Harusame Monogatari: Kanshi manuscript
Ueda, Akinari
Creation of machine-readable version:
Creation of digital images:
Conversion to TEI.2-conformant markup: University of Virginia Library Electronic Text Center.
University of Virginia Library: Charlottesville, Virginia,
Publicly-accessible: © 1997 Rector and Visitors of the University of Virginia
http://etext.lib.virginia.edu/japanese/
1998
Japanese Text Initiative
The text was derived from an HTML version on the Japan Association for Literary and Linguistic Computing (JALLC) website. The text was checked for accuracy and tagged in SGML by Sachiko Iwabuchi at the University of Virginia. JALLC website: http://kuzan.f-edu.fukui-u.ac.jp/jal_ftp2 The JALLC text archive conditions of use may be found at: ftp.cc.yamaguchi-u.ac.jp/pub/text/jallc/readme.txt Characters such as =,?, and * are substituted with kana from the print source. Unusual characters which could not be represented with ASCII have been rendered as images in the etext.
About the Print Edition
Harusame Monogatari: Kanshi manuscript Ueda Akinari Zenshu, vol. 8
Akinari Ueda
Editor Nakamura Yukihiko
Chuo Koronsha: Tokyo, 1993
Prepared for the University of Virginia Library Electronic Text Center.
[妖尼公]
Sasshi
むかしに、頼朝卿こそ忠誠なりしとおもふ。皇朝のおとろへを悲しみて、父の仇とゝもに面ある平氏を□られし事在たりかし。この卿も多欲にて、又よく謀りて、海内の総追補使といふ名と申くだして、ついに王城を乱す事、平氏に過たり。才智ありて、大納言右大将にとゞまりしは、西土にて曹操が、帝とさしはさみなる宰臣までおわりしとひとつ也。其子の曹丕は愚にて一つにうばい代る。又骨肉にも、才あるはせまりて、七歩の詩に名をとらしむは拙なり、短なり。曹丕かくの如く愚なりしかば、司馬に又かはらる。この代々のみだれ、心ある者はうらみもし、にくむもして、
