Harusame Monogatari: Tomioka manuscript
Ueda, Akinari
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1998
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About the Print Edition
Harusame Monogatari: Tomioka manuscript Ueda Akinari Zenshu, vol. 8
Akinari Ueda
Editor Nakamura Yukihiko
Chuo Koronsha: Tokyo, 1993
Prepared for the University of Virginia Library Electronic Text Center.
春雨物がたり
はるさめけふ幾日、しづかにておもしろ。れいの筆研とう出たれど、思めぐらすに、いふべき事もなし。物かたりざまのまねびはうひ事也。されどおのが世の山がつめきたるには、何をかかたり出ん。むかし此頃の事どもも人に欺かれしを、我又いつはりとしらで人をあざむく。よしやよし、寓ごとかたりつゞけて、ふみとおしいたゞかする人もあればとて、物いひつゞくれば、猶春さめはふる/\
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血かたびら
天のおし國高日子の天皇、開初より五十一代の大まつり事きこしめしたまへば、五畿七道水旱無く、民腹をうちて豊としうたひ、良禽木をえらばず巣くひて、大同の佳運記傳のはかせ字をえらびて奏聞す。登極あらせてほどもなく、太弟神野親王を春の<宮>つくらして遷させ、是は先だいの御寵愛殊なりしによりて也けり。太弟聰明にて、君としてためしなく、和漢の典籍にわたらせたまひ、草隷もろこし人の推いたゞき乞もてかへりしとぞ。此時、唐は憲宗の代にして、徳の隣に通ひ来たり。新羅の哀荘王、いにしへの跡とめて、数十艘の貢物たてまつる。天皇善柔のさがにましませれば、はやく春の宮に御くらゐゆづらまく、内々さたしたまふを、大臣参議「さる事しばし」とて、推とゞめたてまつる。一夜、夢見たまへり。先帝のおほん高らかに
けさの朝け鳴なる鹿の其聲を聞ずはゆかじ夜のふけぬとに
打傾きて、御歌のこゝろおぼししりたまへりき。又の夜、先だいの御使あり。早良の親王の霊かし原の御墓に参りて罪を謝す。只おのが後なき事をうたへなげくと申て、使は去ぬ。是はみ心のたよわさにあだ夢ぞとおぼししらせたまへど、崇道天皇と尊號おくらせたまひき。法師かんなぎ等祭壇に昇りて、加持まいらせはらへしたり。侍臣藤原の仲成、いもうとの薬子等卜す。夢に六のけぢめを云。よきあしきに数定まらんやは。御心の直きにあしき神のよりつくぞと申して、出雲の廣成におほせて、御薬てうぜさせたいまつる。又参議の臣達はかり合せて、こゝかしこの神やしろ大てらの御使あり。又伯岐の國に世をさけたる玄賓召て、御加持まいらす。此法師は、僧都になし昇したまひしかど、一族弓削の道鏡が暴悪をけがらはしとて、山深くこゝかしこに住て、行ひたりけり。七日、朝廷に立て、妖魔をやらひしとて、御いとまたまはれと申す。み心すが/\しくならせたまひしかば、猶参れとみことのらせしかど、思ふ所やある、又も遠きにかへりぬ。仲成外臣を遠ざけんとはかりては、薬子と心あはせ、なぐさめたいまつる。よからぬ事も打ゑみて、是が心をもとらせ給ぬ。夜ひ/\の御宴のうた垣、八重めぐらせ遊ばせたまふ。御製をうたひあぐる。其歌、
棹鹿はよるこそ来なけおく露は霜結ばねは朕わかゆ也
御かはらけとらせたまへば、薬子扇とりて立まふ。
三輪の殿の神の戸を押しひらかすもよ、いく久/\
と、袖かへしてことほぎたいまつる。御こゝろすが/\しく、朝まつりごと怠らせ給はず。太弟の才學長じたまふを忌て、みそかにしらし奏する人もありけり。みかど獨ごたせ給ふ。皇祖酋矛とりて道ひらかせ、弓箭みとらして、仇うちしたまふより、十つぎの崇神の御時までは、しるすに事なかりしにや、養老の紀に見る所無し。儒道わたりて、さかしき教にあしきを撓むかと見れば、又枉て言を巧みにし、代々さかゆくまゝに静ならず。朕はふみよむ事うとければ、たゞ直きをつとめんとおほす。一日、太虚に雲なく風枝を鳴さぬに、空にとゞろく音す。空海参りあひて、念珠おしすり、呪文たからかにぞとなふるに、即、地に堕たり。あやし、蛮人車に乗てかける也。捕へて櫃にこめ、難波穿江に沈めさせ、忌部の濱成、おちし所の土三尺をほらせて、神やらひ、をらび聲高らか也。一日、皇太弟柏原のみさゝぎに参りて、密旨の奏文さゝげまつらす。何の御心とも、誰つたふべきに非ず。天皇も一日みはかまうでし給ふ。百官百司、みさき追ひあとべに備ふ。左右の大将中将、おん車のをちこちに、弓矢取しばり、御はかせきらびやかに帯たまへり。百取の机に、幣帛うづまさにつみはえ、堅樹の枝に色こきまぜてとり掛たる。神代の事もおもはるゝ也けり。雅楽寮の左右の人人立なみて、三くさの笛鼓の音、面白しと心なきよぼろさへ耳傾たりけり。怪し、うしろの山より黒き雲きり立昇りて、雨ふらねど年の夜のくらきにひとし。いそぎ鳳輦にて、我も/\と、あまたのよぼろ等のみならず、取つぎて、左右の大中将、つらを乱してそなへたり。還御たからかに申せば、大伴の氏人開門す。御常にあらじとて、くす師等いそぎ参りて、御薬調じ奉るに、兼ておぼす御國譲りのさがにやとおぼしのどめて、更に御なやみ無し。御かはらけ参る。栗栖野の流の小
に、わらびの岡の蕨とりくはへて、鱠や何やすゝめたいまつる。みけしきよくてぞ。夜に月出、ほとゝぎす一二聲鳴わたるを聞せたまひて、大とのごもらせたまひぬ。空海あした参る。問せたまへるは、三皇五帝は遠し。其後の物がたり申せとなん。空海申す。いづれの國か教へに開くべき。三隅の網一隅我に来たれと云しが私の始なり。たゞ/\御心の直くましませば、まゝにおぼし知たまへとぞ。日出て興、日入て臥。飢てはくらひ、渇してのむ。民の心にわたくしなしとぞ」。打うなづかせ給ひて、「よし/\」とみことのらす。太弟参りたまへり。御物がたり久し。のたまはくは、周は八百年漢四百年、いかにすればか長かりしとぞ。太弟さかしくましませば、御心をはかりてこたへたまはく。長しといへども、周は七十年にて漸衰ふ。漢家も又、高祖の骨いまだ冷ぬに、呂氏の乱おこる。つゝしみの怠りにもあらずと答たまふ。さらば天の時か。天とは日々に照しませる皇祖の御國也。儒士等、天とは即あめを指かと聞けば、命禄也と云。又数のかぎりにもいへり。是は多端也。佛氏は天帝も我に冠かたふけて聽せたまふと申す。あな煩はしと。太弟御こたへなくてまかん出たまへり。あした御國ゆづりの宣旨くだる。故さとゝなりし平城におり居させたまはんとぞ。元明よりせん帝にいたるまで、七代の宮所なりしかば、昔は宮殿のありしさまを、咲花のにほふか如く今さかり也とよみしをおぼし出たまひ、そこにと定たまへりき。日をえらびてけふ出させたまへり。宇治にいたりて、鸞輿しばしとゞめさせて、河づらをながめて、おほんよませ給へる。
ものゝふよ此橋板のたひらけくかよひてつかへ萬代までに
是をうた人等七たびうたひ上る。網代の波はけふ見ねど、千代/\と鳴鳥は河洲に群ゐるをとて、又御かはらけめす。薬子れいに
まいらす。所につけてよめとおほせたうぶ。薬子先よむ。
朝日山にほへる空はきのふにて衣手さむし宇治の川波
と申せば、河風はすゞしくこそ吹けとて、打ゑませたまふ。左中将藤原の惟成よむ。
