に作らせたまへり。
さては、阿弥陀経、唐の紙はもろくて、朝夕の御手慣らしにもいかがとて、紙屋の人を召して、ことに仰せ言賜ひて、心ことにきよらに漉かせたまへるに、この春のころほひより、御心とどめて急ぎ書かせたまへるかひありて、端を見たまふ人々、目もかかやき惑ひたまふ。
罫かけたる金の筋よりも、墨つきの上にかかやくさまなども、いとなむめづらかなりける。軸、表紙、筥のさまなど、いへばさらなり1856かし。これはことに沈の花足の机に据ゑて、仏の御同じ1857帳台の上に飾らせたまへり。

 1 女三の宮の物語 持仏開眼供養 [1-1 持仏開眼供養の準備]
夏頃、蓮の花の盛りに、入道の姫宮が御持仏の数々をお造りになったのを、開眼供養を催しあそばす。
今回は、大殿の君のお志で、御念誦堂の道具類も、こまごまとご準備させていたのを、そっくりそのままお飾りあそばす。幡の様子など優しい感じで、特別な唐の錦を選んでお縫わせなさった。紫の上が、ご準備させなさったのであった。
花机の覆いなどの美しい絞り染も優しい感じで、美しい色艶が、染め上げられている趣向など、またとない素晴らしさである。夜の御帳台の帷子を、四面とも上げて、後方に法華の曼陀羅をお掛け申して、銀の花瓶に、高々と見事な蓮の花を揃えてお供えになって、名香には、唐の百歩の衣香を焚いていらっしゃる。
阿彌陀仏、脇士の菩薩、それぞれ白檀でお造り申してあるのが、繊細で美しい感じである。閼伽の道具は、例によって、際立って小さくて、青色、白色、紫の蓮の色を揃えて、荷葉香を調合したお香は、蜜を控えてぼろぼろに崩して、焚き匂わしているのが、一緒に匂って、とても優しい感じがする。
経は、六道の衆生のために六部お書きあそばして、ご自身の御持経は、院がご自身でお書きあそばしたのであった。せめてこれだけでも、この世の結縁として、互いに極楽浄土に導き合いなさるようにとの旨を願文にお作りあそばした。
その他には、阿彌陀経、唐の紙はもろいので、朝夕のご使用にはどのようなものかしらと考えて、紙屋院の官人を召して、特別にご命令を下して、格別美しく漉かせなさった紙に、この春頃から、お心を込めて急いでお書きあそばしたかいがあって、その片端を御覧になった方々、目も眩むほどに驚いていらっしゃる。
罫に引いた金泥の線よりも、墨の跡の方がさらに輝くように立派な様子などが、まことに見事なものであった。軸、表紙、箱の様子など、言うまでもないことである。これは特に沈の花足の机の上に置いて、仏と同じ御帳台の上に飾らせなさった。

 1 Tale of Omna-Sam-no-Miya A new statue of Buddha service [1-1 A preparation for a new statue of Buddha service]
 Natu goro, hatisu no hana no sakari ni, Nihudau-no-Himemiya no ohom-dibutu-domo arahasi tamahe ru, kuyau-ze sase tamahu.
 Kono-tabi ha, Otodo-no-Kimi no mi-kokorozasi ni te, go-nenzu-dau no gu-domo, komaka ni totonohe sase tamahe ru wo, yagate siturahase tamahu. Hata no sama nado natukasiu, kokoro koto naru Kara no nisiki wo erabi nuha se tamahe ri. Murasaki-no-Uhe zo, isogi se sase tamahi keru.
 Hana-dukuwe no ohohi nado no wokasiki me-zome mo natukasiu, kiyora naru nihohi, some-tuke rare taru kokorobahe, me nare nu sama nari. Yoru no mi-tyau no katabira wo, yo-omote nagara age te, usiro no kata ni Hoke no mandara kake tatematuri te, sirogane no hana game ni, takaku koto-kotosiki hana no iro wo totonohe te tatematuri, myaugau ni, Kara no hyakubu no kunoe-kau wo taki tamahe ri.
 Amida-butu, keuzi no Bosati, ono-ono byakudan si te tukuri tatematuri taru, komaka ni utukusige nari. Aka no gu ha, rei no, kihayaka ni tihisaku te, awoki, siroki, murasaki no hatisu wo totonohe te, kaehu no hau wo ahase taru myaugau, miti wo kakusi hohoroge te, taki nihohasi taru, hitotu kawori ni nihohi-ahi te, ito natukasi.
 Kyau ha, roku-dau no syuzyau no tame ni roku-bu kaka se tamahi te, midukara no ohom-dikyau ha, Win zo ohom-tedukara kaka se tamahi keru. Kore wo dani, kono yo no ketien ni te, katami ni mitibiki kahasi tamahu beki kokoro wo, gwanmon ni tukura se tamahe ri.
 Sate ha, Amida-kyau, Kara no kami ha moroku te, asa-yuhu no ohom-te-narasi ni mo ikaga tote, Kamiya no hito mesi te, koto ni ohose-goto tamahi te, kokoro koto ni kiyora ni suka se tamahe ru ni, kono haru no korohohi yori, mi-kokoro todome te isogi kaka se tamahe ru kahi ari te, hasi wo mi tamahu hito-bito, me mo kakayaki madohi tamahu.
 Ke kake taru kane no sudi yori mo, sumi-tuki no uhe ni kakayaku sama nado mo, ito nam meduraka nari keru. Diku, heusi, hako no sama nado, ihe ba sara nari. Kore ha koto ni din no kesoku no tukuwe ni suwe te, Hotoke no ohom-onazi tyaudai no uhe ni kazara se tamahe ri.

 [1-2 源氏と女三の宮、和歌を詠み交わす]
堂飾り果てて、講師参う上り、行道の人々参り集ひたまへば、院もあなたに出でたまふとて、宮のおはします西の廂にのぞきたまへれば、狭き心地する仮の御しつらひに、所狭く暑げなるまで、ことことしく装束きたる女房、五、六十人ばかり集ひたり。
北の廂の簀子まで、童女などはさまよふ。火取りどもあまたして、煙たきまで扇ぎ散らせば、さし寄りたまひて、
「空に焚くは、いづくの煙ぞと思ひ分かれぬこそよけれ。富士の峰よりもけに、くゆり満ち出でたるは、本意なきわざなり。講説の折は、おほかたの鳴りを静めて、のどかにものの心も聞き分くべきことなれば、憚りなき衣の音なひ、人のけはひ、静めてなむよかるべき」
など、例の、もの深からぬ若人どもの用意教へたまふ。宮は、人気に圧されたまひて、いと小さくをかしげにて、ひれ臥したまへり。
「若君、らうがはしからむ。抱き隠したてまつれ」
などのたまふ。
北の御障子も取り放ちて、御簾かけたり。そなたに1858人々は入れたまふ。静めて、宮にも、ものの心知りたまふべき下形を聞こえ知らせたまふ、いとあはれに見ゆ。御座を譲りたまへる仏の御しつらひ、見やりたまふも、さまざまに、
「かかる方の御いとなみをも、もろともに急がむものとは思ひ寄らざりしことなり。よし、後の世にだに、かの花の中の宿りに1859、隔てなく、とを思ほせ」
とて、うち泣きたまひぬ。
「蓮葉を同じ台と契りおきて
露の分かるる今日ぞ悲しき」
と、御硯にさし濡らして、香染めなる1860御扇に書きつけたまへり。宮、
「隔てなく蓮の宿を契りても
君が心や住まじとすらむ」
と書きたまへれば、
「いふかひなくも思ほし朽たすかな」
と、うち笑ひながら、なほあはれとものを思ほしたる御けしきなり。

