Harusame Monogatari: Gonen manuscript
Ueda, Akinari
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1998
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About the Print Edition
Harusame Monogatari: Gonen manuscript Ueda Akinari Zenshu, vol. 8
Akinari Ueda
Editor Nakamura Yukihiko
Chuo Koronsha: Tokyo, 1993
Prepared for the University of Virginia Library Electronic Text Center.
春雨物がたり
はるさめけふ幾日、しづかにておもしろ。れいの筆研とり出たれど、思めぐらすに、いふべき事も無し。物がたりざまのまねびは、うひ事也。されど、おのが世の山がつめきたれば、何をかかたり出ん。むかし此頃の事どもゝ、人に欺かれしは、我いつはりとなるを、よしやよし、寓ごとかたりつゞけて、おしいたゞかす人もありとて、物云つゞくれば、猶春さめはふる/\。
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血かたびら第一回
天のおし国高日子の天皇、開初より五十一代の大まつり事きこしめしたまへば、五畿七道水旱なく、民腹をうちて豊年うたひ、良禽木をえらばず巣くひ、大同の佳運、記伝のはかせ字をえらびて奏聞す。登極あらせしほどもなくて、大弟神野親王を春の宮つくらして遷させたまふ。是は先帝の御寵愛殊なりしによりて也けり。太弟聡明にて、和漢の典籍にわたらせたまふ。君としていにしへより跡なし。草隷はもろこし人の推いたゞきて、乞もて帰りしとぞ。此時、唐は憲宗の代にして、徳の隣に通ひ来たり。新羅は哀荘王、いにしへのあとゝめて、数十艘貢物たてまつる。天皇善柔の御さがましませれば、春の宮にはやうみくらゐゆづらまく、内々聞しらせたまふを、大臣、参議、「さる事しばし」とて、推とゞめたいまつる。一夜、夢見たまへり。先だいのおほん高らかにて、
けさの朝け鳴なる鹿の其声をきかずはゆかじ夜のふけぬとに
打かたぶきて、御歌のこゝろおぼししらせ給へりき。又の夜、せん帝の御使あり。早良親王の霊、かし原の御墓に参りて罪を謝す。只おのが後なきをうたへなげきて去ぬとぞ。是はみ心のたよわきに、あだ夢とおぼししらせたまへど、崇道天わうと尊号おくらせたまひぬ。法師、かんなぎ等、祭壇に昇りて、加持参らせはらへ申たり。侍臣藤原の仲成、いもうとの薬子等申す。「夢に六のけぢめをいふ。よきあしきに数定まらんやは。御心の直きにあしき神のよりつくぞ」と申て、出雲の広成におほせて、み薬てうぜさせたいまつる。又、参議の臣達はかりあはせて、こゝかしこの神社大みこ(てら)の御つかひあり。猶、伯耆の国に世を避る玄賓めされて、御加持まいらす。此法師は、道鏡と同じ弓削氏にて、そのかみも召れしかど、道鏡が暴悪けがらはしとて、山ふかくこゝかしこに行ひたりし大徳のひじり也。七日、朝庭に立て、妖魔を追やらひしかば、み心すが/\しくならせたまひぬ。「猶みやこに在て、日毎まゐれ」とみことのらせしかど、思ふ心(所)やある、又、遠きにかへりぬ。仲成、外臣を遠ざけんとはかりては、くすり子と心合せ、なぐさめ奉る。よからぬ事申すも、打ゑみて、是等が心をもとらせ給ぬ。夜ひ/\の御宴、琴、ふえの哥垣、八重めぐらせ遊ばせたまふ。御製をうたひあぐる。そのおほん、
棹しかはよるこそ来なけおく露は霜結ばねば朕わかゆ也
御かはらけとらせたまへば、薬子扇とりて立舞ふ。
三輪のとのの神の戸をおし開からすもよ幾久々々
と、袖翻してことほぎたいまつる。御こゝろすが/\しく、おひてならせたまふ。太弟のみ子、才学長じたまふを忌て、みそか言しらし奏聞する人あり。又、此み代にと急ぐ人もありといふ。みかど独ごちたまふ。「皇祖、長矛が(に)道ひらかせ、弓箭みとらして、仇を撃たまふより、十つぎの崇神のおん時までは、しるすに事なければ、養老の紀に見る所なし。儒道わたりて、さかしき教へに、或はあしき事を撓め、或は巧に枉りては、代々栄ゆるまゝに静ならず。朕はふみよむ事うとければ、たゞ/\直きまゝに」[と]おぼす。一日、大虚に雲なく、風枝を鳴さぬに、空に物ありてとゞろく音す。空海まいりあひて、念珠おしすり、呪文となふれば、すなはち地におつ。あやし、蛮人の車に乗てぞありける。とらへて櫃に納め、難波ほり江に捨さす。忌部の浜成、おちし所の土を三尺穿すてゝ、神やらひ、をらび声高らか也。一日、皇太弟柏原のみはかに詣で、密旨の奏文申たまへり。何の御こゝろとも、誰つたふべきにあらねば、知るべきやうなし。天皇も一日御はかまゐりしたまふ。百官百司、みさきおひ、あとべにそなふ。左右の大将中将、御くるまのこなたかなたに弓箭とりしばり、劔はかせてまもりたまへり。百取の机に幣帛うづまさにつみはへ、堅木の枝々に色こきまぜてとりかけたる、神代の事も思はるゝなりけり。雅楽寮の人々立並て、三くさの笛鼓のおとおもしろと、心なき末のよぼろらさへ耳傾たりけり。あやし、うしろの山より黒き雲きり立昇り、雨ふらねど年の夜の闇に等し。いそぎ鳳輦にて、丁等あまたとりつぎ、左右の大中将もつらを乱してそなへたり。「還御」高らかに申せば、大伴の氏人開門す。御つねにあらじ[と]て、くす師等いそぎ参りて、御薬てうじ奉[る]に、かねておぼす御国譲りのさがにやとおぼしのどむれば、更に御なやみなし。みかはらけ参る。栗栖野の流の小
に、わ(な)らびの岡の蕨とりそへ、鱠や何やすゝめまつれば、みけしきよく、うたづかさ舞うたひつゝ、そ夜に月出て、ほとゝぎすひとふた声鳴わたるをきこしめして、大とのごもらせたまひぬ。あした空海まいる。問せたまへるは、「三皇五帝いや遠し。かのゝちの物がたり聞せよ」となん。空海申す。「いづれの国か教へに開くべき。三隅の網の一隅は我にと云しが私の始也。たゞ/\御心直くましますまゝに、まつり事聴せたまへ。日出て起、日入てふし、飢てくらひ、渇してはのむ。民の心にわたくしあらんやは」。打うなづかせて、「よし/\」とみことのらす。太弟参り給へり。御物がたり久し。のたまはく、「周は八百年、漢家四百年、いかにすれば長かりしや」。太弟こたへ給はく、「長しといへども、周は七十年にしてやゝ衰ふ。漢も亦、高祖の骨はたいまだ冷ぬに、呂氏の乱おこる。つゝしみの怠りにもあらねど、天の時にかあらん」。問せたまふ。「天とは日々に照しませる皇祖神の御国ならずや。はかせ等、天といふ事多端也。又、仏氏は、天帝も道にくだりて聞と云。あな/\、天といふ物の、愚なるにはこゝろ得がたし」と。太弟御こたへなくてまかん出たまへり。あした御国ゆづりの宣旨くだる。ふるさとゝなりし平城におり居させたまはんとぞ。元明より先帝まで、なゝ代の宮どころなりし。むかしは、宮楼、殿堂、「さく花のにほふかごとく今さかり也」とよみしを、おぼし出させてや、いそがせたまへりけん。日をえらびていでたゝせましませる。鸞輿を宇治にとゞめさせて、しばしながめさせたまふ。おほん打出させたまへり。
ものゝ夫よ此はし板のたひらけくかよひてつかへ万代までに
是をうたはせて、うた人等吹しらべ奏す。奈良坂にて夕みげまゐる。薬子御だいまいる。「このてがし葉は」などゝ問せたまふ。「それはねぢけ人にこそ。直々しきには、いかで」と申す。「よし」とみ言のらせて、古宮に夜に入て入らせたまひぬ。あした、御簾かゝげさせて、見はるかせたまへば、東は、春日・高円・三輪山、みんなみに鷹むち山をかぎりたり。西は、かつら木・たかんま・いこま、ふたかみの峰々、青墻なせり。むべも開初より宮どころとえらび定めたまふを、先だいのいかさまにおぼしめせばかと、ひとりごたせぬ。北に、元明・元正・聖武の御はか立ならぶと聞し召て、はるかに伏拝ませたまふ。大寺の甍たかく、層塔数をかずろへさせぬ。城市の家どもゝ、いまだ今の帝都にうつりはてねば、故さとゝもあらず。東大寺の毘盧舎那仏拝まんとて、いそぎ出させたまふ。見上させて、「思ふに過しみかたち也。西のはての国にうまれて、この陸奥山の黄金花に光そへさしよ」と、御戯のたまふ。ちかくまゐりし法師の申す。「是は華厳と申御経にとかせしみかたち也。如来のへんぐゑ、大にあらせば虚空にせはだかり、ひぢめては芥子の中に所えさせたりと申す。まこと肖像はこゝにもわたしたる中に、御足のうらに開元のとしを鐫らせしが、竺国にて三たびの御かたち也。五尺にわづかに過させしよとをろがみたいまつるとや」。露うたがひたまはぬ御ほんじやうにて、御烏帽[子]かたふけさせたまふ。かく直くましませるを、薬子・仲成等、あしくためんとするこそ、いとほしけれ。御臺まいる。いとようきこしめして、「難波とやらのちかくで、あぶり物うまし」とぞ。薬子申。「なにはに宮古あらせしみかどは、御ちゝ帝の、弟みこをわきていつくしませしかば、神さり給ふ後に、御おとうとの皇子に、御くら居あらせよとありしを、宇治のみこ、兄にこゆるためしやあるとて、三歳までゆづりかはしたまへば、難波の蜑が貢の真魚、いづれにと奉りまどひて、海人なれや、おのが物からもていさつと、うたになげきしが、遂に兎道のみ子、自[ら]刃にふしたまひしを、いにしへにも、もろこしにも、ためしなき聖王とかたりつたへぬる。わづか四とせにて下居させしは、御こゝろの直きからのたわやぎ也。ゆづらばとて、即高きに昇らせし今の帝の御こゝろまがれり。もろこしのふみよみて、かしこの簒ひかはるあしきためしをためしとして、御くらには登らせし也。あな恐し。難波の帝のためしにかへさせて、今一たび、たひらの宮にたゝせ給へ。百官百司、民の心もしかあらばやとねがふと聞。太弟のからぶみにさかしだちて、まつりごとおに/\しく、こち%\しくて、世はこの末いかにとなげくとや。いそぎ一たびの宣旨をあさするとなん、御つかひあらせよ。仲成つかふまつらん」と、すゞろぎた[つ]る。直きには、又是に枉られて、奈良の宮づかへする臣等にはかり問すれば、誰御こたへ申人もあらず。仲成、兵衛のかみなれば、此そなへに昆明池にならひて、さほ川に戦ひならはせしかば、都に「しか%\の事」とはやも告げて、又、市町のわらべ歌に、
花はみなみに先咲からに、雪の北窓心さむしも
いよゝおどろかせたまひて、奈良の近臣をめされ、推問せたまへば、「是、薬子・[仲]成に事おこる。この春正月のつい立あした、れいのみくすりまいらす。屠蘓・びやく散たいまつりて、度嶂さんたいまつらず。『いかなりや、ためしは』と、問せたまふ。薬子が申。『あやし。君、峭壁をこえさせたまふまじきに。奈良坂たいらかにこそあれ。青垣めぐりて、わづかに此みかきの内だに、こと%\は貢もの奉らず。悲し/\』と、ちらしつゝ、泪を袖につゝみて立さる時、御まへに在て聞」と申す。「さらば」とて、即官兵を遣はされ、仲成をとらへて首刎させ、くすり子は家におりさせてこめしをらす。又、御子の高丘親王は、今の帝の、上皇の御こゝろとりて、まうけの君と定まりしをも停めて、「僧になれ」と、宣旨くだる。親王、改名真如と申す。三論を道詮[に]まなび、真言の密旨を空海に授かり、猶奥あらばやとて、貞観三年に唐土にわたり、行々葱嶺をこえて、羅越といふ国にいたり、御心ゆくまゝに問学ばせたまひしとぞ。このみ子、天のしたしろしめさばと、上下の人、皆申あへりき。くすり子はおのが罪は悔まで、怨気ほむらにもえのぼり、ついに刄にふして死ぬ。この血、帳かたびらに飛走りて、ぬれ/\と乾かず。たけき若ものら、弓に射れどなびかず。刃にうてば、かへりて缺そこなはるゝとなん。上皇にもかたくしろしめさゞれど、近臣等にみことのらす。上皇、「あやまりつ」とて、御ぐしおろしたまひ、御よはひ五十弐まであらせしとなん、いひつたへる。
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天津をとめ第ニ回
嵯峨のみかどの英才、君としてためしなければ、御代押しらせたまひて、万機をもろこしのためしに学ばせたまふによりて、歌も文もからざまにのみうつして、皇女と申せども、「木にもあらず草にもあらぬ竹のよの」、又、「毛をふき疵をもとむ」など、口つきこは%\しくて、国ぶりの哥よむ人は、おのづから心まけて、おとろへ行めり。平の上皇、わづか四とせにておりゐさせしを、内々には取かへさ(ま)ほしく、一たびはおぼしなりしかど、御ぐしおろしたまひて後は、いと静に行はせ給ぬ。嵯峨のみかどもおぼしやらせて、御弟の大伴を皇太弟となしたまひて、なぐさめたまへる。是はたふとき御心となん人申す。さて、御位ゆづりありて、嵯峨と云山陰に、下り居の宮、茅茨きらずのためしに、いとかろらかに、いとやすく作りはてしかば、うつらせたまふ。是は、先だいの平城なゝ代の結構、この邦にはためしなければ、はて%\いかにとて、瑞がきの宮、ふし垣の宮にかへさせしとぞ云。されど、長岡はあまりに狭し。王臣等、家もとめ煩ふ。民はまいてなり。「是はあやまりつ」とて、今のたひらの地をひらきならして、奇岩ま戸・豊いはまどの神々に、ねぎごとうけひて遷らせしが、人の心は花にのみさかゆくものにて、いつしか王臣のねがふまゝに、又、殿堂も大かた奈良の古きにかへさせたまふを、老たる物知は、「賈誼が三代の物がたり、賢臣どもいさめたてまつるはまこと也けり」と、漢書の其わたりよみて、みそかせりとなん。上皇の、下居の宮にも、わかう花やぎたまへるまゝにとも申す。草隷をよく学得たまひて、おほく海船のたよりに求め撰ばせ、大かた御心ゆくめり。空海もよく手書を、友として、法務のほかにも、度々参らせ給ふ。「是、近き頃得たり。羲之が真蹟なり、よく見よ」とて、取下させしかば、見あきらめて申。「是は海、かの土に在て手習し跡也。しるし見たまへ」とて、裏をかへして、はしの方見せたひまつる。日本釈空海としるしおきたり。上皇御言なくて、妬ませたまふとぞ。海もおぼししる。此法師は手ぶりさま様に書てありしかば、五筆和尚の名をなん世につたへたりける。皇太弟受禅、後に淳和天皇と申奉りぬ。元を天長と改させたまふ。平の上皇は、此秋七月に神がくれたまへば、平城の天皇と尊崇し奉る。さがの上皇、識度のひろきまゝに、万機を親しませしかば、このみかどに改る事なくて、法令正しく、上下打つもりて、儒教もはらなりてへど、仏法は益さかりに、君のうへの御仏と尊称すれば、堂塔としに月に建ならび、博文有験の僧等、つかさ人に同じく立ならびて、朝政をも時々たわめて、我道のために引入る。