落穂の掻き寄せ
デデン
一月一日
七時起床。戸を開けば、霜如雪。裏の井戸側に行って、素裸になり、釣瓶で三ばい頭から水を浴びる。不精者の癖で、毎日の冷水浴をせぬかわり、一年分を元朝に済まそうと謂うのである。
戸、窓の限りを明け、それから鶏小屋の開闢。
畑に出て紅い実付の野茨一枝を剪って廊下の釣花瓶に活け、蕾付の白菜一株を採って、旅順の記念にもらった砲弾信管のカラを内筒にした竹の花立に插し、食堂の六畳に飾る。旧臘珍らしく暖だったので、霜よけもせぬ白菜に蕾がついたのである。
十時過ぎ、右の食堂で家族打寄り、梅干茶一碗、枯露柿一個。今日此家で正月を迎えた者は、主人夫妻、養女、旧臘から逗留中の秋田の小娘、毎日仕事に来る片眼のかみさん。猫のトラ、犬のデカ、ピン、小犬のチョン、クマ、鶏が十五羽。
十一時雑煮。東京仕入の種物沢山で、頗うまい。長者気どりで三碗代える。尤も餅は唯三個。
*
朝は晴、やがて薄曇って寒かったが、正午頃からまた日が出て暖になった。
自家は正月元日でも、四囲が十二月一日なので、一向正月らしい気もちがせぬ。年賀に往く所もなく、来る者も無い。
デデンがぶらりと遊びに来た。デデンは唖の巳代吉が事である。唖で口が利けぬが、挨拶をする場合には、デデンと云う声を出す。彼は姦淫の子である。戸籍面の父は痴で、母は莫連者、実父は父の義弟で実は此村の櫟林で拾われた捨子である。捨てた父母は何者か知らぬが、巳代吉が唖ながら心霊手巧職人風のイナセな容子を見れば、祖父母の何者かが想像されぬでもない。巳代吉は三歳までは口をきいた。ある日「おっかあ、お湯が呑みてえ」と呼んだきり唖となった。何ものが彼の舌を縛ったか。同じ胤と云う彼の弟も盲であるのを見れば、梅毒の遺伝もあろう。父母の心の咎も与って力あるかも知れぬ。兎に角彼は唖になった。
「イエス行く時、生来なる瞽を見しが、其弟子彼に問ふて曰ひけるは、ラビ、此人の瞽に生れしは誰の罪なるや、己に由るか、又二親に由るか。イエス答へけるは、此人の罪に非ず、亦其二親の罪にもあらず、彼に由て神の作為の顕はれん為也。此事を言ひて地に唾きし、唾にて土を和き、其泥を瞽者の目に塗り、彼に曰ひけるは、シロアムの池に往きて洗へ。彼則ち往きて洗ひ、目見ることを得て帰れり。」
耶蘇程の霊力があるなら、巳代吉の唖は屹度癒る。年来眼の前に日々此巳代吉に現わるゝ謎を見ながら、哀しいかな不信軽薄の余には、其謎を解き其舌の縛を解く能力が無い。彼がデデンと呼んで来れば、デデンと応ずるまでゝある。
*
淋しい元日であった。
あまり淋しいので、夜隣家の人々を案内にやったら、皆浪花節に出かけて留守だった。
(明治四十四年)
芝生の上
正月に入って、連日美晴。
庭を歩くと、吹くともない風が冷やり/\顔を撫でる。日はほか/\と暖かい。杉は鳶色になり、松は微黄を帯び、裸になった楓の枝には、四十雀が五六羽、白頬の黒頭を傾げて見たり、ヒョイ/\と枝から枝に飛んだりして居る。地蔵様の影が薄すら地に落ちて居る。
デカとピンとチョンが、白茶のフラシ天の敷物を敷きつめた様な枯れて乾いた芝生に悠々と寝そべり、満身に日を浴びながら、遊んで居る。過去は知らず、将来は知らず、現在の彼等は幸福である。幸福な彼等を眺めて楽む主人も、不幸な者とは云われない。
勝手の方で、飯をやる合図の口笛が鳴ったので、犬の家族は刎ね起きて先を争うて走って往った。主人はやおら下駄をぬいで、芝生の真中に大の字に仰臥した。而して一鳥過ぎらず片雲駐まらぬ浅碧の空を、何時までも何時までも眺めた。
(明治四十五年 一月十日)
小鳥
芝生を焼く。
水島生が来た。社会主義神髄を返えし、大英遊記を借りて往った。林の中で拾ったと云って、弾痕ある鶇を一羽持て来た。食う気になれぬので、楓の下に埋葬。
銃猟は面白いものであろう。小鳥はうまいものである。此村にはあまり銃猟に来る都人士もないので、小鳥は可なり多い。ある日庭を歩いて居ると、突然東の方から嵐の様な羽音を立てゝ、夥しい小鳥の群が悲鳴をあげつゝ裏の雑木林に飛んで来た。と思うと、やがて銃声がした。小鳥はうまいものである。銃猟は面白いものであろう。然しあの遽しい羽音と、小さな心臓も破裂せんばかり驚きおびえた悲鳴を聞いては……
午後鳥打帽子をかぶった丁稚風の少年が、やゝ久しく門口に立って居たが、思切ったと云う風で土間に入って来た。年は十六、弟子にして呉れと云う。縁の方へ廻れと云うたら、障子をあけてずンずン入って来たから、縁から突落して馬鹿と叱った。もと谷中村の者で、父は今深川で石工、自身はボール箱造って、向う賄で月六円とるそうだ。小説家なぞになるものでない、と云って聞かして、干柿を三つくれて帰えす。
(明治四十二年 一月十七日)
炬燵
雪がまだ融けぬ。
夜、二畳の炬燵に入って、架上の一冊を抽いたら、「多情多恨」であった。器械的に頁を翻して居ると、ついつり込まれて読み入った。ふっと眼を上げると、向うには鶴子が櫓に突伏して好い気もちにスヤ/\寝て居る。炬燵の上には、猫が咽も鳴らさず巴形に眠って居る。九時近い時計がカチ/\鳴る。台所では細君が皿の音をさして居る。
茫々たる過去と、漠々たる未来の間に、斯一瞬の現今は楽しい実在であろう。
またさら/\と雪になった。
余は多情多恨を読みつゞける。何と云うても名筆である。柳之助が亡妻の墓に雨がしょぼ/\降って居たと葉山に語る条を読むと、青山墓地にある春日燈籠の立った紅葉山人の墓が、突と眼の前に現われた。忽ち其墓の前に名刺を置いて落涙する一青年士官の姿が現われる。それは寄生木の原著者である。あゝ其青年士官――彼自身最早故山の墓になって居るのだ。
皆さっさと過ぎて行く。
「御徐に!」
斯く云いたい。
何故人生は斯うさっさと過ぎて往って了うのであろう?
(明治四十二年 一月二十二日)
蓄音器
あまり淋しいので、昔は嫌いなものゝ一にして居た蓄音器を買った。無喇叺の小さなもので、肉声をよく明瞭に伝える。呂昇、大隈、加賀、宝生、哥沢、追分、磯節、雑多なものが時々余等の耳に刹那の妙音を伝える。
あたりが静なので、戸をしめきっても、四方に余音が伝わる。蓄音器があると云う事を皆知って了うた。そこで正月には村の若者四十余名を招待して、蓄音器を興行した。次ぎには平生世話になる耶蘇教信者の家族を招待した。次ぎには畑仕事で始終厄介になる隣字の若者等を案内した。今夜は村の婦人連を招いた。生憎前日来の雨で、到底来者はあるまいと思うて居ると、それでも傘をさして夕刻から十数人の来客。
妻と鶴子と逗留中の娘とが席に出て取持つ。
余は母屋の炉を擁して、書を見ながら時々書院のさゞめきに耳傾ける。一曲終る毎に、入り乱れたほめ言葉が聞こえる。曲中ながら笑声が起る。二時間ばかりも過ぎた。茶菓が運ばれた。やがて誰やらクド/\言う様子であったが、音譜の中には聞き覚えのない肉声が高々と響き出した。
余は窃と廊下伝いに書院に往って、障子の外に停んだ。蓄音器が歌うのではない。田圃向うのお琴婆さんが歌うのである。
田圃向うの浜田の源さんの母者は、余の字で特色ある人物の一人である。彼女は神道大成教の熱心な信者で、あまり大きくもない屋敷の隅には小さな祠が祭ってあって、今でも水垢離とって、天下泰平、国土安穏、五穀成就、息災延命を朝々祈るのである。彼女は村の生れでなく、噂によればさる士の芸妓に生ませた女らしい。其信心は何時から始まったか知らぬが、其夫が激烈な脚気にかゝって已に衝心した時、彼女は身命を擲って祈ったれば、神のお告に九年余命を授くるとあった。果然夫の病気は畳の目一つずつ漸々快方に向って、九年の後死んだ。顔の蒼白い、頬骨の高い、眼の凄い、義太夫語りの様な錆声をした婆さんである。「折目高なる武家挨拶」と云う様な切口上で挨拶をするのが癖である。今日も朝方蓄音器招待の礼に、季節には珍らしい筍二本持て来てくれた。
琴婆さんは蓄音器の返礼にと云って、文句は自作の寿を唄うて居る。
「福富サンが、皆を集めて遊ばせて下さるゥ……(如何も声が出ないものですから、エヘン、エヘン――ウーイ、ウーイ、ウーイ)……御親切な福富さんの(ウーイ、ウーイ)ます/\御繁昌で(ウーイ、ウーイ)表の方から千両箱、右の方から宝船(ウーイ、ウーイ)……
障子の外に立聞く主人は、冷汗が流れた。彼は窃とぬき足して母屋に帰った。唄はまだつゞいて、(ウーイ、ウーイ)が Refrain の様に響いて来る。
(明治四十五年 二月六日)
春七日
(一)雛節句
三月三日。別に買った雛も無いから、細君が鶴子を相手に紙雛を折ったり、色紙の鶴、香箱、三方、四方を折ったり、あらん限りの可愛いものを集めて、雛壇を飾った。
草餅が出来た。蓬は昨日鶴子が夏やと田圃に往って摘んだのである。東京の草餅は、染料を使うから、色は美しいが、肝腎の香が薄い。
今朝は非常の霜だった。午の前後はまた無闇と暖で、急に梅が咲き、雪柳が青く芽をふいた。山茱萸は黄色の花ざかり。赤い蕾の沈丁花も一つ白い口を切った。春蘭、水仙の蕾が出て来た。
雲雀が頻に鳴く。麦畑に陽炎が立つ。
唖の巳代吉が裸馬に乗って来た。女子供がキャッ/\騒ぎながら麦畑の向うを通る。若い者が大勢大師様の参詣に出かける。
春だ。
恋猫、恋犬、鶏は出しても/\巣につき、雀は夫婦で無暗に人の家の家根に穴をつくり、木々は芽を吐き、花をさかす。犬のピンの腹ははりきれそうである。
夜は松の心芽程の小さな蝋燭をともして、雛壇が美しかった。
(二)春雨
三月六日。
尽日雨、山陽の所謂「春雨さびしく候」と云う日。
書窓から眺めると、灰色をした小雨が、噴霧器で噴く様に、弗――弗と北から中ッ原の杉の森を掠めて斜に幾しきりもしぶいて通る。
つく/″\見て居る内に、英国の発狂詩人ワットソンの God comes down in the rain 神は雨にて降り玉う、と云う句を不図憶い出した。其れは「田舎の信心」と云う短詩の一句である。全詩は忘れたが、右の句と、「此処田舎の村にては、神を信頼の一念今も尚存し」と云う句と、結句の「此れぞ田舎の信心なる、此れに越すものあらめやも」と云う句を覚えて居る。
農村に天道様の信心が無くなったら、農村の破滅である。然るに此信心は日に/\消亡して、人智人巧唯我唯利の風が日々農村人心の分解を促しつゝあるのだ。少しでも農村の実情を見知る者は、前途を懸念せずには居られぬ。
(三)雨後
三月七日。
近来よく降る。降らなければ曇る。所謂養花の天。
今日は日が出た。朝から暖だ。鶏の声が殊に長閑に聞こえる。昨日終日終夜の雨で、畑も土も真黒に潤うた。麦の緑が目立って濃うなった。緑の麦は、見る眼の驩喜である。其れが嫩らかな日光に笑み、若くは面を吹いて寒からぬ程の微風にソヨぐ時、或は夕雲の翳に青黒く黙す時、花何ものぞと云いたい程美しい。
隣家では最早馬鈴薯を植えた。
午後少し高井戸の方を歩く。米俵を積んだ荷馬車が来る。行きすりに不図目にとまった馬子の風流、俵に白い梅の枝が插してある。白い蝶が一つ、黒に青紋のある蝶が一つ、花にもつれて何処までもひら/\飛んで跟いて行く。馬子は知らずに好い声を張り上げて、
「飲めよ、ネェ、騒げェよ、三十がァ止ゥめェよゥ。三十過ぎればァ、たゞの人ゥ。コラ/\」
朝の模様で、今日は美晴と思われたが、矢張気の定まらぬ日であった。時々ざあと時雨の様に降っては止み、東に虹が出たり、西に日が現われて遠方の屋根が白く光ったり、北風が来て田圃の小川の縁とる女竹の藪をざわ/\鳴らしてはきら/\日光を跳らせたりした。空の一部は印度藍色に濃く片曇りし、村と緑の麦の一部は眩しい片明りして、ミレーの「春」を活かして見る様であった。
(四)摘草
三月八日。
今日も雲雀が頻に鳴く。
午食前に、夫妻鶴子ピンを連れて田圃に摘草に出た。田の畔の猫柳が絹毛の被を脱いで黄ろい花になった。路傍の草木瓜の蕾が朱にふくれた。花は兎に角、吾儕の附近は自然の食物には極めて貧しい処である。芹少々、嫁菜少々、蒲公英少々、野蒜少々、蕗の薹が唯三つ四つ、穫物は此れっきりであった。
午後本を読んで居ると、空中に大きな物の唸り声が響く。縁から見上げると、夏に見る様な白銅色の巻雲を背にして、南の空に赤い大紙鳶が一つ颺って居る。ブラ下げた長い長い二本の縄の脚を軟らかに空中に波うたして、紙鳶は心長閑に虚空の海に立泳ぎをして居る。ブーンと云うウナリが、武蔵野一ぱいに響き渡る。
春だ。
晩食に摘草の馳走。野蒜の酢味噌は可、ひたし物の嫁菜は苦かった。
(五)彼岸入り
三月十八日。彼岸の入り。
風はまだ冷たいが、雲雀の歌にも心なしか力がついて、富士も鉛色に淡く霞む。
庭には沈丁花の甘い香が日も夜も溢れる。梅は赤い萼になって、晩咲紅梅の蕾がふくれた。犬が母子で芝生にトチ狂う。猫が小犬の様に駈け廻る。
春だ。
彼岸入りで、団子が出来た。
墓参が多い。
夕方、静になった墓地に往って見る。沈丁花、赤椿の枝が墓前の竹筒や土に插してある。線香の烟が徐かに颺って居る。不図見ると、地蔵様の一人が紅木綿の着物を被て居られる。先月幼な娘を亡くした松さんとこで被せ申したのであろう。
(六)蛇出穴
三月二十八日。
近来の美晴。朝飯後高井戸に行って、石を買う。武蔵野に石は無い。砂利や玉石は玉川最寄から来るが、沢庵の重石以上は上流青梅方角から来る。一貫目一銭五厘の相場だ。択んだ石を衡にかけさせて居たら、土方体の男が通りかゝって眼を瞪り、
「石を衡にかける――驚いたな」
と云った。
午後は田圃伝いに船橋の方に出かける。門を出ると、墓地で蛇を見た。田圃の小川の楲の下では、子供が鮒を釣って居る。十丁そこら往って見かえると、吾家も香爐の家程に小さく霞んで居る。
今日は夕日の富士が、画にかいた「理想」の様に遠くて美しかった。
(七)仲春
四月十七日。
戸を開けて、海――かと思うた。家を繞って鉛色の朝霞。村々の森の梢が、幽霊の様に空に浮いて居る。雨かと舌鼓をうったら、霞の中からぼんやりと日輪が出て来た。見る/\日の威力は加わって、光は白く霞に咽ぶ。
庭の桜の真盛りである。落葉松、海棠は十五六の少年と十四五の少女を見る様。紫の箱根つゝじ、雪柳、紅白の椿、皆真盛り。一重山吹も咲き出した。セイゲン、ヤシオなど云う血紅色、紅褐色の春モミジはもとより、槭、楓、楢、欅、ソロなどの新芽は、とり/″\に花より美しい。
畑に出て見る。唯一叢の黄なる菜花に、白い蝶が面白そうに飛んで居る。南の方を見ると、中っ原、廻沢のあたり、桃の紅は淡く、李は白く、北を見ると仁左衛門の大欅が春の空を摩でつゝ褐色に煙って居る。
春の日も午近くなれば、大分青んで来た芝生に新楓の影繁く、遊びくたびれて二つ巴に寝て居る小さな母子の犬の黒光りする膚の上に、桜の花片が二つ三つほろ/\とこぼれる。風が吹く。木影が揺く。蛙が鳴く。一寸耳をびちっと動かした母犬は、またスヤ/\と夢をつゞける。
夕方は、まんまるな紅い日が、まんじりともせず悠々と西に落ちて行く。横雲が一寸一刷毛日の真中を横に抹って、画にして見せる。最早穂を孕んだ青麦が夕風にそよぐ。
夜は蛙の声の白い月夜。
(明治四十三年)
ある夜
梅に晩く桜に早い四月一日の事。
余は三時過ぎから、ある事の為にある若い婦人を伴うて、粕谷から高輪に往った。午後の六時から十一時過ぎまで、ある家の主人を訪うてある事を弁じつゞけ、要領を得ずして其家を辞した時は、最早十二時近かった。それでも終電車に乗るを得て、婦人は三宅坂で下りて所縁の家へ、余は青山で下りて兄の家に往った。
寝入り端と見えて、門を敲けど呼べど叫べど醒めてくれぬ。つい近所に姪の家があるが、臨月近い彼女を驚かすのも面白くない。余は青山の通を御所の方へあるいて、交番に巡査を見出し、其指図で北町裏の宿屋を一二軒敲き起した。寤めは寤たが、満員と体の好い嘘を云って謝絶された。
電車はとくに寝に往って了った。夜が明けたら築地の病院に腫物を病んで入院して居る父を見舞うつもりで、其れ迄新橋停車場の待合室にでも往って寝ようと、月明りと電燈瓦斯の光を踏んで、ぶら/\溜池の通を歩いて新橋に往った。往って見ると此は不覚、扉がしまって居る。駅夫に聞くと、睡むそうな声して、四時半まではあけぬと云う。まだ二時前である。
電燈ばかり明るくてポンペイの廃墟の様に寂しい銀座の通りを歩いて東へ折れ、歌舞伎座前を築地の方へ往った。万年橋の袂に黙阿弥の芝居に出て来そうな夜啼饂飩が居る。夜は丑満頃で、薄寒くもあり、腹も減った。
「おい、饂飩を一つくれんか」
「へえ」
灯の蔭から六十近い爺が顔を出して一寸余を見たが、直ぐ団扇でばたばたやりはじめた。後の方には車が二台居る。車夫の一人は鼾をかいて居る。一人は蹴込に腰を据えて、膝かけを頭からかぶって黙って居る。