 [1-2 源氏と女三の宮、和歌を詠み交わす]
お堂を飾り終わって、講師が壇上して、行道の人々も参集なさったので、院もそちらに出ようとなさって、宮のいらっしゃる西の廂の間にお立ち寄りなさると、狭い感じのする仮の御座所に、窮屈そうに暑苦しいほどに、仰々しく装束をした女房たちが五、六十人ほど集まっていた。
北の廂の間の簀子まで、女童などはうろうろしている。香炉をたくさん使って、煙いほど扇ぎ散らすので、近づきなさって、
「空薫物は、どこで焚いているのか分からないくらいなのがよいのだ。富士山の噴煙以上に、煙がたちこめているのは、感心しないことだ。お経の御講義の時には、あたり一帯の音は立てないようにして、静かにお説教の意味を理解しなければならないことだから、遠慮のない衣ずれの音、人のいる感じは、出さないのがよいのです」
などと、いつものとおり、思慮の足りない若い女房たちの心用意をお教えになる。宮は、人気に圧倒されなさって、とても小柄で美しい感じに臥せっていらっしゃった。
「若君が、騒がしかろう。抱いてあちらへお連れ申せ」
などとおっしゃる。
北の御障子も取り放って、御簾を掛けてある。そちらに女房たちをお入れになっている。静かにさせて、宮にも、法会の内容がお分かりになるように予備知識をお教え申し上げなさるのも、とても親切に見える。御座所をお譲りなさった仏のお飾り付け、御覧になるにつけても、あれこれと感慨無量で、
「このような仏事の御供養を、ご一緒にしようとは思いもしなかったことだ。まあ、しかたない。せめて来世では、あの蓮の花の中の宿を、一緒に仲好くしよう、と思って下さい」
とおっしゃって、お泣きになった。
「来世は同じ蓮の花の中でと約束したが
その葉に置く露のように別々でいる今日が悲しい」
と、御硯に筆を濡らして、香染の御扇にお書き付けになった。宮は、
「蓮の花の宿を一緒に仲好くしようと約束なさっても
あなたの本心は悟り澄まして一緒にとは思っていないでしょう」
とお書きになったので、
「せっかくの申し出をかいなくされるのですね」
と、苦笑しながらも、やはりしみじみと感に堪えないご様子である。

 [1-2 Genji and Omna-Sam-no-Miya compose and change waka]
 Dau kazari hate te, kauzi mau-nobori, gyaudau no hito-bito mawiri tudohi tamahe ba, Win mo anata ni ide tamahu tote, Miya no ohasimasu nisi no hisasi ni nozoki tamahe re ba, sebaki kokoti suru kari no ohom-siturahi ni, tokoro-seku atuge naru made, koto-kotosiku sauzoki taru nyoubau, go, roku-zihu-nin bakari tudohi tari.
 Kita no hisasi no sunoko made, warahabe nado ha samayohu. Hitori-domo amata si te, kebutaki made ahugi tirase ba, sasi-yori tamahi te,
 "Sora ni taku ha, iduku no keburi zo to omohi waka re nu koso yokere. Huzi no mine yori mo keni, kuyuri miti ide taru ha, hoi naki waza nari. Kauzeti no wori ha, ohokata no nari wo sidume te, nodoka ni mono no kokoro mo kiki-waku beki koto nare ba, habakari naki kinu no otonahi, hito no kehahi, sidume te nam yokaru beki."
 nado, rei no, mono-hukakara nu wakaudo-domo no youi wosihe tamahu. Miya ha, hitoke ni osa re tamahi te, ito tihisaku wokasige ni te, hire-husi tamahe ri.
 "Waka-Gimi, raugahasikara m. Idaki kakusi tatemature."
 nado notamahu.
 Kita no mi-sauzi mo tori hanati te, mi-su kake tari. Sonata ni hito-bito ha ire tamahu. Sidume te, Miya ni mo, mono no kokoro siri tamahu beki sitakata wo kikoye sira se tamahu, ito ahare ni miyu. O-masi yuduri tamahe ru Hotoke no ohom-siturahi, mi-yari tamahu mo, sama-zama ni,
 "Kakaru kata no ohom-itonami wo mo, morotomo ni isoga m mono to ha omohi-yora zari si koto nari. Yosi, noti no yo ni dani, kano hana no naka no yadori ni, hedate naku, to wo omohose."
 tote, uti-naki tamahi nu.
 "Hatisu-ba wo onazi utena to tigiri oki te
 tuyu no waka ruru kehu zo kanasiki
"
 to, ohom-suzuri ni sasi-nurasi te, kau-zome naru ohom-ahugi ni kaki-tuke tamahe ri. Miya,
 "Hedate naku hatisu no yado wo tigiri te mo
 Kimi ga kokoro ya suma zi to su ram
"
 to kaki tamahe re ba,
 "Ihukahi naku mo omohosi kutasu kana!"
 to, uti-warahi nagara, naho ahare to mono wo omohosi taru mi-kesiki nari.

 [1-3 持仏開眼供養執り行われる]
例の、親王たちなども、いとあまた参りたまへり。御方々より、我も我もと営み出でたまへる捧物のありさま、心ことに、所狭きまで見ゆ。七僧の法服など、すべておほかたのことどもは、皆紫の上せさせたまへり。綾のよそひにて、袈裟の縫目まで、見知る人は、世になべてならずとめでけりとや。むつかしうこまかなることどもかな。
講師のいと尊く、ことの心を申して、この世にすぐれたまへる盛りを厭ひ離れたまひて、長き世々に絶ゆまじき御契りを、法華経に結びたまふ、尊く深きさまを表はして、ただ今の世の、才もすぐれ、豊けきさきらを、いとど心して言ひ続けたる、いと尊ければ、皆人、しほたれたまふ。
これは、ただ忍びて、御念誦堂の初めと思したることなれど、内裏にも、山の帝も聞こし召して、皆御使どもあり。御誦経の布施など、いと所狭きまで、にはかになむこと広ごりける。
院にまうけさせたまへりけることどもも、削ぐと思ししかど、世の常ならざりけるを、まいて、今めかしきことどもの加はりたれば、夕べの寺に置き所なげなるまで、所狭き勢ひになりてなむ、僧どもは帰りける。

 [1-3 持仏開眼供養執り行われる]
例によって、親王たちなども、とても大勢参上なさった。御夫人方から、我も我もと作り出した御供物の様子、格別立派で、所狭しと見える。七僧の法服など、総じて一通りのことは、皆紫の上がご準備させなさった。綾織物で、袈裟の縫目まで、分かる人は、世間にはめったにない立派な物だと誉めたとか。うるさく細かい話であるよ。
講師が大変に尊く、法要の趣旨を申して、この世でご立派であった盛りのお身の上を厭い離れなさって、未来永劫にわたって絶えることのない夫婦の契りを、法華経に結びなさる、尊く深いお心を表わして、ただ現在、才学も優れ、豊かな弁舌を、ますます心をこめて言い続ける、とても尊いので、参会者全員、涙をお流しなさる。
この持仏開眼供養は、ただこっそりと、御念誦堂の開き初めとお考えになったことだが、帝におかせられても、また山の帝もお耳にあそばして、いずれもお使者があった。御誦経のお布施など、大変置ききれないほど、急に大げさになったのであった。
院でご準備あそばしたことも、簡略にとはお思いになったが、それでも並々ではなかったのだが、それ以上に、華やかなお布施が加わったので、夕方のお寺に置き場もないほど沢山になって、僧たちは帰って行ったのであった。

 [1-3 The new statue of Buddha service is held by Omna-Sam-no-Miya in summer]
 Rei no, Miko-tati nado mo, ito amata mawiri tamahe ri. Ohom-kata-gata yori, ware mo ware mo to itonami ide tamahe ru houmoti no arisama, kokoro koto ni, tokoro-seki made miyu. Siti-sou no hohubuku nado, subete ohokata no koto-domo ha, mina Murasaki-no-Uhe se sase tamahe ri. Aya no yosohi ni te, kesa no nuhime made, mi-siru hito ha, yo ni nabete nara zu to mede keri to ya! Mutukasiu komaka naru koto-domo kana!
 Kauzi no ito tahutoku, koto no kokoro wo mausi te, kono yo ni sugure tamahe ru sakari wo itohi hanare tamahi te, nagaki yo-yo ni tayu maziki ohom-tigiri wo, Hokekyau ni musubi tamahu, tahutoku hukaki sama wo arahasi te, tada ima no yo no, zae mo sugure, yutakeki sakira wo, itodo kokoro-si te ihi-tuduke taru, ito tahutokere ba, mina-hito, sihotare tamahu.
 Kore ha, tada sinobi te, o-nenzu-dau no hazime to obosi taru koto nare do, Uti ni mo, Yama-no-Mikado mo kikosimesi te, mina ohom-tukahi-domo ari. Mi-zukyau no huse nado, ito tokoro-seki made, nihaka ni nam koto hirogori keru.
 Win ni mauke sase tamahe ri keru koto-domo mo, sogu to obosi sika do, yo no tune nara zari keru wo, maite, imamekasiki koto-domo no kuhahari tare ba, yuhube no tera ni oki dokoro nage naru made, tokoro-seki ikihohi ni nari te nam, sou-domo ha kaheri keru.