君と申せども、冥福にみ心かたぶけば、とり用ひさする事わからずとぞ。「是や如来の大智の網にこめられしよ」と、物しりはみそか言申す。それが中に、中納言和気の清丸の高丘山の神願寺ばかりは、妖僧道鏡が心にたがひて、宇佐の神勅を矯ず、あからさまに奏し申せしかば、妖僧いかりて、一たびは因幡の員外の介に貶され、又、庶人にくだしはなちて、邦の果なる大隅に流しやる。はじめ忠誠のちか言に、「御代守らせたまへ、寺作りて御徳報じ奉らん」といのりしかば、道鏡追放たれぬ。この丸の忠誠、天のしたにしらぬ人あらず。されど、位官はたかゝらず。一たびは本国の備前の守に任ぜられて、国の利に水おさめし事など思へば、大事を問はからせたまふとも飽無きも、ついに五十踰て中納言にとゞまられぬ。神の守りも仏のちかひも、身のほど/\の命ろくとか云には過まじきよ。寺は後に神護寺と改らる。字の祥なん真ことなりき。今上の皇太子正良に、ほどなく御くらひ譲らせて、下居させたまふ。此み代のためしにはなきよしにて、文史のつかさ、筆さかしく、から国にひき得たる上皇二人まであらせる事こそ、珍しきによりてなり。このつぎの帝は、仁明天皇と後に尊号たてまつる。紀元承和とあらためさせたまふ。たゞ/\仏まつる事の代々に栄ゆくは、儒教をおしたとみたまふも、御ざえの花のさかえにて、まことにはあらざれば也けり。みかど、唐帝の花/\しき事などしたにはしのばせて、表には打しづもらせしかど、良峯の宗貞と云六位のくらう人を、明くれ召まつはせて、文よませ、事どもみそかに問せたまふ。宗貞さとくて、或はよからぬ中にも、是はさわらず、是は恐れさけくべくと、御心悩ませで、よくつかんまつれり。したには色好む御本じやうにて、是はつゝませたまへど、宗貞よくしりて、年毎の豊のあかりの舞姫、昔、きよみ原の天皇の、吉野に世をさけたまひし時、御くらゐしらすべき吉瑞に、其瑞雲を袖にひるがへして、天つをとめら五人舞しためしをまなばせし也。二人のまひ姫は其ためしにたがへりと申て、いろこのませるをはかりて、御目なぐさませんとす。此事宣旨くだりて、新なめのことしより、大臣・納言・参議の人々、御むすめたち、花をさかせ、いろをまして、あはれ御めとゞまらばやとねがふに、立まふふりを、うた人めして習はせりき。数まさりては、こと%\におぼしとゞむべくもあらず。めされぬは、加茂・伊せのいつきのためしになずらへて、帳内にうづもらすこそ、あしかりき。国ぶりの歌、この帝は時々打出させしかば、宗貞上手にて有ければ、めづらしき御題たまはりてよませて、み遊びせさせ給へりき。やまと歌、一たびはから歌にけおされしかば、よむ人聞ざりしを、この御代に興りて、女がたには小町、したづかさなれどふんやの康秀等、ついでゝよみほこりき。帝五八の御賀に、興福寺の僧がたいまつりし長歌を御覧じて、「此ふりは僧家にとゞまりしよ」と、ほめごとせさす。其うた、ことこそ長ばへたれ、いと拙きをさへよろこばせしは、このふりよむ人絶てなかりしにこそ。いにしへの人丸・あか人・憶良等が花ににほはせ、あるは直々しく、又、思ふ事くまなく云つらねたるをば、しらせたまはねば、宗貞に「よめ」ともおほせごとやなかりし。或時、空海まゐれり。さかし問せたまふは、「欽明・推古の御ときより、経典しき/\にわたりしにも、猶とりよろはぬと聞。汝が呪文の術をいかに」と。海、申。「経典は、素難、何々の医書に、ことわりきはむるに似たり。我呪文は、黄耆・人じん・大黄・附子の功に同じくて、あてたがへずしては、病を去り、いのち長からしむ奇薬也」と奏す。海は経典に博く、しるしも見するぞ、いにしへよりたぐひなき法師にておはしけり。宗貞、好む心をみかどあらはしたまふに、はしの方のすだれの内に、きぬかづきて、女房のさびしげに在たゝせる姿にやつしたまへるを、ゆめさとらで、袖をひかへ、「御名いかに」とゝへど、こたへなかりしかば、
山吹の花色ごろもぬしや誰とへどこたへず口なしにして
帝、黄なるきぬかづきて居たまへばになん。即、衣ぬぎやらせしかば、まどひて走りにぐるさへ、ゆるさせしとぞ。桃の実のくひさし奉りしにたぐへて、内にふかくつかんまつる人々は、うらやみたまへり。山ぶきと梔子とは同じ色ながらことなるを、此歌にめでゝ、たゞひとつ色になんいふめりき。又、淳和のみかどの皇后橘の嘉智子、今は太后にて在せるが、橘の氏の神まつりを、円提寺にて行なはんと申す。此神いちはやぶりて、帝に託宣ありしと、宮人が奏す。「我、今、天子の外家の氏祖なりとも、国家の大幣を得べくもあらず」と、帝をさとしめたまひしかど、おそる/\、「御心にあらぬ事は」とて、宮を修覆したまひ、大社のかずにつらねたまふをさへ、太后のたまはく、「神道は遠し。人道は近し」とて、是はゆるさせしかど、御心よりにあらざりき。葛野川のべに、今の梅の宮の祭祀これ也。すべて何事にも、太后はすく/\しくあらせしかば、心あるはたとび、いつはりものはおそる。御父清友公を贈大政大臣にかしづきたまふ。帝、又、ほど絶たりし遣唐使おぼしたゝせ、藤原の常嗣ぞえらびにつかんまつる。かく事さかしくわたらせしには、千はやびたる人あるまじきに、伴の健宗・橘の逸勢等、嵯峨のみかどの諒闇の御つゝしみをよしと、反逆企しかど、阿ほ親王のいかに聞しろしめしけん、官兵におほせたまひて、忽にとらへられぬ。太子は此事のぬしにいつはられしかば、落髪したまひて、名を恒寂と申たまへり。あゝ、廃立受禅のよからぬためしは、唐さまの習ひの毒液也。此みかど、嘉祥三年に崩御あらせしかば、御陵墓を紀伊の郡深草山につかせたまへりき。よて、深草の帝と世にあがめたいまつりぬ。みはうぶりの夜よりも、宗貞行へなく失ぬ。是は、太后、大臣たちににくまれたてまつるおそれなるべし。「殉死とか云事、あしきにとゞめられしかど、寵恩身にあまらばいたすべきぞ」と、人は申す。衣一重にみの笠かぶりて、こゝかしこすぎやうしありきけり。一夜、清水寺におこなひしに、小町もこよひとなりに旅寝してねんじあかすに、経よむ声の凡ならぬを聞て、むねさだとおしはかりて、歌をよみてもたせやる。
石のうへにたびねをすれば肌さむし苔のころもを我にかさなん
さては小町がこゝに在るよと、おししりて、墨つぼに筆さし入、此紙のうらに書つけたる哥、
世をすてし蘚のころもはたゞひとへかさねばうすしいざ二人ねん
さて、即に逃かくれて、跡を見せずとなん。かくしあるきしほどに、五条の皇太后は、「みかどの御かたみのものよ」とて、さがしもとめさせたまへるに、御かきの内つ国にさまよひしかば、ついに見顕はされて、ふたゝび内まゐりす。遍昭とあらためて、僧正位に昇る事、またく年ちかきす行の徳にはあらで、冥福の人なりけり。をのこ子二人有。兄の弘延はみかどつかへしてぞある。弟は、「法しの子はほう師ぞよき」とて、髪おろさせ、素性と名をあらたむ。心よりの入道にあらざりしかば、歌のほまれは父におとらねど、時々よからぬうき世心のありしとなん。僧正、花山と云所に寺たてゝ、おこなひたりける。仏の道こそ、いとも/\あやしき。世を捨しはじめの心には似ずて、色よき衣、から錦のけさかけて、内に車よせて出入するよ。かにかくも人のよしあしはおきて、稟得たるおのがさち/\にこそと人も申さるゝ、其かみには。
Sasshi | Tomioka
海賊第三回
紀の朝臣つらゆき、土佐の守の任はてゝ、十二月それの日、都にまう登りたまふ。国人のしたしかりしかぎりは、なごりをゝしむ。民くさは、「昔より聞しらぬ守ぞ」とて、父母の別に泣子のさましてしたひなげく。出ふねのゝちも、こゝかしこおひ来て、酒、よきものさゞげきて、歌よみかはすべくす。船、風にしたがはずして、思の外にこゝかしこにとまりするほどに、「かいぞくうらみありとて、追く」といふ。安キ心こそなけれ、たゞ/\たいらかにみやこへとぞ、朝ゆふ海の神にぬさたいまつりつゝ、わたの底を伏し拝み/\す。「いづみの国まで」と、舟長が教へに、いかなる所なりとも、下る時はしらぬを、今は故さとゝたのみかくるぞ、わりなきことのいとほしけれ。やう/\きの国といづみのさかひなる何の浦とか云に、うれしき事限なし。こゝに釣ふねかとおぼしき、苫ふきあはせし舟の、「こゝまでおい来し」と、声かけて、むさ/\しき男の、舳に立はだかりて呼ぶ。「是は前の土佐の守どのゝ舟か。いさゝか問ごとすとて、国たゝせしより追へれど、舟ちいさゝに風波にさへられ、やゝ今日に成ぬ」と云。「さては、かひぞくと人のおどろかせしは、あらずよ」とて、心おちゐたり。舟指よせて、「申たまへ。いとあやしき者がしか%\なんと申すと、申つぎたまへ」と。つらゆき、ふなやかたに出たまひ、「なぞ此男よ」と。をとこ、いや/\しくて、「問たてまたす事いたづら言也。しかれどもへだてゝは、ありその浪の声に取らるべし。ゆるさせよ」とて、翅あるやうに飛うつりて、御前にいとよろこ[ば]し気也。舟の人々恐れて、立さうどく/\。朝臣みけしきよくて、「八重ふく汐風に追れ、こゝまで来たる志まことあり」とて、よく/\見たまへれば、蜑ならぬは、帯し劒の広刃にいかめしきに、「まことに海ぞくのおひきたるよ」と見たまへど、仇有べきにおぼさねば、打ゆるびて相むかひたまふ。「君が国に五とせおはすほどは、あやしうぬすみしありきて、つく紫・山陽の道の海べにさまよひたり。都にいにたまへば、事/\しく参りがたく、又、世もせばければなん、心おき無く聞せたまへ。ちか比にためしなき勅旨たまはりて、国ぶりの歌えらびて奉る四人が中に、君こそ長といふ。続万葉集のだい号は、昔のたれが集[し]ともしらぬにつがるゝなるべし。是はよし。だいの心をきけば、万は多数の義、葉とは劉悲が釈名に、「歌は柯也」。いふ心、人の声あるや、艸木の柯葉にひとしと云て、何のこゝろぞとよめば、ことわりゆきあはず。人の声は、喜怒哀楽につきて、聞によろこぶべし、悲しむべしと云よ。声には緩急なるもありて、うたふにしらべあらず。草木のえだも、はやちは、風とて袖に入んやは。さらば、柯葉とのみいひて、歌にはたとふべからず。世の人、わづかに釈名につきて説をなすは、人の愚にもあらず。ふみの多くわたりこねば、拙きに隔つぞかし。許慎が説文には、「歌は咏也」と云。是、舜典に、「歌は永言也」といひしを、一字につゞめし。後漢の人の同じきに、かくわかれてよきも聞ゆ。今や、文字の業足りし世に、釈名の誤を宗として、葉を歌として、「やまとうたは一つ心をたねとして、万のことの葉となれり」とや。いかにかく字にくらくても、歌は上手也と名をきこえて心たるよ。ことの葉と云語、汝に出て末の世につたへ習ふは、罪ある事ぞかし。又、唐土の六義といふ事は、是も譌妄にて、もしありとも、三体三義なるをさへしらず。おのれいつはりて、己に欺かるゝ者ぞ。汝がいひしは又それにも非[ず]。そへ・たとへ・なぞらへなどと、一つこゝろを、こと%\しくいひたる、拙し。しか云て、からの歌にもかくぞ有べきと、かしこをしらぬ気にいひたるがにくし。さて、勅旨にえらぶ者に、大宝の令にたがひて、良媒なく、又、人のつまに心かよはせしを、歌よしとて奉りしは、いかに。君、明主にてましまさば、重く罪かうむるべし。其歌どもを、多きにあまりて、恋の部五巻とまでは、心のみだれかぎりなし。淫奔の事、神代の昔しは、情のみをこゝろとして、其罪はとがめず。人の代と成来て、儒教わたりては、「夫婦別有、同姓をめとるな」と云に習たれば、こゝにもあしからぬ法とて、用ひられし也。かく、国の令法にそむきても、しのびに心かよはするわりなさは、神代ながらの人の心なるをいかにせん。あらはしてえらびしは、罪問るゝともかへるまじきぞ。朝廷に学師あれど、おのが任ならねば、よそ目つかひてある事、又にくし。中にすぐれて菅相公あれば、にくみねたみて、ついに外藩に貶され、怨みの神となりて朝にいたれば、今更、神と尊崇しておそるゝ君が代を、延喜の聖代とは、あまりに過たり。三善の清行こそ、いさゝか[も]ふみたがへずして、つかふまつるをば、三議式部卿にてすゝませず。是が奉りし意見十二事に、斉明天皇西征の時、吉備の国にていたりて、人烟にぎはゝしきを見そなはして、「いく里つらなりてかゝる。又、幾万の人すむ」と、とはせしに、国人こたふ。「一里にて侍り。もし軍人を召ならば、二万人はたてまつらん」と云にぞ、二万の里とよぶべき勅旨ありし所の、今はおとろへ/\て、軍役めすとも人無しとて、第一になげき奏せしは、学師の心せばき也。栄枯地をかふる事、人の利益つとむにつきて罪なし。さては、二万の軍人は、めさばいづこよりか奉らん。又、学文は、君・大臣の御つとめにして、翰林の士、名高くとも、すゝむべからず。これは、童形のかんだち女に、はじめ習はせたまはんの為にしかししを、朝廷にさかんならば、坎
の府、凍餒の舎とおとろふべき者ぞ。是亦、学師の病る論説なり。又、播磨のいなみ野の魚住の泊は、行基が、此わたりに舟煩へりとて造りしは、僧家の願心なり。天造にあらねば、度々崩れて舟よせがたし。三善が願ひは、惻隠の心ばかりにて、聖道にはあらず。かくおろかなりといへども、文に博く、事を知て問せたまはゞ、塩梅の臣とも、後には成ぬべし。且、酒に乱て、罪かうぶり、追やられしのちは、力量あるをたのみて、海にうかび賊をなし、人の宝を我たからに、おもひのまゝに酒のみ、肉に飽て、かくてあらば、百歳のよはひ保つべし。歌よみて、道とのゝしる友にはあらず。問へ。猶いはん。咽かはき苦しければ、止むべし。酒ふるまへ」とて乞に、肴物そへて出す。あくまでくらひ、のみ、興つきて、かへらんとて、おのが舟に飛のりて、「やんら目出たの」と、舷たゝいてうたふ。つらゆきの舟も、「汐かなへりしと[て]。[もう]そろ/\」と、舟子等うたひつるゝ。彼海ぞくが舟は、はやも漕かへり、跡しら波とぞなりにけえり。貫之、都にかへりたまひて後に、誰ともしらぬものゝ文もて来たり。開き見たれば、菅相公の論一章、かいぞくとしるして、贈たり。手鬼々しく清からずして、よめがたし。
懿哉菅公、生而得人望、死而耀神威、自古惟一人已。嗟乎、君子無幸、而有不幸、小人有幸、而有不幸。菅公独有徳、而不免不幸、貶黜于西辺。然有故哉、自出翰林、昇槐位者、吉備公与公二人耳、吉備者妖僧立、檀朝政能忍、昔者持大器、不傾与勃平同功也、公者不然、為朝忌身、打菅根之面、辱於朝結其冤、又三善清行、文才忠心、可挙用、未試則嘲而不答、是父是善之門弟子、後去属它、以此遺恨、不薦者俗意耳、清行革命之表次諌公、「来年革命、是以弩射市、雖不知誰、公謹致仕、遊文学、則待天寿乎、公忠誠而不納、其翊年正月、為讒人貶黜。是哉、美玉小瑕耳、然生而得人望、死而耀神威。自古公一人巳