君がけふ朝川わたるよど瀬なく我はつかへん世をうぢならで
兵部太輔橘の三継よむ。
妹に似る花としいへばとく来ても見てまし物を岸の山振
それは橘の小嶌が崎ならずや。飛鳥の故さとの草香部の太子の宮居ありし所よとおほせたまふ。猶多かりしかど忘れたり。奈良坂にて御ゆふげまゐる。この手がし葉はいづれとゝはせ給。それは二おもてにて、心ねぢけたる人にたとへし忌こと也。御供つかふまつる臣達、いかで二おもならんと申。よしとのたまひて、古宮に夜に入て入せたまひぬ。あした、御簾かゝげさせて、見はるかさせたまへり。東は春日・高圓・三輪山、みんなみは鷹むち山をかぎり、西は葛城やたかんまの山・生駒ふた神の峯々、青墻なせり。むべも開初より宮居こゝと定めたまひしを、せんだいのいかさまにおぼして、北に遷らせ給しと、ひとりごたせ給ふ。北は元明・元正・聖武の御墓立并びたまひたりと申せば、杳にふし拝みしたまへり。大寺の甍たかく、層塔数をかぞへさせ給。城市の家どもゝまた今の都にうつりはてねば、故さと<ゝ>もあらぬたゝずまひ也。東大寺の毘盧舎那佛拝まんとて、先出させ給、見上させたまひて、思ふに過し御かたち也。西の国のはてに生れて、此陸奥のこがね花に光そへさせ給ふとぞ。いぶかしとおほせたまへば、近く参りたる法師が申す。是は華厳と申御経にとかせし御かたち也。如来のへん化、天にあらせれば虚空にせはだかり、又芥子の中にも所えさするよしに申たり。肖像はこゝにも渡せし。御足の裏に開元の年號あるが、三たびの御うつし姿にて、五尺に過させしをまこととはたのみ奉ると申。露御こたへなくて、たゞたがはせで、物いひたまはず。此<御>本じやうこそたふとけれ。薬子・仲成等、あしくためんとするには、御烏帽子かたふけてのみおはすがいとほしき。御臺まいらす。よくきこしをして、難波の蜑がみつぐは、こゝも近きかとぞ。くすり子申す。かしこに都あらせし帝は、御父の弟御子を立て日嗣とは定たまひしかば、神去たまひては、兄み子打もだし宇治につかふまつり給ふを、兎遲のみ子は、我、兄に踰て登極せん事、聖の道にあらずとて、譲たまへど、否、既に日継のみ子とは、君を定たまひしぞとて、三とせまで相ゆづりて、御座むなしかりしかば、弟み子はついに刄にふして世をさらせしとぞ。難波の蜑等貢く真魚は、をちこちさまよひて、道にくされたりしとぞ。蜑なれや、おのが物からもていさつとなんかたりつたへたる。兄のみ子いかにせん、御位に昇らせしを、聖王と申たてまつり[る]、御名は世々にありがたく申つたへたりき。君わづかに四とせにており居させたまへば、臣も民も望失ひて、かなしと申とぞ。今の帝はもろこしのふみ讀て、かしこの纂ひかはるあしきを試みさせしよと申す。あなかまとせいし給ふ。いな、こゝにつかふまつる臣達は、今一たび、たひらの宮を都として、御くらゐにかへらせん事をこそねぎ奉ると申。太弟に心かよはす奈良坂の人も有て、聞ひらし、あなとぞさゝめきたりし。仲成是につきて、君の下居はしばしの御悩み也と申て、御即位又あらせたまへ。今上の御心にたがはゞ、我兵衛のかみ也。奈ら山、泉川に軍だちして、稜威しめさんとぞ申。又、市町のわらべがうたふに、
花は南に先さくものを、雪の北窓心さむしも
とうたふが、北に聞えて、平城の近臣をめして、推問はせたまへば、是は薬子・仲成等がすゝめまいらす事也。此春のむ月のついたちに、れいのみ薬まいらすに、屠蘓白散をのみすゝめて、度嶂さん奉らず。いかにとゝはせしかば、君、峭壁をこえさせまじきに。奈良坂たひらなれど、青垣山の外の重の山路也。この御墻の内だに、こと/\は貢物たてまつらぬ。悲し/\とて、涙を袖につゝみもらしたり。此時御前に侍りて聞し外は、正しき事しらず侍る。聖代に生れあひて、誰かは兵杖を思ふべきと申す。さらばとて、即官兵を遣はされて、仲成をとらへて首刎させ、那羅坂に梟させ、薬子は家におろさせてこめをらす。又御子の高丘親王は、今の帝の、上皇の御心とりて、儲の君と定たまひしを、停めさせて、僧になれと宣旨あれば、親王かしらを薙ぎ、改名して真如と申奉る。三論を道詮に学び、真言の密旨を空海に習たまひ、猶奥あらばやとて、貞観三年唐土にわたり、行々葱嶺をこえ、羅越國にいたり、御心ゆくまで問学びて、帰朝ありしとぞ。此皇太子の御代しらせたまはゞやと、みそかには上下申あへりきと也。薬子おのれが罪はくやまずして、怨氣ほむらなし、ついに刄に伏て死ぬ。此血の帳かたびらに飛走りそゝぎて、ぬれ/\と乾かず。たけき若者は弓に射れどなびかず。劔にうてば刃缺こぼれて、たゞおそろしさのみまさりしとなん。上皇にはかたくしろしめさゞる事なれど、たゞあやまりつとて、御みづからおぼし立て、みぐしおろし、御齢五十二と云まで、世にはおはせしとなん、史にしるしたりける。
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天津處女
嵯峨のみかどの英才、君としてた□□□□れば、御代押知らせたまひし也。萬機をこゝろみたまふに、唐土のかしこきふみどもを取え<ら>びて行はせたまへば、御世はたゞ國つちも改りたるやうになん人申す。皇女の御すさびにさへ、木にもあらず艸にもあらぬ竹のよの又は、毛を吹疵をなど、口つきこは/\しくて、國ぶりの歌よむ人は、おのづから口閉てぞありき。上皇わづかに四とせにており居させたまひしを、下なげきする人も少からず[ざりき]。今一たび取かへさまほしくおぼしおぼしぬらんと、ひたいあつめて申あへりとぞ。嵯峨のみかどもおぼしやらせて、御弟の大伴の皇子を太子に定たまひて、上皇をなぐさめたまへるは、是ぞたふとき叡慮ぞと人申す。やがて御位おりゐさせて、さが野といふ山陰に、茅茨剪らずのためしして、うつらせたまへりき。是は、先帝の平城の結構を、この邦にては例無し、瑞籬ふし垣の宮居にかへさせしなるべし。されど長岡はあまりに狭くて、王臣たち家を奈良にとゞめて、通ひてつかふまつるもあり。民はまいてなりしかば、是はあやまりつとおぼして、今のたひらの宮を作らせてうつらせたまふ也。土を均して百しきついたて、豊岩真戸、くし岩窓の神々にねぎことうけひて、うつらせしかど、人の心は花にのみうつり栄ゆる物なれば、いつしか王臣の家、殿堂の大いさ、奈良の古きに復させたまへば、老たる物知は、賈誼が三代のいにしへをしのびて、まつり事あらためさせよと申せしを、賢臣等いさめ奉しはまこと也けりと、漢書のそれの巻さぐり出て、今をあをぎたてまつりしとなん。上皇おり居の宮に、わかう花やぎたまへば、たゞ参る者に、もろこしのふみよめとすゝめたうぶ。草隷よく学得させたまひて、多く海舶の便に求えらばせし中に、空海を召て、是見よ。王羲之がまことの筆也と、しめしたまへば、おろして見奉り、是は空海がかしこに在中に手習し跡也。是見たまへとて、紙のうらをすこしそぎて見せ奉しに、海が筆としるし置たるに、御ことなくて、ねたくやおぼし成にけん。空海は手よく書て、五筆和上といひしは、書體さま/\に書わかちけんかし。後に淳和皇太弟受禅したまひて、後に淳和てんわうと申奉りしは此御代也。元を天長と改めたまふ。奈良の上皇はこの秋七月に雲隠させたまへば、是を平城天皇と尊號おくり奉たまへりき。嵯峨の上皇の職度にあらたまりては、法令事しげく、儒教もはらに取用ひさせたまへり。されど佛法は専らおとろへずして、君の上に此御佛のたゝせたまへるよとて、堂塔年なみに建ならび、博文有験の僧等つかさ人に同じく、朝には立ねど、まつり事をさへ時々奏したれば、おのづから彼をしへに引導せられたまふ事も少からずぞ有ける。