「へえ、出来ました」
割箸を添えて爺が手渡す丼を受取って、一口啜ると、腥いダシでむかッと来たが、それでも二杯食った。
「おい、もう二つこさえて呉れ」
余は代を払い、「ドウモ御馳走様! おい、旦那が下さるとよ」と車夫が他の一人を呼びさます声を聞きすてゝ万年橋を渡った。つい其処の歌舞伎座の書割にある様な紅味を帯びた十一日の月が電線にぶら下って居る。
築地外科病院の鉄扉は勿論しまって居た。父のと思わるゝ二階の一室に、ひいた窓帷越しに樺色の光がさして居る。余は耳を澄ました。人のうめき声がしたかと思うたが、其は僻耳であったかも知れぬ。父は熟睡して居るのであろう。其子の一人が今病室の光を眺めて、此深夜に窓の下を徘徊して居るとは夢にも知らぬであろう。
睡くなった。頭がしびれて来た。何処でもよい、此重い頭を横たえたくなった。余はうつら/\と夢心地に本願寺の近辺をぶらついた。体で余は歩かなかった。幽霊のようにふら/\とさまようた。不図墓地に入った。此処は余も知って居る。曾て一葉女史の墓を見に来た時歩き廻った墓地である。余は月あかりに墓と墓の間を縫うて歩いた。誰やらの墓の台石に腰かけて見た。然し此処は永く眠るべき場所である。一夜の死を享く可き場所ではない。余は墓地から追い出されて、また本願寺前の広場に出た。
不図本願寺の門があいて居るのを見つけた。門口には巡査か門番かの小屋があって、あかりがついて居る。然し誰咎むる者も無いので、突々と入って、本堂の縁に上った。大分西に傾いた月の光は地を這うて、本堂の縁は闇い蔭になって居る。やっと安息の場所を獲て、広縁に風呂敷を敷き、手枕をして横になった。少しウト/\するかと思うと、直ぐ頭の上で何やらばさ/\と云う響がした。余は眼を開いて頭上の闇を見た。同時に闇の中に「ク〻ク〻」と云う囁やきを聞いた。
「あ、鳩だ」
余はまたウト/\となった。
月は次第に落ちて行く。
(明治四十二年 四月一日)
与右衛門さん
村の三月節句で、皆が遊んであるく。家は潰され、法律上の妻には出て往かれ、今は実家の厄介になって居る久さんが、何発心してか今日はまる/\の青坊主に剃って、手拭肩に独ぶら/\歩いて居る。
甲州街道の小間物屋のおかみが荷を背負って来た。「ドウもねえあなた、天道様に可愛がられまして、此通り真黒でございます」と頬を撫でる。気の利いた口のきゝぶり、前半生に面白い話を持て居そうな女だ。負ってあるく荷は十貫目からあると云う。細君が鬢櫛と鶴子の花簪を買うた。
小間物屋のおかみが帰ると、与右衛門さんが地所を買わぬかと云うて来た。少しばかりの地面を買って古い家を建てたりしたので、やれ地面を買わぬかの、古い天水桶用の釜を買わぬかの、植木の売物があるのと、蟻の砂糖につく如くたかってくる。金が無いと云っても、中々本当にしてくれぬ。与右衛門さんも其一人である。
与右衛門さんは、村内切っての吾儘者剛慾者としてのけものにさるゝ男である。村内でも工面のよい方で、齢もまだ五十左右、がっしりした岩畳の体格、濃い眉の下に開いた蛇の目の様な二つの眼は鋭く見つめて容易に動かず、頭の頂辺から足の爪先まで慾気満々として寸分のタルミも無い。岩畳な彼を容るゝその家は、基礎を切石にし、柱の数を多くし、屋根をトタンで包み、縁を欅で張り、木造の鬼の窟の如く岩畳である。彼に属する一切のものは、其堅牢な意志の発現である。彼が家の子女は何処の子女よりも岩畳である。彼の家の黒猫は、小さな犬より大きく、村内の如何なる猫も其威に恐れぬものは無い。彼が家の麦からの束は、他家の二倍もある。彼が家の夜具は、宇都宮の釣天井程に重く大きなものだ。彼が家の婆さんは、七十過ぎて元気おさ/\若者を凌ぐ婆さんである。婆さんの曰く、私の家は信心なんざしませんや。正に其通り、与右衛門さんは神仏なんか信ずる様な事はせぬ、徹頭徹尾自力宗の信者である。遠い神仏を信心するでもなければ、近所隣の思惑や評判を気にするでもなく、流行とか外聞とかつき合とか云うことは、一切禁物で、恃む所は自家の頭と腕、目ざすものは金である。与右衛門さんには道楽と云うものが無いが、金と酒は生命にかけて好きである。家で晩酌に飲み、村の集会で飲み、有権者だけに衆議院議員の選挙振舞で飲み、どうやらすると昼日中おかず媼さんの小店で一人で飲んで真赤な上機嫌になって、笑って無暗にお辞義をしたり、管を巻いたり、気焔を吐いたりして居ることがある。皆が店を覗いて、与右衛門さんのお株梅ヶ谷の独相撲がはじまりだ、と笑う。与右衛門さんは何処までも自己中心である。人が与右衛門さんの地所を世話すれば、世話人は差措いて必直談に来る。自身の世話しかけた地所を人が直談にすれば、一盃機嫌で怒鳴り込んで来る。
然し与右衛門さんは強慾であるかわり、彼は詐を云わぬ。詐は貨幣同様天下の通り物である。都でも、田舎でも、皆それ/″\に詐をつく。多くの商売は詐に築かれた蜃気楼と云ってもよい。此辺の田舎でも、些とまとまった買物を頼めば、売主は頼まれた人に、受取は幾何金と書きましょうか、ときく。コムミッションの天引は殆不文律になって居る。人を見て値を云う位は、世にも自然な事共である。東京から越して来た人に薪を売った者がある。他の村人が、あまり値段が高いじゃないかと注意したら、売り主の曰く、そりゃ些ア高いかも知んねえが、何某さんは金持だもの、此様な時にでも些ア儲うけさして貰わにゃ、と。而して薪の売主は、衆議院議員選挙権を有って居る、新聞位は読んで居る男である。売る葺萱の中に屑をつめ込んで束を多くする位は何でも無い。
誰も平気に詐をつく。然し看板を出した慾張り屋の与右衛門さんは、詐を云わぬ、いかさまをせぬ。それから彼は作代に妻をもたせて一家を立てゝやったり、義弟が脚部に負傷したりすると、荷車にのせて自身挽いて一里余の道を何十度も医者へ通ったり、よく縁者の面倒を見る。与右衛門さんに自慢話がある。東京者が杉山か何か買って木を伐らした時、其木が倒れて誤って隣合って居る彼与右衛門が所有林の雑木の一本を折った。最初無断で杉を伐りはじめたのであった。与右衛門さんは例の毛虫眉をぴりりとさせて苦情を持込んだ。御自分に御買いになった木を御伐りになるに申分は無いが、何故此方の山の木まで御折りになったか、金が欲しくて苦情を申すでは無い、金は入りません、折れた木を元の様にして戴きたい。思いがけない剛敵に出会して、東京者も弱った。与右衛門さんは散々並べて先方を困らせぬいた揚句、多分の賠償金と詫言をせしめて、やっと不承した。右は東京者に打勝った与右衛門さんの手柄話の一節である。与右衛門さんは、東京者に此手で行くばかりでなく、近所隣までも此の筆法で行く。そこで与右衛門さんを憚って、其の地所の隣地に一寸した事をするにも、屹度わたりをつける。
与右衛門さんは評判の長話家である。鍬を肩にして野ら仕事の出がけに鉢巻とって「今日は」の挨拶からはじめて、三十分一時間の立話は、珍らしくもない。今日も煙管をしまっては出し、しまっては出し、到頭二時間と云うものぶっ通しに話された。与右衛門さんは中々の精力家である。「どうもダイ産としては地所程好いダイ産はありませんからナ」の百万遍を聞かされた。
「でも斯様な時代もあったですよ」
と云って、与右衛門さんは九度目に抽き出した煙管に煙草をつめながら、斯様な話をした。
此辺はもと徳川様の天領で、納め物の米や何かは八王子の代官所まで一々持って往ったものだ。八王子まではざっと六里、余り面倒なので、田はうっちゃってしまえと云う気になり、粕谷では田を一切烏山にやるから貰ってくれぬかと相談をかけた。烏山では、タヾでは貰えぬ、と言う。到頭馬弐駄に酒樽をつけて、やっと厄介な田を譲った。
「嘘の様な話でさ。惜しい事さね、今ならば……」
と云って、与右衛門さんは煙管の雁管をポンと火鉢にはたいて、今にも水が垂りそうな口もとをした。
(明治四十四年 四月三日)
五月五日
五月五日。日曜。節句。余等が結婚十九年の記念日。例によって赤の飯、若芽の味噌汁。
朝飯すまして一家買物に東京行。東京には招魂祭、府中には大国魂神社の祭礼があるので、甲州街道も東へ往ったり西へ来たり人通りが賑やかだ。新宿、九段、上野、青山と廻って、帰途に就いたのが、午後四時過ぎ。東京は賑やかで面白い。賑やかで面白い東京から帰って来ると、田舎も中々悪くない。西日に光る若葉の村々には、赭い鯉が緑の中からふわりと浮いて居る。麦の穂は一面白金色に光り、蛙鳴く田は紫雲英の紅を敷き、短冊形の苗代には最早嫩緑の針がぽつ/\芽ぐんで居る。夕雲雀が鳴く。日の入る甲州の山の方から塵のまじらぬ風がソヨ/\顔を吹く。府中の方から大国魂神社の大太鼓がドン/\と遙に響いて来る。
帰宅したのが六時過ぎ。正面に見て眩しくない大きな黄銅色の日輪が、今しも橋場の杉木立に沈みかけた所である。
本当に日が永い。
留守に隣から今年も檞餅をもらった。
留守に今一つの出来事があった。橋本のいさちゃんが、浜田の婆さんに連れられ、高島田、紋付、真白に塗って、婚礼の挨拶に来たそうだ。美しゅうござんした、と婢が云う。
いさちゃんは此辺でのハイカラ娘である。東京のさる身分ある人の女で、里子に来て、貰われて橋本の女になった。橋本の嗣子が亡くなったので、実弟の谷さんを順養子にして、いさちゃんを妻わしたのである。余等が千歳村に越して程なく、時々遊びに来る村の娘の中に、垢ぬけした娘が居た。それがいさちゃんであった。彼女は高等小学を卒え、裁縫の稽古に通った。正月なんか、庇髪に結ってリボンをかけて着物を更えた所は、争われぬ都の娘であったが、それでも平生は平気に村の娘同様の仕事をして、路の悪い時は肥車の後押しもし、目籠背負って茄子隠元の収穫にも往った。実家の母やマアガレットに結って居る姉妹等が遊びに来ても、いさちゃんはさして恥じらう風情も無かった。
田舎は淋しい。人が殖え家が殖えるのは、田舎の歓喜である。人が喰合う都会では、人口の増加は苦痛の問題だが、自然を相手に人間の戦う田舎の村では、味方の人数が多い事は何よりも力で強味である。小人数の家は、田舎では惨なものだ。何の家でも、五人六人子供の無い家は無い。この部落でも、鴫田や寺本の様に屈強な男子の五人三人持て居る家は、家も栄るし、何かにつけて威勢がよい。養蚕が重な副業の此地方では、女の子も大切にされる。貧しい家が扶持とりに里子をとるばかりでなく、有福な家でも里子をとり、それなりに貰ってしまうのが少なくない。其まゝに大きくして、内の媳にするのが多い。所謂「蕾からとる花嫁御」である。一家総労働の農家では、主僕の間に隔がない様に、実の娘と養女の間に格別の差等はない。養われた子女が大きくなっても、別に東京恋しとも思わず、東京に往っても直ぐ田舎に帰って来る。
都会に近い田舎の事で、何の家も多少の親類を東京に有って居る。村の祭には東京からも遊びに来る。農閑の季節には、田舎からも東京に遊びに行く。辰爺さんは浅草に親類がある。時々遊びに行くが、帰ると溜息ついて曰く、全く田舎が好えナ、浅草なンか裏が狭くて、雪隠に往っても鼻ア突つく、田舎に帰ると爽々するだ、親類のやつが百姓は一日にいくら儲かるってきくから、こちとらは帳面なンかつけやしねえ、年の暮になりゃ足りた時は足りた、剰らねえ時は剰らねえンだ、って左様云ってやりましたよ、と。
東京に往けば、人間に負けます、と皆が云う。麦の穂程人間の顔がある東京では、人間の顔見るばかりでも田舎者はくたびれて了う。其処に電話の鈴が鳴る。電車が通る。自動車が走る。号外が飛ぶ。何かは知らず滅多無性に忙しそうだ。斯様な渦の中に捲き込まれると、杢兵衛太五作も足の下が妙にこそばゆくなって、宛無しの電話でもかけ、要もないに電車に飛び乗りでもせねば済まぬ気になる。ゆっくりした田舎の時間空間の中に住み慣れては、東京好しといえど、久恋の住家では無い。だから皆帰りには欣々として帰って来る。
田舎では、豊かな生計の家でも、女を東京に奉公に出す。女の奉公と、男の兵役とは、村の両遊学である。勿論弊害もあるが、軍隊に出た男は概して話せる男になって帰って来る。いさちゃんのお婿さんなども、日露戦争にも出て、何処やら垢ぬけのした在郷軍人である。奉公に出た女にも、東京に嫁入る者もあるが、田舎に帰って嫁ぐ者が多い。何を云うても田舎は豊かである。田舎に生れた者が田舎を恋うばかりでなく、都に生れた者でも田舎に育てば矢張田舎が恋しくなる。
いさちゃんも好い生涯を与えられた。
(明治四十五年)
紫雲英
午後の散歩に一家打連れて八幡山、北沢間の田圃に往った。紫雲英の花盛りである。
此処は西欝々とした杉山と、東若々とした雑木山の緑に囲まれた田圃で、遙北手に甲州街道が見えるが、豆人寸馬遠く人生行路の図を見る様で、却てあたりの静けさを添える。主人と妻と女児と、田の畔の鬼芝に腰を下ろして、持参の林檎を噛った。背後には生温い田川の水がちょろ/\流れて居る。前は畝から畝へ花毛氈を敷いた紫雲英の上に、春もやゝ暮近い五月の午後の日がゆたかに匂うて居る。ソヨ/\と西から風が来る。見るかぎり桃色の漣が立つ。白い蝶が二つもつれ合うてヒラ/\と舞うて居る。跟いて来た大きな犬のデカと小さなピンが、蛙を追ったり、何かフッ/\嗅いだりして、面白そうに花の海を踏み分けて、淡紅の中に凹い緑の線をつける。熟々と見て居ると、紅の歓楽の世に独聖者の寂しげな白い紫雲英が、彼所に一本、此処に一株、眼に立って見える。主人はやおら立って、野に置くべきを我庭に移さんと白きを掘る。白い胸掛をした鶴子は、寧其美しきを撰んで摘み且摘み、小さな手に持ち切れぬ程になったのを母の手に預けて、また盛に摘んで居る。
主人は田川の生温い水で泥手を洗って、鬼芝の畔に腰かけつゝ、紫雲英を摘む女児を眺めて居る。ぽか/\した暮春の日光と、目に映る紫雲英の温かい色は、何時しか彼をうっとりと三十余年の昔に連れ帰るのであった。
時は明治十年である。彼は十歳の子供である。彼の郷里は西郷戦争の中心になった。父は祖父を護して遠方に避難し、兄は京都の英学校に居り、家族の中で唯一人の男の彼は、母と三人の姉と熊本を東南に距る四里の山中の伯父の家に避難した。山桜も散って筍が出る四月の末、熊本城の囲が解けたので、避難の一家は急いで帰途に就いた。伯父の家から川に添うて一里下れば木山町、二里下ると沼山津村。今夜は沼山津泊の予定であった。皆徒歩だった。木山まで下ると、山から野に出る。彼等は川堤を水と共に下って往った。堤の北は藻隠れに鮒の住む川で、堤の南は一面の田、紫雲英が花毛氈を敷き、其の絶間〻〻には水銹が茜色の水蓋をして居た。行く程に馬上の士官が来た。母が日傘を横にして会釈し、最早熊本に帰っても宜しゅうございましょうかと云うた。宜いとも/\、皆ひどい目に会った喃。と士官が馬上から挨拶した。其処に土俵で築いた台場――堡塁があった。木山の本営を引揚げる前、薩軍が拠って官軍を拒いだ処である。今は附け剣の兵士が番して居た。会釈して一同其処を通りかゝると、蛇が一疋のたくって居る。蛇嫌いの彼は、色を変えて立どまった。兵士が笑って、銃剣の先で蛇をつっかけて、堤外に抛り出した。無事に此関所も越して、彼は母と姉と嘻々として堤を歩んだ。春の日はぽかり/\春の水はのたり/\、堤外は一面の紫雲英で、空には雲雀、田には蛙が鳴いて居る。明日家に帰る前に今夜泊る沼山津の村は、一里向うに霞んで居る。……
「阿父、ほら此様に摘んでよ」
吾に復えった彼の眼の前に、両手につまんで立った鶴子の白胸掛から、花の臙脂がこぼれそうになって居る。
(明治四十四年 五月八日)
印度洋
夜、新聞で見ると、長谷川二葉亭氏が肺病で露西亜から帰国の船中、コロムボと新嘉坡の間で死んだとある。去十日の事。
馬琴物から雪中梅型のガラクタ小説に耽溺して居た余に、「浮雲」は何たる驚駭であったろう。余ははじめて人間の解剖室に引ずり込まれたかの如く、メスの様な其筆尖が唯恐ろしかった。それからツルゲーネフの翻訳「あひゞき」を国民の友で、「めぐりあひ」を都の花で見た時、余は世にも斯様な美しい世界があるかと嘆息した。繰り返えし読んで足らず、手ずから写したものだ。其後「血笑記」を除く外、翻訳物は大抵見た。「其面影」はあまり面白いとも思わなかった。「平凡」は新聞で半分から先きを見た。浮雲の筆は枯れきって、ぱっちり眼を開いた五十男の皮肉と鋭利と、醒めきった人のさびしさが犇々と胸に迫るものがあった。朝日から露西亜へ派遣された時、余は其通信の一行も見落さなかった。通信の筆は数回ではたと絶えた。而して帰朝中途の死!