筆つきほしいまゝなり。又、副書して云、「さきにいふべきを、言にあかずして遣しつ。汝が名は、以一貫之と云語をとりたるはよし。さてはつらぬきとよむべし。之は助音、こゝに意なし。之の字、ゆきとよみし、三百篇にところ%\見ゆれど、この語の例にあらず。汝歌よくよむ事、人赦したり。暫く止て、窓下のともし火かゝげて文よめ。名は父のあたへし者にいふ。父不文の誹りにあはんは、不孝也」と書すゝめて、杢頭どのと書すゝめたり。この後に、学文の友にあひて問たれば、「それは、ふん屋の秋津なるべし。学問このみたれど、放恣にして、且酒にみだれ、大臣に追れしが、海賊となりて[縦]横するよ。渠儂が天禄ならめ」と、かたりしとぞ。我欺きをつたへて、又、人をあざむく也。
此話、一宵不寝にくるしみて、燈下に筆はしらせし盲書なり。よむ人、心してよ。
Sasshi
二世の縁第四回
山城の高槻の樹の葉散はてゝ、山里いとさむく、いとさふ%\し。古曽部と云所に、年を久しく住ふりたる農家あり。山田あまたぬしづきて、年の豊凶にもなげかず、家ゆたかにて、常に文よむ事をつとめ、友をもとめず。夜に窓のともし火かゝげて遊ぶ。母なる人の、「いざ寝よや。鐘はとく鳴たり。夜中過てふみ見れば、心つかれ、ついには病する由に、我父ののたまへりしを聞知たり。好たる事には、みずからは思したらぬぞ」と、諫られて、いとかたじけなく、亥過ては枕によるを大事としけり。雨ふりて、よひの間も物のおとせず。こよひは、御いさめあやまちて、丑にや成ぬらん。雨止て風ふかず、月出て窓あかし。「一こともあらでや」と、墨すり、筆とりて、こよひのあわれ、やゝ一二句思よりて、打かたぶきをるに、虫のねとのみ聞つるに、時%\かねの音、「夜毎よ」と、今やう/\思なりて、あやし。庭におり、をちこち見めぐるに、「こゝぞ」と思ふ所は、常に草も刈はらぬ隈の、石の下にと聞さだめたり。あした、男ども呼て、「こゝほれ」とて掘す。三尺ばかり過て、大なる石にあたりて、是をほれば、又、石のふたしたる棺あり。蓋取やらせて、内を見たれば、物有て、それが手に鉦を時々打つ也と見る。人のやうにもあらず。から鮭と云魚のやうに、猶痩々としたり。髪は膝まで生ひ過るを、取出さするに、「たゞかろくてきたなげにも思はず」と、男等云。かくとりあつかふあいだにも、鉦打つ手ばかりは変らず。「是は仏の教へに、禅定と云事して、後の世たふとからんと思入たる行ひなり。吾こゝにすむ事凡十代、かれより昔にこそあらめ。魂は願のまゝにやどりて、魄のかくてあるか。手動きたる、いと執ねし。とまれかうまれ、よみぢがへらせてん」とて、内にかき入させ、「物の隅に喰付すな」とて、あたゝかに物打かづかせ、唇[吻]にとき%\湯水すはす。やう/\是を吸やうなり。こゝにいたりて、女わらべはおそろしがりて立よらず。みづから是を大事とすれば、母刀自も水そゝぐ度に、念仏して怠らず。五十日ばかり在て、こゝかしこうるほひ、あたゝかにさへ成たる。「さればよ」とて、いよゝ心とせしに、目を開きたり、されど、物さだ/\とは見えぬなるべし。飯の湯、うすき粥などそゝぎ入れば、舌吐て味はふほどに、何の事もあらぬ人也。肌肉とゝのひて、手足はたらき、耳に聞ゆるにや、風さむきにや、赤はだかを患ふと見る。古き綿子打きせれ[ば]、手にていたゞく。うれしげ也。物にもくひつきたり。法師なりとて、魚はくはせず。かれはかへりてほしげにすと見て、あたへつれば、骨まで喰つくす。さて、よみぢがへりしたれば、事問すれど、「何事もおぼへず」と云ふ。「此土の下に入たるばかりはおぼえつらめ。名は何と云し法師ぞ」と問へど、「ふつにしらず」といふ。今はかいなげなる者なれば、庭はかせ、水まかせなどさして養ふに、是はおのがわざとして怠らず。さても、仏のをしへはあだ/\しき事のみぞかし。かく土の下に入て、鉦打ならす事、凡百余年なるべし。何のしるしもなくて、骨のみ留まりしは、あさましき有様也。母刀自は、かへりて覚悟あらためて、「年月大事と、子の財宝をぬすみて、三施をこたらじとつとめしは、きつね、狸に道まどはされしよ」とて、子の物しりに問て、日がらの尸[はか]まうでの外は、野山のあそびして、嫁まご子に手ひかれ、よろこぶ/\。一族の人々にもよく交り、めしつかふ者らに心つけて、物をり/\あたへつれば、「貴しと聞し事を忘れて、心しづかに暮す事のうれしさ」と、時々人にかたり出て、うれしげ也。此ほり出せし男は、時々腹だゝしく、目怒らせ物いふ。「定に入たる者ぞ」とて、入定の定助と名呼て、五とせばかりこゝに在しが、此里の貧しきやもめ住のかたへ、聟に入て行し也。齢はいくつとて己しらずても、かゝる交りはするにぞありける。「さても/\仏因のまのあたりにしるし見ぬは」とて、一里又隣の里々にも、いひさやめくほどに、法師はいかりて、「いつはり事也」といひああさみて説法すれど、聞人やう/\少く成ぬ。又、この里の長の母の、八十まで生て、今は重き病にて死んずるに、くす師にかたりて云。「やう/\思知たりしかど、いつ死ぬともしれず。御薬に今まで生しのみ也。そこには、年月たのもしくていきかひたまひしが、猶御齢のかぎりは、ねもごろにて来たらせよ。我子六十に近けれど、猶[稚]き心だちにて、いとおぼつかなく侍る。時々意見して、『家衰へさすな』と、示したまへ」と云。子なる長は、「白髪づきてかしこくこそあらね。我をさなしとて、御心に煩はせたまへる、いとかたじけなく、よく/\家のわざつとめたらん。念仏してしづかに臨終したまはん事をこそ、ねがひ侍る」といへば、「あれ聞たまへ。あの如くに愚也。仏いのりてよき所に生れたらんとも願はず。又、畜生道とかに落て、苦しむともいかにせん。思ふに、牛も馬もくるしきのみにはあらで、又、たのしうれしと思ふ事も、打見るにありげ也。人とても楽地にのみはあらで、世をわたるありさま、牛馬よりもあはたゞし。年くるゝとて、衣そめ洗ひ、年の貢大事とするに、我に納むべき者の来たりてなげき云事、いとうたてし。又目を閉て物いはじ」とて、臨終を告て死たりとぞ。かの入定の定助は、竹輿かき、荷かつぎて、牛・馬におとらず立走りて、猶からき世をわたる。あさまし。「仏ねがひて浄土に到らん事、かたくぞ思ゆ。命の中、よくつとめたらんは、家のわたらひなり」と、是等を見聞し人は、かたり合て、子にもをしへ聞こゆ。「かの入定の定助も、かくて世にとゞまるは、さだまりし二世の縁をむすびしは」とて、人云。其妻となりし人は、「何に此かい%\しからぬ男を又もたる。落穂ひろひて、独すめりにて有し時恋し。又さきの男、今一たび出かへりこよ。米・麦、肌かくす物も乏しからじ」とて、人[み]ればうらみなきしてをるとなん。いといぶかしき世のさまにこそあれ。
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目ひとつの神第五回
あづま人は夷也。うた、いかでよむべきと云よ。相模の国大礒人の、志ふかくて、「いでや、都にのぼり学ばゝや」とて、西をさす。「鴬は井中の谷の巣なれども、だみたる音はなかめとや。まして親につきてんは」とて、母に暇こひて出たちて、比は文明・亨録の乱につきて、「又、かへるべくもあらじ」とて、一たびは諫つれど、あづま人は心たけくて、別れ悲しくもあらぬさまに門送りす。関あまたの過書、咎なく、近江の国に入て、「あすなん都」と、故さとの心せらる。老曽の森の木隠れ、こよひまくらもとめて、深く入て見たれば、風が折たりともなくて、大木吹たをれしを、ふみ越ては、さすがに安からぬ思ひす。落葉・小枝、道をうづみて、泥田をわたりする如し。神の社たゝせます。軒こぼれ、御はしくづれて、昇るべくもあらず。すべて、艸たかく、苔むしたり。誰やどりし跡ならん、少かき払ひたる所あり。枕はこゝにと定む。おひし包袱ときおろして、心おちゐたり。風ふかねば、物の音ふつに聞えず。木末のひまにきらめく星の光に、あすのてけたのもし。露ひやゝかに心すみて、いといとうさむし。あやし、こゝにくる人あり。背たかく手に矛とりて、道分したるさま也。あとにつきて、修験が柿染の衣の肩むすび上て、こんがう杖つき鳴したる。其あとより、女房のしろき小袖に、赤きはかまのすそ糊こはげに、はら/\と音してあゆむに、桧のつまに打たるあふぎかざして、くるを見れば、面は狐也。其あとより、ふつゝかには見ゆれど、つきそひたるわらはめの、是もきつね也。社の前に立并びたり。矛とりしかん人が、中臣のをらび声して物申す。殿の戸荒らかにひらきて出る神は、白髪おひたるゝ中に、目一つあり/\と見ゆ。口は耳まで切さきたる。鼻有やなし。白き大うち着のにぶ色にそみたるに、藤の無紋の袴、是は今さらしたるをめされたるに似たり。立并たるが、かんなぎ申す。「修験は、きのふ筑紫を出て都にありしが、又、あづまに使すとて、こゝを過るたよりに、御見あげ申さんとて、道づとの物奉りてん」と申さる。神とふ。「又、いづこにと指て、きのふけふとあはたゞしきぞ」。「されば、都の何某殿の、鎌倉の君に心合せて、ちかき中軍立せんとあるを告聞えてよと、仰かうぶりて、こゝ過る。鹿の宍むら一きだ、油に煮こらし、出雲の松江の鱈の膾、鮮ければすゝめたいまつる」。神云。「この国には、無やくの湖水にせばめられて、川の物も広きは得がたし。鹿の宍、つくしの何がし山にとや。いづれもよし。よろこぶべし。山ゆき野ゆきて、めづらしき物獲たる、いとよし。先、酒あたゝめよ」となり。童めかしこまりて、正木つらたすきにとりかけ、御湯たいまつりし竃のこぼれのこりしに、手にあたる落葉・松かさ・小枝さしくゆらす。昼より明くてぞ、「火の明りてふ神は、かゝるにてこそあらめ」と、おそろしくかしこし。兎と猿が、荷ひかつぎてくるは、酒瓶也。「遅きがおもたさに」と、わぶる。桧扇とりすてゝ、かはらけさゝげ参る。「あい」と云。四ツめはとり納めて、五ツめ参らす。神取上てたゝへさせ、一つめして、「あなうまし」。酒なもの、是かれめで言しつゝ、山伏にとさす。又、「あの木の根を枕にしたる男、ねたるさまにくし。あいいたせよ」となり。わらはめ立来たりて、「めすぞ。とく」といふ。おそる/\はひ出たり。「汝はあづまの者よ。志[ざす]事ありて宮古にとや。九重の内はみだれ/\て、鬼の行かよへば、高きいやしきなく心すさまじく、歌よくよまんとては、林にかくれ、野にやどる者のみぞ。とくかへれ。東の道々も、今日ときのふに改りて、ゆきゝをなやます也。山伏の袖につゝまれて、とくかへるぞよき」とて、御めぐみの物がたりたふとし。社のうしろより、黄衣の破まよひたるを取きて、肌はあらはなり。低きあし駄はき、
おもげに提出ていはく、「飲酒は破れやすし、さめやすし。こよひ三四ツ」と乞てのむ。神の左座に、足くみたり。鬼には角なしとみる。是も恐し。盃めぐらせて、「若き者は人なれば数おとるべし」とすゝむ。赤きはかまの狐立上りて、「から玉や、/\」とうたふ。僧打わらひ、扇かざゝすとよし。こよひ誰かあざむかれん。酒はよし。しゝむら、鱠はくさし」とて、蕪の根干たるを、かみ/\飲むが、是もおそろし。「若き者よ。都に物学ばんは、今より五百年のむかし也。和歌にをしへありといつはり、鞠のみだれさへ法ありとて、つたふるに幣ゐや/\しくもとむる世なり。己歌よまんとならば、心におもふまゝを囀りて遊べ。文こそいにしへは伝へあれ。手かく法をつたへたりとも、必よく書るは、今はぬす人に道きられ、となりの国のぬしが、掠めとりて、裸なゝ代のいつはり也。是はあしきとしる/\、始は申せしを、今の君たちは、まことに大事と、秘めたるが拙し。ものゝ夫も、君のため、親の為にはあらで、おのれにほこりて乱れあひ、つよきが勝、弱きは溝がくにうずもるゝ時也。とくかへれ。神のをしへたとし。何の心もあらず。我はすぎやうしあるくさへ、耳さわがしく、跡のけがしきに、目とぢて過るよ。目一ツの神の、まなこひとつをてらして、海の内を見たまふに、すむ国なしとて、この森百年ばかりこなたにとゞまらせしを、時々とひ来て、物かたりしなぐさむ。山ぶしのめぐみかうむりて、あやうからず故郷にかへり、一人の母につかへよ」といふは、「いかで委しく」と問へば、打笑ひて、こたへず。酒よきほどにすゝみたり。「いざかへんなん」とて、
打かづきいぬ。絵に見たるさま也。山ぶしも、「いざ」といふ。神は扇とりて、この若き男をあをぐ/\、空に上らせたり。山ぶしとりつたへて、袖かづかせ、空行ほどに、此あしたに母の前に落来たる。「いなや」と問へば、「水たまへ。おそろしき事、物がたりして聞せ申さん」とて、ねやに入たり。さて、かしこには、夜明るまで飲うたひたるに、若き男の空に上るを、猿とうさぎは手打ちてよろこぶ。このあやしき中に、僧とかん人は人也。乱たる世は、鬼も出て人に交り、人亦おにゝ交りておそれず。よく治まりては、神も鬼もいづちにはひかくるゝ、跡なし。ふしぎなし。ふしぎはあるべき物ながら、世しづかなれば、しるし無し。なき物とのみいふ博士たち、愚也。おのが心の、西に東にと思ふまゝに行るゝも、ふしぎ也。文にたばかられて、無しといふは、無識の学士也。信ずべからず。
Kanshi
死首の咲顔第六回