いかなれば、佛法の冥福をかうふらせたまひて、如来の大智の網にこめられたまふよと、下なげきする人もありけり。中納言清丸の高雄山の神願寺は、妖僧道鏡きほひて、宇佐の神勅を矯さするに、清万侶あからさまに奏せしかば、怒りて一たびは因幡の員外の介におとせしかど、猶飽たらずして庶人にくだし、大隅の国に適せしむ。忠誠の志よきに、称徳崩御の後に召かへされしかど、やゝ老にいたりて、中納言に挙られたり。本國の備前にくだりて、水害を除き、民を安きに置れし功労もありしかどゝて、いとほしと申さぬ人もなかりし。神徳の報恩の寺な也とて、後に神護寺と改めし事、命禄の薄きをいかにせん。今上の皇太子正良、御くらゐ受させたまひて、淳和の帝ほどなくおりゐさせて、ためしなき上皇御二方と申事、から國にもきかぬためし也と申す。天皇仁明と尊崇し奉りて、紀元を承和と改めたまふ。佛道は猶さかんなる事恠しむべし。儒教も相並びて行はるゝに似たれど、車の片輪のいさゝか缺そこなひて足遲き如し。さて政令は唐朝のさかんなるを羨みたまひ、ついの御心は驕に伏したまひたりき。良峯の宗貞といふ、六位の蔵人なるが、才学ある者にて、帝の御心に叶ひちかう召まつはさせ、時々文よめ歌よめと御あはれみかうふりしかば、いつとなく朝政もみそかに問きゝ給へるとぞ。宗貞さかしくて、まつり事はかたはしばかりも御答申さず。たゞ御遊びにつきし事どもを、しかせしためしなど、御心をとりて申す。色このむ男にて、花々しき事をなん好みけるが、年毎の豊の明りの舞姫の数をすゝめてくはへせし。是は、清見原の天皇のよし野に世を避たまひしが、御國しらすべきさがにて、天女五人天くだりて[し]、舞妓をなぐさめ奉しためしなれば、五人のをとめこそ古き例なれと申す。同じく色このませしかば、ことしの冬を初めに宣旨くだりて、花さかせたまへりけり。大臣・納言の人々の、御むすめたちつくりみがゝせて、御目うつらばやとしかまへたりき。ながめ捨させたまふはいかにせん。伊勢・加茂のいつきの宮のためしに、老ゆくまでこめられはてたまひき。國ぶりの歌此み代より又さかえ出て、宗貞につぎて、ふんやの康秀・大友の黒主・喜撰などいふ上手出て、又女がたにも、伊勢・小町、いにしへならぬ姿をよみて、名を後にもつたへたりき。帝五八の御賀に、興福寺の僧がよみて奉しを見そなはして、長歌は今僧徒にのこりしよと、おほせありしとぞ。今見ればよくもあらぬを、そのかみは珍らしければにや。人丸・赤人・億良・金村・家持卿の手ぶりは、しらぬ物にぞみえける。或時、空海に問せたまへる。欽明・推古の御時より、経典しき/\にわたりても、猶一切の御経には数たらぬとぞ。汝が真言の咒はいかにと。空海こたへ申さく、経典は、たとへば醫士の素難の旨を学び、運氣・六経をさとりたるに同じ。我咒術は黄耆・人侵・附子・大黄の功有をえらびて、因より症をしたがひ[しり]て、病さぐりて病癒しむるに似たり。車の二つ輪、相ならびて道はゆかんと申す。禄たまひて、うなづかせたまへりき。みかど、宗貞が色このみてあざれあるくを、あらはさんとて、後凉殿のはしの間の簾のもとに、衣かづきてしのびやかにあらすを、宗貞たばかりたまふともしらで、御袖ひかへたれば、御こたへなし。哥よみてしのびに、
山吹の花色衣ぬしや誰とへどこたへず口なしにして
と申す。帝きぬゝぎて見あひたまへり。おどろきまどひて迯るを、たゞ参れと召たまひて、御けしきよし。もろこしに、桃の子くひつみしを、是めせ。味いとよしとて奉りしを、忠誠の者に召まつはせしためしになん。山吹を口なし色とは、此哥をぞはじめ也ける。淳和のきさいの宮、今、太皇后にてましませり。橘の清友のおとゞの御むすめ也。圓提寺の僧奏問す。橘の氏の神を我寺に祭るべしと、先帝の夢の御告ありしとぞ。帝さる事にゆるさまくおぼすを、太后の宮聞し召て、外戚の家なり。國家の大祭にあづからしむるは、かへりて非禮也とて、ゆるさせたまはざりし也。葛野川のべ、今の梅の宮のまつりは是也。かく男さびたまへば、宗貞がさがのよからぬを、ひそかににくませたまひしとぞ。伴の健岑・橘の逸勢等、さがの上皇の諒闇の御つゝしみの時に乗て謀反ある事を、阿保親王のもれ聞て、朝廷にあらはしたまへば、官兵即いたりて搦めとる。太后是をも、逸勢が氏のけがれをなすとて、重く刑せよと、ひとりごたせたまひ<し>とぞ。太子は此反逆のぬしに名付られて、僧となり、名を恒寂と申たまへる也。嗟乎、受禅廃立のあしきためしは、もろこしの文に見えて、是にならはせたまふよとて、憎む人多かりけり。帝は嘉祥三年に崩御ありて、御陵墓を紀伊の郡深草山につきて、はふり奉るなべに、深くさの帝とは申奉也けり。みはうぶりの夜より、宗貞行へしらず失ぬ。是は太后・大臣の御にくみを恐れて也。殉死といふ事今は停めさせしかど、此人生て在まじきに、人はいひあへりける。衣だに着ず、蓑笠に身をやつして、こゝかしこ行ひありきける。清水寺にこもりて在る夜、小町もこよひ局して念じあかすに、となりの方に経よむ聲凡ならざりし、もしや宗貞ならんかとて、哥よみてもたせてやる。石の上に旅ねはすれば肌さむし苔の衣を我にかさなん宗貞の法師この紙のうらに、墨つぼの墨してかきてやるは、手を見れば小町なりけりとしりて也。世をすてし苔のころもはたゞひとへかさねて薄しいざ二人ねむかく云て、そこをはやく立去ぬ。小町さればこそとて、おかしく思ひ、五条の太后の宮に見せたてまつる。せんだいの御かたみの者よとて、さがしもとめさする時也。いかでとゞめざると、打うめかせたまひぬとぞ。内つ国のこゝかしこにす行しあるけば、ついにあらはされて、内にしき/\参りたりき。又時の帝の、才有者ぞとて、しきりになし昇し、僧正位にすゝめたまふ。遍昭と名は改たりき。これも修行の徳にはあらで、冥福の人なるべし。をのこ子二人、兄の弘延はおほやけにつかへて、かしこき人なりけり。弟は、法師の子はほうしになれとて、髪おろさせ、素性と申せしは此人也。哥のほまれ父に次て聞たりしかど、時々よからぬ世ごゝろのありしは、心より發せし道心にあらざれば也。僧正花山と云所に寺つくりて、おこなひよく終らせたまへりとぞ。仏の道こそいと/\あやしけれ。世を捨し始の心に似ずして、色よき衣から錦の袈裟まとひ、車とゞろかせ、内に参りし事、かにかくに人のよしあしは稟得たるおのがさち/\といふ人ありき。御みづからもしか思されぬらんかし。
Sasshi | Gonen
海賊
紀の朝臣つらゆき、土佐守にて五とせの任はてゝ、承和それの年十二月それの日、都にまうのぼらせたまふ。國人のしたしきかぎりは、名残をしみて悲しがる。民も昔よりかゝる守のあらせたまふを聞ずとて、父母の別れに泣子ならてしたひなげく。出舟のほども、人々こゝかしこ追来て酒よき物さゝげきて、哥よみかはすべくする人もあり。船は、風のしたかはずして、思の外に日を経るほどに、海賊うらみありて追くと云。安き心こそなけれ、たゞ/\たひらかに宮古へ、朝ゆふ海の神にぬさ散して、ねぎたいまつる。舟の中の人々こぞりてわたの底を拝みす。いづみの國までと舟長が云に、くだりし所々はなかめ捨て、さる國の名おほえず、今はたゞ和泉のくにとのみとなふる也けり。守夫婦は、國にて失ひしいとし子のなきをのみいひつゝ、都に心はさせれど、跡にも忘られぬ事のあるぞ悲しき。こゝいづみの國と、船長が聞しらすにぞ、舟の人皆生出て、先、落居たり。嬉しき事限なし。こゝに釣ぶねかとおぼしき木葉のやうなるが散来て、我船に漕よせ、苫上て出る男、聲をかけ、前の土左守殿のみ舟に、たいめたまはるべき事ありとて追来たると、聲あらゝかに云。何事ぞといへば、國を出させしよりおひくれど、風波の荒きにえおはずして、今日なんたいめたまはるべしと云。