印度洋はよく人の死ぬ所である。昔から船艦の中で死んで印度洋の水底に葬られた人は数知れぬ。印度洋で死んだ日本人も一人や二人では無い。知人柳房生の親戚某神学士も、病を得て英国から帰途印度洋で死んで、新嘉坡に葬られた。二葉亭氏も印度洋で死んで新嘉坡で火葬され、骨になって日本に帰るのである。
高山の麓の谷は深い。世界第一の高峻雪山を有つ印度の洋は、幾干の人の死体を埋めても埋めても埋めきれぬ。其陸の菩提樹の蔭に「死の宗教」の花が咲いた印度の洋は、餌を求めて饜くことを知らぬ死の海である。烈しい暑さのせいもあろうが、印度洋は人の気を変にする。日本郵船のある水夫は、コロムボで気が変になり、春画など水夫部屋に飾って拝んだりして居たが、到頭印度洋の波を分けて水底深く沈んで了うた、と其船の人が余に語り聞かせた。印度洋の彼不可思議な色をして千劫万劫已む時もなくゆらめく謎の様な水面を熟々と見て居れば、引き入れられる様で、吾れ知らず飛び込みたくなる。
三年前余は印度洋を東から西へと渡った。日々海を眺めて暮らした。海の魔力が次第に及ぶを感じた。三等船客の中に、眼が悪いので欧洲廻りで渡米する一青年があって「思出の記」を持て居た。ペナンからコロムボの中間で、余は其思出の記を甲板から印度洋へ抛り込んだ。思出の記は一瞬の水煙を立てゝ印度洋の底深く沈んで往ったようであったが、彼小人菊池慎太郎が果して往生したや否は疑問である。印度洋は妙に人を死に誘う処だ。
(明治四十二年 五月十二日)
自動車
九十一歳の父と、八十四歳の母と逗留に来ると云う。青山から人力車では、一時間半はかゝる。去年までは車にしたが、今年は今少し楽なものをと考えて、到頭以前睥睨して居た自動車をとることにした。実は自身乗って見たかったのである。
自動車は余の嫌いなものゝ一である。曾て溜池の演伎座前で、微速力で駈けて来た自動車を避けおくれて、田舎者の婆さんが洋傘を引かけられて転んだ。幸に大した怪我はなかったが、其時自動車の内から若い西洋人がやおら立上り、小雨を厭うて悠々と洋傘をひらいて下り立った容子のあまりに落つき払ったのを、眼前に見た余は、其西洋人を合せて自動車に対する憎悪を抑えかねた。自動車は其後余の嫌いなものゝ一であった。
然るに自身乗って見れば、案外乗心地が好い。青山から余の村まで三十分で来た。父が「一家鶏犬一車上、器機妙用瞬間行」なぞ悪詩を作った。工合が好いので、帰りも自動車にした。今度のは些大きく、宅の傍までは来ぬと云う。五丁程歩んで、乗った。栗梅色に塗った真新しい箱馬車式の立派なものだ。米国から一昨日着いたばかり、全速五十哩、六千円出たそうだ。父、母、姉、妻、女は硝子戸の内に、余は運転手と並んで運転手台に腰かけた。
運転手の手にハンドルが一寸捩られると、物珍らしさにたかる村の子供の群を離れて、自動車はふわりと滑り出した。村路を出ぬけて青山街道に出る。識る顔の右から左から見る中を、余は少しは得意に、多くは羞明しそうに、眼を開けたりつぶったりして馳せて行く。坂を下って、田圃を通って、坂を上って、車は次第に速力を出した。荷車が驚いて道側の草中に避ける。鶏が刮々叫んで忙てゝ遁げる。小児の肩を捉え、女が眼を円くして見送る。囂々、機関が鳴る。弗々々、屁の如く放り散らすガソリンの余煙。後には塵も雲と立とうが、車上の者には何でもない。あたり構わず突進する現代精神を具象した車である。但人通りが少ないので、此街道は自動車には理想的な道路と云ってよい。
豪徳寺附近に来ると、自動車は一かく入れた馬の如く、決勝点を眼の前に見る走者の如く、宛ながら眼を睜り、呍と口を結んで、疾風の如く駛せ出した。余は帽子に手を添えた。麦畑や、地蔵や、眼と口を一緒にあけた女の顔や、人の声や、眼まぐろしく駈けて来ては後へ飛ぶ。機関の響は心臓の乱拍子、車は一の砲弾の如く飄、倏と唸って飛ぶ。
「今三十五哩の速力です」
と運転手が云う。
余は痛快であった。自動車の意志は、さながら余に乗り移って、臆病者も一種の恍惚に入った。余は次第に大胆になった。自動車が余を載せて駈けるではなく、余自身が自動車を駆って斯く駛せて居るのだ。余は興に乗じた。運転手台に前途を睥睨して傲然として腰かけた。道があろうと、無かろうと、斯速力で世界の果まで驀地に駈けて見たくなった。山となく、野となく、人でも獣でもあらゆるものを乗り越え踏みつけ、唯真直に一文字に存分に駈けて駈けて駈けぬいて見たくなった。硝子戸の内を見かえれば、母は眼を閉じ、父は口を開き、姉と妻児は愉快そうに笑って話して居る。
「何の位でとめられるですかね」またそろ/\臆病風が吹いて来た余は、右手にかけて居る運転手に問うた。
「三間前ならトメます。運転手は中々頭がなければ出来ません」
「随分神経を使うですね」
「エ、然し愉快です――力ですから」
忽世田ヶ谷村役場の十字路に来た。南に折れて、狭い路を田圃に下り、坂を上って世田ヶ谷街道に出るまで、荷車が来はせぬか、荷馬車が来はせぬか、と余はびく/\ものであった。
世田ヶ谷に出て、三軒茶屋以往は、最早東京の場末である。電車、人力車、荷車、荷馬車、馬、さま/″\の人間の間を、悧巧な自動車は巧に縫うて、家を出て三十分、まさに青山に着いた。
余は老人子供を扶け下ろして、ホット一息ついた。
(明治四十五年 五月十八日)
デカの死
昨日隣字に知辺の結婚があった。余は「みゝずのたはこと」の校正を差措いて、鶴子を連れて其席に連なり、日暮れて帰ると、提灯ともして迎えに来た女中は、デカが先刻甲州街道で自動車に轢かれたことを告げた。今朝も奥の雨戸を開けると、芝生に腹這いながら、主人の顔を見て尻尾振り/\した。書院の雨戸を開けると、起きて来て縁に両手をつき、主人に頭撫でられて嬉しそうに尾を振って居た。正午の頃までは、裏の櫟林で吠えたりして居た。何時の間に甲州街道に遊びに往って無惨の最後を遂げたのか。
尤も彼は此頃ひどく弱って居た。彼は年来ピンの押入婿であったが、昨秋新に村人の家に飼われた勇猛の白犬の為に一度噛み伏せられてピンをとられて以来、俄に弱って著しく老衰して見えた。彼は其の腹慰せであるかの如く、何処からかまだ子供々々した牝犬を主人の家に連れ込んだ。如何に犬好きの家でも、牝犬二匹は厄介である。主人は度々牝犬を捨てたが、直ぐ舞戻って来た。到頭近所の人を頼み、わざ/\汽車で八王子まで連れて往って捨てゝもろうた。二週間前の事である。其後デカが夜毎に帰っては来たが、昼は其牝犬を探がしあるいて居るらしかった。探がし探がして探がし得ず、がっかりした容子は、主人の眼にも笑止に見えた。其様な事で弱って居る矢先、自動車に轢かるゝ様なことになったのだろう。春秋の筆法を以てすれば、取りも直さず牝犬を捨てた主人の余の手にかゝって死んだのである。
彼は幡ヶ谷の阪川牛乳店に生れて、其処此処に飼われた。名もポチと云い、マルと云い、色々の名をもって居た。ある大家では、籍まで入れて飼って居たが、交尾期にあまり家をあけるので、到頭離籍して了うた。其様な事で彼は甲州街道の浮浪犬になり、可愛がられもし窘められもした。最後に主従の縁を結んだのが、粕谷の犬好きの家だった。デカは粕谷の犬になって二年経た。渡り者のくせで、子飼から育てたピンの如くはあり得なかった。主人に跟いて出ても、中途から気が変って道草を喰ったりしては、水臭いやつだと主人に怒られた。雄犬の癖でもあるが、よく家をあけた。先の主、先々の主、其外一飯の恩ある家をも必訪ねた。悪戯でもして叱られると、直ぐ甲州街道に逃げて往った。然し彼はよく主人をはじめ一家の者になずいて、仮令余が彼を撲ちたゝくことがあっても、彼は手足をちゞめて横になり、神妙に頭をのべて鞭を受けた。其為め余が鞭の手は自然に鈍るのであった。彼は長い間浮浪犬として飢じい目をした故であろ、食物を見ると意地汚なく涎を流した。文豪ジョンソンが若い時非常の貧苦を経た結果、位置が出来ても、物を食えば額に太い筋現われ、汗を流し、犬の如くむしゃ/\喰うた、と云う逸話を思い浮べて、甚可哀想になった。其れから彼は餅でもやると容易に食わず、熟と主人の顔を見て、其れ切りですか、まだありますかと云う貌をした。三つも投げて、両手を開いて見せると、彼は納得して、三個ながら口に啣えて、芝生に行ってゆる/\食うのが癖であった。彼は浮浪の癖が中々脱けなかった。先の白も彼に色々の厄介をかけたが、デカも近所の鶏を捕ったりして一再ならず迷惑をかけた。去年の秋の頃は、あまりに家をあけるので、煩悩も消え失せ、既に離籍しようかとした程であった。其れがまた以前の如く居付く様になり、到頭余が家のデカで死んだ。
今朝懇意の車屋がデカの死骸を連れて来た。死骸は冷たくなって、少し眼をあいて居たが、一点の血痕もなく、唯鼻先に土がついて居た。其死を目撃した人の話に、デカは昨日甲州街道の給田に遊びに往って、夕方玉川から帰る自動車目がけて吠え付いた。と思うたら、自動車のタイヤに鼻づらを衝かれたのであろう、ひょろ/\と二度ばかり顛んだ。自動車は見かえりもせず東京の方に奔って往って了うた。其容子を見て居た人は、デカを可愛がる人であったので、デカを連れ込んで、水天宮の御符など飲ましたが、駄目であった。
余は鶏柵内のミズクサの木の根を深く掘って、薦に包んだまゝ眠った様なデカの死骸を葬った。
(大正二年 二月十七日)
ハムレット
帝国劇場で文芸協会のハムレットがある。芝居と云うものを久しく見ず、評判の帝国座もまだ覗いたことが無いので、見物に出かける。
劇場の外観は白っぽく冷たく、あまり好い感じがせぬ。内は流石に綺羅びやかなものであった。二階の正面に陣取って、舞台や天井、土間、貴顕のボックスと、ずっと見渡した時、吾着物の中で土臭い体が萎縮するように感じた。
幕が上った。十五六世紀の西洋の甲冑着けた士卒が出て、鎌倉武士の白を使う。亡霊の出になる。やがて丁抹王城の場になる。道具立は淋しいが、国王は眼がぎろりとして、如何にも悪党らしい。ガァツルード妃は血色が好過ぎ若過ぎ強過ぎた。緑の上衣の若者を一寸ハムレットかと思うたら、そうではなくて、少し傍見をして居た内に、黒い喪服のハムレットが出て来て、低い腰掛にかけて居た。余は熟々とハムレットの顔を見た。成程違わぬ。舞台のハムレットには、幼な顔の土肥君が残って居る。
土肥君は余の同郷、小学校の同窓である。色の浅黒い、顋の四角な、鼠の様な可愛いゝ黒い眼をした温厚な子供であった。阿父が書家樵石先生だけに、土肥君も子供の時から手跡見事に、よく学校の先生に褒められるのと、阿父が使いふるしの払子の毛先を剪み切った様な大文字筆を持って居たのを、余は内々ひどく羨んだものだ。其れは西郷戦争前であった。余等の仲間では、仲の好い同志遊びに往ったり来たり泊ったりしたものだ。ある時余は学校の帰りに土肥君と他の二三人を「遊びに来らし」と引張って、学校から小一里もある余の家に伴のうた。遊んで居る内日が暮れたので、皆泊ることにした。土肥君は彼鼠の様な眼を見据えて、やゝ不安な寂しそうな面地をして居たが、皆に説破されて到頭泊った。枕を並べて一寝入りしたと思うと、余等は起された。土肥君の宅から迎えの使者が来たと云うのである。土肥君はいそ/\起きて一人帰って往った。為めに余等は甚興を失ったが、子供の事だ、其まゝ寝ついた。翌日はみやげにすると云うて父が秘蔵のシャボテンの芽をかいで、一同土肥君の宅に押しかける途中、小川で水泳して、枯れてはいけぬと云うて砂の中にシャボテンの芽を仮植えしたりしたことがある。其頃の土肥君は、色は黒いが少女の様なつゝましい子であった。余は西郷戦争の翌年京都に往った。其れからかけ違って君に逢わざること三十三年。三十四年目に帝国座の舞台で丁抹の王子として君を見るのである。
興味は一幕毎に加わって行く。オフィリャは可憐であった。劇中劇の幕の終、ハムレットの狂喜が殊に好かった。諫言の場もハムレットの出来は好かった。矢張王妃が強過ぎた。ポロニアスは手に入ったもの。ホラシオは間がぬけた。オフィリャの狂態になっての出は凄く好かった。墓場で墓掘の歌う声が実に好く、仕ぐさも軽妙であった。
要するに帝国劇場は荘麗なもの、沙翁劇は真面目で案外面白いものであった。
大詰の幕がひかれたのが、九時過ぎ。新宿から車で帰る。提灯の火が映る程、街道は水が溜って居る。
「降ったね」
「えゝ/\。ひどい降りでした。上では雹が降ったてます」
余等が帝劇のハムレットに喜憂を注いで居る間に、北多摩では地が真白になる程雹が降った。余が畑の小麦も大分こぼれた。隣字では、麦は種がなくなり、桑も蔬菜も青い物全滅の惨状に会うた。
(明治四十四年 五月二十四日)
春の暮
庭石菖、またの名は草あやめの真盛りである。茜がかった紫と白と、一本二本はさしてめでたい花でもないが、午の日を受けて何万となく庭一面に咲く時は、緑の地に紫と白の浮き模様、花毛氈を敷いた様に美しい。見てくれる人がないから、日傭のおかみを引張って来て見せる。
草あやめの外には、芍薬、紫と白と黄の渓蓀、薔薇、石竹、矍麦、虞美人草、花芥子、紅白除虫菊、皆存分に咲いて、庭も園も色々に明るくなった。
畑では麦が日に/\照って、周囲の黯い緑に競う。春蝉が鳴く。剖葦が鳴く。蛙が鳴く。青い風が吹く。夕方は月見草が庭一ぱいに咲いて香る。
今日は雨が欲しく、風が恋しく、蔭がなつかしい五月下旬の日であった。蝉の音、色づいた麦、耳にも眼にもじり/\と暑く、光る緑に眼は痛い様であった。果然寒暖計は途方もない八十度を指した。
落葉木が悉皆若葉から青葉になった処で、樫、松、杉、樅、椎等の常緑樹や竹の類が、日に/\古葉を落しては若々しい若葉をつけ出した。此頃は毎日掃いても掃いても樫の古葉が落ちる。
気軽な落葉木の若葉も美しいが、重々しい常緑樹の柄にない嫩かな若葉をつけた処も中々好い。ゆさ/\と嫩らかな食えそうな若葉をかぶった白樫の瑞枝、杉は灰緑の海藻めいた新芽を簇立て、赤松は赭く黒松は白っぽい小蝋燭の様な心芽をつい/\と枝の梢毎に立て、竹はまた「暮春には春服已に成る」と云った様に譬え様もない鮮やかな明るい緑の簑をふっさりとかぶって、何れを見ても眼の喜である。
今夜はじめて蚊が一つぶゥんと唸った。
「蚊一つに寝られぬ宵や春の暮」
春は最早暮るゝのである。
(明治四十五年 五月二十六日)
首夏
先日七の家から茄子苗を買ったら、今朝七の母者がわざ/\茄子の安否を見に来た。
此頃の馳走は豌豆めしだ。だが、豌豆にたかる黒虫、青虫の数は、実に際限がない。今日も夫婦で二時間ばかり虫征伐をやった。虫と食を争い、蠅と住居を争い、人の子もこゝさん/″\の体たらくだ。
午後筍買いに隣村まで出かける。筍も末だ。其筈である、新竹伸びて親竹より早一丈も高くなって居る。往復に田圃を通った。萌黄に萌え出した苗代が、最早悉皆緑になった。南風がソヨ/\吹く。苗代の水に映る青空に漣が立ち、二寸ばかりの緑秧が一本一本涼しく靡いて居る。
両三日来夜になると雷様が太鼓をたゝき、夕雲の間から稲妻がパッと射したりして居たが、五時過ぎ到頭大雷雨になり、一時間ばかりして霽れた。
袷では少し冷つくので、羅紗の道行を引かけて、出て見る。門外の路には水溜りが出来、熟れた麦は俯き、櫟や楢はまだ緑の雫を滴らして居る。西は明るいが、東京の空は紺色に曇って、まだごろ/\遠雷が鳴って居る。武太さんと伊太さんが、胡瓜の苗を入れた大きな塵取をかゝえて、跣足でやって来る。
最早夏に移るのだ。
(明治四十四年 五月二十七日)
憎むと枯れる
戸を開けると、露一白。芝生には吉野紙を広げた様な蜘網が張って居る。小さな露の玉を瓔珞と貫いた蜘の糸が、枝から枝にだらりと下って居る。