津の国兎原の郡宇奈五の丘は、むかしより一里よく住つきて、鯖江氏の人ことに多かり。酒つくる事をわたらひとする人多きが中に、五曾次と云家、殊ににぎはしく、秋はいな舂哥の声、この前の海にひゞきて、海の神をおどろかすべし。一人子あり。五蔵といふ。父に似ず、うまれつき宮こ人にて、手書、歌や文このみ習ひ、弓とりては翅を射おとし、かたちにゝぬ心たけくて、さりとも、人の為ならん事を常思ひて、交りゐや/\しく、貧しきをあはれびて、力をそふる事をつとめとするほどに、父がおに/\しきを鬼曾次とよび、子は仏蔵殿とたふとびて、人このもとに、先休らふを心よしとて、同じ家の中に、曾次が所へはよりこぬ事となるを、父はいかりて、無やうのものには茶も飲すまじき事、門に入壁におしおきて、まなこ光らせ、征しからかひけり。又、同じ氏人に、元助と云は、久しく家おとろへ、田畑わづかにぬしづきて、手づから鋤鍬とりて、母一人、いもと一人を、やう/\養ひぬ。母はまだいそぢにたらで、いとかい%\しく、女にわざの機おり、うみつむぎして、おのがためならず立まどふ。妹を宗といひて、世のかたち人にて、母の手わざを手がたきなし、火たき飯かしぎて、夜はともし火のもとに、母と古き物がたりをよみ、手つなからじと習ひたりけり。同じ氏の人なれば、五蔵常にゆきかひして、交り浅からぬに、物とひ聞て、師とたのみて学びけり。いつしか物いひかはして、たのもし人にかたらひしを、母も兄も、よき事に見ゆるしてけり。同じぞこの人、くすし靱負といふ老人あり。是をさいはひの事とて、母・兄に問たゞして、酒つくる翁が所に来たり。「鴬はかならず梅にすくひて、他にやどらず。御むす子の為に、かのむすめめとりたまへ。貧しくてこそおはせ、兄は志たかきますらを也。いとよき事」といへば、鬼曾二、あざ笑ひて云、「我家には福の神の御宿申たれば、あのあさましき者のむすめ呼入れば、神の御心にかなふまじ。とくかへらせよ。そこ掃きよむべし」と云に、おどろき馬の逃出て、かさねて誰云わたすべき打橋なし。五蔵聞て、「この事、父はゝゆるしたまはずとも、おもふ心あれば、必よ我よくせん」といひて、絶ずとひよると聞て、「おのれは何神のつきて、親のきらふ者に契りやふかき。たゞ今思たえよかし。さらずは、赤はだかにていづこへゆけ。不孝と云事、おのれがよむ書物にはなきか」とて、声あらゝか也。母きゝわづらひて、「いかにもあれ、父のにくみをかうむりてたつ所やある。まづしき人の家には、ふつにゆきそ」とて、夜は我まへに来たらし、物がたりなどよませてはなたず。かよひ絶たりとも、兼ての心あつきをおもひて、うらみ云べくもあらずぞありける。かりそめぶしにやまひして、物くはず、夜ひるなくこもりをり。兄は若きまゝに心にかけず。母、日毎にやせ/\と、色しろく、くろみつきたるを見て、「恋に病とは、かゝるにやあらん。くすりはあたふべきにあらず。五蔵こそ来たまへ」と、云やりつれば、其ひるま過に来たりて、「いふかい無し。親のなげきを思はぬ罪業とかに、さきの世いかなる所にか生れて、荷かつぎ、夜は縄ないて、猶くるしき瀬にかゝりたらん。親のゆるしなきは、はじめよりしりたらずや。我父にそむきても、一たびの言はたがへじ。山ふかき所にもはひかくれて、相むかひたらんがうれしとおぼせ。こゝの母君、せうとのゆるしたまへば、何のむくひかあらん。我家は宝つみて、くづるまじき父の守り也。よき子養ひて、財ほうまさせたまはんには、我事忘れて、百年をたもちたまふべき。人百年の寿たもちがたし。たま/\にあるも、五十年は夜のねぶりについえ、なほ病にふし、おほやけ事に役せられて、指くはしく折たらば、廿年ばかりやおのが物ならん。山ふかくとも、海べにすだれためこめて、世に在人ともしられずとも、たゞおもふ世をいのちにて、一二とせにても経なゝん。おろかといふは、親兄も、我も、罪あるものにてあらせんとや、いと/\つらし。たゞ今より心あらためたまへ」と、ねもごろに示されて、「さらに/\やまひすともおぼさで、おのが心にのまゝに起ふしたる。御とがめかたじけなし。即見たまへ」とて、小櫛かき入て、みだれをきよめ、着たる馴衣ぬぎやりて、あたらしきにあらため、牀は見かへりもせず、おき出て、母にせうとにゑみたてまつりて、かい%\しく掃ふきす。五曹、「心かろらかにおはすを見てこそ、うれしけれ。あかしの浜に釣したいを、蜑がけさ漕てもてこし也。是にて箸とるを見て帰らん」とて、苞苴いときよらにして出す。打ゑみて、「よんべの夢見よかりしは、めで鯛と云魚得べきさがぞ」とて、庖丁とり、煮、又、あぶりものにして、母と兄とすゝめ、後に五曹の右に在て立走りするを、母はいと/\よろこぶ。兄はうそぶきてのみ。五曹は涙かくして、「うまし」とて、箸鳴し、常よりもすゝみてくらふ。こよひはこゝにと、やどりぬ。あした、とくおきて、多露行露の篇うたひてかへるを、待とりて、親立むかへ、「この柱くさらしよ。家を忘れ、親をかろしめ、身をほろぼすがよき事か。目代どのへせめかうじて、おや子の縁たつべし。物な云そ」とて、おに/\しき事、いつよりおそろし。母とりさへて、「先、我ところにこよ。よんべよりのたまひし事、つばらかに云きかせて後、ともかうなるべし」。曾二いかりにらみたるも、さすがに子とおもひて、おのが所へ入る。母、なく/\意見まめやか也。五曹、頭を上げ、「いかにも申すべき様ぞなき。若き身は生死のさたもすみやかにて、かなしからず。財宝もほしからず。父はゝにつかへずして、出ゆかんが、わりなき事とおもへば、たゞ今、心をあらためてん。罪いかにも赦したうべよ」と云つらつき、まこと也。母よろこびて、「神のむすびたまふ縁ならば、ついのあふせあるべし」と、なぐさめつゝ、父にかくと申。「いつはり者めが言、聞入べからねど、酒の長が腹やみして、よべより臥たり。蔵々のくまに、小ぬす人等が、米・酒とりかくす事、あまた度ぞ。ゆきて見あらためて後に、長か腹やみをもましこりやれ。この男なくては、一日に何ばかりのついえあらん。今たゞいまぞ」と、追はらす。承りて、履だにつけず、たゞ片時に見めぐりて、「まう候」と申。「渋ぞめの物似あひしは、福の神の御仕きせなり。けふをはじめに、くる春のついたちまでは、物くふとも、用へと出るはしにせよ。あらいそがしのたからの山や、ふくの神たちに追つきたいまつらん」とて、ほかの事、云まじへずぞある。「此ついでにいうぞ。おのれが部屋には、書物とかいふものたかくつみ、夜は油火かゝげて、無やくのついえする。是も福の神はきらひたまふと云。反古買には損すべし。もとの商人よびて価とれ。親のしらぬ事しりて、何かする。まことに、似ぬをおに子といふは、おのれよ」とのゝしる。「なに事も、此後うけたまはりぬ」とて、日来渋ぞめのすそたかくかゝげて、父の心をとるほどに、「今こそふくの神のみ心にかなふらめ」と、よろこぶ/\。かのむすめのかたには、おとづれ絶ぬるまゝに、やまひくおもく成て、「けふあすよ」と、母・兄はなげきて、五曹にみそかの使して聞ゆ。「兼て思し事」とて、ことみかねども、あはれにえたへずして、つかひ[の]しりに立ていそぎ来たり。おや子にむかひて云は、「かゝらんとおもふにたがはざりし事よ。後の世の事は、いつはりをしらねば、たのまれず。たゞ此あした、我いへにおくりたまへ。千秋よろず代へとも、たゞかた時といふとも、同じ夫婦なるぞ。ちゝ母のまへにて、入さきよからんぞ、せめてねがふなり。せうとの御心たのもしくはからひてたべ」と申。元すけいふ。「何事も仰のまゝにとりおこなふべし。御宿の事、よくして待たまへ」とて、よろこび顔なり。母も、「いつの門出ぞと、待久しかりを、あすときゝて心おちゐたる哉」とて、是もよろこびの立まひして、茶たき、酒あたゝめてまいらす。盃とりて、むねにさす。いとうれしげにて、三々九度ことぶき、もと輔うたふ。そ夜の鐘きゝて、「れいの門立こめられんよ」とて、五蔵はいぬ。おや子三人、こよひの月のひかりに、何事をもかたりあかす。夜明ぬれば、母しろ小袖とう出て打きせ、髪のみだれ小櫛かき[い]れて、「我もわかきむかしのうれしさ、露わすられずぞある。かしこにまいりては、たゞ、父のおに/\しきをよくみ心とれ。母君は必よ、いとほしみたまひてん」とて、よそほひとりつくろひて、駕にのるまで、万をしへきこゆ。元輔、麻かみしくも正しく、刀、わきざし横たへ、「又、五日といふ日にはかへりこんを、あまりに言長し」とて、母をせいしかねたり。むすめ、たゞゑみさかえて、「やがて、又参らん」とて、駕にかきのせられ行。元すけそひて出れば、母は門火たきてうれしげ也。めしつかふ二人のもの等、みそかにかたりあふ。「かくても御こし入と云にや。われ/\もつきそひて、銭いたゞき、ざうにの餅に腹みたさんとおもふにたがふよ」とて、けさの朝げのけぶり、しぶ/\にもゆる。かの家には、おもひまうけざる事にて、「何ものゝやまひしてこゝに来たる。御むすめありとも、兼て聞ざるを」と、あやしみて立ならびる。元助、曾次の前に正しくむかひて、「妹なるもの、五歳どのゝおもひ人也。久しく病つかれてあり。こし入、いそぎてんと、ねがふまゝにつれ来たりぬ。日がらよし。さかづきとらせたまへ」と云。鬼の口あたりたけにはだけて、「何事を云ぞ。妹に我子が目かけしと云事きゝしかば、つよくいさめて、今は心にも出ず。おのれ等、きつねのつきてくるふか」とて、膝たて直し、目いからして、「帰れ。かへらずは、我手にも及ばず、男どもに棒とらせて、追うたんぞ」とて、おそろしげ也。もとすけ打わらひて、「五蔵よびこよ。とくむかへとらんとて、月日をわたるほどに、病してしぬるに、せめて此家の庭に入てしなんと、ねがふまゝに、つれ来たる也。こゝにてしなせ、此家の墓にならべてはうぶれ。れいの物をしきさがはしりたる故に、此いへの費にしはせじ。金みひらこゝに有。是にてかろくともとりをさめよ」といふ。をどり上りて、「かねは我ふくの神のたま物なれど、おのれが家にけがれたるは何せん。もとよりよめ子にあらず。死人ならばとくつれいね。五曹いづこにをる。此けがらはしき、きかずはいかに。よくはからずは、おのれも追うたん。親にさかふ罪、目代どのにうたへ申て、とり行はせん」とて、来たるをすぐに、立蹴に庭にけおとしたり。五蔵、「いか[に]もしたまへ。この女、我つま也。追出されば、こゝより手とりて出んと、兼て思ふにたがはざるこのあした也。いざ」といひて、手とりて出べくす。兄がいふ。「一足ひきては、たをるべし。汝がつま也。この家にてしぬべし」とて、刀ぬきて、いもうとが首切おとす。五蔵取上て、袖につゝみて、涙も見せず門に出んとす。父、おどろき馬にはね上り、「おのれ、其首もちていづこにか行。我おや/\の墓におさめん事、ゆるさじ。それまでもあらず。兄めは人ごろしぞ。おほやけにて罪なはれよ」とて、いそぎ、むら長の方へしらせに行。長きゝて、「いかなる物ぐるひしたる。元輔が母はしらじ」とて、軒遠からねば、走行て、「かく/\なん。元すけは気ちがひなり」とて、息まくしていふ。母はいつもの機にのぼりて、布おりゐたるが、きゝて、「しかつかうまつりしよ。こゝろえたれば、おどろかず。よくこそしらせたまふ」とて、おり来てゐやまひ申。長、又これにもおどろきて、「鬼はかねて曾次が事と思しに、此母も鬼めなり。角よくかくして、とし月ありしよ」とて、逃出て、目代にうたふ。すなはち、人ゝめしとらへて、「おのれら何事をかして、一さとをさわがすぞ。元助は、妹ながら、人ころしたれば、こゝにとゞむべし。五蔵も、問たゞすべき事あれば、こゝにとらへおくぞ」とて、ともにひと屋につながれたり。日比十日ばかりへて、人々めし出、たゞしつるに、「曾二は罪なきに似て、罪おもし。みす/\に、おのが心のよからぬから、かかる事仕出たり。家にこもりをれ。やがて御つみうけたまはりて行はん。元助は母のゆるしたる事なれば、罪あれど罪かろし。是も家にこもりをれ。五蔵が心、いと/\あやし。されどせめとふべきにあらず」とて、またひと屋に追入たり。五十日ばかりありて、「国の守のおほせうけたまはれ。此事、こと%\五曹と曾次が罪におこる。此里にをらせじ。たゞ今たゞ追はらふぞ」とて、この御門よりいかめしく取かこまれ、親子はとなりの領さかひまで、追うたれて行。「元助は、母ともに、事かはりし事を仕出たれば、このさとにはをらせじ。西のさかひまで追やらへ」とて、事すみぬ。曾次が家のたからは、ふくの神とゝもに、おほやけにめし上られたり。鬼曾二、足ずりし、手を上てをらびなくさま、いと見ぐるし。「五蔵、おのれによりてかく罪なはるゝは」とて、引ふせてうつ。うてどもさらず。「御こゝろのまゝに」といふ。「にくし/\」とて、こゝかしこに血はららせたり。里人等つどひ来て、兼てにくみしものなれば、曾次はとり放ちて、五蔵をたすけたり。「いのちたまはるべくもあらねど、わたくしには死べからず」とて、父のまへにをりて、面もかはらず。「おのれはいかで、貧乏神のつきしよ。ざい宝なくしたれど、又かせぎたらば、もとの如くならん。難波に出てあきんど[と]ならん。かんだうの子也。我しりにつきてくな」とて、つらふくらしつゝ立出て、いづこにか行けん。五曹は、やがて、髪そりて法しとなり、この山の寺に入て、いみじき大とこの名とりたり。元助は、母をたすけて、播磨のぞうの方へしりぞきて、鋤[鍬]とりて、むかしに同じ。母も機たてゝ、たくはた千ゝ姫の神に似たり。曾次がつまは、おやの里へかへりて、これも尼となりしとぞ。「妹が首のゑみたるまゝにありしこそ、いとたけ%\[し]けれ」と、人皆かたへつたへたり。
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捨石丸第七回
「みちのく山にこがね花さく」と云ふ古ことは、まこと也けり。麓の里に、小田の長者と云人あ[り]。あづまのはてには、ならびなき富人なりけり。父は、宝も何も、子の小伝次と云にまかせて、明け暮れに酒のみて遊ぶ。姉の常と云は、をとこをさいだてゝ、行にゆるされて尼となり、豊苑比丘尼と改め、すぎやうまめやかなり。母なければ、家の事つかさどりて、恵みふかゝりければ、出入る人いとかたじ[け]なく、つかふまつりけり。捨いし丸と云は、脊六尺にあまりて、肥ふとり、世にすぐれ、酒よくのみ[く]らふ。長者の心にかなひ、酒のむ時は必呼よせたり。或時、長者、酔のすゝみに、「おのれは、酒よくのめど、酔ては野山をわすれ臥故に、石捨たりと云あだ名はよばるゝ也。よく[寝]入たらんには、[熊]・狼にくらはるべし。此劒は、五代の祖の力量にほこりて、刄広にう[た]せたまへる也。野山の狩を好みて、あら熊に出あひ、いかりにらまへ、歯むきて向来たるを、此劒ぬきて、腹をさし、首うちてかへられしより、熊切丸と名よばせし也。おのれ、必、酔ふして、くらはれん。此劒常に帯よ。守り神ならん」とて、たまへる。推いただいき、「くま・狼は手どりにせん、鬼や出てくらひつらん。鬼去丸と申さん」とて、左におき、よろこびの酒とてすゝむほどに、酌にたつわらはめ、「今は三ますにも過たらん」とて、いらふ/\」。「此心よきに、野風をあびん」とて、たつ足しどろにたち行。長者見て、「得させしつるぎ失ふべし。かへるを見とゞめん」とて、立も、足よろぼひたり。小伝次、「父あやうし」とて、跡に付て行。はた、流れある所に打たをれ、足はひたして、つるぎは枕のかたに捨たり。「かくぞあらん」とて、長者とりたるに、目さめ、「たまひしを、又うばひたまふや」とて、主わすれあらそふ。父、力にたへねば、劒もちながら、あをむきになりて、捨石其上にまたがる。小伝次、はるかに見て、丸を引たをし、父をたすけんとすれど、力よわくて心ゆかず。丸、又、小伝次を右手にとらへて、「和子よ、何をかす」と、前に引まはし、父のうへにすえたり。されど、主といふ心やつきけん、いたはるほどに、父をたすけて、丸をつよくつきたをす。父、おき上りて劒をとり、「おのれはまことに日本一の力量ぞ。武蔵坊と申せしは、西塔一の法師なり」と、うたひて行。捨いし、あとにつき、「衣河へと急るゝ」と、拍子とりてくる。父がつるぎに手かけて、うばはんやとするに、抜出て、おのれが腕につきたしてしかど、長者の面にそゝぎて、血にまみれたり。小伝次、「父をあやしめしや」とて、後よりつよくとらへたり。とらへたるを、又引まはして、面をうつ。是もいさゝか血そゝぎかけたり。父は、「子をあやまちしか」とて、つるぎの鞘もて、丸がつらをうつ。抜たるにうけて、何やらんうたひつつ、又、父をとらふ。さすがに刀はあてざれど、おのが血の流て、長者の衣にそみたり。家の子ども一二人追来て、「こわや、御二人を殺すよ」とて、前うしろにとりつく。