すはさればこそ海ぞくの追来たるよとて、さわぎたつ。つらゆき舟屋かたの上に出たまひて、なぞ、此男我に物いはんと云やとのたまへば、是はいたづら事也。しかれども波の上へだてゝは、聲を風がとりてかひなし。ゆるさせよとて、翅ある如くに吾ふねに飛乗る。見ればいとむさ/\しき男の。腰に廣刃の劔おびて、恐し氣なる眼つきしたり。朝臣けしきよくて、八重の汐路をしのぎて、こゝまで来たるは何事と、ゝはせたまへば、帯たるつるぎ取棄て、おのが舟に抛入たり。さて申すは、海ぞく也とて、仇すべき事おぼししらせたまはねば、打ゆるひて、物答へて聞せよ。君が國に、五歳のあいだ、參らんとおもひしかど、竺紫九國、山陽道の国の守等が怠りを見聞て、其をちこちしあるきて、けふに成たる也。海賊は心をさなき者にて、君が国能守らすのみならず、あさましく貧しき山國にて、あぶるゝにたよりなければ、余所にして怠りたるにぞ。都の御たちへ參るべけれど、こと/\しく、且、人に見知られたれば、世狭くて、とにかくに紛れあるくなり[とぞ]。さて問まゐらすは、延喜五年に勅を奉りて、國ぶりの歌撰びて奉りし中に、君こそ長[1]たれと聞。續万葉集の題號は、昔の誰があつめしともしらぬに次れしなるべし。是はよし。題の心をきけば、萬は多数の義とは是もよし。葉は後漢の劉煕が釋名に歌は柯也。いふ意は人の声あるや、草木の柯葉有が如しとぞ。是はいかにぞや。人の聲には、喜怒哀楽につきて、聞によろこぶべく、悲しむべきかあり。故に聲に長短緩急有て、うたふにしらべとゝのはぬがあり。草木の枝葉の風に音するも、はやちならば、誰かはあはれと聞べき。さて柯葉とのみにてはことわり足ず。そのかみの人、わづかに釋名につきて字を解く。人の愚なるにもあらで、かく心をあやまりしが世の姿也。同じ代にも、許愼が説文には、歌は詠也と云しは、舜典に、歌は永言也と有を、よん所として云しはよし。字を解くさへに道の教のさま/\なるを思へ。ぬしが序に、やまとうたはひとつ心を種として、よろづの言の葉となれると云しは、文めきたれど明かに誤りつ。言・語・詞・辞はこと/\ことゝよむより他無し。言のは、ことばともいひし例なし釈名によりて題のこゝろを助くるとも、古言にたがふ罪國ぶりの歌にも文にも見ゆるすまじきを、大臣参議の人々、己が任にあづからねば、よそめつかひて有しなるべし。又、歌に六義ありと云は、唐土にても偽妄の説ぞ。三義三體といはゞゆるすべし。それも数の定有べきにあらず。喜怒哀楽の情のあまたに別れては、幾らならん。かぞふるもいたづら事也。濱成が和歌式に云は、十體也と云も、同じ浅はか事也。汝は歌よくよめど、古言の心もしらぬから、帝さへもあやまらせ奉るよ。又大寶の令に、もろこしの定めに習ひて、法を立られし後は、人の道に良媒なきは、犬猫のいどみ争ふものに、必乱るましく事立られしを、歌よしとて、教にたがへるを集め、人のめに心をよせては、しのびあひ、見とがめられたりとて出ゆく別の袖の泪川、聞にくきをまでえらびて奉りしは、政令にたがふ也。さらば罪は同じき者ぞ。戀の部とて五巻まで多かるは、いたづら事のつゝしみなき也。淫奔の事、神代のむかしは、兄妹相思ひても、情のまことぞとて、其罪にあらざりし。人の代となりて、儒教さかんに成んたりしかば、夫婦別あり、又他姓を娶らずと云は、外国のさかしきをまでえらび給しならはせ也。さらば、清凉、後凉の造立はありし也。かの国にても、始は同姓ならで相近よるべからぬを、國さかえて、他姓とも交り篤くして、境をひろめ、人多く産べき便の為なりしかば、是を必よき事とはしたる也。歌さかしくよむとも、撰びし四人の筆あやまりしは、学文なくてたがへる也。菅相公ひとりにくませおはせしかど、やがて外藩におとされたまひしかば、御咎なかりしなるべし。延喜を聖代といふも、阿諛の言ぞ。君も御眼くらくて、博覧の忠臣をば黜けさせ給ふ世なり。三善の清行こそ、いさゝかもたがへずしてつかふまつるをば、参議式部卿にて停められし、選挙の道暗し。意見封事十二条は文もよく、事共も聞べかりけるを、たゞ/\学者は古轍をふみたがへじとて、頑愚の言もある也。第一條に、齊明天皇西征の時、吉備の國を過たまふに、人烟いとにぎはしき里在。誰すみて、いかなる所ぞと、御問ありしかば、里の長こたへ申。ちかき比、年に月に人多く住つきて、今は幾万人か住たる。若軍民を召れなば、二萬の兵士は奉べしと云。さは、此のち里の名を二万の里と申せとありしに、延喜の頃には、国の守がかぞへしかば、幾人も出すべくもあらぬ者に数へしと云を、栄枯地を易ると云を思はず、國の為に患しは愚也。いづくに棲うつりて榮ゆらん。是はいたづら事也。人民は利益損益につきてうつる事、蜂の巣をくみかへるに同じ。又學問の事は、大臣公卿のつとめにて、翰林の士才高しともすゝむべきに定まらず。是、此国の俗習也。学校にあつまる童形の君に讀書たてまつり、文の意を解く道ひらき申のみなるを思はずして、朝政の時々に改りて、この時学寮は坎
の府、凍餒の舎と打歎くも、心ゆかざりし也。又播磨のいなみ野の魚住の泊は、行基が、此間遠し。舟とまりの便よからずとて造りし也。其後に度々風波につき崩されしは、天造にたがへる者から、ついの世に益有まじ。惻隠の心あるも、むなしきものから、朝廷には見放ちておかせたまひしなるべし。是等、聖教にあらぬ老婆心にてこそあれ。かく至らぬ事どもは、塩梅の臣の任にあらず。我は詩つくり歌よまざれど、文よむ事を好みて、人にほこりにくまれ、遂に酒のみだれに罪かうふり、追やらはれし後は、海にうかびわたらひす。人の財を我たからとし、酒のみ肉くらひ、かくてあらば、百年の壽はたもつべし。歌よみて道とのゝしる輩ならねば、物とへ。猶云ん。咽かはく。酒ふるまへと云。酒な物とりそへてあたふ。飽までくらひのみ、今は興尽たり。木偶殿よ、暇申さんとて、おのが舟に飛うつり、舷たゝいて、やんらめでたと聲たかくうたふ。つらゆきの舟も、もうそろ/\とふな子等がうたひつるゝ。海ぞくが舟は、はやいづに漕かくれ[る]て、跡しら波とぞ成にけエり。都にかへりて後にも、誰ともしらぬ者の文もて来て、投入てかへりぬ。披き見れば、菅相公の論云事、手はおに/\しくて清からねど、ことわり正しげにろうじたり。よむに、
□哉菅公、生而得人望、死而耀神威、自古惟一人已。曽聞、君子無幸而有不幸、小人有□而有不幸。如公則、有徳而非□。然亦不幸貶于外藩。其所以不冤者、蓋遇君臣刻賊之天運、而不能致仕以令其終。又罵辱藤菅根、而結其冤、不挙三清公、人以為私。且不納其革命之諌、抑非求之乎。清公之言云、「明季辛酉、運當命革、二月建卯、将動干戈。遭凶衝禍、雖未知誰是、引弩射市、當中薄命。自翰林超昇槐位者、吉備公之外、無復與美、伏冀知其止、則足察其栄分。」由是思之、吉公當妖僧立朝之□、持大器而不傾殆、建勃平之勲矣。今也、公以朝之寵遇道之光
、与左相公有□、終所貶黜。故雖兼幸、亦不免不幸也。然生而得人望、死而耀神威。有徳之餘烈、可見、赫々然于萬世矣哉。
言のこは/\しき、ほしきまゝなる、かの海賊が文としらる。又副書あり。前のたいめに云べき事を、言にあまりてもらしつ。汝が名、以一貫之と云語をとりたる者とはしらる。さらば、つらぬきとよむべけれ。之は助音、こゝには意ある事無し。之の字ゆきとよむ事、詩三百篇の所々にあれど、それは文の意につきて訓む也。汝歌よめど文多くよまねば、目いたくこそあれ。名は父のえらびて付るためしなれば、汝しらずは、歌[父]の名をおとすべし。歌暫しやめて、窓のともし火かゝげ文よめかし。ある博士の、以貫と付しは、つらぬきとこそよみためれ。あたら男よと、あら/\しく憎さげに書て、杢頭どのゝ書つけたり。此事学文の友にあひて、誰ならんと問へば、ふん屋の秋津なるべし。文よむ事博かりしかど、放蕩乱行にして、ついに追はら[2]れしが、海賊となりてあぶれあるくよ。それはた渠儂が天ろくの助くるならめ。さてなん罪にあたらずして、今まで縦横しあるくよとかたりしとぞ。是は、我欺かれて又人をあざむく也。筆、人を刺す。又人にさゝるゝれども、相共に血を不見。