門の入口に甘い香がすると思うたら、籬根にすいかずらの花が何時の間にか咲いて居る。
生々又生々。営々且営々。何処を向いても凄じい自然の活気に威圧される。田圃には泥声あげて蛙が「生めよ殖えん」とわめく。雀や燕は出産を気がまえて、新巣の経営に忙しく、昨日も今日も書院の戸袋に巣をつくるとて、チュッ/\チュッ/\喧しく囀りながら、さま/″\の芥をくわえ込む。蠅がうるさい。蚊がうるさい。薔薇にも豌豆にも数限りもなく虫が涌く。地は限りなく草を生やす。四囲の自然に攻め立てられて、万物の霊殿も小さくなって了いそうだ。
隣の金さんが苗をくれた南瓜の成長を見に来たついでに、斯様な話をした。金さんの家に、もと非常によく実る葡萄があった。一年家の新ちゃんが葡萄をちぎると棚から落ち、大分の怪我をした。それからと云うものは、家の者一同深く其葡萄の木を憎んだ。すると、葡萄は何時となく枯れて了うた。憎むと枯れる。面白い話。新約聖書に、耶蘇が実らぬ無花果を通りかゝりに咀うたら、夕方帰る時最早枯れて居たと云う記事がある。耶蘇程の心力の強い人には出来そうな事だ。
夕方真紅な提灯の様な月が上った。雨になるかと思うたら、水の様な月夜になった。此の頃は宵毎に月が好い。夜もすがら蛙が鳴く。剖葦が鳴く。月に浸されて生活する我儕も、さながら深い静かな水の底に住んで居る心地がする。
(明治四十五年 六月一日)
麦愁
机に向うて、終日兀座。
外は今にも降りそうな空の下に、一村総出の麦収納。此方では鎌の音簌々。彼方では昨日苅ったのを山の様に荷車に積んで行く。時々賑やかな笑声が響く。皆欣々として居る。労働の報酬が今来るのだ。嬉しい筈。
例年麦秋になると、美的百姓先生の煩悶がはじまる。余は之を自家の麦愁と名づける。先生の家にも、大麦小麦を合わせて一反そこらの麦の収納をするが、其れは人を傭うたりして直ぐ片づいてしまう。慰みにくるり棒を取った処で、大した事も無い。買った米を食う先生には、大麦の二俵三俵取れたところで、何でもないのだ。単純な充実した生活をする農家が今勝誇る麦秋の賑合の中に、気の多い美的百姓は肩身狭く、憊れた心と焦々した気分で自ら己を咀うて居る。さっぱりと身を捨てゝ真実の農にはなれず。さりとて思う様に書けもせず。彼方を羨んで見たり、自ら憐んで見たり。中途半端な吾儘生活をする罰だ。致方は無い。もとより見物人も役者の一人ではある。然し離れて独り見物は矢張寂しい。
終日懊悩。夕方庭をぶら/\歩いた後、今にも降り出しそうな空の下に縁台に腰かけて、庭一ぱいに寂寥を咲く月見草の冷たい黄色の花をやゝ久しく見入った。
(明治四十五年 六月五日)
堀川
一
新聞を見たら、今夜本郷中央会堂で呂昇の堀川がある。蓄音器では、耳にタコの出来る程鳥辺山も聞いて居る。生の声で呂昇の堀川は未だ聞かぬ。咽喉が悪いとて療治をして居ると云うが如何だろう、と好奇心も手伝うて、午後独歩荻窪停車場さして出かける。
デカが跟いて来る。ピンは一昨夜子を生んだので、隣家の前まで見送って、御免を蒙った。朝来の雨は止んで、日が出たが、田圃はまだ路が悪い。田植時も近いので、何の田も生温い水満々と湛え、短冊形の苗代は緑の嫩葉の勢揃い美しく、一寸其上にころげて見たい様だ。泥の楽人蛙の歌が両耳に溢れる。甲州街道を北へ突切って行く。大麦は苅られ、小麦は少し色づき、馬鈴薯や甘藷、草箒などが黒い土を彩どって居る。其間を太いはりがねを背負って二本ずつ並んで西から北東へ無作法に走って居るのが、東京電燈の電柱である。一部を赤く塗って、大きな黒文字で危険と書き、注意と書いてある。其様な危険なものなら、百姓の頭の上を引張らずと、地下でも通したらよさそうなものだ。
よく身投があるので其袂に供養の卒塔婆が立って居る玉川上水の橋を渡って、田圃に下り、また坂を上って松友の杉林の間を行く。此処の杉林は見ものである。檣、電柱、五月鯉の棹などになるのが、奇麗に下枝を下ろされ、殆んど本末の太さの差もなく、矗々と天を刺して居る。電燈会社は、此杉林を横断して更に電線を引きたがって居るが、松友の財産家が一万円出すと云う会社の提議を刎ねつけて応ぜぬので、手古摺って居るそうである。
雨がはら/\と来た。ステッキ一本の余は、降ったり止んだりする危げな空を眺め〻〻行く。田無街道を突切って、荻窪停車場に来た。
中野まで汽車。中野から電車。お茶の水で下りて、本郷中央会堂に往った。
二
何の為の慈善演芸会か知らぬが、中央会堂はほゞ一ぱいになって居た。演壇では、筒袖の少年が薩摩琵琶を弾いて居た。凜々しくて好い。次ぎは呂昇の弟子の朝顔日記浜松小屋。まだ根から子供だ。其れから三曲合奏の熊野。椅子にかけての琴、三絃は、見るにあぶなく、弾きにくゝはあるまいかと思われた。三曲済んで休憩になった。
九時二十分頃、呂昇が出て来て金屏風の前の見台に低頭した。連れ弾は弟子の昇華。二人共時候にふさわしい白地に太い黒横縞段だらの肩衣を着て居る。有楽座で初めて中将姫を聞いた時よりヨリ若く今宵は見えた。場内は一ぱいになった。頭の禿げた相場師らしいのや、瀟洒とした服装の若い紳士や、涼しく装うた庇髪、皆呂昇の聴者である。場所柄に頓着なく、しっかり頼みますぞ、など声をかける者がある。それを笑う声も起った。
呂昇は無頓着に三絃取って斜に構え、さっさと語り出した。咽喉をいためて療治中だと云うに、相変らず美しい声である。少しは加減して居る様だが、調子に乗ると吾を忘れて声帯が震うらしい。語り出しは、今少しだ。鳥辺山は矢張好かった。灯影明るい祇園町の夜、線香の煙絶々の鳥辺山、二十一と十七、黒と紫とに包まれた美しい若い男女が、美しい呂昇の声に乗ってさながら眼の前に踊った。お俊のさわりはます/\好い。呂昇が堀川のお俊や、酒屋のお園や、壺坂のお里を語るは、自己を其人に托するのだ。同じ様な上方女、同じ様な気質の女、芸と人とがピッタリ合うて居るのだ。悪かろう筈がない。呂昇が彼美しい声で語り出す美しい女性の魂は、舞台のノラを見たり机の上の青鞜を読んだりする娘達に、如何様な印象を与うるであろうか。余は見廻わした。直ぐ隣の腰かけに、水際立ってすっきりとした装をした十八九の庇髪が三人並んで居る。二人は心を空にして呂昇の方を見入って居る。一人の金縁眼鏡には露が光って居る。日の若い単純な代も、複雑な今日も、根本の人情に差違はない。唯真故新、古い芸術も新しい耳によく解せられるのである。
猿廻しに来た。此は呂昇の柄にも無いし、連れ弾もまずいし、大隈を聞いた耳には、無論物足らぬ。と思いつゝ、十数年前の歌舞伎座が不図眼の前に浮んだ。ぽっと鬘をかぶった故人菊五郎の与次郎が、本物の猿を廻わしあぐんで、長い杖で、それ立つのだ、それ辞義だと、己が物好きから舞台面の大切な情味を散々に打壊して居る。今の梅幸の栄三郎のお俊が、美しい顔に涙はなくて今にも吹き出しそうにして居る。故人片市の婆さんと、故人菊之助の伝兵衛が独神妙にお婆さんになり伝兵衛になって舞台を締めて居る。余は菊之助が好きだった。彼が真面目な努力の芸術は、若いながらも立派なものであった。彼は自身がする程の役には、何様な役でも身を入れて勤めた。養父も義弟も菊五郎や栄三郎寧寺島父子になって了うた堀川の芝居の此猿廻わしの切にも、菊之助のみは立派な伝兵衛であった。最早彼は此世に居ない。片市も、菊五郎も居ない。
夥しい拍手が起った。吾に復ると呂昇と昇華が演壇の上に平伏して居た。
三
堀川は十時十五分に終った。外に出ると、雨がぼと/\落ちて居る。雨傘と、懐中電燈の電池を買って、電車で新宿に往った。追分で下りて、停車場前の陸橋を渡ると、一台居合わした車に乗った。若い車夫はさっさと挽き出す。新町を出はなれると、甲州街道は真暗で、四辺はひっそりして居た。余程降ったと見えて、道が大分悪い。
「旦那は重うございますね。二十貫から御ありでしょう」
「なまけるからね」
「エ、如何しても体を烈しく使うと、ふとりませんな。私ですか、私は十四貫しかありません」
車夫は市川の者、両親は果て、郷里の家は兄がもち、自身は今十二社に住んで、十三の男児を頭に子供が四人、六畳と二畳を三円五十銭で借り、かみさんは麻つなぎの内職をして居る。
「だから中々遊んで居られませんや」
烏山の口で下りて、代を払い、南へ切れ込んだ。
雨は止んで居る。懐中電燈の光を便りに、真黒い藪蔭の路を通って、田圃に下りた。夜目にも白い田の水。蛙の声が雨の様だ。不図東の空を見ると、大火事の様に空が焼けて居る。空に映る東京の火光である。見る/\すうと縮み、またふっと伸びる。二百万の生霊が吐く息ひく息が焔になるのかと物凄い。田圃の行き止まりに小さな流れがある。其処に一つ碧い光が居る。はっと思うと、ついと流れた。螢であった。田圃を上りきると、今度は南の空の根方が赤く焼けて居る。東京程にもないが、此は横浜の火光であろう。村々は死んだ様に真黒に寝て居る。都は魘われた様に深夜に火の息を吐いて居る。
(明治四十五年 六月十日)
ムロのおかみ
目籠を背負って、ムロのおかみが自然薯を売りに来た。一本三銭宛で六本買う。十五銭に負けろと云うたら、それではこれが飲めぬと、左の手で猪口をこさえ、口にあてがって見せた。
ムロのおかみは酒が好きである。
ムロのおかみは近村の者である。夫婦はもと兄の家のムロに住んで居たので、今も「ムロ」さん/\と呼ばれて居る。夫婦して一つコップから好きな酒を飲み合い、暫時も離れぬので、一名鴛鴦の称がある。夫婦は農家の出だが、別に耕す可き田畑も有たぬ。自然薯でも、田螺でも、鰌でも、終始他人の山林田畑からとって来ては金に換え、飯に換え、酒に換える。門松すら剪って売ると云う評判がある。村に行わるゝ自然の不文律で、相応な家計を立てゝ居る者が他人の櫟の枝一つ折っても由々敷咎になるが、貧しい者は些やそとのものをとっても、大目に見られる。ムロの鴛鴦夫婦は、此寛典の中に其理想的享楽生活を楽しんで居るのである。
午後到頭雨になった。蛙の声が劣らじと雨に競うてわめく。
夜皆寝て了うたあとで、母屋の段落で二葉亭訳「うき草」を読んだ。此処は引越した年の秋、無理に北側につぎ足した長五畳の板張で、一尺程段落になって居る。勾配がつかぬので、屋根は海鼠板のトタンにし、爪立てば頭が閊える天井を張った。先には食堂にして居たので、此狭い船房の様な棺の中の様な室で、色々の人が余等と食を共にした。今は世に亡き人々の記憶が、少なからず此処に籠って居る。
夜は更けた。余は「うき草」の巻を開けたまゝ、読むともなく、想うともなく、テェブルに凭れて居る。雨がぼと/\頭上のトタンをたゝく。ランプが䗹々ともえる。
うき草の訳者二葉亭は印度洋で死んだ。原著者のツルゲーネフは夙に死んだ。然しルヂンは生きて居る。ナタリーも生きて居る。アレキサンドラも、ビカソーフも、バンタレフスキーもワルインツオフも生きて居る。
人生短、芸術千古。
(明治四十二年 六月十五日)
田圃の簑笠
朝から驟雨性の雨がざあと降って来たり、繊い雨が煙ったり、蛞蝓が縁に上り、井戸縁に黄な菌が生えて、畳の上に居ても腹の底まで滲み通りそうな湿っぽい日。
今日も庭の百日紅の梢に蛇が居る。何処かの杉の森で梟がごろ/\咽を鳴らして居る。麦が収められて、緑暗い村々に、微しの明るさを見せるのは卵色の栗の花である。
蛙の声の間々に、たぶ/\、じゃぶ/\田圃に響がする。見れば簑笠がいくつも田に働いて居る。遠く見れば水戸様の饌にのりそうな農人形が、膝まで泥に踏み込んで、柄の長い馬鍬を泥に打込んでは曳やっと捏ね、また打込んでは曳やっとひく。他所では馬に引かす犁を重そうに人間が引張って、牛か馬の様に泥水の中を踏み込み/\ひいて行く。労力其ものゝ画姿を見る様で、気の毒すぎて馬鹿〻〻しく、腹が立つ。労働は好いが、何故牛馬の働までせねばならぬ乎。
然し千歳村は約千町歩の面積の内、田はやっと六十町歩に過ぎぬ。田の労は多くない。馬を使う程でもない、と皆が云う。此れでも昔は馬も居たそうだが、今は馬を飼うも不経済で、馬を使うより人力がまだ/\ましと皆が云う。共同して馬を飼うたらと云ったこともあるが共同が中々行われぬ。
馬も一利一害である。余の字には、二三年来二十七戸の内で馬を飼う家が三軒出来た。内二軒は男の子が不足なので、東京からの下肥ひきに馬を飼う事を思い立ったのである。然し石山の馬は、口綱をとって行く主人と調子が合わなかった為、一寸した阪路を下る車に主人は脾腹と太腿をうたせ、二月も寝る程の怪我をした。寺本の馬は、新宿で電車に驚いて、盲目の按摩を二人轢き倒し、大分の面倒を惹起した。其隣の馬は、節句の遊びに乗った親類の村蔵と云う男を刎ね落して、肩骨を挫き、接骨医に二月も通わねばならぬ様の怪我をさせ、其為一家の予算に狂いが来て、予定の結婚が半歳も延ばされた。
だから馬も考えものだ、と皆が言う。
(明治四十五年 六月十七日)
つゆ霽れ
梅雨中とは云いながら、此十日余思わしい日の目も見ず、畳を拭くと新しい雑巾が黴で真黒になった。今日はからりと霽れて、歓ばしい日光の代になった。待ちかねた様に蝉が高音をあげる。ほやり/\水蒸気立つ土には樹影黒々と落ち、処女の袖の様に青々と晴れた空には、夏雲が白く光る。戸、障子、窓の限りを開放して存分に日光と風とを容れる。
今日の晴を待ちつけた農家は、小踊りして、麦うちをはじめた。東でもばた/\、西でもばったばた。東の辰さんの家では、形は小さいが気前の好い男振りの好い岩公が音頭とりで、「人里はなれた三軒屋でも、ソレ、住めば都の風が吹ゥくゥ、ドッコイ」歌声賑やかにばったばた。北の金さん宅は口の重い人達ばかり、家族中で歌の一つも歌おうと云う稲公は砲兵に、春っ子は小学校に往って居るので、爺、長男長女、三男の四人、歌は歌わぬかわり長男の音公が時々「ヨウ」と懸声に勢をつけて、規則正しくばったばた。西も東も南も北も勇ましい歓喜の勝鬨。聞くからに心が躍る。
つゆ霽れやたう/\/\と麦を撲つ
(明治四十三年 六月二十九日)
有たぬ者
新宿八王子間の電車線路工事が始まって、大勢の土方が入り込み、村は連日戒厳令の下にでも住む様に兢々として居る。
天下無敵の強者と云えば、土方人足は其一であろう。彼等は頂天立地何の恐るゝ処もない赤裸の英雄である、原人である。彼等は元来裸である。何ものも有たない。有たないから失うことが出来ない。失うものがないから、彼等は恐るゝことを知らぬ。生存競争の戦闘に於て、彼等は常に寄手である。唯進んで撃ち而して取ればよいのである。守ると云うは、有つ者の事である。守ると云うは、已に其第一歩に於て敗北である。
世には有たぬ程強い事はない。有たぬ者は、すべてのものを有つのである。彼等には明日は無い。昨日も無い。唯今日がある、刹那がある。彼等は神を恐れない。王者を恐れない。名聞を思わない。彼等は失うべき富もない。愛む可き家族も無い。彼等は其れより以下に落つ可き何等の位置も有たない。国家か、何ものぞ。法律か、何の関係ぞ。習慣、何の束縛ぞ。彼等は胃の命令と、腸の法律と、皮膚の要求と、舌頭の指揮と、生殖器の催促の外、何の縛らるゝ処がない。彼等は自然力其ものである。一触してタイタニックを沈めた氷山である。華麗な羅馬の文明を鉄蹄に蹂躙した北狄蛮人である。一切の作為文明は、彼等の前に灰の如く消えて了う。
土を穿ち、土を移し、土を平らし、土を積む。彼等は工兵の蟻である。同じ土に仕事する者でも、農は蚯蚓である。蚯蚓は蟻を恐れる。