「さてはあやまりつ」と思ひて、二人の男を左右の腋にかいはさみ、「主ごろしはせぬぞ」とて逃行。二人のをとこら、とらはれながら、「主ごろしよ」とて、をらび云。「さては、父子ともに我あやまちしよ」とて、二人の男を深き流に打こみて逃ゆく。父は、また、酒さめざれば、血にまみれながら、つるぎの身さゝげて、おどり拍子にかへる。小伝次も、あと[に]つきてかへる。家の内、こぞりて、「いかに/\」と立さうどく。されど、小伝次がせいししづめて、父をふし所につれゆく。尼のこゝろえで、「この血はいかに」とゝふ。「捨石めが、たまへる劔に、おのが腕をつきさしたる血也。おのれもいさゝかそみたれど、事なし」と云。姉、落ゐてよろこぶ。捨いしは、「主をころせしよ」と思ひて、家にもかへらず、いづちなく逃うせたり。二人のをとこ等こそ、水底にしづみて、むなしく成ぬ。一ト里立さうどき、「捨石、主をころして逃行しか」とて、みな長者の家にあつまりて、小伝次せいして、「必ずあらぬ事也。渠がかいな[に]血出て、父にそゝぎし也」と云。「さらば」とて、「たゞ二人のをとこが屍もとめん」とて、立走り行。いかにしけん、父はあしたになれど、起出ず。おとゝひゆき見れば、口あき目とぢ、身はひえて死たり。「こはいかに」とて、いそぎくす師よびて、こゝろみさす。くすし、こゝろみて云。「是は、頓にやみて死たまふ也。今は薬まいらすとも、かいなし」と云。おとゝひなきまどふ。家の内の者ども、又、立さうどき、「まこと、主はころせし也。御めぐみふかくて、とみのやまひとはのたまふ也。御仁恵といふもあまり也」と云。国の守に聞えて、目代いそぎ来たる。かねて、長者が富をうらやみしかば、「此ついでになくしてん」とて、屍見あらため、「是は血そゝぎかけし也。たゞしたゝかにうたれて死たる也。小伝二、親をころされながら、え追とらへず、病に申事いぶかし」とて、よこさまにいふ。薬師おりあひて、「いさゝかもうたれし所なし」と。目代目いからせ、「おのれ賄賂とりて、いつはるよ」とて、からめさす。小伝二はさすがにえからめず。「守に参れ」とて、つれ行。参りて、始よりをつばらかに申す。守もねたくてありしかば、「いな、明らかならず。くすしめはひと屋にこめよ。小伝次は数百年こゝにすみて、民の数ながら、刀ゆるし、鑓・馬・乗輿ゆるされしは、ものゝ部の数也。目の前に親をうたせながら、いつはる事いかに。国の刑に行なはんものを、見ゆるすべし。親のかたきの首提てかへらずは、領したる野山、家の財、のこりなく召上て、追やらふべし。ゆけ、とく」とて、入ぬ。打わびつゝかへりて、姉に申。「病こそやまね。骨ほそく、刀こそさせ、人うつすべ知らず。丸めは力量の者なり。あはゞ必さいなまれん」と云。姉の尼泣々云。「我しうと君、日高見の社司は、弓矢とりて、みちのく常陸のあら夷らをよくなごし給ふ。行て、刀うつ業ならへ。必いとほしびて、まめやかにをしへ給ふべし」とて、こま%\文かきそへて出たゝす。小伝次、是に便を得て、いそぎ日高みの社に行。社司春永聞て、「あはれ也。力は限あり。業はほどこすに変化自在也。やすくうたせん」とて、年をこえ習はす。心にいりて習へば、一とせ過て、社司、「よし」と云て、出たゝす。「助太刀といふ事、おほやけにゆるしたまへど、ますら男ならず。一人ゆけ。あはゞ必首うちてかへらんものぞ」とて、いさめてたゝしむ。はじめいかにせんと思し心は、いさゝかあらで、身軽げに、先あづまの都にと心ざしゆく。捨いしは、すゞろ神にさそはれて、夜昼なく逃て、江戸に、こゝかしこと、わたらひわざしらねば、力量にやとはれ、角力に立交りたり。或国の守の、すまひこのみ、酒好みたまふにめされて、御伽につかふまつりぬ。「いかなる者ぞ」と、問はせしかば、愚なるまゝに、いつはらず申上る。「さるは、主の敵もちなり。其子弱くとも、たゞにてあらんや。富たりといへど、人数にをして捕ふべし。国にことしはまかれば、我よく隠すべし。とく」とて、御のり物そひにめされてくだる。小伝二は尋まどひて、江戸をちこちにも、三とせばかりありて、其くにの守の御恵みにて、西にゆきしと聞あらはし、其日に立行。国は常くにの何がし殿にて、心広き御人也。かく養なひたまふ中に、酒の毒にや、疔をやみて、ついに腰ぬけと成たり。申上るは、「主をこそ殺さね、其名たかきには罪大也。若者たわやかにて、我は得うつまじく、仏の弟子にや、姉の尼ぎみと同じ衣にやつさせたまはんものぞ。いきてうたれんと思へど、こし折たれば、四百余里いかであゆまん。聞つるに、此御くにの何がしの山は、岩ほ赤はだかにて、今の道を廻りて、八里ばかりと聞。ある人の大願にて、此あか石一里ばかりを道にきりとほさば、往来の旅客、夏冬のしのぎを得て、命損すべからず。今やう/\穴をつゝきて、一丁ばかりと云。我主の長者の御為に、是をぬきて、人のためにすべし。足立ねど力あり。よく/\つとむべしとて、御いとまたまはり、鉄槌の二十人してもさゝげがたきをふりたてゝて、先うつほどに、凡一日に十歩はうちぬきたり。国の守触ながして、民に、「力そへよ」とて、民は此石の屑をはらふ事を、いく人かしてつとむ。一とせに過て、やがて打ぬくべき時に、小伝次たづね来たりぬ。捨石申。「主をころさぬ事、御子の君ぞしらせたまへる。されど、かく事ひろごりては、申わくとも無やく也。我首うちて往たまへ」と云。「首とらんとて来しかど、此行路難を開きて、長き代にたよりする。御父の手むけとぞ。いで、我も力そへん。家はとふともいかにせん。始ある物、必よ終ある。時なるべし。姉は仏の弟子にておはせば、よく思しとりて、心しづかに行ひたまはん。我力をそへて後に、あねの所にいきて、す行すべし」とて、かい%\しく石はこび、民とゝもによく交はる。捨石、「あなたふと。しかおぼして此事に力そへ玉ふは。神よ、ほとけよ」とて、よろこぶ/\。或日云、「若ぎみ、我をうたんとて尋ね来たまへど、骨よわく力なければ、こしぬけたる我をもえ打たまはじ」と云。小伝次こたへなく、そこにある石の二十人ばかりしてかゝぐべきを、躍たちて蹴れば、石は鞠のごとくにころびたり。捨石おどろきて、「いつのまにかゝる力量は得たまひけん」と、いぶかる。小伝二、又、こしの弓つがひて、ひようと放つに、雁二つ射ぬかれて、地に堕たり。「汝、力にほこれども、かれは限あり。我業千変万化、汝がこしたちてむかふとも、童をせいする斗たやすし」。丸、ふし拝みて、「心奢りたるは愚也」とて、小伝次に、かへりて事とひ学ぶ。かくて、月日をへ、年をわたりて、凡一里がほどの赤岩を打ぬき、道たいらかに、所々石窓をぬきて、内くらからず。もとの道は八里に過て、水うまやだになく、夏は照ころされ、冬はこゞゆるを、此岩穴にて、ゆきゝやすく成んたり。馬に乗て鎗たてゝ行とも、さわりなし。太初の時、大穴むち・少名ひこの、国つくらせしと云も、かゝる奇工にはあらず。国の守大によろこびて、みちのくの守に使遣はし、事よく執をさめたまへば、小伝次は、御ゐやまひ申てかへりぬ。捨石はほどなく病て死たれば、捨石明神とあがめて、岩穴の口に祠たてゝ、国中の民あをぎまつる。小伝二は東にかへりて、国の守の罪かうむらず、益家とみさかえたり。姉のよろこび、いかばかりならん。日高見の神社、大破にて年わたりしを、此ゐやまひに、こがね・玉をきざみて作りたりしかば、荘厳のきら/\しきによりて、となりの国までも、夜昼まうでゝちか言す。はたうけひたまひて、此御ゐやまひに、たからやぬさやつどひみちて、あづまには二つなき大神となん、いはひまつれりける。
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宮木が塚第八回
本州河辺郡神崎の津は、昔より古きものがたりのつたへある所也。難波津に入し船の、又、山崎つくし津に荷を分かちて運ぶに、風あ[ら]ければ、こゝに船まちせる。其又むかしは、猪名のみなとゝよびしはこゝなりとぞ。この岸より北は、河辺郡とよぶ。是は猪名の川辺と云なるべければ、猪名郡と名づ[く]べきを、いかにこゝろえたるべし。「すべて、国・郡・里の名、よき字を二字につゞめよ」と、勅有しに、大方はよしと思へるが中に、かゝるもありけり。この舟泊りには、日数ふるほどに、船長・商人等、[岸]に上りて、酒くむ家に入て遊ぶ。こゝに何がしの長が許に、宮木といふ遊び女あり。色かたちよりほかに、立まひ、哥よみて、人のこゝろを蕩かしむと云。されど、多くは、人むかへ見る事なし。昆陽野の里に富たる人ありて、是がながめ草にのみして、他にゆかず。このこや野の人は、可守の長者と云て、つの国に今は並なきほまれの家也。今のあるじを十太兵衛といふて、年いまだ廿四才とぞ。かたちよく、立ふるまひ静に、文よむ事を専らに、詩よく作りて、都の博士たちにも行交り、ほまれある人なりけり。この宮木が色よきに目とゞめて、しば/\行しが、今はたゞおもひ者に、ほかの人来とむらへど交らせず、めでてありしかば、宮木も又、「此君の外には、酌とらじ」とて、いとよくつかへけり。長も、十太兵衛、「黄がねにかへてん」とて、よくいひ入るに、いとかたじけなく、人にはあはせざりけり。此宮木が父は、宮古の何がし殿と云し納言の君なりしが、いさゝかの罪をかゞふりて、司解、庶人にくだされしかば、めのとのよしありて、この里には、はふれすみたまへりき。もとよりわたらひ心なく、宝も何も、もて出たまひしは残りなくて、わび住したまひしが、病にふして、ついにむなしくならせぬ。母も藤原なる人にて、父につかへて、おのが里にもかへらず、共にわび住して、今はやもめに成りたまへば、いかにすべきを、かたち人におはしければ、物いひよる人あれど、けがしきとて、ひたこもりに、たゞ稚子をのみいだきかしづきたまふほどに、貧しさのひとつをこそ、なげきくらしたまふに、めのとが云。「よき人の、こゝに落はふれ来て、たよりなく、よきをとめ子を、長に養はせたまひしためしあり。今はたゞ、おぼしすてさせ、いとし子を、人にたまへ。むかしのをとめ子は、よき人に思はれ、黄金あまたにかへられ、親たちをさへ伴なひ、つくしの長者のめと成し事あり。いかで思ひたまへ」と云。「つれなくも云ものかな」とおぼせど、「此子もともに肌さむく、うえて今は死なんよ」と打なかれて、めのとがいふに従ひ、こがねにかへて手放したまへ[り]。かゝるほどなく、わびしさに涙の淵とかにしづみて、世をはやうせさせけり。なみだの淵と云所、哥にはよめど、いずこぞと誰もしらざりしに、この神崎の里になん在ける。長者、わきていとほしみて養ひたつるに、母にはまさりて、かたち人におひ立ける。河守の色好みが、「ほかの人にあはすな」とて、宝つみて云ほどに、長「かしこまりぬ」とて、我子の如くかしづきたりけり。春の林の花見んとて、思めぐらすれど、都には此比出たつまじき事ありて、兎原の郡のいくたの神の森のさくら盛なりと聞て、舟の道、風なごやかなれば、宮木をつれ立て、一日遊びけり。林の花みだれさきたるに、この面かのもに幕はりて遊ぶ人多かるが、宮木がかたちの世にならびなしとて、目を偸みて見おこすにぞ、弥つゝましくて、扇とりても立まはず。酒づきしづかにめぐらしてあるが、十太もけふのめいぼくに、わかければ思ひほこりてなんある。此河守があり様に心おとりせられて、「宮木かくかたちよし。ねたし。兼て思つるよ」とて、つれだちしくす師、何がしの院の若法師にさゝやき、酒くむこゝろさへなく成ぬ。さて何思けん。「大事忘れたり」とて、歩よりは遅し。みぬめの和田の天の鳥船に、舟子の数まさせて、飛かへるやうにて、いそぐ/\。只かた時ばかりにぞ漕せける。家に入より、先人走らせて、「十太兵衛只今来たれ。おほやけの御つかひ、こゝを過させたまふに、一夜をやどらさせ玉ふ。汝がつとむべき也。いとゝく/\」と、せめ聞ゆ。留主守翁あはたゞしく来たりて、「あるじはけふ物に罷りて、あすならでは帰らず。ほかの御家に」と申。「いな、汝が家きよしと申て、はや使は通られたり。やがてにも至りた(ま)はん」と云。「いかに承るとも、あるじあらねば、つかふまつるまじき」と云。長にらまへて、「おのれは老しれて、国の大事を忘たるよ。我家の母、あつき病にふしたまへば、『汝が家に』と申したり。いそげ、今たゞ即ならん」と云。老は走りかへりても、誰にはかり合すべき者なし。たゞ長き息つきて、「若君、翅かりても飛かへらせよ。中山寺のくわん自在ぼさつ」と、うけひ言すれど、すべなかりけり。長が方より使たち来て、「宿すべきものゝ立むかへこぬ、むらい也。こゝにはやどらじ。夜こめて住よしの里まで」とて、高張あまた用意申付給ひしかば、松などをもにわかにくゝりつかねて奉りし也。「『十太は今めしかへせ。罪にこもらせよ』とて、馬飛せて行過たまひぬぞ」とて、門の戸ひし/\と、竹にて釘うち、とぢめたり。十太何心なくてありしが、「心さわぎぬ」とて、夜の亥中にかへり来て、「しか%\の事なん侍りて、あはたゞしくとぢめたまへりき。いきてわびたまへ」と云。たゞちに長がまへにかしこまる。長いかりにらみて、「此月は汝が役にさゝれたるならずや。我に告ずて、いづこにうかれ遊ぶ。今はとりかへされず。五十日はこもりをれ」とて、言呵て打入ぬ。「桜の花はまださかりと見しを、この嵐には今はちらん。我はたゞこもりをりてん」とて、つゝしみをりき。其あした、申つくる、「御つかひ、明石の駅より、飛檄をつたへ来たらず。『汝が里のやどりたがへしによりて、馬の足折、今は船にてつくしに下る也。波路は御つかひ人の乗まじきおきてをたがへ、日のをしさ、罪のかしこさにしかすれど、又風波たゝばいかにせん。五百貫の価の駿馬也。此あたひ、汝が里よりつぐのへ』と、申来たりき。五百貫の銭、たゞ今たゞ、又、此銭、都の御家に贈るついえせよ。是三十貫文也」とて、取たてゝ運ばす。「五十日は猶こもれ」とて、つゝしみをらす。此あいだに、うまやの長惣太夫、くすし理内をつれてかん崎にゆき、「宮木に酌とらせよ」と云。「此ものは、御さとの河守どのゝあづけおかれし也。『他の人に見えそ』と、此頃、御つゝしみの事にてこもらせしかば、問まゐらすべき便もなし」とて、出さず。いよゝます/\ねたくて、酒のみ、耳たゝしく、「河守めは、こたびの御とがめに首刎られつべし。よきわか者なり」など、云おどしてかへる。宮木、こゝちまどひて、神に仏に願たて、「いのちまたけさせたまへ」と、おものたちて、十日ばかりはありしかど、よき風も吹つたへこず。長示して云。「物くはで命やある。よく養ひて、出させたまふをまて。長が酒ゑひのにくき口きゝたる、まことならず。御科の事、又、五百貫の駿馬を買てあがなひたまへりと聞。やがてめでたく門開かせんを」と言に力を得て、経よみうつし、花つみ水むけ、焼くゆらせて、観自在ぼさちをいのる。さて、十太はかくつゝしみをるほど、風のこゝちのなやましうて、くすしをむかふ。