[1]The Ueda Akinari Zenshu reads さて問まゐらすは、延喜五年に勅を奉りて、國ぶりの歌撰びて奉りし中に、君こそ長たちたれと聞。
[2]The Ueda Akinari Zenshu reads ついに追はられ(は)れしか、海賊となりてあぶれあるくよ、
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目ひとつの神
阿嬬の人は夷なり。哥いかでよまんと云よ。相模の国小よろきの浦人の、やさしくおひたちて、よろづに志ふかく思ひわたり、いかで、都にのぼりて歌の道まなびてん。高き御あたりによりて、習ひつたへた覧には、花のかげの山がつよと、人の云ばかりはとて、西をさす心頻り也。鴬は田舎の谷の巣なりとも、だみたる聲は鳴ぬと聞をとて、親にいとま乞。此頃は文明享禄の乱につきて、ゆきかひぢをきられ、たよりあしゝと云など、一度は諌つれど、しいて思ひ入たる道ぞとてしたがはず。母の親も乱たる世の人にて、おに/\しくこそなけれ。とくゆきて疾かへれとて、いさめもせず、別かなしくもあらずて出たゝす。関所あまたの過書文とりて、所々のとがめなく、近江の国に入て、あすは都にと思ふ心すゝみにや、宿とりまどひて、老曽の杜の木隠れ、こよひはこゝにと、松がね枕もとめに深く入て見れば、風に折たりともなくて、大樹の朽たをれし有。ふみこえてさすが安からぬ思ひして立煩ふ。落葉小枝道を埋みて、浅沼わたるに似て、衣のすそぬれ/\と悲し。神の祠立せます。軒こぼれ御はし崩れて、昇るべくもあらず。草たかく苔むしたり。誰よんべやどりし跡なる、すこしかき拂ひたる處あり。枕はこゝにも定む。おひし物おろして、心おちゐたれば、おそろしさは勝りぬ。高き木むらの茂くおひたるひまより、きら/\しく星の光こそみれ、月はよいの間にて、露ひやゝか也。されど、あすのてけたのもしと獨言して、物打しき眠りにつかんとす。あやし、こゝにくる人あり。背たかく手に矛とりて、道分したる猿田彦の神代さへおもほゆ。あとにつきて、修験の柿染の衣肩にむすび上て、金剛杖つき鳴したり。其跡につきて、女房のしろき小袖に、赤き袴のすそ糊こはげに、はら/\とふみはらゝかして歩む。桧のつまでの扇かざして、いとなつかしげなるつらを見れば、白き狐也。其あとに、わらはめのふつゝかに見ゆる、是もきつねなり。やしろの前に立並びて、矛とりしかん人、中臣のをらび聲高らかに、夜まだ深からねど、物のこたふるやうにてすざまし。神殿の戸あらゝかに明放ちていづるを見れば、かしら髪面におひみだれて、目ひとつかゝやき、口は耳の根まで切たるに、鼻はありやなし。しろき打着のにぶ色にそみたるに、藤色の無紋の袴、是は今てうじたるに似たり。羽扇を右手に持て、ゑみたるが恐し。かん人申す。修験はきのふ筑石を出て山陽道へ、都に在しに、何某殿の使してこゝを過るに、一たび御目たまはらばやと申て山づとの宍むら油に煮こらしたる、又出雲の松江の鱸二尾、是はしたがひし輩にとらせて、けさ都に来たりと、あさらけきを鱠につくりてたいまつると。修げん者申す。みやこの何がし殿の、あづまの君に聞たち、申合さるべきにて、御つかひにまいる也。事起りても、御あたりまでは騒かし奉らじ。神云。此国は無やくの湖水にせばめられて、山の物海のものも共に乏し。たま物いそぎ、酒くまんとおほす。わらはめ立て、御湯たいまつりし竃こぼれたるに、木の葉小枝松笠かきあつめてくゆらす。めう/\とほの火の立昇るあかりに、物の隈なくみわたさるゝ。恐しさに、笠打被きねたるさまして、いかに成べき命ぞと、心も空にてあるに、酒とくあたゝめよとおほす。狙と兎が、大なる酒がめさし荷ひて、あゆみくるしげ也。とくと申せば、肩弱くてとかしこまりぬ。わらはめ事ども執行ふ。大なるかはらけ七つかさねて、御前におもたげに
ぐ。しろき狐の女房酌まいる。わらは女は正木づらの手すき掛て、火たき物あたゝむるさままめやか也。上の四つを除きて五つめ參らす。たゝへさせて、うまし/\とて、重ね飲て、修験、まろう人なりとてたまへり。さて、あの枩がね枕して空ね入したる若き男よびて、あいせよといへとぞ。召すと、女房の呼ぶに、活たるこゝちはなくてはひ出たり。よつめの土器とらせて、のめとおほす。是をのまずはとて、多くは好まねど飲ほす。宍むら膾いづれもこのむをあたへよ。汝は都に出て物学ばんとや。事おくれたり。四五百年前にこそ、師といふ人はありたれ。みだれたる世には、文よみ物知る事行はれず。高き人もおのが封食の地はかすめ奪はれて、乏しさの餘りには、何の藝はおのが家の傳へありと譌りて職とするに、富豪の民も又ものゝ夫のあら/\しきも、是に欺かれてへい帛積はへ、習ふ事の愚なる。すべて藝技は、よき人のいとまに玩ぶ事にて、つたへありとば云はず。上手とわろものゝけぢめは必ありて、親さかしき子は習ひ得ず。まいて文書歌よむ事の、己が心より思得たらんに、いかで教へのまゝならんや。始には師とつかふる、其道のたづき也。ひとり行には、いかで我さす枝折のほかに習ひやあらん。あづま人は心たけく夷心して、直きは愚に、さかしげなるは佞けまがりて、たのもしからずといへども、國にかへりて、隠れたらんよき師もとめて心とせよ。よく思ひえて社おのがわざなれ。酒のめ、夜寒きにとぞ。祠のうしろより法師一人出て、酒は戒破り安くとも又醒やすし。こよひのあいだ一つのまんとて、神の左坐に、足高く結びて居たり。面は丸くひらたく、目鼻あざやかに、大なる袋を携へたるを右に置て、かはらけいざと云。女房とりて參らす。扇とりて、から玉や/\とうたふ聲、めゝしくはあれど、是も又すざまし。法師云。己は扇かざすとも、尾ふとく長きには、誰かは袖ひかん。わかき者よ、神の教へに従ひてとく帰れ。山にも野にもぬす人立て、たやすくは通さず。こゝまで来たる事、優曇花也。修験のあづまの使にくだるに、衣のすそにとりつきてとくかへれ。親あるからは、遠く遊ばぬと云教へは、東の人も知たるべしとて、盃さす。おのれはさか魚物臭しとて、袋の中より大なる蕪根をほしかためしをとり出て、しがむつらつき、わらべ[ひ]顔して又懼し。いづれの御心も同じく聞しらせたまへば、都にはあすとこゝろざしたれど上らじ。御しるべにつきて、文よみ歌学ばん。小ゆるぎの蜑が目ざす道は、栞得たりとて喜ぶ。かはらけ幾回か巡らせたれば、夜や明んと申す。かん人も酔たるにや、矛とり直して、物まうしの聲、皺ぶる人なれば、おかしと聞たる。山ぶしいざいとま賜はらんと、金がう杖とりて、若き者に、是に取つけよといふ。神は扇とり直して、一目連がこゝに在て、むなしからんやとて、わかき男を空にあをぎ上る。猿とうさぎは、手打てわらふ/\。木末にいたりて待とりて、山臥は飛立。この男を腋にはさみて、飛かけり行。法しは、あの男よ/\」とて笑ふ。
とりて背におひ、ひくきあしだ履て、ゆらめき立たるさま、絵に見知たり。かん人と僧とは人也。人なれど、妖に交りて魅せられず。人を魅せず、白髪づくまで齢はへたり。明はなれて、森陰のおのがやどりにかへる。女房、わらはゝ、かん人のこゝにとまれとて、いざなひ行。この夜の事は、神人が百年を生延て、日なみの手習したるに、書しるしたるがありき。墨くろく、すく/\しく、誰が見るともよく讀べき。文字のやつしは、大かたにあやまりたり。己はよく書たりとおもひしならめ。