 [1-4 三条宮邸を整備]
今しも、心苦しき御心添ひて、はかりもなくかしづききこえたまふ。院の帝は、この御処分の宮に住み離れたまひなむも、つひのことにて、目やすかりぬべく聞こえたまへど、
「よそよそにては、おぼつかなかるべし。明け暮れ見たてまつり、聞こえ承らむこと怠らむに、本意違ひぬべし。げに、あり果てぬ世いくばくあるまじけれど、なほ生ける限りの心ざしをだに失ひ果てじ」
と聞こえたまひつつ、この宮をもいとこまかにきよらに造らせたまひ、御封の物ども、国々の御荘、御牧などより奉る物ども、はかばかしきさまのは、皆かの三条の宮の御倉に1861納めさせたまふ。またも、建て添へさせたまひて、さまざまの御宝物ども、院の御処分に数もなく賜はりたまへるなど、あなたざまの物は、皆かの宮に運び渡し、こまかにいかめしうし置かせたまふ。
明け暮れの御かしづき、そこらの女房のことども、上下の育み1862は、おしなべてわが御扱ひにてなど、急ぎ仕うまつらせたまひける。

 [1-4 三条宮邸を整備]
今となって、おいたわしく思われる気持ちが加わって、この上もなく大切にお世話申し上げなさる。院の帝は、御相続なさった宮に離れてお住みになることも、結局のことなのだから、世間体がよいように申し上げなさるが、
「離れ離れでいては、気掛かりであろう。毎日お世話申し上げて、こちらから申し上げたり用向きを承ることができないようでは、本意に外れることであろう。なるほど、いつまでも生きていられない世であるが、やはり生きている限りはお世話したい気持ちだけはなくしたくない」
と申し上げ申し上げなさっては、あちらの宮も大変念入りに美しくご改築させなさって、御封の収入、国々の荘園、牧場などからの献上物で、これはと思われる物は、全てあちらの三条宮の御倉に納めさせなさる。さらに又、増築させて、いろいろな御宝物類、院の御遺産相続の時に無数にお譲り受けなさった物など、宮の関係の品物は、全てあちらの宮に運び移して、念を入れて厳重に保管させなさる。
日常のお世話、大勢の女房の事ども、上下の人々の面倒は、全てご自分の経費のまかないでなどと、急いでお手入れをして差し上げる。

 [1-4 Suzaku orders men to repair Samjo-palace]
 Ima si mo, kokoro-gurusiki mi-kokoro sohi te, hakari mo naku kasiduki kikoye tamahu. Win-no-Mikado ha, kono go-saubun no Miya ni sumi hanare tamahi na m mo, tuhi no koto ni te, me-yasukari nu beku kikoye tamahe do,
 "Yoso-yoso ni te ha, obotukanakaru besi. Ake-kure mi tatematuri, kikoye uketamahara m koto okotara m ni, ho'i tagahi nu besi. Geni, ari hate nu yo ikubaku aru mazikere do, naho ike ru kagiri no kokorozasi wo dani usinahi hate zi."
 to kikoye tamahi tutu, kono Miya wo mo ito komaka ni kiyora ni tukura se tamahi, mi-bu no mono-domo, kuni-guni no mi-sau, mi-maki nado yori tatematuru mono-domo, haka-bakasiki sama no ha, mina kano Samdeu-no-Miya no mi-kura ni wosame sase tamahu. Mata mo, tate sohe sase tamahi te, sama-zama no ohom-takara mono-domo, Win no go-saubun ni kazu mo naku tamahari tamahe ru nado, anata zama no mono ha, mina kano Miya ni hakobi watasi, komaka ni ikamesiu si oka se tamahu.
 Ake-kure no ohom-kasiduki, sokora no nyoubau no koto-domo, kami-simo no hagukumi ha, osinabete waga ohom-atukahi ni te nado, isogi tukau-matura se tamahi keru.

 2 光る源氏の物語 六条院と冷泉院の中秋の宴 [2-1 女三の宮の前栽に虫を放つ]
秋ごろ、西の渡殿の前、中の塀の東の際を、おしなべて野に作らせたまへり。閼伽の棚などして、そのかたにしなさせたまへる御しつらひなど、いとなまめきたり。
御弟子に従ひきこえたる尼ども、御乳母、古人どもは、さるものにて、若き盛りのも、心定まり、さる方にて世を尽くしつべき限りは選りてなむ、なさせたまひける。
 さるきほひ1863には、我も我もときしろひけれど、大殿の君聞こしめして、
「あるまじきことなり。心ならぬ人すこしも混じりぬれば、かたへの人苦しう、あはあはしき聞こえ出で来るわざなり」
と諌めたまひて、十余人ばかりのほどぞ、容貌異にてはさぶらふ。
この野に虫ども放たせたまひて、風すこし涼しくなりゆく夕暮に、渡りたまひつつ、虫の音を聞きたまふやうにて、なほ思ひ離れぬさまを聞こえ悩ましたまへば、
「例の御心はあるまじきことにこそはあなれ」
と、ひとへにむつかしきことに思ひきこえたまへり。
人目にこそ変はることなくもてなしたまひしか、内には憂きを知りたまふけしきしるく、こやなう変はりにし御心を、いかで見えたてまつらじの御心にて、多うは思ひなりたまひにし御世の背きなれば、今はもて離れて心やすきに、
「なほ、かやうに」
など聞こえたまふぞ苦しうて、「人離れたらむ御住まひにもがな」と思しなれど、およすけてえさも強ひ申したまはず。

 2 光る源氏の物語 六条院と冷泉院の中秋の宴 [2-1 女三の宮の前栽に虫を放つ]
秋頃、西の渡殿の前、中の塀の東側を、辺り一帯を野原の感じにお作らせになった。閼伽の棚などを作って、その方面の生活にふさわしくお整えになったお道具類など、とても優美な感じである。
お弟子としてお従い申し上げている尼たち、御乳母、老女たちは、それはそれとして、若い盛りの女房でも、決心固く、尼として一生を送れる者だけを選んで、おさせになったのであった。
その当座の競争気分の折には、我も我もと競って申し出たが、大殿がお聞きになって、
「それは良くないことだ。本心からでない人が少しでも混じってしまうと、周囲の人が困るし、浮ついた噂が出て来るものだ」
とお諌めになって、十何人かだけが尼姿になってお付きしている。
この野原に虫どもを放たせなさって、風が少し涼しくなってきた夕暮に、たびたびお越しになっては、虫の音を聴くふりをなさって、今でも断ちがたい思いのほどを申し上げ悩ましなさるので、
「いつものお心癖はとんでもないことになろう」
と、一途に厄介なことにお思い申し上げていらっしゃった。
他人の目には変わったところなくお扱いになっているが、内心では嫌な事件をご存知の様子がはっきり分かり、すっかり変わってしまったお心を、何とかお目に掛からずにいたいお気持ちで、それが主な動機でご決心なさったご出家なので、今は離れて安心していたのに、
「やはり、このように」
などとお耳に入れたりなどなさるのが辛くて、「人里離れた所に住みたい」とお思いになるが、大人ぶってとてもそのように押して申し上げることはおできになれない。