「当馬と云医士は上手ぞ」と人いふに、迎へたり。脈みて云。「あな大事也。日過さば斃れん。よき時に見せし」とて、ほこりかに匕子とる。女あるじなきには、誰もあきるゝのみにて、怠りぬべし。先方へも、くすしは、此ごろ日々にゆく。十太がかゝりと聞て、「彼五百貫文の中、わかちて奉らん。薬あやまらせよ」とさゝやく。医し、「いな、大事の症也。御たのみの事は、我はえせずといへども、ついにたをるべし」と云て、陽症のあらはなるに、附子をつよく責もりしかば、ついに死ぬ。長いとよろこびて、外のゐやまひにとりなし、百貫文をおくる。宮木が方へかくと聞しらせしかば、「倶に死なん」と云つゝ狂ふを、長がせいして、「仏の祈りだにしるしなき御命也。よく吊るらひて、御めぐみむくへ」と云つゝ、せいし兼たり。かくてあるほどに、惣太夫よくよくしたり、独ゑみほこりて、宮木がもとへしば/\来て、言よくいひこしらふれど、露したがふ色なし。長呼出て、彼五百貫の銭をはこばせ、「是なん宮木が一月の身の代に」と云(ふ)。慾にはだれもかたぶきて、「一月二月、尚増てたまはらば、生てあらんほどつかへしめん」と云(ふ)。さて宮木に示す。「是十太殿世になく成たまひては、よるべなし。かの里にては長なれば、この人につかへよ」と。心にもあらねば、こたふべくもあらぬを、度々夫婦が立代りていふに、「よるべとこそたのまね、先(づ)夫婦の心にたがひては」とて、惣太夫に見ゆ。いと情しく云なぐさめて心をとり、やう/\枕ならべぬ。一夜酔ほこりて、くすし理内がいふ。「生田の森の桜色よくとも、我長の常磐かき葉には齢まけたりな。君もよき舟にめしかへしよ」とて、そゝる/\。「いかにしていく田の森かたりいづらむ。とまれ宗大夫がよろづのふるまひ、男ぶりよりして、たのむべき人にあらず」となん、やう/\思ひしづもり、来れど、多くは病ありとて、出て相見ざりけり。其比法然上人と申(す)大とこの世に出まして、「六字の御名をだに、しんじちにとなへ申さば、極楽にいたる事やすし」と示し玉へるに、高きいやしき、老もわかきも、たゞ此御前に参る。後鳥羽院のめされし上局に、鈴むし松むしと云(ふ)二人のかたち人ありき。上人の御をしへを深く信じて、朝夕ねぶつし、宮中をのがれ出て、法尼となり、庵むすびて行ひけるをば、帝御いかりつよくにくませしに、叡山の法師等、「仏敵」と申て、上人をうたふ。「是よし」とて、土佐の島山国に流しやらせ玉へりき。「けふ、上人の御舟かんざきの泊して、あすは波路はるかの=舟にめさせかふる」と聞侍りて、宮木、長に「しばしのいとまたまへ。上人の御かたち、近く拝みたいまつらん」と云(ふ)。物よく馴たるうばら一人、わらはめ一人そへて、小舟出さす。上人の御舟、やをら岸をはなるゝに立むかひて、「あさましき者にて候。御念仏さづけさせたうべよ」と、なく/\申(す)。上人見おこせたまひて、「今は命捨べく思ひさだめたるよ。いとかなしきしづの女也」とて、船のへに立出たまひ、御声きよく念仏高らかに、十度なんさづけさせたまひぬ。是をつゝしみて口にこたへ申をはり、やがて水に落入たり。上人「成仏うたがふな」と、波の底に高く示して、舟に入たまへば「汐かなへり」とて漕出たり。うばら童等おどろきまどひて、家に走りかへり、「かくなん」と告ぐ。長夫婦くつだに付ず、走来て見れど、屍もとむべくもなし。やゝありて人の告ぐ。「かんざきの橋柱に、うきてかゝれり」とぞ。いそぎ舟子どもをたのみて、かづき上さす。此宮木が屍の波にゆりよせられしとて、ゆり上の橋となん呼つたへたる。屍は棺にをさめて、野づかさにはふりぬ。宮木が塚のしるし、今に野中にたちて、むかしとどめたりける。むかし我、此川の南の岸のかん嶋といふ里に物学びのために、三とせ庵むすびて住たりける。此塚あるを問まどひて、やゝいたりぬ。しるしの石ははつかに扇打ひらきたるばかりにて、と云べき跡は、ありやなし。いとあわれにて、哥なんよみてたむけたりける。其哥うつせみの、世わたるわざは、はかなくも、いそしくもあるか、高きいやしき、おのがどち、はかれえうものわ、ちゝのみの、父にわかれて、はゝそ葉の、母に手はなれ、世の業は、多かるものを、何しかも、心にもあらぬ、たをやめの、操くだけて、しなが鳥、猪名のみなとに、よる船の、かぢ枕して、浪のむた、かよりかくより、玉藻なす、なびきてぬれば、うれたくも、かなしくもあるか、かくてのみ、在はつべくは、いける身の、生るともなしと、朝よひに、うらびなげかひ、とし月を、息つきくらし、玉きはる、命もつらく、おもほへて、此神埼の、川くまの、夕しほまたで、よる浪を、枕となせれ、黒髪は、玉藻となびき、むなしくも、過にし妹が、おきつきを、をさめてっこゝに、かたりつぎ、言継けらし、この野べの、浅ちにまじり、露ふかき、しるしの石は、たが手向ぞもとなんよみてたむける。今はあとさへなきと聞く。哥(うた)よみしは三十年のむかし事也。
Kanshi
歌のほまれ第九回
山部の赤人の
和哥の浦に汐みちくればかたを無をさしてたづ鳴わたる
と云父はゝのやうに、世にいひつたへたりける。此時のみかどの聖武天皇、つくしにて広継が反逆せしかば、都に内応の者あらんかとておそれたまひ、巡幸とよばせて、伊賀・い勢・志摩・尾張・三河・美濃の国ゝに行めぐらせ給ふ時、いせの三重郡阿=の浦辺にて、よませたまひしおほん
妹にこひあごの松原見わたせば汐干のかたに鶴なきわたる
又、此巡幸に遠く備へたまいて、舎人等あまたみさきにたゝせしに、高市の黒人が愛市郡の浦べ見めぐりてよみける歌
桜田へづ鳴わたるあゆち潟汐干のかたにたづ鳴わたる
これ等、同じみかどにつかふまつりて、おほんを犯すべきかは。むかしの人は、たゞ見るまさめのまゝを打出たるものなれば、人よみたりともしらずよみになんよみしかど、正しく紀の行幸、又この巡幸に同じことうたひ出しは、とがむまじく、おほんと黒人が歌とは世にかたりつたへずして、和かの浦をのみ秀歌と後に云つたふる事のいぶかしかりけり。 又、同じ万葉集の哥に、よみたる人はしらずとて
難波がた汐干にたちて見わたせば淡路の嶋に鶴なきわたる
是もまた同じながめをよんだり。いにしへ人は心直くて、見るまさめをば人や云へぼも、問きかでよんだりける。さらば歌よむは、おのが心のまゝ、又浦山のたゝずまひ花鳥のいろね、さかしくいひたるものにはあらず。是をなんまことの歌とはいふべけれ。
Tomioka
樊
第十回
むかし今をしらず。伯耆の國の大智大権現の御山は、恐ろしき神の住て、夜はもとより、申のときすぎとて、寺僧だにこもるべきはこもり、こもらぬは山をくだりて行ふとなん聞ゆ。麓の里に夜毎わかき者あつまりて、酒のみ博奕してあらそひ遊ぶ宿有けり。 Sasshiけふは雨ふりて、野山のかせぎゆるされ、午時よりあつまり来て、酒のみあとさきなきかたり言してたのしがる中に、腕だてして口こわき男あり。憎しとて、「おのれはつよき事いへど、お山に夜のぼりて、しるしおきてかへれ。さらずは力ありとも心は臆したり」とて、あまたが中にはづかしむ。「それ何事かは。こよひゆきて、正しくしるしおきてん。おのれらあすまうでゝ見よ」とて、酒のみ物くひて、小雨なれば蓑笠かづき、たゞに出行。友だちが中に、老たる心あるは、「無やくのからかひ也。渠必神に引さき捨られんぞ」と、眉しはめていへど、追とゞむともせず。この大蔵と云あぶれ者は、足もいとはやくて、まだ日高きに、御堂のあたりにゆきて、見巡る程に、日やゝ傾(かたふ)きて、物すさまじく風ふきたちて、杉むら桧原さや/\と鳴とよめく。 Sasshi暮はてゝ人無にほこりて、「此わたり何事かあらん。山の僧のいひおどろかすにぞあれ」とて、雨晴たれば、みの笠投やり、火うちたばこくゆらす。いとくらうなりしかば、「さらば、上の社と申所に」<と>て、木むらが中を、落葉ふみ分てのぼる/\。十八丁となん聞えたり。こゝに来て、「何のしるしをかおかん」とて見巡るに、ぬさたいまつる箱のいと大きなるあり。「是かづきおりてん」とて、重きをこゝろよげに打かづくとするに、此箱ゆら(動)めき出て、手足おひ、大蔵をつよくとらへたり。すはとて、力出して是をかつかんとす。箱におひ出たる手して、大蔵をかろ%\と引さげ、空に飛かける。こゝにて心よわり、「助けよ/\」と、をらぶ。こたへなくて、空をかけり行。「波のおとのおそろしき上を走行よ」とおぼえて、いと悲しく、こゝに打やはめつとて、今は是をたのまれて、箱にしがみつきたり。夜漸明ぬ。この神は箱を地にどうと投おきてかへりたり。眼ひらきて見れば、海邊にて、こゝも神やしろらう/\しく、松杉が中にたゝせたまへり。かんなぎならかめ。白髪まじりたるに烏帽子かぶり、浄衣めしなれたるに、手には今朝のにへつ物み臺にさゝげてあゆみ来たり。見とがめて、「何ものぞ。無礼也。その箱おりて、いづこよりかつき来たる。物がたれ」とぞ。「伯岐の國の大山に夜まうでゝ、神にいましめられ、遠くぬさ箱とゝもに、こゝに投すてられたり」と云。「いとあやし。汝はをこの愚もの也。命たまはりしをよろこべ。こは隠岐の島のたく火の権現の御前ぞ」と云。目口はだけておどろき、「二親有者也。海をわたして里にかへらせよ」と泣々申。他国ものゝ故なくて来たるは、掟ありて、國ところを正して後、おくりかへさるゝ也。しばしをれ。是奉りて後に、我家につれかへり、よく問糺して、目代にうたへ(訴)申べし」とてみにへたいまつる。ふとのりと言高く申、手はら/\と打。さて御戸たてゝ家につれかへり、同じことわりなれば、目代に参りて掟承る。いとにくき奴也。されどここにさいなむべき罪無し」とて、其日の夕汐まつ舟にのせ、むかひの出雲の國におくりやる。八百石と云舟にて、ちいさくもあらぬを、風に追す。されどよんべの神が翅にかけしよりは遅し。三十八里をあか時に乗わたりて、「しか%\の者おくり申」と申。所の長が聞て、守のやかたにいそぎうたへたり。やがてめされて、「隣のくにの守にいひおくるべし。にくし」とて、つばき吐して、つらに吐かけたまへりき。めしうどならねど二人に捕かこまれて、里のつぎに、追やらる。七日と云日をへて、此ふるさとには来たりき。目代つよくいましめて、しもと杖三十うち、家におくりかへさる。 Sasshi里人追々に、「大蔵がかへりたり」と告ぐ。母と兄よめは、「いかに/\」と云つゝ門立して待ほどなく来たる。「生てはあらじと思ひつるに、大智大権現の御めぐみこそ有がたけれ。」と、手をとり内に入る。親は、見おこせしのみにて、「神にさかれて死たらんが。、いとよかめり。ついにはおほやけに捕はれ、首刎られ、みゝづくとなりて人に爪はじきせられ、おやにいみじき恥あたへつべし」。兄あざ笑て、「腕こきてなど神にはさかれざる。ひきやう(卑怯)なり。親兄に首つなかけられん。恐し。立かへりてよろこぶ者はなし」と云。母泣しづみて、父兄にわび言しつゝ、「物くへ、足あらへ」と云に、嫁心つかざりしとて、湯わかし足すまさせ、飯たきて「あたゝか也」とすゝむ。「何事も此後、父兄にさかたちてすまじ」とて、犬つくばひしてわぶる。日二日は、夜ひるたゞ臥にふしてありしが、三日といふあしたとく起出、鎌枴(おふこ)とりつかねて、山かせぎに兄よりさきに出たり。兄は小男にて、かつきし薪柴いさゝか也。大蔵が肩おもきまで荷ひかへりしは、銭にかへてあまたにぞなりける。年くれて、としの貢納めても、大蔵がかせぎしに、銭三十貫はつみて、稲くらに櫃にをさめしかば、父はにが笑して、「よし」とほむ。兄は「冥加なり。猶よくせよ」と云。母と嫁はさゝやきあひて、綿入たる布子一重かつけたり。夜はかの宿にゆきて遊べど、酒にみだれず、博奕うたずして見をる。若き友(トモ)どち云、「隠岐の國よりかへりしは、罪ゆるされて大赦にあひたる者ぞ」。大蔵と云名を「大しや」と呼かへて、むつまじかりき。春ふけぬ。れいの博奕宿に打しこりて、おひ目多くて友(トモ)だち等、「是は大しやにせぬ」とて、いひつのるほどに、さすがのおに/\しき心にもまけられて、日をへだてゝえゆかず。父はひる寝、兄は。里をさ長に申事ありとていきし跡に、母を小手まねきして、「去年の後に心をあらためし事は、またく権現の御恵み也。お山にのぼりて。ゐやまひ申たてまつらん。施物の銭たまへ。知たる御寺にたてまつりて、『此行末をも守らせたまへ』と祈り申あつらへてん」と云。母「よき事也。『倉には入すな』と、兄がいましめたれど、是は見ゆるしてん。こよ」とて、稲倉につれ立行。「其櫃の中にみだれたる銭あり。汝が手一(ヒト)つかみには事足べし」とゆるす。櫃を開き見れば、三十貫文よくからめてつみおきしあり。ほしく成て母に又云。「まことは博奕にまけ、おひめかさなりて此里にはあられぬにぞ。いづちへも立かくるゝ也。此銭しばしたまへ。我山かせぎしてつみたるなり。又、山に入谷にくだりて、日毎に立走たらば此銭やがて入納むべし」とてつかみ出す。母、「おのればくち打やまで、親をいつはるよ。やらじ」とて、さゝへたるを片手にとらへて、櫃に投げこみふたかたくして、銭肩にかけてゆらめき出。兄嫁見とがめて、「それをいづこへもて出る。やらじ」と、是もさゝふるを、又、かた手にかろ%\と柴つみし中へ投やりたり。父目さめて、「おのれ、盗人め。」とて、枴とりて丁とうたるゝを、かた手にてとりはなち、つと門に出づ。父、「やらじ/\」とて、背におひつきてぶらさがりたれど事ともせず。父をうしろさまに蹴て行に、たをれてえおきぬを、兄遠くより見て枴鎌とり具して、「親を打し大罪人め。ゆるさぬ」とて追つきたり。鎌は地におとして枴にてうつ。うたれてあざ笑ひ、かへり見もせず走行。谷のかけはしある所にて、友達一人行あひ、「こはいかに。兄も親も何者とかしてかくする」と、立むかふあいだに兄追つきたり。二人に成しかば力足つよくふみて、兄をば谷川のふかきに蹴おとしたり。友だちはきととらへて、「おのれが親兄か、我親兄也。入ぬ骨ついやすか」とて、是も谷へ投おとす。父又追つきて、「おのれ赦さじ」とて、鎌もて肩に打たてたり。いさゝかの疵にても血あふれ出ぬ。「子を殺す親もありよ」とて父に打かへす。咽にたちて「あ」と叫びてたをるを、「兄とゝもに水に入たまへ」とて、かた手わざして父をも谷のふかきに落しつ。淵ある所に、三人とも沈みてむなしく成ぬ。さて、恐しく思なりて銭を懐にして、夷駄天走りして、行方しらず逃たり。一里、となりの里つゞきと、大にさわぎて追とらへんとすれど、力つよく足はやく、ことに、たゞ今鬼になりてかけるには誰かは恐れん。 Sasshi里正うたへ出しかば、国の守此頃くだりたまひて、都の事を思はなれず、繪にうつして、國々に触流さん」とぞ。里正申。「山ざとには絵かく人なんなき。たゞかたちを書て、いひしらせたまへ」と申。「背六尺に過、つらつき赤く黒くて、年は廿一にてなんある。伯耆の國、清水の里にて、親の名九兵衛と云大蔵と云男なり。親兄をころし、又一人の友をも殺したる大罪人也。めしとらへて國にしらせたうべよ」と、触聞ゆ。大蔵は、筑紫の博多の津のあぶれ者が中に立交り、博奕勝ほこり、酒くらひて、遊女を枕におきて、鼾吹螺の如し。こゝにも此人かたの触聞へくるに、あぶれ者等是也と思へど、力量の者なれば立むかひてあやまたれんとて、「しか%\の触来たる。汝が事なるべし。はやく立去れ」と云におどろき馬して、ばくちの金百両をはだかにつかみ入て、酒のみて迯走りたり。長崎の津にゆきて、やもめわびしげにて在。金あたへこゝに足とゞむ。やもめ、始こそあれおに/\しさに恐て、丸山の廓の内に物ぬいにやと(雇)はるゝ方に逃かくる。大しや聞しりて、夜中過る比、かの家に行て、「しか%\の者は我め也。あるじみそか事やする。とく出<せ>」とて、とこへあぶれ入。局ごとに客ありて、遊女らと酒くみて居るに、もろこし人の局してある所にをどり入、へだてのさうじ(障子)も戸もかいやぶりて立はだかる。もろこし人おそれて、「樊