有つ者にとっては、有たぬ者程恐ろしい者は無い。土方人足の村で恐れられるも尤である。然しながら何ものも有たぬ彼等も、まだ生命と云うものを有って居る。彼等は生命を惜む。此れが彼等の弱点である。有たずに強い彼等も、有てば弱くなる虞がある。世にも恐ろしい者は、其生命さえも惜まぬのみか、如何なる条件をもって往っても妥協の望がない人々である。彼等は何ものを有っても満足せぬ。彼等は全宇宙を吾有にしなければ満足せぬ。寧吾を全宇宙に与えなければ満足せぬ。其一切を獲ん為には、有てる一切を捨てゝ了う位は何でもない。耶蘇も仏陀も斯恐ろしい人達である。
(明治四十五年 七月十三日)
食われるもの
奥の座敷で日課を書いて居ると、縁に蹲って居た猫のトラがひらりと地に飛び下りた。またひらり縁に飛び上ったのを見ると、蜥蜴を啣えて居る。窃と下ろした。蜥蜴は死んだのか、気絶したのか、少しも動かぬ。トラはわんぐりと喰いはじめた。まだ生きて居ると見えて、蜥蜴の尾が右左に揺いた。トラは遽てず、眼を閉じ、頭を傾げて、悠々と味わい/\食って居る。小さな豹か虎かを見て居る様で、凄い。蜥蜴の体は最早トラの胃の中にあるに、切れて落ちた鋼鉄色の尾の一片は、小さな一疋の虫かなんぞの様にぐるっと巻いたりほどけたりして居る。トラめは其れも鵜呑にして了うた。蜥蜴のカタミは何も無い。日は相変らず昭々と照らして居る。地球は平気で駛って居る。木の葉一つソヨがぬ。トラは蜥蜴を食ってしまって、世にも無邪気な顔をして、眼を閉じて眠って了うた。
昨日は庭で青白い螟蛉を褐色のフウ虫二疋で螫し殺して吸うて居るのを見た。
一昨日は畑を歩いて、苦しい蛙の鳴き声を聞いた。ドウしても蛇にかゝった蛙の鳴き声と思って見まわすと、果然二尺ばかりの山かゞしが小さな蛙の足を啣えて居る。余は土塊を投げつけた。山かゞしは蛇の中でも精悍なやつである。蛙の腿を啣えながら鎌首をたてゝ逃げて行く。竹ぎれを取って戻ると、玉蜀黍の畑に見えなくなった了うた。
優勝劣敗は天理である。弱肉強食は自然である。宇宙は生命のとりやりである。然し強いものゝ上に尚強いものがあり、弱いものゝ下に尚弱いものがある。而して一番弱いものが一番強いものに勝つ場合もある。顕微鏡下に辛うじて見得る一細菌が、神の子だイヤ神だと傲る人間を容易に殺して了うではないか。畢竟宇宙は大円。生命は共通。強い者も弱い。弱い者も強い。死ぬるものが生き、生きるものが死に、勝つ者が負け、負ける者が勝ち、食う者が食われ、食われるものも却て食う。般若心経に所謂、不増不減不生不滅不垢不浄、宇宙の本体は正に此である。
然し我等は人間である。差別界に住んで居る。煩悩もある。愚痴もある。我等は精神的に生きんと欲する如く、肉体の命も惜しい。吾情を以て他を推す時、犠牲の叫びは聞きづらい。
ダァヰンの兄弟分ワレース博士は、蛇にのまるゝ蛙は苦しい処ではない、一種の温味にうっとりとなって快感を以て蛇の喉を下るのだ、と云うた。大役小志の志賀氏は、旅順戦役を描いて、決死の兵士は精神的高調に入って、所謂苦痛なるものを大して感じない、と云って居る。如何にも道理で、また事実さもあろうと思わるゝ。
然し我々は人間である。犠牲の声は聞きづらい。
(明治四十五年 七月二十日)
蜩
今年の自家の麦は、大麦も小麦も言語道断の不作だ。仔細は斯様である。昨秋の麦蒔に馬糞を基肥に使った。其れが世田ヶ谷騎兵聯隊から持って来た新しい馬糞で、官馬の事だから馬が食ってまだよく消化しない燕麦が多量に雑って居た。総じて新しい肥料はよくないものだが、自家には堆肥の用意がない為に、拠所なく新しい馬糞に過燐酸を混じて使った。麦が生えると同時に、馬糞の中の燕麦が生えた。麦が伸びると、燕麦も伸びた。燕麦は麦より強い。麦に追肥をやると、燕麦が勝手に吸ってしまってドン/\生長する。麦畑が一面燕麦の畑の様になった。非常な手数をかけて一々燕麦をぬいたが、最早肝腎の麦は燕麦に負けて其穂は痩せこけたものになって居た。肥料が肥料を食ってしまったのである。世には斯様な事が沢山ある。
トルストイの遺著の中、英訳になった劇「生ける屍」を読む。トルストイ化した「イナック、アヽデン」と云う様なものだ。「暗黒の力」程の力は無いが、捨てられぬ作である。
縁の籐椅子に腰かけて右のドラマを読んで居ると、トルストイ翁の顔やら家族の人々の顔やらが眼の前に浮ぶ。今日は七月一日、丁度六年前ヤスナヤ、ポリヤナに居た頃である。曇ったり晴れたりする空、上ったり下ったりする丘、緑が茂って、小麦が熟れて、余の今の周囲も其時に似て居る。
最早はっきりとは文字の見えぬ本を膝にのせて、先刻から音もなく降って居た繊い雨の其まゝ融けた蒼い夕靄を眺めて居ると、忽ち向うの蒼い杉の森から、
「リン、――リン、リン」
白銀の鈴を振る様な鋭い蜩の音が響いた。
(明治四十五年 七月一日)
夏の一日
眼をさますと、真裸で寝て居る。外では最早蜩が鳴いて居る。蚊帳外の暗い隅では、蚊が呍々唸って居る。刎ね起きて時計を見れば、五時に十分前。戸をくると、櫟林から朝日の金光線が射して居る。
顔を洗うと、真裸で芝生に飛び下り、磨ぎ立ての鎌で芝を苅りはじめる。雨の様な露だ。草苅は露の間の事。ざくり、ざくり、ザク、ザク。面白い様に苅れる。
足を洗って、体を拭いて、上ると八時。近来朝飯ぬきで、十時に牛乳一合。
今日は少し日課を書いた。
朝餐の午餐は赤の飯だ。今日は細君の誕生日である。昨日何か手に隠して持って来たのを、開けて見たら白髪が三本だった。彼女にも白髪が生えたのだ。余は十四五から五本や十本の白髪はあった。兎に角部分的には最早偕白髪と云う域に達した訳である。
主婦の誕生日だが、赤の飯に豆腐汁で、鰯の一尾も無い。午前に果樹園を歩いて居たら、水蜜の早生が五つばかり熟して居るのを見つけた。取りあえず午餐の食卓に上す。時にとっての好いお祝。
今日は夏になって以来の暑い日だ。午後は到頭室内九十度に上った。千歳村の生活をはじめて六年、九十度は今日が初である。戸と云う戸、障子と云う障子、窓と云う窓を残らず開放し、母屋は仕切の唐紙障子を一切取払うて、六畳二室板の間ぶっ通しの一間にした。飲むと汗になると知りつゝ、たまりかねて冷たい麦湯を飲む、サイダアを飲む。飲む片端からぼろ/\汗になって流れる。犬のデカもピンも、猫のトラも、樫の木蔭にぐったり寝て居た。
あまり暑いから髪でも苅ろうかと、座敷の縁に胡踞かく。バリカンが駄目なので、剪で細君が三分に苅ってくれた。今朝苅った芝が、最早枯れて白く乾いて居る。北海道の牧場の様ですね、と細君が曰う。主人は芝を苅り、妻は主人の髪を苅る。芝の心は知らぬが主人は好い心地になった。
建具取払って食堂が濶くなった上に、風が立ったので、晩餐の卓は涼しかった。飯を食いながら、唯見ると、夕日の残る葭簀の二枚屏風に南天の黒い影が躍って居る。而して其葭簀を透かして大きな芭蕉の緑の葉がはた/\揺いて居る。
自動車の響が青山街道にしたかと思うと、東京のN君外三名が甲斐の山の写真を撮りに来たのだ。時刻が晩くて駄目だったが、無理に二枚程撮って帰った。
日が傾くとソヨ吹きそめた南風が、夜に入ると共に水の流るゝ如く吹き入るので、ランプをつけて置くのが骨だった。母屋の縁に胡座かいて、身も魂も空虚にして涼風に浸る。ランプの光射す程は、樫、ふさもじ、小さな孟宗竹の葉が一々緑玉に光って、ヒラ/\キラ/\躍って居る。光の及ばぬあたりは、墨画にかいた様な黒い葉が、千も万も躍って居る。木立の間には白けた夏の夜の空が流れ、其処にはまた数限も無い星がチラ/\瞬いて居る。庭の暗の方から、甘い香や強い刺戟性の香が弗々と流れて来る。山梔子、山百合の香である。「夏の夜や蚊を疵にして五百両」これで蚊さえ居なかったら。
今日誤ってもいだ烏瓜を刳って細君が鶴子の為に瓜燈籠をつくり、帆かけ舟を彫って縁につり下げ、しば/\風に吹き消されながら、小さな蝋燭をともした。緑色に透き徹った小天地、白い帆かけ舟が一つ中にともした生命の火のつゞく限りいつまでもと其表を駛って居る。
(明治四十五年 七月十八日)
明治天皇崩御の前後
一
明治四十五年七月二十一日。
日曜だが、起きぬけに二時間の芝苅。
天皇陛下御不例の発表があった。わざ/\発表がある程だ。御重態の程も察せられる。
真黒い雲が今我等の頭上を覆うて居る。
*
午後二時過ぎ、雷鳴、電光、沛然と降雨があった。少し雹が雑って居た。
月番から回章で、二十七日から二十九日まで、「総郷上り正月」のふれが来た。中日が総出で道路の草苅りだ。回章の月番の名に、見馴れた寺本の七蔵の名はなくて、息子の喜三郎の名が見える。七蔵さんは此六日に亡くなったのである。変った月番の名を見て、一寸哀愁を覚えた。
二
七月二十二日。
土用三郎と云うに、昨日の夕立以来、今日も曇って涼しいことである。
白桔梗、桔梗の花が五つ六つ。白っぽけた撫子の花が二つ三つ。芝生の何処かで、䗹〻〻と虫が鳴いて居る。
寂しい。
見る/\小さな雨がほと/\落ちて来た。
寂しい。
夏さびし桔梗の花五つ六つ小雨まじりに虫の声して
三
七月三十日。
例によって芝苅り。終って、桃の木の下で水蜜桃の立喰。
大きなプリマウス種の雄鶏が、鶏舎の外で死んで居た。羽毛が其処此処にちらかって居る。昨夜鶏舎の戸をしめる時誤って雄鶏をしめ出したので、夜中鼬に襲われたのである。随分死の苦しみをしたであろうに、家の者はぐっすり寝込んで些も知らなかった。昨秋以来鼬の難にかゝることこゝに五たびだ。前度に懲りて、鶏舎の締りを厳重にしたが、外にしめ出しては詮方が無い。梨の木の下に埋葬。
午後東京から来た学生の一人が、天皇陛下今暁一時四十三分崩御あらせられたと云う事を告げた。
陛下崩御――其れは御重態の報伝わって以来万更思い掛けぬ事ではなかったが。
園内を歩いて陛下の御一生を思うた。
東の方を見ると、空も喪装をしたのかと思われて、墨色の雲が東京の空をうち覆うて居る。暮れ方になって降り出した。
四
七月三十一日。
欝陶しく、物悲しい日。
新聞は皆黒縁だ。不図新聞の一面に「睦仁」の二字を見つけた。下に「先帝御手跡」とある。孝明天皇の御筆かと思うたのは一瞬時、陛下は已に先帝とならせられたのであった。新帝陛下の御践祚があった。明治と云う年号は、昨日限り「大正」と改められる、と云う事である。
陛下が崩御になれば年号も更る。其れを知らぬではないが、余は明治と云う年号は永久につゞくものであるかの様に感じて居た。余は明治元年十月の生れである。即ち明治天皇陛下が即位式を挙げ玉うた年、初めて京都から東京に行幸あった其月東京を西南に距る三百里、薩摩に近い肥後葦北の水俣と云う村に生れたのである。余は明治の齢を吾齢と思い馴れ、明治と同年だと誇りもし、恥じもして居た。
陛下の崩御は明治史の巻を閉じた。明治が大正となって、余は吾生涯が中断されたかの様に感じた。明治天皇が余の半生を持って往っておしまいになったかの様に感じた。
物哀しい日。田圃向うに飴屋が吹く笛の一声長く響いて、腸にしみ入る様だ。
五
八月一日。
月の朔で、八幡様に神官が来て、お神酒が上る。諒闇中の御遠慮で、今日は太鼓も鳴らなかった。
今日から五日間お経をたてる、と云う言いつぎが来た。先帝の御冥福の為。
鶏小屋に大きな青大将が入って、模型卵をのんだ、と日傭のおかみが知らして来た。往って見ると、五尺もある青大将が喉元を膨らして、そこらをのたうち廻って居る。卵の積りで陶物の模型卵を呑んで、苦しがって居るのだ。折から来合わして居たT君が、尻尾をつまんで鶏小屋から引ずり出すと、余が竹竿でたゝき殺した。竹で死体を扱いたら、ペロリと血だらけの模型卵を吐いた。此頃一向卵が出来ぬと思ったら、此先生が毎日召上ってお出でたのだ。青大将の死骸は芥溜に捨てた。少し経って見たら、如何したのか見えなかった。復活して逃げたのかも知れぬ。
六
八月二日。
紅蜀葵の花が咲いた。
甲州玉蜀黍をもぎ、煮たり焼いたりして食う。世の中に斯様なうまいものがあるかと思う。田園生活も此では中々やめられぬ。
今日は土用中ながら薄寒い日であった。朝は六十二三度しかなかった。尽日北の風が吹いて、時々冷たい繊い雨がほと/\落ちて、見ゆる限りの青葉が白い裏をかえして南に靡き、寂しいうら哀しい日であった。
今日は鶏小屋にほゞ鼬と見まごうばかりの大鼠が居た。
七
八月八日。
八月に入って四五日、フランネルを着る様な日が続いた。小雨が降る。雲がかぶさる。北から冷たい風が吹く。例年九月に鳴く百舌鳥が無暗に鳴いたりした。薄い掻巻一つでは足らず、毛布を出す夜もあった。
今日は久し振りに晴れた。空には一片の雲なく、日は晶々として美しく照りながら、寒暖計は八十二三度を越えず、涼しい南風が朝から晩まで水の流るゝ様に小止なく吹いた。颯々と鳴る庭の松。かさ/\と鳴る畑の玉蜀黍。ざわ/\と鳴る田川の畔の青萱。見れば、眼に入る緑は皆動いて居る。庭の桔梗の紫揺き、雁来紅の葉の紅戦ぎ、撫子の淡紅靡き、向日葵の黄頷き、夏萩の臙脂乱れ、蝉の声、虫の音も風につれて震えた。夕日傾く頃となれば、風はます/\涼しく、樹影は黒く芝生に跳った。
「秋来ぬと眼にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」。風の音に驚くばかりかは、さやかに眼に見えて立つ秋の姿である。
昨夜は雁声を聞いた。
今朝向うの杉の森に「ツクツクウシ、ツクツクウシ」と云うほのかな秋蝉の声を聞いた。
暦を見たら、今日が立秋である。
八
八月十五日。
此頃のくせで、起き出る頃は、毎も満目の霧。雨だなと思うと、朝飯食ってしまう頃からからりと霽れて、申分なき秋暑になる。
隣の大豆畑に群がったカナブンの大軍が、大豆の葉をば食い尽して、今度は自家の畑に侵入した。起きぬけに、夫婦して莚を畑にひろげ、枝豆や苺や果樹に群がるカナブンを其上に振い落して、石油の空鑵にぶちあけ、五時から八時過ぎまでかゝって、カナブンの約五升を擒にし、熱湯を浴せて殺した。でもまだ十分の一もとれない。
あまり美事の出来だからと云うて、廻沢から大きな水瓜唯一個かついで売りに来た。緑地に黒縞のある洋種の丸水瓜である。重量三貫五百目、三十五銭は高くない。井戸に冷やして、午後切って食う。味も好かった。
一月おくれの盆で、墓地が賑やかである。細君が鶴子の為に母屋の小さな床に茄子馬をかざり、黒い喪章をつけたおもちゃの国旗をかざり、ほおずきやら烏瓜やら小さな栗やら色々供物をならべて、于蘭盆の遊びをさせた。
風鈴の短冊が先日の風に飛ばされたので、先帝の「星のとぶ影のみ見えて夏の夜も更け行く空はさびしかりけり」の歌を書いて下げた。西行でも詠みそうな歌だ。
九
八月十六日。
隣の家鴨が二羽迷い込んだ。雌は捕えて渡したが、雄が床の下深く逃げ込んで、ドウしてもつかまらない。隣の息子が雌を連れて来て、刮々云わしたら、雄はひとりでに床の下から出て来て、難なく捉まった。今更の様だが女の力。
夕方縁の籐椅子に腰かけて、静に夕景色を味う。苅あと青い芝生も、庭中の花と云う花も蔭に入り、月下香の香が高く一庭に薫ずる。金の鎌の様な月が、時々雲に入ったり出たり。南方に淡い銀河が流れる。星もちらほら出て居る。村々は最早黒う暮れて、時々眩しい火光がぱっと射す。船橋の方には、先帝の御為に上げるのか、哀々とした念仏の声が長く曳いて聞こえる。庭ではスイッチョが鳴く。蟋蟀が鳴く。夜と云うに、蝉の一種が鳴く。隣の林にはガチャ/\が鳴く。
寂しい涼しい初秋の夜。
御大葬の夜
明治天皇大葬の夜である。
七時五十分、母屋の六畳を掃いて、清い白布をかけた長方形の大きな低い卓子を東向きに直した。上には、秋草の花を活けた小花瓶を右左に置き、正面には橢円形の小さな鏡を立て、其前に火を入れた青磁の香炉、紫の香包を傍に置いた。いさゝかランプの心を捻ると、卓子の上の物皆明るく、心も自ずからあらたまる。家族一同手を膝に、息をのんで控えた。
柱時計の短針が八時を指すか指さぬに、
ドオ………ン!