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樊
むかし今をしらず。伯耆の國大智大権現の御山は、恐しき神のすみて、夜はもとより、昼も申の時過ては、寺僧だにくだるべきは下り、行ふべきはおこなひ明すとなん聞ゆ。麓の里に夜毎わかきあぶれ者等集り、酒のみ博奕打て争ひ遊ぶ宿あり。けふは雨降て、野山のかせぎゆるされ、午時よりあつまり来て、跡無きかたり言してたのしがる中に、腕だてして口とき男あり。憎しとて、「おのれは強き事いへど、お山に夜のぼり、しるし置て帰れ。さらず<は>力ありとも心は臆したり」とて、あまたが中に恥かしむ。「それ何事かは。こよひのぼりて、正しくしるしおきてかへらむ」とて、酒のみ物くひみちて、小雨なれば蓑笠かづきて、たゞ今出ゆく。友達が中に、老て心有は、「無やくの争ひ也。渠必神に引さき捨られん」と、肩ひそめていへど、追止むともさらにせず。此大蔵と云は足もいとはやし。まだ日高きに、御堂のあたりにゆきて、見巡るほどに、日やゝ傾きて、物凄しく風吹たち、桧原杉むらさや/\と鳴とよむ。暮はてゝ人なきにほこり、「此あたり何事もなし。山の僧の驚かすにこそあれ」とて、雨晴たれば、みの笠投やり、火切出してたばこのむ。いと暗う成て、「さらば、上の社に」とて、木むらが中を、落葉踏分ふみはら<ゝ>かしてのぼる/\。十八丁とぞ聞し。こゝに来て、「何のしるしをかおかん」とて見巡るに、ぬさたいまつる箱の大きなるが有。「是かづきて下りなん」とて、重きをかるげに打かづきてんとするに、此箱の[に]ゆらめき出て、手足おひ、大蔵を安々と引提、空にかけり上る。こゝにて心よわり、「ゆるせよ、助けよ」とをらべど、こたへなくて、飛かけり行ほどに、波の音のおどろ/\しきを聞、いと悲しく、こゝに打はめられやするとて、今は箱をつよくとらへてたのみたり。夜漸明ぬ。神は箱を地に投おきてかへりたり。眼をひらきて見れば、海べにて、こゝも神の社あり。松杉かう/\しきが中にたゝせたまへり。かんなぎならめ。白髪交りたる頭に烏帽子かゞふり、浄衣なれたるに、手には今朝のにへつ物み臺にさゝげてあゆみくるが、見とがめて、「いづこより来たる。あやしき男也」と問。「伯耆の大山にのぼりて、神にいましめられ、遠く此ぬさの箱と倶にこゝに投弃て、神は帰らせたまふ」と云。「いと恠し。汝はをこ業する愚もの也。命たまはりしこそよろこべ。こゝは隠岐の國のたく火の権現の御やしろ也」と聞て、目口はだけて驚き、「二親ある者也。海をこさせて里にかへらせ給へ」と云[て]、他国の者の故なくて来たれば、掟有て、國所を正しく問て後に、送りかへさるゝ也。しばしをれ。是奉りて後、我もとに来たれ」。問糺して、目代に行て申すは[へし]、「けさのみにへたてまつるふとのりと言高く申手に、物のはら/\とこぼれしに[は]、御戸たてゝ帰ると夢見たり。お<ど>ろきて、いそぎ御にへてうじて、御社に参るに、松陰に見しらぬ者のたてり。いづこの人とゝひしかば、伯耆の国の者也。しか/\の事して、こゝにしらず参りたりと申。即吾家にをらせて、うたへ奉る」とぞ。目代聞て、「そやつは神の御咎にこゝまでわたされし也。此国の者ならねば、罪すべきやうなし」とて、其日の夕汐まつ舟に、むかひの出雲の国に送らす。八百石と云船にて、ちいさくもあらぬを、風追ていと早し。されど「よんべの神の翅にかけしよりは遅し」と云。三十八里のわたりを、辰の時に出て、申の上剋と云に、向ひの出雲の国に着ぬ。こゝに崎守のありて、事のよし問あきらめ、「さても世のいたづら者也。にくし」とて、つらに唾吐かけて、過書文あたふ。里の次々に、二人の男に囲まれて、七日と云午時に、ふる郷に来たる目代に引出され、罪重からねば、しもと杖五十うたせて里正召てわたさるゝ。一さと聞つけて、「大蔵がかへりしぞ」とて、先其家に走行て告る。母と兄嫁は、「いかにして」とて、嬉しくも悲しくも、門立して待ほどに、送の人にかこまれて来たる。先むかへて、「物くへ」「足洗へ」と、立さうどく。父は持仏の前に膝たかく組て、烟くゆらせ空に吹ゐたり。兄は山に出るとて、枴鎌とりて、「生へ帰りしは不思議の事也。とふもうるさしとて」つらをきとにらみて出行。里の友だちあつま<り>来て、「腕こき止よかし。神に裂れぬこそありがたけれ」とて、喜び云て皆かへる。いつもの臥所に入て、翌のひる時までうまく寝たり。今はたゞ親にしたがはんとて、兄につきて山かせぎす。「出雲へわたり、隠岐の島よりかへるは、罪ある者の大赦にあひし也」とて、大蔵と云名はよばて、「大しや/\」とあざ名したり。日数へて母に云。「権現のたまひし命也。心きよくして、今一たび詣ん」と云。母あやうがりて、「身をよく清め、心あらためてあらば、如来も神も同じ事にこそ。よく拝みて、御ゐやまひ申て、兄と連だちてお山にはのぼれ」と云てゆるさず。父きゝて、「にくしとおぼし給はゞ命たまはらんやは。いそぎまうでこよ」と云。兄嫁「つきて上りたまへ」といへば、あざ笑て、「父のおほせことわり也。一人のぼれ。おのが心の改りたるを、神仏はよくしろしめすべし」とて、友なはず。大蔵もとより心ぶとなれば、「一人上りて、御わび申て来たらん」とて出る。はやくかへりて、何の事もなかりし。「銭たまひしは、彼御前に奉りてよく拝て、さて、其夜のみの笠の木陰にありしを取かへりし」と云。母、「猶つよき事して、又御罰かうむるな。引さきすて給ふとて、人は云よ。事無くてかへし給ふは」とて、物くはせてよろこぶ。このゝちは心あらたまりて、兄がしりに立て、木こり柴荷ひかへりて、親の心をとるほどに、大力なれば兄とは刈まさり、銭多にかふるを、母と嫁とはほめごとして喜ぶ。年も暮ぬ。いつの年よりは大蔵がかせぎするに、銭三十貫文を積て、「此としよし」と、父も兄も心よくいふに、母とよめとは、「まことに」とて、大蔵に布子ひとへ新らしくてうじて着す。年かへりて春のゝとかなるに、又いつもの宿に遊びて、博奕はじめ負たりしかば、銭こはれて、さすがに心おくれたれば、ひと夜ふたよはえゆかず、母にいふ。「春の御ゐやまひに山にのぼらん。友だちが詣づるに」といひて、銭こふ。「はやくかへれ。申かたぶかばおそろし」とて蔵にゆく。あとにつきて、「いくらもたまへ」と乞。「お山にまうづとておほくは何する。是ばかりを」とて、櫃のふた明てつかみ出て、みだれたるが百文にあまりぬべし。「もてゆけ」と、櫃のふたする内を見れば、からげし銭二十貫もんあり。母に云。「春毎の遊びして銭まけたり。友だちがつぐのへとて、度々責るに、其銭しばしたまへ。山かせぎして本の如く積べし。あすよりは山に入よ」とて、こふつらにくし。「さても/\、心あらためしかと思へば、博奕やめぬよ。目代どのより春ごとにいましめたまふいたづら事也。神も悪ませたまはん。此銭か[1]兄が入おきたるぞ。ゆるさねば手は触じ」とて、櫃の鑰さゝんとす。れいの心より、母をとらへて動かせず、「聲たてな。父が昼寝さむるぞ」とて、片手にふたひらきて、二十貫文つかみ出して、母はひつの中へ押こめて、銭肩におきてゆらめきいづ。兄嫁見て、「其銭いづこへ持ゆきたまふよ。男のかぞへて入置たる也。父目さまし給へ。又いたづら心のおこりしぞ」とて、をらび聲して云。ちゝおどろきて、「おのれ、ぬす人め。赦さじ」とて、枴とりて庭におり、うしろより丁とうつ。うたれても骨かたければ、あざわらひて門に出づ。「にくし/\」とて追しけど、足は韋駄天走りして迯ゆく。「あれとらへてよ」と呼はり/\追ふ。