 2 Tale of Genji Two banquets of middle-fall at Rokujo-in and Reizei-in [2-1 Omna-Sam-no-miya sets crickets free in her garden]
 Aki-goro, nisi no wata-dono no mahe, naka no hei no himgasi no kiha wo, osinabete no ni tukura se tamahe ri. Aka no tana nado si te, sono kata ni si nasa se tamahe ru ohom-siturahi nado, ito namameki tari.
 Mi-desi ni sitagahi kikoye taru Ama-domo, ohom-Menoto, huru-bito-domo ha, saru mono ni te, wakaki sakari no mo, kokoro sadamari, saru kata ni te yo wo tukusi tu beki kagiri ha eri te nam, nasa se tamahi keru.
 Saru kihohi ni ha, ware mo ware mo to kisirohi kere do, Otodo-no-Kimi kikosimesi te,
 "Aru maziki koto nari. Kokoro nara nu hito sukosi mo maziri nure ba, katahe no hito kurusiu, aha-ahasiki kikoye ide kuru waza nari."
 to isame tamahi te, zihu-yo-nin bakari no hodo zo, katati koto ni te ha saburahu.
 Kono no ni musi-domo hanata se tamahi te, kaze sukosi suzusiku nari yuku yuhugure ni, watari tamahi tutu, musi no ne wo kiki tamahu yau ni te, naho omohi hanare nu sama wo kikoye nayamasi tamahe ba,
 "Rei no mi-kokoro ha aru maziki koto ni koso ha a'nare."
 to, hitohe ni mutukasiki koto ni omohi kikoye tamahe ri.
 Hitome ni koso kaharu koto naku motenasi tamahi sika, uti ni ha uki wo siri tamahu kesiki siruku, koyonau kahari ni si mi-kokoro wo, ikade miye tatematura zi no mi-kokoro ni te, ohou ha omohi nari tamahi ni si mi-yo no somuki nare ba, ima ha mote-hanare te kokoro yasuki ni,
 "Naho, kayau ni."
 nado kikoye tamahu zo kurusiu te, "Hito hanare tara m ohom-sumahi ni mo gana!" to obosi nare do, oyosuke te e sa mo sihi mausi tamaha zu.

 [2-2 8月15夜、秋の虫の論]
十五夜の夕暮に、仏の御前に宮おはして、端近う眺めたまひつつ念誦したまふ。若き尼君たち二、三人、花奉るとて鳴らす閼伽、坏の音、水のけはひなど聞こゆる、さま変はりたるいとなみに、そそきあへる、いとあはれなるに、例の渡りたまひて、
「虫の音いとしげう乱るる夕べかな」
とて、われも忍びてうち誦じたまふ阿弥陀の大呪、いと尊くほのぼの聞こゆ。げに、声々聞こえたる中に、鈴虫のふり出でたるほど、はなやかにをかし。
「秋の虫の声、いづれとなき中に、松虫なむすぐれたるとて、中宮の、はるけき野辺を分けて、いとわざと尋ね取りつつ放たせたまへる、しるく鳴き伝ふるこそ少なかなれ。名には違ひて、命のほどはかなき虫にぞあるべき。
心にまかせて、人聞かぬ奥山、はるけき野の松原に、声惜しまぬも、いと隔て心ある虫になむありける。鈴虫は、心やすく、今めいたるこそらうたけれ」
などのたまへば、宮、
「おほかたの秋をば憂しと知りにしを
ふり捨てがたき鈴虫の声」
と忍びやかにのたまふ。いとなまめいて、あてにおほどかなり。
「いかにとかや。いで、思ひの外なる御ことにこそ」とて、
「心もて草の宿りを厭へども
なほ鈴虫の声ぞふりせぬ」
 など1864聞こえたまひて、琴の御琴召して、珍しく弾きたまふ。宮の御数珠引き怠りたまひて、御琴になほ心入れたまへり。
月さし出でて、いとはなやかなるほどもあはれなるに、空をうち眺めて、世の中さまざまにつけて、はかなく移り変はるありさまも思し続けられて、例よりもあはれなる音に掻き鳴らしたまふ。

 [2-2 8月15夜、秋の虫の論]
十五夜の夕暮に、仏の御前に宮はいらっしゃって、端近くに物思いに耽りながら念誦なさる。若い尼君たち二、三人が花を奉ろうとして鳴らす閼伽、坏の音、水の感じなどが聞こえるのは、今までとは違った仕事に、忙しく働いているが、まことに感慨無量なので、いつものようにお越しになって、
「虫の音がとてもうるさく鳴き乱れている夕方ですね」
と言って、自分もひっそりと朗誦なさる阿彌陀経の大呪が、たいそう尊くかすかに聞こえる。いかにも、虫の音がいろいろ聞こえる中で、鈴虫が声を立てているところは、華やかで趣きがある。
「秋の虫の声は、どれも素晴らしい中で、松虫が特に優れているとおっしゃって、中宮が、遠い野原から、特別に探して来てはお放ちになったが、はっきり鳴き伝えているのは少ないようだ。名前とは違って、寿命の短い虫のようである。
思う存分に、誰も聞かない山奥、遠い野原の松原で、声を惜しまず鳴いているのも、まことに分け隔てしている虫であるよ。鈴虫は、親しみやすく、にぎやかに鳴くのがかわいらしい」
などとおっしゃると、宮は、
「秋という季節はつらいものと分かっておりますが
やはり鈴虫の声だけは飽きずに聴き続けていたいものです」
とひっそりとおっしゃる。とても優雅で、上品でおっとりしていらっしゃる。
「何とおしゃいましたか。いやはや、思いがけないお言葉ですね」と言って、
「ご自分からこの家をお捨てになったのですが
やはりお声は鈴虫と同じように今も変わりません」
などと申し上げなさって、琴の御琴を召して、珍しくお弾きになる。宮が御数珠を繰るのを忘れなさって、お琴の音色に依然として聴き入っていらっしゃった。
月が出て、とても明るくなったのもしみじみと心を打つので、空をちょっと眺めて、人の世のあれこれにつけて、無常に移り変わる有様が次々と思い出されて、いつもよりもしみじみとした音色でお弾きになる。

 [2-2 Genji criticizes fall crickets at August 15]
 Zihugo-ya no yuhugure ni, Hotoke no o-mahe ni Miya ohasi te, hasi tikau nagame tamahi tutu nenzu si tamahu. Wakaki Amagimi-tati ni, sam-nin, hana tatematuru tote narasu aka, tuki no oto, midu no kehahi nado kikoyuru, sama kahari taru itonami ni, sosoki-ahe ru, ito ahare naru ni, rei no watari tamahi te,
 "Musi no ne ito sigeu midaruru yuhube kana!"
 tote, ware mo sinobi te uti-zu-zi tamahu Amida no daizu, ito tahutoku hono-bono kikoyu. Geni, kowe-gowe kikoye taru naka ni, suzumusi no huri-ide taru hodo, hanayaka ni wokasi.
 "Aki no musi no kowe, idure to naki naka ni, matumusi nam sugure taru tote, Tiuguu no, harukeki nobe wo wake te, ito wazato tadune tori tutu hanata se tamahe ru, siruku naki tutahuru koso sukunaka'nare. Na ni ha tagahi te, inoti no hodo hakanaki musi ni zo aru beki.
 Kokoro ni makase te, hito kika nu oku-yama, harukeki no no matubara ni, kowe wosima nu mo, ito hedate-gokoro aru musi ni nam ari keru. Suzumusi ha, kokoro-yasuku, imamei taru koso rautakere."
 nado notamahe ba, Miya,
 "Ohokata no aki wo ba usi to siri ni si wo
 huri-sute gataki suzumusi no kowe
"
 to sinobiyaka ni notamahu. Ito namamei te, ate ni ohodoka nari.
 "Ika ni to ka ya? Ide, omohi no hoka naru ohom-koto ni koso." tote,
 "Kokoro mote kusa no yadori wo itohe do mo
 naho suzumusi no kowe zo huri se nu
"
 nado kikoye tamahi te, kin-no-ohom-koto mesi te, medurasiku hiki tamahu. Miya no ohom-zuzu hiki okotari tamahi te, ohom-koto ni naho kokoro ire tamahe ri.
 Tuki sasi-ide te, ito hanayaka naru hodo mo ahare naru ni, sora wo uti-nagame te, yononaka sama-zama ni tuke te, hakanaku uturi kaharu arisama mo obosi tuduke rare te, rei yori mo ahare naru ne ni kaki-narasi tamahu.