待ち設けても今更人の心魂を駭かす大砲の音が、家をも我等の全身をも揺り撼かして響いた。
今霊轜宮城を出でさせられるのだ。
主人は東に向い一拝して香を焚き、再拝して退った。妻がつゞいて再拝して香を焚き、三拝して退いた。七歳の鶴子も焼香した。最後に婢も香を焚いて、東を拝した。
余が家の奉送は終った。
*
余は提灯ともして、妻と唯二人門を出た。
曇った暗い夜である。
八幡下の田圃まで往って東を見る。田圃向うの黒い村を鮮やかに劃って、東の空は月の出の様に明るい。何千何万の電燈、瓦斯、松明が、彼夜の中の昼を作して居るのであろう。見て居ると、其夥しい明光が、さす息引く息であるかの様に伸びたり縮んだりする。其明りの中から時々電の様な光がぴかりと騰る。
「何の光だろう?」
「写真を撮るマグネシウムの光でしょうか」
「否、弔砲の閃光かも知れん」
先程から引つゞいて、大きな心臓の鼓動の如く、正しい時を隔てゝ弔砲が響いて居る。――あゝ鐘が鳴って居る。南のは東覚院、宝性寺、安穏寺、北のは――寺、――寺、東にも、西にも、おのがじし然も申合わせた様に、我君眠りませ、永久に眠りませ、と哀音長く鳴り連れて居る。二つの響はあたかも余等の胸の響に通うた、砲声の雄叫び、鐘声の悲泣。
都も鄙も押並べて黒きを被る斯大なる哀の夜に、余等は茫然と東の方を眺めて立った。生温かい夜風がそよぐ。稲の香がする。
「行きなさるかね」半丁ばかり北の方で突然人声がした。
「エ、些ンべ行って見べいと思って」
田圃道を東の方へ人の足音がした。やがてパチ/\と拍手の音が闇に響く。
轜車は今何の辺を過ぎさせられるのであろう?
(大正元年 九月十三日)
東の京西の京
(明治天皇の御始終)
西なる京に君は生れましき。
西なる京に生れ玉へる君はしも、東に覇府ありてより幾百年、唯東へ東へと代々の帝父祖の帝の念じ玉ひし東征の矢竹心を心として、白羽二重に緋の袴、五歳六歳の御遊にも、侍女を馬にして、東下りと宣らしつゝ、御所の廊下を駆り玉ひき。
御父祖の夢は、君が代に現となりつ。君は維新のおん帝、御十七の若帝、御束帯に御冠、御板輿に打乗らせ、天下取ったる公卿将卒に前後左右を護らして、錦の御旗を五十三駅の雄風に翻へし、東下りを果し玉ひぬ。
西の京より移り来て、東の京に君はしも四十五年住み玉ひぬ。東の京に住む君は、西なる京なつかしと思さぬにてはあらざりき。父の帝の眠ります西の京、其処に生れまし十六まで育ち玉ひし西の京、君に忘られぬ西の京。せめて暑中は西の京へでも、侍臣斯く申せば、御気色かはり、宣ひけらく「朕西京を嫌ふと思ふか。否、朕は西の京が大好きなり。さりながら、朕、東の京を去らば、誰か日本の政を見むものぞ?」
大政しげくして、西なる京へ君はしも、御夢ならでは御幸なく、比叡の朝は霞む共、鴨の夕風涼しくも、禁苑の月冴ゆとても、鞍馬の山に雪降るも、御所の猿辻猿の頬に朝日は照れど、烏啼く椋の梢に日は入れど、君は来まさず。君が御名得し祐の井の、井のほとりの常磐木や、落葉木の若葉して、青葉となりて、落葉して、年また年と空宮に年は遷りぬ四十五。
四十五年の御代長く、事稠き代の御安息無く、六十路あまり一年の御顔に寄する年の波、御魂は慕ふ西の京、吾事終へつと嘘きて、君逝きましぬ東京に。
東下り、京上り、往来に果つるおん旅や、御跡印す駅路の繰りひろげたる絵巻物、今巻きかへす時は来ぬ。時こそ来つれ、生涯の御戦闘終へて凱旋の。時こそ来つれ、生涯の御勤労果てゝ御安息の。
曩昔の東下りの御板輿を白き柩車に乗り換へて、今こそ君は浄土の西の京へと還り玉はめ。
(大正元年 九月十三日)
乃木大将夫妻自刃
九月十五日、御大葬の記事を見るべく新聞を披くと、忽初号活字が眼を射た。
乃木大将夫妻の自殺
余は息を飲んで、眼を数行の記事に走らした。
「尤だ、無理は無い、尤だ」
斯く呍きつゝ、余は新聞を顔に打掩うた。
*
日清戦争中、山地中将が分捕の高価の毛皮の外套を乃木少将に贈ったら、少将は、傷病兵にやってしまった。此事を新聞で読んだのが、乃木希典に余のインテレストを持つ様になった最初であった。其れから明治廿九年乃木中将が台湾総督となる時、母堂が渡台の御暇乞に参内して、皇后陛下の御問に対し、姥は台湾の土にならん為、忰の先途を見届けん為に台湾に参ります、と御答え申上げたと云う記事は、また深く余の心に滲みた。余は此母子が好きになった。明治三十四年中、ゴルドン将軍伝を書く時、余はゴルドンを描く其原稿紙上に乃木将軍の面影がちらり/\と徂ったり徠たりするを禁じ得なかった。
縁は異なもので、ゴルドン伝を書いた翌々年「寄生木」の主人公から突然「寄生木」著作の事を委托された。恩人たる乃木将軍の為めにと云う彼の辞であった。余は例に無く乗地になって引受けた。結果が小説寄生木である。
小説寄生木は、該書の巻頭にも断って置いた通り、主人公にして原著者なる「篠原良平」の小笠原善平が「寄生木」で、厳密なる意味に於て余の「寄生木」では無い。寄生木の大木将軍夫妻は、篠原良平の大木将軍夫妻で、余の乃木大将夫妻では無い。余は厳に原文に拠って、如何なる場合にも寸毫も余の粉飾塗抹を加えなかった。そこで、寄生木は、南部の山中から駈け出した十六歳の少年が仙台で将軍の応接間の椅子に先ず腰かけて「馬鹿ッ!」と大喝されてから、二十八歳の休職士官が失意失恋故山に悶死するまで、其単純な眼に映じた第一印象の実録である。固より将軍夫妻は良平の恩人である為に、温かい感謝の膜を隔てゝ見たところもある。然し彼は徹頭徹尾単純にして偽ることを得為ぬ男で、且如何なる場合にも見且感ずるを得る自然の芸術家であったことを忘れてはならぬ。余は寄生木によって、乃木大将夫妻をヨリ近く識り得た。
篠原良平は「寄生木」の原稿を余に托し置いて、明治四十一年の秋悶死した。而して、恩人乃木将軍が其名を書いてくれた墓碣が故山に建てられた明治四十二年十二月小説寄生木が世に出た。即ち将軍は幕下の彼が為め死後の名を石に書き、彼は恩人の為に生前の断片的記伝を紙の上に立てた訳である。
余は寄生木を乃木大将に贈呈しなかった。然し伝聞する処によれば、将軍夫妻は読んだそうだ。将軍は巻中にある某の学資金は某大佐に渡したかと夫人に問い、夫人が渡しましたと答えた事、夫人は通読し終って、著者は一度も材料の為に訪われもしなかったに、よくも斯く精確に書かれた、と云われた事、を聞いた。精確な筈だ、記憶の好い本人良平が命がけで書いたのである。余は将軍夫妻の感想を聞く機会を有たなかった。然しながら寄生木を読んだ将軍夫妻は、生前顔を合わすれば棒立に立ってよくは口もきけず、幼年学校でも士官学校でも学科はなまけ、病気ばかりして、晩年には殊に謀叛気を見せて、恩義を弁えたらしくもなかった篠原良平が、案外深い感謝あり、理解あり、同情あり、而して個性あり、痛切な苦悶あり、要するに一個真面目の霊魂であったことを今更の様に発見したであろう。兎に角篠原良平の死と「寄生木」とが、寂しい将軍の晩年に於てまた一の慰藉となったことは、察するに難からぬ。篠原良平が「寄生木」を遺した目的の一は達せられたのである。
余は篠原良平の晩年に於て、剣を抛つ可く彼に勧告し、彼を乃木将軍から奪う可く多少の努力をして、彼が悶死の一因を作ったのと、学習院に於て余の為可かりし演説が某の注意に因り院長たる将軍の言によって差止められたことを聞いた外、乃木将軍とは一回の対面もせず、一通の書信の往復も為なかった。茫々たる宇宙に於て、大将夫妻と余をいさゝか繋ぐものがあるならば、其は「寄生木」である。
然しながら寄生木は、篠原良平の寄生木で、余の寄生木では無い。唯将軍と余の間に一の縁を作ったに過ぎぬ。乃木将軍夫妻程死花が咲いた人々は近来絶無と云ってよい。大将夫妻は実に日本全国民の崇拝愛慕の的となった。乃木文学は一時に山をなして出た。斯上蛇足を加うる要はないかも知れぬ。然し寄生木によりて一種の縁を将軍夫妻に作った余には、また余相応の義務が感ぜられる。此義務は余にとって不快な義務では無い。余は如何なる形に於てかこの義務を果したいと思うて居る。
コスモス
今日は夏を憶い出す様な日だった。午後寒暖計が六十八度に上った。白い蝶が出て舞う。蠅が活動する。蝉さえ一しきり鳴いた。
今はコスモスの真盛である。濃紅、紅、淡紅、白、庭にも、園にも、畑にも、掃溜の傍にも、惜気もなく心を見せて思いのまゝに咲き盛って居る。誰か見に来ればよいと思うが、終日誰も来ぬ。唯主人のみ黄金の雨と降る暖かい秋の日を浴びて、存分に色彩の饗応に預かる。
たま/\屋敷下を荷車挽いて通りかゝった辰爺さんが、
「花車の様だね」
とほめて通った。
庭内も、芙蓉、萩、蓮華つゝじは下葉から色づき、梅桜は大抵落葉し、ドウダン先ず紅に照り初め、落霜紅は赤く、木瓜の実は黄に、松はます/\緑に、山茶花は香を、コスモスは色を庭に満たして、実に何とも云えぬ好い時候だ。
夕方屋敷の南端にある欅の切株に上って眺める。日は何時しか甲州の山に落ちて、山は紫に匂うて居る。白茶色になって来た田圃にも、白くなった小川の堤の尾花にも夕日が光って、眼には見る南村北落の夕けぶり。烏啼き、小鳥鳴き、秋静に今日も過ぎて行く。東京の方を見ると、臙脂色の空に煙が幾条も真直に上って居る。一番南のが、一昨日火薬が爆発して二十余名を殺傷した目黒の火薬庫の煙だ。
(明治四十四年 十月二十三日)

秋さびし
今日はさびしい日である。
ダリヤの園を通ると、二尺あまりの茶色の紐が動いて居る、と見たは蛇だった。蜥蜴の様な細い頭をあげて、黒い針の様な舌をペラ/\さして居る。殺そうか殺すまいかと躊躇して見て居る内に、彼は直ぐ其処にある径一寸ばかりの穴に這入りかけた。見る中に吸わるゝ様にズル/\と辷り込んで了うた。
園内を歩くと、蝉のヌケ殻が幾個も落ちて居る。昨夜は室内で、小さなものゝ臨終の呻吟の様なかすかな鳴声を聞いたが、今朝見ればオルガンの上に弱りはてたスイッチョが居た。彼は未だ死に得ない。而して死に得る迄は鳴かねばならぬのである。
自然は老いて行く。座敷の前を蜂が一疋歩いて行く。両羽をつまんでも、螫そうともせぬ。何に弱ってか、彼は飛ぶ力ももたぬのである。そっと地に下ろしたら、また芝生の方へそろ/\歩いて行く。
今日はさびしい日である。
午後は曇って泣き出しそうな日であった。
午後になって、いやに蒸暑い空気が湛えた。懶い自然の気を感じて、眼ざとい鶴子が昼寝した。掃き溜には、犬のデカがぐたりと寝て居る。芝生には、猫のトラが眠って居る。
南から風が吹く。暖かい事は六月の風の様で、目を瞑って聞くと、冬も深い凩の響がする。
今日はさびしい日である。
今は午後四時である。雲を漏れて、西日の光がぱっと射して来た。散りかゝった満庭のコスモスや、咲きかゝった菊や、残る紅の葉鶏頭や、蜂虻の群がる金剛纂の白い大きな花や、ぼうっと黄を含んだ芝生や、下葉の褐色に凋れて乾いた萩や白樺や落葉松や、皆斯夕日に寂しく栄えて居る。鮮やかであるが、泣いて居る。美わしいが、寂しい。
今日はさびしい日である。
(大正元年 十月二十八日)
展望台に上りて
上
余の書窓から西に眺むる甲斐の山脈を破して緑色濃き近村の松の梢に、何時の程からか紅白染分の旗が翻った。機動演習の目標かと思うたら、其れは京王電鉄が沿線繁栄策の一として、ゆく/\東京市の寺院墓地を移す為めに買収しはじめた敷地二十万坪を劃る目標の一つであった。
京王電鉄調布上高井戸間の線路工事がはじまって、土方人夫が大勢入り込み、鏡花君の風流線にある様な騒ぎが起ったのは、夏もまだ浅い程の事だった。娘が二人辱しめられ、村中の若い女は震え上り、年頃の娘をもつ親は急いで東京に奉公に出すやら、無銭飲食を恐れて急に酒樽を隠すやら、土方が真昼中甲州街道をまだ禁菓を喰わぬアダム同様無褌の真裸で横行濶歩、夜は何の様な家へでも入込むので、未だ曾て戸じまりをしたことがない片眼婆さんのあばら家まで、遽てゝかけ金よ釘よと騒いだりした。其れも工程の捗取ると共に、何時しか他所に流れて往って了うた。やがて起ったのが、東京の寺院墓地移転用敷地廿万坪買収の一件である。
京王電鉄も金が無い。東京の寺や墓地でも引張って来て少しは電鉄沿線の景気をつけると共に、買った敷地を売りつけて一儲けする、此は京王の考としてさもありそうな話である。田舎はもとより金が無い。比較的小作料の低廉な此辺の大地主は、地所を荷厄介にして居る。また大きな地主で些派手にやって居る者に借金が無い者は殆んどない。二十万坪買収は、金に渇き切った其或人々にとって、旱田に夕立の福音であった。財政整理の必要に迫られて居ると知られた某々の有力者は、電鉄の先棒となって、盛に仲間を造りはじめた。金は無論欲しい。脅嚇も勿論利く。二十万坪の内八万坪、五十三名の地主の内十九名は、売渡承諾の契約書に調印してしまった。踟蹰する者もあった。余はある人に斯う云うた、不用の地所があるなら兎も角、恰好の代地があったら格別、でなければ農が土を手放すは魚の水に離れるようなものだ、金なんか直ぐ泡の様に消えて了う、今更農をやめて転業するなぞは十が十堕落の原だ。
売らぬと云う側は、人数で関係地主の総数五十三人中の三十名、坪数で二十万坪の十二万坪を占めて居る。彼等の云い分はざッと斯様だ。東京が段々西へ寄って来て、豊多摩荏原の諸郡は追々市外宅地や工場等の場所になり、以前専ら穀作と養蚕でやって居た北多摩郡が豊多摩荏原に代って蔬菜や園芸品を作る様になり、土地の価は年々上って来て居る。然るに北多摩郡でも最も東京に近い千歳村の僅か五百五十町歩の畑地の中、地味も便利も屈指の六十余町歩、即ち畑地の一割強を不毛の寺院墓地にして了うのは、惜しいものだ。殊に寺院墓地の如き陰気なものに来られては、陽気な人間は来なくなり、多くなるものは農作物の大敵たる鳥雀の類ばかりだ。廿万坪の内には宅地もある。貧乏鬮を引当てた者は、祖先伝来の家屋敷や畑をすてゝ、代地と云えば近くて十丁以内にはなく、他郷に出るか、地所が不足では農をよして他に転業しなければならぬ者もあろう。千歳村五百五十戸の中、小作が六割にも上って居る。大面積の寺院墓地が出来て耕地減少の結果、小作料は自然騰貴する。小作料の騰貴はまだ可いが、中には小作地が不足して住み馴れた村にも住めなくなり、東京に流れ込んだり、悪くすると法律の罪人が出来たりする。それから寺院墓地は免租地だから、結局村税の負担が増加する。何も千歳村の活気ある耕地を潰さず共、電車で五分間乃至十分も西に走れば、適当の山林地などが沢山あって、其辺の者は墓地を歓迎して居る。其方へ行けばよいじゃないか。反対の理由は、ざっと右の通りだ。尤も中に多少の魂胆もあろうが、大部分は本当に土に生き土に死ぬ自作農の土に対する愛着からである。変化を喜び刺戟に生きる都会人には、土に対する本当の農の執着の意味は中々解せない。真の農にとって、土はたゞの財産ではない、生命其のものである。祖先伝来一切の生命の蓄積して居る土は、其一塊も肉の一片血の一滴である。農から土を奪うは、霊魂から肉体を奪うのである。換言すれば死ねと云うのである。農を斯土から彼土に移すのは、霊魂の宿換を命ずるのである。其多くは死ぬるのである。農も死なゝければならぬ場合はある。然し其は軽々しく断ずべき事ではない。一は田中正造翁に面識なく谷中村を見ないからでもあろうが、余は従来谷中村民のあまり執念深いのを寧ろ気障に思うて居た。六年の田舎住居、多少は百姓の真似もして見て、土に対する農の心理の幾分を解しはじめて見ると、余は否でも曩昔の非を認めずには居られぬ。即ち千歳村の墓地問題の如きも、京王電鉄会社や大地主等にとっては利益問題だが、純農者にとっては取りも直さぬ死活問題であるのだ。
然るに京王電鉄は、一方先棒の村内有力者某々等をして頗る猛烈に運動せしむると共に、一方田夫野人何事をか仕出来さんと高を括って高圧的手段に出た。即ち関係地主の過半数は反対であるにも関せず、会社は村長の奥印をもって東京府庁に宛てゝ墓地新設予定地御臨検願を出して了う。霊場敷地展望台を畑の真中に持て来て建てる。果ては、云う事を聴かねば土地収用法を適用するまでの事だ、電鉄の手で買えば一反五百七十円から五百五十円までゞ買うが、土地収用法がものを云えば一反三百円か高くても三百五十円は越さない、其でも好いか、好ければ今に見ろ。斯様な調子でのしかゝって来た。
売る者は売れ、俺等は売らぬ、と澄まして居た反対側の人達も、流石に怒り出した。腰弁当、提灯持参、草鞋がけの運動がはじまった。村会に向って、墓地排斥の決議を促す申請書を出す。村会に於てはまた、大多数を以て墓地排斥の建議案を通過するぞと意気込む。それから連判の陳情書を東京府庁へ出すとて余にも村民の一人として賛成を求めて来た。昨朝の事である。
下
今日余は女児と三疋の犬とを連れて、柿を給田に買うべく出かけた。薄曇りした晩秋の寂しい午後である。
品川堀に沿うて北へ歩む。昨日連判状を持って来た仲間の一人が、かみさんと甘藷を掘って居る。
「此処らも予定地の内ですか」
「え、彼道路からずっとなんですよ。彼処に旗が立ってますだ」
成程余が書窓から此頃常に見る旗と同じ紅白染分の旗が、路傍の松の梢にヒラヒラして居る。東北の方にも見える。彼旗が敗北の白旗に変らなかったなら、此夫婦は来年此処で甘藷を掘ることは出来ぬのである。
余は麦畑に踏込む犬を叱り、道草摘む女児を促し、品川堀に沿うて北へ行く。路傍の尾花は霜枯れて、かさ/\鳴って居る。丁度七年前の此月である。余は妻と此世の住家を探がして、東京から歩いて千歳村に来た。而して丁度其日の夕方に、疲れた足を曳きずって、正に此路を通って甲州街道に出たのであった。夕日の残る枯尾花、何処やらに鳴く夕鴉の声も、いとどさすらえ人の感を深くし、余も妻も唯黙って歩いた。我儕の行衛は何処に落ちつくのであろう? 余等は各自に斯く案じた。余は一個の浮浪書生、筆一本あれば、住居は天幕でも済む自由の身である。それでさえ塒はなれた小鳥の悲哀は、其時ヒシと身に浸みた。土から生れて土を食い土を耕して終に土になる土の獣の農が、土を奪われ土から追われた時の心は如何であろう!