兄もかへり路にゆきあひて、「おのれ、此銭ぬすまさんや」とて、奪ひかへさんと<すれど、>手に当らずして蹴たをされたり。父足はよわくて、兄におくれたれば、此時にやう/\追つきて、後よりしかと抱とむるを、「年よりの力だて、いたづら事ぞ」とて、片手にて前へ引廻し、横さまに投たれば、道ほそきに、溜池の氷とけぬ上に轉び落たり。兄は「親を何とする」とて、助けあがらすほどに遠く成ぬ。父も山賎なれば心はたけくて、ぬれし衣からげ上て又追ふ。谷わたる所にて友だちがゆきあひ、むかひ立てつよく捕へたり。是は力ある男なれば、おのれも腕のかぎりしてつらを打、ひるむと見て蹴たれば、谷の底へ落ころびぬ。水いとさむき比なれば、心たけきにもえはひ上らぬを、「おのれが博奕のおひめ責るから、つぐのはんとて、親の銭なればもて出たるぞ」とて、岸にたつ石の大いなるを又蹴おとしたれば、はひ上るとするほどの上にころびかゝりて、谷のふかきに倶に落入て、此たびはえあがらず。兄と父とは追兼て、此間にやう/\来て、銭只うばひかへさんとす。今はあぶれにあぶれて、親も兄も谷の流にけおとして、夷它天足して、いづちしらず迯うせぬ。ちゝ兄も淵にともにしづみてえあがらず、こゞへ/\て死たり。一さと立さうどきて追へど、手なみは見つ。目代へかけり行て、「しか/\の事」とうたへたり。さても/\にくき大罪人也。追とらへて重く行なはん。足とき奴なれば、国の内に今はあらじ」とて、かたち絵にかきて触ながし、とらへんとぞ。里長申す。「山ざとには絵かく者なし。たゞかたちを書、ことわりて云流したまへ」と申す。しからんとて、「身の丈五尺七寸ばかり、つらつきおに/\しく肥ふとり、物もよくいふぞ」とまで、くはしく書付て、国々へいひながす。大蔵は迯のびて、今はとて遠く筑紫にわたり、博多の津に日ごろ在て、博奕うつ中に入て、何の幸ひぞ銭多く勝たり。こゝへも「しか/\の大罪人とらへよ。」と触ながさるゝ。このあぶれ者等も、大蔵なるべしとて、目くはせたるを見て、はやくこゝをのがれて、「銭は重し」とて、木のもとに投すて、黄かね五ひらあるを心だよりに、旅人にやつし、長崎の津にさまよひ来たりしが、こゝにやもめ住のわびしくてあるに身をよせて、ばくちの修行しきりにて、勝ほこり、「財のぬしぞ」とて、酒かはせ、明暮酔ごとして、ことわりなきが恐ろしさに、やもめは逃出て、丸山の揚屋がもとへ、ぬひ事にやとはるゝをたよりに、「かくしてよ」と、こゝにあり。大曹酔さめて、「いづこにぞ」と呼べどあらず。「さては、我ほしきまゝをにくみて迯ゆきしよ。いつも丸山に、何がしの所へとて、ゆく物がたりしたれば、そこにこそをらめ」とて、追ゆきて、「我女をかへせ」とて、あらくいひのゝしる。あるじも家の内の者等も、こゝにやどりしまろう人も、「いかに/\、鬼の来たるは」とてさわぎたつ。さうじ皆蹴はなちて、こゝかしこに乱入て、「先、酔さめたれば」とて、酒づきの散じたるを取てのむ/\。さかな物、鉢や何や引よせてくらふほどに、気力ます/\さかりに成て、我女出せよ」とておどり狂ふ。奥の方に、もろこし人のやどりて遊ぶ所へみだれ入て、屏風も蹴たをして、もろこし人の前に膝たかくかゝげて、どうと座したり。驚きおそれて、「樊
排闥/\。ゆるしたまへ。我はたゞ何事もしらず」とてわぶる。あるじ、此まろうどあやまたせてはとて、手すりわび、「御妻なる人のこゝに来て、又いづこへか迯行たりし。心静たまへ。いづちにかかくれん。倶にさがしもとめて参らせん。酒のみたまふよ」とて、熊掌駝蹄こそあらね、山の物海の物さゝげ出てもてなすにぞ、是に心折て飲くらふ。「もろこし人のつけし、はんくわいと云名よし」とて、「今より後名とせん」とよろこぶ。夜明はなれたり。雑式いかめしき男四五人つれ来たりて、「親兄をころせし伯耆の國の大蔵出せ。縄かけん」と聞て、いかにすべきにあらねば、心をす[2]衛ておとり出、「我は親ころせし者にあらず」とて、わぶるさまして、前の男が持たる棒うばひとりて、誰かれなく打ちらすほどに、えとらへずして迯したり。こゝよりいづちへともあてどなくて、野にふし山に隠れてあるくほどに、疫やみして、山陰の前にころびふしたり。狼のをらび聲して叫べば[ども]、ゆきゝの人、「懼し」とて見とゞむる人なし。やう/\あつきこゝちさめがたになりしかど、この比物くはねば、足たゝずして、道にはひ出、人のくるを待。夜に入てこゝ過る人あり。月あかりに、此大蔵がうめく聲を聞て、「何者ぞ」とゝがむ。「おのれは旅人也。病してこゝに日頃ありしが、やゝさむるにも物くはねば足たゝず。もの喰せてたべ」と云。ともし火持たるあかりにて見たれば、鬼の如くにて、おとろへ、おどろ髪ふりみだし、たゞ「物くはせよ」と乞。人なりけりと見とゞめて、おもふ心あれば、こやつ助くべしとて、腰の餌ぶくろより、飯とうでゝあたふ。たゞ推いたゞき「うゝ」といひつゝくらふ。くらひつくしてさて云。「御恩かたじけなし。いつにてもむくひ申さん」と云。旅びとわらひて、「おのれはおもしろき男也。落はふれて何をかする。盗して世をわたれ。我下につきてかせげ」と云。打笑ひて、「ぬす人殿、よくも出あひたる。博奕打ほこりて、かく田舎へはさまよひ来たる也。ばく打もぬすみも罪は同じ。ばくちは負いろに成て、力わざもせさせず。盗人は筋ひとすぢなるは」とてよろこぶ。「さて、おのれは膽ふとき奴也。伯岐の國の親兄ころして迯し男めか」と問。「それ也。人里に出交りては安き心なし。御手につきて、野山に立かせがん事、よし/\」とてよろこぶ。「こよひこゝ過るたび人あり。馬に荷おもく負せたり。足軽一人、老たる男つきたる外には、さはりなし。馬士めもともに打殺して、荷の中に金ありと見たれば、よきかせぎぞ。手初めしてみせよ」と云。「是はいと安き事也。猶力づけに、麓に下りて酒のませてたべ」。「我も寒かりつれば」とて、十丁ばかりくだりて、水うまやの戸たゝき、「酒買ん」と云。まだよひのほどなれば、「を」とこたへて戸明たり。「よき酒さかな、何にても何にても出せ」といそぐ。「夜あるきなれば、價先とらすぞ」とて、金一分とり出て投あたふ。あるじ立走りて、隣の家に鮪の煮たる有」とて、酒あたゝめるあいだに求来て、鰒のつくり膾、豆麩の汁物あつくして出す。「よし」とて二人のみあくほどに、「夜更ぬ中に」とて出行。あるじ、「あの背高き男は大ぬす人也。つきて来たるは、見しらずといへども、手下にぞあらめ」とて、のこりの酒さかな物くひのみて寝たり。二人の山立は、「こゝよし」とて、木むらの陰にたゝずみしほどに、馬の鈴ゆらぎて聞ゆ。「ぬかるな」といへば、「手むなしきは」といひて、松の木の一つえあまりなるを根ぬきにして、振たてゝ見する。「よし/\、いさぎよし」とて笑ふ。馬のあし音こゝに来たれば、物をもいはで、松の木ふりたてゝ、口とる男も馬も打たをしぬ。老たる足軽の、「是は」とて、刀ぬくわざもしらぬにや、あはて迯んとす。又追つきて、「首ほそき奴かな」とて、谷の深きと思ふ所へ投おとしたり。「馬はついにふみころさぬ」とて、力足して腹つよくふめば、嘶き叫びて死たるべし。「荷の縄もほどく手なし」とて、ふつ/\とちぎりて、「いざ」と云。「よし、よくせし」とて、荷ほどきて見れば、思ふごとく黄金千両のつゝみあり。「残りの物何せん。さむしとて馬が泣んよ」とて、打きせたはぶれて、飛かけり山を下る。夜はまだくらきに、海べに走くだりぬ。「波よする岸に、「ありや」とゝへば、「あ」とこたへて、苫舟こぎよせたり。男二人出[立]むかへて、「こよひいかに」と云。「よき男めを召かゝへて、かせぎよくしたり。よろこびの酒のまん」といへば、「を」といひて、「海に釣たる」とて、鯛やさわらや膾につくりて出す。「樊