へ。命たまへ」といふ。「いとよき名つけたり。ゆるすべし。酒くまん」とて、座につく。あるじおそれて、「もろこしの御客は大事の御客也。ゆめ/\何事しらせたまへず。酒のみて遊ばせよ。もとめたまふ物ぬひは、きのふ尼になるとてこゝは出たり」と云。「さがしもとめんも、酒のみて後にすべし」とて、大なるあはびの盃に、二ツ三ツつゞけ呑にのむ。から人「さかなたてまつらん」とて、衣をぬぎてさゝぐ。「おのれが着よごし(移)たらめど、錦のきぬいまだ着ず」とて、肩にかけて立おどる。「まことに樊
にておはす」と、ふして云。「よき名つきしあたひに」とて、かしら三ツ四ツつよく打て、又、さかづきとり上る。から人「かくからきめをこよひかふむる事よ」とて、泪さめ%\となく。「おのれも男なるべし。うたれてなみだおとすか」とて、又、立蹴に蹴ちらして、夜明るまで狂ひをる。夜明て人あり。「かく/\の者の、こゝにやどるか」とて、おほやけの人々めしとらへんとて、棒もちなどして取まきたり。はん
大にいかり、さきに立男の棒うばひて、散々に打ちらす。誰あひむかふばかりの力量なければ、ついにとりにがしたり。こゝをのがれて、つくしのあいだ、こゝかしこにはひかくるゝ中に、えやみ(疫)して、山あさき所ながら岩陰にふしたをれたり。三日四日過るに、熱き心ちやゝさめたるやうに思ひて、又、物ほしくなり、夜はひ出て、「物くはせよ」とをらぶ聲恐し。たび行人の中に大男のひとりかろ%\しく出たちて、ここを過。見とどめて、「鬼の泣くのを見しよ」とて、こりにつめし飯とう出てあたふ。「うゝ」とのみいひてくらふ。この大男、「おのれは何者ぞ。ぬす人にはあらじ。いかでこゝに病ふしたる」。「我は世のあぶれ物にて、酒のみ、ばくち打、すみ家定めず(。)しあるく者也。こゝに病につながれて、やう/\人こゝちしたれど、七日ばかり物くはねば足たゝず。いづちへもあぶれゆかれぬ也。今たまへるめし、くひ(食)たれば足は立ぞ」とて、力足ふむ。「あたら男也。物くはせん。里にこよ」とい、麓の水うまや(駅)に走下り、めし・酒ほしきまゝにあたへつれば、忽に面かはり、「御徳見つ。何事も仕うまつらん」と云。「よし、こよひまたで、この道くる者あり。馬に金おふせたり。是奪はんとて、こゝの足場よしとて来たる也。人・馬いづれにてもおのれむかへ。金分ちてあたへん」と云。鬼よろこびて、「二、三人に馬(ウマ)・車ありとも、我立むかはん」とて、躍り上りて又酒のむ。やう/\夕暮にちかづく。もとの坂道に登り、もとの岩陰待ふしたり。馬の鈴から/\と鳴。口とるをとこ何やらんうたひつゝ来る。馬のしりに、足軽二人附そひたり。はん
先にをどり出、しもと一もとぬきて聲をかけ馬の足をうつ。馬は斃るゝを、足がろ二人「盗人め」とて、刀ぬきてむかふを、此しもと木にて二人を打たをす。馬かた迯んとするを、大男飛出て是は谷に投おとす。はん
、足軽二人を両手に引さげ、岩に頭うちあて打殺したり。馬のおひたる金箱二ツ解おろして、馬も谷へ投おとしたり。「さてしすましたり。こちこよ」とて、かね箱もたせて山を走くだり(下り)、海邊に出たれば、苫舟待遠に、「いかに」ととふ。「よし」とて、飛乗り船出さす。大男云。「おのれはまことに力量ありて、膽ふとし。あぶれあるくとも財宝何ばかりか得ん。ぬすみせよ。我に従がへ」と云。打哂ひて、「ぬすみとて、さきの如きの事、何ばかりにもあらず。御手につきていづこへもゆかん」とぞ。舟は風よくて、あら波を安くこえ、「伊豫のくに」と云。こゝに温泉あり。「足休めん」とて、金をわかちくるゝ。舟子三人には三百両、はん
にも百両あたふ。舟漕ぬす人等云。「こゝより別れて、安藝の宮島にわたりて遊ばん。御むかひはいつ比」と云。「此月の末まで在らん。よく遊びて来たれ」とて、はん
と二人陸に上る。湯ある所は賑はしくて人あまたやどりたり。こゝに飲くらひしてをるに樊
が云。「我は親兄を殺して尋らるゝ者也。かたちかへてん」とて、こゝより見やる山寺に行て老僧にむかひて云。「母と二人巡礼しにわたりしを、おとつひの夜尿すとて、母は海に落たり。もとめわづらひて御寺に参る。かしらそりてたまへ。故さとにかへりても兄にことばなし。」とて、泣がほつくりて云。僧「いとほしき物がたり也。落髪ゆるしてん」とて、やがて剃刀さづけたり。「名をほどこすべし」とて、「道念とよべ」と云。「いかにも名付たまへ。袈裟衣さづけたうべよ」とて、金二両つゝみて出す。山僧の金見る事珍らしくて、古くとも破まよはねば是をとて、一重にとりそろへてあたふ。肩にかけ、かけたれば、猿に物着せたるさま也。「いと有がたし。又、縁あらば参らん」とて、湯の宿にかへる。大男見てわらふ。「まだ都に出ねばしるまじ。大津のあふ坂山に、はやくより汝がかたち写して商ふぞ」といふ。「名は何」とゝへば、「長崎にてあぶれたりし時、から人が『はん
よ』と云たり。是を名とすべし。さて、頭の名いかに」と問ふ。「昔は、すまひとりて村雲と云たり。人をあやまちて命のがれ、こゝかしこ力をたのみてかせぎあるくとぞ。さて、こゝにも在べからねば」とて、又、海べに出たれば、さきの苫舟礒陰にあり。乗うつりて播磨のしかまつへとて漕す。風に煩らはされ、七日ばかり有て着たり。むら雲が伯母こゝに在とて、岸に上りてとひよる。伯母が門入するを待久しげに、「甥の殿(トノ)よ。米・ぜにほしさに、待事三十日ばかりぞ」と云。心ゆくばかり出してくれたれば、「酒肴もとめん」とて、足かろげに出行。こゝにも五日ばかり在て、樊
云。「さだめてゆくさき%\も心安からじ。かたちかへたれば、一人す行者となりて迯かくれん」とて、笈をもとめ、錫杖つき啼し、桧木笠ふかくかづく。むら雲云「おのれが背たかきは、おのれ不幸也。海道ゆくな。目あかし等が見とがむべし。野山にまよひ入て、先東国にこゝろざせ。国ひろく人の心たけくてわろ者多し。中に入てあぶれあるけ」と教ふ。「承りぬ」とて、笈かろげに足ばやに出たり。「やよまて。因幡ねずみに伯耆猫、國ことば聞とがめられな」と云。「親兄のめぐみ、しかまであらば殺さじ。まことの親也」といふ。「おのれを子に持たらば、いかにからきめ見せん。恐し/\」とわらひて別る。播磨は故さとに行かふ道ときけば心安からず。たゞ山によりてぞ、あゆむ/\。一日行暮たり。孤屋のあるに門立して、「法師也。一夜やどらせよ」と乞。うばら一人、夕げの烟たきほこらせたり。「國めぐりする御僧よ。あすはさいたちし(前立)人の忌日也。たのう(憑)でもお宿まいらせん。うち入せよ」とぞ。心やりて笈おろし牀に這上れば、「ひし/\」と鳴。「あな恐し。簀子(すのこ)ふみぬきたまふな」とて、ゐろりによらす。月出たり。門あか/\と見はるかさる。二人つれ立て、こゝに入て「内にはあらぬか」と一人のいふ。「柴賣に惣のやしろへ行たり。やがては帰らん」と云ほどに足おとして、「母よ、腹うえたり。夕めしくはせ」とて、入立たり。「この僧はいづくより」ととふ。爺の日なり。『念佛申て給はれ』とて、宿参らせたり」とて、鍋のふたとりて盛てあたふは飯ならず。芋のかしら也。「僧にも是まいれ。米麦あす(明日)は煮て供養供養すべし」と云。二人の男の一人が云。「この家に久しく持つたへし金と云物、この人にかたりたれば、我見ていかばかりの寳と定めてんとて伴ひたり。出して見せよ」と云。あるじの男、神まつる棚をさぐりて金一両とり出たり。商人見て、「是はあたら宝也。此国にて銭三貫文のあたい也。大阪へ持てゆかば五貫文にかふべし。四貫文に我買ん。又、銭ほしからずは綿あたゝかなる布子にかへてん」と云。うばら頭打ふりて、「いな、さい立し人の『姫路にもてゆかば七貫文にはかふぞ』と申されたり。銭も布子もほしからず」とて、もとの神棚へ取をさむ。はん
にくしと思ひて、「いなや、城下にてはいづこにても十貫文にかふ。至てかろくてよき寳也。こゝにも有」とて、数十両つかみ出して見する。あき人あきれて、「國めぐりするお僧にも、かく財宝多くもたる人はあれ」とて、口あきて、「いざ」とてさそひ出ぬ。あしたの御くやうに米かふてこよ」といへば、「う」とこたふまゝに立出つ。芋かしらに茶こふ/\と飲て、夜更しにむす子米かついでかへりたり。氷豆麩・ゆば・椎たけとゝのへて来たり。「社にて物かふ問屋が店に、人たづぬる書つけよみて聞せたり。『伯岐の国の何とか云(いふ)里の者、親兄をころして迯さりぬ。背六尺より高く、面ひろく黒くて。眼つきおそろし。年は廿二か三になる』といふ。さても世には悪人もある者よ。いづくに隠れん。やがて捕へられ、逆はりつけとかに行はるゝべし。御僧のかたちよく似たり」と云。打わらひて、「我も西より巡り来る所々にて聞たり。この世にてはさかはりつけ、未来はやうちんとか云地獄の底に落べし。あないま/\し。南無阿弥陀佛/\」と、高らかにとなふ。其やうちんと云はいかなる苦しみをうくるぞとむすこが問。「火打石の火よく出る金にて鍛ひし釜也。それに幾とせも煮られて釜こげうましと鬼めがくふ。くへどつきず。いたきめにあふ。ぢごく也。こゝのむす子はよき人也。其子にころされし親兄も鬼にてこそありつらめ」と打わらふ。あしたの斎の飯うまくくひて、笈かろげに出たちて行。「さてもおそろし/\」とて、山路をつたひ難波にでたり。人多く立走りて心安からず、京に行。「こゝは物しづかなれど、目あかしと云者等が見とがむる也。また、年経て上りて見ん。こ<し>の国は雪に埋れて春まつと也。さる所にて今年は暮ん」とて出たつ。 Kanshi荒乳山の関路こえ行く。月あかく、雪いさゝかなれど、木末にふりかゝりておもしろし。こは行手に、岩に腰かたげたる小男ありて、『巡礼よ、路用の金有べし。おきてゆけ」と云ふ。うしろにも人ありて、笈をしかとゝらへ、「この坊主めは金多く持たるぞ」とてゆるさぬつらつき也。笈ときおろして、『金あまたあり。とらばとれ」とて、岩の左にこしかけ、火切出して烟くゆらす。「さてもふとき奴也」と云つゝ、笈のかねかぞえて見れば八十両あり。「分ちてとれ。子供等に花もたせつるよ」とて、あざわらひをる。「にくき奴かな」とて、一人が立むかへば、立蹴にけてあをむきに倒る。一人がすさかさず手とりたるを、稚子の如くに抱きすゑ、「おのれ等ぬすみするとて、力量なくてはいかに命長からん。我につきてかせげ。この金ばかり常に得させん」と云。又云「ふ」『小男めは小猿と呼ん。おのれはこよひの夜に釜ぬかれたつき也。月夜と名づくべし。思ふ心ありて、この冬は雪にこもりて遊ばん。よき所につれゆけ」といふ。加賀の国に入れて山中と云は、湯あみしに春かけて人あつまる。「こゝにやどりて雪見たまへ」と云。しるべさせてやどりとる。湯のあるじ、「此二人は盗人也」と見知しかど、法師のをさなき者呼つかうやうにするをたのまれてとゞむ。物おどりきせさせず法師いとゞたのもし。雪は日毎にふる。「ことしの雪いと深し」ちて、湯あみ等かたりあふ。山寺の僧の匏簫もて来て吹てあそぶ。樊
面しろく聞て、「をしへたまはんや」と云。僧喜びて、「よき友設たり」とて、喜春楽と云教ふ。うまれつきて拍子よく節に叶ひ咽ふとければ、笙のね高し。僧よろこびて、「修行者は妙音天の鬼にてあらはれたまんや」。はん
云。「天女のつかはしめに我ごとき鬼ありし」とて、打笑ふありさまたゞならず、『面しろき冬ごもり也。されど寺に一たびかへりて、春の事ども設して又こん。今一曲を」といへば、「いな一曲にて心たりぬ。おほく覚んは煩はし」とて習わず。「春は必ず山に来たりたまへ。あたら妙音ぼさつなり」とて、出たつ。月夜に「御送りつかまつれ。一曲の御礼に」とて、判金一枚つゝみに書つけてまいらす。いと思かけぬ宝を得て山にかへる。湯の中にも笛もて行て、さゝげて吹く『雪おほし」とて、人皆いぬる。さぶしくなりて、又、「いづちにも賑はしき所やある」と問えば、「粟津と云所にも湯わく。加賀の城市ちかければ、あるじに心ゆかせて、物あたへ立出づ。こゝにも国のあまた来て、にぎはしさは勝りたり。れいの喜春楽、夜昼ふきて遊ぶ。城市の人、「さても/\妙音也。たゞ一曲にとゞまりたまふ、又妙也。我はよこ笛吹」とて、とり出てふき合す。「節よく、音高く、いまだかゝるを聞ず。我宿にも十二夜やどりてよ」とて、あした迎ひの人来たる。ゆきて見れば、高くひろく作りて富たる人なるべし。小猿よく見とゞけおけ。この家も宝あづけたるぞ」とて、奥の方へいざなはれたり。箴栗ふく友も来て、幾たびも/\吹あわせて、「法師は一向宗にやおはす。湯本にてきらひなく物まいるを見し」とて、いろ/\すゝむ。酔ほこり笙とり出てふく。「一向宗の一向一心に、一曲の妙得たまへり」とて、幾たびも倦ず感じ入りたり。む月過て、二月の三日と云より、こゝ立て、「能登の浦めぐり、いと寒しと聞く。さし出の磯の千鳥の声、八千代と鳴きをきゝて、この中の国のみ山の地獄見ん」とて、のぼる/\。いと高し。雪まだ深くて、「地獄はいづこぞ」と、二人のをとこ等に問ふ。「おそろしさに、ついに見ず」と云。足にまかせ、谷峯こえてめぐる/\。あやしき事なし。「いつはりとは聞しかど」とて、岩の雪はらひてやすむあいだに、影のやうなる者、二三人我前に来て、うらめしげ也。「餓鬼ならめ。物くはせん」とて、腰に付きたるを皆打払てあたふ。あつまりくらひてうれしげなる中に、笙とり出て高ねきたれば、おどろきてかきけちたり。「立山禅定のかいあり」とて、山をくだる。しん堂川の舟橋、雪解にもわたりあり。珍しくて、川の中央に立て立山よりみやるに、大なる木の根こじにて、流くだるが舟はくに打ちよせたり。「よき杖えたり」とて、やすく取上げて、橋の上つきならしこゆ。「これより大津のうき島見ん」とて、行手に、村雲に行あひたり。「いかに/\」と、かたみに云。「船のすまひをさぐられて、疵つきたれど命はのがれたり。此北越に冬ごもりして、山中に湯あみし、手足ゆるびたれば、又出たちし也」。「おのれ等は麓に宿とりて待て」とて、むら雲と二人のぼり行く、いたれば大なる沢に水鳥鳴きあそぶ中を、うかれて島二つたゞよひたり。又此岸よりもたゞ今と見るを、焚桧引とゞめて、「いざ乗れ。浮て遊ばん」と云。村雲飛のるをちからにまかせて出したり。「いかにするぞ」といへどこたへず。笙とり出て、喜春楽高く吹遊ぶ中、「いかに/\」といへどこたえず。打わらひて立行。あしたの朝戸出に、村雲行合いたり。「おのれ、恩しらずめ。命得させ、金百両あたへしには、『親ともたのみつる』と云しを忘れ、我を水上に離ちたる、ゆるすまじきを、今は思ふ所あれば」とて、つれ立行。城府に出たり。「これはなにがし殿の領したまひて、いと国豊かにて人多し。此家は、即富たり。『北陸道には並びなし』と云」と、月夜にかたる。石高く積し白壁きら/\しく、門たかく見入れ杳也。焚桧云、「我盗人と成ていまだ物とりたる事なし。こよひ、此家に入て試みん」とて、かなたこなたよく見めぐりて、酒肆に入、「酒あたゝめよ。四人が中に一斗買ん」と、先金とり出てあたへたり。あるじいとおどろきつれど、価くれつれば、いふまゝにあたゝめてよはす。「さか菜は」問へば、「山の物あり」とて、兎猪の宍むらあぶりて出す。飽までのみくらふほどに日入ぬ。「いざ」とて、又かの家めざして行。昼見しよりは、月の光に高くきら/\しく、「いづちより」とてはかりあふ。樊