品川堀が西へ曲る点に来た。丸太を組んだ高櫓が畑中に突立って居る。上には紅白の幕を張って、回向院の太鼓櫓を見るようだ。北表面へ廻ると、墨黒々と筆太に
霊場敷地展望台
と洋紙に書いて張ったのが、少し破れて風にばた/\して居る。品川堀を渡って、展望台の方へ行くと、下の畑で鉢巻をした禿頭の爺さんが堆肥の桶を担いで、媳か娘か一人の女と若い男と三人して麦蒔をして居る。爺さんは桶を下ろし、鉢巻をとって、目礼した。此は昨夕村会議員の一人と訪ねて来た爺さんである。其宅地も畑も所有地全部買収地の真中に取こめられ、仮令収用法の適用が出来ぬとしても、もし唯一人売らぬとなれば袋の鼠の如く出口をふさがれるし、売るとなれば一寸の土も残らず渡して去らねばならぬので、最初から非常に憂惧し、殆ど仕事も手につかず、昨日訪ずねて来た時もオド/\した斯老人の容子は余の心を傷ましめた。今其畑に来て見れば、直ぐ隣の畑には爺さんを追い払う云わば敵の展望台があたりを睥睨して立って居る。爺さんは昼は其望台の蔭で畑打ち、夜は望台の夢に魘わるゝことであろう。爺さんの寿命を日々夜々に縮めつゝあるものは、斯展望台である。余は爺さんに目礼して、展望台の立つ隣の畑に往った。茶と桑と二方を劃った畑の一部を無遠慮に踏み固めて、棕櫚縄素縄で丸太をからげ組み立てた十数間の高櫓に人は居なかった。余は上ろうか上るまいかと踟蹰したが、終に女児と犬を下に残して片手欄を握りつゝ酒樽の薦を敷いた楷梯を上った。北へ、折れて西へ、折れて南へ、三重の楷梯を上って漸く頂上に達した。中々高い。頂は八分板を並べ、丈夫に床をかいてある。
余は思わず嗟嘆して見廻わした。好い見晴らしだ。武蔵野の此辺では、中々斯程の展望所は無い。望台を中心としてほゞ大円形をなした畑地は、一寸程になった麦の緑縞、甘藷を掘ったあとの紫がかった黒土、べったり緑青をなすった大根畑、明るい緑色の白菜畑、白っぽい黄色の晩陸稲、入乱れて八方に展開し、其周囲には霜に染みた雑木林、人家を包む樫木立、丈高い宮の赤松などが遠くなり近くなりくるり取巻いて居る。北を見ると、最早鉄軌を敷いた電鉄の線路が、烏山の木立の間に見え隠れ、此方のまだ枕木も敷かぬ部分には工夫が五六人鶴嘴を振り上げて居る。西を見れば、茶褐色に焦れた雑木山の向うに、濃い黛色の低い山が横長く出没して居る。多摩川の西岸を縁どる所謂多摩の横山で、川は見えぬが流れの筋は分明に指さゝれる。少し西北には、青梅から多摩川上流の山々が淡く見える。西南の方は、富士山も大山も曇った空に潜んで見えない。唯藍色の雲の間から、弱い弱い日脚が唯一筋斜に落ちて居る。
やゝ久しく吾を忘れて眺め入った余は、今京王電鉄が建てた墓地敷地展望台の上に立って居ることに気がついた。余は更に目をあげてあたりを見廻わした。此望台を中心として、二十万坪六十余町歩の耕地宅地を包囲して、南に東に北に西に規則正しく間隔を置いて高く樹梢に翻って居る十数流の紅白旗は、戦わずして已に勝を宣する占領旗かと疑われ、中央に突立ってあたり見下ろす展望台は、蠢爾としてこゝに耕す人と其住家とを呑んでかゝって威嚇して居る様で、余は此展望台に立つのが恥かしくなった。
雪空の様に曇りつゝ日は早や暮るに間もなくなった。何処かに鴉が鳴く。余はさながら不測の運命に魘われて悄然として農夫の顔其まゝに言わぬ哀愁に満ちた自然の面影にやるせなき哀感を誘われて、独望台にさま/″\の事を想うた。都会と田舎の此争は、如何に解決せらるゝであろう乎。京王は終に勝つであろうか。村は負けるであろうか。資本の吾儘が通るであろう乎。労力の嘆きが聴かるゝであろう乎。一年両度緑になり黄になり命を与うる斯二十万坪の活きた土は、終古死の国とならねばならぬのであろうか。今憂の重荷を負うて直下に働いて居る彼爺さん達、彼処此処に鳶色に焦れた欅の下樫の木蔭に平和を夢みて居る幾個の茅舎、其等は所謂文明の手に蠅の如く簑虫の宿の如く払いのけられねばならぬのであろうか。数で云うたら唯二十万坪の土地、喜憂を繋くる人と戸数と、都の場末の一町内にも足らぬが、大なる人情の眼は唯統計を見るであろうか。東京は帝都、寸土寸金、生が盛れば死は退かねばならぬ。寺も移らねばなるまい。墓地も移らずばなるまい。然しながら死にたる骨は、死にたる地に安んずべきではあるまい乎。寺と墓地とは縁もゆかりもない千歳村の此耕さるべき部分の外に行き得る場所はないのであろう乎。都会が頭なら、田舎は臓腑ではあるまい乎。頭が臓腑を食ったなら、終には頭の最後ではあるまい乎。田舎はもとより都会の恩を被る。然しながら都会を養い、都会のあらゆる不浄を運び去り、新しい生命と元気を都会に注ぐ大自然の役目を勤むる田舎は、都会に貢献する所がないであろう乎。都会が田舎の意志と感情を無視して吾儘を通すなら、其れこそ本当の無理である。無理は分離である。分離は死である。都会と田舎は一体である。農が濫に土を離るゝの日は農の死である。都が田舎を潰す日は、都自身の滅亡である。
彼旗を撤し、此望台を毀ち、今自然も愁うる秋暮の物悲しきが上に憂愁不安の気雲の如く覆うて居る斯千歳村に、雲霽れてうら/\と日の光射す復活の春を齎らすを得ば、其時こそ京王の電鉄も都と田舎を繋ぐ愛の連鎖、温かい血の通う脈管となるを得るであろう。
(大正元年 十一月八日)
暮秋の日
竜田姫のうっとりと眼を細くし、またぱっと目を瞪らく様な、曇りつ照りつ寂しい暮秋の日。
暦の冬は五六日前に立った。霜はまだ二朝三朝、しかも軽いのしか降らない。但先月の嵐が累をなしたのか、庭園の百日紅、桜、梅、沙羅双樹、桃、李、白樺、欅、厚朴、木蓮の類の落葉樹は、大抵葉を振うて裸になり、柿やトキワカエデの木の下には、美しい濶い落葉が落葉の上に重なって厚い茵を敷いて居る。菊はまだ褪わずして狂うものは狂いそめ、小菊、紺菊の類は、園の此処彼処にさま/″\な色を見せ、紅白の茶山花は枝上地上に咲きこぼれて居る。ドウダン、ヤマモミジ、一行寺、大盃、イタヤ、ハツシモ、など云う類の楓や銀杏は、深く浅く鮮やかにまた渋く、紅、黄、褐、茜、紫さま/″\の色に出で、気の重い常緑木や気軽な裸木の間を彩どる。常緑木の中でも、松や杉は青々とした葉の下に黄ばんだ古葉を簇々と垂れて、自ら新にす可く一吹の風を待って居る。菊、茶山花の香を含んで酒の様に濃い空気を吸いつゝ、余はさながら虻の様に、庭から園、園から畑と徘徊する。庭を歩く時、足下に落葉がかさと鳴る。梅の小枝に妙な物がと目をとめて見ると、蛙の干物が突刺してある。此はイタズラ小僧の百舌鳥めが食料に干して置いて其まゝ置き忘れたのである。園を歩く時、大半は種になったコスモスの梢に咲き残った紅白の花が三つ四つ淋しく迎える。畑には最早大麦小麦が寸余に生えて居る。大根漬菜が青々とまだ盛んな生気を見せて居る。籬の外の畑では、まだ晩蒔の麦を蒔いて居る。向うの田圃では、ザクリ/\鎌の音をさして晩稲を苅って居る。
今は午後の四時である。先程からぱっと射して色と云う色を栄えさして居た日は、雲の瞼の下に隠れて、眼に見る限りの物は沈欝な相をとった。松の下の大分黄ばんだ芝生に立って、墓地の銀杏を見る。さまで大きくもあらぬ径六寸程の比較的若木であるが、魚の背骨の一方を削った様に枝は皆北方へ出て、南へは唯一本しか出て居ない。南の枝にも梢にも、残る葉はなくて、黄葉は唯北方に密集して居る。其裸になった梢に、嘴の大きな痩鴉が一羽とまって居る。永く永くとまって居たが、尾羽で一つ梢をうって唖々と鳴きさまに飛び立った。黄いろい蝶の舞う様に銀杏の葉がはら/\と飄える。
廻沢の杉森のあなたを、葬式が通ると見えて、「南無阿弥陀ァ仏、南無阿弥陀ァ仏」単調な念仏が泣く様に響いて来る。
(大正元年 十一月十日)
二つの幻影
北風が寒く、冬らしい日。
然し東京附近で冬を云々するのは烏滸がましい。如何に寒いと云っても、大地が始終真白になって居るではなし、少し日あたりのよい風よけのある所では、寒中にも小松菜が青々して、崖の蔭では菫や蒲公英が二月に咲いたりするのを見るのは、珍らしくない。
北へ行かねば、冬の心地は分からぬ。せめて奥州、北海道、樺太、乃至大陸の露西亜とか西比利亜とかでなければ、本当の冬の趣味は分からぬ。秋日々に老いて近づく冬の気息が一刻々々に身に響く頃の一種の恐怖、死に先だつ深い絶望と悲哀は、東京附近の浅薄な冬の真似では到底分からぬ。東京附近の冬は、せい/″\半死半生である。冬が本当の死である国土でなければ、秋の暮の淋し味も、また春の復活の喜も十分には分からぬ。
「おゝ神よ、吾をしてこの春に会うを得せしめ給うを感謝す」と畑で祈ると云う露西亜の老農の心もちには、中々東京附近の百姓はなれぬ。
否でも応でも境遇に我等は支配される。我々の邦では一切の事が兎角徹底せぬわけである。
*
午後散歩、田圃では皆欣々喜々として晩稲を苅って居る。
甲斐の山を見る可く、青山街道から十四五歩、船橋の方へ上って居ると、東京の方から街道を二台の車が来る。護謨輪の奇麗な車である。道の左右の百姓達が鎌の手をとゞめて見て居る。予は持て居た双眼鏡を翳した。前なる透かし幌の内は、丸髷に結って真白に塗った美しい若い婦人である。後の車には、乳母らしいのが友禅の美しい着物に包まれた女の児を抱いて居る。玩具など幌の扇骨に結いつけてある。今日は十一月の十五日、七五三の宮詣でに東京に往った帰りと見える。二台の護謨輪が威勢の好い白法被の車夫に挽かれて音もなくだら/\坂を上って往って了うと、余はものゝ影が余の立つ方に近づきつゝあるに気づいた。骸骨が来るのかと思うた。其は一人の婆であった。両の眼の下瞼が悉く朱に反りかえって、椎の実程の小さな鼻が右へ歪みなりにくっついて居る。小さな風呂敷包を頸にかけて、草履の様になった下駄を突かけて居る。余は恐ろしくなって、片寄って婆さんを通した。今にも婆さんが口をきゝはせぬかと恐れた。然し婆さんは、下瞼の朱く反りかえった眼でじろり余を見たまゝ、余の傍を通り過ぎて了うた。程なく雑木山に見えなくなった。
余は今しがた眼の前を過ぎた二つの幻の意味を思いつゝ、山を見ることを忘れて田圃の方へ下りて往った。
(大正元年 十一月十五日)
入営
辰爺さん宅の岩公が麻布聯隊に入営する。
寸志の一包と、吾れながら見事に出来た聖護院大根を三本提げて、挨拶に行く。禾場には祝入営の旗が五本も威勢よく立って、広くもあらぬ家には人影と人声が一ぱいに溢れて居る。土間の入口で、阿爺の辰さんがせっせと饂飩粉を捏ねて居る。是非上れと云うのを、後刻とふりきって、大根を土間に置いて帰る。
午後万歳の声を聞いて、遽てゝ八幡に往って見る。最早楽隊を先頭に行列が出かける処だ。岩公は黒紋付の羽織、袴、靴、茶の中折帽と云う装で、神酒の所為もあろう桜色になって居る。岩公の阿爺は体格は小さい人の好い爺さんだが、昔は可なり遊んだ男で、小供まで何処かイナセなところがある。
余も行列に加わって、高井戸まで送る。真先きに、紫地に白く「千歳村粕谷少年音楽隊」とぬいた横旗を立てゝ、村の少年が銀笛、太鼓、手風琴なぞピー/\ドン/\賑やかに囃し立てゝ行く。入営者の弟の沢ちゃんも、銀笛を吹く仲間である。次ぎに送入営の幟が五本行く。入営者の附添人としては、岩公の兄貴の村さんが弟と並んで歩いて居る。若い時は、亭主が夜遊びするのでしば/\淋しい留守をして、宵夜中小使銭貸せの破落戸漢に踏み込まれたり、苦労に齢よりも老けた岩公の阿母が、孫の赤坊を負って、草履をはいて小走りに送って来る。四五日前に除隊になった寺本の喜三さんも居る。水兵服の丈高い男を誰かと思うたら、休暇で横須賀から帰って来た萩原の忠さんであった。一昨日母者の葬式をして沈んだ顔の仁左衛門さんも来て居る。余は高井戸の通りで失敬して、径路から帰った。ふりかえって見ると、甲州街道の木立に見え隠れして、旗影と少年音楽隊の曲が次第に東へ進んで行く。
今日は何処も入営者の出発で、船橋の方でも、万歳の声が夕日の空に颺って居た。
(明治四十四年 十一月三十日)
*
辰爺さんが酔うて昨日の礼に饂飩を持て来た。うっかりして居たが、吾家は組内だから昨日も何角の手伝に行かねばならなかったのであった。
爺さんは泣声して、
「岩もね、二週間すると来ますだよ」と云う。「兵隊に出すのが嫌だなンか云うことァ出来ねえだ。何でも大きくなる時節で、天子様も国を広くなさるだから」と云う。
誰が教えたのかしら。
(同 十二月一日)
生死
霜無く、風無く、雲無く、静かな寂かな小春の日。
昨夜、台所の竈台の下の空籠の中で、犬のピンがうめいたり叫んだりして居たが、到頭四疋子を生んだ。茶色が二疋、黒が二疋、あの小さな母胎からよく四疋も生れたものだ。つい今しがた母胎を出たばかりなのに、小猫の様な啼声を出して、勢猛に母の乳にむしゃぶりつく。
子犬の生れた騒ぎに、猫のミイやが居ないことを午過ぎまで気付かなかった。「おや、ミイは?」と細君が不安な顔をして見廻わした時は、午後の一時近かった。総がかりで家中探がす。居ない。屋敷中探がす。居ない。舌が痛くなる程呼んでも、答が無い。民やをやって、近所を遍ねく探がさしたが、何処にも居ず、誰も知らぬ、と云う。まだ遠出をする猫ではなし、何時居なくなったろうと評議する。細君が暫らく考えて「朝は居ましたよ、葱とりに往く時私に跟いて畑なぞ歩いて居ました」と云う。如何なったのだろう? 烏山の天狗犬に噛まれたのかも知れぬ。三毛は美しい小猫だったから、或は人に抱いて往かれたかも知れぬ。可愛い、剽軽な、怜悧な小猫だったに、行方不明とは残念な事をして了うた。ひょっとしたら、仲好くして居たピンに子犬が生れたから、ミイが嫉妬して身を隠したのではあるまいか、などあられもない事まで思う。
夕食の席で、民やが斯様な話をした。今日午後猫を捜して居ると、八幡下で鴫田の婆さんと辰さん家の婆さんと話して居た。先刻田圃向うの雑木山の中で、印半纏を着た廿歳許の男と、小ざっぱりした服装をした二十前後の女が居た。男はせっせと手で土を掘って居た。女は世にも蒼ざめた顔をして居た。自然薯でも掘るのですかい、と通りかゝりの婆さんがきいたら、何とも返事しなかった。程経てまた通ると、先の男女はまだ其処に居た。其前八幡山の畑の辺をまご/\して居たそうである。多分闇から闇にと堕りた胎児を埋めたのであろう。鴫田の婆さんは、自家の山に其様な事でもしられちゃ大変だ、と云うて畑の草の中なぞ杖のさきでせゝって居たそうだ。
其若い男女が、ひょっとしたらまた其処へ来て居るかも知れぬ。あるいは無分別をせぬとも限らぬ。
箸を措くと、外套引かけて出た。体も魂も倔強な民が、私お供致しましょう、と提灯ともして先きに立つ。
八幡下の田圃を突切って、雑木林の西側を這う径に入った。立どまって良久しく耳を澄ました。人らしいものゝ気もない。
「何処に居るかね、不了簡をしちゃいかんぞ。俺に相談をして呉れんか」
声をかけて置いて、熟と聞き耳を立てたが、吾声の攪乱した雑木山の静寂はもとに復えって、落葉一つがさとも云わぬ。霜を含んだ夜気は池の水の様に凝って、上半部を蝕い欠いた様な片破れ月が、裸になった雑木の梢に蒼白く光って居る。