 [2-3 六条院の鈴虫の宴]
今宵は、例の御遊びにやあらむと推し量りて、兵部卿宮渡りたまへり。大将の君、殿上人のさるべきなど具して1865参りたまへれば、こなたにおはしますと、御琴の音を尋ねて、やがて参りたまふ。
「いとつれづれにて、わざと遊びとはなくとも、久しく絶えにたるめづらしき物の音など、聞かまほしかりつる独り琴を、いとよう尋ねたまひける」
とて、宮も、こなたに御座よそひて入れたてまつりたまふ。内裏の御前に、今宵は月の宴あるべかりつるを、とまりてさうざうしかりつるに、この院に人々参りたまふと聞き伝へて、これかれ上達部なども参りたまへり。虫の音の定めをしたまふ。
御琴どもの声々掻き合はせて、おもしろきほどに、
「月見る宵の、いつとても1866ものあはれならぬ折はなきなかに、今宵の新たなる月の色1867には、げになほ、わが世の外までこそ、よろづ思ひ流さるれ。故権大納言、何の折々にも、亡きにつけていとど偲ばるること多く、公、私、ものの折節のにほひ失せたる心地こそすれ。花鳥の色にも音にも、思ひわきまへ、いふかひあるかたの、いとうるさかりしものを」
などのたまひ出でて、みづからも掻き合はせたまふ御琴の音にも、袖濡らしたまひつ。御簾の内にも、耳とどめてや聞きたまふらむと、片つ方の御心には思しながら、かかる御遊びのほどには、まづ恋しう、内裏などにも思し出でける。
「今宵は鈴虫の宴にて明かしてむ」
と思しのたまふ。

 [2-3 六条院の鈴虫の宴]
今夜は、いつものとおり管弦のお遊びがあろうかと推量して、兵部卿宮がお越しになった。大将の君、殿上人で音楽の素養のある人々を連れていらっしゃっていたので、こちらにいらっしゃると、お琴の音をたよりにして、そのまま参上なさる。
「とても所在ないので、特別の音楽会というのではなくても、長い間弾かないでいた珍しい楽器の音など、聴きたかったので独りで弾いていたのを、たいそうよく聴きつけて来て下さった」
とおっしゃって、宮にも、こちらに御座所を設けてお入れ申し上げなさる。宮中の御前で、今夜は月の宴が催される予定であったが、中止になって物足りない気がしたので、こちらの院に方々が参上なさると伝え聞いて、誰や彼やと上達部なども参上なさった。虫の音の批評をなさる。
お琴類を合奏なさって、興が乗ってきたころに、
「月を見る夜は、いつでももののあわれを誘わないことはない中でも、今夜の新しい月の色には、なるほどやはり、この世の後の世界までが、いろいろと想像されるよ。故大納言が、いつの折にも、亡くなったことにつけて、一層思い出されることが多く、公、私、共に何かある機会に物の栄えがなくなった感じがする。花や鳥の色にも音にも、美をわきまえ、話相手として、大変に優れていたのだったが」
などとお口に出されて、ご自身でも合奏なさる琴の音につけても、お袖を濡らしなさった。御簾の中でも耳を止めてお聴きになって入るだろうと、片一方のお心ではお思いになりながら、このような管弦のお遊びの折には、まずは恋しく、帝におかせられてもお思い出しになられるのであった。
「今夜は鈴虫の宴を催して夜を明かそう」
とお考えになっておっしゃる。

 [2-3 A banquet is held to listen to crickets on Rokujo-in]
 Koyohi ha, rei no ohom-asobi ni ya ara m to osihakari te, Hyoubukyau-no-Miya watari tamahe ri. Daisyau-no-Kimi, Tenzyau-bito no saru beki nado gu-si te mawiri tamahe re ba, konata ni ohasimasu to, ohom-koto no ne wo tadune te, yagate mawiri tamahu.
 "Ito ture-dure ni te, wazato asobi to ha naku to mo, hisasiku taye ni taru medurasiki mono no ne nado, kika mahosikari turu hitori goto wo, ito you tadune tamahi keru."
 tote, Miya mo, konata ni o-masi yosohi te, ire tatematuri tamahu. Uti no o-mahe ni, koyohi ha tuki no en aru bekari turu wo, tomari te sau-zausikari turu ni, kono Win ni hito-bito mawiri tamahu to kiki tutahe te, kore kare Kamdatime nado mo mawiri tamahe ri. Musi no ne no sadame wo si tamahu.
 Ohom-koto-domo no kowe-gowe kaki-ahase te, omosiroki hodo ni,
 "Tuki miru yohi no, itu tote mo mono ahare nara nu wori ha naki naka ni, koyohi no arata naru tuki no iro ni ha, geni naho, waga yo no hoka made koso, yorodu omohi nagasa rure. Ko-Dainagon, nani no wori-wori ni mo, naki ni tuke te itodo sinoba ruru koto ohoku, ohoyake, watakusi, mono no wori-husi no nihohi use taru kokoti koso sure. Hana tori no iro ni mo ne ni mo, omohi wakimahe, ihu kahi aru kata no, ito urusakari si mono wo."
 nado notamahi ide te, midukara mo kaki-ahase tamahu ohom-koto no ne ni mo, sode nurasi tamahi tu. Mi-su no uti ni mo, mimi todome te ya kiki tamahu ram to, kata tu kata no mi-kokoro ni ha obosi nagara, kakaru ohom-asobi no hodo ni ha, madu kohisiu, Uti nado ni mo obosi-ide keru.
 "Koyohi ha suzumusi no en ni te akasi te m."
 to obosi notamahu.

 [2-4 冷泉院より招請の和歌]
御土器二わたりばかり参るほどに、冷泉院より御消息あり。御前の御遊び1868にはかにとまりぬるを口惜しがりて、左大弁、式部大輔、また人々率ゐて、さるべき限り参りたれば、大将などは六条の院にさぶらひたまふ、と聞こし1869召してなりけり。
「雲の上をかけ離れたるすみかにも
もの忘れせぬ秋の夜の月
 同じくは1870」
と聞こえたまへれば、
「何ばかり所狭き身のほどにもあらずながら、今はのどやかにおはしますに、参り馴るることもをさをさなきを、本意なきことに思しあまりて、おどろかさせたまへる、かたじけなし」
とて、にはかなるやうなれど、参りたまはむとす。
「月影は同じ雲居に見えながら
わが宿からの秋ぞ変はれる」
異なることなかめれど、ただ昔今の御ありさまの思し続けられけるままなめり。御使に盃賜ひて、禄いと二なし。