康か徒の、大虚に心を捨はじむるは、高きに似て放なり。頼ともよくはかりてすゝまず。其子より家は愚にして、病に死ぬる。政子、貞節を守りて尼となり垂簾のまつり事と諸臣とはかる。諸臣の中に色あるは、ひそかに招れて、内乱ありし也。あまさへ、酒に酔みだれて、実子の実朝をいだく。さね朝才ありし、是にはかり事なし。母にいだかれて、此愛に、父よりすゝみて右大臣に昇るが、又義時は美男也。尼子めせとも来たらず。是は義時がふかき心あることなり。ついに奸して、又、さねともとあしくて代んとて、若僧に仇打とおふせて鶴が岡に弑逆せしむ。其夜はとみに病ありとて、供奉を辞して兵士十人をすぐ[はか]りてしのび成たり。公暁に力をそへて、又公暁を罪科にす。よし時ついにひとり尼君とよし。尼又秩父が大男にて、実体のかたもよしとてめすとも来たらざるとしりて、「実朝の弑逆につきてはかり事あらん[にせん]」とて、夜めす。重忠いんぎんにいたる。其夜雪ふりたり。「この所にては事のもれん」とて、庭中の亭に雪をふんであゆみたまへり。重忠かしこまりてあとにつく。亭のひろさ、わづかに八席石灰爐に炎々たり。尼公に座してちかくとめす。重忠膝行していたる。うしろより女ばらとりつきて、もん烏帽子をうばふ。是はとおどろく中に、素袍の袖爾火つき多りあわやとてけさんとす。一女ひもとをとりて帯ども切て、ついに衣服をうばへり。尼も又前はだかになりて重たゞに組む。くまれていかにせんと思ふうちに、陽精のうごき出て、ついに徹夜のたのしみをなせり。さて、後にはめせども来たらず。故に事によせて家を亡ぼさしむ。実朝の事は内簾の坊門の娘のしりたれど、あらわすべきにあらねば、しくみてへしに弑逆にあひしを、時と處とそぎて、終にかへり、朱ざか野の八条に庵を結びて行いすませり。後に六孫王の廟所とたてしかば、尼寺と云名今につたへたり。社僧真言にて、婦人たるもの以外をかぎりとす。尼将軍の好色にふかき、俗間に色気ちがいといふは是也。北条の代々、時泰時より等実に似てつたなく、太平なくす。ついに、高時にいたりて亡ぶは、九代の冥福のみ。後だいごの内謀あらわれし、冷泉卿にとのとかまくらに捕へて事問ふ。哥よまれたり。「おもひきや我しき島の道ならでうき世の事をとはるべしとは」高時感伏していかしたり。この哥なにごゝろぞや。□□は哥によりて官位と申也。我しき島の道さらずは聞へず。又「うき世の事」とはいかに/\。朝臣の朝政をとはるゝをや僧人ならばしかよむべし。高時の暗愚、天下を失ふべし。哥は堂上の事としてたまふを、もらして北条に告やりし者有しかば、其まこと譌をしりたる人々を責問る中に、れんぜい殿を捕へてくだせしに、「あからさまに申されよ」と問れて、
「おもひきや我しき島の道ならでうき世の事をとはるべしとは」
と答へ給しに、ゆるして京にかへせしとぞ。この歌の心いかにぞや。朝庭の官位、高きも低きも世外の事にはあづからじものを、此こころをえとかめずして、ことわり也と思へりしは、家ほろぶべきものよ。同じ時の、六波羅陥され[せ]ては、千はや責の大将こと/\く召とられて、六条河原にて、ならびて首を刎らるゝ
Gonen
[死首の咲顔]
へにて空しく成たり」と人告たれど、一族たれも/\「にくし」とて問もゆかず。五蔵法師は父なれば舟のたよりもとめて行。死がらもとめて又舟にのせて庵にかへり、是も冢ならべてつきたれど、宗が墓は改葬といふ事して、すこし隔て祭りたり。よろづに心ゆきて行ふ。「かの親が鬼也」とて人皆いふ。「いな、おやに似ぬは五僧法師こそ鬼子なれ」とて、鬼律師と名よびしとぞかたりつたへたりけり。
Gonen | Sasshi | Soshi
[捨石丸]
たまひぬ。いかにしてと問へば、「よんべはしか事にて、酔ぐるひのあまりに、捨いしめとたはれたまひて、きのふ渠にくれたまひし劔のぬけ走りて、石わが高もゝにあやまちし。其血飛ちり[はしり]て御面にまみれ、衣にもぬれ/\とつきたり」とかたる。くすし等云。「御供にありて、始をはりよくしりたまふ事は、たがふ事有まじ。されどおのれ等がうかゝひたる時は、病にてこそあれ、いき絶ておはす。国の守へしかうたへ出申さん」と申す。ことわりなれば、「いづれもうたへたまへ。我は本よりぞ」とて、姉に、「御かたはらにはなれ給ふな」と示してつれだちゆく。守訴へどもを聞て、「事明らかに似て、捨いし病ならば、など、兄弟が夜すがら、夜明て」くすしら申す。「病は中風の一症に、卒倒して鼾を吹寝たるまゝに死ぬる者あり。顔は血洗ひて見たればいさゝかも疵なし。たゞ病にて候」と申。守聞入ず。「長者が家高ければ、くす師らかよくいふ事も有べし。目代つかは