立とまっては耳を傾け、答なき声を空林にかけたりして、到頭甲州街道に出た。一廻りして、今度は雑木山の東側の径を取って返した。提灯は径を歩かして、余は月の光を便りに今一度疑問の林に分け入った。株立になった雑木は皆落葉して、林の中は月明でほの白い。櫟から楢と眼をつけ、がさ/\と吾が踏み分くる足下の落葉にも気をつけ、木を掘ったあとの窪を注視し、時々立止って耳を澄ました。
居ない。終に何者も居ない。土の下も黙って居る。
(明治四十二年 十二月二日)
天理教の祭
おかず媼さんが、天理教会秋祭の案内に来た。
紙の上の天理教は見て居るが、教会を覗いた事は未だ無い。好い機だ。往って見る。
下足札を出して、百畳敷一ぱいの人である。正面には御簾を捲いて、鏡が飾ってある。太鼓、笙、篳篥、琴、琵琶なんぞを擁したり、あるいは何ものをも持たぬ手を膝に組んだ白衣の男女が、両辺に居流れて居る。其白衣の女の中には、おかず媼さんも見えた。米俵が十数俵も神前に積まれて、奉納者の名を書いた奉書紙が下げてある。
やがて鳴物が鳴り出した。
太鼓の白衣氏が撥を握って単調な拍子をとりつゝ
「ちょっとはなし、神の云うこと聞いてくれ」
と唱え出した。琴が鳴る。篳篥が叫ぶ。琵琶が和する。
黒紋付木綿の綿入に袴を穿いた倔強な若い男が六人、歌につれて神前に踊りはじめた。一進一退、裏むき表むき、立ったり蹲んだり、黒紋付の袖からぬっと出た逞ましい両の手を合掌したりほどいたり、真面目に踊って居る。無骨で中々愛嬌がある。「畚かついでひのきしん」と云う歌のところでは、六人ながら新しい畚を担って踊った。
鳴物は単調に鳴る。歌は単調につゞく。踊は相も変らぬ手振がつゞく。余は多少あき気味であたりを眺める。皆近辺の人達で、多少の識った顔もある。皆嬉々として眺めて聴いて居る。
*
天理教祖は実に偉い婆さんであった。其広大な慈悲心は生きて働き、死んでます/\働き、老骨地に入ってこゝに数十年、其流れを汲む人の数は実に夥しい数を以て数えられる。仮令大和の本教会は立派な建築を興し、中学などを建て、小むずかしい天理教聖書を作り、已に組織病に罹ったとしても、婆さんから流れ出た活ける力はまだ/\盛に本当の信徒の間に働いて居る。信ずる者は幸福である。仮令其信仰の為に財産をなくして人の物笑となり、政府の心配となるとも、信ずる者は幸福である。彼等の多くは無学である。彼等に教理を問うても、彼等は唯にこ/\と笑うて、立派な言葉で明かに答える事は出来ぬ。然し信仰を説く者必しも信仰を有つ者でない。信ずる彼等は確に其信仰に生きて居るのである。
信仰と生活の一致は、容易で無い。何れの信仰でも雑多な信者はある。世界の信者が其信仰を遺憾なく実現したら、世界は夙に無事に苦んで居る筈だ。天理教徒にも色々ある。財産を天理様に捧げてしまって、嬉々として労役者の生活をして居る者もある。天理教で財産を耗って、其報償を手あたり次第に徴集し、助けなき婆さんを窘めて店賃をはたる者もある。病気の為に信心して幸に痊ゆれば平気で暴利を貪って居る者もある。信徒の労力を吸って肥えて居る教師もある。然し斯せち鹹い世の中に、人知れず美しい心の花を咲かす者も随処にある。此春妻が三軒茶屋から帰るとて、車はなしひょろ/\する程荷物を提げて歩いて居ると、畑に働いて居た娘が、今しも小学校の卒業式から優等の褒美をもろうて帰る少年を追かけて呼びとめてくれたので、其少年に荷物を分けて持ってもろうて帰って来た。親切な人々と思うて聞いて見れば、それは天理教信者であった。
人が平気に踏みしだく道辺の無名草の其小さな花にも、自然の大活力は現われる。天理教祖は日本の思いがけない水村山郭の此処其処に人知れず生れて居るのである。
*
斯様な事を思うて居る内に、御神楽歌一巻を唱え囃し踊る神前の活動はやんで、やがて一脚の椅子テーブルが正面に据えられ、洋服を着た若い紳士が着席し、木下藤吉郎秀吉が信長の草履取となって草履を懐に入れて温めた事をきい/\声で演説した。其れが果てると、余は折詰一個をもらい、正宗一合瓶は辞して、参拾銭寄進して帰った。
耶蘇教は我強く、仏教は陰気くさく、神道に湿りが無い。彼大なる母教祖の胎内から生れ出た、陽気で簡明切実な平和の天理教が、土の人なる農家に多くの信徒を有つは尤である。
(明治四十二年 十二月四日)
渦巻
小春日がつゞく。
十二月は余の大好きな月である。絢爛の秋が過ぎて、落つるものは落ち尽し、枯るゝものは枯れ尽し、見るもの皆乾々浄々として、寂しいにも寂しいが、寂しい中にも何とも云えぬ味がある。秋に別れて冬になろうと云う此隙に、自然が一寸静座の妙境に入る其幽玄の趣は言葉に尽くせぬ。
隣字の仙左衛門が、根こぎの山豆柿一本と自然薯を持て来てくれた。一を庭に、一を鶏の柵に植える。今年は吾家の聖護院大根が上出来だ。種をくれと云うから、二本やる。少し話して行けと云うたら、また近所に鮭が出来たからと云うて、急いで帰った。鮭とは、ぶら下がるの謎で、首縊りがあったと云うのである。
橋本の敬さんが、実弟の世良田某を連れて来た。五歳の年四谷に養子に往って、十年前渡米し、今はロスアンゼルスに砂糖大根八十町、セロリー四十町作って居るそうだ。妻を持ちに帰って来たのである。カンタループ、草花の種子をもらう。
此村から外国出稼に往った者はあまり無い。朝鮮、北海道の移住者も殆んど無い。余等が村住居の数年間に、隣字の者で下総の高原に移住し、可なり成功した者が一度帰って来たことがある。何の家にも、子女の五六人七八人居ない家はないが、それで一向新しい竈の殖える様子もない。如何なるかと云えば、女は無論嫁ぐが、息子の或者は養子に行く、ある者は東京に出て職を覚える、店を出す。何しろ直ぐ近所に東京と云う大渦が巻いて居るので、村を出ると直ぐ東京に吸われてしもうて、移住出稼などに向く者は先ず無いと云うてよい。世良田君なんどは稀有の例である。
東京に出て相応に暮らして行く者もあるが、春秋の彼岸や盆に墓参に来る人の数は少なく、余の直ぐ隣の墓地でも最早無縁になった墓が少からずあるのを見ると、故郷はなれた彼等の運命が思いやられぬでもない。「家鴨馴知灘勢急、相喚相呼不離湾」何処ぞへ往ってしまいたいと口癖の様に云う二番目息子の稲公を、阿母が懸念するのも無理は無い。
(明治四十四年 十二月五日)
透視
非常の霜、地皮が全く霜やけして了うた。
午の前後はまた無闇と暖だ。凩も黙り、時雨も眠り、乾いて反りかえった落葉は、木の下に夢みて居る。烏が啼いたあとに、隣の鶏が鳴き、雀が去ったあとの楓の枝に、鷦鷯がとまる。静かにさす午後の日に白く光って小虫が飛ぶ。蜘糸の断片が日光の道を見せて閃めく。甲州の山は小春の空にうっとりと霞んで居る。
落ちついて、はっきりして、寂しい中に暖か味があって、温かい中に寂し味があって、十二月は本当に好い月である。
日曜だが、来客もなくて静なことだ。主と妻と女児と、日あたりの好い母屋の南縁で、日なたぼっこをして遊ぶ。白茶天鵞絨の様に光る芝生では、犬のデカとピンと其子のタロウ、カメが遊んで居る。大きなデカ爺が、自分の頭程もない先月生れの小犬の蚤を噛んでやったり、小犬が母の頸輪を啣えて引張ったり、犬と猫と仲悪の譬にもするにデカと猫のトラと鼻突合わして互に疑いもせず、皆悠々と小春の恩光の下に遊んで居る。「小春」とか「和楽」とかの画になりそう。
*
細君が指輪をなくしたので、此頃勝手元の手伝いに来る隣字のお鈴に頼み、吉さんに見てもらったら、母家の乾の方角高い処にのって居る、三日稲荷様を信心すると出て来る、と云うた。
吉さんは隣字の人で、日蓮宗の篤信者、病気が信心で癒った以来千里眼を得たと人が云う。吉凶其他分からぬ事があれば、界隈の者はよく吉さんに往って聞く。造作なく見てくれる。馬鹿にして居る者もあるが、信ずる者が多い。信ずる者は、吉さんの言で病気も癒り、なくなったものも見出す。此辺での長尾郁子、御船千鶴子である。
裏の物置に大きな青大将が居る。吉さんは、其れを先々代の家主のかみさんの霊だと云う。兎に角、聞く処によれば、これまで吉さんの言が的中した例は少なくない。吉さんは人の見得ないものを見る。汽車の轢死人があった処を吉さんが通ると、青い顔の男女がふら/\跟いて来て仕方がないそうだ。
余の家にも他の若い者並に仕事に来ることがある。五十そこらの、瘠せて力があまりなさそうな無口な人である。
我等は信が無い為に、統一が出来ない為に、おのずから明瞭なものも見えず聞こえずして了うのである。信ずる者には、奇蹟は別に不思議でも何でもない筈だ。
然しながら我等凡夫は必しも人々尽く千里眼たることは出来ぬ。また必ずしも悉く千里眼たるを要せぬ。長尾郁子や千鶴子も評判が立つと間もなく死んで了うた。不信が信を殺したとも云える。また一方から云えば、幽明、物心、死生、神人の間を隔つる神秘の一幕は、容易に掲げぬ所に生活の面白味も自由もあって、濫りに之を掲ぐるの報は速やかなる死或は盲目である場合があるのではあるまいか。命を賭しても此帷幕の隙見をす可く努力せずに居られぬ人を哂うは吾儕が鈍な高慢であろうが、同じ生類の進むにも、鳥の道、魚の道、虫の道、また獣の道もあることを忘れてはならぬ。
吾儕は奇蹟を驚異し、透視の人を尊敬し、而して自身は平坦な道をあるいて、道の導く所に行きたいものである。
*
夜、鶴子が炬燵に入りながら、昨日東京客からみやげにもらった鉛筆で雑記帳にアイウエオの手習をしたあとで、雑記帳の表紙に「トクトミツルコノデス」と書き、それから
コイヌガウマレマシテ、カワイコトデアリマス
と書いた。これは鶴子女史が生れてはじめての作文だ。細君が其下に記憶の為「ゴネントムツキ」と年齢をかゝせた。
(明治四十四年 十二月十日)
雪
暮の廿八日は、午食前から雨になり、降りながら夜に入った。
夜の二時頃、枕辺近く撞と云った物音に、余は岸破と刎ね起きた。身繕いしてやゝしばし寝床に突立って居ると、忍び込んだと思った人の容子は無くて、戸の外にサラ/\サラ/\忍びやかな音がする。
「雪だ!」
先刻の物音は、樫の枝を滑り落ちた雪の響だったのだ。余は含笑みつゝまた眠った。
六時、起きて雨戸をあけると、白い光がぱっと眼を射た。縁先まで真白だ。最早五寸から積って居るが、まだ盛に降って居る。
去年は暖かで、ついぞ雪らしい雪を見なかった。年の内に五寸からの雪を見ることは、余等が千歳村の民になってからはじめてゞある。
余は奥書院の戸をあけた。西南を一目に見晴らす此処の座敷は、今雪の田園を額縁なしの画にして見せて居る。庭の内に高低参差とした十数本の松は、何れも忍び得る限り雪に撓わんで、最早払おうか今払おうかと思い貌に枝を揺々さして居る。素裸になってた落葉木は、従順に雪の積るに任せて居る。枯萩の一叢が、ぴったりと弓形に地に平伏して居る。余は思わず声を立てゝ笑った。背向きの石地蔵が、看護婦の冠る様な白い帽子を被せられ、両肩には白い雪のエパウレットをかついで澄まして立ってござるのだ。
余は障子をしめて内に入り、仕事にかゝる前に二通の手紙を書いた。筑波山下の医師なる人に一通。東京銀座の書店主人に一通。水国の雪景色と、歳晩の雪の都会の浮世絵が幻の如く眼の前に浮ぶ。手紙を書き終えて、余は書き物をはじめた。障子が段々眩しくなって、時々吃驚する様な大きな響をさしてドサリ撞と雪が落ちる。机の傍では真鍮の薬鑵がチン/\云って居る。
午餐の案内に鶴子が来た。室を出て見ると、雪はぽつり/\まだ降って居るが、四辺は雪ならぬ光を含んで明るく、母屋前の芝生は樫の雫で已に斑に消えて居る。
「何だ、此れっ切りか。春の雪の様だね」
斯く罵りつゝ食卓に就く。黒塗膳に白いものが三つ載せてある。南天の紅い実を眼球にした兎と、竜髭の碧い実が眼球の鶉や、眉を竜髭の葉にし眼を其実にした小さな雪達磨とが、一盤の上に同居して居る。鶴子の為に妻が作ったのである。
「此達磨さん西洋人よ、だって眼が碧いンですもの」と鶴子が曰う。
雪で、今日は新聞が来ぬ。朝は乳屋、午後は七十近い郵便配達の爺さんが来たばかり。明日の餅搗きを頼んだので、隣の主人が糯米を取りに来た。其ついでに、蒸かし立ての甘藷を二本鶴子に呉れた。
余は奥座敷で朝来の仕事をつゞける。寒いので、しば/\火鉢の炭をつぐ。障子がやゝ翳って、丁度好い程の明になった。颯と云う音がする。轟と云う響がする。風が出たらしい。四時やゝ廻ると、妻が茶を点れ、鶴子が焼栗を持て入って来た。
「雪水を沸かしたのですよ」
と妻が曰う。ペンを擱いて、取あえず一碗を傾ける。銀瓶と云う処だが、やはり例の鉄瓶だ。其れでも何となく茶味が軟かい。手々に焼栗を剥きつゝ、障子をあけてやゝしばし外を眺める。北から風が吹いて居る。田圃向うの杉の森を掠めて、白い風が弗、弗と幾陣か斜に吹き通る。庭の内では、蛾の如く花の様な大小の雪片が、飛んだり、刎ねたり、狂うたり、筋斗翻をしたり、ダンスをする様にくるりと廻ったり、面白そうにふざけ散らして、身軽に気軽に舞うて居る。消えかけて居た雪の帽が、また地蔵の頭上に高くなった。庭の主貌した赤松の枝から、時々サッと雪の滝が落ちる。
「今夜も降りますよ」
斯く云いすてゝ妻は鶴子と立って往った。
余は風雪の音を聞き/\仕事をつゞける。一枚も書くと、最早書く文字がおぼろになった。余はペンを拭いて、立って障子をあけた。
蒼白い雪の黄昏である。眼の届く限り、耳の届く限り、人通りもない、物音もしない。唯雪が霏々また霏々と限りもなく降って居る。良久しく眺める。不図縁先を黒い物が通ると思うたら、其は先月来余の家に入込んで居る風来犬であった。まだ小供〻〻した耳の大きな牝犬で、何処から如何して来たか知らぬが、勝手にありついて、追えども逐えども去ろうともせぬ。余の家には雌雄二疋の犬が居るので、此上牝犬を飼うも厄介である。わざ/\人を頼んで、玉川向うへ捨てさせた。すると翌日ひょっくり帰って来た。汽車に乗せたらと謂って、荻窪から汽車で吉祥寺に送って、林の中に繋いで置いたら、頸に縄きれをぶらさげながら、一週間ぶりに舞い戻った。隣字の人に頼んで、二子在の犬好きの家へ世話してもらうつもりで、一先ず其家に繋いで置いてもらうと、長い鎖を引きずりながら帰って来た。詮方なくて今は其まゝにしてある。余が口笛を吹いたら、彼女はふっと見上げたが、やがて尾を垂れて、小さな足跡を深く雪に残しつゝ、裏の方へ往って了うた。
雪はまだしきりに降って居る。
余は思うともなく今年一年の出来事をさま/″\と思い浮べた。身の上、家の上、村の上、自国の上、外国の上、さま/″\と事多い一年であった。種々の形で世界の各所に現わるゝ、人心の昂奮、人間の動揺が、眼まぐろしくあらためて余の心の眼に映った。
何処に落着く世の中であろう?
余は久しく久しく何を見るともなく雪の中を見つめる。
大正元年暮の二十九日は蒼白う暮れて行く。
おのがじし舞ひ狂ひつるあともなし
世は一色の雪の夕暮
(大正元年 十二月二十九日)