と申也。これより兄弟とおぼせよ」とて、盃二三つつゞけて、かしら髪かきさぐりよろこぶ。「よき世にあひしよ」とて、のみくらふさま、盗人等も恐れて見る。さて、「御名いまだ承らず」といへば、「村雲と云。昔はすまひとり也。喧嘩して、罪かろけれど、追やらはれしかば、故さとにかゞまりをらん、いとさむし。盗みしてあぶれあるかんとて、此三とせこなたは、野山に立、海にうかびて、人の宝をうばふ事いと安ければ、あづまの方へ出ず。この海のむかひ、山陽道、つくし九國の間、又伊与・土さ・さぬきに漕よせて、おほやけの手にあたらず。こゝはいよの國也。千両のたからついやすへき所にはあらねど、春になるまでは、にぎたづの湯に入て遊ばん。酒よし。海の物よし。」とて、夜明たれば、漕よせぬ。「二人の男どもは、こゝに一日ふた日あれ。見とがめられぬために、むかひの國にて春を待て。金あたへん。ぬすみすな。商人にやつして、我しかま津へいたるをまて」とて、物分ちて、舟はこぎ出さす。はん
に[は]百両をわかちあたへたり。「いづこの人よ」と問へば、「大師の御跡めぐらんとて来たれど、いとさむきほどは湯あみして、後に出たつべし」と云。あるじ聞て、「大師のへん照こん剛にも、交りがたき人も有よ」とて日ごろあらせる。「はんくわいと云名こと/\し。又いづちに旅ゆくとも、この事触流しにあひては、身つきぬべし。僧にやつしてん。あの見ゆる山の山の峯に寺あるを、行てすみたるさま見れば、老かゞまりし翁法師の、「南無大師」の聲いとさゝやかにとなふ。あなひして、「我は都がたの者也。母につきて四國めぐりしほどに、きのふ舟を上るとて、母がふみたがひて海に落たる。あれよ/\といへど、舟子が云。『こゝは底深くして、鰐と云魚のすみて人をのみくらふ。今はのまれたるべし。力無し』と云。よく思へば、父は無し。兄はかしこき人にて、しか/\の事にて母失ひしとて國にかへらば、にくみて追出すべし。世のかせぎしらぬ子は、僧になりて大師の所々めぐりはたし、又六十六くに々行めぐりなんと思ふ也。かしらの髪煩はし。そりてたべ。衣古きを一重たまへ」とて、むら雲がわかちし金百両の中を、一両とり出て、ゐや/\しくまいらせたれば、山法し、春咲花の外には、黄なる光見ねば、おしいたゞきて納め、「受戒さづけん」と云へば、「いな、たゞ大しへん照金剛の外には事煩はし」とて、手合せて高らかにとなふ。髪剃おとされて、「心よく成ぬ」とて喜ぶ。破たる鼠ぞめの衣をとう出て打きせたり。かり着にはあれど、いとせばくて手通らず。是をもかたじけなしとて、ゐやごと申て寺をくだり、湯の宿にかへりぬ。むら雲は待わびたらんとて、いそぎて参る。見て、「さても/\、たふとき法師ぶり也。よき衣ひとへ買てあたへん」とて、あるじにはかり、是も鼠染のすこし廣きをたちぬはせてあたふ。「身にかなひたらんには、かへりて人め恐しからん」と云。「身すぼめて修行しあるけ。笈も見あたらば買てあたへん」と云に、「いな、何を入て負あるかん。佛こそたのみつれ。大師遍ぜう金剛」と、高からかにとなふ。打わらひつゝ、さていつまでかあらん」とて、むかひの播磨路に舟もとめてわたりて[らん]、「しかまの津に叔母有、こゝに先」とて門に入。門に入より、「をば、いかにおはす」といへば、「そなたの問こぬ故に銭米乏し。みやげの物に多くくれよ」とて、立走り酒かひに行。こゝに又廿日ばかり在て、「東の方ついに見ねば、修行しあるかん」とて、つゝみ物一つ背におひて、笠打かぶり、せばき物衣からげまとひて、別れを告ぐ。「都の東へこゆる坂路に、あふ坂山と云里は、軒ことに絵をかきて賣る中に、鬼の鉦たゝいて念佛申すがあり。お僧のうつし絵也ぞ」とて笑ひて、門出す。にぎはしくす。酒のみくひ飽て、「大道に出なば見やとがむる。山につきてぞゆかん」とて、行々廣き野らなる所に日暮たり。やどりもとめんにも家なし。ひとつ屋のやうにて、「一夜かしたまへ」と云。おそろしき僧なれど[ば]、ぬす人にておはすとも、とられん物なければ、「あすは死たる男の日がら也。むすこは米買に、惣の社といふ所まで行ば、入て経よみて手向したまふべし」と云。「心得たり」とて、先はひ上りて、ゐろ<り>のあたりあたゝか也」とて、手足あぶりてをる。「くふ物なし。むす子がかへるをまたせよ」とて、芋のしほに煮たるをすゝむ。是にて腹ふくらさんとて、いくらをも盛てあたふるを、「うまし/\」とてくふほどに、となりの人也とて、入来たる。谷川のあなたの家より也。あとにつきて商人ひとり、「むすこはいまだかへられずや。此あき人どのは、いつも此あたりへかへ事にくる人也。此家に黄なる金といふ物を持たりとかたりたれば、『それは珍しき物なり。贋のかねありて、春は大坂の戎まつりに、又京の鞍馬の初寅まうでにも商ふ。それは皆譌もの也。よく見て参らすべし』とて、夕飯の箸をさめて、たゞに来たるは」と云。「むすこがいづこに置つる。入ぬ物なりとて、人にもやらじ」と云ほどに、むすこ米おひ収て来たり。「僧をとめたり。供養の物たきてまいらせよ。米洗へ。飯たかん」とて、柴たきくゆらせ、「『かの黄なる金見せよ』とて、隣へくる商人殿か待久しく居らるゝよ」。「それはこゝに」とて、神祭る棚より取出て見する。つゝみたる紙の破たるより、光きら/\しくまばゆき[け]は、手まさぐりせぬ故也。されど僧が眼つきのおそろしさに、いつはりもえせず。「是はま事の金也。銭二貫文にかへてまいらせん。米ならば我もたねば、社の町へいきて、三斗にかへてまいらすべし」<と>ぞ。樊くわいにくゝ成て、「こゝにも持たる也。國巡りすればいくらも価も聞たり。米は一石、銭ならば七貫文には買べし」と云。此妨に詞なくて、「商人もおのがあきなふ物の外は、よくもしらず」とて迯ていぬ。「あの商人めはぬす人にもあらねど、我居ずはかたり取べし。必々人に見すな。こよひの宿りには、今一ひら増てあたふべし」とて、百両の中つかひしは、わづかなれば、光きら/\と此ひとつやの中には目ざましかりけり。「あしたも飯たき、芋にて僧にくやう申せ。一夜のあたひに金たまひしぞ」とて、かく里離れたる所は、義皇上の人と云に似たるべし。樊
、「南無大師」高らかにとなふれば、朝戸出の柴人、「この家には鬼が入たるか、おそろしき聲きこゆる」とて、立よりてみて[れ]は、「僧はかゝるぞたふとき。親の日がら也。よく供養申せ」とて行ぬ。はん
もおかしき宿りして、別を告て出れば、「又来たまへ。明石の浦のわかめ、椎茸、氷豆麩も、惣のやしろにいきてとゝのへり」とてたのもし。うなづく/\出て、足とければ、野こえ山にそひて、けふの日暮に難波に出たり。日本一の大湊にて、いづこの浦舟もこゝに泊るときけば、我見知たる者もあるよとて、やどりとらず。野寺の門にころひ寝して明す。鳥の鳴におどろきて、又笠かづき杖つきて身をほそめ、市町を通りて見れば、いとも賑わしきが恐し。すみよし・天王寺などもえ見ずて、河内・和泉・紀の路をこえ、大和路のこゝかしこ見巡りて、都に来たり。難波の騒がしきには似ねど、人目多ければとて、此冬はみこし路の雪にこもりて、春は東の国々見巡らんとて、いそがぬ旅にも心せかれ、近江の海づらを右にながめわたして、こしの國へとこゝろざす。
[1]The Ueda Akinari Zenshu reads 此銭か(は)兄か入おきたるそ、
[2]The Ueda Akinari Zenshu reads 心をすゑておとり出、我は親ころせし者にあらすとて、わふるさまして、前の男か持たる棒うはひとりて、誰かれなく打ちらすほとに、えとらへすして逃したり。