れば、肥ふとりしも、おとろへ、足たゝず。「誰かたづねこしよとて見れば、わ子にてこそおはせ。長者が死たまへるは病なるを、我しわざといひふるゝに、心もなくて迯はしり、御家の為あしゝと聞たり。こゝにたづね来たまふは、仇打せんとなかへし。生てかいなき命也。首とりて、國の守に見せまつりたまへ。この山の道ほり通せし功力にて今は極楽にうまれたりしよ」と、「主の御ため[館]にはいかにも成なん」と申。小傳二云、「此山の大功力の事聞て、父が手向の供養にもやすると思ひて、仇うちもとよりすべきことわりなし。召捕へて守に引つれ行、ありのまゝに申させて、命たすけ、我も家おこさんとて出しかど、もし愚なる者から、仇打するかと力だてせんには」とて、「習ひ得たる術見よ」とて、大なる石の岸に立たるをつとよりて蹴たれば、谷の底に毬の如くにころび落たり。又、枯木の大なるが立たるを、刀ぬきて丁と切れば、やすく倒れぬ。又、弓取出て、空ゆく鴈ふたつひようと引はなちたれば、つらなりて地に落たり。鬼法師おどろきて、目口はたけ、手を「我足立たりとも、わ子には何の苦もなく首とられむ。かくまでも習得させ給ふものか。昔牛若殿の五條の橋の千人斬と云も、わ子にあひたらば弁慶どのよりさきにうたれたまはんよ」とて、稚きことのみいひてありがたがる。「汝、もし力量にて我にむかはゞ、
Gonen
歌のほまれ附宮木冢
山部の赤人の、
「わかの浦に汐満くればかたを無み芦べをさしてたづ鳴わたる」
と<云>歌は、人丸の「ほの/\とあかしの浦の朝霧」にならべて、哥のちゝ母のやうにいひつたへたりけり。此時のみかどは、聖武天皇にておはしませしが、筑紫に廣継が反逆せしかば、都に内応の者あらんかとて、恐たまひ、巡幸と呼せて、伊賀・伊勢・志摩の国、尾張・三河の國々に行めぐらせたまふ時に、いせの三重郡阿虞の浦にてよませしおほん、
「妹に恋ふあごの松原見わたせば汐干の潟にたづ啼わたる」
又、この巡幸に遠く備へありて、舎人あまたみさきに立て、見巡る中に、高市の黒人が尾張の愛智郡の浦べに立てよみける、
「桜田へたづ鳴わたるあゆちかた汐ひのかたにたづなき渡る」
是等は同じ帝につかうまつりて、おほんを犯すべきに非ず。むかしの人はたゞ打見るまゝをよみ出せしか、さきの人のしかよみしともしらでいひし者也。赤人の哥は紀の国に行幸の御供つかふまつりてよみしなるべし。さるは、同じ事いひしとてとがむる人もあらず。浦山のたゝずまひ、花鳥の見るまさめによみし、其けしき絵に写し得がたしとて、めでゝはよみし也。又、おなじ萬葉集に、よみ人しれぬ哥、
「難波がた汐干にたちてみわたせば淡路の島[に]へたづ鳴わたる」
是亦同じ心なり。いにしへの人のこゝろ直くて、人のうた犯すと云事なく、思ひは述たるもの也。歌よむはおのが心のまゝに、又、浦山のたゝずまひ、花鳥のいろねいつたがふべきに非ず。たゞ/\あはれと思ふ事は、すなほによみたる。是をなんまことの道とは、歌をいふべかりける。
Gonen | Sasshi
宮木が塚
本州川邊こほり、神ざきの津は、むかしより古き物がたりのつたへある所也。難波戸に入る船の、又山崎のつくし衛に荷をわかちて運ぶに、風あらければ、こゝに船とめて日を過す。その又昔は、猪名のみなとゝ呼し所也けり。此岸より北は河邊郡とよぶ。是はゐなの川邊と云べければ、猪奈郡と名付べかんめるを、「すべて国・郡・里の名、よき字二字をえらめ」めと勅有しによりて、言をつゞめ、又ことを延ては名づけたるに、大かたはよしと思へる中に、かくおろそげなるも有けり。此泊りに日をへる船長・商人等、岸に上りて、酒うる家に入て、遊びに酌とらせ、たはれ興ぜし也。何がしの長が許に、宮木と云遊びめは、色かたちより心ざまたかく、立まひ、哥よみて、人の心をなぐさむと云。されど多くの人にはむかへられず、昆陽野の郷に富たる人あり。是がながめ草にして、ほかに行事をゆるさず。此こや野の人は、河守十太兵衛と云て、津の国の此あたりにては、並び無きほまれの家也けり。年いまだ廿四にて、かたちよく、立ふるまひ静に、文よむ事を専に、詩作りて、都の博士たちに行交はりて、上手の名とりたる也。