 [2-4 冷泉院より招請の和歌]
お杯が二回りほど廻ったころに、冷泉院からお手紙がある。宮中の御宴が急に中止になったのを残念に思って、左大弁や、式部大輔らが、また大勢人々を引き連れて、詩文に堪能な人々ばかりが参上したところ、大将などは六条院に伺候していらっしゃる、とお耳にあそばしてなのであった。
「宮中から遠く離れて住んでいる仙洞御所にも
忘れもせず秋の月は照っています
同じことならあなたにも」
とお申し上げなさったので、
「どれほどの窮屈な身分ではないのだが、今はのんびりとしてお過ごしになっていらっしゃるところに、親しく参上することもめったにないことを、不本意なことと思し召されるあまりに、お便りをお寄越しあばされている、恐れ多いことだ」
とおっしゃって、急な事のようだが、参上なさろうとする。
「月の光は昔と同じく照っていますが
わたしの方がすっかり変わってしまいました」
特に変わったところはないようであるが、ただ昔と今とのご様子が思い続けられての歌なのであろう。お使者にお酒を賜って、禄はまたとなく素晴らしい。

 [2-4 Reizei invites Genji to his palace]
 Ohom-kaharake huta-watari bakari mawiru hodo ni, Reizei-Win yori ohon-seusoko ari. Go-zen no ohom-asobi nihaka ni tomari nuru wo kutiwosigari te, Sa-Daiben, Sikibu-no-Taihu, mata hito-bito hikiwi te, saru beki kagiri mawiri tare ba, Daisyau nado ha Rokudeu-no-Win ni saburahi tamahu, to kikosimesi te nari keri.
 "Kumo no uhe wo kake-hanare taru sumika ni mo
 mono wasure se nu aki no yo no tuki

 Onaziku ha."
 to kikoye tamahe re ba,
 "Nani bakari tokoro-seki mi no hodo ni mo ara zu nagara, ima ha nodoyaka ni ohasimasu ni, mawiri naruru koto mo wosa-wosa naki wo, ho'i naki koto ni obosi amari te, odoroka sase tamahe ru, katazikenasi."
 tote, nihaka naru yau nare do, mawiri tamaha m to su.
 "Tuki kage ha onazi kumowi ni miye nagara
 waga yado kara no aki zo kahare ru
"
 Koto naru koto naka'mere do, tada mukasi ima no mi-arisama no obosi tuduke rare keru mama na'meri. Ohom-tukahi ni sakaduki tamahi te, roku ito ni nasi.

 [2-5 冷泉院の月の宴]
人々の御車、次第のままに引き直し、御前の人々立ち混みて、静かなりつる御遊び紛れて、出でたまひぬ。院の御車に、親王たてまつり、大将、左衛門督、藤宰相など、おはしける限り皆参りたまふ。
直衣にて、軽らかなる御よそひどもなれば、下襲ばかりたてまつり加へて、月ややさし上がり、更けぬる空おもしろきに、若き人々、笛などわざとなく吹かせたまひなどして、忍びたる御参りのさまなり。
うるはしかるべき折節は、所狭くよだけき儀式を尽くして、かたみに御覧ぜられたまひ、また、いにしへのただ人ざまに思し返りて、今宵は軽々しきやうに、ふとかく参りたまへれば、いたう驚き、待ち喜びきこえたまふ。
ねびととのひたまへる御容貌、いよいよ異ものならず。いみじき御盛りの世を、御心と思し捨てて、静かなる御ありさまに、あはれ少なからず。
その夜の歌ども、唐のも大和のも、心ばへ深うおもしろくのみなむ。例の、言足らぬ1871片端は、まねぶもかたはらいたくてなむ。明け方に文など講じて、とく人々まかでたまふ。

 [2-5 冷泉院の月の宴]
人々のお車を、身分に従って並べ直し、御前駆の人々が大勢集まって来て、しみじみとした合奏もうやむやになって、お出ましになった。院のお車に、親王をお乗せ申し、大将、左衛門督、藤宰相など、いらっしゃった方々全員が参上なさる。
直衣姿で、皆お手軽な装束なので、下襲だけをお召し加えになって、月がやや高くなって、夜が更けた空が美しいので、若い方々に、笛などをさりげなくお吹かせになったりなどして、お忍びでの参上の様子である。
改まった公式の儀式の折には、仰々しく厳めしい威儀の限りを尽くして、お互いにご対面なさり、また一方で、昔の臣下時代に戻った気持ちで、今夜は手軽な恰好で、急にこのように参上なさったので、大変にお驚きになり、お喜び申し上げあそばす。
御成人あそばした御容貌、ますますそっくりである。お盛りの最中であったお位を、御自分から御退位あそばして、静かにお過ごしになられる御様子に、心打たれることが少なくない。
その夜の詩歌は、漢詩も和歌も共に、趣深く素晴らしいものばかりである。例によって、一端を言葉足らずにお伝えするのも気が引けて。明け方に漢詩などを披露して、早々に方々はご退出なさる。

 [2-5 A banquet is held to view the moon on Reizei-in]
 Hito-bito no mi-kuruma, sidai no mama ni hiki-nahosi, go-zen no hito-bito tati-komi te, siduka nari turu ohom-asobi magire te, ide tmahi nu. Win no mi-kuruma ni, Miko tatematuri, Daisyau, Sawemon-no-Kami, Tou-Saisyau nado, ohasi keru kagiri mina mawiri tamahu.
 Nahosi ni te, karoraka naru ohom-yosohi-domo nare ba, sita-gasane bakari tatematuri kuhahe te, tuki yaya sasi-agari, huke nuru sora omosiroki ni, wakaki hito-bito, hue nado wazato naku huka se tamahi nado si te, sinobi taru ohom-mawiri no sama nari.
 Uruhasikaru beki wori-husi ha, tokoro-seku yodakeki gisiki wo tukusi te, katami ni go-ran-ze rare tamahi, mata, inisihe no tada-bito zama ni obosi-kaheri te, koyohi ha karu-garusiki yau ni, huto kaku mawiri tamahe re ba, itau odoroki, mati yorokobi kikoye tamahu.
 Nebi-totonohi tamahe ru ohom-katati, iyo-iyo koto mono nara zu. Imiziki ohom-sakari no yo wo, mi-kokoro to obosi sute te, siduka naru mi-arisama ni, ahare sukunakara zu.
 Sono yo no uta-domo, Kara no mo Yamato no mo, kokorobahe hukau omosiroku nomi nam. Rei no, koto tara nu kata-hasi ha, manebu mo katahara-itaku te nam. Akegata ni humi nado kau-zi te, toku hito-bito makade tamahu.

 3 秋好中宮の物語 出家と母の罪を思う [3-1 秋好中宮、出家を思う]
六条の院は、中宮の御方に渡りたまひて、御物語など聞こえたまふ。
「今はかう静かなる御住まひに、しばしばも参りぬべく、何とはなけれど、過ぐる齢に添へて、忘れぬ昔の御物語など、承り聞こえまほしう思ひたまふるに、何にもつかぬ身のありさまにて、さすがにうひうひしく、所狭くもはべりてなむ。
我より後の人々に、方々につけて後れゆく心地しはべるも、いと常なき世の心細さの、のどめがたうおぼえはべれば、世離れたる住まひにもやと、やうやう思ひ立ちぬるを、残りの人々のものはかなからむ、漂はしたまふな、と先々も聞こえ1872つけし心違へず、思しとどめてものせさせたまへ」
など、まめやかなるさまに聞こえさせたまふ。
例の、いと若うおほどかなる御けはひにて、
「九重の隔て深うはべりし年ごろよりも、おぼつかなさのまさるやうに思ひたまへらるるありさまを、いと思ひの外に、むつかしうて、皆人の背きゆく世を、厭はしう思ひなることもはべりながら、その心の内を聞こえさせうけたまはらねば、何事もまづ頼もしき蔭には聞こえさせならひて、いぶせくはべる」
と聞こえたまふ。
「げに、公ざまにては、限りある折節の御里居も、いとよう待ちつけきこえさせしを、今は何事につけてかは、御心にまかせさせたまふ御移ろひもはべらむ1873。定めなき世と言ひながらも、さして厭はしきことなき人の、さはやかに背き離るるもありがたう、心やすかるべきほどにつけてだに、おのづから思ひかかづらふほだしのみはべるを、などか、その人まねにきほふ御道心は、かへりてひがひがしう推し量りきこえさする人もこそはべれ。かけてもいとあるまじき御ことになむ」
と聞こえたまふを、「深うも汲みはかりたまはぬなめりかし」と、つらう思ひきこえたまふ。