云。「あの見るは、金納めたる蔵ならめ。軒をはかなれしかど、廊めぐらせてかよふと見ゆ。小猿、おのれぞ身かろし。こゝにこよ」といひて、高塀のもとに立て、小猿を肩にのぼらせ、内より垂たる松の枝にとりつかせたり。「枝つたひして庭に下り、此犬門ひらけ」と教ふ。をしへのまゝに庭におりて、犬門ひらかんとすれど、「二重に戸さし、黒金の鎖したゝかにて、明がたし」と内よりいふ。「石も人の積み、鎖も人の手しておろしたる物ぞ。おのれ等は盗人と名のりて、落ちこぼれたる物のみ拾ふか。月夜おのれも、松の枝よりくだりて、小猿めに力をそへよ」とて、又是も肩にのぼらせ、しづ枝によりつかせて、内に入たり。さて二人の者の力足らで、鎖あくる事えせず。時なかば過ぎれば、樊
いかりて、つみたる石垣の中に大なるが、土のすこしこぼれしひまに手入れて、「えい」と一声かけてぬきたり。「村雲、あとより入れ」と云て、こゝよりはひ入る。かの金蔵とおぼしきは、実によくしかまへて、「いづこより、いかんせん」と思ふ。しばしありて、「思ひめぐらせし」とて、廊の柱よりとりつきのぼりて、この屋根の軒より、鳥獣の飛如くに蔵のやねにうつりたり。上より、「おのれ等二人も柱より上がり来たれ。ここにはえうつらじ。此錫杖に取り付け」とて、さしおろす。二人もぬす人なれば、身かろくて廊のやねにのぼり、錫杖をたよりにて引上られたり。瓦四五枚とりすてゝ、屋の元つかたに木に打たる板、紙破る如く引放ちて、「人入べからず。かへれ」とて、二人をかいつかみて投おろす。夜更て、物の音おどろ/\しけれど、人の寝たる所には遠くて、驚きおきも来ず。上より火切て繩につけ、又ほり入たり。二人の者見めぐるにまことに金蔵也。二階よりはし子くだりてみれば、金銀入たる箱、あまたつみかさねたり。「金こそ」とて、一箱二箱肩にかけて、二階に上りたれど、「いかにせん」と云。はん
「そのあたりに繩などはなきや」といふ。見れば、苧綱の太きをつかね置たり。「是あり」と云。「それをおのれ等が中に一人、よくおのが身によくからみつけて、月夜はし子を二かいへ引き上させ、是を壁つひたてはひのぼる。「今すこし也」とて、心いるを、又、錫杖をさしのべて引上たり。「此綱をたよりにくゝり上よ」とて、月夜にいふ。「こころえし」とて、箱二つをよくからめて、「いざ」といふ。はん
つるべに水くむが如く、いと安げに引き上たり。 明けて見るに、二つに二千両納めたり。月夜も、又一つ上て、このたびは綱にからめて、蔵より釣おろす。むら雲おりあひて取おろす。さて、二人の者らを、また廊のやねにわたし、我は気をいりてや、蔵のやねより飛たり。いさゝかも疵つかで金箱荷はせて、石垣の穴より四人がはひ出て云。「はん
の御はたらき、いく度も修し得たるに似たり」とて、この箱の金とり出て、村雲に云。「ひや飯くはせ、金百両あたへし恩を、いかめしく『命得させし』といふよ。百両はもとより、冷飯の価ともに千両とれ。二人の者は五百両とれ。我は五百両を得ん」とて、をしげなきにむら雲はじめて伏したり。 夜は里はなれて明たり。はん
云。「四人つれたらん事、見とがめてん。おのれらは江戸に出よ。むら雲はいかに」と問ふ。「津軽の果まだ見ず。いざ」といへば、「我もしかこそ思ふ」とて、酒店に入て、別の盃めぐらす。はん
酔ぐるひして、「つたえ聞、から人は別に柳条を折とや。さらば」とて、この川に老たる柳の木を、「えい」と声かけてむきとりたり。「さていかにする事ぞ。しらず」とて、大道に投すてたり。酒屋のあるじ、恐れて物いはず。おくまで飲きひして、二人は江戸にと志す。村雲、千両の金とり納めん、今は恥ありとて、「半をかへさん」といへば、「多く得てせん。ぬすみはいとやすき者也。飢ばくらはん。むなしくは人の宝とらん。数多くは煩らはし」とて納めず。共にわら苞にして、背におひて行く。 日やう/\暮なん、やどるべき里なし。丘の上に、いと貧しげなる寺院あり。行てやどり乞。わかき病僧にて、「こゝには人やどりたり。あたふべき食なし。二十丁あゆめ。よき駅あり」と云。「くらはずともよし。寝ずもあらん。しらぬ道にまよはんよりは、一夜かせよ」とて、おし入て見れば、破たるさうじの奥にやどりたる人ありや。しは吹聞ゆ。小者一人外よりかへりたり。「米もとめこし」とて、岱おろす。二人が云。「この米価たかく買ん。売れ」とて、金一ひら投出す。「いな是は客人の米なり。このあたいもあたらず。汝たち一人ゆきて駅に出て買こよ。此米もこの主のとりに走らせしぞ」と云。聞わきて牀にのぼり、へだて明やりて見たれば、五十余のよはひの武士也。打わらひて、「二人はいとすくやかなる人々なり。こゝに居たまへ。夜すがら物がたりり聞ん。あるじは我甥子也。常に病ひして心よわし。飯たく事は我小者がせん。わかちてくらはん。べちになもとめそ」とて、心よしの詞に落ゐて、烟くゆらせ湯のみ物かたりす。武士云。「お僧はいともたけ%\しく、眼つきおそろし。大男はいかなるにや。ひたいに刀疵二ところ見ゆ。米の価わづかに金一両出されたるは、富貴の人の旅ゆくにもあらず。心はやりてばくち打、又、盗みしてあぶれあるくか」と問ふ。村雲答。「ぬす人也。よんべ幸ひ得て、金あまたのわらつとにあり。多きも煩はしとて、いかでつかい棄んとす」と云。「しか見たりき。男つき僧がら、寔に悪徒とこそ見ゆれ。命は塵灰にあぶれあるく。乱たる世にてあらば、豪傑の名とり、国を奪ひて敵をおそれしめん。いさまし」と云。はん
云。「ぬす人とても命は惜しきぞ。財宝は得やすく命はたもちがたし。百年の寿を盗む術しりたらば教へよ」とぞ。武士わらふ/\、「財宝かすめられたらん者のうらみなからんやは。おほやけにはしかる者捕らへんとて備へたり。人をも殺し盗あまたして、むくひの命百年と云事あるべからず。われき[く]、『盗人は罪をしりて、良民にはえ立かへらで、わかきほどに罪正されん事を覚悟よくす』とぞ。汝達は是に異なるか。乱世の英雄なり。されど治世久しければ、盗賊の罪科に処せられん。やめたりとも大罪ならばついにとらへらるべし。あだ口いひて戯るか」と云。はん
にらみつけて、「力身に余りたり。すでにもえとらへざりし事、度々ぞ。天命長くば、罪ありとものがれん」と云。むら雲が云。「老たる人也。念仏申て極楽参りねがふべし。此主僧もおい子と聞けば、一子九族生天とやらのこぼれ幸ひ得んとて、こゝにもやどりて念仏せらるゝよ」とて、嘲けりわらふ。「老たりとも武士なり。君につかへて忠誠の外に願ひなし。寿も天命にまかせて、長くとも短くともいかにせん。百年の寿をねがひて、こゝかしこと逃かくれ、安き地なくば夭亡の人に同じ」とぞ。 樊
「物争ひして無やく也。君に忠信の人の心がけを見ん」とて、面うたんとて手ふりあぐ。えかたで引たをされたり。「さては腕こきぞ」とて起上りて、立蹴にけらんとす。足をとらへて、このたびは横さまに投て、「えい」と声して、腋骨つよく当たり。あてられてえおきず。むら雲立代り錫杖にてうたんとす。打はづして右手をとられ動かせず。「おのれが面の刀疵、ニところあるは度々からきめにあひたる無術のぬす人也。此手はなちて見よ。おほやけには我如き人あまたありて、やすくとらへらるべし」とて、是も突たをす。手しびれたるにや、又え打ず。はん
うめき出て、「骨折れたり。にくき奴ぞ」とて、いかり声すれど力つきたり。武士打笑ひて、「いで夕食出来たりとぞ。くはせん」とて、はん
を引おこし、背より「う」といふて蹴たれば、やう/\起なをりたり。村雲は「手の筋たがひし」とて、つぶやきをる。是もとらへていかにかする。いたくおぼえし跡は常になほりたり。小者・主僧、手に夕めしはこび出づ。「おのれらには一椀づゝあたへん。牢獄の内を思ひしれ」とて、たかく盛たる飯、一わんづゝくれたり。口をしければくはず。さて、夜ふけて寝牀わかちてふす。あした起出たれば、「是いたむ所へはれ」とて、薬あたへたり。「是は有がたし」とて、おの/\いたゞきて張る。武士はあさげくひて立行んに、「此者共よ。主僧わかけれど病ひにつかれたる人也。武士の子なれば、術あれどかくしつゝみてせずぞあらん。いたみよくば一礼して、とくゆけ」とて、門に出づ。主僧おくり出て、「あの盗人等は篭の鳥に似たり。病つかれしかど手いたくせば、又骨たがへさせんものぞ。心安くおぼして出たまへ」と云。眼のたゞならずと見[る]に、やう/\昼かたぶきて飯の湯のにごりあたへられ、さきに出せし金一両をやどの代に出すれば、「盗みし金を法師の納めんやは」とて、目もおくらずして囲炉に柴くゆらせたり。おそろしくなりて物もいはで出ぬ。さて村雲が云。「何となく海を上りてこのかたは心おくれたり。本国に信濃にかへりて養なはん。江戸はすまひのむかしに見しられたれば危し」とて、こゝに手をわかつ。樊
も心さびしげに、「今はひとり奥羽のはて見んともなし。江戸に出て遊ばん」とて、又をちぎりて行。江戸に出しかど、れいの人あまた立つどふ所は心ゆかず。一日、雨いさゝか打そゝぐに、浅草寺に心ざして来たれば、けふといへども静ならず。あじろ笠深くかゞふりて、酒店に心ゆかぬほどに酔て、神鳴門に入たれば何事か人立さうどく。「盗人よ」とて、口々にいふ。「小猿・月夜等がこゝに危きや」といきて見れば、はた二人が手に血つきて、おのれらも刀打ふりたゝかふ也。若きさむらひ五六人が中に取かこみて、此五六人もいさゝかづつ疵かうむ[り]たり。市人寺院の内よりも、男ども棒とり%\に追とり巻。「不便也。助けえさせん」とて、人おし分て、「これはいかなる喧嘩ぞ」とて、しらぬ顔に問へば、「あの二人の盗人め。酒にゑひて若さむらひ達の懐をさぐりとりしを見あらはされ、屋しきへつれいきて殺さんとおしやる。のがれんとてぬき刀して一人に疵つけたり。皆一つれにておはせば、かく血にまみれて互に打あふ也」と云。「さらば」とて、ちかくより、「今はたがひに無やくのたゝかひ也。あつかはん」と云。小猿・月夜は力を得て、刀ぬきたるをかまへて樹下に立。侍等、「いな、かく我々も疵つきしかば帰るべき道無し。かれら首にしてかへり主の君にわびん。あつかひ言して法師も命損すな」とて聞入べくもあらず。「首は渠等が物也。ぬすみし物だにわきまへなば助けてとらせ。立まひあしくて盗人に疵つけられたるはおの/\不幸の事也。聞入ずば」とて、錫杖とりて二三人を一度に打倒す。「すは、ぬす人のかしら来たるは」とて、群がり逃るもあり。「打たをせ」「打ころせ」とて、棒はしの原よりしげし。「おのれ等眼なきか。我は修行者也。事聞分て人の命失なはせぬを、心なく云は共に打ちらさん」とて、錫杖に前にたつ七八人をうつほどに「あ」と叫んで、皆打たをる。さむらひは今はうろたへて、逃ゆくまゝにして、「二人の者らこよ」とて、腋にはさみて飛かけりゆく。人声のみさわがしくて追もこず。広き所へつれ行て、血をふき顔手足洗はせて取つくろひ、物だにいはせずして走りかけり行。江戸をはなれて見れば金つゝみし苞はなし。「おとせしにと思へど、かへりても得られまじ。おのれ等に損見る事、得させしも有まじ」と問へば、「博奕にまけ、遊所に酒の価に蒔つくしたれば、けふはかの侍がふところの物とりてこゝにあり。金あるまじけれど酒代ばかりは」とて、見れば、わづかに金一分あり。是にて、又酒かひ、ふぐと汁くひあきて、「江戸には出がたし」とて、東をさして行く。下野の那須野の原に日入たり。小猿・月夜云。「此野は道ちまたにて、くらき夜にはまよふ事、既にありき。こゝにしばらく休みたまへ。あなひ見てこん」とて、走りゆく。「殺生石とて毒あり」と云石の垣のくづれたるに火切てたきほこらしをる。僧一人来たる。目もおとさで過るさまにくし。「法師よ。物あらばくはせよ。旅費あらばおきてゆけ。むなしくは通さじ」と云。法し立とゞまりて、「こゝに金一分あり。とらせん。くふ物はもたず」とて、はだか金を樊
が手にわたして、かへりもせず、行。「行さきにて若き者等二人立べし。『はん
にあひて物おくりし』といふて過よ」と云。「応」とこたへて、足しづかにあゆみたり。片時にはまだならじと思ふに、僧立かへりて、「はん
おはすか。我発心のはじめよりいつはり云ざるに、ふと物をしくて今一分のこしたる心清からず。是をもあたふぞ」とて、取あたふ。手にすゑしかば、只心さむくなりて、「かく直き法師あり。我親兄をころし、多くの人を損ひ、盗して世にある事あさまし/\」と、しきりに思ひなりて、法師にむかひ、「御徳に心あらたまり、今は御弟子となり、行ひの道に入ん」と云。法師感じて、「いとよし。こよ」とて、つれだち行。小さる・月夜出きたる。「おのれ等いづこにも走り、いかにもなれ。我はこの法しの弟子と成て修業せん。襟もとの虱、身につくまじ。又あふまじきぞ」とて、目おこせて別れゆく。「無やくの子供等は捨よかし。懴悔行々聞ん」とて、さきに立たり。この物がたりは、みちのくに古寺の大和尚八十よのよはひして、「けふ終らん」とて、湯あみし衣あらため、倚子に坐し目を閉て仏名をさへとなへず。侍者・客僧等すゝみて申。「いとたふとし、遺偈一章しめしたまへ」と申。「遺偈と云は皆いつわり也。まことの事かたりて命終らん。我ははうきの国にうまれて、しか%\の悪徒なりし。ふと思ひ入て今日にいたる。釈迦・達磨も我もひとつ心にて曇りはなきぞ」とて死たりとぞ。「心をさむれば誰も仏心也。放てば妖魔」とは、此はん
の事なりけり。