此宮木が色よきに目とゞめて、しば/\かよひしほどに、今はおもひ者にして、外の人にはあはせずぞありける。宮材も「この君の外には酌とらじ」とて、いとよくつかへたり。十太は黄がねにかへてんとて、よく云入たるに、「いとかたじけなし。人には見えじ」とて、長はうべなひぬ。宮木が父は、都の何がし殿と云し納言の君也しかば、さゝかの罪かうぶりて、司解け、ついに庶人にくだされしかば、めのとのよしありて、此かん崎の里に、はふれ来たりて住たまへりけり。世わたる事はいかにしてともしらせ給はねば、もたせしわづかのたからも何も、今は残りなく失ひて、わび泣してついに空しくならせけり。母も藤原なる人にて、父につかへて、おのが里といふ家にはかへらで、此首細き人にしたがひ、田舎にと聞て、家よりは、「など姫君の為思はぬ。めの子ははゝにつく者也。手とりて帰れ」と、情なく云こさるゝに、いよゝ悲しくて、ふつにこたへはしたまはざりき。みはうぶりの事も、もてこし小袖てう度賣払ひて、まめやかに行なひたまへりけり。彼めのとは寡ずみして、人にやとはれ、ぬひ針とりて口はもらへど、御かた/\の為にや及ぶべからねば、あはれ貧し<さ>のみまさりけり。母は稚きを膝にすゑて、たゞ涙の干るまなくぞおはしけるに、めのとが云。「かくておはさば、姫君も我も土くひ水飲てぞ、いのち活ん。いかにおぼしめすや。此ひめぎみ、このさとの長が、「むすめにたまはれ」と、「たのみのしるしに黄がね十ひら奉らん」と申。彼長は此里に久しくすみふりて、家富、人あまたかゝへ、夫婦の志も、都の人恥かしきばかりになんある。かしこに養なはせ給へ。よき婿とりして、後はよくつかへさせんものぞ」と、すかいこしらへ云さる。「たのもし人の心よりて、事もよくのたまふには、憂か中の喜び也。よく申てむかへに来たまへ」といふ。遊びと云者の、いやしき世わたりともしらで、鳥飼のしろめが、宇多の上皇の御前にめされて、「濱千鳥」とうたひしためしにのみおぼししりて、ゆるしたまへりけり。めのと、「よくいひし」とて、長がもとへ走ゆきて、「御為よしと申たれば、「おくらんと」のたまふ也。しるしのこがね見せ奉らん」といふ。長即かぞへてわたすを、母君に、「是見給へ。人の失ふ寶をかく多く積もちて、安く贈りたるぞ。姫ぎみこよひ出し立て、おくりたまへ。御供は我つかふまつらん」とて、あやしきわざの家の内見せじとて云。母君、「いかにもせよ。稚きものは、母が手離れて、一日ひと夜もほかにあらぬものから、泣わぶらん」と、悲しげにのたまふ。ひめ君きゝて、「御ゆるしある所ならば、いづこへも行て、女はおとなに成ば、必人に送らるゝものならずや」と、おとなしくのたまふ。「今は名残ぞ」とて、背を撫、うなゐ髪かき上て、さめ/\ない給ふ。めのと、「さては、今いかにしたまへる。しるしとて納めたれば、かなたの子也」と、ことわりせめられては、「ゆけ」とのみないたまへり。手とりてつれ立行。何の心もあらぬものから、にぎはゝしき家に入て、「よき所也」とよろこぶ。長夫婦、「いとし子ぞ」とて、物きよく<し>てくはせ、小袖も新しくてうぜしを着す。をさなき心には、たゞ「うれし」とのたまひて、此夜よりなつかしきものに馴むつれたまふ。「母君はあす必来たまへ」と云。めのと「しか申さん」とていぬ。「ひめ[はゝ]君ぞ、いとよく馴々しく物などよみて遊びたまへりき。御心落ゐたまへ」とて、「しるしの中二ひらかしたまへ。さき/\御父のために、おぎのりわざして、今にかへさぬぞある」とて分ちとる。周の制に什が二つと見しためしに、しかするなるべし。いにしへ人もおのれよしに事は行ひたりけり。はゝ君は、「この家にゆきて、よろづたのみなん」とおぼせど、「御小袖あたらしくて、日がらえらびて」と妨られて、何の故ともしらず。「姫ぎみの顔見せよ/\」とて、朝ゆふのみならず、ないたまへりしが、ついに是も病して、むなしく成たまへりけり。宮城十五といふ春に髪揚して、長が、「まろう人の召也。出てよくつかへよ」とていそがする。さかしくおはせしかば、「物がたりに見しあそび女とは我事よ。母のゆるして養なはせしかば、うらむべき人無し」とて、心をさだめ、長夫婦が習はす事ども、うしと思つゝ、月日わたりて上手に成りたり。