 3 秋好中宮の物語 出家と母の罪を思う [3-1 秋好中宮、出家を思う]
六条の院は、中宮の御方にお越しになって、お話など申し上げなさる。
「今はこのように静かなお住まいに、しばしば伺うことができ、特にどうということはないけれども、年をとるにつれて、忘れない昔話など、お聞きしたり申し上げたりしたく存じますが、中途半端な身の有様で、やはり気が引け、窮屈な思いが致しまして。
わたしより若い方々に、何かにつけて先を越されて行く感じが致しますのも、まことに無常の世の心細さが、のんびり構えていられぬ気持ちがしますので、世を離れた生活をしようかと、だんだん気持ちが進んできましたが、後に残された方々が頼りないでしょうから、おちぶれさせなさらないように、と以前にもお願い申し上げました通り、その気持ちを変えずにお世話してやって下さい」
などと、方々の生活面のことについてお願い申し上げなさる。
例によって、大変に若くおっとりしたご様子で、
「宮中の奥深くに住んでおりましたころよりも、お目に掛かれないことが多くなったように存じられます今の有様が、ほんとうに思いもしなかったことで、面白くなく思われまして、皆が出家して行くこの世を、厭わしく思われることもございますが、その心の中を申し上げてご意向を伺っておりませんので、何事もまずは頼りにしている癖がついていますため、気に致しております」
と申し上げなさる。
「おっしゃる通り、宮中にいらっしゃった時には、決まりに従った折々のお里下がりも、ほんとうにお待ち申し上げておりましたが、今は何を理由として、御自由にお出であそばすことがございましょうか。無常な世の習いとは言いながらも、特に世を厭う理由のない人が、きっぱりと出家することも難しいことで、容易に出家できそうな身分の人でさえ、自然とかかわり合う係累ができて世を背くことが出来ませんのに、どうして、そんな人真似をして負けずに出家なさろうとするのは、かえって変なお心掛けとご推量申し上げる者があっては困ります。絶対にあってはならない御事でございます」
と申し上げなさるので、「深くは汲み取っ下さっていないようだ」と、恨めしくお思い申し上げなさる。

 3 Tale of Akikonomu Thinking to be a nun and her mother's a sin [3-1 Empress Akikonomu thinks to be a nun]
 Rokudeu-no-Win ha, Tiuguu no ohom-kata ni watari tamahi te, ohom-monogatari nado kikoye tamahu.
 "Ima ha kau siduka naru ohom-sumahi ni, siba-siba mo mawiri nu beku, nani to ha nakere do, suguru yohahi ni sohe te, wasure nu mukasi no ohom-monogatari nado, uketamahari kikoye mahosiu omohi tamahuru ni, nani ni mo tuka nu mi no arisama ni te, sasuga ni uhi-uhisiku, tokoro seku mo haberi te nam.
 Ware yori noti no hito-bito ni, kata-gata ni tuke te okure yuku kokoti si haberu mo, ito tune naki yo no kokoro-bososa no, nodome gatau oboye habere ba, yo hanare taru sumahi ni mo ya to, yau-yau omohi tati nuru wo, nokori no hito-bito no mono hakanakara m, tadayohasi tamahu na, to saki-zaki mo kikoye-tuke si kokoro tagahe zu, obosi todome te monose sase tamahe."
 nado, mameyaka naru sama ni kikoye sase tamahu.
 Rei no, ito wakau ohodoka naru ohom-kehahi ni te,
 "Kokonohe no hedate hukau haberi si tosi-goro yori mo, obotukanasa no masaru yau ni omohi tamahe raruru arisama wo, ito omohi no hoka ni, mutukasiu te, mina hito no somuki yuku yo wo, itohasiu omohi naru koto mo haberi nagara, sono kokoro no uti wo kikoye sase uketamahara ne ba, nani-goto mo madu tanomosiki kage ni ha kikoye sase narahi te, ibuseku haberu."
 to kikoye tamahu.
 "Geni, ohoyake-zama ni te ha, kagiri aru wori-husi no ohom-satowi mo, ito you mati-tuke kikoye sase si wo, ima ha nani-goto ni tuke te ka ha, mi-kokoro ni makase sase tamahu ohom-uturohi mo habera m. Sadame naki yo to ihi nagara mo, sa si te itohasiki koto naki hito no, sahayaka ni somuki hanaruru mo ari gatau, kokoro-yasukaru hodo ni tuke te dani, onodukara omohi kakadurahu hodasi nomi haberu wo, nado ka, sono hito-mane ni kihohu ohom-dausin ha, kaheri te higa-higasiu osihakari kikoye sasuru hito mo koso habere. Kakete mo ito aru maziki ohom-koto ni nam."
 to kikoye tamahu wo, "Hukau mo kumi hakari tamaha nu na'meri kasi." to, turau kikoye tamahu.

 [3-2 母御息所の罪を思う]
御息所の、御身の苦しうなりたまふらむありさま、いかなる煙の中に惑ひたまふらむ、亡き影にても、人に疎まれたてまつりたまふ御名のりなどの出で来けること、かの院にはいみじう隠したまひけるを、おのづから人の口さがなくて、伝へ聞こし召しける後、いと悲しういみじくて、なべての世の厭はしく思しなりて、仮にても、かののたまひけむありさまの詳しう聞かまほしきを、まほにはえうち出で聞こえたまはで、ただ、
「亡き人の御ありさまの、罪軽からぬさまに、ほの聞くことのはべりしを、さるしるしあらはならでも、推し量りつべきことにはべりけれど、後れしほどのあはればかりを忘れぬことにて、もののあなた思うたまへやらざりけるがものはかなさを、いかでよう言ひ聞かせむ人の勧めをも聞きはべりて、みづからだに、かの炎をも冷ましはべりにしがなと、やうやう積もるになむ、思ひ知らるることもありける」
など、かすめつつぞのたまふ。
「げに、さも思しぬべきこと」と、あはれに見たてまつりたまうて、
「その炎なむ、誰も逃るまじきことと知りながら、朝の露のかかれるほどは、思ひ捨てはべらぬになむ。木蓮が仏に近き聖の身にて、たちまちに救ひけむ例にも、え継がせたまはざらむものから、玉の釵1874捨てさせたまはむも、この世には恨み残るやうなるわざなり。
やうやうさる御心ざしをしめたまひて、かの御煙晴るべきことをせさせたまへ。しか思ひたまふることはべりながら、もの騒がしきやうに、静かなる本意もなきやうなるありさまに明け暮らしはべりつつ、みづからの勤めに添へて、今静かにと思ひたまふるも、げにこそ、心幼きことなれ」
など、世の中なべてはかなく、厭ひ捨てまほしきことを聞こえ交はしたまへど、なほ、やつしにくき御身のありさまどもなり。