「かたちよし。この郷の遊びには、かく宮びたるは久しくあらざりし」とて、人多くかへり見しけり。宮木と云名は、何のよしにか長が名付たる。かくて河守の色好みにあひそめて、後には、「人には見えじ」といふを、「よし」とて、長にはかりて、「迎へとらむまでは」とて、「遊びのつらにはあらせじ、此花折べからず」と、しるし立たりけり。春立てやよひの初め、「野山のながめよし。いづこにも率なひて見せん」とて、兎原の郡生田の森の桜さかり也と聞、「舟の道も風なぎて」とて、宮木を連て一日あそびに行けり。林の花みだれ咲たるに、幕張て遊ぶ人あまた也。宮木がゝたちをけふの花ぞとて、こゝかしこより目偸みて見おこす。玉の扇とりてもたす。たゞつゝましうて、酒杯しづかに巡らし有る。十太は今日のめいぼくに、若ければ思ひほこりてなんある。河守の此在さまに、心劣りせられて、「宮木がかたちよし」、「ねたし」など云。此さやめく中に、こや野のうまやの長藤太夫と云も、けふこゝに来たりて、つれ立しくす師、何某の院のわか法師に「耳かせ」とて、
云事かん崎の津にて亥中也。かへりきて、「是はいかに/\」と問ふ。翁人腋の戸から出て、「しか/\の事なん侍りて、あはたゝしく閉めたまへりき。いきてわびたまへ」と云。たゞちに長が前に畏りて承る。長怒て「此月は汝が役つとむるべきにさし置たりしに、我に告ずして、いづこにかうかれあそぶ。今は取かへされず。五十日は篭りをれ」とて、言荒く云のゝしりて入ぬ。「花はまだ盛と見しを、此嵐に今は散なん。我只こもりをらん」とて、息つぎ、つゝしみをる。其あした長申つぐる。「御使、赤石の駅より飛檄つたへたまへる、『汝がりにやどりしてんを、夜にまよひて馬の脚折たり。今は、舟にて竺石にくだる也。波路は御つかひの人の乗まじき掟をたがへたるは、日のをしき罪のかしこさに、しかすれど、又風波あらくばいかにせん。五百貫の価の駿馬也。このあたひなんぢが里より債へ』と申来たりき。さと人誰かは受ん。汝こそ五百貫の銭今たゞいま運べ。此銭を都の御家に送る費せよ。又卅貫文なり」とて、取たてゝはこばす。「五十日は猶こもりをれ。つくしの御使事はてゝ上りたまはんに[けに]、わびたらん」とて、つゝしみをらす。此間に藤大夫、くす士理内をつれて、神崎に「酌とらせよ」と云。「此者は御里の河守殿のあづけおかれて、『他の人には見えそ』と。此曾御つゝしみの事にてこもらせしかば、問まいらせてんたより無し」とて出さず。いよゝます/\妬く、ほのほの如に、つら赤めて酒のみて、耳だゝしく、「河守めは此度の御咎めに首刎られつべし。よき若き者をしゝ」といひおとしてかへる。宮木、こゝちつとふたがりて、佛に願たて、命またけん事をいのる。お物もたちて十日ばかり篭り有しかど、よき風も吹つたへこず。長夫婦云、「物くはで命やある。よく養ひて出させたまふをまて。長が酒酔のにくて口聞たる也。ま事ならじ。御罪の事は五佰くわんの馬買てあがなひたまへば、やがてめで度門ひらかせんを」と云に力を得て、経よみ写し、花つみ水たむけ、焼くゆらせ、「観自在ほさ<つ>」と、中山でらのかたを拝む/\。さて、十駝はかく慎みをるほどに、風のこゝちになやましくて、「くす師よびむかふ。「当馬と云は上手ぞ」とてむかへたり。診みて、「あな大事也。日過ては斃れん。よき時見せし」とて、ほこりて匕子とる。女あるじなきには、誰もあきるゝのみにて、怠りぬべし。長が方へも、くすし此頃日々に来て、「十太兵衛大事也」とかたる。耳にひそかに言つけて、「かの五百貫の中わかちて奉らん。薬たがへてよ」と云。くすし首打ふりて、「大事の御たのみ也。我は承らじ」といへども、「ついつたをるべし」と云て、隔症あらはなるに、附子つよく責てもりしかば、ついに死ぬ。長いと喜びて、外の事のゐやまひにとりなして、百貫文をおくる。宮木が方へかくと聞しらせしかば、「倶に死なん」といひて狂ふをせいして、「御仏のいのりたる験なき御命也。よく弔ひて御恵み報へ」といへど、せいし兼たり。かくて在ほどに、藤大夫よくしたりと獨ゑみす。宮木がもとへしば来て、言よくいひこしらふれど、露したがふ色めなし。