 [3-2 母御息所の罪を思う]
母御息所が、ご自身お苦しみになっていらっしゃろう様子、どのような業火の中で迷っていらっしゃるのだろう様子、亡くなった後までも、人から疎まれ申される物の怪となって名乗り出たことは、あちらの院では大変に隠していらっしゃったが、自然と人の口は煩しいもので、伝え聞いた後は、とても悲しく辛くて、何もかもが厭わしくお思いになって、たとい憑坐にのり移った言葉にせよ、そのおっしゃった内容を詳しく聞きたいのだが、まともには申し上げかねなさって、ただ、
「亡くなった母上のあの世でのご様子が、罪障の軽くない様子と、かすかに聞くことがございましたので、そのような証拠がはっきりしているのでなくとも、推し量らねばならないことでしたのに、先立たれた時の悲しみばかりを忘れずにおりまして、あの世での苦しみを想像しなかった至らなさを、何とかして、ちゃんと教えてくれる人の勧めを聞きまして、せめてわたしでも、その業火の炎を薄らげて上げたいと、だんだんと年をとるにつれて、考えられるようになったことでございます」
などと、それとなしにおっしゃる。
「なるほど、そのようにお考えになるのももっともなことだ」と、お気の毒に拝し上げなさって、
「その業火の炎は、誰も逃れることはできないものだと分かっていながら、朝露のようにはかなく生きている間は、執着を去ることはできないものなのです。目蓮が仏に近い聖僧の身で、すぐに救ったという故事にも、真似はお出来になれないでしょうが、玉の簪をお捨てになって出家なさったとしても、この世に悔いを残すようなことになるでしょう。
だんだんそのようなお気持ちを強くなさって、あの母君のお苦しみが救われるような供養をなさいませ。そのように存じますことお持ちしながら、何か落ち着かないようで、静かな出家の本意もないような有様で毎日を過ごしておりまして、自分自身の勤行に加えて、供養もそのうちゆっくりと存じておりますのも、おしゃるとおり、浅はかなことでした」
などと、世の中の事が何もかも無常であり、出家したいことをお互いに話し合いなさるが、やはり、出家することは難しいお二方の身の上である。

 [3-2 Empress Akikonomu thinks her mother's a sin]
 Miyasumdokoro no, ohom-mi no kurusiu nari tamahu ram arisama, ika naru keburi no naka ni madohi tamahu ram, naki kage ni te mo, hito ni utoma re tatematuri tamahu ohom-nanori nado no ide ki keru koto, kano Win ni ha imiziu kakusi tamahi keru wo, onodukara hito no kuti saga naku te, tutahe kikosimesi keru noti, ito kanasiu imiziku te, nabete no yo no itohasiku obosi nari te, kari ni te mo, kano notamahi kem arisama no kuhasiu kika mahosiki wo, maho ni ha e uti-ide kikoye tamaha de, tada,
 "Naki hito no mi-arisama no, tumi karokara nu sama ni, hono-kiku koto no haberi si wo, saru sirusi araha nara de mo, osihakari tu be ki koto ni haberi kere do, okure si hodo no ahare bakari wo wasure nu koto ni te, mono no anata omou tamahe yara zari keru ga mono-hakanasa wo, ikade you ihi-kikase m hito no susume wo mo kiki haberi te, midukara dani, kano honoho wo mo samasi haberi ni si gana to, yau-yau tumoru ni nam, omohi sira ruru koto mo ari keru."
 nado, kasume tutu zo notamahu.
 "Geni, sa mo obosi nu beki koto." to, ahare ni mi tatematuri tamau te,
 "Sono honoho nam, tare mo nogaru maziki koto to siri nagara, asita no tuyu no kakare ru hodo ha, omohi sute habera nu ni nam. Mokuren ga Hotoke ni tikaki hiziri no mi ni te, tatimati ni sukuhi kem tamesi ni mo, e tuga se tamaha zara m mono kara, tama no kamzasi sute sase tamaha m mo, kono yo ni ha urami nokoru yau naru waza nari.
 Yau-yau saru mi-kokorozasi wo sime tamahi te, kano ohom-keburi haru beki koto wo se sase tamahe. Sika omohi tamahuru koto haberi nagara, mono-sawagasiki yau ni, siduka naru ho'i mo naki yau naru arisama ni ake kurasi haberi tutu, midukara no tutome ni sohe te, ima siduka ni to omohi tamahuru mo, geni koso, kokoro-wosanaki koto nare."
 nado, yononaka nabete hakanaku, itohi sute mahosiki koto wo kikoye kahasi tamahe do, naho, yatusi nikuki ohom-mi no arisama-domo nari.

 [3-3 秋好中宮の仏道生活]
昨夜はうち忍びてかやすかりし御歩き、今朝は表はれたまひて、上達部ども、参りたまへる限りは皆御送り仕うまつりたまふ。
春宮の女御の御ありさま、並びなく、いつきたてたまへるかひがひしさも、大将のまたいと人に異なる御さまをも、いづれとなくめやすしと思すに、なほ、この冷泉院を思ひきこえたまふ御心ざしは、すぐれて深くあはれにぞおぼえたまふ1875。院も常にいぶかしう思ひきこえたまひしに、御対面のまれにいぶせうのみ思されけるに、急がされたまひて、かく心安きさまにと思しなりけるになむ。
中宮ぞ、なかなかまかでたまふこともいと難うなりて、ただ人の仲のやうに並びおはしますに、今めかしう、なかなか昔よりもはなやかに、御遊びをもしたまふ。何ごとも御心やれるありさまながら、ただかの御息所の御事を思しやりつつ、行なひの御心進みにたるを、人の許しきこえたまふまじきことなれば、功徳のことを立てて思しいとなみ、いとど心深う、世の中を思し取れるさまになりまさりたまふ。

 [3-3 秋好中宮の仏道生活]
昨夜はこっそりとお気軽なお出ましであったが、今朝は世間に知れわたりなさって、上達部なども、参上していた方々は皆お帰りのお供を申し上げなさる。
春宮の女御のご様子、他に並ぶ方がなく、大切にお世話申し上げなさっているだけのことは十分あり、大将がまた大変に格別に優れているご様子をも、どちらも安心だとお思いになるが、やはり、この冷泉院をお思い申し上げるお気持ちは、特に深くいとしくお思いなさる。院もいつも気に掛けていらっしゃったが、ご対面がめったになく気掛かりにお思いだったため、気がせかれなさって、このように気楽なご境遇にとお考えになったのであった。
中宮は、かえって里下がりなさることが大変に難しくなって、臣下の夫婦のようにいつもご一緒にいられて、当世風に、かえって御在位中よりも華やかに、管弦の御遊などもなさる。どのようなことにもご満足のゆくご様子であるが、ただあの母御息所の御事をお考えなさっては、勤行のお心が深まって行ったのを、院がお許し申されるはずのないことなので、追善供養をひたすら熱心にお営みになって、ますます道心深く、この世の無常をお悟りになったご様子におなりになって行かれる。

 [3-3 Empress Akikonomu's Buddhist life]
 Yobe ha uti-sinobi te kayasukari si ohom-ariki, kesa ha arahare tamahi te, Kamadatime-domo, mawiri tamahe ru kagiri ha mina ohom-okuri tukau-maturi tamahu.
 Touguu-no-Nyougo no mi-arisama, narabi naku, ituki tate tamahe ru kahi-gahisisa mo, Daisyau no mata ito hito ni koto naru ohom-sama wo mo, idure to naku meyasusi to obosu ni, naho, kono Reizei-Win wo omohi kikoye tamahu mi-kokorozasi ha, sugure te hukaku ahare ni zo oboye tamahu. Win mo tune ni ibukasiu omohi kikoye tamahi si ni, ohom-taimen no mare ni ibuseu nomi obosare keru ni, isoga sare tamahi te, kaku kokoro-yasuki sama ni to obosi nari keru ni nam.
 Tiuguu zo, naka-naka makade tamahu koto mo ito katau nari te, tada-bito no naka no yau ni narabi ohasimasu ni, imamekasiu, naka-naka mukasi yori mo hanayaka ni, ohom-asobi wo mo si tamahu. Nani-goto mo mi-kokoro yare ru arisama nagara, tada kano Miyasumdokoro no ohom-koto wo obosi yari tutu, okonahi no mi-kokoro susumi ni taru wo, hito no yurusi kikoye tamahu maziki koto nare ba, kudoku no koto wo tate te obosi itonami, itodo kokoro-bukau, yononaka wo obosi tore ru sama ni nari masari tamahu.

 出典

 校訂
備考--(/) ミセケチ--$ 抹消--# 補入--+ 傍書--= ナゾリ--& 独自異文等--* 朱筆--<朱> 不明--△

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Last Modified: Tuesday, August 31, 2004
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