長呼出て、彼五百貫の銭ののこりはこばせけるとなん。「一月の身のしろよ」と云。欲心には誰もかたぶきて、「一月二月、猶増てたばらば、生てあらんほどはつかへしめん」と云。さて宮木に示すは、「十駝どのなく成たまひてよるべなし。かの里にては長なれば、此人につかへよ」と。心にもあらねばこたふべくもあらぬを、「命の限買たるからは、汝が物とな思ひそ。親なく成てたよりなきを、今迄養ひたりと思へ。まことの親より恩深し。死なんとせば過たまひし母君のみ心にたがひ、今の親の吾々にも罪かうむりて、何にする。だたゆふよるべとこそたのめ。先席に出て物いへ」とて、出したつる。藤太も言を巧みて、さま/\に心をとる。「十太世に在ともあらずとも、女と定まりしに非ず。我は女なし。命長くて相たのまん」など、さま/\いひこしらへて、ついに枕ならべぬ。一夜酔ほこりて、くすし理内が云。「生田の森のさくら色よくとも、我長のときはかきは[かり]に齢まけたりき。君もよき舟にめしかへらせしよ」とそゝる。「いかにしていくたの咲良かたり出けん。藤大夫が始をはりのいひ事たのもしきにあらず。男ぶり<より>して、はかり事すべき人也。十太どのをい何にはかりて罪したるよ。病はかなしきもの也。生ておはしたまはんには、作りて罪せしむくひたまはんを」と、にくゝ成ては、「胸やみたり」といひて、相見ざりけり。こゝに、其頃、法然上人と申て、大とこの世に出まし、「六字の御名だに信じとなへなば、極らくに至る事安し」とて、しめしたまへば、高き卑しき老もわかきも、たゞ此御前にありて、「南無あみだふち」ととなふ<る>人多し。御鳥羽のゐん上つぼねに鈴虫・松虫とて、二人のかほよ人あり。上人の御をしへをふかく信じて、朝夕念ぶつし、ついに宮中をのがれ出て、法尼となり[る]、庵むすびて行ひけるを、帝御いかりつよくにくませしかど、いかにすべく思ひ過したまふに、叡ざんより[の]「佛敵也」と申て、上人を訴へ出づ。「是よし」とて、土左の国へ流しやりたまふ。「けふ上人の御舟、神ざきの泊して、翌は波路杳にと、汐船にめしかへて」ときく。宮木長にむかひ、「しばしいとま給へ。上人の御かたちを近く拝みたいまつりて、御陰たのみて、十太どのゝ後の世手向させたまへ」と云。長夫婦、「是はことわり也」とて、心をとりて、物に馴たるうばら一人、わらはめ一人そへて、小舟にてこぎ出さす。上人の御ふね、やをら岸遠はなるゝに立むかひて、「あさましき世わたりする者にて候。御念佛さづけさせたまへよ」と、泣泣思ひ入て申。上人見おこせたまひ、「今は命すてんと思定たる人よ。いとかなしくあはれ也」とて、船の舳に立出たまひて、御聲きよくたふとくたからかに、念仏十ぺん授させたまひぬ。是をばつゝしみて、口に答申終り、やがて水に落入たり。上人、「念佛うたがふな。成ぶつ疑がふな」と、波の底に示して舟に入たまへば、汐かなへりとて漕出たり。うばら童、驚め、
業は多かるものを、何鹿も、心にもあらぬ、たをやめの、操くだけて、し長鳥、ゐ奈の湊による舟の、かぢ枕して、波の共、かより依是、玉藻なす、なびきてぬれば、うれたくも、かなし<く>も有か、かくて鑿、在はつべくは、生る身の、いけりともなしと、朝よひに、うらびなげかひ、年月を、息つぎく<ら>せし、玉きはる、命もつらく、おもほえて、此かん崎の、川くまの、夕汐またで、よる浪を、枕になせれ、黒髪は、たま藻となびき、むなしくも、過にし妹が、おきつきを、をさめてこゝに、かたり次、いひつぎけらし、此のべの、浅茅にまじり、露ふかき、しるしの石は、た[手]が手むけぞも。
となんよみたる。此跡今は無きとも人のいふ。三十年の昔
Gonen | Sasshi | Tomioka
拾之下
つぬがの浦のあなひ聞て、「夜よし」とて、月にあら乳の関山こゆる。岩の上に小男の居て、「法師めはいづこへ行ぞ。懐に物あらん。酒代においてゆけ」と云。「ふところの物は金也。下てとれ」と云。「にくき坊主」と、岩より飛ておりて前に立。懐に手さし入れば、其手つよくとらへて、足にて横のかたへ蹴たをしたり。うしろに人ありて、「腕だてするともゆるさじ。金無くば破布子